とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 大乱闘スマッシュシスターズ

閑話 大乱闘スマッシュシスターズ

 

 

 

常盤台女子寮 食堂

 

 

 

今日は、この常盤台女子寮で能力解禁が認められる日。

 

常盤台中学に在学する者の全てはLevel3、能力の制御を誤り、暴発しないだけの実力者。

 

万が一の時に備えて、貴重な美術品等は予めこの場所から避難してあり、この建物も要塞クラスの強度を誇る。

 

が、しかし……本当に大丈夫だろうか。

 

 

「……今日は無礼講。生徒がその腕を試す絶好の機会、だよね」

 

 

凛々しくも、落ち着かない視線。

 

肉食動物が獲物を見定める目に良く似ていた。

 

 

「はぁ……それで教師に喧嘩を吹っ掛けるのか。こんなふざけた真似をするのは、後にも先にもお前くらいしかいないだろう」

 

 

対峙する女性はとても面倒臭そうに細長い眼鏡をついと押し上げる。

 

しかし、その奥の瞳は、微かにも笑っていない。

 

目を離せば、一瞬で仕留められそうな錯覚さえする。

 

この2人が激突すれば、この建物は無事で済むだろうか?

 

今も、2人の間で、目に見えない圧が高まる。

 

強者同士の敵意の衝突。

 

ちりちりと産毛が逆立ちそうな熱が、2人を中心に渦巻き、削り合う。

 

 

「それと、私の前でふざけた覆面を付けたヤツも初めてだ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ねぇ、詩歌さん」

 

 

「はい。何ですか? 美琴さん」

 

 

お嬢様には全く似つかわしくない虎の覆面を被った女子生徒が、この女子寮の管理人が、対峙する。

 

その様子を部屋の隅から見ている女子生徒が3人。

 

その内の1人美琴が隣にいる詩歌に、

 

 

「あそこにいるのって、もしかして――――」

 

 

「――――知りません」

 

 

ピシャリ、と美琴の口を有無を言わさぬ笑顔を浮かべながら詩歌が封じる。

 

しかし、それでも美琴は内に眠るツッコミ魂が、この現状を許さなかった。

 

 

「でも、あの真っ赤なポニーテイル。間違いなく、陽菜さんですよね」

 

 

それからもう1人、アリサが、

 

 

「そうだろうね。見るまでもなく、この声は彼女のものだ」

 

 

呆れた感じで、渦中の人物を見据える。

 

 

「……はぁ、全く何をやっているんですか、陽菜さんは」

 

 

2人から言われ、諦めたのかようやく詩歌は、自身の格闘術の師匠――寮監と、長年付き合ってきた悪友――鬼塚陽菜が今にもぶつかろうとしている、出来れば心の平穏のためにも認めたくない事実を受け入れる事にする。

 

 

「詩歌さん、今すぐ陽菜さんを止めに行かないと、あの人危ないんじゃないんですか?」

 

 

詩歌との長い付き合いで、昔、時々、一緒に詩歌の能力開発を共に受けた事のある美琴は、陽菜が、野性児染みた格闘センスと卓越した運動神経の持ち主である事を知っている。

 

 

「いや、それはない。むしろ、危ないのは鬼塚の方だよ」

 

 

だが、美琴は寮監が、この最低でもLevel3の能力者達が集う常盤台女子寮の管理を任されている身で、素手で高位能力者を仕留められる、そう陽菜を上回る実力者だとは知らない。

 

この常盤台女子寮に3年いたアリサが知る限り、寮監を倒せた、または、逆らえた女子学生は1人もいない。

 

陽菜であっても、昨年、寮監に完膚なきまでに叩き潰されている。

 

 

「でも、もし鬼塚が力を使うとすれば危ない。それこそ、この女子寮が全焼する可能性も視野に入れなくてはならない」

 

 

学園都市の最新技術により建てられた常盤台女子寮は耐久性だけではなく、防火対策も万全だ。

 

