とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 破天荒

英国騒乱編 破天荒

 

 

 

 

 

 主戦場を離れた森の中。

 

『……ぁ』

 

 かすかに、呻きをこぼす。

 少女は、まだろくに声も出なかった。

 この奥に宿している『何か』が蚯蚓のカタチとなり骨と肉の間を掻き分けるようにして、この小さな体を侵食していく。

 体が、燃える。

 熱いなんてものじゃない。

 まるで溶岩でもねじこまれたよう。

 脳髄が崩れて、神経が溶けていく。

 喉から器官までも焼かれたように熱く、呼吸することさえままならなかった。

 

『……――……さん』

 

 やっと、声が出た。

 揺れる視界。

 鬱蒼と茂る森の中に、相手がいた。

 騎士の追手ではない。

 危急を感じ取り駆けつけた彼女が、そこに佇んでいたのだ。

 

『――……』

 

 と、女教皇は名を呼んだ。

 まるで、初めて出会ったかのように。

 その意味、今の彼女の視線がどこに向けられているのか分からないほど、少女の頭は活動を停止していない。

 

『その、背中に生えたモノは、一体……』

 

 静かに、訊いた。

 問答など後でもできることをしている余裕などないはずなのに、不思議に思ってしまう。

 人でないことではなく、『まだ人のカタチを保っている』ことが不思議でどうしようもなくて。

 

 女教皇が知る東洋の知識の中にある、<仙人>に、この少女は属するのではないか。

 鳳凰が棲む伝説の山に住まい、『羽人』とも呼ばれる人を脱した存在。

 『天仙』、『地仙』、『尸解仙』、と。

 東洋における<仙人>のランク。その人間が到達しうる限界点は、『地仙』。

 でも、この翼は、最上位たる『天仙』に限りなく近い。

 この神話の最高位の霊的存在は神ではなく、仙人であり、翼をもつ『天仙』とは、その神よりもさらに高みに置かれる存在――すなわち、『神上』。

 

 ただし、その結末は、個としての自分が消えて、完全に自然と、この星と同一化してしまう。

 

 ひょっとすると、この瞬間も、彼女はゆっくり消えていく最中なのでは?

 

 

『私は……ずっと……守られて……た』

 

 

ロンドン

 

 

「うおお!? 何だ今の!?」

「人影っぽいのが頭上を通ったぞ!?」

 

 

 甲高い音の塊が移動する。

 

 

 騒ぎから逃亡。

 音の正体は、建物に設置されている防犯ベル。それがビル3~4階の高さで、垂直跳びで3mもいってしまう少女が次から次へと建物のガラスを割りながら飛び移って移動するため傍から見ると『音の塊が移動しているように』見えるのだ。

 どうやら建物は無人の商業ビルのようで怪我など人的被害はないようだが、『人払い』など気を配っておらず、逃げることに全力だ。

 

(ええいっ!! 大雑把な奴だな! とても潜伏活動している魔術師には見えない!!)

 

 それを追って、ビルとビルの間の細い裏通りを走る上条当麻の耳にコール音がこだました。

 見れば、その耳に耳栓のようなものが入っているもこれは、学園都市製のコードレスイヤホン。万が一の際、両手が塞がっていても会話できるよう、骨伝導――外耳道を直接震わせる軟骨伝導仕様である。

 

『もしもし。そちらは上条当麻様で合っているのでございましょうか?』

 

 のんびりとした天然マイペース。

 その特徴のある声を聞いて、当麻は『おや?』と、すぐに脳内に思い浮かんだ。

 

「ありゃ、もしかしてオルソラなのか?」

 

『はい。そうでございます。此度は、妹様が大変な目に遭われて。こちらもシスター一同嘆願を―――』

 

「ありがたいけど、今はそんな悠長に付き合ってられる状況じゃねぇんだ」

 

『あら。こちらの配慮が足りませんでした。お忙しいようでしたら、イギリス清教からの伝言はまたあとで―――』

 

「待てオルソラ!! それって、今事件に関わる重要情報を何だろ? 手短に頼む」

 

『そうでございましたね……。では、今から言うルートを覚えてください』

 

 オルソラのふわふわとした声に、芯が通る。

 

 

『<新たなる光>の新情報と、これから一気に追い込みにかける捕獲作戦についてお話しします』

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「最後の最後まで、この鞄を手放しませんでしたか……」

 

 肩口から斜めに残る、痛々しい焦げた打撃痕。ベイロープが直前にしたことは、逃げることでも、反撃することでもなく、カバンを身を呈して庇ったことだった。

 この作戦に命をかけているとは、嘘偽りがなかったのだろう。

 もし、まだ意識があったとすれば、自ら口封じに自害しかねないと思わせるほどに。

 

「……、」

 

 香椎は、その手をベイロープの胸元にのせた。

 応急処置を、俗に手当てという。

 この場合、その語源ともなった、手を当てることによって生命力を賦活せんとする魔術であったろうか。

 それから息吹。吐息は、東洋における魔術の基本であり、穢れを吹き流すことで浄化し、血の流れを復する。

 今の自分に消耗した生命力までは供給できないが、功を奏したのか、彼女の顔色はゆっくりと回復していった。

 

「無駄遣いは改めるようにと、言ったはずですが」

 

「無駄じゃあないですよ。“視る”ついでに借りたものを返すだけですから」

 

 協力者の浦上に小言をもらった後、彼女にベイロープの身柄を預ける。

 それから、戦利品のひとつである四角い鞄を中央に据えるように周りに、鋼糸で陣を地面に敷いていく。

 

「こちらの推測通り。この鞄は元あったカタチから無理矢理にカバンの形状にしたもの。その冠した『スキーズブラズニル』、主神オーディンが率いるアース神族を全員乗せることができる乗り物の名の通りに、元のカタチは船。折り畳めば袋の中に収納できるサイズになると伝承もありましたし、間違いないでしょうね」

 

「その神々の船を基にした鞄を使い、彼女らは一体何を……」

 

「この(カバン)の中に入れたモノを同じ船へと転送できるようです。その輸送する『何か』まではわかりませんが」

 

「だとするなら、<新たなる光>は確か4人……4つ全ての<大船の鞄>を確保するまで安心できません」

 

「おそらくは……でも、点と点とを結ぶ線の転送ならば、魔術的にパスが繋がっています。ひとつ確保しただけでも芋蔓方式で犯人を見つけられるでしょう」

 

 張り終わり、パンパン、と手についた砂埃を払う。

 

「これは、陰陽術、ですか?」

 

「ちょっと変則してますが、数km圏内の魔力の送受信を辿る探査術式(ダウジング)です。本当は折り紙でしたいところですが、針金細工で代用しました」

 

 見れば、円を囲む四方それぞれに、鋼糸で籐編みでもしたかのような立体物、縦横に輪を描き、複雑な輪郭を形成した竜、亀、虎、鳥の鋼糸模型が配置してある。

 

「これまた、器用に……」

 

「編み物は得意ですので」

 

「そういうレベルじゃない気がしますが。ええ、もういいです。ここからは私がやりましょう。詠唱を教えて下されば、あとは魔力を込めるだけで私にもできます。あなたは、そこで休んでいてください」

 

 仕組みを把握した浦上が、押しやるように香椎をどかすと、陣図の前に片膝をつき、人差し指と中指だけを立てる剣印を結んで、鋼糸に魔力を通していく。

 すると、東西南北を司る四つの模型が歩き始め――段々と早く――円周状を走るように回り始める。

 

 

「風を伝い、しかし空気ではなく場に意思を伝える」

 

 

 <新たなる光>ベイロープの持つ<大船の鞄(スキーズブラズニル)>を起点に陰陽道の探索術式――<理派四陣>を展開する。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 裏路地の壁や、街路樹を飛び回る、その身軽さは軽業師も顔負けの芸当。

