とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
御使堕し編 秘話 人魚姫と海の魔女
人魚姫
ある日、人魚姫は15歳の誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子様を目にしました。
嵐に遭い難破した船から溺死寸前の王子を救い出した人魚姫は、王子様に恋心を抱きます。
その後、偶然浜を通りがかった娘が王子様を見つけて介抱した為、人魚姫は出る幕が無くなってしまいました。
人魚は人間の前に姿を現してはいけない決まりです。
でも、彼女はどうしても自分が王子様を救った事を伝えたかった。
その願いを叶える為、人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰います。
その時に、『もし王子様が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう』と警告を受けました。
それでも、人魚姫は王子様に会いたかった。
たとえ、人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じる事になると脅されてもその気持ちは変わりませんでした。
その後、人の足を手に入れたおかげで、人魚姫は王子様と一緒に御殿で暮らせるようになりました。
でも、人魚姫は声を失っています。
そう人魚姫は王子様を救った出来事を話す事が出来ず、王子様は人魚姫が命の恩人である事に気付きません。
それでも、人魚姫は王子様と暮らせる事に幸せを感じ、王子様との仲を育みます。
やがて、2人はまるで、兄妹のような間柄へと……
そして、人魚姫の恋の終わりがとうとう来てしまいました。
ある日、王子様は偶然浜を通りかかった娘を命の恩人と勘違いしてしまい、恋に落ち、その娘と結婚することが決まりました。
当然、人魚姫は悲しみ、落ち込んでしまいます。
その時、海の魔女が人魚姫の前に現れました。
そして、短剣を差し出し、王子様の流した血で人魚の姿に戻れる事を教えます。
でも、愛する人を殺す事の出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていきました。
上条家 過去
『………こうして、人魚姫は泡となってしまいました』
『え~、人魚姫、どうして泡になっちゃたのー?』
『それは、人魚姫が怖ーい魔女との約束を破ってしまったからです』
『そんなのおかしい! だって、人魚姫は何にも悪い事してないもん!』
『それじゃあ、詩歌が人魚姫だったら、どうする?』
『詩歌が人魚姫だったら、魔女にお仕置きする! そして、声を奪い返して、王子様に告白する!』
『あらあら。詩歌はお転婆な人魚姫ね~』
海辺
当麻の部屋に火野が襲いかかる前の出来事である。
「詩歌さん、少しお外でお話をしませんか?」
と、部屋の様子を見に来た詩歌は詩菜にそう誘われ、母娘の2人っきりで静寂な闇に包まれた夜の海辺へとやってきた。
そしてやってきた海辺で見上げてみれば、夜空には満天の星空が広がっている。
(……なんて綺麗なんだろう……)
学園都市の暴力的な明りから離れた星空は溜息が出るほど光り輝き、空にはこんなにたくさんの星があったのかと、思い知らされる。
これを見るだけでもここに来た価値はあったのかもしれない。
でも……
星を見る事が目的ではない。
<御使堕し>で色々と掻きまわされたが、本来詩歌にはここでやるべき事があった。
いや、ここではない、ここに来る2人、特に目の前にいる母、詩菜に用がある。
詩菜に自分の――――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さて、詩歌さん。単刀直入に聞きますね」
「はい、何ですか? 母さん」
詩菜は詩歌と真正面から向き合って、問い掛ける。
「ステイルさんが彼氏というのは嘘ですね?」
その問いに不意を突かれた―――という事はなく、むしろ見破られて当然と思っていたのか、詩歌はあまり驚かない。
「やっぱり、母さんは騙せませんでしたか」
「当たり前です。お話は良くできていました。本でも出せると思いますよ。でも、ステイルさん、当麻さんを見ればすぐに嘘だと分かります」
