とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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常盤台今昔物語Q&A 夏休みQueenターン

常盤台今昔物語Q&A 夏休みQueenターン

 

 

 

路地裏

 

 

「超能力者に死を」

 

 インラインスケートのような小さな車輪が、足の裏から膝、肘、肩、手首、腰、背中、胸板まで全身に50ヶ所以上取り付けられた真紅のライダースーツ。

 その背には直径20cmで長さ55cmサイズの超小型ジェットエンジンを二基も負って、肩にはバズーカの様な炸薬作動式パイルバンカーを担いでいる。

 電子制御による高い安定性と操縦性がインラインスケートを兵器化させた<簒奪の槍(クイーンダイバー)>。

 

「超能力者に死を」

 

 リモコンで対象を選択するという『自分ルール』で照準性が制限されていては、高速で移動し続けるのを相手にすることすら難しいというのに。

 第五位対策として、『対精神攻撃用』のヘルメットだけでなく、脳波の異常を検知すると自動操縦へと切り替えるプログラムが組まれている。

 それらが30の方向から捨て身の玉砕戦術で仕掛けてくるのだ。

 敵同士が潰し合う構図を作るか、認識を歪めて見当違いの方向へ突撃させ自滅させるか、それができても全ての迎撃は不可能。

 たとえ30人が犠牲になろうと、この超能力者一人を殺せればいい決死隊との相性は最悪で、

 

「―――我々の意思を操り、不幸を量産したとしても己の利益を優先する者に、理を歪めている自覚はない。それでも、命を捨ててでも戦うのか」

 

 状態は最低。

 顕微鏡か精密計測機器を使ってようやくわかるAIM拡散力場――無意識の内に発してしまうその精神干渉が、誰かの人生を狂わせる。

 その言葉に自分は何も言い返せず、自分の心を制御できずに受け入れてしまった。

 

「ああ、戦う」

 

 それでも―――いてくれた。

 

「根拠のない陰謀論なんざ、どうでも良いよ。アンタらが馬鹿だというこの想いが、俺の本心から出たものでなくて、誰かに騙されて操られたものだろうがな。

 今にも泣き出しそうな女の子を見捨てるような生き方が賢いっつうんなら、俺は一生馬鹿のままで良い」

 

 唯一の味方は、たまたま居合わせてしまった不幸な学生。

 大切なモノを守れるよう強くなる―――と、鍛えに鍛えた少年だろうと、生身の人間の拳で時速100km以上で移動する人間大の物体を装甲ごと打ち抜くのは不可能だ(凹ますことができたようだが)。

 だとしても、そのひとりの味方に、自分の中で、何か決定的な歯車は動かされた。

 自分だけでなく、生粋のお嬢様から不良少年まで様々な人種の揃う相手の少年グループもまた、笑った。

 

「くっ」

 

 嘲るのでも、見下すのでもない

 

「ははっ、ははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 その少年の生き様を認め、また怨嗟じみた負ではない感情とは異なる憧憬を抱いて。

 一時だけ、大団円みたいな柔らかな空気が満たして、一時で壊される。

 

「なら命を捨てても後悔しないな、ピエロ野郎」

 

「おうよ。テメェらこそ本気でかかってきやがれ」

 

 古い合戦における、一騎討ち前の名乗り上げのような儀式を終え、

 この場にいた全員が戦いへの躊躇いを消して、全力で喰らいにかかる。

 その直後だった。

 

 

 

「いいえ、門限破り上等な後輩も、妹も弁護できない大馬鹿な兄も、そしてあなたたちも、命は捨てさせません―――」

 

 トン、と後ろから左肩を叩かれる感触、

  左へ向く意識の反対側に乱入者が出て、

   目標を目だけで追い、軽く構造視察し、

    呆けてる自分からリモコンを掏り取り、

     真正面のリーダー格へ少年が突っ込み、

      妨害支援と囲んでいる相手全員を狙い、

       ようやく相手が突撃の始動しようとし、

        全員が出鼻を挫かれたように、躓いた。

 

「―――まあ、半殺しくらいは全員覚悟してもらいますが」

 

 と、一息に。

 人であるかもあやふやにさせる幽玄な容貌は目を奪い、身体から漂い出るのは清冽にすぎる空気が口を縫い止める。

 デットロックと超能力者、少年を除くこの場にいたすべてを黙らせて彼女はそこに立つ。

 

「最近非行気味の後輩を探してる優しいかわいい妹が偶然出くわすことに期待していたわけでもないのに、上条家の長男さんはどうして万にひとつも勝ち目がないような喧嘩で格好付けに命懸けしちゃうんですかね。わりと怒ってますよ私」

 

「実力不足は俺の落ち度だが、それで見捨てられる理由にはならねーだろ。ゼロ(0%)じゃないなら万にひとつ(0.01%)でも十分だ」

 

「そういえば、自動販売機の当たりって高くてもだいたい2%くらいなんですけど、この前、娘は母さんの5回連続記録を更新しました」

 

「頼もしいというか羨ましいというか。それから全員って、まさかお兄ちゃんも入ってませう?」

 

「もちろんです。仲間外れになんかしません、むしろ特別扱いします。マンツーマンでVIP待遇です。終わったら楽しみにしててくださいね」

 

「わーい、不幸だ。……いや、詩歌がこうした荒事に参加する時点で当麻さん的には無条件で不幸判定なんだけどな。怪我をしたらどうするんだよ。お前は女の子なんだから、ちょっとでも顔に傷でもできたら大変なんだぞ。

 ―――傷物にした奴はそれ以上に大変な目に遭うけどな」

 

「この状況ではどちらかというとそちらがヒロイン側じゃないんです? というか、どうこう言われる筋合いはありません。元々そこの後輩は先生からもお墨付きで私が面倒を見るべき後輩ですから。なんせ、ここ最近、“常盤台中学の女の子”を“公園の鳩で襲わせたり”、“水路で溺れさせたり”、はたまた“暇潰しに買った心理学教本に倣ってスカートをめくらそうとしたり”してる“外道街道まっしぐらな野郎”がいると噂があるんですから、

 ―――はて、お兄様はこんな夜遅くまで女の子を連れていったい何をしていたんです?」

 

「え、それはだな……妹様がちゃんと先輩してるのはわかった、この話はやめにしようか」

 

「教えるのに、何かお差支えがあることなのですか? あらやだ、ますます()になりそう」

 

「いや、その―――この状況って話ができるような余裕なんてないだろ。だからそんなことは忘れて今は集中集中!」

 

「では片付いたら是非。ふふふ、終わった後の楽しみがまた一つ増えました」

 

「終わった後が、ハードになりそうだ」

 

 “すでに終わったもの”と会話しているようだが、囲まれている状況に変わりない。

 もしや応援が来ているのかと周囲を探るも、現れたのは彼女ひとりだけ。

 今、数でみれば一人加わっただけで、戦力差は3:30と10倍。

 だが、学園都市には、個人で戦況の天秤を左右に大きく揺れ傾けさせる重い存在がいる。

 

 Level3なら、まだこちらが有利だ。

 Level4なら、人海戦術で押し切れる。

 Level5なら、最悪だ。

 

 実戦経験に豊富かどうかはとにかく、あの入学条件がLevel3以上で、第五位以外に第三位(もうひとり)のLevel5が在学している五本の指のエリート校の制服は警戒に値するだけの潜在能力がある証拠。

 

「だが、何を勝った気でいる。道具に頼る我々の手勢には大能力者だっている。超能力者を殺せるだけの戦力を揃えてきてるのだ!」

 

 強気に奮い立たせ、体勢を立て直す。

 航空燃料が生みだす最大級の爆発を推進力とする<簒奪の槍>。

 一度、起動すれば、操作ミスで大爆発に巻き込まれようと当たるまでは止まらない。

 自らの身体を砲弾にするそれは突進、というより、発射、という単語が相応しい。

 生きて帰れることなど期待していない。超能力者に何もかも奪われた自分達に未練などない。仲間が死んでもその屍で作られた道を踏破する死兵となる覚悟もできている。

 空を飛ぶのではなく、崖から身投げするように。革命のためと与えられたジェットエンジンにスイッチを押した。

 しかし、

 

 莫大なエネルギーを生むはずのジェットエンジンに、光は灯らない。

 

 誰ひとりも。どれひとつも。

 噴射は起こらず、背負った代物はただの重りでしかなく、ある者は跳び込むような前傾姿勢からバランスを崩してまた転ぶ。沈黙するジェットエンジンの噴射口から、しゅうしゅう、と黒い煙のようなものが溢れていた。

 このスーツには、爆発時には一応は、使用者の身の安全を“最低限”に保障するための処理が施されている。それでも燃焼時の高温を考えれば皮膚が溶けたチーズになっていてもおかしくない。

 しかし、放出される不燃性ガスは白いはずで、なのに妙な臭いがする黒い煙が立ち上っている。そして今は衝突も何も動いてすらいないのだ。

 これも撹乱か。

 だが何かしらの理由で、動作不良を起こした、あるいは起こされた、対第五位特攻(クイーンダイバー)を黙らしたのは事実で―――

 

「無理です。出力だけを求めピーキーな、引火したら着用者が爆発に巻き込まれる物騒なものは寝息を立ててすやすや眠っています」

 

 少女が、しっ、と指を唇に添える。その仕草には生身の人間がもつ肉臭さがなく、浮世から離れている。非現実的な美しさと相俟って、人にあらざる幻想に魅せるだろう。

 

「後輩が余裕もなく苦戦しているのを見たところ、自動操縦に精神防御と対策はしてあるそうですが、その程度では<心理掌握>を見誤っている。これは単純に心を操るものではないんです」

 

 『ひとつ、解説をしましょう』と、緩やかに話し始める。

 

「<心理掌握>が精神に干渉する方法は、対象人物の脳内物質の分泌から血液や髄液などの配合、電気を通す触媒濃度変更による間接的な生体電気の制御によるもの。発電系能力者(エレクトロマスター)の私自慢の幼馴染と同じ生体電気ではなく、生意気な後輩の場合は体液成分に特化した水分操作。

 ―――だったら、<簒奪の槍(おもちゃ)>の血液(燃料)に悪戯することだってできるとは思いません?」

 

 するりと頭の中に入ってくる。

 とても教え慣れた声音を使っているのだ。

 <心理掌握>は脳内の液質の環境を変化させることで心を操作するというもので、機械相手では相性が悪い。

 しかしその本質は水分操作でもあることは確かだ。

 そして体液だろうが燃料だろうか、液体の化学的な反応による『変化』があるのは共通している。

 であれば、酸化防止剤等の添加剤を加えられた航空燃料に、劣化させるに長い時間を必要とするものだとしても、第三位の超能力者クラスでなければ強引に押し通すことができる水分操作を発展させれば、その特定の反応を促す芸当も可能だ。

 航空燃料中の不安定な不飽和化合物の酸化あるいは重合――科学的な変化によって生成する樹脂製の粘物質(ガム)。それはフィルターを詰まらせ、燃料の流れを悪くする。最悪としてエンジンがかからなくなる。

 ジェットエンジンは壊れていないが、壊れる以前に始動しない。つまり脳から心臓の神経ラインは無事であるが、手足に血管が行き届かず満足に動かせない、といったところか。

 

