とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

301 / 322
閑話 恋占い 後編

閑話 恋占い 後編

 

 

 

会教

 

 

「gdh■hdk■akiwm■sw■ahk■d」

 

 

 洗礼浄化は失敗したが、その失敗で何も学ばなかったわけではない

 完全に制御の手綱は放してなかった。その行動を誘導できるようなものではないが、背中を後押しするような働きはできたんだろう。

 これで上条詩歌の祈りは、上塗りされることで無効されることが―――術者が干渉するために、この異空間の外と繋がる縁、蜘蛛の糸があることが分かった。

 

(おそらく、<原典>。そう、夏休みの最終日に視覚えたあの<暦石>との縁が結ばれてる。だったら、こちらからでもその『糸』を手繰り寄せることができる……)

 

 念動力で組み上げた彼らの防衛網を背に、地面を、蹴る。

 相手は、アステカの邪神『テスカトリポカ』。

 

(たとえ、世界を滅亡させるような『神』だとしても―――カタチを成す前ならば)

 

 パキン、と。

 魔術を知るモノにしか聞こえない、硝子の割れるような音が聞こえた。

 蝋燭を模した電灯が切れ、影十字の結界が砕けた音でだった。

 

 同時、詩歌は口を開く。

 

「涙子さん、光貴さん―――澄まして」

 

 獣人と相対しながら、表情を消した。

 美しい肌と艶やかな唇が際立ち、常識外れに整い過ぎた顔立ちが、異形の人外を想起させる。

 その瞳は一切の感情をなくして、鏡面のように神を取りこむ世界の景色を映していた。

 賢妹は紡いだ。

 

 

「A―――♪」

 

 

 その面相からのも絞り込んで、自身のすべての感情を注ぎ込んだ福音の詩歌(うた)を。

 元より、人の声真似が得意な詩歌は、その鏡瞳に投影(うつ)している。

 知を届ける修道女の『助言』を。

 心を操る軍師の『話術』を。

 念を篭めた歌姫の『歌声』を。

 

 そのどれもはひとつの道を極めた超人的技巧をもった“その人”にしかできない個人唯一の技術(ワンオフアビリティ)と誇ってもいいものなのだろう。

 それでも、科学における最高峰の教育機関に勤める教師でも手に負えない学習能力のもとともなっている、他人の様態をその感情をも“我がことのように”自分自身に投影できる高い共感受性を司るミラーニューロン神経は、“その人”ごと模倣吸収できるのである。

 10年以上の研鑽から編み出された我流の対能力者護身術を技術だけならば皆伝と言われ、

 10万3000冊の魔導書を完全記憶能力で覚えてなくても、圧縮記憶法で保存していた中にその詠唱に関する1冊の情報があれば盗むことができたりする。

 

 

 これはある日のカラオケでの出来事であるが、

 

『しいか! 今の超機動少女(マジカルパワード)カナミン完璧だね! 腰の振りから手の仕草まで、声の色もばっちり私の記憶と一致してるんだよ!』

 

『おおー、詩歌さんの108の特技の内のひとつ、細か過ぎて逆に伝わらない物真似を理解できるなんて、感激ですインデックスさん』

 

『じゃじゃ、次はアリサの新曲で私とデュエットしてほしいかも!』

 

『了解です。―――ん、んんっ、『インデックスちゃん、一緒に歌おう』』

 

『アリサ! とうま、とうま! しいかがアリサだよ!』

 

『『当麻君、インデックスちゃんとふたり、当麻君のために一生懸命歌うから聴いてね?』』

 

『本当にモノマネが上手いなこの妹。声だけ聴いたら全くわかんねぇぞ。これで男性の声も真似できたら、詩歌一人いれば声優の代役が全部カバーできるんじゃねーの』

 

『『インデックス! このラブソング、想いをこめてお前に捧げるぜ』』

 

『と、とうま、いきなり何を言ってるの!?』

 

『違いますぞインデックスさん!? 今の詩歌さんだよ! あなたの完全記憶能力の中に、当麻さんそんなキザったらしいセリフ口にしてましたっけー!?』

 

『『相手が神様だろうと、可愛い女の子のためなら―――その幻想をぶち殺す!』』

 

『とうまだ!』

 

『何でだよ!? 当麻さんってお前たちの中じゃそんなキャラなのっ!?』

 

 

 そして他の要素で補填ができればさらにその再現率は100に近いものとなり、能力と魔術の併用で行われる応急治療は、それを教えたカエル顔の医者が手を施すまでもなく完治している応急手術の域まで言っており、そして、複数を組み合わせることも可能だ。

 

 <幻想御手(レベルアッパー)>は音楽ソフトでひとつのネットワークに接続させた。

 音楽プレーヤー(機械)の電子音で導き出された、その索引から望む現象を引くために、必要なのは正確な音だけで、感情は必要ない。だがそれでも、人ならば想いをこめずにいられない。

 そんなアナログな方式であるからこそ、その想いを乗せたリズムや音が人との多重的な共感をさせる。

 一時間の説教でも堪えない人間が、一分の歌声で涙を流すことがあるよう。一万の人間が、一人の歌声に心をひとつにしたことがあるよう。

 

「―――♪」

 

 瞑想状態で細く長く詠唱を響かせながら、接近する。

 左横から迫る黒煙の津波よりも速く、<風空飛弾>、三時の方向に五歩先へ足場発射―――<念動能力>、九時の方向に二歩先に長椅子の防波堤形成。

 それといった指令を出してるわけではないが、突き動かされるよう、預けた者たちは動いた。

 たとえ混乱していようと。

 たとえ消耗していようと。

 

 行き止まりに道を作り、避け切れなくても壁で守る。

 

 紡がれる詩歌に自身が思うがままと言えるほど自然に、すべて彼女を中心に、現象改変を引き起こす。

 

(わかる。まだ状況もあれが何なのかもヤバい以外全然分かんないけど)

 

 懐かしき校歌を聴いて、その故郷の情景が目蓋の裏に映るように思い浮かぶよう、異様な感覚が沸き起こる。

 

(詩歌さんはわかる。あの人は、Levelの低い能力の戦い方さえくまなく熟知している。そして、あたしにLevelの低い時から能力を熟知させてきた……!)

 

 連携練習をしたわけでもないぶっつけ本番で、ここにいる海原光貴と言う人物は名前しか知らないし、佐天涙子は特別な戦闘訓練を受けたわけでも、特別強力な能力も優れた才能もない。

 だが窮地に立たされたその時に、信じられるものを判断するだけ嗅覚はある。

 ほとんど打ち合わせなしのアドリブの連続だというのに、最適な結果をもたらすのは幸運でも奇跡でもなく、それだけ有用な経験を膨大に積み、頭の中から即座に検索活用する術を構築するだけの知性を持って、なによりも、自分らの信頼を勝ち得ている。

 

「dha■l■doed■la」

「A――♪ S-♪ K―――♪ B―――♪」

 

 その注意を引き続ける賢妹を相手しながら、長椅子等を念動力で固めて造り上げた佐天らの砦の上に、先と同じ黒煙の鉄槌が落とされる。―――縦横無尽に駆け回り相手の注意を引き続けながら賢妹の詩歌は、黒煙の鉄槌より早くに届いた。

 隙間なく揃って長椅子が壁となって、それをさらに念動力で固定硬化し、一瞬でも受け止める。

 

「―――くっ!」

 

 だが、それは一瞬だ。

 先の一撃でもあれだけの暴威を振るったそれを、人の異能が防げるわけがない。

 だから、長椅子の陣形は防壁といより『手』のようなもの。

 <念動能力>は遠隔でもその手で触れられる能力で、<風空飛弾>はその手で触れているものの空間を固めて噴出点を作れる能力だ。

 だから、基本、触れてなければ大気操作も噴出点設置もできない。

 

「捕った! そして―――!!」

 

 “賢妹を中継にリンクされている今”、その海原光貴が遠隔で触れている情報を元に演算を黒煙の鉄槌を含む座標を固定させて、その大気ごと黒煙を触れずに掌握し、噴出点を横に設置、空間ごと移動させ―――結果、長椅子の防壁が破壊されるより早く、スムーズに受け流された。まるで、戦士が盾を使って相手の刃を逸らしたかのように。

 

(……相変わらず、彼女は人を変える。いえ、変われる、というのを分からせるのですね)

 

 海原は、今も舞う彼女を想う。

 いくら異能の助けがあったとはいえ、少女はこの最先端科学の<開発官(デロペッパー)>の誰にも見出せなかった無能力者(Level0)の才能を引きずりだした。それはきっと、<幻想投影>だけでは成しえなかったことだろうと、海原は思う。

 努力だけでも、才能だけでも、異能だけでもできないこと。

 多くの人を見てきて、多くの人の強さを感じてきたあの少女なればこそ、できることなのだろう。

 もしも、彼女と出会えなかったら、ただ成績だけを求める大能力者でしかなかったのだろうかと思う。

 

「S――♪」

 

 かつての詩歌は0930事件で、特殊な道具によって学園都市全体を自分の身体同然に指揮した。

 しかし“<幻想投影>の覚醒を自力で起こすことができない”詩歌では、そこには届かない。百万を感じ取れる共鳴ができたとしても、二人以上との同調はできない。人の手が二つしかないよう、新たに翼でも生えない限りは、そんなに多くを接せない。

 だから、接せないまま繋げさせようと、少女は“自分を基準としたのだ”。

 相手にただ共感させて、自分自身は中心に入り込み、そこを基準として誘導することで、式の効率を最大化した。連携など一度もしたことのない彼らが合わせられるよう、誰とでも合わせられる賢妹が、共有できる制御領域の拡大(クリアランス)の調整を身体ひとつで行ってる。

 

(この身は空蝉。何にでもなれるし、何色にも染まれる)

 

 天上からの鳥瞰視点で、全体を把握しながら『上条詩歌』という人形を操るよう。

 『多人の理想を体現した象徴的偶像(ヒーロー)』を完璧に演じようと、他者からの幻想を自分だけの現実として組み込んでいるのである。

 無論、それ相応に厳しい要求はある。

 『助言』だけで素人に魔術を使わせることができる<禁書目録>とは違い、自分自身も動きながら歌い続けるという体力的な問題。期待に応えなければならないという精神的な問題。

 そして、

 

「―――」

 

 識が、希薄する。

 視界がぼんやりと霞み、自我と偶像とをコンマ秒で繰り返す。

 架空で設定した人格設定が自分ではないと知っていながらも、我として通した、矛盾を適用させるための、不可避の代償。

 その消耗と引き換えに、投影していないまま同調された佐天と海原は普段以上の力を発揮させて補助をし続ける。

 

 地面を蹴り、離れた物体に干渉する念動力がその身体を捕まえ、賢妹の望み通りに宙を舞わせる。

 

「dh「A♪」ka「P-♪」■ds■wd■dw■d「――W♪」awd」

 

 上空を取ったところに、噴出点の設置された空弾が獣人ではなく賢妹の手元に送られ――触れて――投影して――噴出点を追加――より推進力を乗算させて叩きこまれたスパイクが、先のお返しとばかりに直前の地面に落撃、そして、圧縮した大気を解放。煙が吹き飛ばされ一掃される。

 

(見えた―――!)