だが、鬼塚陽菜は破壊だけならLevel5に匹敵するとも言われる学園都市最強の火炎系能力者。

 

彼女が本気で能力を解放してしまえば、ここら一帯は焦土と化すだろう。

 

アリサは、その蒼氷色の瞳に指を――――

 

 

「いえ、陽菜さんが能力を使う事はありません」

 

 

その前に、詩歌の声がその動きを止める。

 

 

「これは明らかに私闘。陽菜さんは、自分から挑んだ勝負で、その相手が素手なら決して能力は使いません。たとえ、相手が自分よりもどんなに強かろうとです」

 

 

鬼塚陽菜は、かの関東最強と謳われる鬼塚組の組長の娘。

 

強者との喧嘩で無粋な真似は、決してしない。

 

 

「むしろ、水を差す方が陽菜さんに恨まれるでしょうね。だから、ここは師匠に任せても問題はないでしょう。きっと、上手く収められるはずです」

 

 

2人との付き合いが深い詩歌は、その勝負の行く末が見えているのか。

 

そう断じた。

 

そして、寮監と陽菜から視線を横へスライドさせ、

 

 

「だから、私達はそちらをお相手しましょう」

 

 

そこには、今にも能力を発動させようとしている大勢の新入生の姿があった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

大食堂内にいる新入生。

 

そのほとんどが虚ろな表情を浮かべ、焦点の失った瞳をある一角に向けられている。

 

そして、その反対側で、1人の少女、否、女王が楽しそうに笑みを浮かべる。

 

 

「流石に常盤台生をこれだけ相手するのは厳しいかもしれないわねぇ。何の罪のないこのコ達に暴力をふるえるようなキャラでなければ、だけどぉ」

 

 

星の入った瞳に、背に伸びるほどの長い金髪で、新入生の中でも群を抜く抜群のスタイル。

 

その両手両足に身に付けたハイソックスと手袋にはレースが施されており、1度捉えた獲物は逃がさない蜘蛛の巣を連想させる。

 

Level5第5位、学園都市最高の精神系能力者、食蜂操祈。

 

その力は<心理掌握>は、記憶の読心、人格の洗脳、念話、想いの消去、意志の増幅、思考の再現、感情の移植など、精神に関する事なら何でもできる十徳ナイフのような能力。

 

破壊など直接的な戦闘力はないかもしれないが、まともな想像力があれば、それがどれだけ恐ろしい代物かすぐに分かる。

 

意思も、嗜好も、思想も、好悪も、一切関係ない。

 

ただ彼女の思うがままに操られてしまう。

 

それがどれだけ悪質な事を仕出かせるかなど言うまでもない。

 

 

「さぁて、腕試し、させてもらおうかしらぁ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「さて、美琴さん。外界からの情報を得るのに重要な人間の視角の大部分は脳が補っています。大脳皮質の3分の1は視角の為に使われている。今、美琴さんが見ている世界は、美琴さんが作ったもの。能力者が、その<自分だけの現実>を発現させる源泉となるイメージ、つまり、能力もその人の視野が重要だと言えるかもしれません」

 

 

高位能力者達に囲まれたのにも拘らず、詩歌が美琴にのんびりと講釈を垂れる。

 

しかも、美琴に手を出すな、と制して…

 

 

「科学とは関係のない伝奇の話になりますが、アラビアの邪視、中国の見鬼、ギリシャのメドゥーサといった視る事で発現する力――『魔眼』と呼ばれるものは、もしかすると、その力をその瞳に集約させ特化させた<原石>がモデルとなっているかもしれませんね」

 

 

真浄アリサが2人の前に出る。

 

 

「今日は無礼講。新人がその力を大いに発揮する場でもあり―――先輩がその壁の高さを教える場でもある」

 

 

すっと、瞳に指を近づける。

 

ぽろり、と掌に、コンタクトレンズが転がる。

 