「純粋な物理現象だけをつきつめれば、心というのに明確な形はなく、充足さえ単なる電気信号と化学反応に過ぎないものであるといえるでしょう。航空燃料を腐らせ、ジェットエンジンのフィルターにガムを詰まらせるのは、本質的に水分操作である証明といえるもの。―――さて」

 

 ぞくり、とするほど、目の色が変わる。

 

「これから万の言葉を尽くしても、あなたたちを説得することはできません。

 どんなに丁寧に語っても、心からの納得を得ることはできないのでしょう。

 かといって、超能力者の力に叩き潰されたのでは、誰の得にもならない。

 結局のところ愚者一得なんですが、私も当麻さんと同意見―――」

 

 ライダースーツの骨格から重心の位置を見定め、

 炸薬式パイルバンカーに手足の稼働域を見極め、

 相手の心身両方の急所と呼吸を正確に見切りながら、

 手中の能力発動の指揮であるリモコンを握力で握り潰し、

 

 

「残る難しい話は後に回してこれから語るのは、(これ)でするとします」

 

 

アニマルカフェ

 

 

 高校受験を来年に控えた夏休み。何でもない休日で妹から電話。

 『今日、繁華街に来ないでください。――駅近くのアニマルカフェに来ないでください。いいですか、大切なことなので二回言います。『モンスターハウス』という店名のところに、絶対に来ないでください』

 と言われたものだから、

 

 

「お帰りにゃさいませにゃんっ、ご主人様!」

 

「お、お帰り……にゃさいませ、ぴょん……ご主人様っ……」

 

 

 来た。

 

 温かみのあるパインウッドの硝子扉をあけると、涼やかなベルの音が店内にこだまし、優しい木の温もりに溢れる内装、大きく切り取られた窓から差し込む光を受けて飴色に輝くそれが出迎えてくれた。

 が、さて。

 まずは、目の前のはスルーして、意外と広い店内の様子を見る。

 それぞれの区画に整理されているようで、放し飼いにされている犬や猫といったコンパニオンアニマルにウサギといった小動物のエリア。フクロウやハトにタカといったバードエリア。それから奥の方には、蛇やトカゲといったエキゾチックなものから、芝生の敷かれているところには、ウマ、パンダ、オオカミ、ワニ、クマにトラといった大型なものまでいるようだ。

 ……ワニ? 熊? トラ?

 

「えっ、あ? 何、で……」

 

「おいおい、なんか変なのがいるな! 大丈夫か?」

 

「変なのって誰のことよぉ! 大丈夫じゃないわよぉ! 忘れなさいよぉ!!」

 

 ボリボリと右手で頭を掻くこちらに、ウサ耳のメイドウェイトレスが『消去! 消去っ! 消去っっ!』と中々スイッチの入らない壊れたテレビに向けるようリモコンを必死に連打。

 外から入ってきた客を店に迎える際の文句は『いらっしゃいませ』から入って『何名様でしょうか?』や『喫煙席と禁煙席どちらになさいますか?』と案内する手筈だろう。と考えると、この子の接客態度としては些か特殊な対応であるが、まさか入ってきた全員にこれをしてるのではないのだろうか。

 妹が通う学校の問題児(後輩)、と一応の知人として心配になる。

 

「大丈夫です。皆さん、ここの主人によく躾けられて、人に慣れていますから」

 

「間違っても、ダンジョンでモンスターに囲まれちゃった状況じゃないんだな? それからそこの絶賛リモコン連打中の後輩は躾けられてんの?」

 

「そちらの更生は真っ最中です」

 

 とりあえず、接客対応120点なスマイルで落ち着いた反応を返してくれる白縞の猫科動物の方へ首を向ける。

 その際、『―――動物たちと一緒にするんじゃないわよぉ!!』とついに物理的干渉(ぽかすかとリモコンで叩いてくる)があまり強くないので無視する。そっちを見たら見たで文句を言われるのでしばらく発散してもらうのが良いだろう。

 致命的なまでに体力のない彼女がすぐにばてるのはわかっているし、こちらの方が楽なのだ。

 奥の席に案内しながら、迷える(アリス)の前に現れるチェシャ猫娘は、口元を押さえて小鳥が鳴くように笑って、

 

「ふふふ、当麻さんは動物たちより詩歌さんに興味津々ですか……またこちらを凝視してます」

 

「またって言うな。人聞きの悪い」

 

「つまり、いつもみている、と?」

 

「もっと表現が悪くなったぞ! っつか、毎日見ている妹をそう凝視したりするはずがねーだろ。当麻さんが注目してるのは、その兄的に心配になる見慣れないコスチュームについてだからな」

 

「慣れの問題ですか……はぁ、いつもと違う服を着た女の子に、『それも可愛いね』とか褒めるのが男の人の責務だと思うんですが。まあ、そういう気遣いを期待する方が間違ってますし、見られても減るものはありません。もとより当麻さんなら、見たいだけ見てもいいですしね」

 

「とにかく来ておいて何だが説明してくれないか? お兄ちゃん、そろそろ理解の限界が来そうだ」

 

「わかりました。説明しましょう。見ての通り、今日この動物喫茶『モンスターハウス』では獣耳メイドフェアを開催しているんです。でも、そんな肝心な時に人手が足りなくて困ってる、と寮監(師匠)経由でここの主人に応援を頼まれたものでして」

 

「中学生が……ってかお前のトコのお嬢様学校は、バイトNGじゃないの?」

 

「いつもの通り、職業体験の一環、で通してます。なので、賃金は精々サービス券くらいでしょうね。元々この『モンスターハウス』は<置き去り(チャイルドエラー)>ために、アニマルセラピーを目的として建てられたものでして、喫茶店の方はおまけなんです」

 

 ああ……なるほど、と頷く。

 学生寮は大抵ペット禁止だ。それに一日の大半を学校に囚われる学生の身で、動物の世話は難しいだろう。

 この住人の八割が学生の学園都市において、犬の散歩などというのはあまり見かけない。

 それでも動物好きな学生も結構いるだろうし、アニマルセラピーや動物の世話をすることで自立心を養うという話も聞いたことがある、こういうコンセプトの店もあっても不思議ではない。

 

「まあ、それついでに、今年入ってきたLevel5問題児をしご……このQ&A(一番問題児なルームメイト(陽菜さん)命名)の自立訓練もしようと思いまして……できれば、問題児をもう一人連れてきたかったんですけど。あの子が来ちゃうと、動物がこの店からいなくなりますから。目玉が逃げちゃったら、普通の喫茶店になっちゃいます」

 

「いや、動物(こいつら)がいなくても普通の喫茶店じゃないと思うぞ。主に恰好が」

 

「そうですか? この獣耳(ケモミミ)。大人気なんですよこれ。週一でここに通う常連さんのひとりのお姉さんなんて、

 

 『その仔犬、可愛いわね。黒い毛がふさふさで……でもね、私はその半ズボンが似合う君の方が―――ねぇ、その日本から生まれた最高のバックパックであるランドセルを背負ったまま、この仔犬の耳としっぽを付けてみない。―――どうして? ってそれは私の欲求――探究心を満たすため。ランドセルは今やファッションアイテムのひとつ、ええ海外では女優やタレントだって持ち歩いてるの。それと仔犬耳尻尾が合わさった未知の化学反応を舐めるように拝み――似合うかどうかを今後のおしゃれに参考したいの。是非―――え? 目が怖い? 何のことからしら? 代金なら私が出すわ。出させて! なんなら、お小遣いだって……撮らせてくれたら写真一枚につき1万は出すから、お願い!』

 

 ……と学校帰りの男の子が来るたびに熱心に勧めたりもしてるくらい」

 

「わざわざ声真似までして再現してくれたが、ソイツの目当ては絶対に動物じゃない」

 

「支払ったお金の半分は養護施設に募金されていまして―――あ、当麻さんも試着してみます?」

 

「いや、待て待て。誰得なんだよそれは。悲しみしか生まないだろ」

 

「ここにいる妹は喜びますよ」

 

「お兄ちゃんは一方的に損してますけどね!」

 

「詩歌さん的に当麻さんにはウマかシカがをチョイスしたいです」

 

「もしもし詩歌さんや、そのリクエストは当麻さんが馬・鹿だと仰りたいんでせう?」

 

「いいえ、今の詩歌さんは希少なホワイトタイガーさんなので、是非その捕食される側をしてもらえると……気分が高揚します」

 

「やだうちの妹ったらひょっとして肉食系?」

 

「で、着ます獣耳メイド?」

 

「着ねーよ! 今の会話をしてどうなったら勧めることができると思ってんだ? しかもさりげなくメイドがプラスしてるからなっ! 男子学生にメイドになれっつうのか!?」

 

「せっかくあれだけした詩歌さんの忠告を破ってきたんですから、メイドを手伝ってください」

 

「客って選択肢、いやせめてウェイターかもしくは執事にしてくれ」

 

「こちらの要求を突っぱねるとは、毎度困った兄さんです」

 

「来るな来るなって毎度困らす妹があれだけ言ってたから、逆に来ちまったんだよっ!」

 

「つまり、着ない着ないと言ってる当麻さんは実は着たい、ということですね?」

 

「どうあっても当麻さんに着せる方向に持っていくつもりだなマイシスター!?」

 

「まあまあ、あまり悪いものではありません。

 

 『英国ヴィクトリア期の女性用給仕服に哺乳類の耳を組み合わせるというこの発想。思いついた奴は天才なんだぜい』

 

 ……と、つい先ほどここに来て蘊蓄を語っていたアロハサングラスの金髪お兄さんは言ってましたし」

 

「そんな野郎の戯言を真に受けるんじゃあない」

 

「結構、当麻さんと波長が合いそうな気がしますが。

 

 『これを義妹が付けてくれればうれしいんだけど、こういうふざけたのを贈ると怒られるんだにゃ~』

 

 ……と、お土産に獣耳セットを購入する際、とても残念そうですがそれでもわずかな望みに賭ける目で言ってもいましたね」

 

「その変態野郎は手遅れだ。今度会ったら冥途の土産に頭をブン殴ってやれ」

 

 というか、この店は、先ほど話に出てきた小学生狙いのお姉さんといい、特殊な性癖の持ち主の憩いの(または狩り)場となっていないか? だとするなら、こんなところで妹を働かせるのは大反対で、ちょっと店長と面談を………

 

「それで、当麻さんはどの耳が詩歌さんに似合うと思います?」

 

「ふむ。とりあえず、一通り見てみたいが、まずはそこのオオカミセットを」

 

 

 バン! と(とりあえずお望み(注文)通り)、その頭をリモコンではなく、トレイでぶったたかれた。

 我が校内伝の斜め45度からの修正法だ。しかし、それは人ではなく、機械にするもので、間違っても客にするものではない。

 

 

「ハァ―――ハァ―――」

 

 であるが、このウサミミは、箸よりも重たいものを持ったことがないレベルではないが、それよりもいくらかマシな腕力なので痛くない。小動物がじゃれてくるようなものだ。客の少年の中で比較対象がその隣の先輩(いもうと)にしているせいでもあるが。お嬢様学校に進学してから彼女は達人にでも弟子入りしたせいで、素手でも滅法強い。どのくらいかというと、女子中学生に分類(カテゴライズ)されるはずなのに、炸薬作動式鉄杭打ち(パイルバンカー)なんて物騒な凶器を持った仮面ライダーたちを半殺しにした功績があり、『あれ? もう殺意の波動とか極めちゃってる?』と荒事には慣れてるはずの兄が日常的な折檻に不安を覚えるレベル。一応、そのときはその場にいた後輩の超能力にも頼っていた状態だったらしいけど凶器破壊した後半は終始首狩り中心の関節技に精を出していたことを考慮すると、下手をすればこの店内にいる“動物”の中で一番ではないか。その白と黒の縦縞は、チェシャ猫のようで、実は百獣の王(ホワイトタイガー)をモチーフにしてるのだ。―――もちろん可愛さランキングでも………

