とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 墓荒し

英国騒乱編 墓荒し

 

 

エジンバラ

 

 

 エジンバラ。『エドウィンの城』という意味をもつ地名。火山の溶岩で形成される強固な地盤で、古くから行政府・商業都市として栄え、金融業が多い。友好都市を結んでいる日本の京都のように、イギリスのロンドンに次いで観光客が多い街で、

 

「―――というわけで、シスター探検隊! 1!」

 

「2の!」

 

「さ、3!」

 

「お い!」

 

 イマジン・ブレイク!

 

 あの最後の晩餐で『俺、この戦いが終わったら告白するぜ』みたいなあれこれをやって、

 さあ、これから変革陣営を止めるぞ! という感じで寄り道せずにまっすぐロンドンに……という流れかと思ったのに、何故か、エジンバラに上条当麻はいた。

 

「当麻さん、ノリが悪いです。いくら妹・修道女(シスター)じゃないからって点呼を無視するなんてこれでは隊の士気が盛り上がりません」

 

「そうなんだよ。ちゃんと空気を読んでほしいかも、とうま」

 

「空気を読んでほしいのはこっちでせうよ、詩歌さんにインデックスさんや。キャーリサのヤツがいるのはロンドンで、エジンバラとは真反対じゃねーか!」

 

 新たに着替えた賢妹の装いはアンダーウェアに着物のような振り袖の上着に、帯代わりに締める腰袋。ショートパンツとストッキングに足元には短めのブーツ。まるで、城下に赴くお転婆姫―――けれども、その振り袖に何かを隠してあったり、下は動き易いようスカートではなく、と実用本位で選んだのかもしれない。

 それに掴み易い。

 だが、そのシスターたちの頭に被せている懐中電灯付きのヘルメットは悪ノリに違いない。そもそもちゃんと探検隊がしたいなら、インデックスの修道服は雰囲気にあってない。

 と、最後のシスター、絵本に出てくるお姫様のような、ただし実用より装飾にこだわったとされる緑色のドレススカートの第三王女ヴィリアンが申し訳なさそうに。

 

「すっ、すみません。このような時の作法というのを存じなくて、合わせてみたのですが……」

 

「いっ、いやいや謝らなくても良いですよ! これは見本が悪いというか、正真正銘のお姫様にこんな真似をさせた方が悪いと思うし! なので、そんな頭を下げないでくださいヴィリアン様!」

 

 この中で、唯一年齢的に大人な24歳の第三王女は、立場も心境も微妙だろうか。

 詳細も教えられず――どんな移動法かは想像に任せるが、あのトールの<雷神の戦車>と大差ない――このエジンバラの近くまで詩歌と共に移動したあと、当麻を見張りに立たせて人のいない路地裏に<妖精の輪>の『門』を敷き、向こうからインデックスとヴィリアンがこちらに『神隠』させた。

 で、この探検隊のノリである。

 

「それじゃあ、ロンドンじゃなくてエジンバラまで当麻さん達が来た理由はなんなんだ?」

 

「もう、移動中に二回も説明したじゃないですか、大事なことだから」

 

「お空の旅でぶっ飛んでいる最中に話をされても頭に入らねーよ!」

 

 唯一記憶に残ったものと言えば、『この英国軍隊のレーダーと対空防衛兵器は長距離でも空中に浮かぶ異物を発見・撃墜可能。隠蔽してなかったら危ないですねー』、と命にかかわるものだ。

 仕方ないなぁ、とばかりに移動しながら詩歌は説明する。

 

「己を知ることも大事ですが、これから戦う相手のことも知らなくてはいけません」

 

 詩歌はヴィリアンに視線を送る。

 それは姉君の前で宣言したこと、その時の気持ちを思い出させる。

 相手を信じることしかしなかった時から前に踏みだし、人を疑い知ると決めた第三王女。

 この賢妹が何を考えているかはわからないが、ここに自分が来る意味があるとヴィリアンは悟った。

 

(ヴィリアンさんがこちらの作戦チームに派遣されたのはそれだけが理由じゃないんですけどね)

 

 あの傭兵から、こっぱずかしい台詞を吐いたばかりなのでできれば別行動を、と雇い主に嘆願されたからもある。

 あの宴会にも参加せず、逃げるのが得意な運び屋に護衛の懐刀を連れて、第三王女が捜したが、ひたすらに警備と称して外で逃げ回っていた。

 事情を察し、それを少し不憫と思ったのか、賢妹はつけたすように。

 

「たとえ寡黙で感情を表に出さない、意外とギザでシャイな相手でも、知ろうとすることは大事です。それが行動で示すとか背中で語るとかいう分かり難い形であっても。じゃないと、どこかの口で説明しても理解できない鈍感兄みたいになります」

 

「……っ、はい」

 

「え? なんかさりげなくお兄ちゃん責められてる!?」

 

 伝わったのか、第三王女の目に活力の光が見え始める。恋する乙女はなんとやらだ。

 で、鈍感兄へ視線をジト目で移し、

 

「ここから先は、ロンドンから離れているとはいえ『騎士派』の支配下です。キャーリサさんが敷かせる新しい警備体制は魔術反応に重点を置いたもので、自力で魔力を精製できる魔術師が一歩でも街に入れば一発でバレます」

 

 それに、ロンドンにも牽制・偵察としていくらか部隊を割かなくてはならない。

 だから、ここにいるのは完全に魔力を精製できないもの、民間人レベルに微弱なもの、あるいは完全に魔力を隠せるもの。

 なので、異能を打ち消す右手をもつ上条当麻に、自力では魔術を扱えないインデックス、暴力を嫌い魔力精製ができないヴィリアン、妖精ともいえる完全なる隠行を展開できる上条詩歌しかこの場にいない。

 どころか、英国で二番目の観光地であるエジンバラで、表通りに誰もおらず、車道には車も走っていない。もうすでに住民たちは制圧されたのだろう。なので、見回りではなく監視役が異常を察知すれば増援を呼ぶ……という方法が取られているのかもしれない。

 魔術に疎い私には分かりかねますが、と前置きしてヴィリアンがそっと言う。

 

「そういえば、木々に留まる羽虫の数まで正確にサーチできると、以前姉君のキャーリサが豪語しているのを聞いたことがあります」

 

「うん。おそらく狙撃系の術式<ロビンフッド>を備えた『騎士派』が補助の広域応用版で警戒に当たってる、体の五感に頼らず、術式で増強した警戒網だね。でも、イギリス全土を監視するには無理があるから、サーチには隙間があるし、逆手にも取れるんだよ」

 

 とインデックスが近くのビルの屋上を指して補足する。

 いくら『騎士派』が大勢いようと、国全体を広範囲にカバーするのは大変で、どうあっても『穴』ができてしまう。

 

「本来、防犯カメラにも注意を払うべきですが、すでに国家機能をほぼ完全に掌握したキャーリサさんは、地方にまで細かな監視は面倒で、民間に任せたんでしょう。あそこの防犯カメラは動いてませんね。オートフォーカスが働いていません」

 

 これも魔術に頼り過ぎている弊害だろう。

 『清教派』とは違い、『王室派』と『騎士派』には軍隊や警官隊がいるが、そちらは暴動の抑制に向けられているのだろう。何も知らない人間に『分かりにくい魔術』で警告されても理解できないだろうし、ならば銃を携帯する軍に景観を配備した方がいい。

 偵察している天草式の話では一般人はホテルとか劇場など大きな施設に収容されているそうで、このゴーストタウンな様子にも納得できる。

 それでも、詩歌やインデックスの先導で移動してなければ、瞬く間に発見されているだろう。

 ふたりとも、並んでぼんやりと歩いている。

 速くもない、遅くもない、のんびりとしたペースである。

 修道服に和装、それに後ろにはお姫様と取り合わせが奇妙なので、そのそぞろ歩きも当麻の目には随分奇異に映る。

 ヴィリアンは儚く周りに押し潰されてしまいそうな薄弱だとしても王女であり、詩歌にしても、インデックスにしても、存在感の強いタイプなのでなおさらである。

 

「まあ、これもちょっとした歩行者天国と思えば楽しめるものです」

 

「むぅ。私はもっとちゃんとした時に散歩したかったかも」

 

 と、インデックスの頬が膨れる。

 

「でも、とうまとしいかに付き合って、何も起こらなかった方が珍しいかも」

 

「それは心外な評価です。詩歌さんはインデックスさんを可愛がれるような毎日を謳歌したいなと常々思ってるんですよ」

 

「そんなこと言って、ご飯のとき助けてくれなかったのにぃ~。もう、大変だったんだよ」

 

「温かく見守るのも愛情表現の一種です。ええ、どこかの傭兵もそのようなタイプでしょう、ヴィリアンさん」

 

「そう、でしょうか」

 

「そして、時には冷たく厳しくするのも」

 

「と、当麻さんは優しくしてもらえるだけでも十分」

 

「んん? この優しい可愛い妹に何か?」

 

「何もありません」

 

 唇を尖らせて抗弁するインデックスに、目を瞑りながら微笑する詩歌。

 たまに天気や食事といった話題をかわしながら、後ろのヴィリアンや当麻にも振ったり。

 もっとも、どちらも軽口を叩きながら、注意は別の事に向かっていた。

 ふたりが歩いているのは、この街に通る霊脈の上だったのである。今はがらんとしているがここは人の行き交いが多い通りで、ほとんど無意識にではあるが、そういうのは霊脈の上に沿っていることが多い。人の流れと、土地の気脈の流れとは、ある観点で重なるためだ。