 

「この詩歌と共に共同開発した<魔眼殺し>があるまで制御困難で忌み嫌っていた<氷結青眼(ブルーアイズ)>を神話に例えられるのは嬉しいかどうかは微妙だが、この場を治めるのには役に立つだろう」

 

 

慣れた手付きでそのコンタクトレンズを仕舞い、閉じた目を、ゆっくりと見開く。

 

それだけで美琴は世界が凍りつくような錯覚を覚える。

 

<魔眼殺し>という枷が外された瞳が、より深く凍てつく蒼氷色を濃くし、その輝きが増す。

 

それこそが彼女の本来の色。

 

<氷結青眼>。

 

弱体化された状態でも透視・遠視・暗視が可能で、その枷が外れた今は、一定時間、ただ目を合わせただけで、暗示や幻術によりその相手に強烈な金縛りを掛ける。

 

真浄アリサは、その目に捉えられたものを、凍てつく世界へと誘う。

 

鬼塚陽菜のように破壊力こそないが、その制圧力は常盤台でもトップクラス。

 

 

「さぁ、この常盤台という壁の高さを知ってもらおうか」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「しかし、危険な光が瞳に宿っているな鬼塚。仕方がない。お前の鼻っ柱、折ってやろう」

 

 

やれやれ、と溜息を吐きながらも構える。

 

陽菜と真っ向から肉弾戦で戦おうというのだ。

 

 

「はっ! 折れるもんならやってみな!」

 

 

大地を蹴り、一直線に突進を仕掛ける。

 

能力を使わず己の足によるものの、それでも常人を逸した速さで迫る。

 

並の者ならその鬼気迫る勢いに怖気づく事だろう。

 

しかし、寮監の非情な気配を感じさせる瞳が揺れる事はない。

 

ただ、ほんの少し目を細くし警戒する。

 

その態度はつまり、『多少はできるようだが本気には値しない』、と同じもの。

 

だが、陽菜はその挑発とも言える余裕に、憤怒ではなく喜びの色を濃くする。

 

こうでなくては、と。

 

 

「正面衝突とは、鬼塚、実力差を未だに自覚しておらんようだな」

 

 

下策だと、寮監は少しがっかりする。

 

陽菜が嬉々として瀑布のような拳を繰り出す。

 

どれもが必殺の威力をもつ凄まじい拳の弾幕。

 

 

「力もスピードも申し分ない……だが!!」

 

 

寮監に繰り出される拳全ての勢いを受け流れる。

 

 

「!?」

 

 

こんなにも簡単に捌かれるなんて……

 

そして、迫りくる圧力に、陽菜はかつてない危機感を抱く。

 

 

「お前には天賊の才があるようだが、重みが足りん! お前のはただの暴威だ!」

 

 

反撃とばかりに連撃を打ち込まれる。

 

陽菜も反応するが、それはフェイント。

 

絞り込まれた拳の連撃が陽菜を穿つ。

 

 

「ぐあっ……!!!」

 

 

陽菜の体が料理が乗せられた机を巻き込みながら勢い良く吹き飛ばされる。

 

何という重み。

 

体が芯から揺さぶられ、すぐに体勢を立て直す事ができない。

 

長い月日を重ねて研鑽された一撃は、陽菜の臓腑にかつてない衝撃を走らせる。

 

そして、その絶好の隙を見逃す寮監ではない。

 

 

「これで終わりだ、鬼塚。お前はもう少し力というのを知れ!」

 

 

しかし、血液が逆流するほどの嘔吐感に苛まれながらも、その激痛を全て噛み殺し。

 

 

「何……!?」

 

 

3筋の銀光が煌めく。

 

銀食器が寮監へ投げ込まれたのだ。

 

しかも、3つ其々が微妙に違うコースと時間差まで演出して。

 

寮監はそれを全て防いだものの攻撃を中止せざるを得なかった。

 

 

