とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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幻想御手編 先輩後輩の連携

幻想御手編 先輩後輩の連携

 

 

 

路地裏

 

 

 キィィィン――――!!

 

 

 周囲に漏れだすほど大きな、流れていた音楽を掻き消す、耳いや脳に直接響く金属と金属を擦り合わせたような高鳴り音。

 しかし、この人気のない、表通りより何段階も弛緩した空気。<警備員>のサイレンも上の空と彼岸にある路地裏の周りには何も音を鳴らすようなものなどない

 だが、爆破事故の騒ぎが聴こえないほど切り離された場ではなかったはず。

 

「っ、ぎ―――!?」

 

 一体、何なのだ?

 今の……自分自身の力を外から浴びせられた……

 まるで、鏡に映った自分が、鏡から飛び出して自分の腕を掴んだような、感覚。不可思議な現象。

 まさか、“コレ”の影響なのか?

 いや、そんなことよりも。

 

「は、な、何故―――!?」

 

 定めた時間は、過ぎている。

 混乱しながらも、必死にロッカーに仕掛けた爆弾を頭の中でイメージし、爆破を念じ続ける。

 だが爆音も、狼煙も上がらない。能力の不調? アルミの不具合? それとも爆弾が解体された? いや、そのどれもあり得ない。そうならないように策を講じた。そして、自分は確かに重力子の加速を感じ取っていた。能力は発動したのだ。

 ただ―――爆弾が、炸裂しなかっただけの話。

 

「そんな、はず、は―――!」

 

 脳内に駆け巡るのは、否定。

 『何だ、結局、偽情報(デマ)か』―――と、表の通りに避難した誰かが呟いた。

 違う。僕は、力を手にしたんだ! もう絶対に誰にも馬鹿にされない力を!

 ここまで来て、失敗は許されない。

 <風紀委員(あいつら)>が本当は役立たずな連中だってわからせてやるんだ!

 より強くこの“音”を聴け。

 ヘッドフォンの耳当てに手を添え、頭を挟む。祈るように蹲りながら、一心に念じる。

 しかし、神様など現れはしない。

 

 

「忘れものですよ、爆弾魔さん」

 

 

 あの――時限発動式の爆弾――を手にした、あの時の少女が現れた。

 

 

セブンスミスト

 

 

 午後四時五○分。

 

 

「詩歌さん!」

 

 避難が終わり、客も店員がいなくなり、伽藍とした店内。

 そこで、服の陰に潜みながら、避難経路の表の出入り口ではなく、裏口へと進むちょうど頭に思い浮かんでいた――上条詩歌を見つけて、佐天は声をかけた。

 そして、『避難はまだしていないんですか?』と答え難い問いを訊かれないよう、こちらに振り向くより早く、会話のラリーを無視して次のセリフを口に出す。

 

「そっち裏口ですけど、どうしたんですか?」

 

「……ふぅ。そうですね。どうやら親友の言うことを聞かない子が一人残ってしまったようですけど、避難誘導が終わりましたので、これから“みっつめ”をやろうかと思いまして」

 

 みっつめ―――それは、『爆弾魔の挑戦を受ける』。

 

「“優先する”のを決めただけで、他はやらないという決まりはないし、そう言ったつもりもない。『店内の客を全員避難させて』から、『爆弾魔が隠した場所のロッカーを探し』、『爆弾を処理する』―――と2、3、1の順に全部やるという答えもあるわけです」

 

 あのとき、彼女は『まだ時間に余裕はあり、慌てるような事態ではない』と言った。

 それはつまり、客を避難させるだけではなく、出した選択肢の全てをやるだけのと言うこと。

 

「もちろん、それは余裕があっての話で、何かひとつは確実に果たさ―――「やっぱり詩歌さんはあの暗号を解いてたんですね!」」

 

 大きな驚き声をあげた後輩に、立てた人差し指を唇に当てて短く“シッ”と囁き、佐天を噤ませた後、ボリューム低めに、

 

「詩歌さんは何でもできる神様じゃありませんよ。“やっぱり”、なんてばかり使わないでくださいな」

 

「でも、解けたんですよね」

 

 ここで佐天一人だけ避難させるのは危険で、流石に安全なところにまで連れ添うほど時間の余裕はない……と判断したのか、『静かに』のジェスチャーから、繋げて、『ついてきて』と人差し指を曲げる。

 

「おそらく期待に応えられると思います」

 

 人の脳をエンジンに例えるなら、この人のエンジンは自分たちのエンジンよりも、ずっと高い回転数で回っているのだろう。

 普通の人ならあっという間にオーバーヒートしてしまうような回転数を、ずっと維持している。

 そして、身体からは、常人とは異なる“気”のようなものを感じた。

 この非日常の状況においても、『何でも知っていて、何でも何とかしてくれそうな余裕』を持っているという、集団の指導者に望まれる姿勢を自然体でやってる。

 

「さて、移動するまでの退屈しのぎに。詩歌さんの答えを聞いてもらいましょうか」

 

「!」

 

 こんな状況だけど、佐天は少しわくわくする。

 

 無能なお前らは、いつものように、大事なヒントであるバラバラの四つの数字を見逃す。

 教えてほしければ、

 大能力者、強能力者、異能力者、低能力者と高い順に並べ、

 低能力者、異能力者、強能力者、大能力者と低い順に並べ、

 勝ち抜き戦をして、間引け。

 余った人間で、満足するまで何度も間引いて選定しろ。

 その後に、残った優等生がセブンスミストに入ればわかるだろう。

 

「爆弾を仕掛けたロッカーの四つのナンバーが不明なんですよね」

 

「ええ、問題はそこです」

 

 詩歌は溜息をついた。

 

「『大能力者、強能力者、異能力者、低能力者と高い順に並べ、低能力者、異能力者、強能力者、大能力者と低い順に並べ、勝ち抜き戦をして、間引け』とありますが、そのくだりは<風紀委員>同士で戦い合えというのではなく、言い回しは挑発ですが計算式だと思います」

 

「でも、計算式って、元の数字がわかんないんじゃできなくないですか?」

 

「いいえ。そこが爆弾魔の引っ掛けでしょう。前提となる数がわからないから、誰もが思考停止に至る。だけど、これはそうじゃない。どんな数字でもいいから代入してみてください。

 佐天さん、何でもいいから四つの数を言って」

 

「ええと……。じゃあ、8341」

 

 詩歌を見て、真っ先思い浮かんだ数字を口にする。

 

「『大能力者、強能力者、異能力者、低能力者と高い順に並べ』と、つまりはそれを“数が高い方から順に並べ直す”んです」

 

「8431、ですね」

 

「次に『低能力者、異能力者、強能力者、大能力者と低い順に並べ』も同じように」

 

「1348」

 

「『勝ち抜き戦をして、間引け』とは、要するに高い順に並べたものと低い順に並べたものとで引き算をしろということでしょう」

 

 引き算でも四桁になると、ちょっと携帯の計算アプリを使いたいところだけど、と考え込む気配がわかったのか、それより早く答えを口にする。

 

「7083―――となりますが、『余った人間で、満足するまで何度も間引いて選定しろ』とはおそらく“また同じことを繰り返す”。高い順から並べて、その逆に低い順から並べて、差を求める。

 8730から378を引いて、8352。

 それをさらにもう一度。

 8532から2358を引いて、6174。

 そして、7641から1467を引いても、6174。

 つまり、指定された満足した数字は、6174。

 ちなみにこれは他の数字で試しても、全部、6174となります」

 

 と言われたので、別の数字で試してみる佐天。指折り数えながら計算にふけっている様子だったが、やがて目を丸くしていった。

 

「ホントだ! 6174になる」

 

「四つとも同じ数字なら計算し甲斐はないけど、それ以外ならどんな四桁だろうと、犯行声明文に指定された計算式を何度か繰り返していけば、6174に辿りつけるんです」

 

「じゃあ、6174番のロッカーに時限式の爆弾が! 6000番台のロッカーは確か五階に―――!」

 

「それは少し早い。最後の『その後に、残った優等生がセブンスミストに入ればわかるだろう』が抜けてます。爆弾魔がわざわざこの建物を指定したのには、意味がある」

 

「それって……」

 

 ヒントです、と詩歌は佐天に裏口に立てかけられた店の看板を人差し指で示す。

 

「セブンスミスト、と予告状ではカタカナで書かれていたようですが、看板に書かれたのは英字のスペルで、Seventh mist」

 

「セブンスミスト……Seventh mist……日本語訳すれば、七霧ですねー」

 

「お、近づきましたね佐天さん」

 

 ちょっと行き詰ったので冗談のつもり言ったが、どうも正答に近づいた。

 七、霧。

 7、きり。

 それで、多分、残った優等生ってのは、6174だから……

 

「って、まさか!」

 

「気付いたようですね。そう……。霧。つまり、“きり”は、“切り”。まあ、『たぬき』で文章から『た』を抜くようなダシャレでしょうが、

 ―――七は切るんです」

 

 残った優等生(6174)セブンスミスト(7を切って)に入れば……

 

 

「爆弾のあるロッカーは、614番」

 

 

