とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 戦準備

英国騒乱編 戦準備

 

 

イギリス清教 拠点

 

 

 色々とあって、最後の晩餐。

 一時休戦を機に、種々様々な系統の魔術師で組織される『清教派』だが、残存する勢力のほとんどがひとつに集まっていた。

 

「テオドシア=エレクトラ班到着! 私達でイングランド方面にいた『清教派』は最後デス!」

「遅かったね。それからこの借りたマッチ箱は返すよ」

「ステイルは相変わらず律儀デス。けど、時間ピッタリに行動する男はモテないデスしょ? それとも心配しましたデスか?」

「相変わらず君の話に付き合うのはイラッと来るな」

「それから移動中にあの子の記憶が戻ったことも聞きましたデス。良かったデスね。けど、パトリシアちゃんはどうするんデス? ステイルは兄や姉より妹派デスしょ?」

「誤解を招くような発言はやめろ! 今度、東洋の変態兄(シスコン)共と一緒にすれば焼き殺すぞ!」

 

 ここで実戦派の彼ら彼女らは、同僚と報告を交わしながら騎士との激戦で消耗した武具や霊装を、これからはじまるであろう第二戦に備えて修繕・調整し、体の燃料充填――つまりは、食事。このクーデター発生から緊急スクランブルで人員を回していたせいで、長時間の戦闘やら逃走でスタミナ切れの者や、夜勤を考慮して夕食を控えたがそのせいで夜食も食いそびれてしまった者など、腹ペコが多いのだ。

 

「温まるわぁ。スープも水分がじんわりと体に沁みいってく――って、こんなゆっくりしてる場合じゃないわ!」

「ぐぅっ、スープにも届かない! メアリエのように背が高くないとこの混雑には不利だよ! ジェーン!」

「ダメ。こんな乱戦で風を使ったら大変なことになる」

「私にそのミートボールを! あとそれからそのクリームたっぷりのパンも! うぅ~! ここからだと手が届きません」

「仕方ありませんね。はい、シスター・アンジェレネ。私が取ってあげますよ」

「ありがとう、シスター・ルチア。――ぎゃーっ!? 全部緑。野菜それも苦い系のベジタブルが満載です。こちらの要求ガン無視じゃないですか!」

「肉! 軽いサラダなんていいから、その分、こうガツーンと胃袋にくるような重い肉を! ええい! そこのピザを丸ごと載せやがれってんです!」

「おかわりを!! 何でもいいからこの皿にドサッとちょうだい!!」

「姉よ。もっと遠慮しろ。あ、その枝豆を取ってくれ。山盛りでな」

「みゃみゃーっ!!」

 

 怒号が飛び交い、悲鳴が上がり、猫が鳴く。

 大小無数のシスターさん達が、暴飲暴食モードに突入中。その群がる光景はまるで年始年末のバーゲン会場か、朝の通勤ラッシュのような様相を呈している。

 修道女といえど、彼女達も人間。空腹には逆らえないのだ。

 

「み、皆さん、量はありますから落ち着いて! お腹がびっくりしないようにゆっくりかんで―――」

 

 先に済ませた撫子ジャパンな五和があわあわおろおろしている。夥しい修道女数に対して給仕役が一人というアンバランスな配置が生み出した、苛烈な戦場がそこに展開されていた。

 

 そして、そこから少し離れたところでは、

 

「うわぁー、なっつかしい!! ねね、あたしのこと覚えてる?」

「もぐもぐ。うん、レイチェルだね。昔、一緒によく遊んだんだよねー」

「きゃー! 正解にこのハンバーグあげちゃう!」

「くくく、レイチェルのヤツ、暇さえあればインデックスの記憶回収に協力していたからな、よっぽど嬉しいんだろー。まぁ食いしん坊の食欲だけは相変わらず底無しなんだなー」

「そういうあなたはスマートヴェリーだね」

「うん。私の料理も食べる? 好きなだけ良いよー?」

「もがっ!? まだハンバーグを食べてるんだけどモガゴムッ!!」

「きゃァァァァ!! やっぱり可愛いすぎる! 料理を口いっぱいに頬張っているだけなのにすごく愛らしい!! 私のっ、ほら私のハンバーグも食べちゃって!!」

「ならば、私はもっと大量の肉をとっておこうかー」

「……う、うぇぇ、も、もういらないかも……しぃか~……かぉり~……」

 

 あの銀髪碧眼の食欲魔神が、初めて弱音をもらしていた。白い修道女は、魔女達の間で猫に遊ばれている毛玉のように、緑色の目をくるくると回している。しかし、ハムスターみたいにちっちゃな頬袋が膨らむ様はシスターたちに非常に高い人気があるようで、残念ながら『私も私も!』『ワシも!』『あたしも食べさせたい!』などと言いながらさらに増殖中である。

 

で、

 

「くっ、インデックスさんのほっぺたを膨らませるのは詩歌さんのポジションだったのにぃ~! けど、インデックスに涙目で訴えられるように見られるのもまたいいものです」

 

「助けてやらねーのかよ」

 

 口論していたかのように思われたが、なんやかんやで一緒にご飯を取って、隅の方で隣で食事をする上条兄妹。

 中央で、食料配膳ゾーンと食べさせゾーンに二極化して人が集まっている今、端はわりと空いている。

 ただ、兄妹のテーブルだけ誰も座っていないのには他に理由があって……

 

「とある情報筋MTから、あの部屋で人に言えないようなことを……」

「確か、詩歌ちゃんが弱ってるところを無理矢理……」

「艶声が聞こえたって聞いたぞ……」

「そりゃ、あんなに可愛いんじゃ、兄妹だけど間違いも……」

「でも、最後の方は何か口喧嘩していたっぽいし、誤報じゃないか……」

「いや、英国女王に妹命と叫んだらしいぞ……」

「ああ、第二王女とも妹に謝れと決闘を申し込んだと……」

「何にしても、女教皇様に五和のためにもここはしっかりと見極めさせてもらうのよな!」

 

 コソコソ、ヒソヒソ……と、当麻がサンドイッチを咀嚼する間に、どこからか囁き声が聞こえてくる―――ような気がする。

 おそらく半分は、愚兄の被害妄想なのだ。

 しかし、残る半分は………

 

「………」

 

 ポークソテーをくわえたまま、ちらっ、と声がした方を振り返ってみる。すると離れた席からこちらを見つめていた隠密男衆が慌てて視線を逸らすのが分かった。

 更に、また別方向に、ちらっ、と視線を感じた方に顔を向けると、ドンガラガッシャーン! と配膳のお盆を手にした五和さんが大コケしていた。

 

「…………………」

 

 愚兄の顔が、自然と仏頂面になる。賢妹の方は知ってか知らずか『おいしっ♪』とスープに舌鼓を打ってる。

 何者か――十中八九でシスコン軍曹と予想――の扇動で、このイギリスにも当麻にとっては大変不本意な風評が流れている。

 もちろん、それは嘘で全くの誤解なわけなのだが、ただ、誠に残念ながら、事実無根とは言い切れない。噂の根拠となる『根も葉も』あり、真相は語れないので、余計に厄介なのだ。

 

「当麻さん、当麻さん」

 

 とんとんと隣から肩を叩かれる。

 

「詩歌……」

 

 やっぱり詩歌も気づいてる。そして、この事態を重く捉えてくれたのか。

 なんて、考えたのも束の間、

 

「はい、あーん」

 

 と、おててを下に添えて、ミートボールが口元に。

 思わず、大口を開けて……

 

「あー……―――って、何でだよ!」

 

「え? だって、インデックスさんに食べさせたいのに、できないから代わりに当麻さんにゃにゃにゃにゃにゃ」

 

 インデックスの身代わりだと、何のこともないように言う(ボケる)賢妹。当麻は『冗談じゃねぇぞ』と慌てて叱責。ほっぺたをつまんで引っ張る。我が妹ながら、引っ張り甲斐のある柔らかいほっぺたである。

 ぐいぐいと左右に引っ張って。感触を十分味わってから手を離すと、詩歌は揉まれた分だけ大きくなるパン種のように頬を膨らませる。

 

「なにをするんですか、当麻さん」

 

「それはこっちの台詞だ。詩歌さんや、貴女はこの現状を理解してますか! 他人事じゃねーんだぞ! お前だって、変な誤解されたら嫌だろ?」

 

「別に? 周りの雑音に気を使うなんて徒労ですよ。やましいところはないんですから、毅然としてればいいんです。むしろ、そうやって過剰に反応する方が疑われますね」

 

 妹の余裕の態度に、当麻は『くぅっ』と顔をしかめた。

 

「いいから、人前ではこういうのは控えろ。当麻さんの精神的HPが削られるんだよ」

 

 そうして、『けちんぼです。いけずさんです。いじけてやります。もうお願いしたってやりませんからね』と当麻が口を付けないと分かったミートボールを、息を吹きかけて冷ましてから、口に含んだ。すこしもったいな――可愛いと思った。

 その泰然とした態度を、愚兄は見習うべきなのだろうか。

 いやいや、ここは兄としてちゃんと一線を引くべきなのだ。

 きちんと、しっかりと、真面目に。

 

「よし、詩歌。ここは現在状況をちゃんとおさらいしようか」

 

 当麻は、超人ではないし、歴史のうねりを単身で止める力などない。ただし、命を賭け札にして大勝負に参加する権利だけはある。変化が炸裂しようとする今、大渦に飛び込むことで何かができるかもしれない。

 

「言ったからには当麻さんが説明してくれるんです?」

 

「そりゃあ、詩歌に任せる」

 

