とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
幻想御手編 幼馴染の放課後
学者の園
学園都市の一角、<
『外』から隔離された学園都市で、さらに外界から隔絶されたこの区域は、内から紹介状がないと門前払いを食らい、それ以前に性別が男であるなら誰であろうと一歩も入ることが許されない秘密の花園。
そこに集まった5つのお嬢様学校の代表格が、常盤台中学が……
そう。
どんなに厳重な検問が敷かれていようと、カメラには映ってしまうが、私の能力が“人目を引く”ようなことはない。
堂々とゲートを通り、そして、見つけた。
スタンガンに、最低一週間は落ちない特殊インクのマジックペン。
向こうは二人のようだが、最初の不意打ちが決まれば、残る一人はパニックになってる間にやる。やれる!
大丈夫だやれる。レベルアップした今の私なら、常盤台のお嬢様だって!
私の彼氏を奪った、常盤台のお嬢様に近付く。この姿は認識できないはずで、そして、足音もなるべく抑えて。スタンガンを取り出し、その背中に向けて、スイッチを入れた瞬間―――私の天地がひっくり返った
「ふんふむ。透明になるのではなく、相手の認識を阻害する能力ですか」
「どう、して……何で、<
何故、私が倒れているの、と。
何時、私の位置を認識したの、と。
何で、私の能力を知ってるの、と。
重福省帆の一言に集約した問いかけを、正しく察するターゲットは言う。
「敏感肌なんです、私」
「ええ、確かに敏感肌でしょうね」
もっと詳しく語るのなら、AIM拡散力場をコントロールできずに波動を駄々漏れにしてる時点で感知可能である。
そして、男女問わず好まれる姿勢の良い『あの不幸少年に十年以上も付き合ってきた』彼女は、二重の意味で立ち姿にも隙がない。
「とりあえず、まずはその危ないモノを没収、狙いが詩歌さんで助かりました。はい、美琴さんパス」
「ほいっと、キャッチ。ま、私が狙われてても効かなかったけど」
手首を捻って、落としたスタンガンを最初のターゲットと付き添っていた子に投げ渡す。
「それで、あなた……あら?」
背後からスタンガンを突き出した手を捕えたまま、小手返しで投げ転ばして、寮監譲りの捕縛術が極まった、頭に二つのお団子を作る少女の前髪はその眉が隠れるほどの長さだったが、今は乱れて、額があらわとなってる。
小さくて、太い眉が。
「っ! これだから常盤台の連中は! ええ、笑いなさいよ! 笑えばいいわっ! あの人みたいに!」
「あの人?」
止まった目線から相手がどこを見ているのかを察した重福はすぐにもう片方の手で隠して、泣き崩れる。
「なによ。どうしたの。さあ、笑いなさいよ!! 彼みたいに変だって言って」
極めていた手を解き、地面に倒れた際にスカートについた砂埃を払いながら、
「……いいえ、笑えませんよ」
と、ため息をついた。重福は眉を怒らせて、目を剥いた。
「なに、笑えないほどひどいってこと。わたしだって……」
「いや、私が言ってるのは眉のことじゃありません」
詩歌は首を横に振った。
「え?」
「あなたのことですよ。彼氏にバカにされて、辛かったんでしょう。こればっかりは私は何も手出しできませんが―――浮気は、許せるものではありません」
バカにせず、どころか思った以上に親身に真摯に。特に最後のあたりの真剣さは、とある男子高校生に悪寒を覚えさせたほど。
それに虚を突かれたように重福は呆けた。みるみるうちに表情が硬くなる。
感情を抑えるような、低い声で呟いた。
「私は、常盤台からの、同情なんか要らない。……彼のことだって、もうどうだっていい」
「いえ、どうでもよくありません。あなたの気持ちを踏みにじられて、傷ついた……それは、間違いないことです。そんなウソをつくことはないんです」
詩歌は静かに語りかける。重福省帆が怯むのがわかった。
「わ、私はウソなんか……」
「そんな強がりなんか言わなくても、普段のあなたと関わりのある人間はここにはいない。バカにする人間もいません。もしいるなら、私が黙らせてあげます。……だから、少しだけ、素直になってみませんか?」
重福は歯を食いしばって、ぶるっと肩を震わせた。
「もうおしまいよ。何を話したって意味がないわ」
「まあ、大して役には立たないでしょうが」
と、詩歌はあっさり頷いた。
「でも、誰かに話すだけでも気が楽になります。何かの役に立つことを抜きにしても、胸に溜まってることがあるなら、私は何でも聞きます」
彼女はぼろぼろと涙を流し始めて、語った。
春。
麗らかな日差しに微睡ろんでいた私は、彼と一緒に育むこの幸せが永遠に続くものだと無邪気に信じていた。
けど。
春は終わった。
唐突に。
―――どうしてっ! そんなに常盤台の娘がいいの! と、問い詰める私に、彼は言った。
そんなつもりはない、と。
―――なら、なんでっ! とさらに問い詰める私に、彼はこう答えた。
だって、お前の眉毛変じゃん………………………って。
「私を捨てたあの男が憎い!
彼を奪った常盤台の娘が憎い!
そして、何より。
―――この世の眉毛全てが憎い!!
だから、みんな面白い眉毛にしてやろうと思ったのよ!!」
こちらを置いてけぼりにするほど、自らコンプレックスを語る厚い、訂正、熱い主張。
それを全て聞き受けた後、詩歌は丁寧にハンカチでその涙をぬぐい、
「別に直す必要なんてありません」
「え……?」
「男のために自分のチャームポイントを無くしたって、後々で無理が出ちゃいます。折角、こんなにも可愛い眉なのに」
そのままそっと太眉をなぞる。
「………」
「だったら、今のあなたを今のあなたのまま好きになってくれる相手を見つける方がずっと幸せ、私ははそう思います」
最後に眉間から、鼻先へ、ちょん、と押す、
「でも、それでも、諦めきれないなら、意地でもその人を惚れさせちゃいなさい」
ぽぽぽっ、とスイッチでも押されたように重福の顔が真っ赤に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これ
会うたびにアフロを勧めてくる人だけど、それさえ除けば、オススメです、と道端であるが親身に相談する幼馴染。
幸い初犯で、その事件も起きる前に完封だったので、<風紀委員>に報告することもなく、まあ、勝手に<学舎の園>に不法侵入したのは問題だがその程度はどうにかなるが、説得された彼女は自分の足で自首するようだ。
さて、
「あちゃー……」
詩歌がいきなり動いた所から、<
幼馴染は昔から既に習慣づけられたものなのか、特に意識せずに微笑んでおり、そのスマイルポーカーフェイスの猫の皮の厚さは超電磁砲さえ撥ね退けるような超合金並みに強固なのだ。
その尋常でない強度をもつ仮面の下の素顔を見通すことは、よほどの慧眼の持ち主でなければ困難だ。少なくても、会ったばかりの女子中学生には無理な話だ。しかも熱耐性が半端なく、微笑みを保ったまま怒れるのである(もちろん、その笑みさえ消える方が、怖 い)。彼女の母親である詩菜さんが、自分の母の美鈴とのトラブルでその夫に怒ったところを見たことがあるが、美琴は齢五歳で笑顔が恐ろしいものだと、ついでに『この母にして、この娘ね』と上条(旧姓竜神)の女というものを知ることができた。
しかしながら、『私が笑ってるだけで、幸せになれる、って言ってくれた人がいるんですよ』とか言って、本当に幸せそうに笑っているのだから、実はウラオモテもない(腹の中は黒いと思うが)。
とにかく、大抵の人間にとって幼馴染の感情表現は、淑やかでたおやかで清楚な大和撫子とこの常盤台中学でも教本に載せられるほどお嬢様の理想を体現したものに見えるのであって、俗に“一目惚れ”と呼ばれる現象を起こすほど一撃必殺クラスの破壊力を秘めている。
「? 重福さん?」
被害者が今日も一名追加。メイド見習いの土御門舞夏がふざけて、これを『カミやん病』だと言ってる。ぶん殴られたり、説教されたりされた相手が感染するといい、そして、感染源当人にその自覚なし。詩歌に目と意識を奪われボワッとしていた重福は、
「あら……? それほど地面に強く投げ倒してないと思うけど、大丈夫?」
「はい?」
心配そうに詩歌にそのブレブレな、ボレボレな焦点を覗かれて、ようやく重福はトリップした夢の世界から引き上がって来る。
「うん。反射的にやったことだから、頭とかもしかして打ってるかもしれないし、それに、何か、AIM拡散力場が、妙……」
意味こそわからないが、その“自分を”見ていることが、意識に浸透して、重福は慌てて目を正面に向けた。彼女の視線の先では、詩歌が少し真剣な顔で、それでも優しく微笑んでいた。
(こんなにも、私を思って……)
最初は憎し常盤台のお嬢様だったはずなのに、この胸のときめきはいったい……!
