とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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遅れました、そして長いです(^_^;)


世界決戦編 黒と白と赤

世界決戦編 黒と白と赤

 

 

 

ロンドン

 

 

 インターネットの通販サイトを開設しているが、そこらの学校の教室の半分にも満たないほど小さな空間の至る所にスチール製のパイプが走っていて、そこからここの目玉商品であるハンガーで各種のジーンズが吊るされ、ひときわ高級なものはガラスのショーケースの中に展示されてる。

 ただし、いる客はひとり。

 そんな閑古鳥が鳴いてるジーンズ専門の小さな古着屋で、レジカウンターの上に置かれた弁当箱を20代の男の店主は、差し入れた客に問う。

 

「これは……肉じゃがか?」

 

「はい、詩歌さんの十八番(おはこ)のひとつです」

 

 はい、と箸ではなく、フォークを手渡される。

 肉じゃが、それは日本の心。あの科学の最先端の都市でも、変わらず『男性が女性に作ってほしい料理No.1』の座を譲らない定番メニュー。

 火と調味料の加減が完成度に大きく影響するため、肉じゃがをおいしく作れる人間は、大抵の料理を心得を持っているといってもいいであろう。

 

「パクッ……………ん……―――んむうううううううううううぅ!?」

 

 食べた瞬間に、店主はカッと目を見開く。程よく味が染み込んだジャガイモは、じっくりと丁寧に煮込まれたもの。それでいながら、イモの鮮度を感じる味わい。箸で持っても崩れないのに、口の中では柔らかく解れるという絶妙な煮込み具合だ。油を出さないために赤身の多い肉を選び、タマネギで全体の調和を整えて、しらたきやニンジンの配分も奇跡のバランス。

 これはまさしく究極の逸品―――

 

「むがっ……はふ、はふっ……がつがつ、モグモグ……!」

 

 近頃、隠れ切支丹の末裔さんが弁当屋の手伝いをしてると話を聞いたことがあるが、時間に正確でこれほどのものが出るなら、なるほどこれは流行るものだ。

 世界各地を巡りて手に入れたジーンズも買ったらすぐに『術式に左右非対称は構成上必要なデザイン』とかいう理由でチョキチョキ切ってしまうのがいるから東洋人には妙な偏見を持っていたし、仲間たちが追っかけてくる前は非正規エージェントのサポートの裏仕事をこなしてきたが、本職の営業に支障が来るとわかったのでこの二一世紀にもなって、まだ魔女狩りとか宗教裁判とか異端尋問とかバリバリやってるような部署と関わってる人間とはお近づきになりたくない。

 が、この『三顧の礼』―――

 一度目はあの女教皇に紹介されてきたが留守、という体で清教からの厄介事から逃げた。

 二度目はメールで、裏仕事のせいで梱包ができず搬送を大変お待たせしてしまったお客様でやり取りしてるうちにいつのまにかメル友になったRuiko Satenの先輩であることが判明し、それから発展してジーンズ談義。

 三度目は弁当を作ってきてくれたし、頼まれたのも外国の知人への贈り物で、後おまけに服飾関連のプロとしての相談だ。

 そこまでされて、この古着屋としての本職の仕事となれば、『注文』を受けようとなるもの。

 

「いいぜ、お嬢さん。そこのサイズのジーンズとこのメッセージカードを梱包して届ければいいんだな」

 

「ありがとうございます。何だか無理なお願いかと思ったんですけど」

 

「そうでもないね。俺は日頃はとっても怪しい非正規のエージェントだけど、民間人の古着屋さんの方が本職なの。こっちに命懸けてるし、生活も懸ってるの。十分な謝礼もいただいたし、何より可愛い娘のお願いごとだからな。誇り高き英国紳士としては応えてやらないと店を畳まなくちゃならねぇ……ったく、神裂もこういうのがあれば可愛げがあるもんだが、アイツがこれまでに贈ってきたもんはジーンズの切り取った部分で作った巾着だからな。以来、カットジーンズ反対派の古着屋の店主としては、ジーンズとプレミアの神様に拝み泣いて謝るまでは絶対に店の商品は売らないと心に誓ったね。

 で、あとそれから鑑定だな。安心してくれ、俺はプロだからけして邪な感情は一切―――」

 

 

 スパァァァァァ――――――ンンンッッッ!!

 

 

 軽快な炸裂音と共に、肉じゃがを頬張っていたジーンズ屋の店主が血を吐きながら宙を舞う。

 本日二人目の客?は、少女と同じロンドンでは珍しい黒髪の東洋人。

 

「……探しましたよ、詩歌」

 

「わぁ……火織さん。少し深呼吸したらどうですか」

 

 上条詩歌のお目付け役な神裂火織さんの右手にあったのは、ハリセン―――天草式十字凄教の『張閃(ハリセン)』だ。放浪癖のある少女の折檻用に用意した逸品だ。

 

「ええ、軽くロンドンを一周してきましたからね。私の体を気遣ってくれるなら今後出かけるときは置き手紙などではなく、直接一言断ってからにしてください」

 

「一言も断わりも入れずに突撃してきたのはどこのどいつだ神裂!」

 

 店の奥まで飛ばされた店主が復活。生きていたらしい。

 しかし、いくらハリセンでも超人的なパワーで振るわれれば、成人男性を軽く吹っ飛ばせる。

 ただし、『救われぬ者に救いの手を(Salvere 000)』を魔法名に持つ<聖人>は、知人に挨拶もなしに切り捨て御免をするほど薄情でも残忍でもない。

 のだが、

 

「“何故、詩歌がまたメイド服(それ)を着てるんですか?”」

 

 女教皇の悪夢――もう忘れたいのに忘れられないその服が、今回限り自制を振り切らした。

 

「うん? デザインはちょっと慣れた今でもまだ恥ずかしいけど、これって結構複雑な術式(呪い)が織り込んであるんです。自分で着ていてはなかなかわからないところもありますし、着ないと発動しないところもあるんですって。それに裁縫に凝ってまして、是非、服飾関連のプロの意見を訊きたいし……服飾ではこの店の店主は、インデックスさん並のエキスパートだと、火織さんが仰ってたじゃないですか」

 

「それから変態だとも忠告したはずですが」

 

「それで、今日は火織さんを連れずに店まで来てくれたら、一度着た状態で鑑定するといわれたので。何でもこれを作った人と知り合いなのだとか」

 

 神裂の視線から逃れるように、顔を逸らすジーンズ屋の店主。

 

「<必要悪の教会>から依頼される仕事は全部自腹を切る羽目になるし、<聖人>が出てくるクラスの激戦だろうと報酬ゼロだぞ。触らぬ神にタタリなし。本職を潰しかねない厄介事を運んでくるヤツらとの接触はなるべく避ける方が賢いだろ」

 

「撮影するためのカメラまで用意してあるとは“随分と”準備が良いですね?」

 

「待て神裂。これは後で他の服飾の専門家(同業者)にも鑑定してもらうために用意したものであってな。ちゃんと本人にも許可を取ってあるぞ」

 

「ええ、訊くは一時の恥ですが訊かぬは一生の恥と言いますし、また意識を乗っ取られるのは勘弁したいですから、きちんと調べてほしいです」

 

「詩歌、悪いことは言いません。こういうのはきちんと信頼のできる人物にお願いしないと、公開処刑になるから止めておきなさい」

 

「まあ、現役で学生やってる嬢ちゃんには似合ってるが、エロいお姉さん係のオメーみてぇなムチムチのバインバイン、あんなふりふりフリルの可愛らしい服を着せるのは、熟女の人妻にブルマを穿かせる的な罰ゲームにしか見えなくなブグハァ!?」

 

 只今の台詞の中にブチ切れる地雷(ポイント)が多数あったため、神裂は一度目よりも強く『張閃』を振るった。

 

 

 

「五和さん、五和さん。今日の肉じゃがは自信ありです」

 

「え、え……!? そんな私に……」

 

「五和さんも当麻さんの大好物な母さん直伝上条家の味どうです?」

 

「是非、いただきます」

 

 店前で待機していた仲間と着替え終えた少女のやり取りを遠巻きで神裂は見ながら、中指を眉間で押さえた。

 彼女の行動パターンを把握してきたと思っていたのだが、それは逆にこちらの捜索能力も計られてしまってる。

 一応、ワイヤーを巻いた小さな符のついた腕輪は、単純な位置情報と魔力の使用状況を追跡できるものを装着してもらっているが、感受性が特異な彼女に触れてればそれも支配下に掌握されてるんだろう。

 逃げようと思えば逃げられるし、おかげで独断を許すばかり。

 

「はぁ……学園都市にいるのならば、ローマ正教もそう手出しはできない筈ですし、余計な心配はしなくて済んだんですが……」

 

「それはどうでしょうか」

 

「はい?」

 

 彼女はさらりと答えた。心配して自粛するよう苦言を呈そうとしていた神裂が小石に躓いたような思わずできてしまった間に差し込むよう、続けて補足を述べる。

 

「ちょっと色々と張り切っちゃったせいで、“一部の方”は学園都市から詩歌さんを離れてもらわないと困ることになったんです。ほら、<御使堕し(エンゼルフォール)>の時に私たちが海にいたのも、当麻さん(Level0)が第一位を倒してしまったことの事態鎮圧のためですから。今回の理由は別ですけど。

 だから、上の一部の方々から無理やり島流しと追い出されることになれば、私を擁護してくれる人の中から反発してくる人も出てくるだろうし、その上で反対運動なんて起きちゃったら、余計な犠牲も出てくることになります。どの道結果が一緒になるのなら、言われる前に気を利かせた方が両方とも損はないでしょう? もしも望んで出ていったという事実が得られなかったら、『学生一人を戦場へ送り出した』なんて風評被害されて、運動を起こしかねない保護者達からの印象はよろしくないことになりますし、私も動きにくくなります。こちらも都合がよかったので乗らせてもらう方が傷は作らないし、最低限やるべきことはやれて、余計な監視役を付けられるよりも速く逃げられたのです」

 

 普段なら籠の鳥のままでいさせたかったのだろうけど、あまりに暴れて損得の天秤が傾いた今なら、後押しさせる追い風な理由になる。

 して、発つ鳥が汚さずに後を任せ、周囲への義理を果たして、飛んでいった。

 

「長いスパンで見れば、戦わないことで得る利益もあるということですね。と言うか、今までが暴れ過ぎたということでもあります。うちの兄さんは一寸先が闇であろうと突っ込んで行っちゃうけれど、だから妹が一週間くらい先を想像して行動する癖がついちゃったんですよね」

 

 苦労話をするように、ポツリと最後に呟く。

 ああ全く―――。

 神裂は心中で呻く。そして、ちらりと上条家の味とやらを確かめるように舌鼓を打つ五和を視線を向けず意識だけで捉える。全く同じとはいえないが、似ている。かつて誰かに迷惑になるからとひとり出奔した女教皇に。だけど未練がましく引き摺っていないところは違うようではあるし、今も戻るために戦っているのはわかるけれど、

