とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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絶対能力者編 偽りの寸劇

絶対能力者編 偽りの寸劇

 

 

 

病院

 

 

 

―――小鳥のさえずりが聞こえる。

 

―――陽射しの温かさを感じる。

 

―――ああ。あの夜に比べて、とても綺麗だ。

 

―――けれど、いつまでも眠っている訳にはいかない。

 

 

(ん……?)

 

 

目を覚ますと、病院のベッドの中にいた。

 

すでに夜は明け、窓からはさんさんとした陽の光が差し込んでおり、病院内特有の微かな消毒薬の臭いが漂っている。

 

 

「どうやら起きたようだね? いや、起こしたのかな?」

 

 

「……先生」

 

 

声がする方に顔を向けると、兄妹共に大変世話になっているカエル顔の医者、冥土帰しがいた。

 

 

「全治1週間だね? でも、3日で治ると思うよ? 君達、兄妹の回復力はすごいからね?」

 

 

冥土帰しは右手に携えたカルテに書かれた詩歌の容態を読み上げ、最後に呆れたように息を吐く。

 

見れば、両手両足には包帯が巻かれており、だけど、動かせる。

 

元々大人しいタイプではないけれど、可憐な乙女としては残念な事に、彼の言葉を証明してしまっているようだ。

 

しかし、もし病弱だとするなら、あの愚兄が常に心配しそうなので、それはそれで気が引ける。

 

幼い頃はそれでいつも彼に迷惑をかけていたと思う。

 

まあ、でも、付きっきりで看病してくれるのは、それはそれで嬉しいのだけれど。

 

あとでこのイベントに何もしなかった事を後悔するくらいにぐっすりと快眠してしまうのは間違いなく。

 

機会があれば、どんな反応するのか試してみようか、と。

 

 

「しかし、また面倒事かい? 本当に君達、兄弟はトラブルに巻き込まれるね?」

 

 

「いつも、すみません……それと、あの子は……?」

 

 

「ああ、別に僕は礼なんて求めてないよ? あと、あの子の足は大丈夫だよ? 僕が教えた通りに適切な応急処置がされてたしね? 3日もあれば完全にくっつくよ? まあ、足の怪我より体そのものに問題があるけどね? でも、それも調整すれば大丈夫だね?」

 

 

「そうですか……本当にありがとうございます、先生」

 

 

詩歌は9982号の容態を聞いて、ほっと安堵の溜息をつく。

 

 

「医者である僕は、誰であろうと患者を診ることが仕事だ。それでは、そろそろ失礼するよ? 君に見舞いの子がいるからね? 大人しくしてるんだよ?」

 

 

そう言い残し、冥土帰しは病室から立ち去った。

 

冥土帰しが立ち去った後でも、詩歌はしばらくその背に頭を下げ続けた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「うわっ、何これ!?」

 

 

上条詩歌の見舞いに来たルームメイトの鬼塚陽菜は病室の様子を見て、しばらく開いた口が塞がらなかった。

 

花畑のように部屋中に置かれている花束。

 

山のようにベットの横に置かれている果物。

 

陽菜は今朝、寮監に詩歌が入院したと聞いて、すぐにここにやってきた。

 

一番早く見舞いに来たつもりだが、この状態を見るにすでに先客が大勢いるらしい。

 

 

「あら、今度は親友を売り物にした陽菜さんですか?」

 

 

「し、詩歌っち……あれは本当に悪かったって……! ちょっと最後の盛夏祭だから調子に乗っちゃって……」

 

 

陽菜は開口一番の詩歌の皮肉に軽く凹む。

 

盛夏祭以来、顔を合わすたびに陽菜は詩歌に愚痴愚痴と弄られていた。

 

いや、最初は顔すらも合わせてもらえず、部屋から追い出されていた。

 

しかし、許可なく詩歌の個人情報を悪用したのは自分なので、詩歌の執拗ないびりにも涙を堪えて耐え続けている。

 

正直、そろそろ限界に近いが……

 

 

