とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 涙の意味を変える

英国騒乱編 涙の意味を変える

 

 

ストーンヘンジ

 

 

「ここに到着した即席の魔術を命名し<雷神の戦車>。そして、その破壊にまぎれて、“マーキングした<環状列石>”――聖域の内側へ、五和さんたちの協力と残りの<四葉十字>を使って、詩歌さんだけ『神隠』してたんです。<雷神の戦車>の利点は、膨大な魔力を糧にした破壊だけではなく、並列作業を組むことで他の魔術を隠蔽しやすい状況を作り出してくれることもその一つ。地味ですが、聖域の異物に対する感応を誤魔化すだけの時間を稼げましたね」

 

 満足そうに、詩歌は喉を鳴らす。その様は平時の如く落ち着いている。

 対し、『湖畔の』騎士は、初めて動揺を見せた。

 

「では、まずはヴィリアンさんの目を覚まさせるとしましょう」

 

 第三王女に向き直ると、そのまま、友人に挨拶でもするように接近する。

 

「それなら好都合。ここで貴様も捕まえる」

 

 だが、無論、そんな無造作な接近を許す、しかもエビで釣れたタイを逃す『ランスロット』ではない。即座に、聖灰の粒子を集め、キャリーサを封じ込めた聖域を、詩歌に対しても展開した。賢妹の胴体と手足を、板状の聖域が両断する形で現れる。

 が、効かない。

 賢妹は、『ランスロット』が空間に固定した聖域を、スルリとすり抜けて近づいてきた。

 

「ばっ!?」

 

 馬鹿なっ、と叫ぶ声をかろうじて飲み込みながら、『湖畔の』騎士は次々に同じ聖域を展開。自分と少女との間の空間を埋め尽くす勢いで粒子を聖域に固めていく。しかし、金魚が掬い網を破るように詩歌はその中心を難なく前進した。

 愕然とする『ランスロット』に、賢妹はあけた空を指差して、

 

「細工をするのは苦労しましたが、ここを支配するのは<神の如き者(ミカエル)>でも、<神の薬(ラファエル)>でもなく、この空に浮かぶ月――<神の力(ガブリエル)>」

 

 気づく。

 あまりに都合のいい窮地が真実を告げる。

 『ランスロット』は目を閉じ、あらゆる感覚を遮断した。

 ゆっくりと腕を前に突き出そうとする―――だが、実際はピクリとも体は動いていない。

 現実は、キャーリサに対し聖域を張った時点で“止まっているのだ”。

 ―――光彩点滅(フラッシュポイント)催眠(ヒュプノス)

 今、この聖域の更に内に展開されている、<量産十字>を起点とする『幸福な現実を見せる』ではなく『幸福な幻想を見せる』<眩惑(グラマー)>の妖精術。

 情報操作の完全幻覚。現実とまるで区別できない疑似世界。

 

「この漁夫の利を失敗させないために、“視界がリンクされている”あなた達に、折角当麻さんとトールさんが引きつけてくれた鬼を応援に戻すわけにはいきませんしね」

 

 『叛逆の』王女を抑えるための楔として『湖畔の』騎士を利用した。

 どうにか完全に騙し切れていない知覚を辿り、幻覚を解こうと試みる。しかし、既に遅く。

 取り戻した視野で見れば、抱いた十字架ごと第三王女を詩歌は回収していた。

 それでも、まだ、口は動いた。

 

 まずい、と詩歌。

 

 今の自分が、『湖畔の』騎士を抑えて、この<量産十字>を解いて無効にするには時間がかかる。キャーリサが<カーテナ>で<天使の力>を過剰に注ぎ込んでわかったが、巫女ヴィリアンの生命と密接に繋がっている。<量産十字>を壊せば、確実にヴィリアンの心身が壊れる。生命力は打ち消さない当麻の右手であれば問題なかったが。

 

「姫よ! 今までやったことを思い出せ! もう英国を裏切っているあなたはもう手遅れ! 無能な貴女では挽回できない! 救われるのは神聖の国しかない!」

 

 それを聞いたヴィリアンは、はっと詩歌の腕を払い、逃げるよう距離を取った。

 

「そう……私は、こうするしかない」

 

 力ない笑みだった。

 心はとっくの昔に摩耗し切っていた。

 

「今までずっと守ってくれた騎士団長だって、クーデターの発生とともに私の命を狙いに来ました。王家の人間だからと言って、実質的に無能な私を、守る価値なんてない。そう、私にはあなたみたいに私を助けてくれる家族なんていない。結局裏切られるなら、最初から何も信じなければよかった」

 

 切れ切れにならないよう、慎重に感情を抑制した、呪詛にも似た声が続く。

 ただ見つめる瞳は、揺れて、揺れて、とても覚悟を決めたものではなく、そうせざるを得ない状況に追い詰められている者の目。

 

「あなただって、私を恨んでるんでしょう」

 

「……そうですね。否定はしません」

 

 この展開を予想していた賢妹は、自分もまた存在だけでも第三王女を罪咎の自責と追い詰めている要因で、どんなに言葉を尽くそうにも救いようがないのをよく知っている。

 例え、『清教派』でも、『王室派』でも、『騎士派』でも、そして、最後に裏切られた十三騎士団でも、無理なのだ。

 

「ただ、これだけは言っておきます、信じたのはあなたです」

 

 賢しい詭弁?

 いや、これは違う。

 ああ、そうだ。

 イヤだったのは、誰も信じられなかった自分。心の底から信じ切れなかった自分自身だ。だからいつしか、そんな自分さえも信じられなくなり、怖くなった。だから、神聖の国なんていう死への逃避を受け入れてしまおうと思った。

 それでも、疑いながらも、見逃してくれたのは、きっと自分は信じられていたから。この『人徳』を、信じてくれていたからだ。

 自分は、答えなければならない。

 

「さあ、姫よ。その災禍の言葉に惑わされてはいけません。あなたを苦しめるこの世界を、このウィリアムと共に新しい世界へと作り変えるのだ」

 

 背中を押す声。力強い視線。昔と変わらない。

 もうあれから長い事会ってなく、声も聞いてないけれど、その思い出が風化することはない。

 だが、ヴィリアンは首を振り、『ランスロット』へ告げる。

 

「わかってます……あなた方ローマ正教十三騎士団がこの私に“都合のいい夢”で騙してくれているのも」

 

 ―――っ、と『湖畔の』騎士『ウィリアム=オルウェル』は口を噤む。それをちょっとだけ良い気味とヴィリアンは笑う。

 

「あなた達はただ王室の血が必要だった。だから、王女の中で、姉上達ではなく、最もつけ込み易い私を選んだのです。違いますか」

 

 第一印象から思っていたことのままを述べると、もはや弁明できぬと悟ったのか、それ以上、騎士は言葉を口にしなかった。

 それでも、その男が言う通り、もう自分は引き返せないのだ。

 

「ええ、みんなそう、みんなみんな最初は優しく笑って……どうしようもなくなったら私を裏切ったんです。でも、上条詩歌の言った通り」

 

 ヴィリアンは微笑した。

 

「それを信じた私がいました。あなたに憧れた私がいました。いいえ、今でも」

 

 ヴィリアンは微笑した。徐々に赤の色素が薄くなる瞳で。まだ夢見心地で覚醒(トランス)が抜けきっておらず。

 

「みんな私を捨てたけど……でも私は今、そのみんなに感謝しています。何故なら私、その誰か一人でもいなかったら、今ここにいることすらなかったんです」

 