 それも、<新たなる光>レッサーは芸達者なだけでなく、見えない位置にいるはずの追走者の行動も正確に把握していた。

 

(見たところ、魔術師でもイギリス人でも、日本人街に住んでいる移民ですらないご様子。イギリスについてそれほど知っているとは思えない“参加資格がない”)

 

 だけど、第零聖堂区と共闘しているところを見ると、たかが観光旅行に来た一般人ではない模様。これでは、変に首を突っ込んでさっさと帰れと忠告できない。

 かといって、明確な悪人でもない人間を進んで殺したいとは思わない。

 

(ともあれ、逃げ切れば関係ないと思っていたんですが、ここまで私を見失わずに“鬼ごっこができている”。その事実は面倒ですね)

 

 普通、空を飛びまわるものを、地べたを這いずり回る人間が追いかけるはずがない。

 ある意味、独学で磨いた彼独自の『パルクール』。

 元が兵士の障害物訓練なこの競技は、周囲の環境を利用して、昇ること、走ること、跳ぶこと、バランスを取ることの移動操作には、どんな地形でも自由に動ける肉体と困難を乗り越えられる精神が必須である。

 破損したツールの支援はなくとも、それでも彼自身の性能(スペック)が変わるわけでもない。

 そして、その内面は体よりも強固だ。

 諦めず、空を飛ぶものを追い掛ける。

 それが、この少年の生き様を見せているようで。

 仕方ないか、とレッサーは、最終警告をすると決断する。

 

 

 

『女の子の尻を追い掛けるのがお得意のようで。私のスカートの中を覗いたことは不問にして、訴えたりしませんから、もう休んでくださいな』

 

「いきなり人を変態呼ばわりしてんじゃねぇよ!!」

 

 狭い路地に、当麻の怒鳴り声が響く。

 彼の前方に浮かぶ、握り拳大の小さな、目に口と顔の形に掘られたカボチャから聞こえる、ふざけた調子の幼い女の子の声。これが今追いかけている少女のものだとすぐに当麻は覚る。愚兄にも理解できるよう日本語で、道案内をするように。

 

『ありゃま。日本の男の子は、火の中、水の中、草の中、あの娘のスカートの中じゃないんです?』

 

「ねぇよ!! そんな痴漢国家じゃないからね、ニッポン男児は!!」

 

『走りながら叫ぶなんて元気が有り余ってますねー。そんな持て余し気味なあなたに耳寄りな情報。スカートの下から『尻尾』を伸ばしているわたくしレッサーですが、実はスカートの下はスパッツじゃなく直パンツです』

 

「降りてこい!! ちょっとマジで説教してやっから!!」

 

 こめかみに青筋を浮かべる当麻の怒鳴り声は、鳴らされまくってる警報の中を通る彼女のトコまで直に届くほど大声で。わおっ、と驚き歓声あげつつ、

 

『そいつは無理な相談ですよ。空気読んでください。これは遊び半分じゃないんですよ?』

 

「空気を読めっていいたのはこっちの方なんだがな! テメェらがスコットランドでヤバい霊装を持ち込んで、ロンドンで何かしでかそうとしてんのは分かってんだぞ!」

 

 だから、と言葉を切って、一拍。声質は変わらないのに、トーンが一段と落ちる。

 

『対岸の火事を眺めて憤るのは構いませんが、そのまま川に飛び込んで岸を渡ろうとするお人好しは早死にしますっていってんです』

 

 あなたは部外者です、という物言いに、しかし、当麻は逆に怒りを収めて、

 

「そうかい。ありがとな」

 

『は い?』

 

 虚を突かれたみたいに、打てばすぐに響くカボチャが静まった。

 そして、すぐその眼差しが別の感情が孕んだ。

 怒りであった。

 

『あなた、馬鹿です?』

 

 続く一秒で、少女はそんなことを口にしていた。

 

「ん? 何でだ?」

 

『だって、そうでしょう。あなたは単に巻き込まれただけなんでしょう。それなのに礼を言われるなんて、頭湧いてんじゃありません?』

 

 突きつけるように、言い放つも、

 

「そうか? 人に親切にされたら礼を言うのは、当たり前だろう。それに何かお前、結構良い奴っぽいしな」

 

 ずるっと。

 それがあまりに予想外の返答であったためか、レッサーは思わず足を踏み外しかけた。

 

『は、話を聞いてましたか?』

 

「いやだってな。わざわざこっちに止める理由を並べて、諦めようとするのは、どう考えても人が良過ぎると思うがな」

 

 なんだか、沸騰しかけていた怒りが、すっかり気の抜けた炭酸みたいになってきた。

 

『あなたの馬鹿さが我慢できなかっただけですが』

 

「ああ。だったら、きっと馬鹿なんだな。詩歌にもしょっちゅう言われてるし」

 

 真面目くさった感じに、当麻は同意して、

 

「けど、そいつは無理な相談だ。代わりに礼として、こっちも忠告してやるよ。お前の『尻尾』、猿みたいに一定の高さでバランスを取るための霊装(もの)なんだろ? っつうことは、ジャンプ力は凄いお前も、『一定以上の高さ』は怖い」

 

 レッサーは驚異的な跳躍力を誇るが、『下から上へ跳ぶ』のは得意でも、『上から下へ跳び下りる』衝撃までは緩和し切れない。

 高ければ高いほど、危険は高まる。

 

 

「もう一度言ってやる。そろそろ始まるから、降りてこい。あまり高い所から落ちたくないだろ?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 イタリアのローマほどではないが、ロンドンもガソリンスタンドよりも教会の方が多い。

 それはイギリス清教が国家と手を結んだことに成功した証であり、また“鐘楼も多い”。

 魔術的手順に則って街中の鐘を一斉に打ち鳴らせば、街に隠れる魔術師を隈なく叩きのめす大規模攻撃にだって転化できる。

 しかし、それでは使えない。

 軍であれ警察であれ、治安維持とはつまり“少数でも大多数の行動を制限する行為”、無害な魔術師も多く住んでいるロンドンで近所迷惑な騒音どころか、そんな無差別攻撃をすれば暴動が起きてかえって喉を絞めてしまう。

 

『<新たなる光>の2人の位置情報を確認。一人はポイント―――。もう一人はポイント―――。映像も転送します。任意のタイミングで撃破をお願いします』

 

 <鐘楼斉唱>などと呼ばれるトーキー=シャドウミントは、そんな鐘の音を扱うイギリス清教の魔術師だ。

 街の教会の鐘楼、そのさらに屋根の上に腰掛ける青年は、真鍮でできた杖――その先端に取り付けられた小さな鐘の通信霊装からの指示と映像を見て重い腰を上げる。

 

「りょーかいりょーかい☆」

 

 適当に嘯きながら、伝達された情報に合わせて、教会の鐘による魔術儀式を始める。

 除夜の鐘とあるように、元々、洋の東西を問わず鐘の音は広範囲で街全体の魔を払うと信じられており、『宗教による民衆の統治』の象徴として、仏閣や教会などが中央に据え置かれるのも外からの害意、異教の信仰を押し返すためだ。

 一方で、魔を払うために作られたものも状況次第では魔を呼び込むものになる。

 廃れた教会や仏閣の鐘楼を『良くないモノ』が打ち鳴らすことで、地域住民が苦しんだという伝承もあるとおり、理論を組みかえれば兵器にもなりえる。

 イギリス清教のトーキーは、それをさらに無差別から昇華させ、座標指定の精密爆撃に精神攻撃も可能にさせている。

 

「……さて、と。とりあえずこことここ、あとここら一帯の教会と修道院の鐘楼、と。こんな所か」

 

 教会の鐘には銘文が刻まれており、打ち鳴らせばその意味を音波に変えて街隅々まで浸透することができる。

 であれば。

 いつ、どこで、誰が、何を、どうしたとの『単語』で『文章』を作るように。

 複数の鐘の音を組み合わせや打ち鳴らす順番で、本来は独立している銘文という『単語』を複数繋げて、より意味を深めた『文章』にすることもできるし、『偽』と『善』、違う文字を繋げて『偽善』とするように本来の意味とは違う効果を生み出してしまう。