「面白い芸でしょ。これ、良く詩歌っちが使う技だよ」

 

 

口元を腕で拭いながら、立ち上がる陽菜の片手には3本、両手に6本の銀食器が指の間に挟まれていた。

 

これだと迂闊に距離を詰めようとすれば、すかさず陽菜はそれらを一斉に投擲するだろう。

 

 

「ハッ…アンタとの実力差はちゃんと自覚してる」

 

 

最初はちっぽけな尊厳を優先して、真正面からぶつかったが、攻撃したはずの両手が痺れ、そして、やはり、と改めて実感する。

 

対峙しただけで伝わってくる、この容赦のなさ、鍛錬に積み重ねた年月、そして、実戦経験の数。

 

さらには、武の道を完全に極めた者だけが会得できる達観した精神。

 

間違いなく、彼女は真ん中ド直球に最強の相手だ。

 

だからこそ、燃える。

 

陽菜は徐々に熱を帯び、喜色に染まり、勝利を掴むため思考を高速回転させる。

 

 

「だけど、この勝負、簡単に終わらせる訳にはいかない」

 

 

先程、口では1年前の雪辱といったが、本来の目的はそうではない。

 

大体、陽菜は嫌な事は寝て忘れるタイプだし、あれは良い経験させてもらったと思っている。

 

本当の目的は、この寮監の根源たる強さを知ること。

 

先日、長年、付き合ってきた宿敵との格闘による勝負で、初めて負けた。

 

彼女の才を認めていた陽菜だが、こうまで早く成長するとは考えていなかった。

 

そして、このままだと数ヶ月もしない内に追い抜かれる、と焦った。

 

親友への成長の賛辞ではなく、宿敵が強者となった喜びでもなく、覚えたのは焦り。

 

きっと彼女の陽菜の予想を裏切る成長の背景には、この寮監がカギを握っている。

 

それを知ることで、親友と同格であると自分自身に認めさせたい。

 

でも、鬼塚陽菜は欲張りで、どうせなら、この最強に勝ちたい。

 

そのためなら、

 

 

「だから、小賢しい小細工も使わせてもらうよ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その解放された魔眼は、新入生達の動きを固まらせた。

 

どこまで遠くにいようと見逃す事はなく、

 

どのような障害があろうと遮る事は叶わず、

 

どれほど闇に覆われようとその輝きは失せる事はない。

 

新入生を制圧するのは1分も必要ない。

 

だが、

 

 

「まさか、君達も操られるとは」

 

 

知った顔、同級生や後輩、この常盤台中学で寝食を共にした者達もまでが襲い掛かってくる。

 

そう、何者かに操られた事によって。

 

 

「くっ……!」

 

 

<氷結青眼>は、この大食堂程度なら遠視で対象を捉える事ができるが、あまりに遠くへ焦点を当てると視界が極端に狭まり、戦況判断に遅れてしまう。

 

その『魔眼』の効果は驚異的だが、アリサ自体の戦闘力は女子中学3年生と大差ない。

 

それに、金縛りの効果を発揮するには数秒必要なのだ。

 

一定時間とはいえ隙ができ、その隙を突かれれば逆に制圧される。

 

従って、それを補う為に美琴や詩歌が牽制を放って補助してはいるが、このままだといつ均衡が崩れるか分からない。

 

 

「これは一刻も早く、その根本を断つ必要があります」

 

 

詩歌が動く。

 

懐から眼鏡ケースを取り出す。

 

 

「詩歌さん、それは……?」

 

 

「これはアリサさんと共同開発した<異能察知>。私専用の補助器具のようなものです。そう、アリサさんの<魔眼殺し>とは逆に、その視界を強化させます」

 

 

<幻想投影>には元々、異能を感知する能力が備わっている。

 

この<異能察知>はそのイメージをより具体化させるための補助器具で、上条詩歌の瞳を『魔眼』へと変じさせる。

 

 

