とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 神経衰弱

閑話 神経衰弱

 

 

 

安泰泉

 

 

「結局、<警備員>に持ってかれちゃったわね」

 

「仕事でもないのに、超雑魚を相手するのは面倒です」

 

「でもやっぱりあれって、最近の仕事で関わってる『外』のヤツらよね」

 

「もしあれが私達を狙ってのものだとしても、下部組織にも超連絡しましたのでそちらに任せれば問題ないでしょう。超油断しなければ」

 

「あれは絹旗の能力が守ってくれてると思って安心してただけで……」

 

「それについては私も悪かったとは思いますが、私よりも長く暗部にいるフレンダの気を抜く癖は超反省すべきですね」

 

「わかった。だから、麦野には言わないでお願い!」

 

「それは構いませんが……あとでバレたら、お仕置き超確定ですね」

 

「そ、それは……いや、それよりもさ。滝壺は大丈夫かな?」

 

「麦野がいるなら超問題ないでしょう。ただ、目立つ怪我はなかったはずですが、あの襲撃の以降から、調子が悪く、組織のメディカルチェックでも超原因不明。あの時、<体晶>は使ってなかったはず……」

 

「だからこうして、仕事休みに湯治に来てんだけど」

 

「そういえば、プライベートでも、一人盾役(護衛)にこの前拾った<スキルアウト>をつけてますね。滝壺さんの超希望で」

 

 

安泰泉 9階 新設フロア

 

 

 このフロアのほとんどを巨大な円形の浴槽が占め――スイッチ一つで流れが生じる仕掛け付き――その中央には休憩スペースとして、花の形の人工島があり、そこ以外は全て大理石で覆われていた。

 まさしく、スパリゾート一直線、と言いたいところだが、大浴場の雰囲気はまるでない。

 代わりに、古代ローマの温泉文化にあやかってとか何とか、先日放映された映画の影響からか、ヨーロッパの古い街並みを思わせるような風景が前方に広がっている。

 二分の一縮小サイズの建物が行儀よく並べられ、そこを囲むように走る川の流れが唯一スパリゾートの名残を残しているのかといえば、その“温泉の色”はない。

 浴槽を利用して造られた流れは、それなりに幅があり、何ヶ所かには橋が架けられている。

 よくよく見れば、大浴場の表面は、発色磁気粒子モニタで一種の舞台装置。この大理石だと思っていたのも、再現映像だった。

 その技術力はさすが学園都市と賞賛するも、何故、そこまで大掛かりにやってんの? とさっぱりわからなかった。

 そして、こちらもさっぱりわからなかった。

 

「ほらー、詩歌お姉ちゃんもタオル取ってるから、美琴ちゃんも取っちゃいましょうねー♪」

 

「こういう時までお姉ちゃんぶるのをやめてよ、詩歌おね――詩歌さん」

 

「はい、素直になれなかったので、お姉ちゃんが脱がしてあげます」

 

 (一方的に)くんずほぐれつと格闘している後輩と妹。

 待ち合わせ場所で、ガウンを羽織っていた妹分を視界に入れた途端、一直線にやってきて捕食。

 ここは混浴ゾーンで、ほとんど温水プールと変わらず、上着を羽織っていても問題はないのだが、

 

「別に温泉に入るつもりはないんだし、いちいちガウン脱がなくても!」

 

「細かいことは気にしない!」

 

 驚くほど白いワンピースの水着。露出面は控えめであるが、その肢体がピッタリした水着のせいでさらに強調されて、否応なく背徳的な気分にさせられるほどだ。

 密着しながら身体をぐいぐいと動かすので、凶悪な物体が堪らない動きを見せている。

 愚兄は視線を横へ逸らせば、そこには雪の妖精。

 

「とうま、随分と遅かったけどなにしてたの?」

 

 ではなく、居候のインデックス。

 パレオから覗かせる素肌は雪花石膏(アラバスター)を思わせて白く、たくし上げてまとめられた長髪は、反射して銀世界を演出するかのように光る。

 

「色々とあったんだよ、色々となー」

 

「なんか適当だね」

 

 痴漢冤罪及び殺傷未遂の件は、もう済んだことだ。忘れたい。

 しかし疲れを癒す温泉なのにより心労が積み重なっているとは、一体どこに安息の地はあるのだろう。

 

「前世の俺はそんなに悪いことしたんだろうか?」

 

「前世の(カルマ)を問うのは一部の錬金術と仏教呪術にインドの魔術だね。でも、とうまはその右手があるんだし、前世の業とか関係ないかも」

 

「それはつまり、当麻さんの不幸はこれ全部現世の罪業ってことですかインデックスさん?」

 

「ふん。自分の胸に訊いてみるといいかも」

 

 と、唇を尖らせながらふりふりと体を揺らす。

 何となく不機嫌っぽいな、と感じ取った当麻は、話題を変える。

 

「そういや、水着―――」

「っ!」

「―――着てるけど、お前って泳げんのか?」

 

 残念な方向に。

 

「………」

 

 今度はインデックスは何も答えなかった。ただ、じろりと睨んできた。

 

「あー……本を読んでも泳げるようにはならねーよな」

 

 海でもクラゲが大量発生したとかで泳げなかったし、モデル撮影はスタジオ全部映像だ。

 泳ぐ機会はなかっただろうし、これまで、そしてこれからも泳ぐ必要もなかっただろう

 

「別にカナヅチだってこと恥じることはねーぞ。人間、泳げなくても生きていけるしな」

 

「む。人魚の鱗があれば、深海にだって潜れるもん!」

 

「何だよそのインチキマジックアイテムは。せめて、浮輪にしなさい」

 

 で、思いっきり足を踏まれた。しかし、

 

「サンダルだから痛くねーぞ」

 

 普通の靴とは勝手が違うからか力の入り具合が中途半端だ。そして、体重が軽い。一日の横綱クラスの食事量に反して、彼女の体は見た目通りに軽い。

 

「ふん! ――とうまは――ふん! ――本っ当に! ――ふん! ――失礼っ! ――ふん! ――デリカシーが無いっ! ――ふん! ――鈍感っ! ――ふん! ――馬鹿っ!」

 

 まったく痛くないというわけではないが……気の済むまで良いか、と思える程度。

 水着からの連想、海での一件――土御門元春とやり合った時のように、体重が無くても親指との付け根あたりを踏み込まれるとツボだが、修道女にそんな格闘スキルはない。

 しかし、近い。痛くはないが、心臓に悪い。足を踏むことに自棄になってるインデックスは俯きがちで頭頂部の旋毛が見える。

 その濡れた髪に目を引かれて、

 

「……今日はなんか、特別なシャンプーとか使ったのか?」

 

「え……? あ、うん。洗いっこした時、しいかが持ってきた、試供品だとか試作品だとか使ったけど……それがどうかしたの?」

 

「いや、なんか、珍しい匂いだと思ってな」

 

「そうなの?」

 

 踏みっこを止めたインデックスは自分の髪を一房摘まんで、鼻に近づけた。一発芸で『ヒゲ』と見世物にできる状態だが、指摘する気は起きなかった。注意すれば止めてしまいそうだし―――何となく、ゆっくり眺めたかった―――

 

「珍しいとは思うけど、自分ではよくわからない……」

 

「そんなもんかね」

 

「うーん、何か花の匂いだと思うけど、なんだろ?」

 

「さあな……ってか、たぶん初めて嗅ぐ匂いだぞ。だから今のところは、『インデックスの匂い』ってやつじゃねーのか」

 

「……………………」

 

 インデックスは『ヒゲ』のポーズのまましばし動きを止めて―――無言のまま、ざぶんと特設会場ではない流れない、足がつく幼児用の温泉プールに飛び込んだ。

 

「おい、急にどうしたインデックス?」

 

「……なんか、あつくなった」

 

「だったら、温泉に入ったら余計に熱いだろ」

 

 上がらず背中を向けてしゃがむインデックスはうつむいて、口もとまで水に浸した。湯面から浮かび出した皓いうなじが、溶けるように朱色に染まる。

 

「うん。温泉は、熱いかも……」

 

 そう呟く唇の動きがそのまま小さな波紋になって湯面を彩る。ぶくぶくぶく。愚兄は『?』と奇行に首を傾げながらも、その薬効の白い模様が薄れて消えるまで見つめ続けた。

 

 ―――で、一方こちらは蹴りがついた。

 

 ガウンが花びらのように宙を舞い、敗北者の水着姿があらわとなる。

 御坂美琴が身につけていたのは、水着モデルの時に着ていたのと同じような、ピンク色の白いレースの付いたビキニの水着だ。

 

「残念♪ 詩歌さんとやり合うにはまだ十年早い」

 

 姉貴分は口元に手を添えて、莞爾と微笑む。

 

「くっ……寮監とやり合える詩歌さんに抵抗したのが間違いだったわね。けど―――」

 

「ふふふ、でも、当麻さんがいるからってそんなに緊張することはありません」

 

 いい加減からかわれ慣れている妹分は頬を引くつかせながらも、あくまで冷静に受け答えするも――そこで上条当麻は前兆を感知した――しかしその相手は、何故か傍観者に徹していた愚兄の方へ向いて笑みを深めて続けた。

 

「詩歌さんも小学生高学年までときどき一緒にお風呂に入ってましたし」

 

 それから、意味ありげに胸に手を当てようとして――そこでダッシュで駆け付けた上条当麻が回り込んで背後から捉えた――しかし、左腕は腰を抱いたが、口封じに抑えようとした右手は中途で狙い澄ました一手に叩かれ軌道下降して―――谷間に墜落した。

 ふにゅん、と撃墜された右手だが、落下の衝撃はゼロに吸収された。

 

「こんな感じに成長に一役買ってくれました」

 

「―――え゛っ!?」

 

 

 

 御坂美琴の頭の中が異次元に跳んだ。

 虹色のネビュラがぐるぐるぐると渦を巻いている。

 

 

 

 一応、確認するが、上条詩歌はまだ中学生だ。小等部卒業から3年も経っていない。そしてそのころから年不相応に大きかった。

 まさか、幼馴染の年不相応に豊かな胸の成長にコイツの手が一役買ってたりすんのかしら。

 その思考に至った時、オーバーヒートした頭がスパークした。現実的にも。

 そして、爆弾発言はフリーズした上条当麻の背後にも聞こえてしまっていた。

 

「とうま?」

 

 軋るような音は幻聴ではあるまい。現実に、インデックスの歯が擦れ合い、鋸を思わせる異音を立てているのである。ザバン、と幼児用温泉プールから直立するその姿から昇る湯気はオーラのよう。阿修羅の。

 たとえ足場が悪くても、そのカミツキの威力は落ちはしない。

 その大怪獣を目覚めさせてしまった愚兄は『がっ……!』と絶句しながら御坂美琴とインデックス、そして妹を見比べ、猛然と抗議したいところだが、

 

「ねぇ、その話、本当なの?」

 

「き、記憶にございませんなー……」

 