 

「神は罪人を見逃さない/我らが父は邪悪を許さず―――」

 

 ガシャン、と金属質な音を立てて、真鍮の杖の下端を鐘楼の屋根に押し付ける。

 通信だけでなく、杖の先端に付けられた小さな鐘の集合には『偶像崇拝』の理論が用いられ、音叉を特定の音波で鳴らすように、ロンドンの各々の鐘とリンクして遠く離れていても打ち鳴らすことができる。

 

「クソッたれ共。俺達<必要悪の教会>と、ここロンドンで鬼ごっこ(ゲーム)が成り立つとは思うなよ」

 

 

 

 聴こえた。

 空を滑空し、金髪爆乳女から逃亡していたフロリスの鼓膜にべっとりとへばりつく、音が。

 

 ―――……カアァァン……コオォォン……

 

 

 いや、違う。

 音なんてものじゃない。

 頭蓋を鐘楼に見立て、思い切りバットでぶん殴ったかのよう。

 思念に通る魔音のボリュームは瞬時に増大。一気にマックスをぶち抜けて、フロリスの脳髄を占拠する。

 振り切ろうにもこちらの逃亡ルートを空の上から俯瞰されているように、鐘の音と鐘の音の魔術反応から逃げられない。

 まるで空を自在に飛び回る孫悟空が、三蔵様に頭の輪を絞められたような、頭痛。とても、魔術に集中してられない状態のフロリスへ、止めを刺す、さらなる苦難が、

 

「ぎっ、がっ……まさか、逆探され―――」

 

「経験者だから語らせてもらうけど、それ、お姉さんでも逃げ隠れできないわよ」

 

 

 ゴッ!! と。

 背後から追い付いた<追跡封じ(ルートディスターブ)>オリアナ=トムソンが、高度が下がっていくフロリスへ横から思い切りドロップキックを放ったのだ。

 

 

 ベッコォ!! とサッカーゴールのネットをぶち抜くように建物の看板にぶつかり、フロリスの身体がめりこむ。

 完全に気を失った少女を見て、ちょうどすぐ近くにいた香椎はあらあらと苦笑を浮かべている。

 

「ご苦労様、と言いたいんですが、やり過ぎじゃありません? ホントに飛ぶ鳥を落とす勢いを体現してますよ、これ」

 

 今回人手が足りないということで特別にかりだされた人材は、かつて学園都市の大規模な体育祭<大覇星祭>で、相棒リドヴィア=ロレンツェッティと騎士『パルツィバル』と暴れた魔術系の『運び屋』。

 その実力は、戦闘は専門外だと言いながら、土御門元春、上条当麻の2人同時に相手にして弄んだほど高く、魔術なしの格闘技戦も強い、傭兵型魔術師の中でも群を抜いている。

 本人曰く、手足を失う覚悟でやれば<聖人>さえも討ちとれる。

 最終的にその野望は阻止され、身柄はイギリス清教に預けられたが、別にローマ正教に属しているわけでもなく、どの勢力に協力して誰と戦うかは本人の気分次第と自由気まま。報酬さえあれば誰とでも戦うフリーランスであることから、<新たなる光>の捜索隊に加わってる。

 

「大したことないわよこれくらい。どこかの可愛い女の子にもらったのと比べれば。顔に似合わず乱暴にリードされる前戯で激しく揺さぶられてから、最後にズドンッて。あのテクニシャンにはお姉さんも、一発でイッちゃたわぁ」

 

「はて? 誰でしょうか?」

 

 オリアナは、話す声も、歩く姿も、髪を払う仕草さえも色っぽい艶のあるグラマラスな大人の女性だ。敵にするのもそうだが、味方にするのも超危険だ。オリアナと組むのが女性陣だけというのはそういった理由なのかもしれない。

 

 

「とにかくこれであと2人……このままいけばいいんですが」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 建物から建物へと跳び移れるのだとしても、建物は道路の流れに沿って建てられるもので、どうあってもそこから離れることはできない。

 

「見つけました」

 

 <鐘楼斉唱>はその性質上、厳密な計算の下で範囲設定を行っているため、雑音が入ればその威力と精度は落ちる。

 幸いにも、警報の騒“音”と鐘の魔“音”でいくらか相殺されたが、それでも、この追い打ちを防ぐことは叶わない。

 <鋼の手袋>を建物の壁に突き刺し、崩れかけたバランスを保つレッサーの視界に、バイクを駆る槍手が現る。

 

「ここで、第零聖堂区ですか!」

 

 物理的に塞いでも関係ないとは分かっているも、耳を押さえずにはいられず、また、壁に差した『手袋』には、大事な鞄を引っ掛けている。

 <新たなる光>最強といえど、両手が使えないのでは、隙だらけ。

 槍を大きく振りかぶる。突く、ではなく投げる構えだ。五和の槍は海軍用船上槍(フリウリスピア)であり、投擲用ではない。重心の関係上、投げても軌道が安定しない可能性が高い。そこを、術式で補強する。

 

「―――聖エラスムスの風読みは危難の時に台風の目を正確に撃ち抜く者なり!!」

 

 犬歯で噛み千切った親指に滲むその赤い血で過去の<守護聖人>を示す記号を槍の柄に記す。

 荒ぶるビル“風”、揺れるバイクは“船”のよう。そして、投擲するは“海”軍用船上槍。

 <守護聖人>。十字教で、特定の職業・活動等とゆかりのある聖人、あるいは天使がそれを守護している思想。

 今、五和が命中率向上及び自動補正付加のために利用したのは、祈りを捧げて嵐から船を守ったことで、聖エラスムスは『船乗り』の<守護聖人>。

 

「はあぁぁぁッ!!」

 

 気勢一喝、バイクの勢いも加味して投げ飛ばした槍閃の一条は、少女の細腕をありえない飛距離を叩きだし、物理法則をも裏切る。

 風に流されるも、飛燕の如く巻き上がる。やがて竜巻を纏うようになった五和の槍が、レッサーの後を追尾していく。

 

 

 バンッ!! と<鋼の手袋>が弾かれ、<大船の鞄>が離れた。

 

 

 地面に落下した四角い鞄は衝撃にも耐え、ギリギリ紙一重で五和の槍を回避し、形状こそ無事だが、下には少年が駆けている。

 

「今です! その右手で!」

 

 五和の声を聞くまでもなく、ラストスパートとばかりに上条当麻は疾走する。

 

「このおっ!!」

 

 レッサーもそれを確認し、自由落下。重力に、その身を差し出す。しかし、『尻尾』を振り、その勢いの推進力で落下方向を修正し、当麻の真上に。

 

「文句はないですよね」

 

 突き出される<鋼の手袋>の四枚刃。

 しかし、レッサーは知らなかった。

 

「ああ、言わねぇよ」

 

 その右手には、<幻想殺し>という力が宿っていることに。

 迎え打つ当麻の拳が、レッサーの<鋼の手袋>の先端に直撃した途端、バラバラに吹き飛ばされた。その事実に驚愕するより前に、レッサーは当麻とぶつかり、そのまま地面をもみくちゃに転がる。

 最後、レッサーの抵抗を力で押さえつけてから、当麻は言った。

 

「終わりだ」

 

「……、」

 

「もう逃げられねーし、五和もすぐここにくる。もう、とんでもない力をもっていた、変な槍みたいな武器も失われた。……今のテメェなら俺だけでも十分だ」

 

 なおも未練がましく転がっている鞄の方へ目をやるレッサーだったが、そこで終わりを告げる足音が。

 自分を落とした天草式の少女だろう―――と思っていた。

 だが、2人の予想は外れた。

 突如として割り込んできたその声は、五和のものではなかった。

 

