とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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長くなったので二話に分けます。


英国騒乱編 仮面舞踏

英国騒乱編 仮面舞踏

 

 

ウィンザー城

 

 

 送られたのは<必要悪の教会>ならばありえないものだった。

 

「助命嘆願か」

 

 キャリーサの変革に、ヴィリアンの売国で忙殺されているはずの部下たちが、それでも集めた嘆願は、彼女らの総意だ。

 それは、偽善だ。

 必要悪を掲げなければならない者たちが、少女一人救えるくらい人間的な仕事をしていると思いたい、組織の偽善だ。

 特に、あの兄妹に関わり、その偽善で救われた者には、捨てられないだろう。

 50枚を超える嘆願書の束は処刑塔収容の報を聞いて朝のうちにすぐに渡された。この書類の厚さ重さは、彼女の人徳が積み上げたものだけでは断じてない。上条詩歌は、女子寮をはじめ英国で、よく部下たちに彼女や愚兄のことを話した。この世界に精いっぱいとけこもうとした異世界の少女はこれほど多くに愛されたのだ。

 どんな残酷な仕組みでも、運営しているのは人間だ。それは働く者と組織の間に、偽善にしろ妥協点がなければ、人間が運営している意味がないということでもあった。

 ローラは、『清教派』の長<最大主教>として公平に、吟味してみた。

 禁忌と認定したものの、実際のところ彼女を潰しても、意味がない。

 上条詩歌の強みは、個人の有能性と、その尋常ならざるコネクションにある。単に組織としてのバックグラウンドなど何もない、『学生代表』などお飾りに過ぎないのだ。

 潰そうと思えば多大な手間がかかるのに、その後の反発まで考えるとなると、簒奪する見返りを含めても、割に合わない。

 人に害をなす禁忌を裁く組織だが、組織とはそこで働く人間のことでもあり、その大多数の意思が、この通り嘆願書の束となってローラの手の中にある。答えが出なくて、ローラは立場を情で曲げたわけではないと“思うことにした”。

 

「聞き入れるかの判断は、此度の結果を吟味のうえくだしける訳よ。システムにこういう形で人間味が入ることは、想定内わね」

 

 で。

 ローラ=スチュアートはミネラルウォーターが注がれたグラスに口を付け、

 

 ドガンッ! と扉が揺れる。

 

 魔術的要塞のウィンザー城の王室を守るに値する超一流の鍵だが、開けられるのも30秒はかかるまい。

 <英国女王>のエリザベートはその署名を眺め、

 

「トップのお前に送られたのは書類だけで、<必要悪の教会>の魔術師は護衛に誰も来ないのも想定内なのか? こちらとしては、これは単に見捨てられてるのか、信頼の裏返しなのか、それとも鬼畜上司は見限られて乗っ取られたのかが悩みどころだ」

 

「『騎士派』のほとんどが娘に手中に取られた、意外に人望が少なし女王よ。何か言ったかしら?」

 

 如何に強固な守りのお城でも、そこに働いている騎士が丸ごと敵に回ったのではどうしようもない。

 しかも、この状況を我が娘ながら迅速の戦略は見事と親馬鹿は、国宝二本目の力も本家に8割以上も持ってかれている。

 互いの増援は期待できないトップ二人である。

 

「……まったく」

 

 ローラは透明な液体の入ったグラスを軽く揺らしながら唇を尖らせ。

 

「王女様の暴走をも止められるとは思いしけど。こちらの評価をあげようとは考えないのかしら。これは減点なりしか」

 

「肝が小さいなーお前。あまり苛めてないだろうな」

 

「馬鹿者!! ちょっと現実を教えてやったにつきよ! そうではなく、幾ら向こうに人気を取られたり、こっちも助命してほしいからっていびったりしないし」

 

 偽善。

 所詮は自己満足にしかならない善行を戒める言葉。

 だけど、それが上に立つ者の視点ならどうだろう。

 兄妹のそれは『利他』からきている。あの兄妹はそれがルールだと言わんばかりに特異な能力と行動力を他人のためにしか使わない。

 だから、魂を買うコインは安く済ませられる。

 

「手の届かぬ所まで飛んでもらうのは困るが、卵を産む雌鳥を縊っても勿体ないのよ」

 

 

ストーンヘンジ

 

 

 『もしも力が必要な場面になったら、その右手で解いてください』

 

 

 しん、とストーンヘンジは静まり返った。

 熾烈を極めるであろう第二王女と第三王女の戦いも停止され、ただ招かれざる客人たちを見つめるしかなかった。

 月光のみが、蒼くしんしんと降り落ちている。

 ひとときの戦いが鎮静化されて延期し、長い時を超えた石柱が囲む儀式場には、別の均衡と静寂が訪れていたのだった。

 

 

 上条当麻は状況を確認する。

 この場にいるのは、自分たち以外では、6人。

 <環状列石>で<量産十字>を抱くのは、『人徳』の第三王女ヴィリアン。その周囲に、

 

「ふん。忌々しい顔と出会ったものである」

 

「後方の……アックア!」

 

 意外にも、沈黙を破ったのは寡黙な男。

 あの9月の終わりに起きた学園テロ事件で見た<神の右席>の中でも格別に強大な力を振るう大男。確か、フランスのアビニョンで詩歌が退けたと聴くが、土御門元春の支援があって紙一重の勝利だった。

 その後の学園都市の制圧に巻き込まれたのか消息は不明となった。しかし、今、部下のただならぬ雰囲気の騎士三人を引き連れている。

 

「おー、お前も来たの。独り身でダンスの相手が決まっていないんだが、どうだ、お兄ちゃん?」

 

「結構だ。アンタの誘いには絶対に乗らねーって決めてんだ」

 

 踊りの相手を所望するように、手を振る『叛逆の』王女。

 『軍事』の第二王女キャーリサ。クーデターの首謀者。

 『騎士派』を連れず、と言うより、ついていけず、どうやらひとりのようだが、その手には<カーテナ=オリジナル>。霊脈の隠語である『竜』――その中でも格別な魔術大国の『倫敦の竜(ペンドラゴン)』を統べる『選定剣』

 この英国内に限り、彼女は<天使長>に匹敵する力を存分に扱え、<聖人>でさえも圧倒できる。

 

「代わりにコイツをくれてやる」

 

 己の右手は鞘から最強の()を引き抜ける。

 常識外の怪物が集う、この混迷を極めた事態を切り抜けられるだけの。

 この三竦みの中でおもむろに側に立つ香椎に目配せすると、長兄として一歩前に出て、当麻はふとスーツの懐から何かを取り出し、思い切りぶん投げたのだ。

 

 中央に、ばしん、と乾いた音が鳴った。

 

 “それ”を見て、上条側以外の、『湖畔の』騎士も、『叛逆の』王女も、罪悪に苛んでいたはずの第三王女さえも、その時ばかりは、当麻の顔を注視し、また地面に落ちた物体を見つめていた。

 “それ”とは―――白い手袋。たまたま今日着たスーツにセットで着いてきた付属品。

 手袋を相手に投げつけるという、古典小説か映画の場面を、何人が思い出したろう。

 

「くくっ、本当に騎士団長の奴をここに連れてくるべきだったな。おい、その意味が分かっておるのか、上条当麻」

 

 失笑気味に肩を揺らす第二王女の声に、

 

「ああ、今度は喧嘩を売る相手も場所も間違えねーよ」

 

 と、当麻は不遜に頷きもせずに応えた。少女はそれを見て楽しそうに笑う。

 白い手袋を投げつけた当麻が、武者震いをこらえながら、宣戦布告する。

 

 

「ここでアンタら全員まとめてその幻想を一網打尽にぶち殺す」

 