 

「……結局、私の心労は変わらないということですか」

 

 ひっそりと表に出さないよう、ジーンズ屋の店主の会話を思い返す。

 

『あなたはいったい何を頼まれたんですか?』

 

 と、詩歌を五和に任せて店から出ていかせた後、イギリス清教の一員として問うた。

 

『おいおい、ここをどこだと思ってんだ。ジーンズ専門の古着屋だぞ。ジーンズしかないんだぞ。だったら、選択肢はひとつしかないだろーよ』

 

『いくら倍の値段を出すといっても、私はここのジーンズを売ってもらえないんですけど。折角、サイドを切ってジーンズを袴っぽくしようと考えているのに』

 

『だから、オメーには絶対に売ってやんないだよ。お客様は神様だっつうが、ストーンウォッシュとかカットジーンズする奴は俺の宗派では悪魔認定だっ!!』

 

『では、詩歌にジーンズを売ったんですね?』

 

『あの嬢ちゃんはちゃんと価値がわかってるからな。それにどこかの聖人サマとは違って買ったらすぐにチョキンチョキン切らずに、きちんと道具を大切にするからな』

 

『詩歌にジーンズを売っただけなんですね?』

 

『……何、まさか拗ねてんの? まあ、オメーもジーンズを術式だとか屁理屈こねてわざわざ汚したり傷つけたりせず、一着が歩んできた歴史の道のりを理解するというなら売ってもいいぞ』

 

『そんなことは訊いていません。詩歌が、ここで、何をして、あなたに何を依頼したのかと訊いてるんです。彼女はこの店を出る際、確かにジーンズをひとつ持ってはいましたが、ジーンズを買うのならわざわざ私の目が離れている内でなくても良かったはずです』

 

 チッ、相変わらず頑固だなコイツ……と舌打ちして、

 

『あの嬢ちゃんは可愛い客だ。そして俺は平凡な店主。この店で売ってるジーンズ全てに高い価値があるよう、何を買ったか勝手に明かすほど守秘義務ってのを安く見てねーよ』

 

『あなたに異端尋問官としての権限はあまり使いたくないのですが』

 

『あまり人様のプライベートを詳しく詮索すんなって。それとも魔女狩りの頃のように<必要悪の教会>の変態どもは、拷問で『自白』を強要するつもりか』

 

『……………お願いです。私は、彼女を、斬りたくないんです』

 

 店主の眉がぐっとハの字に寄った。

 今は天草式十字凄教がイギリス清教に加入し、本人も女教皇として復帰したが、その前の一時期に、ジーンズショップの店主は神裂火織と言う<聖人>のサポートに回り、その性格も熟知している。

 

『はぁ……ったく、俺は『善意の第三者』だから、何も知らねーよ』

 

『……『善意の第三者』、ですか』

 

『ああ、だから、俺は何も知らない。言えるのは、ここにある男性用ジーンズの搬送先はイタリアのヴェネツィアで、添えられてるこのメッセージカードの中身は見ていない。言っておくが、ジーンズはオメーらの検閲に引っ掛かるようなもんじゃない』

 

 つまり問題となるのは、ローマ正教の本拠地のあるイタリアへ送られる、そのメッセージカード、ということか。

 

『では、それを……』

 

『オメー、もう少し頭を働かせろよ』

 

 店主は呆れ顔で言った。

 

『この中身を検めたらそれは『善意の第三者』ではなくなるんだぞ』

 

 『善意の第三者』

 言葉の響きから、なんとなく善人めいたイメージを抱かせるも、これは法律用語だ。

 

 例えば、この古着屋に贈物依頼された品のメッセージカードに密文が挟まれたとする。そうとは知らずに搬送を請け負って、相手に送ったとしても、基本的に古着屋の店主は罪に問われない。

 当事者間の特定の事情を知らない第三者――それを民法上、『善意の第三者』というのだ。

 

 知ってしまえば後戻りはできず、もし職務を全うしなければならないのだとすれば敵対しなければならない。

 これは、“斬る理由”となるのかもしれないのだ。

 

『噂はいろいろと聴いてるし、現にこうして音速で動く物体だろうと目で追える<聖人>のオメーが引っ張り回されているところを見ると事実なんだろうな。ただな、あの嬢ちゃんの手際が良過ぎるのはかえって心配になるのはわかる。根っからのいい娘ってのはわかるんだが、頭が切れるのも度を超すと問題になるし―――神裂とよく似てる。

 だからこそ、これはローマ正教への密使じゃないし、あの嬢ちゃんはオメーを裏切るような真似はしないと思うぞ』

 

 だから、自分は引き受けた。店主はそう言い切った。そして、見るのなら見ろと神裂の前にメッセージカードを入れた封筒をカウンターに滑らせる。

 

『だったらなんで、私から隠そうとするんですか?』

 

『だから言っただろ、オメーとよく似てる。それが個人的なものだとしたら極力他人を巻きこませたりしたくないんだろ。嬢ちゃんは嬢ちゃんなりにオメーのことを考えてんだよ』

 

 ……結局、神裂はその中身内容を検めた。それ術のかかっていない何の問題のないもの―――というよりは、この前の事件の後処理確認みたいなものだ。

 ある意味で自分達が見落としていたこと、というより、自分達には指摘のできないことをこっそりと埋めようとしてくれたものと言える。

 

「火織さんも、上条家の肉じゃがどうです?」

 

 彼女は見たか見ていないかを追求もしなければ、気にもしていない。いつもどおりの微笑みで、落ち着いた調子で接してくる。

 ここで下手に自分が罪悪感を抱く方が間違っているのだとでも言うように。

 戦うことは悪いことではないと思いつつ、本当はいつだって戦わずに済む方法を模索している。

 だから、どんな相手にも三分の理があると考えている。

 環境を乱したのは自分の失態(ミス)だとしたいから。それが傲慢だろうと、自分の咎であると思いたいから。

 何でもかんでも一人で背負おうとするのは本気で叱るべきだろう。動も彼女は簡単には誰にも本心を見せないし、少しでも親密になるとかえって隠し事をしてしまうタイプ。

 

「(あなたたち兄妹は私に一生借りを返させる気はないようですね)」

 

 神裂は勧められた肉じゃがを一口摘んで、

 

「それで、古着屋(ここ)に立ち寄る前に空いた時間がありましたが、まさか、また“彼女たちに”会いに行ったわけではありませんよね?」

 

「この前の『切り裂きジャック』の情報のお礼に、バードウェイさんに携帯ゲームの超強力アイテムのトレードを約束したんですよ」

 

「友達の家に遊び行く感覚でとんでもない所に行かないでください!!」

 

「違うんです?」

 

「あまりあなたの知人を悪くは言いたくありませんが、<明け色の日差し>――『黄金』系ではロンドンで最大規模の、残虐非道で知られる魔術結社が、過去に我々<必要悪の教会(ネセサリウス)>にどれだけのことをしてきたか、語れば一昼夜でも足りません。

 そして、あのバードウェイは――十字章も暗記できていないような発育不良のチビガキですが――一の目的のために十の損害を出すことで知られる凶悪な魔術結社の統率者(ボス)です。彼女を『処刑(ロンドン)塔』の魔術的牢獄へ移送すれば、それだけでロンドンの……いえ、世界の治安が%単位で回復するでしょう」

 

「なんか今、若干私情が入ってませんでしたか?」

 

「……本当に人のことをデカ乳聖人などと、一度尻を叩いて礼儀というものを学ばせたい……」

 

「プ、女教皇(プリエステス)様……?」

 

「何だか、火織さんって将来は教育ママになりそうです」

 

 

聖ジョージ大聖堂

 

 

 かつて、ひとりの偉大な魔術師がいた。

 

 数多くの優れた魔導書をこの世に残し、『黄金』の魔術結社を率い、近代西洋魔術の基盤を築いた―――そして、その全てを内側から破滅させ、科学というもう一つの世界へ行こうとした。

 最悪な裏切りに対する復讐か、それまでともに一世代を築き上げた者たちが敵に回り、家族さえもその命を狙われ、刺客の手で葬らされた。

 

 しかし、ざっと20年前に存在したひとつの部門は“潰れていた”が、60年以上も経っているというのに、彼の存在を追い続ける専門の部署は存続している。

 

「……さあて。“釣り”を始まりけるか」

 

 名目上、自らの仕切りで始まった大決戦のロシア大陸から、遠く離れたロンドンで笑う影。

 主教は、聖堂の椅子に腰かけたまま、部下とやりとりしながら指令を下していた。

 ローラ=スチュアート。

 <最大主教(アークビショップ)>の指揮のもと、多くのイギリス清教のシスターが遠隔探査――彼我との距離に関係なく特定の生命反応に、いち早く反応する性質をもつ――系統の術式を行使していた。

 つまり―――魔女狩りのための処罰対象を効率よく発見するための、異端審問のための魔術。

 

(まあ……相手がヤツでは無駄骨になりけるかもしれんが)

 

 尻尾を出さざるを得ない状況をつくれたとするなら、話は別。

 イギリスら第三勢力は全面的な参加は考えていない。

 組織全体で参加してしまえば、裁定という役割の神聖性が疑われてしまうからだ。参加資格が“学園都市とローマ正教だけに限定されたものではない自由参加”なので契約上は問題なかろうと、外部から見た時の筋を通しておかなくては、大決戦の前提から崩壊してしまう。

 つまるところは、アレのやり口を正当化するためにこそ、直接的な介入は諦める―――そういう戦力を温存する名目を得ている。

 ……じっと見ているということが、女王も含めてできそうにない連中ばかりではあるが。

 しかし、直接の干渉援護は不要であろうし、求められていない。

 生餌に選んだアレは、生け簀の中の生態系を変えかねない可能性を持った存在だ。

 だが、手綱を握る必要はない。

 鳥とは、光のない闇の中では飛べないからこそ、鳥目という言葉がある。

 アレも同じく、こちらの威光がなければすぐに地に堕ちる。

 賢しいのが珠の傷であるが、そうでなければあの男を引っ張り出せぬであろう。本当に、世界すべてを敵に回し、この二日間を最後の最後まで生き残り、あの男も成せなかった偉業を果たせたとすれば、<最大主教>だけでなく、<総大主教>、<教皇>からたったひとつの権利が認められることになろうが、純粋善でも必要悪でもない偽が、どこまでいけるかを見物する余裕はある。

 

 

 と直接的な介入はしないというものの、この機会に今後のために有利に進めるように手はすでに打ってあるのだけれど。

 

 

独立国街

 

 

 パソコンに例えるなら、

 ウィルスを打ち込んで機能停止したところを侵入成功した『右手』が、<天使>が守るべき<生命の実>―――という名の充電機を強奪し、無尽蔵ともいえる生命源と繋がっている充電機を『右方のフィアンマ』と接続。