「これはまた、お取り込み中のようで、つくづく間が悪かったな」

 

 颯爽と現れたのは、女と見紛うばかりにたおやかな、長い金髪に綺麗な顔の男。

 

「遅かったですね、トールキン」

 

 レッサーが責めるように、

 

「ですが、間はいいですよ。それともフォワードのあなた達に迷惑がかかる前に、口封じしに来たんですか?」

 

 口封じ。それが何なのか、当麻には分からないが、その何かを諦めたような表情を見て察する。

 だが、つくづくその少年は予想を裏切る。

 

「ああ、そのことだが、そこらで監視していた奴らは全員お休みしてるぜ」

 

 なっ! とレッサーが目を丸くする。

 

「わかってんだろ? 俺がアンタらの言うフォワードとは関係ないのが。ま、同じ神様を扱ってるよしみだ。退職金代わりに助太刀してやる」

 

 

 ドッ!!! と躊躇なく。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一陣の風が吹き抜けた。

 最初に認識できたのは、痛みだった。

 通常は最後に把握すべき感覚が、最初にきた。

 痛さがやがて熱さに代わり、頭が揺れる感覚に代わり、ようやく、蹴られたのだと理解する。

 何も見えなかった。

 この『戦士』が足を振り抜いたのかどうかすら、把握していない。

 レッサーの上から蹴っ飛ばされ、またも地面を転がる。しかし、今度は受け身を取ることすらままならない。

 

「……っが、は!」

 

 それでも意識を断つことだけはしなかった。

 トールキンはそれを見て目を細め――直後、へぇっと表情を緩めた。

 

「あの不意打ちを受けて平気なんてすごいな」

 

「全っ然! 平気じゃねぇよ!」

 

 と咆えてみたが、冷たい戦慄が消えず、冷や汗が引かない。

 戦士の言葉はおどけているのに、顔はへらへらと笑っているのに。

 たった今の一撃は、間違いなく本物だった。

 だから、今も膝が震える。当麻は苦悶し――どうにか踏ん張りきって立つ。

 その間に、同じく状況の把握に努めていたレッサーも起きあがり、今の任務である鞄を最優先し、当麻を一瞥をくれた後、

 

「どうやら、運が悪かったようですね」

 

 ご愁傷様、と言い残し、レッサーは鞄を手に、立ち去った。それを当麻は目で追うこともできない。

 何故なら、この男の実力は……得体が知れない。あるいは底が知れないというべきか。とかく、別格だ。

 

「霊装をぶっ壊したとこ見てたぜ。そして、その鞄をぶっ壊すんじゃなくて、女の子を受け止めることを優先したのもな評価高いぜ。いやあ、本気で格好良いと思えるヒーローだよ、あんたは」

 

 バヂィ!! と炸裂する鋭い音共に、その指先に何か青白く輝くものが飛び出す。

 それは、分厚い鋼板さえも断ち切る、アーク溶断にも似た灼熱の雷光。

 

「けど、その右手にも興味はあんだが、今回はお前の妹――上条詩歌に用があるんだ」

 

 語りながら、当麻に近づく。

 

「聞けば、処刑塔に閉じ込められているそうだが、どうも怪しい。俺が聞いている、いやそうであれと期待している上条詩歌は、こんな時に大人しく寝ているようなタマじゃない」

 

 テメェが詩歌の何を知ってやがる、と言いたいところだが、それは“正しい”。

 

 

「だから、お前を適当に苛めれば出てくるかね」

 

 

 横殴りの一撃だった

 10cm。剣ほどの大きさになった電子溶断ブレードは、これまた躊躇いなく当麻の首元へと叩きこまれる。

 その閃光は爆発的に広がり、破壊を撒き散らし―――そして、霧散した。

 鋼鉄を突き通す剣だろうと、幻想である限り、その右手は、何も突き通さない盾に等しい力をもつ。

 

「……パターンオメガだな」

 

 荒い息を吐きながら、この場で機を窺い隠れ潜んでいるであろう彼女へ言う。

 

「五和!! 先に<新たなる光>を追え!! コイツの相手は俺がする!!」

 

 当麻の予想――信頼通り、すぐそばまで回収した槍を構えていた五和は、襲撃者に放とうとした術を中断する。

 逡巡したのか、数瞬後に、離れる足音が聞こえた。

 当麻と同じ信頼からではなく、あからさまな殺意で覚っていたトールキンは、レッサーを追う五和に対して追うことも意識を向けることもせず、当麻に全てを向ける。

 

「ったく、俺の妹にちょっかい出すヤツが多過ぎて心底腹が立つ」

 

「やめとけよ。本来ならアンタとはちゃんとした形でやりたかったんだ。打ち消す力があっても、よれよれじゃあ、ハンデがあり過ぎる。後日、日を改めて」

 

 から、と言い終わる前に、飛び出していた。

 まだ回復し切っていないはずの上条当麻が。

 先と同じく、溶断ブレードを弾き散らすと、懐にダッシュで潜り込み、だが、そこで体力が続かない。体が言う事を聞かない。そして、相手はそれを見逃すほど甘くない。

 この男が取り扱うのは暴力は、殺人の更に先にある。

 

「だから、微温(ぬる)いっつってんだ!」

 

 またも迫る上段蹴り。

 対し、立て直してすぐ当麻はやわらかく構え、相手の攻撃を今度こそ受け止める体勢で待ち構う。しかし、その蹴りは途中で止まった。

 タイミングが外され、当麻の身体が泳ぐ。そこに再び最高速に達した蹴りが炸裂。

 吹っ飛ぶ当麻。額が切れ、血が飛ぶ。あるいは、頭蓋が砕かれたか。

 当麻は石畳の道の上を転がり、動かなくなった。

 

「クソつまらねぇ弱い者いじめなんかしたくねぇんだよこっちは」

 

 止めに、踵落としとばかりに足を振り上げ、

 

 

 そして、その首筋へ蹴りが突き刺さった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ビリヤードの球みたいに、“トールキンが”対面の建物へ弾かれる。運動エネルギーを渡し切ったのか、蹴った本人は軽やかに宙返りしてから、空中に静止。

 

 

 尼僧のように大布が巻かれ、その面相は目元しか窺い知れず、背――その肩につけた金属パーツから翼が生えていた。

 まさしく、少女は霊鳥であったか。

 <木蛇の翼《ヴィゾーヴニル》>。

 世界樹(ユグドラシル)の最も高い枝に留まる霊鳥、その輝く身体は太陽の如く樹界を明るく照らし、その浴びた光で世界樹を空に浮遊させる。

 その肉片は眠りの呪縛を解き、忍び寄る悪霊を追い払う浄化の力もあり、『レーヴァンティン』でしか滅することはできない。

 ほとんど破壊不能な(エーテル)体の光翼を生やし、一時的に術者とまた指定した者へ飛行魔術を帯びさせる<新たなる光>の構成員の一人、フロリスの『翼』。

 それを<追跡封じ>のオリアナ=トムソンに倒された彼女から簒奪し、使いこなす。

 白い翼は、神話を思わせて、軽やかに羽ばたいている。

 

「……この、馬鹿、……」

 

 ひゅー、ひゅー、と肩で息をしながら壁に寄りかかる当麻が後背を晒す彼女を見上げる。

 振り向くことなく、ただその中指が、頬を掻き。

 

 がごんっ、と瓦礫をはね飛ばし、向かいの建物でトールキンが立ちあがった。

 

 後頭部から赤い血……ただし、表面を少し切った程度だ。

 不意打ちといっていい一撃をもろに食らったのに、ピンピンしている。

 

「ったく。一応、周囲に警戒してたんだが、不意打ちされちまうとは。しかも、それ<新たなる光(あいつら)>の霊装じゃ……」

 

 2つ取り出した緑の十字を1つだけ口に含む。

 