 この土地に生きている人々のうねりが、大地にも影響を与えるのである。

 ひとりひとりの命のうねりは、霊脈にも匹敵するのである。

 だから、詩歌とインデックスは、そんなうねりに身を任せていた。

 五感ではなく、そのほかの、あいまいな感覚に頼る。

 たとえ住人がいなくても、彼らが通ったという記憶は色あせるものではない。

 人が歩いたところに道ができる。それもある種の歴史である。当麻もまたここがロンドンと歩いた時とは違うとは何となくわかる。

 そもそもエジンバラは、元々はスコットランドで、イングランドのロンドンとは国が違う。

 時折監視の目を避けながら、この街の生活線――歴史にあわせて、歩いていく。

 もしも、“淀み”があるのならば、いずれは流れのまま、そこに行き当たるように。

 不意に話題を切らせて、詩歌が口を開いた。

 

「うん。ちょっと、空気が悪くなってきたかな」

 

「そうだね」

 

 インデックスも同意する。当麻もここの空気が悪いと感じる。

 その土地の生命線が、人々の生活線に影響を与えるのならば。

 霊脈が淀んでいるのなら、それは同時に、そこに生きている人々にも影響を与える。

 初期であれば、何となく調子が悪いとか、風邪が治らないとか、そういう生命力の低下となって現れるのだ。

 重度であれば―――それは死を招く呪いの汚染となる。

 霊脈に触れるというのは、そういうことだ。

 

「何がどうなってるのかさっぱいだが、ここが目的地なのか」

 

 当麻とヴィリアンには見えないサーチライトから逃れた『穴』。その前は、もうすでに廃れた銀行。人がいる気配がない。

 

「使い捨ての手足として雇っていた<新たなる光>の拠点であったエジンバラ。彼女はそこで計画を準備していたのでしょう。誰にも知られぬように」

 

 第二王女に<カーテナ=オリジナル>を届けた結社予備軍の4人。だが、そんな彼女たちにもここのことを知らなかった。

 

「本当に、何かあんのか? アイツらも何も知らなかったんだろ」

 

「“何も知らなかったからこそ”、見つけるんです。先ほど連絡が入った情報屋も、このエジンバラに当たりをつけているようです」

 

 廃銀行の外観を観察しながら、

 

「私も、あの人の考えていることはだいたい分かります。その投影(トレース)が正確ならば―――ここに、キャーリサさんの秘密があります」

 

 知りたくありませんか? と賢妹が最後に確認をとる。

 

 

ロンドン

 

 

 『叛逆の』王女キャーリサは公邸であるバッキンガム宮殿を離れ、同じロンドン市内にあるウェストミンスター寺院へと赴いていた。ここは『清教派』も関わりが深い場所であるが、クーデターで制圧されたロンドンでは『騎士派』、そして、キャーリサの手中。

 ウェストミンスター寺院は『王室派』と縁がある大聖堂、『選定剣』を用いた戴冠式といった儀式に、王族らの墓所。王の始まりから終わりまでのすべてに関わる宗教施設である。

 

(ま、私はここに眠る予定はないだろーがな)

 

 キャーリサは内心で想いつつ、傍らにいる騎士団長に問う。

 

「大英博物館はどうなってる?」

 

「準備は終えております。いつでも」

 

 イギリスは世界中にある『ポンド圏』とも竜脈地脈で結ばれているが、世界最大の博物館には世界中から魔術的な価値と“歴史のある”器物や骨董品が多数集められている。

 

「かつて英国はローマ正教を後ろ盾にしたEUにより、核兵器とその開発能力を奪う禁止条約を結ばされた。忌々しい事にな。向こうのフランスはアメリカやロシアと同じ核保有国だというのにな。―――だが、英国には『魔術の火薬庫』がある」

 

 大英博物館は、『魔術の火薬庫』とも呼ばれる。

 今は民間に展示されている物品でも、世界各地の霊装呪物に神殿の『見本』となる情報を有し、その『力』を発揮すれば兵器にもなりえる。

 まさしく現代のバビロン、人類最古の英雄王が神話や伝承を築いた数多の『原型』を収めた宝物庫。

 そして。

 それは英国王家の人間にしか取り扱えないよう、血のセーフティーが取り付けられ、開けるに必要な『鍵』が<カーテナ=オリジナル>。

 全て、揃っている。

 

 

エジンバラ

 

 

 その銀行であった建物の建材は質が悪いのか、灰色の表面は百年以上の雨風と太陽に剥がれてしまっている。その玄関と思しき入り口は錆びた鉄柵で塞がれ、その奥は暗く、外から店内の様子まで見通せない。

 詩歌は5秒もかからず鉄柵の鉄棒を綺麗に全部外して、門扉を開ける。

 朝日の下からジメッとした湿気の強い暗闇の中に足を踏み入れる。外から見るよりも、内部はずっと暗かった。

 入口から差し込む光などすぐに届かなくなり、あっという間に世界は闇に包まれた――のも一瞬のこと。

 それでも目が慣れてくれば、だいたい店内の様子が把握できる。

 

「おいおい大丈夫なのか? 探検隊じゃなくて金庫破りの銀行泥棒とかになってね―だろうな」

 

 正直、犯罪くさい光景に、いまさらながらここって私有地なんじゃないかと当麻は心配するも、詩歌はあっけからんと、

 

「ここはもうすでに廃墟となった銀行です。が買収されています。名義は変えてあるようですが第二王女のキャーリサさんに」

 

「姉君がここを……?」

 

「ええ……お?」

 

 と、全員が入ったところで、詩歌は天井の角に設置されている監視カメラを見上げてから、腰袋からスマートフォンを取り出す。

 どうする気だろう、と見守っていると、詩歌はスマートフォンをカメラモードに切り替えた。

 当麻が訊いた。

 

「何してんだ?」

 

「動作状態の確認です」

 

 詩歌は防犯カメラにフォーカスしてシャッターを切った。

 

「学園都市の『外』にある型落ちは、デジタルカメラのCCDセンサーを通すと、人間の目には映らない赤外線が写ります。ここの機能していれば点灯して写るはずの部分を見てください。―――この建物は生きています」

 

 その写真に映るカメラにうっすらとだが光点。

 ここは百年以上まえに設立され、十年以上まえに経営破産した廃銀行だ。なのに、稼働させている。

 

「インデックスさん、位置は?」

 

「うん。外からだと漠然としてたけど、ここまできたらわかるよ」

 

 それを聞いた詩歌は、頷いて、

 

「じゃあ、詩歌さんはここのここで派手な行動しても『騎士派』にばれないよう結界を敷いてから行きます。3人はインデックスさんの先導で先へ進んでください。くれぐれも気をつけて」

 

「了解」

 

 そういって、鋼糸を腰袋から取り出す。糸を張り巡らせて認識をずらす<禁糸結界>。この銀行だけ妙に<ロビンフッド>の応用探査の『穴』だったが、念には念を入れて。

 作業を始めた詩歌を後に、インデックスは進む。

 

「でも、どうして姉君はこんなところを……?」

 

 少し震えた声が、空間に反響する。

 ヴィリアンは、何があるかわからない闇を気にして絶えずきょろきょろしている。それは当麻には分からないし、インデックスも同じ。詩歌も推測の域だろう。

 それでも、先頭を任された修道女の歩みは変わらない。

 迷いひとつとて、その足取りには存在しない。

 銀行へと―――濃い闇の中へと、同じペースで進んでいく。

 

「この建物には何かがあることには間違いない。ほら、この建物の近くは寂れてたり、何もなかったりしたでしょ。土地の気脈が不自然に淀んでいることからして、おそらく、第二王女がここに何らかの工事をしたせいで土地のバランスが崩れてしまってるかも」

 

 だから、ここが怪しいんだよと、インデックスは胸を張る。

 

「つまり、銀行強盗じゃねーわけだな」

 

「違うって、まったくとうまは。それでこれはどうするの?」

 

 は? と当麻は怪訝な顔をすると、インデックスが丁寧に前方を指差した。

 そこでようやく、目の前に何があるのか愚兄は気づく。

 

「ここから先に行きたいんだけど、このピコピコのついた壁みたいのが邪魔なんだよ」

 

「……、」

 

 よし。インデックス語の翻訳だ。

 目の前に電子ロックのついた金庫扉を開けたいんだけど、何とかして。

 

(やっぱり、金庫破りじゃねーか!)

 

 

常盤台女子寮

 

 

 待った。

 すっっっっっごく待った。

 またアイツ無視しやがって、だったら飛行機奪って英国にまで殴り込んでいってやる、ってとこまで考えた。

 御坂美琴は、女子寮の自分の部屋にいた。同居人の白井黒子は<風紀委員>だが、たとえそうじゃなくても、並々ならぬオーラを放つここにいたら部屋から出ていくだろう。

 腕を組んで、じっと充電器に差した携帯電話とにらめっこしていた。

 あのあと、幼馴染から『はてなんのことでしょうか? ふふふ』みたいなメールを返信してくれたが、いくらなんでも誤魔化しだとわかる。しかもその後はばったりと電波障害とやらで通信さえ困難に。真相を聞き出せるとしたらツンツン頭のあの馬鹿だ。

 そして、ついに念が通じたのか、小さな画面にその男の番号が表示された。

 美琴は深呼吸して、まずは相手の言い分から聞いてやろう、と寛大に、一旦は気を静めてから、着信ボタンに指を伸ばしてから、耳に当て、

 

 

『悪ぃ御坂! 今すぐ金庫扉を開けたいんだけど電子ロックの開け方とかわかるか!?』

 

 

「………………………………」

 

 この通話を切ろうかと美琴は本気で考えたが、今まで通信が繋がらなかった事態を考慮して冷静に踏み止まった。

 落ち着け。

 落ち着きなさい、御坂美琴。

 寛大に対応しようと決めたんでしょう。

 どうせ、これもきっと何か面倒な事態に巻き込まれてるんだろうし。

 

『悪ぃ御坂! 今すぐ金庫扉を開けたいんだけど電子ロックの開け―――ッ!!』

 

「―――黙ってなさい!! 今このド馬鹿をぶっ飛ばしたい気持ちを必死に押さえてんだから!!」

 