 

 声ならぬ声で、詩歌が笑う。

 煙に塗れていた『核』の位置を改めて確認した。

 

 しかし、天井はすでに荒廃した黒煙の領域近く。

 触れただけで人をサルにする――『情報を貪る』魔風は、『世界ひとつを内包した少女』という『文化英雄』に匹敵する、『復讐』をも一時忘れさせるほどの極上の餌。

 

「―――■■■■■!!!!」

 

 獰猛な欲望に葛藤するように荒れ、魔導書にかろうじて繋がれた制約を破ろうと乱れながらも収束するそれはまるで、鎖に縛れてる、だが飼い馴らすには不可能な、滂沱と唾液を滴らせている野豹。

 喰らう、と舌なめずりをしながらついに獣のように貪りにかかる。

 

「―――♪」

 

 それは、歌いながら空を飛ぶ、<煙を吐く鏡>の宿敵であり、兄弟の<羽毛の蛇竜(ケツァルコアトル)>と同じ『翼あるモノ』のよう。

 刹那にも満たない一瞬、邪神が、その人にはけして届かない意を奪われたように停止したように見えたが、それは次の刹那に消え失せていた。

 だが、その刹那の狭間に、自我を浮上させながら、多人から他人に切り替え、<幻想投影>で<風空飛弾>を、『佐天涙子』を理解していた。

 

 <量子変速(シンクロトロン)>が、Level4以上とならなければ、爆発を起こせないよう。

 <空間移動(テレポート)>が、Level4以上とならなければ、自分自身を移動できないよう。

 

 Level3()は佐天一人ではまだ辿りつけない領域へ、同調して押し上げる。

 

(す、ごい……こんなやり方初めてなのに!?)

 

 天井の黒煙に周囲の空間ごと呑まれそうになった、瞬間―――詩歌は獣人の前に着地していた。

 その黒煙に一切触れずに。

 <風空飛弾>による、空間移動――『固定させた空間“を”移動させた』のだ。

 周囲を固定させて空気の繭を作り、それごと移動させる。弾を作ったのではなく、乗り物を造った。

 そして、浸食されていない空間を纏って、それを舐めるように縮小としながらも限界を突破させた爆発的な速攻は、黒煙を突き抜けて、引き寄せられて空白となった獣人の間合いに飛び込んだ詩歌は、黒煙が戻ってこないうちにと軽やかに地面を蹴り『黒鏡』へと手を伸ばした。

 同時、獣人はただ腕を振るう。

 それだけで、衝撃波を起こした。

 教会に林立する石柱さえ罅を入れて傾がせるその風圧に、瞬きひとつせず詩歌は突き進んだ。

 

(まも、る……!)

 

 固定されたその身体の物理的強度は鉄塊以上ではない。

 佐天の能力で降りてすぐ、海原が詩歌の全身に念動力を掛けて、それに触れて投影した詩歌はさらに二重に硬化させ―――

 

 

「届け!」

 

 

 絶叫が、教会に迸った。

 既に、詩歌の詠唱ではなかった。

 詩歌が、自分の全存在をのせて、言霊を未だ眠る神に叩きつけた。

 

「……っ!」

 

 そして、詩歌は『核』に触れる―――直前でまた。

 

 

 Bububu―――と着信がなる。

 

 

「―――んぐッ!」

 

 その音に、触発された。

 <原典>の縁には触れさせまいと、異常に機敏となった獣人の直接打撃に、詩歌の身体は、吹き飛ばされる。

 

「詩歌さん!?」

 

 ボールのように地面をバウンドしながら、佐天らのいる振り出しに戻され。

 脳髄まで砕き散らす絶大な衝撃を味わいながら、詩歌は“触れた感触を確かめる”。

 異能が、そのままカタチを得てしまったかのような―――どうしようもない『力』の差を、何よりも心の芯で実感する。そして、その実感とともに、張り詰めていた何かが緩んで、詩歌の身体から力が抜けていく。

 

「これで、もう……詰み、か」

 

 

???

 

 

「詰んだな」

 

 勝てはしない。

 たかがトリックを明かした程度で倒せるのなら、そんなものは神などと呼べない。

 人にはどうしようもない理不尽こそが畏怖の源なのだから。

 と。

 

「……ぬ……?」

 

 気付いた。

 ようやく完全にカタチを成し、『復讐』を実行しようとしていた<山の心臓>の動きが、止まっていた。

 ぶるぶる、と。

 歪な人外の肉体を震わせながら―――跪いた。

 

 <山の心臓>の一撃をもろに受けた筈の、“五体満足無事でいる”少女に向けて。

 

 

 そして、携帯機器を握らせていた部下が勝手に動き始める。

 

 

会教

 

 

 極度の情報量によって、一時的に目の神経もやられた。それでも、それはイメージで現実に識るに今は視界は必要ではない。

 もうすでに、絶無の集中へと入っている。巫女としてふさわしい、万物の霊を受け入れられる状態。すなわち、空と化したその内側へ呼吸するようにその縁から知識がゆっくりと染みていく。

 受け入れながら、少女はそれらを理解し、この異空間を掌握していく。

 あたかも、濾過のようだった。

 その叡智についた様々な不純物をこそぎ取り、自分の身体を通して純化させていく、そういう作業をこなしている。

 獣人の気配は動かず、やがては、視界も復活する。その薄目を開けながら、

 

「……襲ってこないでしょうね」

 

 その触れなかった携帯機器の表面には、“薄く弱い膜が貼り付けられている”。

 上条詩歌が、獣人の剛力を受けても耐えられたのは、“まだ<幻想投影>で、海原光貴との<念動能力>を同調していたからだ”。

 

(勝つつもりなんて端からない。ただ、相手の“死角”に潜り込みたかった。そのためには、私が、“知識を盗もう(知ろう)としただけで良い”。<煙を吐く鏡>はそれを守ってくれる神なのだから)

 

 タッチパネル式の操作を念力で行い、そのメールフォルダを開いて、送られてきた魔導書の情報を表示し、『念力の膜』を貼りたかったから至近に近付いた。普通に触れて調べるんじゃなくて、“盗み見(カンニング)がしたかった”。“『盗賊』を守護する神”でもある<煙を吐く鏡>の庇護下に入るために。

 

 かつて、海原光貴が行っていた<念動能力>を使った、モニタから放つ光や熱が『念力の膜』から読み取って、その内容を逆算するカンニング。

 “知識を、盗む”。

 そして、“どんな方法であれ知識を習得しようとするものならば”、<原典>はそのものを自ら進んで補助する習性だ。

 現状況はおそらく、外からの情報封鎖で繋がっているのは、その携帯機器と術者のものだけで、閉じたネットワークは『死蔵』と変わらない。だから、携帯機器に次々とその情報を転送してくれるであろう。

 上条詩歌は、図書館の主が認めるこの上ない読み手だ。<煙を吐く鏡>の呪毒はとにかく、<原典>の知毒ならば、上条詩歌は問題がない。

 それを“盗み見”している賢妹を、『盗賊』の守護神は邪魔できないし、さらにラインが繋がれてる<原典>も妨害に回る。

 

 そう、詩歌は“聴こえるのならどんな芯も震わせる”、賢妹がなろうとしていた『多人の理想を体現した象徴的偶像(ヒーロー)』は、“相手側(神様)も含まれていたのだ”。

 受胎告知と、“神の側から選ばれた”適合者のように。

 

 だから、もうこの状況は詰んでいる。

 

 Bububu Bububu Bububu Bububu………

 

(……やはり、アステカの<暦石>。それでこれは<月のウサギ>の記述ですか……)

 

 休まず読んでくれるその姿勢に、遠距離の文通相手とでも魔導書から気に入られたのか、着信は止まない。その黒い画面だった携帯機器に、輝く記号と文字が浮かび上がる。

 このまま、知識の不正取得が進めば、突破口となるだろう。

 こちらからの脱出を一度諦めたのに、状況が変われば、また取り込める姿勢は、最優の持ち味だろうか。

 

 Bubu――――

 

 途切れた。

 術者(あちら)が、盗ま(ハッキングさ)れていることに気付いた。

 相手はこれ以上の漏洩を防ぐために、接続を“物理的な手段”で遮断したんだろう。

 <原典>との接続を破壊した―――

 

 

 会教は、“反転された”。

 

 

教会

 

 

 チョコレート色の扉。

 木製の梁に支えられたアーチ型の天井。

 林立する石柱。

 列をなした長椅子。

 その間に伸びた絨毯。

 先には約櫃が置かれた祭壇。

 壁面に十字架に張り付けにされた神の子の像。

 そして、その“左側に”朗読台とオルガン。

 聖母を模るステンドグラスからは光が差し込んでいる。

 

「……帰って、これた?」

 

 そう、元通りの世界。

 詩歌、海原、佐天とその弟は日のある世界に戻った。

 

 ラインが完全に破壊され、異空間が崩壊したのだ。

 しかし、ラインが断絶したということは、“盗み見(カンニング)”ができなくなったということ。

 庇護される理由がなくなった

 

「dh■ksw■■hdl」

 

 仮面を被った獣人<山の心臓>はまだ、いた。

 接続を破棄されても、内在されてる魔力はまだ残ってるのだろう。

 

「でも、異空間が解けたということは、術式が消えたということ。もう時間と空間、運命を統べる神としての特性のない獣。ただ残留した汚染されたものが死体を動かしてるにすぎない」

 

 ピキリ、と霊装であったその獣の仮面に、罅が入り―――割れた途端に、その全身は煙となって霧散した。

 その魂を捕らえていた“神が殺されたのだ”。

 詩歌は、その煙をしばし目で触るように見上げる。

 名も知らない誰かだったが、そのステンドグラスから差し込む光に薄らんでいく煙を見れば、死んだ者の魂が天に昇ったように錯覚もできる。

 少しの自己満足を噛み締めるよう、目を瞑る。

 そして、目を開けると、

 

 名も顔もない男の背後に、煙の晴れた先に、その少年は立っていた。

 何で、ここにいるんです? なんて、今更なことはやめよう。疲れてるし、簡潔に。

 

「ただいまで――――「詩歌ちゃ~ん!」」

 

 しようと思ったら、抱きつかれた。

 

 

控え室

 

 

 ―――お姉さんは前と変わらず、とてもキレイで、不思議な瞳をしていた。

 

 

「……何してんの。チャンスだよ」

 

「……姉ちゃん……俺さ、ホントは恩返しのためじゃないんだ……ゴメン」

 

 ―――お姉さんは とても 綺麗だ。

 ―――どうして いいか わからなかった。

 ―――ここに来れば 会えると 思った。

 ―――恩返しは 後付けの理由で 何にも 考えて なかった。

 ―――会いたかった だけ。

 ―――あたた かい。

 ―――ずっと 見てい たい。

 ―――一緒にいたい。

 ―――振り 向いて 欲しい

 ―――なんだか どんどん不安に なっていった。

 

 その正体が何なのか、直前で自覚した。

 そして、直前の占いで、もう結果は解ってしまってる。

 

「だから、もういいよ。ウチに帰る」

 

 その唇からこぼれたのは、諦め。

 ノックするのを躊躇ってそのまま帰ろう―――そう下がろうとした足を、けれど佐天涙子は弟の背中に手で押さえ、一歩で立ち止まらせた。

 

「こんな時まで格好付けてんじゃないよ。恋ってのは、みっともないもん。行き着く先にゴールがあるかもわからないジェットコースターみたいなもんなんだから。占って結果が分かるようなもんじゃないよ」