演技指導が足りませんでしたね、と呆れたように詩菜は溜息を吐く。
「そうですね。ステイルさんは私の恋人ではありません。まあ、イギリスにいる友人といったところですね」
「あらあら。インデックスさんの事といい。また、何かに巻き込まれているようですね? 詩歌さんですか? 当麻さんですか? それとも、両方ですか?」
息子の当麻、娘の詩歌、そして、夫の刀夜が頻繁に厄介事に巻き込まれるため、詩菜はその手の勘がとても鋭くなっている。
なので、インデックス、そして、神裂を一目見た時から2人のどちらかが、それとも両方が厄介事に巻き込まれている、という事が何となくわかっていた。
「ん~、……両方って、ところですね。あまり、追求しないと嬉しいです」
その後ろに、たった今、面倒な事に巻き込まれていますが、と詩菜に聞こえないよう小さな呟き声を付け加える。
「刀夜さんに似たのかしら? 全く、当麻さんと詩歌さんはよくトラブルに巻き込まれる、いえ、首に突っ込むんですから……干渉はしませんが、少しは親のためにも落ち着いてもらいたいですね」
ますます呆れたとばかりに詩菜は深い溜息を吐く。
「そうですね……当麻さんと結ばれたら落ち着くと思いますよ」
冗談のような口調だが、詩歌の表情は真剣である。
「やっぱり、当麻さんの事を諦めてませんか」
詩菜はそれを溜息を吐かず、真剣に受け止める。
「約束……は忘れてませんか?」
若干、悲哀の色が詩菜の口調に滲みだす。
「はい……忘れてません。もし、私から当麻さんに告白した事が知れたら、学園都市から離す……ですよね?」
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詩歌が学園都市に行った年の大星覇祭、そこで当麻と詩歌を見た時、詩菜はこう感じ取った。
『もし詩歌が想いを打ち明けたら、当麻はそれを受け止める。でも、それは好きだから、という部分もあるだろうし、本当の心中までは分からないが、例え1人の兄だとしても大半は詩歌を傷つけたくない、という憐みから受け止める』と……
当麻は妹として、詩歌は兄、そして男として。
そんな一方通行の歪な恋では、成就したとしてもその先にあるのは破綻。
だから、詩菜は詩歌にそれを伝え、諦めるように説得した。
『当麻は詩歌の事を大切な妹、としか見ていない。2人の間には、恋人よりも深い絆であるだろうが、詩歌の望み通りにはならない。それほど当麻は詩歌の事を“妹”として愛してる』と。
まだ幼い詩歌にそれを告げるのは酷だった。
だが、詩菜は母として、娘を、息子を、最悪の不幸に遭わせたくはなかった。
それでも詩歌は諦めなかった。
だから、詩菜は詩歌の『声』を奪うことにした。
『詩歌さんから当麻さんに告白することを禁じます。もし破れば、2人を引き離します』
刀夜から受け継いだのか、当麻は相当なフラグ男である。
おかげで、外を歩けば女性とのフラグに当たる。
でも、鈍感である為、好意を向けられることには気づいてはいないが……
上条当麻の異様な鈍感に詩歌は結構助けられている。
しかし、それは、『本気で告白でもしない限り、当麻は好意に気付かない』ということである。
だから、『告白できない詩歌の想いが成就する事はありえない』。
本気で好きだと伝えない限り、詩歌がどんなに慕おうとそれら全ては“兄”への好意として見なされ、当麻の“妹”への好感が上がる。
“妹”としての好感が上がれば上がるほど、詩歌の事を“女”として見なくなる。
やがて、当麻の前に“女”として好きになる人が現れるだろう。
詩歌は声を失った人魚姫。
王子様の前にお姫様が現れたら、終わりの悲しい恋。
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「今なら母さんの気持ちも分かります。……私も……憐みで想いが成就するなんていやですからね」
詩歌は人魚姫の最後を知ってる。
最後は泡となって消える運命を知っている。
でも、当麻との想いが憐みという幻想で結ばれるのは、それ以上に耐え難かった。
「……当麻さんの近くにいたとしても、辛いだけです。それは十分に分かっているでしょう? もしかしたら、壊れてしまうのかもしれません。それでも、詩歌さんは当麻さんの側にいたいんですか?」