 そして、裏口が見えると、佐天ははやる気持ちからやや早足で詩歌の背に付きながらロッカーの設置場所へ。

 三桁ナンバーのロッカーがあるのは一階の表出入口に100~500番台と主に業者や店員が使うが一般客も利用できる裏口に600~900番台。

 ちょうど物陰になって目立たず、また一階で出入り口近いと言うことから『セブンスミスト』以外の利用客もいるのか、多少期間が延びても放置されているのが、ほとんどの場所が利用中になっている。

 

「おそらく、この予告状からプロファイルして、爆弾魔は男の人。

 ここなら、人目につくことなく、仕掛けることができるでしょう。それに好都合、男性であっても女性客中心の『セブンスミスト』でも入口までなら抵抗は少ない。さっきまでいた五階、三階のフロアはどれも女性物を扱っていて、男子学生がただ荷物を預けるなんて不自然に目立ってしまう」

 

 詩歌がこの『セブンスミスト』で買い物中に視線を合わせた男性客は、カップル連れのが一組(男性は引っ叩かれてた)と、幼女付き添いの保護者なまぬけのとうさん、他二名。

 

「じゃあ、暗号を解くまでもなく、ここに爆弾があるってわかってたなら、どうして最初から……」

 

「不幸は常に想定外の方向から来るものです、佐天さん」

 

 推理が外している可能性もあったし、今は現場慣れしていない初春飾利に余計なことを考えさせたくなかった。外れた場合は修正が利かない場合もあったため、<風紀委員>としての初春の判断の通り、運に期待しなければいけないような局面は極力回避する。

 そして、もし推理通りにあれば、爆弾は不発だったと秘密に処理していたという。

 

「……一応、美琴さんに電気トラブルを装う際、ついでにここ裏口のロッカーの警報と電子ロックは外してもらうようお願いしましたが……」

 

「いつのまに……」

 

「しかし、どうやらここは未使用のようでしたね。あまり、痕跡を残したがらなかったのでしょう」

 

 周囲のいくつかと違って、使用中マークは点灯していない。

 どっちにしろ施錠はされていないはずだから、開けられる。

 もう時間は五分もない。

 急く思いの佐天を隣に、詩歌は614番のロッカーに手を掛ける。

 ……がちゃり、と軽い手ごたえは、ロックが外れている。

 

「………」

 

 そして……軽く深呼吸してからゆっくりとドアを開けると―――

 

 

 

「え……っ」

 

 思わず、声を失う。

 そこには何も……入っていない。まったくの空だ。

 

(詩歌さんの推理が、外れた。―――ううん、もしかして、これは単なる悪戯で……初春たちを遊ぶために……)

 

 悔しく、佐天は拳をギリッと握りしめる。期待していただけに、その失望感は大きくて……

 

「人形や小物にアルミ製の食器を隠す、爆弾魔さんは神経質、用心深い性質なんでしょう」

 

 そういって、詩歌は空のロッカーの内を指差す。

 

「全てを正確にとらえるためには、全てを立方体に構成し直すことが大事です」

 

「へ? 立方体?」

 

 と促されて、佐天はもう一度だけ空のロッカーを見る。

 少しだけ気持ちを取り戻しかけたが、それでも落胆に打ちひしがれて真っ白になった頭の中に―――ふと違和感が、薄い染みとなって広がってくる。

 未使用だったら、そこに荷物を入れられていたら、誰かに盗られてしまうかもしれない。

 または、予告状の暗号文を無視して、片っ端から開けていき中を検分されてしまうかもしれない。

 もう、爆弾の基点はアルミであるとわかっているのだから、見つかれば押収される。でも、数が多いロッカーすべてを見るには時間がなく、問題のないのはぱっと見で済ませるはず。だから……だったら、詳しく調べる必要のない、“最初から何もない未使用の状態”なら……

 

「静物模写と同じで、できるだけ小さな構成要素で、数多くの立方体を思い描く。3DCGのラフ段階のように、積み木のごとく小立方体を重ねていき、モノの形を再現する。

 頭の中で立方体に変換し終えたら、すべての立方体の面について残さず観察する。人間の目は不可視の部分を想像で補完しがちだから、視線の角度によって、致命的な間違いを犯すことがある。けれども、立方体の全面を見るようあらかじめ義務化しておくと、絶対に看過することはなく、対象を正確に把握できるようになる。

 時間がかかる作業ですが、固法先輩から一度教えてもらった思考テストの結果を見るかぎり、初春さんはその思考法がごく自然にできるでしょうね」

 

 初春が……?

 佐天は思い出す、かつて演算法の宿題で彼女にアトバイスを求めた時、『花をイメージするんです』と教えられた。

 最初はわけがわからず、その頭の花畑をもしゃったが、それがすべてのものを立方体に考慮するものなら、とんでもなく骨が折れる話で、とても自分にできそうにない。けれども、少しだけそのような視点で心掛けると、確かに観察が不十分だと自覚する。

 一歩引いて、眺める。ロッカーはそれ自体が立方体のため、面を把握するのは容易い。しかし、全ての面を見るのなら、前だけでなく、横からも検証して……

 途端に鈍い感触がこみ上げてきた。ひんやりと冷たいものを額に押し付けられたように、覚醒する道筋がある。

 

「っ!」

 

 立方体のすべての面を見てもいないのに、敗北を認めるにはまだ早過ぎる。

 佐天はひとつ挟んで隣にある同じ未使用で空のロッカーを開き、その違和感が確かなものであると、

 

「やっぱり、違う。ひょっとして―――」

 

「そういうこと。予告状通りの十倍以上のアルミを隠すには、ぬいぐるみや小物入れじゃ小さ過ぎる。だから……」

 

 そして、上条詩歌は手を伸ばし……空のはずの――だけど、他のと違和感のある――ロッカーから、分厚いアルミ製の板を取りだした。

 

「学園都市で開発されてる割れない鏡の大部分に使われているのはアルミニウム板。薄く丈夫で軽いアルミミラー。これをロッカー内に張り付ければ、触れて確かめでもしない限り分かりません」

 

 

路地裏

 

 

「………というわけです。まあ、あとはこのアルミの板から延びる細い“色”を視て、この<量子変速(シンクロトロン)>の持ち主の元に来たわけですが―――もう終わりです。自首をしてください」

 

 もう、予定の時刻から何分過ぎたかわからない。ただ、彼女から語られる答え合わせみたいな推理をずっと聞いていた。

 その思考を看破するのではなく、同じ思考に及んだといってもいいくらいに正確な。

 上条詩歌が前に両手で持つアルミミラーには、メガネを掛け、音楽プレーヤーを耳に装着した痩身の男子学生が映っている。

 だけど、そこに映った自分を見て、男子学生は落ち着きを取り戻した。

 

「はは、爆弾魔? なんのことだい? 確かに僕の能力は<量子変速>だけど、この前のテストではLevel2でほとんど何もできない。この近くで爆発事件でも起きたのかな? さっきあそこの店で電気系統のトラブルがあったとは聞いたけど……ああ、周りがグラビトンの予告状が届いたとかも言ってたな」

 

 想定していなかったわけではない。いや、彼女が店にいたのを確認した時点で、次の結果を備えていた。

 そう、ルール違反。違反には罰が必要。

 彼女は、<風紀委員>じゃない。だから、やはり、不要なんだ。

 

「事情はよくわからないけど、もし最近の爆破テロ事件とかかわりがあるから、あの避難誘導していた花飾りの子は、<風紀委員>は、まだあのセブンスミストにいるんだろうね……

 でも、危なくないのかな?

 その用心深い犯人の予告状自体が、<風紀委員>をおびき寄せる、ワナ、とかだったら」

 

「それは、どういう意味です?」

 

 そして、僕は彼女の前にこの力を証明する。

 時限式ができるように成長し―――そして、今は設置できるのは、“ひとつだけ”とは限らない。

 

 

「別に、深い意味はなんて……ただワナっぽいなって気がして―――それとも、<風紀委員>の優秀な人たちなら、難なく突破しちゃうのかな」

 

 

セブンスミスト

 

 

 連絡手段の携帯機器を持ち歩かない学生はいないし、幼馴染は初対面の後輩と連絡交換に、携帯機器を取りだしていた。

 そして、普通、借りる際は、『電話を』ではなく、『携帯を』と言うだろう。

 不自然だが、そこに気付かなければ流してしまえる程度の違和感であるが、上条詩歌と十年近い付き合いの御坂美琴はそれが暗喩だと察した。

 

(私と同じ発電系能力者でも意思の疎通どころか、邪魔するものが何もないところでもないと相手の位置もつかめないけど、<幻想投影>は、AIM拡散力場――脳波の波形まで模倣(コピー)できる。だから、それを繋げば、ネットワークの構築もできちゃうのよね)

 

 常盤台中学三年で上条詩歌とクラスメイト口囃子早鳥の<念話能力(テレパス)>の経験を生かした、AIM拡散力場が同質の高位の発電系能力者による電子的なネットワーク。

 あのとき、あの一瞬で、御坂美琴は、上条詩歌からその推理と警告を美琴は聞いていた。

 

(外す可能性がある、とか言ってたけど、もう時間は予告の五時を過ぎてる)

 

 幼馴染が上手く処理してくれたのだろう。

 