 

 当たって砕けてこい、と佐天弟の背中を叩くと佐天はその戸に手をかけ、

 

「詩歌さん、責任を、取って。弟の告白を聞いてください」

 

 

 

「へ? 涙子さん? 責任? 告白?」

 

 姉ちゃん!? と押し出されて、振り向いたがピシャリ! と扉は閉まってしまった。

 向こうから押さえているのか、開けようとしてもびくともしない。閉じ込められてる。

 あちらとしては背水の陣に追い込んだつもりなのだろうか、これは押された勢いが強過ぎて水の中に落ちて溺れちゃうレベルの無茶ぶりだ。その後、これが姉を一生怨む要因となりかねないほどのショック療法だ。

 

 一方で、控え室に設えたベッドから、詩歌はきょとんとその姉弟のやり取りを見ていた。

 自然光を多く取り込む構造からか、日差しに照らされた室内。

 佐天弟が見た彼女は、その光を身体に取り込んでいるようにも見えて……

 

「ん……、状況が良くわかりませんが、あなたは涙子さんの弟さんの、笑太さん、ですよね?」

 

 こいこい、と手を招いて、

 

「そこで立ってないで。こっちにおいで。私に用なんでしょう?」

 

「う、……別に、何でも……姉ちゃんが勝手に―――」

 

 

 

 目が覚めた時。

 霧散する。

 蒸発するように。

 そのナニカは消えた。

 

 これで『未来を殺される』要因がなくなったんだ、って思った。

 

 ピキリ、と手の中の“あの騒ぎで割れて壊れた”タブレットに罅がさらに広がる音。

 

 そして、夢半ばの視界が、いつもの文字ではなく、光景で“それが勘違いだと”最後に示してくれた。

 

 

 燃え盛るように伸びる翼と。

 それを大口で喰らう巨大な顎と。

 横たわる少女と、その胸を右手で刺す男。

 

 

 あの悪魔めいたナニカを殺せてしまった。

 そう、今の悪魔めいたナニカじゃなくて、それがきっと『セイメイ様』が震えた、『お姉さんの未来を殺す要因』だ。

 

 

 

「―――」

 

 今までにない強烈な眩暈に、現実の時間感覚さえすっ飛ばされたようで。膝をついて倒れたことにも気付かなかった。

 

「大丈夫!?」

 

 ベッドから起き上がり、駆け寄ろうとする。けれど、それより早くに立ち上がった。

 伝えなきゃ、と。

 今見た光景が何であるかなんて、断片的過ぎて分からず、飲み込めずに荒い息を吐くけど、眩暈は振り払った。

 

「ご、ゴメンなさい」

 

 心配をかけさせた礼を言いながら、お姉さんを見つめる。

 こちらと視線の高さを合わせたお姉さんにその掌を額に当てられ―――すっと不思議と落ち着くと、佐天弟はぐっと、本日二度目の勇気を振り絞って、

 

「あの……詩歌お姉さん。さっきの男、お兄さん、なんだよね」

 

「ええ、良く似てないと言われますけど、あの“セクハラ野郎”は当麻さんは私の兄です。それが何か?」

 

 意外そうにしながらも答えてくれるお姉さん。その微笑が兄を語るときに、少し、嬉しそうに見える。

 

「ああ、そう言えば、聴いてましたね。何でも、正しい選択肢を予言できる『セイメイ様』ですか。さっきもそれで詩歌さんを助けようとしてくれて、ふふふ。ありがとう」

 

 小首をやや傾げお礼を言ってくれるお姉さんの仕草は、こう、顔が赤くなるよう。

 自身が向けてる感情が何なのか知り、感謝されては、もう一気に舞い上がってしまうも、今はそれよりもっと大切なことがある。

 

「その……お姉さんのお兄さんが、どんな人かわからないけど……あの。怒らないで聞いてください。お兄さんから離れないと、お姉さんは、いつか命を落とす……かもしれません」

 

「………」

 

 少しの時間。

 その少しでも凍りつくような沈黙に、お姉さんは驚いたように目を瞬きしながら、でも、けして戯言と一笑はしなかった。

 ……それは後々に、このときに初めては失恋したのだと自覚した記念の思い出となる。

 お姉さん――上条詩歌は、この予告を受け止めてから、穏やかな微笑を返してれた。

 

「そう。ありがとう、笑太君」

 

 この時の彼女の笑みを、おそらく一生忘れたくはない。

 さっきの精いっぱいの告白も、彼女のこの笑顔には到底かなわない。

 

「でもその忠告は守れないかな。私も兄に負けないくらいの兄離れのできない妹さんですから」

 

 この人は、自分が信じるものを理解してくれた上で、自分の行く先をより強く信じてる。神様のシナリオと言う運命でも、それでも自身の想いを果たせぬ方が後悔するのだから。

 その強さにきっと憧れて、焦がれて。

 すれ違ったような出会いでも、自分にとっては少しだけ大人にしてくれた、何物にも代え難い経験であった。

 

「あなたも、お姉さんは大事にね。一人でこの街に来たのだって、きっと父さん母さんが不安がるこの情勢で、学園都市でひとりの姉の様子を心配で見に来たと言うのもあったんでしょう? 今日一日付き合ってくれたお姉さんの話をしたら、両親もちょっとは寛大になってくれるかも」

 

 何もかもまるっとお見通しなお姉さんは、そっとだけどちょっと明るい選択を示唆してくれる。

 この通り、正しい道を選ぶより、選んだ道を正しくすることのほうが、実に強く信じられるものであった。

 

 

教会

 

 

 その犯人こそ捕まえられなかったが、呪いの占いアプリは、消滅。

 あの異空間に飛ばされていたこともAIM拡散力場の暴走現象のひとつと処理され、拒絶反応も通信アプリを介した無理な能力開発が原因と、言うことになった。

 功労者の花嫁は、ひどく疲れた(だけで済ませるのは大分アレだと思うが)と、ひとり施設内の休憩室で着替えついでに休んでいる(ボロボロになった衣装代は事件に巻き込んだ、と花婿が持ってくれるそうだ)。

 で、もう大半は終わっていたとはいえ、“若いものらからの返事待ちだった”今日のお見合いはお開きとなった。

 しかし、今ここに厳かな面の本職の修道女が司教よろしく十字架を背負って立っており、その前に正座してる少年を見降ろしながら、問い詰めモードの彼女は、コツコツと歯痛になりそうな音で宣教台のテーブルを叩き始めた。

 

「とうまをここに連れてこさせたくなかった理由が、よぉ~~~~っくわかったかも」

 

 穴があったら入りたい。それがマリアナ海溝並の深さだろうと構わない。

 溺れる者は藁だって掴むし、この状況から救われるとなれば、誰であっても十字教に入会するであろう。

 しかし、残念かな。

 この右手があるせいで、その神様の奇跡とやらは一生無縁なのだとか

 

「―――ねぇ、佐天さんから聞いた話だけど」

 

 室内なのに、火花が散る。

 黒煙が消えたが、代わりに黒雲が教会に充満しているよう。今の彼女の心象風景をよくあらわしており、頭から角を生やしそうになるオーラも相俟って、まさに雷様。

 

「アンタは白昼堂々と衆人環視の中、弱っていた妹に抱きついた。間違いないわね?」

 

「……………はい」

 

「それで、妹のお見合い相手の前で、その実の妹を抱きしめたまま、無理矢理、ち、誓いのキスを!」

 

「いや、その、それは直前で止めたって言うか」

 

「でも、しようとしたのは間違いないんでしょ!」

 

 この現実を否定したいところだが、できないのである。もう一度記憶喪失となりたいところであるが、今回はそうはいかない

 回線は繋がる。

 蘇る記憶―――無事に戻ってきた賢妹らを迎え、獣人の仮面をこの右手でその後頭部に触れて破壊した、あとの出来事が。

 

 

 

『詩歌ちゃ~ん! おかえりなさいのハグですよ~!』

 

 その後の展開はこんな風だった気がする。

 記憶があやふやで定かではないが、でも確かに自分の口からそんなセリフが出たのを覚えている。

 いや、最初はその顔色が懸念していたほど悪くなかったことに安堵しながら、なおも異常の兆候がないかどうか観察していた。

 ところで、仄かに桃のような甘い香りを嗅いだような、途端に、愛おしくてたまらなくなったのだ。ボワッと意識が霞みに覆われた頭で、自分が何をしようとしていたのかを忘却の彼方へ、そしてこれから何をするかも思考せず本能がままに。

 

『ちょ、ちょちょちょ!?!? そう言うのは、時間と場所を選んで……!?』

 

『心配掛けさせて、知らない野郎にホイホイついていこうとするからこうなるんだ。男はみんなオオカミなんだからな! ちゃんと行く時はお兄ちゃんに一言でも断りを入れなさーい!』

 

『光貴さんは知らない人じゃないし、当麻さんに断りいれたら絶対に断られるから面倒――って、当麻さん、何を……ダメッ―――私恥ずかしいから……っ。お願い落ち着いて、ね?』

 

 船人を惑わせるセイレーンの歌声のように甘やかで。

 雪山の吹雪の中で登山家を夢魔へと誘う雪女のごとき耽美。

 たとえるものが二つとも相手を殺す気満々な致死誘発な妖怪を選んだ意図はさておき。

 誰が見ても美少女だと疑う余地のない可愛らしい顔と、大人の女性顔負けの艶やかな特上の肢体という、二律背反をもつ少女だ。

 それが胸の中に抱きしめられて驚きながらも、詩歌のほんの少し小首を傾げながら恥ずかしげに頬を染めて、下から覗き込んでくるその顔を至近距離から直視してしまった愚兄は。

 

 ……まるで蜘蛛の糸のように細く繋がっていた兄としての理性がその瞬間、

 

 ぷっつん、と。

 

 切れてしまった―――――!!!

 

『わんわん!』

 

『お、お兄ちゃんがオオカミに!?』

 

 飼い主よりも大きな大型犬が、すんすんと匂いを嗅ぎながら覆い被さっているような図。

 その小さな体から漂う“右手で前兆を感知させるような”気配が、格段と芳醇になっていた。そして、むせかえるほど濃厚な甘い香りに、より我が忘失する。

 霊泉の甘露水にのみ与えて成熟した果実ようなこれは、“食べ頃”なのだと。

 もう、あと一歩押されてしまえば、そのまま力ずくで食らいついてしまいそうな。

 

『大丈夫!? しいk』

『詩歌さん、帰っt』

 

『え、あ、インデックスさん、美琴さん、これh――ひゃあ!?』

 

 そして、周りからの目に珍しくも慌てたように焦り出す飼い主賢妹を他所に覗き込む。

 その頬を紅潮させて、潤んだ目を見開いている。

 本当は顔を覆い隠したいかもしれないが、花嫁のヴェールはない。

 その羞恥に、かろうじて堰き止めていたの残りわずかな意識も溶かされていく。

 そうだ、今日の朝に、からかいでもOKしていたのだから、“感謝”してもいいはずだ。

 と結論に至ってる犬愚兄は、抱きしめの拘束をわずかに緩めると、右手を頤に沿うように添えて、

 

『もう、ステイ! ステイです! いったいどうしたの!? 何をするつもり!?』

 

『“感謝”に決まってんだろ?』

 

『また滅多に出さない決め顔で口説こうたって……いや、まるで何かに酔ったような―――ハッ! 呪い、もらいましたね』

 

 と、そこで賢妹は気付く。

 

『『テスカトリポカ』には、『ケツァルコアトル』のモデルとなった王を酔わせて、妹を襲わせたという伝承があるんです。それが運悪く条件に当てはまって……詳しい話は、インデックスさんに――ってそれどころじゃないし!?』

 

 詩歌は、顎に添えられた右手を両手で捕まえて、だけど、純粋な腕力では到底及ばない。

 

『お願い止めて、お兄ちゃん!!』

 

 ―――!!!!!