「これは、病院に送った方が……」
「いえ、普通に詩歌さんが離れれば治まると思いますよ」
これは相手のことを想っているからのことだし、今日は<風紀委員>が忙しいようで誘えずに『くぅ~! お姉様方と過ごせる好機だというのにッ! 初春が風邪でそのぶん私に仕事が回される羽目になるなんて! こうなれば、この黒子、一秒でも早く書類を片づけて、お姉様の元に
「……あの、上条おね――上条先輩とお呼びしてもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。でも、下の名前で呼んでくれた方がうれしいわ」
「そ、そんな、いきなり名前で呼べだなんて……」
重福の目は熱に浮かされたように潤んでおり、声も少しかすれている。具合が悪くなったのか、と詩歌が不安を覚える変調ぶりであったが、美琴はそこにかつてのルームメイトの姿を重ね見ている。アレも最初こそ初々しく大人しかったが、かなり熱しやすい性質。そろそろ止めないとまずいだろう。
「詩歌先輩、今日出会えて、人生が、変わりました」
「ふふふ、そうですか」
重福の熱い眼差しを、先輩の余裕で詩歌が受け止める。
(普段はあんなに鋭いのに詩歌さん、こういうのには鈍感なんだから、全然無警戒と言うか……今日は、私に付き合ってくれるって約束したクセに……)
わりと見慣れている光景ではあるが、言葉にはし難い感情――例えるなら、不満と苛立ちをブレンドしたような感情――が、胸の中でグルグルと渦巻いているような、そんな不快感を覚える。
「(そんなにその娘のことが気になるなら、その娘と付き合えばいいじゃない……)」
―――って、待ちなさい私、いま、何を言った?
なんなんだろう? これじゃまるで、嫉妬しているみたいじゃない?
いや……それは、別々だった小学校時代に卒業したはずだし……それに、私は黒子や薄絹さんとは違って、女の子同士のアレな関係はお断りなはず。いや、本当、幼馴染が男だったら……まあ、とにかく。
つまり、これは他所ん家の犬を可愛がっているご主人様を見て、何かイライラしている飼い犬……みたいな?
―――いやいやいや、これも違う。私は決して、ツンデレ忠犬キャラじゃない!
あー、もう! 流石に自分でも変な感情だとは思うけど、イライラするのは事実なのだから仕方がないし、いっそ後でガブリと噛みつく代わりにビリッと電撃を当てればこっちに……
―――だから、何を考えてんのよ御坂美琴!
と、葛藤する、または異性でなくてよかったと安堵している内に。
「あの、お手紙、書いてもいいですか?」
「うん、(何か様子が変ですし、その妙なAIM拡散力場について心配なんでしょう)。どんな些細なことでも構いませんよ」
熱っぽい視線に崇拝を通り越した何かが混ざり始めるに至り、それに気付かずにどこか擦れ違いながらスルーする幼馴染に、美琴は手遅れを悟った。
道中
灼熱の太陽が徐々に顔を見せ始める今日この頃。
冷房の良く効いた安住の地を亡者たちが探し出す今日この頃。
夏の色が濃くなる光線が、第七学区の全域にまんべんなく降り注ぎ、真っ白な眩しさとなって跳ね返る。その反射光は無数の銀粉をまぶしたかのごとく、際限なき輝きに満ちている。
「んーーっ、今日も授業おわったぁ!」
放課後になり、若々しい黒の長髪を持つ活発な少女、佐天涙子は凝り固まった体を背伸びしてほぐし、頭が花畑で、今日は風邪をひいてマスクをしている友達、初春飾利に声をかける。
「もうあと一ヶ月でついに夏休みだねっ!」
佐天はもうすぐ始まる夏休みに想いを馳せる。
中学に来てから初めての自由な長期的休暇。
『宿題』の二文字に目を瞑ればこれほど嬉しい事はない。
楽しい時間はあっという間に過ぎると言うからしっかり綿密に計画を立てねば、それとも行き当たりばったりでも、それはそれであり。
「それで、放課後にセブンスミストにいかない?」
「そうですねぇ……」
佐天に誘われ、初春は少し考える。
普段、放課後は<風紀委員>の活動にあてているが、今日は風邪だから休みなさい、と先輩の固法美偉に言われている。
中々都合がつかず、急な呼び出しで一緒に遊べても途中で抜け出さないといけない。
けれど、風邪はしっかり治さないと―――
「初春っていっつも似たような下着だし、夏に向けて新しいの買わないと! ほらっ!」
ばっさぁっ! とめくれあがる長めのスカート。そして、ほんの一瞬だけご披露されるあの子のスカートの中。
「!? ? ……ッ!!」
「うーん、今日は淡いピンクの水玉かー。5日前と同じ、ローテーション組んでる?」
「だっ、男子もいる往来でこの暴挙ッ!? 何するんですか佐天さんっ!!」
「ほら、親友として初春がちゃんとパンツはいてるか気になるし」
「はいてますよ佐天さん!」
「ごめんごめん。ちょっと調子にのっちゃった。お詫びにあたしのパンツ見せよっか?」
「結構です」
「じゃあ、あたしがパンツを買ってあげよっか? ド派手なひらひら」
「それも結構ですっ!」
「そっかぁ、でも、初春。同じのばっかりはいてるのは、すっかり女を捨ててるなーって思われちゃうよ」
「わかりましたっ、行きますよっ!」
風邪もそれほど大したものではないし、たまには息抜きもいいだろう。
今頃自分の分も代わりに働いている同僚には悪いけど、何かお土産で―――
「―――あ!! 御坂さーん!!」
その時、知り合いでも見つけたのか初春は子犬のように手を元気よく振りながら声を張り上げる。
つられて、佐天も初春と目線のベクトルを合わせる。
「ん? お……」
その声で気付いたのか向こうで佇んでいた女性がこちらに振り返った。
見た目麗しく、化粧がいらない程度に整った綺麗な顔立ちで、肩まで届く短めな短髪に花飾りのヘアピンをつけた女の子。
自分と同じように活発な雰囲気を窺わせるが、どことなく世間一般とは一線を引く浮世離れしたものも感じさせられる。
そして、彼女の制服を見て佐天は納得する。
あれは、“昨日見たものと同じ”、あの五本指のエリート校の常盤台中学のものだ。
しかしながら、その制服を着たお嬢様は、意外にもフレンドリーな感じで片手を上げて、
「おっすー、初春さん! そっちはお友達?」
「はいっ! これから一緒に洋服を見に――――」
ぐいっと。
佐天はそんなエリート校の人に気軽に話しかけている友人、初春をこちらに引きずりこむ。