「よしっ」

 

 こちらも、店内にいる客を、避難させることに成功。

 おそらく、いまセブンスミストにいるのは自分達だけだろう。

 

「とりあえずこれで全員、無事に避難でき―――」

 

「ビリビリ!」

 

 いや、もうひとり。運悪く避難に遅れたのか、あのツンツン頭の無能力者が、

 

「何でアンタがまだ店に居んのよ。放送聴いてなかったの?」

 

「聴いてるよ。爆弾魔から予告状が届いたんだろ。今はそれより、あの子を見なかったか?」

 

「はぁ!? あの後、一緒じゃなかったの?」

 

 避難の時、大勢の人が移動する流れに呑まれたのか、目を離してしまった。

 もし、まだこの店の中にいるようなら……

 

「皆さん、避難活動終わりましたか!」

 

 初春がこちらに駆け寄ってくる。途中から、二人組でなるべく近い位置で付き合っていた。

 <風紀委員>ではあるが、走り回らなければならないので、体力のない初春には少々きつかったのだろう。

 少しへたれ気味である。

 そんな様子をやれやれと見守りながら、声を掛けようとしたそのとき、

 

「おねーちゃーん」

 

 初春の後ろから先ほどの、ちょうどいま捜そうとした女の子――硲舎佳茄がカエルの人形を持ってやってきた。

 

(あれ? さっき、あの子あんな人形なんて持ってなかったのに……一体どこから……)

 

「これ、落し物。もしかしたら私みたいになくしちゃったかもしれないから、<風紀委員>のお姉ちゃんに預けようと―――」

 

 女の子はそのまま初春の元へと駆けよると“先ほどまで持っていなかったどこかで拾ったカエルの人形”を初春に―――

 

「ほ……よかった、無事だったみたいだな……―――ん!?」

 

 ブン、と。

 人形が急に引きずり込まれるように胴体の中心に収縮していく。

 

「ッ!!?」

 

 その異変を一番近くにいた初春が、即座に女の子の元に駆け寄り、持っていた人形を奪い去り遠くへと放り投げ、女の子に覆いかぶさる。

 

「逃げてください!! あれは爆弾ですっ!!!」

 

 推理と一緒に、警告されていた。

 今日まで<風紀委員>で“9人”の負傷者を出している連続虚空爆破事件。

 いかに<風紀委員>が事件に巻き込まれやすいとはいえど、彼らは訓練を受けた者達。

 そう簡単にやられるはずがない。

 この数値は明らかに多過ぎる。

 つまり、この犯人は、<風紀委員>を意図的に狙っている。

 この予告現場に直接赴いていて、こちらの様子を探っている――標的の<風紀委員>を狙っている可能性がある。

 そして、一度に仕掛けられる爆弾は一つとは限らないと。

 しかし、このことを初春に伝えても、彼女は避難しようとはしないだろう。むしろ、犯人を捕まえようと率先して動くはずだとも。

 だから、初春に爆弾魔の監視が集中している間に、避難誘導を終わらせて、監視から免れた詩歌が爆弾を処理して、美琴が初春の周りで不審なものがないか警戒を……そのはずだったのにッ!

 だが、気付いてももう遅い。

 爆弾は爆発寸前だった。

 磁性の通じにくいアルミを美琴がこの一瞬に飛ばすのは、不可能。

 ならば、

 

超電磁砲(レールガン)で爆弾ごと吹き飛ばすッ!!)

 

 超電磁砲。

 御坂美琴の代名詞となったそれは並の高位能力者では出せない破壊力を持った一撃。

 いくら爆弾の威力が凄かろうが、所詮はLevel4。

 学園都市の能力者達の頂点、Level5序列第三位の一撃には消し飛ばされ―――

 

(マズった!!)

 

 しかし、焦りのせいか超電磁砲の弾に使うコインを落としてしまう。

 これでは、初春達が――――

 

 

路地裏

 

 

 一秒の内にアルミを基点に重力子が加速し、一気に撒き散らす。

 周囲を揺るがす爆音と、その爆音の何十分の一かの小さな爆発と黒煙。

 轟音と共にカエルの人形が紅蓮の渦に飲み込まれ、そして、その直後、嵐のごとき爆風が、辺りのものを全て吹き飛ばす。

 

 

 ―――そう、幻視した。

 それが確かなものであると証明するよう、爆音に続いて、

 

「キャーー!! 何!? 爆発? もしかして、最後まで残ってた<風紀委員>の子が巻き込まれた!?」

 

 甲高い少女の悲鳴。

 爆発の騒ぎに避難した学生と野次馬達が色めき立つ。

 何が起きたのか、それを詳細に知る人間はいないのだろうし、この裏路地からは見えないだろうが、これまでの経験から、あの店の窓を突き破る爆風の勢いだったとは想像はし難くはない。

 野次馬と避難民では興奮の度合いに差があるが、どちらも中にいた<風紀委員>の心配をしているのには変わりない。

 おそらく野次馬も周囲の状況から察したのだろう。

 そのざわめきがこの路地裏にまで聞こえ、内心で笑みを堪えるのに苦労する。

 

(スゴイッ! スバラシイぞ僕の力!! 徐々に強い力を使いこなせるようになってきたッ!! もう、無能な<風紀委員>なんて、必要ない!)

 

「随分と、楽しそうですね」

 

 水を差したような冷ややかな声が耳朶を打つ。

 だが、何と言おうと勝ったのは自分だ。

 計画通りにいかなかったとはいえ、爆破は成功した。

 そして、証拠もない。

 接触感応者(サイコメトリー)でも、すでに力を解放した後の爆破の残骸物では、自分の元にはたどり着けない。

 

「でも、初春さんなら無事ですよ。きっと誰も怪我はしてない」

 

「それはどうかな。外から見てもスゴい爆発だったし、中にいる人はとても助かったなんて思えない……」

 

 無表情をつとめながら言う。

 強がりだ。そんなことをいっても、ボロはけして出さない。アルミミラーに大部分使って、最大出力とはいかなかったが誰もかすり傷一つ負わなかったなんてありえない。

 

「じゃあ、賭けをしますか? もし、誰ひとり怪我を負っていたら、私はあなたを見逃す。そうじゃなかったら、あなたは自首する」

 

「だから、僕は何も……Level2の異能力じゃ、爆弾なんか作れないよ」

 

 二人は笑い合った。

 ……何だろう、この時間は。

 彼女の大きくつぶらな瞳は、何の邪心も感じさせない。限りなく警戒心を解いて見える。というより、まったくの無防備のようでもある。

 けれども、聡明な彼女のことだ。ポーカーフェイスもお手のものだろう。

 そうして、その一動に目を離さないでいると。すっと人指し指一本を上に立ててから、

 

「なんなら、賭け金にこの鏡を上乗せしましょう」

 

 アルミミラーを示す。

 そう、自分がロッカーに仕掛けた爆弾―――<接触感応>で探れない爆破後の残骸ではなく、“未だ力が残っている不発弾”。

 その意味を把握して、その鏡に映る自分の顔面が一気に蒼白となる。

 

「先ほどLevel2とおっしゃいましたが、あなたの能力はLevel4相当の<量子変速>。アルミを基点に重力子を加速させ、周囲に放出することで、アルミを爆弾に変えることができるってところでしょうか。そして、アルミ爆弾の残骸には、力の痕跡はなく、<接触感応>でも追跡は不可能だった。

 だけど、爆破前のものなら、決定的な証拠となる」

 

 な―――!? と出かけた声を呑み込む。

 どうしてそんなことがわかるんだ。

 まだ<身体検査(システムスキャン)>ですら判明してないのに!

 自分の能力を彼女は何も知らないはずなのに

 だったら、どうやって!?

 いくら感知系でもそこまでは……

 

「初春さんは、犯人を捕まえることではなく、被害を最小限に食い止めることを優先した。

 彼女ならば、あなたがネットに書き込んだ予告状から逆算して、九分九厘犯人を突き止めることは可能だったはずなのに」

 

 それは、見ていた。

 あの三本ラインの盾の腕章をつけた<風紀委員>の子を見つけてから、ずっとどうするかを窺っていた。

 

「だから、初春飾利は彼女の信念で、その場に残った―――けれど、幻想だけはここに持ってきた」

 

 <定温保存(サーマルハンド)>、と上条詩歌は言う。

 

「これは手で触れているのなら、パソコンなど電子機器の熱暴走を防いだり、クレープの生クリームが溶けないようにすることができる」

 

 詩歌がクレープ屋での騒動を収めてる間に初春に預けていたクレープは少しも溶けていなかったことを、初春に訊いたら、こっそりとその能力名を教えてくれた。

 

「初春さんはまだLevel1の低能力者。ですが、もしもその才能を伸ばし、彼女の演算思考能力を十全に発揮できるようになれば、恐るべき<自分だけの現実>を構築し、強大な力を発揮していたでしょうね。そして、応用すれば、爆弾をも抑え込める。

 ―――“このように”」

 

