とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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御使堕し編 疫病神

御使堕し編 疫病神

 

 

 

タクシー

 

 

 

『今すぐ戻れ! カミやん!』

 

『ここは俺が調べとく、カミやんとねーちんは刀夜さんの保護を』

 

『クソッ! こんなことしなくても<御使堕し>は解決できたかもしれないってのに……』

 

『だが、あいつは………やはり、犠牲が無ければ……』

 

 

 

 

 

 

 

土御門に後の事を任せ、当麻と神裂はタクシーに乗った。

 

ミーシャよりも早く、刀夜を“保護”しなければならない。

 

そうでもしないと、刀夜は“処分”されてしまう。

 

どうすればいい……

 

……この事を詩歌に伝えるべきか……

 

詩歌の事だからもう気が付いているのかもしれない。

 

だが、気が付いていないのかもしれない。

 

だから悩む。

 

妹に自分達の父親が犯人だったと言うべきか悩む。

 

こんな真実……できれば、詩歌には知ってほしくない……

 

でも、刀夜を保護するには詩歌と連携を取るのが最良の判断だ。

 

しかし………

 

 

(まぁ、携帯……たぶん旅館に忘れたのか? 今、持ってないし……)

 

 

不幸、それとも幸いと言うべきか、今、当麻には詩歌との連絡手段がない為、苦渋の決断をしなくて済んだ。

 

 

(何で……あのクソ親父)

 

 

当麻は長い溜息を吐く。

 

自分と詩歌の疑いを完全に晴らす為に、<御使堕し>の真犯人を捕まえると決めた。

 

だが、その真犯人が父、刀夜だった。

 

だから、<御使堕し>を解決するためには父を、火野神作のように尋問しないといけないのかもしれない。

 

そうなれば、詩歌は耐えられない。

 

自分は記憶が無いから、耐えられるのかもしれないが、詩歌には記憶がある、父と過ごした思い出がある。

 

あの時、父親の事を語っていた詩歌を見れば、本気で刀夜を父と慕っている事が分かる。

 

だから、上条刀夜が尋問される姿を見せるわけにはいかない。

 

父親が<御使堕し>を引き起こした犯人はお前だろうと、問いただされ、拷問にかけられる姿なんて、絶対に見せるわけにはいかない。

 

だからこそ……

 

 

(決着は俺が着ける。誰にも邪魔させない。誰にも傷つけさせない。父さんは、俺達の父さんは――――)

 

 

父を守るために。

 

妹を守るために。

 

 

(――――兄である俺が救ってみせる!)

 

 

兄である自分が立ち上がる。

 

 

 

 

 

海辺

 

 

 

上条刀夜は夕暮れに染まる浜辺を歩いていた。

 

その顔には疲労が色濃く見え、流れる汗で全身が濡れてしまっている。

 

今にも止まってしまいそうな足取りで、それでも、刀夜は足を引きずるようにして浜辺を歩いていた。

 

その姿は魔術師には見えなかった。

 

戦闘のプロにも見えなかった。

 

 

「……父さん」

 

 

当麻の呼び掛けに、心底疲れ切った刀夜の顔に安堵の色が生まれる。

 

それは一般人の顔だった。

 

迷子になった子供を見つける事ができた、父親の顔でしかなかった。

 

 

「当麻!!」

 

 

疲弊し切っているはずなのに、それでも声を張り上げる。

 

そして、たっぷり5秒もかけて、怒りの表情を作る。

 

 

「今までどこに行っていたんだ! 出かけるなら出かけると私達に言わないか! 母さんだって心配しているんだぞ、大体お前は夏バテだから海の家で休んでいると言ってたじゃないか。今朝、調子が悪そうだったが、もう大丈夫なのか、どこか痛んだり吐き気がしてたりはしていないだろうな?」

 

 

しかし、怒りなど最初だけで、ほとんどが労わりの言葉だった。

 

当然だ。

 

刀夜は当麻の事が嫌いだから怒っている訳ではない。

 