 待たされた鬱憤も込めた怒声があの愚兄の耳朶を打って怯ませたことで多少の気が晴れたのか、ようやく冷静になってきた美琴は怪訝な顔で、

 

「ねぇ、金庫扉を開けるってどういう状況なの? アンタまさか銀行強盗でもしようってわけ?」

 

『、、ッ!? 違う。色々と。あ、色々とあってだ。ちょっと探検隊みたいなまねごとをしてて、トラぶっちまってな。先に進むためにはこいつを開けなくちゃいけねー状況なんだ』

 

「探検“隊”? アンタ以外にだれがいるの?」

 

 言われて、しまった、みたいな息をのむ音が聞こえた。

 美琴は、馬鹿ね、と長年付き合って幼馴染の顔を浮かべながら。

 

『えー……っと、何のことか当麻さんはさっぱり分かりませ――「ん、っつたら、電話を切るわよ。犯罪臭い事に美琴センセーは関わりたくないし」――nわけじゃあございませんけどね。いや、こっちも全部が全部把握できてる訳じゃねーんだよ』

 

「ええ、アンタに探検隊だなんてふざけた状況にふざけた真似ができるはずがないでしょうし。いるんでしょう? 詩歌さんが」

 

 びくっと最後の単語に反応。美琴は我慢できずに、溜息をついてしまう。そして、しばらく無言で待ってみると、降参して、

 

『あー、うん、ただ、今ちょっと手が離せない状況でな。多分、電話には出られねぇ』

 

 だから、こうして確実にお怒り状態だと分かっている自分のところまで電話したわけか。

 幼馴染の『学生代表』と一緒にいるということは、何か大きな――幼馴染が寸劇をしてまでも隠したい――ことが起きているらしきイギリスにいる。

 あのフランスみたいに。

 一体コイツはどんな人生を歩んでんのよと、頭を抱えたくなる。

 

『それに、時間がない。用事を済ませるのがいつになるかわからないし、悠長に待ってられねーんだ。できれば、すぐにここを開けたいんだけど……』

 

「そう、何に巻き込まれてんのかさっぱりだけど、切羽詰まっているってのは分かったわ。でも、女の子に相談する内容じゃないわね」

 

 美琴は呆れて二度目の溜息をついてから、

 

「じゃあ、こっちにも訊きたい事があるからそれに答えなさい」

 

『あのライブ中継なら違うぞ。いや、あれはウソはついてねーけど、事情があって正直に話さなかっただけで、誤解させちまうかもしれねーけど、当麻さんは決して………』

 

 わかってるわよバカ、と美琴は思わず口に出しそうになった。

 何やら必死に弁明をしている愚兄に、深呼吸し、これだけは分かっていなかったら許さないと真剣な想いを声音に乗せた。

 

 

「詩歌さんは、無事、なのね」

 

 

 ああ、と不思議と頼もしい声が応えてくれた。

 

 

ロンドン

 

 

 しゃこんっ、と小気味のいい音と共に街全体に氷の粒が舞わせた大気が氷結。

 

 

 氷牢がいくつもできあがり、十数人の騎士を傷を負わせずに閉じ込めた。

 

「流石、女教皇様!」

 

「退散です。急ぎなさい」

 

 『清教派』の残存勢力には、新生天草式の他にも、元アニェーゼ部隊やエキシカ姉妹、シェリーやステイルといった独立した魔術師も存在するが、やはり『速さ』と『隠行』という点には<聖人>を軸に据えた新生天草式が最も優れているだろう。

 準備をしているその他のメンバーを後援に、隠密機動に特化した新生天草式は、ロンドンのキャーリサの位置、および兵力など変革陣営を調査、および、ロンドンが戦場になることを見越して閉じ込められた一般市民たちの避難などと行動。

 もちろん、キャーリサや騎士団長の常識外の化物クラスの2人には見つからぬように―――しかし、

 

 パキン、と氷牢が破られた。

 

 ドーヴァ海峡で、神裂火織の『白閖』、<神の力>を通した氷壁は騎士達の攻撃を防ぎ、<妖精>よりは一段レベルが落ちているとはいえその隠行は悟らせなかった。

 だが、このロンドンはエジンバラとは警戒のレベルが違った。

 完全武装の騎士は、<聖人>クラスでどうにか渡り合え、集団で迫られれば逃げるしかない。

 

(明らかに常人が耐えきれる<天使の力>の量を超えている!)

 

 <騎士団長>のような例外も存在するが、『騎士派』の兵は王族の血筋でもないし、『神の子』と相似した肉体をもつわけではない。

 いくら『天使軍』の恩恵を得ていても、本物の怪物には勝てない。

 だが、その定理が覆されようとしている。

 

「女教皇様!」

 

 ごっ、と振り落とされる完全武装の騎士の長剣。

 まったくの力業で、<聖人>が展開した氷壁が砕かれる。もはや魔術でも何でもなく、純粋な暴力によるものとしか思えない。

 神話か伝説にしか存在しないような、圧倒的な暴力の権化。

 軍神――いいや、破壊神とでも形容すべきか。

 それもひとりではない。

 ゴッ!! と爆音が炸裂。

 ある騎士は巨鎚で大地を揺るがし、またある騎士は槍先から雷撃を放つ。

 叛逆の王女か護国の騎将が相手でなければ、と考えていた神裂でさえも自然と表情が険しくなってしまう。

 術式、動作、呼吸、表情、目線の動きまでつぶさに観察する。

 完全武装の騎士は、何も呪文を唱えていない。最初に遭遇した時と変わっていない。

 

(おかしい、この力は一体……? いくら『騎士派』といえど、その身体には限界があるはず……っ! あれは)

 

 そこで、神裂はその長剣に気づく。

 見覚えがある。

 それはかつてローマ軍に恐れられたケルトの武具―――

 

「―――っ!」

 

 その事実に。

 神裂は、石でぶん殴られたようなショックを受けた。

 

「……まさ、か」

 

 思わず、声が上ずってしまう。

 魔術は、いくつかの記号を繋げることにより、物体に魔術的な記号を持たせることができる。通常は、世界や自分の魔力を術式によって封入することで、『力』を発揮するものだ。

 だが、

 

「あなたたちは……魔力の方を霊装から供給させてる……あの物知らずな王女は、『天使軍』だけでなく、『火薬庫』まで開いたというのですか!」

 

 希少だが、霊装にはそれ自体が『核』となり、働くものがある。

 今まさに武器として振るわれている、大英博物館に展示されているはずの長剣がそうだ。

 だが。

 これは発想の逆転だともいえる。

 通常、霊装呪物とは、魔術師を補助するための道具だ。魔術師が手に取り、正しい扱い方をすることで正しく力を発揮させる。たとえば自動車の知識もなしに運転しようとして、ブレーキとアクセルを間違えて事故を起こしたり、その技術のないものには、意味のないもの。むしろ、肉体が耐えきれずに破裂する。

 しかし。

 『騎士派』――もっと厳密に言えば、キャーリサという王女は、その発想を逆転させた。力業で屁理屈を押しとおした。

 <全英大陸>による<天使の力>供給でバックアップしようにも元々が特別ではない人間を補助してもたかが知れている。しかも、『天使軍』は英国内限定である。これから先欧州全土へと赴くためには――無論、対処策は講じてあるが――<カーテナ>以外の方法も探るべきだ。より圧倒的な軍事力を。

 ならば、特別でない兵を補助して底上げするのではなく、特別な道具に頼らせればいい。半端に力を与えた騎士だけではなく、道具の核にも<天使の力>を与える。つまり、人間という主電源を超える予備電源。特別でない人間ではなく、特別な道具を主体とする。

 この力の源は、『天使軍』だけでなく、『魔術の火薬庫』――全英博物館にある世界各国の霊装呪物を『選定剣』により侵略的な英国の色『天使軍の武器』に上書きして統べたものなのだ。

 

(ただし、この使用法はイレギュラー。いくらなんでも無理があり過ぎる。自動車が運転できないからといって、分解して単純な燃料に変えているようなもの)

 

 確かに、霊装呪物には、使い捨ての品も存在する。

 詩歌の<筆記具>や、ステイルの<ルーン>、オリアナの<速記原典>など、いずれも使い捨てる道具だ。しかし、それ単体で『核』となりえるほどの霊装となると、到底そんなレベルでは追い付かない。

 大袈裟ではなく、国宝級の品もありえる。それこそ『大英博物館』で目玉となりえるようなものも。

 それらを燃料として火にくべようとしている。

 国宝級とは、単なる金銭価値のことではない。

 そこまで至ったモノとは、もはやひとつの歴史に等しい。

 多くの人々が関係し、時に血の涙を流し、時に分かり合い、時に奪い合って、ひとつずつ積み重ねてきた歴史の象徴である。それらの歴史を傍らで見てきたからこそ、名のある特別なモノになりえたのだ。

 いくらかすかな残留思念でも存在すれば魔術で復元できるとはいえ、手に触れることすらも禁じるべきもの。

 もし使い潰してしまえば形が同じであっても、その中にあった魂はなくなってしまう。

 『叛逆の』女王のしていることは、十全に力を発揮させるために、ひとつの歴史を食い潰そうとする簒奪にほかならぬ。

 問題はそれだけではない。

 

「あなたは―――」

 

 完全武装の騎士を見る神裂の声に力がこもる。

 日本にも『手に取ったものの性格を豹変させてしまう妖刀』とあるが、『核』を持つほど自我の強い道具というのは、毒がある。魔道の<原典>に近い。

 いくら<カーテナ>で支配しても、その道具が認められないのなら反発し、下手をすれば自我を乗っ取ろうとする。闇咲の<業魔の弦>と同じ。

 この騎士は、すでに意識がないのだ。

 

「作戦変更です。一刻も早く、彼らを解放します」

 

