とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 赤鬼

閑話 赤鬼

 

 

 

道中

 

 

 

「ねえ、とうま。何でこんな暑い日にお外に出かけなくちゃいけないのかな。私、今日、大事な用があったんだよ」

 

 

「んなこと言ったて、詩歌に頼まれたから仕方ねーじゃねーか。……何か知らねーけど、行かないと後で後悔しそうな気がするし。つーか、お前の大事な用って、どうせアニメの再放送だろうが」

 

 

今年最高を記録した猛暑の中、当麻とインデックスはうだうだと文句を言いながらも詩歌に指定されたグラウンドへ足を運んでいた。

 

 

「むむ、それは聞き捨てならないかも」

 

 

インデックスが不平を口にしようとした時、

 

 

「おーい。カミやん」

 

 

遠くからどこか聞き覚えのあるエセ関西弁が聞こえてきた。

 

 

「―――ッ!」

 

 

その声を聞いた瞬間、当麻の体は自然と音もなくその声の主の元に近づき、

 

 

「久し――――ぶぼぁ!?」

 

 

挨拶を言い切る前に、目標、青髪ピアスの鳩尾に拳を打ち込んだ。

 

そんなわけはないだろうが、青髪ピアスの体感では手首までめり込んだような感触だった。

 

頭の中で火花の色の“!”や“?”がでたらめに点滅しているが、気力を振り絞って、顔を上げ文句を――――

 

 

「……あと7発だ」

 

 

――――言う事ができなかった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「もう! いきなり何なんや! カミやん。僕はただ挨拶しただけやないか! それなのにいきなり殴ってくるのはどういう了見なんや!」

 

 

「すまん……お前を見たら殴らなきゃいけない気がしたんだ。8発ほど」

 

 

あの後、自分を抑えられず青髪ピアスを殴り倒してしまった当麻は、その後の7発をどうにか止める事に成功した。

 

そして、今は青髪ピアスに対して謝罪の念を籠めて頭を下げている。

 

尚、その間、インデックスは無視を決め込み、むしろ殺人的な熱気を振りまく太陽を恨めしげに眺めていた。

 

どうやら、暑くて余計な事に関わりたくないらしい。

 

 

「まあ、訳は分からんけど、僕が何かしたらしいな。……まあ、ええよ。あと7発も殴ってたら許さなかったけど、必死に我慢したからその努力に免じて許したる」

 

 

当麻の謝る姿を見て何やら事情を察したのか溜飲が徐々に下がっていく。

 

青髪ピアスは何もしていないが旅行中、当麻と詩歌は慰謝料を賠償できるほどのかなりの精神的ダメージを喰らわされ、特に当麻は傍から見たら妹といちゃついているようにしか見えない光景を見せられたのでその分の怒りが溜まっていた。

 

 

「悪いな。何か奢ってやるから許してくれ。これから、詩歌と約束があるからまた今度な」

 

 

じゃ、またな、と言って、この場から立ち去ろうとした時、ガッシリと肩を掴まれた。

 

そして、振り返ってみると何やらにやにやとこちらを見て笑っている。

 

 

「何だ、青髪ピアス。俺に用事でもあんのか?」

 

 

「いやぁ~、そんな礼なんてええよ。……まあ、でも……なあ、カミやん。詩歌ちゃんに久々に会いたいから、僕も付いていってもいいかなぁ?」

 

 

何やら手をごますりながら当麻にゆっくりと近づく。

 

 

「ただ会ってお喋りしたいだけや。これっぽぉぉぉっちも疾しい気持ちはあらへん。ほら、最近詩歌ちゃんがウチの高校に来るって情報が耳に入ってな。あくまで高校の先輩として詩歌ちゃんにお近づきしたいだけ。な、分かるやろ?」

 

 

おそらく土御門経由で広まっているのだろう。

 

今、長点上機学園か霧ヶ丘女学院、もしくは大学か研究所行きかと思われていた常盤台で完璧と称される<微笑みの聖母>が何の変哲もない高校へ進学する、という噂が流れている。

 

と言ってもまだ進路希望調査票が出ていない為、都市伝説のようにガセネタであると思われているが、それでもその進学先の高校がどこかと調べる中3が大量に出没している。

 

そして、その後、その噂が本当だった事が分かると色々と大波乱が起き、その高校の合格倍率が例年の5倍程度に膨れ上がる事になる。

 

という事態にはまだなっていないのだが、その話を土御門から直接聞かされた青髪ピアスはもうその気になっており、まだ噂が広がっていない今の内に色々とアドバンテージを獲得しようとしている。

 

届かないだろうと思っていた高嶺の花がこちらに来てくれたのだからそう気が逸るのも仕方がない。

 

ぶっちゃけ、この真夏日に外にいたのだってその足掛かりとして当麻を探していたからである。

 

 

「それになぁ~、詩歌ちゃん。今まで誰とも付き合った事ないんやろ。それなら僕が練習台として付き合った方がいいと思うんや。そうすれば、悪い狼にひっからなくなると思うで」

 

 

いくら当麻でも目の前の人物こそが狼だと分かる。

 

それに一瞬、しかも妄想の中でとはいえ、妹を奪った相手だ。

 

絶対に会わせる訳にはいかない。

 

 