 

「くっ、得物を変えても全然堪えないどころか妹馬鹿力なことを考えてる顔ねぇ!」

 

 さて、『詩歌ちゃ~ん、こっちをお願~い!』とこの店の主人から最もご指名頂いてる人気の看板娘(仮)が応援要請されたのを機に、とりあえず状況は把握したし、そろそろ落ち着いた頃合いだと見て、少年は何故か客より早く席についてる容姿はとにかく奉仕的能力は戦力外な後輩に話しかける。

 

「……ウサギは寂しがり屋の構ってちゃんだっていうが、お前もその口か?」

 

「ああん!? 特殊なフェチ力をお持ちな変態野郎には言われたくないわよぉ!!」

 

 妹で先輩な共通の知り合いという緩衝材(または飼い主的なストッパー)がなくなったせいか、刺々しい。

 それでもお兄さんらしく親身に、根気強く話しかける。

 

「まあ、なんだ。当麻さんは別にメイド好きじゃないが、似合ってますよ、メイドさん」

 

「メイドぉ? はて、それは何の事だか私の明晰な頭脳力にはさっぱりわからないわぁ。それは食べられるものなのかしらぁ?」

 

「いやいや、そのとぼけ方はいくらなんでも無理があるだろ! 鏡で今の自分が何者かを確かめてみろ!? 鏡よ鏡よ鏡さん、目の前にいる娘はだあれ? ってな」

 

「そんなのこの世で最も美しい女王様に決まってるでしょぉ。目の前にいるのにそれがわからないなんて、まさか、その年で老眼だなんて嘆かわしいわねぇ」

 

「頑なだなぁ……俺はお前の性格が心配だよ」

 

 妹がこういうものに耐性があるのはわかっていたが、それでも今日ここに来るなと言ったのはこの後輩への気遣いだったんだろう。

 いや、あれだけ来るな来るなと言うのだから、逆にからかうために召喚されたのか(オレ)は?

 どちらにせよ、この後輩は身内(いもうと)とは違い、知人に見られるのは恥ずかしいと思える感性なんだろう。

 重い溜息をついて、

 

「はぁ……いくら先輩に連れて来られたからって、こんな恥ずかしいことをやるんじゃなかったわぁ。健気な後輩力ある私だけど、今更ながら後悔してるわよぉ。疲れるし」

 

 調子が狂う。今日だけの話じゃない。例えば、この仕事をやらされるきっかけとなった……

 

 

実技室

 

 

「―――シャボン玉で遊びましょう」

 

 好奇心に溢れた瞳とどこか面白がっている口元。一言を交わしただけでオーラに近い華を感じさせる、陽気な音楽的な声。それとは別に、相手がというより自分がしてみたい、と声無き声が聴こえる。

 

「シャボン玉が割れる理由は大気中の塵や埃を除けば、おおまかに2つ。重力による膜の薄弱化と構成水分の蒸発。この二重の意味でクリーンな学園都市製の界面活性剤(洗剤)と多糖類――蜂蜜を一定の比率で作ったシャボン玉は表面膜を維持する粘性に蒸発の影響から保水する水酸基(-OH)に富んでますので長時間割れることがありません」

 

 Level3が入学最低条件の学び舎で、『新入生が一年間で平均しておよそワンランク上達する(Level4間近になる)』と都市伝説を作り上げた根源的な存在である、その先輩の能力開発は、このとおり、時に遊びが入る。

 楽しく自然と体を動かして、頭を働かせて、意識しない内に上達するのが理想な学習ですから、とは彼女の主張。

 大抵の人間は、練習や勉強と言えば、自然といやがるものだろう。当然だ。学習というのは『効率的な不自然』の習得――つまり慣れないことをするのだから、ストレスが溜まるし、それで義務感だけでやっていれば、その内容は形だけになりがちだ。

 それを理解しているからこそ、教員の“開発”という堅苦しい雰囲気にはない、あえて遊びの要素を取り入れ、馴染み易くしているし……能力についての悩みを和らげるのにも、一役買っていたりもしている。

 この付き合いから今、自分は寂しい巣から落ちて森の広さを知った雛鳥のようで―――千尋の谷底へと突き落とされる獅子の仔でもあった。

 

「ここに色分けした洗剤液と蜂蜜を用意してあります。能力ではなら相手のシャボン玉を割ることを認めます。今日は、どちらがより多く、より大きく、より長く、シャボン玉を作れるか競争しましょう。勝ったら、今日の水泳補修は免除で構いません」

 

「別にそういうとっくの昔に卒業した子ども遊びは、気が乗らないというかぁ」

 

「自信がないんです?」

 

「は?」

 

「割れないシャボン玉は黄金比率ではないとすぐに割れるか、膨らますこともできませません。<心理掌握>の操作技術からその黄金比に調整するのに、自信がないんです」

 

「先輩は私の天才力をよーく理解力があると思うのだけど、この<心理掌握(メンタルアウト)>は天才力だけでなく人格力を持つものだからこそ扱えるもので、間違ってもこの何の役に立つかわからない道楽に付き合わされるものじゃなくて、なのに何で本家本元である私が負ける心配をしなくてはならない理由を説明していただけるかしら―――」

 

「この電動補助式ストロー商品名『バブルランチャー』は、ストロー内に息が吹き込まれるとセンサーが反応して、吸引された外気を同時に送り込む。人力で漕ぐ推進力を押してくれる電気自転車みたいなもので、今回、息バテし易い後輩のためにと用意したお子様用のアイテムなんですが……けれど、残念なことにあなたこういう機械系が苦手でしょう?」

 

「ふ、ふふふ、ふふふふ―――ッ! いいわぁ! お子様な第三位を手玉に取れるからって、この第五位(わたし)までも舐めたことを泣いて後悔しても遅いんだから! 絶対服従させてあげるわよぉ!!」

 

 入学して間もなく最大規模の『派閥』を作り上げた長で、この街でも7人しかいない最高ランクの肩書があるはずなのだが、年功序列を完全に無視できないわけではない。

 この『五本の指』の一校には超能力の精神干渉がまともに通じない学生が最低でも二人おり、そのうちの一人に先輩がいて、『Level3(仮)』と<書庫(バンク)>を騙している曲者。

 それは『あの夜』にも実感させられた。

 同じ液体とはいえ航空燃料を変化させるなんて真似は、超能力者である自分にはできない、あれは<心理掌握>とは別の能力の経験があるからこその応用技術だろう。ただ、“同じ力でやれたなら自分にだってできる可能性はある”というだけ。

 彼女はひとつの能力しか窮められない学生ではありえないほどに視野が広く、そして誰よりも大きく相手の(現実)を広げる手腕をもっている。

 

 

 で。

 

 

 どちらのがより場を制圧できるか泡合戦。

 二種類の溶液を一定の基準比で混合する精密水分操作。

 

『ハァ―――ハァ―――もう、肺活力―――無ぅ~理ぃ~~……』

 

 危惧されたとおりに、シャボン玉作成に息を吹き込み続けることにムキになっていたが、酸素不足、演算する脳活動能力低下。

 対し、向こうはこちらの妨害を躱しながら、涼しい顔で管楽器の奏法である循環呼吸(鼻で吸い口で吐く)で終わるまでほとんど途切れることなく、シャボン玉を作り続けたのだから、人の肺活量じゃない。

 道具に頼っていたはずのこちらが酸欠間近で先輩に止められて、その後日に、負けた罰ゲームということで、能力を使わない対人経験および能力の通じない動物相手の実習(バイト)に付き合わされることになる未来を憂いながら………

 

 

アニマルカフェ

 

 

 と、戻り。

 

「はぁ、先輩に付き合わされる度に私の寿命力が一日削られていく気がするわぁ……」

 

 今ばかりは、我が校“もうひとりの超能力者(レールガン)”に来てほしい。超能力の精神干渉の通じない電磁波猛獣避けと聖母の顔をしてる魔女な先輩の遊び相手(イケニエ)に。

 それでも、自分には上下関係の格付けしたトラウマと断れないだけのドデカイ“借り”を作ってしまったのだ。

 入学早々精神半殺ししてくれた先輩に“お礼”をしようとして探り当てたが、結果としてドデカイ借りを作る一因となってしまったそこの少年は能天気に、

 

「? あいつそんなに人に無理させるようなことはしないと思うんだが、むしろほっといたら人の分までやってくれる働き者だぞ」

 

「ええ、もう一時間も働く先輩の後をついてきながら、接客スマイルしてたわねぇ……」

 

「つまり、お前はほとんど働いてないってことだなおい」

 

「自然体でさえ大人気なカリスマ力があれば、それだけで千客万来ダゾ☆ ……それにぃ、もう一歩も動きたくない。先輩の後をついてったけど全然止まらないし休まない、店の中だけで頭の中の万歩計(カウンター)が壊れたわぁ。私からすれば、100m走も狂気の沙汰なのにぃ。ホント、体育テストは100cmくらいにならないかしらぁ」

 

「一歩で終わる1m走の方がある意味狂気だぞ。本当に体力ないなお前、別に病気でも何でもないんだろ」

 

「ええ、学園都市に7人しかいない貴重力な超能力者だから散々検査されてるし、この前の健康診断に引っ掛かったことがないから、外見内面共にパーフェクトな身体よぉ」

 

「つまり体力がないのは別に異常でも何でもないってことか。なのに、足がつくトコで溺れるとか漫画みたいなことしてんだよなお前」

 

「前にも言ったけど、水中での活動なんて、わざわざ陸上で生活するために進化した人類がすることじゃないわよぉ」

 

「人類は泳ぐために体毛が薄くなったという説を聞いたことがあるんだが」

 

「じゃあ、私はもう、人間をやめてるんじゃないかしらぁ」

 

「カナヅチを理由に人間をやめんじゃないよ全く。結局、単純に体力がつかない体質ってことなのか」

 

「必要以上は持たない環境力に優しい省エネ節約体質っていってちょうだい」

 

「まあ、でも、体力がない方がお嬢様らしいっちゃらしいよな」

 

「そうよそうよぉ! 先輩も含めて、常盤台には約二名ほど細胞内のミトコンドリア力が常人の倍以上ありそうな素で底無し体力の鉄人がいるけどそっちの方が異常なんだからねぇ!