父親は子供の事が心配だから怒っているのだ。

 

その姿に、当麻は奥歯を噛み締めた。

 

 

「後、それから詩歌を知らないか? 詩歌もいきなりいなくなったんだ」

 

 

そして、今度は娘を心配する。

 

その姿は自分が誇りに思える父親そのもの。

 

もしそうでなければ、詩歌が自分達の父親として誇りに思うはずがない。

 

だからこそ……そんな父親だからこそ、これ以上、血生臭い魔術世界に関わらせるべきではない。

 

何の目的があって、どんな願いがあって、<御使堕し>を起こしたかは知らない。

 

だが、本物の魔術師と言うものを知っている。

 

その怖さを知っている。

 

だから、本物の魔術師、ミーシャが来る前に<御使堕し>を終わらせる。

 

そうすれば、

 

 

「……何で、だよ?」

 

 

当麻は言った。

 

父の幻想を殺すために。

 

 

「何で、アンタが非日常(こっち)にいるんだよ。アンタは日常(そっち)の人間だろうが。つまんねぇオカルトになんざはまりやがって、一体何やってんだよ、クソ親父」

 

 

息子の叫びに、刀夜の顔から表情が消えた。

 

 

「何を、言ってるんだ、当麻。それより―――」

 

 

「シラを切ってんじゃねぇ! どうして魔法使いの真似事なんかしたんだって言ってんだ! アンタは詩歌の……俺達の尊敬できる父親なんじゃねーのか!」

 

 

刀夜が目を逸らす。

 

それは魔術師として身の危険を感じた時のものではない。

 

実の息子にやましい所を見られた時と父親のものだ。

 

 

「……答える前に、1つだけ聞かせてくれ。当麻、お前がどこに行ってたかは問わない。それで体は大丈夫なのか? どこか、痛む所とかはないのか?」

 

 

空と海、二重の夕暮れの中、燃えるような茜色の世界で刀夜は問う。

 

この場において、あまりに不釣り合いな言葉。

 

自らの身に危険が迫っているにも関わらず、刀夜はまだ当麻の、息子の身を案じていた。

 

そう父親として。

 

 

「その様子なら、問題はなさそうだな」

 

 

刀夜は、わずかに安堵の息を吐く。

 

 

「さて、と。何から話そうか」

 

 

当麻は黙っていた。

 

かける言葉など見つからない。

 

記憶が、思い出が無い自分に見つかるはずがない。

 

それでも、刀夜から視線を外すことだけはしなかった。

 

 

「あんな方法で願いを叶えようとは……馬鹿なことだとは、私自身も思っていたのだがな」

 

 

いかなる時も自分達の父親であろうとする男の顔から視線を外さなかった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「なあ、当麻。お前は幼稚園を卒業するとすぐに、学園都市に送られてしまったから覚えていないのかもしれないが」

 

 

刀夜は、何かを思い出すように、そして、懺悔するように語りだす。

 

 

「お前がこちらにいた頃。周りの人達から何と呼ばれていたかを、覚えているかい?」

 

 

「……、?」

 

 

当麻は眉をひそめる。

 

元より記憶喪失の当麻には、過去の記憶はない。

 

でも、詩歌が詳細に教えてくれたので、覚えてはいないが、学園都市に来てからの事ならある程度は知っている。

 

だが、しかし、学園都市に来る前の事に関しては、詩歌はあまり口を開きたがらず、どこかぼかしたようにしか聞いていない。

 

特に、学園都市に行く直前に関しては一言も語ろうとはしない。

 

必死に何かを隠そうとしている。

 

その答えを刀夜は、本当に言い難そうに、何度も喉につっかえながらも吐き出した。

 

 

「『疫病神』、さ」

 

 

実の息子に、その言葉を告げることを死ぬほど後悔しているような表情で、歯を食いしばりながらも語りだす。

 

 

「分かるかい、当麻。お前は確かに生まれ持ち“不幸”な人間だった。だから、そんな呼び方をされたんだろう。だが分かるかい、当麻。それは何も子供達の悪意ない悪戯だけではなかったんだ」

