とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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御使堕し編 エンゼル様

御使堕し編 エンゼル様

 

 

 

???

 

 

 

「ん……? ここは、どこだ……?」

 

 

当麻の目の前に綺麗な花畑が広がっている。

 

靄がかかっている為、視界は悪いが随分と広い場所のようだ。

 

 

「っかしいなぁ。確か、海に来てたはずだよなぁ……?」

 

 

当麻の目の前には何故か海ではなく大きな川だった。

 

そして、クラゲではなく、蓮の葉が浮かんでおり、どこか幻想的な風景だった。

 

 

「しかし、綺麗だな。この世のものとは思え…ない……」

 

 

嫌な予感がしたのか、当麻は徐々に口をつぐむ。

 

 

(……もしかしてもしかしますと……三途の川? はは、まさか、そんなわけねぇよ。うん、そんなことありませんように!)

 

 

当麻の期待を裏切るように、河原に古ぼけた看板が見えた。

 

『三途の川 こちら現世側』と書かれた看板が……

 

そう、ここはこの世とあの世の境目だった。

 

 

『おいでー、おいでー』

 

『怖がることないんだよー、こっちはいいところだよー』

 

『美味しい物もあるし、楽しいことばかりだよー』

 

 

「やべぇ! 今までの仕置きとは比べもんにならねーぞ、こりゃ」

 

 

詩歌の言うとおり、今回はかなり洒落にならなかったらしい。

 

対岸から、怨霊の群れが当麻をこちらに引き入れようとじわりじわりとやってくる。

 

 

「怖がることないにゃー、カミやん。こっちはこっちで結構いい所だぜい」

 

 

その怨霊の群れの中から聞きなれた声が聞こえてきた。

 

 

「土御門っ! どうして、ここに!? まさか、お前も」

 

 

「ああ、カミやんが殺られてから、すぐに見つかった。……本当に詩歌ちゃんは恐ろしいぜよ。うまく隠れたつもりだったが、まさか勘で見つけられるとは」

 

 

土御門もあの後すぐに2人に葬り去られたらしい。

 

 

「そうだ。土御門、テメェのせいで洒落にならねぇもん喰らっちまったじゃねーか!」

 

 

「あれは、カミやんがドジったからだにゃー。むしろ、こちらは巻き込まれた被害者ですたい」

 

 

2人が言い争っている間にも怨霊の群れは当麻との距離を詰めてきている。

 

 

「そんな事よりも、カミやんも早くこっちに来るんだにゃー」

 

 

「ふざけんな! そんなのに取り込まれたら本当にあの世行きになっちまうじゃねーか!」

 

 

「カミやん、あの世では兄妹同士結ばれても大丈夫なんだぜい」

 

 

「あ、そうか。なら―――っておい! 当麻さんは妹に手を出す変態じゃないって何度言ったらわかるんだ! それに、そもそも詩歌はそっちにいねーだろ!」

 

 

「やっぱ、カミやんとは相容れないようだぜい。でも、これに取り込まれれば、少しは素直に―――」

 

 

「絶対にお断りだ!」

 

 

川に背を向けると当麻は全力で疾走する。

 

 

「逃がすかぁ!!」

 

 

しかし、怨霊の群れが暴走し、雪崩のように当麻を呑み込んだ。

 

 

「くそっ! こいつら、<幻想殺し>が効かねぇ!」

 

 

「こいつらはシスコン軍歴戦の兵士達の亡霊だにゃー。シスコンLevel4のカミやんとは格が違うぜよ。だから、早く一緒にナカマニナロウゼイ」

 

 

「くそっ、土御門、すでに取り込まれたのか!!」

 

 

「コレデカミヤンモLevel5ノナカマイリダニャー」

 

 

「不幸だああああぁっ!!!」

 

 

 

 

 

わだつみ 当麻の部屋

 

 

 

「……危なかった。本気で逝きかけた。つーか、段々とお仕置きがヤバくなっていやがる」

 

 

間一髪、呑み込まれる直前で戻ってこれた当麻はしみじみと息をつきながら生の実感を噛み締めた。

 

 

「……首、大丈夫だよな」

 

 

そして、首に触れてちゃんとついているかを確かめる。

 

詩歌と神裂のダブルラリアット。

 

あれは首が取れてもおかしくはない。

 

おそらく、生かさず殺さずといった手加減されたのだろう。

 

当麻の頭はちゃんとついている。

 