 

 ほとんど形骸化した決闘作法、しかし、ここにいる者はそのしきたりを弁えている。何故ならこれは“騎士”から派生したものだ。

 それを街の不良のケンカでさえも逃げ出すこの男が大見栄を切ったのだ。

 

「正気の沙汰とは思えんな。よほど命が惜しくなると見る―――が、国家元首の母上にも盾突くヤツだったの」

 

「俺達は正気だし、本気だぜ。どうだ? ローマ正教も、第二王女も、この挑戦を無視して、逃げるか?」

 

 キャーリサが初めて押し黙る。

 その沈黙は数秒で終わり、愚兄から少女に向け、

 

「……おい、詩歌。このより頭のネジが面白い感じにぶっ飛んでいるよーだが愚兄に一体何を入れ知恵をしたのか?」

 

「ふふふ、他愛のない兄妹のお話で少々、“新しい国家元首様”に失礼のないよう作法についてレクチャーしました」

 

 それから、

 

「まあ、初めてにしては思えぬほどお上手でしたが……正直、とても面白い、です」

 

 と付け足した。

 

「ほーう?」

 

「何でも自分の思い通りになると思っている奴らに咆え面をかかせるほど、世の中に面白いことはないでしょう?」

 

 こんな事を当然のごとく言うのである。

 して、会話しつつも、2人ともかすかに腰を落として、踵を上げる。いついかなるタイミングでも、どちらでも襲い掛かれてもいいように猫足立ちの状態をキープする。

 

「はっ、そうだのー、生意気な小娘め。貴様もネジが緩んでるな」

 

 何とも愉しそうに第二王女、しかし、まさしく肉食獣のように糸切り歯を剥き出しにし、歯軋りする。

 その小顔の容姿からとは思えぬ、まるで万力を擦り合わせるような不気味な音が空間に響いたのだ。

 

「この私に、同じ右手で撃退し得る、などと侮られるとはな。敗北とは、かくも不愉快な果実を後に実らせるのか。貴様を殺したところで、この憤りは霧散すまい」

 

 笑っているキャーリサとは対照に、無表情。窮地にある不敵のレベルではない、悠然とした不平を今まで沈黙していた『ランスロット』は裡から溢す。

 “愚兄に向けられる”その気色の異様さに、当麻は危険の火花を嗅ぎ取る。

 

(なにか、やばい!)

 

 反射的に“それ”を退ける方法……即ち、右手を盾にしようとした愚兄は、

 

「待て、お兄ちゃん! 周りを見て!!」

 

「なんだ香椎、っ―――!?」

 

 香椎の制止に怒鳴り返そうとして、ギョッとなる。自身の目に映ったものを、理解するのではなく感じることで湧きあがった危機感から、思わず後ろに下がった。

 怪物は、『湖畔の』騎士と『叛逆の』王女だけじゃない。

 

「主は立ち上がり、敵は散らされる、主を憎む者は神意から逃げ去る」

「煙は必ず吹き払われ、蝋は火の前に溶ける、主に逆らう者は必ず神意に滅び去る」

「主に従う人は誇らかに喜び祝い、神意に喜び祝って楽しむ」

 

『主に向かって歌え、御名を褒め称え、星に導かれて進む方に道を備えよ、その名を主と呼ぶ方の神意に喜び勇め』

 

 『湖畔の』騎士の従えていた三騎士が魔術を紡いでいる。

 三人による斉唱であった。

 もとより、聖歌は複数で歌われることを意識したものだ。

 即ち斉唱による魔術は、互いの呼吸が完璧に合っているという条件付きで、単独の魔術を大きく凌駕する。

 いかな当麻の<幻想殺し>とはいえ、容易く打ち消せるような『力』はあるや否や。

 

(喧嘩を打ったのはこっちだが、いきなり挨拶もなしにぶっ放してくんのかよ!)

 

 異教徒である学園都市の学生如き、正々堂々と渡り合う相手にすらなりえまい。騎士の例とはあくまで同じ神を崇める者だけに捧げられるものだ。

 

「儀式をぶっ壊すのは後だ! 一端逃げるぞ!」

 

 言いながら当麻が大船に飛び乗ったのと、凄絶な魔術が空間を荒れ狂ったのは、どちらが早かったか。

 それは、白き爆発であった。

 それは、聖なる怒りの顕現であった。

 ごっ、石柱が揺れ、バックファイアの如く噴き上がった。

 儀式場であることを考慮し、範囲指定に手間取ったが、たかが人間ごときは掠めただけでも塵とせしめるほどのエネルギーが、当麻達に破壊の渦を巻き起こしながら迫る。

 その威力は<幻想殺し>でも一瞬で処理し切れぬほどで、だけれど、その勢いで推進力を増したかのように、大船はロケットスタートを切った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 加速が最高速についた到来した時よりも勢いが落ちるものの、<大船の鞄>はストーンヘンジの丘を凄い速さで駆け滑っていく。

 それでも、キャーリサが追おうと思えば、すぐに追いつける程度ではあるが、動く様子はない。

 ただただ、自らの思考に没頭する。

 

(あの正真正銘の馬鹿な兄だけならとにかく、何も用意せずに詩歌がここに来るはずがない。あれは勝算がなければ、仕掛けてこないはずだし。しかし、ここで逃げ出して……何になる)

 

 考える。

 考える。

 考える。

 思考し、思索し、思案する。

 その古今東西の軍略を染み込ませた脳細胞を回転させ、この行動のメリットとデメリットをひとつずつ弾き出していく。

 それは、無数のピースから、ひとつのジグソーパズルを完成させるのにも似た行為だ。

 完成できるだけのピースが揃っているとは限らない。

 仮に数は揃っていても、偽物(ダミー)が紛れ込んでいることもある。

 ひとつずつピースを検証して、あてはめてみて、うまくはまっても次のピースが埋まらなければ再び一から考え直す―――ともすれば気の狂いそうになる作業を、第二王女――『軍事目録』と称してもいい頭脳はこれまで積み重ねてきた経験からいくつかのパターンを照らし合わせ、精密かつ高速で繰り返す。

 幾度となく見てきた完成形は、組み合わせを変えるたび、まるで日本の折り紙のように毎回多種多彩なカタチを織りなしていく。

 つまり、こうまで考えるキャーリサは、詩歌を“信じて”いるのだ。

 

 だから、上条当麻の行動に意味があると“認めた”。

 

 己が認めた好敵手が、右手以外は無能な底抜けの愚か者(フール)、その上、死なせたくない大事な兄の無謀な挑戦を止めなかった。まずい、と思えば、あの女王の時と同じように発現する前に止めるはずだ。

 つまり、あそこで決闘だなんて言い出した大胆過ぎる蛮行に及べたということは彼女が了承、もしくは言わされたものであり、何か、ある。

 例えば、逃げた先に援軍や罠が待ち構えていたり。

 とかく、『選定剣』が未だ持て余し気味の状態では、万全とは言い辛く、無闇に追い掛けるのは兵法においても愚策。

 だから、変革の障害を取り除くより英国を守るという義務を優先し、ここを動かなかった。

 

「まあ、鬼ごっこも鬼は最初は動かぬものだし」

 

 そう、ここを破壊するまでの間は、

 

「では、数を数える代わりに宣言通り、まずはゴロツキから処断しよーか」

 