 その呼び掛けで、正気を少し取り戻した。

 賢妹の制止の声で、愚兄の姿勢はわずかに硬直する。

 上条当麻は、右手で触れただけで異能に異常にされたものを元に戻すことができる、神の祝福からも縁切りされた<幻想殺し>だ。

 その踏み越えてはならない一線に割り込ませる仕切り板よろしく右の掌を差しこんだ。それに愚兄の鼻頭にちょこんと触れさせ―――脳を縛る幻想を砕いた。

 

 

 

 と、そこまで思い出した。その場面を、教会に駆け付けたインデックスと美琴たちが見た。

 

「―――おのれ魔術師!」

 

「何が魔術師よこんの鬼畜野郎! アンタが妹馬鹿(ドシスコン)なのは分かってたけどねぇ、こんなやり方で見合いをぶち壊すなんて思わなかったわよ!」

 

 賢妹の幼馴染はなぜこの危険人物に協力してしまったのかを悔いるように。

 

「違う。だから、事故なんだ! 酒に酔っちゃった勢いの過ち的なものでしてね。故意でやったわけじゃないんです」

 

「ということはつまり、酔って理性の枷が外れちゃってあんな行動をしたってことは、普段から我慢していたけど実は妹を襲いたい願望があったっていいたいわけっ?」

 

「滅っ相もございません! そういう風に誘導されたんだっ! 当麻さんは、どこぞのシスコン軍曹とは違って、あんなのが眠ってる本性じゃない……ッと信じてる、信じていたい、信じさせてくれ!」

 

「これまでの罪状を数え上げる以前に、今日一日のアンタを見るだけで、全く信用度ゼロね」

 

「くっ、インデックス!」

 

 神の子の肖像を背負うインデックスに向ける。

 罪を消去するつもりはないが、せめてあれが正気ではなかったことを証明してほしい。

 

「うん。術式の破壊は一気にやらないと、別の効果を生むことがあるかも」

 

 シスコン軍曹、もとい、陰陽博士曰く、<御使堕し(エンゼルフォール)>も家ごと儀式場を破壊しなければ、より事態が悪化するような、下手をすると世界が破滅するような独創的魔法陣にレールが切り替わっていたのかもしれなかったという。

 異空間に囚われた賢妹らを救うために、慎重に見聞することを省略して片っ端から術式回路(レール)を壊していったので、そうなる可能性だってあった。無論、危険なのは<禁書目録>がチェックしていったが、『兄妹』限定の、当たる可能性が低いものは見落としてしまっても無理はない。

 『テスカトリポカ』には、千の化身(使い方)があり、その中には神通力で英雄文化神をも泥酔させられ、美しい妹『ケツァルペトラトル』と一晩を過ごし、恥ずべき行為をさせたとの伝承もある。

 剥いだ皮膚を護符にする変装術式と言い、修道女には職業差別の誹りを受けようが愚兄には、アステカ魔術にはとても良い印象は持てない。

 して、オカルトなど一切信じない電撃姫であっても、第三者からならば少しは聴くであろう。

 が、

 

「けど、それがとうまの本性でないとは全く否定できないんだよ!」

 

「うおおおおおおい何言ってんだよインデックス!」

 

「とうま。よくしいかを上に乗せて運動してるんだよ。この前も私が代わりにやるっていっても、しいかの方が良いって!」

 

「う、うううう運動!?!? 何よそれ! あ、アンタまさか本気で詩歌さんに手を出して―――」

 

「誤解すんじゃないよ中学生!? 詩歌には、ただ筋トレに付き合ってもらってるだけだ! インデックスだと支えるだけの重しにならないから断ってるんだ! お前らが思ってることは一切ないから!」

 

「そうね。確かに私が思っていた以上に、ずっと危険ね、この愚兄は」

 

「うん。今日で改めて分かったかも、とうまはほんっとうに、しいかのことになると」

 

 しかし、愚兄の訴えも空しく。

 

「「いやらしい」」

 

 言い捨てられたその感情の籠らない平坦な声に、万力付き電気椅子にでも座らせられたように全身が震わされる。

 二人の瞳から光彩が消え、代わりに『殺』という文字が透けて見える。

 不幸だああァッ!! ―――と聖母のステンドグラスに向かって絶叫して、泣きたい。

 賢妹との接し方にやけに口うるさい二人だが、一体どれほど言葉を尽くせば、常識と節度をもったお兄さんだとわかってくれるのだろうか。

 確かに今朝の女の子の日の一件を考えるとデリカシーがないのは解ってるけど、もう、そろそろこの展開を回避する術を身につけたいところ。

 このままだと本当にシスコン軍曹と同じような扱いになりそう……いや、義妹ではなく実妹なのだから、それ以上にすごい人になってしまう。

 よし、ここは一か八か試しに押してダメなら引いてみろ的な、ただ否定して守るのではなく、攻めるのだ! どうせ死ぬなら前のめりに!

 

「だいたい、“家族で”ハグするのが何でセクハラ行為扱いになってんだよ。欧米じゃ挨拶じゃねーのか」

 

「開き直ったね」

 

「インデックスだって、詩歌が両手広げて待ちのただいまポーズとったら、おかえりしいか~って留守番淋しがり屋の犬居候(いぬろう)は尻尾振って跳び付くじゃん」

 

「あれは挨拶だもん! それに尻尾振ってるのはスフィンクスで」

 

「それと同じだ。それに、危険なとこから戻ってきたんだ、感極まって“家族に”抱きついて全身で安堵しても変じゃないだろ。それほど不自然か? いいや、そんなことを恥ずかしがったり遠慮する方がおかしい」

 

 家族、というワードを強調して、日頃の一例を出して理解を得られやすいように訴える愚兄。

 この世界には、神と呼ばれるような存在がどこかにいる。ここにいる誰もが、微妙に額に青筋を立てながら、ままならない自分を抱えている。一人で救われるのは大変なのだから、早すぎることも遅すぎることもないから、人は愛について語るべきだ。

 ―――つまり、寛容さと人類愛。

 釈迦に説法みたいだが、修道女に妹と言う隣人愛の魔法について当麻の弁明を繰り出して、

 

「なあ、御坂」

 

「なによ」

 

「お前、詩歌のこと好きか?」

 

「ええ、もちろん」

 

「姉も同然か?」

 

「そりゃあ、十年以上幼馴染やって、下手したら親より世話になってる人だからね」

 

「で、風の噂で、お前と詩歌の幼馴染ペアは世間的にマイナーな方向での“姉妹”の誓いを交わしてると聴いてるんだが」

 

「? マイナーって……―――はああああぁっ!?」

 

 美琴が突然の爆弾発言でかんぜんにわやくちゃになっていた。

 

「どこの情報よ! 黒子!? まさかあの性悪女王!? それとも陽菜さん!?」

 

「同性同士のアレな関係は青髪ピアスとか一部の野郎は歓喜するだろうけど、それを知った時は思わず頭を抱えたし、当麻さんが受け入れるには、心の準備が一年以上は必要そうな案件だったぞ。正直、まだ無理だ……ゴメン」

 

「名誉棄損で火星までぶっ飛ばすわよ? 戯言を受け入れるなんて、アンタどんだけ女子高のイメージに歪み持ってんのよ! 黒子じゃあるまいし、私は、それに詩歌さんも絶対にそんな気があるはずがないじゃない!」

 

「それと同じだ。だから、危ない一線を越えかけてる、とかありえない誤解はやめろ。世界で一番だったとしても、兄と妹が恋愛関係になどなるか。常識的に考えろ」

 

 と、その言質に――ほんの少しの安堵と共に――二人は考えた。考えるだけの状況に持ち直した。

 大きな双眸は、相手の挙動を疑う野良猫のもので、ちょっとでも不穏な仕草をすれば、また警戒されるという瀬戸際と言う感じである。

 

「でも、妹の内緒のお見合いに乱入しようとするなんて、世間一般から見ても、超弩級のシスコンじゃない」

 

「いやいや、そりゃもちろん、当麻さんは詩歌のことを大事にしてますよ。だって、兄妹なんだからな。しかも親元離れた学園都市じゃ身近にいるたった一人の家族だ」

 

「うん、家族を大事にするのは自然かも」

 

「何かシスコンも過ぎると逆に評価があがる気がするわね」

 

 とにかく! と両手を合掌叩き。ここまでやってやっと広げたわずかな『隙』を見逃さず、この説教モードの勢いのまま斬り込んで、

 

「だから、もしも妹を幸せにできるんなら、当麻さんは一兄として応援してやってもいい。胴上げだってして、赤飯だって炊いてやる。式のスピーチだって請け負ってやるよ」

 

 その証言は、美琴とインデックスの瞳に少しの光を取り戻させ、

 

 

「―――それを聞いて、安心しました、お兄さん」

 

 

 そして、すぐに後悔することになった。

 

 

控室

 

 

 姉弟が出て行ったあと、『人払い』を張ってから、

 

「いいんですか?」

 

 と、詩歌は問い掛ける。

 かつて、海で遭遇した殺人鬼火野神作のイマジナリーフレンドは、通常は幼少期に起こる症状だ。

 だから、佐天涙子の弟が持っていた『セイメイ様』とは、彼の一端が際立ったもの―――ではなかった。

 詩歌が彼に触れても、その妙な予知能力の異能は見当たらない。

 つまり、本当に“いる”のである。

 

「『安倍清明の<六壬式盤>とまではいかねーでやがりますが、この身体もまあまあでやがります。そこの機械よりよっぽど合います。<妖怪>はコンクリートとか精密機械とかはノーセンキューでやがるのが今回ので身に染みてわかったんでやがります』」

 

「笑太さんのことです。お守りに宿っていたあなたの持ち主じゃないんです? その身体なら、別についていっても大丈夫だと思いましたが」

 

「『家賃代分の義理は果たしたでやがります。それに、ああいう純粋な子には『セイメイ様』のような異物は近くにいない方が正しいんです』」

 

 『正しい選択をさせる』―――それが、<狐狗狸>。

 

 『テーブルターンニング』が導入されて以来は、コインに憑依させるのが主流となったそうだが、<狐狗狸>を迎え入れる際、本来は三本の竹で受け皿を組むという。

 木に雑霊を呼び寄せる古来の憑依術式である。

 それを参照にして賢妹は、

 <幻想宿木(ミストルティン・マーカー)>、

 <幻想宝剣(レーヴァンティン・マーカー)>、

 <幻想法杖(ガンバンティン・マーカー)>、

 と三本の木で組んだ、壊れたタブレットから移植する、玉子型の木造模型<木霊>を製作し、それが今しゃべっている。

 

「ふんふむ。インデックスさんから聞いてた<魔獣>とは大分印象が異なりますね」

 

「『『セイメイ様』は<魔獣>じゃなくて<妖怪>でやがります。こことは別の世界から魂だけが流れ着いたはぐれモンでなのです』」

 

