とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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常盤台今昔物語Q&A バグハウスQueenターン

常盤台今昔物語Q&A バグハウスQueenターン

 

 

 

とある学生寮

 

 

 ボードゲームであり、マインドスポーツ。

 先手後手それぞれ6種類16駒がせめぎ合うそれは、ゲームプレイヤーからゲームであると同時に『スポーツ』であり、『芸術』であり、そして『科学』であると。

 それが、チェスだ。

 そして、今や世界中、回線さえ繋がっていれば、どこでも誰とでも、顔を見ない相手でもネットゲームができる環境で、

 

「……なんでお兄ちゃんまで参加してるんでせう?」

 

「毬亜さん――先方からの挑戦状が、『バグハウスチェス』で勝負することでしたので。それもわざわざ“ご兄妹”で参加されたしと」

 

「あー、あのメイド養成所で知り合った子だっけ?」

 

「はい。この前も、文武両道に勝負したいと果たし合いがありまして、『チェスボクシング』というその名の通り、チェスとボクシングを交互に試合うゲームをしました」

 

「格闘技と駒遊戯を混ぜるなんてどんなゲームだよ……そういや、この前舞夏が同級生をお宅の妹に凹まされたとか言われたな」

 

「で、何でもそのお姉さんが、私が兄妹――つまり、当麻さんのことをご存知のようで」

 

「……へ?」

 

「何というか、ファンのようで」

 

「……へ……へ???」

 

 と言いにくそうに歯に物が詰まった言い方に、愚兄は理解が追いつかず首を60度ほど傾ける。そんな態度に、賢妹はぷくっとふくれっ面を作り、

 

「夜の学園都市を駆け巡り、その怒髪天はそこらの不良どもを震え上がらせ、相手が誰であろうと老若男女お構いなしにぶん殴る。そして、女で気に入ったら老若問わずに己のモノにしていく……」

 

「その話は一体誰のことを言ってるんだ……ッ!?」

 

「さあ、一体誰のことでしょうね?」

 

 と指さす代わりに、綺麗な白い指が愚兄の頬を摘む。

 

「本当。フォローする人間は大変なんですから。この前だって、常盤台が誇る二人いる超能力者のうちの一人の女王を夜遊びに誘ったなんて噂が立ってたらこれどころでは済まなかったですよ」

 

「まふぇ!? とおまはんはひはないっ! ほへにはへのこほははへにはなしたとほりだっ!? はいはい―――」

 

 傍から聞いたらふざけてるとしか思えないが、本人は必死の説得に、ジト目でじっと聴いていたが、ふっと溜息をついて、それから呆れたような優しい微笑を浮かべる。

 

「まあ、別にいいです。あのことはこちらも助けていただいた立場ですし、おバカな兄を持つ妹が苦労するのは仕方ないのことですから」

 

「そいつは苦労かけるな……」

 

 愚兄が煙の火種なんだろうとは言え、ちょっと不満が声にも顔にもバリバリ出ている。むしろ、積極的に出してる気配まである。

 それで少し愚痴るだけで腹八分程度の満足したのか、頬から指を離して、大げさな咳払いを一つ。

 

「まあ、とにかく。そのお姉さんは、私たちにとても興味があるとか。それで、互いの妹同士が親友だと言う縁に是非、『文通(メール)では分からないような濃いコミュニケーションをとってみたいんだけど』とそのお姉さんからの提案が来たんです。

 ……こちらとしても毬亜さんからの伝聞だけの判断ですが、将来的に知っておいた方がよろしい相手のようですし。

 棋譜の研究と考察というのは、これで結構奥が深く、見る人が見れば、その時の人間の思考がそれらから浮き彫りにできますからね。

 打ち筋だけでなく、思考時間や一手を打つまでの時間――その人物が悩んだ時間を含めて、どのように考え手を打ったか、そういったものも棋譜と同じくらいに相手の個性や身分を検証する材料となりえます。

 それに加えて、このバグハウスチェスは私たちの関係具合も見てるんではないでしょうか」

 

「俺には全然わからん世界だけど、優しいかしこい妹様はわかる?」

 

「あっさりと制圧包囲しているのに、最後の詰みになると手を抜いてる、というか、遊んでますね明らかに。私が直接打ち合っているわけではないのもありますが、ほとんど考察できるほど手の内なんてさらしてないでしょう。でも、こんな御近付きを考える時点で――別に付き合うのは面倒ではないんですが……うーむ、この人。油断すれば外堀を埋めるだけに飽き足らず、そこに堂々と居座ろうとお隣に別荘を立ててきて籠城しそうですね。それならこっちは週末に柵に白いペンキを塗って、大きな犬を飼ってやりましょう! どうですかお(とう)さん?」

 

「うん? 途中から何か話のレールが脱線した気がするけど、どちらかと言えば、猫の方がいいでせうな」

 

「ふむう、それでは番犬になりませんが、お当さんの希望なら、『モンスターハウス』のライガー君を呼び寄せましょうか」

 

「同じ猫科だけど大型肉食獣と24時間共にする生活は避けたい」

 

「残念。まあ、とにかく、この人、面倒とは言いませんけど油断ならないような……」

 

「ああ、“面倒くさい”とは言わないが、“めんどー”な相手って感じなニュアンスってことだな」

 

「それです! 流石当麻さん。以心伝心です♪」

 

 ネット回線が繋がった画面を前に、二人は並んでひとつのボードを交互に叩きあう。

 バグハウスチェス―――チェス盤を二つ並べて対戦する、変則ルールのチェスで、4人で行うタッグ戦だ。

 将棋に比べるとルールがシンプルで、言うなればとっつきやすいチェスであるが、将棋とチェスの一番の違いとしてあげられるのは、やはり、取った駒を自陣のモノとして使用できるか否かという点だろう。

 将棋に慣れ親しんでいる日本においては、あまり違和感のないことかもしれないけれど、やはり取った駒を自分が使えるという発想は世界的には馴染みがないようで、それゆえに知名度において、将棋はチェスに一歩劣っているわけなのだが―――バグハウスチェスにおいては、そのルールが採用されている。

 これも将棋とチェスの違いであるが、チェスは使用する駒は――市松模様の盤上と同じく――白と黒の色づけされて分かれている。

 わかりやすく言えば、白組と黒組の対戦となるわけで、駒の色からしてそれが示されているということである。

 倒しても色の違う駒を使ったらそれはややこしくなるだろうが、バグハウスチェスはそこにひとつの解決をもたらしている、革新的な変則マッチルールだ

 

 タッグAとタッグBが、それぞれ白と黒の駒を一陣ずつ持ち、二面同時に勝負する。

一対一×2である。

 片方の盤では、タッグA のプレイヤーA1が白の駒を使い、黒の駒を使うタッグBのプレイヤーB1と対戦し、もう片方の盤では、タッグAのプレイヤーA2が黒の駒を使い、白の駒を使うタッグBのプレイヤーB2と対戦する。

 そして、ここが肝のルールだが、片方の盤面で取った相手側の駒を、味方がもう片方の盤面で、駒として使えるのである。

 考えるまでもなく、駒の色が一緒である。

 プレイヤーA1が盤1で取った駒をプレイヤーA2が盤2で使えて、プレイヤーB2が盤2で取った駒をプレイヤーB1が盤1で使える

 こんがらがりそうな特殊ルールであるが、勝利条件は、どちらの盤でもかまわないから、相手のキングをチェックメイトすること、あるいは、相手に降参を宣言させること。

 

 で、今現在の戦況はと言うと。

 (一方的な)宿敵関係を築く下の子()は下の子同士、上の子(兄姉)は上の子と打ち合っているわけだが、

 妹対決は、7:3でこちらが有利に進めているのだが、兄が1:9くらいで向こうの姉に遊ばれている状況なので、全体的に相当劣勢である。

 

「……あちらのお姉さんは、こちらよりも年上で、妹に似ずにナイスバディな美人さんでしたね。しかも恥ずかしいとかいう理由で顔を送らず、なのにバストアップした写真を送ってきましたが。ああ、だからですか、こちらのお兄様は可愛い女の子には弱く、年上属性には特に。しかもファンですからねー。ふふふ、困ったものですねー、ね?」

 

「げふごふげふっ!? お、お兄ちゃんも顔も見えない相手に容姿云々の話をされたら困るというか、わかるはずがないだろ。ちゃんと手を抜かず、全力でやってるぞ。……ああ、全力でやってこれなのが情けないが」

 

「いえいえ。せっせと相手の駒を取る戦法に切り替えてそちらに送っても、あっさりと毟り取られていますが、これも(しい)かあさんの我慢の限度に挑戦する良い機会です……今も、

 

『おかえりなさい、あなた』

『おい、()

『え?』

持ち駒()が切れたから、駒とって(酒買って)こいや』

『ごめんなさい。その……今は切らしてて』

『ああ゛ん……ッ! お帰りになった旦那様に()も用意してねぇのか!? これぐらい常識だろうがっ!』

『で、でも、ウチに余裕がないのはわかってるでしょ。アナタが取られた駒(作った借金)だってあるんだし』

『口答えかァ。旦那様に舐めた口をきいてんじゃねぇぞ。お姉さんに遊んでもらうには()が必要なんだよ。それに、そこに()があるじゃねぇか』

『ダメ! それを持っていかれたら、来月からの生活費が』

『だったら、もっと仕事すりゃいいだろうがっ。つべこべ文句言わずに今すぐ働いて駒取って(金作って)こい! 明日も遊ぶんだからなぁ! ガッハッハー』

『ああ、行ってしまったわ。……しくしく』

 

 というような、駒の部分を酒や金に変換して、財政の苦しい家庭状況で借金を返そうと懸命に働きながらも夫は妻が稼いだその給金をホステスとの女遊びに貢いでいく、シチュエーションを頭の中でイメージしながら打ってます」

 

「………………………………」

 

「もちろん、これはフィクションであり、実在の人物とは何ら関係ありません」

 

「ああ、そんな最低野郎のモデルとは微塵も関係性はないわけだが―――そのロールプレイは、とうさんの精神的ダメージがハンパないぞ!」

 

「『……でも、あの人は私がいなきゃ―――うっ、ごほごほっ!』」

 

「うおおおっ!? 無理がたたって体を壊しかけてる幻像が見えてきたあああっ!?」

 

「ちなみに、以前、女の子を助けたときのいざこざで奨学金と実家からの仕送りを預けた銀行のカードを紛失した時は―――」

 

「やめてー! これ以上聞いたら(首吊り用の)ロープを探したくなっちゃうからー!」

 

「ふふふ。これ以上考えると、私も(鞭打ち用の)ロープが欲しくなっちゃいますねー」

 

 状況はゲームの流れもそうだが、会話の流れも変えないとマズい危機的である。

 もはや物心がついたときから離れたことがない愚兄のお伴が親しげに近づいて行くのが見えた。嫌がっても親しげに肩を組んでくるような馴れ馴れしくお伴――けして友として認めない――すなわち、不幸君のことだが。

 深呼吸も兼ねた溜息で吹くようにお伴を頭から追い掃うと、そこでちょうど取られた駒を見て、未だに引き攣った肺腑に邪魔されながらも声を発する。

 

「と、ところで、どうしてチェスの駒って、キングよりクイーンの方が自由自在に行動範囲が広いんだろうなー?」

 

「無理やりなくらいに逸らそうとしてますが、いいでしょう。―――それで?」

 

「ほら、キングって将棋の王将と同じで全方向に一マスずつ進めるけど、クイーンは飛車と角行が合わさったように全方向どこまでも行けるじゃん。これ、おかしくないか。

 クイーンって、女の王様ってことだろ。男の王様がキングだったら、同じ場所に王様が二人いるってことになるぞ。しかも、男女の能力差がすごいことになってるし」

 

 もしかして、レディーファーストの文化圏で生まれた遊びだからなのかー? ―――と、今はまだいないが、一年後くらいに居候になる英国出身の修道女が聞いたら猛抗議しそうなことをぼやく兄の織田幕府論並みにくだらない思考にも、溜息をこぼしても丁寧に、

 

「はぁ……。チェスにおけるクイーンは『女の王様』ではなく、『王様のお妃様』。皇后や王妃と訳すのが正解です。だから、キングとクイーンが同じ陣にあっても何ら矛盾はないわけです。

 結局、女王と姫様は行動力が並外れてお転婆でも、

 

 

 ―――“同じ守られる者(ヒロイン)”なんです」

 

 

常盤台学生寮 前

 

 

 ギャリギャリギャリ! とタイヤが路面を噛む音も荒々しく、学生寮前に白塗りのステーションワゴンで、屋根には赤いパトランプが取り付けられた……まるで、救急車のような車が停車。

 停まってすぐ、助手席と運転席のドアが開き、白衣を着た――銃器を携帯した――隊員らがそれぞれ降り立った。

 ドアをロックせずに車を離れている。気持ちが急いていると施錠を忘れがちになる。学園都市製の車なら十秒放置すると自動的にロックが掛かるが、そうでないものもある。その習慣に慣れたせいかもしれないが、その十秒を狙う車上荒らしもいる。経験を積んだ人間なら、そこのとこは気をつけるだろう。

