とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 騎士号令

英国騒乱編 騎士号令

 

 

 

 

 

 花が、咲いていた。

 一瞬で開花したとは思えぬほどの、おびただしい花の群れ。

 フクジュソウ、ヤマツツジ、ノゲシ、アセビ……

 色も種類も香りも、まるで関連性がないのに、何故だが一幅の絵の如き統一感があった。

 中にはこの季節に、この国に咲かぬはずの花さえ混じっていた。また、自然界に存在しない改良された品種も。

 色とりどりに咲き乱れる様は、あたかも仏教画に描かれる極楽浄土のようでもあった。

 いや、ようではない。

 この花々の、『力』。おびただしい花は、燃え盛るような暴走さえ、なだめているのだった。

 誰も刺激しない――優しい呪を、その花弁は纏っていた。

 

『『神道』の神楽の一種、<花蠱(はなまじ)>、ですか。見事なものです。私では、こうはいかないでしょう』

 

『――さんに、手伝ってもらった、即興ですが……すこし…落ち着きました』

 

 花の中心から、たおやかな影が起きあがる。

 その背から花弁のように散らせる羽吹雪は、花より鮮やか、けれど物憂げで、どこまでも儚い色彩を空間に舞わせる。

 この景色は一夜限りの夜桜に勝るとも劣らない。

 

 綺麗だ、いつまでも眺めていたい―――と女教皇は思う。

 

 桃源郷の仙女、または、東洋の妖精の王女(ティターニア)、というと陳腐すぎるだろうか。

 それでもこれ以上の評価と語彙はしらない。

 この少女は――人間になった幻想。

 いくら優れた資質をもつ魔術師であっても、人間には限界がある。

 複数の魔術系統を習得できる人間はいても、それでも、関連性の高い魔術系統をいくつか学習するだけで精一杯だろう。

 それが科学――全く別世界の法則なら、まずいない。

 まったく論理の異なる力だろうが、どれほど特殊な資質を必要とする術だろうが、問題なく習得できる。

 この見事な<花蠱>がその証明だろう。

 根本的に形だけの模倣ではなく、本当の意味で、あらゆる異能を行使することができるのだ。

 

 だから………いつまでもは続かないのだと。

 

 少女が語り終えた後。光景を瞳に映しながらも、女教皇はずっと頭の中では別のことを考えていた。

 

『……彼に話すべきです。あなたの口から言いにくいなら、私が』

 

『告解にして、といったじゃないですか』

 

 語る前に少女はそう条件付けした。

 告解。本来は十字教徒が洗礼の後に罪を聖職者に告白すること。どんな罪を告白されたとしても、聖職者は誰にも話してはならず、記録にも残してはならない。

 

『そのことを知ってしまったら……あの人は私からはなれることを躊躇います……』

 

 少女はほんのりと頬を染め、誇らしげに、

 

『私は……今の――が好きなんです。……無理で、無茶で、無鉄砲で――相手が誰であろうと……おかまいなしに……助けようとするお兄ちゃんが。なのに……私を心配して……妹離れできなくなるような……溺れる者に、手を差し出せなくなる……そんな兄は見たくない。……縛りにも……重りにも……なりたくない』

 

『ですが、それであなたが溺れてしまったら』

 

『もう、届かないんですよ、私には。一緒に溺れ死ぬしかないくらいに……遠く、離れてる』

 

 船の直ぐ近くにいるのならば、手を差し出せば助けられる。だが、遠く、手が届かない、海を泳がないところだったら、その手を独占するだけでなく、身捨てなければならなくなる。

 

『……あなたは……きっと私が……禁忌以上となったら……斬れと……命じられた……んじゃない……ですか』

 

 黒の瞳は、どこまでも澄んでいた。

 声を出すのもキツい状態でも冷やかに。震えひとつなく抑え込み。どこをとっても完璧で。

 むしろ。

 むしろ少女を審判せん女教皇の方が、今にも罅割れて、泣き崩れてしまいそうな仮面をつけてるよう。

 

『分かって、いたのですね。私が、あなたの世話係と任じられた理由を。分かっていながら、――は、この私に背を見せ、この私に打ち明けたと!』

 

『………』

 

 少女は、答えない。

 正直、声を出すのもきつかった。

 この身体は、利用価値が高過ぎて迂闊に手が出せない取扱注意物件。

 だが、きっと拘束されれば、大変貴重なサンプル扱いだ。

 それは魔術も科学も変わらない。

 どちらも人間としての待遇は期待できない。

 だから、弱みは見せられなかった。

 かつて、一世代を築いた世界最強の魔術師さえも、己の結社、国家に家族まで敵にまわり、最後はイギリス清教の刺客の手にかかり葬られた。

 もし自分の中に何かが、破滅的な結果を生み出すと確実視されれば、<必要悪の教会>にとっては、肯んじがたいものであるのは間違いない。

 して、伝統的に魔女狩りの対象者は教会にその全ての資産を没収されるものと相場は決まっている。

 

『――さんは……優しい……ですね』

 

『何を……』

 

 女教皇が、呻く。

 かすかに、瞳が揺れた。

 

『馬鹿を言わないでください』

 

 刀が抜かれた。

 少女の体ごときは、藁よりも容易く斬る刃だった。

 

『ええ、あなたの禁忌が暴走するようなら、殺害の許可もいただいています。<必要悪の教会>に所属する、秩序を肯定する魔術師として義務です。ここに、個人の意思を挟む余地があると思うんですか。異端(まじょ)は告解しただけで許されるレベルじゃないんです』

 

『思いません……』

 

 少女が、かぶりを振る。

 ちゃんと振ろうとしたのだけれど、力を堪えるのが精いっぱいで、視線が泳いだだけだった。

 それでも、意思は伝わったと思う。

 

『でも……やっぱり……優しい』

 

 その声は、掠れて、しわがれて、少女のものとも思えなかった。

 それでも、言った。

 

『だって……――さん。……今も……私が……どこへでも逃げられる……ように……そんなことを言ってるんでしょう……』

 

『……』

 

 肯定しない。

 禁忌という大義名分をもって<最大主教>に要請されれば、女教皇は組織を守るため、少女の追討命令に乗るしかないだろう。

 人の上に立つという意味を知っている彼女だ。

 その覚悟も、その責任も、二度と手放さないと背負った彼女だ。

 だからこそ、心が痛む。だからこそ、<最大主教>は彼女を少女の刺客とした。

 女教皇を責める気など、起こるはずもない。

 ただ、己の不甲斐なさを謝りたかった。

 今彼女が苦悩しているのは、けして彼女のせいではないのだ―――そう言いたかった。

 だから……

 

