とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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常盤台今昔物語Q&A 学芸都市

常盤台今昔物語Q&A 学芸都市

 

 

 

学芸都市 浜辺試験場

 

 

 経済を回しているのはアメリカだとしても、技術の中心は学園都市にある。

 

 学芸都市――アメリカ映画産業のライバル意識は科学サイドの最先端、日本の学園都市に向けられている。

 

 『単なる科学の延長線上』にあるCGやVFX技術だけを磨いても勝てるはずがないと踏んでいる。

 従って、学園都市とは違う方向を求めていき、そうなれば最先端とは程遠い伝統芸の芸術美術の方へと向かった。

 たとえば、人形浄瑠璃という伝統技術を一度完璧に分解した上で最先端の映画に応用できるものはないかを調べ直し、綺麗に組みこむ。

 一口に映画と言っても、大昔の恐竜から未来の巨大ロボットまでいろいろなテーマを扱うし、歴史系の資料としても使えるのだから外れたとしても無駄にはならない。

 『こう言う技術がこういう風に進化した』とイメージすることで未来の街づくりの参考になるであろう。

 この手の芸術や工芸というのは、世界中どこでも後継者不足に悩んでおり、職人たちは学芸都市の取り組みを受け入れていて、日本の下町工場とかも来ている。

 このままでは消滅、絶滅してしまう職人芸の保護、それもハリウッドという大市場が大手を振ってしてくれるのだ。

 

 学園都市が最先端科学を集めた街だと言うのなら、学芸都市は世界中にある伝統技術を片っ端からかき集めて形成された街。

 

 そう、学芸都市は、学園都市によって追い込まれた者たちが集った最後の砦なのだ。

 

 

 

 オレンジ色の一条の光が、水平線上の彼方へ―――

 

 

 ……これが規格外な最先端科学の神童(モンスターチャイルド)ッ。

 

 突き抜けた衝撃は海を割り、余波に大きく荒らされる。それを起こした一枚のコインは途上で溶け落ち、波止場にひとり立つ少女は既に次のコインを弾いており―――

 

(ま、こんなものよね)

 

 御坂美琴の代名詞ともなった超電磁砲の実演。

 やっていることはいつもの能力試験と変わらない。ただ、試す場がプールではなく、陸地に囲まれた学園都市では体験できない海。そして、測定器具等試験に関わるだけでない多量の撮影カメラに囲まれている。

 普段より多く見られて張り切ったわけではないが、プールを壊す必要のない、海の解放感、少しもリミッターが外れてないとは言い難いのは確かだ。

 こうして、予定された能力実演が終われば、騒がしさに美琴は迎えられる。歓声よりも驚嘆の方が割合が多めだが、それも予想された反応だ。

 だからか、場の空気にそぐわずひどく落ち着いた彼女は美琴の目についた。

 20代半ばの、褐色の肌の女性。

 能力者の一端を少しでも得ようと情報収集に勤しむ研究員らとは別の、スポーティな競泳水着の上から、オレンジ色の救命胴衣を身に付けた――浜辺でも見たことがある学芸都市の『係員』だ。

 彼女は美琴の視線に気づいたのか、取り繕ったように、ぱちぱちと乾いた拍手を送る。視線は変わらず冷めたままだが。

 

「流石ですねこれが学園都市の超能力者ですか。CGやVFXで再現するのは無理そうだ」

 

 実演後も研究員らは忙しいが、やるべきことはやって、やるべきこと以上にサービスするつもりのない美琴はその場を辞退しようとしたが、進路を遮るように彼女は前に来た。

 首から下げたIDカードには、『オリーブ=ホリディ』と彼女の名前が書いてある。

 

「映画の参考にするって話に聞いてなかったんだけど?」

 

「しませんよ“そんなの”」

 

 『係員』のオリーブはにっこりと笑って、首を横に振る。

 

「超能力をご披露いただき感謝します。我々はプロとして誠心誠意おもてなしさせていただきますよ。相手が子供だとしてもね」

 

 その嫌味なくらい丁寧な言葉は、僅かであっても端々にこちらを見下しきった感があるのを美琴は覚えた。

 

「あらそう。じゃあ、もう行くわね。私、人を待たせてるの」

 

「そうですか。どうやら無駄話にさせてしまったようで、失礼」

 

 とオリーブは一歩横にずれてゆらりと片手を水平に上げる、ホテルのドアマンのようなジェスチャーを取るように道を開けて、忠告する。その瞳の奥に、僅かに冷たい色を含みながら、

 

「ええ、今はお客様(ゲスト)として迎えましょう……しかし、あまり調子に乗らないでくださいね、このクソガキ」

 

 

 

 そして、次に美琴を迎えに来たのは、あの目立つに目立つ、金髪爆乳の映画監督。

 

『操祈さんには、鞠亜さんを付かせています』

 

 と後二人は別の場所にいるとして、ビバリーは是非派手なレールガンをと御志望でこちらについている。

 こちらは、この実演旅行の主旨からしてあまり強く拒否することはできない。彼女のガイド役の提案をたとえ断っても、こっそり付けてくるだろなーこのひと、と何となく予想が付いたし、精々、あまりカメラの撮影記録するのは遠慮してほしいとお願いするしかない。

 

(ま、相手するのは私ひとりじゃないんだし……)

 

 ぶんぶんと大きくこちらに手を振って、その胸が揺れてる。……そちらは目にしないようしつつ、ここまで付き添っていたはずの幼馴染を探して……

 

「あれ詩歌さんは?」

 

「あなたをここに送ってすぐにカジノに行っちゃったわよ」

 

 お目付け役で来てたんじゃなかったっけ?

 

 

学芸都市 カジノエリア

 

 

 レジャーと一口に呼んでも色々とある。

 

 エンターテインメントが盛んな学芸都市にはジャンルもランクもターゲットも様々な娯楽レジャーがエリアごとに区切られている。

 例えば、南国ビーチエリアのすぐ隣のエリアに入ってしまえば、別世界のよう。燦々と照りつける太陽ではなく、柔らかい多数の照明。引いては寄せる潮騒が奏でる自然のBGMの代わりに、室内音楽が空間を適度に満たす。やや音量が大きめで、ルーレットやスロットなどの作動音を誤魔化すにはちょうどいい塩梅に計算されてる。レッドカーペットに、シックな木の柱、テーブルの上を彩る緑色のマットなど、とにかく色合いも多い。

 アルコールに満たされた若者向けのクラブ。

 礼服や品性を入場条件に想定されているオペラ劇場。

 そう、海水浴できないシーズン中も観光客入りを途切れさせないよう、学芸都市には日本では楽しめない金と欲望の遊び場――ずばり、カジノがあるのだ。

 元々このカジノも含めてすべてが映画セットだったものを再利用しているそうで、だからか、どこか見覚えがあるような景観である。

 ファンの人からすれば、ひょっとすると映画の世界に入った気分が味わえるのかもしれない。

 

(もしかして。学芸都市に、あの鉄橋もあるのかしら……って、まだそういう相手はいないんだけど)

 

 美琴は現在、実演後に着替えて、常盤台中学指定の競泳水着ではなく、赤を基調としたドレスを纏っていた。このエリアの入り口付近にあった洋裁店にあらかじめ予約して用意されていたものだ。『御坂美琴・デモンストレーション用衣装』と書かれてあったので、おそらく問題ない(M字のパピヨンマスクもついていたが、美琴は仮面令嬢を演じるつもりはさらさらないし、聞いてない。これはきっと幼馴染の注文だ)。

 

(ま……私はカジノよりゲームセンターの方が性に合ってると思ってたんだけどなぁ)

 

 そんな気合バリバリでやってきた美琴だが、実際にカジノに踏み込んでみると、ここはそれほど厳かな雰囲気に満たされていなかった。ディーラーのいるルーレットやバカラなどのテーブルには礼服の紳士淑女が多いが、反面、無人のスロットが並ぶ一角ではTシャツにジーンズといった風情の人も少なくなく、アロハシャツに水着な格好の人もいる(そう、ビーチエリアから合うサイズを見つけるのが面倒だから衣装替えしてないと言う隣の金髪爆乳のように)。俯瞰して見れば、ちょっと豪華なパチスロをやっているようにしか見えない

 それと、アメリカ、というより、学芸都市の法律がどうなっているかは分からないが、少なくともこの学芸都市の中では大人も子供も区別なくカジノのホール内を行き来していた。親の後をついてくる場合が多いが、ここは同伴でなければ決まりがあるのではなく、会員制という訳でもない。そもそも観光客の場合、子供は家族連れでやってきているからだと言うのがその理由だろう。

 そんなわけだから、チューガクセーの御坂美琴がカジノ内を練り歩いても、特に引き留められることはない。

 むしろ水着姿の時よりも声掛けられなくて楽である。

 

(……まさか宣伝写真が水着のブロマイドだったりしないでしょうね)

 

 学芸都市に御坂美琴は『学園都市から来た超能力者』という広告がされてビックネームになっているようで、先程は囲まれてしまったけれど、今は指を差されることもない。

 ドレスによって雰囲気が変わってしまったからか、注目を浴びることはなくなったか。

 あの目立ちたがり屋の女王と違って、このほうが美琴は助かっているので別にいい。

 今の御坂美琴の心配事はひとつだ。

 

「……詩歌さんを、カジノに連れてこさせたら大赤字になるわね」

 

「へー。彼女、意外とギャンブルに我を見失っちゃうタイプなの?」

 

 そんな美琴の言葉にビバリーの脳裏に連想されたのは、バカラのテーブルの前で最後のチップがディーラー側に呑みこまれていくのを茫然と眺める詩歌の姿。身包み全部剥いじまえ、金になりそうなものは全部没収だー! ……とまではいかないけど。

 

「でも、安心なさい! 学芸都市のカジノには、初めてのお客さんにだけ利用できるビギナーズラック制度があるのよ! お金がなくても無償で300ドル(およそ3万円分)のチップは渡されるわ。ただし、店を出るまでにその3万円分を使い切るのが条件だけどね。儲けたらその分が懐に入るし、負けてもチャラって寸法よ」

 

「それってギャンブルの味を舐めさせて、中毒症を誘発させるための施策じゃない」

 

「2、3日で帰っちゃう観光客には依存するほどの時間はないんだから問題はないんじゃない。あくまで、このカジノ施設も、映画の雰囲気を味わうためのセットのひとつなんだから」