 彼らはそのまま混み合った出入り口を押し入って―――立ち止まった。

 寮の門前で待ち構えていた眼鏡の女性が立ち塞がる。

 

「あなたがこの常盤台の学生寮の管理人でよろしいですね」

 

「そうだ」

 

 先頭の女性の隊員からの応答に、頷く。

 

「<即応救急>の山川と申します。連絡を差し上げましたが、またご説明させていただく必要はありませんよね」

 

 が、彼女はその場を動かない。

 「失礼」寮の管理人は敢えてそっけなく言う。「寝耳に水でな。しかし、今日の寮祭にまで水を差されるのはよしてもらえないか」

 山川がその態度を見咎めるように眉を上げ、

 

「……我々は逸早く、不安定な能力の被害を抑えるために、超能力者の確保をしなければなりません」

 

 焦りを訴えるけれど、向こうは平然と応じられる。「どこからそんな報告があった」

 山川とは別の隊員が棘のある口調で答える。「匿名で通報があった。察してくれればわかるだろうが、きっとあとから超能力者の報復を恐れたんだろう」

 山川が手で制しながら引き継いで捕捉を入れる。「一方的に加害者と断じるつもりはありません。超能力者序列第三位という性能と規模を考えれば、安易に事態を観察しておくわけにはいきません。街が壊滅しかねないかもしれないんです」

 

「そういえば、自販機の入金計算がおかしいらしいと職員会議で話題になっていたな。街が壊滅するほどではないと思うが、無論、寮則には法律の順守があって、罰則と弁償はさせた」

 

 困るように息をつかれる。山川は険しい顔のまま、「もちろん、誤報悪戯の可能性も考慮しております。それでも万が一のことがあります。その事実を明確にするためにもご本人に我々の検査を受けてもらいたいのです」

 

 寮監は真顔で告げる。「能力開発の際に、生徒は全員精密な検査を受けさせているが、カウンセリングの結果は問題がない。これは専門の機関で精密な検査を受けてもらった結果だが」

 

「常盤台中学の評判を落とさぬよう、記録に残したりはしません。ただでさえ思春期でホルモンバランスの崩れている中、薬物、電極、暗示、様々な方法で脳に干渉して能力開発を行う以上、常に一定の確率で起きてしまうことは織り込み済みです」

 

「であるなら、こちらがまず動くべきだろう。不用意に余所者を招いて刺激する必要はない」

 

「寮の管理人以外に人手がいるとは意外ですね」

 

「もうすでに、問題児の担当者が動いている。それまで待機していてもらえないだろうか」

 

「いいからどきなさい」山川は、銃口を直接に向けることはしないが、真上に向け―――空へ威嚇のポーズをとる。

 わずかに目を見開いたものの、寮監は依然動かない。

 

「<警備員>でもない人間が、そのようなものを携帯するのは違法ではないのか」

 

 山川が鼻を鳴らした。「<即急対応>は民間であるが<警備員>の訓練は受けている。お宅の常盤台生に素手で抑えるのはリスクの方が大きい」

 

 

常盤台学生寮

 

 

「いらっしゃいっませ、お嬢様」

 

 

 いかんせん、この前の辛酸嘗めさせられた職業体験がたたって幻覚でも見てるのかしら。朝に無理やりに押し込んだ砂糖たっぷりまぶしたハニートーストはここにお忍びで来るまでに芸術的な血肉となり、天才的な頭脳の活動力となってしまい、食蜂操祈の消化器は新たな生贄を求めてくきゅるるるると物狂おしげに鳴いている。

 初めてきた園外にある学生寮。今日のここは<盛夏祭>と外部からの入場が解放されており、中を見学することができる。第三位の根城に無暗に近づく気はないが、お祭り騒ぎは嫌いではないし。

 今日は流石の先輩もこちらに構う余裕もないだろう。コンサートやらチャリティやらいつにもまして無償奉仕(ボランティア)に忙しくしているはずだ。

 そう言うわけで腹虫アラームに従いまずは軽く甘いもので腹ごしらえしようとまずは食堂に立ち寄ったというわけである。

 

「ただ、今バイキング……どうぞ席をこちらへ」

 

 出迎えと前半の自棄な愛想の良さと、こちらに気づいてから語尾のテンションの落差は断崖絶壁からのバンジーと同じだろう。

 それでも芸がないせいか、他にどう反応を切り返すべくか考えられずに、決まり文句(不幸だー)ではなく、そのまま客相手への対応で言い切った。

 まま、その場から後ずさって逃げようとする“彼”を腕に抱きつくように捕まえた。

 

「ちょぉっと~♪ 席まで案内しないで立ち去るなんてひどいんじゃないかしらぁ? このままだとここの品位力をただでさえ下げてるところをさらに暴落させることにわよねぇ? お兄さん」

 

「バレてるし……」

 

 絶賛冥土(メイド)体験中のお兄さんこと上条当麻はあっさり観念して、地声で呻く。

 

「よくわかったなお前……ここまで客には見破られなかったっつうのに」

 

「先輩曰く、ま抜けのとうさんの間抜け面がプロ級のメイク力で女装したくらいで隠蔽出来てると思ってる間抜け力が間抜けなまでに表れている間抜け面を見間違えるほど間抜けじゃないのよぉ、私は」

 

 と、薄い笑みを浮かべる。

 これが女装変態を蔑む、氷のような視線であれば畏まるばかりだったが、その視線には生暖かい物を感じた。『次は自分が遊ぶ番だ』と言っているのが、聞こえるようだ。と思っていたら、

 

「で、このことを私の拡散力―――」

 

 きゅるるるぅぅ~~………

 

 腹の虫が鳴った。

 さあっと耳の先まで朱に染まって、可憐な瞼も口もぱくぱくと閉開。続く言葉はでてこない。

 

「お客様、ご注文は?」

 

 食堂はバイキング形式であるが、注文を取りに離れさせることができるように、あえてそういったが。

 

 くくぅぅ~~………

 

 返事は、ない。残念ながら逆効果となる。

 

「………っ!」

 

 硬直。

 沈黙。

 そういえば、欧州では会話の途中に発生した沈黙を指して『天使が過ぎていった』と言うのだそうが、この場合、通り過ぎていった天使は苦笑いを浮かべていたことだろう。

 眼鏡メイドも声をかけようにももう一度、腹語で返されたら立ち直れなくなるんじゃないのかと思い、状況打破に踏み切れない。

 しかし。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 林檎の様相から目は背けて、何事もなかったように水を向けた途端、鳴いた子がもう嗤った。漢字変換が違うと言われるかもしれないが、これで正しい。星を称えたS志向の瞳に映る自分が嫌そうな顔をしている。どちらかと言えば自分は、できればしばらく距離を置きたい事なかれ主義であるからだ。

 

「じゃあ、そこのケーキとパフェと、あ、そこのフルーツのタルトもお願いねぇ」

 

「な、おまえの主食はパンの代わりにケーキなのか、このマリー=アントワネットめ!?」

 

「それから、こちらのメイドをお持ち帰り(テイクアウト)してもらえるかしらぁ?」

 

 至近距離から解き放たれた意味のわからん弾丸に眉を寄せる。思想の違いとは、時にバベルの塔に稲妻直撃ほどの大事を引き起こすらしい。言語が違うとは、まさかの事態である。

 順序を追ってくれ、頼む。ツーと言ってカーが理解できる事象は、それなりの付き合いが下地にあって初めて繰り出せる奇跡だ。単なる後輩は、意志疎通は圏外なのである。

 

「だからぁ、お兄さんを、今日一日、私のお付きにするのよぉ♪」

 

 自分はこういう星の巡りなのだろうか?

 これまで、まとも|な(に)客と対応したことが一度もないような気がする。

 

「あのな。暴投ばかりやられると困るんだよ。ボールはちゃんと掴んでから投げるもんだぞ。あとミットはここ」

 

 両耳を指さしながら席に着くよう促すも、あまり効果が見られない。うふふ~、と弾んだ声は、どうも体重を水素やらヘリウム並みに軽量化しているようである。どうあっても、大人しく腰掛ける気がないし、腰据えて問答する気もない。

 後輩を黙らす威厳があるのだが生憎それは自分のではなく、妹の。虎の威を借る狐はいるけど、妹の威を借る兄は自分の裁定ラインではNGだ。

 

「あらあ、私に逆らってもいいのかしらぁ?」

 

 第五位の女王様はバックから取り出したリモコンをこちらに向けて、ピッとボタンを押すポーズで弄びながら、

 

「なんなら、心の底まで女の子にしてあげてもいいのよぉ」

 

 プチン、と精神干渉を受けたわけではないが、その言葉がついに上条当麻の中で張り詰めていたなにかを突き破る。

 

 ……もう、いい。

 

 これまで土御門や鬼塚に散々からかわれて限界でもあったのだ。

 

 男としてのプライドと自分を一時、捨てよう。

 大丈夫、今日失くしたモノたちに比べれば、それはきっと些細なこと。ああ、ほんとうに些細なことだ。

 ただ。

 話を聞かないお仕置きが必要だろう。さほど歳が離れていない同じ中学生とは言え、大人として社会勉強させてやる。

 

「さ、こちらへいらっしゃ―――「ひぃっ」」

 

 無遠慮に伸びてきた食蜂の手を、びくっと怯えながら避ける。同時に上目遣い、心持ち内股でしゃがみこみ、目の端には一粒の涙。イメージしろ、今の自分は上条当麻じゃない。

 そして、我流(なんちゃって)自己暗示で意識改革したのち。

 言った。

 

「ご、ご主人様……」

 

「……っっっ!?!?!?」

 

 かよわい、こえ。変声機の助けを借りてのことだが、意外と線の細い自分の声に、その口調は驚くほどハマっていた。

 うわぁ、こんな声出るんだ、と内なる所で若干に引く。

 まさか妙な才能あるんじゃないだろうな、と心配になるが、このまま―――

 

「……お、お兄さん?」

 

 イメージしろ、今の自分は自分が想像する中で一番の女の子だ。

 手を胸の前で組み合わせ、か細く震えてみせる。

 

「……あ、あんまり……」

 

 口籠って、言い直す。

 

「……あんまり……い、いぢめないでください。……な、何でもしますから……トウコは、トウコはっ、……ぅぅ」

 

 ここで言葉に詰まり、声にならない息を漏らす。

 もうちょい、いけるはずだ……!

 急激に死にたくなっていくが、必死に自分を叱咤する。

 ……3時間前のことを思い出せ。

 もう一番見られたくないのに見られてるんだ。あと30cmくらい堕ちたって何も変わりはしない。

 

「お、お兄さん。私、ちょっと、言いすぎちゃったかしら? ……でも、こんなの軽い冗談力……」

 

 甘いな。あの世界ドSランキングで間違いなく五指に入るであろう妹ならノリノリでロールプレイを楽しみながら背中を押してくるだろう。というか、した。

 

『あら、トウコさん。リボンが解れそうですよ』

『え、ああ、そうなの』

『ふふふ、いけませんよ。直してさしあげます』

『いやいや、別に自分でできるから』

『言葉遣いもいけません。ちゃんと、しないと、ね?』

『お、おい』

『―――それとも、トウコお姉様、とお呼びしないと気分が乗らないのかしら』

 

 ……その後、他の女生徒から『詩歌様に構ってもらえるなんて』と大変羨ましがられたが。

 とにかく、あれは相当熱の入った演技指導だったと思うことにしてる。

 謝らせてやるものか。やるならせめて土下座だ。超能力者序列第五位の女王の言葉を遮って悲痛に訴える。

 

「い、一生懸命やります、愛玩奴隷になりますから、だ、だから、お、お願いです。ご、ご主人様ぁ……!!!」

 

 食堂の喧騒がピタリと止まった。

 彼らは言ったメイドと言われたお嬢様を交互に見ながら、ひそひそと何か言葉を交わす。自分達だけでなく周りにも知れ渡ってしまった。

 

 ……あれって、片方はあの捕り物で大立ち回りしたメイドじゃない。

 ……それがあんなにもな態度を取ってるなんて彼女はいったい。

 ……常盤台生みたいだけど二人はいったいどんな関係なんだ。

 ……え、彼女があの常盤台の女王……!?