『どうして、あなたは私に力を……』

 

 その指先が鞘の白紋をなぞる。

 

『だって……――さんでも……倒せない相手となったら……きっと他の方に……応援を頼む……じゃない……ですか』

 

 力なく、苦い微笑を浮かべる。

 

『こんなわがまま……言えるのは……――さんくらいな……ものです。私と……よく似た――さんにしか……頼めません。この花に鎮められた、今なら、できる。もし……死に際に……介錯してもらえる相手を……選べるなら……あなたがいい』

 

 刹那、女教皇の刀が走る。

 ピタリ、と薄皮一枚の誤差を許さず、少女の喉元へ切先をつけた。

 

『そのような、戯言を、言わないで、ください』

 

『こんな、力。禍にしか、ならない。戦うだけで……暴走するだけで……街が滅びる。今回が……人のいない所で、運が良かった。私を……死ねば……英国の、不和も……世界大戦の、元凶だって……なくなるかもしれない。……今回のことだって、きっと……私が原因で』

 

『言うな、と……言ってるのが、聞こえないのですか?』

 

『もう、疲れました。死ぬなら、人間のままが―――』

 

 

『るせぇんだよ!!!』

 

 

 と、女教皇は一喝した。

 びりびりと、空気さえ震える咆哮だった。

 

『けしかけるな!! 理由を並べるな!! お膳立てするな!! 斬らせようとするな!! この私が、あなたに<魔法名>を口にすると思ってるんですか!? 優しいだって? あなたにだけは言われたくない!! あなたは残酷なまでに優し過ぎる!! そんなんだから、いつまでたってもあなたは救われない!!』

 

 ぎり、と奥歯を噛んだ。

 神裂きの太刀を突きつけつつ、女教皇は炎のように滾っていた。

 

『いったい、どうやって、この大きな債務を返せばいいんですか!』

 

『そんなの、ないです。……お互い様で』

 

『あなた達に救われたのは、命ばかりではなく、心です。もし、学園都市であなた達と出会わなければ、生涯、心を閉ざしていたことでしょう』

 

 ぐつぐつと煮えたぎるような瞳で、声音で、女教皇は訴える。

 

『初めて、彼にあった時、あなたにできないものはないと豪語されました。その言葉を、その誇りを幻想(うそ)にするつもりですか?』

 

『……、』

 

『皆を、裏切るんですか? 私のように、逃げるんですか? 彼を……一生、不幸にするんですか?』

 

『それは……』

 

『言っておきますが、私は彼に全てを話します。そして、如何様な罰も受けます。救われぬものを救えなかったのですから、破られた誓いと同じこの身体も死を受け入れるのが当然です』

 

『……まいったなぁ、本当に。絶対に、やだ』

 

『だったら』

 

 女教皇は、思い出す。少女の兄が、救われない地獄に対して、自分に咆えた言葉を。

 

 

『絶望などしている暇はありません。この程度の困難などものともしない主人公になってください』

 

 

 それを聞き、少女は、小さく息を吸った。

 今度は静かに、しっかりと、決意を固めるための呼吸。ふらつく脳を、意識でねじ伏せて、切り替える。

 少女の中で相当の意思力を必要とする決意だったかもしれない。今までおぞましいモノに触れてきても、これほどの恐怖は味わわなかったというのに。

 

『―――解決しても、1人、救われないかもしれない』

 

『どうする気です』

 

『ヒーローを、信じます』

 

 少女の言葉に、女教皇は眉根を寄せた。どこか少女は遠くを見るように。詳しく説明したりはしなかった。

 

『それに、やはり『清教派』の力が必要です。契約を――賭けをします』

 

『……<最大主教>に、ですか』

 

 悪趣味な人転がしと同じように株転がしが得意な先輩を思い出す。

 人は、状況によってその売り時が変わる。

 

『彼女は公平です。<必要悪の教会>が禁忌を見逃せないのは分かります。ですが、“イギリス”清教、元は英国の宗教防衛と独自発展のために創られた機関。優先順位は英国で、魔女狩りは二の次。今、英国は破国の敵を迎え、この戦争で敗北する運命にあります。この内憂外患のときに、<必要悪の教会>も牽制が限界です。今ならば撤回は無理でも、延期ならば通じる。そして、この騒動で、禁忌を見逃す危険を冒すより、この戦争で負けさせない利用価値があると認めさせればいいんでしょう?』

 

『それは……言い訳ですね』

 

『ええ、言い訳です』

 

 すんなりと認めた。

 

『ですが、今のあなたには甘い言い訳ではないですか?』

 

 まだ義務教育を終えていない、年下の少女とも思えぬ、高慢で狡猾なやり取り。

 

『……』

 

 逡巡は、数秒。

 女教皇は瞼を伏せると、太刀を収める。

 

『ただし、最終的にその禁忌を御さなければ、言い訳にもなりません』

 

『分かってます。それについては、考えがあります。ただ、そのためには学園都市に戻らなければなりません』

 

 すんと鼻を鳴らして、片目をつむったのだ。

 

『プチ里帰りを認めてもらいたいんですが』

 

『それは、難しい』

 

『でしょうね。学園都市に避難してしまえば、魔術サイドは手を出しにくくなる。それに、この私『学生代表』を狙ったのは、“王女たち3人のうちの誰か”なのですから、この時期に国際問題の露見を防ぐとして英国から出したくないでしょう』

 

 足りない。

 どうやっても、今の少女には足りない。

 <最大主教>――英国と交渉する『力』が足りない。単純な『力』ではない。権謀術数入り混じる、華やかならざる泥沼の戦場は、天高くまでいける飛鳥の翼など汚れて堕すだけだ。その『力』を整えるとしても、いかにも時間がなさすぎる。

 天才と謳われた能力も、この万色な体質も、彼女の前では役に立たない。

 ただ、未熟な己を思い知らされるだけだ。

 

『だったら』

 

 奇蹟など、起きない。

 奇蹟じみた現象を振るってきたからこそ、この世界に奇蹟などないと、不幸が当たり前であると、よくよく知っている。

 いいや、ある意味ではそれに似た―――この『翼』に頼ってきたからこそ、ついに自分は追い詰められてしまったのではないか。

 だからこそ。

 大切なものを守るための方法を、どうやっても手繰り寄せる。

 