 捨てられて、自分は無価値だとしか思えなくて、何度も死のうと思って。

 それでも、思い出すみんなは優しくて、姉キャーリサも彼女にはない自分の可能性を信じていて、この少女も本当に自分を気に掛けてくれて、そして、自分は幸せだった。

 

「……私、みんなを信じて良かった。だから私、報いないと」

 

 さあ、応えよう。自分を信じてくれたみんなに。

 そうしてヴィリアンは短剣を逆手に構える。

 

「私は誰であろうと命を粗末にすることは許さない」

 

「いいえ、これは粗末なんかじゃありません」

 

 怖くて、逃げたくて死ぬんじゃない。

 自分が死ぬことで、みんなが幸せになってくれるのだ。だったらこの死が、精一杯の自分の価値だ。自分が生きてきた最大の意味だ。

 

 手にした刃で首筋を掻き切った―――

 

 

 ―――ヒラ……と紅が散る。

 

 

「は…花……? どうしてこんなものが……?」

 

 儚くも美しい、死を忘却の彼方に飛ばす一幕。

 

「種が芽吹き、咲き誇る<花蠱>。一夜に散る夢幻(ゆめまぼろし)

 

 いつのまにか環状列石の内一面に咲いていた花がひらりひらりと乱舞し、自ら発光しているように不思議な色を帯びている。植わった種々には薬草としても扱えることを考慮すれば、そうした反応も当然かもしれない。

 そんな、さっきまでの苛烈な攻防が嘘のような、幻想的な光景。

 しかし、それは月明かりを反射する万華鏡で、<眩惑>を拡散する。

 

「……どういう、こと?」

 

「不敬ながら姫様を“裏切らせて”もらいました」

 

 詩歌は、重荷を降ろしたような清々しい面持ちで応えた。

 

「“まずい”、と。やはりこうなると想定できましたし、そんな危ないモノなんて持たせるはずがないでしょう。取り換えっこしたそっちの方がヴィリアンさんにはお似合いです」

 

 鼻腔いっぱいになる芳しい香り。

 トランスの薬香の呪縛を優しく解く、温かみある滋味。

 目が覚める。覚めてしまう。籠のような、檻のような、幻想から覚めてしまった。

 ヴィリアンの首元を刺した、ではなく、埋めるのは、<花蠱>から摘み取られた花束。

 

「ヴィリアンさん、それは手向け、あなたはたった今、一度死にました。生まれ変わる気があるなら次はもう少し自分のあるべき姿を見つめ直してみることですね」

 

 大理石の十字架の中心に、掏り盗った短刀を躊躇いなく突き刺す。

 ヴィリアンの最後の希望だった幻想を砕く。

 <量産十字>自体の無効が困難ならば、暗示を解いて十字架の巫女を辞めさせればいい。

 元々、魔術基礎を身につけていないほとんど一般人の彼女は外的補助がなければ、巫女なんて役目を果たすのは無理な話だ。

 

「うっ…うっ……うあ……」

 

 ヴィリアンは崩れ落ちた。

 振るえる唇を両手で隠し、声にならない悲鳴を上げた。

 目が覚めた。だが、そこは悪夢よりも残酷な現実に帰ってきたということ。

 ああ、わかっている。優しい幻想を殺した。

 これは単に逃げ道を封じて決断する時間を伸ばしたというだけ。

 それでも、まずは、ヴィリアンの目を覚まさせることはできた。

 ただ、自分に次の一手まではできない。

 仕込んだ種と力がなければ、もう上条詩歌は戦えない、逃げ帰るための力さえないのだ。

 

「ああ、ああぁあぁぁああぁぁぁっ……!!」

 

 心を引き裂くようなヴィリアンの叫びが、花畑に嵐を呼び起こした。

 環状列石を包んでいた粒子が吹き荒れ、弾けては霧散する。

 もう時間稼ぎもお終い。停止した時間が、流れを取り戻した。

 

「―――ひどいことをしますねー」

 

 それは初めて響いた声だった。

 “他人を装う変装が得意な”『湖畔の』――『裏切の』騎士が総身に纏わせた粒子が、渦を巻いて縮んでいく。その『後方のアックア』という“殻”を破り、痩身緑髪の男の素顔が露わになる。

 

「それに、どうやらあなた、力を随分と拘束してますねー。<神撲騎団>全員揃ってようやく互角だった昨夜のあなただったら、今の好機を見逃さずに仕留められたでしょうし」

 

「そっちこそ、ようやく、お芝居を止めましたか」

 

「楽でしたけどねー。あのゴロツキは寡黙で、随分長いこと帰ってきてないようですから喋らなくても問題ありませんでした」

 

 あっという間に、聖灰の渦が詩歌を取り囲んだ。あと一歩のところで支配を阻まれた『湖畔の』騎士に笑みはない。

 <量産十字>が失われた今、『ランスロット』がこの儀式場、第三王女を守る価値も欺く理由はなくなった。変装に割いた制限が解除される。

 そして、その埋め合わせをするに十分過ぎる存在を捕える好機。<量産十字>で英国を支配してからという順番が変わっただけ。優先順位はやはり『神上』

 

「にしては、下手でしたけど。だから、薬香に頼らなければならなかった」

 

「強がりも言っても無駄ですよー。もうあなたの負けですねー」

 

 賢妹に出せる手はない。

 

 ならば、もうこの涙を誰も止められない。

 

 しかし、じっとこちらを見つめる少女は、初めて対峙した時のように、そこには恐れがない。透徹した眼差しは、以前より深い。

 

「―――ええ、残念ながら、もう私の出番は終わりです」

 

 詩歌は淡い微笑みで、『裏切の』騎士――そして、<神の右席>の『左方のテッラ』に応えた。

 

「ご存じでしょうか? 今、この英国は<縮図巡礼>の『鎖国』がされて、封鎖されてるんです。そのため、魔術師でさえも避ける強力な人払いがされた結界内に入るには手順に従ってもらうしかなく、“サークルの知り合い”に“とある男”が来たら迎えてくれるよう、外で待っててもらってましたが―――今、連絡が入りました」

 

 そして。

 『テッラ=ランスロット』も気がついた。

 

「あの男は死んだ―――「死んだはずだ、これもまやかしだ、なんてお決まりのセリフはよしてくださいよ。器が知れます。ええ、賭けはどうやら私の勝ちのようです」」

 

 三大派閥にも世界最大宗派にも属さない、その涙の意味を変える傭兵が戻ってきた―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 嘘に騙され、信じた相手も偽者で、死に場所すら裏切られた仮面舞踏。

 結局、なにもできずに、放心してしまってる。

 心が折れた。

 ヴィリアンは、項垂れるしかなかった。

 意気地がなくなった。そうなると、指先すらも動かなくなった。

 この世界に、自分の声はもうどこにも届かない。

 暗闇の底で、蹲っているしかない。

 

「……?」

 

 けれど、全てを諦めようとした瞬間である。

 奇蹟のように、空が煌々と照った。

 反射的に、導かれるように第三王女は顔をあげた。そっと夜天を振り仰ぐ。

 そこに、光の筋があった。箒星、だろうか。それは一直線に、このストーンヘンジへと向かっている。

 蒼き月を背に受けて迷いなく闇を切り裂いてくる―――あのドーヴァ海峡で見た男の姿と一致する。

 お姫様は、本能的に理解した。全身が、震え――奮えていた。第六感が、察している

 

 本物のウィリアム=オルウェルが帰ってきた!