 亀のように首をすくめて、視線は横へカニ歩きスライド。妹を抱えたまま柱の後ろまでひとまず避難。

 実際、本当に上条当麻にその頃の記憶はない。だが、そうでなくてもすっとぼけていたに違いない。

 

「あら、汗かいてるわね。お風呂にでも入った方がいいんじゃない。お勧めは電気風呂よ」

 

「は、ははは、お気遣いなくー……」

 

 確かに、冷汗はたっぷりかいてる。

 とかく今できるのは何年前のほのぼのエピソードを人生トラップに改造した張本人だが、同時に大怪獣ゴ○ラを鎮められる大怪蝶モス○的な存在である彼女の耳元にSOSを送る。

 これでは先程の痴漢騒ぎの方が遥かにマシとも思えるレベルだ。

 で、物陰に隠れながら、家族会議。

 

 

「(あー、迂闊に右手で触ったせいで投影した<視覚阻害>が無くなっちゃってピンチです)」

「(なんせ瀬戸際だったんでな。考えてる暇はなかったよ。で、強引で悪かったがハニー。ひょっとしなくてもダーリンがまたピンチでせうよ)」

「(口を利くのは一度きりじゃなかったんです?)」

「(この状況でそれを言うか!? っつかさっきは助けてくれたのにこれじゃ意味ねーぞ)」

「(うん。こちらもトラブル発生です。誰かに手を貸してもらいたいですが……)」

「(……わかった。何でも言うこときくからこの状況をどうにかしてくれ)」

「(その言葉が聞きたかった)」

「(あのな。頼みたい事があるんだったら普通にお願いしろよ)」

「(ふふふ、言ったじゃないですか。兄を弄っていいのは妹だけだと)」

「(ああ、わかったよ詩歌さんの方がレベルが高い! 色んな意味でな!)」

 

 

 と、終わって、

 

「というわけで美琴さん。私の代わりに当麻さんが参加します」

 

「はぁっ!?」

 

 ふふふ、今のは冗談ですよ、と愚兄風呂疑惑に大怪獣たちを軽く宥めたが、それに美琴は顔を真っ赤にして抗議する。

 

「イベントを、手伝ってくれるってそういう約束(はなし)じゃなかったですかっ?」

 

「ええ、手伝いますよ。当麻さんが。別に二人組の指定はありましたけど、性別は関係ありません」

 

 と言うが、御坂美琴としては、この手の謎ときイベントで上条詩歌の脳力に期待していた。一位限定のゲコ太グッズを手に入れるため万全の布陣で臨みたかった。

 なのに……

 

(ちょっとアンタ)

 

(だからって、そう睨まないでくれっか)

 

 キッ、と凄まれる愚兄。

 納得できないその気持ちはわかる。

 痴漢冤罪から偽恋人を演じて助けただけでなく、殺傷未遂事件を現場入りしてすぐに数式のごとく即解決した名探偵と間抜けな容疑者とどちらが優秀かと比べれば月とすっぽんだ。

 

「それに当麻さんならきっと私の代役を果たしてくれます。案外頭も悪くありませんし、“いざという時は”頼りになる兄ですから。美琴さんの私に信頼するのと同じくらいに詩歌さんは当麻さんを信頼してます」

 

 ばん、と後ろから両肩を叩かれて、太鼓判。その言葉の声音は柔らかで、それが信頼に裏打ちされたものであることが伝わる。泰然自若とはまさにこのことを言い、賢妹の落ちつきには常々憧れを抱かせる。

 後輩も同感なのか、感心した風に、でもどこかしら棒読みな声で言う、

 

「ふぅん。じゃあ、待ち合わせ時間を過ぎてすぐ何回も携帯をいじってて10秒置きに着信確認して、ついに水着にガウン羽織っただけのまま飛び出したのは、また別の用事だったんですね」

 

「……その通りです」

 

「あ、そういや着信が―――」

 

 詩歌が笑みを絶やさずに頷くと同時、足元でガッ! と何か鉄棒で木材をへし折るような異音が響き渡った。連動するように何か口にしようとした愚兄が声にならない悲鳴を上げてしゃがみ込んだが、親指の付け根を踏まれたのだろうか? だとすると、第一容疑者はそのすぐ背後にいた………御坂美琴はそれ以上は考えなかった。『我関せず、故に我なし』とでもアピールするように視線は下に向けず、幼馴染の微笑に固定。

 賢妹は、足を押さえて苦悶を噛み殺してる愚兄を完全に無視して、妹分の方に向けてふんわりした笑顔を向けている。

 

「大丈夫。“いざという時だけ”頼りになる愚兄です。ふふふ、馬鹿ですが馬鹿を舐めない方がいいですよ。そして、丈夫さも自慢で」

 

「……なんか今のそいつ、立つこともできそうにないんですが」

 

「ちょっと足をつっただけですよきっと。3分あれば立てます」

 

 血はついてないがぶるぶる微動する指先で床のパネルに『S・K』と書かれていたが、美琴にはさっぱりわからなかった。さっぱりと。

 

「とりあえず30年は保証しますし、今ならこのインテリ眼鏡がセットで知力がアップ! どうですかお客さん!」

 

 『お兄ちゃんは売れない家具家電かっ!』と呻き声のようなものが発せられたような気がするが、誰も聞いていない。

 

「電気トラブルの影響で準備に手間取ってるようでまだイベント会場は開設されてませんが、さっきアナウンスで問題文が流れました。旅掛さんの娘である美琴さんなら簡単に解けます、旅掛さんの娘なら間違いなく」

 

「でも、私は助っ人としては詩歌さんを希望したいんですが」

 

「うーん、でも先の放送を聞く限り、詩歌さんだとまた恨まれちゃいます」

 

「はぁ? それってどういう」

 

「それに、今は美琴さんよりも私を必要とする人がいます」

 

 その視線を向けた先。

 

「ほぇ……?」

 

 ふらふらだ。

 首の据わっていない赤ん坊のように頭が定まっておらず、翡翠の瞳も微妙に焦点があっていない。

 全身がぐったりしており、生気がない。

 確認しようもないが、彼女の前に指を 本立てて、

 

「インデックスさん、指幾つに見えます?」

 

 

安泰泉 1階

 

 

『―――浜面。今から下に行って、この弁当買ってこい』

 

 注文するならVIP客専属のスタッフにしろよ、とか。100人以上の人間を束ねていたリーダーにパシらせんのか、とか。その偉そうな物言いに、噛みつきたくなったが下っ端稼業を請け負う元不良の浜面仕上。

 少し湿ってハネが大人しくなってる茶色い髪、野暮ったい上ジャージを羽織り、下はトランクスタイプの水着と言う格好。

 外はもう冬近い季節だが、館内は空調調節されており、寒がるようなことはない。

 が、お目当ての弁当屋をグルメコーナーで見つけたのは良いが、何やら事件が起きたのか顔見知りな巨乳過激派警備員を発見し、思わずルートを迂回。

 結果、制限時間を大幅に過ぎてしまった。

 

(そもそも最上階から一階に降りて、目当ての店探しての時点で5分以上過ぎるし!! こんなもん空間移動能力者(テレポーター)でもねーと無理だろ!!)

 

 くそっ今回は良い目の保養……付き添いだけの楽な仕事だと思ったのに!! と浜面は心の中で舌打ちする。

 あの女帝はトラブルがあったから、と温情をかけてくれるような相手ではなく、お仕置きが確定だ。

 ただでさえ、二人の女子に良いようにおもちゃにされて疲れてると言うのに。

 けれども、どんな過酷な環境でもひとつは花が咲くものだ。

 

「はまづら、むぎのが言ってた弁当見つけたよ」

 

 声をかけたのは、ガラス張りのショーウィンドウを眠たげな(まなこ)で見つめる少女。市松人形のように律儀に肩の辺りで整えられてる黒髪。浜面と同じように水着の上にピンクのジャージを羽織ってる。

 

「ありがとな。で、滝壺はどれにすんだ?」

 

「うーん……じゃあ、私も同じので大丈夫」

 

「そういやあの二人の分も買っておくべきだよな。いや、フレンダは弁当よりも缶詰の方がいいのか……」

 

「はまづらは、どれにするの?」

 

「へ? 俺?」

 

「うん。むぎのが一万円渡してくれたから、はまづらの分も買えるよ」

 

 グループの中でただ一人、この元不良に気を遣ってくれて、このお使いにもわざわざ付き合ってくれた無表情癒し系少女、滝壺理后。この優しくない世界にも一輪の花は咲くものだとしみじみ実感する。

 けれど、仲間の分ならとにかく、自分がその万札を使うわけにはいかない。どうせレシートとかそういうのは見ないだろうし、はした金に興味はないだろうが、不良社会でも下っ端は勝手に金銭に手をつけてはならないルールがある。それに、ここで超能力者の金を使うと何だか無能力者がペットとして飼われてるような気がした。単純な気分の問題だが、かつてのリーダーから受け継がれた志が失われてしまう気がした。

 

「いや、俺の分は良いよ。あとでそこらで飯食うから」

 

「ふーん……」

 

 そんな浜面の心情を知ってか知らずか、適当な調子で相槌を打ち、以降、滝壺は勧めることはしなかった。

 そうして目当ての弁当を購入し、適当に缶詰を見繕い、巨乳過激派警備員を警戒しながら、最上階へと通じるエレベーターを目指す。

 

 それにしても。

 

 ちらちらっ、とさりげなく、ばれないように横目で隣を歩く滝壺を窺う。

 下はボクサーパンツタイプで、チャックを閉じたピンクジャージに隠れてるが上は確かビキニ水着だった。温泉プールにぷかぷか水死体ごっこで浮かんでいた時に確認した。

 そして、この浜面仕上の目利き通り、普段はだぼだぼなジャージを着てるけど、実は脱いだらスゴいんだよ説の確証を得た。これだけで浜面はこの温泉施設に来てよかったと思う。初めて滝壺の水着姿を見た時、思わず感涙の涙……の代わりに鼻から鼻水ではないドロッとした熱いものが溢れ出てしまったけど。女子組に思いっきりドン引きされたけど。

 とにかく、あの貧弱ボディの中坊二人とは違って、滝壺はスタイルが良い。

 

(女の子の水着姿は眼福モノだが、やはり水着みたいな恰好が、いかにも水着に似合わない場所で見られるアンバランスなアクセントがほしいわけであって、それはつまりプールで水着じゃなくて、カジノでバニーさん、モーターショーでコンパニオンのお姉さんってな感じ。そのためにも、もう一度正確なデータが欲しいところだが、そのためにはこの至近距離でその実用性抜群のジャージを取っ払って……―――待て待て一体何考えてんだ? 俺はそんなキャラじゃなかったはずだろ?)