しかし……もし、本気でやれば、愛と勇気が友達のヒーローみたいに……

 

 

「もう二度と覗きなんてしねぇ……」

 

 

「やはり、覗くつもりだったんですか、当麻さん?」

 

 

新たな誓いの宣誓に答えるように、横から声が聞こえてきた。

 

 

「し、詩歌!?」

 

 

そして、横を振り向いてみれば、やはりというかなんというか詩歌がいた。

 

先ほどの発言が気に食わないのかこちらを半眼で睨みつけている。

 

 

「全く、何驚いているんですか? 当麻さんをここまで運んで看病したのは私です。そうでなければ、当麻さんは未だに廊下でおねんねしています。少しは感謝の言葉を言っても罰は当たりませんよ」

 

 

いや、いくらなんでもそれはない。

 

暴漢に襲われ、暴漢に治療されるようなものだ。

 

それで、感謝しろなど意味がわからない。

 

でも、当麻は口元までせり上がってきたツッコミの言葉を呑み込んだ。

 

どうやら、この兄、妹に頭が上がらないらしい。

 

 

「本当、私だけならともかく、火織さんまで覗こうとするなんて……そんなに年上がいいんですか。……当麻さんは常識と言うのが欠けています。これは少し問題ありですね」

 

 

お前だけなら良かったのか、や臨死体験をさせるのは、お仕置きと呼べるのか、などと妹と色々常識について語り合いたい。

 

でも、当麻は何も言わない。

 

昔誰かが言った、沈黙は金。

 

 

「当麻さんは上条詩歌(しいか)、この笑顔でやさ“しいか”わいい妹にもっと感謝すべきです」

 

 

「ちょっと得意げになっているようだが、お兄ちゃん的に、笑顔がおそろ“しいか”わいい妹かと」

 

 

そして、雄弁は銀、と。

 

 

「ほう……優しい可愛いじゃなくて、恐ろしい可愛い、と」

 

 

「いや怖いとかそういう意味じゃなくてですね! 可愛過ぎておっそろしいくらいに魅力的な妹ですって言いたかったんであります、はい! こんな妹を持てて当麻さんは幸せでありますなー!!」

 

 

じ~~っと半眼で睨まれるも、愚兄は必死に言葉を重ねてヨイショしていく。

 

すると、

 

 

「それでは、当麻さん。腕立て伏せをしてください」

 

 

「え? まだ、ちょっと首が……」

 

 

「い・い・か・ら」

 

 

にっこりスマイルの詩歌の後ろに般若が見える。

 

この笑顔がおそろ――優しい可愛い妹に逆らえば、どうなるかなどと言わなくても分かる。

 

それに当麻は詩歌のお仕置き→屈するというパターンを何度も繰り返している。

 

そう記憶を失う前も、失った後も何度も何度も身に染み込むほど繰り返してきた。

 

おかげで、最近ではお仕置きする際の微笑みを見るだけで条件反射で屈するようになってしまった。

 

 

「はい、了解しました」

 

 

「ふふふ、いい返事です」

 

 

返事をするとすぐに腕立て伏せを始める。

 

 

「それでは、失礼します、ね」

 

 

「うおっ!?」

 

 

詩歌がいきなり当麻の背に乗っかる。

 

突然の負荷に驚くが、思ったよりも軽かった為持ち堪える事ができた。

 

 

「それではそのまま50回腕立て頑張ってください」

 

 

(くっ、50回…でも、そんなに……)

 

 

だが、しかし、見た目通りというか、それ以上に軽い。

 

どうやったら、あの兄妹喧嘩の時のあの重い一撃を与える事ができたのだろうか。

 

少しだけ詩歌の体の構造が気になる。

 

 

「詩歌、お前、ちゃんと飯食ってんのか? ちょっと痩せすぎだぞ」

 

 

腕立ての最中、当麻はふと思った事を口にする。

 

 

「あらあら、重いなんて言ったらどうしようかと思いましたけど、嬉しい事言ってくれますね、当麻さん。好感度が3ポイント上昇しました」

 

 

「はぁ? 何だよ、それ?」

 

 

「もちろん私の当麻さんへの好感度です。10ポイント貯まれば、ご褒美に当麻さんにいい事してあげます」

 

 

一体何なんだろう?