『少しばかり天秤を傾けるために、<最大主教>が突き付ける条件を3つ飲みます』

 

 きっぱりと、少女は、明言した。

 自分の言葉を武器とするために、強く強く口にする。

 さしもの女教皇も、その発言には絶句せざるを得なかった。

 

『――、本気ですか。<最大主教>はけして味方じゃない。あなたは彼女に禁忌指定されているのですよ。それなのに契約を持ちかけるというのですか』

 

『本気です』

 

 少女が頷く。まるで自分に言い聞かせるように、少女は断言した。

 思わず、女教皇は目を細めてしまう。彼女らしさが戻ってきた。やはり、あの少年の言葉は、特別なのだ。

 これ以上なく強く、はかなく―――どんな宝玉もかなわぬ輝きを湛えて、告げる。

 

『ただ、この心だけは守ります。きっと、怒られるでしょうが。私が私に救える幻想なんて、もとよりその程度しかないですし』

 

 現実からも理想からも目をそむけず、このささやかなものだけは守るのだと。

 そして、戦うのだと。

 

『賭けるからには勝算はあるのですね?』

 

『それは、もちろん』

 

 少女は小さくうなづく。

 

『その根拠は?』

 

『何でもできる妹だからです。それ以上の根拠も、それ以下の根拠も必要ありません』

 

 淡い、微笑。

 瞳は、真っ直ぐ。

 

『<最大主教>と話をさせてください』

 

 それは自分とこの少女が、よく似ていて、けど異なる、最大の違いだったろうか。不屈であろうとするものと、挫けてもすぐに立ち上がろうとするものの、本質的な違い。

 やはり眩しく思う。

 きっとそれは、自分がこの少女を己より上位の実力者としてではなく、ごく純粋に特別だと思った理由。

 

『あと……個人的なわがままを3つ……聞いてもらえますか』

 

『あなたを斬ることでなければ』

 

 

ロンドン

 

 

 移動中。

 

 

『今日のロンドンはとても寒いので、ちゃんとマフラーを巻いて』

 

『ありがとうかしい。すごく暖かいんだよ』

 

『それから手袋も嵌める』

 

『う、うん』

 

『あと耳当てもしないと風邪をひいちゃいます』

 

『うわー、もっふもふかも』

 

『それから背中に張るタイプのホッカイロと』

 

『………』

 

『なんだかぽかぽかしてきて眠くなってきたんだよー。あと、お腹に温かいものもあったらうれしいかも』

 

『……………』

 

『ふむ。糖分摂取に売店で甘いものとホットココアを買ってきましょう』

 

『……なあ、そんなにロンドンって寒いんでせう?』

 

『ふわわん!? と、当麻様!』

 

『あー、いきなり声をかけて悪かった。当麻さん、半径1m以内には近づきませんよー。で、一応スーツには着替えたぞ』

 

『はい、当麻さ、まが礼装をお召しになったお姿……あ、あの、その場で一周回ってもっと良く見せてもらってもよろしいですか……!』

 

『そんな食い気味に期待の眼差しで見られてもなぁ……どうせこんなの馬子に衣装だろ』

 

『寸法とか直すかもしれませんし、女王様の御前に立つためにもちゃんと把握しておきませんと!』

 

『別にサイズはぴったりだった思うが……わかったわかった』

 

 自分の抱えるもやもやも、その熱っぽい溜息に流されたのか、当麻はその場でターンとご披露会……の半ば、ちょうど背を向けた時、

 

『当麻様、良くお似合いです……けど、後ろ姿が少し……ちょっと動かないでくださいね』

 

 するり、と服装をズラして背に手が入り込む。

 ○▽□☆!? と不意の接触感触にびっくりしたが、直前の断りがブレーキとなり、我慢。戻して服装を正し終わる前に、ぺたっと――ちょうど手の届かない位置――に張られる。

 

『いきなり擽って―――って、何、このぬくもり?』

 

『ホッカイロ、です。向こうはきっと寒いでしょうから』

 

 

 

「―――」

 

 

 声に、“その名”に、ぴくんと白い巻布がはねた。

 だけど、今は反応しませんとばかりに、頑固に振り返らない。それでいて、堪え切れない感じにぴこぴこと後ろ髪が揺れているのが、ひどく彼女らしかった。

 だから、

 

「香椎」

 

 別の言葉で、呼んだ。

 今度は、きちんと少女が動いた。

 

「ふ、ふわわ」

 

 おどおどと、胸の前に手を合わせ、振り返る。

 それでもまだ視線を合わせないよう俯き気味で、思い切りターバンを引き下ろしたのである。

 

「なあ―――「2人とも無事ですか!」」

 

 五和が駆け付ける。先程、一端追走のために引いたかと思われた彼女だが、自分一人では敵わない相手とみて仲間を呼び、その後、香椎の乱入に合わせて、上条当麻を回収、安全な場所まで避難させていた。

 して、最後の<禁糸結界>のトリックも事前に当麻が知っていたのも、香椎から『通信』された五和が教えたからであり、今戦闘の影の功労者であった。ただ、当初、香椎は仲間が全員集まるまでの時間稼ぎで、撃破までしてしまったのは計算外だが。よほど苛烈な勢いで文字通りに飛び込んだのだろう。

 

「おう、こっちは捕まえた。そっちは?」

 

「そちらはオリアナ=トムソンに任せてあります。それより……」

 

 と、遅れてやってくるは、急援に鑑定所まで預ける余裕もなく仕方なしにえっちらおっちら四角い鞄を運ぶ浦上。

 

「暴、れ、る、な! って言ったでしょう!!」

 

「ふわわっ!?!?」

 

 怒り心頭。五和も当麻もビクッとした。まなじりを吊り上げた眼光に真っ向から刺された香椎は、ぶるぶると震えながら申し訳なさそうに視線を反らす。

 

「何度も何度も忠告しましたよね!」

 

「お、落ち着いてください! 浦上さん」

 

「五和も見たでしょう。女教皇様があれほど憤ってた姿を!! あの方が、いったいどれだけ心配してると思ってんの!! 私達だって!!」

 

「はいはい。そのへんにしときなさい。五和が助けを呼ぶほどイレギュラーな事態じゃ仕方ないわ。反省してるんだから、気の済むまで説教なんて後に回しちゃいなさい。自己満足にしかならないんだし」

 