「おそらくこれは何者かにより操られているのでしょう。ならば、私がその『色』を手繰り、直接止めてきます」

 

 

<異能察知>を装着。

 

瞬間、詩歌の世界に『色』が交わる。

 

そして、それらを元に思考し、力の流れを脳内に描く。

 

この『色』が、世界に対し如何なる干渉を起こして、どのような結果を織り上げるのか、そして、その根源はどこかを、その全てを予測し――――

 

 

「では、行きます」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「行きますっ! 寮監!」

 

 

陽菜が馳せる。

 

その襲い掛かる多大な重圧を撥ね退けて、強者との間合いを詰める。

 

 

「はっ!」

 

 

まず、右手の3本の銀食器を投擲する。

 

寮監はそれらを容易く捌き切る。

 

それらに意識を介した時間はほんの1秒にも満たない。

 

だが、陽菜が投擲した瞬間に、真横へ方向転換したのは意外だった。

 

 

「おらっ!!」

 

 

そのまま、床に転がったテーブルの陰に回り込むと、その右足から掬い上げる蹴りで、その障害物を寮監へ勢い良く飛ばす。

 

さらに、そのテーブルの死角から、2筋の銀閃が寮監の左右へ飛来する。

 

 

―――囲われた。

 

 

この迫りくるテーブルを避けようとすれば、その先に銀食器が待っている。

 

陽菜は移動による回避を封じる為に、敢えて真横へ投擲したのだ。

 

 

「甘い!」

 

 

丸テーブルがサッカボールのように転がりながら迫りくる脅威に対し、寮監は避けることなく、真上から振り下ろす右の手刀の一撃で真っ二つに叩き落とす。

 

しかし、その行動は数瞬の隙を陽菜に与えてしまった。

 

テーブルを目眩ましにして肉薄していた陽菜が寮監の懐へ潜り込み、鳩尾に狙いを定めて、正拳突き。

 

だが、その行動が予め分かっていたかのように右の手刀を振り落とした、逆側のもう片方の左腕でガードする。

 

その腕が痺れたものの、牽制として右足で上段蹴りを放つ。

 

 

「なっ……!?」

 

 

陽菜が、その牽制としての、距離を置き体勢を整えるための頭に放たれた上段蹴りを、避けずに喰らった。

 

脳が大きく揺さぶられ、意識が飛ばされたが、それでも陽菜は倒れない。

 

頭に喰らった、いや、敢えて頭で受け止めた足を、無意識の動作でがっちりと両手で掴む。

 

肉を切らせて骨を断つ。

 

頭に一撃を貰う代わりに、右足1本を奪う。

 

1本足立ちとなった寮監は、陽菜の意識が回復する前にすぐさま脱出しようと――――した瞬間に、気付く。

 

陽菜が両手で己の右足を掴んでいる。

 

その手に、銀食器はない。

 

最初の牽制で3本。

 

次の囲い込みで2本。

 

なら、最後の6本目は――――

 

 

(上か―――ッ!?)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(―――見つけた)

 

 

細い糸のような『色』を辿った先に、1人の女子生徒がいた。

 

金髪で、蜘蛛の巣をイメージさせるレースの付いたソックスと手袋を身に付けている。

 

その糸に触れた相手の精神を操る、これも伝記でいえば、日本の女郎蜘蛛と言えるのかもしれない。

 

そして、彼女の名は、

 

 

「Level5序列第5位<心理掌握>、食蜂操祈さんですね」

 

 

「あれぇ? 上条先輩に私のお名前教えましたっけ?」

 

 

にっこり、と笑みを浮かべながら首を傾げる。

 

その甘い蜜を流し込むような声には余裕さえも感じられる。

 

そう、常盤台中学の女子学生が、高位能力者達が、この大食堂で暴れ回っているのに、彼女だけは余裕だった。

 

異常な空間の中で、唯一、普通であるのは、異常過ぎる。

 

 