 

 一応、係員側も金銭的な責任能力の保証がない未成年の客にはそう配慮して、破産させるような事態の前に止めてくれるだろう。

 

「でもおあいにく。私が心配してるのはそっちじゃないわ」

 

 二階席から見下ろすような格好で、一階にあるゲームのテーブルへ目をやる。

 その中に一際、目立つ多くの人々が集まっている席があり、案の定そこだった。

 パレオとパーカーを外しており、代わりに土産物に売っていたと思われる(カフス)(カラー)、それに蝶ネクタイを付けて、燕尾服を羽織っている、髪を片結びにしていたそのトレードマークのリボンの配置を頭頂後ろ辺りに持っていき、ウサギの耳のように立てており、水着にバニーさんに必要な最低限要素を盛り込んだようで、この上なくビーチと併設したカジノという場に溶け込んでいるスタイル。

 でテーブルの上に。

 ………………………………………………………………………………………………。

 美琴は色んな意味で息をついて、深呼吸で調子を整える。わかってるこれは想定内。その即席バニーガールな格好だけで幼馴染的にくるものがあるというのに、今見たものを消化できるくらい落ち着きたい美琴の心境を無視して横から歓声。

 

「ワァオ! あんなにチップが山になってるなんて、現実じゃそうそうないわよ! 荒れも学園都市の能力ってやつなのかしら!」

 

 手のひらにすっぽり収まる超小型サイズなハンディカムカメラ片手に(入れるとこのない水着姿でどこに隠していたかは気にしない)その光景を映す金髪爆乳。

 まあ、確かに記録に残したいくらいのものかもしれない。塵も積もれば山の如し。最初のおためしサービスから百倍以上に達してそうな額である大量の高額チップで一夜城ならぬ一夜山を作った水着バニー娘。

 ……まずはそこの映画監督の誤解を解く。ついで、精神安定に努めたい。アレが不思議ではないことを証明するためにも美琴は自分で自分に説明するよう自論を展開。

 

「ギャンブルで稼ぐのに特別な技術なんていらないわよ。もちろん能力も。たとえば、そうね。ポーカーも数学に、統計学と確率論ができれば誰でも勝てる」

 

 数多くの経験値を積んだプロのプレイヤーでも、ギャンブルで全戦全勝はありえない。ギャンブルに必要なのは、最初の段階で勝てる勝負と勝てない勝負を明確に見極めること。最小の被害で負けを押さえ、最大の利益を価値を押さえる。この落差を広げることで、最終的にプレイヤーは勝利の栄冠を得ることになる。

 

「それから経済学も学んでおくといいかもね。あれって、基本的に心の動き――心理戦の学問よ。市場の不安が広まって、株価が意味もなくガタ落ちしたりするのと、勝負に乗るか降りるかの駆け引きなんて一緒」

 

 隣近所だった幼馴染の父親、上条刀夜は経済学や心理学などの知識をフル稼働させて戦う『証券取引対策室』という少数精鋭の営業担当だと耳にしたことがあって、幼馴染はその父親を持って幼い日を過ごした。医者の家の子が医者になるとは言わないが、将来のために、とまだ幼稚園では算数を習っていたようなころから、飛び級するようなペースで幼馴染に教えられながらも付き合っていた美琴は、彼女がその父の本棚にある経済学論をよく読んでいたのを知っている。

 

「ブラックジャックなんてものもトランプ6組312枚――出たカードを一枚一枚全部覚えて残りのカードを推測するカウンティングができるくらいの暗記術と計算術があれば―――「でも、そういう駆け引きができそうなポーカーじゃなくて、彼女がやってるのはルーレットよ?」」

 

 うん、知ってる。

 だから頭が痛くなるくらい困ってんのよ。

 

「……あまり非科学的になりそうだから認めたくないんだけど。そんな細かい理屈理論を一切合財抜きにして、あの人は別格。本当にいるのよね、常識外の豪運の持ち主って」

 

 ルーレット。腕に覚えのあるディーラーならば、狙った場所に球を落とすこともできて、それである程度場をコントロールしていると言うが、この流れは変えられない。

 何度やっても。

 何回やっても。

 ディーラーの係員が調整しようとしても、一向にチップは減らず、山は倍々に詰み上がっていく。

 他のお客さんもこの絶賛一人勝ち状態に悔しがるどころか、見物のように熱中しており、むしろ邪魔をしないよう見守っていて、今やカジノ側のディーラーと今日カジノ初挑戦の女の子と一対一になっている。

 

 

「うん、偶数に全部で」

 

 

 帰り道に『今日はあそこのスーパーがセールで鶏肉が安かったですね……』と今日の献立にでも悩むのと同じく、人差し指を傾げた顎に当てた仕草でちょっと考えてから、適当に言われた言葉により、山のようなチップがルーレット大の上を移動した。

 周りにいたギャラリーは、静かなどよめきと共に、一か八かの大勝負への挑戦者に注目する。視線を集める少女――上条詩歌は、さして気負うことなく、優雅に座りながら、同じ卓を囲った老齢な東洋系の男性たちと会話に花を咲かせている。

 ディーラーが球を放てば、その行方を追う程度で、特にルーレットに集中している様子ではない。

 もはや、鉄火場というより、お茶会である。

 

 

 やがて、ルーレットの玉が赤の数字に落ちると同時に歓声と拍手が巻き起こる。

 

 

(さっきは喧嘩を売られてここの係員に対して不快な思いしたけど、あの係員(ディーラー)が可哀想になってきたわね)

 

 心なしかディーラーが涙目になってきている。

 御坂美琴は、自分が負けず嫌いであることを自覚しているが、それでも避けたい勝負がある。

 

 ルーレットやコイントス、知略と計算の先にある、運、が強くかかわるゲームを幼馴染――上条詩歌とやる場合だ。

 

「紙を延々と折っていくと、やがて厚さが月まで届くっていう話があるじゃない」

 

「? それがどうしたの?」

 

「月に行ったのよ、詩歌さんは」

 

 たとえば、ジャンケンに勝てば10円もらえるゲームがあったとして、このゲームで二回連続で勝利すれば、倍の20円がもらえる。そして三回連続で勝利すればさらに倍の40円がもらえるとする。

 要するに、連勝記録を伸ばせば伸ばすほど、大量の賞金が獲得できるゲームというわけだが、

 さてこのゲームにプレイ料金が絡むとするのならば、一体いくらまでなら支払うべきであるか―――これが、サンクトペテルブルクのパラドックスという思考実験である。

 

 問題の内容はシンプルに見えるが、しかし実のところ、この問いは意外に難しい。そこがこの思考実験のパラドックスと呼ばれる理由であり、

 なぜなら、確率的な話をすれば永遠に連勝し続けられる可能性は、けしてゼロにはならない―――

 そして倍々ゲームで獲得賞金が増えていくということは――計算上、厚さ1mmの紙でも32回ほど折り続けていけば月にまで届くという話を引き合いに出すまでもなく――勝ち続ければその額は天文学的な額となることは想像に難くないだろう。

 期待値を式に書いて計算すると、その答えはほとんど無限大になってしまい―――つまり、一度のプレイ料金がいくら高額であろうとも、期待値を鑑みる限り、支払うべきだという結論になってしまう。

 もちろん、これは思考実験であり、実際にはこれは、酷く部の悪いギャンブルということになるのだ。

 

 だが、さて。

 

 この机上の空論とも呼ぶべき幻想さえ実現してしまうのが、幼馴染。

 

 学園都市と伝手のあった父旅掛が用意した、何やら能力者になる素質を簡易的に見るテストで、ほとんどが直感や偶然に頼るようなそれを、50問、一度も外すことがなかった。月の向こう側まで行ってしまった。

 

 で、今回はビギナーズラック制度の300ドル分のチップで、一体何連勝したのかしれないが、とりあえず一山を築いてる。

 計算も技量も高いが、何よりその運が太い。それも周りに期待されれば期待されるほどそれに応えるように雪だるま式に極太になっていく性質だ。

 

「前にバカみたいに当たり付きの自販機でフィーバーしてたし、アレって確率どれくらいなのかしら……」

 

 長年幼馴染の超能力者にも説明がつかないその運の強さは、能力というよりも特性というべきものだろう。

 彼女の母方の家系は『竜神』は代々運が良いのだそうだが、幼馴染は極めてその典型だ。

 とにもかくにもこう言う賭け事は独壇場。

 こうなったら、どちらかが当たりで外れがある二分の一の確率で、純粋に勝ちを望んだ場面、彼女は確実に、当たり、を引く。

 

 その限界を御坂美琴は未だに知らない。

 それに加えて……。

 

 

「では、今度は色で。赤に全部で」

 

 

 と宣言すると同時。

 

 ―――よーし、それじゃああの娘と同じ俺も赤で!

 ―――景気づけじゃ! わしらも嬢ちゃんに全て賭けるぞい!

 ―――ここで幸運を分けてもらうのはそれだけでこれからの仕事の最高の験担ぎだ!

 

 とこぞって、同じ卓を囲ってるプレイヤーもこの勝ち馬に乗った。

 説明のできないが確かな幸運に、根拠がなくても賭けさせてしまう魅力。つまり、カリスマがあるのだ。

 ただでさえカジノ側も流石に無視できない金額を賭けられているのに、この全員全額投資が成功すれば洒落にならないし、かといって、イカサマだと言えば、そんなことはしてないのだから証拠もないし、無実であることが証明されれば評判は最低最悪になる。

 

「だから、カジノに来させてはいけないのよ。下手をすれば、店の方が破産す(潰れ)るわね」

 

 

 ここで、黒に入れることができれば、カジノ側とすれば総取りで万歳。

 確率は二分の一。狙った場所に落とすなど、ディーラーにはPKでゴールを決めるようなもの。そして、試合の勝敗がかかったPKとなれば、そのプレッシャーは大きいもの。

 

 

 それで。

 どぉ!! と。スーパーセーブでサッカーの決着がついたかのように、ギャラリーたちの歓声が一気に爆発した。

 

 

 ―――うぉーーー大儲けだ!!

 ―――ありがたやーありがたやー!

 ―――幸運の女神だ! エンジェルだ!