詩歌はそれに瞑目しながら迷わず、胸の内に秘めた答えを打ち明かす。
「私は当麻さんを1人の男として、愛しています」
三沢塾で1人の男に出会った。
彼は1人の少女に恋をしていた。
その少女を救いたくて、そして、自分に振り向いて欲しくて、人の道を踏み外し、世界を敵に回した。
それほど、彼の少女への愛は深かった。
だが、少女は彼に振り向いてはくれなかった。
そう、彼の愛は報われなかった。
詩歌はその悲恋の末路を覚えている。
彼の悲嘆は今でも脳に焼き付いている。
「でも、それ以上に」
彼の想いは我が事のように共感できる。
彼の悲嘆も、暴走も理解できる。
でも、彼の恋に止めを刺したのは自分だ。
だから、彼のように壊れて、少女の幸せを壊すことは許されない。
「家族として、妹として、そして、1人の女として、当麻さんを幸せにしたい」
そのために、彼と同じ道を歩まないために、ここで、この星空の下、詩菜に宣言する。
胸を締め付けるように、想いを振り絞り。
母に、そして、自分に誓いを立てる。
「……私に、振り向いてくれなくてもいい。……人魚姫のように報われなくてもいい。……当麻さんが幸せになってくれれば、それで私は……充分、幸せです。当麻さんが当麻さんでいる限り、その気持ちは絶対に変わりません」
自分の想いが成就しなくてもいい、一生秘されたままでもいい。
当麻を不幸から守り、幸せにできればそれでいい。
「本当に……どうして、母さんとの約束を破って想いを打ち明けようとはしないんですか?」
もしここで約束を破ると言っても、詩菜はそれを止めるつもりはない。
幼い詩歌が言ってたように、自分、魔女から奪った声を取り返してもいい。
もうこれ以上、魔女になりきる事は……詩歌の声を奪う事はできない……苦しむ姿をもう見たくはない。
詩菜は最後の難関で、声を奪った魔女でもあるが、最初から見続けてきた詩歌の恋の一番の理解者、母でもあるのだから。
「約束は破りません」
しかし、詩歌の答えはNOだった。
「先ほども言いましたが、私のために当麻さんを不幸にしたくはありませんし、―――それに……」
詩歌はそこで言葉を切り、全ての想いを籠めて、精一杯微笑む。
「母さんの事が大好きです。上条詩歌は上条詩菜の自慢の娘として認められたい。だって、こんな親泣かせな私でも心配して、愛してくれる母さんなんですから! だから絶対に約束は破りません!」
上条詩歌としての願いは、
「私は皆が笑って幸せに慣れるような
たとえ、声を奪った魔女だとしても、詩歌にとって、詩菜は大好きな母親だった。
詩歌が詩菜に直接会いたかったのは、奪われた声を取り戻す為ではない。
ただ母親に、自分の恋の一番の理解者に自分の想い伝え、誓いを立て、そして、直接お願いしたかったからだ。
「でも、お姫様が現れるまではできるだけ側にいて、夢を見てみたい。……そして、戦いたい。……いつか当麻さんの前に現れるお姫様と戦いたい。……満足いくまで戦って……報われなかった時のために見極めたい。傲慢なのかもしれませんが、泡となる事が納得できるように、自分自身の目でお姫様と王子様が幸せになれるかを見極めてたいんです……」
何時かはわからないが、自分の前に想いを託せるお姫様が現れた、
そんな夢を見た。
その日以来から、戦う覚悟を、そして、泡となる覚悟を少しずつではあるが、心に刻みつけてきている。
「………結局のところ、この初恋をきちんと決着をつける為に全力を尽くしたい。ただそれだけです。当麻さんの高校に行く理由、それだけではいけませんか?」
当麻を幸せにするために、自分の想いを託す相手を見極めるために、そして、終止符を打つ為に当麻の側にいたい。
それが詩歌が当麻の高校に行きたい理由。
「――、」
その微笑みに、言葉に、そして、想いに、上条詩菜はしばらく言葉を失くす。
そして、徐々にではあるが、娘の想いに答えるように、詩菜は微笑みを作っていく。
「あらあら……詩歌さんは本当に親泣かせな娘です。そこまで言われたら、詩歌さんの覚悟を止めることなんてできる訳ありません。……母さんの負けです―――」
最後に、詩歌を抱きしめて、耳元で囁く。
それは、母からの敗北宣言、そして―――
「―――後悔しないように頑張りなさい、私の自慢の娘」
―――初めての応援だった。
つづく