 ―――というわけで、あなたとお喋りして喉がカラカラだから、温かくてぇ甘ぁいのがいいんだけど……そこのドリンクコーナーのミルクティーで我慢するわぁ」

 

「なあ、そろそろ本来の関係性を思い出そうか店員さん?」

 

「男性と少しお話しただけでお小遣いを頂けるお仕事もあると聞いてるんだけどぉ、あなたはちっともチップを弾んでくれないしぃ。これってもしかして、ちょっとエロい接待(サービス)力しろと催促してるのかしらぁ?」

 

「あのな、この店でご指名頂くのは動物の方で、不健全な水商売ではないはずだ!? っつかサービスされてたら物理的な意味でこの店一番の娘のお世話になるからな!?」

 

「ああ……もう、ダメぇ……今ので私の活動力の限界はもう近い。あと10秒―――8、7、6……」

 

「何のオペレートしてるんだお前は」

 

 『(4)』を秒読みを言いかけたところで、停止。

 ウサギ娘の顔の前で、手をひらひらと振ってみる。

 

「ぅ~~~………」

 

 うん、反応なしだ。

 一度、南~無、と手を合わせた少年が注文コールのボタンを押すより、早くに肌身に覚えある温かな気配が近づく。

 振り向かないまま、

 

「まあ、はしゃいじゃって。随分と楽しかったんでしょうね」

 

「どうやら活動限界らしいんだけど、で詩歌の方は大丈夫なのか?」

 

「野暮なことは言いっこなしです。どんな時でも当麻さんの心配は最優先で、後輩の世話はその次くらいになるのです。強面なお兄さんのお客様を待たせてでも、当麻さんが困っていそうでしたらすぐに駆け付けるくらい」

 

「こらこら、そのお客さんから思いっきりガンつけられてる気がするんでせうが」

 

 指摘され、申し訳なさそうに眉尻を下げ、身を縮めるような仕草をみせながら待たせている客を窺う。その叱られた仔犬のような表情(今は猫耳を被っているわけなのだが)に、その男性客はたちまち相好を崩されて、逆に、いえいえと手を振られて頭を下げられる。

 それからの、ありがとうございます! とはにかんだ笑みを浮かべられては、決定打。

 ガタガタっと、よろける足踏みの音。テーブルや仕切りに捕まる音が聞こえる。だいたい何が起こったのか経験則でわかるので、兄は目を向けない。

 いくらなんでも大袈裟だろう、という正直な感想はあるものの、どうやらタダより怖いものはないというのとは別な意味で、スマイルゼロ円は中々の価値があるようだ。おそらくあの客は閉店時間を過ぎても待つだろう。

 とりあえず、客からのご厚意を頂いたので、先輩ウェイトレスはサボり中の後輩を見る。

 

「無理をさせたつもりはないんですけど」

 

「まあ、あまり働いてるようには思えなかったな。本人も自己申告してたが、かなり甘やかしてんじゃねぇか? 先輩ならもう少し厳しくしたほうがいいと思うぞ」

 

「ずっと楽しようとしてて、ここまで客寄せパンダくらいにしかなりませんでしたけど」

 

「いや、後輩に止めを刺してくれとまでは頼んでないぞ」

 

「サボり魔な割に、いざマンツーマンで体育の補習をやらせれば、全力で頑張りますからね。体力をゼロまで使うと言うのは、なかなか難しいんですが、意外と器用というかすごい不器用というか。動かなくなるのは、本当に電池切れのときだけなのがこの後輩なんです。それに今回は徹夜でもしたんでしょうか。

 だから、いいんですよ」

 

 と困ったような、だけれど愛想笑いのような嘘臭さもない。偽りなく真正面から、と妹が先輩として後輩に対し誠実に接しているのが良く分かる顔だった。こんな愚兄の妹を不満もなくやってるんだから、面倒見が良いとは思うが、駄目な子ほどかわいいんだろう。

 

「裏まで運ぶの手伝うか?」

 

「……いえ、その必要はないでしょう。病気でもなければ弱ってるわけでもないですし、ただの電池切れですから。放っておけば、みるみる回復しますよ。あとで持ってきますがご注文の甘い飲み物でも与えれば、燃料源のカロリー補給となりますからそれで十分。

 それに、このテーブルから離れたくないでしょうから」

 

 また二人きりで放置するという危険をしっかりと吟味したうえで、“にっこり”と作り笑いをこちらに向けて、

 

「もしも当店のサービスにご不満がございましたらすぐにお呼びかけください、物理的な意味でお世話してあげます、お客様」

 

「え……あ、はぁ……なにを―――」

 

 まろやかな猫撫で声に不穏なものを感じ取ったか、少年は逃げ出しこそいなかったものの100%非天然なスマイルから明後日の方向へと視線を逸らす。その横顔に、楽しそうな声がかかる。

 

「あらあ、どうしたのかしらお客様。別にチップを弾まなくても、寝ている間にちょっとくらいならエロい接待力しても構わないわよぉ?」

 

「はは……ウサギさん、はは……なにをおっしゃいますかな……わたくしめは、そんなこと一度たりとも望んでおりませんことよ」

 

「この前の心理テストみたいにぃ、スカートを捲らされるのはNGだけどぉ……」

 

 一秒でも早くこの体力なしの愉快犯を黙らせると身を乗り出そうとしたところで、ぽんっと肩を叩かれた。少年はこめかみ辺りに冷や汗を滲ませる泣き笑いな表情で振り返る、と……

 

 走馬灯の如く、“あの夜”のことを思い出した。

 

 いつもの“不幸”で、物騒な連中にそこのお嬢様と一緒に追われ、喧嘩する羽目になったことがあったが、その時もちょうど啖呵を切ったタイミングで現れた彼女。

 門限過ぎても帰ってこない学生に、住んでる寮が別であるが、その時からすでに教師陣の手に余る超能力者二人と仲の良い先輩として認知されている彼女に連絡が入ったのだとか。

 そして、素早く状況を察し、颯爽と問題を解決した(おもに物理的に)。なんせ後輩のピンチだったのだからそりゃあ怖かった。

 リモコンを握り砕いてすぐ、挑発に向かってきた最初のひとりを地獄突きで黙らせた後、足払いで地面に叩きつけてから、とどめに腹をスタンピングで活動を止めた―――一連の行動はあまりに鮮やかで戦慄したほど。

 何よりその後、宣言通りに自分へ尋問を始めた時のオーラは一層に凄みが増し、そこの女王も含めて問題児たちの手綱を握る裏のボス、と噂に違わぬ風格を醸し出していた。

 それが今、再現されている。

 

「あれは根も葉もない噂だって聞いたんですが……あら……

 どうなんですお兄様……?」

 

 店の外へ逃げ――いや、土下座するためにテーブルから離れたかったけど、肩が砕け散りそうなくらい握り締められているので、その場で、お兄様こと上条当麻はふるふると力弱く首を振って供述を始めた。

 

「あの本に書いてあったことを実行しただけなんです……」

 

 

実技室

 

 

 (割り箸を数本まとめて絞り折るような、どうやったらそんな怪音力が発生するのかけして知りたくない響きが骨伝導で脳に直接届く)筋肉痛と死ぬほどバテた疲労を引き摺らないようにストレッチマッサージを受けながら、

 

『健全な精神は健全な肉体に宿る、なんてお言葉は大昔の精神論だと操祈さんは言うでしょうが、適度な運動には向精神作用があることは科学的なデータとして裏付けがありますし……今のあなたはとにかく体を動かさせた方がよさそうです』

 

 と、能力開発――シャボン玉作りの後、サボった体育水泳の補習が続き、生かさず殺さず絶妙なラインで低血圧気味にぶっつぶれたまま催眠学習的なノリで、話を聞くだけのスタイルに終始する。

 であるが、

 

「にしても、人に疎まれやすい私の能力開発によく付き合う気になったわよねぇ……」

 

 つい、と負け惜しみからか、疲労感からか、今すぐにでも落ちかけている眠気からか、とにかく愚痴のように漏らした。

 しかし。

 これを拾った先輩はことりと首を傾げて、

 

「ん? 歓迎会で目上に喧嘩を吹っ掛けてくる生意気な問題児ですが、あなたを疎む理由がこれといって特にありません」

 

「………っ」

 

「『ここ最近の女王はどこか儚げで、お淑やかな……』とか『その微笑は雨に打たれた花のように麗しくなられて……』などと噂をよく耳にしますが―――実際のところは単にやる気がなくなっているだけでしょう。能力など使わずとも見れば分かります」

 

 冷凍状態になったこちらに、先輩は微笑む。彼女のそれは理知的で穏やかな微笑みなのだが、今の自分にはその笑みが黒いモノとして映っている。

 だけど、彼女が厄介なところはそこではない。

 

「となれば、自虐的なセリフが出てくるほど調子狂ってる後輩に、先輩としてやる気スイッチを探して押してあげたいところです」

 

 ぐりぐり~、と指圧されて柔軟に解されていく身体。

 

 彼女は自分の“素肌と接触している”。

 

 賢い人間ならば、まず自分とは距離を置く当たり前の定石(常識)を破っている。

 道具(リモコン)がなくても、いいや道具という制限(ルール)がないからこそ、感情の真偽くらいの判別は、肌で温冷を覚えるよりも容易い。

 

「……んんぅ~? 今、私何か云ったかしらぁ? 私の記憶力に全然覚えがないわねぇ、じゃあ、きっと寝言だったんじゃない?」

 

「うっかりこぼしてしまう寝言って結構本音です。とぼけるならもっと上手に」

 

「~~~っ」

 

 あの鈍感な少年と同じ血を引いているのか? と今なら本気で疑える。

 精神操作してやりたいところだが、至極厄介なことにこの異様に観と勘の良い先輩に同じ方法は二度も通じることはよっぽど隙をつかない限りは不可能で。

 となれば、『沈黙は金。雄弁は銀』に倣って余計な発言は控えるべき。

 つまりは興味を失うまで目を瞑り、口も閉ざすスリープモードでやり過ごそう。

 

 熱が染み込んでくるにつれて、頬は朱に染まってきた。腹黒いくせにこちらに向けられる黒さ()のない感情が、物理的な温度に変換されてると勘違いする前に、しばらくうつ伏せの体勢でいようと彼女が思う。これ以上の弱みは握らせるわけにはいかないのに、どこか甘やかな安心感に強張りが少し少し溶けそうになってくる。

 

「精神干渉なら何でもござれな超能力ですが、『人の体内環境に特化した水分調整能力』と見方を変えてみれば、女性ホルモンを制御して望み通りのスタイルにする、なんて素敵な利用法が思い浮かびます。ベット下に大量の通販グッズを抱え込んでいる私のルームメイトが大変切望している『豊胸道具(バストアッパー)』の開発でもできるんじゃないんでしょうか?」

 

 やけに自信ありげに、実験したげに先輩は、瞳の中に星を飛ばしていそうな有様だったが、こちらは呆れ急速に火照りが覚める思いだった。

 第五位専属の才能工房(あそこ)にいた研究者たちでは考えられない超能力(Level5)の利用法であった。

 確かに、偉人の製造や支配よりは、悩める乙女たちが多い一般大衆にはスーパーエステの方が需要力はありそうではある……が、天才力を最も無駄遣いしてる発想で―――

 

「―――つまり、治療に役立ちます。体内環境を調整する分泌系、血圧や血糖も、あなたの能力は干渉する。病は気からなんて言いますが、気は心、そして心の分野はあなたの超能力の独壇場。生まれつき身体の弱い、生活維持器官系に異常を抱えている人でも、器具薬剤に頼らずに生活ができるようになるのかもしれません」

 

 あちらはこれまでの世間話と同じ調子ではあっても、するりと頭の中に入ってきたその可能性にこちらは冗談と聞き流すとはいかなかった。

 

『彼女は生まれつきある病に冒されていてね。体に埋め込まれた機器がないと生きていけないの』

 