 

 

「決定的瞬間ね! ラスベガスドリームを実現しちゃったわ! これで一生遊んで暮らせる金額を手にしたんじゃない?」

 

「いや、それはないわよ。神懸かっている豪運なのは確かだけど、詩歌さんは、引き際は弁えていると言うか、その辺は無欲だし……」

 

 

 美琴の予想通り、詩歌は獲得した最高額のチップの内、ビギナーズラック制度返金分の300ドル分のチップだけを摘んで、立ち上がった。

 それに、待ったをかけるは同じ卓を囲んだプレイヤーとギャラリーたちだ。

 

「お嬢ちゃん、このチップはどうする……」

 

「置いていきます。元々、社会勉強のために訪れたんですから。お店側のご厚意で戴いたこのチップと、あなた様方が稼いだものとは訳が違います」

 

 立つ鳥は後を汚さずに。

 店が潰れるような事態は、流石に杞憂であったか。

 

(ここでもらっておける性格だったら、今頃……)

 

 係員のディーラーは首の皮一枚繋がったと安堵してるだろう。

 

「いやー、なんだかコバンザメみたいに俺たちだけが稼がせてもらったようで悪いな」

 

「では、大変興味深いお話を聞かせてもらったお礼と受け取ってください」

 

 

 

「ほーんと、先輩はやることなすこと目立つから捜索力が楽だわぁ。デモ、女子一人でカジノ、というか、その水着バニーな格好力、お兄さんが知ったら色んな意味で噴火モノだゾ」

 

 と。

 

「……イカサマもしてないのに超極太な幸運力でチートしてるわねぇ。ほとんど切れてるくらい細い薄幸のお兄さんとはまったくの対照的。だからこそ、釣り合いが取れてるとでも言うのかしらぁ」

 

 美琴に挨拶もなく、隣で同じく階下の様子を窺っていたのは、こちらも超能力の実演が終わった食蜂操祈。

 その斜め後ろ辺りには繚乱女学院からのサポーターである雲川鞠亜がいたが、そのあまりに奇抜な改造ミニスカメイドのせいで、係員と間違われたのか、何故かドリンク配りしてる。

 

「どこかの幼馴染は収穫力ゼロとか言ってるけど、どうやら先輩は大変なものを盗んでいったわぁ☆」

 

「何意味深に映画のセリフっぽいこと言ってんのよ」

 

 とりあえず、これで全員がそろったか。あとは詩歌に声をかけて……と。

 

(そういえば、あそこのテーブルにいたのはみんな東洋系だったけど、アレってまさか日本から来たっていう職人さんたちなのかしら?)

 

 カジノで気晴らしにでもしに来たのだろう。

 なんて、もう少し早くにそれに気づけたら、この展開が予測できたのかもしれない

 職人は、男の園である。そして、異国の中でも日本人街ができあがるように彼らは彼らだけのコミュニティを作っており、そんな中に故郷日本からやってきた優しいかわいい大和撫子と話をしたならば、そりゃあ相好を崩すか。今やアイドルみたいに崇められても不思議ではない。

 さすがに卓に付いているプレイヤーの職人頭が、詩歌ところに押し寄せて来るようなことはしなかったが、そのギャラリーの見習いや若い職人の目線は、さきほどから幼馴染に集中しまくっている。

 視線が物質化するものなら、多分、詩歌は全身ハリネズミみたいになっていることだろう。

 

 もっとも、詩歌はそういった視線をあまり苦にしていないようだった。

 この辺は、さすがに常盤台中学の教育もあるのだろうが、昔から鍛えられてきたといったところだろうか。

 

 だが、伏兵は思わぬところからやってきた。

 

 若者たちだけでなく、すぐ後ろのカウンターで酒を飲みながら美琴たちと同じように様子を窺っていた、アンタ明らかに妻子持ちでしょ、と突っ込みたくなる連中までが詩歌を見つめていたのである。

 幼馴染は肉体は大人顔負けで、精神が老成していたとしても、あれでまだ中学生。それをおじさんかお爺さんが口説こうなど、軽く犯罪みたいなもの。

 それどころか、その中の一人がとうとう直接、詩歌の近くに行き、こんなことを口走った。

 

 

「な、なあ、君は。その、なんだ。良い人はいるのかい?」

 

 

 ざわり、とその一帯、美琴たちのいる二階の付近までもがざわめいた気がした。

 詩歌が頬を赤らめながら、首を横に振ると、男は更に勢い込んで、詩歌に詰め寄る。ここが山場だと自分が監督ならそう差配するとビバリーのカメラがそこへズームされる。

 流石にちょっと洒落にならないわよ、と美琴が割って入ろうかと身を乗り出した時だった。男は大声でこう叫んだのである。

 

 

「なら、ウチの息子と見合いしてくれんかッ!?」

 

 

 その言葉を聞き、おもわずこける美琴と若者たち。

 

「あらぁ……そこまでは予想力が付かなかったわねぇ」

 

 だが、こけたのは、一定より下の年齢の者だけであった。

 男の言葉に触発された中年、あるいは老年(つまりは職人頭の方々)の男たちが、我も我もと詩歌に群がったのである。

 

「いや、娘さん、俺の息子の方が有望だ! 将来は一番の職人になってこの学芸都市から日本へ錦を飾る!」

「いいや、陣外さんトコはロックスターを目指すとか騒いどったじゃろ! それよりワシの孫に嫁いでくれんか? 歴史に名を残す大物になるじゃろう!」

「あれ、確か去年、お孫さんが生まれたっていってませんでしたっけ、米先の頭?」

「妻が年上の方が、家庭は上手くいくもんじゃ! 実経験じゃぞ!」

「いつまでこの娘さんを待たせる気ですかいッ!? 娘さん、そこをいくと、うちの甥は一味違っててな―――」

 

 あー、なんだ、その。

 なにか、いつのまにか身内の自慢大会になってない?

 

 彼らのあまりの迫力に、こっそり声をかけようとした若者たちも竦んでしまっているし。

 おそるべし、家族愛。

 で、それに捕まっちゃった幼馴染は大変、困ってる模様。

 視線を察したのか、気配を感知したのか、美琴たちのいる二階にちらちらと視線を送っている。

 

「何か助けを求めてるみたいだけどいいの?」

 

 今日会ったばかりのビバリーもわかったのか、美琴たちに問う(相変わらずこのドタバタをカメラで記録しているが)。

 

「あー。うん、そうね。助けてあげないといろいろまずいわね……」

「じゃあ、いってらっしゃ~い♪ 私は、ここで見守っててアゲルから☆」

「行く気ゼロのようだけど、アンタこの前『先輩に借りを返したい』とか言ってなかったっけ? チャンスよ今」

「御坂さんもお姉さんな幼馴染には世話になってるんだから、こんな時は率先して働かないといけないんじゃない?」

 

 超能力者二人は、小突き合いの応酬を繰り広げながらこの貧乏くじを譲り合って……

 やがて、『詩歌さんの責任もあるんだし』『お目付け役をサボったのがそもそもの原因力なんだしぃ』と……

 助けないと後が怖い気がするけど、今、あそこに飛びこむと自分達まで格好の見合い相手と見なされて巻き込まれかねないし、きっと、後輩の助け船を出さなくても自力で陸まで泳いで来れると信じてる。

 最終的に、黙って見てみよう、と両者は結論を出した。

 

 

近況報告

 

 

『蜂の女王//

 これから船上でパーティ♪ 独り身で寂しい夏を過ごしているお兄さんに、私の美貌力を余すことのないドレス姿を送ってア・ゲ・ル☆』

 

『とうさん//

 なあ、詩歌から着信拒否されてんだけど、何かあった?』

 

『蜂の女王//

 第一声からこの……ひとり慰めてもいいように私のベストポーズの写真力をもらって何でそんなに無反応なのよぉ!』

 

『とうさん//

 いや、詩歌にメール送っても『よく揉んでる誰かさんの胸に手を当てて考えなさい』ってしか。怒らしたっぽいんだけど、意味がわからん』

 

『蜂の女王//

 あ』

 

『とうさん//

 お前が何かやったのかやったんだなやったんだろおい!!』

 

『蜂の女王//

 そういえば、水着バニーな先輩がカジノでおじさんから見合いを申し込まれていたわぁ』

 

『とうさん//

 Ha?e?tyo?oi!nani!?oniityannrikaidekinaindakedo!!kuwasiku!!』

 

『蜂の女王//

 落ちついて。私が言うのも何だけど落ち着いて頂戴』

 

『とうさん//

 ああ、そうだなすまん。とりあえず、状況を理解したいからその水着バニーな写真を送ってくれ』

 

『蜂の女王//

 帰ってきたら先輩の胸に手を当てながらお願いしてみたらいいんじゃない』

 

『とうさん//

 よくわからんがわかった。っと、ドレス似合ってるなさすがお嬢様。実演旅行頑張れよー』

 

 

学芸都市 港

 

 

 橙色の夕日が、波のない海面に大きな影を落としていた。

 巨大な外装に純白の塗装が施された様相は、あたかも聳え立つ城砦で、そこに斜陽がエメラルドグリーンの海から反射したうっすらと緑に染まったライトアップの自然の演出は蔓が張り付いるようで、いかにもな雰囲気がある。港に降ろされた乗降口は、人間を城へと呑みこむ口器に見える。

 ある豪華客船沈没を描いた映画のため用意されたという学芸都市船籍<グリーンタートル>は、全長200m、幅30m、そして重量4万t級という巨体を悠々と海に浮かべていた。セットのひとつであるのだが、世界一周が可能な国際遠洋船の設備であり、それが港に停泊した様は壮大で、見上げるだけで圧倒される。

 

「装飾を手掛けた職人さん方から聞くところによると、『安全で快適な娯楽の街』の学芸都市の象徴として、ここ最近に出来あがったのが、あの<グリーンタートル>。救命船の<サーモンレッド>とは違い、一般に開放されている客船です」

 

 学芸都市海岸12ヵ所に格納されている一隻当たり8万人前後を乗船できる200mクラスの高浮力式船舶<サーモンレッド>がある。

 名称通り卵を抱え込んだシャケのように小型ボートを大量に抱え込んだ超大型救命船なのだが、

 ただ、学芸都市の周辺海域は、これもまた映画撮影時の名残から『50年後の動植物の環境』に調整されていて、海域の内外を区分ける仕切り生物ガードが張られている。魚を行き来させない網は当然、船舶は引っかかるためそう滅多に動かしたくはない。