「教えてもらっていませんが、これだけの事を仕出かせるのはLevel5ぐらいのものでしょう。と言うか、私も食蜂さんに名前を教えてもらっていないのですけど」

 

 

「くす、そうですよねぇ。ケドぉ、手間が省けて良かったじゃないですかぁ? 先輩、見た所、お急ぎのように見えますけどぉ?」

 

 

甘く囁くように毒々しい言葉に、詩歌はやれやれと溜息を吐き、掌を食蜂に向けて突き出す。

 

 

「はい、そうですね。では、単刀直入に言います。コレを止めてください。何故、と訪ねる必要はありませんね? あと5秒で止めなければ、ちょっときつい躾をしてあげます」

 

 

身体の端々から秘めた覇気を滲ませながら、手の指をゆっくりと1本ずつ折っていく。

 

あまりこう言った暴力的な解決方法は好みではないが、今、対峙しているこの後輩は曲者だ。

 

言葉で追い詰めようとも、のらりくらりとかわされてしまうだろう。

 

 

「きゃー! 上条先輩って、見かけによらずとっても怖い人なんですねぇ」

 

 

「食蜂さんも後輩とは思えないほど、大人びていますよ」

 

 

「アハハハぁ! やっぱり、上条先輩は怖いなぁ。でもぉ、お仕置きも怖いのでぇ。――――これで、大人しくしてネ♪」

 

 

そう言って、食蜂は詩歌に向けて、ピ、とリモコンを押した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

天上から1つの点。

 

照明が逆光となって、捉えづらいが、間違いなくあの点が最後の1本だ。

 

ギリギリのところで寮監は強引に身を捻って、転がり込むように躱す。

 

が、あまりに無理な動きのせいで右足を捻挫。

 

 

「チャンス!!」

 

 

この絶好の機会に意識が回復した陽菜は、寮監が体勢を立て直す前に容赦なく追撃を仕掛ける

 

それに対して不完全ながらも寮監は反撃を仕掛けるも、

 

 

「見切った!!!」

 

 

今度は寮監の連撃が全て防がれる。

 

<鷹の目>。

 

極限まで高められた集中力により、認識から反応や動作に直結させる境地。

 

そして、がら空きになった胴体を殴りつける。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

くの字に折れ曲がった胴体の上から、更にもう1打叩き込んだ――――

 

 

「くっ……」

 

 

――――が、浅い。

 

そう、寮監の動きを封じる為に貰った代償は決して小さくない。

 

まだ陽菜の平衡感覚、距離感覚は完全には回復してない。

 

先程、寮監の攻撃を捌けたのも、彼女が不完全な体勢であったからだろう。

 

でも、

 

 

――――それでも、鬼塚陽菜の闘争心が翳った訳ではない。

 

 

「私はこの1年間。あなたをずっと目標と定めて研究してきた。自身を瞬殺したあの強さを。そして、ようやくその境地に――――」

 

 

――――辿り着く!!

 

 

陽菜は追撃を放った拳で、そのまま寮監の服を掴むと力任せに強引に天上に向けて投げ飛ばす。

 

寮監といえど、今、片足を負傷している。

 

高く、高ければ高いほど地上へ落下した際の衝撃を殺せず、うまく着地する事はできない。

 

そうすればまた、決定的な瞬間が生まれる筈だ。

 

そこを狙って――――

 

 

 

「何も学習するのは学生の専売特許ではない。教師も、また日々学習するものだ。今の私を去年と同等と見ているようでは、底が知れるぞ、鬼塚」

 

 

 

空中で死に体だったはずの身体を捻り、鋭く狙い澄まして、銀食器が、そうさっきの6本目が放つ。

 

まさか予想だにしなかった投擲に、陽菜は<鷹の目>をもってしても飛来する銀食器を躱せなかった。

 

空を裂きながら飛んだ銀のフォークは陽菜の太股を直撃し、その追撃の勢いを弱める。

 