 

 ―――と、そうやって見ていたら視線を感じたのか、こちらを見て、

 

「はまづら?」

 

「お、おうなんだ滝壺」

 

「さっきフレンダが言ってたけど、結局バニーが大好きなのに本物のバニーを見たことがないバニー童貞なの?」

 

「ちっ違う!! 俺はバニーさんだけが好きというわけじゃないからな?」

 

「ごめんね、はまづら。ずりネタにされて超危険だからはまづらの前ではジャージを脱ぐなってきぬはたに言われてるから」

 

「バリバリ裏稼業で攻撃力マックスの怪力女と弱点ピンポイントの罠女どもが吐いた俺史上ワーストファイブに残る最悪な台詞はさっさと忘れて、結局浜面仕上は超紳士って覚えてくれ」

 

「……、」

 

 オアシスが汚染されてきてる!? と嘆きたくなる浜面は即刻オアシス浄化作戦イメージアップキャンペーンを展開。

 すると、常時受信してる何を考えてるのかわかり難い電波系少女の滝壺理后は眠たげな半目で少年を見ながら、前を閉じてるジャージのチャックを指で摘まみ、何の前触れもなく下に……

 

「うおおおおおおおおおあっ!? みっ、みみ、見て………ねぇぞ!! いきなり何だジャージの前を開けるなんてこんな人目のあるところで大胆だねお嬢さん―――」

 

 と、言葉とは裏腹に首の角度も固定され、何とか抵抗しようと視線をずらすが視界の端でしっかりと見てしまってる浜面は、滝壺の半目が眠たげでなっているのとはまた別な意味になってるかもしれないと不安。

 

「……ちょっと、暑かったから」

 

「あ、暑い……ッ!! そうか。ああ、ちょっと俺も空調が効き過ぎてると思ってたんだ。またちょっぴり鼻血が出かけてもそれはやっぱり暑さのせいだな! だ、だから、ジャージを脱いでも自然だよな」

 

「じゃあ脱いでもいい?」

 

「ふぬううううううううっ!! く、くそ、そんな意図がないってわかってんのに俺の頭が勝手に場面を連想してエロ変換しちまってる、ちくしょう!! 俺ってヤツは何で、こう!! もう好きにしてくれ―――」

 

 とことん自分の性根に幻滅しかけてる浜面はようやっと左の手は鼻を押さえ、右の手の平で両目を覆って視界を閉ざす。きっとこの闇が自分を落ち着けさせてくれるはずだ。

 しかし。

 耳は塞いでいないはずなのに。

 返事は―――聞こえなかった。

 

「……滝壺? 今度はちゃんと見てねーぞ?」

 

 ややも慎重に、浜面の眉がぴくぴくっと動く。

 すぐに、不安は疑念へと変換された。

 

「滝壺?」

 

 その横で、ぐらり、と少女の頭が揺れたのである。

 傾きは戻らず、そのまま前のめりに崩れ落ち、おかっぱな黒髪を床へと無残に広げた。

 

「―――滝壺っ!?」

 

 浜面が、倒れてうつぶせの身体を仰向けにし、その顔を見る。

 その際に呼び掛けたが、滝壺は反応しなかった。息は荒く、瞼は閉じたまま、肩だけ辛そうに上下させていた。つい先ほど暑いといっていたがその顔に火照りは見られず、それどころか生気と言う生気を失っていた。

 

「滝壺―――っ!」

 

 この声は本当に自分のものだったかと思えるくらいに、浜面の口から出た声は切実だった。

 

 

安泰泉 9階 新設フロア

 

 

『最初から顔が赤いなー、とは思ったが。こりゃほんとにヤバかったとは』

 

 のぼせる、一歩手前。

 

『私の監督責任ね。詩歌さん達を待ってる間に、さっき言ってたサウナがどうたらとか言ってたけど……』

 

 この混浴フロアだけでなく、女風呂、男風呂にもある灼熱地獄のサウナ。

 当麻も遠巻きにだがその室内の様子が真赤になっていたのと、出てくる人たちの困憊具合を見て、入るのは回避した。

 

『いいえ、私が話をした時に、ちゃんと言っておけばよかったんです』

 

 よいしょ、と詩歌がぐてっとしているインデックスを背負う。

 意識が揺らめいてるが、涼しいところで休めば体調は元通りになるだろう。

 しかし、休むスペースがあるとはいえ、温泉区画はそれなりに温度がある。

 

『とにかく、倒れる前に気づけたので問題はないでしょう。一応、救護室で診てもらいますが付き添いは詩歌さんだけで大丈夫です』

 

『でも、しいかは短髪と……』

 

 ふらふらしながらも言うインデックスに、しょうがないとばかりに片目を瞑る美琴。

 

『こっちはいいから、大人しく詩歌さんの言うことを聞いて行ってきなさい』

 

『でもぉ……短髪、しいかじゃなきゃって』

 

『安心しろよ、当麻さんがきっちり代役を果たしてやっから』

 

『えぇ……とうまが……』

 

『問題ないわよ。できれば万全にしたかったけど、私だけでも十分だから』

 

『うぅん……』

 

『あのー……一応、詩歌さんのお墨付きだぞ?』

 

『ええ、“やる時だけ”頼りになりますよ』

 

『それなら……わかった』

 

 そうして、詩歌とインデックスは混浴ゾーンから出て、残るは………

 

 インデックスにああ言った手前、やるしかないだろう。

 ここで一位になれなかったら、自分のせいだと後で思いこむかも知れない。

 賢妹の代役が愚兄に務まるとは本気で思っていないが、一位になれば問題ない。

 で、ふたりっきり………

 

「そういや、お前。詩歌に投票したんだよな?」

 

 ふたりがいなくなったところで、何となく気まずい沈黙になるのを嫌ってか、当麻は問う。

 話題は、近々始まる選挙、つまり超能力者の賛成票によって決定される上条詩歌の特例な能力査定だ。

 

「ええ、学生代表でしょ。いきなりメールが来たけど、その場でOK出したわ」

 

「ふーん……」

 

「何その反応。ちゃんと送る前に詩歌さんに確認取ったわよ」

 

 今のところ3人の顔なじみから投票してもらったと本人から聞いているが、上条当麻が予測する中で、賢妹の学生代表への賛成票は御坂美琴が一番だろう(次点で、根性論で物事をぶっ飛ばす予測不能の第七位)。

 

「世間的に無名だったのが一気に上にくるかもしれないんだろ? 超能力者のプライド的なモンがあったりとかしねーのかなって」

 

「アンタがそんなこと気にするなんて意外だけど。私はね。ずっと詩歌さんは“きちんと”評価されるべき。ううん、評価してほしいって思ってんのよ個人的にね」

 

 愚兄の返事から、美琴は軽い感じに答える。

 幼いころにDNAマップを提供したことが発端となった『実験』。その経験があるからこそ、この学園都市で迂闊な行動は避けるのは賢明であるとはわかっている。

 御坂美琴がそれでも上条詩歌を後押しするのは、ただ単に手伝いがしたいからではない。

 

「だからむしろ、今回の能力査定は歓迎してるわ。こういう機会でもないと、詩歌さん、ずっとLevel3のままだったろうし」

 

 これまで上条詩歌が、自身のLevelに無頓着だったのは、この不肖な兄の影響もあるだろう。

 が、それがなくともこの学園都市の学生の大半が『能力が使えるようになりたい』と望んでこの能力者の街に来るのに対し、『能力を使えるようにさせたい』と考える者は学生の中では極少数……230万分の1の可能性すらありえる。

 

「最低でもLevel5の第三位以上。超能力者(Level5)の順位基準は、能力の有用性であって、その者の優秀さではないけどね。あの人なら絶対能力者(Level6)となっても納得しちゃうだろうし。とにかく、私よりは上じゃないと認められない」

 

「やっぱ御坂は詩歌を相当高く評価したんだな」

 

「それが当然の評価よ。今までの方がおかしかった。この街に自分の能力を隠している実力者がいても不思議じゃないし、詩歌さんもその中のひとりだったんだろうけど、私は“それをずっと知っていたのよ”」

 

 これ内緒よ、と前置きし、

 

「私が初めてLevel5に達した時、嬉しかった。詩歌さんも自分のことのように喜んでくれたし、それが誇らしかった。本当にね。―――けど、その時私は自分よりも上に評価されるべき人間を知っていた」

 

 ここまで気楽な世間話に語られているが、最後の言葉に、上条当麻のような無能力者がよく噛み締めているものに近しいのを感じ取った。

 超能力者の彼女が見せる、本来頂点に立つものが持つはずのない、劣等感が滲んでいた。

 

「どうしてこの誰よりも祝福してくれる人は私よりも下に見られてるんだろう? 私がLevel5なら彼女もLevel5じゃないとおかしい、って思った。だから、祝いの会で『次は詩歌さんがLevel5になる番ですね』みたいなこと言った。そしたら、『私はLevel3で十分です』……それから、自分がLevel5になるより能力者になれないで悩んでる子(Level0)の5人が夢の能力者(Level1)になる方がいい、って言われたわね」

 

 この学園都市の公式的な価値観で、能力者になりたてのLevel1が5人と頂点のLevel5が1人は価値があまりにつり合わない。

 幼馴染はそれが賢い選択だとは思ってないだろうし、自身のプロデュースが施設設備を使う<開発官(デロペッパー)>の能力開発よりも上だなんて傲慢、御坂美琴は聞いたことがない。

 ただきっかけに少し背中を押すことがしたいのだ。

 

「学校の教育を受けて目覚めなくても地道な努力を続ければいつか実を結ぶかもしれないし、研究機関の最新設備と優秀なスタッフとかのオトナな力業で無理矢理に開花させる手もないではないんでしょうね。でも、そういうのは“高い”のよ。本当に困っている人は高級食品を買ったりできないでしょ。もっと安くて、簡単に手に入るものの方が、そういう人の助けになれる」

 

「ファーストフードみたいな考え方だな」

 

「そ。詩歌さんは客にも格式とマナーを求める高級レストランで修業するより、安くて早い気楽に入れる定食屋をやってる方が性に合ってるそうよ」

 

 他人を育てることに意味を見出すと自分を鍛えることに価値を見出すとは方向性が異なるのだ。

 だから……

 

「言っておくけど、私はそういう詩歌さんのこと、尊敬してる。これは御坂美琴の中で揺るぎない。だから、揺らいだのは自分自身」

 

 例えるなら、雲を突き抜けるほど高い山を登り切った時、平地で見上げる以上に、遥か彼方にある空の広大さを思い知らされたような。

 

「詩歌さんからそれを聞いた時、私はLevel5になった自分が初めて、小さく、思えたのよ」

 

 兄弟であれ、姉妹であれ、比較されることはあるだろう。優劣をつけられることもままある。上条当麻も上条詩歌という妹がいる身だが、兄と妹と言う性別の違いのせいか、はたまたお互いが補うように生まれ育ったせいなのか、そうした比較されることを気にしたことはそうない。

 だが、血が繋がっていないとはいえ幼馴染で、周知的に先輩後輩関係以上の姉妹的である上条詩歌と御坂美琴はそうではない。

 とびきり優秀な姉貴分に、負けず劣らずながら未だ肩を並べずにいる優秀な妹分。

 せめてどちらかが愚昧であるなら、意識しなかった。

 また周囲評価が正当にされているなら、複雑にならなかった。

 学園都市は能力査定によって格が決まるといってもいい。

 通常の学校では優等生扱いされるLevel3と絶対的頂点の7人のうちの第三位のLevel5。

 どちらが優秀だとこの街の人間に訊けば、100人中100人が後者を選ぶ。

 