 

 数秒後。

 ザザザザァァァァ!! と周囲の人垣が波のように引いていく。さらに女王の顔から血の気も引いた。

 

「ちょ、愛玩って、アナタどんだけ捨て身の演技力で、って、お願いだから―――きゃぁ、しがみ付いて懇願なんて!? ―――わかったわ、わかったわぁ!? 謝るからぁーっ!!」

 

 

 

 

 

「……………」

 

 カシャ

 

 

 

 

 

 『島嶼化』

 生存競争が激しい地域では、生物は矮小化する傾向があるという『進化』の一形態を論ずる学説。

 『島嶼』とは、島のような孤立隔絶された限定空間を表す言葉であり、つまり、体の大きさが生存する上で不利に働く――体の大きさと必要とする代謝エネルギーは比例し、維持だけの観点でおけば――から、進化において“小さくなろう”という方向性が優先される環境下だということ。

 

 それを人間に置き換えてみると、『強い』という性質は、『出る杭は打たれる』という社会問題以前にそれそのものであり、その『強さ』を維持するために、努力であったり、凶暴なまでのエネルギーを必要とする。『強さ』の性質によっては、維持に寿命を削るほどに。

 ならばそんな強さなど持たない方がいい。いいかどうかはともかく、楽だ。

 

『男の子がモテる条件として、小学生のころは足が速い、中学生のころは喧嘩が強い、高校生になると体育会系からガラリと変って本を読む知識人であることだそうです――もの凄く身近にこれを地でいく実例がいますが――ええ、これ以上被害が大きくなる前に本を読ませることを薦めずに、最低限の成績で低空飛行できるだけのお馬鹿なままでいさせたいくらいの――………

 とまあ、男の子はそれでいいとしても、女の子がそれでは人は寄ってきません。逆に、とろそうで、か弱くて、少しおバカな子の方が『守ってあげたくなる』男心をうまい具合にくすぐるでしょう。

 かの紫式部もおバカな振りを身に着けていたと聞いています。

 それで、女の子は強くなくていいとは言いませんが、弱さも身につけるべきですね。

 美琴さんは見習えと言えば嫌がるでしょうが。

 同じ超能力者である操祈さんが数多の学生を引き入れ最大派閥を率いることになったのには、勿論その能力、それに性格や動機もあったんですが、『強さ』だけではなく、『弱さ』をきちんと見せています。

 あの残念な体力のなさ――『弱さ』を武器にしていた。武器にできたから、輪の中心にいても疎外とならない。

 そこが素直に負けられない美琴さんとの決定的な違いでしょう。『弱さ』が分かりにくい。理解するには今のところ詩歌さんレベルの玄人くらいにしか無理でしょう、けれど決して可愛げないってわけじゃないんです! 時折構ってほしそうな目をするのに、歩み寄ろうとすると警戒心をむき出しにする。手を差し伸べれば爪を立ててくる。コツがいるけど分かったらとても味のある可愛さです。ここ重要です。

 美鈴さんからも言われていますが、ここのところウチの美琴ちゃんが乱暴になってきてない、と。親に将来を心配させたくなければ、少しは度胸ではなく愛嬌を身につけるようにしなさい』

 

 それはまるで、『肉ばかり食べるのもいいけど健康のためにはちゃんと野菜も食べてバランスを取りなさい』とでもいうような調子で。

 『強さ』を突き詰めた結果に、人の輪の中心にいってしまった、そんな妹分を心配しての忠告だろう。

 『強さ』だけでは、足元をすくわれる。

 

「―――っ! 嵌められた!」

 

 負けず嫌い、そんな己の性質性格(パーソナルデータ)を御坂美琴は熟知してる。

 『強さ』に偏り過ぎて、敗北を易々と認めることのできないくらいに、『弱さ』が足りない弱点を。弊害を改善しようとしなかったツケが今、回る。

 

『きゃぁぁああぁぁあああぁぁっ!?!?』

 

 不幸にも、破裂した物音を聴きつけて現れたメイドに悲鳴を上げられてから。

 どうやって……どこの廊下を通ってここに来たのか、よく覚えていない。

 ただ必死に、あの現場から離れようと部屋を出て、走って、走って、走り続けた。

 それでも<盛夏祭>である今日はどこへ行こうが人がおり、あちこちでフラッシュが焚かれ、悲鳴が悲鳴を伝染していく。

 被害妄想かもしれないが、チェス盤でたった一つの白の駒に、黒の駒全てが埋め尽くされているかのよう。どこにも味方がいないし、逃げ場もない。

 

「この―――っ!」

 

 敗北の経験は何度もある、お袋の味のように幼馴染に身にしみて味合わされている、しかしそれだって、『意味のある敗北』、『次に繋がる敗北』ばかりであり、心を折られたことはなく、そして、負けても逃げた事は一度もない―――そういう己の『強さ』を誇りに思っていた。

 だからこれは戦略的撤退などと理由づけしても、その誇りを放棄しての、御坂美琴、初めての敵前逃亡だった。

 

(あの部屋に留まっているのはまずい。状況証拠でまず間違いなく私が疑われる。あれだけの暴威(ちから)を振るうのは常盤台(うち)でも数限られてるし、なにより超能力者は7人しかいない能力者の頂点―――)

 

 御坂美琴の性格を知らずとも、御坂美琴の顔と名、そして『強さ』は知れ渡っている。

 『強さ』が仇となる。

 

「はぁ――はぁ――はぁ――………ここは、どこ?」

 

 寮監に見つかれば確実に捕まってしまう。超能力者だろうが、学生だろうが容赦なく封じ込めてしまう常盤台の管理人。第十学区の学園都市唯一の少年院からも参考に求められるほどの手腕。普段なら捕まっても良かったが今はそんな余裕はないし、相手しては逃れられたとしても、あのゲームとやらのふざけた予告を止めるだけの余力がなくなる。幼馴染の舞台が台無しにされる。

 だから―――だけど、見つかってしまった。

 

 

「―――皆さん、お静かに」

 

 

 チェスの盤上で囲まれた状況下だったというのに、彼女が一人入るだけでオセロのようにあっさり黒が白に代わる。

 暴走する超能力者を避けるように廊下の端に寄っていながらもカメラを構えていた学生らが固まる容姿。そして、自然体で場の呼吸をとるその雰囲気。

 

 

 御坂美琴は知っている。

 勝敗の結果に拘らず、勝負の内容を重視するように、『強さ』以上に、『弱さ』を求める以前は、“負け知らず”であったことを。

 学園都市という環境下で『島嶼化』されても、“ちっとも衰えていない”、のを御坂美琴は知っている。

 海上に見える氷山は、目に見える部分はほんの一部だけで、海面の下には、どこまでも深く氷は続いている。それと同じく、『弱さ』に沈んでいるだけで、あれは単純に見える部分が縮小化しただけなのだと。

 そもそもあの寮監が学生に管理側の手伝いをさせるくらいなのだから、その実力と信頼は予想できてしかるべきなのだ。

 

 

「どうしたんです? 真昼に幽霊を見たような表情ですが」

 

 

 と。

 廊下の曲がり角からすぐ、真正面にいた。まるで美琴のルートを完全に読み切っていたかのように、そこに立ち塞がっていた。

 幼馴染。上条詩歌は。

 メイド服で、携帯を仕舞って手ぶらの、緩く柔らな態度で、美琴を見つめていた。

 

「まあとにかく、常盤台の看板娘(エース)が大暴れしたと騒ぎになってます。美琴さん、騒ぎの火消しのためにも当事者の説明責任は義務です。

 ―――それに<即応救急>の方から連絡が入りまして、学生寮へ来るそうです」

 

「<即応救急>です、って……!」

 

 美琴は、事を甘く見積もっていたと痛感する。

 <即応救急>。

 誤報や悪戯の通報に学校の保健室では対応しきれないような暴走能力者で、病院の救急対応の処理能力がパンクしてしまわないように、119に通報せずとも公的記録を残さず、自主的に動いている(ボランティアで)民間の救急車だ。

 

「『ただでさえ思春期でホルモンバランスの不安定な中、薬物、電極、暗示等様々な方法で脳に干渉して能力開発を行う以上、少数の事例だとしても常に一定数は発生してしまうのです』」

 

「ちょっと待ってくださいっ! 私は能力を暴走させてなんかないわよ!?」

 

 詩歌は<即応救急>の口上を伝えただけだが、それでも美琴は噛みつくように顔を真っ赤にして吠えた。

 暴走という単語は用いていないが、こんなのは明らかだ。

 学園都市特有の感覚であるが、自分で自分の能力を制御できない学生は、未熟者と馬鹿にされて当然の恥ずべきことなのだ。

 それが学校の『看板』を背負った、能力者の頂点である超能力者だったなら、ありえない。ありえてはならないことだ。

 

「それにおかしいじゃない。いくら<即応救急>でも早過ぎる。こんなの最低限の事実確認もなしに動いてるとしか思えないわよ。そう、踊らされて」

 

「『今対応は、超能力者(Level5)が対象とあって、まして被害の規模が甚大になる危険性を孕んでおり、安易に放置しておくわけにはいきません。この件で学生に風評被害で余計な心傷を負わぬよう、秘密裏に搬送いたすよう動きますが、学校側もご協力していただけるよう、お願いします』―――と」

 

 『超能力者』というネームバリューがこうも……っ!

 今の状況では、美琴が何を言っても、それは陰謀論や被害妄想とありがちな症状だと処理されるだろう。最悪、動物園の檻から脱走した猛獣のように、麻酔弾で眠らせてからベルトで固定されるという人権を無視した事態に陥りかねない。

 これでは捕まってしまえば本当に終わってしまう。

 

「……事情がおありのそうですが、それなら話してもらいませんか?」

 

 言って。

 一歩を、進む。

 心情がこちらに汲んでいたとしても。

 その様子には緊張も慎重も。

 躊躇いもない。

 だけど。

 今は、切り抜けなければならないのだ。

 あれはこの建物での会話は全て把握しているようなことを予め仄めかしており。

 それに、相手は上条詩歌を狙っている。こんな事態に悪化させておいて今更、巻き込みたくない。

 無言で後ずさる美琴に、ふっとため息ついて幼馴染は首を振る。

 

「それとも説教は、捕まえた後の方がいいですか?」

 

 知らず、美琴の頬を汗が伝う。

 黙っていると、さらに一歩。

 距離を詰め、状況を詰めてくる。

 もう既に、始まっている―――美琴にとってもそれは同様だったが、臨戦態勢に入らずとも自然とこのような荒事の空気、非日常の気配に身を置ける幼馴染とは、やはり状況に対する認識が違うとも言えた。

 

 弱くになんてなってない。

 昔に比べて、強さが静かになってきているのだと理解する。

 

 魅力も、見栄えも求めず、追求したのは地味で地道な強さ。

 真面目な話、強く見えないのはかなりの強み。―――強みが不可視だというのは、かなりの強み。勿論そのことによる弱みもあるのだろうが、美琴の目にはそれ以上にメリットが多くつく。

 

 美琴が良く知る一人の先輩の、楽観主義で快楽主義で、ポジティヴでアクティヴで、どんな風情も楽しむことができる常盤台最強の発火系能力者は、戦闘欲が人並み以上である。そして、それは相性の問題もあるのだが超能力者の美琴が相手でも満たされることはない。

 野生の鷹のように、常に飢えている。

 それを定期的に満たしているのだ、幼馴染は。常盤台最強と日常的に――常在戦場と渡り合えるだけの強さを持っている。

 

「まず最初に忠告しましょう。最高に相応しい能力者の美琴さんですが、今は派手には使わない方が身のためです。器物破損と他に錯乱状態と危険な兆候がある疑いがかけられて、この上建物だけでなく、他の学生まで実際にその圧倒的な電撃で巻き込んだとなれば、私は容赦なく美琴さんを追い詰めるでしょう。鬼ごっこ(あそび)が終わり、単なる鬼になります」

 

 ……っ!!

 確かに能力は直接的な攻撃だけでないが、そう言われては使い辛くなる。

 事実無根の濡れ衣とはいえ、それでも心理的負担の枷を感じないわけではない。

 体の動きが、頭の回転が、鈍る―――そこへ。

 

 (とん)、と。

 生じた音はそれ一つで。

 次の瞬間、幼馴染は、美琴のすぐ正面にいた。

 全身を把握できた間合いを―――顔しか視界に入らない至近に。

 瞬間移動のように、足を滑らせて。

 

「……っ!?」

 

 いつもの制服の短いスカートではない、足首まで隠れるエプロンドレスのロングスカートは、袴に近い。

 ならば、今のは合気道か古流柔術……ぱっと思いついたのがそれくらいで……。

 

 反射的に後ろに下がろうとしたが、ここは曲がり角で、出会った相手と真正面から対峙しているのだ。身体の向きが90度違う。

 御坂美琴が上条詩歌を目前に脇目を振るなんて愚行を、どうして許せるというのか。

 自然とそうなってしまうのだから、仕方がない。

 すぐ背後に壁があって、あっさりと動きを封じられてしまう。左側は壁なので、ボクシングの試合でリングのコーナーに追い詰められたように、実質美琴は詩歌によって、遭遇して早々に捕まってしまった。

 

「さて」

 

 美琴と詩歌との距離は――互いの息の触れ合う――既に数cmレベル。何もできない。その距離ではあまりに近過ぎて、行動の選択肢が著しく狭められる。だからといって距離を取ろうにも、隅の壁に阻まれて、閉め(しめ)に腕で逃げ道に蓋をされる。

 

(けど、こっちだって捕まるわけにはいかないのよっ!)