 

まあ、とにかく詩歌の好感度を上げといて損はない。

 

もしかしたら、お仕置きのレベルが下がるのかもしれないし。

 

とりあえず、煽てていこう。

 

そう考えた当麻は腕立てをしながら詩歌を褒める事にする。

 

 

「詩歌って、結構可愛いよな」

 

 

「1ポイント上昇」

 

 

「頭も良いし、運動神経抜群。本当に立派。俺の自慢だ」

 

 

「2ポイント上昇」

 

 

「それに飯も旨いし、掃除洗濯家事全般完璧だ。本当にいつも助けられてるよ」

 

 

「3ポイント上昇。ふふふ、その調子で褒めてください。詩歌さんは褒めると、伸びるタイプです」

 

 

「気立ても良いし、嫁にする奴は幸せ者だな。―――詩歌と結婚するなら、最低でも俺よりも強い奴じゃなきゃ、許可できねぇな」

 

 

「10ポイント減点。ペナルティ腕立て50追加」

 

 

俺の妹は扱いが難しい!

 

それに、心なしかさっきよりも重くなっているような……

 

子泣きじじいか?

 

 

「何か変なこと考えませんでしたか?」

 

 

「い、いや~、詩歌は羽のように軽いなって、な」

 

 

鋭い。

 

しかし、何やら勘付いているようだが、あまり追求しないようだ。

 

 

「それでは、当麻さん。『女房と畳は新しいほうがいい』、はい復唱」

 

 

そして、溜息を吐くと復唱を要求する。

 

 

「『女房と畳は新しいほうがいい』――ってなんだよ、これ?」

 

 

「言葉通りの意味です。何事も新しい方がいいという事です。だから、当麻さんも彼女を作るというなら若い方の方がお得ですよ」

 

 

そう言うと、何やら期待のこもった目で当麻を見つめながら咳払いをする。

 

これは何か答えなければならない雰囲気だ。

 

 

「っつうことは……ビリビリが良いって事か?」

 

 

当麻は見えないが詩歌は目を見開き、真っ白になっている。

 

どうやらうまく誘導ができなくてショックを受けたようだ。

 

何やら、迂闊でした……などと呟いている。

 

 

「確かにそうですが、違います。……もっと身近に優良物件がいるでしょう。ほら、幸せの青い鳥は案外近くにいると言いますし」

 

 

「分かった。インデックスだな」

 

 

再び真っ白になり、硬直した。

 

そして、沸々と黒いオーラが湧き上がってくる。

 

 

「………当麻さん。私の話が終わるまで腕立てを続けてください。今のペースでです」

 

 

「はぁっ!? 何ででせう!?」

 

 

「静かにっ!!」

 

 

その後、当麻は汗と涙を流しながら、詩歌に色々と小言を、具体的には人としての在り方や正しい恋愛感……まではよかったのだが、何故か日本最古の歴史書『日本書紀』のイザナギとイザナミの話を語られ、そこから兄妹について、そして、法律、倫理への批判を切々

と説かれた。

 

 

 

 

 

わだつみ 神裂の部屋

 

 

 

(あの時、彼女の奥にあった悲しみは一体……?)

 

 

神裂はベランダで夜風に当たりながら先ほどの事に想いを馳せていた。

 

そこへ覚束ない足取りで土御門が近づく。

 

 

「ったく、少しは手加減して欲しいぜい。危うく三途の川を渡り切ってしまうところだったにゃー」

 

 

「それは、あなた達が愚かな振る舞いをするからです」

 

 

「ぷっ。カミやんに褒められた時は嬉しそうな顔してたくせに、実は見られ―――ジョークですよ? 神裂ねーちん、帯刀する者の心得としてその気の短さは如何なものかなーですよ」

 

 

そんな事言わなくても分かってるとばかりに、神裂は戒めの意味も込めて溜息を吐く。

 

 

「しかし、まぁ。確かにあの兄妹は<御使堕し>とは関連が薄そうです。何というか、その、魔術師と呼ぶには人格がくだらなさすぎます。しかし……」

 

 

「詩歌ちゃんの事かにゃー? 確かに、詩歌ちゃんの力は<天使>でさえもものにできると思うけど、実行するだけの動悸が全くないぜよ。その辺は裸の付き合いをして仲良くなった神裂ねーちんも分かってると思うけどにゃー」

 

 

「あ、あれは、詩歌が強引に!」

 

 

風呂場での出来事を思い出し、神裂は顔を赤らめる。

 

それに、詩歌と協力して2人を仕留めたこと。

 