「……確か、大変人気のある北欧の雷神は『神の子』と同じような役割をもつとされ、その槌は十字架の代用としても使われるようですね。であるならば、逆もまたしかり」

 

「ん?」

 

 ビリヤードのショットの構えのようにすっと金属シャフトの先端に指を滑らせると、<鋼の手袋>の四指に、袖内から取り出した四葉の十字架をぐっと握らせており、

 

 

「―――シモンは『神の子』の十字架を背負う。して、『神の子』の十字架は雷神の戦鎚を模す」

 

 

 オン、という震動。

 

 同時、周囲の大気が――霧の街と呼ばれるその土地の魔力が渦巻いた。

 その結果を、戦士は自分の身で思い知った。目に見えぬ“十字架”の重圧。

 異様なまでに凝縮された霧は―――ありえないほどの干渉力を持つに至り、その身体を全ての方向から内へと等しく圧することで束縛していく。

 最期の時、『神の子』は自身を縛する十字架を背負うだけの体力がなかった。彼に代わって、シモンという男が、十字架を背負って、処刑場の丘まで運んだ。

 この術句は、『装備品の重量を肩代わりさせる』

 そして、『偽装』による代用をすれば、雷神の鉄製の手袋に握らせることで意味を深め、この十字架を『神々の中でも持てる者はほんの一握りとされる重厚なる戦槌』と見立てることができる。

 つまり、トールキンは、神々でさえ剛の者しか持てぬ戦鎚の重量を受けている。

 

「―――だったら、俺が持てて“当然”だっ!」

 

 だが、一瞬だけ片膝をついた戦士は誰に勝るとも劣らない怪力で破ると、その場からすぐに跳ねるように駆けていた。

 <新たなる光>の武具を扱う僧侶の元へ。

 

(ハッ……! コレは極上だな……!)

 

 僧侶に動揺はなかった。

 戦いの最中の混乱は、不利を招くことはあっても勝利を呼ぶことはないのだ。

 続け様に、右片翼が高く薄く伸び上がった。鋭利な剣を思わせるフォルムの光翼は、空中で直角に折り曲がり―――

 

 ジャッ! と空気を切り裂き、雷霆の如く突進。

 

 戦士は予想以上の敏捷さで上体を傾けて避けようとしたが、一条の光線と化した翼はその動きに追随し、緩やかな弧を描いて方向修正。

 それを今度はその五指から飛び出す閃光の刃で一度弾き逸らしてから、横から鷲掴むように挟んで阻む。

 

 ギャリリリッ!! と急ブレーキをかけられたかのように火花が散る。

 

 10cm以上の鋼板を金魚すくいの紙のように引き裂くアーク溶断を受けても、光翼は曲がりもしない。掴み止めることはできたが、<木蛇の翼>は『最強の武器(レーヴァンティン)』でしか滅せない。

 

(パワー不足だ。『ミョルニル』がいねぇんじゃ、コイツを壊すのは無理か)

 

 弛んでいた意識を切り替えたトールキンは、瞬時に敵の実力を把握する。

 しかしそれは、尼僧の少女も同様だった。

 

(止められた……?)

 

 自分の実力に自惚れていたわけではないし、借り物だが、よもや単なる力技で光翼を止める者がいるとは思わなかった。初撃は加減していたが、二撃目を止めたのは実力だ。

 尼僧の少女は即座にトールキンを強敵と認識を改め、力を抜く。

 霞みのように空に溶け込む霊体の翼、綱引きと引き摺り下ろす前に青白い閃光から伝わる手応えは消える。

 トールキンは即座に立て直して実体化すると悟り、ならばそれより速くと距離を詰める。

 霊体化したせいか、浮力を失った彼女の体は自由落下を始めている。

 

(力じゃ敵わんとみたんだろうが、そいつは下策だろ)

 

 打鞭のように撓る光翼は確かに脅威だが、距離を詰めてしまえばどうということはない。トールキンは光翼が実体化する刹那を狙い、大地に発破をかけたような踏み込みで肉薄する。

 溶断ブレードは攻撃だけではなく、足下から空気を爆発的に膨張させることで加速する電子ブースターと移動手段にも応用可能だ。

 撃鉄を落したかのように加速と同時に伸ばされる腕から、大気を焦がす勢いで伸びる雷光の指突。

 並の敵が相手ならその風圧だけで決着がついていただろう。

 しかし尼僧の少女はそれを読んでいたかのように、布束から飛び出す『角』――<知の角杯>の周囲に無数のルーン文字が躍る。

 

「―――っ!?」

 

 気がつけば、真横へ飛び退いていた。

 意識よりも尚早く反射で身体が動いていた。指突の手とは別のもう片方の手から電子ブースターが急噴射し、間一髪で回避。

 待ち構えていたかのように指定範囲を設定。緑色の不自然な落雷が男を狙い極一点に落されたのだ。

 それも範囲攻撃を、精密射撃。

 不意打ちとはいえ恐ろしい呪的技術と術式速度である。更に体勢を崩した所へ、

 

()()()()―――」

 

 着地と同時、(アギト)に緑光が集う。魔力を圧縮する乱回転。その魔雷球、咥える顎を支える指揮棒を振るう。360度円を描くように。

 すると魔雷球が大きく揺らぎ。ぶれるようにその数を増やしていく。1つが2つ、2つが4つ―――最終的に8つ。飛ばしてトールキンを八方に取り囲む。包囲した。

 この状況、並の相手ならば白旗上げて降参だ。

 しかしこの男の出鱈目さ加減は更に上にあった。

 この程度の電撃網では不足である、『雷神』には喰い足りないとばかりに、獰猛に―――嗤う。

 

「『手袋』、『角』に『翼』と見事に使いこなしてんな。だが、もともとこっちはそいつら4人まとめてぶっ飛ばせるんだよ」

 

 両手から一瞬のうちに、電子ブレードが伸長し、10mを超える。両手の指の数は計10本――電子ブレードもまた10本。そして、指一本で一つと対応しても、八つならば指二つ余る。

 魔雷球を、より出力を増した雷光の指突があっさりと貫通。更にその衝撃で巻き起こりかけた爆発さえも指一つで爆風ごと刺し貫き、飲み込む。

 ついでにとばかりに、残り指二本が挟み撃ち。僧侶の足場ごと吹き飛ばされ、左右逃げ場なし、上空しかない。為すすべもなく宙を舞う。トールキンはこれを絶好の機会だと悟り、追撃を仕掛けようと天を仰ぐ。

 だが一手遅い……指一本足りなかった。

 

「だったら、こっちもぶっ飛ばして差し上げます」

 

 宙で身を翻した僧侶は、次の瞬間には<鋼の手袋>を構えてこちらを狙っていた。

 もうすでに、電子ブレードの指一本を、知恵がつき属性が強化され、雷電さえも掴む手袋が捉えていた。指全てを捕まえるのは無理だが、一本ならばできる。

 それから思い切り捻った体の力を解放。独楽回し(スピン)

 

「っ、こんにゃろ!」

 

 身体が、“羽のように”軽い―――いや、宙に浮いている! いつのまにか霊体のままの光翼が背中に接触していた。

 比類なき強力があろうと、地に足がついてなければ、その力も半減だ。そして、何より“重さがない”。

 伝承で『<木蛇の翼>の光が、世界樹を宙に浮かす』――道具は、その意味を把握する使い手によって効果は様々だが、<知の角杯>による補助もあり、彼女はただの飛行術式ではなく、物の重さ、つまりは『質量を増減』させる。

 質量を操作させることで、体重を零から数百kg以上に切り替えられる。

 

 ―――それが怪力乱神を振り回している原因だ。

 

 本来ならば質量の大きさに比例して、初速を高めるためには大きなエネルギーがいる。豆鉄砲と大砲で、弾丸を撃ち飛ばすのに必要な火力に差があるように。

 だが、質量を増減できるのならば、豆鉄砲でも大砲と同格の威力を発揮できる。光翼に超重量の質量を付与させれば、攻撃の手段としても扱える。

 回り出しの加速が身体能力頼みだとしても、その体重が零ならば発生する速度は計り知れない。充分な初速を得た後に、今度は重量を増加させる。

 しかしそう気づいた時には遅い。

 突風。

 酩酊と浮遊感。

 そして、

 

「ぐっ……―――」

 

「―――エイヤッ!」

 

 指一本分の電子ブレードを『ハサミ』でもぎ取られて、メリーゴーランドというよりジェットコースターな勢いで振り回されたあと真上へ。空の彼方へ錐揉み回転に投げ飛ばされる打ち上げロケット。

 

(この俺が、跳ばされた!?)