 また、『安全で快適な娯楽の街』、というイメージ上、『いざというときの救命船』という形でアピールしたくはなく、その為のカモフラージュも欲しいところ。

 という訳で、ある映画撮影にも使われた、学芸都市の周囲を網にかからない決まったコースで巡る超大型客船が、この<タートルグリーン>である。

 

「今日の最後の予定は、あちらでのクルージングパーティに参加することです」

 

 ガイドのように手を向けて示しながら詩歌が言う。最初の水着から簡単な小物を交換した先程のバニー、して今は水着の上にワンピースを着て薄手のカーディガンを羽織り海船に似合う涼しげなサマードレスに仕立てている。黒の柳髪の上方を両側面から後頭部にかけてまとめ、後ろでお馴染のリボンでひとつに結んで、お嬢様結びにしていて、避暑地の御令嬢に七変化。なんとも器用な幼馴染だと美琴はつくづく思う。

 

(今の詩歌さんを見ると詩菜さんを思い出すわね……親子そっくりというか、親子というより姉妹って感じなんだけど)

 

 とにかく水着バニーよりはだいぶましなので、一後輩としても、一妹分としても胸をなでおろす。美琴の方も先のドレスに着替えていて、櫛を入れて綺麗に髪をまとめられており、パーティ仕様(スタイル)

 

「超能力者様の歓迎会、ねぇ」

 

 当然、もう一人の女王こと食蜂操祈も豪奢なドレスに着替えている。目立ちたがり屋な性分だと思われるこの同級生は、こういうイベントには気合を入れるのだろう。先程も自撮りしてどこかへメールを送っていたが、急ににやにやしたりしてたが、おそらく『派閥』の子たちにでも自慢したんだろう。

 

「ま、キナ臭い感じはするけど、私の天才力を讃えるのは当然。そこのスタイル力が貧相で馬子にも衣装な小娘はおまけとして」

 

「あんたはいちいち人の身体的特徴をあげつらわないと気が済まないのかしらーん」

 

「競泳水着で浮きまくっていた御坂さんが、さっき水着売り場を眺めてぼんやり考え事してたみたいだけど、何を悩んでいたのかしらぁ? スリリングショット? マイクロビキニ? ブラジリアン系? アイフロントにオーバックなんてものも揃ってるみたいだったけどぉ」

 

「ぐわああああああ!! この国は布が少ない方が正義ってルールでもあんのか!?」

 

「でもぉ、そういうのって、体と布地の間に、ブリッジ状の隙間ができるからトリッキーさが演出されるのよぉ。つまり、着る人を選ぶってわけ。あなたの胸囲力じゃあ、糊で包帯を貼り付けるミイラ―――」

 

「テメェそれ以上言いやがったら私の全能力に掛けてその胸に付いた脂肪をゼロにダイエットさせてやるわよ!!」

 

 不毛な言い争いをする超能力者。実演旅行というアピールのために来ているのだから、外交的にまずいだろう。しかし、いつも止めに入るはずの監督役が止めに入らない。と、意識の半分をそちら側に割いていた両者はそこで、様子を窺うと、にこにこと笑っている。

 そこだけを切り取って見れば、後輩の新入生方には『お姉様』と呼びたくなるのも納得の一点の曇りのない完璧な微笑であったが、『笑顔の時ほど怖い』ということを承知している御坂美琴と食蜂操祈は、雲行きが怪しくなってきたのを察知する。温厚そうに見えて、結構キレやすい微笑みの聖母様は、お仕置きすると決めたら絶対にお仕置きする。後輩に無茶ぶりな強権を振りかざすことを嬉々としてやるだろう。そして、それから逃れたことは、超能力者は一度もない。

 今からでも謝るのは遅くない―――その機先を制すように、一層魅力的な笑顔を見せる詩歌が口を開く。

 

「ふふふ、カメを助けた浦島太郎さんは竜宮城へと招待されましたが、先輩を見捨てた後輩二人はどこへ行くのでしょう?」

 

 ゴクリ、と美琴は唾を呑みこむ。

 その意味深な問いかけは、何が暗示されているのは詳細は予測付かないが、とにかく、根に持ってるのはよくわかった。

 やっぱり、あのとき助け船を出すべきだったか、とにっこり笑う詩歌を見て二人は早くもあの時の結論を悔やむが、過ぎ去った時間は戻って来ない。

 そして、詩歌は後輩(こちら)ではなく、エリートメイド見習いの助っ人の方に。

 

「鞠亜さん、チェスボクシングでKOで終わった棋譜の続きもしたいんですけど。覚えてます?」

 

「無論だぞ詩歌。アレは詩歌が関節技を仕掛けてこなければ私が勝っていたはずなのだがな」

 

「先にお得意の蹴り技から三角絞めを使ってきたのは鞠亜さんでしょう?」

 

「そういうセットの技なのだから流れで身体が勝手に動いてしまったんだ。けして、

動くたびに揺れるふくらみを潰してやろうとか考えたわけではないからな」

 

「では、今夜、決着をつけましょう」

 

 よろしくない。

 外堀から埋められていくような悪寒が美琴の背筋を伝う。

 

「さて、私たちは船に一泊する予定になっていますが、それでビバリーさんはどうします?」

 

「うーん、ついてくわよ。どうやらパーティはチケットがなくて参加は自由なようだし。でも……」

 

「ええ、部屋でお困りでしょう。流石に実演に疲れているでしょう後輩たちを1日中密着取材に付き合わせるのは遠慮を願いたいところですが、私たちのところなら」

 

「えっ、いいの? こっちは渡りに船なんだけど」

 

「調度品を作る職人から聞くところによると、<グリーンタートル>は、最低3人部屋からなんです。ですから、ベットの空きに余裕はありますし、折角の縁ですから。この実演旅行の目的は『外』との交流です」

 

 ぱん、と手合わせた際の音が、裁判官が判決を言い渡す際の音に聴こえた。

 

 

「―――はい、というわけで。美琴さんと操祈さんは同じ部屋です」

 

 

 バリッ、と崩壊質な空電の弾ける音。それが脳内のイメージではなく、現実の現象として現れていきそうなくらいの衝撃であった。

 常盤台中学の超能力者双璧の関係性をよく知るのならば『混ぜるな危険』とても口にできないような提案なのだが、爆弾発言を口にした相手が相手だ

 ここで自分に素直に絶対にイヤ、と言っても、それでは通じない。

 まずは無難に思いつく辺りから、と美琴が口を開く。

 

「えー、っと、てっきりさっきのグループ分けで部屋決めされてるんだと思ったんですけど」

 

「実は、綿辺先生から『我が校の超能力者二人は仲が悪いのか?』と心配なされていて」

 

 人間社会でそりが合わない相手というのは必ずしもいないわけではないのだが、それが超能力者同士であって、超能力者の影響度を考慮すれば、話は別。

 去年度には『派閥』間の陰の抗争で相当気をもんだと思われる教員陣は、噂話とは言えその評判を看過できないだろう。

 

「それで詩歌さん、『喧嘩するほどのあれですよ』と応えちゃったんですが、先のやり取りを見ますと、美琴さんと操祈さんの関係改善も旅行の趣旨に盛り込むのもやむをえませんね」

 

「「はぁ!?」」

 

「荷物の方も一緒の部屋に運ばれているでしょうし。パーティが始まる時間まで少しありますので、それまで部屋に荷物確認してください」

 

 外堀どころじゃない、本丸も堕としにかかっていた!

 コンビを組むなど土下座をしてもお断りだが、一夜を共にするとなれば、呉越同舟もやむなし。

 

「だったら、もう一部屋くらいとりましょうよぉ♪ たとえ予約で一杯でも私の改竄力があれば記憶に違和感を抱かせることなく人をどかせるし、御坂さんが電子記録を消してくれたら、証拠も残さずに余裕で空けられるわぁ♡」

 

「確かにできるでしょうけど、無闇な能力使用はダメです。それに、管理のためには一緒の部屋にいてくれた方が好都合なのもあります」

 

 詩歌がじろりと視線を送ると、食蜂はぷーっと不満げに膨れて唇を尖らす。

 そんなやり取りが、少し、意外だった。

 実際、食蜂操祈という人物はわざとらしい仕草もするし、人をからかう真似を多々するけれど、今の幼馴染に対する反応は自然と淀みなく出てきたように思える。

 思えば、御坂美琴は食蜂操祈のことをまるで知らないのだ。序列五位の超能力者、最上の精神系能力者、最大派閥の女王、甘い汁をうまく啜る性悪……

 それら今知り得る表面的な情報は知り得ても、本質的な部分は仄暗い澱の溜まった水底を覗くようにまるで見えない。

 最初が肝心の出会いが出合いであれだったからの忌避感もある。旅行先でその人の普段気付けない部分が見えてくると言うけど、とても第一印象を塗り替えるようなものとは思えない。

 一応、後輩という意識があって、幼馴染への態度に、敬意とか尊崇とかその辺の配慮がないわけでもないのはわかってるけど。

 大袈裟にがっくりと肩を落とすと、身体を倒したまま女王は顔だけ向ける上目遣いの甘えるような視線を幼馴染に向けた。

 

「あ、そうだ♪ 実は色々と相談したいことがあるのよぉ?」

 

 いつもと変わらないおちゃらけた調子の言葉。

 それに、上条詩歌はふと真剣な眼差しを返す。

 胸の前に、静かに指を交互に挟むように両手を合わせる。静かに、食蜂の眼を見ながら耳に柔らかな優しい声音で言葉を紡いだ。

 

「もしも操祈さんが本当に悩みを相談したいことがあるのなら、いつでも受けましょう」

 

 その言葉に、食蜂の肩がピクリと反応した。それは温かなものであったはずなのに、氷風を浴びたように女王には珍しくも硬直。

 幼馴染を見上げる瞳は、いつもの十字の光は輝きに翳りが差しているよう―――だが、それも瞬きの間に、いつもの曇りのない調子を取り戻していた

 きっとそれは見間違いと処理してもおかしくはない瞬間の出来事であって、けれど、二人が視線を通わせた時間はもっと長い時のように思えて、割って入る邪魔の許されぬ空気に美琴はしばし息を止めていた。

 そして、こちらを見て―――

 

「……そこのお姉ちゃん大好き過ぎて独占力の高いレールガンが、ちょっと近付くだけで嫉妬にビリビリしてくるのをどうしたらいいのかしらぁ♪」

 

「はぁ!?」

 

「夜は添い寝をしてくれないと満足に眠ることができないからって、無理矢理同じ部屋のルームメイトにしてほしいと寮監に直談判したウワサを耳にしたことがあるんだけどぉ♪」

 

「あ、アンタねぇいきなり何―――」

 

「あら、そうだったんですか美琴さん。お姉ちゃんとして、これは姉妹水入らずの時間をどこかに設けないと……」

 

「違います! 違うから! コイツが言ったことは全部根も葉もないウソよ!」

 

「そうやって、思ってることと反対なことを言っちゃうのが御坂さんのツンデレ力なのよぉ」

 

「ほう。第三位がそういう性癖だったとは。会う度にプライドをへし折ってくれる姉をもった私には理解できないものだが」

 

「二人ってそういう関係だったんだ。うん、大丈夫。こっちじゃ、同性には寛容よ」

 

「(ほらぁ、ここで本性曝け出しちゃって甘えなさいよぉ! そうすれば同室回避できるし、上手くすれば兄離れも出来てこっちは万々歳なんだからぁ!)」

 

「(できるかっ!!)」

 

 バチン、と荒ぶる美琴の感情が紫電となって現る。

 冗談めかして話を打ち切って、きゃー、と幼馴染の背中に回り込むあんにゃろう!