 気付く。

 あの時限式の不発弾は、<量子変速>が働いていないわけではない。むしろ今も。

 そのアルミミラーは原形こそ留めているが、重力子の加速も止まっていない。

 <量子変速>は、アルミを基点に重力子を加速させ、放出。エネルギーの解放―――それが爆発となる。

 しかし、今はそのエネルギーの放出が、アルミミラーから逃げられないよう封じられている。

 『触れてる対象の熱を一定に保つ』、それが<定温保存(サーマルハンド)>であり、つまりは、『感知したエネルギーを固定する』のである。

 

「ただし、これは“爆発”を寸前に沈黙を強いているだけで、“爆弾”を消火解体したわけではありませんし、維持できるのもあと二十分が限度でしょう」

 

 今もなお加速を続ける重力子のエネルギーは高まっており、詩歌はこの状態を維持し続けることはできない。

 何故なら、“制限時間”がある。

 なら、それまで気を抜かなければ……………待て。今言った彼女の能力は、手を離すことができない。つまり、爆発の寸前まで逃げられない。

 

「危険だ!」

 

「賭けに乗りますか?」

 

 思わず、叫んでしまった。だが、彼女はただ催促するだけ。

 一度、重力子を加速をしたものは、こちらが意識を止めない限り、爆発は止められない。

 だが、ここで重力子の加速を止めてしまえば、一度力を使ったアルミミラーという致命的な証拠物件を抑えられるということになる。

 しかし、アルミミラーに込めたのは、自身の最大出力。半径10mは軽く吹っ飛ばせる。

 ここで爆発を堰き止めていた力が解かれてしまえば、その5m近くにいる自分も巻き込む―――いや、それより彼女が……

 重要な証拠で強烈な爆弾を、彼女は胸に抱くように手放さない。

 それを見るだけで、自分の心拍が急激に速まるのを感じた。てのひらに汗がにじむ。

 本当に彼女は何も考えていないのだろうか。緊張感が微塵も感じられないが……

 裏路地に夕日が差し込む中で、上条詩歌の顔には不安のいろひとつ浮かんでいない。緊迫感のひとつも持ち合わせていない余裕のまま、こちらの返答を待っている。

 

「……わかった。賭けをしようじゃないか」

 

 唾も呑み込めないほどからからに乾いた口から、ついにその言葉が出た。

 自分の<量子変速>に絶対の自信があるのは確かだ。

 そして、彼女が何をしようと爆発が起きたという過去はけして変えられない。

 だから、この賭けは自分の勝ちで確定のはず……

 

「そういえば、そのヘッドフォン。音楽を聴いていらっしゃるようですけど、一一一(ひとついはじめ)の新曲は聴きました?」

 

 すると、これだけで自白ともとれる勝負宣告に、彼女は突然な話題を振ってきた。

 意図が読めないが、ここで会話を途切らせ、余計な時間を食うことはしたくなかったので、

 

「い、いや、ここ最近はひとつの曲に嵌まっててね」

 

「でしたら、ご存知ないでしょう」

 

 一一一の新曲の最初は、“大きな爆発音”から始まるのを。

 

 

「キャーー!! 何!? 爆発? もしかして、最後まで残ってた<風紀委員>の子が巻き込まれた!?」

 

 

 “まったく同じの爆発音”の後に、“まったく同じ声の悲鳴”があがる。

 そこで、裏路地に顔を出した少女――一緒に買い物をしていた黒の長髪の中学生……佐天涙子が、イヤホンを外した音楽プレーヤーを停止させて、

 

「あはは、ごめんなさい。さっきのもあたしのです。それで、セブンスミストの方は何か小火とかで騒いでますけど、負傷者はいないようです」

 

 潮がひいていくように、緊張のピークが過ぎ去っていく。心拍も少しずつ、ゆっくりとしたものに変っていた。

 目の前を覆い尽くしていた靄が、溶けるように晴れ渡ったかのようだった。

 思わず脱力し、仰向けに寝そべってしまいたい欲求に駆られる。

 いま手足を投げ出して眠れたらどんなに楽だろう。そうしたいだけの欲求が男子学生の中にあった。当面、その願いさえ叶ってくれればいい。本気でそう思った。他に何も望まない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……僕の、負けだ……だけど、だけどっ、<風紀委員>には負けてない!」

 

 主張する。

 悪足掻きだろうが、言っておかねば気が済まなかった。

 

「最初はうまくいかなかったが、だんだんとこの能力を上手く使えるようになった。今日だって、もし君がいなければ、予告通りに爆弾は爆発していた。<風紀委員>には絶対に防げなかった! 君のところの常盤台の<超電磁砲>だって同じだ。常盤台のエース様なんてものがいなければ、ヤツらが本当は無能だってみんな知っていれば、こんな思いをしなくてすんだ!」

 

 胸の内にある恨みが溢れだす。

 学園都市Level5序列第3位。

 Level1からLevel5へと上り詰めた最高の電撃使い。

 教員どもが能力で行き詰った時、何度彼女を例に出した事か。

 才能のない者も努力すれば、きっと報われると何度言われた事か!

 ふざけるな!

 Level1からLevel5?

 そんなのあるはずがない!

 憎い。

 彼女みたいな奴がいるから、自分はどうしようもなく暗い劣等感を抱かなくちゃいけないんだ!

 彼女達みたいな力のある者のせいで……

 

「だから、僕は悪くない!」

 

 胸の内にある想いをぶちまける。

 超能力者にそんな事をぶちまけるのは的外れだという者もいるだろう。

 自身の努力不足を超能力者のせいにするなと言ってくるだろう。

 だが、自分は間違った事は言ってない。

 世の中には努力しても報われない奴が大勢いる。

 その自分達の逃げ場を、『御坂美琴』という才のある存在が塞ぎ、そして、そいつらが弱者の事を考えないから……

 

「何をやっても揶揄され、不良たちにいじめられていた日々を、過去のものにできない! だから、世界を変えてやるんだ! 自分で、自分を救うために!」

 

 そこで言葉を切った。

 路地裏には、沈黙だけあった。

 喋り過ぎたかもしれない。上条詩歌にまんまと乗せられた。そう思える。

 だがいっぽうで、気付いたこともある。力を手に入れてから、ことあるごとに<風紀委員>を狙ってきたのも、全ては劣等感の裏返しだ。そう言い切れる。

 単純だ。この上なく安易だ。しかし、人なんてそんなものだろう。いくら理由を並べて、理想を語って、理性の鎧をまとってみても、結局は子供じみた欲求が勝る。一目惚れした女の子に格好つけようと、無茶して背伸びするように。

 上条詩歌は、何も言わずに聞いている。罵声も浴びせない。情けもかけない。アルミミラーではなく、その鏡瞳に自分を映すだけ。

 こちらから沈黙を破るのは気がひける。それでも彼女が言葉を発しない以上、仕方ない。男子学生は尋ねた。

 

「どうして、<風紀委員>なんかの味方をする」

 

 上条詩歌は苦笑する。

 

「あなたの不満は私にぶつけられるものではないでしょうけど」

 

 と前置きをして、

 

「確かに<風紀委員>になってほしいとお願いされたことはあります。でも、<風紀委員>の味方のつもりはないですね」

 

「嘘だ。だって、君は」

 

「私は私が正しいと持ったことをしたいだけ、味方になりたい人に力になりたいだけ。今日も、<風紀委員>だから、ではなく、初春さんたちだから、です。

 そう、介旅初矢さん。あなたの時と同じように」

 

 覚えていたのか。

 いや、それより、なぜ自分の名前を……

 

「財布を渡す際に、挟んでいた学生証の名前が見えたので」

 

 それともう一つ分かってることがあります、と上条詩歌は続けて言う。

 

「介旅さんも……最初は、<風紀委員>の味方をするつもりだったんでしょう」

 

「何を言ってる。僕は無能なヤツらが許せなくて、爆破テロを起こした。なにより、9人もの<風紀委員>に重傷を負わせたんだぞ」

 

「ええ、これまでの虚空爆破事件の一連の情報は知っています。ここに来る途中に<風紀委員>の後輩から話は聞いています」

 

 じれったさがこみ上げてくる。介旅は詩歌と初めて目を合せた。

 

「だったら、僕がヤツらの味方しようとしたなんてありえないってわかるだろう」

 

「確証はありませんけど、根拠はひとつ」

 

「何だ!」

 

「介旅さんが<風紀委員>を狙ってきたのは、間違いない。ただし、それは最初を除いて。虚空爆破事件の最初に起きた事件だけ、ぬいぐるみやカバンに隠し入れてではなく、空き缶のまま爆弾に使ってる。被害に遭った<風紀委員>は、見回りの最中、不良たちに集団で絡まれていた。ひとりだった彼は劣勢で、能力も戦闘向きではなく、そのままでは爆破に吹っ飛ばされなくても怪我をしたでしょう。

 そう言えば、つい先ほどおっしゃいましたね。最初は上手くいかなかった、って」

 

 その奥を見通す鏡瞳に、固まる介旅自身の顔が映る。

 

「少し前の<身体検査>でLevel2だったとも言っていましたが、<量子変速>は、Level4にならないと爆発を起こせません。あなたは、アルミの空き缶を爆弾にするのはそれが初めてだった。そして、荒事に参加しようとするのも。しかし助けようとしたけれど、急激に上がった能力の手綱を扱えきれなかった」

 