 

 思考よりも早く、脳と内臓が揺らぐ。

 煉瓦の道路が瞬時に遠ざかる。ほとんど砲丸投げの鉄球。視界と血液まで強烈な加速度(G)で、黒く偏光(ブラックアウト)し、意識があっという間に遠ざかる。

 物理的にも、精神的にも、天に昇らされた。

 

(ま、ず―――)

 

 完全に気絶する瀬戸際で、本能が押しとどめた。

 先程と立場が逆転。だが、空を飛べる羽もない者に、宙は無防備。このままだと、決められる。

 だから、無理矢理この流れに逆らう。

 また十指から電子ブースターが爆発。

 

 幸い空には何もないので、思い切り抑え込んでいた力を少し解放しても大丈夫だ。

 

 エネルギーの方向を肌で感じ、そこから導き出した計算で指先で相殺できるよう反対側へ合わせる。

 

「この俺が冠する神は、クソ重い槌を思う存分に振り回してんだ。それと比べればこの程度のGなんざ、全然軽い」

 

 それでも急停止に、手足へ負荷がかかり、関節が外れかけた。

 だが、またもその出鱈目なパワーに驚き呆れるその顔を見れただけでその強がりの代償にしては充分。

 

「―――神鳴リヲ落ス土ヲ区切ル事(設置完了)金ノ糸ヲ用イ(準備万端)現世ノ穢レヲ水デ陣ヲ祓エ清メ(接続成功)五行ノ理ヲ以テ祭火ヲ灯ス(花火装填)

 

 しかし、驚かされたのは僧侶だけではない。いつの間にか石畳の上に円と三角を組み合わせた複雑精緻、描く水を滴らせた鋼糸を導線にして法円陣図が配置されていた。トールキンを『手袋』で振り回しながら僧侶はもう片方の手で地面に鋼糸を張り巡らせていたのだ。

 自らを中心に制御され、増幅し循環する回路が敷かれた地面に、指揮棒に絡め取られた今の攻防の戦果――雷神の指一つ(電子溶断ブレード)を付ける。

 導火線に火がつくように、こちらの魔力を伝線させた魔法陣――<赤の式>――が輝き、

 

(ヤバい、これは単に俺の力を利用しただけじゃねぇ。東洋のシジル、『五行説』を利用してやがんな。『土』の地面の上に、『金』の鋼糸で配置し、『水』を纏わせ、『木』に属する雷撃で点『火』。相生で増幅させた威力は単純計算で、こちらの指一本分の魔力の四乗分!)

 

 仮に指十本で100とすれば、その十分の一である指一つに籠めた魔力量は、10。それを四乗するのだから、10000。倍返しだ。しかし、静止し切ったばかりのこの体勢から回避は無理だ。

 

 そして、幸い空には何もなく、相手は遠慮の必要がない怪物。

 

「だったら、こっちも二乗させりゃあいい」

 

 そう、怪物だ。

 

「悪神ともされる野火の化身ロキでも下手に怒らせられなかったのは、雷神でもただの雷神じゃねぇからだ」

 

 宙で、空に向かい両手を重ね合わせる。だが、これは神に祈っているのではなく、力を一点に溜める槌の構え。元々雷神だけに留まらず、あらゆる天候を司る神として、天空はむしろ十八番なフィールドだ。

 十本を一本に束ねる。指先が発光し、溜めた力を解放。大地を揺さぶるほど膨大な魔力を一点に集中させた―――悉く打ち砕く破壊鎚(トールハンマー)

 

 

 

 花火と雷鎚は、正面から激突。

 その余波さえ出さない、両者ともすべて余さず力を御したからか、爆風が吹き荒れたが奇蹟的なほど周囲に被害をもたらさなかった。

 そして、路上から、

 

「……は……は、は、ははははは……」

 

 と、乾いた笑い声が発した。

 トールキンである。

 ぶすぶすと、肩を覆う衣が焼き焦げていた。

 一点の集中させた弊害か、全体をカバーするに至らなかったようだ。

 しかし、

 

「『ミョルニル』のサポートなしに全力はきつかった。だが、それより、ここまで被害を出さねぇように調整するとは……加減されたことに腹立てるよりか、呆れちまうわな。本当、次から次へとチェスで詰められていく駒運びを彷彿させられるっつうか、どこまで計算ずくなんだか」

 

 突き指と火傷程度の軽傷で済んでいる指先をトールキンは軽く振って調子を確かめる。

 その表情は新しい遊び相手を見つけたように楽しそうな顔だ。

 限界を超えて酷使されたせいかハサミの部分が砕けた<鋼の手袋>を杖代わりにして、身体を支えながら布を巻き直している少女を見る。

 

「……最初から計算外です。こんなの。折角、ばれないように『枷』を嵌めて制限して回復に専念したのに、2、3時間分がパーです」

 

 覆面の僧侶の戦術を悟る。

 <鋼の手袋(ハサミ)>、<知の角杯(ツノ)>、<木蛇の翼(ツバサ)>。

 何れも異なる霊装を状況によって使い分け、組み合わせる、それが不自然な繋ぎ目を見せることのない無縫のように滑らか……三種の道具を深く理解していなければ成し得ないスタイルだ。

 倒した相手の武器を振るう弁慶の如く無双。

 

「そいつは悪かったな。おかげで俺は腹八分程度に満足してる」

 

 手をグーパーして、動作確認。

 予想以上の強敵を前にしたが、その瞳に浮かぶのは歓喜ではない。

 より強い、感嘆の色が浮かんでいた。

 この敵はまぎれもなく強敵だ。それに、天賦の才だけでなく血反吐を吐くような尋常外の修練と研鑽を積んだ、自分にはない特別性が感じられる。

 その証拠に攻防速のどれをとってもこちらが勝っているというのに、完全に攻めあぐねている。

 この相手は強い以上に、巧い。そして、この戦いの最中でも引き込まれる律動。

 快楽主義を標榜しながらただ己を高めることと人を救うことにしか興味のないものとしては、覆面の僧侶が繰り出す応用と工夫する策は美しく、一種の芸術品を眺めるときに覚える感覚に似る。

 

「けど、あとの二分は不満だ。どうして、その腰の物を使わない? 飾りじゃねぇんだろ。アイツらの武器をこうまで使いこなしたお前に、手に余るようなものは考えられねぇ。だとしたら、まだ余裕でいるつもりか」

 

「本気を、見せていないのは、そちらもじゃないですか」

 

 言い返され、返事に詰まる。

 バツが悪そうに頭を掻き、

 

「……別に隠しているわけじゃあない。ただ俺は特別な才能なんてない人間の魔術師だからな。単独じゃあこの程度が限界だよ」

 

 それにこちらも破壊や殺人は趣味じゃない、と最後に付け加える。

 その姿は妙に初々しくて何やら可笑しい。つい、思い出して僧侶は笑ってしまう。

 闘争を尊び、同時に命も尊ぶ。そんな魂の形が懐かしい眩さを彷彿させた。しかし、今はそれに応えられる余裕が……

 

「だが、お前は違うだろ。事情があるみたいだが、勝負になっちまったら関係ねぇ」

 

