とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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御使堕し編 真実

御使堕し編 真実

 

 

 

上条家前

 

 

 

タクシーに乗って20分。

 

途中、警官が道路を封鎖していたので、タクシーを降り、道路ではなく、警察の手が及ばない民間の庭をこっそり通って、移動する。

 

幸い、ここ周辺の住人は避難しているらしく人目に気を使う必要がなかった。

 

そして、火野が閉じ籠っている上条家の前に着いた当麻、土御門、神裂、ミーシャはすぐさま行動を開始。

 

まず、上条家附近に陣を張っている警官隊の目を欺くため、禁糸結界を張り、全然違う家を上条家と思い込ませる。

 

そうすれば、上条家で大捕りものをやっても警官に邪魔される事はない。

 

といっても、神裂1人で結界を張るので働いているのは神裂のみで、他の3人は何もしていない。

 

なので、その間、当麻は土御門から色々と話を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「………と言う事は<天使>ってのは、神のロボットって奴なのか?」

 

 

「まあ、そんな感じだにゃー。<天使>ってのは、神の命令通りに動く異能の力を詰め込んだ皮人形といってところだぜよ。だから、心というものが無い。もし、火野神作に<御使堕し>を起こすように命令した『エンゼル様』が<天使>だったら、複雑になってくるぜい。これは詩歌ちゃんの推理が十中八九正しいと思うぜよ」

 

 

「ふーん……にしても、<天使>と言い、風水と言い、<聖人>と言い、魔術は結構奥が深いな」

 

 

ふむふむ、と相槌を打つ当麻を見て、土御門は安堵する。

 

 

(とりあえず、落ち着いたようで良かったにゃー)

 

 

そして、感心する。

 

先ほどまでの当麻は何時暴走してもおかしくはなかった。

 

それに、迂闊に触れれば、暴発する危険性が高い。

 

そう、爆弾処理班さえも匙を投げだすほどの爆弾だった。

 

それを詩歌は見事に解体した。

 

それだけではない。

 

自分達、プロに一歩も引けを取らない弁舌に場を掌握する感覚。

 

さらに、暗部でさえも手玉に取る手腕。

 

そして、これ以上、見込みなしとされるLevel0でさえも成長させる能力。

 

おそらく、『能力開発』に置いては、マネジメント能力と<幻想投影>だけでなくその常識に囚われない感性で、各能力の専門の研究者たちよりも上だろう。

 

もし倫理観を捨てれば、『進化』を司る<木原>になれたのかもしれない。

 

かつて、天才陰陽師として名を馳せた土御門でさえ、詩歌の才覚は異様に見える。

 

 

(全く、良くできた妹。そして、天才、か……だが―――甘い……)

 

 

上条詩歌は真っ直ぐで、とても強い。

 

人の悪意をまっすぐに受け止めても、詩歌は強さでねじ伏せる。

 

その磨き上げられた天才の力を存分に振るい、ものともせずに突き進む。

 

しかし、もしも、詩歌の強さでもねじ伏せられない、そう、いつか底知れぬ本物の悪意に出会ってしまえばどうなるのだろうか?

 

詩歌は、容赦ない一面を持ち、策士であるものの、どうしようもなく甘い。

 

敵であろうと、他人を貶めることに躊躇いを覚える。

 

大切な者が傷つけられない限り、本気で牙を剥く事はない。

 

だから、土御門はその“いつか”が致命的になると予期していた。

 

 

(カミやん……守る事ができるか、試させてもらうぜよ……)

 

 

 

 

 

上条家

 

 

 

「エンゼルさま、エンゼルさま……」

 

 

昨夜、エンゼルさまに選ばれた少年の生贄を失敗。

 

それどころか、左手首、骨折、歯も2、3本吹っ飛ばされ、鼻骨を粉砕された。

 

左手首は道で拾った針金と角材のギプスで固定した。

 

だが、口の中と鼻の痛み、息のし辛さはどうしようもない。

 

痛みは麻痺してきたが、息苦しさはどうしようもない。

 

それもこれもあいつが邪魔に入ったせいで……

 

エンゼルさまを否定したあいつらと同じ目で私を見たあの忌々しい少女のせいで!

 

クソッ!

 

もしあの時エンゼルさまの命令が無ければ、殺していた!

 

いや、殺すべきだった!

 

エンゼルさまの存在を否定する奴らは皆殺しにするべきだったんだ!