「ふざけんな! 詩歌は―――」

 

 

大声で怒鳴りつけようとした瞬間、青髪ピアスは胸を抑えて蹲る。

 

 

「うぉ~! 痛い。急に胸に激痛が。出会い頭にど突かれた胸が急に痛みだしたわ~(チラッ)」

 

 

昔、これと同じような事をした者がいたようなぁ……

 

 

「カミやんは気にしなくてもええよ。いや、気にしなくてもええ。一片たりとも気にしなくてもええんやで。ああ、たとえ意味不明な理由でいきなり殴られたけど、気にする必要は……」

 

 

「……何をすればいいんだ」

 

 

「いやいや、もう許したし、気にしなくても―――でも、カミやんがどうしても気になるって言うなら……」

 

 

そこでニタァーッ、と笑みを深める。

 

 

「僕の事、詩歌ちゃんに紹介してくれへん」

 

 

最初から丸わかりだったが、これが狙いだったのか。

 

まあ、詩歌なら上手に青髪ピアスと付き合いそうだし、たとえ襲いかかっても軽くあしらうだけの実力があるのだが……近づけたくない。

 

 

「とうまー、暑いから早く行こうよー」

 

 

向こうでインデックスが急かし立てている。

 

あれはヤバい。

 

徐々に不機嫌メーターが上昇してくるのが分かる。

 

あと数分もしないうちに噛みつかれる可能性は大だ。

 

 

「お義兄さん。どうか、僕に妹さんを紹介してください!」

 

 

こっちは熱されたアスファルトの上にも関わらず、いつの間に土下座しているし、おかげで周囲の目が痛くなってきている。

 

 

(不幸だ……というか、お義兄さんって言うんじゃねーよ)

 

 

しかし、この状況で当麻に選択肢はないに等しい。

 

もう諦めるしかないのか……

 

 

 

 

 

 

 

「わかった……紹介すればいいんだな」

 

 

心の中で詩歌に謝りながらガックリ、と肩を落とす。

 

 

「おお、不思議! 急に胸の痛みが治まった。ほな、カミやん、行こうか。レディを待たせるのは紳士のやる事やあらへん」

 

 

暴行を盾に人を脅すのは紳士の振る舞いなのだろうか。

 

青髪ピアスは了承を得るや否やてきぱきと立ち上がり、落ち込んでいる当麻の手を引く。

 

こうして、途中1人加わって、当麻達は詩歌が指定するグラウンドへ歩を進めた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「あーー、暑い。何でこんな暑い日に外に出かけなくちゃいけないのよ」

 

 

昨夜、姉のような幼馴染、詩歌から今日の正午にグラウンドに来て欲しいとお願いされた。

 

許可は得ているから体操服を持ってきて欲しいと。

 

聞けば、黒子、佐天、初春も誘っているらしい。

 

何でも夏らしく爽やかに汗を流そうということなのだがどうも怪しい。

 

怪しいのだが……

 

 

「お姉様。早く急ぎましょう! 大お姉様をお待たせしてはいけません!」

 

 

最近、詩歌を『大お姉様』と慕うようになった黒子に強引に引っ張られて連れてこられている。

 

『大お姉様』と慕う前も、詩歌を慕っていたは慕っていたのだが若干ベクトルが違う。

 

いつそうなったのかは分からないが、どうやら詩歌とも百合百合しい関係を目指しているらしい。

 

 

(でも、詩歌さんはそういった人の好意に鈍感だからなぁ)

 

 

兄妹だからか、当麻に負けず劣らずに、詩歌も鈍感である。

 

敵意などの負の感情には敏感なのだが、そのような人の好意、特に恋慕に対してかなり疎い。

 

女性の場合は特に。

 

おそらく、当麻に一直線のせいでもあるが、どんなに好意を向けても親愛の情としか見ておらず、校内に自身のファンクラブができている事に全く気付いてない。

 

はぁー、と色々な気持ちを籠めて美琴は溜息をつく。

 

 

「御坂さーん、白井さーん」

 

 

そんなとき、ちょうど待ち合わせの場所に差し掛かったのか、佐天と初春の声が聞こえる。

 

 

「佐天さん、初春さん」

 

 

声がする方を向けばやはり2人がこちらに手を振っているのが視界に入った。

 

もうこうなれば後戻りはできない。

 

それになんだかんだいって詩歌に逆らう気はない。

 

美琴はもう一度だけ溜息を吐くと覚悟を決めて2人の元へ駆け寄った。

 

 

 

 

 

グラウンド

 

 

 

グラウンドには強面の男達が待ち構えており、観客席には大勢の観客で敷き詰められている。

 

それから縁日のように周りには屋台が勢揃いしている。

 

何かイベントでもあるのだろうか?

 

詩歌に指定された場所はここだ。

 

間違いはないはずだ。

 

しかし、昨夜送られてきた詩歌のメールには、『たまには爽やかにスポーツでもして汗を流しましょう。動きやすい服装で―――のグラウンドに来てください。インデックスさんも連れて来てくださいね』と書かれていた。

 

これは、もしかすると、ひょっとするとだが、この衆人環視の中であの強面の<スキルアウト>達と試合するのではないか?