自分と少し似ているとはいえ、ここまで距離を詰められるとは、少し油断し過ぎたのかもしれない。

 

でも、幸せの香り、というものなのかもしれない。

 

詩歌の側にいると心身が和らぎ、心地いい。

 

当麻とは少し違う人を惹きつける魅力に溢れている。

 

 

「まあ、なんにせよ。詩歌ちゃんが犯人じゃないと思うぜい。詩歌ちゃんは良くできた妹だからにゃー。良くできた妹はたとえ他人のものでも兄ならば守らなきゃいけないんですたい。それに、舞夏の友達だし、土御門さんは詩歌ちゃんの疑いを晴らす為に全力を尽くすにゃー」

 

 

私情をはさむ同僚に今度は呆れたという意味を籠めて溜息を吐く。

 

しかし、神裂も土御門の意見に賛成だ。

 

だが、そうしようにも他に容疑者はまだ見つかってない。

 

宙ぶらりんとなった為、2人は他の話題へと移る。

 

 

「それにしても、本当に上条当麻をあの子の側に置いておいても大丈夫なのでしょうか。妹と寝ただけでなく、風呂にまで覗きに行くなどと今日び小学3年生でも笑えないでしょう。もしや、あの子との間にも同様かそれ以上の不測の事態が起きているやも……」

 

 

『ちょっと待て、誤解だ! 当麻さんは無実だ!』などと一瞬空耳が聞こえた気がした。

 

 

「うーん、それはないと思うぜよ。もし、そんな事してたらカミやんもうこの世にいないはずだろうしにゃー。まっ、あれは兄妹同士のスキンシップなんだろうけど」

 

 

土御門は首筋を撫でながらしみじみと語る。

 

彼も、(殴るのがう“まいか”わいい)義妹から(軍隊仕込みのナックルで一方的に拳と拳を交わす)スキンシップを受けているので、当麻の気持ちは良く分かる。

 

決して痛みを快楽に変えられるような性癖は持ち合わせていないのだが、シスコン軍的にもらわないとどうも調子が崩れるのだ。

 

それはさて置き、

 

 

「それにあれは決してプロじゃない。いいかい、プロじゃないんだぜい。ウチラみたいに戦う理由があって、敵を斬る罪を誤魔化せる訳じゃない。自分の罪を何者のせいにもせず、自分で受け止めてなお前に進む。特に詩歌ちゃんはプロの真似事までした事がある。そ

れを評価できないのかにゃー?」

 

 

「……、それは」

 

 

「大体ですたい。カミやんは禁書の命の恩人なんだぜい。本来なら感謝こそすれ一方的に怒るなんてお門違いもいい所なんだぜい」

 

 

「分かっていますよ。それぐらい。分かってはいるんです」

 

 

インデックスを救ったのはステイルでも自分でもなく当麻だ。

 

土御門の言うとおり、本来は礼、いや、この身をもって同等の価値ある恩を返すのが筋だ。

 

 

「……、しかしまぁ。あまりにタイミングが悪すぎます」

 

 

正直、禁書目録の件が終わって以来、仕事や立場の都合とはいえ礼を告げる事も出来なかった事に神裂は負い目を感じていた。

 

 

「それなのに、その矢先に。全く、あれでは恩を返したい旨を切り出そうにも……」

 

 

「あれー? 神裂さんは裸を見られそうになっただけで、恩を忘れてしまうのかにゃー?」

 

 

ぐっ、と神裂は黙り込む。

 

 

「あれあれー? 神裂さんの抱いていた恩はその程度だったのかにゃー?」

 

 

ぐぐっ、と神裂は奥歯を噛み締めながら黙り込む。

 

 

「それに、カミやんの評価を上げれば、詩歌ちゃんの評価もおのずと上がるにゃー。そうすれば詩歌ちゃんから“お姉ちゃん”と呼ばれるかもしれないぜよ?」

 

 

(むむっ、確かに詩歌にお姉ちゃんと……)

 

 

少しだけ顔を赤らめながら何やら考え事をする。

 

真面目で頼りになるが、ふとした拍子に甘えてくる妹……

 

甘えん坊なインデックスとは違うが神裂に少しくるものがったのかもしれない。

 

実際、風呂場の時も当麻が少し羨ましいと思った。

 

 

「あれ? ……神裂ねーちんって、そっち側の人?」

 

 