 ただし、愚兄は具体的な話になると想像力がいまいち働かない。

 その投げっぱなしには流石の詩歌もがっくりと肩を落とした。

 まあ、説明するのは良い復習にいなるのだから、食後の頭の整理にはちょうどいいのだけど。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「あまりこういうことはしたくないんですが、他に小道具もありませんし、当麻さんにもわかりやすいように通貨を使って、キャーリサさん率いる変革陣営と私達のいる反対陣営の現状戦力について説明します」

 

 と、食べ終わった食器を端に寄せてから取り出したのは、財布に入れられたこの英国で使われるイングランド銀行券のポンド。

 

「まず、このテーブルを英国と思ってください。<カーテナ=オリジナル>を手に入れた第二王女キャーリサさんはこの英国では無類の強さを持っています、ので、50ポンド紙幣」

 

 表面に国家元首の<英国女王(クイーンレグナント)>が載せられたポンド紙幣のうち最も高額な、裏面にイングランド銀行の創始者が印刷された赤の50ポンド紙幣。

 キャーリサの赤いイメージとあって、覚えやすい。

 

「英国の力の象徴『騎士派』の長であり、キャーリサさんの<カーテナ>に次ぐ剣である<騎士団長(ナイトリーダー)>は、20ポンド紙幣を置きます」

 

 同じくポンド紙幣で、裏面に著名な作曲家が印刷された紫の20ポンド紙幣。更に、もう一枚と10ポンド紙幣が一枚、

 

「そして、<騎士団長>には『騎士派』がついていて、それも<カーテナ>による<全英大陸(バックアップ)>で価格が割り増ししている今、軍装備を含めた総力の働きでは、20ポンド紙幣に10ポンド紙幣が加算され、30ポンドの役割を果たしているかと思われます」

 

 合計で、変革陣営は、100ポンド。

 話は生臭いが、数値の大小が出るおかげで分析は分かりやすい。詩歌は今度は財布から裏面に『進化論』を提唱した自然科学者が印刷された橙の10ポンド紙幣を二枚、と5ポンド紙幣を一枚。

 

「キャーリサさん一極支配の今、『騎士派』を除く行方知れずの三大派閥はワンランク落ちて、『清教派』の長<最大主教(アークビショップ)>のローラ=スチュアートさんと<カーテナ=セカンド>を所有する<英国女王>のエリザベートさんはそれぞれが10ポンド紙幣ぐらいの存在感かと思われます。彼女達の行動は詩歌さんも関知してませんので、テーブルの端にでも置いておきましょうか」

 

 報告ではローラとエリザベスはウィンザー城からロンドンへ移送中に逃走を図ったらしいがその後の足取りは不明。

 

「でも、やっぱ百戦錬磨っぽい女王様なら、こういう時でも一発逆転の秘策が思いついてたりするんじゃねーか?」

 

「確かに、あの人の手腕ならばストレートな戦力だけでなく、内政外交の両方にも心強いでしょうが、キャーリサさんが<カーテナ=オリジナル>を手にした影響で、8割以上力が削がれてますね。ちょうど、10:2=5:2になってるでしょう」

 

 それでも彼女たちならば、独断でどうにかするだろう。少なくとも相手に捕まるような真似だけはしないはずだ。

 

「同じ第一王女リメエアさんに第三王女のヴィリアンさんも変革反対の『王室派』とまとめて5ポンド紙幣にして、同じところに置いときましょう」

 

「国に属してない組織、英国の結社のヤツらはどうなんだ? ほら、バードウェイのいるとこって結構すごいんだろ?」

 

「魔術師は本来個人主義です。今回、<明け色の陽射し>は表立っては参加しないでしょう。参加しても彼女らの目的に合うような取り分は少なさそうですし、関わりたがらないんじゃないか、と。火事場泥棒みたいな真似をするのもいるかもしれませんが真っ向から『騎士派』に喧嘩を売るような馬鹿はいません。他の魔術結社も同じとみて、この賭けの頭数に入れなくても良いでしょう。バードウェイさんは保留です。変革陣営と反対陣営のどっちかなら、バードウェイさんは性格を知ってる反対陣営のほうに肩入れしてくれそうですが、アテにはしません」

 

 世界でも上位の『黄金』の結社は、本来、『清教派』――<必要悪の教会(ネセサリウス)>の魔術師を罰する魔術師たちに狩られる魔女の組織である。個人的親交があっても、魔女と魔女狩りは決して手を結べるような味方とはなりえない。

 

「あとは、暴動を考えて、一般市民にペンス硬貨を」

 

 それから財布にあるだけの英国紋章とラテン語で『神の恩寵を受けた信仰の守護者英国女王(D.G.R F.D.)』が刻まれたペンス硬貨を積む。

 ペンスは、1ポンド=100ペンス。数だけはあっても、ここにあるだけを足しても1ポンドに届くかどうか。

 

「さてさて、私達のいる反対陣営、その主流となる『清教派』の組織力は、多く見積もっても、この5ポンド紙幣くらいです」

 

 そういって、詩歌は、裏面に監獄改革を行った社会活動家の顔が描かれている青の5ポンド紙幣を50ポンド紙幣と20ポンド紙幣らとは対立するように反対側に置く。

 

「おいおい、いくらなんでも低く見積もり過ぎじゃねーか?」

 

「組織力、といったはずです。軍事などで集団行動に統制された『騎士派』とは違って、『清教派』は実力で成り立つ個人主義です。本来、我の強い魔術師である彼らは個々人ならとにかく『清教派』として連携は訓練してません。簡単に言えば個性が強い。これで表せば、英国通貨(ポンド)とは通貨が違うんです」

 

 円、元、ウォン、ユーロ、ドル、フラン、ペソ、ルピー……と次々に財布から取り出して机に並べていき、いつの間にそんなの集めたんだと突っ込もうかと悩んだが、何となくわかってきた。

 

「例えば、火織さんら新生天草式十字凄教は、出身が日本だから合わせてこの二千円札が二枚で、この<連合国家>のルールであるポンドに為替すると、1ポンドがおよそ170円ですから、23ポンドほど」

 

 他にもアニェーゼら元ローマ正教のシスター部隊にあてはめたユーロに、ルピーに<天上より来たる神々の門>に所属していたエキシカ姉妹……それからステイル達イギリスの魔術師らも1ポンドや2ポンド硬貨も並べていく。

 

「じゃあ、神裂たちなら『騎士派』ともやりあえんのか?」

 

「いいえ。両替に手数料でいくらかとられるように、その通貨が流通する本来の国土じゃないですし、やっぱり、4000円(新生天草式)20ポンド紙幣(ナイトリーダー)と相殺できるか、といったところです。実際に、逃げるのが精一杯でしたそうですし」

 

 しかも、あの手の強者は、一度目は奇襲も成功するだろうが、研究された二度目から段々と効果が薄くなり通用しなくなる。

 全てを出し尽くしてどうにか渡り合えたが、神裂の『隠密』に『白閖』も、再戦の時には確実に対策を立てられる。勝算はほとんどない。魔剣を聖水で浄化したのが最初で最後の好機だったが、それを見逃して、次回も同じようにしようなど二度の奇蹟を祈るようでは甘いを通り越して愚かである。

 だけど、と詩歌は20ポンド紙幣(ナイトリーダー)と対するように、数字は同じの、青の20ユーロ紙幣を置く。

 

「ヴィリアンさんについている傭兵、元『後方のアックア』――ウィリアム=オルウェルがいます」

 

 偽者(テッラ)ではなく、本物。

 かつては壁として立ちはだかった強敵だが、今は利害の一致で行動を共にしている。

 少なくともこの変革が終わるまでは味方とみても良いだろう。

 

「あの人は、ヴィリアンさんの精神安定剤としてだけでも十分に役目を果たしてくれましたけど、戦力としても十二分に期待できます。ただ、これもポンドに両替すると、16ポンド、あと5ユーロ札を一枚欲しいところです。傭兵さんはおそらくそれがわかっていて、巨大な化物剣<アスカロン>を手に入れたんでしょうが……」

 

 灰の5ユーロ紙幣を20ユーロ紙幣の上に置こうかどうかと迷った末に、その隣に置くことにした。

 そして、と詩歌が次に置いたのは、変則的にも本屋限定の金券の―――

 

「図書券……インデックスか?」

 

「です。ただし一万円分の高額。限定されていますが、何を買うかによっては<禁書目録(インデックス)>さんの知識は<カーテナ>よりも価値があります。<全英大陸>――為替による負債はインデックスさんならカバーできるでしょう」

 

 詩歌の中でインデックスの評価は高い。四六時中顔を付き合わせ、ここ最近までは家事を全くしない食べて寝てテレビ見て、という当麻の評価ではそんな感じだが、10万3000冊の<原典>という知識量は『<魔神>にも至れる』というほど。直接戦闘に参加できなくとも、その助言だけで戦況を左右できる。

 <魔神>というのがどういうものなのか想像もつかないが、魔道の神というほどなのだから、<神の如き者(ミカエル)>に匹するものなのだろうか。

 ウィリアムが騎士団長と、『清教派』が『騎士派』と拮抗することはできる。

 <全英大陸>も、<禁書目録>がついていれば、どうにか互角にまでもっていける。

 

「ただし、それでも50ポンド紙幣のキャーリサさんには、こちらに不確定要素である<最大主教>や<英国女王>に『王室派』を含めても足りません」

 

 と、オレンジの50ユーロ紙幣をテーブルの上にはおかないが、当麻に見せるように手に持ち、

 