 それが売れ残りのお守りに宿り、購入した佐天家の母親の手に渡り、息子に与えられ、その彼が最近の悩みで嵌まっていた『占いアプリ』がちょうどいい霊媒としての記号があったので、乗り移って……それが壊されて、どうしようかと泣いていたところを詩歌が拾ったのである。

 

「『それに子供に憑いてちゃ、稼ぎが悪いんでやがります。恋のキューピッドとしての役目を果たして、その代金分に魂食いすることで、どうにかこの世界で存在が保てるんです』」

 

「その身体は、ショチトルさんと同じもので、生活する分ならば自動で生命力は賄えるものですけど」

 

「『この身体は確かにこれまでにないくらいフィットしてやがります。感謝してやっても良いのです』」

 

「上から目線ですねぇ。……まあ、良い子にしてたら、こちらからお小遣いとして生命力(マナ)を供給しましょう」

 

「『フヒヒ、貢物を出されちゃあ、こちらとしても受け入れる用意があるのです―――が、ヤでやがります。もっともっと大妖怪『セイメイ様』と名を馳せるんです!』」

 

「その魂食いとやらは学園都市の学生には拒絶反応を起こす危険性があるんです。あなたに助けられた礼も含めて、新しい身体を用意しましたが……もし、約束を破ったら、げんこつですよ?」

 

「『ふ、ふんッ! この『セイメイ様』がたかがゲンコツなんかに怖がると舐めてやがりますね。<妖怪>は基本的に不死身なので全然怖くないんでやがります。フヒヒ! こうなったら絶対に違反しやがります。人間に飼い馴らされるような『セイメイ様』じゃないのです』」

 

「ちなみに、わかりやすく“実演”しますと……」

 

 <狐狗狸>を入れた身体と同じ木造模型を作り、テーブルの上に置いて、

 

 

「常盤台中学秘伝『痛いの痛いのとんでけー』」

 

 

 ゴ――――ッ!!!!!!

 

 コツン☆ ではない。

 そんなか弱いイメージの欠片もない。欠片があるのは、自分と同じ形をしたものだった。

 瞬間最高速度が音越えして置いてけぼりにしている。

 そのインパクトの瞬間に発する音のエネルギーですら無駄にしない威力は、痛覚が飛んだように、何も感じない身体にする。

 無音無痛のお仕置き……………言葉にまとめると優しく見えて、きっと気持ちよくお空に飛ばしてくれるだろう。

 そして、何よりも怖いのがそれを笑顔でできるという……

 反骨の牙は、折れた。

 

「で、どうします? 何なら“実演”じゃなくて“実体験”してもいいですよ」

 

「『はい! ご主人様! セイメイちゃん、生まれ変わったようにいい子ちゃんになりやがります!!』」

 

 ごろん、と仰向けになり、服従のポーズ。

 <妖怪>といえど、動物系として順位付けはする。

 この、拳で<妖怪>を殺せそうなカリスマ(物理)。向こうの世界でも、拳骨で<妖怪>を泣かせる『<妖怪>に怖がれる体質をもった酒職人』がいたと聴いたことがある。

 躾は最初が肝心だと、幼きころ母から学んだ教訓である。

 

「よろしい。これはあなたを守るためでもあります。あまり目立つと解剖されるかもしれませんから大人しくするのが一番です。それで、あなたのお名前は?」

 

「『えっ、と、星の明かりと書いて、セイメイ(星明)でやがりますご主人様』」

 

「暗い夜の中では道標になるいい名前。では、生まれ変わった証として、これからは『ティンクル(星明かり)』と呼びましょう」

 

 テーブルの上に――逃げようとして――転がる木魚達磨を捕まえると、太ももに乗せてあすなろに抱き寄せて、

 

「では、お話をしませんか?」

 

「『恋占いでやがりますかご主人様。でしたら、道具を用意しやがれなのです』」

 

「いいえ、あなたのお話です。それから詩歌さんの話、他愛のないことでも何でも。自己紹介の次は、仲良くおしゃべりです」

 

 そう、頭(と言うか体か)を撫でられながら提案され、両目を交互に点滅した。

 

「『……今更でやがりますが、ご主人様は、こんな得体の知れない異物が怖くないんです?』」

 

 この少女は、危うい。

 禁忌との線引を誰でも肌で感じる。それを人よりも、蝕まれるくらいに敏感であるはずなのに、完全に麻痺している。草食獣が気配に神経質なのは、肉と食われないためで生き延びるためだというのに、その草食獣が肉食獣に近づく。邪神悪魔を見て、怖いと思うことができても、逃げようとは思えない。

 例えば、贄に捧げられたの亡骸なんて忌み嫌うモノも当然と“運命さえも捻じ曲げて”助けようとするように。この少女は、手を差し伸べる『基準』が広すぎる。

 それを悪癖と知っていて、なお直そうとしないのだ。でなければ、彼のやり方を否定してしまうものとなるのだから。か、それとも……

 

「そうやって相手に振りかかろうとするリスクを避けようとするのは悪くない反応だけど、独りぼっちでいようとするのは、いただけない。あなたがどんなに怖がれているものだろうと、そんなのは拒絶する理由にはならないし、存在(いる)だけで不幸になる疫病神だなんてけして思えない。

 得体の知れない未知が怖いというなら、それは知ればその障害は無くなるってことなんですから」

 

「『正体を知って、より怖くなるかもしれないのです』」

 

「そしたら、その時にまた改善点を探せばいいだけ。とかく、詩歌さんは生きるなら楽しく生きたいのに、こんな面白いあなたを、輪の中に引き込まずに見逃してしまうなんて、これほどもったいない手はないでしょう」

 

 この『伝染病』だらけの非日常で少女が体得したのは、『みんな仲良く』であった。

 して、この世界で初めての居場所となってくれた彼女の言葉が子守唄となったのか、抱き包まれながら、だんだんと点滅がゆっくりとなって、

 

「『フヒヒ、もう、おねむになりますが、ティンクルちゃんはお喋り大好きなので、起きたら覚悟しやがれです』」

 

 久しぶりに、安息の眠りについた。

 それを見て、『人払い』を外して………しばらく、またトントンと扉が叩かれた。

 

 

教会

 

 

 海原光貴の<念動能力>。触れずとも物理的な干渉をする学園都市でも代表的な能力。

 相手の能力に対し右手を前に出し、警戒しながら愚直に懐に潜り込もうとする愚兄―――とそれを先読みして、より速く動いた。

 

「セィッ……!」

 

「……ぬグッ!?」

 

 打ったのは、能力ではない、海原の放ったローキック。しかし、それに愚兄は倒れない。

 だが、それが狙い―――!

 

「……フンッ!」

 

「……っと! っぶねぇ!」

 

 その一連の流れ、愚兄は夏休みにも見たことがある。ムエタイの技だ。

 ローキックで相手の注意を下げておきながら、顔面へ肘打ち――ティー・ソーク・トロンを海原は放つが、愚兄は咄嗟に上半身だけ身を引き、それを回避する。

 

「超能力だけで荒事も出来ない男かと思いましたか」

 

 だが、逃がさない―――まだ、技は繋がっている。

 一旦下がったその間合いの距離を見計らない、念動力で浮かせてミドルに回し蹴りを放つ。

 

「……おごぉっ!!」

 

 遠心力を一点に尖らせた踵をもろに内臓に受け、身をくの字に折り、両手で腹を抱えて顎を下げた愚兄の頭を抱え込むと、海原は首相撲から顔面に膝蹴り――チャランボを叩きこむ。

 

「舐めてもらっては困りますね」

 

 海原の膝をまともに鼻にもらった愚兄は、盛大に鼻血を噴き出しながら、ダウンしかけたが、倒れない。しかし、上等。

 

「くっ……! まさか王子様が格闘技を習ってやがったとはな……」

 

「柔道にボクシングにテコンドーに合気道に、少林寺拳法にムエタイ、得物を使った剣道からフェンシング、おまけに銃火器の扱いも習得しております」

 

「この野郎! 本気じゃねぇか!」

 

 膝立ちになり、ボタボタと垂れる鼻血を拭い、ふらつく愚兄。

 それに、『応っ!』と受け答える海原。

 

「洒落や冗談で詩歌さんをもらうと言った覚えは、ないッ!」

 

 足の親指の付け根で地面を掴むがごとく、剣道で言う発想の構えに近い足位置で愚兄の攻撃に備えた―――が、

 

「ハッ! そんなんで強くなったなんて笑わせんじゃねぇ!」

 

 

 十分前。

 

 

「最大の障害かと思われたお兄さんの協力が得られるのなら、それはそれは千人力でしょうね」

 

 入ってきたのは、同年代の少年。

 その麗しい顔には喜びの笑みが浮かんでいた。

 それに対し、墓穴を掘っちまった、とでもありあり書いてありそうな苦渋な顔で上条当麻は、医務室帰りの海原光貴を見た。タイミング良く(悪く)入ってきたが、まさか盗み聞きして計っていたのか。

 だが、ここで前言撤回だと言えるはずもない。

 

「チッ」

 

 舌打ちまでは我慢できなかったが。

 『ああ、君は確か妹のお知り合いの海原君? お世話になったねー、これからもずっとお友達でいてくれよ』みたいな、一応は会った時のためにセリフを頭の中に用意してはあった。

 

「……帰るぞ。もう用がねーのにいつまでもここにいたら迷惑だからな」

 

 え、ここで帰るの!? と驚きの視線が向けられても愚兄は正座からすくっと立ち上がると、つい先ほどまでのとは一転させた雰囲気でその場を立ち去ろうとする。

 だけれど、その出入り口には、海原が待ち構えるように立っており、

 

「いいえ、今日は貸し切りですから、まだ居ても問題はありませんよ、お兄さん」

 

「………」

 

「お久しぶりですねお兄さん。挨拶に伺おうかと思っていたので、今日、お兄さんに会えなくてとても残念に思ってましたが」

 

「なあ、その気安く“お兄さん”って言ってるけど誰に向かって言ってんの?」

 

「それは、」

 

 詩歌さんのお兄さんのことですよ―――と答えるより早く、とても素っ気なく、

 

「っつか、そもそも、おたく誰?」

 

 えええーーーっ!?!? その反応はいくら何でもないわよ!?!? と見守る聴衆は心中で叫ぶ。

 あの愚兄は、まったく興味も眼中もないって態度を取ってるつもりなんだろうが、それをメンチ切りながら言ってるのではとても効果が薄いと思われる。

 そのまま二人を置いてすれ違ったところで、教会の門がひとりでに閉じた。

 

「すみません、こうでもしなければ話を聞いて頂くことすら叶わないとの判断から、無礼を承知でお邪魔させていただきました」

 

 念動力だ。そうとわかれば、この右手で普通に開けられる。しかし、だ。

 

「あー、山原さん、だっけ?」

 

「3年前にご挨拶に伺ったことがあるのですが」

 

「3年前のことなんてとっくに忘れても仕方ないだろ」

 

 名前を間違らわれても、笑顔を崩さず、

 

「そうですか。なら、改めまして、自己紹介を。海原光貴と申します」

 

「そうか。じゃあ、話は終わりだな」

 

「―――詩歌さんを私に下さい」

 

 美琴とインデックスが鳥肌が立つほどの寒気に身震いする。その言葉に、教会内の空気は一変した。

 彼女らの視線の先では、あの愚兄が底冷えのする笑みをひくつかせている。

 