「ほんっとに、納得できなかったわ。Level5という数値的評価で、私の方が詩歌さんより上に見られてたことは」

 

 ただし、その判定はその100人に選ばれた後者である当人が一番に認めないだろう。

 

「私はアンタみたいに230万分の1の天災が、無能力者だってのは気に喰わない」

 

「いや、当麻さんは本当にLevel0だぞ」

 

「それと同じように230万分の1の天才が、いつまでも私の下で甘んじてたのもイヤだった」

 

 あの『実験』でその蓄積されたものが爆発した劣等感による反発があった。

 当然、姉貴分はそれを分かっているだろうし、理解しているだろう。配慮しているだろうし、更に妹分の才能は磨き上げた。

 幼いころからの姉の性分からか譲ってしまう癖があることとたとえ本気を出していてもそれが全力かと疑ってしまえる底知れぬ畏怖。

 頂上に登ったとしても、空に届かない手には、湖面の月も天上の星も同じく掴めないものには変わりないが、ただ映っただけの幻影では実際にどれほどの高さに離れているのかは分からない。

 

(はぁ……何でこんなことまでこいつに話しちゃったのかしら)

 

 あの『実験』での一件で暴露をぶつけたせいか。

 電話で『記憶』のことを知ってしまったせいか。

 なんにせよ。

 たとえ彼女には言わずとも察していたことだとしても、幼馴染に話していない幼馴染への御坂美琴の心の裡をこうして実際に言葉と言う形にして発した。

 これは、真剣に扱わなければならない。

 上条当麻は、頭をかく。

 相談でも何でもない、はっきり言ってただの愚痴だろうけど、自分に話してしまったことで、それが固まってしまっているように見えた。

 話すというのは、言葉にするというのは、選択だ。それまで頭の中の混沌にたゆたっていた思いを言葉という柄杓ですくい上げて、凍らせて、他人あるいは自分に定義してみせる行為だ。フランスのとき電話で、兄としての確固たるものを宣言したのと同じものだ。

 言葉にしない内は、分析や解消のできない代わりに実害はない。でも、何気ない雑談で終わるはずだったのに、コンプレックスの根本を定義してしまった。それは無意識の混沌から切り離されて、形ある問題になった。

 一度対峙してしまった問題とは、戦わなければならない。そうしなければ、それから逃げ続けている自分という事実に苛まれて、卑屈になったり自棄になったりする。

 よく『愚兄』と言われるが、それはおそらく、よくよく対比される妹との有能さを思い知らされてなお、それでもそのままでい続ける――もしかすると記憶を失くしても――不変な有様が、ある意味、馬鹿をやっても反省していないと思われても仕方ない。

 優秀な御坂美琴は勝てそうで勝てない姉貴分の幻想と戦い続けている。詩歌を目標にすることを止めればいっそ楽だろうが、彼女のプライドはそれを許さない。

 それがどれほど大変なのかは、愚昧な上条当麻にはよく解らない。Level0とLevel5が抱くものは近似であっても同じではなく、劣等に苦しみを覚えたことはそうないから。

 だが、他人の評価に惑わされず自分の弱さを自覚して向き合ってきた努力は、Level0もLevel5も関係なしに称えられるべきものだと言うことは、解る。

 その苦悩の深さは解らないが、解らないからこそ、できるだけ真剣に考えないといけない。馬鹿で愚鈍な頭を手打って働かせる。労力を計算し手加減して、それで届かなかったら、もんどり打つような後悔が待っているだけだ。

 

「今俺に言ったことそのまま、お姉ちゃんにイヤだって言ってやれ」

 

 頭を叩いたまま置いた右手を下ろす。

 

「俺が許可する。言いたいこと言っちまえ」

 

「許可するって、何言ってんのよ。だいたいいまさらそんなこと言ったって意味ないじゃない」

 

「御坂以外の超能力者から賛成をもらって、それが御坂の希望通りになったとしても。お前の不満が解消しねーよ」

 

「何でよ! それでいいじゃない! 私の不満は詩歌さんがきちんと評価を受けて、上になってくれればすっきりすんだから!」

 

「馬鹿野郎。そんな評価は、間違ってるぞ」

 

「え?」

 

「御坂がちゃんと詩歌を評価してねーだろ」

 

 上条当麻が言う。

 

「詩歌が自分のことよりも他人を優先しちまう性格だってのは俺だって分かってる。それが正しい行いだって思うから変に気を遣っちまってんのか。でも、そんな遠慮は不要だ。詩歌が“誰にでも”お世話を焼きたがるヤツだとしても、詩歌にとって御坂はその“誰にでも”と分類される相手じゃない。そのくらい俺にもわかる」

 

 温かみのある言葉と言うより、当たり前で、ごくごく普通な、人肌に触れたような温度の言葉だった。

 

「話してもないのに、“だった”なんて勝手に過去形で処理してんじゃねーよ。このまま御坂が『イヤだ』って言わないまま有耶無耶にしちまったら、またいつか不満が溜まって爆発しちまうことになるぞ」

 

「……そんなのわがままで、私の勝手よ」

 

「勝手で良いじゃねぇか。たまには馬鹿になれよ。今回はインデックスに付き添ったけど、あそこで御坂が素直に甘えてれば、詩歌だって考えたと思うぞ」

 

「Level5になってあの言葉を聞いてから、詩歌さんに素直になれなくなったわ」

 

「あー、反抗期に入ったわけね」

 

「別にそんなんじゃないわよっ……。その三日後に、母から電話が来たけど」

 

 『美琴ちゃん反抗期に入ったの!?』と幼馴染からの連絡網で心配になった美鈴が電話がかかってきた時は頭が痛くなったが、それは相当心配させてしまったせいだろう。

 

「だいたい、そう自分を卑下するもんじゃねーぞ。詩歌のやることが何でも正しいってわけじゃねーし、御坂も俺から見りゃ十分天才だと思うし、そもそもそんなの比べるもんじゃねーだろ。御坂は御坂だ」

 

「……そうね。結局、私は詩歌さんのこと嫌いになれない。そのことがイヤなのに、そういうところもひっくるめて憧れてんのよ。矛盾してるけど」

 

 憤懣たらたらに、御坂美琴は唇を尖らせる。

 

「こうなったら行方不明の第一、二、四、六位(残りのLevel5)が見つかってくれないと困るわね」

 

「ほう」

 

「じゃないと、大っぴらにお姉ちゃんを自慢できないじゃない」

 

 ふっきって。

 さも当然に言い放った。

 上条当麻はたまらず噴き出す。

 

「あの、御坂さん、つかぬことをお聞きしますが……“見つけるだけ”で良いの?」

 

「見つからない相手に投票させることはできないから」

 

「おい、超能力者って一筋縄ではいかない人格破綻者集団って聞いてんだが」

 

「姉の傍若無人はその上よ。私が保証するわ」

 

「いや、全く以てその通りだと思うが、当麻さんが言いたいのはそういうんじゃなくてな。ほら、前に第一位にやられたんじゃなかったっけ?」

 

「真剣にやって同じ相手に二度も負けたのは見たことがないわね」

 

「第二位は、ナンパでメルヘンな野郎だって聞いてるが」

 

「この三年間の常盤台の撃墜記録聞きたい?」

 

「第四位は、えらく物騒な奴なんだろ」

 

「怒らせた詩歌さんの方が怖いわね」

 

「第六位は、どこにいるかもどんな奴かもわからねー」

 

「神出鬼没さと気まぐれな行動力は誰も追い付かないけど」

 

「……、」

 

「それで第五位よりも腹黒で、第七位に負けないくらい未知数よ」

 

「んで、第三位と同じく素直じゃないな」

 

「どこかの愚兄と違って、馬鹿じゃないわね」

 

 テンポは良いが、わけのわからない方向に進みそうな言い合いに、ちょうど誰かがくしゃみをしたところで、

 

「それに……絶対に負けないで、ってお願いするつもりだから」

 

 それだとはりきり過ぎて、一位二位いっぺんに相手取りそうだから、兄として止めてほしいところではあるが、

 

「ま、幼馴染(御坂)はそうじゃねーとな」

 

 そして、こちらの目を真っ直ぐに見ながら、

 

「で、アンタ。詩歌さんの代役(ピンチヒッター)なんだから、絶対に勝ちなさいよ」

 

 そんな要求をして、御坂美琴は先に一歩、会場へと進んだ。もういつも通りの声で、背中からでは表情も判らない。

 ただ、彼女にとって幼馴染の代役が務まると認められると言うことはつまり。

 こんな風に言われたら、何があっても無様は見せられない。

 

「ああ、詩歌の代わりに御坂との“共同作業”全力で頑張らせてもらう」

 

「………」

 

 が。

 上条当麻はまったく気にしていないが、思いっきり地雷を踏んだ。

 そして、今更ながらふたりっきりの状況に気づき、サウナに入ってないのに釜茹で地獄的な熱気にやられたかのようにゆだつ美琴の脳内。もとい、複雑な乙女心。

 それにきょとんとするどんな状況下でも感情の揺るがない驚異の安定性あるいは鈍感な愚兄。

 

「どした?」

 

「ハァッ!? なななななァに言ってんのよん!?」

 

「言葉が変になってんぞ!?」

 

「アンタの方が血迷ったことをの、ののっ、ののの宣って! のたうちまわりなさい!」

 

「うおっぷ! おまっ! ここで電気はマズッ!?」

 

 毎度おなじみの電撃が飛んできた。

 

「きょ、きょ共同作業とか、そんなこっぱずかしい言葉を使ってんじゃないわよッ!」

 

「なんで!? 普通に使ってもいいだろ!」

 

「よくないわよっ!」

 

「恥ずかしいと思う方が変な想像してんじゃねーかッ」

 

「うっさい馬鹿!」

 

 感情が高ぶっているからか、いつもより幼く見える後輩に、当麻は何故か怒る気持ちが湧かなかった。どうも、この御坂美琴という少女にはあまり本気で反論できないのだ。裏表のない真っ直ぐな気性が、当麻には好ましく映るからかもしれない。どういうわけか今回も濡れ衣かどうかはわからないが自分の発言に原因があるわけだし、多少の理不尽を許容するべきだろう。少なくとも痴漢冤罪よりはずっとマシだ。

 ちらりと周囲に目をやると、かなり見られていた。近頃の若者は、と今にも説教してきそうな教師や、『なんかケンカしてるヤツがいる』と友達に知らせる女の子や。これからどうなるのかと期待の眼差しを向ける子供などもいた。

 最も顔が知られている超能力者という肩書が無くとも、美琴は目立つ子だ。それが憤慨すればイヤでも興味を引く。

 当麻は暗示眼鏡を左手で位置を直しながら、

 

「ッ……うぅぅ~っ」

 

 なんとか言葉を絞りだそうとする美琴を押し留める。

 男女のケンカというものは、いつでも女が先に怒り出し、男が先に謝る。

 昔の偉い人がそんなことを言ったらしいが、上条当麻の人生において、それは見事に当てはまる真理。そしてそのことに、当麻は何の不満もなかった。

 とにかく謝ってでも仲直りしたい相手が、身近にいるのは幸せなことだと思うからだ。

 よって、正攻法に。

 