 さらに、<知恵の実>―――という『根源』と接続(アクセス)するためのネット回線を奪うとしたところで、パソコンごと壊すという暴挙に出られ、

 そのあまりに無理やりな対処をしたのが原因で暴走したが、『もうひとりの右手を持つ者』に思わぬ逆襲に遭い、強制シャットダウンされた。

 充電機がなくても内部電源があるのだろうが、あれだけの存在を常時維持しようとすれば――あの己の身をも焼いて燃え盛る『翼』の暴走を見る通り――制御を失えば、30分も保たずに枯欠するので休眠させた、『予備』の判断は正しいのだろう。

 

 して、もう、『右方のフィアンマ』に<生命の実>の適合は済んでいる。

 

『―――もうこちらの準備は終わりマシタし、今のミスタ・フィアンマでも、『プロジェクト=ベツレヘム』ぐらい力技でどうにかなりますデスケド」

 

 と、そこまで科学知識(あちら)にも精通してる裏方の魔導師が言う。

 しかし、成功を確実とするために完全になるには、やはり『ネット回線と接続されたパソコン』――<知恵の実>を残した『素体』が必要……そしてそれを『右方のフィアンマ』は望んでいる。

 

『あの『素体』は『無原罪懐胎』がなせるもの。<神の右席>が克服すべき『原罪』とは、『楽園』の<知恵の実>を原初の人が食してしまったことだ。ならば、同じ過ちは繰り返さぬよう、人の手に渡る前に<神の如き者(ミカエル)>を司る俺様が手に入れるべきではないかね』

 

 

 

 現在の魔術では、呼吸法や瞑想法等を利用し、術者の生命力を魔力に加工し、様々な術式を行使する。

 しかし意外に思われるかもしれないが、そんな魔術師たちに、魔力の源たる『魂』とは何なのか、という問いを投げかけられて自信を以てこれだと答えられる者はいない。触れることも敵わない。いくつかの有力な仮説はあっても、それを裏付ける結果を出せていないのだ。この辺りは、難解な数式の証明行為にも似ているかもしれない。

 しかし、だ。

 『魂』のメカニズムはわからなくても、それを複製・量産したり、手を加えて改造することは可能だ。

 これは科学サイドにおいて、『魂』とは何なのかがわからなくても、いいや、気にすらしなくても、クローン人間の研究に携わる研究者は遺伝情報を複製できるように、臓器移植をする医者が瀕死の患者に活力を与え、寿命を数十年も伸ばしたりするように。

 魔術サイドでも、そんな仕組みのわからないブラックボックスである『魂』を、器である肉体ごとまとめて製造できるのである。

 それが、<魔術生命体>。

 天使や悪魔、または科学の街で出現した人造の堕天使も同様なのかもしれないが、『別位相空間に存在する何らかのエネルギーの塊』としての生命体ではなく、魔術師が有機物に手を加えた亜種だったり、時に無機物だけを素材として造り出された亜種であったり、その種類は千差万別の十人十色。

 だが、現在、<魔術生命体>の製造なんてジャンルはマイナーで、それ専門とする魔術師は絶滅危惧種といってもいい。

 一体辺りに必要な高額なコストもそうだが、『錬金術』で<フラスコの中の小人(ホムンクルス)>などと呼ばれるように、フラスコとか試験管の中から出した直後に死んでしまう不安定な寿命や、それが賢い獣であれ、長寿の美少女であれ、<魔術生命体>とは『独自の思考能力を持つ』のだから、勝手に行動することがある。

 もしそんな勝手をされて足を引っ張られ、儀式術式の手順を踏み違えた場合、術者の神経回線と脳内回路を焼き切る恐れだってあるし。

 逆に優秀であれば、下手に高性能であれば、暴走でもしてしまえば主人(マスター)を裏切ることだってある。

 そうなったら、最悪。

 スーパーコンピューターの開発技師が、その作品の全てを知っていたとしても、単純な演算勝負でスーパーコンピューターに勝てるはずがない。

 そんな安定した要求が望めない代物に注力するぐらいなら、そのコストを使って、自身の性能を増強させるような剣と杖――『霊装』をひとつ用意した方がマシだし、使い捨てである方が、利便性の面では優秀だ。

 なんなら、<石像(ゴーレム)>のような『道具としての人型の端末』でも作ればいい。いちいち命令(コマンド)を入力しないといけないのが面倒だろうが、裏切ることは絶対にない。

 

(何にしても、ここに『素体』があるのは間違いありませんねー)

 

 緑色が僅かとなり、さらに――進んだ『テッラ=ランスロット』の全身鎧の甲冑は、や堕した聖灰に彩られ、今や闇のような、奈落のような、底抜けの黒となっている。

 この『箱庭』にいる限り守らされる『十戒』の効力は凄まじく、そのため常時発動させるための『人柱』は限られている。

 『素体』だ。それしかない。

 だとするなら、少女一人を収めた<約櫃>ごと空間圧縮でもして、そこらに転がっている<赤い卵>のいずれかに隠しているんだろうか。―――いいや、その可能性は低い。

 大事な『素体』を運任せに道端に放置するような人格ではない。

 陽動――<大覇星祭>でリトヴィア=ロレンツェッティが<使途十字(クローチェディピエトロ)>を発動させようとした時のような策もあるが、だとするならば、『素体』のある場所から離れようとする。

 どちらにしろ、必ず、誰にも見つけられないところに隠そうとするだろう。

 それとも、ウサギ役のアレが未だに持っているか。あの超能力者との戦闘を視る限り、何かを持っている風には感じなかったが、だとすれば既に隠したのか。

 開始直後に奇襲されたことを考えるに、スタート地点の中央聖堂内。

 

(一応、そちらは探索専門の別動隊に任せますかねー)

 

 アレは、『十戒』の法則から守られない。

 ここの法則上、“偶像とはあってはならぬ”ものなのだから、この戦場で唯一、殺せば死ぬし、襲えば奪える。

 

 そして、『左方のテッラ』はかつて、アレの本物を打倒し、邪魔さえ入らなければ、あと一歩のところまで追いつめただけの力がある。

 

 だというのに、『後方のアックア』や天草式の女教皇、こちらを裏切った『太陽の騎士(ガウェイン)』――世界で20人といない<聖人>といった戦力を一切味方につけず、単独。

 

「まさか」

 

 『魔王』などと呼ばれて、本気でひとりで十分であると驕っているのだとすれば。

 二日経てば――三日目で復活した『神の子』と同じく――生き返ったとしても。

 

 

「それまで、本気で逃げ切れるとでも思っているわけではありませんよねー?」

 

 

 早くウサギは狩り取らなければ。

 先手を科学側(あちら)に取られたが、次は魔術(こちら)の番で、それで終わりだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 この世のありとあらゆる動植物は、周囲の環境に合わせて体の仕組みを変えていく。

 

 天敵から身を守るため。

 効率よく獲物を捕えるため。

 暑さや寒さに耐えるため。

 莫大な水圧や酸素のないところで硫黄を吸い込むため。

 

 どんな動植物も、自分ひとりだけでは進化をしない。必ず、周囲にある環境に引き摺られる形で機能を追加、または不要なもを削ぎ落して洗練させていく。

 もちろん人類であっても例外ではない。

 

『全人類がその欲求を満たすには、もうひとつの地球が必要だというのだけど。彼女は個人でその『環境』というのを代用できる可能性があるのだけど』

 

 地球ひとつ分に匹敵するような『環境』とも呼べる存在が近くにいて、その受ける影響が触媒の如く成長を促進させ、定められた限界を超えていく。

 

『本来、学生の能力(Level)は先天性な『素養(才能)』で決められていたのだけど。つまり、<時間割り(カリキュラム)>に参加する以前に、最初の<身体測定(システムスキャン)>で、君のような超能力者(Level5)になれる人間かを選別できていた。どれだけ努力しようが、成功する人間は成功し、失敗する人間は失敗するけど』

 

 そんなことは冷静になればわかる。

 第三位が幼少のころに騙され、提供したDNAマップを基に軍用の体細胞クローン――<妹達(シスターズ)>を量産する計画『量産型能力者(レディオノイズ)

 低能力者(Level1)から時間をかけて超能力者(Level5)となった第三位は、その時はまだ超能力者ですらなかった。

 しかし、研究者たちは、それが将来は超能力者に化ける金の卵だとわかっていれば、DNAマップの価値が上がる前に手を打てただろう。

 

『始めから伸びもしない人間を育てようとしても、時間・予算・機材の全てが無駄になるなら、無駄になってしまう分を有用な能力者へ重点的に割り振った方がはるかに効果的だろうけど』

 

 唯一絶対能力者(Level6)に至れる『素養』を持っていなければ、二万体のクローンが『実験』に用意されなかっただろう。

 

『そんな学園都市が定めた<素養格付(パラメーターリスト)>の予定調和を破り、努力で才能を補えるなどという神話を打ち立てたのだけど。彼女の周りには、本来ならば無能力者(Level0)で頭打ちのはずの学生が、“ひとつの例外を除いて”強能力者(Level3)大能力者(Level4)となっているのだけど。学園都市の全機能をも賄え、不可能をも可能にしているのだから能力は上回っているのだけど、彼女はすでに<能力追跡(AIMストーカー)>が候補に挙がっている『学園個人』と称してもいいけど。

 その時点で『素体』を求める理由は十分過ぎるのだけど』

 

 過去に、無能力者の不良(スキルアウト)に開花しえなかったはずの可能性を見せたことは、実際にそこに立ち合わせたので知っている。

 と、“その時点で”、とこの電話の女は言った。

 これは、『ちょうどお前がいる、そこのロシアの研究所の話だけど』と前置きし、

 

『彼の国の最先端技術の結晶として生み出された『実用化された超能力者』とやらは、『聖母(マリア)』の名を呼び熱心に祈ると特殊な力を発動するんだそうだ。……まぁ、私は特別宗教を否定するつもりはないし、そういう精神集中法と言われればそれまでの話だけど。しかし、それらは『科学的な』研究施設を建造してもかき集めたデータの使い道を何にも見出せないし、実用レベルの能力開発技術なんぞ手に入れられるわけがない。現に<スターゲート計画>なんて失敗し続けてるようだし、我々に追いつく可能性は0%だ―――と言いたいところだけど。

 彼女の『素体』があれば話は変わって来る。

 そう、“いるだけでいい”。もはや『素体』自体が『環境』になっているようなものなのだから、それがどういう理屈で成り立っているのを理解できずとも、誰の意思など関係なく働く。

 となれば、追い抜かれる可能性すらある。彼女の特質はその土地の『環境』を学習(吸収)していくものだろうけど。だとするなら、『学園都市』という『環境』に限った話ではなく、この私にも予測がつかない『科学とは別の法則』でさえ内包しているのだろうけど』

 

 自身には身に覚えのあることだが、それまで一切手に触れてなかった『科学とは別の法則』を新たに入力して発現した『(モノ)』は、『実験』で得られた経験値を遥かに超えた現象だった。