「はい!」

 

 その一言で主の意図を悟り、騎士の背後に隠れていた新生天草式の五和が鋼糸を放つ。

 

「<七教七刃>!」 「<七閃>!」

 

 七つの鋼線による斬閃は、同時に完全武装の騎士を前後挟み打つように放った女教皇のものと絡みあって、『金生水』の理で強化した氷結の堅牢が、騎士を全方位に押し包んだ。

 相手がそれで怯んだところで、さらなる連撃を加える。

 左右からフランベルジュを構えた建宮と斧をもった牛深が走り抜ける。

 何の意思疎通もなく、絶妙なタイミングで行使されるコンビネーション。

 それは、新生天草式となってからより深めた呼吸だろうか。

 そして、妖精の隠行に加え、ギリギリまで始動を悟らせないまさに古武術の極みともいえる歩法。

 

「「ずぉらあああああ!」」

 

 相乗された双撃は、凄まじい魔力の奔流となり、烈風さえ巻き起こした。いくら『天使軍』といえどただでは済むまい。

 その二人の攻撃に尚も畳みかけるように、神裂が令刀を納める鞘、五和が長槍で騎士の鎧を打つ。

 しかし、

 

 

「はっ、その程度じゃ無駄だし」

 

 

 声が、聞こえた。

 出会ってはならない怪物の暴君の。

 また、仕留めたはずの完全武装の騎士は反撃に転じて長剣を振るい、神裂の<七天七刀>の鞘と打ち合う。

 

「っ……!」

 

「こいつらの鎧は、大英博物館のパルテノン神殿とラインが結んである。おこぼれであってもギリシャの神殿に匹敵する魔術的な加護が身代わりとなっているってことだ。今ので多少痛んだとしても、まーだ罅が入るほどではない」

 

 嗤う声に引きつけられるように振り返り、神裂は睨みつけた。

 第二王女。

 クーデターの首謀者にして、王女三姉妹の中で『軍事』に長けた存在。

 そして、<カーテナ=オリジナル>と<全英大陸>を利用し、<天使長>の力を振るう者。

 

「キャーリサ!!」

 

「おいおい、雑兵が、国家元首を呼び捨てにしていいとでも思ってるの?」

 

 <聖人>の叫びに、キャーリサは平然とした顔で応じる。

 圧倒的な力に頼り切っているものだからこそ、このクーデターは、キャーリサを討てば終結する。だが、彼女は害するものなどこの場に存在しないとばかりに君臨していた。

 完全武装の騎士たちは礼をし、新生天草式も目が離せずにいる。

 美しさに起因するものではなく、少しでも注意を逸らせばどうなるか。

 その危機感をこの場にいる全員が共有していた。

 

「ところで、『臨時指揮官』はどーしたの。まだコソコソと隠れているのか? もしくは逃げたか」

 

 対し、キャーリサは視線を巡らす。

 一足飛びで斬りつけられる位置に神裂火織がいるというのに、無視する。

 <カーテナ=オリジナル>を肩に担いでキャーリサは、凶悪な笑みを更に広げていく。

 

「だとすれば、意外に期待外れだったな。いろいろと大それた準備をしてやった自分がバカみたいだし」

 

「あなたは……『騎士派』を、歴史をなんだと。この英国の歴史だけじゃなく、あなたを信じて従っていた彼らにこのように消費するような真似をしてどうしてそう平然と!!」

 

 ミシィ……ッ!! という鈍い音が響く。

 神裂火織が、知らず知らずのうちに鞘を握る手に力を込めた音だった。

 

「ぬかせ」

 

 対して、キャーリサは顔色を変えずにこう返した。

 

「数百年を閲した国宝だろうが、必要ならバンバン使い潰すのが人間だし。日常的にも使われている石油も、一万年の時間が造り上げた貴重品だと貴様らも知っておろーが」

 

 ぞくり、と背筋に怖気が走り、

 

「そして、『騎士派』も。何のために高い地位を与え、血税の中から多くの報酬を支払ってると思ってるのやら。国家有事の際には身を粉にし、英国の危機にわずかでも助力すること。それこそが騎士の本懐であろーよ」

 

 瞬間、その物言いについに我慢できなくなった<聖人>が動いた。

 

 

エジンバラ

 

 

 シュゴ、と密閉された空間から空気が漏れる音。

 

 行く道を阻んでいた重厚な――だけど、技術レベルでは2、30年は前の型落ちの学園都市のお下がりで、学園都市で売られている市販の防犯扉のほうが高性能――金属扉がゆっくりと開く。その内側に一層な濃闇を広げながら。

 

「なあ、相談した俺が言うのもなんだけど、常盤台ってどんなこと教えてんだよ」

 

 入ってすぐに施設の状態に勘付いたり、電子ロックをカメラの画像だけで解錠しちゃったり、その気になれば本当に銀行強盗できるんじゃね、と思ってしまう。実際、総力でアメリカのホワイトハウスを攻略可能だと評価されちゃうくらいだし。

 もう何度心配したか数えるのも忘れてしまったくらいだが、あそこは本当にお嬢様学校なのか?

 世界で通用する人材を教育するって、こういう裏世界(アンダーグラウンド)も含んでるのか?

 

『かっ、勘違いすんじゃないわよ。私は自分の力の誤作動で万が一電子ロックに干渉しちゃわないか独学で調べただけで、別に金庫破りとかクラッカーなんかじゃないんだからね』

 

「その台詞も、もうちょっと穏便なパターンはないのか? 詩歌もそうだったが、お嬢様の『ツンデレ』の次元は庶民と比べて斜め上に行っている気がすんだが」

 

『『ツンデレ』ってなによ! 私は別にあんたなんかにデレてなんか―――って、何を言わせようとしてんの!』

 

「はいはい。ま、サンキュな御坂。やっぱり、頼りになるな」

 

『貸し一よ。で、あんた本当に詩歌さんに変な真似はしてないのよね?』

 

「してないしてない。じゃあ俺急いでるからー」

 

『ちょっと待ちさない! なんか声質が焦ってる気が―――ッ!?』

 

 わー、電波障害だー、とブツッと通話が切れた。それから、これからの省エネとして携帯の電源を切っておこう。

 

(ま、まぁ、時間が経てば、頭が冷えんだろ、きっと……たぶん……そうだったらいいなぁ……)

 

 今頃、この不自然な通話切りに、よりチャージされてビリビリしてる様子が簡単に想像ついて、当麻は溜息をついた。

 

「でも、よっぽど詩歌のことを気にしてんだな。相変わらず先輩想いというか、姉大好き(シスデレ)というか……」

 

「とうま……」

 

 何気なく呟く当麻に、インデックスが責めるような視線を向けてくる。ああ、そういえば、こいつも姉大好き(シスデレ)だったと当麻はささっと後退し、

 

「い、インデックスさんはどうしてムスッとしてらっしゃるのでしょうか?」

 

「……何でもないもん」

 

 ぷくっと頬を膨らませたインデックスは、すれちがいざまに当麻の脛の辺りを軽く蹴突くと金庫の奥に。

 なんだか妙にイライラしているような、どこか拗ねているような気がする。原因は分からん。

 愚兄ははてなんのことやらと頭を捻るも、迂闊に聞き出そうとすると藪をつついて蛇が出てきて噛みついてくるパターンになるだろうし、言及しないのが吉だ。

 とにかく今はこの金庫に眠るキャーリサの秘密とやらを見つけなければ。

 と、その妹のヴィリアンはというと、頬に片手を当てたまま、何やらこちらに純粋に感心した瞳を向けていた。

 

「流石は科学技術の最先端、学園都市……。あなた達から見れば、英国の技術もお粗末なものなのですね」

 

「い、いやぁ……それを言ったら、当麻さんは南京錠も開けられないレベルだし、詩歌も美琴も学園都市でも特例の特例みたいな。なので、彼女達を学園都市の学生の一般基準にしちゃうのは過剰評価になっちゃうかと」

 

「それに対し、私はひとりでは魔術すらも満足に扱えない未熟者。私がもっとしっかりしていれば、姉君の暴走を許すような事態にならなかったでしょうに」

 

 どーん、と気落ちするヴィリアン。ローマ正教にあっさりと乗ってしまい、クーデター下で直接的な戦力も提供できず、今も足手纏いだ。やはり、負い目を感じずにはいられないのだろう。

 

「別にお姫様だけのせいじゃねーよ」

 

 励ます気はなく、当たり前のように愚兄は言う

 

「そもそも王様は魔術を学ばないといけないルールはねーんだし、それぞれにあったやり方を見つけられれば良いのではないかと」

 

 魔術は使えない。だから、何なのだ、と。

 才能は別にひとつに限った話ではない。魔術など特異な分野で、普通に芸術やスポーツにもある。

 第三王女も軍事の才能がなくとも、人徳の才能がある。

 軍事の才能がないことを嘆くのなら、己にあったやり方を見つけるべきだ。

 愚兄もそういう弱さを理解できないわけではない。そういう気持ちもあるにはあるのだ。

 それでも、第三王女には才能がある。

 移動中、賢妹も、それを認めていた。

 

『ヴィリアンさんの才能は良くも悪くも他者に依存するものですから、失敗すると他力本願に傾き、悪化すると傀儡政治に陥る。ですが、この危機的状況である今こそが開花の好機。ここで自分の手でパーソナリティを確立できれば………』

 

「それに、俺の妹は無駄に人を危険に巻き込む真似はしたがらない性格だ。だから、ここに連れてきたのには意味があるんだろ。つまり、期待してんだ」

 

 

 

 そうして、インデックスに続いてヴィリアンも金庫の奥へと進んだあと、見計らっていたように、カツン、と足音がした。

 

「ご苦労さん」

 

 当麻は振り返らずに言う。

 他のは分からないけれど、この賢妹の足音だけはわかる。

 