何を勘違いしたのか、土御門は若干頬を引き攣りながら後ろへ下がる。

 

 

「違います! 土御門! ちょっとそこになおりなさい!」

 

 

再び、わたづみに怒号が鳴り響いた。

 

その後、土御門は調子に乗り過ぎた事を後悔した。

 

 

 

 

 

わだつみ 当麻の部屋

 

 

 

この前、小萌の講義の復習として、当麻は詩歌から多重人格について講義を受けた事がある。

 

その時の小話で、詩歌の過去の実体験を聞かされた。

 

何でも、一時、詩歌は自身が多重人格者ではないのかと不安になったことがあるらしい。

 

その原因は<幻想投影>。

 

<幻想投影>はどんな能力でさえも理解でき、自分に投影する力。

 

そして、能力は、<自分だけの現実>、つまり、精神、思想、主義が基盤となっている。

 

という事は、<幻想投影>は力だけでなく、心でさえも写し取ってしまう。

 

自分に投影した他者の心が原因で、自身の人格に影響を及ぼすのかもしれない。

 

もしかしたら、他人の人格が根付いてしまうのかもしれない。

 

そう考えた詩歌はあらゆる文献を読み解き、人格について独学で学んだらしい。

 

まあ、結局、冥土返しに相談し、杞憂であると知らされた。

 

だが、それでも不安が消えなかった詩歌はある日、一つの日課を設けた。

 

毎日できるように、短時間でできる単純なものだそうだ。

 

でも、そのおかげでその不安は消えたそうだ。

 

そして、その日課は今も続けているという。

 

一体、どんな日課なのか気になり、その講義の後、当麻は質問してみた。

 

しかし、それは秘密、特に自分には絶対に秘密だと言われ、拒否されてしまった。

 

 

(一体、何なんだろうな?)

 

 

と、へとへとになった当麻はふとそんな事を考えていた。

 

あれから、詩歌は疲れた当麻に特製ドリンクを作りに、それから、インデックス達の様子を見に、部屋を出て行ってしまった。

 

 

(今日もまた色々とあったな)

 

 

そして、ぼんやりと今日一日の出来事を整理していると、扉が開いた。

 

 

「当麻さん、お待たせしました」

 

 

扉を開けるとそこにいたのは詩歌だった。

 

考え事している間に、結構時間が過ぎたらしい。

 

 

「いや、そんなに待ってねぇよ」

 

 

そう言うと、詩歌から渡されたドリンクを受け取り、喉を潤す。

 

本当、詩歌には自分の身の回りの世話を任せっぱなしである。

 

かつて、土御門の義妹、舞夏が通う『繚乱家政婦女学院』で体験学習をした事があり、そこでエリートメイドの称号を得た事があるそうだ。

 

それ以外にも、教師、看護師、アンチスキル、巫女、シスター、忍者……後半はやけにおかしいが、其々を体験学習した事があり、そこで多種多様なスキルを身につけたという。

 

面白そうだから、それに人脈形成が目的でやっていたそうだが、ここまで多くを体験するとはバイタリティに溢れてる。

 

そういえば、小言で『……コスプレに目覚めた時に備えて……』なんて言ってたような……

 

まあ、なんにせよ自慢の妹だということには変わりない。

 

その妹が<御使堕し>の犯人だと疑われている。

 

自分も疑われているが、一刻も早く真犯人を捕まえて、疑いを晴らしたい。

 

と、意気込んでも、犯人に関する手掛かりが全くない。

 

それに、三沢塾の時みたいに戦場にいるわけでもない。

 

いや、確かに<御使堕し>は天使の力とやらを手に入れる事ができ、その天使の力を悪用すれば世界を滅ぼすことですら可能らしい。

 

でも、現状はあべこべでヘンテコな世界である。

 

精神的にくるものがあるが慣れればどうってことでもないので、危機的状況というのを認識しにくい。

 

おかげで、緊張の糸が緩んでいた。

 

だからなのか、当麻はじっとこちらを見ている視線に気づかなかった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

じっと見ていた。

 

わだつみの床下、床板と床板の間から少年をじっと見ていた。

 

 

「……エンゼル様、エンゼル様」

 

 

エンゼル様、自分を救ってくれる。

 

この状況から助けてくれる救世主。

 

 

「……エンゼル様、エンゼル様、エンゼル様」

 

 

本当は殺しなんかしたくない。

 