 もし、『科学とは別の法則』とやらが、学園都市の今後の発展のために価値がある――絶対能力(Level6)への足がかりとなる――と見ているのだとすれば、『科学的な』解析では取得できないのをわざわざその土地に行かせて、“『環境』を吸収させた”『素体』は何としてでも欲しい。

 世界大戦で戦勝して得るはずだった利益を諦めてでも。

 

 

 

自分(テメェ)の身を賭けてる時点で、アイツの馬鹿は死んでも直らねェモンだってのはわかっちゃァいたが、まさかこンなルールだとはな」

 

 白い白いシルバーホワイトのジャケットを着た最強の超能力者、一方通行。

 何が『宝探し(イースターエッグ)』だ。そンなのはガキどもとやるモンだろォが―――厳しい面持ちで、鋭い糸切り歯を剥く。

 これは、『必ずどちらかが勝つ(ゼロサムゲーム)』モンじゃない。学園都市にしろ、ローマ正教にしろ、こんなんじゃ騙されない。

 その上で何も言わなかったのは、その方が都合良かったからか、実際に世界大戦するコストとリスクとを天秤に賭けてこちらの方が得であったからか。それともこれを無謀な賭けだと嘲笑ったからか。

 確かに、停戦を条件に始めた以上は引き分けであろうと戦争が再熱することはないだろう。その時点で、世界規模の戦争を止めることはできている。

 あの日に暗部の解体に手を伸ばされた学園都市にしても、あのフランスで計画を阻まれたローマ正教にしても、両者の敵対勢力よりも、現にこうして手に負えなくなってきている存在を狙うように仕向ければ、そりゃあ納得するだろう。

 しかし、そういう問題じゃない。

 白と黒の駒が並ぶ盤上で、ひとつだけ混じった赤が最後まで生き残ってしまうことなど不可能だ。

 いくら逃げようが、限られた場で、狡猾に逃げ道を潰しながら白と黒は両軍の駒を排除しながらも赤を詰めていくはずだ。

 そこで二日間も逃げ切れる……―――いや、アイツはそんな大人しい性格じゃない。

 初っ端から仕掛けてきた第四位の連中を真っ向から仕留めた。

 つまり、たった一駒で、この二日間で(科学)(魔術)の両陣を納得させるまで戦う気―――全滅まで視野に入れて動いているのだ。

 

「こンな状況をつくりあげて、それで本気で勝つつもりだってンなら」

 

 自分の手で改良を加えた現代的な杖を握るグリップを90°回転すると、二段階にスライドする楯状の部分が展開され、邪魔にならないよう杖の脚の部分が手首の位置まで折り畳まり縮小、収納。

 腕に巻いたベルトが血圧計ように内側から膨らんで圧着。

 それから電極のスイッチを能力使用モードに切り替えると、一跳びで背の高い建物の屋上まで飛び上がった。

 

「その思い上がりごと、この盤上を、何もかもを壊してやる」

 

 縁の上に足を付け、周囲をぐるりと見回す。

 記念日に起きた暗部同士の抗争で、あの少女の内面『能力では説明できない何か』に触れ、体中の内側を引き裂かれる痛みと引き換えにその一端を取得した一方通行だった。

 その前から、己が感覚のみで新しい演算領域の構築した際にそれらしきものには接していた。

 それから思い返すだけの時間を得て、その曖昧なイメージに明確な輪郭を与えることができた。

 一度息を吸い、止め、そして力を行使する。

 

「……ッ!!」

 

 ビキビキビキ!! とこめかみの辺りの血管が不自然に脈動した。冷たい寒国の風に当たっているはずなのに、嫌な汗が噴き出すのを止められない。

 連想されるのは表面張力で限界以上の水で満たされた(コップ)。今は、どちらの方向(ベクトル)にも傾けてはならない。

 気を抜かず、器の底の中央に人差し指の先端を据えてバランスをとるような繊細さで体内の力を制御し、そして感覚を拡げる。

 

 

 ―――第四位との戦闘後、姿を消した。

 ―――だが、その存在までは完全に隠しきれない。

 ―――『調和のとれた破壊で『世界の力』を破壊し続けている』をするのと同じように、『調和のとれた生産で『世界の力』を生産し続けている』

 ―――息をするように行っているソレは、常に『世界の力』に干渉している。

 ―――だから、その『世界の力』の流れ(ベクトル)を肌で探る。

 

 

 光線のように直接視覚でとらえられるものではない、こんこんと源泉から湧き出でる水の流れを表現するように、力そのものではなく、力に干渉されて蠢くモノを捉えることで、間接的に感知し―――位置座標を割り出した。

 

「そこか」

 

 蹴る。その場所へ最短のコースで移動―――

 

 そして、視界に入ったアカい少女。

 無表情な顔に無表情な視線をこちらにくれる。それほど長い時間は経っていないというのに久しさを覚えるその鏡瞳に、心臓が大きく鼓動を打つのを自覚した。

 息苦しさを覚えるも、しかし表面上は冷静を通す。

 そんな強がりに、どくん、と裏切る脈動が脳に響いた。

 平常値とは荒いリズムの呼吸が熱くなる体内の換気して、二つに割れそうな左右脳を細い糸でひとつに繋ぎ止めているような感覚に、一方通行は自己を抑えつつ、この現実を受け入れる。

 そして、ようやくもう一つの『色』に気付く。

 

 

「おやあ? 学園都市の第一位まで参加してましたかー」

 

 

 ここで、『左方のテッラ』、一方通行が同時に、そのアカい影を捉え、すぐ近くにいる相手も把握し、三つ巴の争いとなることを理解した。

 

 フランスのアビニョンですれ違い、遭遇(戦闘)せずに切れた筈の因縁が、今ここでひとりの少女を仲介して結ばれた。

 

 

外れの集落

 

 

 戦場において、最も兵士たちの敵となりうるものは何か?

 脅威となる存在、兵器や兵器以上の戦力―――ではない。

 それは、恐怖心だ。

 どんな強力な兵器でもその対処策、あるいは回避策が判明していれば、それほど脅威とはならない。それにどれほど圧倒的であっても、それを無力化する手段は数多く存在する。

 だが、一度湧きあがった恐怖心は、そう簡単には解消できない。見えない敵や罠に対しての、怯え。あるいは、身近に死を目の当たりした衝撃と、生への執着。

 いずれにしてもそれらに取り付かれた兵士はもはや戦闘心を失い、どれだけの数を揃えてもただの烏合の衆と化す。

 故に戦局の維持において、兵士たちの士気を維持することは何よりの肝要事項だった。

 

 ならば、それを取り除けた時―――最強の兵士が生まれたことを意味する。

 

 経験や、性格的なものもあるだろうがそれが簡単に除去できるのであればより効率的だ。アルコールによる酩酊状態でもその近似の精神状態を作り出すことができるかもしれない。だが、他にもっと効果的な手段があるとしたら、それは何だ。

 向精神薬。戦時中は酒や薬物によって精神を高揚させ、恐怖心を取り除くという行為が公然と行われていた。

 確かにこれでも、恐怖心を忘れて戦うことが可能であれば、兵士たちはどんな危険な状況にも全力で立ち向かっていけるだろう。

 しかし、文字通り命を捨てることができるのはそれでも一握りだ。

 

 何か象徴的偶像が必要なのだ。

 

 例えば、悪がいるから正義の味方になれるなら、命を賭けてでも守ってあげなくてはならない庇護対象のためならば、兵士は皆『勇者(ヒーロー)』となるだろうか……

 

 

 

 木の骨組みと大きな白い布を組み合わせ、その中央に暖を取るための薪を囲うテントでありながら、外の凍えるような寒さは覚えない。冷気を遮断し、内の熱を逃がさない。

 いきなり視界がコマ送りのように連れて来られたのは、この『箱庭』の端にある集落らしい。

 ここを出ていくかどうかは自分たちで決めろ、と放置された。

 自分達は学園都市の先兵として、このロシア大陸まで来たが、終わるまでは帰れないし、自力で学園都市まで戻ることもできない。かといって、任務を果たせなかった以上、あの出張都市に逃げ込むわけにはいかない。

 

(……借りてる立場だから文句は言わねぇが、くそっ。ここまで来て、こんなところで、“あの娘を助けないままリタイアするわけにはいかねぇんだ”……)

 

 腰元に小さな拳銃を隠し持っているが、それだけでは心細い、浜面は火掻き棒を手にしながら、三つの寝台をチラリと見る。

 そこには、女の子が三人とも伏している。

 一番軽傷と思われるのは、最も小柄な絹旗最愛だろう。

 単純に投げ飛ばされただけなので、処置した医者が言うには意識さえ覚醒すればすぐに歩けるだろうとのことだ。

 そして、滝壺理后。

 <体晶>という薬品(?)のような物の副作用もあるが、そこに無理を重ねたせいで倒れてしまった。今も寝台にぐったりと身体を預けていて、風邪で高熱が出た時のように気持ち悪い汗を流している。こちらは<体晶>が学園都市のトップシークレットである以上、『外』の医者に診せても解毒はできない。症状を和らげる錠剤はあるそうだが、飲ませても中々意識は醒めない。

 すぐに去ってしまったがかつて治療してくれた彼女に診てもらいたかった……

 でも、代わりに修道女と思われる女性が何か御祈りでもしていたが、そんな神頼みでも処置をすると、敬虔な願いが通じたのか、薬が効いてきたのか、楽になったように眠りは安らかなものとなった。

 最後に、麦野沈利。

 義手を握り潰され、義眼を抜きとられたが、出血はない。それ以外に負傷してる所はない。ただし、二人よりも深い眠りについているようだ。

 超能力者(Level5)大能力者(Level4)二人が無防備であるなら、今、ここは、無能力者(Level0)だとしても自分が立ち上がらないといけない。

 彼女たちが目覚めたときに、何か状況を打開するような……

 

(……俺だけで戦えるはずがねぇが、俺たちは“あの娘のためにも”学園都市を裏切るわけにはいかないんだ。あの『魔王』の弱みでも何でも握って、大人しく学園都市に帰ってもらうよう説得する。それしかない)

 

 直接戦って倒せなかったとしても、あの修道女は、学園都市でもローマ正教側でもない、彼女の協力者なら、人質に取れれば、『交渉』できる。

 襲い脅すことを躊躇うシスターだけど、『魔王』と戦うよりはマシだし、自分ひとりでも捕まえられそうだ。

 

「ああ、やるしかねぇよな。俺が」

 

 拳銃の安全装置を確認するも、これは最後の手段で、できれば、滝壺のために祈ってくれた彼女に、使いたくない。<スキルアウト>でATM強盗をするのとは訳が違うし、極めて勝手であるが、銃弾などものともしないあの『魔王』とは違い、どうしても腹の奥に重たいものがのしかかってしまう。

 しかし逆に言えば、あの『魔王』よりは怖くないのだ。

 

(……まず、誰でもいい、入ってきた人間を捕まえる。シスターでなくても、後で人質交換すればいい。だけど、絶対、ぜったいに、傷付けないことっ!! 火掻き棒(こいつ)を突きつけるだけ。銃はできるだけ頼らないようにしろっ!!)