 

それとは別にして、この場の空気は、どこか色が異なるような気がする。

 

どこかそわそわしている様な、落ち着かないようなそんな空気だ。

 

 

「当麻さ~ん」

 

 

グラウンドに入る直前、ここに自分たちを招待した人物の声が聞こえた。

 

 

「詩…歌……」

 

 

メールで送った通り、今日はスポーツをする為か詩歌は流麗な長髪をいつもよりも上、頭頂部の辺りで結ってポニーテイルにしている。

 

普段の深窓の令嬢のような大人しい雰囲気がなりを潜めて、スポーツ少女といった風情だ。

 

と、ここまではいい。

 

この前の旅行で気付いたが、詩歌はかなり着痩せする。

 

なので普段だと気付きにくいが、下手なグラビアアイドルが裸足で逃げ出すほどの抜群のスタイルを持っている。

 

そして、今、こちらに走り寄ってくる詩歌はいつもの制服よりも薄着な常盤台の体操服を着ていた。

 

 

「うひょ~、詩歌ちゃん! スタイル抜群やね!」

 

 

青髪ピアスの興奮している様子から分かるように、体操服姿は、いつもの制服姿より、体のラインをはっきり分からせる。

 

1番目を引くのは、下手すればスイカほどの大きさのある胸部だった。

 

いつもはその胸のせいで大きな服を着ているため目立つには目立ったが、今の姿ほどではない。

 

さらに、寮監により鍛えられたためかスタイルまでもそこらの女性が太刀打ちできないほど整っている。

 

くびれのある腰、細い脚ながらむっちりとした太もも。

 

その上、いつもの万人を虜にする天使の微笑み。

 

武将で言うなら天下無双で有名な呂奉先に赤兎馬というような無敵具合である。

 

日々の努力の賜物の部分もあるが、天は詩歌の容姿に関しては2物も3物も与えたようだ。

 

そして、元気よく弾む胸部を見てしまったのだろうか。

 

グラウンドにいる強面の男達、そして、観客の半分はしばらく立つ事も出来ない。

 

 

「ふぅ~……当麻さん、インデックスさん、今日は来てくれてありがとうございます」

 

 

炎天下の中、走り寄ってきたからだろうか、詩歌の白い頬は、ほんのり上気しているし、額にはうっすらと汗をかいている。

 

そして、ほんのりと甘い匂いがして、艶っぽい。

 

さらに、胸部が呼吸に合わせて弾んでいるのが良く分かり、うっすらと下着も見えている。

 

健全な青少年には刺激が強くて危険すぎる代物だ。

 

兄で耐性があり、鈍感な当麻も不覚ながらドキッとしたほどだ。

 

ならば、もう1人の青少年、青髪ピアスはというと、

 

 

「何ちゅうもん。何ちゅうもんを見せてくれたんや……僕はもう死んでもええ!」

 

 

ありがたや、ありがたやと拝みながら蹲っていた。

 

何故、そんな格好になったか、については割愛する。

 

ただ、観客席から、グラウンドからこちらを見ていた他の男達は間近で見れる事を羨ましそうに、そして、納得したような表情で見ていた。

 

 

「え、え~と、あなたは確か当麻さんのクラスメイトの……」

 

 

「待て、詩歌」

 

 

奇行に走る青髪ピアスに少しだけ引きつつも手を差し伸べようとした時、いきなり当麻が割って入ってきた。

 

 

「暑いと思うが何か上に着てこい」

 

 

その発言でようやく気づいたのか一周だけ辺りを見回して納得したように相槌を打つ。

 

 

「ふふふ、そういえば、今日が久々ですね。当麻さんが私の体操服姿を見るの」

 

 

それでは、と詩歌は両手を真横に伸ばし、その場でクルリと一回転。

 

長い髪がふわりと舞い、僅かにめくれた体操服から、滑らかな脇腹が見えた。

 

 

 

「「「「「「「「「「「「「「「ッ!!?」」」」」」」」」」」」」」」

 

 

 

そのチラリズムに会場が沸いた。

 

 

「どうですか?」

 

 

詩歌はにっこりとほほ笑んで感想を求める。

 

そんなのはこの場にいる男たちの反応と後ろで咽び泣いている変態を見れば分かるだろう。

 

しかし、詩歌は当麻しか眼中にないのか周囲を全く気にしていない、というか、見ていない。

 

 

「ムラムラします?」

 

 

「は、ははぁ! 妹相手にムラムラするわけねーだろ! 何言ってやがる!」

 

 

「じゃあ、このままでも問題ないですね。私、当麻さん以外の男性のそういった視線は気にしませんので」

 

 

「はあぁっ!?」

 

 

まずい。

 

このままだと詩歌が……

 

というか、携帯のカメラで何かにとり憑かれたかのようにシャッターを切り続ける奴も出てきたし。

 

 

「いや、ちょっと待て。ほら、写真も撮られてんだぞ!?」

 

 

「そういう目的で写真を撮られる事に私は特にストレスを感じません。そういう者達が、現実の私を手に入れる事は未来永劫ありませんので……たまには、写真や妄想くらいは許してあげてもいいでしょう。お情けというやつです」

 

 

(うっ、コイツ、妙な屁理屈を吐きやがって。そこまで俺をからかいたいのか!?)