 

 

 

 『叛逆の』王女すら封じた、『ローマ正教徒』と『最優先』されたこの選ばれた者だけが干渉できる聖灰の領域<神聖の国>を、その強者はドラゴンとユニコーンとシルキーの三つ巴で構成される型破りの紋章が根元に取り付けられた3m以上の巨大剣<アスカロン(Ascalon)>の一振りさせて突っ切った。

 賢妹と同じ幻覚ではない実体で、そう、強者は“ローマ正教の洗礼を受けたことがある”。

 

「王の国の姫よ。ご無事でよかった」

 

 最低限の礼節だけ弁えただけの短い言葉。多くを語らず、その行動で示してきた男の端的な言葉を受けて、第三王女の目に光が戻る。

 『王室派』、『清教派』、『騎士派』、そして、偽者でも、賢妹でも為せなかったことをその傭兵は為す。

 

「私は、あなたを、信じられなかった」

 

 だから、信じて、はいけない……と言葉は掠れて不安に消える。

 傭兵は人を安心させる笑みも言葉も生憎持ち合わせていない。

 だから、口にするのは確かなものだけ。

 

「変わりません。あなたが私を信じなくとも、私はあなたのために戦います」

 

「あ―――」

 

 ヴィリアンの優しい緑色の瞳に、ぼろっと涙があふれた。

 もう、何にも囚われていない感情の発露を引き出す。

 それは悲嘆ではない。どうしようもなく涙を流してしまいたくなる歓喜が理由で。

 もう彼女は自分の裡から堪え切れずに大粒の涙を長年溜め込んできたものを空にするまで決壊させる。

 それから傭兵は、自分に代わり姫の背後で嗚咽に震える背中を撫でる、かつて己を打ち破った聖母を、見やる。

 

「お待ちしてました」

 

「………」

 

 放浪から帰還した傭兵ウィリアム=オルウェルは、少しの間沈黙していた。

 それから、

 

「口先だけの言葉ではなく、その力で己が理想を示せと言ったはずだ」

 

「はい」

 

「その力を示すために、迎えの使者に何と言わせたか、覚えてるか」

 

「覚えてます」

 

「では、もう一度言ってみるのである」

 

「わかりました」

 

 強く、詩歌は頷いた。

 ぎゅっと唇を噛み締め、強く叫ぶ。

 

「ウィリアム=オルウェル、傭兵を雇う権力者として命を下す! 英国から、侵略者を退場させなさい! 報酬として第三王女ヴィリアン様の身の安全と理想の実現を約束します!」

 

「了解した」

 

 

 それが合図。

 一本の矢と化してテッラの痩身に突き刺さる。

 怪物殺しの巨大剣からの猪突で、傭兵は聖灰ごとかつての同僚『裏切の』騎士と共にストーンヘンジから退場した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 『後方のアックア』、またの名をウィリアム=オルウェルが新たに手に入れた得物は、<アスカロン>。『聖剣の物語』に出てきた『全長50フィートもの悪竜を斬り殺すために必要な要素をこの一本に全て集約した剣』をモデルに本物の魔術師が“人が扱う事を度外視して”幻想を現実に変えたもの。

 両刃の切れ味は均一ではなく、各部位によって厚みも角度も調整され、大剣としてだけでなく斧にも剃刀にも鋸にも対応でき、缶切りのようなスパイクに糸鋸のように剣身に寄りそうワイヤーも備えられているという万能十徳大剣。これひとつあれば、鱗、肉、骨、筋、剣、牙、爪、翼、脂肪、内臓、筋肉、血管、神経……と“悪竜を解体できる”。怪物殺しの巨大剣。

 ウィリアムは両手を柄に添える。

 すでに戦いの余波で第三王女を巻き込むという愚を犯さぬよう距離は取った。

 ここで一気に片をつける。

 

「どうやら、新たな武器を用意したところを見ると、まだ万全とは言いにくいようですねー」

 

 眼光は同じ<神の右席>であったテッラに据えたまま微塵も揺らがない。

 

「気が済むまで相手しますが、絶望しないでくださいよー。<聖母崇拝>を失ったあなたでは私に勝てませんから」

 

「いくぞ―――」

 

 ローマ正教徒を『最優先』することで限定的に絶対不破の聖灰領域<神聖の国>は、元ローマ正教で同じ<神の右席>だったウィリアムには通用しない。

 『左方のテッラ』の<光の処刑>は優先順位を変える。

 『剣』を下位に『人間』を上位にすれば、剣の刃は人の肌を傷つけない。

 故に、<アスカロン>の属性を変える。

 鋭く息を吸い。

 

 全長3.5m、重量200kgにも及び鉄塊が煌めき、光を放つ。まるで剣身に火が宿っているかのよう。

 

 複数の刃を秘めた<アスカロン>はその用途に応じて機能を使い分けられる。

 

 <アスカロン>の斧刃が、赤に変色。

 

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔斧の刃を形成した。その威力は悪竜の筋肉さえも切断するだろう。

 それを振るうは、<神の右席>としての力を喪失したとはいえ、<聖人>の壁を超えた傭兵。

 健在であることを証明する苛烈な魔刃が、光の粉を拭き、風を切る。

 

「―――優先する!」

 

 地面に埋まるほど吹き飛ばされたテッラは咄嗟に聖域を張った。

 ウィリアムはその聖域ごと、テッラを叩き斬った。

 月を背負って<アスカロン>を振り抜く。傭兵渾身の一刀は、テッラの<神聖の国>を易々と切り裂き、『裏切の』騎士をその下の地盤ごと袈裟切りに―――

 

「ッ!!」

 

 魔力を帯びた剣風が渦を巻き、竜巻となってその身体を斬り刻みつつ、また吹き飛ばされる。

 この<アスカロン>は『悪竜=堕天した天使』を倒すものであり、物理的だけでなく<天使の力>さえも断てる。

 打ち出された甚大な魔力に、周囲の霊脈が荒れ狂うほど。地盤が真っ二つに割れ、ガゴンッ、と沈下した。それを受けたテッラの身体は、突風に煽られるよう魔気の嵐に翻弄された。

 

 <アスカロン>の薄刃が、青に変色。

 

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔刀の刃を形成した。その剃刀は悪竜の脂肪さえも解体するだろう。

 して、錐揉みに回転するテッラを追うように跳躍。

 

 ―――瞬間、青光の軌道上の風が死んだ。

 

 研ぎ抜かれた魔刀が、テッラの胴を一刀のもとに両断―――

 

 がっき、とテッラの身体がさらに飛ぶ。

 ウィリアムは刃を返して、重い巨大剣を跳ね上げた。

 

 <アスカロン>の剣身中ほどにある缶切り状のスパイクが、緑に変色。

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔牙の刃を形成した。その大スパイクは悪竜の鱗さえも剥離するだろう。

 そのままテッラの額を狙って横薙ぎに振るった。

 疾風の一撃に、真っ向勝負を挑み―――

 

「ぬっ」

 

 手首を回し、追撃。

 

 <アスカロン>の剣身に沿う糸鋸状のワイヤーが、黄に変色。

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔糸の刃を形成した。そのワイヤーは悪竜の内臓を綺麗に摘出するだろう。

 

 地面に着地と同時。

 

 <アスカロン>の背にある巨大な鋸が、紫に変色。

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔鋸の刃を形成した。その大鋸は悪竜の骨格を砕き折るだろう。

 

 続けて。

 

 <アスカロン>の柄尻に取り付けられたフック状スパイクが、桜に変色。

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔爪の刃を形成した。その小スパイクは悪竜の歯牙を抜歯するだろう。

 

 最後、超至近から。

 