 

 体当たりで腕を押して、横を通り過ぎようとした美琴の腕を、詩歌はすれ違いざまに素早く掴んで制止する。反射的にそれを振り払いかけた美琴は、うっ、と呻いて苦悶に満ちた顔を向けた。

 

「……!?」

 

 手首の関節が軽く内側へと曲げられて、肩関節を固めている。もう片方の腕は背後にいる彼女には届かず、踵も上がってしまっているので、足を使っての反撃も不可能だ。それでいて、暴れなければ相手が怪我をしないよう配慮している。寮監仕込みの、見事な殺し技だ。“だからこそ”、返せる。

 

「っっっっっ~~~~~!!」

 

 暴れれば自分は怪我をしてしまうのだから、振りほどくしかない。

 詩歌ならそうする。怪我をするなら開放する。―――美琴はそう考えて、身体を揺らすも、

 

「まったく、元気のいいお嬢様です、なら、やり方を変えるだけ」

 

 暴れる美琴に―――詩歌が激しい抵抗に肩が外れる前に極めを外したが、あっさりと膝裏を押されて(カックン)から反らした上体をそのまま背中から床へ、寝かせるように転ばされて、廊下と親密になった。

 足音も吸収する絨毯が敷かれた床に仰向けに。

 胸元を掌で押さえつけられた。たったそれだけで、身体を起こすことが出来なくなってしまう。

 

「抵抗は止めておきなさい。起点を押さえています。人間は助走の勢いもなしに身体を制御できるほど強くはできてません」

 

 人間の動きの出発点を抑えることによって、次に行う動作のおこりを同時に封じる。『起き上がる』という動きを完全に制御している。

 

(だったら―――!)

 

「(あと3秒(スリーカウント)で、スタンガン程度にビリッとするわよ。だから、お願い。離してっ!)」

 

 能力による抵抗を警告するも―――

 

「(電気は電位差で流れる。同じ電位状態にある物体に雷撃は落ちない。自分自身の体には流れていかないように。美琴さんもそのようにスタンガンをかわすでしょう?)」

 

 やはり、もう遅い。

 相対するには、十手遅い。

 接近を、<幻想投影>に接触を許した時点で詰めに入ってる。

 

「(―――)」

 

 詰めに、もう片手が美琴の首に伸ばされ、一息に、

 

「―――ふんっ」

 

 肩を入れて、体重を乗せて―――圧迫。ピクリとも動かなくなる超能力者。

 危険な猛獣、例えばワニでさえも、その布きれなどで目隠ししてから口を押さえて紐で縛って捕まえる……などと言うように、超能力者さえも労せず抑える。

 『メイドに一瞬で落とされた第三位』という決着は、その場を見ていた学生らを唖然とさせるほど、ただただ一方的で圧倒的なものだった。

 

 

「いかがでしたか。常盤台中学では、淑女の嗜みとして多少の護身術を学んでおります」

 

 

 あ、ああ、見世物(ショー)だったのか……と納得する気配はあるも、誰も黙り込んだまま。あるいは、そのメイドの有無を言わさずに醸し出される空気に沈黙。

 対外的にアピールされる<盛夏祭>。

 常盤台中学学生寮の防衛管理の堅固さもまた、披露された。

 

 

 

 

 

 食堂。

 なんやかんやと騒ぎがあったが、現状は落ち着いている。

 

「……まだかしらぁ? 遅いわねぇ……」

 

 蜂蜜色の長い髪に、人形のように整った顔立ち。その飴色に磨かれたテーブルに映り込む小さな顔は、食蜂操祈。

 学園都市全体でも7人、名門常盤台中学にも2人しかいない超能力者の一角。

 『中学生とは思えない』………とは、まだ評価されない年相応のスタイルで、太股の部分に蜘蛛の刺繍をあしらったストッキングに包まれた脚を、待ち人が今か今かと来るのを待ち望むようにぶらぶら揺らしているのが犬の尻尾に見える。

 食蜂は行儀悪く卓上に肘を付きながら、バイキングの方へなにやら奮闘している眼鏡メイドを目で追っている。

 やがて、眼鏡メイド、もとい女装バージョンの愚兄がトレイに料理を載せて、こちらの席へやってきた。

 

「うふふ。ようやく来たわねぇ。もうおなかぺこぺこよぉ」

 

「ほい、サンドイッチとサラダの盛り合わせ。それからハーブティーと甘いモン……」

 

「言葉遣い☆」

 

「おまたせいたしました。こちら、サンドイッチセットに、カスタードプリンパフェでございます」

 

「えー、ハニートーストセットじゃないのぉ? それからタルトとケーキも足りてなーい。それにドリンクはコンフィチュールティーって言わなかったかしら?」

 

「お嬢様のご要望通りだと、栄養バランスが糖分塗れで崩壊するから却下させていただきます。デザートも用意したんだから、甘いものは十分でしょう。

 主の体調を思うのも従者の勤めでございます」

 

「へぇ……随分と慣れてきたわねぇ」

 

「なににだ?」

 

「私のこのわがままなボディ力の扱いに♪」

 

「身体の、というより、思考のといいかえるべきだろうな。とにかく取ってきちまったんだから、返品だけは勘弁してくれよ」

 

「仕方ないわねぇ。じゃあ、食べ終わるまで立ってなくてもいいから、テーブルの前の席で待機ねぇ♪」

 

「は?」

 

「何か文句力でもおありかしらぁ。お兄さんがあんなに“目立つ真似”をしてくれたせいで、食事時なのにしばらく表に出られないんだからぁ。私、先輩から無暗な能力使用は禁じられているしぃ、迂闊に記憶操作で誤魔化すことも出来ないのよねぇ」

 

「だから、これでお勤め御苦労さまじゃねぇのか? ここまで運んできたやったろ」

 

「『何でもする』―――って言ったわよねぇ? こっちがアナタの要求力に譲歩したんだから、ちゃんと食事のサポートをしてくれないと困るわぁ」

 

「だったら、こういうのはどうだ。能力に頼らなくても、お前、黙っていれば普通に可愛らしいんだから―――適当にその辺の奴に頼めば」

 

「お兄さんは、女の子が可愛くあるためにどれほどの努力を払っているか理解力が足りてないようねぇ……」

 

 ぼそりと第五位の女王は呟く。

 従者のように隣を歩かせる女給へかけられる声は、低い。

 

「まあ、私の面倒を見ているうちに、それを思い知ることになるといいわぁ」

 

 前回の客と店員との立場を逆転しての状況。

 愚兄が仕事中アピールをするがどこ吹く風でお嬢様に流されてしまった。

 

「……不幸だ」

 

 それでもこれも、よほど演技に熱が入ってしまったのか『何でもする』と失言してしまったのである。やはり、あと30cmは踏みとどまるべきだった。交渉の結果、食事の世話に限りという条件に互いが合意したのである。

 眼鏡メイドが大人しく席に着くと。

 

「それじゃあぁ……」

 

 食事を乗せたランチプレートを前に押しやると、前かがみになって頭の位置の高さを調整して、

 

「あ~ん♪」

 

 と大きく口を開けた。

 

「……………」

 

 お嬢様のそんな行動を受けて。

 愚兄はとても面倒くさそうな顔をする。

 

「ん~? どうしたのかしらぁ? お兄さん、早く食べさせてくれないかしらぁ」

 

「あのな。熟練の執事だって、そこまで食事の面倒を見てやることはないと思うし。元々サンドイッチは食べ易さを優先したメニューなんだぞ」

 

「そうかしらぁ?」

 

 お嬢様は言う。

 真っ白な長手袋を嵌めた両手を、愚兄に示すようにして。

 

「これじゃあサンドイッチを持ったら汚れちゃうでしょう」

 

「脱げよ。チョイスが悪かったのは謝るけど、普通に手袋を脱げば済む問題だろ」

 

「輝き過ぎる美貌力に参るのは困るから、あまり衆目に肌を晒したくないのよねぇ」

 

「あー。もうわかったわかった。降参だ、今はお前が女王様だお嬢様」

 

「うふふ♪ お兄さんだって本当は嬉しい癖に。この素敵力に尽くし甲斐のあるお嬢様に食事の面倒を、大義名分を以てできるんだからぁ☆」

 

「そういう趣味のある奴もいるかもしれないが、俺は違うからな」

 

 と言いつつ、おもむろに色とりどりの具材を挟んだサンドイッチから一番端のを一切れ手にとって食蜂の口元へ持っていく。

 一応、テーブルに備え付けの大きめの紙ナプキンを使えば、手を汚さずに済むのだがそれには気づかず、また指摘もせず。

 はむはむ♪ と、食蜂はそれを小さなお口で上品に頂戴する。その、カリカリに香ばしいベーコンと蕩けるチーズ、シャキシャキのレタスの食感、フレッシュなトマトの酸味、それら具材を挟むパンなどの組み合わせと一緒に、心地の良い『何か』を反芻しているのは、微かに緩んだ目元を見ればわかるだろう。

 それにどこか浸るように……

 

「うまいか」

 

「……んっ、まあまあ、かしら。寮ごとに味つけは変わらないみたいね」

 

 視線を合わせず、食蜂はぽそりと呟く。

 なんとなく、ちゃんとした感想を言うのを嫌がっているようでもあった。

 食事中は、自然と口は食事に集中するもので会話がなくなり静かな時間となる。

 

 

 そうして。

 女王様の昼食が終わり、また何かと口先で言いように玩ばれないかと身構える眼鏡メイド上条当麻へ発せられた第一声―――

 

 

「飽きた」

 

「は?」

 

 きょとんとしてしまったメイドを尻目に、お嬢様はゆっくりと復唱する。

 

「飽きたわぁ」

 

 ……………。

 それを言われた所で……

 

「お、おまえ、飽きたってどういうことだよ? まだ飯を食っただけだろ」

 

「あー、うっさいわねー。飽きたから、飽きたのよぉ。私に飽きさせる方が悪いんじゃないかしらぁ。これ以上の退屈力に待たされるのはゴメンだわぁ。私、もう帰る」

 

 ぷいっと、眼鏡メイドから顔を逸らす食蜂操祈。子供が拗ねているみたいに頬を膨らませているが、しかし子供だって、こんなに無責任な真似はしない。散々、人を仕事から振り回しておいて、“共通の知り合い”のステージを見ずに帰るだと……?

 驚いていいのか呆れたらいいのか怒ったらいいのか、眼鏡メイドは軽く混乱状態に陥ったが、しかし考えてみて、こちらに無理強いして自由を拘束するつもりはないし、むしろ拘束されているのはこちらなのだが。別に案内なんて仕事とは関係ないことだったし構わないか、と、思い、

 

「そうか。じゃあな―――俺はこれで」

 

 簡潔に。

 あまり変な言い方をすれば、何せ問題児の小娘のことだ、『なによぉ。そんなに私と付き合うのが不満だってのぉ?』などと、寂しがりやなウサギちゃんな反応を見せてこないとも限らない。伊達に、年頃の妹を抱えているお兄さんではないのだ。愚兄は、女王蜂を刺激しない程度の、そんな曖昧な言葉と共に、その場から一歩踏み出した。女王はと言えば、『はい、さようならー』なんて、気の抜けた返事を返してくる。

 

「おっと……そうだ」

 

 愚兄は、少し進んだところで女王に振り返る。

 

「あまり寄り道するなよ。この時間帯にはいないと思うが、それでも路地裏には時々絡んでくる奴が屯っているからな。なるべく大通り……そうだな、寮から最寄りのバス停は、玄関口から左にまっすぐ50mあたりのとこにある。この時間からだと15分くらい待つけど、多分空いてるから座れるぞ」

 

「へぇ」

 

 食蜂は、愚兄の言葉にくすぐったそうににやりと笑う。

 

「私の身を心配してくれてるのかしらぁ。優しいわねぇ」

 

「そりゃあ、知り合いが道端で力尽きてぶっ倒れてたらと思うと心配になるのは当たり前だろ」

 

 本心からそう言う。

 このあたりの治安なら問題ないとは思うが、また『行き止まり(デットロック)』のような輩に出くわすかは分からない。

 

「あ、そういえば」

 

 と、少女の所へ駆けもどり。

 エプロンドレスのポケットの中を漁り、ひとつ、透明な袋に入った銀色の笛を差し出す。サッカーの試合で審判が使うようなホイッスルを、遭難や生き埋めなどの目に遭った際に救援を呼べるよう、防災仕様にカスタムされたものだろう。

 

「これ、持っとけ。トラブルがあったときにすぐに報せるために自前で用意した奴だが、俺よりお前の方が備えておいた方がいいだろ。

 そいつのおかげで、助けてやれるチャンスが増えるかもしれない」

 

 『そんな猫の首に鈴を付けるみたいに。私は超能力者なんだからねぇ、不要な心配力よぉ……』とかなんとか言いながらも『お兄さんの言うことだからとりあえずは頂いておく』で受け取っておくことに、結構飼い慣らされているような気がしないでもないと食蜂は内心で思ったが。絶対に口にはしない。

 

 透明な袋から取り出して手の平に転がしてみてみると、防災ホイッスルは銀色に輝いてはいるが、材質はプラスチックか何かだろう。塗料を塗って外観を整えた安物。100円均一の店とかで売っていそうな代物だ。これがある限り安全というわけではないが、持ってるだけでもお守りみたいな気休めになるくらいは効果はあるだろう。

 それで音量はどれくらいのものかと試し吹きしようとして、ピタリと食蜂の動きが止まる。

 直前で、気づく。

 

 ―――これってまさか中古力……関節キスになっちゃうのかしらぁ?