「おい……会話の流れを無視してんじゃねーよ。空気読んでくねぇか」

 

「ゆっくり話を聞いてもらえる空気にはなりそうにないので、せめて大事な話はと……」

 

「ざけてんじゃねぇぞ。大事な妹を寄越せってなんて、冗談で許せるような文句だと思ってんの?」

 

 まだ、直接危害を加えたわけではないが、ただ冷え冷えとした眼差しを向けるだけでも命が削られていくような錯覚を覚えるだろう。

 そう、それはただ温度的な冷たさではない、研ぎ澄まされた刃の、生命を奪うような冷たさだ。

 先ほどまでは圧していた立場であったが、今は逆に美琴らの方が割れ知らず、生唾を呑み込んだ。

 

「では本気なのでもう一度―――詩歌さんを私に下さい」

 

 そんな一声もかけられない状況下で、いった。

 これは必死に我慢してるも着火寸前の危険物を抑えるより、そこに近付くのを止めるかどうかの判断に迷う。

 とりあえず、このままはまずい。暴力沙汰は勘弁してほしい。

 美琴は携帯電話を取り出す、も……

 

「……仏の顔の三度までって知ってるよな?」

 

「詩歌さんを、私に下さい」

 

 間に合わないかもしれない。

 もう、誰にでも止められないところまで来てしまっている。

 

「……そうか。空耳でも聴き間違いってわけでもねーのか」

 

「ええ、もちろんですお兄さん」

 

 海原はあっさりとそう頷いて、邪気の欠片も感じさせずに淀みなく答える。ようやく分かったことだが、才能に溢れ努力も怠らない万能超人で、しかもこの緊迫した修羅場と化した状況下で穏やかな微笑みをたたえられる王子様は随分と“()い性格”をしている。

 苛立つくらいに共通点が多い。昔の憧れの人物を目標とするようにそう意識したからだろう。……なんて、『優しいかわいい誰かさん』に聴かれたら怖いようなことを考えながら、

 

「同年代の野郎に、お兄さんと呼ばれる筋合いはねーんだが」

 

「なら、どうすれば“お兄さん”と呼ばせてもらえるのでしょうか?」

 

「んなの、上条さんで十分だろ」

 

 ふと、今の自分がどんな顔をしているかと愚兄は気になったが、ここに鏡はない。ただ、相手が笑っているのを見ると、意地でもこちらも余裕を崩したくなくなる。そうして、逆睨めっこといったように、笑えなくなった方が負けだとでもいつのまにか取り決められている。

 

「どうすれば、認めてもらいますか?」

 

 別に海原光貴は上条当麻を『お兄さん』と呼びたいわけではない。

 ちゃんとその言葉の意味を読み取っていながら、上条当麻は思う。

 記憶喪失で、実際のエピソードは失っているが。

 その後に、知識で知ってる。

 <禁書目録>を巡る、一人の少女と、多くの主人公になれなかった者たち―――上条当麻なんかというぽっと出のヤツに奪われてしまった者たち。

 そんな彼らが見れば、主人公を譲るべきなのに譲れない、妹離れのできない今の愚兄はどう思われるか。

 だが。

 この不幸だらけで何があるかわからない世の中で、彼女を失う段になってからようやく、ああしておけばと悔いることだけは絶対に避けなければならない。

 ここで後で悔いるような妥協して、前言撤回だけはしない。

 

「……まず、詩歌を助けようとしてくれたのは礼を言う」

 

 そう言って、一度頭を下げる。しかし、頭を下げるのはそれが最後だ。

 

「けど、詩歌だから助けようとでも思ったのか」

 

「はい。上条詩歌だから私は助けたいんです」

 

「そうか。俺は“誰にでも”余計な御世話を焼きたがる人間だ」

 

 いつもどおりに最初の一歩からまっすぐに前を、

 

「でもな、詩歌は“誰にでも”という相手じゃない。詩歌じゃなくても助けるだろうから、詩歌だから助けたい、とは理由にならない。そして、困ってないやつを助けようとは思えない。正直、自慢の妹が、兄の手を煩わせるほど困ってる問題はそうないからな」

 

 いつもと違うことに二の足を踏んで、

 

「それでもお呼びでもないのにここに来たってことは、単純に近くにいたいってだけだ。これは『過保護』じゃなくて、足引っ張ってでも主人公(ヒーロー)役を手放したくないっつう醜い『保護欲』だ。認める」

 

 でも三歩目を進めば振り返らないだけの勢いがついた。

 

 ふっ切ったともいえる。

 偽善(わがまま)なのは解ってる。自身の想いを押しつけているだけなのだ。でも、愚兄は結局、がりがりと歪に削れて正体を留めなくなったとしても、強引にそれを押し通す生き方しか知らない。

 堰が外れたかのよう、自身の意思に正直に愚兄は口走る。

 

「確かに詩歌は、心配すんのがアホらしく思えるほど出来た人間だよ。そんなのは誰よりも思い知ってる。

 だから、天体観測の時に、詩歌のやりたいようにやれよっつって応援して、飛び出させた。いつまでも妹の足を引っ張る枷でいるのは嫌だったし、いつかは兄離れさせねぇといけねぇってのはわかってたからな。

 

 だけどな、それで安心して見守ってやれるほど俺はできた人間じゃねぇんだよ。

 

 お前は、顔もいいし、家柄もいいし、才能も性格もいいかもしれない、文句のつけようがねぇヤツなのかもしれねぇが、面白くねぇよ。

 ああ、心配で心配でしょうがねぇ、だったら、最初っからかっこつけんじゃねぇって言われても、みっともねぇくらいにどうしようもねぇ兄にはな。

 結局な。俺は心配すんのがアホらしく思えるほど自慢の妹を、心配しちまうバカなんだよ」

 

 しん―――波が引いたように静まりかえる。

 誰も、何も、言わない。笑うものは、いない。

 白状して、いくらか熱も吐き出しても、一度火がついたからにはまだ足りないとばかりに。

 

「俺は、詩歌の兄だといった。―――そして、世界で一番大事だといった」

 

 悪い、とは思った。だが、あとで妹に怒られようが構わなかった。

 

「俺は、誰よりも詩歌を大切にする。だから、俺より弱い奴には絶対に詩歌を渡さない」

 

 対峙する。

 もはや、こうなった以上、相手を黙らせる方法は昔からひとつだ。

 

「負けたら、今日のお見合い()はなかったことにしろ」

 

「だったら、私があなたを倒せれば、認めてくれるんですね」

 

「ああ、そうだ」

 

 実力で相手を撃破する。

 

「だが残念だったな。上条当麻は、上条詩歌にとっての最強だ」

 

 

控え室

 

 

 辺りが夕闇に沈みかけた頃

 思いっきり呆れたという意味での溜息がこぼれる。

 

「何してんですか、ホントに」

 

「バカやったんだよ、悪いか」

 

「悪いです」

 

 ベットにまだ身体を預けながらも上半身を起こし、カエル印の応急処置セットを脇のサイドテーブルに広げて、横の椅子に座らせながらもこちらから顔を背けようとする愚兄の頭を掴み、無理やり前を向かせて詩歌と真正面で見つめ合わせる。

 そして眉をしかめる。賢妹が怒るのも当然。

 当麻の顔は、何ヶ所も腫れ上がっていたのだ。青く鬱血、あるいは赤く腫れて、唇は切れ、鼻血の痕も見える。格闘技の心得もある詩歌には、どれも見覚えがあるもので、ほとんど打撃、それも強烈な打撃によってできた怪我だ。

 賢妹のご機嫌斜めが急角度となっていくのに、当麻は開き直って笑うことにした。全く大したことがない、とでも言うように笑って見せる。表情を動かすと痛むが、そこは我慢して。

 

「平気なんかじゃないでしょう、バカ」

 

「そうだ、バカやったんだ。だから、別に詩歌が気に病むことじゃねーだろ」

 

「私のせいで当麻さんが怪我をして、私が気にしない人間だと思ったんですか」

 

 もちろん、そうは思わない。

 それでも、自分があのとき思いついたのがこれしかなかった。

 逆睨めっこ。笑えなくなったら負けだと勝手に自分だけのルールを決めていた。

 要するに、御坂美琴と一緒だ。

 勝負を受けた。だが、“一発もやり返さない”。どんなに殴られようが、どんなに蹴られようが、どんなに投げられようが。ずっと我慢して、相手が諦めるまで耐えた。

 ここで相手に怪我でもさせて、その両親に不快な印象を与えては、今日一日の妹の努力が無駄になる。“一番に大切にする”と啖呵を切った以上、そうさせるわけにはいかないと。

 それは海原光貴のプライドを著しく害したが、そんなことなど愚兄は気にしない。悔しかったら手を出させてみろと逆に挑発した。それに初めて笑みを消させることに成功したのだ。

 

『……いい、でしょう。卑怯も何もない……だが、私と言う男の意地を認めてもらうために……あなたを、殺す気で、倒して見せよう……!』

 

 心が折れなければ、喧嘩は負けではない。

 そして、意地のぶつかり合いだ。その後に教会内は“改修工事が必要となるほど”荒れたが、当麻は倒れなかった。一度も。そして、その間、インデックスと美琴は見ていた。その勝負を力ずくでも止める、止められないにしてもこの場を止められそうな人を呼びに行くとか、そんな横槍を差すような真似はしない、どちらの応援もしない、何も言わずに見ていた。見ていてくれた。もしかすると、二人にあまり無様な姿を晒すわけにはいかないという意地も体を支える要因になったかもしれない。

 して、結果は、海原の方が先に崩れた。あの時点で、今日の一件で受けた呪毒のダメージがまだ抜けきっていなかったのだ。本当なら、今日一日は安静にしてなくちゃダメだったと後で知った。相手が本調子でなかったとはいえ、これで終わりだ。疲れ切った当麻はそのすぐに倒れて、救護室ではなく、ここへ運ばれたわけである。その去り際に、

 

『私の、負けです。ええ、今日の話はなかったこととしましょう』

 

 ただし、

 

『つまり、今日、“二度目もフラれたことがなくなった”ということですから、“もう一度、二度目の告白ができるチャンスがもらえた”ということですね』

 

 鏡を見れば、『骨折り損のくたびれ儲け』という言葉がこれ以上に似合う男はいないだろう。そういえば、あの事件が起こる前の密室で詩歌と海原がどんなことを話し合ったのかを知らずに、そもそも婚約するなんて聞いていない。『お義兄さん(お兄さん)』なんて言うから、想像で補って勝手に決めつけていたのだが、もう後の祭り。賢妹がせっかく断ったというのに、愚兄はフラれた男にまたの機会をくれてしまったわけである。

 バカと言われても仕方ない、と当麻は思う。

 しかし、兄と呼ばれるのは一人で十分だ。

 

「当麻さん、枕」

 

 いつもどおりな応急処置も終わると、詩歌はそういった。

 

「ん? 枕なら、詩歌の足元にあるだろ」

 

「何言ってんです。こっちのことですが」

 

「はあ?」

 

 あっさり言って、詩歌は強硬手段に訴えた。

 身を乗り出して、当麻をベットまで引き摺るや、ごろん、とその膝に寝転がったのである。

 

「ここのは詩歌さんの頭に合いません」

 

「―――て、ちょっと詩歌さん!?」

 