初春はお嬢様に憧れて(または勝手な妄想をして)はいたが、実際は佐天と同じ普通の中学を通う、普通の女子学生のはず。
そう、お嬢様ではない。
だとするなら、一体どうやって、どのような繋がりで、
「ちょっと! あの人常盤台の制服着てんじゃない! 知り合いなの?」
「ええと……<風紀委員>の方で間接的に紹介されて……しかもあの方は、ただのお嬢様じゃないんですよ」
初春は自慢げな顔をして指をチッチッと振る。
「Level5!」
「Level5!?」
Level5――この学園都市で現段階の能力者たちの最高位。
そこで、クイズ番組で司会が回答者に答えを言う前に溜めを作るよう、一拍置き、初春は勢いよく彼女に手を差し向け、
「それも学園都市最高の電撃使い、あの<
「ウソ……まさかあの<超電磁砲>?」
7人いる超能力者はそのほとんどの個人情報は厳重に秘匿されているが、その異名はあまりに世間に知れ渡っており、佐天も聞いた事がある。
Level5序列第三位、<超電磁砲>の御坂美琴。
常盤台中学でも2人しかいないLevel5の内の1人で、『常盤台の
しかも、Level1からLevel5へと上り詰めた稀有な例で、よく自分達のようなLevel0にはお手本にしなさい、と学校の教員からよく言われている。
学園都市では能力者たちの看板と言ってもいいくらいに、かなりの有名人であり、その通り名ともなった必殺技は、
「そうですよ。私、こないだ生で見ちゃいました」
理屈はリニアモーターカーと同じで、超強力な電磁力でゲームセンターのメダルコインを音速の3倍で放ち、特攻してくる車を軽々吹っ飛ばす超電磁砲。
見た目はただ指でコインを弾いているようにしか見えないが、多くのファクターを同時制御し、複雑な計算や高度な能力制御が、それも難なく、弾いたコインが落ちるまでの間にこなしている。
「逃げようと車を走らせてくる相手に、御坂さんはたった一枚のコインを弾いて―――レールガン!」
よく、超能力者は一人で軍隊と同じ戦力を有していると噂されるが、艦載兵器クラスの破壊を自分たちとそう年の変わらない女子中学生が腕一本の片手間でできるのだというのだから、その話もあながち嘘ではない。むしろ、それ以上かもしれない。
あの銀行強盗犯を一蹴したその力。
初春はそのときの光景を身振り手振りを交えて語る。
おかげで佐天にもその時の感動が伝染してしまったようで、その溢れる気持ちにおもわず美琴の手を握り締める。
「あのっ……あたし佐天涙子です!! 初春の親友やってます!!」
「そ……そう、よろしくね」
佐天の勢いに若干押され気味ではあるものの美琴は佐天の握手に応じる。
「いやー、本当、常盤台ってなんかオーラが違います。この前会ったんですけど、何かただの高位能力者とは違うというか」
「そうなんですか、佐天さん」
「相手のウソをズバズバ暴いて、Level4の能力者を華麗な蹴り技で撃退! みたいな。結局後ろ姿しか見れなくて長く綺麗な黒髪をリボンで結んでる人なんですけど、もしかしたら、彼女が都市伝説に出てた『能力を使わない能力者』、またの名を―――」
「あ、それってもしかして」
と、その時、もう1人、向こうから常盤台の制服を着た人が手を振りながらやってきた。
「美琴さーん、お待たせです。無事、重福さんを近くの<警備員>に―――あら、そちらの方は?」
声につられて振り向く。その先に視線を転じた時、佐天はどきっとした。
木漏れ日のシャワーを浴びながら早足で駆け寄る。学園都市で誰もが知る第三位の御坂美琴と同じ、常盤台中学の制服。その彼女の全身がぼうっと光り輝いて見える。透明感を備えた白い肌は強くなる日差しにも日に焼ける痕はなく、微風にそよぐ長い髪も柔らかい質感が見て取れ、優雅そのものだった。
そして、
(……まるで聖母のような微笑み……)
佐天はその少女の笑みに目を奪われ、心まで奪われそうになる。
もちろん佐天は『聖母』と呼ばれる存在にあったことはない。頭の中にそんな言葉が自然に浮かぶほど、彼女の姿は現実離れしたものとして佐天の目に映ったのだ。今彼女の前で儚げな笑みを浮かべた先輩ほど美しい女性を見たのは初めてだ、と佐天は感じた。
そして、ああ、その腰の辺りに揺れるリボンはもしかして―――
「―――あの人、のようね」
佐天が向こうからやってきた少女の微笑みに見惚れてると美琴が両者の紹介をする。
「えーっと……花飾りをつけている方が黒子の同僚の初春飾利さんで、こちらがその友達の佐天涙子さんで、そしてこちらが私の先輩で幼馴染の上条詩歌さんです」
「よろしく、佐天さん、初春さん。ふふふ、何か悩みがあったら相談してくださいね。先輩として力になってあげますから。それから、私のことは詩歌、と名前で呼んでください」
詩歌、と呼ばれる少女は再びあの誰もが見惚れるような微笑みをこちらに向ける。
それを見ていると、どこか心が安らぐ……
そして、その声は昨日と同じもの。
「それで、佐天さん、あなた昨日の……?」
「やっぱり、あの常盤台のお嬢様って、詩歌さんだったんですね!」
「うん、詩歌さんも覚えてます。昨日の今日で会えるなんて、本当に奇遇です」
と、そこで初春が何かを思い出したように、
「あ! あの時の婦警さん!」
婦警?
佐天は首を傾げる。
確か学園都市の治安維持は<風紀委員>と<
しかし、向こうもそれで通じたのか、ああ、と確信の声を上げる。
「あの時の女の子が、初春さんでしたか。ふふふ、<風紀委員>にはなれたようですね。おめでとうございます。固法さんからも話を聞いてますが、大変優秀なオペレーターだとか」
「え、えへへ、どうも、ありがとうございます」
初春は折り目正しく――以上に前屈するかのように頭を深く下げて、一礼。
御坂美琴に身体ごと顔を向けて挨拶したのは、まだ一度の遭遇で耐性ができたからなのだろうが、上条詩歌に一礼してからも頭が下がりっぱなしなのは―――どうやら、(舞い)上がってしまわないように、ということだろう。自分のことを覚えていた詩歌に褒められている最中、右左と微妙に視線がぶれて、奥歯を噛み締め全身に力を込めていたことから見て、間違いない。
初春は、お嬢様に変に憧れを抱いていて、この場でタイでも直されたら卒倒する可能性もある。
だが、どうやら2人は以前どこかで出会った事があるらしい。
しかし、婦警?
一体、何のこと?