「よし、無用な争いは止めよう。平和的にいこう。何か言い合っちまってるけど、当麻さんは喧嘩したいなんてこれっぽっちも考えてない」

 

「……言いこめたところで鉾先を引くなんて、ずるいわね」

 

 ずるいって、まあ、確かにそうかもしれないが、だったら何をすればこの中学生は納得するのか。

 

「あい、わかった。よろしい……―――精神的サンドバック当麻さんを罵りなさい」

 

「は?」

 

 両手を広げて全部を受け止める勢いで……けど、その発言に、美琴は全身脱力して戦闘態勢を解いてしまう。

 

「はぁぁ……アンタ、やっぱり馬鹿?」

 

 でも、一応罵ってる。

 

「言い込められた分をやり返すには最適な方法だろ? 少なくとも気が済むまで電撃ぶち込まれるよりもマシだ。あ、でも、当麻さんは罵倒されて喜ぶ特殊性癖は持ち合わせていないことはよく理解してくれ」

 

「そんなウェルカム状態じゃそう思われても仕方ないわよ。客観的に見れば明らかに被虐罵倒志願の変態でしょ。変態ッ!」

 

 

安泰泉 一階 廊下

 

 

『『金星の槍』も『兎の骨』も使えない。なら、ここは『夜の斧』にしようか』

 

 

 そういって、あの襲撃者の男は黒いナイフにこちらの顔を映した。

 それだけだった、と思う。それ以降、あの路地裏で助け起こされるまで、自分はいったいどうやって逃げたのだろうと言うのは覚えていない。

 

 ザクザクッ。

 ザクザクッ。

 ザクザクザクザクザクザクザクザク!

 

 そして、耳障りな音が残った。

 その日から、夜になると、聞こえる。

 何かを斬るのような音。常に拾ってる電波、AIM拡散力場とは、違うもの。

 世界が不協和音な空気に息づいた瞬間、目を開けると、“それ”が嗤っているのが見えた。姿も見せず、影も落さず―――しかし、確かにけたたましい笑い声をあげているのだ。

 その笑い声が、鼓膜にこびりついているというように耳を押さえても聞こえる。頭蓋骨内に反響する。

 眠れない夜が始まった。

 

(……………あ)

 

 暗部に生きる人間として、寝ていても反応できるだけの訓練は受けてるつもりだった。ただこれには警戒することができなかった。

 かすかに、話し声が聞こえた。

 

『………どうです? ――さん』

 

 そう訊くのは、少年のでも襲撃者のでもない女の子の声だった。

 思ったよりも近くて、おそらくこちらの高さに合わせてしゃがんでいる。柔質な発音は、人物の性質をも想起させた。きっと、ひどく優しく、掴みどころのない性格だ。そして、続く答える声も同じ性質だったと思う。

 

『これは、――の考えてる通りアステカの魔術だよ。邪神テスカトリポカの化身のひとつである<夜の斧>――ヨナルデパズドーリの呪いがかけられてるかも』

 

『黒曜石の鏡と関連があり、十字教では悪魔と認定されてるあのテスカトリポカですか?』

 

『うん。アステカの邪神テスカトリポカは千の化身を持ち、手にした楽器から発せられる、野獣の雄たけびや不吉な鳥の鳴き声で、聴くものを衰弱させ、最悪死に至らしめるんだけど、その千の化身のうちのひとつが<夜の斧(ヨナルデパズドーリ)>』

 

『厄介なものですね。――さんがいれば、右手で触れるだけで解呪できたんでしょうけど……――さん、今、少し頭を働かさせてもらっても大丈夫ですか』

 

『うん大丈夫。もう湯あたりの影響はないし、誰だか知らないけど、魔術が関わってるなら私は知恵を貸すよ。それにどーせ――はこのまま放っておくなんてしないでしょ』

 

『ありがとです。あなたの『助言』は心強い』

 

 声だけでわかるぐらいに、嬉しそうに彼女が笑った。

 

『ふふふ、そう言えば、さっきすれ違ったあの人、久々に見た顔ですね』

 

 優しく、胸に指が触れた。

 

『<夜の斧>の呪いにかかった人間は、夜になると斧を振り下ろすような音が聞こえるんだけど、その正体は取り憑いた亡者の胸にある小さな二つのドアが開け閉めされる音。対処法は、亡者の胸の正しい方の穴に手を入れ、黒い心臓をつかむこと。そうすれば、悪霊は退散する。……でも、どっちに呪いがかけられてるかはもっとよく視ないと』

 

『ふんふむ。つまり、二択問題ですか。時間もありませんし、それなら……スマートとは言えませんが』

 

 ―――そのまま、胸に、何かが入り込んだ感触。

 

『ダメ、そっちじゃない! この亡者の心臓は左じゃなくて』

 

 少女の叱咤より早く、自分は異変を察知していた。

 彼女が二つあるうちの片側の(ドア)に触れた瞬間―――自分の身体から、能力の力場とはまた違う、何かモヤのようなものが飛び出したのだ。

 モヤはご馳走に飛び付くように必死になって―――その触れてる指先から彼女の肉体へと消えていく。

 

「――――」

 

 解放された滝壺の、両目が薄く開かれ、おぼろげながら眼前に映る、がくり、と力が抜けた彼女の顔。

 

『まさか、失敗したら治療しようとした人間に感染するように組み込まれてたッ!』

 

 とかく、その身体を急いで支えようと銀髪の少女。

 それを―――彼女の身体は片手で制した。

 触るな、というジェスチャーに、少女は留まり、その意思の有無を確かめるように翡翠の目で覗く。

 その間も、彼女の身体は動き、右手を自身の胸に添えた。

 再び光が灯り始める瞳が強い意志を取り戻す。

 ギリ、と噛まれた唇が朱に染まる。

 右手の指先が、(ドア)にかけた。

 彼女の意思も肉体も―――亡者などには冒されていなかった。

 

『これで、今度は間違えない』

 

 呟きには確信したもの。

 『どちらかが正しい』という少女の助言を信じれば、二択の片側を選んで間違いだったなら、もう片側を選べば正解だ。

 試験で、○×問題の答えを全て○にすれば半分ぐらいは点数を得られると同じチートな発想。

 

『私に投影された幻想は―――この右手でぶち殺す』

 

 その掛け声のあと、散華し、汚染しようとした呪いは綺麗さっぱり消えた。

 

(………)

 

 意識が、遠ざかる。

 ふたりの影もまた、遠ざかっていく。

 最後に、こう、声が聞こえたのだ。

 

「じゃあ、あとはナイトにお任せしましょう」

 

 

 

「先生こっちだ! 早く来てくれ!」

 

 次に耳に入った音は、斬る音でも笑い声でもなく、あの少年の声だ。

 寝起きでありながらクリアになった思考。目覚めた視界で、状況を素早く把握する。

 廊下、そこに設置された椅子。頭には彼のジャージを丸めた枕が敷かれて、滝壺はそこで横たわっていた。倒れた人間を無闇に動かすのはマズいと判断したんだろう。声の主である少年は、滝壺のところまで一階にある医務室から常務医を連れてきた。

 

「はま、づら……?」

 

「滝壺……」

 

 しばし呆然と自分の名を呼ぶ少年の声を聞いた。

 

「目が覚めたのか、よかった。……先生!」

 

 弁当を買った戻り途中から、意識が失う直前の記憶が途切れたが、彼の顔を見るに余程心配させてしまったのだろう。

 

「わかってる。少し失礼するよ」

 

 息切れてるが白衣を纏った医師は真剣な目で滝壺の容体を診察。それで粗方見終わると、一息つき、

 

「寝不足だ。不眠症かね。君、ここ最近眠っていないせいで随分体力が落ちてる」

 

 と、施設の常務医は断言した。

 

「そうなのか?」

 

 確認するよう浜面が訊く。

 心当たりはある。首を縦に振る。あの『音』で眠れなかったのは事実だ。

 して、さして不審に思った風もなく、常務医は軽く肩をすくめた。

 

「とりあえずは、横になっておけば問題なかろうがね。間違って風呂に入ったまま眠って溺れてしまうことがないように。大丈夫なら、ここで休んでいても構わないが、医務室まで運ぶかね?」

 

「あ、いえ。ここで休ませてもらいます」

 

 かぶりを振って、滝壺が緩くうなずいた。その上下も、どこかぼんやりとした、夢のような仕草だったが、表情にはほんのわずかずつだが血色を取り戻してる。

 

「では、これ以上ここに私がいてもお邪魔なようだ」

 

「ありがとうございます、先生」

 

「しっかり彼女についててあげなさい」

 

 そうして、常務医を見送った浜面に、滝壺は、ひとつ問う。

 

「ねぇ、はまづら、さっきまでここに誰かいなかった?」

 

「いや、俺が来た時には滝壺しかいなかったが……何かあったのか?」

 

「うん……ううん、何でもない」

 

 頭をゆるゆると横に振ると、少しの間だけ、目を瞑る。彼の横で。

 久しぶりに、ゆっくりと眠れそうな気がした。

 

 

安泰泉 9階 イベント会場

 

 

 いざ決戦の地へ! と時間になりイベント会場へ……と、そこでばったり、

 

「はうっ……!」

 

 御坂美琴の前にいる欧州系の金髪少女。開いた口がふさがっていない微妙な表情をしてるが、数ヶ月前だが、よく覚えてる顔だ。

 

「げっ、あいつは」

 

 そして、背後で眼鏡装備のツンツン愚兄が反応。美琴の背後にスライド、更に隠れるように縮こまり、しきりに眼鏡の位置直しする。明らかに挙動不審。存在感を薄めようとひたすらに石ころとなり背景に徹してる。これでは何かあったのかと勘づく。

 

(またコイツは、女の子関連で何かしたのかしら……)

 

 しかし、会いたくなかったというなら美琴も同じ気持ちだ。

 でも、この世界はどうやら目線があったらバトルを仕掛けないといけない法則でも働いているのか。

 

「アンタ」

 

 怯んだのは一瞬で、すぐに持ち直した金髪少女フレンダ。声をかけられ、ビクッ、と後ろで震える。美琴はそれにこの暗部の少女と何らかの縁があったとますます確信を深め、とりあえず追及は後回しにする。

 

「何?」

 

「まさか自分が勝った気でいるんじゃないでしょうね?」

 

「はぁ?」

 

「結局、事前情報が問題なわけよ。アンタが第三位(レールガン)ってわかってればもっと入念にぬいぐるみをしかけてたっつうの」

 

 あの『実験』時に敵対したこの金髪少女は、美琴が襲撃を仕掛けた施設の至る所に、対発電系能力者(エレクトロマスター)の罠としてぬいぐるみ爆弾を仕掛けて、美琴を追い詰めたことがある。最後は格闘戦に持ち込まれ、幼馴染直伝のハイキックで蹴りがついた。