 

 一瞬で彼女の顔が赤く林檎のように熟したが、前回の自爆、アニマルカフェでの一件を思い返して、努めて自制した。

 ここで慌てる方がバカを見るのだと。珍しくも同情してくれた先輩のおかげで事なきを得たが、あの二の舞になるのだけはゴメンだと。

 そして少し冷静になって考えてみれば、わざわざ透明な袋に入っていて、そのまま渡してきたのだ。いくらあの先輩の手にも負えないお兄さんと言えど、一人の妹を持ったお兄さんだ。最低限、女子に対する常識は備わっているはず。であれば、当然、未使用の新品であるはずだろう、と思考を終了し、女王は口に咥える。

 

 しかし、妹を持っている兄だからこそ、そういった女子に対する免疫が男子のそれと同じくらいのものだとも考えられるはずではないか、とは少女は思いつかず。

 

「ま、こんなものが役に立つとは思えないけどぉ」

 

「普通に大声を出すよりは喉を傷めないで済むぞ。一度試してみたがかなり音はうるさかったし」

 

 ぴひょるえっっっ!?!?!? ととんでもなくひずんだ音が寮内に鳴り響いた。

 愚兄は、愚兄だから愚兄であって、

 関節キスはやっぱり関節キスなのだった。

 

 

 

「……ま、悪くなかったわね」

 

 いや、本音を言うなら驚くくらいに違っていた。

 舌に伝わる感覚は、内の学生寮で出されているのと大差ない筈なのに、不思議なぐらいに胸が浮き立たせた。

 本来ならコンフィチュールティー(ジャムを沈めた紅茶。痺れるくらいに甘さが響く)が欲しかったところでのハーブティーのチョイスであったが、夏の気温にそなえてか、すっきりと冷やされたお茶は喉を心地よく滑っていき、喉でも味あわせてくれた。しかもベーコンやマスタードとの相性は抜群で、サンドイッチを噛み締める先から旨みは増していった。

 ついつい、危うく自分の手で新たなサンドイッチを摘みかけそうになったくらいに。

 そうしてサンドイッチを口にするたび、ハーブティーを欲してしまい、これはもう永久機関と言うぐらいにぐるぐるぐるぐる循環した。

 あまりの勢いに、常よりも些か食べ過ぎてしまったくらいに。

 それで、十分、食事時を楽しめた。

 眼鏡メイド上条当麻の姿が、完全に見えなくなったところで―――食蜂操祈は、席を立つ。食堂の出入り口へと向かい、そこで前を遮るように現れた。

 

「おかえりかい、食蜂っち」

 

 メイド姿でも変わらない、真っ赤なじゃじゃ馬ポニーの鬼塚陽菜――食蜂の学校における関係上は先輩であり、自らの『派閥』に属していないが、有名なので知ってる。

 向こうも当然知ってる。

 互いに知らぬ仲ではなく、顔を合わせれば挨拶もする。

 だが、食蜂は立ち止まり、七歩分ほど距離を取ったまま、“彼女には”挨拶しなかった。

 

「それで何の用かしらぁ。さっきから不躾力にジロジロと見て。邪魔者は退場させたんだから、そろそろ顔を見せてちょうだい」

 

「はい? いきなり何を」

 

 困惑する陽菜。

 しかし、食蜂操祈はそれを不愉快気に見つめて確信をもった口調で、

 

「イライラするわね」

 

 と続けたのだった。

 目の前の相手ではなくまた別に誰かに話しかけているのだろうか―――いや、そうではない。学生寮のこの食堂フロアに充満する、嫌な気配―――敵意を向けられてるかのような感じの悪い“雰囲気そのもの”に、話しかけているようである。無理もない、食蜂がこれに気づけたのも同系統の能力者特有の共鳴じみた感覚があったからこそ。だがそれは――わずかでも覚えてさえしまえば、どうしようもなく臭い立つ――腐臭のようなものだ。

 何者か。

 

「ただでさえこっちはプライベートな時間を邪魔されて忍耐力が切れかけてるんだから、早くしてもらえないかしら」

 

 食蜂操祈はもう一度呼びかけたが―――

 現れる気配はない。

 当然と言えば当然―――だが。

 

「詰まらないわねぇ。だから、“操り人形”と伝言ゲームをする趣味はないって言ってんのが分からないかしらぁ? それとも実力不足で操っても記憶までは読めないの―――鬼塚陽菜(この人)、先輩がいないところでは私のこと『女王』って呼ぶのよ―――」

 

 

 

 

 

 決着は、一瞬。

 

 

「―――なんて、ウソよ」

 

 

 さっ。

 とバックからリモコンを取り出すと同時に―――動いた。

 七歩分、およそ5mの距離をあけた食蜂の顔面―――

 空を切る、超高速の、ハイキック。

 踵から入る―――後ろ回し蹴り。

 届かずとも、風圧でうしろへ尻もちをつかすほどの―――蹴撃だった。

 そして狙いは過たずに、食蜂が鬼塚陽菜へ差し向けたリモコン―――

 そのリモコンが派手な音を立てて、粉々に砕け散る。

 徹甲弾でも命中したか如き破壊力だった。

 

「『ドッキリさせられたわぁ、蜂のお嬢さん。ケドォ~、相手()の実力まで読めなかったのかしらぁ? 彼女の間合いは5mくらいじゃ近過ぎるわよ』」

 

 常盤台中学の『暴君(キング)』は、<超電磁砲>のように精神干渉に対する耐性は皆無だが、その物理的な破壊力は、超能力者の序列第三位にも勝る最高位発火系能力者(パイロキネシス)であり、

 先日、物騒な杭打ち機(クイーンダイバー)>機を武装した集団を、女王の援護と実兄の壁役(ブロック)の助勢をもらいながらも一人残らず絞め落とした先輩―――以上に、超人的な運動神経と超攻撃的な体術技量を持った武人。

 

 まったく、この聡明で儚い、常に省エネ力を心掛ける女王様とは対照的に、地球環境に優しくない体力馬鹿の野蛮人だ。

 たとえ一か八かで殴りかかっても食蜂のような細腕では、どこをどんな風に殴ったところで蚊に刺されたどころか、蚊に止まられた程度にしか感じないだろうし、大剣豪よろしくその異様な動体視力は飛ぶ蚊も叩かず摘んで見せたこともあるくらいだ。

 そして、『派閥』を連れていたとしても、核弾頭に彼女らを倒すことなど障子紙を破るより容易い。障子紙では、壁役にならない。というか、壁にも盾にもする気は毛頭ない。

 

 そんな危険人物を前に何の策もなしに立っているのは、致命的に詰んでいると理解させられた。

 

「~~~っっ、参考になったわぁ。ええ、十分なドッキリ力だった。本当、ここの先輩方は良く後輩の持ち物(リモコン)を素の怪力でぶっ壊せるわね。これで二度目。タダじゃないのよぉ」

 

 若干涙目で愚痴りながら手をさする。

 幸い手には当たらなかったが、痺れてる。

 こつん、と後頭部に硬い感触。

 

「『惨めねぇ。こんなのが精神系能力者の頂点だなんて。ママゴト(ラブコメ)してる女子中学生みたいに隙だらけだったわぁ。ちょっとその姿写真に撮ってもいい~♪』」

 

 鬼塚陽菜が浮かべるのは彼女が普段浮かべることがない、考えられないほど似合わない陰鬱な笑顔だ。

 直後。

 ギリギリギリッッッ!! と、食蜂の頭の中でおかしな違和感が走った。まるで頭の中にある見えない線を束にまとめて、眉間の辺りから一気に引っこ抜かれそうに―――なった直前で、ふっと気味の悪い感触は消えた。

 振り向けば。

 盗撮されたカメラを回収したはずのメイド――土御門舞夏がいて、食堂にいた人間が全て行動を停止していた。

 

「ァ……くっ!? 同系統の能力者ってわけね。けど、精神系能力者への精神干渉は力の強弱に拘わらず弾かれるのを知らなかったのかしらぁ……っ!」

 

「『ええ、そんなこと知ってるわぁ』」

 

 知っててやるとは随分な嫌がらせだ。きっとこの操縦者は性格が悪いに違いない。

 

「『でも、これで操られてもらわないとなると、ちょっと強引な手段を取ることになるわねぇ』」

 

 そして、おそらく食蜂がリモコンを『噴出点』とし<心理掌握(メンタルアウト)>を制限しているように、この『操縦者』の起点は、カメラ。

 そう。

 どおりで盗撮魔(カメラマン)が多いと思った。これほどの能力の行使力を発揮できる『噴出点』を統括できるとは。食蜂が一度に完全に意識を奪い、身体の自由を指揮するほど精密操作できるのは14人――停止などの単純作業に限定した行動命令(プログラム)を打ち込むだけなら三ケタは可能だが――だとすると、相当な高位の能力者なのだろうが、

 

「喧嘩を売る場所を間違えた。ここ、どこだかわかってる? 私でもここの寮の管理人の相手はゴメンなのよ。そんなバカな行為なんてすぐに露見するわ」

 

「『そうかしらぁん。私には“それ以上の支援(バックアップ)”があるし、内部から崩せば案外脆いものよぉ―――あの女も甘いしねぇ。身内をそう易々と、疑ったり、しない。だから、こーんな簡単にトロイの木馬が成功する』」

 

 疑うよりも、まず信じる傾向にある。

 だが、それは盲点であって、弱点ではない。

 

(が、こうも侵入――侵略を許すなんて、まったく確かにトロイの木馬もいいとこねぇ)

 

 その戦術が有名なギリシャ最大最古の古典叙事詩に出てくる登場人物は皆、“自分が神に操られている”と考えていたそうだが。

 だとすると、コイツは神様気取りか、それとも―――

 と、一つ確かめておく。

 

「……ここ最近の程度力の低い噂の出元はアナタかしらぁ?」

 

「『……そうよ』」

 

 その問いかけに、相手は笑みを深くして、首を縦に振らせる。

 今日、この学生寮に食蜂が来た理由のひとつ――『情報を集めるに、一年生に広まっている噂がこの学生寮から流れてきていると知り、直接調べに来た』……最初は、これまでの借りの清算、だった。

 今は、ここに来た理由に、牽制、も追加される。

 第五位の<心理掌握>を相手に尻尾をつかませず、ここまで速やかに制圧できる精神系能力者に心当たりがない。食蜂の網にかからなかった、それだけで警戒に値する。

 そして、耳に入るたびに広範囲に――最低でも一年生の界隈で留めるよう――偽情報が拡散しないよう潰してきたが、こちらが学生の記憶を直しても直しても出てくる。こちらの領域を偽情報で荒らし、食蜂が消そうとしているものをしつこく流しているのは、それはこちらに喧嘩を売っている。

 とりあえず今日のところは標的の確認が済んだので、どうやって逃げ出そうかと考える。

 もともとこちらにあまり実害のない。他人の問題に首を突っ込むなんて面倒事はゴメン。リモコンのボタンひとつで済ませるのなら速やかに事を終わらせていたところだが、相手の本体がいないようなら、無駄な徒労に終わるので、したくない。

 

「『でも、あれは偽情報じゃないわぁ』」

 

「……記憶の改竄をしておいて、情報の信用力がどこにもないと思うんだけど」

 

「『違うわ。私は彼をあの女から目を覚まさせるために動いているの。蜂のお嬢さんの方が邪魔をしているの、おわかり』」

 

 どこまで本気なのか、鬼塚陽菜の口で、操縦者は涼しげに言う。

 食蜂は――周囲の人数、背後の逃げ道を横目で確認しながら、少しだけ相手の言い分に付き合う気になった。

 

「あの女、って先輩のことよねぇ」

 

「『そう。蜂のお嬢さんの想像している通り。

 ここにきてから監視させてもらったけど、きっと私の目的はあなたの望みにも沿うわよぉ』」

 

「へぇ……行動を見るだけで私の考えが読めるのねぇ」

 

 相手の底の浅さを嘲笑するような、皮肉めいた言い方で、同時に、これ以上の心理的間合いの踏み込みを拒む鋭さがある。

 『派閥』に属する女生徒が見れば笑顔の裏から滲み出る圧力に思わず総毛立つところであるが、相手はその拒絶を無視するかのように、

 

「『蜂のお嬢さんは私のことを知らないだろうけど、私は貴女のことを知ってる。途中までは同じ時間割(えだ)で育った同類として、気が合うと楽しみにしてたのよぉ。そんな気がしない、蜂のお嬢さん?』」

 

「ええ、まったくしないわね」

 

 食蜂の即答に対し、ふふ、とまるで哀れむように笑い、

 

「『そうかしら? 私、蜂のお嬢さんは私と同じ末路を辿ると思うわ。だって、そう―――でも、やっぱり、これは教えてあげないのねーん☆ どうせ、今の貴女には何を言っても無駄でしょうし』」

 

 と、覗き込むその目。

 それはひどく不快な視線。

 自分を裏側から観察されているような、そんな種類の気分の悪さ。

 

「『それで、別に協力してほしいわけじゃない。ただ、私としては無駄に争う必要がないってことを分かってほしいの。……だから、大人しくこの件から手を引くと誓えば、蜂のお嬢さん、ここから無傷で解放してあげてもいいわよぉ』」

 

「……出直してきなさぁい。そういうのは交渉しようとするそれ相応の誠意力を見せてから言うものよぉ」

 

「『ぎィゃははははははははははははははははは!!