「許しません。あの台詞は当麻さん専用です。個人情報だけならまだしも、あの目覚まし時計はいただけません」

 

 

どうやら、詩歌の中では個人情報よりも目覚ましボイスを売り物にしたのが問題らしい。

 

 

「あれは将来、当麻さんに快適な目覚めを提供するために練習したものでしてね! どれくらいの音量、音程、さらに息遣いまで拘ったものですよ! その練習の成果を当麻さん以外の男性に使わせようとするなんて……全く、私を浮気者にするつもりですか!?」

 

 

あの目覚まし時計に収録されていた台詞は将来予定? している全て当麻との甘い生活を過ごす為に備えたものだったらしく、その成果を他の男性に聞かせるという事は当麻一筋の詩歌には許せないものらしい。

 

 

「い―――」

 

 

一瞬、『いくらなんでも、それは取らぬ狸の皮算用だと思うよ』、『あの程度で浮気者だなんて大袈裟な』などと陽菜はツッコミそうになったが、咄嗟に言葉を呑み込む。

 

当麻が絡んでいることに関しては、常識というネジが5,6本抜けている詩歌にそのようなツッコミを入れるという事は、藪を突いて蛇を出すどころか獰猛な熊を出すもので、もしやるつもりなら命を賭ける覚悟が必要である、と長年詩歌の親友である陽菜は心得ている。

 

 

「ごめん、本当にごめん! もう二度とあんな事しません。だから、許して下さい、詩歌様ぁ~!」

 

 

「ふぅー……仕方がありませんね」

 

 

凹んでいる陽菜の様子を見て、瞑想して息を吐く。

 

 

「見舞いに来てくれたんですから、“今日だけ”は親友として接してあげます」

 

 

とりあえず、詩歌は陽菜の謝罪を受け入れる。

 

やけに『今日だけ』という部分にアクセントをつけてはいるが……

 

当然、『え、今日だけ?』とツッコミそうになったが、『当麻っちに関する事で詩歌っちに逆らわない、これ絶対』と心得ている陽菜はただ沈黙を貫く。

 

 

「にしても、もう結構お見舞いが来ているようだね? 一応、一番に来たつもりだったんだけどねぇ~」

 

 

陽菜はもう一度、病室に置いてある大量の花束や果物を見て、感嘆の溜息をつく。

 

詩歌は事件体質ではあるが病院に入院するほどの大怪我を追う事は滅多にないことではあるが、こうも盛大に見舞い客が来るとは、流石の人望である。

 

 

「ええ、私も驚いてます。昨夜入院したばかりだというのに、朝早くから後輩の子達がお見舞いに来てくれました」

 

 

詩歌は後輩達が来た時の事をしみじみと思い出しながら語る。

 

 

「そういえば、皆さん緊張してましたね。……最後の子なんて、ただ服装の乱れを直しただけで気絶しちゃいましたし……慕ってくれるのは分かりますけど、先輩後輩なんですし、もう少しフランクに接してもらいたかったですね」

 

 

そう言うと、気絶した子を心配するように溜息を吐く。

 

 

(こりゃあ、『マリア様を見てる』の奴らだねぇ……)

 

 

陽菜はその話を聞いてその後輩達の正体に勘付いた。

 

『マリア様を見てる』とは、過去に、詩歌に悩みを解決してもらった事がきっかけで、お姉様と慕うほどの信者になった者が集まってできた秘密結社。

 

構成員のほとんどが内気な子であるためか、普段は詩歌に悟られないように隠れながら見守ることしかしてないので、外での行動、ブラコンや<幻想投影>の事まで知らない。

 

しかし、学校と寮内のことなら詩歌の行動をほとんど網羅しており、

 

今回の入院の件もルームメイトの陽菜よりも早く突き止めた。

 

 

(まあ、人の恋愛観は人それぞれだよねぇ……)

 

 

一時期、陽菜は、詩歌のルームメイトかつ親友ということでしつこく毎日、組織に勧誘された事がある。

 

組織の相談役として……

 