「追っ払ったローマ正教の十三騎士団は総力で50ユーロ紙幣はありましたが、それでもキャーリサさんの方が上でしょう。それで彼らは、<量産十字(クローチェド・レプリカ)>によって英国通貨からポンドを撤廃し、ユーロ(ローマ正教)専用にすることで対抗しようとしましたが、叶わず」

 

 当麻が確認すると、50ユーロ紙幣は財布に戻る。

 

「ただ方法はとにかく、このやり方は定石でしょう。通貨――自分達の力がやり易い状況をつくる。この英国では天使軍の『騎士派』とやり合うのは危険です」

 

「騎士団長がいなくて、キャーリサだけだったらギリで拮抗できたのか」

 

 ここまでの話を聞いてると、キャーリサの<カーテナ=オリジナル>はもちろんだが、<騎士団長>の存在がやはり大きい。

 その戦力だけでなく、独立して動けるのが厄介である。

 

「いいえ、一概には悪いとは言えません。『騎士派』革命軍の精神面の要でもある大黒柱の騎士団長さんを失えば、キャーリサさんは、<カーテナ>と心中するでしょう。変革陣営では、キャーリサさんは『騎士派』の<騎士団長>と<カーテナ>の二枚看板です。片方が倒れたら、“<カーテナ>だけでもイケると支援者に見せるためにどうする”でしょうか?」

 

 当麻は、頭で理解できても言葉が出なかった。必要ならば家族をも切り捨てる『叛逆の』王女を思えば、ひどく簡単に想像がつく。彼女ならば、『人徳』ではなく、その『軍事』を以て統べると。

 

「躊躇いなく離反者が出て、士気が下がる前に『制裁』します。死なすことはしないでしょうが、大々的に宣伝するでしょうね。絶対的な力(カーテナ)という畏怖によって。なので、騎士団長の存在は、こちらにとってもブレーキとなってくれるんです。それにあくまで『騎士派』と第二王女は別々の組織ですから」

 

 と、詩歌は意味深に、キャーリサと、<騎士団長>と『騎士派』のグループを分ける。

 

「詩歌はこの並びだと存在感はどのくらいなんだ?」

 

「もし学生代表としての権限が使えれば……」

 

 と、詩歌が財布から一万円札を取り出そうとしたのを見て、おお、と当麻。だが、すぐに家に帰る(財布に戻る)

 

「詩歌さんが全権力を行使して招集できる学園都市の協力というこのおおよそ60ポンド分の一万円札(学生代表)―――としても、差止めされているような状態だから使えません。ので……」

 

 と、紙幣ではなくカード入れから取り出したのは、電子マネーのカードだ。

 

「世界共通通貨『フェニックス』の構想から始まり、今、学園都市でも経済政策の一環で試験的に導入されている仮装通貨(デジタルマネー)でしょうか。条件が通れば、ポンド圏でも適用されるという意味を込めて、ですね。まあ、今は相手の通貨と相殺できる引き換え券みたいなものだと思ってください」

 

「各国の通貨とか二千円札とか、本当に詩歌の財布の中には珍しいモンが入ってんだな」

 

「世界各国を飛び回る父さんがいますからね。で、当麻さんは正直未知数なんですが……ちょうどいいのがありました」

 

 さて、一体、賢妹の中で愚兄の存在感は如何程なのか?

 これはあくまで戦力分析の指標で数値化されている貨幣を扱っているだけなのだが、当麻としては、やっぱり気になる。

 詩歌の中で、キャーリサが50ポンド(約8500円)、騎士団長が20ポンド(約3400円)、ウィリアムが16ポンド(約2720円)、神裂火織が12ポンド(約2000円)、と上位層(紙幣組)がきているわけだが、お札のうちに入れるのは厚かましいだろう。あまりに安っぽいと兄としてのメンツが立たない気がするので、2ポンド硬貨(340円)か500円玉ぐらいだったらいいな、と希望的観測……だが、財布から出されたのは、硬貨でもなく、紙幣でもない。金券でも仮装通貨でもなかった。

 

「宝くじ……?」

 

「前に陽菜さんを通してですが、その金運で有名な竜王神社で祈願されたものを記念に一枚だけ500円で買ったんです」

 

 まさか通貨ではなく、博打券が出てくるとは思わなかったが、すぐに詩歌が言いたい事がわかった。

 

「……つまり、『当たればデカい』ってことか」

 

「ですです。それから先の読めない意外性もかけてます。一等が当たれば億万長者も夢ではないそうです。キャーリサさんとぶつかって、<幻想殺し(右手)>が<カーテナ>を破壊できる確率は配当万以上、500円の宝くじで倍率20倍以上をあてるのと同じくらい」

 

「あー心情的には微妙だが……うん、妥当だな。すごくしっくりくる」

 

「ただし、『外れればゼロ』」

 

 むにゅ、と賢妹の手が、愚兄の頬に触れた。正面からツンツン頭を挟みこんだのだった。

 

「ほ、ほりゅ、ひゃ、にひゅぬひゃひょ」

 

「詩歌さんは、最後の最後の手段じゃなければ、博打を打つような真似はしたくありません。ので、それでもついてこうというギャンブラーなおバカさんには―――こうです!」

 

「むびゃ!」

 

 秘孔でも突かれたように当麻の顔がぐにゃりと歪む。それは賢妹の手によるものだから、無下に振り払うこともできない。

 

「頭がちょっとは賢くなるように柔らかく揉んであげます。母さん直伝竜神家裏整体術の秘奥の限りを尽くしましょう」

 

「ふぎゃ! くきょ! うきゅ! ひいきゃひゃめひょ!」

 

 ぐにゅぐにゅと粘土みたいに捏ねられながら、『詩歌やめろ』と必死に当麻が訴える。

 すると、食器のフォーク一本分ぐらいの距離まで顔を近づけて、

 

「だーめ」

 

 と、賢妹はとびきり明るく笑ったのである。

 

(……っ!)

 

 ものの見事に、当麻は硬直した。何度味わってもこの新鮮味が薄れることはない。

 近過ぎるせいで、彼女の体温が肌に伝わってくる。滑らかなうなじと肩の線は、瑞々しい果実のよう。

 この少女と付き合ったら、一日に何度心臓が高鳴るか心配になる。鼓動の回数が寿命と関わりがあるのなら、半生くらいは寿命が削られるに違いない。早々に妹離れしなければ、早死にしそうだが、それは至難だ。

 それだけ、こちらの目をくぎ付けにしてしまう光景だった。

 頬をいじられながら、愚兄は目を離せない。

 

「うん、これでニュー当麻パンの出来上がり。さっきの仕返しもこのくらいにしておきましょう。意外とほっぺたは中々のさわり心地でしたよ?」

 

 と、詩歌が身を離して数秒、かすかな目眩を覚えて覚醒したあと、すぐ当麻は賢妹に食ってかかった。

 

「ふ、ふざけんな! 兄を菓子パンでできた正義の味方か何かすんじゃありませんことよ! おかげでまた精神的HPがごりごり―――っつかさっき当麻さんが言った話を聞いてなかったな!」

 

「失礼ですね。都合の良さそうと思ったものは覚えてますよ」

 

「つまりは、都合の悪いところは覚えねーってことか!?」

 

 噛みつくように賢妹に言い募り―――すぐ、どちらともなく、くつくつと笑いだした。

 いつもと変わらないやり取り。

 何であれ、どんな状況であっても、自分達の関係には関係ないのだと、そんな当たり前のことが確認できたからで。

 だから。

 愚兄はひとつ深呼吸して、頬を掻いた。

 

「俺だって、ギャンブルするなら(ゆる)さないからな」

 

「別に、博打を打つような真似はしなくとも、総合戦力では敵わないでしょうが、私達は殲滅戦をするのではなく、この大将首(50ポンド紙幣)を上げればいい。でしたら、こちらにも勝機があります」

 

 ただし、と詩歌は100ユーロ紙幣――『バロック』、十字教にも奨励されたイタリアローマの美術様式を背景にした――を置いて、

 

「詩歌さんはこの勝利条件がキャーリサさんを倒して変革を終わらせればいい――単なる英国の内乱とは考えていませんが」

 

「それって―――」

 

 その時、兄妹のテーブルの上に影が差した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「お金で遊ぶのは楽しいでございますか?」

 

 必要以上に丁寧な物腰のオルソラ=アクィナスがちょっぴりお怒りの目で兄妹を見下ろしていた。

 インデックスの記憶復活や、密室での想像(誤解)話をものともしない祖母系ぽわぽわ修道女がいつのまにか近づいていたのだ。

 

「いや、ごめん」

 

「はい、すぐに片付けます」

 

 その妙な貫禄にふたりともこくこくと頷く。

 詩歌は広げてしまったお金を財布に戻す。当麻も手伝おうと、ポンド以下のペンス硬貨まとめて掻き集めようとして、これが英国市民にかけられた小額のコインであり、詩歌もぞんざいに並べたりはしなかったことを思い出し、一枚ずつ手の平に載せていく。

 

「そういうところが当麻さんは庶民派ですね」

 

「詩歌もそうだろ。その財布も夏休み明けにあげたゲームセンターの景品じゃねーか」

 

 かつて愚兄がプレゼントに贈ったものはブランドではない。

 そして、そのリボンも。

 上質な素材が使われていたそうだが、所詮は学生の奨学金で買えるようなもの。賢妹が学園都市に着た年からずっと使い続けた。大事にしてくれているのは例えその思い出を忘れていてもわかる。でも、経年劣化は避けようがなく、これまでのトラブルにも肌身離さなかったおかげで、生地はよれ、端々も綻び始めていた。

 

(そうだな。みんな片付いたら……)

 

「うふふ、先程はおふたりでお楽しみのようでございますね? 今もお金を広げて何を相談していたのでございますか」

 