 あの時は精神的に肉体的にも限界近く、余裕はなかったが、今は顔を見るまで忘れてたくらいの恨みだし、積極的に事を荒立てようとは思わない。負けず嫌いな性格を自覚してる美琴だが、これはさしてこだわるような問題ではない。

 しかし向こうはそう無視できるようなものではなく、

 

「それに私と滝壺と麦野であのままやってたら、こっちが勝ってたんだから、そこんとこ誤解すんじゃないわよ」

 

「あー、はいはい。別に勝った負けたとか後になって文句言うもんじゃないでしょ」

 

「……御坂も割と勝敗にしつこい方だと思うぞ」

 

「何か文句でもあんの?」

 

「いえ何もないでせう……」

 

 とかく、逆恨みに付き合うのは面倒だし、関わりたくないので美琴としてはとっとと別れたい。

 

「こっちはあの後すっごく大変だったのよ。任務失敗で麦野がすっごく塞ぎこんじゃって」

 

「フレンダ。こちらの情報を第三位に与えたところで超無意味です」

 

 そんなとき、フレンダとは違い、こちらと面識のない? もう一人の少女が諌める。

 が、基本的リーダー以外では止まらない彼女はその少女の分もぶつける。

 

「絹旗だって変な小学生に邪魔されて、逃がしちゃったし。私らを嵌めようと仲間の情報を伏せとくなんてマジで腹黒いんだけど」

 

 それは違うな、と石ころ愚兄にもわかる。あの頃の御坂美琴は単独行動だった。凶暴と噂を聞く第四位とその仲間をどうやって追い詰めたのか――この第四位の信望者の少女の発言の限り、相当プライドをへし折ったようだ――想像できないが、『全部第三位の仕業』と情報操作した分も含めて、妹の仕業だなー、とは気づく。

 色々とお手柄や功績を肩代わりしてる当人である美琴もそれを分かってるのか、軽く溜息を吐きながら口を閉ざして、聞き流してる。

 

「結局、スタイルで圧勝してる麦野が、お子様体系なアンタに負けるのは何かの間違いだったっつうわけ」

 

 バチッ、と一瞬火花が散ったような気がしたが抑えてる抑えてる。しかし、あまり我慢が得意でない方の感情タイプの人間が、このまま挑発され続ければ爆発する可能性が高い。

 石ころ兄はよく耐えてる後輩を励まそうと小声でエールを送る。

 

「(御坂の歳ならまだ将来性は十分にあると思うぞ)」

 

「超高電圧の電気風呂で脂肪をゼロにするまで燃焼されなかったら、黙ってなさい愚兄」

 

 脅迫ともいえる発言で返される。

 さっきよりも大きな火花が石ころ兄の眼前で散った。

 あれ? 何か余計にお怒りになってるし、こっちに矛先が変わってません?

 

「へへーん。図星だから何も言えないんでしょ! アンタのまな板じゃ麦野の貫禄には逆立ちしたって勝てないのよ!」

 

 だから、これ以上ビリビリを挑発すんじゃねぇよバカ野郎!? 何かこっちにバッチンバッチン八つ当たり火花が散ってんだよ!?

 っつか、何か話題の趣旨が変わってきてる気が済んだが、お前らスタイル勝負で競ってたの!?

 ―――もし先の一件がなければ、そう言っていたところだ。

 何も言わないことにますますドヤ顔になる金髪少女……と、そこでもう一度、ビート板の少女が、

 

「そろそろ超いい加減にしないと麦野に超報告しますよ」

 

「……わかった。今日はプライベートだし、この辺にしておいてあげる」

 

 素直。

 相当その麦野――第四位を心酔してるのか、それとも恐ろしく上下関係を躾けられてるのか。

 そうして、散々言って金髪少女は少しは溜飲も下げたようで(一方、後輩はかなり“充電”されたようで一体どこで発散するつもりなのか心配だが)、それ以上喧嘩を吹っ掛けることはなく、そのまま愚兄に気づかぬまま……ふと、

 

「そういえば、第三位(レールガン)もこのイベントに参加するつもり?」

 

「そうだけど。何、アンタらも」

 

 すると笑みを浮かべて―――宣戦布告する。

 

「はっ、けど残念だけど結局、私達が出場するから、第三位は参加賞しかもらえないってわけよ」

 

 そして、踵を返す。

 彼女の欠点……自身の体型にあれやこれと言われながらも耐えたのだ。虎の威を借る小狐程度の挑発に乗るはずがない―――そう、上条当麻はゲコラーを見誤っていた。

 

 御坂美琴はよく覚えてる。

 フレンダが“目の前で多くの可愛いぬいぐるみを爆発した”ことをよく。

 

「そう、限定版のプレミアムなゲコ太も…………………」

 

 今、温泉プールエリアにいるはずなのに、強烈な冷気を感じた。言うまでもなく、第三位様だ。凍てつく瞳で、離れる金髪少女をじっと追っている。いかん。充電済みの雷様がお怒りになってる。『安泰泉。温泉プール開放当日に落雷発生』などと電子板ニュースに流れる悪夢まで予知した。

 

「ねぇ……」

 

「な、何だ御坂、さん?」

 

「アイツ、人形を爆弾にしたのよね」

 

「何だそれ? そういう能力か―――「許せないわよね?」」

 

 相槌を打った。

 いくら鈍感でも、生存本能だけは間違えないつもりだ。

 それでも日常的に“こういうの”に耐性のある愚兄は、『安泰泉。女子一人感電死』などと言う未来を回避するために口を動かす。

 

「でもよ、アイツわざわざイベントに参加するくらいだから、いくらなんでも別に爆弾に使うとか考えてねーんじゃね? 例えばここ最近元気のない友達にプレゼントとか……」

 

絶対に、勝つわよ(負けは、許さない)

 

 頭上にオーラ的な文字がありありと見えた。

 

 

 

つづく

 

 

 

雪原

 

 

 

「お願い、当麻さん。私のために復讐して」

 

 

 素直に、可愛らしい声で、自分に乞う。媚びたような、甘えるような、それでいて芯のある。昔から覚えてきたそれは、すぐ背中から聞こえてきた。

 

「弱いあなたは、私を守れなかった」

 

 弱い、守れなかった。

 その言葉が、頭の中で何度も響く。

 

「でも、それなら私が力を貸してあげる。ううん、全部あげる。だから、私達の無念を晴らして」

 

 彼女はあまりに近過ぎて、その息遣いが聞こえる。その音が好きで。彼女の声が好きで。彼女の鼓動が好きで。彼女の全てが好きだった。

 

「……復讐。そうだな……力があったら、やってみてーな」

 

 だから、あの場面を思い出すだけで、不幸にしてやろうかと思う。

 そうすればどれほど気分が良いか。何も考えず、全ての望みも捨てて怒りに身を任せれば、どれほど気分が良いか。

 それを考え―――そして振り返らず彼女を見ないまま、応じる。

 

「で、テメェは誰だ」

 

 分かった。教えてくれた。

 これは、愚兄の夢に侵入してきてるのだ。

 はっきりとした違和感が、そのことを確信させた。胃の腑に石でも詰め込まれたかのような異物感が、夢全体をギシギシと軋ませていた。

 

「詩歌は……俺の妹は俺に復讐しろとか言わねぇんだよ。いっつも頭良くて……馬鹿みたいにみんなに優しくて―――なのにテメェはなんなんだよ?」

 

 左腕が熱を持つ。

 絶縁してる右腕とは対照的なそれは、極度に特異な力、巨大な力に敏感だ。

 <禁書目録>の手ずから、再び巻き直されたが、この裡から干渉する夢世界では関係ないようだ。

 つまり、上条当麻の夢に何者かが侵入したということ。

 だが、それでも上条当麻は、

 

「俺の大切な妹の真似なんかしやがって……その幻想ごとぶっ殺すぞっ!!」

 

 ひどく弱い、愚かな、疫病神ではなくまだ人間の上条当麻は―――それがただの虚勢に過ぎない事を自らも悟ってた。

 

 結局、上条当麻の右手が殴りつけたのは、現実世界にいる愚兄自身の顔だった。

 

 

 

 曇天の空、見渡す限り雪白の地面。

 起きてすぐに。

 軽く上着を羽織っただけで身支度を整えた上条当麻は、ホテルを出た。

 移動中、携帯電話に一通のメールが入ってるのにも気づいたし、走りながらそれを読んでいた。

 そして、国境を出て、この雪原の光景に少し感じ入った時、携帯を閉じた。

 

「よー、カミやん」

 

 こんなところでも調子を変えずに声をかけてくるのは、やはり土御門元春だった。

 

「土御門……」

 

「久しぶりに世間話したいところだけど今回は仕事で来てるんだにゃー。なので前置きなしに早速本題―――上条当麻、こっち側に来ないか? 決戦に参加するつもりなら、一緒にローマ正教を倒すぞ」

 

 そう言って、手を差し出す。

 仕事と言った。そして、この状況から考える限り、今回は科学側の使者なのだろう。あのフランスの時と一緒だ。

 

「言っておくが、もし学園都市と敵対するようなら、『処分』も検討されてる」

 

「おいおい、学生に脅しをかけてどうするんだよ」

 

「なら、おまえはどうするつもりだ。どうしてここにいる? お前の帰る場所は学園都市で、妹はここにはいない。上条詩歌から何か頼まれているのか?」

 

「んなの、フィアンマのヤツをぶん殴るためだよ。詩歌からなんも頼まれちゃいねーよ」

 

「だったら、なおさら学園都市についた方がいいと思うが。<神の右席>はそう簡単に手の届くようなところにはいないぞ」

 

「そっちこそ、この当麻さんが戦局に影響を与えるとでも思ってんのか、俺は妹に全部任せちまうダメな兄だぞ」

 

「そのダメなヤツが第二位と同じ力から製造された兵器をダメにしたんだろ。それと、お偉いさん方は、そのリボンの下の左腕にも興味津々だ」

 

「ああ、何か落書きされちまってな。消そうと思ってんだがこれがなかなか落ちなくて、恥ずかしいから隠してんだよ」

 

「聞いたぞ。魔術を、使ったそうだな」

 

「まぐれだよ。ここに来るまで色々と試したが、さっぱり何もできねーな」

 

「本当に、そうか?」

 

 土御門はこちらの表情を見つめている。

 だが、この会話の最中、当麻は表情を変えない。仕事できたということは味方ではない。土御門が単刀直入に投げかけた段階で、その情報が精神を揺さぶれるかどうかを試しているのは、分かっていた。

 そして、こういうの(スカウト)がくるのは、前々から予期していた。

 強引な手段を取らないのも、今回の大決戦の審判である上条詩歌――ではなく、香椎――へ対する配慮だろう。この愚兄を害するようなら、彼女の気分も害するかもしれない、と。まさに虎の威を借る狐ではなく、妹の威を借る兄だ。何と情けない。『勝手にしろ』と言われて置いてけぼりにした香椎が自身を守るような真似をするとは考えられないが……

 

「そうに、決まってんだろ」

 

 だからこそ、動揺はしない

 少なくともそれを、表情には出さない。

 それをサングラスの奥の、同じくなんの感情も映さない瞳が、値踏みするようにこちらを見つめ、

 

「なあ、カミやん。“良い夢”は見れたか?」

 

 『夢枕』という他者の無意識に干渉する魔術がある。そして、上条当麻は、いつもより厚着に服を着ている嘘吐きの、見えた、わざと見えさせた首元に血の滲んだ包帯――能力者が魔術を使った痕跡――が確認できた。

 それに。

 上条当麻は―――

 

「いや、昨日は疲れてぐっすりでな。何も夢は見てねーんだ」

 

 ―――演技を続ける。

 演技は得意だ。記憶を失ってからずっと記憶があるフリをしてきたのだ。

 土御門からは、反応はない。

 しかし、完全に綱渡りだ。少しの動揺で、落ちる立場に上条当麻はいる。

 だが、それと同時に、少しはこの男を信用してもいいと、思う。この左腕も狙われていると、わざわざ教えてくれたのだから。今後は、より警戒を強める必要はある。

 と、学園都市側の使者は無表情のまま―――

 

 

「いい加減寝惚けた事ばっか言ってんじゃねぇぞ」

 

 

 当麻は、動かない―――土御門が、動く。

 交渉で、終わらないとは、覚悟していた。

 向こうは、本気で殴りかかってくるつもりだった。それも殺すつもりだ。

 きちんと反応、対応しなければ、当たり所次第では死ぬ可能で今である。

 どう対応する?