 

 必要なことを頭の中で繰り返し、自己暗示。ある程度まで覚悟が固まれば、入口の陰に隠れて、慎重に気配を窺う。

 来る。

 こちらに近づく足音。

 それが直前まできて、止まった。シェルターの中へ入ってきたと同時に、赤熱し尖った先を向けた。

 

(絶対にっ! 相手は傷付けないっ!!)

 

「おい、アンタら。そろそろ腹が―――」

 

 相手を見る。

 お盆に温かそうなスープをのせた大男の白人。ディグルヴだ。この集落に連れて来られた一番最初に発見した住人。先程に紹介された際、たしか日本人の観光案内(ガイド)をしたことがあるとかで、日本語も理解できる。

 ありがたい。

 こちらの脅し文句がわからなければ、余計なパニックを引き起こしてしまうかもしれないからだ。

 

「騒ぐな。そのまま、案内してもらう」

 

 ゆっくりと、発音に言葉選びを慎重に告げれば、ディグルヴは数秒だけ黙って考えた間のあと、浜面の指示に従い……

 

「悪いが、あんたはこれからシスターと人質交換を―――って」

 

 ―――いや、無視して中に入った。

 

「……生憎と、俺が従う理由が見つからないな」

 

 臆した震えのない言葉に眉をひそめた浜面は、すぐに気付いた。

 踏切とばかりに進路を遮っていた赤熱の火掻き棒を邪魔だとばかりに、“その片手で火傷もなく払った”のを。

 

「参加してない俺たちにアンタらは不干渉。それが、『箱庭(ここ)』のルールだ。超能力を開発してる学園都市ならわかってんだろ?」

 

 超能力でも破壊できなかった建造物。

 戦闘が始まっていたのにあのときは出鼻を挫かれ唖然とした。何がなんだかさっぱりとわからない。分かったことは少なく、この土地は自分達の常識が通用しない、ただそれだけ。

 本当に冗談のようだったが、冗談ではなかった。

 

(……なんだよ。こんなの超能力じゃねぇよ。超能力者(麦野)が全力出して通用しないとか、どんな方式か想像もつかねぇぞ)

 

 参加者(自分ら)は、殺しが禁じられ、壊すのも禁じられ、奪うことも禁じられた。

 何故、住人らが避難していなかったのかも理解する。

 彼らには画面の向こう側と同じなのだ。どんなに爆発が起きようが、そよ風も感じない、ただ真実を見る、絶対の安全が確保されてる生き証人なのだ。

 ただ無様だけを晒した自分は、この法則が支配される中では子供にも一方的に負けるのだと理解すると、流石に背筋が寒くなった。

 そして、思ってしまうのだ。

 

「……ッ! ざけんな! こんなことして何になんだよ……っ! 戦争を止めたからなんだっていうんだよ……っ! 俺たちの……俺たちの代表になったんだろ!! 守るべき世界は、学園都市の方じゃねぇのかよ! 後ろには俺たちがいたんだろ!! なのに、そういう人たちを置いてけぼりにして、ひとり突っ走って、ヒーローなのに俺たちの敵になってどうするんだよ!!」

 

 我知らず、大声を張り上げる。

 頼りきりになっていたらダメになる、そうはいったが、あまりに美しく、底知れずに強かった彼女が多くの学生を救ってくれると信じて疑わなかった。

 自分だけではない、どんな時でも自然体で戦いに身を投じていた少女は、いつでも見る者に勇気を与えてくれた。

 なのに、孤立無援の姿を見て覚えるのは、絶望しか与えられない。

 戦争を止め、戦うのが嫌いだというなら、なんで……

 

「なあ、アンタらも巻き込まれたんだろ」

 

 浜面はみっともなくもこの集落間近に戦地がある男へ同情を乞う。

 こう理不尽を覚えるのは自分だけではないはずだ。きっと彼らも同じはずなのだ。もしそうでなければ重々承知してるのに目を逸らしているものと向き合わなければならなくなる。

 しかし、ディグルヴは首を横に振った。

 

「言っておくが、ここが戦場なのは第三次大戦が始まろうとしていた前からだ。むしろ、その時と比べれば今のほうがずっと平穏だ。

 すぐ近くにエリザリーナ独立国の国境があるからな、侵攻用の前線基地をつくるために、第三次大戦が始まる前から、この集落はロシア軍に狙われていたんだ。

 だから何度も接収の危機にさらされてきた。地上げなんてもんじゃないぞ。

 “今はもうないが”、『独立国同盟からの侵略行為を防止するため』なんて名目で、輸送機から大量の機雷をばらまかりもされていたくらいだ。

 ロシア軍側には確実に機雷を発見し、回収する機材があるのかもしれないが、当然、この集落にそんなものはない」

 

 想像を絶する話だ。国がその土地に住まう民にそんなことをするなんて、日本でなら絶対に考えられない。

 

「地雷を回収してNGOに渡すと食料や物資と交換してくれるんだから、ポイントシールみたいだろ。だが、本当ならその場で爆破しちまった方が安全なんだ。平和活動には分かりやすい成果が必要なんだよ。

 おかげで子供たちは、外で自由に遊ぶことなんて絶対にできなかったけどな」

 

 それだけではない。

 

 『プライベーティア』。略奪行為を『政府公認』で認められた正規の軍には存在しない空白の部隊。軍事経験があって暴れたい連中が、金稼ぎで集落を襲いに来ていた。

 しかし、大戦が行われなくなって、お役御免と国からリストラされた『プライベーティア』は暴走し、戦争という最高の稼ぎ時(ゴールドラッシュ)を起こすために、集落の付近にあった冷戦時代から何十年も核ミサイル発射サイロを略奪占領。大戦前から学園都市に攻撃するために弾道ミサイルが設置されており、『プライベーティア』はそれを学園都市へ発射し、火種としようとしたのだろう。

 ロシア政府は、非公式戦の工作部隊『東側の死神』に<細菌の壁(クレムリンレポート)>を発令。<細菌の壁>は、核兵器発射施設の防衛マニュアルで、本国へ武力侵攻があり、核発射施設が乗っ取られそうになった際は、避難勧告もを省いて施設の安全確保のみを優先し、呼吸器系だけでなく皮膚上からも血管中に潜り込む空気感染の殺人ウィルスを散布するという。油分を分解する効果も持ち、耐BC兵器用マスクを付けていようが穴をあけて、息を止める。対応したワクチンはない。

 

 国が招いたはずの野犬だが、餌がもらえず牙を剥いてきた危険な賊を、細菌兵器で、国の重要な軍事施設が奪われた事実ごと“なかったことにしようとした”。

 当然、施設付近にある集落は巻き込まれる。しかし、もともとそこは独立国を圧迫するには邪魔であった。

 人道は無視したが、一石二鳥を狙える有益な策―――それも『舞台の整地のため』とたったひとりの存在の介入で完膚なきまでに阻止された。

 

「言うまでもないが、圧倒的だったぞ。心配で後を追って様子を見に来たが、個人であのゴロツキも死神も皆まとめて死傷者〇で制圧し、施設にあった細菌兵器も超能力(ちから)を使って高濃度のオゾンで完全滅菌した。最後には子どもたちは歓声を上げていたくらいだ」

 

 もう言うな!

 叫びそうになって、口をつぐむ。

 部屋のテーブルにお盆を乗せ、椅子に腰をおろしているディグルヴは呆れた様子で浜面を見つめている。

 浜面はどうして彼が、こんな話をするのかわからない。本音はわかりたくない。タチの悪い冗談に引っ掛かっている気分だ。

 

「それから、自分達だけで自足できる術を構築してもらい、エリザリーナ独立国の傘下に紹介してもらうよう請け負った。結果として、この集落は大きな庇護と安定を得ることができた」

 

 与えられた知識と労働、そしてきっかけ。

 ただ守ってもらうシステムではない。

 流れない水は濁る。動かない人間は堕落する。

 後始末に仲介役として、もともとこの集落で自己完結していた流れと大きな組織でる独立国とを利害関係で構築できる水路(ライン)を作った。

 それは自分達の集落だけではなく、他のロシア軍に前線基地建設のために立ち退きを求められてきた集落にも同じことをしているのだと。

 自分の身を自分で養うという自覚を植え付けられ、その上で協力し合えれば、連帯感が生まれる。今では独立国を中心としてネットワークができあがっている。

 

 かつて高位と無能で差別のあった街の雰囲気が、些細な署名活動から始まって、今では少しずつ自分達で改善できてきているように。

 

「なにも奴隷のように酷使させられてるわけでもない。俺達には無理なことはやってもらったが、誰にでも無理なくできることも教えられた。“守られて当然”という馬鹿げた決まりごとは、必ず人をダメにする。そんな腐った考えでは、いざピンチに陥れば、一度救ってくれたその人間に逆恨みする。どうして守ってくれなかったのだ、と。

 だが、楽園が許されるのは、そこに神様がいるときだけだ」

 

 ぎくり、と心臓が跳ねた。何か、何でもいいから口から発せようとするが、喉がつかえたように言葉が出ない。

 ディグルヴは席を立ち、表情を曇らせた。浜面は奥歯を噛み締める。

 

「アンタらが学園都市の人間なのか、ローマ正教の人間なのかは俺にはどうでもいい。頼まれたから、一時宿を貸しているだけだ。こんなもんじゃ恩を返したとはとても思えないけどな」

 

 ―――“『あの子』を自分達は、助けなければならない”。

 ―――“『あの子』を助けるのを邪魔するなら、誰であろうと敵である”。

 ―――“『あの子』を救うために必要なものが足りないのなら何でも借りる(奪う)”。

 ―――“『あの子』を救わなかった、そこにいなかった彼女は”―――“自分達を見捨てた”。

 

「敗残兵を雪の中に放置するなんて『冷酷』な仕打ちはしたくないが、見境もなくしてるなら、ここから出て行ってもらうぞ。外の空気でも吸って、頭を冷やすんだな」

 

 去り際に、ディグルヴが有無を言わせない口調で言い放った。

 

「……、」

 

 その背中へと、虚空を彷徨う手を握り締めながら。

 浜面は、何も言うことができなかった。

 

 自分達は運命に流されている。

 

 運命とは言っても、そうなると決まっているモノじゃなくて、たとえるなら、お湯に満たされたバスタブ。その水面にアヒルの玩具のように、人や物事がぷかぷかと浮いている感じ。