 

 

本気で苦しみながらも、詩歌が隠してきた当麻の過去を曝露していく。

 

 

「大の大人までもが、そんな名でお前を呼んだんだ。理由などない。原因などもない。お前はただ“不幸”だからというだけで、そんな名で呼ばれていたんだ」

 

 

当麻は詩歌が必死に隠そうとしていた理由を悟る。

 

詩歌は当麻が『疫病神』だと呼ばれていた頃の事を思い出してほしくなかったから。

 

たとえ、記憶が二度と戻らなくても『疫病神』と呼ばれていた事を知ってほしくなかったから。

 

そう、ただ当麻に傷ついて欲しくなかっただけ。

 

でも、詩歌がいくら努力しようとも過去を消すことはできない。

 

当麻が『疫病神』と呼ばれていた忌々しい過去を消すことはできない。

 

それでも、詩歌はその過去を消したかった。

 

そんな時、当麻はその事を忘れてしまった、いや、失ってしまった。

 

きっと、それを機に学園都市に来る前の事を封印しようとしたのだろう。

 

二度と当麻が悪夢を見ないように。

 

 

「当麻が側にやってくると周りまで“不幸”になる。そんな俗説を信じて、子供達はお前を見るだけで石を投げた。大人たちもそれを止めなかった。当麻の身体にできた傷を見ても、哀しむどころか嘲笑った。何でもっと酷い傷を負わせないのかと、急き立てるように」

 

 

刀夜の顔には何の感情も浮かんでいない。

 

しかし、その内側には押し殺す事も出来ないほどの渦を巻く激情が秘められていた。

 

 

「当麻が側から離れると、“不幸”もあっちに行く。そんな俗説を信じて、子供達はお前を遠ざけた。その話は大人までも信じた。幼いお前と一緒にいたのは、詩歌だけだった。……しかし、詩歌が側にいてくれたおかげで当麻はどんなに『疫病神』だと罵られても、兄として、妹の前では決して泣かなかった。お前は私の自慢の息子だよ……」

 

 

そこで、急に言葉を止め、無表情だった顔に激しい後悔の色が浮かぶ。

 

 

「しかし、詩歌も私の自慢の娘なんだ! ……だから、“不幸”にはさせたくなかった。きっと、魔が差してしまったのだろう。いや、言い訳はよそう。私は詩歌の親として、『疫病神』に近づいて欲しくなかった。当麻は知らないだろうが、一度だけ、詩歌に――――当麻とは………距離を、取りなさい………と言ってしまった。当麻の唯一の支えを奪おうとしてしまった!!」

 

 

狂気は人から人に伝わるもの。

 

そう、刀夜にも周囲の迷信が伝染してしまった。

 

そして、たった一度の過ちを犯してしまった。

 

その過ちは徐々に刀夜を狂わせていく。

 

 

「幸い、詩歌は当麻に懐いていたおかげで、私に逆らってくれた。本当に良かった。……しかし、私は……私は、最低だ。当麻の事を自慢の息子だと言っておきながら、心の奥底では『疫病神』だと……本当に最低な父親だ。でも、詩歌のおかげで私はもう一度やり直せる事ができた。これからは、心の奥底から息子も愛してみせる、と―――でも……」

 

 

刀夜は頭を抱えながら、今まで心の奥底に封印してきたものを吐き出していく。

 

 

「覚えているかい、当麻。お前が詩歌を庇って、『疫病神』だと信じた男に包丁で刺された事を。私はそれでもう限界だった。私は当麻を『疫病神』扱いするここよりも、そんな迷信がない学園都市に送る事を決意した。そうすれば、当麻は幸せになると信じて……私は最低な事をしてしまった当麻への罪滅ぼしとして、どうしても当麻を幸せにしたかった。しかし――――」

 

 

刀夜は家族の絆を断ち切っても、当麻を守りたかった。

 

しかし―――

 

 

 

 

 