そして、寮監は足からではなく頭から、両手を使って着地。

 

逆立ちの体勢のまま、見事な体捌きで腰を捻って、追撃しようとしていた陽菜を袈裟切りで蹴り飛ばす。

 

 

「なっ……!?」

 

 

両腕で庇ってなお、その衝撃は全身を貫く。

 

ガチガチと膝が震える。

 

威力を完全に殺す事ができず、感覚が麻痺する。

 

その間に、素早く逆立ちから体勢を立て直し、

 

 

「もう一遍鍛え直してこい!!」

 

 

その鋭く細められた両目が大きく見開かれる。

 

だん、と寮監が踏み込む。

 

その踵から、膝から、腰から、胸から、肩から、勁を捻り込む螺旋の掌打。

 

その一撃は、ガードを強引に抉じ開け、その重い衝撃を陽菜の胸中で爆発させる。

 

 

「―――ッッ!」

 

 

まともに攻撃を受けた陽菜が、大きく口を開けて無言の叫びを上げる。

 

意識が、飛ぶ。

 

力が、抜ける。

 

そう、これが……決着だった

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

とん、と背後から小さな足音。

 

反応で来たのは、周囲を電磁波により警戒していた美琴だけだった。

 

振り向き、身構え――――

 

 

「え、詩歌さん――――」

 

 

そこには、瞳に星が入った上条詩歌がいた。

 

詩歌はアリサがこちらに振り向く前に、距離を詰め、首を捻って、落した。

 

アリサはそのまま、ぱたん、と床へと崩れ落ちる。

 

美琴の瞳孔が、きゅっと縮まる。

 

 

「まさか…――――」

 

 

――――操られてる!?

 

 

その事に気付いた時にはもう、詩歌は美琴との間合いをあと一歩の所まで詰めていた。

 

今の詩歌は敵だ。

 

幼馴染だからと楽観視していては、アリサのようにやられてしまう。

 

美琴はほとんど反射的に電撃の槍を放つ。

 

文字通り光の速さで飛来する一撃。

 

しかし、詩歌は、まるで予め分かっていたかのように容易く踊るようにステップを踏んで躱した。

 

そして、再び美琴との距離を詰めてくる。

 

超至近距離での戦闘は、美琴に不利だ。

 

電撃を発する前に、その技量の高さによって沈められる。

 

 

「詩歌さん!」

 

 

だが、美琴が放つ攻撃は全て避けられる。

 

掠ることなく回避され、かと言って、操られているとは言え、詩歌に向けて本気の電撃を放つ事もできない。

 

 

「止めてください! お願いします!」

 

 

いつも誰かを助けていた。

 

いつも自分を助けてくれた。

 

時には怒鳴り、手を振り回して行動し、一生懸命だった。

 

最近は、照れくさくて、あまり素直にその気持ちに応えてこなかったけれど、いつも感謝していた。

 

そう、いつも愛してくれる。

 

自分の――――

 

 

 

「お姉ちゃん!! 目を覚まして!!」

 

 

 

だが、無情にも美琴に向けて、詩歌はその右拳を解き放っ――――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「鬼塚。ここまで手を焼かされる生徒は、お前が初めてだ。本当に、これで少しは大人しくなって欲しいものだ…」

 

 

崩れ落ちる陽菜の体を、寮監は抱き止める。

 

そして、薄れゆく意識でも聞こえるように、はっきりと告げる。

 

 

「だが、私達教師は、お前ら学生に模範を示すべき存在だ。そして、教師に面倒見てもらえるのは学生の特権でもある。鍛え直し、その気になったら、いつでも挑むと良い。何度でも相手をしてやる」

 

 

「は、い…ありがとう、ございまし……た」

 

 

最後に、寮監へ感謝の言葉を、そして、敬意を払うように小さく頷いてから、静かに鬼塚陽菜は眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

「でも、そのマスクは取れ」

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――ガンッ!!