「ええ、嬉し恥ずかしビックリドッキリイベント満載で、これも将来設計をひゃひゃひゃひゃひゃ―――「余裕なのは良いが、ちっとは否定しろよ、誤解が広まるじゃねーか。オルソラ、別にヘンなことはしてねーからな。これは戦況分析!」」

 

 そうして、テーブルの上から財布の中に帰還させた後、食後の一服にと持ってきたのか、淹れたオルソラが手ずからお茶をふたりの前に置く。

 家庭的なスキルが高いオルソラが淹れたお茶は、美味でまろやかである。

 『まったく詩歌さんのほっぺたで遊ぶのにはまっちゃって当麻さんは……』とぶつくさ言いつつオルソラのお茶の味は気分を宥めさせる。

 

「ありがとうございます、オルソラさん。それにいろいろと心配をかけたようで……」

 

「いいえ。無事ならいいのです。それに、こちらも先に謝らせてもらうのでお相子でございますよ」

 

「? 、っ――――」

 

 受け取ったお茶を口に含んだ途端、目をかっと見開いた後、詩歌は体中の骨が抜かれてしまったかのようにくらりとふらつく。

 

「おい、いきなりどうした?」

 

 と言いつつ肩の位置を動かし、ゆれる頭の位置を合わせてもたれかかせてしまうのだが、こてんとした詩歌の目はとろんとしたまま閉じかけている。

 

「少量でしたが、すぐに効くとは、余程疲れが溜まっていたのでございますね」

 

 口元に手を当てて微笑むオルソラ。その視線の先を辿れば、当麻のと比べて詩歌の手元にあるオルソラが淹れたお茶の色が若干だが濃い目に。

 

「一服盛ったのか?」

 

「ほんのひと匙の隠し味でございます。これから忙しくなりそうでございますし、休める時に休んでおくことも重要なのでございますよ」

 

 ちょっぴり自分に渡されたお茶に口を付けるのを遠慮したくなったが、感謝する。

 ここで神裂あたりが当て身で眠らせようとしても抵抗されただろうが、流石の詩歌もトロそうなオルソラが親切で薬を混入されたとは思うまい。いいや、気づかないほど疲労していたのだろう。

 思えば、愚兄たちが英国まで移動中もどこか周囲を警戒していたようだし、英国から転移する以前からずっと寝てなかったのではないか

 体力的にも、気力的にも限界だったのか。そのまま、詩歌は当麻に崩れるように寄りかからせたまま、睡魔に引き摺られて重たい頭を持ち上げようとしない。

 ただ、詩歌はあまりに疲れ果てているせいで、睡眠薬でも眠ることはできないようだ。

 

「置いてかねーよ。ちゃんと起こしてやるから、少し目を閉じて眠ってろ」

 

「………」

 

 詩歌はその言葉に視線をゆっくりと落としたが、目を完全に閉じはしなかった。

 

「ああ、そうだな、ベットまで運ぶか」

 

 食器と食器がぶつかる音に、喧騒に談笑。人並み外れた第六感だけでなく、高水準な五感をもつ賢妹には、少しうるさいだろう。気を使わせて、高まる士気に水を差すのもなんだし、それにそろそろこの詩歌の何年も使いこまれても綺麗なリボンとは違って、一日も経たずにボロボロに擦り切れたスーツから着替えたい。

 そこまで考えて立ち上がろうとして、身体が何かに引っ張られた。

 見れば、目を閉じた詩歌の指が、当麻の服の裾を想像以上に強い力で摘まんでいた。

 寝ているのか、それとも照れ隠しか。その朱の頬は見なかったことにしておいてやろう。

 何にせよ、この妹が何を望んでいるかは容易に推し量れた。

 当麻は上げかけた腰を下ろし、深く椅子に腰を置く。肩を撫でおろして、気持ち低めに。

 

「うふふ、やっぱりあなたに勝るお薬はないのでございますね」

 

「……まあ、な」

 

 なんか妙に恥ずかしくなり、微笑ましくこちらに視線を送るオルソラから顔を横に逸らす。当然、当麻の肩をまくら代わりにしている賢妹のうなじが待ち構えていたように愚兄の視線を迎えて、そこから沿うように細くて白い首と肩を脳情報に叩き込む。変に無防備なせいか、普段にまして艶がある。男のものとは明らかに違う華奢な首筋は、人の生き血を啜る悪魔でなくとも歯型を付けてみたくなるのに十分なものだった。

 当麻はそんなことを思ってから、何意識してんだ戻ってこい! と自分の頭に一発拳で喝を入れたくなったが、そんなことをすれば体は揺れてしまう。一度でも意識してしまえば、うるおぼえな般若心経では効果はない。

 仕方なく、また今度は逆に視線を逸らす。すると、深夜の闇から浮かび上がったように視界にライオンのように乱れた金髪に、所々に青痣が残る小麦色の肌、ぼろぼろに痛んでいるが黒を基調としたゴスロリ服の女――シェリー=クロムウェルが映る。

 

「ほらよ」

 

 ぶっきらぼうに投げ渡されたが、それは毛布。包めば温かくて、肌の露出を隠すにもちょうどいい。今の愚兄にはすごく助かる代物である。

 

「わざわざ持ってきてくれたのか?」

 

「礼はいい。お前の妹は起きてるとそこの精神的ババアキャラと一緒にボケ倒したりして面倒なヤツだから、大人しくしている方がこっちはありがたいのよ」

 

 それは大変だったな、と愚兄は同情する。

 暗号解読が得意なオルソラと組むことが多い彼女は、その独特なテンポに良く振り回されているのだろう。

 ただ、それでも微妙な感じだ。かつて賢妹を『悪魔(デビル)』と呼び、『戦争を回避するために』その命を狙ってきた魔術師が、その標的を気遣うような真似をするのは。それは向こうも同じだったのか、重い息をつき、

 

「やっぱり、戦争に(こう)なったな」

 

「ああ、アンタが前に言った通りになってるな」

 

「いいやぁ、それより最悪だ。私が危惧したのは学園都市とイギリス清教までだ。それが科学と魔術の世界規模の大戦にまで発展するとはねぇ……」

 

 やはり科学と魔術は相容れないものだ。

 シャリーの意見は、あの時からずっと変わらない。

 今回も『騎士派』が関わっているとわかっただけで、簡単に感情が激しく揺さぶれてしまう。どんなに自戒自嘲しても、自分を構成する根幹部は変わらない、そう証明された。

 だから、視線で、問う。

 ―――後悔してるか、と。

 あの時、シェリーが上条詩歌を殺さなくて、<幻想投影>が妹で。

 

「私からすれば、『右方のフィアンマ』も、そこの妹も同じだ」

 

 『見方』が変われば、そうだ。

 どちらも『元凶』なのだ。

 確かに多くの人を救ってきたが、同時に『火種』もつくってきたのだ。その小さな積み重ねが、この世界大戦を起こしている。

 上条詩歌は学園都市をまとめて『学生代表』になり、この同盟相手のイギリスにまで出張しているが、それはローマ正教とロシア成教を牛耳るフィアンマと外殻や行動の履歴という道程が異なるだけで到達点は同じ。

 そして、それがこの英国にまで影響を及ぼし、このように内乱が起こってる。

 

「お前達が何もせずじっと大人しくしていれば、こうならなかったかもしれねーんだよ」

 

 上条詩歌が、この変革に巻き込まれたのではなく、上条詩歌のせいで、この変革が起きたのだ。

 それは、否定できない。

 上条詩歌がいなくとも関係なしに戦争は起きた可能性もあるだなんて、すでに迷惑を被っている時点で甘い事は言えない、けれど……上条当麻は、ゆっくりと首を横に振った。

 思わず、ではなく、確固たる己の意思で。

 

「……それでも、俺は後悔してない」

 

 この肩にかかる重さをしっかりと感じる。支える。絶対悪はあるが、この世界に絶対正義なんて言葉はなく、自分がしてきたことが必ずしも正しいとは思ってない。

 

「俺は、その努力を知ってる。その涙も覚えてる。俺が、詩歌がこの戦争の『火種』をつくっちまったとしても……あの時、詩歌の可能性を殺しち(摘んじ)まった方が正解だったなんて言うのは、絶対に頷けない」

 

 ただし、間違っていたとは思わない。

 ならば、曲げてはいけない。

 たとえ誰にも理解されず、受け入れられることなどなくとも、自ら望んだその行為は、決して見るのを避けるように顔を伏せるものではなかったと信じてる。

 後悔などないとここまでの道のりを誇れるのならば、『全力で生きている』と言えるのならば、別の可能性なんて求めてはならないのに。

 

(ああ、そうか)

 

 上条詩歌は、上条当麻の記憶を取り戻すことを止めた。

 死は悲しいものだ。

 けれど、前の自分は、決して悲しい死だけでなく、温かい思い出を残していたのだから。

 あの『死』をきちんと受け入れてから生きたいと願った。それが本当の挽回の仕方だ。

 

 不幸を“なかった”ことにする。

 

 それはこの上ない赦し、殺しによる自己の救済だろう。

 けれど。

 何もかもがなかったことになってしまったら、一体、殺された全ての想いは、どこに行ったというのだ。

 あの痛みも、あの悲しみも、あの不幸も。

 耐えてきて、悔いてきて、乗り越えてきたからこそ、意味があるものになったのに。

 だから、もしやり直しを求めるのならば、それはあの時の失敗を隠すように逃げ、過去を否定する、殺すことではない。

 

「あの時、何もせずに見過ごしていたらと考えるだけで不幸だ。俺達は、後悔しないように幸せになろうと全力で生きてきたんだからな」

 