「当麻さんこそ。ただこの何もない空間はホールからでもそちらの様子も良く聞こえ、美琴さんの声も届きましたから、手伝ってもらったのは分かっていました。別にそれは良いんです。……けど、その後が減点ものですね」

 

 あれ? なんか棘のあるような声質だぞ? とビクッとこの肌に刺さりような感覚に振り返る。

 

「まったく、美琴さんやインデックスさんの気持ちが分かります。女の子はデリケートなものです」

 

「えっ?」

 

「今の会話のなにに素で驚いてんですか?」

 

 ぐい、と賢妹が詰め寄る。

 なんだかお厳しい視線を外さぬままに、こちらの胸を人差し指で突く。それもほとんど力をいれてないが、奥の心臓にまで突き通るような指突である。

 

「女の子がデリケートというところ? それとも、何だかんだで手伝っちゃう優しい美琴さん? 自分には全く感謝してくれないことに拗ねちゃう可愛いインデックスさん? この優しい可愛い妹が女の子というところですか?」

 

「ぉふ! こは! ぅほ!」

 

 疑問符を使うたびに、とす、とす、とすと突かれる。そして、最後に突いた指を離さずに、ぐりぐり~と胸を押す。そんなこそばゆい感覚に当麻は顔を逸らしてしまう。

 どうやら、いつまでたっても女の子の扱いが雑過ぎる愚兄にお怒りのようである。

 

「その答えは、後日でレポートでまとめてからメールで送らせてもらいませう」

 

「安全圏で答えようとするのがまたダメです」

 

 と、詩歌は当麻の胸から弓を引くように指を離し、

 

「そして、ふたりっきりになった途端、ヴィリアンさんを口説こうとは、不敬罪です」

 

 冷たい言葉が胸を貫くと同時に、溜めた指が動く。

 弁明をする間もなく、当麻は生理的な防衛反応でぎゅっと目をつぶって、痛みに耐えるために息を止めた。

 

 ………………

 …………

 ……

 

 が、3秒ほどたっても覚悟していた衝撃がこない。

 薄目を開けた当麻の前に、人差し指が突きつけられていた。

 

「でも、私に代わって。ううん、私では言えないことをヴィリアンさんに言ってくれました。加点です」

 

「まあ……たとえ言いたい事があっても考え過ぎて伝えるのに時間がかかって隠しごとが多くなっちまう、どこかの甘えるのが下手だが実は甘えん坊な妹でも、知ることが大事なんだろ?」

 

「一体それが誰のことを指しているか詩歌さんにはさっぱりですが、そんなに言うのなら甘えさせてあげましょうか?」

 

 一度軽く空をくるくるとまわしてから指が鼻先から唇に、

 

「ま、待て何をする気か!?」

 

「甘えん棒です。洗浄してありますから舐めても大丈夫」

 

 びっくりして、口を開けた隙間に、指先が入り込み舌に触れる。

 思わず指先の表面を舐めると、甘い。

 

「なんだこれ? 甘いぞ」

 

 驚くよりも前に、信じられなくてもう一度試してみる。

 やはり、この味はモモだ。

 

「体質変化のちょっとした応用です。自分のパン顔を分ける正義の味方のように、別に舐めても減りませんから心配しなくても大丈夫」

 

 何をしているのかはさっぱりだが、甘い。そして、これが分かり難いというか特異的な照れ隠しである。さっきの思念の羽のように、今の詩歌が何の道具を使わずに指の味を変えられたというのなら、少しずつその何かを掌握しつつあるのか。

 

「どうしたんです?」

 

 当麻は訊けず、代わりに赤ちゃんのように指を強く吸った。ピンチであるが今が賢妹の開花するチャンスでもあるくらい、愚兄にもわかる。

 

「当麻さん、指がそんなに気に入ったんですか?」

 

そうられえへろ(そうじゃねーけど)

 

 これをモノにすればどうなるのか当麻には予想もつかないが、今の上条詩歌とは別物になってしまうのだろうか。『Level6』に『魔神』と呼ばれるような、本当に神様クラスになってしまったら……

 

「―――っ! 当麻さん離して!」

 

 そう考えていると、いや、考えるより早く――何か気配を察知し離れようとした――右手がその生える指の手首を掴んで、そこでタイミング悪く金庫から。

 

「とうまー、どうしたの、なかなか入ってこないけど―――」

 

 扉の前で神経を使う作業から一息ついていた当麻は、がっちりと逃げようとしていた細い手首を確保して詩歌の指をしゃぶっていた。慌てて指を口から解放し、詩歌から距離をとろうとする。も、つばが、未練を残すように、当麻の唇と詩歌の指の間に銀色の糸が引いた。

 現場を見てしまった修道女が、しばし無言で固まり、

 

「しいかに、なにをしてるの?」

 

「インデックス、これは違うんだっ!」

 

「じゃあ、納得のいく説明が聞きたいかも」

 

 説明しても納得してもらえない事は、説明する前からわかっていた。

 客観的にみると、いや、主観的にも冷静になると妹の指を味わう兄って、かなりの変態……まさかのシスコンLevel5(シスコン軍曹クラス)なんじゃないだろうか。

 どちらにせよ、その後、上条当麻は二階級特進した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『ちょっと指を切っちゃって、そしたら、それは大変だと当麻さんが唾液で消毒にと。だから、これは民間療法で、何も変なことはなかったんですよ』

 

 と、噛み痕を付けられたあとだが、インデックスに詩歌が説明。

 愚兄には猛犬だが、賢妹には忠犬の修道女は信じる。

 とりあえず、変態紳士兄? な疑惑は解けた……おそらく。

 

「18世紀前半のエジンバラは人口密度の過密が原因で、不衛生な都市でした。人々は狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めの状態で暮らしており、建物は階層を高くするだけでなく、地下深くにも掘るようにして部屋が作られていった」

 

 金庫の扉を開けると、そこは何もない行き止まり―――いや、エレベーターだった。魔術的な細工はないが、とにかく頑丈に造られたもので、どこかに自家発電装置でもあるのか、この廃銀行のなかでも動くし、明かりも点いた。

 

「より貧しい人ほど、より地下深くの、太陽の光がほとんどまったく入ってこない部屋で暮らし、また当時は下水も完備されてなかったせいで、街の汚水が地下の居住空間にまで流れ込んできていた。そんな環境では当然、病気が流行し、ペストまで発生してしまう」

 

 動かすと、静かな機械音とともにまるで墜落するようにして、深き闇の底へと4人を乗せた箱が降りていく。

 闇の底?

 いいや。

 それも違う。

 この外界からは閉ざされた密室でも、不思議な熱気に気がつくことだろう。

 純粋な温度だけならば、大したことはない。気温を測ったところで、外とさほどの違いは見られまい。むしろ、光のまったく届かぬ分、いくらか涼しくもある。

 しかし、感覚的には別だ。

 今から行こうとするこの地下に、何かがうねくっているのだ。

 ある種の霊感が鋭く、耐性のないものであれば、その異様なうねりに呑み込まれ、意識を失ってしまうかもしれない。

 それだけ強大で、広大で、計り知れない『力』の蠕動であった。

 

「当時の権力者はペストが流行することを恐れ、貧しい人々を地下空間に閉じ込めたまま地下空間への出入り口を塞がせてしまった。つまり生き埋めにしてしまった。大人だけでなく、子供もいたのに……」

 

 エレベーターの室内に、事前にここを調べた情報を語る詩歌の声だけが響く。誰も何も言わない。別に第三王女を責めているわけではないが、国の政治を任されている王室の一員として何か思うところがあるのかヴィリアンは考え込むように沈黙する。

 インデックスもわかっているのだろう。土地の気脈の淀みが溜まっていた寂れた建造物、ここは第二王女が買い取る前から近所で『呪われた土地』として有名だったのだ。

 逆に、『呪われた土地』だったからこそ、第二王女は買い取ったのだろう。

 

「そうして、陽の届く上層に暮らしていた金持ちの権力者たちは、ペストから難を逃れたあと、エジンバラの不衛生な街並みに見切りをつけて、理想的な――現代の新市街を建設した」

 

 音もなく扉が開く。

 暗い、ではなく、(くら)い。

 その先は一変して明かりのない空間というか、闇自体がわかだまっている。

 どこからか水滴が落ちているのか、水琴のような澄んだ響きが涼しげに空気を震わし、背筋を凍らせるように震わす。

 外ではもうすぐ朝日が差し込むというのに、この光の届かない深海めいた地下だけは夜に固定されてしまったように見える。

 時間さえもねじ曲がっているようだった。

 絶対であるはずの時間の流れさえ騙し、弄び、嘲笑(わら)っているかのように思えた。

 

 きっと地獄というのはこういうものではないだろうか。

 

「ふむふむ」

 

 詩歌が手を動かす。

 すると、暗闇に光が灯った。

 電気やガスではなく、古めかしい蝋燭の光であった。あらかじめ壁際に用意されていた品に、詩歌が火をつけたらしい。この闇の中でも、蝋燭の位置を悟るとは、感覚網を強化しているのか?