うん、気になる。
そんな考えが佐天の顔に書いてあったのか、詩歌はさらりとその疑問に答える。
「<学舎の園>って、色々となりきりで職業体験ができるんです。<警備員>何か本物とほとんど同じ装備品も借りれちゃうんですよ?」
「いや、婦警の体験職業はありませんから。それは、詩歌さんの
「ええ、そのきっかけは、美琴さんがまだ5つの時に、魔法少女に会いたいって、お姉ちゃんにおねだりするから仕方なく―――「初対面で挨拶みたいに人の
跳びかかって詩歌の口を押さえようとする美琴の顔は、目じりの辺りがすっかり赤くなっている。本気で恥ずかしいのだろう。
けれども、その普通の無能力者一般人と何ら変わりない、凝り固まっていた超能力者のイメージを崩すようなその意外な反応は親しみと、それからこの二人の関係がなんとなくだが大まかに察しがついた。
その後、初春から話を聞かせてもらった所、初春の同僚の<風紀委員>の教官を務めた事があるそうで、その時にちょっとした事件を解決したそうだ。
閑話休題
「それでお二人はこれからどちらに?」
話を元に戻し、会話を再開。
しかし、その微笑みに真正面に捉えられてしまい佐天と初春は詩歌の質問に答えられず、ぼーっと呆けてしまう。
嫉妬や羨望の感情は一切ない。思えば、あれだけ常盤台のお嬢様に敵意を抱いていた重福もそう。
嫉妬すらも感じさせないのは、そう言った無粋な気持ちを洗い流す、彼女の清涼な雰囲気のおかげだろうか。
「うん? また、重福さんみたいに―――」
「二人はこれからどうするの?」
詩歌がそんな様子の2人を心配したのか、もう一度、声をかけようとする前に、無理やりに美琴が奪う。一日に何人も被害者を作るようなら、幼馴染は街へ出歩かせること自体が危険指定になる。
「あっ、はい」
二人の意識の焦点がすぐに美琴へ移ったことで、ようやく空気を読み始めることができたのだろう。
「す、すいません、ぼーっとしちゃって! え、えーっと、これから私と初春はセブンスミストで洋服を見に行こうかと……」
「あら! それなら私たちもご一緒してもいいですか。美琴さんもそれでいい?」
「そうですね。私もそろそろ新しい服を買いたいですしね」
これ名案、とばかりに両手を合わせて素直に喜びの表現をする詩歌に美琴も賛同する。
でも、と佐天初春の二人は顔を合わせて、
「もちろん大歓迎!! ……ですけど」
「あたしらが行こうとしているのフツーのチェーン店ですよ? 常盤台の人が行くような所じゃ……」
セブンスミストはごく普通の服屋。
値段もお手頃価格で品揃えも豊富。
しかし、お嬢様のような方達にはちょっと格式が合わないと言うか……
と、思っていたのだが、お嬢様二人は気安い感じで、
「いや……あんまそーゆーの関係ないわよ。ウチって外出時が制服着用が義務付けられてるから服にこだわらない人結構多いし」
「それに私たちは別にお嬢様というわけではないですよ。……私もよく近所のスーパーにはお世話になっていますし。マンガを読んだりしますよ」
「そうなんですか? マンガを読んだり、ゲームとかしたりしたらバカになるって言われそうだなーって思ってたんですけど」
「そんなのは、子供のころにマンガを読まなかった勝手な大人の言い分でしかありません。まあ、重いしかさばるからって、コンビニで立ち読みするのはまだしも、付録つきで包装されているのを無理やり読もうとするのは迷惑だから遠慮した方がいいと思いますけど」
「ぎくっ」
「マンガを読めば、マンガを好きな子と共通の話題ができる。それはとても重要なことです。もしかしたら、そのマンガ好きなこと友達になることで、今までになかった世界が見えてくる可能性もある。同じ趣味を通じて知り合った友達って、思っている以上に大切ですし、十年後も友達で入れるだろうなって人間を見つけたいときに、マンガって結構便利なツールでもあります。だから、とても無駄とは思えない。
ゲームも科学雑誌で、目と指と音のマルチタスクで脳の部位にプレッシャーを与えることで、一種のハロー効果が齎され、認識制御に良い影響が生じるんです。高齢者でもゲームをしていれば、記憶や感情の制御を司る前頭葉が活発になり、ボケ防止にもいいんだとか。それに今はオンラインで世界中の人と知り合えます。
無駄だなんて思えるようなものを見つける方が難しい、あなたと出会えたこの一瞬こそが大切だ―――なんて、あの最初の大きな爆音のあとに続く、
「えっ! 一一一知ってるんですか!?」
意外な真実に驚く。
最初は初春の認識の中では、常盤台のお嬢様は平凡という言葉とは最も縁遠い存在で、秘密の花園で一日数回も優雅にお茶をしたり、そのBGMも専属の奏者が楽器を演奏したり、鈴を鳴らしただけで執事やメイドが現れ用件を聴いたりしている方が余程相応しいし、むしろそうであってほしい、というのが見解だった。
であるが、詩歌の話を詳しく聞けば、彼女が良く頻繁にスーパーなどを利用しているのが分かったし、自分らと同じように自炊もこなせるのだそうだ。
むしろ細々とした節約術や苦労話を聞いてみるとお嬢様と言うよりは、熟練した主婦といった風格をも覚えさせられる。
案外、気兼ねなく付き合えるかもしれない。
そんな事を考えながら、佐天達はセブンスミストへ向かった。
公園
『残念ですが、当麻さんは、優しいかわいい妹をお持ちなのに乙女心をあまりよくわかってません。もし違うというのなら、とんだうぬぼれでしょう』
もう兄歴が十年以上も経っているはずだが、免許でゴールドは取れないという。
むしろ、しょっちゅう事故を起こすので、半年に一回は講習を受けさせられるレベル。
これはもうすぐ中学卒業となるころの話で、この一年間のクラスが一緒で登下校のルートも重なっていた女子と下校中、何も会話がないまま気不味くて『何か食ってくか?』との当麻の提案し、『え、うん。上条君に任せるよ』と言われて、『じゃあ、あそこのコンビニで』と視線を向けたわけだが、そこで偶々近くにいた賢妹と遭遇し、さっそくダメだしされた。
『女の子が発する言葉、その真意を理解できますか。男の子が『食事何にする?』と訊いて、女の子が『なんでもいいよ』と返された時、当麻さんならどうします?』
『そりゃあ、近くにあるのを適当に』
『違います。その女の子の主張は『わたしが行きたい店くらい当てたらどうです?』なのです』
『そうなのか?』
こちらの問いに、中学のクラスメイトはおろおろとしながらも、図星とばかりに目を逸らす。ついでにすぐ隣に洒落たカフェがあるのにコンビニを選んだ当麻に落胆してるよう。
代わりに、賢妹が大きく頷き、
『そうなんです。では、詩歌さんが助言してもいいですが、そこまでいうのは当麻さんを甘やかし過ぎでしょう。やればできる兄だと信じてますよ』
『じゃあ、あそこの焼き芋なんてどうだ詩歌先生?』
ちょうど近くに停車した屋台を選ぶ愚兄に、詩歌は頭を抱えてしまう。
『何故、そこなんですか……』
『? だって、詩歌はああいうのが好きだろ? ダメだったか?』
『……え? あ、うん。ダメじゃない―――じゃなくて、何故、私を基準に考えてるんです?』
一年教室を共に過ごしたのは彼の方なのだが、妹からその自分の好みの助言を受ける始末に、その女子は最初で最後のチャンスを結局見逃し三振で終わってしまった。
そして、現在。