 最後にレイピア片手にやってきたふわふわ金髪の(運び屋とは違いスレンダー美脚な)姉さんの対馬が、浦上の肩をポンポンと叩いてなだめる。

 して、五和にむこうでトールキンを押さえている当麻を手伝うように指で合図。

 

「む……対馬さん。にしても、もっとやり方が……それにあなたには『守護』が」

 

「私達だって今追いついてきたところでしょうが。いない人をどうやって頼るっていうのよ。無理があるわ。……香椎も。私達は仲間なんだから、ね?」

 

「すみません。つい、かっとなって……あと――ちゃんは向こうに」

 

 しゅん、とする香椎を見て、対馬はこの話を終わらせる。

 

「それで、体調は?」

 

「あと6割くらい、かと……」

 

「じゃあ、4割ね」

 

「え、っとと? 残り体力が6割という意味で」

 

「かっとなったときの自己申告はあてにならないもんだから、2割引きが妥当よ。3割切るのはマズいから―――浦上」

 

 ケルト、北欧、ギリシャ、インド、アステカ、マヤ神話、そして十字教、と世界中には、特殊な宝石や物品を武具に埋め込む伝承が数多く存在する。

 その中で、剣の柄に埋め込まれた宝石は、癒しの石とも呼ばれ、傷口に擦るだけで治癒できる。

 

「……馬鹿につける薬はありませんけど」

 

「回復に適してる武器を持ってるのはあなたなんだから、つべこべ言わずにやりなさい。女教皇様からも任されたんでしょう」

 

「別に女教皇様に言われたからしているんじゃありません! 私だって……きっと、私ができるのは精々一回分でしょうから、これを使い切ったら、もう、あとがない……」

 

「だとしても、変わりません。私は、無茶をするためにここにいる。今は、全力で戦いたい」

 

 雷神の言う通り、今、自分は全力で戦うことができるのだ。

 浦上は瞼を閉じ、大仰に嘆息した。

 

「本当に、あなたって人は……どうして、こう……」

 

 ショートポニーが細かに震える。怒り出すかと、身構えたが、浦上は逆に持ち変えたドレスソードの刀身を握って、柄を――装飾品に付けられた宝石を香椎に向けた。

 

「無駄にしたら、恨みます」

 

 意識を集中させる。青白い光が柄の宝石に宿り、香椎に向かって、流れ出した―――直後、びきびきっとドレスソードが音を立てる。

 

 ―――な……にっ……これ……!

 

 明らかな異常。

 まるで花が枯れるよう。

 柄の宝石を見ると、輝きが濁り、表面がひび割れていた。

 およそ十年分の――女教皇様の体力値と設定して――雀の涙ほどの魔力を溜めに溜めた宝石がみるみる干からびて、まるで石ころのように。

 

「もう……いい、です……。これは、もともと、私のために…したものじゃない。……すべて使い切らなくても十分です」

 

 浦上の畏怖を見透かしたように、弱々しく呟く香椎。

 それでも、浦上はムッとして、譲らない。

 

「あなたにだけは言われたくない。いつも誰かのために自己を犠牲にするあなたには。あなたが救うのであって、その逆、あなたは救われるべきじゃない。救う者に救いの手を差し伸べるのは間違ってる。―――なんて、道理がまかり通るのなら、『必要悪』を貫くまで。『救われぬ者に救いの手を』差し伸べるのが、我ら天草式の、この浦上の誇り! ここで姫様に石が砕けてもそれは本望」

 

 気迫を込め、刀身を絞り込むように握り、最後の最後まで練る。

 練りに練る。

 

「ありがとう……」

 

 という声で我に返る。気がつくと、自然に血色と気息が整っていた。

 

「浦上さん。私はもう大丈夫です」

 

 気が抜ける。浦上はくたっとしてへたりこんだ。

 

 

 

「……、」

 

 その様子を、少し離れた所で当麻は見ていた。話の内容は聞こえないが。

 背中へ意識を向ける。ホッカイロを張られたそこに、すでに熱は感じない。おそらく、不意打ちで意識が朦朧としていた時に、止めの第二蹴の直前に急に熱くなった、蝋燭の最後の灯火のように消えた。

 

『あの不意打ちを受けて平気なんてすごいな』

 

 雷神は驚いていたが、彼の蹴撃に耐えたのは、自分の体の頑健だったのだと――強くなったのだと、そう思い込んでいた。

 だが、冷静になった今。それが奇蹟でも何でもなく、上条当麻の力でもないとしたら。

 あれほど迅速に駆け付けられたのも、それがトリガーだとしたら。

 言として発したい腹の中で渦巻くものを噛み締める。

 それでも、一言だけ零れて、

 

「あのバカ……」

 

 ぽつり、と。

 それを拾ったのか、当麻が抑える魔術師を縛っていた五和が首を傾け、

 

「どうか、しましたか?」

 

「オリアナのヤツがちゃんとレッサーを捕まえられたのかなーって、気になってな」

 

 武器の<鋼の手袋>は破壊された今、レッサーは逃げるしかなく、また<鐘楼斉唱>と<追跡封じ>の2人を相手にしなければならない。とても、王女様のいるフォークストーンには辿り着けない。

 それでも<大船の鞄>が無事であるのも確かで、それに後もう一人……

 と、そこで雷神トールが目を覚ます。

 

 

「……なあ、あんたら、俺を押さえとくのは良いが、あの娘のところにいかねーと、そろそろやばいぞ。奴らが動き出す」

 

 

 同時。

 ピクッと浦上を介抱していた香椎が顔を上げ、

 

 

「―――インデックスさん!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 頭が、痛い。

 追手も、すぐそこに。

 もう、捕まる。逃げられはしない。

 それでも影は、ロンドンを駆け抜けていた。

 

(あと、少しで……)

 

「ったく、こんな所にまで駆り出されるなんて。私は敬虔な修道女じゃないけど、実働部隊じゃなくて調査鑑定の裏方よ。それも『清教派』の魔術師がこの国内捜査の主導とはいえ、『騎士派』のクソどもと連携を取るなんて、仕事じゃなきゃやってられねぇな」

 

 不意に背後から声をかけられ、レッサーは慌ててそちらへ振り返る。

 ボロボロに擦り切れた、黒のゴシックロリータのドレスを着る、ライオンのような乱れ金髪に、小麦色の肌の女性。

 <必要悪の教会>所属の魔術師、シェリー=クロムウェル。

 寓意画や宗教彫刻などの美術・工学・霊装の中に隠された魔術的暗号解読の専門家であり、<石像(ゴーレム)>を扱った戦闘能力も高い。

 