しかし、追手から逃げ切る為にはエンゼル様の力が必要だ。

 

だから、お告げに従わなくてはならない。

 

エンゼル様の指示に従わなければならない。

 

たとえ人殺しでも。

 

でも、お告げ通りにすれば、必ず助けてくれる。

 

今まで28人殺してきたが、エンゼル様が助けてくれなかった事はない。

 

可哀そうだが、あの少年には死んでもらう事にしよう。

 

本当に嫌だけど、エンゼル様が言うから仕方がない。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ブツン、と。いきなり全ての電気が消えた。

 

停電? といっても、月明かりのため真っ暗というわけではない。

 

何となくではあるが周囲の様子は把握できる。

 

とりあえず、近くにいる詩歌にお互いの位置を―――

 

 

―――がさり

 

 

その時、床下から木の板を引っ掻くような音がした。

 

当麻がその音が聞こえる床下、自分の一歩手前の床下に視線を落とした瞬間、

 

 

「ッ!!」

 

 

三日月のようなナイフが、足元の板を貫通して出てきた。

 

30cmくらいの長さの刃。

 

まるで、鎌や爪のようだ。

 

もし床下の物音に気付いていなかったら、そのナイフの餌食となっていたのかもしれない。

 

ぎち、ぎち、とナイフは床下へと沈んでいく。

 

その時当麻は見た。

 

ナイフで開けた穴から狂ったような眼球が自分を捉えていたのを。

 

 

「ひっ……、」

 

 

当麻が情けない声を上げて後ろに下がった瞬間、床下をぶち抜いて黒い影が飛び出してきた。

 

 

そして、襲撃者は狂ったようにナイフを振りかざし―――

 

 

「沈め」

 

 

いつの間に襲撃者の横に、詩歌が気配を感じさせずに接近していた。

 

そして、音を立てずに右足を緩やかに可動し、加速。

 

空気を切り裂くような容赦ない不意打ちの下段蹴りが襲撃犯の膝を砕く。

 

呆気なく崩れ落ちる襲撃犯に詩歌は一気に畳み掛ける。

 

短く息を吸うと、頭を揺らすようにジャブを3連射。

 

そして、掌底打ちで顎を跳ね上げ、がら空きになった胴体に、止めのストレートを鳩尾に抉り込むように叩き込んだ。

 

その衝撃で襲撃犯は後方へ弾け飛び、部屋の扉をぶち抜く。

 

 

「ぎビっ、ガあ!!」

 

 

だが、獣のような声を上げて、襲撃犯がいきなり起き上がった。

 

 

「加減したとはいえ、すぐに立ち上がるとは正気を失っているようですね。それとも、見た目通りゴキブリのような生命力があるんですかね」

 

 

襲撃犯は痩せぎすの中年男の姿をしていた。

 

一目で内臓がボロボロだと分かるような、不健康な肌。

 

汗と泥によって汚れたベージュの作業服。

 

そして、血走ったような、泥の腐ったような、狂ったような眼球。

 

とてもじゃないけど、人間の目とは思えない。

 

詩歌の言うとおりゴキブリのような生理的嫌悪感があった。

 

中年男は鉄の爪のような三日月ナイフを構え、でも襲いかかってこない。

 

ふらり、ふらりと上半身を揺らしながら、何かをブツブツと呟いている。

 

 

「エンゼルさま、えんぜるサマ……」

 

 

作業服の胸の辺りで、何かがキラキラと光っている。

 

月明かりを受けて輝くそれは、名札だった。

 

 

「エンゼル様、エンゼル様、エンゼル様!」

 

 

糸で縫い止められたプラスチックの名札。

 

そこには無機質な文字で、こう書いてあった。

 

 

『囚人番号七―〇六八七号』火野神作。

 

 

「エンゼル様、どうなってんですか。エンゼル様、貴方に従ってりゃあ間違いはないはずなのに! どうなってんだよエンゼル様、アンタを信じて28人も捧げたのに!」

 

 

火野は壊れてたように、狂ったように絶叫する。

 

 

(おや……もしかすると、この人はニュースに出てた脱獄犯)

 

 

詩歌は今朝から流れ続けていたニュースの内容を思い出す。

 

刑務所を脱獄した死刑囚、28人もの命を無差別に刈り取った殺人鬼、火野神作。

 

儀式殺人と言うそのあまりに衝撃的な殺人を犯したが故に、捕まったあとも凶悪な事件が起きるたびに名前や顔写真が公開されている。

 

しかし、おかしい。

 

目の前で絶叫する男は間違いなく火野神作だ。

 

それなら、何故、火野は入れ替わってない?