 蜂のお嬢さん、勘違いしてもらっては困るわぁ。だって、これ、脅迫なんだから。この状況で五体満足のまま帰すはずがないじゃない。

 私みたいのが、私たちみたいに平気で人の心を操る連中がっ!! 精神系能力者《わたしたち》を放置しておくなんてできるのかしらあ!?

 正直、エコひいきにされていた蜂のお嬢さんと直接会ったら、首を絞めて殺してしまったかもしれないしねーん☆

 だから、これは私を受け入れて苦しまずに心を預けるか、実験台となって無理やり心を奪われるかだけを選ばしてあげることにしたんだけどぉ』」

 

「そんな実現力が一切感じられない机上の空論にもほどがある提案で脅しても欠伸が出るしかできないわねぇ。

 格下の貴女が、圧倒的格上の超能力者を操れるはずがないじゃない」

 

「『そうかしらん☆』」

 

 土御門舞夏がカメラを構える。

 そのカメラも女王のリモコンと同様、精神操作の『噴出点』だった。その照準に狙われるということは、精神操作の対象となること。

 

 食蜂は唇を噛んだが。この程度の誘惑、女王にとっては午睡の眠気ほどの重みもない。

 

 空間移動系能力者は同じ空間移動系能力者を飛ばすことはできない。

 発電系能力者は同じ発電系能力者を感電させることが難しい。

 精神系能力者は同じ精神系能力者を操るのは厳しい。

 同系統の能力の場合は、力の強弱に関係なく干渉は弾かれる可能性が高い。歓迎会で、先輩を操り人形にしようとして途中で糸が切れてしまったのもそれが要因のひとつ。

 

 だから、意志で撥ね退けるまでもなく、ただ弾かれることのみ―――なのに。

 

「っ!?」

 

 瞬間、食蜂は信じがたい寒気に襲われた。

 

 これは、まずい。

 詰んでしまう悪寒が背中を走る。

 食蜂はカメラのレンズを凝視してしまう。

 

「『そうねぇ。そこの発火系能力者は食堂を出てすぐのところで一発で仕留めたけど、同じ精神系。それも最上位。大能力者(Level4)とはいえ、超能力者(Level5)を操るにはそちらから受け入れてもらわない限り不可能よね』」

 

 そうだ。乗っ取られる筈がない。

 純粋なレベルの差でも、能力の質でも、精神能力系で食蜂操祈は誰よりも上にいる。食蜂操祈の上に誰もいない。だから、最上。

 当然の帰結として、先程の敵の干渉(いやがらせ)は食蜂の前で霧散した。

 

 だが。

 レベルという学園都市特有の価値観は、能力暴走のリスクすら平然と犯す相手の狂気の前に砕け散ることになる。

 

「『でもぉ―――蜂のお嬢さんの敗北はもう確定してるわぁ』」

 

 肯定から強い口調で否定に入る。

 精神戦の常套句だが―――それだけに、わざわざ口に出して言う意味のないセリフのはずだったが、こうして口にした以上、それなりの意味はあるはずだ。

 食蜂はそう判断する。

 してしまう。

 

「どうしてかしら」

 

 そして―――訊いてしまった。

 

「『どうして―――だと思う』」

 

 失策にはすぐに気付いたが、こうなってしまった以上、会話を切り上げるわけにはいかない―――相手の自身の根拠を、根こそぎ叩き潰すしかない。

 直接接触からの精神干渉を警戒してか関節を極めて拘束したりせず、今も一定の距離を置いているが、

 

(……<才能工房(クローンドリー)>の“巨大な成果”でも、私の天才力の行使権を得るには数日かけて『登録』を行う必要がある。それと同じ技術を利用していたとしていたとしても、彼女への仕込みには結構な時間をかけなければならない。それなら、あの先輩が気付かないはずが―――)

 

 鬼塚陽菜(手駒)による迅速かつ物理的な手段での制圧を警戒しながらも―――女王は――精神干渉の行使権を預けられた――操り人形のメイドを注視する。

 が、

 

「『ざ~んねん。目の付けどころが違うわぁ』」

 

 と、操縦者の代弁する鬼塚陽菜が―――待っていたかのように、視線を送った土御門舞夏を指さした。

 

「『この土御門舞夏(何でもないただの一般人)に、<心理穿孔(メンタルスティンガー)>を許すわけがないじゃない。そもそも精神操作をするには数日かけて『登録』する必要があるしねぇ。この人形は、あくまでシャッターを押すだけの道具。

 本体は、<心理穿孔>の『噴出点』でもあるこの“カメラ自体”なのねーん☆』」

 

 つまり―――これは操った人間に、能力の行使権を預けているのではない。カメラ自体――機械と直接接続(リアルアクセス)している!

 操縦者(ヤツ)は、おそらくだが、機械の演算機能を補助利用しているのだ。

 外付けに『巨大な大脳』と繋ぐことで、限界以上の能力行使が可能とする事例だってある。

 相手は自らのカメラの内部に自らの演算機能を模したデバイスを組み込む事で、遠隔関節操作干渉に、その限度を超えた絶え間ない能力行使を可能にしただろう。

 ただし、それは一層限界を大きく超えてしまったときにおこる暴走の危険性が付きまとうことになるが。

 実際に、機械との代理演算実験は、暴走事故を起こしてプロジェクトは破たんしてしまったものだ。

 それを連続させ、次々と『噴出点』から力を放射し、演算脳の暴走をリスクに覚悟しながら機能させる。

 狂気なんて罵倒では飽き足らない。

 だが、鬼塚陽菜は笑う。

 得意げに笑う。

 操縦者の表情を写影して―――笑う。

 

「『別に驚くことじゃないでしょう? 蜂のお嬢さんも“巨大な複製(クローン)脳”があるじゃない』」

 

「……!」

 

 その言葉に食蜂は凍りつく。

 頭の中を読まれたか―――いや、それはない。違う。だったら、コイツは“知っているのだ”。

 

「『もしも遠隔噴出機(カメラ)を破壊されれば、視覚神経がズタズタになるようなダメージが脳にフィードバックされるから、そのたびにいちいち<瓶詰工場(マイクロコスモス)で換えを用意しないといけないんだけど。

 その代償に、人間に何倍も勝る機械の代理演算を利用している私は並列演算能力を得ている。こうして、複数人の精神干渉を軽く統括できるほどに。

 それに、この『機械の目(カメラ)』には『第五位の照準(リモコン)』にはない利点があるの―――そう、単発で終わらない、連写機能という嵌め技がね』」

 

 リモコンにないが、カメラにはある機能。

 一度きりのシャッター音が絶え間なく連続する、超高速連写。無機質な映写する水晶体(レンズ)に、コマ送りも可能なほど高速に焼き付けていく

 

「『これは、ちょぉっと特殊だけど相当高位の発電系能力者でさえ一分ともたなかったわぁ』」

 

「、っ……!」

 

 苦痛に歪む吐息。砲弾すら撥ね退ける頑壁である城砦さえも、その石垣の隙間を巣食うアリが長い時間をかけて穿たれる―――執念。もはや干渉は一瞬で終わりではない。

 撥ね退けても張り付くように断続する、秒間50を超える精神干渉、その焦点が確実に食蜂を捉えている……!

 

「『たとえ一瞬の眩暈程度で終わっても、それを根負けするまでやり続ければ問題ないと思わないかしらん。蜂のお嬢さんのターンはもう来ない。ずっとずぅぅ~~っと、私が詰み続ける。蜂のお嬢さんに干渉力を積み続ける』」

 

 干渉が一瞬しか効果がないとするなら、一瞬も効果のある干渉を行使し続ければいい。

 絶句した。

 いや、絶句と言うよりは、単に意味がわからなかったのだろう。それはそうだ。その論理は、トポロジー的で、意味を成していない。パンがなければパンを食べればいいじゃない、と言われたようなものである。空を飛ぶにはどうしたらいいかという問いに、空を飛べばいいと答えたようなもので、それでは禅問答としても成り立たない。が、

 

「っ、っ……!」

 

 心理的な重圧はいまも加算され続けている。そこに果てがない事を、食蜂は認めた。

 

「『さあさあさあ♪ 一体いつまで我慢できるかしらーん☆』」

 

 質ではなく量で現実を捻じ伏せる。

 能力の干渉という弾丸の威力自体は変わっていない。だがその弾数には果てがない。

 相手がどれほどの抵抗力を持っていようと、それ以上の干渉力で支配するまで積む。

 Level5と比較すれば、その程度の干渉力など所詮は短銃の弾丸であり、大砲の砲弾である<心理掌握>には一発の火力で敵わないという定説を、力ずくで破壊する。

 

 一発の威力が弱いのなら、数を用意する。

 弾丸では要塞を壊せないのなら、壊せるだけの数を叩きつけてご覧にいれよう。

 Level1だろうと、何十万何百万も揃えれば、Level5すら超えられる。

 

 あの連写干渉はそれだけの原理だが、想い、プラシーボ効果の思い込みも力となる能力者同士の対決においては完璧な策戦だった。

 

「『ああ、そうそう。こっそりと付けていたあなたの『派閥(コマ)』は帰らさせてもらったわぁ。ここの管理人も人払いさせて誘導したし……………それ以外の不安要素も来ないよう監視している。

 そして、あの女も今頃、別件――暴走騒ぎを起こしている第三位の方に釣られているでしょうねぇ』」

 

 だから、誰も助けには来ない。

 この状況は、『グランドフォーク』――チェスにおいて、キング、クイーンとルークの両取りする盤面と同じ。

 もともとこの学生寮にいた第三位は確定だが、噂から別の精神系能力者の存在を匂わせれば、女王も高い確率で釣れる。そう、“こちら側”は第三位と第五位、どちらかの超能力者を回収する算段となっている。

 そして。

 この蜂のお嬢さんは、“見捨てられた駒”なのだ、と。

 

「『ともあれこれで蜂のお嬢さんはチェックメイト。このまま手駒となる前に、何か言い残す事はあるかしらぁ?』」

 

 一度囚われれば、記録媒体の容量限界まで動けない。

 机上の空論とはいえ、理屈の上では一瞬の干渉が絶え間なく連なり続けば、『無限』の精神干渉と変わらない。

 演算力では決して上回れない以上、演算脳で抵抗する事は無意味なのだ。

 破る手段があるとしたら、まずは一つ、はじめからカメラの視界に入らないこと。

 相手にやられる前に倒す、という対精神系能力者の基本にして最善手。

 そしてもう一つ。

 実に、単純かつ粗暴な話ではあるが……

 

「……………………」

 

 もう食蜂には相手の姿も見えない。

 視界意識の半分以上が精神干渉の黒い墨で覆い尽くされている。

 かろうじて見えるのは証明の明かりと、影だけ。

 

 この調子乗っている格下に、奥の手の<外装代脳(エクステリア)>と繋げて。圧倒的な支配力でこの状況を盤上ごとひっくり返してやろうか。

 

「……………まあ」

 

 けれど、そんなことはしない。

 そんなことをする必要はもうなさそうだ。

 

「……カーテンを閉める時間くらいは稼げたって感じかしら」

 

「『……? はあ? 日焼けでも気にしてるの?』」

 

 そんな、的外れなことを言う操縦者。

 いや、あながち的外れではない。

 勝利を確信したその後に、警戒などする意味がないからだ。

 それを油断や慢心と責めることは誰にもできないだろう―――完全な詰みを実現させた後に、なお対局相手の駒の動きに気を払う棋士など、さすがに存在しない。王将(キング)が取られようとする危機だからといって、歩兵(ポーン)女王(クイーンエース)並みの行動力で、しかも隣の盤上から駆けつけることなど、ありえない。

 ありえないが、兄妹揃って、そんな定説が通じない相手なのだ。

 それはあちらもご存知のはずのようだが。

 

「これは言っておくけど……アナタに言ったんじゃないわ。そして、これはアナタが言ったことよぉ」

 

「『……は?』」

 

 わからないというように、土御門舞夏の首を傾げさせる。

 

「『だから、もう蜂のお嬢さんのターンは来ないし、ずっと詰み続けるしかない―――』」

 

「自分の言動力くらいに責任を持ちなさいよぉ。先輩は、身内には甘いって言ったじゃない」

 

「『………?』」

 

「あの暴走娘の第三位が暴走騒ぎを起こしてるって? ふん、いいんじゃない。私には愉快力な話よぉ。何なら私が面白おかしく脚色力を加えても良いくらい。

 でも、貴女がコソコソと必死に広めようとした噂話なんて“まるっきり相手しなかった”あの先輩が、特に甘い身内である幼馴染が暴走してるなんて流言力に振り回されると思ってるの? 心配で顔を見せることはあっても、どうせあっさりと無罪放免するでしょうよぉ」

 

「『……よっぽど見捨てられたって認められたくないのねぇ。この期に及んでそんな妄言を吐くなんて。そんな妄想で、この私を恐れるとでも言うのかしら』」

 

「確かに私は何も知らせずにここにお忍びで来た……けれど、それでもあの先輩がこの学生寮まで自分の足でやってきた健気力な満載な後輩に挨拶にこないどころか、ピンチに助けに来ないなんてのは―――ちょっと寂しい話だとは思わない?