 強大な力はそれだけ制御に難しい。

 御坂美琴であっても、加減を間違えて、交通信号を麻痺させたり、警備ロボットに追われてしまう事態になることがある。

 詩歌は目を瞑り、溜息をつきながら、言った。

 

「そして、あなたは執行者と呼ばれるようになった」

 

 ぎくりと一瞬肩を強張らせる。

 

「その事件がネットに流れたんでしょう。口うるさい<風紀委員>なんて、邪魔だ、排除してくれた奴こそがヒーロー、執行者(ジャッジメント)だ、なんて書き込まれたとみてますが―――それにあなたは逃げた。自身の行為を正当化しようとした。失敗を過去のものにしようとした。自分で自分を救おうとした。

 間違っていますか?」

 

 事実だった。彼女の指摘はいちいち的を射ている。けれども、すべてを認めてしまうのは何となく悔しく思えた。だからか、こんな物言いとなってしまう。

 

「……君の言うことに、間違いなんかありえないだろう」

 

 では、最後にひとつ、と詩歌は問う。

 

「自分は悪くないと信じて能力を使って、この方法で間違いないと考えて世界を変えようとして。それで、気分は満たされたんですか?」

 

「……………ああ、めいっぱいに満たされたね。実に惨めな敗北感にね」

 

 介旅は、力なくいった。

 

「最初のヤツも、襲ってる不良たちの盾になって爆発に巻き込まれたんだ。その後のヤツも全員、誰かを庇って怪我をした。今日の子も、犯人を見つけるより、被害を食い止めることを最優先した。もちろん、<風紀委員>にとっては当然の行動なんだろう」

 

「『己の信念に従い正しいと感じた行動を取るべし』。それが<風紀委員>でまず覚えさせられることです。Level1の初春飾利であっても、そのためにLevel4のあなたに立ち塞がった」

 

「そうかよ。ああ、そうか。……けど、そんなのを認めたら、敗北感しか湧いてこないじゃないか」

 

 その目線から逃げるように、てのひらが歪んだ顔を覆い、くしゃりと前髪を掴む。

 彼女と話すだけで、その眼――真実の鏡にうつされるだけで、自分でも見えていなかった事実に、ふと気付かされる。見直される。そんな感触が介旅の中にあった。

 そうかもしれない。いや、きっとそうだ。心に引っ掛かる全てものを取り払いたかった。全てが受け入れられ、あらゆることが肯定され、Levelがあれば強くなれ、皆に認められると夢見ていた。

 今となっては、すべては幻想だ。なぜなら現実はまるで逆だからだ。犯罪者。己の失敗を認めないために、多くの人々を不幸に陥れた爆弾魔。テロリスト。それが自分の正体だった。不思議なことだと介旅は思った。自ら行ったことだというのに、悪事であるという意識はなかった。概念すら存在していなかった。悪いのは世の中の方だと、そう決めつけていた。

 でもそれは間違っていた。栄光を手にしようと進んだ道は、正しくなかった。

 

「ああ、思い知らされた。僕はずっと活躍する自分の姿しか思い描いてなかった。中身のない自分しか……結局、僕は集団になじめない。世を超越した存在にもなれやしない。そんな僕は力を手に入れたって周りから飛び出すこともできず、爪弾きにされるしかない」

 

「そんなことはないですよ」

 

 詩歌の声はあくまで穏やかだった。

 

「人は変われます。絶対に。あなたには素晴らしい才能がある」

 

 介旅は口をつぐみ、詩歌の顔をもう一度見た。

 やはり、ぼうっと全身が仄かに輝いている。そして、新しい発見を見つけるたびに新鮮な驚きを感じているかのように無邪気な笑みを見せる。普段の老成した賢さなんてない、まるで子供のように。

 その屈託のない笑顔を眺めているうちに、介旅は自分の中で何かがしぼんでいくのを感じた。

 いや、執念は、とっくに鳴りを潜めている。あの賭けに負けた瞬間から、それまで燃えたぎっていた炎は鎮火していった。その最後に一際の蝋燭のように燃え上がったが、今の燻りの中に残されたものは、果てしない自問自答だけだ。僕はいったい、何をやっているのか。これまでの一週間はいったい、何だったのだろう。

 その問いかけに対する答えも、とっくにでていた。ただ目を背けているだけだ。いったん直視すれば、すべては終わる。いまはその終焉の時を故意に遅らせているにすぎなかった。

 そんな自分に彼女は鏡を見せて、前を見たまま、その映し出された自分と背後の光景、後ろを振り返らせてくれるきっかけを与えてくれる。

 

「では、賭け金を上乗せしたので、その分、怪我をさせた<風紀委員>に謝りに行きなさい。正直に。今できないと、二度と悔い改める機会は訪れない。今日、あなたは立ち止まることができた。ここで今いるその道を引き返さないと、自分だけの現実さえ認められなくなってしまいます」

 

 やはり単純な女の子ではなかった。

 言葉の端端からでも吐露した情報を、速やかに整理して事実と照合し、結論を導き出す。誰よりも理解者となってくれる

 そんな彼女に看破されたことは、幸せだったのかもしれない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 カリスマ性とは、こういうものなのだろう。

 今日一日であるが。Levelとか関係なく、この人は。とてつもない人なのだと。

 ここの奥底から、そう思わされる一日だった。

 

 でも、ひとつ疑問。

 

(でも、どうして詩歌さんが初春の能力を……)

 

 そんなことを、考えていた時だった。

 まさにほんの一瞬の出来事。

 

「動くなよ、無能力者」

 

 あたしは、捕まってしまった。

 

 

 そして、超能力者も含めて、常盤台中学で畏れられる理由を知ることになる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 背後に回り込まれて、左手で佐天涙子の口が塞がれる。

 

「んっ!」

 

 と言うくぐもった声をあげたきり、何も言えなくなった。その大きな左手は粘着テープのように佐天の口をぴったりと塞ぎ、悲鳴を上げさせない。

 

「よぉ、昨日ぶりだな」

 

 佐天涙子を人質にした、鼻が怪我している男子学生は、大きく口角を右片端だけ吊り上げる。

 その視線を真っ向から刺されている、上条詩歌は目を少し細めた後、ふぅ、と溜息をつき、

 

「誰ですか? ……私、あなたみたいな空気が読めない人は知らないんですけど」

 

「誰、だと……っ? 貴様、一体どれほど俺を愚弄にすれば気が済むんだ!!」

 

 詩歌の言葉に男は逆上し、吼えたてる。

 

「と言われても、記憶力には自信があるんですが……」

 

 と、柳が強風を受け流すかのような仕草で首を傾げる。

 その様子に、乱入者はますます声を荒らげる。

 

「テメェ! 俺が腕に抱えている後輩が目にはいらねーのか!!」

 

「んーん!」

 

 男は腕に抱えている佐天を揺さぶる。

 佐天は口封じされているので先ほどから呻き声しか上げることが出来ない。そして口を覆われた佐天は、顎が砕かれそうな痛みと恐怖を感じていた。

 

「思い出しました。昨日の方課後、私に告白して振られたエリート様でしたっけ? 鼻が凹んでいたのですぐに気付きませんでした」

 

「くそアマ! 貴様のせいだろうが! あの卑怯な不意打ちのせいで俺の顔が傷ついてしまったじゃねーか! どうしてくれんだよ!!」

 

 男は詩歌の挑発めいた物言いにより逆上し、顔が真っ赤になる。

 

「そう歪めては折角の顔が台無しですよ。まあ、元から好みではありませんでしたのでどうでもいいですけど。それで色男さんは何しにここに来たんですか?」

 

「ああ、俺がここに来たのはもちろん貴様に復讐するためだ」

 

「はぁ……―――でも、それに何故、佐天さんを巻き込むんですか? 私とあなたの問題なのだから、解放してもらえません。何ならお茶の一杯にでも付き合ってもいい」

 

「無理だ。大事な後輩を、有効利用もせず手放すなんてありえないだろ?」

 

 無下に、上から目線で言った。

 

「俺が満足するまでそこを動くな」

 

 っ……

 

 最低だ。

 今まで、告白されてきた男性の中でも最低の部類だ。

 自己顕示欲が強く、世の中なんでも上手く行くと思っている。

 自分の好みとは全くの正反対。

 どんなに努力しようと“不幸”のせいで世間に認められず、それでもめげないあの人とは比べるまでもない。

 

「振られた腹いせに復讐ですか? しかも人質にとって……―――小っせぇなぁ」

 

「貴様に振られさえしなければ俺は人生にこんな汚点なんぞつかなかった!!」

 

 激情任せにその右腕を振るう。

 

「いいか、動くんじゃねぇぞ。少しでも動いたらテメェの後輩がどうなるかな?」

 

 <風力使い>の大能力者は、舌におぞましい言霊を乗せた。

 

「たとえば、こんな風に、下半分が“微塵切り”」

 

 突然風が荒れ狂う。

 路地裏にあったポリバケツをその右の手の平から発生した竜巻が呑み込み、ズタズタに引き裂かれる。

 

「おっと、これだと全身になっちまうな。お前の言うとおり、加減ってのは難しい」

 

 そう簡単に壊れない材質だったが、残るはシュレッダーにかけられたような破片のみ。

 