しかし、いくら詩歌によって恋愛に対する考え方が軟化しているとはいえ、根がまじめである陽菜は詩歌と百合百合しい関係なんて御免被りたかった。

 

やがて、詩歌には秘密という条件で諦めてくれたが、再び勧誘してくるかもしれないので『マリア様を見てる』の連中と関わるのを避けるようにしている。

 

 

「ま、まあ、流石<微笑みの聖母>だね、詩歌っち……それはそうと、何があったんだい? 寮監も心配してたよ」

 

 

「ええ、うっかり階段から転げ落ちてしまったんです。……夜遅かったですから、暗くて足元がおろそかでした……」

 

 

失態を恥じるように、赤らめた顔に手を添える。

 

 

「ふーん……本当かい?」

 

 

陽菜は自分と互角に渡り合える運動能力を持つ詩歌が階段で転んで怪我をするとなんて想像ができない。

 

猛禽類のような目で真偽を確かめるかのように詩歌の瞳を覗き込む。

 

 

「ええ、そうですよ」

 

 

しかし、鷹のような目で覗きこんでも、詩歌に動揺は見られず、ポーカーフェイスのように微笑んだままであるため、表情から嘘か真と判断する事は出来ない。

 

だが、喧嘩慣れしている陽菜は怪我の具合から明らかに転んでできたものではないと分かる。

 

それに詩歌は滅多に入院しようとはいしない。

 

医者が嫌いだという訳ではなく、ただ単に周りの人間、特に愚兄の当麻に心配させたくないからだ。

 

その詩歌が入院するほどの大怪我を負うとは………

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

しばらく、二人は何も言わず、ただ見つめ合う。

 

瞳に互いの顔を映し合う。

 

場に沈黙の空気が流れる。

 

 

「やれやれ……」

 

 

やがて、詩歌のポーカフェイスに根負けしたのか陽菜が口を開け、沈黙した空気を入れ替えるように飄々とした顔で笑みを浮かべる。

 

 

「じゃあ、私、掃除があるから帰るよ」

 

 

詩歌はなるべく一人で事を解決したがる性分だが、事の大きさから一人の手に負えないものかどうか判断できる賢さはあるし、そうと分かればすぐに助けを求める柔軟性があると陽菜は信じている。

 

だから、陽菜は詩歌が厄介事に巻き込まれているかどうかは半信半疑だが、これ以上は困らせるだけだと判断し、追求を止めることにした。

 

 

「ありがとうございます。師匠に心配かけて申し訳ないと伝えてもらえますか?」

 

 

「了解。じゃあ、詩歌っち、お大事に~」

 

 

そう言い残し、陽菜は軽く手を振りながら病室から立ち去っていった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「それでは一刻も早く実験に戻らなくてはとミサカは脱走の準備を整えます」

 

 

詩歌よりも重症なはずの9982号は起床するや否や、患者服で足にギプスが装着されているにもかかわらず、車椅子で病院から出ようとしていた。

 

 

「おそらくミサカのせいで実験に支障が来ているはずですとミサカは部屋の外に見張りがいないことを確認します」

 

 

9982号は部屋の外の様子を窺い誰もいないことを確認すると音を立てないように車椅子を前へ動かす。

 

その時、ふと腰の辺りに目をやり、

 

 

「ただお姉様から頂いたバッチがないのが残念ですと―――」

 

 

 

「それは病院の備品だから持ってかれるのは困るんだよね?」

 

 

 

ゲコ太のバッチをつけてあった腰の部分に手を当てた瞬間、後ろから制止の声をかけられた。

 

 

「ああ、そうそう探し物はこれかな?」

 

 

顔だけ後ろを振り向くとそこにはゲコ太のバッチをもったゲコ太と同じようなカエル顔の医者、冥土帰しがいた。

 

 

「残念だけど、君の怪我の様子を診るに退院の許可は出せないね?」

 

 

そして、冥土返しは9982号が行動を起こす前に車椅子の前に立ち塞がる。

 

 