昨日のビリビリお嬢様とまた遭遇しないよう、<学舎の園>と妹の学生寮を迂回するルートで帰ろうなんてことを考えてると、公園の案内板の陰から話し声が聞こえた。そちらに目をやると、幼稚園児か小等低学年らしき幼い女の子に、自分と同じくらいの男子学生が何やら話しかけているところだった。女の子は拒絶の言葉を口にしているようだったが、男子学生の方はそれが聞こえていないかのように一方的に喋り続けている様子。普通のナンパなら当麻も気にしないところだが、これでは見過ごすわけにもいくまい。幼児愛好家がすなわち性犯罪者だとまでは思わないが、見ていて気持ちのいいものではないし、これはナンパのような友好的な雰囲気はない。よく見れば、鼻が潰れたのか大きな絆創膏が張られているお間抜けな男子学生は、いちゃもんをつけているのがわかった。
「オイ! 無能力者のガキのクセに俺の顔を見て笑いやがったな!」
「ん? ん???」
対し、女の子の方は、悪意をぶつけられることに慣れていないのか、怯えるというよりキョトンとしている。それが被害妄想を加速させてしまってるのだろう。
くだらない、がこのままだと危険だ。
男子学生が手を上げると、右手が鳥肌立った。当麻はすぐに近づき、男の手を掴んで捻り上げる。
「っ、何だ貴様! 邪魔するな!」
この前の『知り合いのフリして』作戦は後に妹にもダメだしされたので、ここは簡潔に、
「失せろ」
それだけ言って、当麻は男子学生を睨みつけた。その鋭さに、既視感を覚えた男子学生は怯えたような顔でひっと小さく悲鳴を漏らす。だがすぐに、こちらを凄んでくる瞳は剣呑な輝きを放ち、息詰まる沈黙、肌をチクチクと刺す緊張感の中、どれぐらい経っただろうか、人目がこちらに集まりだしたところで、当麻は手を離す。
「チィッ、あのアマにやられてからツイてねぇ。……よくも俺のことを振りやがって、―――」
男子学生は後ろを振り向かずに走り去った。その最後に呟いた名前について、追いかけて行って問い質したかったところだが、やめておいた。暴力沙汰は好むところではない。
女の子の方に目を向けると、彼女はつぶらな瞳で当麻を見上げていた。肩から下げたポシェットと可愛らしいスカートが、何とも幼く感じられる。
「変な奴にいちゃもんつけられても、謝ることはねーぞ」
年長者として当麻がそう注意するも、女の子は学生カバン、に付けられた小さな巾着袋を興味深そうに。
「それなあに?」
「これか? これは、お守りだ」
その中身を左手で摘んで取り出し、手の平に乗せて見せる。
「四つ葉! いいなぁ。私が探しても三つ葉しか見つからないの」
「見てみるか?」
女の子は、うん、と頷いたのを見て、カバンから四つ葉のお守りを外すとおわんを作ってる女の子の両掌に載せると、女の子は指でつまんでガラスのクローバーを陽に透かし、わあぁっ! と同じくらいに目を輝かす。ようやくその表情が少しだけ落ち着いて、
「助けてくれて、ありがとう」
「気を付けろよ」
高校生を見上げるのは少し首が辛いだろう。視線を合わせるために、当麻は女の子の前に屈んだ。
「それで、こんなところに一人でどうしたんだ? 迷子なのか?」
「違うよ。今日は一人でお買い物なの。それでちょっと道がわからなくなっただけ」
「それを迷子って言うんだぞ」
「……もう、小学生だもん」
迷子になるほど子供じゃない、と主張したいらしい。
幼稚園から卒業した手前、子供扱いされたくないお年頃なのだろう。
「お兄ちゃん、誰?」
「俺は、上条当麻」
「かみじょう? 詩歌お姉ちゃんと同じ?」
「詩歌?」
「うん。詩を歌うって名前で、やさ“しいか”っこいいお姉ちゃん! お父さんとお母さんがプレゼントしてくれたカバンをなくしちゃったとき、一緒に探して見つけてくれたの!」
その名前にこれは奇遇だな、と当麻は少し驚くも、あの顔の広い賢妹なら不思議ではないとすぐに思う。
そして、我らがご母堂の英才教育の賜物というべき驚愕の嫁力に母性が既に目覚めているのだから、幼児には大変懐かれる。
とりあえず、信頼できる共通の知り合いがいるおかげで、更に打ち解けられた。
「そっか。当麻さんは、詩歌のお兄ちゃんだ」
「お兄ちゃんは、お姉ちゃんのお兄ちゃんなんだ」
「ああ、そうだ」
「わたしは、硲舎佳茄」
いつも持ち歩いているのか、あるいは迷子になった場合を考えて親か先生が持つように言い聞かせたのか、彼女はポシェットから名札を取り出した。おそらく小学校で付けているであろうそれには、黒いフェルトペンで『
「いい名前だな。でも、ちっと画数が多くて難しそうだな」
「うん。だから、いつも名前書くの大変なの」
「でも、ちゃんと書けてるぞ」
褒められて嬉しいのか、佳茄は歯を見せて笑った。大人になるにつれてできなくなるその素直な笑顔に、当麻は少しだけ懐かしさを覚えた。
で、話を聞いてみると、テレビで宣伝された洋服屋さんに買い物に行こうとしたのだが、途中でおトイレがしたくなり、トイレを探してこの公園に来たら、元の道がわからなくなって困っているという。佳茄は、事前にお店までの道のりで覚えた、チェックポイントにしてる建物を案内板の地図で確かめようとしたらしい。一人でも慌てずに計画を立てて対処しようとした彼女は、十もいかない歳の子にしては立派なものだ、と当麻は思うが、現実にはそう上手くいかないだろうとは予想がつく。そもそも子供一人で出歩くというのは、問題だろう。この親御から離れた学園都市では仕方ないだろうが、さっきみたいな輩がこの街には多いし、最近では『
それでなくても、だんだんと真夏日が近づき暑くなるこの日に迷子のまま彷徨い歩けば熱中症の恐れもある。見たところ、ペットボトルや水筒など飲料系を持ち合わせていない佳茄に、当麻は自販機でジュースを買ってやろうとしたが、佳茄はお茶、それも健康志向の脂肪燃焼系の薬茶にしてくれと注文。
「わたし、おしゃれさんだから、ダイエットしてるの」
子供のくせに吹寄みたいなこと考えてんだ、と呆れるも、当麻は希望通りに少しお高い薬茶を買って渡してやる……念のためにヤシの実サイダーを購入して。礼を言ってそれを受け取り、佳茄はキャップに手をかけて一口飲み、顔をしかめる。
「……にがあい」
まだお茶の類を上手いと感じる年齢でもないだろう。妹も、この街に来る前のころは甘いものばかりを欲しがったものだ。味覚が未発達と言うよりも、反応が素直なのだ。子供は美味いか不味いかハッキリしていて、大人のように小難しい理屈や深みなど求めない。
それでも自分が希望したものなので文句も言えず、ペットボトルの口を恨めしそうに見下ろしていた。しょうがないと愚兄は、ペットボトルを取り上げて、
「そういや、ヤシの実の果汁ってカリウムやミネラルを多く含んで、低カロリー。あのおしゃれな常盤台のお嬢様も愛用してるっつうビューティな飲み物でな。おしゃれさんならこっちを飲むんだぞー。そっちの苦いのはお父さんが飲む大人の男用だ」
「そうなの?」
「優しいかっこいい詩歌お姉ちゃんも言ってたからな。間違いない」
だから、交換しようそうしよう、とプルトップを開けただけでまだ口の付けていないヤシの実のジュースを渡す。実際、ヤシの実の果汁は天然のスポーツドリンクとして優れていると聞いたことがある。ごくごくとジュースを飲んだ佳茄は、『はふぅ』と息を吐き、やはり喉が渇いていたのかそのままもう一度、二度、三度とごくごく飲む。
「それからドーナツも食うか? レシチンがたっぷりで将来ビューティ間違いなしのカロリーメイトだ」
「ほんと!」
渡すようにと言われたが、変態紳士な野郎に余計な優しさはいらない。調子に乗って付け上がる。
というわけで、一袋余ったドーナツの紙袋を開ければ、ひとつ取り出して、それを女の子は口いっぱいに頬張る。
「美味いか?」
「うん! おいしい」