 その玩具の一つ一つが、バスタブの上でささやかな流れに任せてぶつかったり、すれ違ったりしている。

 前の独立記念日での暗部抗争では理由と動機を得て、浜面仕上は運命(バスタブ)の中に飛び込んだ。玩具のひとつになってそれらに交ざり、みっともない悪足掻きをすることでささやかな流れを生んでいたのだと思う。自分と言うアヒルの玩具が介入した流れの影響を受けて、<アイテム>の動きが変わったなんて言うとおこがましいのかもしれないけれど、確かに何かの流れを作ったのだ。

 

 しかし今回、そのど真ん中を大きな白鳥が突っ切っていた。

 

 とても大きな流れ。誰もがそれに巻き込まれた。自分達アヒルの群れは慌てふためき、溺れ、同じ方向―――ひとつの結果におさまるよう、運命づけられた。

 ああ、そうだ。

 たまにいるのだ。強烈な――とても強い意志や影響力を持って動く人が、彼らは振り向きもせず、自分が他人に与えた影響を気にとめることもなく、ただ前に向かって突っ走る。―――運命という流れは、そういう人によってつくられてきたのだろう。

 白鳥が通り過ぎたその流れに巻き込まれたアヒルたちが慌てふためくさまを見て、未来の人はそれを歴史と呼んでいく。

 

 前回は、こんなちっぽけな浜面仕上(アヒル)を溺れさせず避けるために白鳥は本来の行く先を変えてしまった。

 

 しかし今回、そのど真ん中を大きな白鳥が突っ切っていた。

 

 だが二度も同じ流れを期待する方が馬鹿なのだ。

 

 溺れたアヒルは掬われて、バスタブの縁へと運ばれた。

 

 この集落の人らは、やがて後世に歴史を語るだろう。

 このアヒルを運命に弄ばれた、哀れな道化(ドンキホーテ)と述べるだろう。

 そしてただ結果だけを見た者たちは、溺れたアヒルを笑うだろう。

 

 歴史は残るが、運命は見えないのだから。

 飛べないアヒルは水の上に留まっていても、流れを作った白鳥は振り向きもせずに飛び去ってしまうものなのだから。

 歴史に残らなくても、未来の人には見えなくても。

 

 ―――巻き込まれたアヒルたちは確かに白鳥の姿を見ている。

 

 しかし、その白鳥は“一羽だけ”だったのだろうか。

 

 なんにせよ。

 

 

「『あの子』が助けを求めたのは俺らなんだ。『あの子』を救う役目(ヒーロー)だけは、『魔王』にだって譲っちゃダメなんだ」

 

 

独立国街

 

 

 両者とも両勢力の最強の、修道騎士と超能力者。

 そして、そこの獲物(ウサギ)役の香椎も含めて、この場にいる三人とも――『方向(ベクトル)を反射する』、『上位に変更する』、『偽全と調和する』――とそれぞれ異なるも “絶対的な防御性”を持っている。

 

 そんなことを知らずとも、自身を邪魔するようなら敵だ。

 あの海原よりも濃く嫌悪する圧迫を放っている黒い騎士がこちらの獲物を狙うようならば、助ける義理なんて皆無だ。

 よって。

 

「テメェらと遊ぶ気はねェ。すっこんでろ」

 

 先手の白。一方通行は背中から四つの竜巻を噴出させながら加速しながら、攻撃用のベクトル変換能力を右手に集中。

 この盤上ごと破壊せんとばかりに周囲のあらゆるベクトルを集め、さらに増幅する。周囲の光を吸い込むまでに増大した重力の渦が一点に―――(テッラ)(香椎)の中央に解き放つ。

 それは時速7000km超の学園都市製の超音速爆撃機<地殻破断(アースブレード)>さながらの『空爆』を巻き起こした。

 強大な質量(ベクトル)を持った一撃であっても、『箱庭』に地割れが起きることもなかったが、その爆発的な衝撃波は二人を分断した。

 ―――その暴威の壁を後手の黒は、揺さぶられることなく、突破した。

 

「―――優先する」

 

 かつて、知覚する間もなく己の肉体を両断した兵器に匹する破壊だというのに、その優先順位はブレない。

 いいや、今のには速度が足りず、破壊力だけが等しかっただけのこと。そして、今は知覚の性能は改造されて、どれほどの攻撃力だろうと、上位に設定されていれば、真綿で殴られるようなもの。

 『左方のテッラ』に反撃されるどころか視線さえも合わせられることなく直進された一方通行は―――挟撃を受けた。

 左から怒涛の茨矢。右から大群の鴉刃。

 この相対は、駒数だけならば黒が圧倒している。

 <神の薬(ラファエル)>の属性を持つ最強の修道騎士には、その補佐である<神撲騎団(マーダークルセイダーズ)>に集った歴代の猛者達が5名ついている。

 そのうちの『トリスタン』、『ユーウェイン』の二名に襲われたなら、その者の末路は肉片(ミンチ)であろう。

 しかし、最強の超能力者は動じない。このような不可思議な攻撃には覚えがあり、その時の経験から学習した『反射』を全身に展開している。

 

暗部抗争(まえ)にアイツが使っていたのと同じ法則か)

 

 茨矢は咲いて黒薔薇となって散り、生きた(道具)は啼きながら裡から破裂する。それは物質化した黒い光となって乱舞し、後詰で襲撃を仕掛けようとしていた槍を持ち馬で駆ける『ラモラック』と双剣を抜き狂う『ベイリン』を牽制した。

 防いだが、相変わらず『反射』が上手く成立しない不可解な手応えに一方通行は少し眉をひそめた。

 それも一瞬。

 

「関係ねェ。所詮群れても、そこらに転がってる石ころが山になったみてェなもンだ」

 

 周りの雑魚には用はない。気にも留めない。

 この先は一方通行―――背後など振りかえらない。

 

「―――ナめるな、ミュータント。キサマこそミズカらクチにトびコむエモノよ」

 

 しかしそれらは一世代を築いた英雄で、易々とは突破できない。

 

「―――!」

 

 先天的な野生。広大な平地(サバンナ)で、匂いを気取られぬよう風の動きを読み、身を伏せて草叢の陰に隠れるよう。

 先の攻撃でどうやら感覚が麻痺していたせいか直前まで“圧”に気付かず、隠蔽術式(リュネット)で、待機していた巨大な鎧獅子が、一方通行に――魔風じみた獅子吼――一時停止を強いる。

 『反射』が上手く作用せず、僅かばかりだが押されたのだ。そして追いつかれる。

 

「『素体』は我々が手にする超能力者。その動き縫うぜ―――<ロンゴアミド>!」

 

 騎手の王槍の指揮に従い、地面に槍が生え、天上から槍が落ちる。一方通行の進路――視界を塞ぐ槍の出現は、鳥籠のように一方通行の左右背後を囲っていることに、騎士らが何が何でも自身の邪魔をする意図を悟る。

 

「はああはははははあはははははははははははははははははっ!」

 

 思考する暇を与えず、磁石で吸いつくように双剣で拾い集めながら、一身を獰猛無比の凶弾として突撃(チャージ)を仕掛ける狂戦士。魂食いをしながら疾走するそれは、山頂から転がる雪玉のように、加速しながら巨大化していく。避けようにも槍に逃げ場となる空間は串刺しと封殺されている。

 もはやこれは足止めではない。排除だ。

 それに足る、十分以上の殺意がこの騎士らにはあった。

 今や狂戦士の両腕は、双翼のようだ。

 標的にどんな切り札があろうとも、『神に僕する』との通りに天上に届かんばかりの双翼は、その切り札ごと叩き伏せよう。

 この最強の超能力者を切り倒さんと、その双翼が左右斜め上方から一気に振り落とされる。

 

アーメン(かくあれかし)!」

 

 ―――その、抱くように双剣を振り抜いた狂戦士の怒号に、

 

「ミスったな」

 

 自らが起こす突風で髪をなびかせながら、一方通行は嗤った。

 

「テメェらが、俺に喧嘩を売ってンのはわかった。あのアイツに似たアカいヤツを狙ってンのも、まあお互い様だしよォくわかる。だったら、普通なら―――まとめてぶっ殺した方が楽だよなァ?」

 

 巨獣を右手で払い飛ばし、槍の檻を神風とばかりにベクトル操作で一掃しながら、悪魔は嗤う。

 

「どうやらよっぽど、俺をテッラ(ソイツ)から引き離してェのか。じゃじゃ馬(ヤツ)を抑えるのに邪魔をされたくねェほど特別扱いしてンのが俺にバレちまった」

 

 まとめてやるには不安がある。

 十中八九、『反射』が上手く作用しない原因が、騎士ら(向こう)にもわからない―――未知とは不安要素は、相手にとって戦力を分散してでも除外させたいほどのものらしい。

 そして、テッラ(あの男)には、正常であれば香椎(ヤツ)を仕留めるだけの自信がある。

 

「俺にますます―――路傍の石(テメェら)を蹴散らす理由を作っちまったぞ」

 

 瞬間、轟音が炸裂した。

 第一位の背中から爆発的に噴出した黒い翼が、狂戦士の双翼と激突。

 双子の巨塔の如き狂戦士の双翼であるが、悪魔の黒翼の一撃は高層ビルをも縦に割れる破壊力。

 

 だが、それでも騎士の連携は瓦礫と化しはしない。

 

 それさえも織り込み済みであると、設置された地雷が発動。

 先の茨矢と共に撃ち込まれていた、改造術式が掛けられた種子。それが根を張ったところに踏み込めば、蔦が噴き出す。

 一本や二本ではない。

 それは何年ものフィルムを数秒で早送りしたかのように、その色は罠にかかった標的どころか周囲の街さえも埋め尽くし、ほとんど植生もされていない極寒の環境が緑に染まり、そこから無数の緑の槍が一方通行に飛び出した。

 『反射』がそれらを皮一枚のところで阻むも、上手く作用せず、ついに足を止められてしまう。

 そして、黒い翼が蔦を根こそぎ刈ろうが、バラした部分部分からまたより勢いを増して伸長してくる始末で、

 

「チッ、ウザッてェ雑草刈りだ―――」

 

 蔦が、潰れた。

 あらゆるベクトルを操作する超能力者が足踏みした途端、まわりの重力が増し、無尽蔵かつ無慈悲に暴れる植物地雷を強引に押さえつけたのである。規模を考えない、ただひたすらな力業であった。

 見えない巨人の手の平が世界を押さえつけたような景色の中で、一方通行は舌打ちする。

 戦力の半数以上を割いても撃破できていないとはいえ、焦眉の急といえた超能力者を留めることはかなっているので、この状況はどちらかといえば、<神撲騎団>の思い通りに事が進んでいるといってもいい。

 打開するには、もっとこの“圧”に踏み込み、力の正体を解読する必要があるが、危険であると“以前の経験”が一方通行に警鐘を鳴らす。

 そして、一方通行を不機嫌にさせる要因が、もうひとつ。

 第四位を撃破した。

 もしも学園都市を裏切り、ローマ正教側に着いたとすれば、ここで協力して第一位を仕留めにかかるはずであり、どころか、襲われているところを敵対しているようで、一向に援軍は来ない―――あれは孤立無援である、と実感させることがなにより。