 会話に参加せず意地でも閉口を貫いている姿勢を貫くのが方針だったが、もっとその案を追求し掘り下げさせるべきか思案したところ―――を、読まれたか。

 

「私は可能性を語っただけで実用についてはまだ思いついてません」

 

 餌に食いついた獲物を釣り上げようと慎重に、慎重にリールを巻き上げていくように、ゆっくりと言葉を重ねていく。

 

「とはいえ、面白い――期待しているのは本当です。その方法は各自で考える。できるできないは決めつけずにとりあえず案を出す。せっかくの女王(立場)なんだから『派閥』の子たちの論文をみてみるのもいいかもしれません。その中に組み合わせ次第では有効なものに化けるのもあるでしょう。いいですね、それで文句あります? 無いですね。優秀だからすぐ思いつくでしょう? 答え合わせの時までなかったら………」

 

 と、眠っている(フリをしてる)後輩に有無を言わさずに宿題を出す。

 ひょっとするともうその頭の中には実現するまでの方式があるのかもしれない、無いにしても本気で考えたらこの場で組み立てられるのだろうが、それを頼ったら『自分は自分で自分のことも考えられない無能』だと認めることになるので却下だ。

 ただ教えるのではなく、相手自身に考えさせるのも病的に上手い(腹黒い)、笑顔でスパルタなのに、何をさせても丸く収まる仁徳を持ってる先輩である。

 操作する側の女王でありながら、なんだかもう操縦法を掴まされてるような気がしないでもない。

 

 

アニマルカフェ

 

 

 そして、

 

『ぷふふ、可愛いウサギさんです。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、ぴょんぴょんしてもらえませんか?』

 

 見ようによっては、滑稽なその姿(コスプレ)を何度も見直して明るく笑う先輩は、どうやらご満悦のようだった。こんなに笑われたら、侮蔑されたと感じるはず、記憶消去して恥ずかしい恰好で野外放置にさせる命令してやるところなのだが、あっけにとられたものの怒りを持つことは不思議とない。

 笑み崩れる先輩が、嘲笑や侮蔑とは無縁の、ただ単純におもしろくて楽しいという気持ちをストレートに伝えてくるから、渋々ながらも罰ゲームを受け入れたんだろう。……無邪気にシャボン玉を吹かしていたあの子のように。だから、着ていた。

 

「―――も~うっ! なにがバストアッパー、うさぎぴょんぴょんよぉ~っ! 先輩はいっつも私の天才力と美貌力がどんだけ高尚なものか理解してないし、無理難題に無茶振りを笑顔で吹っ掛けてくるんだからぁ~っ! というか、勝ったら水泳免除って聞いてたけど、負けたらバイトを手伝えって聞いてないしぃ~っ! こうなったのも、あなたが妹の躾けせず、甘やかしてきたせいなんだからねぇ~っ!!」

 

 愚痴愚痴と文句を言いながらも。

 ミルクティー補給で会話ができるまで回復したウサギ娘は、(アルコールが入ってるわけではないが呑んだくれるように)舌を濡らすだけの量をちびちびと口に含むのを見て、客なのに聞き役に回ってる少年は、

 

「まあ、こうなっちまったらしょうがねぇんだし、もっと前向きに考えたらどうだ?」

 

「前向きって……たとえばどんなことよぉ」

 

「語尾に『ぴょん』なんて付けて喋ることなんて、長い人生の中で滅多にあることじゃないぞ?」

 

「いい加減にそのことを忘れないと、この店から五体満足で返さないわよ」

 

「いやいや、そんな馬鹿になんてしてないからな。でも、逆らうようなことは考えないで正解だと思うぞ。兄歴十年以上の大ベテランな当麻さんも色々な思い出があるからな。ちょっとばっかし自慢できるくらいに」

 

 失敗した。余計に機嫌をすねらせてしまったと愚兄は、同情する方向に切り替える。

 

「うん。あれは、まだ学園都市に来る前の、まだ時のこと……

 

 

 俺は冷蔵庫に2つのプリンが入っていたんだ、きっと母さんがおやつに買ってきたもんなんだが、それが美味しくてぺろりと詩歌の分も食べてしまったんだ。そして、よりにもよって当時の俺はその事実を誤魔化そうとした。

 証拠はないんだし、言わなけりゃバレないってな。

 けど、それは間違いだった。

 ああ、その報復たるや……思い出すたびにゾッとする。思えばあの頃からその片鱗はあったんだろうな……

 

 何をしたかって?

 

 詩歌はな、俺をかくれんぼに誘ったんだ。

 『おにいちゃん、隠れてー』とそんなことを妹から言われたら断れないだろ?

 

 おい、なんだよ『この時からシスコンに目覚めてたのねぇ』って、家族想いと言いなさい。

 

 でだ。話を戻すと、当時何かと妹相手に張り合っていた当麻さんは、張り切って隠れてたんだが……詩歌のヤツ、いつまで経っても探しに来ない。

 おかしいと思って隠れるのを止めて、こっちが探してみると、居間でテレビを見ながらくつろいでたんだ。

 

 『単純に探すのを忘れてたんじゃない?』って、ああ、幼少の子供ならありえる話だよな。

 

 俺もそう思って話しかけたが、詩歌の答えはこうだった……

 

『ごめんね、おにいちゃん。2つのものをいっぺんに探したから疲れちゃった。冷蔵庫に入れてあったしいかの分のプリン、どこに行ったのか知らない? あとで一緒に食べるの楽しみにしてたんだけど……』

 

 

 ……と」

 

「……心霊現象(オカルト)力ゼロなのに、なかなか肝が冷える話ねぇ」

 

「詩歌はわかってたんだよ。プリン(おやつ)を食べた犯人が誰なのか……誰も探しに来ないかくれんぼというのは、子供らしい嫌がらせだ。しかし、それが俺に与えられた罰だと理解した時、鳥肌がたったぞ」

 

 直接問い質したりはせず、何らかの形で報復する……という。

 まだ幼少のころから知略を使う。その事実だけでも、空恐ろしい。いくら天才美少女である自分でも――中学進学までに研究機関を乗っ取っただけで――こんなにも純粋だというのに。ああ、だからあんなに腹黒いのねと納得。

 

「まあ、それは俺が悪いんだ。おやつを取って、それを騙そうとしたんだから怒られてもしょうがない」

 

「言われてみれば兄失格よねぇ」

 

「うぐっ」

 

 ダメージを受けて胸を押さえるフリをする彼はそれで、『食べ物の、もとい女の恨みは怖い』を覚えたという。

 三つ子の魂は百までなんていうのだから、それ以降の兄妹関係にも影響を与えたのかもしれない。

 

「それで、そのあと」

 

「先輩は怒らせると怖いって話じゃないのぉ?」

 

「ああ、それもあるんだが……

 

 

 居間でテレビを見ていた詩歌は事のついでのように『あ、おにいちゃんみっけ』と、それから立ち呆けてる兄の手に握りしめて、『じゃあ罰ゲームです』、と捕まっちまった。

 一応、妹の中ではまだかくれんぼは継続中だったみたいだな。もちろん罰ゲームなんてものも初耳だ。でも、間違いを気付かされた手前なにも言えなくてな。

 

 おい、『あー、その頃から尻に敷かれてたんですねぇ』ってそんな顔で言うんじゃありません……いやいや、当麻さんにもちゃんと兄としての威厳はありますよー。

 

 で、まあ、それで言われたんだよ。

 

『いっしょにプリン買いに行くのを付き合って。それから一緒に食べよ』

 

 いくらしっかり者な詩歌さんでも、その時はまだ父さん母さんからひとりで外に出ることは禁じられてて―――おい、オチまでの展開は読めたからもういいって、待て待て、頼むからあとちょっとだけ、こっからが初めての買い物にお手手繋いで付き合う頼れる兄のエピソードだぞ! ―――ああ、まあ、近道に先導しようしたら迷子になって逆に足を引っ張ったりもしたが……」

 

 

 ブラックなアイスコーヒーかと思ったら、じゃりじゃりと砂をかむ、飽和の限界を超えた、コーヒに砂糖を溶かしたというより砂糖をコーヒーで湿らしたというような、ゾル状、いやゲル状の物体がカップの中に威風堂々と存在していた―――そんなものに不注意にも口をつけてしまった気分。

 

 話したそうにしていたが、強引にぶった切った。大抵の人間にとって、甘いものは好物だが、甘い話は自分関連を除いてイラッとくるもの。イチャイチャされるのもそうだが、さらに惚気話まで聴かされたら――たとえそれが兄妹の仲良しこよしのほっこり温まるエピソードでも――あまりの胸焼けでもう一度トレイで引っ叩いてしまいそうである。

 

「……アイツは、大事なモノに対する執着が、強い。

 進学先だってそうだ。あれだけの才能があるんだ。どこへだって進学できて好きな分野に浸れんだろ。これは兄の贔屓目じゃねぇぞ。アイツがずっとそばにいたおかげで、どんな天才超人相手だろうと必要以上にビビらなくて済む。たとえ超能力者(Level5)比較対象(あいて)でもな」

 

 この少年の中で、先輩()の株が一番であるのはわかってる。覗く気はないが覗けば頭の中には四六時中彼女のことを考えているだろう。まあ、その馬鹿兄自慢話に共感もできなくもないが、おかげでこちらは苦労してる。せっかく男女二人っきり、それも美少女(断言)をひとり占めしているという状況なのに、他の女の子の話をするのは、いくら家族の話でも乙女心の理解力は赤点なはず………なのに、“唯一の合格者”なのだから自分で自分の採点基準が甘いのか厳しいのかわからなくなる。

 

「だけど、最初、詩歌は俺と同じ中学(トコ)に行こうとしていた。たぶん、いやきっと、俺の後を追ってな。だが、あの器に対して、そこでは小さ過ぎる。そんなことは、詩歌自身も端から気付いてたはずだ……もしも俺の分まで才能ってのを持ってんなら余計に遠慮なんてしないでほしかった」

 

 付き合いとかではなく、頷く。

 やれば何でもできる……という普通ならいささか誇張が過ぎるような文句でも彼女には自然と馴染む。

 たとえ初めての経験であっても、やればそれなりの結果を残せて、苦手な分野がこれといってない。

 一年同じ校舎を共にした彼女の同級(二年)先輩(三年)らに言わせれば、『どこか浮世離れしてる』とか『別格で底知れない』とか『自分達と視点が違う』とか―――

 下手をするとオカルトじみていると思える噂も多く、そんな人間が超能力者以外にいるものなのかと少しだけ驚いたりもした。

 と、そこで頭を下げられた。

 

「だから、理由は何であれ心変わりして常盤台()に行ってくれたのは嬉しかった。少しも寂しくないと言ったらウソになるが、こうして遠慮することなく後輩と二人で楽しんでるのを見れるのが兄としては一番なんだ。

 最近なんか、同じ学校に通ってるのに幼馴染が反抗期に入った~とかで寂しがってたからな」

 

 その幼馴染には会うたびによくつっかかれたりしてるのだけど、主に先輩に関して。

 『アンタ私の幼馴染に変なことしてないでしょうね?』とか『昨日一緒にいたらしいけど何してたの?』とか『この前身体検査(システムスキャン)……あの人、私のことで何か言ってた?』……

 反抗期だか一人立ちだか知らないけど彼女自身から距離置こうとしてるのに、心配して心配して気になってしょうがないと能力で見なくても顔でわかるくらいなのだから、“あの子”と同じDNAだというのにあまりに不器用過ぎて、性格は遺伝しないものであると常々思わされる。