 上条当麻は、インデックスを守った。

 けれど、上条当麻は『死んで』しまった。

 ただそれだけ。結果は残念だったが、その生を全力で駆け抜けたのならば、それはやり直しを求めるものではない。知るものとして、誇るべきものなのだ。本当の主人公の代わり、などと卑下するものではない。ちゃんとあの少女を救ってきたのだ。それからもずっと必死に救おうと戦ってきたのだ。少なくともそれを肯定し()てくれるものがひとりいる。

 

「俺はどんな見方があろうと、上条詩歌の味方をやめない」

 

「ハッ、アンタがどんなに潰そうと思っても潰れねぇバカだったってことを忘れてたわ」

 

 シェリーは表面上は鼻で笑った。

 しかしそこに、侮蔑や嘲弄はなかった。彼女はほんの数秒だけ沈黙し、それから改めて上条当麻の顔を見直した。

 

「だったら、気を引き締めなさい。アンタの妹が一番危険な位置に立ってんだから」

 

 それは、上条当麻が初めて聞く、彼女の優しげな声音で。

 言うだけ言うとシェリーは背を向けてどこかへと去った。

 結局、賢妹を一度も『悪魔』と呼ぶことなく。

 『我が身の全ては亡き友のために(Intimus 115)

 今も『Ellis』の失敗作を捨てきれない彼女には、『禁断』などと処罰されそうな者を守ろうとする意思が、わからないでもない。

 どんな悲しい死に縛られていても、温かな思い出にも守られてきたのだから、友と出会ったことは、出会わなければ良かった、なんて絶対に後悔はしない。

 

「それでいいのでございますよ」

 

 続いて、ひとりになろうとするシェリーを追おうと席を立つオルソラが沈黙を守っていたその口を開く。

 

「私達はこの今を生きているのでございます。もしもの可能性、などとありえなかった未来を想像して、それと比べるのは何の意味のないことでございます。そのようにどちらが正しかったなどと論じるのはそれこそ神にしかできないことでございます。天上ではなく地上に足を付ける人間が、何もしないという選択肢を選んでいたら誰も傷つかなかったなどと考えている時点で、それはもうちゃんちゃらおかしいことでございます。私達は人間。与えられる世界は常にたったひとつで、地面に足を付け、その場所で、この今を幸せになろうと賢明ではなく懸命に生きることが大事なのでございましょう。だから、私はローマ正教からイギリス清教にわたり、あなた達と共に戦えるこの今を尊く思っております」

 

「俺も、きっと詩歌もオルソラと会えてよかったよ」

 

「そうそうでございます。私はあなた方に感謝しております。きっとシェリーさんも同じでございましょう。本当はロンドンでのお礼を言いに来たんでしょうに彼女は不器用ですから」

 

「ああ、わかってるよ、ありがとな」

 

 愚兄はオルソラ、それからその奥にいるシェリーに頭を下げた。

 少しだけ肩に乗っかっていた重い荷が、軽くなった気がした。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「とうま~っ! どうして助けてくれなかったんだよ! あれだけSOS送ったのにぃ~!」

 

「ここ動けなかったんだからしょうがねーだろ。あと、折角、詩歌が眠ってんだから、あんまりここで騒ぐんじゃねーぞ」

 

「あ、ごめんねしいか」

 

 シェリーがくれた毛布にくるまり、オルソラが淹れてくれたお茶を舐めるように飲んで一息つく間もなく、オルソラと入れ替わるようにインデックスが逃げるように駆け込み、体面に机の上に乗り出した。

 見れば、インデックスに構っていた他の魔女達も詩歌が眠っているのに気づいていて近づいて騒がないようにしてる。もくもくと食事中。

 詩歌は当麻に寄りかかり、肩に頭を預けたまま、すうすうと小さな寝息を立てている。子供のように無防備だ。オルソラの睡眠薬が効いてるのか。正直恥ずかしいし緊張するのだが、起こすのも忍びない。

 

「……ん」

 

 何かむずがるように身動ぎした。もぞもぞするたびに、その身体から甘いほのかな香りがして、眠気に似たなにかを誘発される。『うん……』とくすぐったそうな甘い声をもらし、当麻の肩に額を押しつけたあと、その反動で体を動かして首を反対側に向けた。そこでようやく落ち着く。何となく解放された当麻は、ほっと小さく息をついた。

 思わず、両手で口を抑えていたインデックスもほっとする。

 

「しいかにお礼を言おうと思ったのに、これじゃああとがいいのかな」

 

「ああ、そうしてくれ。どうやらこれまで寝てなかったみたいでな」

 

 インデックスの記憶が戻っても、兄妹との関係が変わるわけでもない。それでもいつも通りに会話ができて当麻は少し気が楽になる。

 今なら自然に言えそうだ。

 

「んで、どうだ? 記憶が……思い出が戻った気分は?」

 

「夢から目が覚めたって感じだね。ううん、どっちも夢なんかじゃないから……うーん、とにかく、すっきり爽快かも。頭痛も倦怠感もないし。技術は科学との協定から注意されるほど触れてないけど、発想が違うね。もうしいかは魔導師としても一流だよ」

 

 正直になろう。

 自分は、この少女が自分のもとから離れてしまうのが怖かったのだ。

 詩歌に叱咤され、オルソラに説法された今なら、わかる。

 本当に彼女と真正面から向き合えば、自然その腹のうちも見えてしまう。

 だから、恐れるな。

 

「このキャーリサの変革が終わったら、インデックスに話したい事がある」

 

「? それって今じゃダメなの?」

 

「話せる内に話しておくのが一番だと思うが、まだ、心の整理がついてなくてな。あと少しだけ待ってくれ」

 

「ふーん……うん、わかったんだよ、とうま」

 

 とりあえず、これで腹は決まった。

 あとは、第二王女を止めるだけだ。

 

「あ、そういえば、とうま。聞きたい事があるんだけど」

 

 眠る詩歌、その髪を見て、インデックスは訊く。

 

「何だ? インデックス」

 

「しいかが切った髪を他人に渡したって本当?」

 

「ああ、そうだぞ。トールっつうヤツに仕方なくな」

 

 本人はまた伸ばせばいいとかリボンが結べる程度の長さがあれば特に気にしてないし、その髪型も似合っているが、やはり後々になって考えてみても、こう…兄的に沸々とくるものがある。

 今度またちょっかいを出してくるようなことがあれば清算できなかった借りを拳に乗せて叩き返してやろう。

 決意を新たにする当麻を他所に、インデックスは考え込むように渋面をつくり、

 

「それって、ちょっと危ないかも」

 

「ああ、危険だな。あの髪フェチ野郎が詩歌のを使って一体何を……もし、穢すような真似をすれば、丸刈りにして毛根を根絶やしにしてから………」

 

「とうま、これは真面目な話なんだけど……」

 

 呆れるインデックスだが、この愚兄が妹過保護(シスコン)なのはいつものことなのでスルーする。

 

「霊気を込めた髪とかそういう体の一部のように“似た性質”を持つモノはその本人と関わり――“縁”ができちゃうんだよ」

 

「“縁”、ってつまり?」

 

「運命の赤い糸とかそういう―――」

 

「なあインデックス、縁を持った野郎を赤い糸で絞殺せるような呪詛とかそういう魔術ってないのか?」

 

 呆れ果てるインデックスだが、この愚兄が妹過激保護(ドシスコン)なのはいつものことなのでスルーする。

 

「そういう呪詛にも使われちゃうんだよ。ほら、日本にも<丑の刻参り>ってとうまも聞くでしょ。体の一部を霊媒に藁人形の中へ入れて釘を打つことでどこからでもその縁で繋がった相手に攻撃できるんだよ」

 

「―――っ!」

 

 感染、あるいは伝染、という分類がある。

 魔術を感染と類感という、大まかにに分類された際の片割れで髪の毛や爪などを使う方式。標的のパーツを特殊な手順で破損させることで、標的の肉体を遠隔地から破損させる。<縮図巡礼>の例がある通り、本物に近しいものはたとえ偽物でも本物にも影響を与える。

 

「もしかして、アイツ―――」

 

「でも、これは魔術を知ってる者なら誰でも知ってるようなポピュラーな術式だから、当然しいかはその辺の防護対策をしてるだろうし。髪の毛程度の縁なら問題ないと思うけどね」

 

「ああ、それなら多分、いやきっと大丈夫だろ。一応、起きたら注意するように説教だな」

 

「そうだね。用心に越したことがないよ。簡単に防げる魔術だけど、一度かかっちゃうとその相手に特化してるから解呪に大変、特にとうまとは反対に、しいかの<幻想投影(体質)>は縁が結び付きやすいから……」

 

 上条詩歌はすでに、<禁書目録>が認めるほどプロにも負けないくらいに魔術に精通している。

 だから、当麻でも知ってるような呪いなら問題ないはずだ。

 “性質が近しい”ほど、“姿形が似ている”ほど、“縁が深くなる”。だから、髪の毛程度ならせいぜい悪戯ぐらいしか……

 

(ああ、詩歌が関知してるなら、それほど迂闊なミスはするはずがない……のに、何か……)

 

 何だろうか。今の話を聞いて重要なことを見落としている気がしてならない。

 上条当麻が知っていて、上条詩歌が知らないようなことは、ない、はず……

 そう言い聞かせるようにしても、すっきりできない。

 残念ながら、愚兄の『気のせい』だとか、『虫の予感』だとか、『不幸な気配』なんてものは――――ほぼ確実に、当たるのだ。

 

 

バッキンガム宮殿

 