小さな両手で缶を持ちながら飲む様子に、当麻は目元を和らげる。
どうも子供には弱い。時々、<
……そういうわけで、苦い薬効茶の方は頑張って当麻が飲み干すとしよう。
「お兄ちゃんは、正義の味方なの?」
「は? 何で?」
「さっき助けてくれた」
「あんなのは正義の味方じゃなくても普通のことだ。誰でもやる」
自分は、所詮は『偽物』。『本物』と比べればその違いはすぐにわかるし、もっと他に適任者はいる。
佳茄は、しばらく当麻の顔を眺めていたが、やがて恥ずかしそうに視線を逸らした。
「お兄ちゃん。やっぱり、モリタくんよりカッコイイ」
「モリタくん?」
「私と同じクラスの男の子。いっつもイジワルして来るんだけど、それはわたしのことが好きで構ってほしくてテレてるだけでデレデレなんだって。詩歌お姉ちゃんが言ってた」
「なるほど」
「だから、モリタくんにされたことを逐一日記に付けて、三年後にはそれがモリタくんとの上下関係を有利に運べる
「アイツは何を教えてるんだ?」
将来的にモリタくんが可哀想になりそうだが、となると、まさか過去の当麻の所業も詩歌は記録してんの!? そういえば、『
これはあまり考えたくない、考えたらダメだ。
当麻は強引に話題を変えることにする。
「それで、どこに行くつもりだったんだ?」
道中
「詩歌さんと御坂さんって幼馴染なんですよね。昔の二人ってどんな子だったんですか?」
「ええ。今でこそ美琴さんはしっかり者ですが、小さい頃は甘えん坊で、服の端を掴みながら詩歌さんの後ろをついていくような子でしたね」
自分の過去話に、美琴はびっくりしたように動きを止める。
だが、その口先はなめらかに。詩歌はしみじみと思い出すように目を閉じた。
「詩歌さんが学園都市にいくときは泣かれてしまって、美鈴さん――御坂さんのお母さんを困らせましたね。あのときはホント、学園都市に行くのを一年遅らせようかとちょっぴり迷っちゃったくらいです」
詩歌は目を開けると、悪戯っぽい笑顔で美琴を見つめる。
「それなのに、今では『詩歌さん』と。もっとお姉ちゃんお姉ちゃんって呼んでくれても良かったのに……最近じゃつれなくなって。ふふふ、あの頃の美琴さんはどこに行っちゃったんでしょうね?」
からかうように言われて、流石の美琴も顔を赤くする。
「詩歌さん! ちょっと初春さんと佐天さんに何を言ってんですか!?」
「昔話です。別に変な話じゃないでしょう? 美琴さんは忘れちゃったんですか?」
「う、うぐ……す、すこしだけなら憶えてますけど……」
「すこし? ああ、詩歌お姉ちゃんは悲しいです。こうなったらMIKOTOフォルダを皆さんにお見せして、思い出させて」
「全部憶えてます! 詩歌、さん、すっごく甘かったですし。そりゃあ、お姉ちゃんって呼んじゃうわよ」
真っ赤になる美琴は、初春の目からも年相応の女の子に見えて、どこか距離感が縮まる気がする。以前に同僚の白井黒子に紹介された時は、さっぱりとした性格で、皆の輪の中心で頼られる雰囲気であったが、今こうして見ると意外と引っ張ってもらいたい性質なのかもしれない。
「じゃあ、御坂さんにとって、詩歌さんは優しいお姉ちゃんだったんですね? どんなことしてもらったんですか?」
「……たぶん、ウチの母よりも面倒見てもらったわよ。いつも手を繋いでもらったり、一緒に遊んでくれたり、勉強だけでなく能力も、Level1からLevel5になるまで付き合ってくれたり……あーあ、懐かしいけど恥ずかしくなってきた……」
そう言い、自分の言葉で自爆したように美琴の顔がやけどでもしたように赤くなる。
「いやー、本当に詩歌さんと御坂さんの仲良しっぷりはハンパないっすね」
「でも、お姉ちゃん、って呼んでくれないんですよねー」
「くっ……もう、勝手に言ってなさい!」
「あらあら、それは、ドンドン言おうぜ、を了承したとみてもよろしいんですね。ふふふ、この詩歌お姉ちゃん、久方ぶりに血が騒ぐのう。これはもう、美琴さんの面白可愛い過去話を学園都市中に駆け巡らせちゃいます!」
「ごめんなさい、私の口が滑ったわ。お願い、巡らせないで……」
「わー、レアな美琴さんのおねだりです。これには詩歌さんもかないません。しょうがないです」
「だからっ! それじゃいけないって思ったんですよ。いつまでも詩歌さんに甘えてばかりじゃいられませんし……はい、この話はこれでお終い!」
これ以上は実力行使が来そうなので少し残念だが、詩歌もちょうど別なことに目がついたようで、
「お、っと。そうでした。からかってる場合じゃない。初春さん、左手の小指」
「え? あれ?」
指摘されて初春が見れば、小指の先が少し切れて、血が出てる。
「知らないうちに切っちゃったんですね。はい、動かないでください」
憧れのお嬢様学校に通う聖母は、ウエストポーチのポケットからカエルマークの絆創膏を取り出し、手際良く初春の小指にぺたりと巻きつけた。
「うん、おしまいです。ダメですよ。気を付けないと。風邪っぴきさんなのにほんの小さな傷でもバイキンが入っちゃうと大変ですからね。まあ、バイキンが繁殖しようと臓器がダンスを始めようと、先生ならさくっと治しちゃいそうですけどね」
「はい、小指の手当て、ありがとうございました。それで、これって……」
「常に持ち歩いてるんです。身近に良く怪我する人がいますし、こういうキャラ物は小さい子にも受けがいいし、年下の子たちもお姉ちゃんって呼ばれるための必須アイテムでもあります」
それに、良い匂いがします、と初春は思う。
それから世話焼きスキルが働いたのか、ついでにささっと乱れた髪と、頭の上の花畑を軽く指で梳いて整える。
もしかして、これは同僚が常に求めるお姉様の一端なのだろうか。血は止まっても今度は顔に朱色がさしてくる。
顔が赤くなるのを通り越して、何か変な色になっている。
複数の機器を並べてのマルチタスクオペレーションが朝飯前な頭脳の持ち主だが、このままだと処理過多で強制シャットダウンしそうだ。
「あ、先輩じゃなくて、お姉ちゃん、って呼んでもいいですよ」
「あっ、え……」
同僚のような何やら普通でない趣味にフルスロットルで走りそうになるが、そこはブレーキがきいた。もしこれが初撃だったら危うかったが既に喉元過ぎれば熱さ忘れるように、もう彼女にそういう気がないというのは解ってるし、これも親切心とからかいからの行為だろう。
「でも、詩歌さんをお姉ちゃんって呼びたいなら美琴さんの許可が必要かも」
「どうしてそうなるんですか!」
「さっき重福さんと話してた時、変なこと考えてたでしょう?」
「っ!?」
「ふふふ、詩歌さんの目の黒いうちは、そんなこと見逃しません」
「あの時こっち見てなかったし、それに何か使い方が違う気もするけど、ホント、どうしてこういうトコが鋭いのに……」
「美琴さんも、転んでもこのゲコ太印の絆創膏で泣き止んじゃってて、可愛かったなー。でも、今の反抗期には詩歌さんが逆に泣いちゃいそうです」
美琴に歩み寄り、するりと背後から肩に手を掛けながら、彼女の後頭部に鼻を埋めるようにして押しつけ、すんすんとわざとらしくすすり泣く。
「すんすん、美琴さん、口では素直じゃないから、仕方ない。身体に聞きましょう、すんすん」
「ひやぁ!! ちょっ、詩歌さん!? いきなり何ですか!?」
「お役所の申請じゃないんですから、いちいち許可なんて求めたら台無しです。それに、こういうのはいきなりやるから効果があるんです」
「そう言われると間違いではないように聞こえますが、まったく別問題なのは解ってますからね。私は詩歌さんみたいに鋼の心臓を持ってるわけじゃないのよ」