 

きっとこの現状に陥ったのは、エンゼルさまがお怒りになっているからだ。

 

そうと決まれば、早くこの場から立ち去らなければ……

 

 

「エンゼルさま、エンゼルさま……」

 

 

ナイフを持った右手にエンゼルさまが降臨する。

 

ありがたい。

 

まだ、私はエンゼルさまに見捨てられていないようだ。

 

エンゼルさまは、私の右手を使って、答えを出してくれる。

 

 

『CALL AN AMBULANCE』

 

 

なるほど、そういう手もあるのか……

 

やはり、エンゼルさまの答えに狂いはない。

 

エンゼルさまは私を死刑から救い出してくれた慈悲深いお方。

 

ならば、エンゼルさまの信に応える為に私も一刻も早くあの忌々しい悪魔を殺そう。

 

 

 

 

 

上条家前

 

 

 

『ちょっと調べものができたから、しばらくここを離れるにゃー』

 

 

と、神裂が戻ってくる直前にそう断りを入れると、土御門は止める間もなくその場からさっさと去ってしまった。

 

その事を教えると、神裂はコンクリート塀に無言で拳を貫通させた。

 

粉砕ではなく、貫通。

 

綺麗に拳ほどの大きさの穴がくり抜かれた。

 

土御門から聞いていたが、<聖人>というのは、物凄い身体能力をお持ちのようだ。

 

そして、その時、神裂のスワッていた目は何を見ていたのだろう。

 

一体何に見立てて、コンクリート塀を貫通させたのだろう。

 

と、そこで当麻はこれ以上考えるのを止めた。

 

ただ、青い空を遠い目で見つめながら、これからの親友の身の上を案じた。

 

 

「それで、あなたはどうしますか? 我々が火野を仕留めるまで、そこで待機してますか?」

 

 

その場で待機しているミーシャを横目で見ながら、神裂は当麻に問う。

 

 

「いや、行く。……あれは俺の実家だし、詩歌との約束もある。お前の分の仇を取ってやるって、な」

 

 

そう言って、目の前の建物を睨みつける。

 

『上条』と書かれた表札がコンクリート塀の端に掛けられたどこを取っても平凡に見える、木造二階建ての建売住宅。

 

その建物は、この真夏の炎天下、真っ昼間から何故か全ての窓を雨具と分厚いカーテンで覆い隠されていた。

 

本来、実家であるので記憶はないが懐かしいと思うかもしれないと思っていた当麻だが、目の前の建物は家庭内暴力や少女監禁事件など、何か陰惨な事件の臭いを感じさせる程の邪気を放っているように見える。

 

実際、その得体の知れない直感は間違っていない。

 

今、太陽の光を拒むように閉ざされた家の中には悪魔崇拝じみた理由で28人もの人間を惨殺し、もしかしたら<御使堕し>の術者かもしれない殺人犯が立て篭もっているのだから。

 

そして……その殺人犯は大切な妹を傷つけた。

 

胸の内が徐々に熱くなる。

 

頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。

 

 

(……落ち着け)

 

 

目を閉じて、深く息を吸う。息を吐く。それを繰り返す。

 

嫌悪する臭気が肺を満たし、肺から排出される。

 

何度も繰り返す。すぐに慣れた。

 

慣れたら、目を開ける。

 

目の前の実家がよく見える。

 

もう大丈夫だ。

 

神裂は律義に当麻の精神統一が終わるのを見計らって声を掛ける。

 

 

「そうですか……では、陽動として玄関から、出来るだけ大きな音を立てて突入してください。私とクロイツェフはその音を合図に、別ルートから隠密で侵入します。クロイツェフ、よろしいですか?」

 

 

「解答一。肯定」

 

 

と、一言告げると、腰のベルトから鋸を引き抜き、助走もなしで、一跳びでミーシャは一階の屋根に飛び乗ってしまった。

 

……<聖人>だけが、物凄い身体能力をお持ちになっている訳ではないようだ。

 

今度は神裂が垂直飛び。

 

一階屋根に乗っているミーシャを飛び越し、二階の屋根に音もなく着地する。

 

そして、そのまま屋根の向こうに。

 

庭に面したベランダの方に進んでいってしまった。

 

詩歌が特別なんだとばかり思ってたが、どうやら認識を改めなきゃいけないようだ。

 

 

「さて、俺も行くか」

 

 

覚悟を決め、当麻は鍵を取り出し、実家の扉を開けた。

 

 

 

 

 

上条家

 

 

 

バン!