 

 

と、遠くで、御坂美琴の体が宙を舞う。

 

そして、床を数回バウンドしながら壁にぶつかる。

 

ああ、呆気ない。

 

所詮は、罪のない人間には攻撃できない甘い人間だったか。

 

Level5の人間は人格が破綻しているって言われているんだから、少しは幼馴染を躊躇なく撃った人でなしの一面を見せて欲しかった。

 

本当に、残念。

 

ま、これで常盤台中学の分析は終わった。

 

後はこの場にいる全員の記憶を――――

 

 

(あれ? 彼女は一体どこへ……?)

 

 

自身の正体を見抜き、第3位を倒したあの先輩の姿がいない事に気づく。

 

どこにもいない。

 

彼女はまだ自分の支配下だったはず。

 

これは一体どういう事?

 

もしかして、これは――――

 

と、焦燥に駆られた瞬間、食蜂操祈の背後から、そっと肩を叩く者がいた。

 

恐る恐る振り返った学園都市最高の精神系能力者は、目撃する。

 

そこに立っていたのは、

 

聖母のように優しく微笑み、

 

されど、目は全く笑っていない、

 

先輩の――――

 

 

 

 

 

「5秒、過ぎましたよ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「これで無礼講はおしまいです」

 

 

ぱんぱん、と両手を叩く詩歌の足元には、気絶している食蜂操祈の姿が。

 

 

「すみません、アリサさん。この子に操られていたとはいえ」

 

 

「いや……私も油断していたし、それほど痛くはなかったしな」

 

 

体を起こしてもらいながら首元を抑えるアリサ。

 

もうすでに大乱闘は終わり、彼女の瞳に再び<魔眼殺し>が戻されている。

 

詩歌はアリサに頭を下げると、彼女の体を起こしている、

 

 

「美琴さんも、怖い思いをさせてしまったようで、いや、あと少しの所で……」

 

 

「いえ、詩歌さんは、ちゃんと止まってくれましたし。悪いのは全部そいつのせいですよ」

 

 

美琴は慌てて首を振る。

 

あの時、美琴の眼前まで詩歌の右拳が肉薄したが、その寸前でもう片方の左手によって止められた。

 

間一髪。

 

最後の最後で、自我を取り戻した詩歌は、美琴と協力してこの事件の犯人――食蜂操祈を気絶させ、幻覚を仕掛ける事に成功したのだ。

 

今も食蜂は詩歌の創り出した悪夢ともいえる幻想に魘されている。

 

 

「さて、どうやら師匠の方も決着を付けたようですし、後はこの散らかった食堂を綺麗にしなくては……っと、しかし、随分と散らかったものです。……本当に、大変」

 

 

その時、その場にいた美琴やアリサがぞっとするほどの怖い笑みを浮かべながら、詩歌はそっと食蜂の頬を撫でながら、

 

 

「この後に、後輩の躾もちゃんとしなくちゃいけないんですから、ねぇ? フフ、フフフフ……」

 

 

こ、怖い、と2人の思考が同調し、ほんの少しだけ食蜂を憐れんだ。

 

危うく、自分の手で美琴を殴りかけた詩歌の怒りは半端ではなく、その後、食蜂が詩歌の“躾”から回復したのはその3日後。

 

陽菜も、その日以降は無闇矢鱈と勝負をふっかける事が少なくなり、寮監と、そして、詩歌の言う事なら聞くようになった。

 

最後に、美琴も今回の一件(特に食蜂への“躾”)で、姉の恐ろしさを改めて実感し、より詩歌に恭順の姿勢を取るようになる。

 

これが将来、常盤台四天王と呼ばれる上条詩歌、御坂美琴、食蜂操祈、鬼塚陽菜が集った初日の大乱闘で、詩歌が問題児達の手綱を握る、常盤台の隠れた秘密兵器(ジョーカー)になる最初の一歩である。

 

 

 

つづく


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