「それと君の事情はある程度知ってる。……僕はね? 患者が欲しいものなら何でも揃えるつもりだけど、死に場所までは揃えないつもりだよ?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「しいか~、大丈夫?」

 

 

「詩歌ー、大丈夫かー?」

 

 

昼頃、病室の扉が開く音と聞こえてきたのは、インデックスの声と当麻の声だった。

 

 

「ん~……その声はインデックスさんと当麻さんですか?」

 

 

もぞもぞ、と。

 

2人の声に反応したのか陽菜が去ってから、昼寝をしていた詩歌が布団の中で身じろぐ。

 

 

「悪りぃな、昼寝中だったか」

 

 

「いえ、もう昼食の時間ですし、そろそろ起きるつもりでしたよ」

 

 

口元を隠しながら、欠伸をすると、笑みを浮かべて2人を迎える。

 

 

「ふふふ、インデックスさん、当麻さん、熱い日差しの中、わざわざお見舞いに来て下さってありがとうございます。それから、昨日の夕飯を作りに行けなくて申し訳ありません」

 

 

身体を起こして、二人に頭を下げる。

 

 

「いや、そんな謝らなくていい。つーか、あんまり、妹に家事を任せきりにするのは兄としてどうかと思ってたしな」

 

 

「そうなんだよ、しいか。とうまを甘やかしちゃダメなんだよ。あ、そういえば、とうまに料理を教えて欲しいかも。当麻の料理って、しいかのと比べると量も少ないし、おいしくないし、全然満足度が違うんだよ」

 

 

インデックスは当麻のことを批難の目で見つめる。

 

 

「ふふふ、そうですか」

 

 

全く、やんちゃですね、と母性溢れる笑みに―――

 

 

(まずい、このままだと折角の通い妻状態が……話題を変えないと)

 

 

一瞬、当麻は詩歌の笑みに黒いものが混じった見えた気がした。

 

 

「インデックスさん、そこの備え付けの冷蔵庫に皆さんから頂いたお菓子が入ってるのですよ。もし、お腹がすいているなら、どうぞ」

 

 

「本当なの!? 流っ石、しいかなんだよっ!!」

 

 

許可が出るや否や、インデックスは冷蔵庫から開け、中に詰まってる大量のお菓子に嬉しい悲鳴を上げる。

 

 

(よし! インデックスさんの方向修正はOK!)

 

 

「おいおい、あまりインデックスを甘やかすなよ」

 

 

「皆さんから頂いたお菓子の量がちょっと多くて、食べきれないなと思ってたんですよ。頂いたお菓子を残してしまうのもなんですし、それなら、インデックスさんに食べてもらった方がいいです。それに、私、インデックスさんが食べる時の幸せそうな顔が好きですしね」

 

 

詩歌は慈愛の笑みを浮かべ、インデックスの食べてる姿を微笑ましく見守る。

 

 

「それはそうと、当麻さん。ちゃんと、勉強はしてきましたか?」

 

 

「ああ、やってるよ。今日の分ももう終わってる」

 

 

記憶喪失になった当麻だが、知識に関する記憶は残っている。

 

けれど、妹に勉強を教わるなんて兄の尊厳に関わると考えた当麻は補習以外にも自主的に勉学に励んでいた。

 

だが、インデックスからの密告で、詩歌に知られてしまい、結局、(アイアンクローで強引に)詩歌の授業を受ける事になってしまった。

 

しかし、夏休みの宿題があるという事を当麻は完全に忘れていた。

 

詩歌も常盤台中学には宿題という概念がない為、うっかり忘れていた。

 

それが後に、(愚兄が)大変な目に遭うのだが、まあそれは置いておいて。

 

 

「それはよかったです。それなら退院したらテストでもしましょうか。あと、久しぶりに当麻さんと組手をしてみるのもいいですね」

 

 

「げ」

 

 

当麻は近々、兄の尊厳に大恐慌がくる事を予感がした。

 

今の詩歌が考えた予定を変更しなければ、次は学力差だけではなく、実力差も思い知らされるような気がした。

 