 

 

兄の尊厳を守るべきか。

 

妹を狼から守るべきか

 

そんなのは……比べる…までも…ない。

 

 

「少しだけ……ムラっときました。だから、頼むから上を着てくれ」

 

 

よしっ、と詩歌は小さくガッツポーズする。

 

 

「とうま」

 

 

そして、この一連の会話、当然ながらすぐ隣にいたインデックスにも全部聞こえている。

 

 

「…………、あ」

 

 

恐る恐る隣を見る。

 

笑っていた。

 

まるで人形みたいに感情ゼロで笑っていた。

 

白い歯を見せながらにっこりと。

 

 

「この前も言ったと思うけど……分かってるよね? シスターとして、そういうのは修正しなくちゃいけないんだよ」

 

 

終わった。

 

思わず、救いを求めて詩歌の方を見るが、すでに遠く離れていた。

 

 

「不幸だ……」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ふふふ、それでは当麻さんはそちらの控室に。インデックスさんは観客席へ。そこの入り口から上がればすぐ近くに姫神さんがいます。それから、……青髪ピアスさんは当麻さんと同じで」

 

 

じゃあ、私はジャージを着てきます、と最後にそう言うと踵を返しどこかへ去ってしまった。

 

インデックスは、どこか拗ねたように階段を上がっていき、当麻は頭に歯形をつけて床で倒れ伏せていた。

 

何があったかなど言うまでもない。

 

そして、青髪ピアスはその詩歌の後姿を、あぁ、と残念がった声で見送る。

 

それはこの場にいる男達、全員の気持ちを代弁したものだろう。

 

だが、その行動は、今の当麻を前にしてするべきではなかった。

 

 

「ちょっと、来い」

 

 

いつの間に復活していたのか。

 

当麻が青髪ピアスの後頭部をガッチリ、と鷲掴みしていた。

 

 

「いっ!? わ、割れ!? ちゅうか、浮いてる!?」

 

 

大柄な体格の青髪ピアスが宙に浮かす。

 

片腕でそれを為すとは相当な馬力である。

 

そして、鬼のような形相でこの場にいる男共を睨みつける。

 

見回すだけでまるでウェーブのように波を打ち、ざわめつく。

 

 

『詩歌に手を出したら……』

 

 

そんな言葉が聞こえてきたかのように、兄としての気迫が震え上がらせる。

 

 

「……、」

 

 

無言で威嚇が終わると控室へ移動する。

 

青髪ピアスを鷲掴みにしたまま……

 

 

「か、カミやん……これ以上はヤバ――――」

 

 

この場にいる男達はこっそりと青髪ピアスの冥福を祈った。

 

 

 

 

 

グラウンド 控室

 

 

 

「うっ! ちょっと何この部屋? 物凄い血の匂いが……」

 

 

4人の少女達、その先頭の少女が咽返るような室内に鼻を摘みながら入ってきた。

 

とりあえず、ぞろぞろとやってくる後ろの子達を廊下で待たせ、部屋の中に入ると部屋の隅で大柄な男の人が倒れているのを見つけた。

 

恐らくドラマや漫画などでよく血文字で表現される犯人のイニシャルなのだろうか。

 

彼の右の人差し指で“K”と書かれていた。

 

まあ、でも、パッと見は派手だけど呼吸も落ち着いてるし、大丈夫だろう。

 

男に付着している血がまだ温かく、乾いてもいない事に気付いた。

 

さらに、自分がこの部屋に来る途中、誰とも遭遇していない。

 

そして、血の匂いが立ち込める密室。

 

犯人はここにいる!!

 

 

 

 

 

 

 

「で、これは一体どういう状況なの?」

 

 

とまあ、事件に遭遇した名探偵ごっこは終わりにして、この部屋にいたもう1人の人物、というか99%で犯人だと思われる上条当麻に事情を聴く。

 

 

「まあ、色々あって……思わず、今朝堪えたはずの7発が、な」

 

 

一体何が起きて流血沙汰の事態が起きたのだろう。

 

って言うか、7発って何。

 

謎……

 

ただ一言だけ、上条当麻と上条詩歌は似た者兄妹であった。

 

 

「まあ、気にするな。俺が詩歌にされてるのと比べれば、児戯みたいなもんだ。すぐに目覚めると思うぞ」

 

 

「気にするなって……一応、気絶してるだけで問題がないようだけど……」

 

 

いやいや、無理でしょう。

 

部屋に入って、血塗れで倒れている人を見て、気にしないなんて普通できる訳ないでしょ!

 

というか、

 

 

「アンタ、これが児戯って……詩歌さんにどんなことされてんのよ」

 

 

この常人なら凄惨だと言える状況を児戯と称する精神が少し気になる。

 

 

「……まあ、色々と、な……」

 

 

哀愁漂わせ遠い目をする当麻を見て、美琴は今まで詩歌にされてきたお仕置きは序の口だったのかもしれない。

 

結構アレだったけど、手心を加えてくれてたのかな、と思った。

 

ちなみに、当社比的に、詩歌の当麻へのお仕置きの凄惨度数は美琴へのお仕置きの10倍を軽く超えています。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「え、っと……こちらの方は一体……」

 

 

あの後、廊下で待たせていた黒子、佐天、初春を迎え入れ、とりあえず、まずは自己紹介をする事にした。

 