 この<量産十字>儀式を台無しにする<幻想殺し>や<幻想投影>の危険度が高いと見たのか、先制攻撃を仕掛けた三騎士が、彼らの後を追った。

 従って、ここにいるのは『ランスロット』。一応、展開についていけず呆然と固まっている第三王女もいるが、戦力には数えなくていい。

 だが、ヴィリアンが抱いているストーンサークルの中央に刺し止められた<量産十字>。

 つまるところ、この王室の人間が十字架を起動させることで、国の竜脈をローマ正教のそれに染色するのが十三騎士団の目的。

 スケールの大きさを考えなければ、ステイル=マグヌスのルーン文字に己の魔力を通すのと同じだ。

 一度ひとつの色に染まった魔力は、ある種の『癖』がつく。その『癖』こそが魔術の精度や現象を安定させてくれるため、通常は歓迎すべきものなのだが、その逆、<量産十字>は“何故か星の座標がズレた”せいで、支配は半分以下もできていないものの、十三騎士団の圧倒的な魔力で押し流すことで、この『癖』を再矯正している。

 この王族に『癖』が調整された英国内で『選定剣』の奇襲が“受けられた”ほど減衰したのも、また、上条兄妹が逃げたのも、おそらく、このストーンヘンジがローマ正教の聖域となりつつあるからだ。

 霊地の浄化でも、国土の整備でもない、『ローマ正教の洗礼を受けた者ならば、あらゆる事がうまく運べる』よう、一方的な『力』で色付けする。

 この調子ならば、座標修正をすることで英国全体を支配するまで一時間もかからないだろう。

 

 そして、この程度ならば、『天文台』を破壊するのに一分間も必要ない。

 

「―――っ!」

 

 第三王女が、突然高圧の電流でも流されたかのように、ローマ正教の十字架から弾き飛ばされる。

 それを見て、第二王女は、

 

「あ~あ」

 

 と、肩をすくめたのだ。

 

「姉、君っ!?」

 

 地面に倒れ伏し、痺れたように痙攣するヴィリアンに、キャーリサは唇を歪めた。

 

「勘違いするなよ。今のは、お前に手を出そーとしてしたことではない。モノは試しに“裡から破裂”させようと<カーテナ>から<天使の力>を過剰に注ぎ込んだが、おおよそ、十字架の巫女のお前に流されたのだろーな」

 

「巫女……?」

 

「忌々しき十字架を、魔術のさわりも知らないお前に操作できるはずがなかろーに。術者は別で、すでにそれは人手を離れている。……ただ、素質だけの巫女(かざり)としては、ラインの結びつきがやたら強いがな」

 

 常識外の怪物は、その力よりも制御こそ極めている。でなければ、己の体は器として小さ過ぎて、自滅する。

 キャリーサは魔術を扱えない素人同然のヴィリアンを通して起動させたことから<量産十字>の制御は緩いと見て、霊装を自爆させようと<全英大陸>の莫大な力を給与してみたが、そこは当然、対策が取られていたようだ。

 

「で、貴様は逃げないのか」

 

「……」

 

 その男は傭兵時代は素より、<聖人>で<神の右席>の一員として、<天使>の術でさらに力を進化させた圧倒的存在。

 だが、わざわざ仲間を連れている。余計な犠牲を出したくないから弱者は戦場に立つなと言うこの男が。

 フランスで上条詩歌に敗北した、その時の傷が未だ癒えていない。故に、常識内に収まった怪物は十三騎士団など連れている。

 理論値として見るなら、<聖人>でも結局倒せなかった<騎士団長>が相手でも十分に退けられる。

 しかも、折角の三騎士も兄妹を追って今はここにおらず、足手纏いもいる。

 キャーリサがここまで余裕でいられたのも、この三つ巴、いいやこの英国で単体で相手になりえそうなのが、この『後方のアックア』を下した上条詩歌くらいなものだったからだ。

 だが、逃げられない。

 この今も真っ直ぐと刺された状態姿勢を保つ十字架を守るために、ここから動けないのだ。

 

「もし最盛期の貴様なら、その不出来な我が妹を守りながらでも戦えたかもしれないが」

 

 だけれど、キャーリサは裏切られた気分になる。

 国の策謀に囚われず、妹を救ったこの男ならば、組織の十字架より、個人の命を優先して逃げると思っていたから。

 つくづく―――愛想がつきた。

 

 

「図に乗り過ぎだし、戯け」

 

 

 ドッ!! と。

 背に庇う第三王女を巻き込むほど大きく、空間ごと割断された。

 

 

 

 

 とにかく人気のないところへ。

 当麻達を乗せた大船はまるでリニアモーターのように浮かせた船体が空を文字通り“滑”走する。

 

「もががががががががが―――」

 

 時速数百kmが生み出す相対的な突風を真っ正面から受ける愚兄は、微妙に顔の皮膚を歪ませながら左手一本の支えを頼りに頑張る。この記号を拾って、あり合わせのやっつけ料理のように造られた乗り物に少しでも右手で打ち消してしまえば、一気に役立たずになるだろう。

 

 ―――しかし。

 

 <神撲騎団>の動きは、なお当麻の予想を超えた。

 前兆の感知。

 乗り物で移動中、窓から見える並走中の物体はゆっくりと見えるが、実際は目で追うのが難しいほど速いのだ。

 肌に刺さるほどの強い波動とともに、高速移動する大船の横に騎馬が張り付いたのだ。

 ただの馬とは思えぬ激烈な魔力を纏い、その踏み込みは猛牛の如く。その騎手は槍の長さと重さを最大限に生かし、振り回すエネルギーそのものを前進のベクトルへと上乗せする加速騎動。一体となった人馬は大地を横切る稲妻と化す。

 それだけなら、まだ対処は出来た。

 だが、騎兵の目標は当麻ではなかった。

 当麻の横を一足で踏破し、前方で大船の舵を取っていた上条詩歌へとしなる反動をつけた大長槍を叩きつけたのだ。

 避けても船体に激突し、真っ二つに破壊し、あまりのベクトル量に華奢な少女の体は吹き飛ぶ。まるで映画のように垂直に飛翔した詩歌が、木々の枝葉を破りながら背中から地面に激突したのを、同じく転げ落ちた当麻は見た。

 

「かし、い―――っ」

 

 当麻の言葉より早く、

 

「今宵は十三騎士団『ラモラック』が先陣を切らせて戴く」

 

 当麻たちを追ってきたのは、どれもが円卓騎士において最上に位置する称号騎士。

 そして、異教徒の排除に如何なる手段を用いようと、騎士の誇りが傷つくところではない。

 

「決闘だなんて威勢の良い真似して逃げるとはよォ―――前夜の借りをたっぷりと返させてもらうぜ!」

 

 王の血筋を引く『六槍の』騎士『ラモラック』

 その伸長の倍もある六合大槍は、神槍ならぬ王槍。

 十三騎士団において、馬と槍において並ぶ者なしとされ、一世代を築いた無双を讃えられ、<聖騎士王>の王槍<ロン>と黒馬<スタリオン>を賜った。

 故に、『六槍の』騎士には、最終兵器<聖騎士王>の力の一部を引き出せる。

 

「王を除き、落ちたものにオレの槍が鈍ることはねェ」

 

 刹那、脳ではなく身体自体が反応したというように愚兄が動いた。<身固め>の護術が働き、落下の衝撃を和らげたのだ。

 しかし、それでも当麻が<聖人>、でなくとも、魔術か能力で補えれば対応できたかもしれぬ。

 <幻想殺し>によって、奇蹟を拒絶する身体でなければ、当麻は自分自身の限界以上に動くことができた。

 今は、遠い。

 無能な貴様には何の恩寵も授かることはできないと、そう嘲笑われているかの如く、愚兄は間に合うことも敵わない。どころか、自分の身も危うい。

 

「落馬は即ち(まけ)だ―――<ロンゴミアント>!」

 