すでに、当麻の脳裏にはへとへとになった自分とその横で自分を介護している詩歌の姿が思い浮かんでいる。

 

 

「そ、そんなことより、怪我は大丈夫なのか?」

 

 

大恐慌を回避するべく、急いで話題を変え、今詩歌が考えた事を忘れさせようとする。

 

都合が悪くなると話を変えようとするのは流石、兄妹ともいえる。

 

 

「ええ、大丈夫ですよ。全治3日といったところですかね。……うっかり足を滑らせて階段を転げ落ちてしまうなんて、当麻さんではありませんが、不幸でしたよ」

 

 

「……そうか」

 

 

少し、詩歌の瞳を覗き込むと、財布から小銭を取り出す。

 

 

「インデックス、悪いが詩歌に飲み物を買って来てくれないか?」

 

 

「えー、とうまが買ってくればいいじゃん」

 

 

インデックスは食事を中断して、当麻を半目で睨みつける。

 

 

「ほら、あれだ。少し、兄妹2人きりで話したい事があってな」

 

 

「むぅ~、わかったんだよ」

 

 

しぶしぶ納得して、当麻から小銭を受け取る。

 

 

「絶対にお菓子食べないでよ」

 

 

「ああ、手つけないでおいてやっから、安心して行って来い」

 

 

そう言い残し、インデックスは病室から出て行った。

 

インデックスが出ていったのを見送った後、当麻は真剣な表情で詩歌に向きなおる。

 

 

「さて……詩歌……―――分かるな」

 

 

当麻は先ほどの陽菜のように詩歌と対峙する。

 

 

「はい……分かりますよ、当麻さん」

 

 

再び、病室に静寂の空気が舞い降りた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ケホッ」

 

 

『病弱な妹、上条詩歌は病院で入院している日々が幼い頃からずっと続いていた』

 

 

「え、な―――」

 

 

「あ、お兄ちゃん。今日はいつもより早いんだね」

 

 

『そんな詩歌の楽しみは、学校が終わると真っ先に妹を心配して毎日お見舞いしてくれる兄、上条当麻の他愛のない日常の出来事の話』

 

 

「お兄ちゃん、今日はどんなお話を聞かせてくれるの? 詩歌、毎日楽しみにしてるんだー」

 

 

早くお話を聞きたいとばかりに、詩歌は当麻のことを満面の笑みで見つめる。

 

 

「あのな、詩歌―――」

 

 

『当麻は、逸る詩歌を窘めて、まず日課の体調チェックを始める』

 

 

「あのー、話を―――」

 

 

「今日も平熱だし、体調は大丈夫だよ。……でも……」

 

 

いきなり、詩歌の笑みに影が差し、顔を俯けさせる。

 

一瞬、詩歌の目から一滴の涙が零れた―――かもしれないように見えなくもなかった。

 

 

『しかし、年々詩歌の体は弱ってきている。もう、幾ばくかの余命が残されているのか……』

 

 

「窓から見えるあの木のたった1枚の葉が、落ちる頃には、もう……」

 

 

窓の真正面にある鬱蒼とした木を見て、儚げな今にも消えてしまいそうな笑みを浮かべる。

 

ああ、悲しい事だが彼女の余命も―――

 

 

「夏だし、あの木、1枚どころか数えきれないくらい葉っぱがついてっから!」

 

 

「あ、ごめんね、変な事言っちゃって」

 

 

当麻のツッコミを全く聞いていないかのように話を強引に進める。

 

 

「いや、最初から変だぞ」

 

 

「それじゃあ……お兄ちゃん、いつもの……よろしくね」

 

 

ぽっ、と朱に染まる頬。

 

そう言うと、詩歌は顔を赤くしながら当麻に背中を向け、当麻に艶かしい色白な肌を見せびらかせるように患者服を開ける。

 

一瞬、甘い香りが当麻の鼻孔をくすぐる。

 

 

「え、何これ? どういう展開!?」

 

 

いつのまにか、机の上には濡れタオル一式が用意されている。

 

 