 

 

と、勢い良くドアを開け、家どころか住宅街に響き渡るような轟音を木霊させる。

 

生温かくドロリとした空気、そして、鼻や目に突き刺さる刺激臭が流れ出す。

 

シュウ、と闇の奥からタイヤから空気が抜けるような、妙な音が聞こえてくる。

 

まるで、玄関が得体の知れない化物の口の前にいるようだ。

 

 

(落ち着け)

 

 

当麻はもう一度深呼吸し、気を落ち着けさせる。

 

そして、慎重に一歩一歩前に進んでいく。

 

カーテンや雨戸によって光を遮られた室内は、完璧な闇に包まれてはいなかった。

 

遮光性の分厚いカーテンと、窓枠の間にある僅かな隙間から光が洩れている。

 

何故完全な暗闇ではなかったのかをゆっくりと進みながら落ち着いて考える。

 

 

「ッ!?」

 

 

一瞬、何でもない傘立てが蹲る人影に見え、当麻は驚く。

 

おかげで、少しだけ精神に乱れが生じる。

 

だが、火野の意図に気付いた。

 

そう、火野は真っ暗闇に出来なかったんじゃない。

 

物の輪郭が分かる程度の薄暗闇を、敢えて創り出したんだ。

 

これで、敵の同士討ちを誘うだけではなく、躊躇いを生じさせる事でアドバンテージも得る事ができる。

 

おかげで、3:1という人数の有利さが消えてしまった。

 

当麻は1人で殺人犯と対峙しなければならない。

 

横を見れば、靴箱の上に乗ったタヌキや赤い郵便ポストの置き物が、不気味なくらいの陰影を作っている。

 

傘立てに差さったままの木刀なんて、まるで切断された人間の腕のように見える。

 

壁に掛けられた大きな仮面や床に散らばる大小様々なモアイ像はこっちを見てるかのようだ。

 

今の上条家はお化け屋敷と化している。

 

 

(そういえば、俺らの父親って、こういうお守り? って奴を集めるのが趣味だ、と詩歌から聞いてたな)

 

 

ふと、家じゅうを埋め尽くしている奇妙な置物を見てそんな事を思い出す。

 

詩歌曰く、当麻が学園都市に行って以来、上条刀夜は仕事で世界中に出張する際、必ずその現地でのお守りを買ってくるそうだ。

 

 

『全く、おかしな父さんです。……でも、私達の事を守ってくれる頼もしい父さんです。母さんもいつも私達の事を心配してくれます。私は父さんと母さんの娘であることを誇りに思います』

 

 

(ふっ、こんな時に詩歌の顔を思い浮かぶなんて……)

 

 

脳裏に自分達の両親を誇らしげに語る詩歌の微笑みが映る。

 

 

『もちろん、当麻さんも私の誇りです』

 

 

たとえ記憶の映像でも、あの微笑みを見ると、当麻は自然と顔に笑みが浮かぶ。

 

そのおかげで、余計な力が抜け、心細さも消えた。

 

 

『私が笑っていられるのも、当麻さんがいるからです』

 

 

当麻にとって、詩歌の微笑みが何よりのお守りだ。

 

どんなに不幸だろうと、一日一回詩歌の微笑みを見れば、全てがチャラになる。

 

そして、本当に幸せそうに微笑む詩歌と一緒にいるとこちらまで幸せになれる。

 

 

『だから、無事に帰ってきてください。……できれば、早く戻って……』

 

 

(ああ、とっとと終わらせるから心配すんな)

 

 

お守りのおかげで再び絶好調に戻った当麻は前方を見て、状況確認する。

 

玄関に入って右側にガラスドアが一つ、正面には二階へ続く階段、その階段の横にはドアが二つ、その内一つは鍵がついている。

 

確か、詩歌がそこはトイレだと言っていた。

 

当麻はトイレの方に向かい、音もなくドアを開けて中を確かめる。

 

 

(……ここじゃねーな)

 

 

どうやら火野はいない。

 

開けた時と同じように、静かにドアを閉める。

 

次に、トイレの近くにあるドアを開ける。

 

 

「うっ」

 

 

シューッ、という風船から空気が抜けるような音が強くなった。

 

肌から直接突き刺さるような鋭い臭いも増している。

 

ドアの向こうは、脱衣所だった。

 

洗濯機や乾燥機、洗面台などのシルエットが見える。

 

横にはすりガラスの引き戸があって、その先がお風呂場に繋がっている。

 

これも詩歌の言うとおりだ。

 

当麻はすりガラスのドアをゆっくりと開けて、中を覗き込んだ。

 

お風呂場は湿気を帯びた暗い空間になっていた。

 

湯船に浮かべる物か、ウレタンでできた亀の玩具が転がっている。

 

当麻は更に浴槽の蓋を開け、中を確かめる。

 

 

(……ここにもいねーな)

 

 

次に脱衣所へ視線を戻してみた。

 

洗面台の鏡の向こうは、夜の海のようにどろりとした暗闇が広がっている。

 

洗面台の上にはヘアスプレーやT字型の剃刀と並んで、チェスの駒や硝子の切り出し細工の小瓶が置いてある。

 