 大地が微かに揺れ―――瞬間、周囲一帯に文字通り長槍が生えた。

 天を衝くように伸びて、王槍の指揮に従い地面に足をつけるしかない当麻を貫こうと迫った。

 当麻は針地獄の山に落ちたように、全身を斬り刻まれる未来を幻視する。

 尽きることなく騎士の死霊を現界させる<円卓騎士(ロイヤルナイツ)>の限定解放。

 その騎士ではなく、限定された騎士の武具を出現させる――『道化の』騎士『ケイ』の武具を手元に引き寄せるとは逆の性質換装――遠距離射出武槍換装術を得意とする。

 躱すことも難しく、逃げ場も先読みされて封じられていく。

 だが、これも所詮、学園テロで見たあの鎧と同じならば。

 右手<幻想殺し>を感覚のままに振るう―――も、打ち消された槍に後から割り込むように、次々と新しい槍が現れた。さながら槍の濁流だった。

 破壊は無意味。どうにか刺されないように右手を盾にして捌くも、肌表面は斬ら―――

 

 ドンッ!! と今度は大地が震えた。

 

 これは踏み込み。ただし、地面が爆発するほど強烈な。回避を選んだ少女は、跳躍。地面を足で踏んでいれば、そこが狙われると睨み、空へと――ついでとばかりに槍の地面を波立たせて、愚兄の逃げるだけの時間を稼ぐ。

 だが―――

 

「逃げられると思ってねーよな―――<スタリオン>!」

 

 声は思わぬほど近くで聞こえた。

 『ラモラック』は、上条詩歌の傍らまで辿り着いていた。

 そう。『六槍の』騎士は黒馬を駆け上らせるよう密集した槍の道を作り上げることで馬が空を走るという常識を覆したのだ。

 

「しゃおら!!」

 

「ぐっ―――」

 

 突きから逃げようとしても、追尾して振るわれた柄は器用に少女の体を絡め取るように巻き込み、遠心力の勢いをつけて地面に落とす。

 

 ドバッ!! という爆音と衝撃波が炸裂した。

 莫大な粉塵が舞い上がり、あっという間に土埃のカーテンが愚兄の視界を遮った。

 地面を揺さぶる振動はほとんど地震に近く、不気味な亀裂を生み出した衝撃は大きい。

 

「か、は……っ!」

 

 胃液が逆流する

 それでも四肢の影響は軽微と、頭のどこかで判断していた。上条当麻と同じくこの肉体は<身固め>の護符が貼られており、この程度なら耐えられる。その施した秘術を最初は必要ないと思ったが、頭が熱くなっていることに心配性が指摘したことに、今ばかりは感謝を捧げたくなる。

 問題は―――

 

「次は、吾だ」

 

 と、すぐさま第二陣の狂戦士が、両手に二振りの剣が抜き放たれていること。

 顔を上げ、上条詩歌は歯噛みする。

 

(―――容赦、ない!)

 

 『銀紙竹光』の柄に手をかける。

 その手の平に冷たい汗がたまっているのを、少女は感じた。

 呪鎧に囚われ、黒紫のオーラを纏った『狂双の』騎士『ベイリン』

 <聖騎士王>と同じ稀有な体質『大魂喰い(ソウルイーター)』である狂戦士は、触れた武具の精気をも吸収し、聖剣であっても魔剣へと反転させる――『蒼弓の』騎士の武具強化とは逆の性質変異――の武装弱化術を得意とし、発揮する場はすでに整っている。

 駆け抜けざまに、『ラモラック』が王槍により霊脈を供物に召喚させた槍――<量産聖槍(ロンギヌス・レプリカ)>から集約し吸収した生命力。

 しかし。

 ぐしゅ、と嫌な音がした。肉が裂け、骨と金属が擦り合う音であった。これが魂喰の“食事方法”なのか。

 何の怯みもなく『ベイリン』の足元で、身を切って集めた精気を、一方向へと飛ぶための力として開放される。爆発ではなく、鋭い光条にも似た黒紫の強襲が繰り出された。

 弾頭となっているのは当然のように、双剣尖を揃えた『狂双の』騎士自身。

 迎え打つ『銀紙竹光』の紫電をも走らせる抜刀術。

 一瞬さえ要せず、両者は激突した。

 結果も同じく、一瞬さえ要しない。

 『ベイリン』は、『銀紙竹光』に結集された力さえも喰い、双剣で噛み千切るように挟み斬り、その背後へ通り抜けた。行く先に湧きあがった魂喰の怒涛に、足底を滑らせ、己の不満足な戦果を見やる。

 

「ほう、胴の中央を貫こうかと思ったが、得物を喰うのみで済んだか。技巧だけでなく、この突進を押しきる怪力まであるとは、見た目通りに侮れぬというわけか……だが」

 

 磁石に、砂鉄が引きつけられるよう。

 身を切り裂きながらも精気を喰い、魔槍と化した<量産聖槍>がずるずると動き、『狂双の』騎士の双剣にまとわりついて、ドロリと溶けた。あたかも溶鉱炉で融かされた赤熱鉄のように、魂喰の呪血で紅染された槍はそのままひとつとなって寄り集まり、ひどく大雑把で巨大な魔剣と化したのだ。

 

「はっ―――」

 

 と、まるで激痛など覚えてないように『ベイリン』の喉が震えた。

 

「はああはははははははあははははははははははははははははははっ!」

 

 笑う。

 哄笑する。

 狂双で、凶槍で、兇想の騎士。

 これが、その本性。

 振るった双剣が、そのまま大地を裂く。身体から放散される黒紫の魔力は、桁違いに膨れ上がり、たったひとりでこの地域全体を覆わんとするほどであった。魂喰により吸収された聖槍と双剣は、共に魔力を以て共鳴し合い、さらに純度を増していく。

 これほどの力をもってすれば、小細工など不要。

 そう言うごとく、『狂双の』の騎士はゆっくりと身をかがめ、前頭姿勢から鉄塊そのものの魔槍双剣を鳥が両翼を広げるよう斜め上方へと掲げた。

 ごっ、とまたも大地が揺れる。もう、ただ戦闘するだけで災害を引き起こす。

 そして、全体重を乗せた踏み込みから、突撃(チャージ)―――!

 

「やれェ! 『ベイリン』!」

 

 その両サイドを、『ラモラック』の王槍が槍を転送し固めた。

 この一合で一気に勝負を決める、それに足る十分以上の魔力が『ベイリン』にはあった。

 まるで、一頭の竜のよう。

 上条詩歌にどんな切り札があろうと、その切り札ごと叩き伏せるための手段。

 斬り倒そうと、魔塔の鉄塊が斜め上方から一気に振り落とされる。

 

(避けら、れな―――)

 

 少女の意識は、その魔力の威圧に押し潰されて―――

 

 

 

 ―――押し潰される、はずだった。

 その瞬間まで。

 

 

 

「お お お お お――――!!」

 

 パキン、と砕ける快音。

 魔槍を払い、掃い、祓い。

 受けた<幻想殺し>が、双剣から魔槍とのラインを切り離した。

 ばらばら、と槍の雨が降る。それを避けながら、咳き込んだ少女は、けほけほとむせかえって、

 

「いやー、危なかった、助かったよ、お兄ちゃん」

 

「もう少し申し訳なくしろ、香椎」

 

 愚兄が、唇を歪める。

 今の一瞬で、少女を助けた代償は当然、安くはない。

「……傷は?」

 

「血が足りない。さっきから頭がふらふらする。アドレナリンが出てねーと即失神しちまいそうだ」

 

 刃の群生林を突っ切った結果である。

 心眼の境地で察した『六槍の』騎士の王槍は、視界に入っていなかった当麻を補足するに足りたのだ。しかも、相手は二人だけじゃない。

 

 ざっ、と微かな音。

 