 深いため息をつく詩歌から差し出された部屋の鍵を取って、部屋に入って行ってしまった。

 

「慣れないことに戸惑ってしまったんでしょうね」

 

 美琴とは違って、真摯に真剣に詩歌はその後を目で追って、呑みこむようにゆっくりと瞼を閉じてから、くるり、と美琴の方を向いて、ひとつ、確認する。

 

「そういえば、美琴さん。実演の際、誰かにイジワル言われたりしましたか?」

 

「え」

 

 その不意を打つかのような突然の問いかけにどのような意図があるのかはわからないが、あの黒人女性の『係員』(オリーブ=ホリディ)が心当たりに浮かぶ。口にせずとも素直に顔に出る妹分の表情から心情を十分に悟ったのか、それ以上の追及もせず、美琴の答えも聞かずに終わりにする。

 

「ふふふ、実演ご苦労さまです。これはご褒美を用意しなくちゃいけませんね」

 

「いりません。別に何かが欲しくてやってるわけじゃないし。そういう詩歌さんは、その間、カジノで遊んでたようですけどね!」

 

 何となく、あっさりと内心察せられたのが悔しくて、美琴は今日の監督役の勤務態度を責めた。が、妹分のそんなツンとした態度もお見通しなのがこの幼馴染。

 

「へぇ、そんなこと言っちゃうんですか美琴さん……」

 

 チャラ、と詩歌は美琴の目線に合わせて、そのキーホルダーを摘み上げる。

 その数、5つ。その顔はどれも同じカエルをモチーフにしたものだが、来ている衣装は全部違う。そして、御坂美琴の目にはそれが此処でしか手に入れられないご当地限定品だということもわかった。

 

「!?!?!? し、詩歌さんこれって……!!」

 

「ハリウッドのアクションゲコ太、ラスベガスのギャンブラーゲコ太、カリブのバイキングゲコ太、NASAのエイリアンゲコ太、ハワイのアロハゲコ太……

 学芸都市も学園都市の協力提携を結ぶことになりましたから、このような記念品もつくられたんですよね。といっても、流行に浸透しておらずこちらではあまりメジャーではないので数は少ないし、探すのに苦労しましたけど、おかげで全部揃えるのにぐるーっと一周走り回りました」

 

 生粋のゲコラー(マニア)として、それらはネットオークションで定価の倍以上の値段をつけられても手に入れたい。

 しかも数量限定。それを先取りして、確保してくれた姉に美琴は感謝が絶えない。

 

「きっと美琴さんは欲しいだろうなー、って。でも、自由な時間が取れないから代わりに詩歌さんが、っと思ったんですけど、いりませんか。そうですか。残念です」

 

「あ、その、詩歌さん……」

 

「しかし、美琴さんの無報酬でやっているという心意気に水を差すことは、姉として心苦しいものです」

 

 口から出た言葉は引っ込めない。しかし、喉から手が出るほどに欲しい。

 宝物(ゲコ太)を懐に仕舞うのを見て、美琴は思わず、ああ~、と惜しむ声を漏らしてしまう。それに、詩歌は釣れたとばかりに目を光らせる。

 

「なので、これはクラスメイトの土産にすることにします。ええ、きっと彼女なら素直に喜んでくれるでしょう」

 

「ま、まって!!」

 

「何でしょう美琴さん」

 

「せっかく集めてくれたんだし、くれるなら、もらってあげなくも、ないけど……」

 

「はい」

 

「だ、だから!」

 

「こういうとき、素直に言ってくれる子がいいですね」

 

「…………………ゲコ太、欲しいです」

 

「よろしい、と言いたいとこですが、お姉ちゃんがなかったので百点満点とは言えません。これでは、ゲコ太は3個ですね」

 

「そんな!?」

 

「あら? 5個全部ほしいんです?」

 

「うぅ~~~~っ!」

 

「では、どんな子と同室でも文句を言わないというのなら、考慮します」

 

「ぐ………努力、します」

 

「ふふふ」

 

 ぽん、と葛藤の末に湯立つ頭に手を置いた。

 小さく呻きながらも、手渡されたご褒美を突き返すような真似はせず、いじらしくも胸に抱いてる妹分に、よしよしと存分に撫でさする詩歌。この収穫に、駆け回った分の元が十分に取れたと御満悦である。

 

「さりげなく注文追加してたわね」

 

「姉ほどの悪女ではないだろうが、人の攻略法を見つけるのがやたら上手いやつだからな。長年連れ添った幼馴染相手の飴と鞭はお手の物だろう」

 

 

 

 でその後。

 

 ガチャ、と案の定、扉は部屋から施錠されていた。

 

「残念ね。ステンレスや真鍮だったらできなかったけど、磁力を操れるのなら鍵穴のピンを自由に動かせんのよ」

 

「と、ビリビリ力を使ったことを素直に証言してくれてありがとう御坂さん♪ 先輩にご報告させてもらうわぁ☆ これでお邪魔虫は廊下で簀巻きだゾ」

 

「ええ、わかったわ。わかっていたことだったけど、改めてわかったわ。ここでいっぺん潰して、その性悪な性格を矯正してやる必要があるってのは!!」

 

 

グリーンタートル

 

 

 金色に縁取られた観音開きの扉を、左右控えた2人のボーイが開いた。

 もう既にパーティは始まっているようで、色とりどりの衣装に身を包んだ人々が談笑しており、そのバックにあるステージの上には楽団が演奏している。フルートやホルン、ティンパニにチェロ、ヴァイオリンなど少人数で構成されたオーケストラで、グランドピアノの軽やかな演奏に彩りを添えている。

 パーティのために内装を造り替えたのか。広いラウンジからは客席が撤去され、上品な料理を載せた丸テーブルが配置されている。

 それでも潮の香りと僅かに揺れる足元の感触が、巨大とは言え船の上にいることを教えてくれた。心地の良い海上に吹くそよ風の方へ目線を送れば、ラウンジに隣接したデッキにもいくつかのテーブルが配置されていて、街の明かりがゆっくりと遠ざかっていくのが見えた。客船が出港してからしばらく経っている。

 そして、ラウンジのステージとは別に、デッキの船先に舞台があるのが見えた。

 

「まだ時間がありますね。呼ばれるまで美味しいものを食べて楽しんでおきましょう」

 

 軽い口調で詩歌は言うと、歩み寄ってきたボーイの盆からノンアルコールカクテルという名のミックスジュースのグラスを指の間に挟むようにして取る。

 さりげなく横を見れば、美琴も食蜂もおのぼりさん丸出しできょろきょろ物珍しげに見回したりすることなく、背筋に芯が通ったように凛とした姿勢でいる。

 それから、今話題の学園都市の超能力者に気づくパーティ客から挨拶される幼馴染と後輩は囲まれるも、問題ないと判断した詩歌は文化交流の意図をくんで少しずつフェードアウト。

 超能力者とは言え社交界デビューにさせるにはまだ早いと思われる年齢であるが、流石に堂の入ったもので、洗練し尽くされた人やモノに圧倒される気配はなく、むしろ呑みこむ後輩二人を頼もしいと頬を緩めて、グラスに口付ける。

 

(この子たちに、サポート役は必要ないようですね)

 

 そのことを姉として、また先輩として寂しい半面、もう半面は嬉しく思いつつ、見守れる位置で風に当たろうかとデッキに出る。ここも新調したのだろう、木看板の床に敷き詰められた素材は新品のように真新しい。

 料理を載せたテーブルが置かれたデッキには、ほとんど誰もいない。今は学園都市からの超能力者が注意注目を集めていて、こちらに気づくことはない。

 

「それで、メイドさんはあちらに付くべきじゃないんです?」

 

「必要ないだろう。そうでないなら過保護なお前が離れるわけがない。私としてはもう少し無能である方がありがたいんだがな。そっちの方が有能性を発揮できる」

 

「ですね。ここでぶるぶると背に隠れてくれるなら可愛げはあるんですが」

 

「超能力者を普通に可愛がる君の神経の図太さには負けるよ」

 

 あの二人が、互いの前でそう付け込まれるような弱点を見せるわけがない。

 詩歌の隣で雲川鞠亜がテーブルについて、料理を皿に取る。

 

「それに食べるときに食べておかないと、いざという時に動けないからな」

 

 それに、とエリートメイド見習いは一度区切って、

 

「もし―――何かが起こるとすればもっと陸から離れてからだろうな。そう簡単に逃げられないように」

 

「そうですね。もっともそれだけが船が舞台である理由ではないでしょうが」

 

 詩歌はグラスを口に付けて、瞑目する。

 

「で、何が分かった」

 

「何が、とは?」

 

「二度も言わせるな。プライドが傷つくだろう。私の知る上条詩歌がそうそう保護対象から離れるはずがない。それでも、第三位を残して、わざわざ人の集まるカジノで何を得たんだと訊いてるんだ」

 