 

(にしても、詩歌から聞いてたがお守りの数が半端ないな)

 

 

一瞬、当麻は実家にあるお守りにどこか狂気じみたものを感じた。

 

刀夜には悪いが、ここまでお守りを収集するとは異常である。

 

その事を疑問に思いつつ、当麻が脱衣所の先、詩歌が言うには台所へ向かう。

 

 

(……待てよ)

 

 

当麻の身体の中を嫌な予感が駆け抜けた。

 

異臭、空気が洩れるような音、台所、近づくに強くなる匂い……

 

これらの単語から冷静に現状を推理する。

 

 

「ガスか!」

 

 

思わず、大声が漏れでた。

 

 

(まずっ! だが、ガスだ。プロパンガス。アイツ、ガスの元栓を開けてやがる!)

 

 

もしかしたら、火野は当麻達の侵入に気づいたのかもしれない。

 

そこで、一足先に家を抜け出し火を放って、当麻達を(あるいは機動隊と勘違いして)まとめて爆破するつもりなのかもしれない。

 

火野が何を考えているかは分からない。

 

だが、この場にこのまま留まっているのは、あまりにも危険だ。

 

台所から遠ざかるように、後ろ向きのまま一歩二歩と下がる。

 

その時――――

 

 

ゆらり、と。

 

当麻の背後―――台所の中から、音もなく痩せぎすのシルエットが現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『当麻さん、如何なる時も恐怖を感じたらすぐに身構えてください。いいですか? 恐怖とはセンサーです。反応したらすぐに五感を研ぎ澄ませて下さい』

 

 

空気の流れ。

 

微かに聞こえる呼吸音。

 

ガスの匂いに混じっている仄かな異臭。

 

肌に突き刺さるような視線。

 

そして、殺気。

 

恐怖を察知した方に振り向くと、頭上に不気味な曲線を描く三日月ナイフが視界に入る。

 

 

「なっ!?」

 

 

バカげてる、正気の沙汰じゃない。

 

プロパンガスは、とっくに家中を満たしている。

 

この家は、今や一つの巨大な爆弾と化している。

 

なのに、何故、火野神作がここにいる!?。

 

狂っている、イカレている、予測なんて、出来るワケない。

 

ちょっとした火花でも散らせば建物ごと爆発するかもしれない状況。

 

そんな中、ガスの元栓を開けた張本人が、一番危険な台所に隠れてたなんて。

 

あまりの精神的衝撃に当麻の思考が麻痺する。

 

火野は一瞬、気配を気付かれた事に驚くが、正常に戻る前にナイフを当麻の頭に振り――――

 

 

「ッ!?」

 

 

火野はまた驚く。

 

思考が空になった直後、完全に隙を狙ったはずなのに、間一髪で避けられてしまった。

 

しかも、人体構造的にちょっとありえないと思うくらい体を捻って……

 

 

「ふぅ~」

 

 

台所の方に転がり込んだ当麻はほっと一息をつく。

 

思考が空になっても、反射的に動いた。

 

おそらく、詩歌によって、回避を体の芯まで叩き込まれたおかげだろう。

 

むしろ、思考する、というワンクッションがないから、意識が無い方が動きは良いのかもしれない。

 

 

(これは、詩歌のおかげ……なのか?)

 

 

何だか微妙に自分を哀れに思ったが、とりあえず状況確認する前にガス栓の元を閉める。

 

 

「……、」

 

 

ガスの元栓は閉めた。

 

そして、火野と向き合うが、これから自分を殺しに来る相手に掛ける言葉などない。

 

それに、火野自体に言葉が通じるかも怪しい。

 

今の火野は当麻の事を敵としか認識していないだろう。

 

 

「ヒィッ、ヒヒィ……」

 

 

審判はいない。

 

“はじめ”の掛け声もなければ“そこまで”の制止もない。

 

意識を失わせるまで火野は止まる事はない。

 

そして、昨夜、あれだけ詩歌の猛攻に耐えきった火野を止めるには殺すつもりでやらなければならないだろう。

 

 

『とりあえず、今日、徹底的に護身術を叩き込みますが、逃げれるなら逃げるのが一番。無駄な戦闘はなるべく避ける。でも、戦うと決めたなら、すぐに頭を戦闘に切り替えてください』

 

 

脳裏に詩歌の声が聞こえる。

 

当麻は構えをとり、精神を集中させる。

 

 

『戦闘準備が整ったら、まず、自分と相手と周りを見てください』

 

 

先ほどナイフが腕に掠ったが、毒は塗られていなかったらしく、問題はない。

 