 上条当麻は五感では説明つかない何かを右手で感じ取った。

 後援に十三騎士最強の射手『蒼弓の』騎士『トリスタン』が、振り向いた先にいた。

 

「………」

 

 『ラモラック』と『ベイリン』が相手している間に、手元に生やした茨束を、一点にまとめ、琴弓に番えていた。径を絞ることで速度も威力も高めた鉄砲水のように、茨の無尽連射が始まった。

 この驚異的な破壊力の射出に、当麻は身体に鞭打って右手を盾に突き出して、何とか堪えんとする。

 一矢の中に伸びる無数の茨が棘を揃えて次々と右手に激突しては粉々に砕けてゆく。

 しかし、『ベイリン』の魔槍双剣とは違い、ひとつひとつがまとまっていない<幻想殺し>で一気に打ち消せない連射であるがため、手が離せない。

 集約されて炸裂を続ける茨矢の怒涛の周囲に、散っては摩擦に空気を灼熱に変える火花、砕けては細雪のように輝く棘、2つが吹き荒れて、地獄もかくやという光景を現出させた。

 これらを一点、受け止め続ける<幻想殺し>の処理機能も、限界に近い。

 

(まずい)

 

 明確な言葉ではない危機感の欠片が、当麻の心に過った。

 膨大な熱量と強化された武器化魔矢による断続的な攻撃は、いつしか右手の皮膚を掠り削りながら押し、身体を押し、消し切れなかった余波は周囲に損害を及ぼし始めている。

 

(……格が、違う)

 

 当麻は個人ではなく集団同士の戦いは、初めてではない。

 かつて法の書で天草式と諍いになった時も、アドリア海も含めて二度のシスター部隊との戦いでも、複数の魔術師が入り乱れることはあった。

 だが、それは“乱戦”でしかなかった

 両方とも、優れた魔術集団とはいえ戦闘が本業ではない。

 <神の右席>は、個々の能力は強大でも、集団での戦闘訓練などした事があるまい。

 今渡り合っている<神撲騎団>は―――上条当麻にとって初めての、集団連携を本領とする戦闘集団であったのだ。

 騎士団とついているのは伊達ではなく、それぞれが専門分野に秀でた彼らは団結して、その力を何倍にも高める魔術特性を保持している。この<神撲騎団>は『ランスロット』を中心に統率されるように“できている”。

 

 

(やっぱり、俺達の連携じゃあ逆立ちしたって太刀打ちできない)

 

 

ストーンヘンジ

 

 

 手首のスナップだけで振るわれた『選定剣』の剣閃に沿って生み出した白い残骸物質が命中する―――真際、

 

 

 渦巻く粒子の壁が、阻んだ。

 

 

 突如現れた、広大な円形の壁へ叩きこまれた斬撃が、虚しく虚空を貫き照らし、また地を突き刺す。絶大な力の炸裂は、しかし一片たりと環状列石に届いてなかった。

 想定外の状況に、キャーリサは目を大きく開く。

 

「ほう……さっきの『牽制』の時にも思ったけど……<神の力>は失ったと聞いていたが」

 

 “これ”を防げるのは、この<カーテナ>が扱うのと同格の<大天使>の力のみ。

 『選定剣』は本来、地球という惑星から英国の領土を切り離し、その内部を管理制御するためのもの。

 だが、道具は振るう人によってカタチを変える。最新の『軍事』知識を保有するキャーリサが振るえば、それはやはり攻撃的な性質を持つ。

 

「三次元を切断すればその断面は二次元になり、二次元を切断すればその断面は一次元という形になる。―――逆に、この三次元とは別の高次元物質又は空間を切断した場合、断面は三次元という形で世界に出力されるの」

 

 ヒュン、とキャーリサが<カーテナ>を肩に担ぐ。

 これは攻撃ではなく、それでも、パキパキとその剣幅の分だけ帯――まるで未完のプラモデルのような白の物体――が不条理に傍目では何もない空から現れ、ゴトン、と落ちる。

 見た目の質感が陶器に近いにもかかわらず、その質量は極端に重い。ミシリミシリ、と大地を重さだけで地盤沈下とばかりに圧す。

 

「このよーな、断面の残骸物質が表出するわけだ。もっとも、こいつは高次元低次元問わず、今この座標に在るあらゆる次元を同時に切断するのだがな。表出される断面物質で、我々に知覚できるのは『三次元世界に現れるもの』だけであるよーだし」

 

 何、これ……

 ヴィリアンは呆然としていた。

 母エリザベートが<カーテナ=セカンド>をそう暴力の手段に用いなかったからか、その源本<カーテナ=オリジナル>を姉キャリーサが起こしてみせた衝撃は、同じ王室の人間のヴィリアンには理解できない。

 改めて、姉と自分は見る視点が、『次元』が違うと思い知らされる。

 もし姉の言葉が真実ならば、『選定剣』は次元という存在はするが知覚の出来ないものさえもまとめて敵を両断する。防御どころか地球や宇宙ごと。

 

「全次元切断術式、とでも名付けよーか」

 

 にも拘らず。

 ヴィリアンは恐怖を感じなかった。スケールが違い過ぎて理解力が追い付かないのもそうだが、それを理解できなくとも“防げる”ものだと今目の前で起きた事実が証明してくれた。

 

「私も扱うのは今日が初めてだが、思った以上に使い勝手は良さそーだし。振るうだけで簡単に決着がつきそーだから、面白みに欠けると思ってたんだがな」

 

 姉君に暴力()があろうと、自分には頼もしい守護()があると。

 『ランスロット』が『湖畔の』城砦は、かの騎士王でさえも破れなかった。

 切断ではなく、この次元を隔離している防御の究極系(ハイエンド)―――と、

 

「ちまちま削るのも、面倒だし」

 

 みしっとヴィリアンを囲んでいた守護が軋んだ。

 

「えっ―――」

 

「まだ気づいていないのか、愚妹。現実に、矛盾など存在しないことを」

 

 また、軽く振るわれる<カーテナ=オリジナル>。扇状の白い残骸物質が、同じく白い粒子と弾け―――守護が揺らぐ。

 

「そこが限定的に張られたローマ正教徒でしか立ち入れない聖域だとしても」

 

 破られる、と確信させられる。

 

「私の前には関係ない」

 

 そして、怒涛に振るわれ、滅多打ちに飛ばされる<カーテナ>の斬撃。

 ヴィリアンは守護騎士を見る。

 『湖畔の』騎士は片腕を上げていた。

 ゆるり、と左腕と肩が水平になるまで持ち上げられたその掌は、力なく広げられており、遠くの誰かを呼び止めるような、そんな仕草に似ていた。

 ここまで来て、『ランスロット』は武器を持たずに相手と対峙する。

 だが、これがこの男の戦い方なのだと知る。

 前に突き出した腕を微かに動かす。

 

「―――…先する」短い、呟き。

 

 『湖畔の』騎士は開いていた掌をぐっと握る。

 それは、何かを握り潰すような動作だった。

 

「結界? いや、聖域か」

 

 『叛逆の』王女は急停止した自分の体を見下ろす。

 まるで、幅広のブレードで手足を両断する手品のように、白き粒子の聖域が、第二王女の身体や四肢に、枷のように嵌っている。より正確には切断しようとチェーンソーのように蠕動しながらも、キャーリサの身体を斬れないでいる。

 とかく、空中に固定された幾つもの聖域によって、キャーリサは磔にされた。

 しかし、

 

「王を拘束するは無礼だし」

 

 キャーリサは平然と、そのローマ正教でなければ不可侵の聖域を力で破る。

 

「……やはり、同じ<大天使>でも最高位の<神の如き者(ミカエル)>には、『処刑』が効きませんか」

 