さて……とここで美琴は悩む。

 

一応、美琴はこの場にいる全員と知り合いである。

 

ならば、自分が率先して橋渡しを、と思うのだが、

 

 

(この馬鹿が詩歌さんの実の兄だと教えるべきかしら……)

 

 

こう言っては何だが、詩歌と当麻は似ている所は似ているのだが、似てない所は全く似てない。

 

特におつむの所が……

 

もし、この場で当麻を詩歌の兄だと教えたら、驚くに違いない。

 

実際、美琴も初めて詩歌の兄だと教えられた時は信じられなかった。

 

 

(いずれ知れる事だし、まあいいか。なるようになるでしょう)

 

 

「あ、あなたは! 連続虚空爆破事件の時にいた学生の方ですよね!」

 

 

美琴が自己紹介をする前に初春が何かに気付いたようにハッとする。

 

 

「あの時は、手伝ってもらってありがとうございます。途中でいなくなっちゃたからお礼を言いそびれちゃって、すみません。私、初春飾利と言います」

 

 

連続虚空爆破事件。

 

セブンスミストで起こった<幻想御手>を使用した能力者による<風紀委員>襲撃事件、

 

あのとき、狙われたのは初春だった。

 

そして、知ってる者は極僅かであるが初春を救ったのは美琴の超電磁砲の一撃……ではなく、当麻の<幻想殺し>のおかげである。

 

初春はその事実を知らないが、何となく当麻に助けられた事を勘付いていた。

 

 

「いや~、そんな事もあったけ……ああ、えっと―――あ、俺は上条当麻という普通の高校生です」

 

 

一応、記憶を失ってからの出来事を第3者、詩歌の視点から教えられている当麻は連続爆破事件の事も知っているが、下手にこの話題を掘り下げられたらボロが出るかもしれない。

 

なので、話の流れを修正しよう強引に自己紹介をするが、

 

 

「「「上条!?」」」

 

 

それが一つの爆弾に火をつけた。

 

その威力は話題は逸らすのに余りあるものだった。

 

美琴はあちゃー、と額に手を置きながらこの爆弾の後始末をする。

 

 

「え~っと、この馬鹿は、上条当麻。一応、詩歌さんの実兄?」

 

 

「おい、ビリビリ。馬鹿って何だ。馬鹿って。つーか、一応じゃねーだろ。何で疑問形になってんだよ!」

 

 

「うっさいわね! アンタと詩歌さんとじゃスペックが違いすぎるから仕方ないでしょ! あと、ビリビリって言うな!」

 

 

2人がそのまま言い争いに移ろうとしたその時、佐天がぐぐいっと当麻に詰め寄る。

 

 

「佐天涙子です! 詩歌さんにはとてもお世話になってます!」

 

 

そこで馬鹿丁寧に90度に腰を折り曲げて礼する。

 

 

「お、おう。これからも、詩歌の事よろしくな」

 

 

記憶を失ってからというものの、普通人で、かつ礼儀正しい人というのが周りにほとんど居ないせいか、新鮮に思えてしまう。

 

のもあるのだが、若干、興奮気味の佐天の迫力に押されてしまって一瞬どもってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

(……よく見れば、どこかしら大お姉様と似ているような……でも、やはり、パッとしない殿方ですわねぇ……)

 

 

一方、黒子も戸惑っていた。

 

今も必死に当麻の顔を脳内スキャンで詩歌の顔と照合しているが良くても10%程しか類似しておらず、別人との判定が出ている。

 

失礼ではあるが、敬愛する美琴から知らされなければ詩歌の兄だとは信じられなかっただろう。

 

ついでに、先ほどの美琴との掛け合いは(本人達にそのつもりはないが)年頃の男女が仲良く会話しているようにしか見えない。

 

詩歌以外で、しかも男性で、あそこまで美琴が素で話せているのは初めてだ。

 

美琴の事をお姉様と愛してやまない白井黒子にとってそれは見過ごせない問題だ。

 

もし同じく大お姉様と愛する詩歌の兄ではなかったら嫉妬に狂って類人猿と呼んでいたに違いない。

 

 

(将を射んと欲すればまずは馬からですわ)

 

 

とりあえず、今は様子見にするとして、不本意ではあるが第1印象を良くしようと営業スマイルを作り、

 

 

「初めまして、お義兄様。私、白井黒子。白井黒子でございます。今後とも大お姉様とは親しいお付き合いをさせていただきたいと願ってますわ」

 

 

当麻の前に立ち、にこっと優雅に一礼する。

 

名前を連呼する所は必死に選挙アピールをしてる政治家のように見えなくもないような気がしなくもないが、その立ち振る舞いは流石はお嬢様学校の生徒というところである(しかし、いつかこの“馬”鹿に本気で鉄“矢を射る”ようになるとは、まだ知る由もない当麻であった)。

 

 

「は、はあ。こちらこそよろしくな」

 

 

それから、お兄様のニュアンスが若干おかしかったような気がする。

 

名前だけではあるが全員の自己紹介が終わると、佐天がもう一度ずずい、と詰め寄る。

 

 

「お兄さん!」

 

 

自分の能力を開花させてくれた恩師の兄。

 

きっと、詩歌に負けない功績とやらを持っているはず。

 

それに詩歌について質問してみたい。

 