 ぼお、と丸い光が灯った地下の空間を、予め用意していた懐中電灯付きのヘルメットにも明かりをつけ、詩歌、インデックスの瞳が()めつけながら、慎重に進む。

 明らかに念入りに整備された、地下の空洞がどこまで続いている。一歩ごとに、地獄が先程までいた街の真下にあったという実感が、じわりじわりと身体にしみてくるのだ。

 息苦しいほどの圧力に圧倒されて、息を潜めずにいられない。

 

「ここは、埋められた旧市街なんでしょうか」

 

 当麻も、ヴィリアンの意見に賛成だ。

 足音を殺して、先々へと進んでいく詩歌とインデックスの後を追う。足に小石ひとつ蹴ることなく。

 

「んー……」

 

 その後ろ二人の会話を拾ったのか、何やら歩きながら清めの塩のようなものを蒔いていた詩歌が己の居場所を検索する。渡り鳥の方向感覚やダウンジングと同じ、地磁気や気脈による現在位置の測定。

 

「推定して、地下70mあたり。エジンバラの地下都市を優に上回る記録更新かもしれない地点です」

 

「どんだけだよ。学園都市でもそうねーぞその深さは」

 

 

 そうして、行き止まり―――その目的地に辿り着いた。

 

 

 といっても、剥き出しの洞窟の地肌を整えた程度の四角の空間。

 ただ石で造られた椅子、恐らく王座をモチーフにしたシルエット。

 そして、その座に主の代わりに鎮座する、血塗られたかのように赤みのある黄金の指輪。

 

(なんだ……っ!)

 

 暗くて重いものが下腹部へタールのごとくたれこめた。

 どこかで、視た気がする。

 この魔力を、この感覚を、上条当麻はどこかで知っている気がする。

 当麻の知識では、それがいかなる意味を成すのかはわからない。だが、ひどく禍々しい胸騒ぎだけは、胸をついて離れなかった。

 当麻はこの既視感(デジャ・ヴ)の正体の答えを出してくれるであろうふたりに視線を送り――その内の魔道図書館インデックスが答えを出してくれた。

 

「これは、『三沢塾』で見た<要石>と同じ」

 

 ああ、と当麻は納得。この思い出したくない悪夢ともいえる記憶が、あの時、初めて見えた際の座して眠る『灰の魔女』と一致した。だが、ここのはより濃密で長い年月、歴史を覚えさせるほどスケールが大きい。

 目には映らぬが、凄まじい気脈がその無人の王座に淀むように溜められており―――この瞬間もその赤金の指輪へその『力』が集まっている。

 

「そこは、『墓所』、だね」

 

 続けて、インデックスは口から溢すように言う。

 

「規模は小さいけど、それに反して精度が半端ないかも。これはエジプトのピラミッドにも相当する間違いなく一文明の王様の御墓だよ。それがこの先のたったワンルームほどの空間に集約されてる」

 

 結論付け、だけど、と<禁書目録>は続けた。

 

「だけど、それだけじゃないよ。この『墓所』はこのイギリスの古い地層にまでアクセスしてる。この大陸に沈んでいった古い死までも汲み上げている」

 

 あるいは、先住民たるケルトの死を。

 あるいは、征服者たるローマ人の死を。

 あるいは、その後から侵入したゲルマン人の死を。

 あるいは、この地下都市で死病にかかり埋められたエジンバラの死を。

 長い長い歴史の果てに『英国連合』という大陸は存在し、その積み重なりの末に、『英国の竜(ペンドラゴン)』もまた顕現する。

 ならば、今この淀みに溜まるのは、まさしく『死』そのものであった。

 

「『瀉血』、みたいなものでしょうね」

 

 と、詩歌が付け加える。

 『瀉血』、中世以降、近代まで乱用されていた医療技術のひとつで、汚れた血を抜き取ることで患者の生命力を活発化させること。

 この場合、土地を流れる穢れて淀んだ気脈を抜き取ろうとしているのだろう。一種の浄化装置、ただし破裂すれば、このエジンバラ、最悪イギリス全体で第二の死病(ペスト)が起こる。

 『瀉血』された“血”はその赤金の指輪に誘導されている。いくら質の高い黄金を材料にした霊装でも、『この国全ての死』を負うには無理がある。インデックスと詩歌のふたりが視る限り、それはもう限界に近い。

 

「だったら、そんな怨念染みたモンはこの右手で殺してやる」

 

 あの<吸血鬼>のような怪物とはやり合いたくない。あれは本当に珍しくも幸運で勝てたような相手なのだ。本来なら、100回やっても100回殺されてる。

 もしキャーリサがそのような怪物を生み出そうとするのなら、今ここで形になる前に蹴りを付けてやるべきだ。

 だが、愚兄の進行を横から伸びた腕が遮る。

 

「ダメです。あそこは王の『墓所』。エジプトで幾人もの盗人が無残の死を遂げたように。あの敷地に選ばれたもの以外が踏み入れれば、この地下空間はたちまち崩れ去り、私達は生き埋めになります」

 

「じゃあ、どうするんだよ。このまま放っておいたらこの街どころかイギリス中で大変なことが起こるんだろ」

 

「安心してください。別に今日明日のことではありません」

 

「うん。そっとしておけば、あと半年はもつね」

 

「当麻さんの言う通り、何にせよ、早急に破壊しておいた方がいいでしょう。なので、詳しい説明も含めて、ここは一度指輪を外へ持ち出してからにしましょう。そのためには……ヴィリアンさん」

 

 賢妹はそこで、そのランプ炎の明かりにゆらめく黄金の輝きに囚われたように目が離せずにいる、第三王女へ向く。

 この『王の墓所』を通れることを許されるのは、王族のみ。例外として、<幻想投影>。

 

「は、はい!」

 

「私が『人柱』として残って、“<要石>の代わり”をやります。ヴィリアンさんは来た道を帰って、この指輪を地上へと運んでください」

 

「―――っ!」

 

 つまり。

 この地下洞窟は、『王の墓所』があるからこそ保たれている。だから、その大黒柱である<要石>を壊したり、抜いたりすれば、崩れて生き埋めになるだろう。

 よって、バランスが崩れる前に上条詩歌がその大黒柱を投影して、『人柱』となり、この『王の墓所』を支え、その間にエレベーターでヴィリアンが<要石>を地上へと持ち帰ってから、破壊する。

 

「それだとあなたが!?」

 

「大丈夫です。生き埋めにはなりませんから安心してください。こんなこともあろうかと、銀行に結界を張るついでに<妖精の輪()>も用意してあります。地上で破壊した後、すぐに『神隠』します」

 

「それでも危険だよ! 確かにその方法なら、生き埋めにならないよ。けど、しいかはその指輪にどれほどの呪力が流れ込んでいるのか分かってるんでしょ? それも<原典>の毒素よりも悪質なものだよ! その代わりを請け負うなんて簡単に言わないで!」

 

「皆さんが地上に戻るまでの、ほんの少しの間です。エレベーターからここに来るまでの時間を測りましたが10分もあれば十分でしょう。なので、インデックスさんはヴィリアンさんのサポートをお願いします」

 

「~~~っ!! とうま!」

 

 インデックスの必死な瞳が、何も言わない当麻を責め立てる。

 詩歌を生贄にさせるような真似させるの、死病の毒を浴びさせてもいいの、と。

 瞬きするほどの一刹那に、当麻は一生分の煩悶をした。

 

「あとで出直すっつうのはダメか? まだ、そいつは半年はもつんだろ?」

 

「うん。でもね。泣いているんです」

 

 愚兄の頭に疑問符が浮かんだ。

 泣いている? 何が?

 

「うーん……詩歌さんはちょっとだけ感覚が鋭敏でしてね。最近、それが敏感になってきて。―――それを言葉にすれば」

 

 賢妹が愚兄の目を見て、こう口にした。

 

「ここの気脈は、血を流し過ぎて痛い痛いと泣いている……そんな風に見えちゃうのかな?」

 

「………」

 

 数秒、沈黙があった。

 

「それが……嫌なんだな」

 

「好きではありません」

 

 きっぱりという。

 人でなくとも、不幸に泣いているのなら彼女には変わらないと―――そう言うようでもあった。

 

「……じゃあ、インデックスに代案はあるか? こうなったら頑固だぞ。詩歌が出したのより俺が納得できるようなものがないと説得はムリだろ」

 

「それは……まだ、思いついてないけど……」

 

「ここまで関わっちまった以上、俺は見て見ぬふりはできない―――と詩歌は信じてる。詩歌が、俺に、期待してるんだ。なら、俺は妹の期待に応えられる兄でいたい」

 

 インデックスは地面に視線を落とした。震える肩を通して、彼女の忍耐が伝わってくる。

 わかる。

 だが、これ以外にはない。

 そして、愚兄はこの右手を持つ以上、一緒に居残ることも許されない、真っ先に出ていかなければならない。

 だったら、

 

「でも、詩歌。わかってるな?」

 

「ええ、当麻さんのお願いは断れませんから。―――賭ける時は間違いません」

 

 といって賢妹は『王の墓所』へと、入った。

 

「インデックスさんも、詩歌さんが約束を破ったことがありますか? それにインデックスさんもこれが放置するのは危険すぎるものだとわかってるでしょう」

 

「わかったんだよ……っ」

 

 駄々をこねるように言う。非情な『必要悪』の道具とは思えない、許されない子供っぽい反抗。優しい子だと詩歌は思う。本当なら落ち着くまで待っていてあげたいが。時間がないし、そして、これは“これからの布石に気脈に触れることは必要だ”。

 詩歌はあっさりと墓標の如き石椅子に腰を下ろし、遅れて『王の墓所』に入ったヴィリアンの白手袋に包まれた手の平に黄金の指輪を乗せる。

 

「決して嵌めないでください。いいですね」

 

「どうして……?」

 

 第三王女は、控えめながらも強い芯のある視線を賢妹に送る。

 

「あなたは……イギリスという国家の危機に命を賭けるほどの責務はないでしょうし、学園都市へ帰っても誰も責めはしません。いわば安全地帯へ退避しても問題ないはずなのに、何故あなたは命を賭けるのです?」

 

「別に小難しい事は考えてません」

 

 賢妹はその瞳の奥を見据えながら、口を開く。

 

「そりゃあ、できることならごく普通に学生生活を送っていたいですよ。降ろせる重荷があるのなら楽したいです。でも、この国で、この変革に巻き込まれている全ての人は全力で生きています。だったら、私も全力で応えますよ」

 

 『人柱』の肩代わりが始まっているかもしれないが、詩歌はそんな負荷は見せずに続ける。

 