 

「本当に、鞘に入れるのですか」

 

 仏国への宣戦布告は――あの『軍師』が一枚噛んでいるのか――通信網が妨害されてこの英国が孤立しているので上手くいかなかったが、圧倒的武力によって、異教を追い払い、自国を制圧した。

 宮殿に帰還した騎士団長が(まみ)えたのは、女王の部屋に保管されていた『鞘』を手にしていた第二王女だ。

 

「もちろんだし。アレの考えてることは大体わかる。『鞘代わり』と生意気にもヒントもくれたよーだしな」

 

 あの少女の生産――道具作りの才能は自分も素直に認めるほど相当なもの、そして、人に害をなすような物は創らない。

 騎士団長は敵が造った道具に頼るなどとあまりいい顔をしていないが、これは元々、母エリザベートに、<カーテナ>を抑えるために用意されたものだ。それで不良品など贈ろうとすれば国際問題となる。この母の部屋にある時点で保証されてるも同然だ。

 このバッキンガム宮殿で本格的に調整を行い、王族しか閲覧できない資料を読み漁り、その『助言()』が九割九分無害だと結論付けたが、『選定剣』は未だに微振動を続ける。そこでこの切先のない剣に合わせられた鞘に思い至ったのだ。

 

「お前が取り逃がした<聖人>も、詩歌が造った鞘を使っていたそうだぞ」

 

「そうでしたね。確かにあれは見事な技術でしたが。二度も通用すると、キャーリサ様はお思いでございますか?」

 

「そうならないことを期待しよーかの。今度は旧知の『傭兵』も雇ったそうだしな。<聖人>の時と同じように手を抜かないよーに」

 

「はて? 敵兵の知り合いなど、心当たりもありません」

 

 そういう騎士団長だが、あの傭兵が現れたと報告を訊くとすでに国外へと逃げたと見切りがついた異教の十三騎士団の捜索を部下に任せ、このバッキンガム宮殿に急行した。

 わかっているのだろう。この変革陣営が『<カーテナ=オリジナル>の力に頼っている』という弱点を。そして、あの傭兵ウィリアム=オルウェルならば、その弱点を突いてくる、この内乱の被害を最小限にするために、キャーリサの首を狙うかもしれぬ、と。

 今もこちらには内密にロンドンに捜索に回していた完全武装の騎士を配備し、警戒レベルを上げている。

 

「とにかく、この鞘は良く出来ている。私が見たところ、この鞘に掛けられているのはこの英国大陸の先住民の伝承――ケルト神話における神々の王『ヌァザ』だな」

 

「ええ、私の見立てもキャーリサ様と同じです」

 

 <禁書目録>ほどではないが、幼少のころより魔術の英才教育を受けてきたキャーリサも霊装を見る目は確かだ。

 炎と癒しの化身『ヌァザ』は、イングランドではラッド(Lud)と呼ばれ、それが変化して英国首都ロンドン、と語源になったとも言われている。

 つまりは、『火を属性とする天使長ミカエルと同格の英国王――その癒し』とも取れる。

 この宮殿の地下には安全装置として、<カーテナ>が暴走した際に、<天使の力>を放出させるための特殊車両を控えさせているが、その特殊車両に仕掛けられた魔法陣構造を携帯できるサイズにまで縮小された鞘は内部暴走を抑える調整器具。自爆もない。

 度胸試しにもならないし、臆する方が馬鹿馬鹿しい。

 

「ですが、万が一にもそれがトリガーとなり暴走すれば……」

 

 何故、<カーテナ=セカンド>が存在するか。

 それは、清教徒(ピューリタン)革命。その反乱で、<カーテナ=オリジナル>が万全であったのなら、その革命は成功せず、『選定剣』は抵抗勢力を皆殺しにしただろう。

 しかし、それがうまくいかなかったのは、<カーテナ=オリジナル>が暴走したからだ。

 この<天使長>と同格と言う強過ぎる力は外敵を徹底的に滅ぼすこともできるが、制御を誤れば―――真っ先にその暴走に巻き込まれて消滅するのは、所有者である王だ。

 だが、キャーリサはふっと微笑む。

 

「なぁに、心配いらないし。それとも暴走に臆したのなら、今すぐロンドンから立ち去っても構わんぞ。それとも切って捨ててでも止めてみるか」

 

 正気なのか。だが、『叛逆の』王女の途方もない自信には、それだけで説得力がある。

 騎士団長はごくりと唾を飲み込み、魅せられたように目が逸らせない。

 暴君で、それ故に迂闊で、しかし計り知れない才覚を秘めた―――

 このキャーリサ国家元首に、ついていくと決めたのだ。

 

「ご冗談を。最後まで見届けさせていただきます。キャーリサ様の意思が固いのは重々承知しております。なのに、それを疑うなど騎士道にあってはならぬもの。たとえ<カーテナ>が暴走したとしても、一瞬でも我が主君を試すような真似をした不名誉と共に死ぬ覚悟はできております」

 

 騎士団長は、新女王の前に跪く。

 

「ふん。己の力に臆したのか、ヤツが『鞘』を付けているのが分かってる」

 

 人の手にも余る強過ぎる力には『鞘』がなくてはならない。

 たとえ無限に人助けできる力があろうと、身も心も絶対にもたない。尊い志もいつかは失われて、ただの作業になり果てるだろう。<禁書目録>に<首輪>がつけられたのも同じ理由。

 本人の意思とかどうとかお構いなしに、強過ぎる力はそれだけで人格も環境も規定する。

 無論、他人に植え付けられたのと、自分で決めたのは大違いだろうが。

 意思の強いとか人間性がどうとか関係ない『王』のような人の上に立てばそれはなおさら。

 何故ならば王のような力の前には、常識とか人格とかは意味を持たない。王というのはそういう環境さえもつくりなおせてしまう、“環境よりも上位”の存在だからだ。

 人命が大事だとか、平等であるべきだなど、精々この百年少しで決められたばかりのハリボテの常識だ。

 そんな常識など、圧倒的な力の前には呆気なく踏み潰される。

 そもそも、そう言う力の積み重ねで、現在社会倫理が成り立っている。

 これは単なる理屈ではない。

 歴史である。王の権力のもと数多くの人が統制され、森を切り開き、田畑を耕し、新世界を作り上げてきた時の流れである。

 だから、常識や良識など、ただのハリボテに過ぎない。

 それはあくまで、王たちが築き上げた世界の副産物(おまけ)なのだ。幾多の国と組織が刃や言葉を交わしてきたその中で、たまたまいくらかの共通認識が生じて取り決められただけのもの。実際、現代の人道主義(ヒューマニズム)ですら通じない場所がどれだけあることか。

 故に、王とは最上の存在として選ばれたものであるが、最善の未来を選ばなければならない。

 万人を巻き込もうが、ハリボテなどで立ち止まるべきではない。

 

「だが、私はあの小娘とは違う。このキャーリサに、恐れなどない」

 

 カチン、と王の剣が鞘に納まる。

 暴走を予感させる震えが止まった。

 

 

「それじゃあ、『魔術の火薬庫』を開けにいこうかの」

 

 

???

 

 

 ―――カンザキさん。俺、もっと生きたかった。

 

 

 ドッ!! と轟音が炸裂。

 魔王プリンセス=キャーリサの一撃は、その身体を真っ二つに両断した。

 

「戯け。どれほどの数を結集しようと、真にひとつにならん限り、この魔王には届かん」

 

 盾になってくれた。

 こんな不甲斐ない己を守るために。

 

「~~~~っ!」

 

 ぶわっ!! と堕天使エロメイド=カンザキの目尻に涙が浮かんだ。

 もう言葉はなかった。彼女は<七天七刀>を放り捨てても構わず、その無残に散った友の四角いボディを両手で受け止める。

 その隙を、魔王プリンセスが見逃すはずもなく、

 

「堕天使エロメイド様!」

 

 そこへすかさず、大精霊チラメイド=イツワが割って入る。しかし、その気になる主人のハートをぶっ刺す長槍フリフリスピアも満載だったフリルレースもすでにボロボロ。魔王の剣撃についに砕け散った。

 その間に、堕天使メイドを連れて避難した新聖母ピュアメイド=シイカが、その抱きかかえられた友を診るも……視線を伏せた。

 

「カンザキさん。彼はもう……」

 

 『他人のスカートをめくるのはご満悦でも、自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる』『最悪じゃないですかそれ』

 ドSだが打たれ弱い、実は純情可憐な最年少の小悪魔ベタメイド=アニェーゼは、本物の女王様である魔王プリンセスの前に最初に散って……

 『それを着たら、今度こそ本気で姉妹の縁を切るぞ、姉!』

 そもさん・せっぱの禅問答が好きな、踊り子な褐色系お姉さんの野生娘ケモメイド=ウレアパディーは、遠方から援護射撃をしていたが、必殺技の条件の流れ星が来なくて(昼だし)待ちぼうけで……

 『何となく西洋っぽくて古そうな服以外何の接点がないでしょうが! ゴシック舐めてんじゃないわよォォおおおおお!!』

 無自覚系爆乳の精神的ババアキャラな女神様ゴスメイド=オルソラは皆の帰りを信じて、のんびりと屋敷でお茶をしてて……

 『英国が、こんな特殊メイドが流行の最前線だなんて……』

 とにかく、色々と犠牲を払って、師である近衛侍女マスターメイド=シルビアから習得したみんなの女子力を集めて放つ冥土玉を喰らわせたというのに戦闘力53ポンドな魔王プリンセスは無事だったのだ。

 

「ゆ……ゆ……許しません……よ…よくも……よくも……」

 