「だから、余計な手間を掛けさせるなよ。ここで“狐狩り”に興じちまったら、あんたの身の保証は出来かねない」

 

 ただでさえ乱雑な金髪を適当に片手で掻きあげるシェリー。

 その周囲の壁が――白い文字が記された地形が――蠢き、レッサーの退路を塞ぐように迫る。

 そして、

 

「ここでゲームオーバー、あなたの負けよ。大人しくその鞄を渡してもらえるかしら」

 

 厄介な追手である『運び屋』の女性が挟み撃ちと立ち塞がる。単語帳――<速記原典(ショートハンド)>を構える彼女の実力は、武器のある万全の状態でやりあっても逃げれるかどうか。

 レッサーは四角い鞄を胸に抱き抱え、ついに足を止めた。

 諦めたのではない。

 もう、逃げる必要がなくなったのだ。

 

「ええ認めましょう。私達は試合に負けました」

 

 レッサーは四角い鞄を大きく掲げた。

 そこへ壁――シェリーの<石像>を透過して突き刺さる青のレーザー光。四角い鞄が鏡の役目を果たすかのように光線は屈折し、また彼方へと放物線を描く。

 その距離、そして、方角。ここから、およそ100kmもないフォークストーンだ。

 <大船の鞄>の効果範囲は、半径100km圏、王女様達のいる所まで届く。

 ただ、<新たなる光>は4人しかいないはず―――と、その時、オリアナ=トムソンはハッと顔を上げる。『運び屋』としての勘が、この真相のからくりに気づく。

 

「ですが、目的だけは果たさせてもらいます」

 

 王女様を殺すこと―――が、<新たなる光>の目的ではない。

 最後の一人、ランシスはロンドンにはいない。ロンドンから北へ30km程離れた地点で待機しているだろう。<移動要塞>の現在位置との距離を『中継役』であるレッサーらが調節する。つまり、ベイロープ、レッサー、フロリスの3人の内の誰かを『経由』しても、計画は成功する。

 『中継役』――そう、キーパーに1人、ハーフに3人、そして、“フォワード”……“5個目の<大船の鞄>”が存在する。

 気づき、すぐに発動を止めようと―――

 

 ―――できなかった。

 

 オリアナの表情が凍りつく、その一瞬が、十数秒に延長して感じられる。

 <新たなる光>のレッサーが、いつしか宙に浮いている。

 なにかが凄まじい速度で衝突し、浮かせたらしい、

 錐揉み状に回転し、鮮血を撒き散らしながら、床に激突した。

 長距離からの狙撃! しかし銃声は、聞こえない。

 

「そいつは<ロビンフッド>……!」

 

 シェリーは眠たげに半眼だった両眼を大きく見開いた。

 己の<石像>を貫通したその半分が流線形の鏃である30cmほどの飛翔体。

 シャリーが驚いたのは、その破壊力ではなく、とても見覚えがあるからだ。

 そう、この矢は良く知っている。

 (エリス)を撃った『騎士派』が取り扱う遠距離狙撃用の霊装を、シェリー=クロムウェルは良く知っている。

 鑑定の知識とかどうだけでなく、ひとりの魔術師として、人間として、強く脳裏に刻まれている。

 『軍事』を司る王女の手によってさらに開発された<ロビンフッド>は、『騎士派』のなかでも直属の精鋭にしか配られていない。

 これは逃げる容疑者を捕まえるための支援か―――いいや、それはない。もうあの状況でレッサーに逃げる可能性などほぼ零だ。

 だとするなら。

 考えられるとするのなら、口封じか。

 ああ、これはシェリー個人の私怨が混じってるだろう。

 たとえ、害意のない応援だとしても。

 彼女にとって重要なのは、『騎士派』が関わっているということ。

 

「『騎士派』ァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

 怒りに我を忘れ、雄叫びをあげる。

 捜査妨害でも何でも奴らに歯向かう理由ができれば、シェリーはこの<ゴーレム=エリス>を向けさせる。ついで、倒れるレッサーの姿がダブってしまった。

 だから、シャリーが最も早く反応し、最もマズい地点に立ってしまった。

 

「馬鹿、伏せなさい!」

 

 また、音はなかった。

 カッ!! と凄まじい、稲妻の如き閃光。

 投擲された1本の槍が空中で5つの光線へと拡散し、直線的に、または屈折。

 <ブリューナク>。

 これも『騎士派』の百戦錬磨が扱う投擲槍。

 <石像>の壁に炸裂し、吹き飛ばした。

 

 

フォークストーン

 

 

 ドーヴァ海峡を横断する海底トンネル――ユーロトンネルのイギリス側の玄関口の港町。

 もうすぐ夜の闇が地平線から顔を出そうとするターミナルに、無数の馬車――王室の<移動要塞>と護衛の騎士たちで連帯を組んでいた一団が停車しており、銀鎧をまとった騎士たち数十人が待機している。

 その中で、第三王女のヴィリアンが民間から採用されたという使用人を侍ながら、魔法瓶に入った紅茶を口にしているのを、『騎士派』の指揮を任されている騎士団長は眺めて―――ピクリと眉が動く。

 

 

 海が凍った。

 

 

 すぐそこのドーヴァ海峡で、大きな魔力反応を騎士団長は察知した。続いて、『騎士派』の通信から応援が。

 

「……やはり、こうなったか。しかし、“ちょうど届いた”」

 

 電子、魔術の双方の通信を傍受した限り、一部混乱が起きたようだが、『清教派』は、<新たなる光>が王女暗殺により、英国自爆術式で欧州を攻撃する―――と勘違いしていた。

 処刑塔の伝説など古臭い伝説など、嘘に決まっているというのに。何よりこの計画は安易に民を死なせないために立てたのだ。

 

 そう、この歴史に失われた、英国最大の霊装、王家の者だけが扱える慈悲の剣。代用品(セカンド)ではない、源本(オリジナル)を、このイギリスを変えてくれる相応しい主の元に届けるために。

 

 騎士団長は、通信兵の騎士へと告げる。

 革命の号令を。

 

「イギリス全土に潜ませた『騎士派』へと伝えろ。王の選定剣――<カーテナ=オリジナル>は第二王女の元に。我々『騎士派』も新たなる()と共に、騎士としての品格を守り、『前王女』の現政権を崩壊させよ、と」

 

 そして、手にしていた“古ぼけた四角い鞄”の重さを確かめると、騎士団長は静かに速やかに、戦場へ――第二王女の元へと向かう。

 