 トントン、と軽く足踏みをして調子を整える。

 使えないと使わない、は違う。

 自分は鬼札(ミョルニル)が足りずに本気が出せないが、それでも全力。対し、向こうはまだ余力を残していると見る。<鋼の手袋>が破損した今、もう一つの武器に手をかけるのは自然の流れだが、一向に抜く構えを見せない。

 

「お前みたいに久々に全力を出せて、ここまで敵と街に気を遣う稀有な実力者とは今後いつ出会えるか分かったものではない。最後までその意味深に一枚だけ場に出さない手札があっては、再会するまで気になって不眠症になっちまう」

 

 パシッ、と己の両拳を合わせて、気息が整ったと相手を促す。その瞳はもう、己のさらなる経験値を高めたくてうずうずしている若い闘志が燃えていた。

 一方の覆面の僧侶は、想定以上の苦戦に息を切らして汗を流し、激しく肩を上下に揺らしている。所詮は借り物。こちらとむこうに扱う得物と身体性能差がかけ離れていることを悟ってる。

 

(せめてここが外ではなく『幽屋』を敷いた駅内だったら……)

 

 パワーが違い過ぎる相手に対し、綱渡りのような絶技を途絶えることなく繋いできた。

 身が擦り減るような集中力と、全身のバネを使い切っての攻防。

 正直、僧侶の体力は4割以上使ってしまってる。

 これ以上、戦闘を長引かせたくない。

 

「健康上、腹八分がちょうどいいと思いますが」

 

「ハッ、健康なんて、テメェの身可愛さを気にしてる奴に見えんのかよ俺は。俺はもう温まっちまってる。エンジンに火がついちまってんだよ。戦って勝っても負けても腹満杯にできる機会だ、手足がぶっ潰れて、食い倒れようが逃すつもりはさらさらねぇ」

 

 だから、その鬼札を切れ。

 先程から借り物しか使っていないこの相手が、己の得物を操ればどうなるのか。想像するだけで武者震いが止まらなかった。

 その上で、思考回路をフルスロットルにしても読みを看破し切れず、驚かされっ放しなこの難敵を如何に攻め下ろすか。

 それを考えることが、たまらなく面白く嬉しかった。

 困難に立ち向かうということが、ましてや強豪同士の駆け引きとなれば……命を燃やして研鑽し、戦うという行為そのものが、楽しくて楽しくて眩くて尊くて、仕方がない。まさに史上最高の愉悦だろう。

 

「……多めに用意したんですが、使える予備十字(電源)は、残り10を切りましたか」

 

 ポツリ、と。しかし、言う通りに関係ないのだ。戦いはこちらの都合に待ってくれない。だから、全力を尽くせ。

 

「なあ、いまさら何だが、名も名乗らないなんて仮面舞踏会じゃねぇし、俺は上流階級の貴族じゃねぇんだ。互いの身の上を知らないままだなんて決着がついても締まらねぇな。そろそろ、その面を拝ませてもらっちゃくれねぇか」

 

「却下です。どうしてもというなら、無理やりにでも取って見せるんですね」

 

「ああそうかい。じゃあそうする! 俺は、『戦争代理人』のトール!」

 

 名乗りと同時に爆音が炸裂。

 片手分の魔力を指一本に集中させ、単独では10mの溶断ブレードが精々だったが、ここにきて一気に20mを超える。

 それもただ長さが倍になっただけでなく、勢いが増し、その余波で空気が膨張、烈風が吹き荒れる。

 音速の3倍で射程距離がおよそ50mの学園都市第三位の超電磁砲が弾丸だとするなら、これは達人が繰り出す長槍の一突きに等しい。距離と速度では負けるが、出力はそれ以上。そして、たとえ避けられても、軌道は変えられる。

 

「くっ……!」

 

 横に避けようとした僧侶に指を動かし追撃、受け止められないと判断し、咄嗟に光翼で浮上。<木蛇の翼>を展開させた。

 連続攻撃に大きく生命力を削られたが、こちらも今まで遊んでいたわけではない。

 風に揺られる羽毛のように、質量を限りなく零に近づけ、縦横無尽にその機動力を発揮する僧侶。捉えそうで捉えられない。しかし、すでにその軌跡を先読みできる。

 

(思った通り。あの翼は、肩の金属部分と連動している。行く先が不規則で読めないというのなら、あのパーツの動きを見切るまでだ……!)

 

 <木蛇の翼>の加速する機動を捉えるのは難しいが、羽の付け根部分の金属パーツの動作を見ていれば、その連動する軌道は読み取れる。

 

(翼の動きを見られてる……このままじゃ捕まる……!)

 

 僧侶はわずかに冷や汗が流れたのを感じ取る。

 ただでさえこの高機動力で避け続けるのはいいが、それで身体を振り回されていれば、今度はこっちがブラックアウトになる。

 

「ほら! もう一本!」

 

 もう片方の手からも20mを超える溶断ブレードが出現。ついに両の翼が払い飛ばされ―――その弾かれた勢いを利用し、一気にその手の届かない、ギリギリ20m以上の高さへと上昇。

 

「そんなんで、逃げたつもりか―――!?」

 

 戦神としての怪力。空いた脚で、すでに廃車となった残骸を飛鳥の僧侶めがけて真上に蹴り飛ばす。

 そして、直前で両手分を指一つにまとめた溶断ブレードで、その残骸を突き刺し、爆破。巨大な散弾となって僧侶に襲い掛かる。

 小粒な球ではなく、野球ボールほどの礫。防御力において、紙装甲を自覚しているものとしては一度も直撃を喰らうわけにはいかない。巻き込まれれば、紙を引き裂くよりも容易くこの身体は圧搾されるだろう。

 

「なんて、無茶苦茶な! こうなったら―――!!」

 

 もともと魔力を編んで半実体の光翼が、さらに法外の魔力を注ぎ込まれて内側から破裂したように爆散。羽根が絨毯爆撃とばかりに舞い飛ぶ。

 この光は触れたモノの質量を増減させる。

 質量を大気よりも軽くされ、重さを失った衝突は、真綿をぶつけられたのと同じだ。そこに痛みはない。

 代償に折角練り上げた翼を失う破目になったし、爆風で身体は更に舞い上がる。自由落下を始めたころには、ロンドンの街を一望できる高さにまで上がっていた。

 落下しつつ、僧侶の体が回る。

 ニットの袖から、近くの建物へと一筋の線が伸びたのだ。

 天草式の仲間たちから特別に切断性を低めるために太く設えてくれた強靭な鋼糸だ。それを巻き付け、彼女自身のバランス感覚だけを頼りに、バランスを調整する。

 手応えを、掴んで、ぐん、と鋼糸を引っ張る。

 刹那より尚短い時間だったが、僧侶の体感時間は数千倍にも感じられた。

 最早悠長に視認する暇もない。次に流れ飛ぶ方向を計算しつつ、そこに鋼糸を投擲していた。

 一瞬の判断ミスすら許されない。しかしミスを犯すことなどありえない。極限まで高まった彼女の集中力はあらゆる難題を成功させる。

 弧を描いて、僧侶の身体が別の建物へと流れ、、さらにもうひとつの鋼糸を投げ飛ばして新たな弧に身を任せる。

 あたかもサーカスの空中ブランコのごとき空中機動を経て、身体は安定を取り戻す。

 ぐるりと回転して、ようやく一羽ばたき分だけ間に合った<木蛇の翼>の実体精製で、落下速度を減速。

 一度、上空から落ち着いて景色を俯瞰し、

 

「!」

 

「ハハッ! なんっつう曲芸だ。羽がなくても身軽に跳び回りやがって、アメリカンヒーローかよ!」

 

 片膝をついての着地。同時、落下地点を予測し、こちらに駆け付けてくる狂戦士めがけて腕を振るう。

 

「<七教七刃>!」

 

 十字二つと共に飛ばす七つの線。水が滴る鋼糸の網が撒き散らされ、立て続けに空気を灼く紫電も網を波打たせる。『金生水』、『水生木』の五行相生を加えてアレンジした如何なる猛獣も捉える網と電撃の二重束縛。

 しかし、狙いが甘く。簡単に躱され、間合いが詰められる。

 

(チッ! やっぱり単独じゃあそろそろこのトールさんもガス欠だ。10m級が精々だな。だが、それは向こうも同じ。そして、使えそうな武器も1つ。形状からして、ありゃ小太刀か? 東洋の短剣ならこっちの方が長い!)