「いえいえ、そんなことを言われちゃうと詩歌さんの(防弾)ガラスの胸は傷ついちゃいます。なので、あと五分延長で」
「だめ!」
あの御坂美琴の口から発せられたとは俄かに信じ難い素っ頓狂な悲鳴が上がった。
でも、それは自然な表情で、もしかするとあのひとは、こうして輪の中心にしか入れないような彼女の素顔を見せているのだろうか……
「でもLevel5かあ……スッゴイなあ……。あー、<
「え? 何なんですかそれ」
「いやあくまで噂だし……詳しいことはあたしも知らないんだけど。あたしたちの能力のLevelを簡単に引き上げてくれる道具があるんだって。それが<幻想御手>……ま、ネット上の都市伝説みたいなもんなんだけどさ」
学園都市に数多く流布されてる都市伝説。統括理事会の陰謀論などの学園都市の真実に迫るかもしれない危険なものといった様々な内容がまことしやかに語られているが、その信憑性については疑いの濃いものがほとんどで、他愛のない噂レベル、いわば学生たちのガス抜きのようなものだ。
佐天の趣味はこのような玉石混淆の都市伝説を追求する事で、学園都市中で囁かれている嘘か真かも分からない他愛のない話に詳しいのである。
<幻想御手>以外にも、どこでも誰がいようとも服を脱ぐ脱ぎ女や、逆回転する風力発電のプロペラ、ある特定の時間に横断歩道を渡ると迷い込む幻の虚数学区、ありとあらゆる能力を打ち消す無能力者、高位能力者も拳1つで叩きのめす魔女など、色々と知っている。
「……、」
<幻想御手>――その言葉を聴いたとき、抱き付きから抵抗しようと暴れてた美琴が少しうつむき、動きを止めた。
それを詩歌は旋毛を見ながら確認しながら、佐天達の話に耳を傾ける。
「そりゃそうですよ。そんなのがあったら苦労しません」
「でもさ……本当にあるならあたしでも……」
家族の期待を背負って、学園都市に編入してきたが、現実はそう上手くいかない。
一番最初の査定で無能力者と烙印されてから、一歩も進めないでいる。
「? 佐天さん?」
佐天はそう呟き顔を俯けた。
(……ふんふむ)
どうやら佐天涙子は自身のLevelに関してコンプレックスを持っているようだ。
そう察した詩歌は美琴から離れて、後ろ歩きしながら佐天に向き直り、ゆっくりと口を開ける。
「佐天さんは高位の能力者になりたいんですか?」
「そりゃなりたいですよ。せっかく学園都市に来たんですから、高位能力者になってみたいじゃないですか」
帰って来たのは予想通りの答え。
この学園都市で能力のLevelと言うのは一種のステータスだ。
Levelによって人の価値を決める人間も少なくはない。
しかし、そう言ったステータスよりも大切な事を詩歌は誰よりも強い兄から教わった。
「そうですか……でも、Levelだけが学園都市の全てではないと思います」
「えっ、だってLevelさえ高ければみんなからも認められるんですよ」
「たしかにLevelが高いということは一種のステータスではあります。……でも、佐天さん、私はそれよりも大切なものがあると信じています」
詩歌は緩やかに佐天の隣を歩く初春へと目を向ける。
「私は人生の中でも人との出会いが最も大切な事だと思っています。そして、お互いが親友と呼べる人との出会いは掛け替えのない宝物です。そう、今の佐天さんや初春さんの関係みたいにですね」
2人は同時に互いに向き合う。
詩歌が学園都市に来た理由の第1位は、超能力や最新の科学技術ではなく、ただ大切な人に会いたかったからだ。
ただ、大切な者と一緒に、同じ時を過ごしていきたいと望んだから。
そして、今では詩歌の周囲には当麻だけでなく、美琴、陽菜、黒子達、師匠に先生の数多く、それに、
「もちろん、私は今日、佐天さんや初春さんと出会えたことはとてもうれしいことだと思っています」
あれは、父の言う通り、環境の悪さが原因だったのかもしれない……
兄が迫害されていた時、友達だった子の誰もが敵となったあの頃、孤独の怖さ、集団の恐ろしさを知り―――大切な者との絆の強さを知った。
人脈は力、出会いは宝。
親元を離れたこの学園都市で子供達だけで生きて行くのは難しい。
それに人間は社会的動物だ。
親と言う繋がりを補うためにも、交流し、新たな絆を増やし、自身の価値観をより深める。―――そして、もう二度とあのような事は、絶対に、起こさせない。
「それはあたしもそう思ってます!」
「はいっ! 私も詩歌さんと会えてよかったって思ってます」
佐天と初春の姿を見て、詩歌は、彼女達はきっといい子達だと、信じられた。
そして、もっと交流し、仲を深めたいと……
「ふふふ、ありがとう、佐天さん、初春さん―――それじゃあ、お近づきの印としてクレープ奢っちゃいます」
「えっ、いいですよ。そんなの詩歌さんに悪いじゃないですか」
「そうですよ、詩歌さん」
「いいんです。これは先輩としての甲斐性なんだから後輩たちは黙って奢られなさい。それともダイエット中でした?」
「いえ、別にダイエットというわけでは……」
「はい、ダイエットはしてませんけど……」
遠慮する佐天と初春。そこで詩歌はふれあい広場を見つけると、カバンから財布を取り出しながら、ぼそりと。
「ああ、そういえば」
如何にも『ふと思い出した』と言う顔で、詩歌が『餌』を付けた釣り糸を垂らす。
「今朝チラシをもらったんですけど、クレープハウス『ラブルン』で新開店イベントで先着100様までゲコ太(紳士ver)マスコットがサービスされるそうです」
その情報が耳に入るや否や、狙った獲物の目が爛々と輝きだした。
しかし、それでも人前では隠している趣味であるが故に、如何にも『へー、そうなんだー。初耳ですねー』とあまり興味がなさそうに心がけて(いるだけで、実際、耳が大きくなるほどその一言一句を聞き洩らさない姿勢である)。
「―――と関係ない話をしてしまいましたが、美琴さんもクレープがいいですよね?」
「え、ええ! 何か急にクレープが食べたくなっちゃいました! 二人もそれでいいわよね」
「え、あ、はい」
その勢いに、押され気味に頷く。
今の美琴の眼差しは『欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい……』と口で言葉にせずとも目で訴えている。
「おまけのストラップは……私、遠慮しておきます」
「えっ、っと、あたしも。御坂さんに、譲ります」
「何言ってんのよ初春さんに佐天さん。うん、別にカエルとか、両生類とかぜんっぜん関係なくクレープが食べたいだけよ私は! でも、皆がいらないなら仕方ないわね。ゲコ太なんて乗り物に乗るといつもゲコゲコ酔うからゲコ太って呼ばれてるくらいしかぜんっぜん知らないけど、もったいないじゃない」
だったら、そのカバンについてるカエルのストラップは何なんだろうか? とは突っ込まないでおこう。
「よし、言質取りました。それじゃあ、2人は何味がいいですか? ちなみに詩歌さんは抹茶生地の餡子クリームにします」
と、
二人分の親からの仕送り、学園都市から貰える奨学金を共有しているが、それを管理しているのは詩歌だ。
きっちり財布を紐を握り、財政管理をしているため、クレープを奢る余裕は全然ある。
詩歌の押しに負けたのか2人はそれぞれ食べたいクレープを選ぶ。
「それじゃあ、出来上がったら持っていきますので、2人は先に行っててください。あ、美琴さんはクレープを運ぶのを手伝ってください」
人間手は2つ。
クレープを持てるのは1人2つ。
さて、クレープが4つある。
それなら、どうするか?