『ベットの上でしか生活できない詩歌は体調チェックが終わったら、当麻に全身を濡れタオルで―――』

 

 

「だああああああぁぁ!!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「何!? 何ですか!? 何でございませうか!? これ!?」

 

 

「はぁ~、全く、一体何ですか? 当麻さん、今の状況を活かして、『病弱な妹を看病する兄』というのがやりたかったんじゃないんですか? だから、わざわざインデックスさんを追い出したのかと」

 

 

服を整え終わると、詩歌は可愛らしく頬に小さな膨らみを作りながら不満そうな目で当麻を睨みつける。

 

 

「全然、ちげーよッ!! 一体何がどうなったらそんな結論が出るんだよッ!? つーか、ナレーションまで自分でつけやがって、どんだけだよ!?」

 

 

だが、不満というか不服を申したいのはこちらの方だ。

 

当麻は息を切らしながら、先ほどの寸劇に対して隣の部屋に聞こえるほどの大声でツッコミを入れる。

 

 

「最近、おまえの頭の中がどうなってるのか気になるよ」

 

 

記憶を失って初めて会った時は、真面目で大人しくしっかり者の印象を抱いていたが、ここ最近、当麻はわりかしはっちゃけてた印象を詩歌に対して抱いていた。

 

それに、割とオープンなので、悩ましい悩みの種が頭の中で大量生産されている。

 

 

「ふふふ、冗談です。すみません。当麻さんをからかうのが面白くて…―――ちっ……」

 

 

(結構、本気だったんですがね……)

 

 

詩歌の楽しそうな笑い声に、仕方ないとばかりに溜息を吐く。

 

一瞬、猛獣のようにギラッと瞳が光った気がしたが当麻は見なかったことにした。

 

ツッコミとスルースキルが日々進歩していく愚兄。

 

だが、それでも見過ごせないものがある。

 

 

「はぁ、楽しんでいただけて、お兄ちゃん、嬉しいですよ―――んで」

 

 

当麻は再び真正面から詩歌と対峙する。

 

 

「詩歌、本当は階段に落ちたんじゃないんだろ。一体、何があったんだ」

 

 

兄としての直感か、当麻は詩歌が嘘をついていることを見抜いていた。

 

そして、病室に入った時から、今の詩歌の微笑みに違和感を覚えていた。

 

 

「はて、何が起きたと言われましても……」

 

 

詩歌は先ほどと同じように鉄壁のポーカーフェイスを貫く。

 

 

「詩歌……俺はお前の兄だ。……だからな、お前が一人で何でも背負いこもうとする奴だという事は何となく分かる。そして、お前が今、悩んでいることも分かっている」

 

 

当麻の確信めいた宣言に、一瞬、詩歌のポーカフェイスに罅が入る。

 

 

「もう一度言う。俺はお前の兄だ。だから、大切な妹が悩んでたら、絶対に見過ごす事が出来ねーんだ。なんせ、兄は、妹を守るために先に産まれてきたんだからな」

 

 

当麻は、詩歌のポーカフェイスに罅が入ったのを見逃さなかった。

 

それが、ますます当麻の確信を強める。

 

 

 

「だから、お前の兄、上条当麻に相談してみやがれ! 妹を悩ませてる幻想なんざこの右手でぶち殺してやる!!」

 

 

 

当麻は微笑んでいる詩歌の顔に<幻想殺し>を突きつける。

 

<幻想殺し>に妹を守るという誓いを立てるかのように……

 

 

(全く、他の子のように誤魔化されてくれなければ、陽菜さんみたいに空気を読んでくれそうにありません。……それに…本当に…そんなことされたら……)

 

 

「――――甘えたくなっちゃうじゃないですか…反則ですよ……お兄ちゃん……」

 

 

当麻の右手に偽の微笑みは壊された詩歌は当麻から顔を隠すように俯き、当麻にも聞こえないような小声で呟く。

 

その顔は恥ずかしいようで、どこか嬉しそうな表情をしていた。

 

 

「言っとくが、話してくれるまでここから出ねーぞ」

 