 おかげで『超能力者二人がとあるお姉様を奪い合ってる』なんて痴情ではなく事情がもつれてる三角関係な噂話が出てくるし(実際は『後輩二人がとある先輩に引っ張り回されてる』というのが正しい)。

 

「なぁに? 私はその幼馴染の代わりなわけぇ?」

 

 思い出したらつい、“誰かの代役をしてた記憶”なんて余計なものまで引っ張られて、ついツンケンと反応を返してしまい、

 

「いや、別にそんなつもりじゃ」

 

「ふんっ、そんなつもりがなくてももしかしたら無意識に操ってるかもしれないわよぉ? なんせ、心を操る超能力者である私ってば『疫病神』―――」

 

 

 あ

 

 

 血が凍った。

 息が絶えた。

 体が震えた。

 これまで歩んできた人生において無暗に吹聴できない不幸な出来事は、確かに幾つかあった。

 “あの子”のこと。

 『行き止まり(デットロック)』のこと。

 後者においては彼もご存知の通りというか、不幸に巻きこんでしまっている。

 結果としては、現状を思う限り、それらの不幸に対して前向き(ポジティブ)に取り組めていると思う。無論、現在進行形で後悔の念を覚えていることもあるし、こうして口にしてしまった事実は今も引き摺っている証拠でも、一度は何もかもなかったことにしようかと馬鹿なことを考えたりもしたが、そう後ろ向き(ネガティブ)はやめようと気を付けるようにはなっている。

 

 しかし今のは失言か。

 親しくなったと思える間柄でも踏み込んでいい場所とダメな場所の区別をつけれないというのは心をよく知る精神系能力者としてもそうだが、人としてもやってはいけない事である。

 一番最初に先輩からの縁でこの少年を探ろうとした時、『過去』について知ってしまっていたのに。

 その幼馴染の超能力者の顔がどうしようもなく“あの子”に似てたり、こうやって先輩が無警戒に引っ張り回されたりするのが“あの子”に重なったり、この前の一件で、“あの子”の、誰かの代役を無意識に欲していたのは自分の方なのかもしれないと考えたりしてても理由にはならない。

 いくら彼の心には干渉しないという誓い立てしても、こんな子供でも分かるような地雷に引っ掛かるなんて、ドジでは済まされまい。

 『消去』なんてやり方はこの少年には通じない。

 どうしよう、というその思考が頭の中に繰り返し(リフレイン)し、

 

 

「ほい」

 

 

 適当な声とともに放たれたデコピンが空回りしていた思考を止めた。

 あいた、と思わず額を両手で押さえ、痛みを止めるかのようなポーズをとるが無駄である。

 条件反射で下手人へ視線を向けるとそこにあるのは少し首元の引き攣った呆れが似合う表情。おまけして溜息も吐いてる。

 

「何いきなり自爆してんだお前。まだあいつらに言われた得体の知れない陰謀論なんか気にしてんのか」

 

「え、あ、う……」

 

「そこで『『疫病神』なんてネガティブなアビリティがパーフェクトな女王様のステータスにあるわけないでしょぉ』って答えんのがお前だろ」

 

 下手な声真似して苦笑する彼を見て自分はどんな表情を浮かべればいいのか思考は保留してるが、現状のままでは二度目のおまけの溜息を吐かせる表情である。

 

「……ほんっとうに、あなたの思慮力って能天気。だから、心ない言葉力をぶつけられるのかしら?」

 

「当麻さん、そんなひどいこと言ったか?」

 

「言葉力のナイフが胸を抉るわぁ。まあ、あなたが妹以外には適当なのはわかりきってることだけどぉ~」

 

「いや、そこまで言われるほど無神経じゃないと思うんでせうが」

 

「今だって、どうせあなたの頭の中は先輩のことで7割くらい占められてるんでしょぉ?」

 

「多過ぎる……いくらお兄ちゃんでもそこまでじゃないぞ。せいぜい6割くらいだ」

 

「それにしたって話半分すらいってないじゃない。はあ、あなたと話してると真剣に悩んでも馬鹿馬鹿しくなるけど……いいわ」

 

「なんか諦められてる?」

 

「別にいいのよ。わたしは全力でわがままを通したいし、全力で甘やかしてほしいけど―――わたしを可哀想だと思わないでほしいのよねぇ、特にあなた達には」

 

 言って、自分の腕枕に左頬をつけるようにうつ伏せる。

 少年が見えない角度で、くすり、と―――

 

「まあ、あれからまだ一週間も経ってねーんだし、気にしたり悩んだりしてんのはしょうがねぇけど、安心しろ。残念ながら、こうやってペースに付き合わされてる時点で詩歌の方が上手(うわて)だ。俺の優しいかしこい妹は『疫病神』だろうと他人を見捨てたりはしない。可愛い後輩ならなおさらな。

 

 ―――それに能力が通用しない俺も、食蜂のこと結構好きだし、たとえ今この時騙されていても、良い幻想(ユメ)が見れたと思うぞ」

 

 余裕ある態度で聞き流そうとして、その最後の方の文句に思わず腕枕からずり落ちるように頭で机ドン。

 野球で、いきなり不意打ちのような牽制球にランナーが驚いて戻るも、慌ててすっ転んで頭から塁に叩きつけて衝撃と羞恥の二重に悶え打つような感じだが、牽制球を投げた当のピッチャーは何でもない顔でプレイを続行している。

 

「詩歌も、よく中々先輩の言うことを聴かない後輩だって愚痴ってたりしてるけど、強力すぎて能力の制限をしないといけないもんだからって心配してんだぞ。多分このバイトもお前の………」

 

 途中から何か話題が変わった気がするが聴こえない(どうせ先輩()関連だろう)、俯き下を向いていたおでこは、煙を拭きながら墜落するようにテーブルに接着したままを維持する。

 

「………でも、こういう世話焼きな性格のって将来的にダメ男に引っ掛かりそうだし、そういう輩が近づこうものなら厳重に注意を……おい、どうしてトレイをこっちに盾にして(向けて)、突っ伏してんの?」

 

 今更。

 

「鏡の代わりよぉ……」

 

 あん? と首を傾げられるが、それを言うだけで疲れ切ったようにまたうつ伏せている。この兄妹二人は付き合うだけで疲れる。そう、この妹のことで頭がいっぱいな愚兄が自分に好きだといってもそれは人としてであり、そんなつもりは一切ないんだろう。ええ、わかっていた。一瞬だって期待してない。だから、うつ伏せなのは、けして、火照った頬が中々冷まさないからではない。

 トレイ(そこ)に反射して、映された背後の光景一面は、白と黒の―――偽物(コスプレ)でも、チェシャ猫でもない、本物(リアル)な方の……

 

「も、もしもしそこの、店員さん?」

 

「今は休憩中よぉ」

 

「そういうセリフはちょっとでも勤労した姿を見せてから言いたまえ」

 

「ふんっ、学園都市の超能力者はいるだけで宣伝力があるんだからぁ」

 

「いいから起きて、後ろのヤツをリモコンぴぴっておぱらってくれませんか!?」

 

「もうなによぉ~。人にものを頼む時はどうかお願いします食蜂サマでしょ~」

 

 と言いつつ、身体を起こして、

 

 ぐる……と挨拶するように低い唸り声が発する“ソレ”と目を合わす。

 

「どうかお願いします食蜂サマ」

 

「無理」

 

「おい、小娘」

 

「ちょ、い、いくらなんでも動物系は専門外よぉ!? それにこういう時は男の人が身体を張って守るもんじゃないかしらぁ?」

 

「食蜂君、食蜂操祈君。そりゃあ当麻さん、身体の頑丈さはちょっとやそっとじゃ壊れない自信ありますけどね。それでも盾になる相手くらいは選びたいぞ。っつか、店員ならこういう時動物の気を逸らす道具を持ってんじゃねぇの」

 

「さっきも言ったけど、ずっと先輩の後をついてただけなんだし、なら私が持つ必要がないじゃない」

 

「勤労力がゼロじゃねぇか!」

 

「じゃあ、頑張ってくれたらあとでオ・ト・ナなサービスをしてあげてもいいわよぉ」

 

「無理」

 

「はぁあああっ!?!? 私じゃ不満だっていうのぉッッッ!?!?!?」

 

 騒いでる最中でも、“ソレ”はどういうわけかこちらへ真っ直ぐに接近し、少年が振り返って身構えた時には、今にも飛びかからんとする姿勢で―――

 

 

「お座り!!」

 

 

 その一喝に、ピタッ、と止まった。

 猫科でもある“ソレ”がお座りするとは、説明通りに躾が行き届いているのか、はたまた、その少女の秘め切れていない気配からか。

 ゴゴゴゴゴゴ、と地の底から効果音が聴こえてきそうなオーラを背負ったその気迫に。

 

「あ……ありがとうございますでせう、詩歌サマ」

 

「詩歌さん、頑張って休憩時間を作ろうと働いてました。せっかく来てくれた当麻さんにもてなそうと思って……

 そしたら悲鳴を上げるので急いで来たら……フフフ、少し見ない内にこんなに仲良くなるなんて、“また”お楽しみの邪魔でしたか?」

 

「お……おたのしみって……」

 

 ざわり、と空間が振動した。

 

 やはり、この『猛獣の巣窟(モンスターハウス)』で“一番”――(怖い)のは、人間であると背後に“ソレ”が来てもかかなかった汗を垂らしながら改めて実感。

 さきほどは仕事中であるから、後回しで済まされている身ではあるが、それ以上の慈悲は期待できなさそうだ。

 一見にこやかだけど、目の光は薄刃のようで、優美な流線を描く色白の両輪を縁取る艶やかな髪もまた、黒い刀のように見えた。

 そして、

 

「それとも、やはり、物理的なサービスがご所望なんですか?」

 

 ―――パニックになってて気付かなかったが、いつのまにかウサミミウェイトレスが背中にくっついていた。

 

「おい、お前……さりげなく人を盾にすんじゃないよ」

 

「この前と一緒よぉ……暑~い夏の夜に、二人で共同作業した時みたいに」

 

「待て。今回は了承してなかったぞ」

 

「こんなに可憐力ある美少女が抱きついて、その、当ててあげてるんだから、あなたみたいな男子には涙が出るくらいの役得力でしょぉ!」

 

「ああ、言われるまで当ててるのに気付かなかったくらいに慎ましやかなスタイルと陳腐の胸は涙が出るな」

 

「ほんっとうに見てなさいよぉ。一年後には号泣するくらいのナイスバディになってあげるんだからぁ!」

 

「ふふふ、食蜂操祈さん」

 

 フルネームで呼びかけられた途端、少年の陰に隠れていたウサミミは身を縮こまらせる。

 

「よく体は休めましたか?」

 

「どうかしらぁ? お兄さんったら私に構ってほしくてなかなか休ませてくれなくてぇ♪」

 

「ウソつけ、愚痴ってただけだろ……!」

 

「あら、そうですか。でも、殿方とは適度な距離をとるものだと、学校ではそう教えてるはずです。あまりそうくっつくのは女の子としてはしたないですよ」

 

「ごめんなさぁい。私の能力が通じないから怖くて、“この前の夜”と同じでついお兄さんの背中借りちゃいましたぁ♪」

 

「ほう……そう言えるようになりましたか。でも、ドラちゃんは、ほらこの通り、良い子で大人しくしてますよ?」

 

「いいえぇ~♪ その子よりも威圧力が凄く怖いのが目の前にいるわぁ、ね、お兄さん?」

 

「そこで同意を求めるんじゃないよ小娘。思わず頷きかけただろうが」

 

「だってぇ、さっき超能力者なんか目じゃないくらいにぃ―――って言ってなかったかしらぁ?」

 

「そういう意味で言ったんじゃねぇよ!? いやありませんことよ詩歌さん」

 

 愚兄を盾に隠れながら(匂い付けとも言われる動物的な所有権主張行為も兼ねて)挑発する(思い出話の鬱憤を晴らすように)後輩。

 それでも先輩は笑顔で注意。

 

「当麻さんが迷惑がっています。離れなさい、操祈さん」

 

「腰が抜けちゃって立てないわぁ」

 

「では、手を貸しましょう」

 

「このような瑣事に手を煩わせるなんて詩歌先輩を敬愛してる後輩にはとてもできないわぁ」

 

「……お兄ちゃん?」

 

「えっ、俺?」

 

 こっちに矛先(笑顔)が向いた。

 

「あー、この自意識過剰でイタイ問題児に手を焼いているのはよくわかるんだけどな。その、落ち着いて……」

 

 やばい、これはお怒りLevel3だ……っ!