辺りにはガスが充満しているため、僅かな火花でも爆発する恐れがある。

 

しかし、今の当麻には火野の動きがゆっくりとした流れとして見えていた。

 

火野の動きは常人では予測不能の狂人の動き。

 

でも、どうという事はない。

 

身体能力、判断力、反応速度、全てにおいて、当麻の性能は火野を大きく上回っている。

 

そして、今の当麻に生理的恐怖感は通じない。

 

詩歌のように、火野の攻撃を見切り、こちらの攻撃を当てていけばいい。

 

そうすればガス爆発が起こさず、火野を倒せる。

 

だが……

 

 

(殺人犯か……)

 

 

火野は28人も殺してきた殺人犯。

 

目つき、呼吸、踏み込みの位置、力加減、タイミングなどそこらへんの<スキルアウト>とは僅かに異なる。

 

だが、これが人殺しの動きだという事は分かる。

 

人を殺すことに躊躇いを覚えない。

 

これも精神的恐怖に並ぶ一つの武器だ。

 

 

「負けねぇ……」

 

 

でも、当麻にも火野の人殺しに負けない経験がある。

 

妹を守るために鍛え上げられた力がある。

 

その力で火野よりも多くの人間を殺してきたアウレオルスや一方通行を倒してきた。

 

そうと思えば火野に負けない、いや、今の絶好調の自分なら絶対に勝てる。

 

昨夜は何もできなかった。

 

でも、今は違う。

 

当麻は詩歌の兄として強くなると決めた。

 

上条詩歌の誇りであるよう上条当麻は誰よりも強者になる。

 

あの時、はっきりと、そう決めた。

 

 

「ギャハァッ!」

 

 

火野が雄叫びをあげて当麻に襲いかかる。

 

当麻は拳を握り、しっかりと両足を床に踏みしめ、迎撃の構えをとる。

 

 

『戦闘喪失を狙うなら鼻を潰す。そうすれば、どんなに感覚が麻痺していても呼吸が苦しくなりますから、戦闘では致命的です。気絶させるなら顎を狙って、脳を揺さぶる。もしくは鳩尾を狙って、呼吸を止めることもありです』

 

 

冷静に見切ると、火野の顔面に捻り込むように右肘を打ち込む。

 

当麻の右肘が顔面を捉えると、鼻骨がより砕けるような感触を得た。

 

 

「グヒャ!?」

 

 

詩歌に潰された鼻にもろに肘をもらった火野の体がグラリと揺れる。

 

 

『攻撃が決まった瞬間が一番気が抜けます。予期せぬ反撃があるかもしれませんので、完全に仕留めるまでは気を抜かないでください』

 

 

だが、火野は倒れるどころか反撃してくる。

 

 

「クソッ!」

 

 

間一髪、ナイフが頬を掠めたが、ギリギリ回避に成功した。

 

そして、火野はデタラメにナイフを振り回した、つまり、当たることを期待していない、ただ本能に従っただけ。

 

それは防御の事を全く考えていない。

 

当麻はそれを見逃さない。

 

がら空きとなった脇腹に、今度は膝蹴りを叩き込む。

 

 

「ギヒィ!」

 

 

防御を捨てていた為、当麻の膝は火野の内臓まで深く抉り込んだ。

 

その衝撃により、火野は呼吸が困難になり、鼻が使い物にならなくなっている為、大きく口を開けて息を吸い込もうとする。

 

腹を抑えて前かがみの姿勢になり、酸素を求めて突き出された顎は的にしてくださいとばかりに無防備だ。

 

 

(そこだ!)

 

 

当麻の右拳が火野の顎先をガッチリと拾い、首を軸にして頭を揺らす。

 

 

ガスッ!

 

 

一瞬、火野は意識が飛んで、眼球もグルリと裏を見せたが、それでも倒れない。

 

拳打の衝撃で顎の関節が馬鹿になったのか、だらしなく開かれた口からよだれをボタボタと垂らし、焦点が定まらなくなった目をグリグリと回しながらも、火野は崩れない。

 

そして、頭を揺ら揺らさせながら革布を取り出してナイフに毒を擦りつける。

 

詩歌を苦しめた毒を……

 

 

「くっ、どうすりゃ……」

 

 

今の火野は死兵も同然。

 

今のままでは倒せない。

 

でも、当麻はまだ人を上手に昏倒させるくらいに力を加減できるほど熟練していない。

 

それに、火野には詩歌に毒を喰らわせた恨みもある。

 

今でさえ、暴れ狂おうとする手足を統率するのに手一杯だ。

 

これ以上力を出せば加減を忘れて、殺してしまうのかもしれない。

 

 