 AI完備の全自動精密家電、

 家事が大変なメイド達の味方、

 設計上の限界地を超え、動作環境を遥かにしのぐ注文を出されても、グズでノロマで役立たずと蔑まれても、ひたすらに痛いも苦しいも耐えて耐えて耐え抜いて、ずっとずっとひとりで頑張って、己の成すべきことをなした――ぎゅうぎゅうに詰め込まれた布団丸洗いという当初は実現不可能だと思われていた偉業も達成した、

 洗濯機。

 いいヤツだった。

 最新科学の洗濯機は、本当にいいヤツだった、省エネ対策もばっちりで地球にも家計にも優しい電化製品だった。

 『洗えぬのならば、<七天七刀>でぶった切る』、などと一度は暴言を吐いた堕天使メイドに何も言わず(搭載されたAIに会話機能はありません)、そのふかふかなお布団という成果を見せてくれた堕天使メイドの友。

 その洗濯機が、魔王プリンセスによって、粉々に砕かれた。

 

「!?」

 

 プチン、とキレた。

 

「な……なんだ!? あの変化は……!? ここはストリップバーなのか……!?」

 

 頭が、だけではなく、その嫁入り衣装の生地部分が6割以上も弾け飛ぶように消失し、ほとんど水着。戦闘力と露出度が上がった堕天使エロメイド。否―――

 

「カ……カ……カンザキさん……!?」

 

「イツワをつれて、すぐに屋敷に帰りなさい! まだかすかに生きている……」

 

「それより、秋冬のロンドンで流石にその姿は寒くないですか?」

 

「お願いだから、あまりツッコミは入れないでくださいシイカ」

 

「でも、これはメイドという基本軸もないような……」

 

「私だってわかってますっ!!」

 

 まだ私の理性が残っている内に早くっ! と内から溢れる力(と羞恥心)を抑えるに精一杯な彼女を見て、呆然としていた新聖母ピュアメイドは気を失った大精霊チラメイドを抱えて飛び去る。

 そこへ、剣を向ける魔王プリンセス!

 

「はっ! このまま逃がすわけがないし!」

 

 <カーテナ>から生み出された白く巨大な扇が、彼女達の背中に―――が、直前で真っ二つに。

 

「そうですか。カンザキさんはなれたんですね―――あのハイパー堕天使ドエロメイドに!」

 

 穏やかで貞淑な大和撫子でありながら、激しい怒りと恥によって、ついにハイパー化に覚醒した伝説のメイド!!

 

「いや、普通に考えておかしーだろ。ただの痴女だし」

 

「うるっせぇんだよ、キャーリサァァあああああ!!!」

 

 

イギリス清教 拠点

 

 

「―――流石にねぇよ!!」

 

 不自然に沈みこむベットの感覚に浅い眠りから覚醒する。

 それにお腹に何かが乗っている感触もあるが、柔らかな感じで心地がいい。

 部屋は静かで、蝋燭の柔らかな灯りしかないので、おそらくさっきの寝室だ。

 時刻は分からないが、意識を失くしてからさほど時間が経っているとは思えない。

 そこまで考えて、お腹を、その上に跨っている少女を見……

 ぺたぺた、とほどよく湿った感触が、こちらの頬に触れる。

 

「当麻さん、夢の中までツッコミなんて斬新ですね」

 

「―――詩歌!」

 

 驚きで、上半身を跳ね上げる。

 あまりに顔が近くなり過ぎて、すぐに半分ぐらい元に戻った。

 倒れてしまうのを肘で固定して、ちょっと不自然な体勢のまま、意識がまだ少し混乱している頭で必死に回想する。

 あのあと――未だに白熱しているようだが――天草式男衆が発端でメイド論争が始まり、女教皇の神裂がブチ切れて更に騒がしくなった宴会場で、インデックスにも言われて、結局、先程の部屋まで運んだわけだが、どうやら、愚兄もつられて少しだが寝てしまったらしい、とこまでは思い出した。

 

「まずは看病ありがとです。けど、起きててやる、とは言われませんでしたが、まさか寝てしまうとは、おお兄よ、情けない」

 

「勇者を出迎える王様か!」

 

 威厳たっぷりにすでに着替えて準備の終えた賢妹が腕を組む。

 

「で、今度は詩歌が看病してくれた……わけか?」

 

「まあ、そうなるかと。お寝坊さん、もうすぐ夜明けになってしまいますよ」

 

「そうか、ありがとな」

 

 うなずいて、したり顔の妹に跨られた腹部を見返す。

 

「でもよ。普通こういうときって、膝枕じゃね?」

 

「見舞いの品は手作りクッキーなどベタなものに憧れる当麻さんの好みは大体把握していますが、さっきも言った通り、そろそろ夜が明けますので」

 

 それから見上げるかたちとなった愚兄だが、組む腕にのっているほど大きな胸を見て、ささっと視線を逸らした。そうすると、真新しい洋服上下に下着もセットと水の入った洗面器がベットのサイドテーブルに並んでいるのが目に入った。胸のシャツのボタンが外され、胸板がさらされていることにも気づく。そして、濡れタオルを手にした詩歌がいる。

 

「だから、汗を拭いてから身支度を手伝おうと。ちょうど新しい服に着替えてさっぱりしたいと考えてたでしょ?」

 

「ああ、その通りだ。気がきくな……って、待てぇっ!? こっから先はストォォォップ!」

 

 手を伸ばそうとする当麻。しかし、今はマウントポジションを取られ、肘でようやく上体を起こせている状態。そして、格闘技において、当麻は詩歌に勝てた試しがない。ひょいっと一瞬身を浮かし――間近でスカートがふわっと舞い、愚兄がそれに気を取られた隙に――素早く足の太ももとふくらはぎのサンドイッチで愚兄の両手首をそれぞれ挟んで、また腹筋の上に座る。体が起こせず、こちらが両手も動かせないのに対し、賢妹の方は両手がフリー、と完全に極まってる。

 

「まだまだですね」

 

「くっ、押さえ込まれたか!」

 

「押さえ込むなんて言い方は不満ですね。どうせなら、色っぽくマウントポジションを取られたと」

 

「マウントポジションという言葉に色気があると思えねーし、そもそも色気より、今にも喰われそうな恐怖のイメージが強いぞ」

 

「当麻さんは、厳密さんです。妹が仲直りしようと甲斐甲斐しくお世話しようとしてるのですよ」

 

「詩歌さんがアバウトさんなんでせう。ていうかこれは兄のプライド的にダメージが大きいが、そこまで世話をされたら本格的にダメ兄になっちまうぞ。もっと普通に頼む」

 

「『普通とは何ぞや?』。普通、つまりは常識とはその時代その時代に勝利した先駆者が決めるものである」

 

「なんかはじまった!?」

 

「上に立つ人間の高き志は、民衆には理解できないのかもしれない。後世の歴史家から愚か者と嘲笑を浴びせかけられる存在になるのかもしれない」

 

 詩歌は心臓を捧げるように左胸に手を置き、

 

「だがそれでも、一度決めた王道は貫かねばならない。なぜなら、誰よりも鮮烈に生き、諸人を魅せるから。全ての民の羨望を束ね、その道標として太陽の如く輝けるものこそが王……」

 

「いかにも真面目っぽい話をしてる気がするが、お兄ちゃんは分かってるからな!」

 

「さあ、立ち上がるのですみなのもの。革命の朝が―――「押さえつけられて立てねーし今は夜だッ!」」

 

 これ以上進むと世界が塗り替えられそうな大魔術に発展しそうなので、愚兄の幻想殺し(ツッコミ)がストップ。

 

「ですね、この辺にしときましょう。にしても、名演説モードだったのに、詩歌さんがボケてるとすぐにわかっちゃいましたね」

 

「そりゃわかるに決まってんだろ」

 

 くすくすと腹の上で面白そうに詩歌が笑うと、両の手の平を当麻の胸の上に、体重を乗せてくる。

 

「知ってます? 密着するほど普段以上に心がわかっちゃうんです」

 

 その黒い瞳が妖しく光ったかと思えた。

 

 

「シェリーさんの言う通り……私も、『火種』だよ」

 

 

 静かに、賢妹は言う。

 片手でローブの胸元を押さえ、一瞬たりとも当麻から目を逸らさずに告白した。

 

「向きが違うだけ。私はこの戦争を殺す(終わらせる)ために準備してきた、失敗すればどれほどの災禍を起こすのかと分かっていながら」

 

 さらに続けて、詩歌が言う。

 

「言い忘れてましたが、世界共通通貨は、各国の個性を殺しかねないもの。その土地その土地にあった法を台無しにしてしまう、同じように科学にも魔術にも通じてしまう私は人の世に出るべきでない災いです。この英国の混乱も、私が助長させている可能性は高いでしょうね。そして、私は―――」

 

 まさしく、詩歌は告白している。“この戦争を止めるためにどんな手段を使おうと、この騒乱の裏に何を仕掛けているのかと”。

 結局、自分も戦争の引き金を引いた人間と変わらないのだと。

 

「………」

 

 すぐには、当麻は会話を再開しなかった。詩歌も言葉を継がなかった。

 沈黙は闇の帳と同じように、ただひっそりと世界を閉ざしていた。

 やがて、たまりかねたか、

 

「やっぱり、私が怖い―――」

「―――わかったよ」

 

 詩歌の言葉を阻むように、愚兄が口を開いたのだ。

 

「詩歌。お前の言いたい事は分かった。ちゃんと計画してたんだな。英会話を習ってる俺とは比べ物にならない大仕掛けだ。ああ、手伝いはできねーが、誰にも言わねーよ」

 