 ぼそり、と男は呟くと身体ごとを第三王女に向いて掌をその顔にかざし。

 

「こうなれば、キャーリサがこの聖域を破る前に、儀式を“完成”させるしかありません」

 

「でも、それはまだ時間が……――――あ」

 

 状況についていけずとも<量産十字>の説明は“大まかに”聴いていた。

 本物と“ある一点”を除いて同一のこの霊装は発動には時間がかかると。

 でも、このほろほろと聖域に木漏れ落ちる月光の揺らめきに、淡い淡い影が揺れる。

 この砂上の楼閣に閉じこもり、猛然と嵐のような姉の怒涛に晒されながらも、今、聖歌の残響しか聞こえない。

 ああ、戦場が遠ざかっていくよう。

 そして、彼の言葉にはいつしか疑いもなく聴いてしまう。

 自分に頭を垂れ、ひざまずいている守護騎士。

 とてもいい気分。

 この香りがもたらす独特の浮遊感は、自由への開放で、童話の世界への旅立ちのよう。

 

「さあ、姫よ」

 

 囁かれる男の声……正確にはその瞬間、強く握られた手に、ヴィリアンは恍惚とした目を向ける。男は合わせた目を細めた。

 そこには喜怒哀楽の何も読み取れない。

 古の巫女たちのように、薬香によってトランスをもたらされたヴィリアンには分かるはずもない。

 

「さあ、姫よ。この十字架に祈るのだ」

 

「はい……」

 

 言われるまま、操り人形のように十字架の前に膝をついたヴィリアン。目を伏せ、手を組む。

 信じる、信じる、信じる……

 ヴィリアンは神の救いを信じる。これから起こすであろう祝福を想像する。

 そう、きっと……

 

 この涙を―――

 

 通じたのか、そんな簡単な祈りが、現実世界へと反映された。

 聖域が一息に輝きを増す。静寂なる月明かりは、粒子を通して偏光屈折するよう乱舞し、環状列石は緑色の彩りに満たされる。

 楽園を具象したような美しさに、男の感嘆の声が湧きあがる。

 

「神聖の国への扉が開かれた」

 

 途端、聖域の防護が厚みを増し、キャーリサの斬撃を弾いた。

 

「―――」

 

 もう、外界の声が届かぬほどに聖域は隔絶している。

 それでもキャーリサには見えたのだろう。

 霧のような粒子に覆われた先、ヴィリアンが目を見開いている。赤い赤い瞳を。自身を失ったような狂った笑みで。そして、キャーリサは、身体の中心に押し込まれるような感覚に身体を折る。

 

 まさ……か……!

 

 十字架の光が音もなく聖域の天蓋を突き破る。

 空には、星の輝きが失せて、月しかない。

 静寂と闇の中、まるで演劇の舞台でスポットライトを当てられたように、握らされた聖別された短剣を手にする無辜の王女だけがおぼろげな光を纏っている。

 

「さあ、姫よ。神意に従い、十字架に命を捧げよ。まだ聖域は完全ではない」

 

 この量産複製されたとはいえ、<聖霊十式>の<使徒十字(クローチェド・ピエトロ)>。仏像をつくっても魂入れず。内蔵された回路と素材は同じでも、まだ一度も使われていない無地の新品であるが故に、効果を発揮するためには経験値が足りない。“きちんと伝承になぞらえる必要がある”。

 

 

 処刑される前に本人自身に手渡された、“聖ペテロの十字架を墓石に突き刺してから”、その幸運の祝福は始まった。

 

 

 <環状列石(ストーンサークル)>は、『天文台』の他に、古代の偉人を祀る『墓』か、“生贄を捧げる”ための『祭壇』。

 

「ペテン師がぁっ!」

 

 全ての真意を悟ったキャーリサが怒りの形相で斬撃を飛ばすが、聖域の防護に遮られ、届くことはない。もうすでに支配領域がストーンヘンジ全域まで侵攻している。

 如何に<天使長>といえど、ローマ正教の洗礼を受けていない限り、この<使徒十字>に祝福される場の優先順位は、最高位ではない。

 

「さあ、神意に全てを委ね、神聖の国へと旅立ちましょう。そうすることで、汝を苦しめた全てに、神罰が下るのである」

 

「あっ……!?」

 

 『湖畔の』騎士の視線に射抜かれた途端、ヴィリアンの胸の裡には黒い感情が湧き起こってきた。

 それは姉に殺される感情。それを元に周囲が全て敵になり、見捨てられた感情。所詮、自分には何もできないと蔑まれた感情だ。その時々の想い全てが、坩堝に溶かし込まれたように深く、重く、濃く、蝕むようにのしかかってくる。

 

「見よ。この血を分けたものでさえも、貴女の敵である」

 

 その目の輝きは増した。赤を濃くして。そして、血のように赤い涙を。

 

「私が、その涙を止めてみせるのである」

 

 と『ランスロット』に導かれた時だった。

 

 

「―――違います。“あの人”ならば、きっとこう言います」

 

 

 その声は、聖域内に守られている自分達の背後から、そして、十字架の巫女(装置)となったヴィリアンにも届いた。

 『ランスロット』は愕然と振り返る。すると、聖域内にここにはいないはずの招かれざる客がいた。

 

 

「その涙の意味を変えてみせよう、ってね」

 

 

 

 

 ブオッッッ!!!!!! と光が闇夜を切り裂く。

 

 

「なあ、あんたら『缶蹴り』って知ってるか?」

 

 と、上条当麻は言う。

 『トリスタン』は、前触れもなく突如、少女の指先から伸びた“光”に貫かれた。

 その速度は音速の壁をも貫いた。

 強固な施術鎧とて、その“爪”は鋼鉄をも容易く溶断する。

 そして、音速超過の衝撃波が轟音となって壮大に反響。

 不意打ちに身体を躍らせ、“血を噴き出すことなく”身体に大穴をあけ、崩れ落ちる射手。

 

「あれは、鬼が居座って守ってるとどうやっても破れかぶれの特攻頼みになっちまうんだ」

 

 物理精神共に強い衝撃を叩きつけられ呆然とかたまった残る二騎士に上条当麻は言う。

 

 

「だから、こうして誘い出す必要がある」

 

 

 バンッ! と当麻は右手で香椎の背中を叩いた。

 

 

ロンドン

 

 

「『神上』――アンタを取ってこい、って言われてる」

 

 『伝令』を司る通信網で、神裂から状況報告、ついでにインデックスの説教、それからこの英国で知り合ったという情報屋からの連絡の後、彼女が頼ったのは、天草式でも、運び屋でもなく、この不確定要素(イレギュラー)だった。

 捕まった英国関係なく、ただ都合よく紛れ込んだ<幻想投影>目当ての敵は、呆気からんと素性を明かし、その目的も話した。

 

「はぁ、『神上』ではなく、私は上条詩歌です。そのネームバリューを付加させているのは宣伝等知名度を任せている先輩ですが、実際に、詩歌さんはLevel6にはなれなかったんですよ」

 

「関係ねぇよ。同じように<魔神>になれなかった男もいるしな。重要なのは、科学サイドに現れた超新星は、アイツの興味を引いた。それを筆頭に徐々に仲間を集まり始めている」

 

 これって、すげぇことだぜ、とトールは言うも、その組織や長については<新たなる光>と同じ北欧系でまだ結社予備軍程度という以外、頑なに話そうとしないので実感は沸かない。この男一人の狂言という可能性もあるも、それはないと詩歌は見る。

 けれども、イヤというほど自分の影響力を思い知らされる。蝶の羽ばたきのようなものなのだろうけど、それが雷神という嵐をこの英国に呼び寄せてしまった。

 そして、その背後には雷神さえも逆らえない存在がいると。

 