 くすっ、と悪戯がばれたときのように笑みを吹き出して、

 

「ふふふ、そうですね。職人さんたちから色々と聴かせてもらいましたが、興味深い話というなら、かの『出雲阿国』の末裔で伝統芸の歌舞伎役者が『神隠し』にあったという話でしょうか」

 

 何でも、舞台の衣装替えの際に、忽然と消えてしまったそうだ。その子に親はおらず職人街共同で面倒を見ていたそうだが、その日以来、姿を見た者はいない。

 

「『係員』に捜索を依頼しても未だに見つからず、また観光客と思われるお子さんが迷子になっているのをよく見かけているそうで、この街は非常に迷いやすいようだから気をつけなさい、と心配されました」

 

「他には」

 

「詩歌さんばかりに話をさせるのは、聊か不平等ではないでしょうか? 鞠亜さんも何か教えてくれると期待してたのに?」

 

「……教えるって何をだ」

 

「何でもいいですよ。学校のことでも、友人のことでも、あ、ウワサに聞く情報通のお姉さんのことも知りたいですね」

 

「わかったわかった。勿体ぶって察しが悪いと思われれば、こっちのプライドが偏屈に曲がるからな」

 

 疑いのないにこにこ顔に、雲川鞠亜は肩を竦めて、

 

「その情報通の姉から聞いた話だが、学芸都市に<原石>がみつかったらしい。―――そして、それを視察に行った学園都市の代表者が帰って来ない」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

(あんにゃろう。何が『ちょぉっと、お花摘みに行ってくるわぁ』よ。私を生贄(エサ)に体よく挨拶回り(メンドウ)を全部押し付けて逃げやがったわねアイツ)

 

 あらかたの人を捌き終わったところで一息ついて、幼馴染の姿を探す。ふと丸い窓を覗くといつの間にか外はポツポツと雨が降り始めていることに気づく。

 遠ざかる街の明かりに照らされた海面に、白波が立っている。風も出てきているようだ。

 だが重量のある<グリーンタートル>は揺れひとつ感じさせない。―――今はまだ、だが。

 そして、ぷつ―――ん、と停電。

 

(一体何が始まるの?)

 

 雷が落ちたわけではないとすれば、これは人為的に起こされた演出。

 ホールの照明が落ちて急に薄暗くなったが、かわりに船先のデッキにあったステージにライトが当たる。

 美琴をはじめ、参加客の視線がステージへと向く。

 

(あんなイベントって予定にあったかしら……って、アイツ)

 

 ステージ上に、見覚えのあるスーツ姿の女性が立っていた。参加客に向けて深々と一礼した女性は、体を起こす際、美琴(こちら)に細めた目線を刺すように送る。

 間違いない。あの時の『係員』オリーブ=ホリディ。

 

『今夜はナイトクルージングという形で開かれた学芸都市のパーティにお集まりいただき、誠にありがとうございます。今回は、過去最高のゲスト数を数えるに至りました。これも我々の日頃の努力の賜物―――と言いたいところですが、そうではないでしょう。今日、はるばる学園都市から学芸都市にお迎えした超能力者に興味があってのことでしょう』

 

 『係員』のオリーブが進行役として流暢に歓迎の挨拶を述べる。向けられた美琴もイヤに持ち上げられて訝しむ内心を秘めながら表面的笑顔で片手を上げて応える。

 

『ならば、我々学芸都市も『最高の成果』を以て、学園都市の友誼に応えなければなりません』

 

 眩しいスポットライトの当たる場所、進行役の背後――誰もいなかったそこに――それがいた。

 いつのまに……っ!?

 同じ顔の少女が並び立つ。米国人ではなく、和風の東洋系。年齢は美琴と同じか少し下といったところで、綺麗な髪飾りをつけて、色違いドレスに着飾っている。

 ―――いや、違う。よく見ると、全く同じ顔ではない。一方の目つきがやや吊り気味なのに対し、もう一方は大人しげに目尻が下がっている。

 同一人物ではない。

 双子だ。

 

『これまで学芸都市の秘中として隠されてきた彼女らですが、今、“超能力者以上の性能を持った”と確信した今、学芸都市が生み出した超能力者を発表することにいたしました』

 

 美琴は目を見開く。

 進行役の『係員』が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

 

(学園都市以外で能力者が開発された……!?)

 

 呼吸を忘れた様に金縛りにあっていた中で、双子は互いの手を合わせて身を寄せる。

 それから彼女たちがした行動は御坂美琴を絶句させるものだった。互いに合わせた手に今いのコインが乗っている。

 真上に弾いて、コインの落ちてくる僅かの間に、両者の身体に電流が走る。そして―――

 巨大船全体を揺らす凄まじい轟音が炸裂。

 船先から伸びる一筋のオレンジ色の光線が、海に着水。

 瞬間、遥か天に浮かぶ雲に届かんとするほどの水柱が夜空を突く。

 あれは、まさしく超電磁砲(レールガン)

 海での実演で御坂美琴が披露したのと瓜二つ。いや―――それ以上!

 

『ただ今の射程距離は、100mを超えているでしょう』

 

 音速の3倍以上もの速度で空気を突き進むコインは、50m前後で溶け落ちる。

 そして、“わざわざ親切”に比較対象として、ディスプレイに御坂美琴の実演した際の様子が映し出される。

 

 その映像を背にし、唖然とする観客らの眼前で、進行役のオリーブが『学芸都市の超能力者』の説明を続ける。

 

『ここは映画の中でもなければ、今のが映像でもございません。何せ、超能力とはCGでもVFXでも再現できないものであり、これこそが“本物の超能力”であると我々の誇りに賭けて保証いたします。それはゲストの目で直に確かめられたので不要と思われますが』

 

 思い出したように、会場がどよめいていた。およそ現実離れした超能力者――それをも超えるとすら思わせたあの双子の少女たちを見て、ゲストらは一体何を思ったのか。

 

『そして、彼女たちの超能力は、電気を操るものではなく、“見た他者の能力をそれ以上に再現する”模倣能力(コピーキャット)。つまり、彼女達は今、第三位の超能力を上回る力を発揮したということであります』

 

 美琴は無言で、強く拳を握り締める。

 映像の世界が現実世界に飛びだしてきたなんてオカルトじみたことは考えない。それくらいの判断能力はある。

 

『そのため、彼女たちには多くの観察対象があってこそその真価を発揮できる方法で、我々は学園都市との交換留学を視野に入れております』

 

 会場は呑まれていた。これまで学園都市に一極集中していたバランスが、ここで大きく揺るがされる。そう、ついに我々の時代が来るのだと。そのゲストを舞台の高みから睥睨するオリーブ=ホリディが、踏み台にされたこちらに対し、見せつけるように冷淡に笑う。

 ―――それが、美琴の限界だった。

 ここで込み上げる激情に身を委ねるがままに美琴が訴えようにも、明確な証拠がなければ、それはマイナスのイメージにしかならない。みっともない恥をさらすだけ。あの女はそれを狙っている。これまで超能力者を異様に持ち上げていたのは、“それを上回る学芸都市製の超能力者”の宣伝効果(アピール)を最大限に演出して、学園都市のブランド価値を下げる為に。

 そうなるくらいだったら、ここは―――と、クルリと体の向きを変え、ホールの出入り口に向かって歩き出そうとした美琴の肩に、手が置かれる感触。

 

「ああまで言われて黙ったまますっこむ義理がありますか」

 

 未だに薄暗い室内に、その灯火が一息に盛る。

 ほんの一瞬の炎上、しかし、注目を集めるには十分で、まるで挙手するように真上に手を掲げてる少女がそこにいることに気づく。

 もちろん、隣にいた美琴も、横目にした詩歌が、危険予知させる笑みを浮かべていることに気づいている。

 いつも飄々としているけど、喜怒哀楽感情豊かということは、割と感情的に出ることもある。結構キレやすいのだこの幼馴染は。

 

 

 

賭け(ゲーム)をしましょう、オリーブ=ホリディさん! どちらが世界標準(グローバルスタンダート)に相応しい『自然淘汰を決定する者(ナチュラルセレクタ―)』なのかを格付けする」

 

(ゲーム、とか馬鹿ですか)

 

 オリーブ=ホリディは、“超能力者のおまけ”を見る。ノーマークにしていたわけではない、ただ情報量は御坂美琴や食蜂操祈など超能力者に劣るのは認めるが、最低限以上は集めていて、そちらの方もちょうど別件で進めている。

 

 上条詩歌。

 学園都市製の能力者。

 分類は、発火系能力者(パイロキネシス)で、強度は、強能力者(Level3)

 超能力者との関係は、ただの先輩。単なる付き添い。これまでの監視映像から、ひとり遊び呆けているなどいなくてもいい“おまけ”だ。

 そして、この行動も学校自慢の超能力者を馬鹿にされての、感情を制御できない子供だ。

 

(そう、商品価値が低いからこそ、手頃なエモノなわけですが)

 

「それであなた方が勝ったら、交換留学という案を、進言しましょう! これでも常盤台中学(がっこう)からそこそこの権限を任されてます! 学芸都市が如何に素晴らしい環境なのかを学園都市中に広めましょう! 加えて、こちらには対外的な交流の場である『派閥』を率いる操祈さんにも協力させましょう! どうです!? わかりやすいでしょう!」

 

 第三位とは反対側、上条詩歌の隣に寄り添うよう第五位の超能力者がいる。オリーブのいるステージを見ずに、そっぽを向いて外の景色を眺めている。何も言わないということは、それを了承しているということか。

 『五本の指』の一角常盤台中学。その生徒独自の組織である『派閥』がいかな影響力を持っているかは、事前調査でおおよそ計っている。

 “おまけ”の発言力などたかが知れるが、組織を引き込めるのなら、乗らない手はない。

 

「ほう。わかりやすいはわかりやすい。しかし、格付けというのなら、もう済んでいると思うのですが」

 

(―――やりなさい)

 

 オリーブが双子へ視線を送るのを合図に、速やかに行動を始める。

 互いの手を合わせて、お椀を作るように手のひらを真上に開く。そこに火が灯ったと思った次の瞬間、先に彼女が見せた以上の業火となる。

 

「これが先程の発火能力の返礼です。日常生活で使えるくらいの強能力者(Level3)には、精々、手品くらい―――おっと、失礼。あなたの能力を貶めるつもりはなかったのですが、彼女たちにかかればこの通り。同じ能力でも使い手の優劣によって、威力も変わるものなのでしょう」