 うふふ。ひょっとするとそこら辺りで隠れて登場の機会力を窺っているかもしれないわねぇ。都合の良い正義のヒーローよろしくね♪」

 

「『………!』」

 

 がば、と操縦者は振り返る。

 

 

 

「これでも全速で来たので、事情はまだよく分かっていないのですが」

 

 

 

 いない。

 だが、声は聞こえた。

 食堂にいる全員の視線を潜り抜けてどこにいる?

 そして、二度目の発声についにその場所に気づく―――

 

「客人と言えど、健気な後輩だと言い張るなら、今日これから主役を張る予定の先輩に少しは配慮しなさい」

 

 あの女は。

 上条詩歌は。

 

「妄言とか妄想とか、正義のヒーローなんて言われた後だと、かなり登場しにくいじゃないですか」

 

「後輩として、場を温めておいたんですよぉ」

 

 珍しくも、目を瞑って、非常に難しい顔つきをしていた。

 というより、その声にこもった情感からして困っているようだった。

 鬼塚陽菜や土御門舞夏、完全に支配した観衆に気配を気取られないという偉業を平然と達成しながらにして……呆れているような表情である。

 だが、光景は異常であった。

 

 何故ならば―――彼女は、“逆しま”に立っていた。

 

 食堂全体を照らすシャンデリア型の照明に吊り下がるように直立していたのである。

 メイド服は、重力が逆転したみたいに無理なく身体にまとわりついており、ただ、リボンにまとめられた長い髪はふわふわとそこだけは無重力のように浮き揺れている。

 

「『―――()らえなさい!!!』」

 

 集まる視線の焦点に、カメラを―――そこまで見たところで、肝心のカメラの、操縦者の視界が閉ざされた。

 

 

 

 

 

『噂とは人物を過大に評価するもののようですわね』

『この程度が今の『看板』だなんて』

『彼女の代わりに、彼女の誇りであるアナタを――』

 

 

 捕まってしまった。

 終わってしまった。

 

 ああ……

 きっとこれから<即応救急>に引き渡されて、ゲームからも不戦敗で、最悪の事態を招いてしまう。

 

 

『(合わせて)』

 

 

 最後、首を絞めた手に力を入れようとしてみせたが、それはフリ。騒ぎを終結させるには、無効化にしたとアピールする方がいいと判断したのだ。

 そうして、美琴は気絶したフリのまま、幼馴染に近くに誰もいない――厨房の奥へと運び込まれた。

 

「はぁ……こうヤンチャに怪我をするのは詩歌さんが知る限り、ひとりだと思ってたんですが、美琴さんもそうですか。持ち合わせはありませんし、この場にあるもので応急します」

 

 ケーキや菓子を作り余った砂糖の袋から、一掴みの砂糖を取ると髪を掻き分けて美琴の額の裂傷にすりこんだ。

 

「っっ!?!?」

 

「我慢です。痛いでしょうが、そのまま放置するよりましです。砂糖は、傷から滲みだす様々な体液を吸い取ってくれますし、糖分が細胞を活性化させ治癒が促進されるでしょう。……まったく可愛い顔に傷をつけるなんて、もう折角の看板娘が台無しです。一体何があったんです?」

 

 もう、負けを認めるのが賢いのか。―――それなら、話してしまえばいい。

 きっと幼馴染に話せば、知れば、引き継げば、問題なく終わるはず。幼馴染が狙われているなら、彼女に危険を知らせるべきだろう。相手の監諜網を鵜呑みにして話さないなど、理由にならない。これは、自分ひとりでやりたい御坂美琴のプライドを優先しているしかないのだと。

 

「……わかってるわよ」

 

 常盤台中学に入り、超能力者になり、そして彼女が強能力者に留まったままだと知り、

 決めたのだ。

 

 今度は美琴が幼馴染を引き上げよう。

 

 そのために自分は、自立する。独り立ちするのだ。ましてや『看板』を背負ってる。

 それが敵前逃亡して、あまつさえ誰かの助けを借りようなど。『常盤台のエース』に許されることではない。

 彼女が誇りにしている、期待をかけている『常盤台の看板』をこんな負けを傷つけさせるわけにはいかないのだ。

 だが、こうなってしまっては、もうプライドなんてつまらない幻想は壊してしまうべきだろう。

 

「……大人しく、全部、話すわ。ええ、心配なんてしなくても、評判を下げるような真似したりしないわよ。大事な『看板』なんだし」

 

 仰向けで、真正面に、真上からこちらを見る視線から逃げるように顔を反らして御坂美琴は言った。

 その笑みが――その一切の温度が消えたのを、直面した美琴は怯んだように呼吸を止める。

 御坂美琴は一目で、それが日頃の笑みとは異質のものとして認識できた。それほどの位置にいる。

 だけど。

 

「………なによ」

 

 まるでこれまで知っていた幼馴染とは別人に思えたのは初めてだった。

 周囲の空気が、一瞬のうちに数度下がったかのように、背筋が震える。

 質量さえ伴って叩きつけて襲われる感覚はきっと、恐れではなく、畏れ。

 

「ひとつ」

 

 過冷却。

 水を衝撃を与えないよう静かにそうっと冷やすと、氷点下を過ぎてもその水は凍らず液体の状態を保ち続けるが、ひとたび衝撃を与えると一瞬で凍りつく。

 この表面上は状態変化のない笑みは『過冷却』なそれと同じだ。

 

「ひとつ、訊ねても構いませんか?」

 

 声には、静かだが反論を許さぬ強さがあった。それでも美琴は精一杯の反抗を貫こうとして、

 

「だから、何も、もうこれ以上、評判が下がるような―――」

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 呆れた顔で嘆息され、

 

「私が今、何を考えているのか分かりますか?」

 

 来ると思っていた質問をどうでもいいと言われ、美琴は戸惑った。

 言葉を発せないまま、互いにごく近い距離から見詰め合う。

 なんとなくだが、初めて彼女と会ったことを思い出す。

 笑っているのに泣いてるように見えた、その時を。

 交わる視線の、その先にある虹彩を通して、鏡瞳に映る自分の心の奥底を覗き込まれているかのように美琴は感じた。

 冷えた笑みとは半面に、まるで表情にあった熱を目に移動させたように。

 火傷しそうなど、体温の篭った視線に刺されている。

 これは、明らかに。

 

「……怒って……るの?」

 

 反抗精神もその目線を前には蒸発した、幼いころに戻ったようなたどたどしい声だった。

 質問に質問で返しては会話が上手いとは言えず、社交術としては、あまり良い印象を与えない。

 そんな、入学してまず教わった初歩もどこかへ飛んでしまっていた。

 

「正解です。詩歌さん、怒ってます。とても。今更気付いたんです?」

 

 表情こそ気楽だが、目と声はまるで笑っていない。

 それもまた、いつもの幼馴染といえば幼馴染。当然そうなると予想していた、きっと怒るだろうとは思っていた。

 だが、言葉でその怒りを告げた、けして冗談ではなく、それだけに、本気なのだという事が伝わってきた。

 思わず、たじろいだ。何が原因が分からないまま、なのにこの後に来る幼馴染の言葉が恐ろしくてならない。

 

 失望した―――――なんて言われたら。

 

 もしも。そんな想像に、勝手に震える。

 

 けれども、そこまで、怒るだなんて。

 自分の行動は、敗北は、愚行は、ここまでの激昂を生むものだったのか。

 幼馴染は、それこそ怒りの沸点が超えることなんて、滅多にないのに。また、せめて彼女だけはと……

 のろのろと、美琴は口を開く。思った事はそのまま口にすることができる性格のはずが、今この時、豹変したかのように精彩を欠いていた。

 あるいは、別人になりたかったのかもしれない。こんな惨めな敗北をした、御坂美琴ではなく。

 

「……すみません。あんな騒ぎを起こして。私、もう二度とあのような迷惑は……」

 

「それは反省してもらえれば嬉しい限りですが―――謝罪を求めてるわけではありません」

 

 え、と美琴が横に倒していた顔を上げる。

 一旦目線を外してから戻すと、幼馴染の顔は思ったよりも接近を許していて、一瞬呆け、それから我に返ってビクリと肩が跳ねた。

 

 

「超能力者だとか、『看板』だとか―――そんなどうでもいいことよりも」

 

 

 彼女が案じていたのは―――

 

 

「貴女は『御坂美琴』で、私が誇らしいのは私の大事な妹自身です」

 

 

 私が案じていたのとは違った―――

 

 

「心配するならまず何よりも自分の身を案じてください」

 

 

 命令だった。先輩として、幼馴染として、そしてお姉ちゃんとしての。

 ただの説教とは一線を画したそれに、美琴の頭は、呆れるほど簡単に理解が訪れる。

 そういうことね、と。

 そういえば、逃げるのに無我夢中で、アドレナリンが痛覚を麻痺させてたからか、布盾でぶん殴られた怪我とか一切記憶から飛んでいた。

 うん、学園都市に来る前は、公園で転んだだけで幼馴染は血相を変えて心配してた。

 自らの勘違いを悟るのと同時に、熱気球が膨らむように頬が羞恥の熱を帯び、胸にいっぱいの安堵が広がる。

 

「看板どうのこうのは誇らしく思いますけど、結局、それは付加価値にすぎません。元々の目的――『一緒の学校生活を送りたい』と初めに言ってきたのは、どこの誰だったか。もうお忘れだというなら、詩歌さんは美琴さんに随分と軽く見られているのですね」

 

 むー、と。

 いつものお姉さん然とした態度ではなく子供っぽく拗ねられるそれに、全身の硬直が一気に解けていくのに似た感覚に、その場に崩れてしまいたくなる。

 

「むー」

 

 姉貴分としての自制から幼く頬を膨らませはしなかったが、今度は口に出してされてしまう。

 結構、お茶目な幼馴染なのだ。

 そう簡単には許しません、と言う意思表明なのかもしれない。

 

 ダメだ、と堪えつつ、笑ってしまう。

 そして次は、深く自省する。

 かっかと頭に血が上っていたとはいえ、心配を無碍にするのは褒められたものではない。こんなの八つ当たりも同然。

 人は人生に何度も間違いを犯すが、これはこれっきりとしたい。

 

「私は、謝ってほしいんじゃありません。ただ、私は、あなたが無事で、欲を言えばそれで頼ってほしかっただけです。

 なのに、ここ最近の美琴さんは反抗期なのか妙に人目を気にしてるというか距離を取ってきますし。

 ええ、わかってます。

 詩歌さんがしてることも自己満足な、親切の押し売りには変わりないし、所詮は、偽善。自立成長の妨げにもなりますし。

 頼られるものでいたかった―――これは、私の欲。

 

 ―――だから、今の、“そんな顔”をしてまで頼れと強要したくはありません」

 

 ハンカチで顔を拭われて、話すことを封じるように唇に指先を当てられる。

 

「私は、良い所も悪い所もひっくるめて、美琴さんのことを、好きですから。

 だから、私の前では何も構えなくても良いし、良い子でなくてもいい。むしろ、もっとわがままになってくれたほうが、詩歌お姉ちゃん的に面倒の見甲斐があります。

 どうせ、美琴さんのことですからこのまま負けなんて認めたくはないでしょう。

 であれば

 

 

 ―――と、師匠。問題ありません。……ええ、どうやら女子生徒の見間違いでしょう。……彼女に暴走の傾向はありません。……いえ、私が進んでしてることですから……はい、無理はしてません―――

 

 ―――あ、先生ですか。……ちょっとお願いが……<即応救急>の方に先生から連絡を……ありがとうございます! ……はい、わかっています。ちゃんと言いつけます―――」

 

 

 と、彼女は二度ほどどこかへ連絡すると美琴を解放してしまう。

 

「え、っと、いいんですか? 寮監には……それに<即応救急>」

 

「『post hoc ergopropter hoc』―――

 日本語で言うと、『因果の誤り』。世界はそれほど、秩序だった構成じゃない。科学だって世の中すべてを公式に当てはめて証明できるわけじゃない。

 

 もしも詩歌さんが、これから『ジャンケンで勝つ』といって→

 10回やって10回とも勝った→

 故に詩歌さんは相手の出す手が見える予知能力者である、

 

 とかこの三段論法、美琴さんは納得できる?」

 

「……ちょっと詩歌さんならそれもありうるかと思っちゃいましたけど」

 

 美琴は首を横に振る。

 十連勝したことにきっと見えない法則(ルール)があるはずだ――なんて考え方は非現実(オカルト)。運とかツキとか、見えない歯車(ルール)を夢想する瞬間、それはただの偶然に勝手な理由を付けて必然だと勘違いしている。

 

「結局、AのあとにBがあったからと言って、AとBの間に因果関係があるとは限らない。現実の物事が、時間的に、順序的に発生するのは当然のことであって、そこに因果関係の有無は関係ない。さてそれで―――

 

 何かが破裂したような騒音が聴こえて、部屋から慌てて出てくる超能力者を女子生徒は見た。

 

 鍵の閉まっていたはずの部屋の中に残骸があった。

 

 つまり、情緒不安定の超能力者が寮内で暴れてる。

 

 実際に見ていないのに、結果だけでその過程と状況を推測する、この三段論法の情報精度は確かなものでしょうか」

 