 

 そして、英雄(ヒーロー)の騎士団と悪魔の超能力が膠着している向こうで、

 

 

 黒は、赤と激突する。

 

 

 『テッラ=ランスロット』の手に武装はない。

 あらゆる武器を操る修羅の手腕に、状況に合わせて流動循環して、瞬時に凝固させて千変万化する聖灰は、億通りでも兆通りでも攻撃を切り替えて標敵を屠ることが可能である。

 <光の処刑>。それが『神の子』であろうと、上位に設定したのならば、万の奇蹟を祈ろうが抗うことはできない。

 

「今度こそ余計な邪魔が入らない内に、一気に片付けさせてもらうとしますかねー」

 

 修道騎士が通る空間に黒い棘が生まれる。聖灰粒子の集合体である棘は瞬きの間に針へと成長し、一呼吸で剣山にも似た何かとなって勢い良く噴き出した。

 総数三百本。ズドッ!! と、空中でしな垂れるよう弧を描き、襲いかかる。

 

「………確認。計測終了―――予測、範囲内」

 

 ぽつり、と呟く赤の少女が、身を沈めた。

 塵埃が跳ねるほどの勢いで地面を蹴って―――テッラは見失った。

 

(『後方のアックア(ごろつき)』と相手するだけのことはありますねー)

 

 しかし、そのカラクリは理解している。

 “滑り込んだ”、といえば簡単だ

 視覚だけでなく全知覚から全タイミングから『空白』に滑り込んだ

 ひとつひとつが狭き門であるが、それらがすべて噛み合った時に、知覚外へ抜け、自然と一体化するように溶けこめば、認識できなくなる。

 一定のレベルに達したものならば、可能な技術だ。

 だが、『ランスロット』でさえ実戦で活用できない。

 そのまばたきまでも間隔のリズムは前回からの戦闘で掴んで、今、調整した。そして、派手に暴れる一方通行に、騎士団の半数以上の意識が半分以上割かれている機を掴んだ。

 だが、相手の癖や呼吸を知りつくさなければ不可能なものを、この場にいる全員の全てから“滑り込んだ”のだ。

 ほとんど偶然(ランダム)、ましてひとりだけではなく複数に神業を成したのならば、奇蹟。

 運も実力のうち、などという言葉がある。

 現実の戦場に置いて、強運はそれだけでは意味を成さない。強靭な実力に支えられた上で、最後のひと押しとしての強運は悪夢のような効力を生む。

 不確定な『運』をここまで強く意識させられたことに、そこまで深く浮き彫りにさせるその地力の強さに、皮膚が泡立つものに騎士の御霊が刻まれた身を震わす。

 場のリズムと、相手の動作に合わせ、知覚を読んで、旋回しながら踏んでいく。

 踊るように足を運びながら奇蹟を残し、敵意の雨をかいくぐりながら華やかに舞う。

 しかし―――

 

(この“教会”の領域から完全に逃れることはいくら神に愛された天運があろうと不可能ですねー)

 

 吹き荒れた聖灰が、相手の周囲を街ごと呑み込む。

 ひび割れた鐘の音が、この区域全体に鳴り響いた。

 音が重なり、連なり、大きくなっていく。

 反響して、増えていく。

 音が音を喚び、『箱庭』を穢れた音で満たしていく。

 景色がまるで塗り替えられていくように全く別のものへと変わっていく。

 

「<神の右席>の<神の薬>である私が司る“地”の属性ですが、その土地領域の地脈龍脈への干渉が可能なんですよねー。<C文書>に<量産十字(クローチェディレプリカ)>の<聖霊十式>とその贋物を実用レベルに調整したのもその恩恵。……これをお披露目できなかった英国の時(あれ)からその親和性をより引き出した今の身体ならこのような芸当も可能です」

 

 『左方のテッラ』の手に持つは、十字剣(十字架)

 己が信仰と同じく、何があろうが欠けることのない無毀。

 それが起こすのは、限定的な、なれど単独による行使可能な、土地の支配者の上書きによる優先順位の変更。

 一時、『箱庭』の法則が敷かれたこの“地”の力と接続する。

 

 次々と“教会”の像が陽炎のように浮かび上がっていく。

 『幸福の護り』で騎士王を退けた『湖畔の』騎士は、その晩年を教会修道院で過ごしたという。

 小さなものから大きなものまで、この独立国の街に千を超える数で上書きされ(重なっ)ている“教会”の幻影は、騎士王(支配者)選定剣(ルール)にも破れない“守護”の証。

 

「残念ですねー。せっかく時間をかけて設えた『箱庭』なんでしょうが、大地の祝福を受けるのは私だけです」

 

 術者(テッラ)の周囲からだけではなく、“教会(土地)”からも聖灰が噴出する。

 

 紅一点を、駒ではなく、黒の盤上が詰めていく。

 

 かつて<神の薬>を象徴する聖職者であったころから変わり果てた『裏切りの』騎士。

 飛蝗(バッタ)の生態を思わす。

 孤独相から群生相へと相変異する際、飛蝗は緑から黒となって、大地を喰い尽す蝗害という災厄を起こすのだ。

 今、かつての緑を喪失し、黒く染まった<神の右席>は群を操る災いそのもの。

 

 鐘楼の音に押されたようにさらに勢いも増幅。篠突く聖灰は、まるで蝗害が草木を貪るかのように、無慈悲に、無造作に。と、姿勢を一糸乱れず駆け抜ける香椎が、可能な限り小さな動きで円運動を合わせる様はその『色』もあって、あたかも闘牛士(マタドール)のようだ。

 暴れ狂う黒の災いの間を走り抜けた―――が、そこへ、

 

「これでチェックメイトサ」

 

 その掻い潜った先に主の陰に隠れ潜んでいた最後の一機『ケイ』が炎を纏った大短剣が待ちかまえていた。

 踏み込んだ速度、大地に落とした足捌き、振り抜かれた横一文字に是非はない。

 

「っ―――!」

 

 

 しかし。

 次の瞬間、どおっと街に雪煙が舞い上がると同時に十数mも後方に吹き飛んだのは騎士の方であった。

 

 

「ふぅ―――」

 

 残心するその様。

 乱闘の最中に置いてもそのあまりに自然で、整い過ぎてる呼吸は、人として理想的で、羨望ものであろう。

 吸う、吐くという外気を体内に取り入れる一動作にも神を取り入れ、解放する――外界と内界を繋げる意味がある。

 『息の仕方と歩き方は学んでも倣えぬ』と一世代に一人が一生を賭けて習得できればいいほどの高等技術である体現法。

 それが稀に先天的に自然体で身についているものは、存在自体がひとつの神秘になっているようなもので、魔術の存在を知らずとも、祈りの研鑽を積まずとも、魔術師以上の神秘に身を置き、神の加護に愛されている。

 その加護が今の奇蹟を成したのか。

 

 ―――“(あいて)”の力を起点と(利用)する。

 

 “横”。 首筋を撫でる横一文字にステップの着地からそのまま腰を落とす。首を横に傾け体幹を大短剣と同じベクトルに旋回させながら、重心をさらに低くしようと片足を横に開きつつ半歩――フィギュアスケートのスピンを彷彿させる動きで――突撃する相手の懐に潜り込む。回転するベクトルと前進するベクトルが掛け合わさって螺旋となった動きは半月を描いて、相手の脇へと掌打は吸い込まれ、

 “劈”。 伝播させた螺旋のベクトルのままに両腕を捻じり合わせながら半歩、堪える相手の体勢を押し込む。螺旋の上昇が限界まで到達したところから捻じりを解放。身体を柄とし、両腕を斧とし、切り下ろす手刀は肩口へ食い込んだ。

 

 ―――一撃目は見惚れるほど美しいその演武は、土から金へ繋げる二撃目で、見届けるのが困難ほどの速度となる。

 

 “鑚”。 上から下へ沈み込んだ体位のベクトルに逆らわずに半歩、怯む相手の後逸を追う。真下から溜めたバネを両足から腰を絞りつつ、拳の先まで通すそれはアッパーカットを思わせる形で、顎を突き跳ね、

 “崩”。 下から上へ移動した重心を落としながら半歩、宙に浮く相手の無防備を逃さない。地面からの反動を足首から膝、膝から腰、腰から肩、肩から肘、肘から拳へとロスなく流し込み、中段を撃ち抜き、

 “炮”。 拳を突き出したままの上腕部を身中線に沿うように擦り上げ上方に撥ね退けながら半歩、相手の力を呑む。自らの身体が爆ぜてしまいそうなほど高まるベクトルを外へ一気に放出するように開いて打ち込んだ。

 

 ―――三撃目から高速安定ラインに到達し、金から水へ、水から木へ、木から火へと異なる三つの拳筋は全く同時にきた。

 あまりに鮮やか過ぎて、凄まじい拳打よりも流麗な舞いの印象が強くなる五行連環の返し(カウンター)

 螺旋、剪り下ろし、突き上げ、突き、開き、と形が意を成す五行拳の型はそれだけでは単なる武術であるが、術式理論を理解し、五行の理を理解する以上、その型は<唯閃>と呼ばれる対神格斬撃と同じく、一動作の度に神秘が宿る。まして、異能と縁を結び易い<幻想投影>の体現法の組み合わせであるのだから、よほどの魔術より上を行くだろうし、一動作の度に相乗されるのだ。

 如何に柔な非力であろうと、技術と術理の重ね掛けで“五乗”されれば、剛力すら足元に及ばないベクトル量となろう。

 

 ―――だが、捨て駒を詰めへの布石とするのは常套手段。

 

「ようやく動きを止めてくれましたねー」

 

 歴戦の傭兵である『後方のアックア』と打ち合えただけでもその実力は評価に値する。海峡で複数の騎士を相手取ったその実力は警戒に値する

 『湖畔の』騎士(ランスロット)としての人格が感嘆する。

 

 “いつかは自分に追いついただろうに”、と。

 

 奇襲の対処に足を止めた少女の足首が、ずぶり、と泥沼に沈むように足首まで埋まった、

 ついに地面までも聖灰に―――!