 

処刑塔

 

 

 名だたるもの達を閉じ込めてきたその塔は、沈みゆく淡い夕日を受けて、むしろ今まで流してきた――血塗られた色を浮かばせるようであった。

 一つのカタチを長く取り続けたこと――その歴史自体が呪を帯びて、力との親和性は高くなる。その年月が人と共に過ごしたモノならば、人間の思考や感情を受けて、さらに霊装として馴染んでいく。ほとんどの魔術が、古い歴史を背景とする理由もこれだ。

 日本だと、こうして変質した無生物を九十九神といわれたり、それが建物ならば、幽霊屋敷と物呼ばれるだろう。

 これは魔術の基礎の基礎以前。

 もし、この処刑塔をひとつの魔術師の砦――工房と見立てるのならば……

 

「―――っ!」

 

 ―――ステイルは、雷に打たれたように振り返った。

 

 何か、嫌な感じ……それは殺伐とした処刑塔のものではない――異様な殺気だった。肉食獣の口の中に放りこまれたような、生物的な危機察知本能である。

 視線を、感じた。

 誰かに見られている。

 刃で刺すような、痛みすら覚えるほどだ。

 

「ホントに、来たね」

 

 小さく、呟く。

 ほかの人間の姿は見えない。

 すでに観光客は人払いされ、ひっそりと静まり返った塔と庭にはかすかな霧に混じって、鳥の声が鳴いているばかりだ。

 それも構わぬように、赤い神父は独り言を続ける。

 

「今、この処刑塔は最大主教だけでなく、“英国女王の命”で誰であろうと立ち入ることを禁じられている。王女様達には知らされていないけどね。だから、どのような許可証があろうとそれはただの紙切れだ」

 

 ―――かの騎士王物語では、騎士王が遠征した機に、求婚してくる叛逆者から王妃は修道院から処刑塔へと逃げ込んだ。

 

 答えはない

 鉄の門に話すかのように、ステイルはしばし彷徨わせた視線を、ある方角へと固定する。

 

「……これでも、覚えは良い方でね」

 

 と、自分の頭を指した。

 

「君からは、まともな人間の気配がしない。精気の代わりに、漂ってくるのは腐敗した魔力のそれだけだ。それと似たようなのと前に会ったことがあるし、もう間違えないよ。―――焼くのには業火ですら生ぬるいとね」

 

 新しく咥えた煙草に火をつけて、神父は言う。

 

「聞いた話では、“全身を焼かれた”っていうのに、どうして“五体満足で動いている”」

 

 その言葉に、鉄門から影が浮かび上がった。

 沈む夕日の角度が変わり、隠れていたモノのの姿を照らし上げたのだ。

 身長は2mに迫る。ひょっとしたら超えているかもしれない。死に装束のように白い鎧を纏い、抜けた腕の太さは女性の腰ほどもあり、プロレスラーやプロの格闘家でもこれほどの肉体をもつ者はそうおるまい。

 そして。

 古ぼけて赤茶けた紙のような――羊皮紙色の肌。毒々しく赤黒い髪が風をはらみ、あたかも獅子の鬣のよう。

 ステイルとて2m近い体格だというのに、王の如く、その胸を張る姿勢からかこちらを睥睨しているのだった。

 

「………」

 

 初めからそこにいたかのような、自然さだった。

 古代の神像のように、微動だにせず、ただ粛然といる。

 屍体ではない。だが、生気がない。代わりに瘴気を撒き散らす。そして、檻や柵なしに猛獣と対峙しているような気分が、ステイルにはした。

 先までしっとりとした、霧の街の空気が、突如濃硫酸と化したような気さえした。

 

「……モトより、オウジョにはナンのキタイもしていない。ただタワムれにおままごとにツきアっただけのこと」

 

 紙切れ同然の書類を捨てると、片言と、像が語る。

 野生児が覚えたばかりの言葉を話すようでもあった。

 

「君一人か」

 

「そうだ」

 

 おもむろに片手を上げてこちらに向けた。

 そうして動いてもなお、生き物という感じがしなかった。

 ステイルは<必要悪の教会>の魔術師だ。そうでなくとも人間として感じ取れただろう。あの男は、良くない生き物だ。捕食者だ。狙われたら死ぬしかない。そう細胞の全てが、警告してくるようだった。

 あの男には、不死身の黒騎士『パルツィバル』と同等の禍々しい邪悪さがあった。雰囲気があった、風格が。

 全ての道理を忘れ、ただただ祈るしかない―――圧倒的な格差があった。

 

「こいつがいるがな」

 

 主人の合図に、すぐ後ろから男とは対照的な真っ白な獅子が現れ、忠実に頭を垂れたのだ。

 体躯は熊ほどもあり、色も白ということからシロクマとも似ている。だが、その御姿は、勇ましき獅子。その威厳ある鬣は白き燃え盛る炎のよう、爪は如何なる宝剣よりも鋭い。各所を装甲板で覆われ、野生の(まなこ)はただの獣にはない深遠な叡智とともに魔性を秘めている。

 

 

「セイシキなシュダンなどムヨウ。ボウガイは、ハイジョすればイい」

 

 

フォークストーン

 

 

 ―――ドーヴァ海峡。

 

 

 かの騎士王アーサーと叛逆者モードレッドが決したカムランの戦い。

 子が親を裏切った、子が親に刃向った、子が親の王座を簒奪した、そして、どちらが勝とうが国の運命が決まった、夢物語の最後が始まった地。

 

 女王にこの世界戦争は勝てない。今は治世ではなく乱世―――戦わぬ者に勝利はない。王道ではなく覇道こそが必要だ。この沈みかかった船という国の現状で、舵取りに不安を覚えていた騎士に己の優秀さを喧伝し、綿密に計画を立てた。

 例えとして、仇国フランスの英雄を上げるのは不愉快だが、かのナポレオンのように寝る間も惜しみ、夢の中にまで考えた。

 己にしか、出来ない。させない。止めさせない。

 現女王は、この歴史の中でも上位に入る名君であろう。傲岸不遜で、慈悲深く、伝統に囚われず、何よりこの英国を愛していた。

 だから、

 

 ここで己は、母を超える。他の誰でもなく己の手で母が築き上げたものを壊す。

 

 

 

 狙撃用の<ロビンフッド>が直撃する寸前、何かがインデックスの視界を遮った。

 きらきらとまばゆい、白い輝き。内から光を発するそれがインデックスを守った。これは……氷?