 <アスカロン>の背の根元にある接近戦用スパイクが、白に変色。

 集まった魔力は、練られ、叩かれ、焼かれ、叩かれ、研がれて、魔杭の刃を形成した。その細長スパイクは悪竜の神経を徹底的に穿ち潰するだろう。

 

 両者、後方に跳躍し、間合いを取る。

 魔術の名残か、ウィリアムの身体からは神々しいまでに生気が立ち上っていた。その姿は闘神を身に降ろしたかのようだ。

 手にした<アスカロン>も、魔刃こそ消えているものの、あれだけの力を吐き出しながら、まだ内に強大な魔力を残している。

 しかし、その傭兵の表情は一層険しさを増す。

 

「テッラ、貴様……その姿!!」

 

「今は『ランスロット』と呼んでほしいですねー」

 

 ―――『裏切の』騎士は、無傷だった。

 連続で、しかも攻撃方法を別々に変えた傭兵の斬撃が一度たりともその防御を掻い潜ることはできなかった。信じられないことに、術ではなく、その力と技で防がれた。

 <神撲騎団>の長の聖灰粒子に覆われた法衣が風に翻り、見えた下の肉体は、人間のそれではなかった。男性のような隆々とした腰から胸が角張る、一体成形の金属鎧だった。

 防御魔術が巨大剣に耐えたのではなかった。そんなものは傭兵の怪物殺しの前には砕け散るはずだった。十三騎士団最硬の超高位実力者は、入神の剣技を正面から“装甲”と“剣技”で受け切ったのだ。

 

「驚きましたかー? アックアが新しいオモチャを手に入れたようですが、私は生まれ変わったんですよー」

 

 ウィリアムが知る『左方のテッラ』は、<光の処刑>という万物の優先順位を操作する特異な素質がある宗教家だった。決して戦士ではなく、研究者としては一流だとしても、実際の戦闘に関しては三流もいいとこで、その性能も常人と何ら変わりないはずだった。

 しかし、今、護国の騎将と同格の傭兵の動きについていき、その鎧と剣は少しも欠けることがない。そして、追加されたのは最強の騎士剣による自動防御の精神(ソフト)だけでなく、

 

「<神の右席>や<聖人>といっても、所詮は人間ですからねー。限界があるんですよー。ええ、我々の<天使>に“近い”程度の身体では届かない、我々が目標に掲げた<天使>を“超える”身体にはなるには、人間を解脱するのが当然の理」

 

「だから、人間を捨てたのであるか」

 

 ウィリアム=オルウェルは、その身に収まりきれないほどの莫大な力を制御できる術を持っているから強い。

 そして、テッラ=ランスロットは、莫大な力がその身に収まりきれる体を持っているから強い。

 異能をより強く引き出すために、その器を“異形”に取り込んだのだ。

 『裏切の』騎士は、身体を武器とすることで人間の性能を遥かに凌駕した、魔導の産物へとなり果てていた。常識外ではない、非常識の怪物。究極の天使化魔導師がそこにいた。

 

「まー、望んでしたわけじゃないですが、おかげでより<神の薬(ラファエル)>の力が引き出せるようになりましたし、正解でしたね。便利な“手足”だけじゃなく、このように剣も使えるようになりましたねー」

 

 その手にある、聖灰の粒子が密集して形成された刃渡り1mの十字剣。ウィリアムの<アスカロン>と打ち合えた事実から、その刀剣は見た目以上に、材質がおそろしく重く、硬い。

 『騎士王物語』の伝説にある通り、あらゆるものよりも『最優先』に設定された刃は、円卓最強の騎士が持つ絶対に毀れることがない、そして<アスカロン>と同じく竜殺しの剣<アロンダイト>。

 

「アックア。再びローマ正教に戻ってくるなら、私と同じようにしてあげても構いませんが」

 

 どうです? と訊こうとした『ランスロット』はふと言葉を止めた。

 小さな笑い声が上がったのだ。

 傭兵の肩が僅かに上下し、そして、その顔に浮かぶのは、かつての己――『左方のテッラ』――が知るような、強敵を前にした時の荒々しい笑みではない。

 失笑だった。

 

「そうやって、自分にも相手にも異形を認めさせなければ、自我が耐えられなくなったのであるか、テッラ」

 

 ―――瞬間、『裏切の』騎士が消えた。

 不気味なほど静かに。あったのはただ、夜闇そのものが押し寄せてきたような、圧倒的な死の予感。

 傭兵との距離を一息に踏み込み、上段から一刀を振り落とすその時まで、音すら立たない。振るわれた剣の音より、異形の男の声が大きくは響いた。

 

「だから、私は『ランスロット』だ!」

 

 かつての<神の右席>最強の傭兵、ウィリアムは微動すらできなかった。

 ―――<アロンダイト>を<アスカロン>で迎え打ったウィリアムは揺るぎもしなかった。

 ドガザザガガッギギギギ!!

 刃鳴が散り、火花が舞い、両者を彩る。狂ったように乱れる颶風、剣戟一合の度に轟音が戦場へ響き渡る。

 拮抗―――だが、出所のわからない緊張が、『ランスロット』の握る剣に熱を伝えていた。

 技だけで人格までは受け継がせなかった『裏切の』騎士の剣技は英霊の精神任せですべて自動で動いている。テッラには、これにどのような駆け引きが行われているかなどわからないのだ。故に、不安となる。これは十三騎士団最強の技巧。しかし、この男は<神の右席>でも圧倒的な実力を持っていた最強だ。

 だったら精神的に揺さぶれと、テッラに底意地悪いモノが囁いた。

 

「第三王女も死んだら、同じようにして新しい人生をあげたんですけどねー」

 

「新しい人生などではない」

 

 怒りではなく、むしろ憐れんでいた。

 この男が戦うのは、自分に誑かされた王女を守るためであり、しかも、それに己の顔が使われたのだ。

 それでもなお、この男は熱くなることはない。

 

「生に歪に割って入る有様は狂気を振り撒く災厄の種。捻じれた魂を引き摺って彷徨うのも私の目からは醜い死体の悪足掻きにしか見えん」

 

 ぞん、と巨大剣の刃が走る。

 『ランスロット』の精神が紙一重でその軌跡を回避させ、前に進ませる。

 巨大剣が振り返る。

 傭兵の屈強な肉体の、バネの強さを活かした―――信じがたい角度を描く一撃。

 正確に喉笛を狙い、鋭角に急転する刃。傭兵は巨大剣を力任せに軽々と振り回すだけでなく、人体を効率よく破壊する何とも情緒のない技巧がある。長さが邪魔になる至近でありながらその速さは、もはや反撃に転ずる間も与えない。

 『裏切の』騎士は打ち合わなかった、避けることも躱すこともせず、さらに一歩踏み込み、粒子を纏わせ厚みが増した装甲の腕をかざして受け止め――一瞬の脱力で横に捌いた。

 恐ろしく頑丈な金属鎧は巨大剣に体を圧されたものの斬れていない。

 そして、空いたもう片腕で十字剣を放つ―――しかし、ツバメ返しを思わせる、二連撃すらフェイク。

 『(ラグズ)』のルーンの一撃が続く。

 砲弾にも似た氷塊そのものの打撃を、傭兵の刻印が形成する。受けることも回避することも不可能な、必倒の連携(コンビネーション)

 テッラに炸裂。凄まじい物理的衝撃を見舞った。

 まだ万全とは言い難い傭兵の魔術形成速度では、回避に遅れた。その一瞬に躯がついていけず―――

 

 ドバッ!! と轟音。

 『裏切の』騎士はたたらを踏んで後退する。

 