「いいでしょう。たまにはこうして昔に浸っても。動かないでくださいね」

 

 我が物顔で、賢妹は太股の所有権を主張する。

 こうなるとてこでも動かない相手だとわかっているので、愚兄はそれ以上無駄な抵抗はしなかった。というか、あれが異常な状態であったとはいえ、襲われかけた相手にここまで抵抗がないのは、男性に対して無警戒過ぎやしないかと心配になる。

 リスさながらにコロコロと自分の頭の上手くはまる位置を探して、賢妹がベットを転がる。

 

「んー、やっぱり昔より硬いですね。まあ、これはこれで不満はないんですけど、もう少し柔らかくしてほしいと注文をつけます」

 

「悪かったな柔らかくなくて。だが、お兄ちゃんの太股は妹の枕になるためにあるんじゃねーんだぞ」

 

「と言いつつ、太股の筋を緩めてくれるんですね、この兄は」

 

「へいへい」

 

 強張っていたのを意図して力を抜いたというよりは、少しばかりの緊張が解けたといった感じではあるが、微笑にくすくすと、鼻にかかった声で、賢妹が目を細める。

 本当に、兄と呼ばれるのはひとりで十分。

 その後頭部を愚兄は見ながら、こう口にする。

 

「それでお見合いの情報、わざと漏らしただろ」

 

「どうしてそう思うんです?」

 

「兄が妹の考えを見抜くくらい当たり前だ、と言いたいところだが、ウチの詩歌さんは頭がいい。それは、超能力者もお墨付きなくらい。その詩歌が本気で俺に秘密にするつもりだったんなら、絶対にバレない手段が取れた筈だろ。だから、うっかり後輩に知られてしまったなんて、ミスは考えられない。わざと手を抜いたってほうが妥当だ……違うか?」

 

 当麻の問いは、愚直なまでにまっすぐだ。

 もう日程まで決めてあったのに、それを教師が伝えてくるであろう昼休みに口の軽そうな、愚兄とも面識のある後輩と一緒にいるわけがない。皆勤賞で来ていたのなら、今日の相談は臨時休業にでもすればよかった。

 おそらく、母の詩菜もそういうところが中途半端だといったに違いない。

 

「そこまで分かってて、訊かないでくれたら、詩歌さん的にポイント高いんですけどね」

 

「頭が悪い兄なんでな。気になることがあったら、つい口が閉じられなくて訊いちまうんだ。それに、我慢は身体によくねーって言うだろ」

 

「あれだけ体を苛めたお兄様のお言葉とは思えませんね」

 

 当麻の推理に、振り返った詩歌がこれ見よがしの溜息をついた。

 が、それは、正直に白状したと見て相違なかった。

 

「なあ、今日のことは、詩歌に意味があったのか……?」

 

「小さいころシンデレラの本を読んでも、王子様がお城で催すパーティはただ素敵だなって思うだけでした。けれど、その意味がわかった今は、そのわざわざ豪勢な宴を開くのは、国力を誇示したり、隣国からの貴賓をもてなすことで駆け引きを有利にしたり、家臣を称えて忠誠心を高めたり……いろいろと必要に迫られているから。お姫様はドレスを着飾って楽しむんじゃなくて、それらを理解して立ち振る舞わなければなりません」

 

「夢も何もあったもんじゃねぇな」

 

「まったくもってその通りです。ですが、現実を見ることも必要なことです」

 

 そこで、付き合わせた自分の指の爪先を見つめるようにして、独り言みたいに付け足した。

 

「でも、やっぱり迷ってたのも事実。自分の気持ちに嘘がつけるほど詩歌さんは器用じゃありません」

 

 呟くように。

 ……昼休みに姫神先生が教えてくれたが、女子特有のあの日は、我慢したりしたストレス等で予定日が変わることもあるという。

 調子を悪くするほどイヤなことならば、最初からやらなければいい、と言ってやりたいところだがそうもいかないんだろう。

 しかし、理性よりも身体の方は素直だ。

 

「ふん。それ以上に当麻さんは不器用ですからね。本当にここにきて、問題を起こすなんて思いませんでした。そんなバカなことをして一体誰が喜ぶと思うんです」

 

 お兄ちゃんは大バカ者です。

 体中でそんな言葉を発しているのに、どうもお叱りを受けているような気分とならない。

 弾けそうな感情を精いっぱい噛み殺しているせいでそのお澄ましな横顔は少し強張っているように見えるのだから。

 それを指摘すればより面白そうな表情が拝めたと思うのだが、あとが怖いのでやめておこう。

 その数秒の好機を見逃して、平常を取り戻す。

 

「けど、残念。もっと早く踏み込んでいれば、ウェディングロードのエスコート役に父さんの代わりに抜擢されたのに」

 

「それは向こう十年以上結構だ」

 

「あら、優しいかわいい妹の花嫁姿を間近で披露したかったんですけど」

 

「いつもの制服姿の方が似合ってるからいい」

 

「そ」

 

 澄ました顔で、賢妹はくるりと寝返りを打つ。

 愚兄の膝元から、じっと見上げた。

 

「ねぇ、当麻さん」

 

「ん?」

 

「もし、本当に私が誰か、知らない人と付き合ったらどう思う?」

 

「そうだな。……頑張って、一応、祝福しようと思うかもな」

 

「相手がとんでもない女誑しで、毎日違う娘と浮気するようでも?」

 

「そんな野郎を好きになるんじゃない」

 

「例えば、の話です」

 

「そりゃわかってるが、まずいきなりそんな野郎と付き合う話を前提にするのはどうかと思うぞ」

 

「モデルはあるんですけど。身近に」

 

「誰だよソイツ。ちょっと“話し合い”たいから教えてくれ」

 

「当麻さんには、無理ですね」

 

「無理って何だよ。犯罪者になったとしても、ソイツから引き離してやるぞ」

 

「頼もしいですね。ちょっと物騒ですけど」

 

「だったらせめて、当麻さんを犯罪者にさせないような奴にしてくれ」

 

「それは難しいですね。努力はしますが、約束はできません」

 

「そうかい。じゃあ、お兄ちゃんも犯罪者にならないように努力する」

 

 す、と冷たいものが左胸に触れた。

 詩歌の掌だった。かつて、カエル顔の医者に心の在処はどこだと訊かれて示した場所に、そっと撫でるように触れる。

 

「詩歌?」

 

「ご存知ですか? あなたの心臓を止める詩歌さんという評判は」

 

「嫌な評判だなそれ。っつか、この状況ってひょっとするとピンチなのか」

 

「この体勢でも、当麻さんの心臓に直接、右手を打ち込んで止めれます。息の根を」

 

「物理的にハートブレイクっ!」

 

「冗談です……」

 

 と言ってるのだが、とても冗談とは思えない雰囲気。

 

「ところでお兄ちゃん」

 

 そして、ピシリと真面目な声で呼ばれる“お兄ちゃん”は高確率で、主に女性関係で不行状をしでかした時だと経験則で学んでいる。

 

「お兄ちゃんが怪我してここに運び込まれてくる少し前に、操祈さんの伝言役が見舞いに来て、お兄ちゃんとのお楽しみについて伺ったのですが」

 

 何故か、こういう時の詩歌が発する声を聞くと、一言ごとに肩が下がっていく気がする。記憶をなくしても身体にしみついた癖。情けないけれど、それを嫌だと感じることも麻痺している。人はそれを、もはや手遅れである、というかもしれない。

 

「実に興味深い提案をされたようですね」

 

 詩歌は言葉を切り、そして大上段から振り落とした。

 

「『私にいいアイデアがあるんですけどぉ♪ 最大力な派閥の長たる私と詩歌先輩のお兄さんが婚約すればいいんじゃないんですかぁ♡』、と」

 

 その蜂蜜のように甘い声真似までしてくれたのだが、素に戻った最後の『と』が怖い。

 愚兄は空元気で笑い飛ばした。

 

「い、いやですね詩歌さんや。そんな冗談を真に受けるはずがないだろ、ハッハッハー……」

 

 その後、『実はお兄さんに私の初めてが奪われちゃったんですよぉ♪』と今の愚兄には記憶がないが(間接)キスも済ませていたことが暴露され、こってりと優しいかわいい妹からの尋問を受けることになった。『冗談でなかったら、受けたんです?』、『誰かさんの代わりに派閥の長を代役する案もありますよ』、『どっちがいいか、訊いてるのはこちらです』……云々……

 そうして、『だから、お兄ちゃんはからかわれただけなんですよマイシスター!?』と膝枕が土下座枕に移行(フォームチェンジ)しながら訴えたところで、

 ぴくっ、と片眉が反応。

 

「母さんにも言ったけどな、理想的なお嫁さんな妹と違って兄はモテませんよー」

 

「ほう、あくまで自分は遊ばれただけ、ですか当麻さん」

 

 妙に艶めかしい瞳に喉を詰まらされる中で、賢妹は気まぐれに説く。

 

「物事には摩擦というものがあります」

 

 もう半ば習慣になっている、この乙女心学習プログラムの一環のお説教タイム。胃袋へのプレッシャーを覚えつつ、何か安心に近い心持を得るようになっている自分が……イヤではないがむず痒い、ような感じである。

 

「摩擦……?」

 

「そう、人は、どこかで触れ合って干渉し合っているんですから、誰かが動くと他の人との接触面に影響されるんです」

 

「はぁ……」

 

 言いたい事はなんとなくわかるものの、いまいち要領を得ず生返事になる。愚兄が誰彼選ばず関わろうとするから面倒事も付いてくるということだろうか。

 あ、これわかってない……と見たか、淡く微苦笑する賢妹はつと当麻の膝元から腹が頭に接するまで寄せてきた。思わず身を引きたいところだが、今は枕になってる。枕は動けない。逃げられないのである。

 

「そして、誰かに触れて、動いたら」

 

 掌は鎖骨のラインに沿うようにゆっくりと胸から首をなぞり上げ、最後に頬に添えられた。

 ごく弱く触れているだけなのに、指の一本一本まで感じ取れる。これがあれほどの威力の拳に化けるのはこの世の怪異と認定するくらいに、女の子の優しい手だった

 賢妹は微笑みと共に首を傾げて、繰り返した。

 

「誰かに触れて、動いたら―――その部分に“熱”が灯る。良くも悪くも」

 

 自分でもはっきりわかるくらい顔を真っ赤にした当麻には頷くことしかできなかった。確かに、火が出そうなほど、熱い。

 

「私が言えるような立場ではないんでしょうけど、お兄ちゃんはそれに少しは気付きなさい。鈍感なのもほどほどに」

 

 そこで硬くなりかけた頬が、ぐいっと引き延ばされた。

 

「誰彼構わず身体が勝手に助ける愚か者は、気付いていないようだけど“火傷”させてる子とが多いんだから」

 

 詩歌が愚兄の頬を両側からつねって、強引に引っ張っる。何事かと涙目で見る当麻に、詩歌はいつも通りの――ずっとずっと、記憶を失う前からいつも通りの――常に悪戯っ気のある楽しげな笑顔で“これまでなるべく考えないようにしてきたことを”告げてきた。

 

「具体例をあげるとすれば、いきなり抱きしめられて口づけしようとすることでしょうか」

 

「ぶふっ!? ゲホガホ!? あれは、変な魔術のせいで正気を失っていただけだって詩歌も知ってんだろ……ッ!?」

 