 

「言いましたよねー? 大地の祝福を受けるのは私だけ、今ここで絶対的に有利なのはこの私である、と」

 

 五行連環の体術は、全身の動きが必要不可欠であり、足が動かせないならば一歩も発揮できない。

 ドゴッ!!!!!! と、足を封じられたそこへ猛スピードの新幹線が踏切で立ち往生したトラックに突っ込むような大音響が炸裂。

 聖灰が凝縮して作成されたけして刃毀れすることのない十字剣<アロンダイト>の全体重を乗せた渾身の一振りがついに捉える。

 

 

…………………

……………

………

 

 

 軌跡に染みのような黒の残像を残して振るわれた斬撃が、豪風を巻き起こす。そんな華奢な少女の肉体がまともに食らえば、吹っ飛びそうな威力を―――“受けていた”。

 

「む―――」

 

 けして甲冑ではない布地の和装で、交差した両腕を圧して、アカい少女の右肩から食い込んだ十字剣を、その肉体よりも上に『優先』し、そのまま胸元まで一気に抉り取らんとばかりに振り抜こうとして―――止まっている。

 しかし、その不可解を解明するよりも速く。

 

「……!」

 

 鐘の音が、かすれた。

 無数の“教会”のイメージが、波打つように揺らいでいく。

 力強い別の力が、『左方のテッラ』の領域を外側から削っていた。

 街路を駆け抜け、打ち放たれた矢のような速度で接近しているそれが間近に迫り、そして。

 

 ごおっ、と怪獣の雄叫びにも似た音が、“世界をつんざいた”。

 

 

 白が黒をまとめて潰しにかかる。

 

 

「こっちに雑魚(石ころ)を飛ばしてきてンじゃねェ」

 

 捨て駒の騎士は、己の炎に燃やされる弾丸となり、向こうの茨の地雷原に突っ込み――不治の呪火が無限に増殖しようとしていた種子を焼き払い――その均衡を崩していた。

 

 そして、解き放たれた第一位には、少女が作った異空間を破壊した前科がある。

 

 それは虫けらを丸ごと噛み砕く嵐。

 破壊の風は刹那の裡に“教会”に浸透し、宣言通り、盤上ごと滅茶苦茶に挽き潰す。破壊された瓦礫は転がるように回りながら浮かび上がり、そのまま大渦に呑まれて激流に削られていくよう、さらに細かく破断されていく。

 

 けして、風圧だけのなせる現象ではなかった。

 

 音速をこえて物体が移動するとき、ソニックブームが発生するとされるというが、これが疑似的に物体のような硬度を得た“風自体”でも同じこと。より正確には、周囲の気流がばらばらにベクトルを操作することで、無理やりに同じ現象を再現することは可能だ。

 まともな科学者なら、馬鹿馬鹿しいと呆れ笑うだろう。

 ただでさえ非現実的なF6(クラス)のトルネードの、さらに異常。

 

 けして、“風”圧だけのなせる超常現象ではなかった。

 

 これは非現実的(オカルト)流れ(ベクトル)も巻き込んでいる。でなければ、“に教会”に干渉できるはずがない。

 通過した後、消しゴムで文字を消すように削られて生まれた真空が喪失したベクトルは気圧だけでない。温度重力光子……それ以外の“何か”の均衡(バランス)を保とうと周囲を取り込もうとし、ぐにゃり、と空間は歪ませる、見ただけで常人には平衡感覚がたちまち狂い果てるような魔窟と化す。

 音速以上のベクトルによって、強烈な余波(ソニックブーム)を伴う竜巻という、常識はずれの災害は、“白い羽翼の形をしていた”。

 

「今更俺がテメェを前に手加減するなンて、思ってねーだろうなァ」

 

 冷たい感情が、燃える憎悪に――へ一滴の波紋を呼び起こした。

 無毀の十字剣が少女の面影を捉える瞬間が、スローモーションのように視界に映っていた。

 そして―――そのトリガーが、一方通行に<白翼>を発現させた。

 今度こそ、その圧は、無視できるものではない。

 散布された粒子を寄った濁流程度では止まらない。

 

「! ―――優先する。聖灰を上位に!」

 

 まるで静と動、世界に区切りがあるように、忽然と超能力の嵐を前に、粒子の濁流ではない、ざらついた質感を持つ物体が、一挙に押し寄せる。その大津波を被り、たちまち暴威の根源である白の怪物の全身に薄い黒ずんだ粒子がこびりつき、第二波の巨大なギロチンが猛烈なスピードで飛んできた。

 

(―――ッ!! まさか、学園都市の第一位も<神の右席(我々)>と同じ<天使>の力を―――!!)

 

 その前身に展開されてる『反射』が、聖灰を塵芥と吹き飛ばす。

 衝突したギロチンも、軋みをあげる。

 集合体を蹴散らし、欠片を砕き、粒子を撹拌して、黒の牽制で放った力の名残を塵ほども留めず、何度も突破を阻もうがなおも突き進む。

 

「―――我、癒しを与える光輝なり」

 

 だが、その前に再起不能としたはずの騎士団が立ち塞がり、

 

「―――重ねて優先する。聖灰を最上位に! 翼を最下位に!」

 

 どれだけ強力あろうと、その機動が一直線ならば『ランスロット』の武術を以てすれば迎撃可能であった。

 自身はただ力を振るうことしかできない獣ではなく、無窮なる洗練された騎士。

 だが。

 

 その“失策”を見逃さない赤い眼光。

 

「<神の薬>が対応すべき属性は、“土ではない”。だから、こんなにも“あなたの信仰(侵攻)”はあっさりと破壊(はが)される“鍍金”なんです」

 

 聖職者にとって、聞き捨てならないその言葉は息を止めにかかるよう。

 『神の子』よりも上位に優先された肉体に直接的なダメージの一切は与えられないだろうが、“言葉は届く”、その絶対と信じていた精神的な心の柱をたしかに揺さぶる。

 

「王妃を救うために“罪人を運ぶ”荷車に乗り、それを王妃に責められて、発狂した話がありますが、なるほど、“誰の口車に乗せられた”のかは知りませんが『荷車の』騎士(ランスロット)は“このようなものを頼っている”道化(あなた)にお似合いですね」

 

 調和と優先の平衡を保っていた天秤が傾く。

 何かが肌に絡みついている。先程のは知覚できなかったが理由に、今は混濁とした気配が全身から鬼気のように放出されて、それらが蛇の如く全身に巻きついてくる、錯覚。錯覚であるはずなのに、おぞましい感触を以て、こちらの腕を、足を、胴体を這いずりまわってくる。

 

 そう、その禁断の果実を実らせる樹には蛇が住まう。

 

「ぐっ」

 

 腰が落ちそうになった。頭部をうねらせた蛇たちが、甲冑に覆われてるはずの肌を突き破って『内部』に浸透侵入してきたのだ。蛇は血管内部を突き進んだ。ちろちろと舌が内臓を舐める。ぬめぬめとした胴体で脳の毛細血管に巻き付いた。

 

(これは、『見』られている―――!?)

 

 テッラは本能的に気付く。これは、相手の視線だ。知覚だ。肉眼によるものではない、五感の認識を超えた第六感と呼ぶべき絶対共感の知覚。

 

「―――」

 

 その怯んだ一瞬。

 交差した両手に受け止められた十字の刀身が、異様なうねりに巻き込まれた。

 崩れた拮抗を流しつつ、相手の力を自らに巻き込んで十分に練り込まれた裡の力と踏み込みの勢いを加算させ、両腕に伝導。

 零距離で接していた全身鎧を着込んだ男を、少女の細い(かいな)が押し飛ばした。

 

「な……っ!」

 

 けして、息を合わせたわけではないが。

 そこへ再び、騎士団の暴威網を突破した超能力者が、体勢の崩れた修道騎士の前に現れた。

 

 白から黒へと堕落した剣。

 黒から白へと昇華した翼。

 

 それらの衝突。

「一から十二の円卓へ告ぐ――――」

 最中に赤は術句を呟き、

 

 

 

 ―――世界の慟哭が鳴り響いた瞬間より約十秒間の、正確な記憶を激突した両者は持たない。

 

 

 

 優先は変動する。方向は変位する。純白の翼は刃となって無毀の概念を砕くが、完璧に抑え込むことはできなかった。

 そこに生じた凄まじい力は、さしもの超能力者に<神の右席>の五感を超越していたのだ。

 いや。

 そもそもが、五感では受容しきれない現象だったに違いない。

 能力者に魔術師という人外なる者たちでさえ、さらに外に出てしまったことを完全に理解できないのだという、極めて当然の理屈。

 

 もはや、矛盾があらゆる自然法則に及んで世界が暴走することを防ぐ手立てはないはずだった『箱庭』は、調整者が機能が回復するまで、変化そのものを止めるだけで済んだ。

 かくして、“時間”は、『外』とけして少なくない“遅れ(ズレ)”が生じることになった――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 そして、その十数秒の短時間で、勝敗は決していた。

 

 

―――の都

 

 

 水と光、そして歌に満ちた美しい街。

 

 陽の光を浴びてよりいっそう輝きの増す銀髪を靡かせながら歩く小柄な少女は、修道服を着て、三毛猫を服の胸元に入れるように片腕に抱いて、手綱(リード)もなしに真っ白な仔犬を一歩前に歩かせている。

 そして、空いてる手には汚さぬようナプキンで包んだひとつ一ユーロの旅行ガイドで人気店のお菓子がある。

 

「ふぇへふう、ほひいへ!」

 

 で、口にはクリームたっぷりなお菓子をくわえたままで、柔らかな生地を手で押さえるために、三毛猫を支える手が出動してしまっているため謎かけの小動物は襟元に爪を立ててしがみついて大変なことになっているも、こぼさないようカスタードクリームを大口の口いっぱいに頬張っている。その笑顔があまりに幸せそうで、こちらに首を傾ける修道女は小リスめいて見えた。

 

「ふぁほはふん。ふぁほほほふはい?」

 

 話しかけられ、先鋒役を任されてる仔犬は2、3度尻尾を振って応える。

 彼女の短い一の指示にも、十の意を汲んで行動できる仔犬は、盲導犬であろうやっていけるだろうし、こちらにもなかなか解読の難しい言語の疎通も可能なら、なるほど優秀だ。故に、どれほど甚大な力を秘めていようとも、少女の細腕にも無理なく制御できてる。迷宮にも似て複雑な運河で、匂いを辿って主の目的へと先導する“使い魔”に少女を後方で窺いながら、黒衣の神父は煙草を――は、その子に禁止令を出され、口淋しそうに口を歯噛みしながらついていく。その右手には(とりあえず菓子店のショーウィンドウにある種類全部と)お菓子が山となってはみ出るほど大量の紙包みを抱え(小動物(ねこ)かどちらかを選んで、重そうな方を)、付けている香水と甘いカスタードクリームの匂いが、かすかに空気中で混ざり合ってる。左手には自分の分として彼女から買い渡された(といっても金を渡したのは自分だが)のがあったが、片手はいざという時に空けてかなければならないので、早急に食べさせてもらった。

 そして、ちょうど胃袋に処理して角を曲がったところで、不意に立ち止まった。

 

「あ」

 

 と、口を開くその様子に、視線を追えば、あるのは土産物屋。そのショーウィンドウを拭いている作業用ジーンズにジャケットを羽織っている緑髪の、骨董品を扱っているには年若い青年。

 修道女がかつての先生の後ろ姿に何を想っているかは知らないが、ローブの陰に入れた左手にカードを切り、準備する。

 しかし、そんな懐古と警戒に対し、男はあっさりとした反応で、

 

 

「漫然、そんなところに立ち止まって、迷子かね」

 

 

 

つづく


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