 

「会話もなしに狙撃。あなた方に言葉を交わす考えはないのですか『騎士派』」

 

 その前に立つのは、神裂火織。

 構えるは、白い紋が走る黒鞘の長大な太刀。暴力的な魔力、そして剣気。

 天草式十字凄教の女教皇で、東洋の<聖人>。

 

「であるなら、こちらもあなた方の言葉を聞かなくてもよろしいですね」

 

 <七天七刀>の鞘に印された『白閖(しらゆり)』の紋に魔力が通り、蛍火のような光が灯った。

 そして天上に愛刀を掲げた瞬間、大気が、風が、空間そのものが、文字通り『凍結』した。

 神裂の頭上に、沈む夕日を割断するように、巨大な氷柱がそそり立つ。

 空気中の水分を瞬時に氷結させたのか。冷気と共に死の凄味を放っている。何人かの騎士が後ずさり、腰を抜かす。

 大天使<神の力>の<水翼>に匹敵する<聖人>の、いや、天草式十字凄教の力。

 

「怯むな! 向かえ! ヤツはひとりだ!」

 

 と鼓舞するも。

 氷柱が砕け散る。

 キラキラと神秘的な音を響かせながら、氷霧となって、戦場の狂気で熱せられた生ぬるい風に溶けていき―――ここら一帯を、雪原に、氷海に塗り替えた。

 

「あ、足が……っ!」

 

 核となる<聖人>を討とうと進撃しようとして、異変に気づく。足が動かない。ピクリとも。

 見ると、具足が凍りつき、地面に張り付いていた。

 立ち竦む騎士たちに、神裂の鞘打ちが浴びせられ、足下の戒凍の氷が砕け、雪原に埋まるように転がっていく。

 

 そのぶつかった騎馬に跨るのは、第二王女、キャーリサ。

 この魔性の凍気になお冷めぬ笑みを、その顔に浮かべている。

 

「その馬鹿げた指令を今すぐ撤回してください」

 

「聞き捨てならんな。本気で第二王女たる私に―――英国に歯向かうつもりか」

 

「そんなつもりは毛頭ありません。ですが、この子が殺されようとしているのを、黙って見ていられるほど、私は寛容な人間ではありません。あなたの独断的な横行は、学園都市との関係に亀裂を生みかねません」

 

「その平和主義で、この惑星規模の戦乱を生き抜くための国の舵取りを誤り、滅びゆく運命となったというのに。『王室派』が『清教派』の助言を何でもかんでも聞くのは大間違いだし」

 

 付き合ってられない、と馬から降りずに適当に言い放つキャーリサ。その遥か斜め後方から、

 

 

「であるならば、ここは『騎士派』の長たる私めが、『清教派』の<聖人>を片付けておきましょう」

 

 

 時速500km以上の速度を持って、着弾するように。神裂からキャーリサを庇うように間に躍り出る。

 普通の人間ならば、間違いなく勢いに耐えきれず、半径数mのクレータを作り、沁みのように潰れていただろう。

 しかし、その人物は、ふわり、とまるで羽毛のように柔らかく着地していた。

 演舞のように分かりやすい格闘パフォーマンスではないが、しかし目の前で起きた現象にはひとつひとつの動作に人並み以上の技術が盛り込まれている。

 <聖人>の戦闘力に動揺が走った騎士たちは、それを見るだけで、自然と持ちなおす。

 

 『清教派』に怪物がいようと、『騎士派』にはその怪物さえ屠る正真正銘の騎士――騎士団長(ナイトリーダー)がいる。

 

「私を『騎士派』に勧誘していたのは、こうなると分かっていたからですか」

 

「貴婦人として過ごしてほしかった、という言葉は別に嘘ではない。だが、どうやらそれも手遅れのようだ」

 

 剣と刀。2人の実力者が睨みあう。怯えたように空気が震え、どこからか地鳴りが響いてくる。圧倒的な力と力、最強と最強の対峙に、インデックスは奥歯を食い縛った。気を抜けば、気力を根こそぎ奪われそうだ。

 そんな中、第二王女は変わらず、

 

「遅いぞ、騎士団長。<聖人>との会話よりも先に優先すべきことがあるだろーが」

 

「はっ! 失礼しました、キャーリサ様。では、これを」

 

 手に持った四角い鞄――<大船の鞄>と、その鍵を第二王女に差し出し、キャーリサの手により錠が解かれる。

 途端、鞄の表面の寄木細工のような複雑に入り組んだ構造が紐解かれ、膨張。二倍、三倍、ついには十倍に。変形しながら巨大化する木材の塊は、最終的に巨大な木船の形に落ち着く。

 その中央に収まるよう置かれた一本の、刃も切っ先もない剣。

 キャーリサはそれを掴むと鼻で笑いながら、指揮棒のように振るう。

 

「ふむ。調子は悪くないが、<カーテナ=オリジナル>……その形状から、慈悲の剣などと呼ばれてるが、果たして真実はどーなのやら。むしろスッパリ即死できない分、余程残酷な作りをしてると思うけどね。ああ、英国の伝統を嫌う私からすれば、むしろ率先してへし折ってやりたいところだが、新体制を盤石に固めるまでの間は、活用させてもらうとしよう」

 

 紛い物ではない、本物の『選定剣』を手にした今、キャーリサこそが英国元首。<英国女王>エリザベートではない。

 彼女の先導によって国は動く。

 まずは、『王室派』と『騎士派』が間接的に働き掛けることで、ドーヴァ海峡に駆逐艦を配置。フランスの最大の頭脳を持つ軍師の拠点であるヴェルサイユへバンカークラスターのミサイル――地上50m級のシェルターさえ貫通し、特殊子弾が200発ばら撒かれる爆弾弾頭――を撃ち込めるように。

 むろん、そのほとんどがローマ正教の息のかかったEU加盟国から、兵器の禁止条約が結ばれているが無視する。ちょうどいいので、その他、他国との条約も全て確認し不要なものは破棄。手を切り、確固たる立場を作る。

 確かにEUから独立すれば、経済物資と大打撃を受け、一時的な混乱が起きるだろうが、独立した英国が戦争の勝者となれば、全てが変わる。ヨーロッパの中心をローマ正教ではなく、イギリスとする世界を構築できる。

 

「さて、問題は母上と我が姉妹――それに『学生代表』だな。<カーテナ>の使用権を制限するためにも殺しておく必要があるの。王族だけでなく、<幻想投影>もその対象だな」