『もし、自分の力で倒しきれないなら他のものを利用する。それは地の利や、道具、仲間、そして―――』

 

 

「そうか!」

 

 

当麻は閃いた。

 

火野はそれにも構わず、毒のナイフを当麻に振りかざす。

 

当麻はタイミングを計りながら冷静に動きを予測し、そして―――

 

 

「今だ!」

 

 

火野が振り回すナイフを持った右の手首を掴む。

 

 

「ギィッ!?」

 

 

『―――相手の力もです』

 

 

そして、そのままナイフの軌道を強引に誘導させ、火野の左肩を貫いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

まずまず、と言ったところか。

 

殺人鬼を前にしてあの立ち回り。

 

おそらく、そんじょそこらの雑魚では束になっても敵わないだろう。

 

だが、甘い。

 

あの程度の覚悟では合格とはいえない。

 

不合格ではないが、保留と言ったところだ。

 

さて、もう少しだけ試してみるか、と言いたいところだが、今は余裕がない。

 

なんせ、今、ここには爆弾が2つある。

 

ガスの事ではない。

 

世界を滅ぼすかも知れない爆弾だ。

 

そして、その事実に気が付いているのは俺だけ。

 

いや、もう一人いるか。

 

そもそも、その子のおかげでもう1つの爆弾の正体に気が付いたようなものだしな。

 

そして、ちょっと“拝借した”この携帯に届いたメールを見てみると、遠く離れているというのにあの子は爆弾、<御使堕し>の真相に辿り着いている。

 

全く、恐ろしい……

 

かつて天才だと言われた俺でさえもあの子の前では霞んで見える。

 

その天才を守るというのだから、カミやんには少し同情する。

 

もしあの子の才が知れ渡ったら、世界中からそれを奪おうと多くの人間が殺到するだろう。

 

現に、あの子の才能を知っているのは、学園都市上層部でもほんの一握り。

 

そして、カミやんの<幻想殺し>も恐ろしい力だ。

 

本当にあの兄妹は世界を揺るがしかねない影響力を持っている。

 

ある意味、ここにあるものと匹敵する爆弾だ。

 

だから、秘匿され続けてきた。

 

だが、ここ最近の出来事で、兄妹の力が少しずつ世界に広まってきている。

 

もう、隠しきれない。

 

もう、あの兄妹は普通の兄妹へとは戻れない……

 

それどころか、力を分散させるべき、と言っている組織もいる。

 

もしかしたら、あの兄妹は離れ離れになった方が良いのかもしれない。

 

だから、危険を冒してまでも、カミやんの力を、覚悟を確かめた。

 

……今はその結論は保留だ。

 

まずは爆弾を解体、いや、破壊しなくてはならないからな。

 

幸い、時間を掛ければ問題なく処理できそうだし、“最低でも誰か1人を犠牲にすれば”、あの子の力を借りずに、この2つの爆弾は処理できる。

 

あの子をこれ以上目立たせる訳にはいかないし、少しだけ舞台から退場させてもらおう。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれから、火野を仕留めた当麻は神裂、ミーシャ達と合流した。

 

 

『必要な情報を聞き出すまで、尋問はこの場で行います。ここまで来て火野を取り逃がす機会を作りたくはないのです。だから、あなたは至急、窓を開けて換気してもらえませんか?』

 

 

と言われたので、火野の尋問を神裂たちに任せ、当麻はガスが充満した一階を喚起する為に要所要所を回って窓を開けている。

 

そして、戻ってくると尋問が始まっていた。

 

どうやら、タイミング良く火野が目覚めたらしい。

 

 

「分からねえよ」

 

 

ぐったりと戸棚に寄りかかったまま、火野はそう答えた。

 

 

「何だよ、それ、何ですか。えんぜるふぉーるって、知らないよ。エンゼルさま、コイツら何言ってんですか、分かんないよ、答えて下さい」

 

 

小さな声でぶつぶつと呟き続ける。

 

独り言のようにエンゼルさまに助けを求めている。

 

その時、視界の隅でミーシャが動く。

 

腰のベルトから引き抜いたL字型の釘抜きを、ミーシャは床に無造作に投げ出された火野の右手首に向かって何の躊躇いもなく振り下ろした。

 

 

ボキン!!