 

詩歌は顔を見なくても、当麻が本気だと分かった。

 

この愚兄なら、きっと自分が倒れたら病院にまで乗り込んで看病しそうだと不思議と、そう思えた。

 

 

「勉強や補修は、どうするんです?」

 

 

「んなの後回しだ。あとで纏めてやっちまえば良い」

 

 

「……インデックスさんはどうするんですか?」

 

 

「インデックスなら姫神か小萌先生にしばらく面倒を見てもらう」

 

 

「はぁー……」

 

 

詩歌は今の当麻に絶対に敵わない。

 

例え、詩歌の方が、喧嘩が強くても、今の当麻には絶対に敵わない。

 

誰かを守るという信念を貫き通そうとする当麻に、詩歌は逆らう事が出来ない。

 

 

「……退院するまで、待ってくれませんか? まだ、情報の整理ができていないので……」

 

 

だから、誰にも、特に当麻には話したくなかった昨夜の出来事、絶対能力進化計画、<妹達>、御坂美琴、一方通行の事を話すことを……巻き込むことを決めてしまった。

 

とりあえず、は……だが。

 

 

「おう……わかった」

 

 

力強く頷いた当麻の右手に縋りつく

 

 

「それと……すみません。……少し右手をお借りします」

 

 

詩歌は悔しかった。

 

一方通行に負けたのも悔しかった。

 

計画を潰せなかったのも悔しかった。

 

だが、それよりも、今、こうして当麻に甘えてしまう自分の弱さがどうしようもなく悔しかった。

 

 

「……、」

 

 

当麻は何も言わず右手に縋りついた詩歌を左腕で抱きしめる。

 

演技を止めた詩歌はしばらく当麻の腕の中で溢れ出そうになる涙を必死に堪え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、インデックスさん……遅いですね」

 

 

「あ」

 

 

その後、当麻は迷子になったインデックスを捜すことになってしまった。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

(私のせいで……<妹達>が……詩歌さんが……)

 

 

御坂美琴はあれから寮にも帰らず、ただぼんやりと人込みの流れを見ていた。

 

絶対能力進化計画のことなど何も知らなかった昨日までの過去の日々を思い返しながら……

 

 

「久しぶりね」

 

 

「アンタは……」

 

 

美琴の目の前にこの地獄を知るきっかけになった人物、布束砥信が現れた。

 

 

「ベンチで夜明かししてる不良少女がいると思えば……regrettable計画を知ってしまったようね」

 

 

布束は感心したように溜息をつく。

 

 

「しかも、第1位に深手を負わせ、昨日の実験を中断させたなんて……あなたのこと、過小評価していたのかしら?」

 

 

今朝から、密かに第3位が第1位に引き分けしたという噂が広がっていた。

 

その真偽はともかく、『昨夜、常盤台の女子学生、おそらく<超電磁砲>が<一方通行>と戦闘を行い、互いに深手を負い痛み分けした』というのが噂の内容である。

 

 

「………違う…私じゃない…私がやったんじゃないっ!!」

 

 

布束の言葉を、その噂を否定するように美琴は布束に掴みかかる。

 

 

「私は…私はっ! ……ただ…ただ…――――」

 

 

深手とは言わないまでも、一方通行に怪我を負わせ、実験を中断させたのは美琴ではなく、詩歌だ。

 

美琴がやった事は、あの後、9982号と詩歌を病院に送り届けたこと……

 

それと、一方通行に立ち向かう詩歌をただ見守っていただけ……

 

震えながら二人の戦闘を……

 

 

「――――……見ていただけ…」

 

 

―――なんて無様だ。

 

 

何もできなかった、相手にもされなかった、あの時の無力感が甦り、掴んだ手を放してしまう。

 

 

「……何で…何で、あんな事が出来るの……?」

 

 

力なくへたり込んだ美琴は顔を俯かせながら布束に問い掛ける。

 

 

「Level6何だか知らないけど、大勢の人を殺してまで、手に入れたいものなの? あの実験に関わっている人間、皆イカレてるわ」

 