「大それた理由とか責務の問題じゃない。自分の意地を貫く。結局、私はその為に『学生代表』になったようなものですから。もしヴィリアンさんがヴィリアンさんのやり方を貫ければ、キャーリサさんにも負けないと思いますが。私は期待してるんです」

 

「そんな、私には何も……」

 

 自嘲にも似た苦い笑みを浮かべると、賢妹は『簡単ですよ』とあっさり、

 

「もし敵が多くても、それ以上に味方を増やせればいいんです。そうすれば戦って勝つ事もできるし、自然と相手から戦いを避けてくれるようにもなります」

 

「でも、姉君には『騎士派』がついています」

 

「味方も敵も問題なのは『数』ではなく、重要なのは『質』です」

 

 量よりも質。

 確かにそれはそうなのかもしれない。だが、それは気休めにしかならない場合もある。あの傭兵は百の騎士と引き換えにしても味方に引き入れたい。けれども、流石にこの戦力差はカバーできないだろう。その状況でもし数に物を言わせるような強引な手段に出られたら、とてもじゃないが対抗できない。

 

「―――『質』の意味を勘違いしないでください」

 

 こちらの心の動きを見透かしたような声音。

 

「あなたの『人徳』に、『数』と『質』を別々に分けて天秤にかける必要はない。だから、遠慮なく人を頼ってもいいんです」

 

 ヴィリアンは、強気に笑う詩歌の顔を見る。

 顔は笑っているけれど、その瞳はこの時ばかりは鋭い光を湛えていた。鋭いのに、こちらを貫くのではなく、包み込むような光だった。

 考えてみれば、初めて見えた時も、上条詩歌はこんな瞳をしていたような気がした。

 代表というよりも、王様というよりも、まるで地に足を付けた―――当たり前の人間のような瞳。

 そして、何故か、思い出す。

 

 

『王は、人の上に立つものだ。故に必然として、誰よりもうまく人を使い、誰よりも深く人を信用せねばならん。だが、その上で、王とはだれも近寄らせないものだ。如何に相手を信用しようが、人より一段上に距離を取らなくてはならん』

 

 彼女の言葉は、人の胸へ沁みいるようだった。

 むしろ独り言に近い口調でありながら、いい加減には聞き流せない何かを、その声は秘めていた。

 

『たとえ辛かろうが、寂しかろうが、泣きたくなろうが、そんなことは誰にも漏らしてはならない。その血を引く限り、その道から外れることもならん。人の業から逃げることも、誰かに押し付けることもは許されん』

 

 その記憶の彼女の瞳は、超越した場所から俯瞰しているようで―――どこか寂しげに見えた。

 

 

???

 

 

 時間も空間も生じていない、遥かに原始的な『力』の渦が、地、風、水、炎の四大の核をつくりだし、そこからあらゆる概念森羅万象が生じるのが世界の摂理だ。

 ならば、今、摂理は崩壊しつつある。

 法則が、ズレているのからだ。

 

 そうでなければ、

 歪みが生じてなければ、

 この世界が正しければ、

 

 正しい力の全てを制御し、万全に振るえ、そして、救えるのである。

 

『では、少し……『人柱』に集中しますので、灯りまで気を回せなくなります』

 

 座禅でもするように動かなくなり、その不可視の流れをゆるゆると彼女の身体に通していく。

 風に似た流れ。

 水に似た流れ。

 風水と呼ばれる思想を、その身体で表現していた。

 応じて、彼女の中で、目、鼻、耳、舌、肌、とあらゆる感覚が澄み渡り、平等に研ぎ澄まされていく。

 同時に、その歴史、土地の記憶を思い出すように掘り起こし、同一する。

 その作業は、片手間でできるようなものではない。このように張った結界に侵入を許してしまう。

 刹那でも気を許せば、“あちら側”に引っ張り込まれるのだから。

 

 だが、それこそが正しいあり方のはずだ。

 

 その一歩先に。

 カタチなど捨て、ココロなど捨て。

 時間と空間から逸脱して遡れれば、その重みに苦することなく、『力』という『力』を捻じ曲げる必要もなかったというのに。

 何故、そこで立ち止まる。

 ああ、ズレている。

 こちら側であるはずの『神上』が、愚かで弱い人の価値観に寄り過ぎているのだ。

 無駄なものまで取り込み過ぎて、未練が生じてしまっているのか。

 

 やはり、『神上』を救えるのは、この世界を救える『右手』だけだ。

 

「その前に、少し揺さぶってやろう」

 

 

エジンバラ 地下空洞

 

 

 洞窟を照らしていたランプが消えて、この目線の先だけを照らす懐中電灯の光しか見えなくなった。身体の中心で、心臓が爆発しそうなくらい跳ね回っている。

 

「じゃあ、私について来て」

 

 先導するインデックスはまっすぐにしか限られた視界でも彼女の足元に迷いはない。同じ魔力を精製できない自分とは違って、かすかな魔力も感知できる<禁書目録>には闇の中でも視えるのだろう。

 おびえが筋肉にたまりはじめるも、前を行く小さな修道女に、改めて頑張ろうと思った。

 左手でその肩につかまって、右手に指輪を握って、この闇の中に置いていくことに後ろ髪を引かれながらも、第三王女は行く、その後ろを愚兄が、ついてくる。

 ただ、前を行く禁書目録の気配に頼ることに神経を集中する。

 なのに、どうしても気になってしまう。

 手の中の指輪がひとりでに動いているような気がする。けれど、それは彼女自身の震えなのだ。

 この赤金の指輪をはめていないとはいえ触れているその縁だけではない。変革が始まり、<カーテナ=オリジナル>の復活、そして大英博物館の消費されてゆく悲鳴のような残留思念によって、血液がドロドロになるようにこの気脈も急速に凝り固まり、未熟な第三王女でもほんのわずかな縁を結ぶだけでも、この地下にたゆたっていたいくつかの気脈をその熱をも感じ取れるようになっていた。

 その感覚に身震いする。

 

(急ぎませんと……)

 

 すくみそうになる足を、懸命に奮い立たせる。

 ただ指輪を運ぶだけの自分がこれならば、その指輪の代わりをしている少女には一体どれほどなのか。

 唾を飲み込んだ。

 膝が震えるのを必死にこらえ、奥歯が鳴るのを噛み殺す。

 一度でも恐怖を晒してしまえば、自分は立ち直れるのだろうか。

 人間の強さには二種類ある。

 硬いけど脆い人。

 弱いけど柔らかな人。

 前者はそもそも傷つかぬ代りに傷ついてしまえば弱く、後者は何度となく挫折するがその芯を守り抜く。

 しかし、自分は前者にも後者にも属せず、弱くて脆い、そう思っていた。

 

(私は……)

 

 3分なのか、5分なのか、それとももう10分以上経過してしまったのか。

 とにかく、左足と右足を交互に前に出す単純な動きを、真っ暗闇で続けた。そうしていれば、また怖い事なんて何もない地上に、この奈落の底から抜け出せるのだと自分に言い聞かせた。そうでもしないと役目を放り出して座り込んでしまいそうだ。

 

(しかし、姉君は何故、銀行を買い取ってまでここに『墓所』を造ったのでしょうか?)

 

 この手の中にある赤金の指輪に『この国全ての死』を集積して怪物を創ろうとしたのか?

 <カーテナ>を軍事利用する姉ならば、そう考えても不思議ではない。

 だが、だとしても、何故自分の手で『墓所』などをつくったのだ。<要石>を置く儀式場ならわざわざ一文明クラスの墓など必要ないのに。そもそも英国王室はウェストミンスター寺院で埋まることが決まっている。

 

 そして、答えが出る前に、先頭のインデックスの足が止まった。

 

 その肩につかまっていたヴィリアンも止まる。

 やった。

 自分達は、間違えることなく出口にまで辿り着いたのだ。あとはエレベーターを……………と、インデックスは動かない。不審に思ったのか、愚兄が、

 

「どうした? もしかして、エレベーターの動かし方がわかんねーのか?」

 

 答えない。

 ボタンを押すだけの簡単な操作だ。いくら機械音痴の彼女でも立ち止まっている場合じゃないのに、禁書目録は動かない。

 ヴィリアンは乗り出すように前を覗き、気づいた。

 

「とうま、ドアが開かない」

 

 インデックスはボタンを押している。しかし、その点灯ランプが点かない。消えている。さっきまで動いていたはずの、生きていたはずの箱が沈黙している。

 

「なっ!?」

 

「ちょっ、どいてくれ!」

 

 一番後ろにいた上条当麻が、何度もエレベーターのボタンを押しているインデックスに代わり、その沈黙している金属扉を見る。まさか電源が切れたのか? 故障か? それとも上で何かあったのか……いいや、仕組みが分かっていない素人が考えたってどうしようもない。

 すぐに携帯電話で―――だが、

 

「早く! 短髪に!」

 

「ダメだ! 畜生っ、圏外だ! この地下まで電波が届いてねーぞ!」

 

 学園都市の第三位の助言ももらえない。

 禁書目録の知識も科学には通じない。

 愚兄が右拳を叩きつけても金属扉に阻まれた出口は開かない。

 予定外の事態。

 この3人ではエレベータを復活させるどころか動かすこともできない。

 ただ、時間だけが過ぎていくしかない―――そう考えた時、いつのまにか、自分の足が走りだしていた、誰かを突き飛ばすように押し抜けたことにも、後ろから静止の声をかけられたことにも気づいていない。

 とにかく今も自分達を信じてひとり闇の中で指輪の肩代わりしている少女の痛苦が無駄になるのなら、早く戻そう。無我夢中で、走る。

 

「……はあっ……はあっ……」

 

 肺が引き裂けそうだ。

 

「……はあっ……はあっ……」

 

 いくら息をしても、まるで酸素を取り込めない。

 

「……はあっ……はあっ……」

 

 どれだけ耳を澄ませていても、自分の呼吸しか聞こえない。

 世界が、遠い。その異常な静けさはいっそ耳鳴りを催すほどのしじま。

 不快指数はますます上昇し、王女はぬるい泥の中を掻き分けているような気分になった。

 とうに頭はゆだり、冷静な思考は失せている。壁にぶつからず、転ばなかったのが奇蹟だ。

 ある種のトランス状態でもあった。不幸にも薬香を取り除いていても、まだ効能は残っていた。

 地面は沼を思わせて沈み、灯りは朦朧と闇に溶け、地下空洞が異世界と化していく。その薄皮一枚向こうの、狂気が顔をのぞかせる。

 それでも、この赤金の指輪を『墓所』へ、

 

 ―――つけろ。

 

 ヴィリアンの血液が逆流した。

 

(な、に……?)