 これは説教だけでは済まさず、後で、この師を得て、兄を実験台にし一年でめきめきと上達した拷問関節技(マッサージ)30分コースを覚悟する。

 どうやって宥めるべきか、愚兄は必死に頭を働かせる―――と、そこで蚊帳の外にいた“ソレ”甘えるように足元に頭を擦りつけながら、

 

 

「ガァア~オ」

 

 

「あら、ドラちゃん。もしかして遊んでほしくて飲食エリア(こっち)まで来ちゃったの?」

 

「グル、クゥ~ン」

 

 相好崩して、困った子ねー、と全然笑顔で言う。

 妹は動物好きで、実家にいた頃には隠れて猫を飼おうとしていたくらいだ。猫(科の動物)を自分の方へ呼び寄せて、楽しそうにしゃがみ込んだ。

 すらりと伸びたおみ足が折り曲げられ、あまりに魅力的過ぎる肉体に、チラチラと店内の野犬どもの目を吸い寄せる。

 

「ふふ~、それっ」

 

「グゥッ!? ンン~~~」

 

 人差し指を伸ばして、猫(科の動物)の鼻先へピタッとくっつける。そのまま指先の柔らかい部分を使って、目と目の間を縦方向になぞり始めた。

 

「触っても大丈夫なのか?」

 

「最初に説明しましたが、ここにいる皆は人に慣れてる子なので平気です。おでこから鼻先までを、そっと縦に撫でるんです」

 

「いや、場所について訊いてるんじゃなくてな。それはト」

 

「ほーら、こんな風に……」

 

「グゥ、ンム……グルウゥ……フニャア……」

 

「……意外と気持ち良さそうだな」

 

「猫の額なんて言う言葉がありますが、この狭い部分が、とっても気持ちいいみたいなんです。次は、ここ。耳を優しく摘んで、少し揉んであげると……」

 

「ガウ、グルフッ……フニャ……アァ~~~ン」

 

「……滅茶苦茶気持ち良さそうな声を出してるな。でも、虎の尾を踏むっつう言葉もあるんだぞ」

 

「こんなふさふさな尻尾とドジを踏むのは当麻さんくらいなものです。普段から頭や顎は撫でられてるけど、ここは滅多に触ってもらえないものね。気持ちいいでしょう? ほら、ほらぁ~」

 

「ハッ、ハフゥ……ウニャッ、ニャウ、ニャァ~~~~」

 

 普段から頭も顎も滅多にお触りされないだろうその猫(科の動物)は。

 すっかりメロメロにされて寝転がってしまっている。ここまでの間で、賢妹は2本の指先しか使ってない。恐るべき、猫撫でテクニックだ。

 

「……上手だな」

 

「寮の裏庭にも、よく猫が遊びに来るんです。どこを撫でたら喜ぶのか試してみたら、意外と耳がツボでした。きっと、薄いところに神経が集中してるから気持ちいいんですね」

 

 まるで動物の生体構造を分析するかのように、弱点を探り出して効率的に責めている賢妹。母さん直伝の妙な接骨術もとい関節技は人間だけの対象に限らないらしい。

 開始数秒で『モンスターハウス』の看板を背負うに相応しい“ドラちゃん”がたっていられなくなるのだから、よほど気持ちいいのだろう。その妙技と光景にごくりと唾を飲んで、

 

「グルルル~、ガフ、ガオォ~ン」

 

 さっきまでは接近に怯えてしまったが猫科の白黒大型肉食獣(ホワイトタイガー)が戯れたおかげで機嫌が上向きに修正してくれたのはありがたい。

 密かに(けど若干腰を引かせつつ)感謝の念を送ってると、

 

「はい、良い子にしてたご褒美におやつですよ」

 

 その視線に小突かれたように振り向き、

 

「ん? もしかして当麻さん―――」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『そろそろ元気になりましたし、仕事も覚えたでしょう。というわけで頑張ってきてください』

 

 と、後輩に鞭を打ってから、少女の指芸についに寝転がった白黒の巨体を陰にし。

 湿るほどではない瑞々しい草の感触と、僅かながらに後頭部を高く支える人肌に温かいふにふにと柔らかく、そして素晴らしい弾力を最高の肌触りを備えたものに耳を当ててる側頭部。

 

「体勢はきつくないですか?」

 

「ちょうど良い高さだ」

 

 普段使っている枕と同じくらいの高さで、このまま寝れたら間違いなく良い夢を見るだろう。

 そう、今、身体は横向きに倒されているのである。

 

「ふふっ、当麻さんすごく気持ち良さそうな顔してますね。それじゃあ、もっと気持ちよくしてあげますね」

 

「……は い……っ」

 

 芝生のエリアに正座した賢妹の足。何だかわからない内に連れて来られ、自ら落ちたように、それとも力が抜けたように、実際は合気の要領なんだろうが、その上に愚兄の頭をのせていると。

 確認の言葉の吐息が耳を撫でると、やがて、先端を浅い部分に入れられた耳かきが、優しい動き絶妙な力加減で耳の中の垢をほじり取り始めた

 

「う……あぁ……」

 

「痛くないですか?」

 

「いや……すごく、いいぞ……」

 

「ふふっ、声が緩んでます。何だか可愛い」

 

 兄としては悔しいが、最高だ。天にも昇るような気持ちとはまさにこのこと。柔らかくてあたたかくて……とんでもなく心地いい。気を抜くとぐっすり眠りに落ちてしまうほどの安らぎである。気持ちいいのである。

 痛いのには慣れているが、だからこそ逆にこのように快感を与えて甘やかされてしまうのに屈してしまいそうになる。

 青々とした心地いい芝生、至極丁寧な耳かき、この組み合わせは凶悪過ぎだ。……あえて突っ込まないが、伏す大型肉食獣を陰に隠れている状況も凶悪過ぎるのに間違いない。

 

「まさかいつも耳かき持ってんの?」

 

「いいえ、今日の占いでラッキーアイテムなんだそうです。ドラちゃんに構ってしまい妬いちゃった当麻さんに奉仕するのにちょうどよかったです。ふふふ、たまには占いも信じてみるもんですね」

 

「妬いてないし、っつか詩歌さんの中で兄は動物と同列なんでせうね」

 

「うーん、動物というか、当麻さんみたいな人は希少ですから、そのうちホワイトタイガー(ドラちゃん)と同じでRDB(レッドデータブック)に載るんじゃないんでしょうか」

 

「絶滅危惧種かよ!?」

 

「希少な種は、丁重にもてなしますよ………先輩として色々と後輩を元気にしてくれたことの恩返しでもありますから」

 

「あん? 何か言ったか?」

 

「……そういえば、こんな話を聞いたことがあります。イギリス人にとって、耳を掃除することは鼻の穴に指を突っ込むのと同じくらい恥ずかしいそうなんです。だから、こうして他の人から耳かきされるなんて、向こうの国では考えられないことなんでしょうね」

 

「そうかー、それはもったいないなー」

 

「動物は毛繕いで密接に寄り添い合いながら、コミュニケーションをとるといいますのに……っとと」

 

「お、おい……」

 

 前のめる気配を敏感に察したが残念ながら相手は、この恐るべきダメ男(兄)製造機。

 賢妹がもっとよく耳の中を覗き込もうとして屈み込む。そうすると、『人をダメにするソファ』以上に危険な、ふわふわとした柔らかいものが頭に接触……

 すごく気持ちいいあたたかさが上下から伝わってくる。

 流石に、変な気持にはならない。そうなるより先に、彼女の温もりが伝わってきて、どうも安心するのだ。この存在感だけは……

 

「あ、動かないで、結構な大物がもう少しで取れそうなんですから……」

 

「そんなこと言ったって……―――「ふーっ」」

 

 と優しく耳掃除しながら、息を吹きかけられる。そうやって、細かな耳垢を飛ばしているのだろう。

 しかし、耳穴の中、つまりは繊細な身体の内側をくすぐられるのは……

 

「よいしょっと……んっ、よし。取れました大きいの。ふーっ」

 

 もう一度吹きかけられる。途端、

 

「うわ、なんだか耳の中がスッキリしたぞ。普段から、気を付けてるはずなんだがな」

 

「自分でやったのでは、上手く掃除できない部分もありますよ。完全に手探りなんですもの。ところで、耳の垢が湿っているのか乾いているのかは、遺伝によって決まるらしいんですよ」

 

「メンデルの法則だっけか? 生物の教科書に載ってるやつ」

 

「正解。ちゃんと受験勉強してるみたいですね、偉い偉い。ちなみに、父さんは乾いてて、母さんは湿ってるそうですよ。……ふふふ、今確認すると当麻さんの難聴ぶりは父さんから受け継いだようですね。受け継いだのは難聴だけじゃないようですけど。

 あとは、綿棒で綺麗にして、と……」

 

 念入りに、丁寧に耳の穴を掃除され……眠くなって……気持ちよくて……もういっそ気絶した方が楽になれそうな気がしてきた。

 

「仕上げに、ふーっ。右は終わり。お次は左です」

 

「え、あ、ああ」

 

 声で、ハッとまどろんでいた意識を取り戻す。

 言われるがまま、身体を半回転させると左耳を妹に向けると、何やらいい匂いがする。それにクンクンと鼻を鳴らせば、耳掃除する手を止めて、

 

「ああ、このおやつが気になるんですね。うん、おひとついかがです?」

 

 そういって、エプロンドレスのポケットから取り出したのは見覚えのある、

 

「それってさっき虎にあげてたやつだよな。本気で動物と同列扱い? 今後のお兄ちゃんの扱いはそういう方向性なのか?」

 

「何を言いますか、これはきちんと人間が食べるものですよ」

 

 大喰いな動物に作られたせいか手の平ほどあるビスケットのようなそれを、さくさく、と小口でリスのように齧って食べてみせる。

 

「普通のペットフードじゃありません。詩歌さんがこの職業体験をやると決めてから<学舎の園>の専門店で用意した、巷でペット愛好家の間で話題にもなってる人間用のペットフードです」