 ザリザリザリ!! と靴底からイヤな音が響く。

 傭兵はあらゆる国の剣術で最も避け難いとされる部位のひとつである胴体に受け、踏ん張ることもできずに下草ごと地面を抉り滑りながらも、どうにか体勢を立て直す。だが、巨大剣の守りは間に合った。

 氷塊を受けた十字剣は、反撃に遅れたのだ。

 なるほど、と衝撃を吸収し切れず鋭い痛みが脇腹に走るのを代償に、傭兵は掴んだ。

 そして、寡黙なこの男には珍しく今度はこちらから口火を切った。

 

「貴様はとうの昔に終わっているのだ」

 

 傭兵が大上段に<アスカロン>を構えた。

 

「終わっているのに続いている振りをして生きている真似をしているだけである」

 

 引き寄せられるように、テッラもウィリアムと同じ大上段の構えを取ってしまった。

 ウィリアムが知る限り、『人の手で『神の子』を殺す矛盾を成立させた』テッラという男は<神の右席>の中でもある意味で最も人間らしく、完全な理想を求めた完璧主義だった。

 誰よりも神聖の国への執着が強い男は、勝負時の駆け引きでも関係ない。

 

 そして、その何より守りを優先する剣技は『ランスロット』のものであって、『テッラ』のものではない。

 

 ハッキリ言って、傭兵から見れば、戦うには雑念が多いのだ。

 しかし、その原因となる精神の歪な差異を生じる人格は、その<光の処刑>の重要な要素で削れない。本来ならば<神聖の国>に<神撲騎団>がそれを補うのだが、今はない。

 一直線になり過ぎた『テッラ』の打ち込みは、甘く、<アスカロン>の刃の上を滑らされた。攻勢に出た<アロンダイト>が水のように流されて―――

 

「死を受け入れ、この世から退場できないようでは未来永劫、貴様が求めていた神聖の国へは行けないのである」

 

 全てが空白になった刹那、『テッラ』の人格とは別に『ランスロット』の絶技が反応した。

 体勢、速さ、タイミング、全てにおいて万全な<アスカロン>の袈裟切りは、決着を確信させるに十分な一撃で―――それを『裏切の』騎士は<アロンダイト>を手放し、交差する両腕で挟み受け止めてみせた。この不条理に、こと防御に関してはこの英霊の技倆には敵わぬと傭兵は知る。

 そして、ウィリアムののどを粒子の刃で首を刈るようにして飛ばしてきた。

 下がれば武器が奪われ、押せば体勢を崩される、ほとんど詰み手。

 傭兵が選んだのはしゃがみながら引くことだった

 

「だが、それは予測済みである」

 

 直後、刃取りから引き抜こうとしたのか、傭兵は全力で<アスカロン>を思い切り手前に―――したら、不意に柄がすっぽ抜けた。

 総重量200kgの大部分を占める鉄塊を支えた状態の『ランスロット』が、この自壊ギミックに、僅かにバランスを崩す。

 そして、傭兵の柄の先に伸びるのは、3.5mの巨大剣だからこそできた、『鞘』に隠された刃、1mを超える最後の名剣。

 これには自動防御すら追いつかなくなり、苦し紛れに聖灰の粒子を渦巻かせるも―――ついに防御を掻い潜り、天使型魔導師の左肩から右腰へと渾身の力で一刀両断に法衣が断ち割られた。

 

「―――優先する!」

 

 『裏切の』騎士の肩口に、折れた隠し剣が食い込んでいた。

 そして、ウィリアムの眼前で、渦巻く聖灰が十字剣の形をとり、<アロンダイト>を形成する。

 けれども傭兵に焦りの色はない。

 続けて襲い来る突きを、体を捌いて躱すと、そのまま大きく距離を取る。次の瞬間には、その柄――そこから折れた、ではなく外れた刀剣へと伸びていた極めて細いワイヤー。

 これもまた親指で押さえられた柄のボタンを見ればわかる通り<アスカロン>のギミック。

 その極細ワイヤー――厳密にはミクロサイズのチューブの内側から樹脂液体のような物が噴出、空気に触れた途端、驟のように固化。最終的に成った形は、四方八方に杭を伸ばす原始的な棍棒(メイス)――ウィリアムが最も得意とする得物。

 それに己の血を付けた指で表面を走らせ―――

 

「舐めるな!」

 

 <アスカロン>と<アロンダイト>が最後の激突。

 巨大なビル同士がぶつかり合えばこんな音がするだろう。

 両者の剣は風よりも速く、神速の踏み込みの後を、巻き起こった疾風が追うのだ。

 余波に一帯全体が鳴動。

 勝ったのは無毀の十字剣。

 気合一閃、リーチの差では勝ったおかげで先に届いた頑丈な棍棒を受け止め、“刃と刃を合わせた状態から切断した”。

 

「これで私の勝ち―――」

 

 武器を断ち、下段より斬り上げる返し刃で傭兵の顎を断ち切ろうと、さらに踏み込んだ―――途端。

 

 バンッ!!

 

 表面に塗られた刻印が至近爆発。武器破壊を引き金に飛び散った杭がその金属鎧に無数の凹凸をつくらせた。

 火山灰のように飛散する棍棒の破片の中で、決着。

 

「敗北を味わうのも良い機会だ」

 

 道具の優劣がついたときにはすでに、傭兵の身体が津波の如く騎士の懐に潜り込んでいた。

 

「優先―――「遅い」」

 

 震脚。

 脇腹の陥没に掌を当て、零距離からの掌打を撃ち放つ。掌には『水』のルーンを握られている。

 『裏切の』騎士の金属鎧を貫通し、内部へと直接衝撃を送り込む。

 

「………」

 

 テッラがたたらを踏む。さらに数歩よろめく。

 体が、ろくに動かない。

 

「ゴロ、ツキが……剣が、折れたでしょう、が」

 

「生憎お行儀のいいやり方は肌に合わない傭兵なのでな」

 

 傭兵の魔拳は、まさしく達人の域だった。その勁は単に凄まじい威力を誇るだけでなく、水のように相手の体の奥深くまで浸透し切っていたのだ。

 そうして。この男を終わらせるはずだった。

 本当なら。

 

 

「―――私も正々堂々はキラいでサ」

 

 

 突然、『裏切の』騎士との合間に、火炎が噴いた。

 疾風といい、迅雷という。まさしくそのままの神速で、ほんの一瞬傭兵が気を緩ませたタイミングで、その焔は現れた。

 

「将がやられたら全部おしまいサ。とっととこんなおっかない国を離れるサ。十字架も破壊され潮時だしサ」

 

 ウィリアムは咄嗟に後ろに下がった。

 そして、見た。

 異形となり“武器”と認められたその貴重な体には万が一になくさぬよう“焼印”が施されていた。

 

 

 次の刹那、『テッラ=ランスロット』は炎に呑まれて、姿を消した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「で」

 

 歴史ある石の柱を横目に見ていると、臓腑に冷たく、問題が続いている事実が染みてくる。

 状況といえば、ウィリアムが外的脅威を払ってくれたとはいえ、ヴィリアンは自分で自分自身の身も守り切れないほど不安定なのには、変わりない。手に入れたのではなく、彼女は猶予をもらっただけなのだ。

 ヴィリアンの命運の儚さを思い知らせるように、聖域が晴れた先に最後の門番は待っていた。

 姉、キャーリサがそこにいた。赤いドレスの『叛逆の』王女が、仮面舞踏の終わりにでも顔を出したようにさらりと生き死にを語った。

 

「―――まさか、逃げ果せられるつもりではなかろーな」

 