 

 ほころびかけていた理性が、やっとそれに気がついたのだ。

 その声を聞いて。

 

 ―――つけろ。

 

 また、声がした。

 脳に直接。

 酸欠な上、明かりも少なくて、ろくに視界を認識できない。

 ただ目の前には、懐中電灯の一筋の光を飲み込む茫漠たる闇が広がっている。

 誰もいない。なのに、その闇のむこう側から、声は聞こえたのだ。いや声だけではない。確かな――薄弱な意思もあった。儚く大気に溶け込んでしまいそうなほど薄くとも、この地下を埋め尽くすほど大きくも思える、狂気の意思。

 違う。

 わからないのではない。

 ヴィリアン自身が、それを認識することを必死に拒んでいるのだ。第三王女の意思を他所に、細胞のひとつずつが総毛立ち、叫んでいる。

 聞いてはいけない。

 聞いてはいけない。

 第三王女を王たらしめている『血』という『血』が、全力でそれを拒絶していた。

 

「……はあっ……はあっ……」

 

 しかし。

 すでに、時は遅かった

 自分の身体の拒否反応にうろたえていたヴィリアンは、その拒絶の意味を理解する前に、視てしまった。

 

(ダメ!)

 

 そんな意識さえ、網膜へ飛び込む光の速度には間に合わない。

 懐中電灯の光に、無数の黒い腕のようなモノが伸びるのが見えた。

 国王が救えなかった民の亡霊。この地に埋められた黒歴史。それが闇と同化して迫るのが見えてしまった。

 

 クルシイ、クルシイ、クルシイ。

 ああ、うまく呼吸ができない。

 

 世界は暗闇の中にある。

 私達は閉じ込められた。

 

 ここから出たい。もっと広い世界が必要だ。

 深呼吸しても胸の中には、自由が足りない。だから、出たい。

 

 デモ、ドウヤッタラダシテクレルンダロウ。

 ダレカボクタチヲココカラツレダシテ。

 

 一方的に押し寄せてくる、たくさんの記憶の波。

 地下に埋められた恨みの欠片と、まるで斜にかかったように暗い世界。

 それを、願いと呼んでいいのなら、彼らの願いは自由になりたい。そして、この誰かに縋りつこうとする無数の手のカタチに変換されて。

 

 ―――つけろ。

 

「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ―――」

 

 呼吸が速くなっていく。

 自分では、もう止められない。

 滝壺に落ちていくように、その黒い手が引っ張られた所から自分が壊れていくのがわかる。硫酸を浴びせられたように溶けていくのが分かる。

 認識が崩壊する。

 認識という枠からして砕け散る。

 つまり世界は変転する万華鏡に似て、酩酊する視界は自分のぐるぐるぐるアクアリウムの認識に閉じ込められ、黒い腕が集積して形作った巨大な蛇竜は頭をもたげ水晶色をした空気を泳ぐメリーゴーランドぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるつまるところは老人から若人へと逆転する時間と空間の関係を自分という定義から定着させるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる―――

 

『―――王は逃げることは許されない』

 

 ついに視界が黒一色に埋め尽くされた。

 今にも破裂しそうなほど鼓動が速まり、ついに脚がガクガクと震えて、立ち止まる。

 その救いを求める手は、王が目を背け続けた罪そのもの。王を末代まで祟る呪いそのもの

 理解する。

 この全ての罪から楽になるには王の血を引く自分が、この赤金の指輪をつければいい。

 

 

「―――それが、姉君の考えなのですね」

 

 

 ピタッ―――と、爪先にまで進んだ指輪の動きが、止まった。

 同時、その弱さの中にあった芯が固定したように、回っていた世界が止まる。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 ヴィリアンは叫び、叫び、叫び、指先から徐々に指輪を遠ざける。磁石のように王家の血と引き合う引力に抗う。

 残留思念とはいえ、この指輪に宿った姉の意思に逆らった。

 

「私は抗う!! 姉君、あなたの考えに、私はなんとしてでも抗ってみせる!!」

 

 それはまぎれもなくヴィリアンの本気だった。

 何事も本気で口にすれば、『力』がこもる。古代の人々はそれを言霊と呼び、最古の魔術のひとつとし、その発言力の最も強いものが王となったのだ。

 完全に、指輪が指から離れた。

 しかし、それが精一杯だったのか、ヴィリアンは腰砕けに体勢が崩れ、

 

「助けて!」

 

 と、その声に、後ろから追いかけていた修道女が闇に埋もれる第三王女の位置を把握し、

 

「意識に楔が打ち込まれて精神干渉されてる! とうま!」

 

 愚兄が手を伸ばした。

 人の心という複数の歯車に、他所からの歯車がその回転を変えている。一ヶ所にしか接触していなくとも全てが噛みあっている歯車では、やがては全体に影響を及ぼしただろう。

 けれども、それに第三王女は抵抗した。

 

「よく頑張ったよ、ヴィリアン」

 

 そして、その一瞬で、この右手は余計な歯車を打ち砕く。

 指輪を持った手を叩かれたヴィリアンのまぶたが開き、瞳孔が限界まで拡大して、その瞳に正気の色が戻った。

 が、

 

 

 

 ―――どくん。

 

 と、脈動。

 叩き飛ばした赤金の指輪が地面に転がり落ち、洞窟の空気が一変した。

 

「な……んだ、これは!?」

 

 まるで重力が増したみたいに、突然、空気が身体にまとわりついていくように重く感じられる。魔術師以外には感じられない、五感以外に訴えかける重圧。

 

「きゃっ?」

 

 と、インデックスがよろめいた。

 この洞窟の中でも迷いなかった表情が、今ばかりははっきりと青褪めている。

 

 ―――どくん。

 

 まるで地下空洞を心臓とするかのように、脈動は遠く切なく響いた。

 繊細でか細い、死に際の掠れる声のように、哀しくなるほどに儚い脈動だった。どうしようもなく静かに、こちらの身体の内部まで沁み渡ってしまいそうな音であった。

 

 ―――どくん。

 

 そして、段々と大きくなる。

 鼓動が世界を揺らすたびに、身体が芯から震える。

 ただの鼓動だけで、人間の根幹を揺るがしてしまうほどの産声。気脈そのものがあげる、どうしようもなく強烈で根本的な衝撃。

 そして、赤金の指輪が赤光が溢れる。

 

(赤い……光……?)

 

 当麻は息をのんだ。

 熱をもつほど強烈な輝きの中で―――視るだけで凍えそうな、途轍もなく冷えた何かが鎌首をもたげたのである。

 

「<要石>が……」

 

 インデックスの声には、絶望的な響きが宿っていた。

 この怪現象が、どんな意味を持っているか、インデックスは知っているのだ。

 この『王の墓所』のある地下洞窟には、気脈に載って英国の宝物蔵である大英博物館の情報も流れ込んでいた。『叛逆の』王女が最期の為に密かに『罪』と『財』を溜めこんでいたのだ。

 赤金の指輪が、地下の闇――地脈龍脈を吸い取ったかのように黒ずみ。増殖するように肥大し、輪が切れた。

 巨大な生物へと姿を変じたのだ。

 竜だった。

 手足のない蛇のようなワーム。

 この地下空間にぎりぎりで収まる体躯で、頭部だけで数mもありそうだ。

 元が無機質な黄金、または宿主を取り込めなかったからか、叫びも威嚇音もなく、ただ空洞をうねり、その光景は無声映画(サイレント)にも似て悪夢じみている。

 

「黄金の輪が……っ! まさか、『英国の気脈(ペンドラゴン)』を<黄金を抱く竜(ファフニール)>に当て嵌めてる」

 

 愚兄が訊く前に、<禁書目録>が『王の墓所』の墓守の正体を断定する。

 

「北欧神話に出てくる財宝を守護する悪竜<黄金を抱く竜(ファフニール)>! ある魔術師が主神オーディンから家族を殺した責任に『無限に黄金を生み出す』魔法の指輪を得たんだけど、それが実は悪神ロキが黒小人から奪ったもので、それにかけられた『持ち主に永遠の不幸をもたらす』呪いで親を殺して、竜になっちゃったって話があるの。そいつはイギリス式の理論に対応され、『英国の気脈(ペンドラゴン)』を具現化させたカスタムモデルなんだよ!」

 

「<吸血鬼>みてーに弱点とかねーのか!!」

 

「おそらく、リンゴの木に主神オーディンが王以外には引き抜けないように刺した<グラム>と同じ『選定剣』である<カーテナ>しかその心臓()を貫けないと思う!」

 

「つまり、キャーリサしか倒せないドラゴンってことだな!!」

 

 いかなる攻撃もその鋼の如き鱗は弾き、万物を溶かす死毒の吐息を放つ蛇竜になってしまった人間<黄金を抱く竜>。

 その英国式に改造され、王の罪を形にし、王の財を力にする超弩級の怪物が、鋭い牙が打ち並んだ口腔を開いた。

 

 

つづく


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