 

そう。何故<御使堕し>の影響を受けていないのか?

 

さらに火野がさっきから口にしている“エンゼル様”とは一体?

 

 

(……とりあえず、仕留めますか)

 

 

考察に関する思考回路を一旦停止し、詩歌は自身の行動の方針を決めると絶叫を続けている火野に接近する。

 

 

「ゴキブリは徹底的に潰さなきゃいけませんしね」

 

 

迫りくる詩歌に対して、火野はナイフを振り回す。

 

だが、詩歌はそれに合わせるように右手で迎撃する。

 

捌くのではなく打ち込む。

 

防御ではなく攻撃する。

 

これは寮監が詩歌との組手時に使っていた技だ。

 

火野はナイフを手放さないように全力で右手の握力を振り絞る。

 

その右手に意識を集中させている隙を詩歌は見逃さない。

 

鞭のようにしなる上段蹴りを側頭部をめがけて振るう。

 

咄嗟に左手を盾にするが、蹴りの衝撃はガードごと脳天を突き抜けた。

 

火野の体は吹っ飛び、地面を削り取るように床を転がる。

 

 

(手応えあり、です)

 

 

詩歌は右足から火野の左手の骨を砕いた手応えを感じた。

 

だが、火野はよろめきながらも立ち上がってくる。

 

 

「答えろよエンゼル様! どうすればいい、このあとどうすればいい!? エンゼル様、責任取って今度こそきちんと答えやがれええええええっ!」

 

 

当麻は思わず目を背けそうになった。

 

火野が自分の胸にナイフを突き立てたのだ。

 

ガリガリと。ナイフの切っ先を乱暴に動かす。

 

メチャクチャに振るわれたナイフは作業服を引き裂き、汗にまみれたシャツを切り裂き、あっと言う間に赤く血に染まっていく。

 

一見して乱雑に見えた無数の傷は微かではあるが『GO ESCAPE』と認識する事ができた。

 

火野の身体は血まみれの傷だらけだというのに、その言葉を見た火野は笑った。

 

自身で作った無数の傷を見て、壮絶な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

火野はそれほど強いというわけではない。

 

<スキルアウト>より強いだろうが、当麻よりも強いというわけではない。

 

アウレオルスや一方通行と比べれば、敵ですらないだろう。

 

おそらく、ナイフを持っていたとしても当麻は火野に勝てる。

 

だとしても、当麻は火野に恐怖を感じていた。

 

そして、今、その脅威について冷静に分析する事ができた。

 

その正体は、人の生理的な嫌悪感や不快感。

 

たとえ、ビニール袋に包まれていてもゴキブリを口に入れる事は、普通なら誰しもが嫌がる。

 

それと同じ。

 

理屈では分かっていても、打ち消すことができない悪寒や震え。

 

火野はそれらを利用する事で獲物を縛りつけてきた。

 

 

「おおよそですが、あなたの戦闘パターンは分析できました。精神に異常があるようですね。とりあえず、叩きのめして医者に診させてあげます」

 

 

しかし、詩歌は怯まない。

 

詩歌はナイフに対して、トラウマがあった。

 

かつて、凶刃から自分を庇って当麻が傷ついたという過去は詩歌の中でトラウマになっていた。

 

そのせいで、かつて暴走し、武装した<スキルアウト>を半殺しにした事がある。

 

それは詩歌にとって恥ずべき汚点である。

 

だから、戒めた。

 

ナイフを見て、暴走しそうになったら、心のスイッチをオフにする。

 

そう感情を極限までに押し殺す。

 

そのおかげで詩歌は火野に対する恐怖心も抑え込む事ができた。

 

 

「ぎぃっ!?」

 

 

いくら火野がナイフを振り回そうと、冷静に上半身を沈めて回避し、両手を床に叩きつける。

 

その反動で両足を勢い任せで浮かすと、火野の鼻を目掛けて、逆立ちの姿勢で、腰を回転させるように捻る。

 

トリッキーな動きに驚いたのか、火野は一瞬怯む。

 

詩歌の攻撃は狙い通り直撃し、鼻骨が圧し折られるだけでなく、ついでに2,3本前歯が吹き飛んだ。

 