 キャーリサは、斬るとは言わなかった。古き大勢を破壊し、新たなる『変革』を求める首謀者にとって、すでに宣告した確定事項を言葉として並べるのは無意味だからだ。

 夢の時間は走馬灯のように一瞬で終わり、現実そのものに降ってわいた死の運命に、ヴィリアンの全身に、汗がにじんだ。

 

「姉君……」

 

 生きたいと、生まれ変わろうと願った。それでも簡単に生きて帰れるほど甘いとは思ってなかった。キャーリサは『選定剣』を扱えるもの全てを処すと言い、クーデターとはいえ国のトップにたっている身である。英国民を幸せにするためとはいえ、ローマ正教の支配に加担したヴィリアンを、彼女が許すはずがなかった。

 

「なーに、大体わかってる。誑かされた愚妹をのうのうと生かしておいては、私も姉としてけじめがつかぬのでな」

 

 クーデターだけでなく、英国内の侵略者を殲滅するためにそう時間はかけられないのに、高々と剣を掲げた。英才教育を施された苛烈な軍人でもある姉であって、流れる水のように剣さばきは流麗だ。

 決断した要因は、この姉に、なすすべなく殺されると分かったことだった。ローマ正教の手引きがなければ、フォークストーンでヴィリアンの首は転がっていた。

 ヴィリアンとは違い、『軍事』に特化していることから剣術にも魔術にも秀でているキャーリサには、剣戟の音を聞きつけられるまでもなく相手を斬るだけの実力があった。

 そして、<カーテナ=オリジナル>を手にした今、<量産十字>の効果がなければ、<神撲騎団>をまとめて叩き切れただろう。

 

「それはたぶん無理でしょう。あなたはしばらくは戦えません。“解呪”にかかり切りになるでしょうから」

 

 上条詩歌が隠行を解き、姿を現した瞬間、キャーリサは動きを止め、ヴィリアンから視線を外し、そちらへ投げた。

 詩歌は、綺麗な、底冷えするほど綺麗な微笑を浮かべ、

 

「ふふふ、あなたにしては“迂闊”でしたね。私がこの場で姿を隠し、身を潜めていた時、『十字架』だけでなく、『選定剣』に対して、“何もしなかったわけがないでしょう”。ええ、国宝ですから丁重に、といっても、<英国女王>から当麻さんに『壊してもまた造ればいい』と“言質”を取ってありますし、“私は、必要なら兵器に対しては容赦しません”。なので、遠慮なく、インデックスさんでさえ見たことがないような“オリジナルの最新の呪い”を鞘代わりに抜き身の剣に掛けさせてもらいました」

 

「……ハッタリだ」

 

 姉は即答した。しかし、宮殿でも彼女の気配を察知できず、今まで聖域に囚われていたというチャンスがあった事実は覆せない。

 それら弱気を見せぬ攻撃的な口調で、

 

「この私が舌先三寸を真に受けるとでも思ってるのか?」

 

「半信半疑も怪しいでしょうね。でも、“十分”でしょう。何せあなたは、私を“信頼”してますから。“あなたと同じように”必要ならば何でもすると。あと、お腹の中が何色なのかまでも、わかってるでしょうし」

 

「腹黒め……」

 

「今の<カーテナ>は私の指先一つ――例えその台詞が九割虚言だと見抜いたとしても、あなたの私への信頼という最後の一割は、無視できない。決して、できません」

 

 キャーリサはギリッと奥歯を噛み締めた。敵にさえ影響を与える、これも『人徳』だ。

 逆らえば武力行使を辞さない、『人徳』を捨てた暴君が国の上に立とうなら、まともな民主主義など機能するはずがない。今の『変革』が成立しようとしているのは、それらの反抗も封じ、『騎士派』の軍力を従える、<カーテナ>という怪物兵器があってこそだ。

 ヴィリアンであってもそうだ。あのような幻を魅せられ、そして、漁夫の利を得た勝者は彼女だと認めざるを得ない。

 それでもなお、リスクの天秤の傾きは、

 

「……いいやあ」

 

と、否が唱えられた。

 

「力がなくとも処せるくらいに、今の貴様が万全でないのも分かってる」

 

 そう、次元など切断しなくとも、現実として、今の第二王女の剣は、言葉よりも速い。

 会話交渉が成立する条件を満たし切れていない。

 ざっ、とキャリーサが跳ねた。

 間に合わぬ。

 コマ送りのように、切先のない慈悲の剣によって少女の頸動脈が裂かれるのを、ヴィリアンは幻視した。迸る血の量とその熱さまでハッキリと感じた。

 

「―――」

 

 詩歌自身も、動けない。

 今の彼女は手が出せないほどに封じられて、人間の範疇に収まっている。<天使長>に強化された姉の一太刀に反応できる道理もない。そのくせ高い感知能力で『叛逆の』王女の剣を完璧に見極め、だからこそ死を確信させられる。

 避けるも受けるもかなわぬ、絶対の死。

 その、死と生の狭間で、

 

「っはあああっ!」

 

 横ざまから流れたもうひとつの銀光を、詩歌は視た。いいや、その広い視野は前から捉えていた。

 そして、聞いた。

 鋭く清々しいその霊刀が王女の剣を弾く、澄んだ音を。

 

「―――遅くなりました」

 

 凛とした声は、その刀とよく似ていた。

 長い黒髪をまとめたポニーテイルが颯爽と風に揺れて、彼女の白い肌に映える。

 

「ようやく、まともな助太刀をさせてもらいました」

 

 疾風の如く駆け込んだ人影は、ゆっくりと刀を構え直す。

 <神の力>の神格を得た<七天七刀>の主。

 詩歌はこの温かい実感を噛み締めるように、その名を呼び応えた。

 

「ええ、助かりました、火織さん。それに……」

 

「しいか!」

 

「インデックスさんもありがとう」

 

「ううん、ごめんなんだよ。待たせちゃったよね」

 

「少しだけ」

 

「でもね、しいかは突っ走り過ぎと思うかも」

 

「私達が間に合わなかったらどうするつもりだったんですか」

 

「説教されるなーと、ちょっと思ってましたけど、お姫様はせっかちでして」

 

 墜落する水陸離着可能の航空機を、無事なものたちが水を使い衝撃を抑えて危機を逃れられたのだ。

 

「<禁書目録>か」

 

 一時的に<大天使>の加護を得る霊刀とはいえ、<天使長>の『選定剣』の軌道をずらせたのは、『魔道図書館』の<強制詠唱>のサポートがあってこそだろう。

 精神的な縛りがある以上、<聖人>と<禁書目録>を前に『選定剣』は振るえなくなる。

 

「遅れて申し訳ありませんヴィリアン様」

 

「ナタリア……」

 

 続いて駆け寄る『騎士派』の女騎士に、ヴィリアンは目を丸くして、声を漏らしてしまう。

 対する女騎士は、キャーリサに対し、ただきっぱりとこう口にする。

 

「ナタリア=オルウェル、自らの義によって第三王女ヴィリアン様の側に立たせてもらいます」

 

 ナタリアのパスがあったからこそ、彼女達がここに来るための第三王女の位置が知れた。

 これで、当初の予定より遅刻したが、これで拮抗する膠着状態――だからこそ、交渉できるステージに立てる手札――仲間が揃った。

 

「では、話を戻しましょうか」

 

 

ドーヴァ海峡 フランス側

 

 

「おーわったー!」

 