「っ!!」

 

 初めて、上条詩歌の余裕が揺れたのを佐天は見た。

 同時に、その光景を見て、腰を抜かしてしまう。

 もし、あれを人に向けたりしたら……想像はし難くない

 

「……本当に下種だな。その面を見ているだけで吐き気がする。もしも佐天さんに手を出したら、絶対に許さない」

 

 誰に対してもいつも穏やかで丁寧な言葉遣いだった詩歌の口調が荒々しいのに変わっていく。

 そして、いつもの優しい微笑みをが薄らぐように消えていく。

 

「おーおー、そんなに睨めつけて怖いねぇ。また不意打ちをくらわされたら堪らねぇな。……でも、動けねぇんだったら怖くねぇ」

 

 唇をゆがめ、大能力者は笑う。

 

「感謝するぜ、おかげでこいつは何にもできない。お礼にちょっと遊んでやろうか、無能力者」

 

 その声は……むしろ優しかった。

 毒を混ぜ込められた、蜜に似ていた。

 いいや。

 実際に、その数秒後、佐天は急に前のめった。

 

「……んん、ん……っ!」

 

 左腕を外そうと両手で抵抗していたが、学生服の胸を押さえ、真っ青な顔をほとんど透明なまでに色を失わせる。

 

「どうだ?」

 

 と、大能力者は尋ねる。

 

「頭が痛いか? 吐き気がするか? 少しばかりお前の口を塞いでいる左手周囲の酸素濃度をいじってみたんだ。要は高山病ってヤツだ。昨日、良い音楽に巡り合えてよぉ、調子が絶好調、頭が冴えて、これがLevel5ってヤツかもなぁ。いろんな使い方が思い浮かんで試したくなったんだ。これなら無力な雑魚共に余計に傷モノにせず綺麗なまま遊べるよなぁ」

 

 喜悦を吐きだすみたいにして、べらべらと喋った。

 ひどく愉しそうであった。おもちゃを与えられた子供のように、もはや自分でも止められないようでもあった。

 

「っ、この」

 

 その様子を後ろで見ていた。

 カバンに手を伸ばし、介旅はアルミのスプーン――<量子変速>を発動して握る。

 

「食らえ―――「ダメです!」」

 

 今ここで、この狭い路地裏という環境で爆発を起こされたら、佐天をも巻き込む。それに気付いた介旅はすぐに能力を解除する。

 ―――と、

 

「っ、ビビらせんじゃねぇ、この腰抜けがぁ!」

 

 驚き、介旅の行動にワンテンポ遅れたが、風力系能力者(エアロシューター)は、右腕を大きく振るう。

 介旅目がけて、空を切り裂く音共に竜巻の刃が走る。

 掠っただけで路地の壁を切り裂き、地面を抉る。

 それを前にして躊躇わず前に影が―――上条詩歌が割って入る。

 

「な―――!?」

 

 介旅は瞬く。

 その光景は信じがたいものだった。

 介旅に襲いかかる風と風の狭間―――竜巻の狭間に臆することなく手を伸ばし、そして、服を破き、傷つきながらも竜巻を“弾いた”。

 そのまま殺し切れなかった勢いに錐揉みで詩歌の身体は宙に飛ばされ後逸し―――ながら、その後ろから飛んでくる、能力を発動させ重力子を加速―――いまは減速しつつあるアルミのスプーンを上条詩歌は背面取りのように前を向いたまま左手で捕まえた。

 

「ふん!」

 

 牽制に、右手に持っていたアルミミラーを大能力者へと投擲する。

 鋭く回転が掛けられ、円盤となった正方形の鏡は弧を描きながら、無理な体勢からでも正確無比のコントロールで大能力者へ迫った。

 だが、

 

「テメェの不意打ちはもう通じねぇんだよ!」

 

 ギヂィィィィン、と金属を擦り合わせるような音共に、狙いを定めた大能力者の肩口、その数cm手前で、アルミミラーは停止する。

 空中で見えない手に固定されてしまったかのようだった。そして、本来割れにくい材質のはずのアルミミラーに罅が入り、鈍いを音を立てて、風力の不可視の手に握り潰され飛散した。

 だが、そこに意識が集中したせいで、佐天から左手を離した。

 

「……は……ぁ」

 

 地面に崩れ落ちるように倒れた。だが、酸素濃度をいじられた空域から離脱し、ガラス玉みたいな虚ろな瞳に、少しずつだが色が取り戻されていく。

 しかし、すぐに逃げ出すにはまだ足は命令を聞いてくれない。

 

「ざーんねん。最初で最後のチャンスを不意にしちまったなぁ。そこの腰抜けを庇ったおかげで」

 

 負傷した詩歌は受け身が上手く取れずに、地面に落ちて転がる。

 

「ど、どうして……」

 

 自分を暴風の魔の手から救い出した彼女に介旅は声を震わせる。

 さっきまで爆弾で吹き飛ばそうかとしていた相手に。

 

「このタイミングで……出てきたのは間違いなく……介旅さんも狙ってる。これまでの素行の負債のある……だから、虚空爆破事件の犯人を捕まえて……点数稼ぎ、でしょうね」

 

「ああ、そうだ。俺でもやらねぇ<風紀委員>狩りをしていた爆弾魔を捕まえれば、これまでのことが帳消しになるくらいに良い社会貢献になるだろう? できれば、このクソアマを手負いにくらいはしてほしかったけどなぁ」

 

 介旅初矢を大能力者は、手頃で旨そうな獲物を見る狩人の目で見下している。

 勝てない、と。

 介旅はわかった。この男も自分と同じ“ズル”をしている。Level2からLevel4にしたコレを最初からLevel4が使えば―――もはや、Level5にも届くのではないのか。

 

「だから、あなたは逃げても良かった」

 

 そして、その攻撃を受けてなお、立ち上がれるこの少女は何だ?

 本気を出していなかったとはいえ、高位能力者の攻撃をもろに受けた―――いや、あの風の隙間に入り込んだ動きは、まるで弱いところに飛び込んだよう……

 

「けれど、介旅さんはかつてのあなたと同じように虐げられている女の子を見捨てることができなかった。あなたが怖がってた下種に立ち向かった」

 

 そして、この劣勢においてなお、その目は負けを認めていない。

 

「確かに、高位の能力者はとても恐ろしいです。私だって怖い。暴力は無慈悲。

 でもね、私は知っている……。

 どんなに相手が強大な力を持っていたとしても、

 どんなに自身に不幸が降りかかっても、

 そして大怪我を負うことになっても、

 大切な人のために自分の信念のために迷わず飛び込んでいける人がいることを私は知っている……」

 

 相手は、常盤台中学よりも上位とされる長点上機学園の大能力者。“あの音楽を聴いている”となると、もはや<警備員>が束になっても止められない。

 

「『どうして私を助けてくれたの? 怖くなかったの?』 と質問したとき、その人が私に言ってくれたました―――『本当にそうしたいと思うなら、怖くても踏み出すべきだ』って……弱かった自分を変えたかったあなたは、いまそれができた。力の恐ろしさを知って、踏み出せた勇気を手に入れたのだから、きっと強くなれる。少なくても、そこにいる能力の強さを力と勘違いした奴よりずっとな」

 

 それは幼い頃にした問い掛け。

 弱者だった自分に同じく弱者だったのにも関わらず立ち向かった男の話。

 そう自分が幼い頃に刺されそうだったとき、彼は助けてくれた。

 本当は怖かったはずなのに、逃げたかったはずなのにそれでも、彼は絶対に勝てないと思ってた相手に深手を負いながらも勝ち、自分を助けてくれた。

 その答えは上条詩歌の胸に深く刻まれている。

 

「それを今証明する。本当の力は自分が持つ意思の強さだということを」

 

 その立ち姿にまたも目が奪われる介旅だが、詩歌の状態に気付き目を逸らす。

 服は竜巻を受けてぼろぼろで、サマーセーターはカーディガンのように前が大きく裂かれて、ワイシャツには所々に切れ目が入っていて、肌色を見せている。

 

「ふふふ、別に見るだけなら構わない。減るもんじゃないし」

 

 それでも彼は紳士なのか、それとも初心なのか、詩歌のあられのない姿を見ようとはしなかった。

 

「はっ、それならもっと切り刻んでやる」

 

「残念だけどこの身体はすでに売約済みでね。あんまり下種に晒して汚していいもんじゃないんだよ」

 

「逆らうなよ。ここで俺の命に背けば、また後輩を―――」

 

 佐天の顔を再び掴もうと手を伸ばす―――詩歌は右手を一閃し、先ほどキャッチしたアルミのスプーンを放った。無音、高速、精密にスプーンは一直線に飛び、その手首にあやまたず激突。『かっ』と短い悲鳴を上げ、その手が佐天から離れる。

 

「そして、佐天さんにも触れるんじゃない」

 

 ペキペキ―――と。

 直撃し、そのまま張り付いたアルミのスプーンを基点に、<風力使い>で破壊したアルミミラーの残骸が大能力者の手に磁石が砂鉄を吸いつけるよう纏わりつく。

 

「なっ、が……がぁぁぁぁあぁ!?」

 