 

 

凄まじく鈍い音と共に、火野の手首がおかしな方向に捻じ曲がる。

 

 

「ぎ、びぃ! ぎがぁ!」

 

 

獣じみた咆哮を上げる火野。

 

 

「問一をもう一度」

 

 

しかし、ミーシャは動じない。

 

 

「<御使堕し>を引き起こしたのは貴方か」

 

 

最初出会った時と同じように淡々と質問を繰り返す。

 

こんなやり方は魔術師のものではない。

 

魔術師は戦いに私情を挟む。

 

敵の言葉に耳を傾けもするし、一対一で正面から正々堂々と戦おうともする。

 

魔術師の戦いは、とにかく無駄が多い。

 

と、当麻は土御門から聞かされている。

 

だが、ミーシャにはそれが全くない。

 

自らの目的のために手段を選ばない。

 

確かにプロだと言えなくもないが、心が欠落しているように見える。

 

 

「知らない。えんぜるふぉーるなんて、知らない」

 

 

だが、それでも火野の態度は変わらない。

 

 

「知らない、知らない、知らない、知らない、知らない、知らない、知らない………」

 

 

力を失い、投げ出したままの手足も動かさず、ぶつぶつと呟き続ける。

 

そんな態度の火野にミーシャはもう一度L字型の釘抜きを――――

 

 

「クロイツェフ、止めましょう」

 

 

神裂が振り下ろす直前にL字型の釘抜きを掴む。

 

 

「これだけ尋問して何も吐かないという事は詩歌の推理通り、火野は二つの人格が入れ替わったので外見が変わらなかったのでしょう」

 

 

しばらく、神裂と視線を交わらせると、すっ、とL字型の釘抜きを元の位置に戻す。

 

 

「その通りだと思うぜい」

 

 

突如、後ろから土御門が現れ、神裂の主張に賛成する。

 

 

「土御門ッ! あなたは―――」

 

 

「落ち着け、ねーちん。俺は詩歌ちゃんの推理の裏付け捜査をしていたんだ」

 

 

色々と言いたい事があったが、とりあえず、現状は火野が犯人かどうかが重要なので引っ込む事にする。

 

 

「おかげで、火野は<御使堕し>が発動する随分前から、エンゼルさまと呟く事があり、そいつがイマジナリーフレンドだと診断されたこともわかった。結論から言えば、火野はシロだにゃー」

 

 

土御門の言葉に、全員が固まった。

 

ちなみに火野神作は気絶している。

 

激痛のためか、それとも信じていたエンゼルさまが偽物だったという事実が余程応えたのか……

 

何にせよ、<御使堕し>の犯人を追う手がかりが完全に失われてしまった。

 

無駄に時間を使ってしまった。

 

これから一体何から手をつければいいんだろう?

 

残された時間は、あとどれくらいあるんだろう?

 

と、悩む中、土御門がこれからの事を決める。

 

 

「とりあえず、ここからすぐに立ち去るにゃー。警官に見つかったら色々と厄介だぜい」

 

 

そういうと、土御門は現われた時と同じようにこの場から急いで立ち去る。

 

とりあえず、ここから出よう、と言う土御門の案に従い部屋を出ようとした時、当麻は異様なものを見つけた。

 

 

「あれ?」

 

 

それを確認する為、当麻は火野が寄り掛かっている戸棚へ近づく。

 

戸棚の中は雑多な置物で溢れかえっているが一つだけ違うものがあった。

 

それは写真立てだ。

 

写っているのは4人、おそらく家族の思い出なのだろう。

 

そこには、幼い頃の自分と詩歌が写っている。

 

だから、残り二人は両親であるはず……だが、

 

 

「これは……」

 

 

人々の『入れ替わり』は肉体だけでなく、写真の中にまで及ぶ。

 

青髪ピアスがインデックスの修道服を違和感なく着こなせていたのもそういう理屈があるんだろう。

 

服や靴のサイズ、指紋や血液などの情報、写真やビデオの映像まで、その人に関する事柄の“全て”が入れ替わる。

 

なので、家族の思い出の写真にインデックスが写っているのは、母、詩菜と入れ替わっているからだろう。

 

しかし、父、刀夜として写っているのは――――

 

 

「……待て」

 

 

当麻は記憶を辿る。

 

あの兄妹喧嘩の後に貰った交流リストに載っていた父の写真を思い出す。

 

そして、今朝会った父の顔を思い出す。

 

 

「入れ替わって…ない……」

 

 

写真には若かりし日の上条刀夜が、写っている。

 

記録と記憶が一致した状態で、<御使堕し>の影響を全く受けることなく。

 

幸せそうな4人家族。

 

当麻と詩歌の記録は、<幻想殺し>によって守られたので変わっていない。

 

詩菜の記録は、インデックスと入れ替わっている。

 

これは、<御使堕し>の影響を受けたからだろう。

 

しかし、刀夜の記録は、誰とも入れ替わっていない。

 

認めたくない事実。

 

だが、そもそも何故あの時、当麻は今朝出会った中年の男性が父親だと悟ったのか。

 

答えは簡単。

 

知っていたからだ。

 