答えは簡単で、もう1人に手伝ってもらえばいい……のだが、
「えーっ!? そんな詩歌さんや御坂さんにそんなことまでさせられないですよ!」
「そうですよ! 詩歌さんや御坂さんにそこまでさせるなんてできませんよ!」
鎮火しかけていたものが再熱して、先ほどのように反対される。
小市民が、高値の花であるお嬢様をパシリに扱うなんてとてもじゃないが……、である。
だが、こういうときは息が揃う幼馴染二人。
「気にしなくていいんです。美琴さんも先輩なんだから後輩の面倒見なくてはいけません。ね、美琴さん」
「そうよ、2人とも。後輩なんだから気にしなくてもいいわよ」
「それに一緒についてきちゃったら可愛い趣味のことが後輩たちに知られてしまうかもしれませんからね。もう手遅れかもしれませんが」
「それにここで貸しを作っておかないと。初春さんには黒子が迷惑かけるだろうし、それにこの通り、詩歌さんのノリに付き合わされるのは大変だろうし」
「ほほう、詩歌さんを前に堂々と、賄賂ですか?」
「免罪符ってとこよ」
「およよ~、詩歌お姉ちゃんは罪ですか? 随分理不尽です」
「詩歌さんの自由奔放さは、黒を白に変える威力を持ってるのよ」
「理不尽な世の中です」
「ホント、現実は厳しい世界だわ」
「というわけで」
いいですね? と言われて、頷く。
先輩特権が発動し、後輩二人の意見は、再び呆気なく跳ね返される。
「もし2人が気にするようだったら、今度は2人が後輩の面倒を見てあげてくださいね」
そして、最後は有無を言わせない微笑み。
結局、降参するしかない。
「はい、今度はあたしたちが後輩の面倒を見ます」
「はい! 詩歌さんみたいな先輩になります!」
「ふふふ、良い子ですね―――ところで、美琴さん」
2人が説得したのを確認して、クレープ屋の行列に並ぶと、美琴へ視線を向ける。
「先ほど、佐天さんが<幻想御手>の話しをしたとき、急に考え事をしていましたが何かありましたか?」
「え……?」
「ふふふ、美琴さんは大切な妹ですから、ちょっとした仕草から考えていることなんてすぐにわかりますよ。それで、何か悩みごとですか?」
学園都市に来る前から付き合いのある幼馴染。
そして、ここに来てからは親代わりに面倒を見てもらった姉だ。
隠し事なんてできるはずがなく、訊かれているのにそれをする必要もないのだろう。
と思った美琴は溜息を吐くと先ほど考えていたことを語りだす。
「最近多発している連続爆破事件が<
美琴は手を振りながら自身の考えを否定する……が、
「いえ……<幻想御手>は存在するかもしれません。実際に私のような能力が存在するわけですし……私の能力が能力者に力をつけさせる手助けができるように、<幻想御手>にも同じような事ができるかもしれません。……美琴さんも私の能力にはお世話になっていると思いますけど」
「確かにそうですけど……」
<幻想投影>は能力者に力をつけさせるのに適している。
その力は、数多のLevel0を導き、美琴がLevel1からLevel5にするのを手助けしたほどだ。個人の修練では限界があり、切磋琢磨、または指導下にあるほうが成長は早い。
研究者や開発官が言うに、この街の能力開発を受けたことのある学生全員が、無意識に能力波、微弱なAIM拡散力場を放っている。
なのに、能力が使えない学生がいる。
つまり、こういうこと。
無能力者は、自然と放ている自分の能力に対する確固たるイメージが無いから、意識して制御できない。
この説明を裏に返せば、無能力者と能力者との分かれ目は『自分の能力を熟知すること』となる。
単なる電極の刺激や薬剤の投与と異なり、こればかりは周りからの試みのみで覚えられることではない。
能力は、自分の手でしか触れられない。
それも具体的に想像できないほど雲のように掴むことが難しく、それぞれの感性に合わせて模索調整していきながら固めていくしかない。
だからこそ、いかに無意識の力場を感じ取り、その強弱や流れを意識できうるかと言うのが、あらゆる能力者の根本となるのであり、その第一歩は自分で踏み出さなければならない。
であるが、相手の“鏡”になれる詩歌の<幻想投影>ならば、無能力者にその第一歩の背中を押してきっかけを与えるという、使用法も可能だ。
実際、その効果たるや圧倒的である。
幼馴染たったひとりで、壁にぶち当たった者たちの開発に付き合い始めてから、まだ十年も経ていないはずだが、学園都市全人口230万のうち180万の学生、その1割の18万近くを底上げしているだろう。
無能力者でなくても、幼馴染がマンツーマンで付き合えば、能力者としての技量は数日で、超能力者に専門と付けられるような最先端設備機材とスタッフがそろった研究所でサポートを受けての数年分に匹敵するだけの効果を与える。
そして、能力にかかわる精神の分野の治療ならば、医師や専属の開発官より頼りになる。
つくづくあの無能力者の言うとおり、自分の能力を忘れさせたように意識できなくさせた“5を0にした”のとは対極の、“0を1にできる”力だ。
そのことを飲み込むように実感したのか美琴は再び顎に手を添えて考え事をし始める。
「でも、詩歌さんの能力はほとんど誰にも知られていない能力で、しかも<原石>だから同じような能力者はほとんどいないんじゃないですか……? 私、今まで詩歌さんみたいな能力なんて<書庫>で見たことがありませんよ」
美琴は詩歌へ訴える。
<幻想御手>なんて存在しないと。
しかし、
「都市伝説は根拠のない冗談と思うのは簡単ですよ? でも、もしそこにある真実を知りたいなら、固定概念の排除から始めるべきではないかと思います。
考古学など、正解の見えない学問では、まず仮説を真実として組み立てるのと同じように、新たな発見があったら書き換えていく方法を取っている
学園都市なら私と同じではないにしても、能力者に短期間で力をつけさせるものが存在するかもしれません。それに―――」
一拍置き、美琴の目を見て、そして、答える。
「存在の否定なんて誰にもできることではありません。……美琴さんもこの前、都市伝説の1つである『どんな能力も打ち消してしまう
河川敷
―――重力子を観測。
これは、これまで何人もの<風紀委員>が犠牲になった爆破事件の予兆。
その一分後に爆発が起こった。
音が辺りを震撼し、空に狼煙がのぼる。
幸いにして、爆発が起こったのが人のいない河川敷であったので、被害者はいなかった。
……その代わりにあったのは、携帯式のアタッシュケース型の金庫。
「ですが、<
「待って白井さん。もしこの中にもアルミがあったら大変よ。取り出す前に、まず私が
その中を、
そのプリンタで印字されたと思われる文字が並んでいたそれを読み、固法は息を呑んだ。
これは、爆弾魔からの
『親愛なる<風紀委員>の諸君へ。
私は真の無能という悪を裁く正義の執行者である。
この文章は、とあるB級映画の感想を述べるコーナーに『執行者』という人物で書き込んでいるが、愚鈍な<風紀委員>は模倣犯とどうせ疑ってしまうだろうから、この方法を取らせてもらった。
もう、流石にご承知だとは思われるが、私の力はアルミを基点に重力子を加速させ、爆発を起こすことができる。
<風紀委員>には絶対に阻止できない。
なぜならこの力は、重力子加速が観測されてから一分後に爆発する時限式にまで制御できるようになったからである。
<風紀委員>は終わった後の現場を掃除するしかない、清掃ロボットよりも無能な清掃員だ。
そこで、予めお前らに今日の午後五時ちょうどに行う盛大なデモンストレーションの掃除をお願いしておこう。
とあるロッカーにこの場に設置したものと同じ時限式、その十倍の量のアルミとその十倍の力を込めた爆弾を設置した。
無能なお前らは、いつものように、大事なヒントであるバラバラの四つの数字を見逃すから、ヒントを教えてやろう。
大能力者、強能力者、異能力者、低能力者と高い順に並べ、
低能力者、異能力者、強能力者、大能力者と低い順に並べ、
勝ち抜き戦をして、間引け。
余った人間で、満足するまで何度も間引いて選定しろ。
その後に、残った優等生がセブンスミストに入ればわかるだろう』
つづく