 

 一目瞭然なほどに、圧倒的。

 素人目にも、学芸都市製(われわれ)学園都市(こども)のどちらが上か理解できよう。

 そして、当事者には己の力を己以上の威力をまざまざと見せ付けられて、消沈する。

 

 だが、おかしなことに。

 俳優でも何でもない超能力がなければただの子供に演技はできず、素で顔に出るもの。

 しかし、“おまけ”は相変わらず不敵な微笑であって、第三位が見せる表情は先とは違い、疑問符を浮かべたものであった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

(ほーら、やっぱり先輩は巻き込む側の人間(トラブルメイカー)じゃない)

 

 部屋に帰ろうとしたところを見つかり、引っ張って来られた先輩こと上条詩歌を食蜂操祈は半目で見る。

 “学園都市の正式な個人情報<書庫(バンク)>では”、発火系能力者の強能力者……と、それはオオカミの被るヒツジの皮みたいなものだ。実際は違うもの。どうやら、ルームメイトの援助で誤魔化せているよう。

 今回の実演旅行の主役は超能力者であって、先輩は自身の能力を対外的に披露するようなことはないのだが、投影元がいなければいざという時に誤魔化すことができない。

 けど、あの不幸なお兄さんとの付き合いで鍛えられたと思われる即興対応(アドリブ)力は並大抵のものではない。

 つまり、先輩が披露したのは、能力を使わずに能力を使っているように見せる――あの司会者の譬えの通り、“手品”である。

 

 手元から炎が一気に燃え上がり、手を熱さず物に燃え移らず、一瞬で灰も出さずに燃え尽きる、フラッシュペーパー。

 

 その一連の行動を見ていたが、先輩がしたのは、自然で、器用な、早業であった。

 フラッシュペーパーは燃焼性の高いニトロセルロースを染み込ませたものであり、

 ニトロセルロースは液体絆創膏の耐水性皮膜をつくるコロジオンに含まれており、

 コロジオンは先輩が常時携帯しているという<風紀委員>に支給されているという消毒と止血、開いた傷口を閉ざす三つの効能をまとめた、非常用対外傷薬(ジェル)の成分に入っている。

 もちろん、傷薬が火を点けて燃えるようなことはないのだが、先輩には『他人の手を借りる』という裏技がある。

 傷薬とメモ用紙、これに捕まった際に投影した後輩の天才力<心理掌握>――本質が水成変質である力を用いて即席のフラッシュペーパーを作製すると、

 肩を抱いた際に投影した妹分の<超電磁砲>から僅かな火花散らす静電気を起こし、着火。

 それを踏み台になってた超能力者に注意が向けられたところを不意打ちのように、暗がりから予告なしで、発火したのだ。知ってなければ誰も気づけない。そして、彼女を発火能力だと知っていれば、まさにそう思うだろう。

 

(素人目では分からなくても、玄人目には誤魔化せないってことねぇ。あの双子の『能力を模倣する』とか言ってた能力の正体にも気付いてるでしょうし、それで、わざわざ、確認に発火能力に見せかけた手品を相手に真似させた。

 あれで先輩の能力は百も承知な御坂さんもインチキなカラクリ力に勘付き始めて立ち直ってるから残念だケド)

 

 窓際の陰になる位置から、あの爆乳力の映画監督がその胸の内に隠し持っていたカメラで証拠映像を撮影しているところをみるに、先輩は相手に気づかせずに失態させただけに留まらず、それを悟らせることなくさらに傷口を広げていくつもりだ。

 

(ホント、今回はお兄さんというブレーキがいないし、幼馴染をコケにされた先輩の腹黒力は容赦ないわぁ)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「いいえ、私たちは“超能力者”を引き込むつもりです。本気で」

 

 ………。

 

「もう一度言います! 本気で、です! 大丈夫、むしろ彼女たちを学園都市に来させた方が交換留学なんて面倒するより多くの能力者と接触できるでしょうし、こちらの方が手っ取り早い。

 彼女たちの能力をまったく測り取れていない学芸都市のテクノロジーより遥かにマシな環境でしょう」

 

「……っ……何を言って……」

 

 オリーブは初めて、動揺を表す。

 その“おまけ”の声色にか。爛々と滾らせるような、薄暗いその笑みにか。

 

「まだわかりませんか? これは賭けです。ならば、同じだけの対価を望むのは当然でしょう?」

 

 『係員』が顔を歪めた。

 ここは学芸都市の独壇場(ステージ)のはずだ。なのに、学園都市の人間が、それも“おまけ”が図々しくも乱入して、場の雰囲気を掴みつつある。これは無視できない。

 

「我々が話に乗るとは、言ってません」

 

「ふんふむ。ここはあなた方の土俵で、人員も揃っている。これだけ有利な条件で勝負を避けるとは、何か、不安があるのですか?」

 

 オリーブは視線を外さない。耳に付けたイヤホンに通信が入る。

 

『リーダー。我ら『経営陣』から報告です。『ここで逃げるのは、ブランド価値が下がる』と』

 

「(つまり、やれ、と)」

 

『学園都市と協力機関の間にある技術情報の開示レベルの差に、齟齬があるのは我々には周知の事実。

 『我々のビジネスモデルこそ世界最先端扱いにする』ことが成功であり、その為ならば如何様な手段を用いても問わない』

 

「(それでこそ、世界の警察の判断ですね)」

 

『重い腰を上げたということでしょう』

 

 オリーブはくすりと微笑む。

 これは事実上の、ゴーサインだ。

 彼女が更に顔を歪めたのは、一瞬だった。

 『経営陣(うえ)』の連中は現場の空気というものを知らないのは腸が煮えくりかえる思いだが、今世界にある認めざる格差を埋めるチャンスを見逃す方が、オリーブには度し難い。

 我々アメリカが後進などと、2、30年分の差を開いて独占を許してしまうほど猖獗してしまった科学世界を正す、あるいは最後のチャンスかもしれないのだ。

 

「(ええ、『経営陣』の要望にこたえるとしましょう)」

 

 ブツッ、というノイズと共に、通信が切れた。

 オリーブは腹の裡を深く呑みこんだ、営業そのものの笑みを浮かべて、

 

「いいでしょう。学園都市の独占市場を打破するために格付けを行いましょう。

 超能力者同士のゲームによって」

 

 

 

 

 

 舞台からそこそこ離れた位置にあるテーブル。

 そこで一杯ひっかけながら、仮面舞踏会のように社交界マスクを装着した男は遠目で始終余すことなく見ていた。

 

「ひゅー、どうやら面白い展開になってきたな」

 

 

車内

 

 

 こんな時は思いっきり呑みたくなる。

 

 黒塗りの高級車内には小型冷蔵庫があり、近々に冷えたシャンパンもあるわけだが、公務中ということもあって手は出せない。

 “問題児”のせいで眉間の皺が深くなる一方で、それを発散できず。漏れ出たように、組んだ二の腕に指を一定のリズムに叩き続けている。

 外周に沿うようロの字に設置された革張りのソファに、中央のテーブルを挟んで対面で座る若い青年の男性秘書が、こちらの様子をおそるおそる窺いながら、声をかけてきた。

 

「『俺の親父が非人道的な科学実験の被験者だった。だから、俺は同じ目に遭う人間がこれ以上増やさないよう大統領になった』、っと前に行ってましたが今回の件はやはり……」

 

「そうか、お前は新入りだったな」

 

「はい」

 

「良いことを教えてやる。近日中にパーティだ。大統領の父君が70回お亡くなりになった記念にな」

 

 大統領補佐官。

 ローズライン=クラックハルト。

 年齢は30代前半の女性

 見た目の雰囲気が『家庭教師のお姉さんとしてなら超優秀(いろんな意味で)』だが、『ミスタースキャンダルのことは身体の方も隅々までご存知だと言う噂は本当ですか?』という下品な質問をしてきた貴社の鼻っ面を、全国放送のカメラの前でぶん殴ったという経歴を残している。

 おかげで、セクハラ被害者を庇護する守護者というイメージが優先されて、大統領の支持率がかえって上がった

 

「あの野郎、お忍びの視察と称して、勝手しやがって……」

 

 して、彼女の中の大統領への支持率は絶賛急降下中である。

 

『ブラジャーを投げつけて面食らった所にノーブラで抱きついてやれば男はイチコロで、盛りのついた犬のようになる』

 

 とか。

 

『野郎を引っ掻けるならちょっと過激な水着に着替えてビール片手にしなだれかかれば一発。さらに、胸を押しつけたところでビキニの結び目を外せば、浜辺のモーテルに一直線に勝ち確定コースに突入する』

 

 なんて、保護した幼女に数々の迷言を語るような男なのに、

 

『高齢化と社会保障費の問題が浮上してきたが、こんなのは簡単だ。

 出生率に関して抜本的な対策のため、まず、ヒモ系水着開発を援助しようと思う』

 

 国民性でいえば明らかに問題発言で侮辱されたと思われるだろうに、どういうわけかヤツがヒモ系水着の開発に補助金を出したらほんとうに支持率が上がったと言うのだから、頭を抱えた。

 おかげで、ワシントンストリーム紙に『世界で最も絵空事な政治家。だがその奇抜な発想が停滞した米経済の立て直しの一助になるかもしれない』と評価されたりしてるのだから、補佐官が厳しく絞め直さないとやっていけない。

 この前だってヤツが調子に乗って、海パン一丁で勃起薬のCMに出ようとしたことは鬼の形相となって止めたが、

 バラエティ番組での発言に品性がないのではないかという婦人会からの貴重なご意見に対し、にっこり笑顔でヌーディストビーチ拡充法案提出しようとして記者会見場でフルボッコにしたり、補佐官は大変だ。

 しかし、今回の独断行動を止められなかったのはそれ以上に頭が痛い。

 

「あのメディア王の息のかかったところに単身向かうのは命知らずにほどがある」

 

 単独馬鹿しようとするのを見かけたら病院送りにしてでも止めろ、とシークレットサービス連中に言い聞かすべきだった。

 

 メディアへの露出は票集めに直結する。翻っては、あらゆるマスメディアを掌握したとなれば、大統領選ですらコントロールできる。

 メディア王に嫌われれば、大統領となることはできない。

 あまり表立って逆らって、機嫌を損ねるような真似ができない。

 