 適度に経験値が稼げた仕事が終わり、混乱している内に愚兄を残して部外者はとっとと退散と、教えられた手順を通り英国を出たところで、トールは快哉をあげた。

 振り向けば、向こうの英国が確認できそうなほど見晴らしのいい崖の上である。こんな所にタクシーや交通機関がありそうにもないので、もう少し歩かなければならない。

 よって大出力の反動で疲労困憊の体に鞭打ってひたすら歩いて―――その前に休憩を挟んだトールが崖の上の草むらに寝っ転がった次第だった。

 

「ああ疲れた! だが、良い経験に、良き出会いがあって、良かった!」

 

 結局、逃げた最後の不死者も、『ミョルニル』と同様に“異形”になっている存在だったし、楽しめた。

 そこで今日の出来事を思い返し、脳内で経験を反復していると―――次の事態が生じた。

 トールは、寝たまま顔をそらして、逆さまの視界で窺う。

 

「ん?」

 

 その向こうから、紳士服の男を側に従えた金髪の小柄な少女が歩いてきたのである。

 それが誰――『黄金』の大物結社の連中だと気づき、上半身だけ持ち上げて、トールが草のついた髪をがりがりと掻いた。

 

「おいおい、今日はもう終わりだと思ってたのに。今度は『黄金』の大物か」

 

「安心しろ。私は戦闘狂と無駄な争いはしない」

 

 無表情に、<明け色の陽射し>のボス、レイヴィニア=バードウェイが口を開いた。

 端から若者の言葉を無視するかのように、こう尋ねたのである。

 

「どうして、英国の混乱に巻き込まれるような真似をした? おそらく、貴様ならもっとうまくやれただろうし、最初から事情を話してお願いすれば聞いてもらえただろう」

 

「ああー。そうだな。やろうと思えば、できただろうさ。だが、それだとちゃんと戦ってもらえないだろう。こういった混乱の中なら、きっとどっかで巡り合って、仕方ない状況に陥ってて、上手くいけばケンカできるなーってな」

 

 それだけなのだろう。

 組織の命令に従ったのも、変革に加担したのも、単にあの少女、兄妹と喧嘩してみたかったからなのだと。己の手に何が掴めるのかというその探求に、トールは胸を張って笑う。

 ひどく無邪気に。

 頑是無い子供のように。

 そういう生き物だと自覚して。

 バードウェイは、小さく呻いた。

 

「あの兄妹は共々ひらいたトランプから、かならずババ札(ジョーカー)を引く。それはひとつの才能だと思うがな」

 

 にしても、厄介な札を引いたもんだ、とババ(トール)を見る。

 これと繋がるラインはできる限り切っておいた方がいいと判断する。

 

「だが、兄の方と違って妹は抜け目がない奴でな。背中をよく見てみろ。そこに防護を張ると同時に探知も張りつけられてるだろう」

 

 指摘に、トールは背中に腕を回し、手に伝わる感触から、んん、と反応。服の色に偽装された札一枚を指で挟み取った。

 『伝令』の<大天使>を利用した位置情報を探知する札だ。

 

「うおっ、詩歌ちゃんってば油断ならねぇな! このまま<グレムリン>に戻ったら、オティヌスに―――」

 

 と口を閉ざす。しかし、何だかがっかりしているレイヴィニアにその隣のやっちまったよコイツとマーク=スペースの反応を見る限り、遅く。本人も、まあいいか、とそれほど気にしない方向で。

 むしろ、トールの勘定では、これは思わぬボーナスに入る。

 

「では、それはこちらで預かって―――「いや待てよ。これを持ってたら、また会えるきっかけになるな」」

 

 踏み越えられなかったステップに再チャレンジできる。

 きっと次会った時はこちら以上に壁は大きく成長しているだろう。

 この若者の目的は徹頭徹尾、経験値の獲得で、超えてしまった踏み台には興味を示さないが、超えられなかった壁には何度でもチャレンジしたい。

 バードウェイの予想を裏切る大馬鹿は、その札を初めてもらったラブレターのように大切に折り畳んでポケットにしまった。

 

「ババ札を引くんじゃなくて、惹きつけると訂正しよう」

 

 こいつは本当に戦闘優先のヤツだと。ある意味で、あのどこまでも『利他』的な兄妹とは好対照な『利己』的だ。それを感じ取れれば、少しは……

 

「で、こっちも聞きたいんだが。何で、あんたが出てきたんだ」

 

 とトールが単刀直入に訊いてきた。

 こっちも答えたのだから、代わりにひとつ問うとばかりに。

 

「<明け色の陽射し>は、いくら英国の結社だからって、今回の件には一切介入しないと思ってたんだがな」

 

「ふん。あれには一度貸しがあってな。第一王女や傭兵に伝言と道案内くらいは手伝ってやる」

 

 予め決めてあった台詞のように。

 しかし、

 

「いいや」

 

 と、トールはかぶりを振ったのだ。

 

「こうして俺の前に出てきたことだよ。わざわざご忠告までしてくれてな。“俺のためじゃなくてな”」

 

 と、バードウェイが眉間に皺をつくる。

 それから少し間をおいた後、面倒くさそうに、

 

「行きたい場所があって、道がないところにはいったんだ。足はもつれるし転げ回りもするだろう。―――それを心配する馬鹿がいてな」

 

 馬鹿と言いながら、声音に避難する調子はまったくなかった。

 

「私達は有名だから多方から恨みを買っている。それに本来の役割は観察だからな。だから、連絡を断っているし、接見する機会もこちらから会うならとにかく普通ならコンタクトは取れない」

 

 言葉が、続く。

 伝説的な魔術結社を求める人間は後を絶たない。彼女の言うように恨んだり、魔女狩り機関も狙っているのだろう。

 それでも見つからないのは、結社のボスが代々手を尽くしてきたからだろう。

 

「一度だけの繋がりを頼りに初めてかけてきた電話で、自分のせいで、不幸になる妹がいる、と言われた。だから、そこにいない自分の代わりに協力してくれと」

 

 ―――頭に浮かんだのは、愚かな少年であった。

 

「一人で異国の街を捜し回り初めて結社までやってきて、自分のせいで、不幸になる兄がいる、と言われた。だから、みんなには内緒に協力してほしいと」

 

 ―――頭に浮かんだのは、賢き少女であった。

 

「電話がかかってきた後にすぐに訪問されたんだ。あれが示し合わせたものなら、なんて間抜けなヤツらだろうな」

 

 少女はしみじみと言う。

 その声音は、本当にしみじみと夜を流れた。

 普通なら信じられないような偶然で、嘘とも疑える話だが、トールは納得した。

 

「らしいなぁ」

 

 今日会ったばかりだが、その思い出でも言える。

 

「面白いねぇ。当麻ちゃんも詩歌ちゃんも。だから、手伝っちゃうんだろうな」

 

「色々と興味深い研究対象でな。あまりちょっかいを出すんじゃないぞ。出せば、痛い目を見るだろうな」

 

 

ストーンヘンジ

 

 

「どーあっても、私の邪魔をするつもりか、詩歌」

 

「キャーリサさん。私は、理想を実現させるためにも、ヴィリアンさんを殺させない」

 

 踏み止められたが、英国の秩序が崩壊する一歩手前まで追い詰められた。それを阻止した成果が、第三王女の死体では“割に合わない”。どんな理由があろうと、戦犯が人知れず闇に葬られる必要がない以上は意味がない。

 フランスのアビニョンで、強敵との戦いの果て、最後は全て、学園都市に持ってかれた。

 ここでただ相手を倒しただけという失敗をもう繰り返さない。次に繋げるためにも、今この時、“勝ち”へ状況を落とすのだ。

 