「――――『疫病神』を詩歌から遠ざけたかった、とも思ってしまったんだ」

 

 

 

 

 

―――刀夜は当麻を切り捨ててまでも詩歌を守りたいとも思ってしまった。

 

 

「そう、当麻を刺した男の顔が自分の顔と重なって見えてしまったんだ。……もしこのままだと、その迷信のせいで私は当麻を殺してしまうのかもしれない。娘を守るために、息子を手に掛けようと考えるなんて……私は本当にどうしようもない。最低だ。お前達の父親を名乗る資格なんてない」

 

 

守りたいのに、殺してしまうかもしれない。

 

その相反する思いに刀夜は身体が引き裂かれそうになっていた。

 

その時の刀夜は当麻と詩歌を其々片手で崖から落ちないように歯を食いしばっているような心境で、そして、その両手はもう千切れそうなくらい限界だった。

 

そう、刀夜には2人を支えるだけの力が足りなかった。

 

刀夜は本当に限界だったのだ。

 

でも、刀夜には前科がある。

 

だから、本当は詩歌を引っ張り上げるために当麻の手を離してしまったのではないかと、刀夜は思い込んでしまった。

 

 

「常識など通じず、科学の最先端手法も効果はなし。だから、私はオカルトに手を染める事にした。当麻を“不幸”から救い出す事で、今度こそお前達の父親になりたかった」

 

 

刀夜は許してほしかった。

 

そして、捨ててしまった資格をもう一度拾い上げたかった。

 

詩菜に、詩歌に、当麻に、そして、自分に。

 

父親であることを認めてほしかった。

 

だから、力が必要だった。

 

皆の持ち上げるだけの力がどうしても必要だった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……、」

 

 

上条当麻は理解した。

 

刀夜が何故<御使堕し>を起こしたのかを理解した。

 

刀夜は<天使>を手に入れようとしたのではない。

 

『入れ替わり』で当麻の“不幸”を誰かに擦り付けたかったのだ。

 

 

「……馬鹿野郎」

 

 

しかし、それは諸刃の剣だ。

 

何せ、“上条当麻”という“存在”が他の誰かに入れ替わるのだ。

 

自分の息子は2度と刀夜を父親だと思わなくなる。

 

それどころか自分の娘でさえ父親だと思わなくなる。

 

その代わりに赤の他人が自分の息子として、娘として自分の家庭に土足で踏み込んでくる事になる。

 

それでも、上条刀夜は我が子を、2人の我が子を守りたかった。

 

たとえ、世界中の人間を巻き込んでも。

 

たとえ、自分の子供達が、もう2度と自分の事を父親と呼ぶ事がなくなっても。

 

たとえ、あの写真のように家族全員揃って笑い合う事ができなくなっても。

 

それでも、刀夜は守りたかった。

 

たとえ、罪人になっても、最低な事をしても、自分の息子から“不幸”を取り除きたかった。

 

 

「ばっかやろうが!!」

 

 

だからこそ、耐えきれずに当麻は吠えた。

 

刀夜が驚いたような顔をする。

 

 

「ああ、確かに俺は不幸だった」

 

 

当麻は許せない。

 

自分を殺そうと思った事が許せないのではない。

 

刀夜のその表情が許せない。

 

 

「この夏休みだけで何度も死にかけたよ、一度なんか右腕を丸ごと切断された事もあった。そりゃクラスメイトを一列に並べて比べりゃ、こんな不幸な夏休みを送ってんのは俺だけだろうさ」

 

 

当麻は不幸で何度も死にかけた。

 

 

「けどな、負けねぇ。俺は不幸に負けない。右腕が切断される程度の不幸じゃ俺は負けない。そんな程度の不幸じゃ、俺は後悔しない」

 

 

そして、何度も妹を傷つけられた。

 

 

「………でも、詩歌が不幸になるのは耐えられない。あいつが傷つくのを見るのだけは絶対に耐えられない」

 

 

自分が死にかけるよりも、妹が傷ついた方が苦しかった。

 

 