 

 何気なしに、キャーリサは言う。

 <カーテナ=セカンド>を所有する<英国女王>エリザベートは魔術的な要塞でもあるウィンザー城に立てこもり、

 ユーロトンネルに同行しなかった第一王女リメエアは、素性を隠して城下へ赴き、恐らくロンドンかその近郊の隠れ家に身を潜めているだろう。

 『学生代表』は、処刑塔に幽閉されている。

 して、第三王女ヴィリアンはフォークストーンで『騎士派』が囲んでいる。

 <聖人>のシルビアは武者修行中で、他の<近衛侍女>はおらず、武装側近といえば、精々あの女騎士くらいなものだろう。

 他人を疑うより信じる方が得意な『人徳』の妹は、兵力を有することを嫌い、仕えさせているのはほとんどが魔術を見たことがあっても魔術を扱ったことがない平民……なんて、無能。

 

「潰せるところから潰すのが、戦の常道だしな。まずは、妹からにしようか」

 

 ふと、あの少年を思い出す。王室に喧嘩を売った愚かな兄ならば、己を見て、どうするだろうか。<天使長>を相手にでも、その愚を貫き通すか―――なんて、愚問か。

 

 

「で、鬼ごっこの準備は済んだか」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「インデックス。魔術の解析を申請します。『王室派』からの圧力で10万3000冊に偏りが生まれ、<カーテナ>関連の術式は記憶されていない可能性もありますが、既存の魔術知識のみで再分析は可能でしょうか?」

 

「制御を奪うか、封じるかだね。……でも」

 

 『清教派』と敵対すると判断し、神裂火織とインデックスは、久しぶりに<必要悪の教会>として組む。核兵器と称される力が、核兵器と称される知が。

 しかし、相手は<天使長>の力が宿る『選定剣』だけでなく、その<天使軍>と対応させられる配下である『騎士派』までいる。対し、実質こちらが戦えるのは神裂だけだろう。

 いかに<禁書目録>のサポートがあろうと、彼らからは逃げるのさえも困難―――神裂一人ならば。

 

「私一人ではありません。今の私には背中を預けるに足る仲間がいますから」

 

 背後にはドーヴァ海峡の背水の陣。

 それは群れなす騎士の軍勢を前に、インデックスを庇う神裂が単身で立ちはだかる構図。

 

 ―――今、神裂火織は、新生天草式十字凄教の女教皇は単独なのか。否!

 

 

『おう。我ら天草式十字凄教ここにあり』

 

 

 騎士団長が目を見張り、彼女の周囲に立ち現れた蜃気楼のような影を凝視する。1つではない。2つ、4つと倍々に増やす朧な影が雪原から氷海から次第に色と厚みを備えて浮かび上がる。

 建宮斎字が、牛深が、野母崎が、諫早が、香焼が―――計25、天草式十字凄教の半数がそこにいた。

 それでも数の不利は覆せぬが、士気は同等に高まった。

 

「『偽兵』か!!」

 

 これほど多くの人間が転移できるとは考えられない。

 ならば、彼らはこのフォークストーンまで同行していたのだ。用兵の1つで、大軍を寡兵にみせ、寡兵を大軍に見せる。

 そう……確か、彼ら天草式は『隠密』と『偽装』を得意とする。ロンドンから『清教派』天草式の動きを注意深く報告させていたが、『幽屋』などの結界で詳細は分からず、監視は半分いないとは最後まで知ることができなかったようだ。

 しかし、警戒し、保険をかけていたとすると、『清教派』はこちらの企みを――最後の5個目であり、終着(ゴール)である<大船の鞄>を持つフォワードが『騎士派』であると――看破していたのか。

 

「これは貴様ら『騎士派』の失態だな、騎士団長」

 

 キャーリサは笑う。だが、騎士団長は否定する。

 

「いえ。この程度の雑兵、物の数にも入りません」

 

 何故、ここに天草式しかいないのか。

 古参の魔術師を罰する魔術師がいないのか。

 答えは簡単で、彼らは『魔術師を罰するが、騎士を討つことができない』と力関係が分かっているからだ。

 

「彼らは表に出るべきではなかった。前に立つなら最低でも、『清教派』の長が来るべきだった」

 

 ぞわり、と。

 神裂と対峙するよう先頭に立つ騎士団長の体から放出される、見えない何か。

 それは―――絶対的な力。

 

「いや、どちらにしても同じことか。この英国内で、『清教派』が真正面から戦った所で、絶対に『騎士派《我々》』に勝つことはできないのだからな」

 

 英国の三大派閥『騎士派』の長<騎士団長>としての自負と自信。小細工な策を用いようと、最後に勝敗を決するのは力。

 『王室派』を敬っているが、暴力ではこちらが勝り、『清教派』では役不足。

 

「キャーリサ様は先へ行くべきと、進言させていただきます。欺かれた泥は、我々の手で拭いましょう」

 

 王の素質はあれど、今初めて手にし、まだ『選定剣』をものにしていないであろう第二王女と、<禁書目録>による妨害による暴走を考慮したのだろう。

 また、騎士団長は第三王女にはその力を発揮できない。心情的な理由からではなく。

 キャーリサはほとんど唇を動かさずに、

 

「できるのか」

 

「この私が<聖人>程度に負けると思いで?」

 

「“ヤツ”が、フランスで少女一人に負けたと聞いてるのだろう?」

 

 それはこの男の琴線にかき鳴らしたのか、感情を消しても、目が鋭く細まる。

 <騎士団長>は、あの時から、英国の誰よりも過酷な戦いに身を投じ続けてきたという自負がある。

 今のキャーリサの言は幾ら剣を預けた主といえど、その誇りに抵触しかねないものだ。

 

「私は、“あの男”とは違います。何なら、『学生代表』も討ちとってみせましょう」

 

 投げかけられた言葉に、キャーリサの肩が動いた。

 くっく、と愉快なジョークを聞いたように笑う。安堵ではなく、恐怖を与える笑顔。

 

「そうかそうか」

 

 肩をすくめると、<カーテナ=オリジナル>を鞘に納めて、騎馬の手綱を引く。

 

 

「許可しよう。この国家元首キャーリサの剣として、必要な分だけ障害を払え」

 

 

つづく




あけましておめでとうございますm(_ _)m

修正と改訂が難航していますが、投稿はなるべく途絶えないように頑張ります。

では、今年もよろしくお願いします。

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