 

「なんだそれ?」

 

「人間でもネコでもトラでも食べられるようにと、カロリーと添加物を控えて、かつおいしく作ってあります」

 

「何のためにあるんだそれ?」

 

「自分が食べているモノを、ペットの子と共有したい人に好評です。安いペットフードでは材料が良くない場合もありますから、人間の品質基準で作られるとかなり安心です。しかもお嬢様の舌にも合う御用達の逸品ですから当麻さんが普段買い食いしてるようなジャンクフードよりもはるかに健康的なお菓子ですね。

 まあ、百閒は一食に如かず、後は自分で味わって確かめてくださいな。―――あーん」

 

 『ひらけゴマ』的な掛け声に条件反射的に開かれた口に残った人間用ペットフードが近づかれると、ぱくっと寝ながらで姿勢とお行儀が悪いがその半分ほど持っていく。

 その舌から脳に到達した味覚情報は、さきのマタタビを与えられたトラの光景に納得するもので、ドラちゃんがこれだけいいものを食っているから大人しいのかと感想を抱いた。

 

「なるほどなー。ペットの健康に優しい上に、人間も一緒に食べられるのか。世の中、いろんなもんがあるんだなー」

 

「まあ、先ほど当麻さんが期待した人間をペットとして再教育するのにも使えるかも知れません」

 

「そういうのを聴かされるとお兄ちゃん安心できないんだよなー」

 

「冗談です。やるとしても当麻さんにしかしませんから」

 

「その特別性は喜ぶべきか微妙だぞー」

 

 と言いながら、二口目を頂き、残り全部をたいらげていた。

 彼にとってみればたとえメシマズゲテモノであろうと彼女の手から出されたものなら残さないのである。付け加えれば、若干キレの悪くなってる受け答えから察してると思われるが、今の少年の脳の回転数は睡魔と一緒に素直に三大欲求に従う本能的なところまで落ちている。

 

「眠かったら、寝てもいいですよ?」

 

 耳かきが再開し、膝枕と甘い香りに包まれて、なんだか幸せな気持ちになってくる。

 できれば、こんな時間がずっと続けばいいのにと……そんなことを思ってしまうほどに。

 瞼が、重く……

 

 …………

 

 ……

 

 こしょこしょとこそばゆい。

 ―――しかし、起こしたのは優しい妹のものではなかった。

 

「ふふ、ふふふふふ。ふふふふふふふふふふふふ………」

 

 と。

 低飛行に。

 不機嫌で。

 艶消しな。

 目覚ましな声。

 眼だけ動かして見れば、そこにリモコンを取り上げられ、給仕の仕事をするよう言われた後輩が一人。

 

 こちらが注文したわけではないし、テーブルのない芝生エリアだというのに昼食のオムライスを乗せたトレイを両手で持ちながら、『このシスコンブラコン力が異常な兄妹は、どうして目を離すとすぐに甘甘空間を作るのなのかしらぁ……』よく聞こえないが何かぼやいてるようで、しかし、この状況下でも耳掃除は継続されているせいでよく聞こえないし、首を傾けるわけにはいかない。

 

「ちぃよっとセンパ~イ?」

 

「何ですか後輩」

 

「男女との接触力は控えるべきなんじゃないかしらぁ?」

 

「血の繋がった兄妹で遠慮をする方が変ですよ」

 

「他人が食べたのを食べさせるのは行儀力どうなのぉ?」

 

「血を分けた兄妹で遠慮をする方が悲しいとは思いません」

 

「それにしても、お兄さんを甘やかしすぎじゃないですかぁ?」

 

「そうですか。いつもどおりに優しいかわいい妹が誠心誠意に労っているだけです」

 

 何やら不穏な空気を背に感じるも、頭を抱え込まれているのでわからない。ただまた矛先がこちらに向けられている気がしてならない。

 それから、頬全体が太股に触れたままのツンツン頭をより抱くようにぎゅうっと。今、視界の前面にあるのはお腹で………うん?

 頬を置いている太股の先にあるその、それは―――

 

(う……お!? これは詩歌の―――)

 

 膝枕に頬を当てたまま動かしたせいで、擦れて絶対領域の先にある鉄壁がめくれてしまっている。そして、熱した鉄板に乗せられたかと思うほど顔が一気に熱くなり、紅潮。しかし、賢妹はニコニコと意識と視線の8割ほどを後輩とのトークに向けられて、手元の感覚任せに耳掃除――それでも加減が狂わず、端の視界にて狙い定めている――しており、自らの危機に気付いていない。その場を自然に離れようとも、ガッチリと頭を押さえられて位置固定。

 

(まずい。いくら日頃から鈍感な当麻お兄ちゃんでもここで指摘するのはまずいってことはわかる。今ここで動揺して耳かきの手元が狂って鼓膜をブッつり不幸だー、に―――はい、3秒後の展開が読めましたー。しかし、無理やり起き上がろうとすればこのツンツン髪の毛にスカートが引っ掛かって後輩の前でめくれあがってしまう可能性がある。妹の先輩力がピンチだ。それにもしも後輩の背後に客の野郎も見ていたら、ソイツの眼球を早急に潰す必要があるな。いや、それだと最後に網膜が写した光景として脳内に強く印象が焼きつく恐れがある。くそったれ! ここで一番安全なルートはそのまま目を瞑って眠ったことにしてやりすごすことだが、このまま詩歌の股間に頭を埋める当麻さんの想像絵が、すごくヤバい恰好な気がしてきたぞ!? 火の中水の中森の中でも突っ込んでいけるが、これはダメだ!? よし、落ち付け落ち付いて深呼吸だ上条当麻。鼻で大きく息を吸って――匂いを嗅いでたら、何だか甘い良い臭いがして―――待て、その行為は最早変態さんじゃなかろうか? 否。当麻さんは変態さんじゃない。さっきの話に出てきた義妹のコスプレを熱望する変態シスコン頭の中もアロハな野郎と固い握手を交わす同士になる未来の可能性なんて皆無なわけであり、腹黒いと言われながらも真っ白な絶景を絶対に見ない見てない見せないわけでありまして、万が一にも大変なことをしてしまったらアウトなので、この危険地帯を早く脱出したいわけであります。つまり――――何でもいいから早くこの幻想をぶち殺してください!!!)

 

 そうして、限界まで呼吸を止めたりなんだなんだとあって、耳掃除が終わり起き上がると、『ええ、飴と鞭のギャップ力のせいで、この鈍感力は耐性付き過ぎてんじゃないかしらぁ。この前の間接……だって無反応だし、でも次に会ったら……って決めてた。いいわぁ。こうなったら私だってやってやるわよぉ!』と眼にやけっぱちな光が―――

 

「この私が、あなたに特別に出血大サービスしてあげるわぁ!」

 

 ドンッ、とトレイを芝生の上に置くと。

 腰に巻いたエプロンドレスのポケットから取り出したケチャップを片手に、オムライスの上に“LIKE”ではない、想いを綴った―――

 

 

相談室

 

 

『“ヨロヘフ”? ……いや、何か字が汚いが“ヨロしく”って読むのか。そうか、おう、こっちからも“よろしく”な―――ぶぼっ!?』

 

 

 慣れない真似をしたせいか見せる向きを間違ったのもあったし、感情任せに書き殴ったせいでもあったし、何よりもその少年がどこまでも“馬鹿”だったのを失念していたのもあった。

 しかし、“それ”は人生初だというのに、あんな間抜けな失敗はないだろう。おかげで以後――『現在』まで引き摺るような、“それ”がし難くなったという半トラウマ的なものを負ってしまった。

 思わず、パイ投げではない、オム(ライス)投げを思いっきりぶちかまして絵的に顔面血まみれ状態にしてしまったが、こちらの意図を正しく理解していた先輩はあまり強くは咎めはせず、『帰ったら、英語の勉強をしましょうか』と愚兄の顔を拭いながら言っていた。

 

 そうして、身内の知り合いというポジションをなあなあで続けて―――“もうひとりの自分”との遭遇や“あの子”の一件が一区切りついてないことを知り、それに取り掛かっている合間にも二人は様々な事件に巻き込まれて………“大きな怪我”をした彼の喪失とその先輩の献身を知り………結局、何も返せないまま今がある。

 

 全部覚えている。

 あの人生初の失敗でも、自分にとっては綺麗な思い出は宝石箱に大事にしまうように記憶している。

 主なき“相談役の椅子”に腰深く、安楽椅子探偵な気分で座りながら、ふと、ほんの少しだけ、その煌めきを懐かしむ。

 

「ふふっ、中々の座り心地じゃない☆」

 

 ほとんど彼女の私室と化して、健気な後輩が足繁く通い、外に出ている間はよろしく、と鍵を預かってる。

 その中で、一人掛けの黒い革が張られた見るからに高級そうな椅子。実際、学生が使うにしては備品にしてはかなりの値が張るものだと聞いているこの椅子は、この学校の理事長からこの部屋の主の働き(二年前のお孫さんの事件解決)に感謝の印として贈られたもので、『自分ルール』の縛りは特にないが普段は最大派閥の長さえも座ることはしない一種の聖域。

 

『実はここ、冬に嬉しい湯たんぽ機能だけじゃなくて、ヒミツの―――』

 

 特にあたたかくやわらかな部分の革の表面を手袋を外した指先で表面をなぞる。

 いざ座ると、あれこれ細工していたのが分かり、この天才力を必要とする『秘蜜な伝言』があった。

 腹黒いことに、外へいってる間、自分がここに座ることはお見通しらしい。

 ならば、自分よりも付き合いは長い幼馴染の“もうひとり”の行動なんて、掌で転がすくらいに分かってるだろう。

 

「籠の鳥。自由に空を飛べない小鳥はそれだけで可哀想に見えるかもしれないけど、あれはあれで『最も安全かつ効率的に餌を得るための捕食プロブレム』なのよねぇ」

 

 外に出なければ、他の害獣に襲われないし、人に飼われていれば、雨風のない平穏な環境に住めて、一生飢えることはない。家畜のようにただ命令されるほうが楽だというものもいるし、自分は実験動物だと知らなかった方が幸せだったこともある。

 

「けれど、鍵を開けて籠から出てしまう“小鳥”もいる。わたしには別にどうでもいいんだけど、あの“親鳥”の方は心配でしょうねぇ、“何にも用意していない”なんて、とてもじゃないけど考えられない」

 

 『虎は千里往って千里還る』なんて言葉があるように、彼女を最もよく知る人間が『執着が強い』と評するのだから、何も予想ができず、保険を何ひとつ残さなかったということはありえない。

 “アレ”は元々は彼のためではなく、“もしもの事態になったら誰が止めても飛び出しかねない”と、ならばせめて、と『指針』として用意したものだろう。

 とはいえ、出立まで時間がなく『保険』は“最後の接続だけ不完全なまま”で、こちらに()されたのだけど。

 

「ま、やり残したことで後悔はしたくないし」

 

 この椅子で休める資格があるくらいに、きっちり仕事はした。

 先輩に乗らされた形とはいえ、彼女に彼女のために働いたなんて思われるのは万が一にも癪なので、あとはバイク好きな先輩をリモコンでちょいちょいお願い(操作)して、自然に彼女のもとへ届けさせた。

 

「でも、ここまでやらせて、タダ働きだったら許さないわよ」

 

 

 

つづく


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