「あいつは馬鹿だよ。本当に馬鹿だ。俺みたいな愚兄に付き合わなければ、不幸になるはずがなのに。賢い選択ができる妹のはずなのに。疫病神から遠ざかればいいのに。それでも、俺と一緒にいる。アンタと同じで俺を不幸から救おうとしていやがるッ!」

 

 

当麻は自分から詩歌を遠ざけようとした刀夜の心情が良く分かる。

 

当麻も、本気で、他人と不幸を半分にしようとするあの不幸さえも受け入れてしまう無防備さが怖かった。

 

 

「詩歌は不幸になったんじゃねぇ。不幸になってんだ。俺だけじゃねぇ。皆を幸せにするために、自分の“幸運”を投げ捨てていやがる。そのせいで、銃で撃たれたり、全身ボロボロになったり、毒に侵されたり……冗談じゃねぇ! 俺が不幸になっても後悔はしねぇよ。……でもな、詩歌が、大事な妹が不幸になったら絶対に後悔するに決まってんだろ!」

 

 

いや、刀夜よりも強く思っている。

 

目の前で傷つき、倒れる詩歌を見るたびに何故自分が兄なのかと何度も思った。

 

 

「……今朝、俺はあいつの兄を辞めようと思った。……詩歌を不幸にさせないために『疫病神』から遠ざけようと思った。でもな、あいつが言ったんだ。……俺の事が自慢の兄だと、俺がいるから笑えるって言ってくれたんだ。世界一の妹が俺の事を兄だと認めてくれたんだ。……そして、わかった。“不幸”は人を“幸せ”にできるってな」

 

 

当麻は喜びに打ち震える。

 

 

「だから、決めた。俺は逃げない。絶対に詩歌から逃げない。どんな不幸にも負けない世界一の兄になって、詩歌を、皆を幸せにしてやる。俺の、“俺達兄妹”の“不幸”で全員を幸せにしてみせる。そうすれば、俺達も幸せになる」

 

 

詩歌が“不幸”になって、当麻を“幸せ”にする。

 

当麻が“不幸”になって、詩歌を“幸せ”にする。

 

2人が“不幸”になって、皆を“幸せ”にする。

 

そして、祝福する。

 

自分の不幸が他人の幸せへと変わったことを祝福する。

 

もしそれが大切な者であったら、尚更嬉しい。

 

そうする事で自分の心にも幸せが広がる。

 

その答えを当麻は詩歌から学んだ。

 

 

「惨めったらしい“幸運”なんざ押しつけんな! そんなもんなくたって俺は“不幸”になんか負けねぇ! だから、こんなにも素晴らしい皆を“幸せ”にできる“不幸”を“俺達”から奪うな!」

 

 

当麻、そして、詩歌はすぐ側で皆が苦しんでいるのにのうのうと生き続けるぐらいなら、“不幸”に巻き込まれて皆を“幸せ”にして、自分達も“幸せ”になる道を選ぶ。

 

その道を選んできたから、姫神を三沢塾から救い出せた。

 

美琴と<妹達>を実験から救い出せた。

 

インデックスの笑みを守った。

 

それらは2人の“不幸”が彼女達の“幸せ”になったからだ。

 

そして、その“幸せ”が伝播して、2人も“幸せ”になる。

 

もし、最初から“幸運”だったら巻き込まれず、彼女達を救いだせなかった。

 

そう思うとゾッとする。

 

 

「“不幸”だなんて見下してんじゃねぇ! 詩歌が俺といて“幸せ”だってんなら、俺は今、世界で一番“幸せ”なんだ! 皆の“不幸”に巻き込まれたってお釣りがくるくらいにな!」

 

 

上条刀夜の狂気を、ふざけた幻想をぶち壊す為に右手を高々と上げて誇らしげに宣言する。

 

 

「一人じゃ『疫病神』だ。でも、詩歌がいれば、俺は『福の神』だ。皆を幸せにできる『福の神』だ。だから、父さんの息子は『疫病神』なんかじゃねぇ! 『福の神』だ!」

 