 

 つまり、このアメリカで、メディア王に真っ向から喧嘩を売るようなやつは、後先考えないバカなのだ。

 

 

アメリカ シリコンバレー

 

 

「ちぇ……。今回の相手は商案が長引きそうな大物か。ま、次の仕事もあるし早く終わったからって向こうに行けるわけではないんだが……くぅ、折角近くにいるのに会えないなんて生殺しもいいとこだ」

 

 よれよれのスーツを着た無精ひげの中年男性は弱り切ったような声を出した。

 上条刀夜。

 とある兄妹の父親である。外資系のサラリーマンで年中どこかの国へ出張している仕事人。

 が、半分、今は意識ここにあらずか。

 こうしてる今もアメリカのシリコンバレーのど真ん中にある特徴的なデザイナーズビルの中に佇んでいるわけだが、気持ちは完全に太平洋へと向けられている。

 『外』に滅多に出ることはない筈の娘の詩歌が、アメリカの学芸都市にご近所さんの御坂家の美琴ちゃんと来ている。父親として心配しないわけがない。

 いくらしっかりしている自慢の愛娘でも、子供たちだけで海外旅行させるなんて、それも勢力政治のために見世物になるだなんて、学園都市の大人たちは何を考えてるんだと文句を言ってやりたいところだ。父の仕事を見てきましたから大丈夫、と事前に詩歌から嬉しくなるような連絡はあったのだが、できれば刀夜が付いていきたい。無論、ビデオとカメラの記録道具を持って。

 しかし、そんな溺愛している子供たちのために、企業戦士は日夜戦っているのだ。

 

(アメリカ『第三の議員』と言われる大物相手だ。一切、気を抜くわけにはいかず、慎重に。平凡な企業戦士というのは冒険をしようと思っちゃいけない)

 

 オーレイ=ブルーシェイク。

 米国のメディア王。

 こちらが集めた事前調査によるところ、彼女個人の新事業は報道専門チャンネルから始まって、全国紙の創刊、携帯電話大手の買収などで地位を確立。

 メジャーリーグやプロフットボールのチームオーナーとしても有名で、あとはバスケットに手を出せば四大スポーツ制覇と言われている経済界の大物だ。

 しかも、情報関連ビジネス以外の分野を、情報関連ビジネスに巻き込む手法も上手い。

 太陽発電と家電の消費電力をコンピューターで管理するエコハウス事業に参入することで建築と不動産にも喰いついているし、自動車関連も電気自動車や車間自動調整プログラムの開発などで生産台数はトップクラス。

 自動車王のフラック=ケイトマンやロックスターのダグラス=ハートベルなどアメリカを動かす大物100人で紹介されるような人物でさえ、オーレイの奔放なグループ拡大の手腕は飲みこんでおり、そして彼らを通じて他分野の業界を陰で牛耳っている。

 

 『完全な民間事業で最も早く、宇宙長期滞在を実現しそうな人物』

 『UFOの政府機密に触れられるであろう人物』

 『世界中の石油の30%に関わっている人物』

 

 尾ひれ背ひれと根拠もなく勝手につけられた異名は様々。

 近頃はSNSビジネスを含むインターネット検索大手を乗っ取ることを画策していると刀夜たちは見ており、これが成れば、米国内のほぼすべての情報網を掌握したとなるだろう。

 で、金融投資会社の支援を受けずともそれは可能であるとも見ているのだが、何と急遽、その大手取引先から上条刀夜の親会社に御指名があったのだ。

 

「書類には目を通させてもらったわ」

 

 派手なスーツに、同じく派手だけどそれとはまったく似合わないテンガロハットを被り、かかとに乗馬用のトゲ付き車輪のついたブーツを履いた女性。

 体型にとてもフィットしているところを見ると、勿論スーツはオーダーメイド。刀夜が見たままで試算するに、売れば、旅客機のファーストクラスどころかそれ自体丸々購入できてしまえるほど金がかかっているだろう。

 そして、映画撮影でもないのに部屋の奥からカメラを回していて、その服装は彼女の趣味や実用性というより、レンズに記録される彼女自身――『オーレイ=ブルーシェイク』という大衆に与えるイメージを優先して選択したものだと思われる。

 合衆国の発展の始点はゴールドラッシュの開拓であって、それを懐古させるように見せるのは、そのビジネスのやり方が『先鋭過ぎて批判を浴びることも珍しくない』メディア王の、一種の防波堤として作用しているのか。

 

「気になるでしょうけど、私個人も盤面の駒であることを忘れないよう状況を客観視するには、こうしてファインダーに自分を納めるのが一番なの」

 

「そうでしたか。いや、私も出張先で写真を撮るのは趣味なのですが、自分が撮られると言うのは慣れないものですな」

 

 直々にメディア王と相対する。この機会を望む、切望する企業は世界中にあり、個人的に何も縁のない刀夜がそのチャンスを得るのは一体何の力が働いたのか。神の見えざる手のように、水面下で何かあったのではと勘繰りたくなるもの。

 

「それでこちらにサインしてもいいのだけど、個人的なお願いがあるの」

 

 この手の契約書には大抵意地悪な文言を隠してあるもので、刀夜が提出したものも当然ある。そこから交渉で削られていくのを見越して、最初は相場を結構吹っ掛けているものであって、どうにか会社に有利な方へともっていくのが刀夜の腕の見せ所であるのだが、

 メディア王は契約書を顧問弁護士や会計士とも相談せず、その場でさらりと流し読みしただけで即決するとは、世の中のイロハも無視する剛腕の持ち主なのか、はたまた、世の中を知らない太っ腹か。

 実の父を頭越しにして、祖父のネットワークを引き継いだその経歴からして、後者はありえない。刀夜と同じかそれ以上に金融とそのやり口には熟知しているはずだ。

 それを難なく受ける。それができる度量の大きさが相手にはあるという証拠なのだけど、タダより怖いものがないと。スーパーの総菜コーナーで試食をすればそれを勝ってやらないといけないと言う心理効果があるように、格上の相手に譲歩されてしまったので、ビジネスマンはでき得る限り叶えて差し上げなければならない。

 しかし、刀夜個人に何の縁もないのも事実。

 

「ミスター上条。今、君の娘さんはこのアメリカの学芸都市にいるようね」

 

「はは、やはり貴女様に対して、隠し事は難しいようだ」

 

 お隣さんの娘さんは、あの街の中でも随分と有名で知っていてもおかしくはない。だが、刀夜の娘は違う。実演旅行の宣伝に付き添ってはいても、裏方(スタッフ)は表舞台に立たない。が、そんな赤の他人がどこで、それを知っている彼女はメディア王。

 メディアであるからには、当然、映像放送関連も押さえており、今、娘たちがいるであろう学芸都市に少なからずのかかわりがある。

 そんなこの世界を動かすだけの力をもった大物が、最大限に配慮しよう、とこの交渉のテーブルにさらに上乗せする。

 

「ブルーシェイクは、ミスター上条の親会社グループとは取引のパートナーとして、長い付き合いをしていきたいと思っている。

 君の娘さんの血――DNAマップを提供してくれるのなら」

 

 それを聞いて、刀夜はこれまでの営業スマイルを苦笑に変える。

 そうか。

 その為に、会社が――上条刀夜が指名されたと言う訳か。

 

「今、この世界に足りないものを、その血液を提供してくれるだけで助かるの。献血と同じ」

 

「でしたら、本人の意思次第ですな。献血とは、あくまでボランティアなのですから。親の私がどうこう強制する権利はありません」

 

「ああ、勘違いしないで頂戴。

 私は血統というのは重んじるべきものだと考えている。

 今私のある地位も古くゴールドラッシュの金脈から始まり、祖父の代から表立ち、さらなる事業拡大と共に躍進してきたが、それはブルーシェイクの血筋が継いできたから意味がある。

 だから、安く見ているつもりはないし、これからの世界を救うには必要なのだから、この上ない高値をつけさせてもらうわ」

 

「敵も多いようですがね」

 

「でも、私はそれを退けるだけの力がある。

 技術、経済、情報、そして武力、それらを含めて学園都市に躊躇させるだけの力が、ね。」

 超能力者(Level5)クラスの人材であるならば、特別重要な軍事機密を盗んだとして多角的全面戦争に陥るかもしれないけど。

 強能力者(Level3)クラスの人材なら、譲歩させるくらいできるでしょう。

 なんなら、学園都市からの亡命して、こちらで“保護”してもいい」

 

 自動車王のフラック=ケイトマン、ロックスターのダグラス=ハートベルをその手腕に取り込んだと同じように、上条刀夜を介して、学園都市の能力者を手に入れる。

 そして、それに“手段を問うつもりはない”模様。

 

 

「お言葉ですが―――ブルーシェイクの総資産をかけられても、話になりません」

 

 

 半ば人身売買じみたやり方で娘を売れと迫るなどと言われて、殴りかからなかっただけでも平凡な企業戦士は十分我慢した方だ。

 会社には悪いが勝手な都合で切らせてもらう。家内を裏切るわけにはいかない。

 

「―――っ! 何してるの早くあの男を追って! 捕まえたらボーナスを付けるわ!」

 

 扉の前には、屈強なサングラスをかけた黒服の大男たち。

 

「それから、これは忠告ですが。『竜神の女』に対し下手なちょっかいをだすと欲の海に溺れるのが通説です。手痛いしっぺ返しを食らう前にとっとと諦めた方がいいでしょう」

 

 だが、そんなことは最初(はな)から百も承知の刀夜は、啖呵を切ったときにはすでに窓へ。

 そのあまりの思い切りの早さに呆気にとられるメディア王。こちとら経営ひとつで南米の紛争地域にも出張ひとっ飛びというグローバルな企業戦士。鉛玉が飛び交うような修羅場をくぐって鍛えられたこの生存本能をなめるでないわ。

 

「ハハハ母さんのお家騒動に巻き込まれてきたときはこれ以上に大変だったなぁ!!」

 

 その後、ハリウッドスターもびっくりするほどダイハードなアクションで人質となるのを回避した平凡というにはやや特殊な企業戦士の上条刀夜であるが、キチンと彼は営業の基本姿勢『笑顔』を怠りはしなかった。

 

 

 

つづく


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