 

布束は掴みかかられてできた服のしわを直しながら、その問いに答える。

 

 

「どこかイカレているっていうのは否定しないけど、理非善悪を言ってるのなら、話が変わるわ。例えば、ある治療薬の開発にモルモットを2万匹も犠牲にする必要があるとしたら………」

 

 

モルモットなどの実験動物の尊い犠牲を通じて、研究者たちは数々の生命現象を解明し、医療や医学などを発展させてきた。

 

 

「屁理屈に聞こえるかもしれないけど、彼女達はLevel6に至る為の人工的に製造された実験動物にしか過ぎないの。彼女達の命の重さとモルモットの命は同じ、少なくても、研究者たちはそう考えてるわね」

 

 

美琴は、布束の言う事は理解できる。

 

 

「もちろん私利私欲でやっている者もいるし、本当にネジが外れてる者も少しはいるわ。でも、彼ら研究者に殺人を犯しているという認識はないの……私もそうだったから……」

 

 

<妹達>と一方通行の会話を聞き、彼女達は自身の命を絶対能力進化計画に捧げる事になんら躊躇が無い事が分かってしまった美琴は、彼女たちを実験動物だと見なす研究者の非常識な思考が理解できてしまう。

 

絶対に許されないものと思いつつも、彼らの思考に理解を示してしまう。

 

 

「アンタがマネーカードをばら撒いていたのは実験を妨害する為だったんでしょう? ……計画に加担していたのに何で……?」

 

 

「そうね…―――」

 

 

布束もかつて<妹達>を実験動物の一種だと見なしていた。

 

しかし、絶対能力計画に呼び戻された時、<妹達>と出会い、会話し、そして、<妹達>が初めて外に出た時の世界に対して感動の言葉を聞いた布束は自分よりも人間らしいと思ってしまった。

 

それからは、<妹達>を実験動物だと見なす事が出来なくなってしまった。

 

 

「―――我ながら単純だと思うけど、あの時から私は彼女達を造り物とは思えなくなってしまった。世界が歪んだ醜いものにしか見えてなかった私よりも彼女の方がずっと人間らしいと思ったから……」

 

 

だから、布束は一つではなく一人の命を救うため、絶対能力進化計画を止めようとしている。

 

 

「あなたは……彼女達をどう見るの?」

 

 

「私が……」

 

 

美琴はまだその理論的な思考が、布束みたいにクローンを人間として見る事が出来ない。

 

しかし、9982号と過ごした時間が、美琴に<妹達>のことをクローンとは思わせなくしている。

 

自分のことをお姉様と慕ってくれた<妹達>を実験動物とみなすことを出来なくさせている。

 

 

「関係ない。……私が彼女たちをどう思うかなんて関係ない。―――でも、ひとのDNAマップをくだらない実験に使う奴らを見過ごす気は全くない」

 

 

自分のせいで……自分が迂闊だったせいで、殺される為だけに<妹達>が産み出されてしまった、<妹達>の屍の山を造り上げてしまった。

 

 

「私が撒いた種だもの。……誰の…詩歌さんの手は借りない。……自分の手で片をつけるわ」

 

 

<妹達>が産み出されてしまったのは、自身の責任。

 

だから、詩歌を巻き込むわけにはいけない。

 

これ以上、姉に自分の尻拭いをさせるわけにはいかない。

 

 

「素直じゃないわね。計画の関連施設は20を超えるわよ。ひとりでやるつもり?」

 

 

詩歌は絶対に、この計画を潰そうとする。

 

だから、詩歌の怪我が治るまでにこの実験を自分の手で終わらせなければならない。

 

 

「私を誰だと思ってるの?」

 

 

美琴は、一方通行には勝てない。

 

なら、この馬鹿げた計画を壊せばいい。

 

詩歌が退院する前に、この計画に関わっている全てを潰してしまえばいい。

 

もう絶対能力進化計画に関わっている施設の調べはついている。

 

御坂美琴の孤独な戦いが始まった。

 

 

 

つづく


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