あの時はそんな事を考える余裕が無く、火野が犯人だと思い込んでいたから、その事に気付いていなかった。

 

しかし、今、気付いた。

 

気付いてしまった。

 

父、上条刀夜は<御使堕し>の影響を受けていない。

 

術の影響を受けていないのは、当麻と詩歌、距離と時間があった魔術師、そして――――術者。

 

刀夜は<幻想殺し>なんてないし、魔術師ですらない。

 

それに、仮に魔術師だとしても距離と時間が無いので逃れられるはずがない。

 

だから、消去法で残された可能性は一つ。

 

それは――――

 

 

「ま、さか……父さん」

 

 

上条刀夜が、世界中の人間を巻き込んだ<御使堕し>を引き起こした術者であるということだった。

 

 

「解答一、自己解答。標的を特定完了、残るは解の証明のみ。……私見一、とてもつまらない解だった」

 

 

いつの間に当麻の横にミーシャがいた。

 

そして、溜息を吐き、どこかへと走り去っていく。

 

 

「ミーシャ=クロイツェフ! 待ちなさい!」

 

 

慌てて神裂が呼び止めるが、ミーシャは気にも留めない。

 

あっと言う間に、その小さな背が見えなくなる。

 

“標的”……その言葉が頭の中をグルグルと駆け巡り、当麻は酷く酩酊したようにその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

海辺附近の道路

 

 

 

おかしい。

 

先ほど、当麻さんから『火野を取り逃がした。おそらくそっちに向かっている。詩歌も手伝ってくれ』とメールが届きました。

 

火野神作は殺人犯。野放しにするのは危険です。

 

ですが、彼は<御使堕し>の術者ではありません。

 

何故なら、術者は私の父、上条刀夜だからです。

 

まあ、意識的にやった訳ではないと思いますので、術者とは言い難いですが……

 

でも、父さんが<御使堕し>を起こしたことには変わりない。

 

つまり、この世界規模の大事件の責任の所在は父さんになるのかもしれない。

 

それどころか、術者だとばれてしまえば、手っ取り早く“処分”と称して殺されるかもしれない……

 

火織さんと、土御門さん……は少し怪しいけど、説得すれば、“処分”を食い止める事ができます。

 

だが、ミーシャさんは説得できません。

 

初対面の時もそうですが、ミーシャさんは<御使堕し>を一刻も早く解決したがっている。

 

その理由もおそらく彼女が…………

 

だから、当麻さんと内密に事を解決したかった。

 

私と当麻さんがいれば、三沢塾のように何の問題もなく儀式場を解体できる。

 

解体した後は私が問題ないように適当な推理で皆を説得させれば無事解決。

 

一応、その事をメールで伝えたのですが、この文面から察すると、当麻さんは殺人犯の確保を優先しているようです。

 

確かに、当麻さんが途中で不自然に火野神作の捜索から抜け出すのは怪しまれるのかもしれません。

 

ですが、火野神作が術者ではないと分かっているはず、その理由も教えた。

 

火織さん達が何よりも優先するのは<御使堕し>の解決。

 

警察が火野神作の捜索に大規模に動き出している。

 

ならば、後は警察に任せ、皆を説得し、捜査を途中で打ち切るのも不可能ではない。

 

だというのに、当麻さんは逃亡した火野神作を追っている。

 

当麻さんの事だから、殺人犯を放っておけるか、と言うことなんでしょうかね?

 

納得できると言えば納得できるのですが……どうも怪しい。

 

一応、電話を掛けたのですが一向に出る気配がない。

 

ますます怪しい……

 

それに、“わざわざ私を捜索から外した”当麻さんが、手伝えと言ってくるのはちょっと考え難い。

 

当麻さんなら『火野を取り逃がした。おそらくそっちに向かっている。急いで皆と避難してくれ、愛“しいか”わいいの詩歌』

 

……まあ、ほんのちょっぴり願望が入りましたが、大体こんな感じかと思われます。

 

こういった推理から、十中八九―――

 

 

“当麻さんが携帯を火野神作捜索班の誰かに盗られた”。

 

 

まあ、火織さんは機械が苦手と言ってましたし、ミーシャさんが携帯を扱えるとは思えないから、盗人は土御門さん。

 

私の勘も土御門さんがクロだと言ってますし、ほぼ間違いないでしょう。

 

だとするならば、一体何が目的で……

 

土御門さんの事ですから、私達を陥れようとは考えてはいないと思うのですが……

 

おそらく何らかの意図があるはず……

 

ふーむ……さて、これからどうしたらいいでしょうか?

 

このまま騙された方が良いのでしょうか?

 

それとも………

 

 

 

つづく


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