 ペキペキペキ―――と。

 締め付ける力はさらに強まり……まるで、昼間に邪魔されたあのツンツン頭の野郎に掴まれたように、腕をへし折らんばかりに。

 

「<量子変速>は、アルミを基点にした重力子の速度を変化させる。重力とは重力子が物質同士の交換によって発生する力。爆発させないように加減させながら変速すれば、こんな芸当もできる。

 指定された座標に物体を引き寄せる―――建設工事の仮設足場用に開発された<重力子寄木板(グラビトンパネル)>の技術を、<量子変速>で再現してみました」

 

 枷の締め付けと、負荷で佐天に伸ばそうとした腕は引くこともできずにその位置に固定される。

 そして、さらに凍りつく一言がその耳から脳に忍び入る。

 

「あまり、暴れないでください。もし、“加減を誤ったら爆発してしまう”じゃないですか」

 

 この腕には爆弾が張り付いているのだと自覚を促す声。

 他のことを考えている、ましてや、まともに能力演算できる余裕なんてない。

 呼吸が整え終わった詩歌は、本当に大したことなさそうに言う。

 

「まあ、でも佐天さんに被害がないよう最小の爆破でも腕一つぐらい無くしてしまうでしょうが問題ないでしょう。先生なら大丈夫。その顔の整形も含めて前よりも良くしてくれる」

 

 ………。

 

「そういうわけで安心していい。良いお医者さんを紹介するから」

 

「……っ……なに言って……」

 

 大能力者が今日初めて、動揺を見せた。

 これまでにない、詩歌の声色にか。爛々と瞳を滾らせるような、薄暗いその笑みにか。

 

「最初に佐天さんに手を出したら許さないって言った。なのに、腕一本も覚悟せずにその手を出したなんて甘えた戯言を言わないだろう?」

 

「―――――!! 離せ! おい離れろ! 離れろつってんだろ! おい!」

 

 大能力者は離れようと必死の形相で腕を引っ張るが、固定された枷が逃がさない。

 

「かーえーるーのーうーたーが―――」

 

 男はなおも暴れる。まるで、その歌が爆発までのカウントダウンのように聞こえる。

 

「きーこーえーてーくーるーよ―――」

 

 もう、逃げるには腕を切る。しかし、そんな決意が無能力者狩りの大能力者にできるはずもない。

 

「グワ グワ グワ グワ―――」

 

「ハッタリだ。お前にそんなな度胸はない! おい! きけ! 外せ! 外すんだ!」

 

「ゲコゲコ ゲコゲコ―――」

 

「外してくれぇぇぇぇええええっ!?!?!?」

 

 ついに泣き叫ぶ。

 だが、歌は止まらない。

 

「ぐわ ぐわ ―――」

 

 

 ズガッシャアァン!! と。

 大気を爆ぜさせる轟音と共に、目の前に思わず背筋が凍るほどの圧倒的な電撃が佐天と大能力者を断ち割った。

 

 アルミの枷は外れている。だが、その余波だけで爆破の威力に匹敵する、それを精密に二人の間に落とした制御力。

 ぐわっ!? とカエルの鳴き声のように尻もちをついた男は見上げた。

 

「はーい♡ 貸したゲコ太の携帯を返しにもらいにきました、詩歌さん」

 

「どーも♪ ナイスタイミングでの救助(ヘルプ)、流石は美琴さんです」

 

 その、超能力者第三位の姿を。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 御坂美琴は、電子制御能力に関して言えば、最高クラスの能力を持つ少女。

 電子回路構造を把握している、幼馴染がちょこっと改造した自身の携帯ならば、遠く離れていても意識すればその位置を探れるし、遠隔で通話モードにして電子信号から読み取り、まるで糸電話のようにすることもできる。

 つまりなにが言いたいのかと言うと、上条詩歌が持っている美琴から借りたゲコ太携帯から大まかに現状はすでに把握している。

 

「まあ、爆弾魔のアンタには色々と言いたいことがあるけど」

 

 詩歌から大能力者と同じく尻もちをついている介旅初矢に美琴は視線を向ける。

 

「知ってる? 常盤台中学のLevel5は元々は単なるLevel1だった」

 

 その言葉は心を揺さぶる。

 

「……それでもそいつは他人の助けを借りながらも頑張って、頑張って、頑張って――Level5と呼ばれるだけの力を掴んだのよ」

 

 彼女の言葉は本物だと心の奥底が告げている。

 

「アンタのやった事は許さないし、それ以上に力に依存するアンタの弱さに腹が立つ!」

 

 弱い自分に喝を入れているのが伝わってくる。

 

「でも、アンタは佐天さんを守ろうとはしてくれたみたいね」

 

 真正面から負けるなと伝わってくる。

 

「だから、あとで歯ぁ食い縛って<風紀委員>の子全員から一発ずつ殴られるってんなら、こっちに来なさい」

 

 これがLevel5。

 確固たる己を、何事もブレない<自分だけの現実>を持つ者。

 だからこそ、学園都市の頂点に君臨している。

 一体、どうすれば彼女のように眩しくなるのかと思わせる。

 それから、改めて詩歌を見て、

 

「で、私は佐天さんを守ってればいいんですね」

 

 だが、詩歌が答える前に、大能力者が怒声を上げた。

 

「テメェら! 俺の存在無視して喋ってんじゃねぇぞ!」

 

「黙ってなさい、三下。私はアンタなんかに訊いてないの」

 

 しかし美琴は視線も向けない。眼中にすらない。

 男が周囲にいくつもの竜巻の渦を形成する。Level4、そして今ら菜場いくつでも竜巻なんて作れる。

 だけど、御坂美琴は鬱陶しそうに煽られた髪の毛を直すだけ。

 詩歌は、バッサリ切られて前の開いたサマーセーターの両端をまるで帯をしめるようにギュッと結びながら、言った。

 

「ああ、美琴は、手を出さなくても良い。もうコイツの浅い底は見えてる」

 

「そ。わかったわ」

 

 美琴が頷き、一歩下がると、詩歌は不敵に笑みを浮かべながら一歩前に出る。

 男は顔を歪ませ、さらに威嚇しようと竜巻の回転数を上げ唸りを強くする。

 

「はっ! 怖いのか? 今まで何人も虐げてきたテメェが武器も何も持ってねぇ女が怖いのか?」

 

 しかし、詩歌はそれを鼻で笑い飛ばす。

 何なんだこれは!?

 これではまるで俺の方が追い詰められてるみたいではないのか!

 こんな弱そうな奴に。たかがLevel3の能力者に。

 だが、思考とは裏腹に男の足は一歩後退する。

 本能が目の前にいる少女の静かな秘められた闘志に警告を出す。

 詩歌は笑みを零す。

 

「ここまで本気でぶん殴ってやろうかと思った下種な奴は久しぶり」

 

 大抵は、介旅のように何か訳ありの奴が多かったので、本気で殴るなんて事はしてこなかったし、そもそも暴力に訴えるのは最後の手段だ。

 だが、今、目の前にいる男に対しては手加減の必要はない。

 

「これが最後通牒。佐天さんに謝りなさい。そして、<風紀委員>にこれまでのことを―――「舐めんじゃねぇクソアマ!!」」

 

 

 

「ぶっちぎれろっ!」

 

 声とともに、風が飛んだ。

 さっきまでの遊びで手加減していた気流は、超能力者の出現に制限も外されて、存分に荒れ狂った。

 佐天涙子と介旅初矢を連れ御坂美琴は下がってる。しかし、男からすれば二対一の状況であった。だから、竜巻が路地裏全体を蹂躙制圧と吹き荒れさせる。己より格上の超能力者は磁力で寄せ集めた即席の砦を造り上げて凌いだ。だが、これで良い。何故ならば、閉じこもっている限り、避難できなかったもうひとりを助けることはできないのだから。

 まさしく嵐となって巻き起こった気流は、詩歌に回避も防御も許さず、その身体をズタぼろのボロ雑巾にねじきってしまうはずだった。

 しかし。

 詩歌の姿は、すんでで掻き消えた。

 

「!?」

 

 滑るように詩歌は背後へ跳んだ。

 助走ひとつない、ただ膝を曲げ、体重をスライドさせただけの歩法。

 いわゆる軽功とも呼ばれる“能力とは関係のない”体術。それで獰猛な獣に挨拶でもするように、下がると同時に、そっと、風を撫でるまでのサービスもつけてる。

 

「くっ!」

 

 なんて余裕だ。歯噛みする。

 気流を操作して、少女を逃がさぬよう嵐を移動させる。ビルを引き抜きかねない豪風は、そのまま蛇、それも八つに分裂してヤマタノオロチのごとくに頭をもたげた。

 しかし、頭数が多い。

 “介旅初矢と同じで”、急激に力を付けた能力は制御が難しく、それぞれの頭がぶつかりあって狙い通りにはいかない。

 そんな能力者の手綱から放れた、乱れた風蛇をなお予測し、風と風の狭間をくぐるようにしてアクロバティックにすり抜けていく。と言うよりも、踊っているようで、長髪をまとめるリボンがヒラヒラと軽やかに。脚の鈴はチリン、と風に涼しげな音色を乗せる。

 そして、

 

「最後通牒は無視。話し合いで済まないなら、古今東西後の相場は決まってる」

 