「それで事を収めても納得しないし。新たな戦いの火種を作るに過ぎないだろーが」

 

 『叛逆の』王女は、賢妹を嘲笑った。

 

「―――愚か。歴史を見ろ。上に立つ者が人を裁けぬよーでは、どうやって民を導く。王は、そうしなければ潰れるから斬り捨てるのだ。現に『騎士派』をそうした。今のイギリスの国家元首は私だし。そいつを庇う理由が『清教派』にあるとは思えんなぁ」

 

「……っ」

 

 だから、何を“優先”すべきか考えろ、とキャーリサは言う。

 ヴィリアンは何も言わない。

 傭兵との契約があるものの、上条詩歌には貸しと恩があり、今も守ってもらわなければならない。どのような決を下しても、逆らわないし、身捨てられても恨まない。

 

「……お姉さんと同じ事を言うんですね」

 

 王であろうと、人を救うには限りがある。そして、許しては示しがつかないこともある。

 キャーリサの言うことは真理なのだ。

 正しいことはいくつもある。だからこそ、勝負は、“落とし所”があってこそ勝敗がつく。そして、これが、詩歌がこの戦いでまず得た――選んだ“勝ち”の成果だった。

 

 

「第三王女ヴィリアン様、“『清教派』の臨時指揮官及びローマ正教対策担当者”として感謝いたします」

 

 

 と戸惑う第三王女に一礼。そして、舞台に立つように高らかに、

 

「おひとりでこの英国の外敵と、味方でさえ騙される巧みな交渉で、<量産十字>を確保した手腕、お見事でございます。貴女様のご活躍で、イギリスはあと一歩のところで救われました」

 

「え、え……!?」

 

 念のために詩歌は、止めと、この場にいる証人たちに確認を取った。

 

「つきましては、事実確認と共に『清教派』の長から直々に謝礼を贈りたいと思うのですが、火織さん、『我々が第三王女に依頼した件は、無事成功した』と<最大主教>にもそう伝えてください」

 

 『清教派』の神裂が、心底驚愕したように、目を見開いた。そして、瞑目して数秒考えた後、見え見えの猿芝居に乗った。

 

「わかりました。ただ、今<最大主教>は所在を掴めないようなので“連絡に時間はかかるかと思われますが”、『王室派』の名誉にかかわることなので無視するわけにもいきません。“その間、第三王女はこちらで預かりましょう”」

 

 詩歌は“『清教派』の臨時ローマ正教対策担当者”と勝手に名乗った。『清教派』が囮捜査に協力してもらえるよう、『王室派』に『助言』していたということにすれば、第三王女を『ローマ正教に取り入ったのも、裏切ったのではなく、イギリス清教の指示に従って仕方なく』という扱いで、無罪―――少なくとも“聖域の中で起こったことはキャーリサにも分からず、ローマ正教の支配は未遂で終わったのは事実”なのだから死罪は逃れられる。むしろ、何も知らない民衆からすれば、心を痛めながらも英国の為に一人で戦ったお姫様という話のほうが現実味(リアリティ)、『人徳』の第三王女の活躍譚にはふさわしいと信じられ、逆に国をローマ正教を明け渡そうとした裏切り者など、“嫉妬した誰かの世迷言”としかならないだろう。

 して、救国の英雄ともなれば、『騎士派』も『人徳』の第三王女の価値を認めざるを得ない。

 真実かはさておき、証言はインデックスの信用度の高い完全記憶能力で“今のありのままを伝えられる”。

 

「(私は、こういう謀に加担するのは慣れないようです。英国で付き合ってから思ってましたが、どうも<最大主教>を彷彿されるようで、詩歌の将来が心配になります)」

 

「(そんな腹黒女狐じゃありませんよ。コンコーン)」

 

 頭に耳に見立てて添えた両手をぴょこぴょことする詩歌と耳打ちで会話する神裂は肩を落としながらも、

 

「そういうところが……ただ、時には必要なのでしょう」

 

 これで神裂とインデックスはこちら側に付ける。

 最終的にトップにお任せという流れになったが、ローラ=スチュアートは、見誤らない。

 この成り行きも、<最大主教>が敷いたレールの上かもしれない。

 

「キャーリサさん、“理由ができましたので”第三王女はこちらで預かります。ここは“『三派閥』の伝統”に則って、いったん休戦、剣が“自爆”なんてするような不具合がないかゆっくりご検討してください。“『清教派』臨時指揮官の『助言』”が100%、幻想だと確信できるまで」

 

 最後に付け加えるように、

 

「当麻さんにも言いましたが、くれぐれも戦う『相手』と『状況』を間違えないようにお願いします」

 

 ふたりの視線が、ちりちりと音を立てて火花を散らすよう拮抗している。

 <カーテナ>に何か細工をされたと疑いがあり、操作を邪魔する<禁書目録>に、阻む<聖人>。

 そのキャーリサの葛藤は、致命的な核兵器を握りながら、ただ死滅するしかない国の首相の矛盾に等しかった。

 手詰まり、とも言う。

 途轍もない緊張感が、世界を満たしていた、

 今にもガスを詰め過ぎた風船のように、破裂してしまいそうなほどであった。

 しぶきひとつ、こぼれない。

 誰もが、小さな呻きを漏らしただけで、この拮抗が崩れてしまいそうだからだ。

 キャーリサはしばらく無言だった。

 してやられた。それを認めざるを得ない。キャーリサは、引き時を見誤るような愚か者ではない。

 そして、自分にない可能性を見た。

 

「……今晩は、夢に出そうなほど小娘を斬るのが待ち遠しくて、寝付けなくなるだろーな」

 

「睡眠時間を確保した方がよろしいかと助言します。寝て忘れたらすっきりしますよ」

 

 と、烈火を通り越し溶岩の如く沸き上がる怒りや苛立ちをあえて味わいながら、キャリーサは噛み締めるように言った。

 

「それが貴様の答えというのならば、よかろう」

 

 そして、キャーリサが<カーテナ>を下げる。

 

「―――“救国の英雄”の機転と、その幸運を恩赦と免じ、ここは『助言』を聴いて退こーか」

 

 『叛逆の』王女は、かくして未練をのぞかせもせず環状列石を離れる。後ろ姿は決然としていた。

 ヴィリアンはどうにか腰砕けにならないよう、震えながらもその姿を見送った。

 許しなどではなかった。

 『変革』が終わらぬ限り、ヴィリアンは表舞台に立つことはない。次こそ会えば、殺される。

 だが、恩赦とは、ここで姉が妹を処罰するという決着を望まなかったということだ。

 だからか。彼女自身にも説明がつかない感慨につかれ、キャーリサの背に一礼した。

 

「命拾いしたな、ヴィリアン」

 

「拾ったのではありません。死んでから掬ってもらったのです、姉君」

 

「ほう?」

 

 反論に、キャーリサは片眉をあげた。

 

「それでまーた利用されるつもりか?」

 

「たとえそうだとしても、この機会に私は英国でそれぞれの視点を知りたいのです。外面ばかり気にしていても肝心なところは分かりません。ですが、私を利用したいというのも、私を排除したいというのも、きっと同じことの裏返しなのでしょうから、私はその本質を知らないといけません」

 

「………」

 

「女王という立場を、そういうものだと私は思います」

 

「……そーか。妹、次会う時までにその答えを考えたのなら、殺す前に聞いてやる」

 

 ふっ、とキャーリサの頬が緩んだように見えた。

 錯覚だろうか。キャーリサの体は一瞬で弾けるように跳び、そして、消えた。

 

 

つづく


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