 

「――、」

 

 

刀夜は。

 

上条刀夜は、言葉も出ない。

 

だが、当麻は聞こえた。

 

父の幻想を壊した音が。

 

 

「何だ、息子は」

 

 

呪縛から解放された刀夜は久々に本物の“父”として笑みを作る。

 

 

「『福の神』だったんだな」

 

 

躊躇うことなく当麻は頷く。

 

 

「ああ、父さんと母さんが詩歌という最強のお守りを産んでくれたから、俺を詩歌の兄にしてくれたから、俺は『福の神』になれたんだ!」

 

 

その答えを聞いて、長年、刀夜を蝕み続けてきた狂気の歯車が止まった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「バカだな、私は……それじゃ全く逆効果だ。私はみすみす、自分の子供から幸せを奪おうとしていたのか」

 

 

刀夜は、小さく安堵の吐息を洩らす。

 

もう終わった。

 

刀夜の狂気が止まり、<御使堕し>を引き起こす必要性は、これで完全に無くなった。

 

あとは儀式場の正確な位置を聞いて、破壊するだけ――――

 

 

「といっても、何が出来たワケでもないがな。全く、私もバカだ。あんなお土産を収集した程度で何かが変わるはずもないって、オカルトなんぞに何の力もないって、そんなこと、分かっていたはずなのに」

 

 

「え?」

 

 

刀夜のふとした一言に眉をひそめる。

 

 

「大体、土産屋に置いてある家内安全やら学業成就やらといった民芸品なんかよりも、詩歌と言うお守りがあったんだからな。もう出張先から変な土産を買って帰るのはやめにするよ。菓子の方がまだ母さんも喜ぶ」

 

 

「ちょ、ちょっと待て」

 

 

聞き間違いではない。

 

当麻は一度止めた。

 

 

「アンタは<御使堕し>を引き起こしたんだろ? だったら、その儀式場はどこにあるんだ?俺の“不幸”をなくすって目的がなくなったなら、もう<御使堕し>を中止にしても構わねーんだろ?」

 

 

当麻の問いに刀夜は不審そうな顔になる。

 

 

「エンゼルフォール? 何だそれは? そういえば、詩歌もそんなこと聞いてきたな。何か流行語か、歌手の名前なのか?」

 

 

(詩歌も、だと……と言う事は、詩歌は父さんが入れ替わっていない事に気付いていた!? そして、急にいなくなった……)

 

 

「な、なあ、それ以外で詩歌が何かを言ってなかったか?」

 

 

「ん~……ああ。母さんがどこにいるかを聞いてきたな。全く、すぐ隣にいたと言うのにそんな事を聞いてくるとは疲れているのかもしれないな」

 

 

刀夜の顔は、嘘を吐いているようには見えない。

 

きっと、刀夜から見たら詩菜がすぐ側にいたのだろう。

 

だが<御使堕し>の影響を受けていないとするならば、刀夜の近くに妻、“詩菜の姿”をした女性はいないはずだ。

 

だから、おかしい。

 

<御使堕し>を引き起こした犯人自身が、その影響を受けるはずがない。

 

なのに、本気で“詩菜”が隣にいたと思い込んでいる。

 

 

(待て。考えろ。まだ何かを見落としていないか? この状況は明らかにおかしい。今の父さんの口ぶりだと、不幸な子供にお守りを渡そうとしているだけに聞こえるぞ)

 

 

考えがまとまらない。

 

何から考えればいいのか分からない。

 

頭を抱えたい衝動に駆られた、そんな時、

 

 

サクッ。

 

 

当麻の思考を、砂を踏む音が唐突に遮った。

 

 

「……ミーシャ=クロイツェフ」

 

 

一体いつからそこにいたのか。

 

隠れる場所なんて全くない砂浜の波打ち際に、赤いシスターが悠然と立っていた。

 

ミーシャは慈悲の無い執行人のように無言で刀夜を見つめていた。

 

 

 

つづく


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