 脳の中で神経信号が繋がり合い、思考し、そして、愚兄は実際に動いた。

 

(ああ、くそ……しょうがねぇな)

 

 と当麻は内心で愚痴り、まず左足を、後ろに半歩下げる。まるで迫力に臆したかのような格好で、『おい待て』と間抜けに手の平を向けて。

 そしてそこで、静止をかける愚兄の両手を縫うように拳が抜けて、

 

「ぐあっ」

 

 あっさりと胸で、喰らった。肋骨に鈍い音が走る。派手に体が吹っ飛び、雪原を転がる。

 意識が朦朧とする。それほど土御門の拳は、人体急所を的確に穿った。

 その反則打の土御門は、

 

「あっれ~。カミやん、どんだけ強情なの? それとももしかして、本当に前より弱くなったのかにゃ~?」

 

 と、驚いたような顔で胸を押さえて蹲る上条当麻を見下ろす。

 

「くそ、いきなり何しやがる……」

 

「おいおい、カミやん。パンチ一発も耐えられないのかにゃー?」

 

 攻撃を受けるには、上条当麻は慣れてる。夏の海でも、連打を耐え凌げたのは、その経験が助けてくれた。今はその時よりも磨かれてるはずだ。

 罅を入れられても内臓が傷つかない場所を、傷つかないような角度で、殴らせることができたはずだが―――それにしては本当に、意識が朦朧としている。

 

(不幸だ……)

 

 やっぱり、自分はこういう失敗をしてしまう。

 でも、これはこれで、このリアルな演技で諦めてくれるのなら、不名誉の負傷も安い買い物だ。

 今はとにかく、目をつけられたくない。

 発表会でもないのに子供のように張り切って、手の内をさらしてやる必要もない。

 無視しても構わない対象だって認識してもらわなければ、ただでさえ望みの低いギャンブルの勝ち目がさらに遠のく。

 出し抜こうとするバケモノ組織二つが、こちらの都合よく潰し合ってほしいのだ。

 なら、自分は侮られていたほうがいい。

 限界まで馬鹿にされていたほうがいい。

 奥の手を秘匿する必要性は、高い。なにせ、ここにいればこそこそと我慢する時間は、一週間もない。

 だから、

 

 

「―――おい、何手加減してンだァ?」

 

 

 上条当麻は、このまま無抵抗でいるつもりだった。

 土御門に何度殴られようと蹴られようと、耐えるつもりでいた。

 一応、信用できるのなら、大した怪我を負うことなく終わるはずだった。

 じゃあ、これで話はお終い、と下がろうとした土御門の背中を杖で押さえたのは、この雪原と同じ、何もかもが白い、悪魔、だった。

 

「おい、一方通行っ!?」

 

 突然、乱入してきた学園都市最強の超能力者は土御門を杖で軽く突き飛ばす。

 突きどころが悪かったのか、ちょうど拒絶反応で負傷してる場所だったのか、土御門の顔が、苦悶に歪み、その身体は後方へと吹っ飛ぶ。

 その動きは凄まじく速く、少しも雪を弾かないほど制御されている。やはり、この第一位の実力がかなり高いことが、改めて確認される。

 

「俺達はガキの使いやってんじゃねェンだよ。寝惚けてンのかテメェ、邪魔する可能性があンなら、徹底的にブチ殺した方が良いに決まってンだろ」

 

 土御門は、起き上がれていない。

 同じ組織に所属していると聞くが、その土御門を無理矢理にどかしたという事は、止める者は、おそらくいない。

 そして、一方通行の視線がこちらに向く。薄く笑みを浮かべ、

 

「よォ、ヒーロー、アイツを殺しちまったのは本当かァ?」

 

「……………ああ、俺が詩歌を殺した」

 

 あの『実験』から一万も救った『悲劇を食い止めるための存在』が、たった一人を殺した。

 そう、先日入ってきた情報の真偽に、一方通行は興味なかった。

 だが、この愚兄の目を見て、その口から聞きたかった。

 そして、喉元からつっかえるように吐き出された言葉は、一方通行に唇を歪ませるには十分だった。

 

「ハッ、ハハハハハハハハハハハ―――!! そいつァ愉快だなァオイッ!!!」

 

 その面相は、言葉とは真逆。

 

「どっちが強いか確かめたくなったンでなァ。ちィっと力を試させてくれよォおおおおッ!!」

 

 直後。

 白い雪原に白い悪魔を始点に、空へと枝分かれしながら広がり地平を覆う黒ずんだ翼―――『冬』を画題にした絵画のようなモノトーンの世界。

 白と黒。生と死。葬式(とむらい)の色。

 <黒翼>が断頭刃(ギロチン)のごとく、頭上へと落とされようとしている。

 であるが、逃げて背中を見せるようなことはせず、死刑囚のように愚兄はそれを受け入れていた。

 

 炸裂する轟音。

 

 大地に亀裂が走り、衝撃波が巻き起こる。

 噴き上がったオセロな白い雪と黒い土が一時視界を遮る。

 しかし。

 その爆風の中心地で。無数の黒い翼に360の角度から取り囲まれたはずの愚兄は、グチャグチャの肉塊になどなっていなかった。

 ぐらりと圧された身体が揺らいだが、真上に掲げられていた右手が、漆黒の暴威を防いだ。

 直撃しなくても余波だけでも生身に耐えられるはずのない攻撃を受けて、たった一発のパンチに倒れた人間が生きている。

 もちろん無傷ではなく、でも、致命傷は受けていない。

 衣服は泥に塗れて、こめかみ辺りが赤く滲んでいる、が、そのけして折れない二本足で立っている。

 一方通行を見据えるその目は死んでいて、なのに……

 

「違ェな」

 

 一方通行は、知っている。

 あの無能力者は、最強の超能力者を触れただけで封殺できる『力』がある。

 あの第零位の少女と同じく、前兆を感知できる能力を持っている。

 そして、弱くても生き抜くことへの不屈な精神がある。

 その三つがあったからこそ、この無能力者は超能力者にとって恐ろしい敵となりえたのだ。

 

 ―――しかし、一方通行が見たかったのは違う。

 

 更に爆張する<黒翼>。

 その内から強大な力が放散する。

 たった右手一本の防衛手段で防げるものではなく、回避場所を埋め尽くすように計算されている。

 そして、最も脅威であった、今の無能力者は、生きるべきことさえも手を抜いてしまっている。

 

「―――は。ダセェな。たった一人殺したくらいで、潰れてンじゃねェよ」

 

 <妹達>の屍を背負うと決めた一方通行。

 かつての『上条当麻』の遺言を叶えた上条詩歌。

 だったら、賢妹を殺した愚兄は、そんな彼らと比べて全力を出していないのか?

 勝手に背負った重荷に潰されてしまっているのか。

 わかっていた。

 考えれば考えるほど、上手くいかない。何もかもが裏目に出てしまう。

 ―――いちいち馬鹿なことで迷ってどうする。

 誰かが言った。

 確かに、その通りだ。

 考えるのを止めさえすれば……目の前の相手を倒すことだけを考えていれば、いいのではないだろうか? それこそが愚兄の宿命であるような気がする。

 思い出すたびに痛みを覚えるくらいなら。

 この左腕に残されたモノを全て消して、妹のことも全て忘れてしまった方が―――

 黒翼の一振りが落とされた。

 

「おい、コラ」

 

 わざと明後日の方向に落されたが、それだけで地面が爆裂した。

 背筋に、冷たいものが走る。

 余所見をすることを許さないとでも言うように、上条当麻の眼前に、悪魔の血塗られた瞳が愚兄を見据えていた。

 

「いつまで舐めた真似してンだ。ヒーローが下向いてンじゃねェぞ」

 

 次いでもう一振りが横薙ぎに振るわれる。

 外れた<黒翼>が地面との激突で炸裂した衝撃波は雪原を飲み込み、大津波に愚兄の身体は埋もれた。

 

「この程度でアイツが殺せるはずがねェだろ。手ェ抜いてンじゃねェぞ。どンな手で殺したンだヒーロー!!!」

 

 一振り一振りずつ。

 遠方にある震度計で安全閾値を大幅に超える衝撃が、この雪原に見舞われる。

 あまりの震動に、もはや立っていることさえも難しい。すでに一方通行は、こちらを狙っておらず、無造作に暴力を振るっている。笑みすら浮かべていなかった。ポケットに手を入れたまま、翼を失い這いつくばる地竜を見下ろしている。いつまでも反撃してくる気配のないそれを不愉快気に。

 そして、

 

「クソ、もう終いだ」

 

 

 ―――プスッ、と。

 

 

 力を見せろ、と言った一方通行の<黒翼>が、右手に触れずに縮小した。

 その第一位の言葉は、嘘だったのか、オセロで反転するよう景色は元のまっさらな雪景色のみになる。

 当麻の意識が<黒翼>に向いていた、その不意を突くように、気絶していたはずの土御門が動いていた。

 だが、その攻撃は見えない。おそらく、針か何かが飛ばされた。

 呆気なく、身体に、刺さる。

 おそらくは毒か、麻酔薬かが塗られていたのだろう。

 すぐにそれが、後者だと分かる。強烈な眠気が襲いかかってきて。

 

「……あー、テメェら、端っからそのつもりかよ。どっちが強いのか云々は、どうした?」

 

 半眼で目の前の第一位と嘘吐きに向かって言うと、一方通行は少し小馬鹿にするように目を開き、言う。

 

「はァ? ンなガキみてーなことに興味があるヤツがいンのか?」

 

「………」

 

「元からテメェも興味ねーだろォが? どうせ此処に来たのだって“ワザと負けようとしたンじゃねーのか”。違ェか?」

 