たとえ興奮状態で麻酔されたように痛覚が麻痺していたとしても、鼻を潰せば呼吸は苦しくなるので相手の戦意を喪失させる事ができる。

 

だがしかし、それでも火野の戦意が途切れる事はなかった。

 

今も瞳には狂ったような光が爛々と輝いている。

 

その姿を見て詩歌はやれやれと溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

一方、火野の発する生理的な恐怖感に当麻はその場から縛りつけられていた。

 

いやそれ以上に、記憶を失って初めて第3者の視点から見る詩歌の動きに当麻は目を奪われていた。

 

2、3手先読みし、無駄のない最小限の動きで相手の急所を貫く。

 

もし、当麻が詩歌と本気で対峙したら、勝てるかどうか。

 

当麻の膂力は詩歌を上回っており、体格は当麻の方が大きい。

 

だとしても、当麻は詩歌に勝てないだろう。

 

たとえ当麻の方が性能が良かったとしても、詩歌は制御――身体運用で圧倒的に差をつけている。

 

詩歌は自分の身体の使い方をほぼ完全に極めており、身体運用は達人級である。

 

当麻が自分の体を6割程度しか使えないなら、詩歌はほぼ10割、完全に余すとこなく自分の体を自分のものにしている。

 

車に例えて言うなら、当麻は最高スピードは結構速いが、加速はまあまあ、カーブが苦手で燃費が悪い。

 

一方、詩歌は最高スピードは少し当麻に劣るが、加速は断然似速く、とても小回りが良く効き、燃費は格段に良い。

 

それに、詩歌の方が駆け引きが強く、人の体を効率よく破壊する術を心得ている。

 

つまり、車の運転手に関しても、詩歌の方が老練で格上であるといえる。

 

実際、詩歌と実戦形式の組手をした事があったが、一度も触れることなく全身の急所に寸止めされた。

 

……そう思えば記憶を失う前の自分は、詩歌に対してどうのような感情を抱いていたのだろうか。

 

自分よりも遥かに優秀で、強い妹に劣等感を抱いていなかったのだろうか。

 

疎ましく思っていなかっただろうか。

 

共にいる事が苦痛だと感じていなかっただろうか。

 

その答えはわからない。

 

だが、今の当麻はどこか無力感を感じていた。

 

 

(俺は、本当に詩歌を守れるのか?)

 

 

心に刻み込んだ誓いが揺らぐ。

 

そのせいなのか、当麻は戦闘中であるにもかかわらず、一瞬気を抜いてしまった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ひぃっ!!?」

 

 

御坂妹、中身はわだつみの店員、麻黄がこの場に現れた。

 

そして、火野の生理的な恐怖を見てしまったからなのかその場で腰が抜けてしまう。

 

 

「ぎィ! ギビィ!!」

 

 

獣のように鳴き、粘膜じみた唾液を溢れる口を大きく開きながら、

 

素早く革布を取り出して血に塗れた刃を拭き、麻黄にナイフを投擲する。

 

当麻は虚を突かれてしまったからなのか、火野の生理的な恐怖を克服していないのか、それとも、気を抜いてしまったからなのか、反応が遅れてしまう。

 

麻黄はそのまま、火野の凶刃に―――

 

 

―――ぐちゅ。

 

 

間一髪、詩歌が間に入り、凶刃の動きを止めた。

 

自分の右手を犠牲にして。

 

 

「ぐっ」

 

 

右手に突き刺さった凶刃を引き抜く。

 

右手から血が噴き出し、凶刃は赤く塗れていた。

 

 

(先ほど、土御門さんの治療して助かりました……)

 

 

抜いた直後は血が噴き出していたが、すぐに止まり、傷口も早送り映像を見ているかのように塞がっていく。

 

だが、酔ったように頭がふらつき、物凄い疲労感が身体の奥底の方から湧き上がってきた。

 

 

(迂…闊。毒が……塗られて……)

 

 

先ほど、火野は革布で血を拭っていたのではない。

 

ナイフの刃に毒を塗っていた。

 

詩歌の視界が徐々に狭まっていく。

 

その狭まった視界の中で火野は笑いながら外へと飛び出していくのが見えた。

 

そして、次に当麻の顔が見えたような気がした。

 

消える寸前だったので分からなかったが、怒っているような、泣いているような、そして、情けないような顔だった。

 

それを最後に、ぷっつりと、意識が切れた。

 

 

 

つづく


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