「そう」

 

 その言葉に、詩歌は微笑した。

 自分の告白を聞いても、即座に叫んだり非難したりしなかったのだから、それだけで十分嬉しかった。

 

「じゃあ、これで」

 

 またがったままの体を浮かせたところで、ぐっとその太ももが掴まれた。

 

「ひゃんっ!?」

 

「もう一度聞かせろ」

 

 詩歌の太ももを抱え込んで、愚兄は強く言う。

 

「な、何を―――」

 

「その『計画』で、誰かが死ぬのか?」

 

「い、いいえ。殺すつもりも、死なすつもりもない、です。これは交渉するためのプロセスですし」

 

「そっか。良かった」

 

 と、愚兄は笑った。

 

「だったら、俺が味方にならない理由がないな」

 

「………」

 

 ぽかん、と詩歌は愚兄を見つめた。

 

「当麻さん。何度も言ってきましたが、やっぱり頭が悪いんですね」

 

「なんだよ。だって、それを使ったって誰も死にはしないんだろ。だったら、穏便に済ませられるかもしれねーし、『失敗すれば』とか『最後の最後の手段じゃなければ博打はしない』だとか、自分で言ってただろうが。つまり、成功すれば、使わなくても良いんだろ」

 

「……っ」

 

 当麻の台詞に、詩歌は言葉を詰まらせる。

 どうしてこの愚兄は、こういう時にだけ目端が利くのだろう。いつもはあんなにも鈍感で、学校の先生の話ですら碌に聞いてなさそうなのに。

 無言になった詩歌の前で、当麻は更にもう一段階上半身を持ち上げた。

 今にも触れ合ってしまいそうな、互いの息がかかりそうな距離で、愚兄はもう一度、そして何度でも同じ言葉を口にする。

 

「だったら、俺は詩歌の味方だ。ま、元々どんな理由があっても詩歌の味方をしてやるって決めてたんだがな。だって、それが俺の生き方だからな」

 

「………」

 

 賢妹は何も言わなかった。

 ただ、かあっ、と夜目にもはっきりとわかるほど真赤になっていた。白い肌の(かんばせ)にとどまらず、耳の先から滑らかなうなじまで、鮮やかなほど赤くなっている。

 

「詩歌?」

 

「……お、おにいちゃん、手をどけて。お願い」

 

 その言葉につられて、ずっと視線を下におろす。

 そこに、指摘された問題はあった。

 賢妹の柔らかな太ももを、当麻の手が握り締めている。しかも、ぎっちりがっちりと。これ以上ない鷲掴みというレベルである。

 

「うおおおおおっ!」

 

 大きく叫んで、愚兄はベットを後ずさり―――詩歌に跨れたままだったので、そのままぐるりと曲がってしまい、後頭部をベットの淵に打ち付けたのであった。

 

「おいでえええええええええっ!」

 

 そんな愚兄の様子を、詩歌は微苦笑して、

 

「……まあ、そんなに詩歌さんの足を引っ張りたいのならいいです」

 

 プイと後ろを向いて、小さく呟いた。

 まるでよく斬れる刃だと思う。

 剣の場合、芯と刃で金属の硬さが異なり、その組み合わせの妙が、折れず、曲がらず、そして斬れる剣を造り出す。

 

 上条当麻も、無知で無学で無才の無能と弱い所だらけなクセに、芯はとても固い。

 

 柔らかな部分で人の懐に潜り込んでから、硬い()の重さで断つ。

 まさしくその通りの愚兄にざっくり口を割られた詩歌は、血の代わりに言葉を出した。

 

「まったく夢現でも、本人をすぐ横にあんなこと言うんだから………でも、少しだけ、そう言ってくれるんじゃないかと思ってました。正直に言うと期待してました。何とも虫がよくて浅ましい思慮ですが……やっぱり、私は嬉しい」

 

「あ、つ、つつつつ……な、なんだ?」

 

 間抜けな顔で後頭部を撫でて、当麻が首を傾げる。

 余程痛かったのか、人の話を半分も聞いてなさそうな表情に、詩歌は何となく唇をほころばせた。

 軟らかい金属部分と硬い金属部分があるために、剣は砕けないためのしなやかさと、曲がらないための強さを持つ。

 王のような人上の力という揺るぎなく固い強さがあっても、このひとりの兄のような愚かな弱さがあるのならば。代わりに賢妹が、この無能を強い力で補えたら。

 それが最初だったはずだ。

 

「ええ、そうでしたね」

 

 と、首を縦に振る。

 

「だから、喜んであなたに翼を預けます」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「これは生命の原型。<幻想殺し>が異能を正すものだとしても、生命力そのものには干渉できない。火織さんを押さえても、<聖人>の異常な身体能力を打ち消せないのと同じ。だから、生命線で描かれたこれは当麻さんの右手でも機能しにくい。それを限定的に……」

 

 ぐいっと掴んだシャツをはだけるように肩から当麻の腕を晒し上げて、その腕に先のお皓『ヘナ』で紋様を描く。

 インディアンの刺青みたいにところどころで円や三角があり、その動き方を見るだけで何だかくすぐったくなる。

 けれど、動けない。普段なら『罰として定番のイタズラ落書きをしてあげます』みたいなことをいうだろうに、今回ばかりは少し様子が違った。

 ひどく厳粛に―――祈るように、紋様を描いている。

 その横顔に打たれて、当麻は薄目になるまで瞼を閉じ、身を預けた。

 そして……

 

「おい……?」

 

 詩歌の指が、最後の一画で止まった。

 その先を見つめる目には、普段の凛々しさや、力強さはまるでない。

 代わりに、ひどく繊細な―――童女のような表情が覗いていた。王女に腹黒と呼ばれた代表というにはあまりに清らかな、可憐な、切実な、透明な瞳。

 その澄み切った深さに打たれて―――胸と、腕が熱を持った。

 

「……詩歌?」

 

「あっ」

 

 止めるよりも、説明を求めるよりも、心配してしまう。

 余程集中していたらしい。呼びかけられて、さっと、黒髪が揺れて、真赤な頬を隠す。詩歌が指を引き―――止めた。

 

「な、なんですか、当麻さん」

 

「いや、何って……この、模様」

 

「ダメです! そのオリジナルの紋様『銀の腕』は当麻さんが約束を破らないようにかけたおまじないです!」

 

 ブンブンと首を振って、詩歌が主張する。

 

「おまじない?」

 

「そうです。常識外の怪物クラス(わたしたち)についていけるように。それから当麻さんをキャーリサさんのところまで同行させるとは決めましたが、仮にも人の上に立つ者として、どうしようもない時を除いて一か八かの賭けをすることなど認めません。その為に勝手な行動をしないと約束させたものです。こっちも一歩引いたんですからひとつくらいはそっちも条件を飲んでください」

 

「お、おお……」

 

 勢い任せでも了承を取ると、最後の一画を繋げて手を離した。

 

「もし詩歌さんの許可なく右手で触ったら、ひどいことになりますからね。契約儀式も目ではありません。不幸になる……は、いつものことですから、左腕から内腑を溶かす……のは、ちょっとあれですし……」

 

「しいかさーん? おーい妹よー? 聞こえてるかー?」

 

「下痢になります。お腹がゴロゴロになって、1時間はおトイレから出ることもできなくなります」

 

 いくら当麻でも嘘だとわかる。

 が、この場合、むしろ勢いに押されて、愚兄は青くなった。

 

「お、おう。わかった。わかったぞ」

 

「本当にっ?」

 

「本当、本当! 絶対に触らねーから! 誓います!」

 

 かくかくと首を上下させる当麻である。

 でも、心のどこかで―――ほっと安心している。

 

「それじゃあ、仕上げに少し、“羽を伸ばします”」

 

 そのときの当麻は、詩歌の言葉の意味が理解できなかった。

 ただ、右手が震えるような、“揺らぎ”、が賢妹の背中にみえた。

 一見すれば動いてないように見えても、動かしている。

 

「私は、当麻さんが私を繋ぎとめてくれる右手を持っているから、私と血の繋がった兄だから、なんてことでもう自分を迷わせたくない。だから、言葉にして誓います」

 

 その科学でも魔術でも説明できない何かを指先代わりに印を結んで方式にあてはめた透明な“羽”を当麻へと飛ばした。左肩に当たって、これが幻想なのだろう、声にならないふしぎな感覚が、愚兄の脳裏に弾けた。羽に乗って運ばれたものは、賢妹の感謝の気持ち。家族の愛情。これからどんなことがあっても感謝してると、目を閉じたくなるほど、染み入ってくる。彼女は今、笑っているのだと分かった。言葉で言えなかった感情が、いっぱいに広がる。

 <ありがとう>

 

「どんな見方があっても、私はあなたの味方です」

 

 

 

 この世で最も恐ろしいのは『説明できない力』だ。

 どんなに不可思議な力の源があろうと、それが剣と同じように振り下ろしてくれるのなら、剣と同じように受け止められる。銃と同じように撃ってくるなら、銃と同じように防げばいい。説明されて理解できるような『未知』というのは、所詮はその程度だ。

 だが、真に『説明できない力』には、そう言う対処法がない。

 この世で最も恐ろしいのは、理解の出来ないところから、説明の出来ない力が働いて、対策も考えられない内に倒されるということ。曖昧であるが故に条件の定義付けすらできず、どの方向に、どれくらいの距離まで離れれば回避したことになるのかも不明なまま戦闘が終わる。

 ひるがえって、『説明できない何か』を自覚的に放出できるようになった上条詩歌が、それを完全に理解した時、彼女はもはや並の遣い手ではない。

 

 

つづく


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