「………」

 

「土御門の言う通り、ほンと弱くなっちまったな。もうちょい期待してたンだが」

 

「……勝手に期待してんじゃねぇよ」

 

「その無様が考えあってのことだろうが、今の“手を抜いちまってる”テメェはその時点でヒーローじゃねェ。殺すに足らねェ三下だ。あのブレインが言う通り、こりゃ無駄死にするな。この件から手を引いて、大人しく街に帰ってろ。お前じゃ、役不足だってわかったンだろ」

 

 枝分かれした黒い翼を二つまで減らした第一位はこの展開になったことを、まるで当麻のせいであるかのように、憎悪すら含めた怒声を吐きかける。

 

「手を抜いてりゃ、そりゃ楽だろーなァ! だがな、テメェみたいな馬鹿が考えて動いたって中途半端なンだよ! 手を抜くくらいなら、戦うンじゃねェ! それともそれがテメェの全力なのか? 全力で生きてんのか? ああ? アイツの分まで生きるなンて寝言ほざく資格はテメェにはねーぞ! 死に急いでる三下に誰も代役を頼ンでねェンだよ!」

 

 ここまで言われて我慢できるほど、自分が大人だとは、思えなかった。胸の中にはそれなりの怒りが渦巻いている。

 しかし。

 自尊心など、目的を達するためには、邪魔なものだった。一瞬の満足のために、先に続く未来を捨てることになる。

 一度、それで自分は失敗したのだ

 本当に大事なことだけをひとつに絞れ。

 だから自分に、言い聞かせる。殺せ、と。我意を殺せ、と。願いを叶えるチャンスは、今ではない、と。

 こんな意味のない、私闘になんて付き合ってられない。

 失敗してもいい、とあの時、言われたが、そんなものは上条当麻自身が許せない。

 自分が殺したのが皆の幻想(ユメ)を負った少女だというなら、その重荷を降ろした先で起こすとそう決めた。

 

「起きたら自白剤と外科手術が待ってンぞ。その左腕はサンプル行きになるかは、ブレイン次第だが、まァ、義手にもすぐに慣れンだろ、三下」

 

「くそが……」

 

 唇の肉を噛む。血を飲む。

 途切れる意識を、痛みで繋げる。

 ダメだ。

 愚兄は追い付けない。確実に来るであろうポイントで待ち伏せでもしなければ、そのチャンスは訪れない。

 ここで学園都市に帰らされるわけにはいかないし、ここで奪われるわけにもいかない。

 だから―――

 

 

「―――“降りろ、詩歌”」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『<神降し>、という自己暗示の技法。本来、契約主であるその宗派の神を人の身体に宿らせるというものなんだけど、今のとうまの場合、その使い魔にした主は―――』

 

 

 出発前に、ひとつだけ覚えた発動キーワード。

 上条当麻は異能が使えるようになったとしても、知識、知能、経験……資質以外にもあらゆるものが不足していて使えない。

 ただ、それと同じように素人に毛の生えた程度の実力しかなかった第三王女は“ある一定の条件下”でローマ正教の大魔術儀式の核としての役割を果たせた。

 もう一度。

 上条当麻はけして魔術も能力も使えない。

 それでも短期間で、目的を達するに必要な、けして生兵法ではない本物の能力を身につけるなら、“神懸かる”しかない。

 この左腕の中にあるものが溶け始める。

 保存するに適しているが、氷では、いつまで経っても身体に浸透しない。ここにある結晶は水になって溶け合うことで交われる。無論、火で炙り続ければ氷もいつかは蒸発して面影は消えてしまうことになる。

 またひとつ、幻想という氷を溶かして、脳に冷えた何かが差し込まれたような感覚に当麻は呻いた。

 

「わかってる。最初からお前から預かったものも全部含めてお兄ちゃんは賭けてる。だから、勝つ」

 

 この胸を打つ際に掠った拳打から、幻想となった彼女の片腕が投影する左手<幻想片影(イマジンシャドウ)>は<肉体再生(オートリバース)>を持つ能力者に触れていた。

 自分ではなく彼女にはこの力に、知識も、知能も、経験もある。

 今動くために必要なのは、回復時間―――この肉体を侵す麻酔薬を出さなければならない。だが一秒ごとに強烈な睡魔が襲い掛かって、<肉体再生>の演算を頭に浮かべることすらもできない。

 とにかく麻酔薬の効果を抜くために新陳代謝を強引に活性化。まともな行動可能なレベルまで自身を引き上げなければならない。

 雪原という環境も不安材料のひとつ。ただでさえ第一位との戦闘で消費した体力を加速度的に減少させていくだろう。

 そんな一刻の猶予もない状況下だというのに、気分は比較的冷静だった。自我が薄れていくのが幸いして覚醒(トランス)に入り易かったのか。溶けた『氷』に冷やされた思考は雪よりも冷たかった。酸素、酸素が必要だ。呼吸をして酸素を取り入れろ。過呼吸になろうと、気にしていられる状況ではない。

 今はひたすらに頭を回転させろ。頭蓋に疼痛が襲い掛かろうが、今は頭を働かせるための燃料が必要だ。大丈夫、問題ない。懸からせる神の力が信仰によって決まるのなら、不可能なことは何もない。

 

 おはようございます―――と耳に入る誰かの声が、瞼を閉じかけた当麻を無理矢理に、これっぽっちも自覚することなく反射的に、目を覚まさせる。

 

 

 

「麻酔薬をもらって、立った、だと……っ」

 

 対象を回収しようとした時、その上条当麻が立ち上がる。

 麻酔薬はその右手で打ち消せるようなものではないはずなのに。そして挫傷した怪我ももう治りかけている。この現象は土御門にとって体感しているもの。

 だとするなら、考えられるのは一つ。

 やはり、左腕に何かがある。

 それが分かっただけでも収穫だ。

 

「他人の手を借りてやっと起きあがれたくれェで調子に乗ってンじゃねェぞ!」

 

 そして、それを見てなお、一方通行は収めたはずの二つの<黒翼>を―――

 

「……邪魔するな」

 

 右手が、掴み取った。そのまま後ろへ手繰られたように一方通行がぐい、と当麻へと引き寄せられた。

 網にかかった魚が、海水ごと陸に引き揚げられるように。

 ぶんっ、と当麻は左腕を振り回す。

 <幻想殺し>の右手ではないことに、第一位は判断を無謀と見た。<黒翼>が展開されようが、あらゆる攻撃を相手に跳ね返す『反射』は切っていない。

 しかし、<幻想片影>は<一方通行>を識っている。

 『反射』の膜に触れる直前で、逆のベクトルに引かれるその動き。

 <一方通行>を研究し尽くした研究者とあと“もうひとり”しかできなかった攻略法。

 透過したように『反射』の絶対防御を通り抜けた左拳。

 

「テメェ……ッ」

 

 だがそれは牽制の軽打(ジャブ)。夏休みの時ならば倒れただろうが、今の一方通行では倒せない。

 再点火し、前以上に爆長する<黒翼>。避けようのない暴威網が秒を待たずに完成する。

 死ぬ。

 これは、死ぬ。

 この雪と同じように、形も残さず消える。

 

 

 <黒翼>が―――降り落ちる。

 

 

 その羽が自分の額へ迫るのを、上条当麻は見た。

 上条当麻自身は、すでに死を覚悟した。

 だが、その左腕は、その死に触れていた。

 左手が掴み取った死を―――その時に上条当麻は理解していた。羽が落ちる寸前に、どうしようもなく愚兄の根幹を揺さぶった。

 

(わか、る……?)

 

 それが、体を勝手に反応させた。

 たった一歩。

 一歩だけ、左へ。

 その一歩が―――<黒翼>の間合いを絶妙に外し、右手を盾に受け流すことで、当麻のこめかみから、ほんのわずか外れた地面へ、ベクトルを誘導する。

 

(これが……)

 

 見切り、という。

 指一本さえ入らぬぎりぎりの間合いで、当麻の身体は<黒翼>を回避し、ベクトルの暴威網を抜け出してしまっていたのだ。

 ただ、反射的に動いてしまった身体を、頭脳がより的確に調整する。

 だから、奇跡は何度も起こらない。

 <黒翼>が地面に着弾するたび、当麻の身体は消し飛んでいる。無数の羽は愚兄の何もかもを突き崩し、ただの肉塊へ変えていく。

 第一位の暴力は、まさに天変地異。一切の生を許さず、徹底的に敵を潰す脅威。たかが右手一つで、対抗できるはずもない。

 なのに。

 愚兄は、倒れない。

 急所に至る前兆だけを頭が読んで、半ば予知的に上条当麻は回避してしまう。

 もう、答えは出ている。

 自分が倒れない理由を、検証し終えている。

 これまで、()れていなかったこと。

 ここまで、(さわ)れていなかったもの。

 

「一人じゃ……ダメだったな……」

 

 感知したのを知覚が補正する。

 流れに沿い、半歩足を進め、自然に掌を出す。

 

「その力。やっぱりアイツの……」

 

 第一位が、悟った。

 その前兆に、当麻は知る。

 次の一撃は、当麻の身体では避けることなどあたわぬ、これまでで最上の一撃。右手の処理機能を大幅に超えているだろう。

 

 正面から、漆黒の羽翼が振り落とされて―――

 

 そして、愚兄は理解する。

 自分が、この左腕に残された限りある面影を大事にし過ぎた故に見失っていたものを。

 この片影に、頼ってはならない。すがってはならない。

 だが、彼女の影なしに、自分がすべてに勝てるはずもない。

 ならば、あの時と同じように補合しろ。

 妹の影だけを別に考えず、自分のすべてと以てとして立ち向かえ。

 

「―――」

 

 自然に、上条当麻は息を止めていた。

 すでに、その思考は、愚兄の意思を離れた無想の域に入っている。

 当麻はまだそれまでは理解していないが―――それは能力であり、魔術だ。

 不可能を可能にしようと現実に干渉する意思の力が能力でなくて、才能なき無能が幻想を実現させようとする願い祈る術が魔術でなくてなんだというのか。

 

 ―――振り落とされた<黒翼>が、当麻の右の掌に吸い込まれるように受け止められてから、巻き込むように捻られ、引っ張られるように一方通行の体勢を崩した。

 

 その勢いのままに、今度こそ愚兄は右手を突き出し、吹っ飛ばされた一方通行は荒れた雪原に大の字で倒れた。

 

「俺はテメェらなんか、相手してるほど手は空いてねぇんだよ」

 

 ただでさえ弱いのに、手を抜ける余裕はない。

 ウサギとカメのどちらかといえば、愚兄はカメだ。

 一等になるには、肺が潰れようが全力で走り続けるしかない。この230万の中で頂点に君臨し続けた第一位との対峙で、愚兄はそのことを確認する。一番上を目指すなら、下を向いてばかりいるのではなく、

 

「よォやく、上を向いたな“ヒーロー”」

 

 起きあがる一方通行の顔に、悪魔の笑みが戻っていた。

 

 

「邪魔してやるよ。本気の全力でなァ!」

 

 

 

つづく


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