「そういうわけだ。立て込んでるところ悪いと思ってんだが、少しも戦果がないのはマズい。大人しく攫われるのがイヤなら、自分と戦え」

 

「テメ、まだ―――ぐぶっ!?」

 

 バキンッ、と封じていた魔術的拘束が怪力で破られる。

 それに五和、対馬、浦上が反応し、オリアナもそのリング付きの単語帳を手にし―――真っ先に飛び出した当麻の襟首を掴んで引き留めた後、詩歌がもう片手を上げて制する。

 

「わかりました」

 

 詩歌は、静かにそう言って、

 

「五和さん、槍を貸してください」

 

「えっ、でも」

 

「詩歌! 駄目―――「当麻さんは待て」」

 

 五和は当麻を気にしながらも、詩歌の穏やかな、戦意が欠片もない瞳を見て、自分の海軍用船上槍を渡した。

 

「お、今度は槍でやる気か?」

 

「違いますよ」

 

 受け取った槍の穂先に、ちょうど後ろ肩の位置に当てる。

 そのまま躊躇なく、すっと刃を滑らせ、

 

 

 背中まで伸びる黒髪を―――切り落とした。

 

 

「おいおい、本当に思い切ったな」

 

「戦わずに事を収められると分かったんですから、それに越したことがありません」

 

 古来より、髪には、霊力が宿るとよく言われる。

 そう、これもその長とやらが望む『神上――上条詩歌の霊力』があるだろう。

 

「人を攫うではなく、物を取ってこいというなら、詩歌さんではなく力や資質にしか興味がないんでしょう。だったら、この『髪上』でも十分だと思います。でしょう? 雷神さん」

 

 トールはその頓知に納得しながらも、槍を返された五和と同様に頬を引き攣らせる。

 何ともまあ皮肉が効いてる。『トール』の伝承には、『妻のシフが、その黄金の髪をロキにばっさりと切られて、激怒した』という話があるのだ。それを自分が無価値とはいえない。

 そのトールと名を冠する己に、あっさりとその黄金も同然に価値のある黒き髪を渡す。

 

「このっ! 髪フェチか! テメェ!」

 

「わわっ!? おち、落ち着いてくださぁい!?」

 

 現に、雷神さんの代わりに役目を果たす約一名が複数人に抑えられている。

 

「けじめに髪を切ろうかと思っていたので、ちょうどいいです。うん、どうです?」

 

 取り出したいつものリボンを、肩のあたりまで短くなった黒髪に器用に結びつけ、くるりと舞い回る。

 

「おう、そっちも似合ってて可愛いぞ。って、本当にいいのか詩歌ちゃん?」

 

「髪はまた生えます。その気になればすぐに生やせます。まあ、学則では禁止ですし、髪は女の子の命ですからね。貴重品です」

 

「そりゃあ、まあ、大事にするけど……これを阻止できないほどの災厄をもたらすよう悪用されたらどうすんだよ」

 

 これが後に禍根を残すかも知れない。かつての御坂美琴のDNAマップと同じ。

 それを含めて、トールを見て詩歌は『愚問』と笑う。

 

「詩歌さんにはもっと頼りになる切り札がありますから」

 

 と、五和達を振り切った上条当麻はオリアナお姉さんにがっちり関節技を極められている。

 

「……それに私がダメだったらそのときは、私じゃない誰かが。もっと素敵な『色』を見せてくれます。きっと能力も魔術って、信じる力なんでしょう? だったら私、信じられます。そのためだったらこの知恵を幾らでも貸してこの力も誰かに譲渡して使い果たしてもいい。それが、信じる、ってことでしょうから」

 

 うん。

 珍しく、冗談めかして、あてずっぽうに言ってみる。

 

「二千年前の『神の子』っていう人も、同じ事を願ったんじゃないんでしょうか?」

 

 張りつけた十字架も、刺した釘も、霊装となるほど今の魔術体系の基礎ともいえる世界に影響を与えた聖者。

 人類に力を与えた男も自分以外のヒーローが自分の手が届かない未来にも現れると信じたのだろう。

 だから、自分にも将来を託せる系譜がきっと現れるはずだと信じる。

 

「これであなたの力を借りれる報酬になるのなら、安いものです」

 

 先払いと布に包まれた髪束を詩歌はトールに渡し、

 

「これが安い買い物になるかね」

 

「後悔させないくらいに働いてくれると信じましょう」

 

 トールものせられるままに笑ってしまう。

 ああ、この『戦争代理人(トール)』を動かすには十分な報酬だ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「差異をなくしてシャッフルしたら完全に見分けがつかないわね、これ」

 

「本当、完璧に瓜二つ……」

 

「駄目だ似てない簡単に見分けがつくこの作戦はやめにしよう」

 

 リボン付きとロングの違いはあれど、『上条詩歌』が2人いた。

 その内の一人、リボン付きの本物(詩歌)が言う。

 

「というわけで、トールさんを(わたし)だと思って、仲良くしてくださいね」

 

「無理」

 

 続けて、髪を切る前のロングへアの偽者(トール)が、

 

「そんなこと言わないで、当麻ちゃん」

 

「黙れ」

 

 双子となった妹のお願いを愚兄は一蹴で却下。

 世の中には一足す一にならないことがあるのだ。

 だから、妹が二人になったからと言って、光景が眼福だとしても幸せが二倍にならない。

 いくらお願い事でも、譲れないラインがある。

 

「やだ! いやだ! 絶対にやだー! 一体何なんですかこの偽妹イベントは!? お兄ちゃんは本妹しか認めませんよー!?」

 

「と、お兄さんが言ってるが、詩歌ちゃん?」

 

「これは作戦上必要なのでわがままは却下です。駄々こねないで、我慢してください」

 

「いやいやわがままでなくて、兄としての義務でして。あとお兄さんって呼ぶんじゃねぇ!」

 

「詩歌ちゃん、面倒くさい」

 

「何親しげに名前で呼んでんだゴラァ! 表に出ろぉ!」

 

「喧嘩は望むとこだけど今は状況を考えようぜ」

 

「テメェにだけは言われたくねぇぞ!」

 

 しかも相手は妹を傷物にした(髪を切っただけ)野郎だ。

 一兄として、ぶん殴って―――

 

「当麻さん♪ 黙れ♪」

 

「よし、落ち着こう」

 

 ―――竜神家の女性は笑顔が素敵怖い。

 しかし、頭が冷えても受け入れられないのは変わらず、

 

「だが、そいつは敵だぞ」

 

「味方とは言いませんが助っ人です。それに今は動けるなら敵だって使います」

 

「裏切るかもしれねーんだぞ」

 

「あらまあ、これだけ過保護なヤツが、よく詩歌ちゃんの外国出張なんて許したなぁ」

 

「大変だったんですよー、本当。でも、可愛い子には旅させろって言うじゃないですか。で、裏切ります?」

 

「別に裏切るつもりはこれっぽっちもねぇぜ? 経験値の高い戦いをさせてもらって、しかも勝利しながら何の見返りがないとあってはトールの名が廃る、いや、名なんてどうでもいいが、俺の気が済まん」

 

 まあ、全力で戦えなかったのは残念だったけどさ、と少しぼやき、

 

「とにかく、裏切る理由がねぇし、こっちも助けてもらったんだからな。それに詩歌ちゃん、可愛いし。何かこう強いんだろうけど、守ってあげたくなるような?」

 

「危険危険! この野郎危険! やっぱ、こいつは処刑塔にぶち込んどくべきだ!」

 