 

「詩歌さんって昔はどんな子供だったんですか? それからお兄さんのLevelはいくつなんですか?」

 

 

初対面の相手にLevelを聞くのはどうかと思うが、相手は詩歌の兄。

 

きっと相当な実力の持ち主。

 

もしかしたらLevel5かもしれない。

 

と、興奮を抑えきれず思い切って質問してしまう。

 

初春と黒子も気になるのか、じっ、と当麻の答えを聞き逃さないように意識を集中させる。

 

どうやら、詩歌の兄という事でハードルが高まったようだ。

 

3人とも興味津津と言った所である。

 

 

「うっ……」

 

 

だが、当麻はLevel0。

 

自分はその事を気にしていないが、妹を尊敬する後輩たちをがっかりさせてしまうだろう。

 

それに、幼い頃の詩歌との思い出を覚えていない。

 

もし、このまま正直に話してしまえば、当麻は妹との事を覚えていない無能で非情な兄だと思われてしまうのかもしれない。

 

そうなると、詩歌の評判も下がってしまう可能性もある。

 

 

「質問タイムはそこまでですよ」

 

 

「「「詩歌さん(大お姉様)!?」」」

 

 

当麻のピンチを察するアンテナでも付いているのだろうか。

 

ちょうどいいタイミングで詩歌が部屋の中に入ってきた。

 

 

「全く、本人がいない所で昔の事を根掘り葉掘り聞いてくるのは、恥ずかしいので止めてください。当麻さんも話さなくていいですからね」

 

 

「ああ、わかった(助かった)」

 

 

詩歌が釘を刺した事で、それを盾にすれば当麻は余計な事を言う必要がなくなる。

 

何度もは少しきついが、聞かれても、妹が嫌がるから、と言えば評判も落とさずに上手に回避できる。

 

 

「え~。秘密にされると何だかより聞きたくなっちゃうな~」

 

 

「ふふふ、それじゃあ代わりに当麻さんの事について教えてあげます」

 

 

「ちょっ、おまっ!?」

 

 

折角、このまま有耶無耶にすれば、期待に応えられずがっかりさせてしまう、という事態を防げたのに。

 

もしかして、気付いていないのか?

 

当麻は詩歌を部屋の隅にまで引っ張って周りに聞こえないように耳打ちする。

 

 

「(おい、。あの子達はお前の兄だという事で、ハードルが上がっているようだが俺はLevel0なんだぞ。もしかしたら、お前の評判も下がるかもしれないんだぞ)」

 

 

「(あん//// くすぐったいですよ//// 耳元でこそこそ息を吹きかけないでください)」

 

 

「(まじめに聞けっ!!)」

 

 

小声で怒鳴るという矛盾した発声。

 

意外と当麻は器用なのかもしれない。

 

 

「(大丈夫ですよ。佐天さん達はそんな人達ではありません。それに、Level0だろうと当麻さんは私の自慢のお兄ちゃんに変わりありませんから)」

 

 

「(う……)」

 

 

そこまで言われると何も言い返せない。

 

それに、詩歌に褒められる、認められるのは本当に嬉しい。

 

 

「ふふふ、当麻さんの許可を得る事ができました」

 

 

結局、当麻は降参した。

 

 

 

 

 

 

 

「私の兄、当麻さんはLevel0です」

 

 

こそこそと会談していたのを訝しげに見ていた佐天達に誇らしげに胸に手を当てて告げる。

 

 

「「ええっ!?」」

 

 

佐天と初春は予想だにしない発言に声を揃えて驚く。

 

黒子は少しだけ期待を裏切られたように溜息をつくが、

 

 

「Level0はLevel0ですけど、Level5序列第1位に勝ったLevel0です」

 

 

「「ええええっ!!!!」」

 

 

その上、予想天外摩訶不思議ともいえる発言に心臓が飛び出すくらい驚く。

 

流石の黒子も絶句してしまう。

 

 

「そうですよね。美琴さん」

 

 

「ええ。詳しくは言えないけど、詩歌さんの言う事は本当よ」

 

 

美琴が頷くのを見て、半信半疑だったのが確信へと変わる。

 

3人とも口を開けて、ぽかーん、ともう声も出ず、絶句をする。

 

 

「もしかして、Level5第1位に勝ったLevel0ってお兄さんの事だったんですか?」

 

 

「はい。あ、でも、秘密にしてくださいね。色々と騒がれるのは面倒ですから」

 

 

「あの都市伝説って、本当だったんだぁ……」

 

 

当麻は少しだけ恥ずかしげに頬を掻く。

 

 

「へぇ~、あれってやっぱり当麻っちの事だったんだ」

 

 

その時、新たな闖入者がこの場に現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

真っ赤な髪はあたかも燃え盛る炎。

 

その双眸は炎のように荒々しい。

 

闖入者、陽菜はけらけらと笑いながら、悪びれもせずに部屋の中へ入ってきた。

 

 

「あら陽菜さん。盗み聞きなんてイヤらしいですね」

 

 

「違う違う。たまたまだよ、たまたま。さっきからここが騒がしかったから様子を見に来たんだよ」

 

 

そう言うと、陽菜は品定めをするようにこの場にいる一人一人の顔を鷹のような目で覗きこむ。

 