「……詩歌さんは、端から私を疑ってなかったってこと?」

 

「当り前でしょう? 先程のあれは美琴さんに注意を促すために、<即応救急(あちら)>の言い分を理解するようにと伝えただけで私の意見ではありません。ですから、悪いですけど師匠に対応をお願いして彼らは寮へは入らせていません。門前で立ち往生を喰らってるでしょうけど、すぐに呼び出しを喰らって帰るでしょう。大人の相手は大人の力に頼るのが一番です。まったく、いくら超能力者の暴走が危険だからと言ってあんな言いがかりで強引過ぎです。

 確かに、こちらも身内を贔屓目で見ているのを否めませんけど。感情的になって、能力が暴走しないように、常盤台は淑女として教育を推奨しているわけです。

 常にお淑やかで控えめで、自分の感情をむき出しにせず決してヒステリーを起こさない。……まあ、美琴さんには性に合わないかもしれませんけど」

 

 そういうところで手間をかけさせてもらいます、と呟いて、

 

「能力者、常盤台中学は学園都市の中でも際立ったこの学校の生徒クラスの高位能力者なら、美琴さん愛読の漫画『密室×密室探偵』の定番のトリックなんていくらでも再現できるでしょう。……それに現実は論理的な要素が入ってくるために確実性の揺らぎの問題が生じてしまいます。美琴さんも推理作品に興味があるなら、『後期クイーン問題』はご存知ですか?」

 

 と、呆気にとられる美琴に苦笑する詩歌。

 

「それに、今日はお祭りです。羽目を外したがるのも仕方のないことです。携帯の調子を見る限り、美琴さんも何だか昂ぶっているようですが、少々のことで目くじらを立ててたらキリがありません。通りがかりで現場を見ましたが、室内は荒れていても、ピアノ本体は問題なし。念のため、業者を呼んで点検をしますが、本番までには大丈夫でしょう。ええ、“一度や二度くらいは許容できます”」

 

 詩歌はその手を伸ばし、明るい茶色の美琴の頭をぽん、と撫でて、

 

「で、事務的な対応と義務的な会話は終わりにして―――私的な話」

 

 指を三本立てて、

 

「お姉ちゃんとして言うことは、三つ。まずそのいち、時間がないから説教の方は後回しにします。明日、反省房……いえ、師匠のところではなく、私の部屋に来なさい。お茶を用意して待ってますから。

 ふふふ、楽しみにしてなさい、ここのところ甘やかし過ぎたようなのでその分も、めいいっぱいに叱ります。

 だから、そのに、今日は、<盛夏祭>が終わったら必ず病院に行くこと」

 

 叱られるのを楽しみにするなどと言うと、相当素直じゃない面倒な構われたがりのようだが……

 つくづく今日は美琴は自身の性格を痛感させられる。

 そして、そんなちっぽけなプライドでも、理解を示し、面倒な性分ゆえの、わがままを許してしまうのが、この幼馴染なのだ。

 

「そしてそのさん、前にも言いましたけど来年は美琴さんが演奏するんですからきちんと聴かないとダメですよ。ここで足止めした5分くらいのロスタイムは考慮しますが、ちゃっちゃと演奏するまでには間に合わせる。詩歌さんのメイドセレクションを断ってまで撮影担当をやってるんですからきっちり仕事もこなしなさい。

 できないとは言わせません。助言も一切なし。というか必要ないでしょう。

 こそこそ濡れ衣を被せる小心者に敗れたままの―――私の『誇り』ではありませんから」

 

 

 そう言って、上条詩歌は、何も聞かず、ただ言いたいことだけを言って、行ってしまった。

 

 

 

 

 

 暗転。

 

 

 いや、違う。

 そんなわけがない。

 この状況で、相手から目を逸らすような、状況に眼を閉ざすような、現実に瞼を下ろすようなことはしない。そんな命令なんて出していないし、機械(カメラ)の『目』が心理的動揺で閉じるわけがない。

 閉ざされたのは―――だから、食堂の方だった。

 カーテンは閉ざされて、一斉に照明の電灯が消えたのだ。

 

「『………っ! ………っ!』」

 

 カメラのレンズと同期した視界が、全て暗幕に封鎖される。能力操作の演算するに絶対必要な標的の選定基準が抜かされる。

 前述したが、この手の精神干渉への対応策は二つある。

 一つは身を隠し、相手の視界に入らない事。

 それが定石ではあるが、もう一つ、単純かつ絶対の対応策がある。

 いや、策というよりどうしようもない現実だ。

 

 相手の『目』を潰せばいい。

 

 弾丸も、拳銃と言う発射台がなければ飛ばない。

 精神干渉は物理的な衝撃には全くの無防備なのだ。

 『目』であるカメラが壊れてしまえば、『噴出点』が消失したと同じ事。

 

 相手の精神干渉はカメラが『噴出点』で、焦点に収めた対象を操作するもので。そして、連写機能は人間の能力ではなく機械の機能だ。

 しかし。そのカメラ機能の補助が、その『噴出点()』としての役割を果たせない場合はどうなるのか?

 その答えが、これである。

 

 暗順応は、明順応よりも時間がかかってしまう。

 また、カメラもまた眼球と同じように、明るさ調整をしなければ、不鮮明にピンボケする――『噴出点』の拳銃とするなら、弾詰りだ。周囲の光量に合わせて自動調整する機能もあるかもしれないが、シャッターを切り続けていてはそれもできない。

 

 しかも、“眩しく輝くシャンデリアの照明に向けた直後の”暗転である。

 

 唯一、下を向いていた食蜂と目を瞑っていた詩歌を除く、食堂にいた全員が全員、『目』を闇に囚われた。

 光量の落差は、自然ではありえない、機械の処理能力では追いつかないほど急激。そう、あれはシャッターチャンスではなく、トラップ。誘導するようにあの登場の演出なのだ。

 だから今仕掛けられたら、何の命令も出せず、何もできない。

 

「誰の知恵を借りたかは知りませんが、相変わらず貴女が機械音痴だというのには変わりがないようですね」

 

 ふわ、と足が浮くと、180度反転し、フィルムの逆回しを思わせて、上条詩歌が食蜂の目の前にして、同じ視点に立って。

 降り立った直後、姿勢を低くした前倒で―――床を蹴った。

 まるで、狩獣の女豹の如きしなやかな発条(バネ)

 加速。

 息を殺し――呼吸を止め、

 数秒、

 ほんの数秒の間―――

 酸素の供給という工程を省き、呼吸に割いていたエネルギーまで極限の集中に費やし。

 全力よりも更に速く、

 全力を超えた速度で―――駆ける。

 吹き抜ける矢のように、跳び駆ける。

 完全に支配した操り人形――鬼塚陽菜の感覚網だけがその気配を感じ取った。

 

 至近まで接近を許したが、食蜂操祈と同じように――自動迎撃に設定した――勘の鋭いこの肉体が闇雲に手を伸ばしながらも、しっかりとその首根っこを捉えた。身体が浮く。

 が。

 

 精密操作していることは――一度、操縦者の命をワンクッション間に置くということは―――身体が勝手に動くように自動(オート)で働く反射はとにかく、反応は確実に遅れてしまう。

 それは同等の実力を持つ者同士の真剣勝負では致命的すぎる。

 

「―――それに、本来はもっと動きがキれる。私と師匠二人合わせでも手を焼かされるほどに、ね」

 

 そのまま力技で床に叩きつけることができただろう。しかし、そうはならなかった。操縦者はまだ反応することができず、次の行動の判断が遅れた。その隙を狙ったかのよう。相手の腕を軸に、彼女は逆上がりするように、空中で姿勢を変えてしまい、床に激しく倒れた音を聞いた時には、腕ひしぎの姿勢になっていた。

 それから捉えた腕から“何か”を測るように手首の脈を取る。触る。触診する。

 

「そして、詩歌さんは幸運にも不足しがちな妹分とハグして投影(チャージ)しています」

 

 一瞬。

 静電気よりは大きいが、拍子抜けする軽めな音が、聴こえて。

 微弱な電流が全身を走り抜け、完全支配からの異常を正した。生体電流に直接働きかけ、調律したのだ。

 一番面倒な相手をまず最初に仕留めて、腕を離し、立ち上がる。それから闇の中を駆け抜け、時折電気ショックのフラッシュを瞬かせながら、すれ違いざまに次々と、次々と、次々と――――

 

 眼は―――閉じなかった。

 瞬き一つ、しなかった。

 それは漠然としか見えないけれど。

 影の動きを、食蜂の動体視力では、追えないのだが。

 

 その一連の影の動きを、なんと評すればいいのだろう。あの少年とは全く真逆に種類を別にする、その動作。そう、恐ろしいまでに無駄のない、自然と目で追ってしまう、見惚れるほど美しい―――流動。

 薄暗い闇に沈んでいる食堂は、どこかしら水族館(アクアリウム)のようにも見えて静謐で。ならば、その中を、潜水するように息を止めて流れるその影は、人波を泳いでいると形容すべきか。

 

 そして、その結果だけは確かめられた。

 全てが終わった後に、女王の視界に、結果だけが残った。

 

 パチン、と。

 停電していた食堂のシャンデリアが点灯し、日差しを防いでいたカーテンがレールに引っ張られて開かれる、室内に視界を確保する十分な明るさに戻ると、そこに……

 ひゅぅう、と、息一つ乱していない先輩が、ぐったりと気絶した土御門舞夏を片腕で抱きかかえながら、食堂内の全員分の“壊さずに”カメラを確保していた。

 

 

 

 ……超能力者の出番はなかった。

 

 手持無沙汰になった食蜂は、一応、新たにバックから取り出して準備していたリモコンを気付かれぬうちにそっと戻す。

 

「ついつい美琴さんとの“会話”が弾んじゃって、気づくのが遅れてごめんなさいね。苛められて大変だったんでしょ」

 

「気にしなくて良いんですよぉ先輩。私、自分のことをシンデレラと思うようにしてるからぁ☆ 年功序列のカースト力はいつでも不遇なものよねぇ……イジワルなお・ね・え・さ・ま♪」

 

「ふふふ、先輩後輩の間柄ですけど、何やら意味深に聴こえてきます、ね。それに詩歌さんはあまりイジワルをした記憶はないのですが、もしかしてこれは今以上に扱いてほしいという―――」

 

「いいえぇ、聞き間違いですよぉ、親切に助けてくれる優しい魔法使いな先輩」

 

「それでシンデレラな後輩は、十二時を過ぎたら魔法が解けて普通の女の子に戻るということですか」

 

「ええ、楽しくお茶会していた王子様ともついさっきに分かれてきましたわぁ♡」

 

「へぇ……休憩時間がやけに長いと少し心配してたんですけど、お喋りしてたんですか、フフフ」

 

 熟練の職人が丁寧に一つずつ焼き上げたような微笑は崩すことはないが、一瞬、亀裂が走ったように細目に薄らと開かれた気がした。

 能力など使わずとも、『手伝いに参加させてほしいと頼んでおきながら、仕事をサボって女の子と遊んでいたとは良い度胸だな』みたいな裏があると読めた。そして、未来予知能力はないが、彼がお馴染のフレーズを叫んでるビジョンが見えて……誘った手前、謝っておく。心の中で。

 

「―――と、もうそろそろ舞踏会(ステージ)の準備に入らないと時間力がまずいんじゃないんですかぁ?」

 

「お、そうですね。ピアノは業者の方が運んでくれますが、こちらも舞台衣装に着替えないといけませんし。しかし―――」

 

「後始末はこのシンデレラにお任せくださぁい☆ 余計な混乱が起きないよう、ちゃあんとここにいる全員に記憶の辻褄合わせるような夢を見させておきまぁす♪」

 

「……妙に殊勝ですね。まさか精神操作を受けているのではないかと疑ってしまいますが、ビリっといっときます?」

 

「センパ~イ。ここは、お世話になっている先輩に対する、一後輩として晴れの舞台の成功を祈る献身力に感激するところだゾ☆ ほらほら手荷物もお預かりしちゃいまぁす詩歌先輩♪」

 

「はいはい。すごく助かりますわー操祈後輩。じゃあ、ついでに寮内に広まってる第三位暴走の誤報も対処してくれると嬉しいですねー」

 

「えー、御坂さんのぉ……。ま、後輩力を稼いでおくことにしましょうか」

 

「では、寮は違っても後輩なら、一先輩の晴れの舞台は見ておきなさい」

 

「はーい♪」

 

 そうして、去っていった上条詩歌に、食蜂は“この相手”のことを心当たりがあるか言われなかったし、言わなかった以上は訊かなかった。

 十徳ナイフな精神系能力を駆使して後始末と並行作業で現場を洗ってみたが、大した情報は拾えず―――だけど。

 だけど。

 食蜂が完全に掌握し、外に漏れないよう隠蔽した第五位の研究を知っていた、あの『灰被り』は―――早急に見つけ出さなければならない。幸いにして、壊さずに回収された『ガラスの靴(カメラ)』がある。

 

『物的読心/右手で触れた物質から24時間以内の記憶情報を抽出』

 

 ちなみに、改変された情報は、コンプレックスを指摘された問題児が暴れまわった大惨事に脚色しておいた。

 

 

 

つづく


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