「今のどこに問題発言があったんですか。あと今のイギリスじゃ無理ですよ。拘束できないトールさんを閉じ込めるなんて……それにその長に今は不興を買いたくないですし」

 

 詩歌としてもこれ以上の厄介事は処理限界を超える。先延ばしにしても避けられるのなら、英国、そして戦争に集中したい。

 

「うん。こりゃあ惚れちまっても仕方ねぇわな。当麻ちゃんが過保護に心配しちまうのも良くわかる。背丈小さくてしかし巨乳の……おお、これはこれは」

 

 としげしげと大変発育の良い身体を見ていた“詩歌(トール)”が詩歌《本人》の見えない位置で、“自分(しいか)”の胸を揉む。

 

「コロす! そのゲンソウごとテメェをブチコロす!!!」

 

「“詩歌さん”を殴るんですか?」

 

 ぴたっと停止。

 固まったまま内なる葛藤に全身を微動させ、

 

「うぐぐぅぅ~……ぐおおぉぉ~……マジで腸が断ち切れる!!」

 

 腹を抑えて膝をついた。

 余程納得がいかないのか、額に脂汗まで滲んでいる。

 

「次案で、私が戦うことになりますが―――「それはダメだ」」

 

 この状況は切迫している。

 天草式も先の戦闘で疲労が大きく、またロンドン内にいる住民に<必要悪の教会>の避難も放置できない。オリアナにしてもレッサーにシェリーの保護がいなくてはならない。

 そして、このトールの情報は確実に相手が知らない有効性。

 

「なら、私に変装できて、実力もある。トールさんでなくてはこの大役は務まりません」

 

 詩歌はそう結論付けた。

 今度は当麻が周りが見えていないわがままである。

 そして、当麻にとって、詩歌が戦わずに済ませられるのなら、妥協する不幸ぐらい買って出る。

 結果。妥協案として、『香椎』とすることに合意した。

 

 

 

 

「いってぇ!? 何もネタばらしに叩くことねーだろ! 当麻ちゃん」

 

 背中に紅葉ができるほど強く叩かれ―――まるでそこから亀裂が走ったようにビシリ、と。

 卵の殻を剥くように『上条詩歌』の姿形の表面が割れ、その全身、どころか、着ていた服までも含めてひび割れが広がっていき―――中から、長い金髪に白い肌の、好戦的な中身に相反して女性的な印象の強い少年が現れた。

 

「うるせぇ! ここまで我慢した当麻さんの断腸の痛みと比べれば、なんてことねーだろ!」

 

「切れてんのは、堪忍袋の方じゃないかね、当麻ちゃん」

 

 逃げていたのは、雷神トールと上条当麻。その役目は、儀式場から厄介な鬼を引き離すこと。

 だから、詩歌からお願いされたのは、できるだけ多くの敵を引きつけて、できる限り遠くに逃げる、“戦わなくてもいいから”―――しかし、奇しくも一部は却下と2人の意見が一致した。

 

「当たり前だろ。英霊だが何だか知らねーが、俺の妹に手を出してくれたんだ。集団リンチした6人全員が揃ってねーのが不満だよ。俺はこのクソ野郎共を叩き潰す権利がある。これを使わずにいられるほど我慢強い性格じゃねぇ」

 

「そうだな。折角、決闘までしたんだから、そうしなきゃもったいねーよな」

 

 それは戦うこと。本気で決闘すること。

 賢妹とならとにかくこんな急造コンビじゃ連携で敵うはずもない。ならば、個人の力で圧倒するしかない。

 そして、この破天荒はそれを為せる。

 

「貴様、よくも、『トリスタン』を……!」

 

「力はたいしたもんだ。バケモンだよ。普段なら力と力のぶつかり合いに満足しただろうな―――だが、今は駄目だ。アンタら、工夫が足らねぇ」

 

 射手ひとりを潰しても、2対2。しかも相手は不死身の相手。

 それでもトールは笑う。

 むしろ、トールは笑う。

 どれだけ攻撃してもやり過ぎるという事がないのだから。

 

「なんつーか、手の込んだ家庭料理を味わった後に、淡白なジャンクフードを喰わされてる気分だ。大味過ぎて量だけあっても食傷しちまう」

 

 武器を構える『神をも撲する騎士』を前に、『北欧神話最強の蛮神』は批評すら述べるほど愉快に、痛快に、豪快に。

 

「だから、とっととこの経験値を回収させてもらう」

 

「俺達を踏み台にするとは、舐めんじゃねェぞ! 若造が!」

 

 懐から取り出した『(ミョルニル)』代わりとなる『十字架』――<四葉十字>を口に含む。

 トールの十指から光り輝く溶断ブレードが伸び―――

 

 

「一気に全力全開!」

 

 

 ―――左右十本指の電子溶断ブレードが、夜空の星に届きそうなほど長く、およそ2kmにまで爆張される。

 『戦争代理人』、腕を一振りするだけで街一つを薙ぎ払えるそれは個人の力で戦争を起こしてしまう破壊者(デストロイヤー)

 できるだけ人気のないところを選んで逃げたのは、ロンドンでは出せなかった本気を出すため。

 『ラモラック』が振るう殲滅の王槍の効力も、その地形ごと掘り返され、魂喰の身体でさえも。

 

「―――ぐおっ、この吾が……っ!?」

 

 あまりの出力に喰い切れず、魔槍双剣が消し飛ばされ、『ベイリン』も弾き飛ばされる。

 

「トール!」

 

「おう!」

 

 愚兄の叫びに破天荒は応じた。

 当麻が跳躍すると、その足元に、雷神の乗り物と化した半分に割れた大船が滑り込む。当麻はエアスケボーのように二本脚でバランスを取る。

 当麻とトールの2人は、連携を基にした戦闘訓練なんてしてないし、作戦会議どころか言葉も交わしてないし、余裕もない。

 やるべきことが分かっているのだから、覚悟さえ決まれば必要がない。

 全身から訴える当麻の気迫の意思を感じ取ったからこそ、トールはこの契約を無断破棄したとしても快く協力した。

 

「きちんと、決着つけてきな、ヒーロー」

 

 大船の後部からジェットエンジン代わりの電子ブースターが噴く。

 <四葉十字>で一時的に解放された破天荒の全力だ。そんな事をすれば、船上に立つ当麻がどうなるかは明らかである。

 だから、左手に握った常識を覆すお守り――<四葉十字>を握り締め、半壊した船に叩きつけ、

 

「―――聖エラスムス、この『船乗り』に加護を与えろ!!」

 

 五和が投げ槍および乗り物の安定に使った<守護聖人>の術式。それを見よう見真似で。門前の小僧が習わぬお経を読むよう、賢妹の愚兄ができないはずの魔術を起こす。

 きちんと効果を発揮したのかはわからない。十中八九しないはずだ。

 

 ドッ!! という爆音が炸裂。

 

 推進力に当麻の体は浮かび―――それでもバリスタの如く発射された船体からは離れなかった。

 

「なっ……イカレてやがる」

 

 その瞬間、『六槍の』騎士は、掛け値なしに絶句した。

 トールの大暴れに体勢の崩された黒馬に跨っていた『ラモラック』へ、あらゆる奇蹟を打ち消す右手を持つ愚兄が、無理、無茶、無鉄砲の果てに奇蹟を起こして、一直線にこちらに向けて突っ込んでくる。

 着弾まで、0.1秒まであったかどうか。

 しかしその刹那に、視界に映る強く強く上条当麻の顔は、力強く笑っていた。

 

 

 ズッドォォオオオオ!! と。

 人間砲弾と化した愚兄が、王槍<ロン>を一撃で砕き、そのまま騎乗最強の騎士を下馬させた。

 

 

つづく


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