「もちろん。だけど、まあ、あとで思い返せば、良い機会でしたでしょう?」

 

 はあ!? と上条当麻はなんとも言い難い顔になる。この愚兄の頭は至極単純。

 その神通力とやらで酔った王様は実妹に手を出しちゃったど偉い人になって国を追放されてしまったわけで、つい先ほども海原光貴の乱入がなければ学園都市追放もありえたかもしれない事態であったわけでとても何か得るような経験ではなかったはずだ。

 

「鈍感なお兄ちゃんに、この優しいかわいい妹の魅力を惚れ直させ(再確認させ)ることができたんですから」

 

 そして、詩歌は腹筋で上半身を持ち上げ、新体操よろしく立ち上がり―――呆気にとられた当麻は、『前のめり過ぎてでんぐり返ししちゃってるほどポジティブ過ぎんだろ!?』なんてツッコミは入れずに口を開けて賢妹を見つめていた。言葉の意味がわからなかったというより、この“自爆戦法”にどう反応すればよかったかわからなかったというふうに。

 

「人目がなかったら……もっと乱暴にしてくれても、良かったんですよ」

 

 そう、余裕をもった顔つきで言えれば、立派な魔性の女だったかもしれない。実際に、いつもの微笑を浮かべているように、見える。

 ……その長い睫毛がふるふると震えているような気がするも、“生憎と1mm単位の誤差も見抜けないような鈍感”なので、けして恥ずかしさに堪え切れていないのではなく、単なる気のせいなのだろう。きっとそうだと当麻は納得した。そもそも、あまりに見過ぎると、“もっていかれそうになる”。

 

「バーカ。兄をあまりからかうもんじゃありませんよー」

 

「む」

 

「箱入りにしたいくらい大事な妹にあんな真似はもう二度としねーよ」

 

 きっと疑われれば誰にでも言うが、これほど手を焼かされる妹を恋愛対象と見るなんてばかげた幻想だ。

 それを前言撤回する気はないが、そこにいつものフレーズを付け加えるのを忘れていた。

 

「ホント、不幸だ」

 

 

???

 

 

「テメェ海原っ!! 常盤台中学の女子中学生がそんなにお好きかにゃーっ!!」

 

「いきなりこめかみに青筋を立ててなんですか? 人を変態扱いしないでください」

 

「この写真はいったいどういうことだにゃーっ!!」

 

「はいっ、ちょ、何ですかこれ!?」

 

「まったく何騒いでるのよ。これから仕事なんだから、もう少し緊張感を持ってほしいものね。で、なになに? それ結婚式体験のパンフレット? あら、そこに映ってるのはあなたと、お姫様じゃない。一体いつ撮ったのよ?」

 

「いえ、これは私じゃなくておそらく……」

 

「きっとこれは学園都市中からお嬢様ハンターの指名手配写真として載るのは間違いないんだぜい」

 

「はは、こんなモデル写真でそこまで本気になる人はいませんよ」

 

「意外とすぐ身近にいるんじゃないかしら」

 

「はは、そんなまさか」

 

「とにかく、私は巻き込まないでほしいわね」

 

「はは、そんなまさかまさか、ええ、ありえませんよ。ですから、そこで後ずさりながら距離を取ろうとするのはやめてもらえませんか!!」

 

「いや、これふざけてるんじゃなくて、結構マジな避難ですたい。……ほら、後ろ」

 

「(……アイツはまた馬鹿馬鹿しいことしやがって、ちったァ大人しくすンのができねェのか。ああ、口出しする資格は俺にはねェけどな)」

 

「あ、一方通行(アクセラレーター)……?」

 

「……なーンか、そのツラが気にくわねェからよォ。―――ブチッと整形してやってもいいかァ?」

 

 

相談室

 

 

「自分で自分の面倒も見れないようでは、当麻さんと上手くいきません」

 

「あらあ、来て早速相談の札を下げてますけど、昨日、途中で気付いたけど能力なしにまんまと操縦された後輩力高い私にどんな御礼をしてくれるんですかぁ? もしかして、代案受け入れてもらいましたぁ?」

 

「いい加減そうな人では務まらないということです。……鈍感に代案なんて回りくどいやり方はスルーされるに決まってるでしょう?」

 

「放っておいたら家から一歩も出ないオバサンのことを言ってるんですねぇ、ええ、とってもわかりますぅ♪」

 

「……シャツにシワがついていますが、あなたは自分でアイロンをかけることもできないんですか?」

 

「シャツの……シワ?」

 

「それに、いつも白手袋を付けたままでは、料理は作れないし洗濯もできませんね」

 

「それならやるときだけ外せばいいだけじゃないですかぁ? べつに家事力に労力を使うなんて考えられませんけど。適材適所。能力のあるできる人がやればいいと思いまーす」

 

「ほう、残念です。そんな考えの人が私の兄と付き合うなんて……ありえません。いいえ、お天道様が許しても、この優しいかわいい妹が許しません」

 

「詩歌先輩の小姑力はまるで母親に怒られているような威圧感ですねぇ……でもぉ、先輩がどう言おうと、お兄さんにとっては余計なお世話力かもしれませんよぉ?」

 

「それはないです」

 

「あら、きっぱり?」

 

「ふふふ、当麻さんが言ったんです。―――『理想的なお嫁さんな詩歌さん』っと」

 

「私、その気になったら割と頑張れるタイプですけどぉ、ちょっと比べる対象の理想力が高過ぎじゃありません? 天才力に満ち溢れた私でも百花繚乱(家政婦女学院)を卒業しないと無理なレベルですよぉ、それ……―――まあ、価値観なんてボタンひとつで変わっちゃうかもしれませんけどぉ♪」

 

「その時は右手で叩いてやれば直ります。テレビと一緒。それに舞夏さんのようなエリートメイドレベルではなく、当麻さんよりも上――ちょうど陽菜さんくらいの基準で良いですね。補習を受けてますけど、あれで家事力はそこそこありますので」

 

「火事力の間違いじゃありませんかぁ?」

 

「それは山火事で焼失するレベルですね。というわけで、詩歌さんが負けを認めるような人以外に、お兄ちゃんを譲るつもりはありません」

 

「つまり絶対に譲るつもりはないってことですよねぇ、それ。ええ、詩歌先輩のブラコン力はわかってましたけどぉ」

 

「いえいえ。誰にだってチャンスは与えられるものです。というわけで、家庭科の授業をサボりまくっている操祈さんにはもれなくマンツーマンの花嫁修業が受けられます♡」

 

「げ」

 

「そんな不安そうな顔はしないで大丈夫。詩歌さんはレンジでチンもできない子でも一通りの基礎を覚えさせた実績があります。それにカナヅチさんを泳げるようになるまで面倒を見たのは誰だったでしょう、か?」

 

「急に病院直行レベルの頭痛力になったのでぇ、ちょっと一週間ほど失礼しますねぇ、詩歌先輩♡」

 

「まあ大変。でも大丈夫ですよ、人類は100年以上前に頭痛薬の発明に成功してますから、イブロプロフェンにアセトアミノフェン、アセチルサリチル酸にエテンザミド……それと、優しさ半分。ここに常備されてますから、用法用量守って正しく服用しなさい」

 

「きゃー、優しい(棒)、医学力の進歩に感謝しまーす」

 

「では、まずは昼食作りからいきましょうか? 材料は用意してありますし、最低限の調理器具設備は揃えてあります。もちろん、綿辺先生から操祈さんの特別補修の許可は取ってあります。3分クッキングが10セットはできます」

 

「わーい、準備力万端(棒)……でもぉ、お忙しい先輩の手を煩わせるなんて、私の健気な後輩力が下がりそうですしぃ、そんな無理しなくてもいいですよぉ? 是非!」

 

「ふふふ、昨日、当麻さんの“お世話”をしてもらった“お礼”です。

 家事力は必要ないとか言って、料理の『さしすせそ』もわからないけど、レンジでチンすればOK、なんて甘い考えは捨ててもらいます。食事は家庭医学の基本にして、最重要要素。口にする物のことを考え、心身ともに健康になってほしいと願って作るものです。

 ―――心身ともにボロボロになろうとも」

 

 

 

つづく

 

 

 

???

 

 

 そんな顔をさせて、ごめんなさい。

 そんなことをさせてしまって、ごめんなさい。

 わたしのために―――自分を殺してくれて、ごめん、なさい―――

 

 

 

 ――――ダメだ。

 

 『万象の情報が有機的に混ざり合い、その流れなら割り出される必然を視る』<予知能力(プレゴク)>という能力。

 『『現代』に記録した周囲の情報を送り、『未来』から予兆を受け取る』<教皇(マラキ)の予言>という霊装。

 『望む道順へと可能性がある限り、正しき選択を示唆する』<狐狗狸>という異種。

 

 『上条詩歌』は、それを記憶している。

 

 手の届く距離に自身を囲うように木片で組まれた幾つもの方円や図形、その上にひとつずつ置かれた文字を打ち込むための電子キーボード。

 それらすべての入力媒体と接続される球体。

 

 限定させた情報から導き出される精度90%近くの予測、気まぐれや内心の葛藤などといった他人には押し計ることのできない不安定な情動による残り数%を異能で補足させて埋める。

 

 生まれて初めて戦うための力を欲して作成された<調色板(パレット)>。

 それは『本体』の成長とともに彼女自身の手によって改良されていき、<樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)>の『残骸(レムナント)』、その魔導書の吐息(ドラゴンブレス)超能力者の一撃(レールガン)にも完全には破壊できなかった演算中枢(シリコランダム)の破片も再利用と組み込まれている。

 その後も、触媒のように『万物を生かしていく』少女の苦難の経験に付き合っていき、もうこれはすでに……

 

「―――asхqw we★jdkw%da▼・asdjk*○qw√ ↓hdkw…..!」

 

 『本体』がないから、『本体』がこれまでしてこなかった、生身の人間ならば最悪の場合脳神経が焼き切るような超高度並列演算装置クラスが必要とする場合でも、瞬間的な頭痛や眩暈を催す程度で済む。

 しかしそれでも、繰り返せば繰り返すほど、頭痛は長引いていく。

 

「範囲を限定。時期も限定。情報も取得済み。三日間の予報する……―――……―――……エラー」

 

 その原因は、分かっている。

 ひとつの不確定要素。それは盤上に敷かれた予報界域に入っていても、影響下に入らない。そして、その関わる周囲の予定調和も崩してしまう。

 設定()した解答(未来)が、9982通りの方式を試しても得られない。

 こちらの望む展開に至れず―――そして、あの人は死ぬ。

 

「何で……どうして、視えない……

 私は、――しなければならないのに。

 あの人に、――しなければならないのに。

 そのために、私は、いるのに―――

 どうして、こんな結果しか―――

 

「……………どうすれば、正しいのだろう。

 どうすればいい。

 どうすれば叶えられる。

 どうすれば――どうすれば――どうすれば――

 どうすれば――どうすれば――どうすれば――

 視えない。

 私には、できない、のか……

 『本体』なら、どうする――――?

 

「―――私は、『本体』の失敗を繰り返さない。

 ―――私は、『本体』の不幸を繰り返さない。

 ―――私は、『本体』とは、違う。

 何を犠牲にしても、叶えてみせる―――

 

 

「そのために、開始前に、不確定要素を盤上から除外する」

 

 

 

つづく


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。