 

「へぇ~、美琴っちに黒子っち、それに当麻っち。まあ、ここまでは予想通りといったところかな……―――で」

 

 

もう一度佐天の顔を覗き込む。

 

 

「そこにいる初春さんは美偉の姉御の後輩だから知ってるけど……この子は誰だい? 見たところ常盤台の子じゃないと思うけど」

 

 

「ひぃっ!」

 

 

陽菜の鷹の目に射貫かれ、金縛りにあったように体が動かなくなる。

 

 

「おいおい、そんなに怖がらないでくれよ」

 

 

そして、一歩近づいただけで喰われる、と錯覚させられてしまう。

 

そう本能が目の前の人物は捕食者だと。

 

そして、自分はその獲物だと。

 

このままいけば喰われてしまう、と警告する。

 

でも、逃げられない。

 

あの鷹の目から逃れる事はできない。

 

 

「脅すのは止めてください」

 

 

詩歌が間に割って入ったおかげで重圧がふっと消えた。

 

 

「おっと、大丈夫か。汗がすげーぞ」

 

 

そして、解放され力が抜けた佐天を当麻が支えた。

 

そこで佐天はようやく額に大量の汗が出ているのに気付いた。

 

おそらく一瞬でも気が抜けない程、追い詰められていたのだろう。

 

 

「気当たりに慣れていない人を、危うく気絶するまで追い詰めるなんてやり過ぎじゃないですか?」

 

 

その声は静かだった。

 

静かであるが、相当怒ってる。

 

敵意はないがその身の内に深く怒りが練り込まれている。

 

そして、冗談は一切許さない、そう目が言っている。

 

 

「ごめんごめん。ちょっと試すだけのつもりだったんだけど、初めて見る相手だったから少し長びいちゃって、つい、ね」

 

 

悪かったね、と佐天に対して頭を下げる。

 

そして、部屋を支配していた重圧がすっ、と消す。

 

それで満足したのか詩歌の視線が少しだけ和らいだ。

 

が、

 

 

「で、まさか、その子を試合に出す訳じゃないよね?」

 

 

それとは逆に陽菜が不服そうに詩歌を睨む。

 

 

「ええ。佐天さんは私が呼んだ助っ人の1人です」

 

 

ギンッ!!

 

鷹の目が詩歌の両目を射抜く。

 

そこには先ほど佐天の時にはなかった怒りの色が見えた。

 

 

「へぇー。随分と舐められたものだねぇ……。その子も詩歌っちの教え子なんだろ? Levelは?」

 

 

「能力については教えませんが、Levelで言えば2から3と言ったところですかね? 最近、Level0から急成長している注目株です」

 

 

詩歌の発言にますます怒りの色が濃くなっていく。

 

荒事に慣れているはずの当麻、美琴、黒子の3人でさえも息を呑む。

 

陽菜の体から発せられる灼けつく暴威は詩歌と互角。

 

詩歌のように静かで洗練された覇気ではなく、荒々しく乱暴な覇気。

 

その暴力的な覇気が陽菜の姿が何倍も大きく見せる。

 

 

「嘗めてんの? ……詩歌っちなら、もっと高レベルの奴を連れて来れただろ? 『生徒会長』の結衣っちや『常盤台の女王(クイーン)』の食蜂っち、その食蜂っちの『派閥』の一員で6人いる『委員会』の委員長――<六花>だって詩歌っちの教え子だし、今年の新入生最強で私には生意気な『常盤台の騎士(ジャック)』の<水蛇>からも先生と呼ばれてんだろ。それにほら、この前、転校してきた婚后って奴がいたじゃん」

 

 

急に部屋の温度が上がり、陽菜の周囲が揺らめく。

 

炎天下の熱気が冷房のように感じるほどの熱気が、この部屋にいる全員を煽った。

 

そして、着火寸前の爆弾が傍にあるような緊張感が2人以外の全員を凍りつかさせる。

 

 

「嘗めるなと言いたいのはこちらの方です。言っておきますが―――」

 

 

そこで一端区切って、力強く微笑む。

 

 

「佐天さんは陽菜さんにも負けない素質の持ち主です」

 

 

その自信満々な微笑みに毒気を抜かれたのか、きょとん、と年相応の少女の顔に戻る。

 

そして、

 

 

「はっ! おもしろい。詩歌っちがそこまで言うなら遠慮なく全力で叩き潰してあげるよ」

 

 

陽菜は笑った。

 

満面の笑み。

 

派手に暴れられる予感に陽菜は獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれから、陽菜が去った後、勝負について詳しい説明し、当麻、美琴、黒子の協力を得ることができた。

 

しかし、体力のない初春は先ほどの熱気により軽い熱中症を起こしかけ、ふらついている為、棄権という事になった。

 

そこは幸い、あの間ずっと部屋で寝ていた青髪ピアスが代理として立候補してくれた。

 

今回の勝負、チーム戦には6人まで出る事ができる。

 

あと1人だけ出れる。

 

そうあと1人だけ……

 

 

 

 

 

 

 

「陽菜さんと勝負してください」

 

 

「無理無理無理ですって! あの人、滅茶苦茶強そうじゃないですか!」

 

 

「大丈夫。あくまでこれはスポーツです。それに安全面に考慮してサポータも用意しています」

 