 空気が、震えた。

 

 

「安心しろ。半殺しは得意中の得意だ」

 

 

 ひどく獰猛な、穏やかさとは真反対な好戦的な笑み。

 その風蛇の竜巻のように、塵を含んだ半透明の気流ではない。

 正真正銘不可視の、超高純度に練りこまれた風圧だ。それが、ロケット砲のごときベクトル量(威力)を付与された、巨大な戦鎚となって―――八頭の風蛇を叩き潰した。

 ごっ、と衝撃が路地裏を揺るがした。

 ビルの壁がへこみと罅を走らせ、コンクリの地面がクレータ状に吹き飛ばされる。

 旋回する破片や粉塵が破裂した風船のように広がっていき、そして、無風状態に響くは絶叫。

 

「な、なっ、なぁっ……! なんで、これはっ……! アイツは、『能力を使わない能力者』―――常盤台でも劣等生じゃないのか!?」

 

 ほとんど無意識に後ろに逃げていなければ、自分も吹っ飛ばされていた。その恐怖がぬぐえないままで、引き攣った声に、御坂美琴は言う。

 

「何言ってんのアンタ。能力を使えないと、能力を使わないは意味が全然違う。そして、詩歌さんは能力を使ってないわけじゃない。そんなことも分かんないの? 言っておくけど、私は詩歌さんより能力を使える人間は知らないわ」

 

 在学最低基準のLevel3で、対外的な成績は何も残していないのに、幼馴染は全校生徒教師が認める首席――最優等生。

 長点上機が一芸に秀でているなら、上条詩歌は多芸を極めている230万分の1の天才(天災)と言ってもいい。

 

 

『―――あァン。なンだ。道塞いでンじゃねェぞ、雑魚が』

 

 

 今日まで、それなりの実戦経験をしてきた。

 そして、完膚なきまでに叩き潰されたのは、あの第一位だけだ。逆らうどころか、その道先に立ち塞がることさえも愚かしいと言わざるを得ない、学園都市最強の能力者。

 あのときも、自身が放った最大の暴風が―――そのまま、自分に跳ね返された。

 そして今。

 同じ能力で、オリジナルの自身が放った能力より―――さらに上の技法で吹き飛ばされた

 

「クッ、クソがあああああ!」

 

 大能力者の体中から、でたらめに放たれる風の刃。

 しかし、この脅威は、その周囲の虚空さえも微塵も動かない。

 無数の刃は、すべてその眼前で消滅していくばかりであった。

 そよ風を受けるかのように、黒髪をそよがせている。一撃一撃が昨日以上の威力を秘めているはずなのに、まったく傷つく様子はなかった。

 

「っ、ああ、無能力者! 無能力者さえいれば!」

 

 <超電磁砲>の守護する砂鉄の砦にいるとはいえ、その声は通る。息が止まりそうな発作が起きて、こちらに迫る鎌鼬に声にならない悲鳴を上げる。

 が、鎌鼬が防壁と佐天の心に刻みを付ける瞬間、

 ヒュッ、

 と詩歌が指揮するよう人差し指中指を伸ばした右手を振るう。

 直後、詩歌が放った風弾が、その風圧でLevel4の風刃を吹き飛ばした。

 後から出したはずなのに、撃ち落として相殺される。

 奥歯が震える。もう、上条詩歌が『何をしたのか』理解している。またも、自分の上を行かれたのだと思い知らされる。

 

「お、お前はLevel3の発火系能力者じゃないのか!?」

 

「ああ、<書庫>ではそうなってる」

 

「ざけるな! だったらなんで―――なんでなんだよ!」

 

「それよりも自分の心配をした方がいい。怪我はさせないが―――思いっきりぶん殴る」

 

 久々に本気で殴る。その顔に好戦的な笑みを浮かべてしまう。

 そのあまりの迫力に詩歌の後ろが蜃気楼のように背景が歪む。

 

「一発。たった一発で終わらせてやる」

 

 お嬢様の拳打。

 そう文字で書かれれば、人は『たかがその程度』と笑うだろう。

 しかし、その宣告に大能力者は唖然と震え、超能力者までも息を呑む。

 詩歌はパキパキと指の骨を鳴らしながら距離を詰めていく。

 今、美琴の目には詩歌が、大能力者が憐れな獲物にとびかかる猛獣と全くの同じに見える。

 

 常盤台の寮監。

 超能力者でさえも瞬殺する彼女が扱う格闘術の基本(ベース)は、軍隊式。

 勝利や鍛錬ではなく、相手を無力化することに主眼を置く―――ある意味で、究極の護身術。

 そして、“傷一つでもつければ問題になるような”お嬢様を相手してきた常盤台学生寮の監督者は、道具を使わずに“無手”で“無傷”で“無力化” するという、他に例を見ないほど安心安全に徹底した『加減』を極めている。

 

 しかし、“拳ひとつで殴るというのだけ”は、師匠の寮監の教えだけでなく、誰かさんの真似も含まれている。

 

「く、来るなぁ!」

 

 及び腰に男は後ずさりながらも腕を振るい、竜巻を発生させようとする。

 が、

 

「残念だが、ちゃっちな<自分だけの現実(パーソナルリアリティ)>はもう掌握している」

 

 ―――解析終了。

 ―――投影終了。

 ―――干渉開始。

 

 竜巻は詩歌には掠りもせず、見当違いの方向に飛んでいく。

 

「くそっ、どうなってやがる、竜巻がいうこときかねぇ」

 

 上条詩歌の能力<幻想投影>は相手または相手の能力に触れることで相手の力を解析・複製し、一度だけ30分程度使うことができる。

 さらに派長――『AIM拡散力場』さえ複製してしまうため、同調による能力の演算の補助と性能の強化、共鳴による相手の位置の特定、そして、<自分だけの現実>からの行動パターンの予測、さらに干渉による能力の演算の妨害と性能の弱体化すらもできる。

 今、男の演算が上手くいかないのは、詩歌が相手の能力で干渉して、竜巻の形成を阻止しているからである。

 

「な、何で竜巻が消えてくんだ、どうしてだ!? 俺はLevel4なんだぞ―――ひっ、よ、よるな」

 

 詩歌は、一歩、二歩、と前に進んだ。距離が縮まっても、大能力者の<風力使い>は詩歌に届かない。やがて、焦りでより消耗しいたのか、だらりと両腕を垂らし、愕然と立ち尽くす。相手は竜巻が形成できないくらい演算力が落ちてしまった。

 是え、はあ、と肩で息をしている。一方で、詩歌は涼しい顔だ。

 能力でしか弱者をいたぶることしかできない奴が、それを取り上げられたらどうする事もできない。

 最早、上条詩歌の敵ではない。

 もう限界に達したのを見て、詩歌は一気に男との距離を詰める。

 

「テメェに私のとっておきを見せてやる」

 

 師匠―――常盤台の寮監が言うには、ダメージを与える際、一番大切なのは、与えた衝撃を逃がさないこと。

 景気よく音が響くようでは三流。

 一流は、響く音を出すだけのエネルギーすらも、対象を壊す力として使える。

 もちろん師匠のように達人じゃないが、それに近づけようと努力することができる。

 そのためのコツは、3つだけ。

 速く、強く、精確に。

 最短の時間に、最大の威力で、最高の精度で送り込むこと。

 

「ひぃっ」

 

 ビクンと全身を竦ませる。

 男の目には詩歌が死神のように見えたのだろうか、その顔はあまりの恐怖に歪んでしまっている。殴る以前に、気迫に気圧されている。極限まで見開かれた瞳は、焦点がブレて霧散している。

 

「テメェの能力を他人を傷つけさせる事にしか使えねぇっつうなら―――」

 

 怯んだ隙に雑念を消し拳に力を集中させるために、上条詩歌のとっておき――上条当麻の決め台詞を言う。

 

 

「―――その幻想をぶち殺すッ!!」

 

 

 上条詩歌の牙が剥かれた。

 力強い踏み込みから腰の捻りを加えた全身の力を込めた渾身の一撃を相手の腹に喰らわせる。

 

 パンッ、と。

 喰らわせた瞬間、時が止まったようになる。

 

 凄まじく練り込まれた勁に、さらにその拳に秘められた<風力使い>の暴風の塊が一点方向で解放される。

 男の顔が徐々に歪んでいく。

 

「ぐはぁ!!!」

 

 その衝撃音は小さく乾いていた。

 しかし、それとは裏腹に大柄な男を弾け飛び、とんでもない速度で床を転がり、派手にバウンドした末に通りの掃除ロボットに激突。

 凄まじい衝撃に壁面が潰れ、掃除ロボットは横転。

 男は掃除ロボットを抱きながら白目をむき気絶している。

 宣言通り一発で終わらせた。

 路地裏に静寂が流れる。

 

「ふんふむ、まだまだです。音を完全に殺し切れてはいません。……練度が足りないですね。……近いうちに師匠と組み手でもお願いしましょう」

 

 周りの人は、今の手応えに不満げなのか右手を見ている詩歌に恐れを抱き、おもわず後ずさる。

 その後、男は、女性を見ると怯えてしまうというトラウマができてしまった。

 

 

 

つづく


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