 

「私なんかが太刀打ちできる相手じゃないですよ! それに助っ人なら他の人にお願いした方が良いですって!」

 

 

と、その最後の1人、佐天の説得が難航している。

 

それもそうだろう。

 

<スキルアウト>達に<赤鬼>と恐れられる陽菜の威圧を諸に受けたのだ。

 

その時の恐怖感はあの時の虚空爆破事件で人質になった時とは比べ物にならない。

 

 

「佐天さん、これは卒業試験です」

 

 

「え? 卒業って……」

 

 

卒業、突然突きつけられた言葉に佐天は戸惑う。

 

 

「もう佐天さんの中で能力の基盤はできています。もう演算方法などは自力でできるはず。支えとなる事はできますが、これから先は佐天さん自身で進まなければ成長しません。ここから先はあなた達自身の力で切り開いてください。自分の<自分だけの現実>は自分で組み立ててください」

 

 

「……でも、私、この前までLevel0だったし……詩歌さんがいなかったら才能なんて……」

 

 

詩歌の言うとおり、佐天は自力で飛べるところまで成長した。

 

もう産まれたばかりの雛ではなく、空を羽ばたける翼を持った鳥だ。

 

しかし、自信がない。

 

親鳥に殻を割ってもらい、親鳥に餌を運んでもらい、親鳥の背中に乗って飛ばせてもらった。

 

今ではもう飛べるはずなのに、巣から出る事ができない。

 

もしこの巣から追い出されてしまえば、地に堕ちてしまうのではないかと不安になる。

 

 

「才能なんて、待っていては得られるものではありませんよ? 何をやるにしても、諦めない事です。何度失敗してもいい、満足できる結果が出るまで、何度でもやってみてください。才能のある人間なんて、単純にいえば、自分のやり方を早い段階で組み立てた人の事です」

 

 

だからこそ、呼んだ。

 

だから、陽菜との勝負に、そう嵐の空へと連れてきた。

 

1人で飛べる自信をつけさせるために。

 

たとえ何度、地に堕ちても何度も救い上げあげる。

 

荒療治だが、飛べるようになったら相当な自信がつく。

 

 

「で、でも」

 

 

それだけではない。

 

人質にされた事がある。

 

翼が凶器である事を身をもって知っている。

 

己の翼が、翼であるのと同時に人を傷つける爪である事を知っている。

 

もしかしたら、誰かを傷つけてしまうのではないかと恐れている。

 

強くなれば強くなるほどその恐怖心は大きくなる。

 

その恐怖心が大きくなりすぎて、詩歌がつけた枷が重くなる。

 

重くなりすぎて空を飛べなくなっている。

 

飛べたとしても、強風に飛ばされてしまうほどぎこちない飛び方になってしまう。

 

 

「大丈夫です。思い切ってやっても。陽菜さんは超電磁砲を撃たれても大丈夫な方です。横綱に胸を借りるつもりで思いっきりやっても心配はありません」

 

 

その翼の使い方を、爪の使い方を教える為に。

 

困難という嵐の中を羽ばたくやり方を教える為に。

 

その為にはまず実際に本気を出す事が必要だ。

 

嵐に取り込まれたら本気を出さなければ堕ちてしまう。

 

他校を道場破りしている陽菜は人を容赦なく叩き潰す嵐だ。

 

おそらく先ほどの挑発から佐天も容赦なく叩き潰すだろう。

 

否が応でも本気を出さなければいけなくなる。

 

だからこそ、嵐の空は全力の出し方を教えるのにうってつけの場とも言える。

 

1人でも飛べる、巣から大空へと羽ばたく事ができるようにする為。

 

佐天を呼んだのはそういった狙いもある。

 

 

「そして、私がいます。私がいる限り、あなたを傷つけさせませんし、誰も傷つけさせません」

 

 

優しいけどすごくスパルタ。

 

思えば特訓の時も己の限界の少し先まで要求されてきたが、超えられなかった事はない。

 

何故かはわからないが、不思議と詩歌の微笑みは人をその気にさせ、奮い立たせてくれる。

 

そして、

 

 

「あと、それから先ほどの事は嘘ではありませんし、八百屋に魚を売ってくれなどと無茶な注文は致しません。私は今回の勝負、佐天さんを戦力として、陽菜さんを倒す鍵の1つとして呼びました」

 

 

その言葉は自信をつけさせてくれる。

 

詩歌はいつでも誠心誠意、自分に接してくれて、欺かれた事はない。

 

だから、力が宿るのだろう。

 

その言葉、その信頼は重い枷のような重圧ではなく、身を引き締めてくれる心地良い緊張感を生んでくれる。

 

 

「はぁー……わかりましたよ」

 

 

やれやれと、佐天は苦笑する。

 

卑怯だ。

 

そこまで信頼されたら選択肢は一つしかない。

 

全く、詩歌には逆らえない。

 

逆らう事ができないのではないのに逆らえない。

 

おそらく、自分と同じように開花された人達も同じ気持ちだろう。

 

Level5序列第3位、能力者達の頂点の1人である美琴が詩歌に逆らわないのもきっとそう。

 

 

「詩歌さんの信頼に応えてみせます」

 

 

佐天の心に火が灯された。

 

 

 

つづく


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