 

 右腕を引き絞る様に後ろへ下げる。

 腕力だけでなく、全身の駆動とこの勢いをも上乗せした、全力に心が躍り、決着に胸を熱くときめかせて―――恍惚とゆらめかせた吐息が、冷えた。

 

「―――」

 

 豁然、その手が霞んだ。刹那にも至らぬ虚空の間に、対決し初めて、彼女の指が小太刀の柄を滑ったところを、誰が見ただろうか。

 優れた武芸は、魔道にも通ずる。

 例えば、気息の極意は、魔力を五体に行き渡らせるもの。

 練気は魔力を高める行為。丹田は魔力を集中させる部位。五感を研ぎ澄ますのは第六感を磨くため。

 そして、木は水を吸い成長する『水生木』。『金』の属性である鋼ではない『木』を材料とした性質。この水気に属する『白』を充分に活かせる。武器というより霊装に近く、魔力を伝道することでより強靭に。

 優れた武芸者は、研ぎ澄まされた魔力をカマイタチとして飛ばすそうだが、これはそれに当てはまらない。しかし、同等の威力を発揮する。

 

 

「―――<唯閃>!」

 

 

 間合いの外だったが、小太刀の抜刀は一瞬でここまで伸びてくる!

 竹光の刀身が白く光って見えるほどの、猛烈な振りだ。届かないと油断していれば、止めるのは不可能に思える。

 ならば。

 反応したのは、果ての更に果てを望んで練増し続け、理合いにも術合いにも逸脱した規格外(バケモノ)に他ならぬ。

 

 

 

「見かけに騙されねぇで、警戒してたぜ!」

 

 属性相生に加え、予備十字ひとつ使い、爆発的に強化された銀紙竹光の超速抜刀を受け止めた。

 いや、違う。

 僧侶は瞠目した。

 眩く光るその手で、はさみ取った!

 所謂真剣白刃取りは、勢いの“死んだ”刃物をかすめ取るもの。斬撃を真正面から止められるものではない。ましてや、これはベイロープでさえ反応できなかった、それ以上の抜刀術だ。だが今、この男は刃を正面から掴み取っていた。

 力と力が激突し、爆発が生じる。石畳に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、戦闘狂のこめかみに冷や汗が光った。

 それでも、

 

「五行の理で強化した<唯閃>を止めるとは……!」

 

 銀紙竹光の刀身に爪が食い込み、コーヒーを溢した沁みのように焦げ跡が広がっていく。

 光翼が展開できなくとも安心するのはまだ早く、そして状況から察して、一撃必倒の抜刀術が来る、と。そして、その性格からして急所を外してくる軌道だ。もし最初の油断した状態だったら、警戒を怠り、今頃自分は膝をついていたはずである。『肝が冷えたぜ』とトールキン――雷神トールは、首を竦めた。

 

「鬼札も、終わったな。これで、俺の勝ちだ」

 

 竹光を両手で挟み潰しつつ、勝利宣言。

 手放すかちょっとでも気を抜けば貴重な切り札を一つ失い、光翼もこの一刀に全集中を尽くしている今は使えない。そして、単純な綱引きならば怪力のこちらに分がある。

 ところが、

 

「……なに?」

 

 膠着状態に陥り、捕まってしまった僧侶の覆面に覆う結び目が緩んで布が撓む。

 そのようやく拝めた面が、その白肌に施された入れ墨が“ブレ”始めた。

 ブレはさざ波の如く全身余すところなく伝わり、霧が曙光に晴れていくように、ゆっくりと薄れ、

 

「余力を使い過ぎて、情報操作する分に負担がかかってきましたか……」

 

「まさかお前は―――」

 

 誰ともなく呟かれるその声は、違っていた。

 トールは今日一番に驚く。まさかこんな妖精に悪戯されたような目に遭うとは。晴れていく霞みを引き留めるようにまた曇り始めた―――直後。

 

「かかりましたね」

 

 飛び出す人影。

 この相手は、やった、と思ってから驚かされることが多い。常に計算ずくで次に繋げる。クイーンを犠牲にし、キングを危険に晒してまでも、こちらに注意を惹きつけるために。絶好の隙を生み出すために。

 

「―――嵌めやがったな……!!」

 

 『光が強まれば影も濃くなる』ように、その存在を忘れてしまっていた。

 背後から急接近する気配。両手は今も銀紙竹光と拮抗していて動かせない。

 

「と、でも言うとでも思ったか?」

 

 が、

 

「甘いぜ、上条ちゃん」

 

 その時だった。

 ぽつりと、雷神トールは奇襲者――上条当麻へ何かを呟いた。

 これだけお膳立てしても、トールは反応した。

 しかしもう、決定的に、拳が届く至近距離まで踏み込んでいる。どんな攻撃を放ったってこちらの方が速く届く。

 のに、

 

 

「さっきも言ったが、トールってのは、たかが雷神如きで収まる器じゃねぇんだわ」

 

 

 トールの方が迅かった。

 ゴッ!! と鈍い音が炸裂し―――

 

 

「残念。外れだよ」

 

 

 ―――なかった。

 その手応えがなかった意味を悟り、トールはギクリと全身が強張り、表情が凍りつく。この一瞬が、十数秒に延長して感じられる。

 背後ではなく、“真横から”声が聞こえた。

 今の一撃を躱した―――いや、そうじゃない。

 こちらが焦って勘違いしたのだ!

 

「さっきも言いましたが、あなたが本気を出してなかったのは分かってます。トールが本来『雷神』ではなく『全能』であることも知ってます」

 

 奇襲者の位置を。

 

「2つ勘違いしています。私が張ったのは、東南アジアに伝わる家守ノ神の召喚陣、<禁糸結界>という『相手の認識を他へと集めさせるもの』。天草式十字凄教は『隠密』と“『偽装』に”秀でている魔術体系です」

 

 種を明かしてしまえば、簡単だ。

 投げた十字は、2つ。

 <七教七刃>を放ったとき、少年が走り込んでくる方角から離れた地点を狙った。外れても結界として働くように予備電源のひとつも添えて。

 無論、上条当麻と申し合わせていたわけではない。

 しかし、こうすべきだと、視線を交わしただけでお互いが納得した。

 

「そして」

 

 いや、もっと前からか。

 本能的か、計算ずくか、宙で逃げてる時も、彼の元へ目指していたのかもしれない。

 

 

「最後だから言いますが、私の一番の鬼札(ジョーカー)は、銀紙竹光(これ)じゃあない」

 

 

 トールにその説明を聴いている余裕はなかった。

 瞬時に、銀紙竹光から片手を離して、反射的にそちらへ溶断ブレードの手刀を繰り出す。

 形振り構わず。余剰エネルギーが空気中へ紫電を撒き散らしつつ、限界まで電圧を上げる。

 そのときの長さはもし伸びれば、20mを超えただろうか。しかし、こちらもすでに射程圏内で発射していた。

 

「おおおおおあああああああっ!」

 

 炸裂する。

 凄まじい轟音が、こだました。

 溶断ブレードが、右拳と激突したのだ。

 北欧の雷神と神殺しの拮抗は、刹那のことでもあった。

 だが、咄嗟に立て直せず、半身となって苦し紛れに反撃したトールと、勢いを乗せた全力で、迷うことなく突撃した上条当麻。

 どちらの右手が勝つかなど明白だ。

 トールの右手から伸ばされる溶断ブレードが、ビシリと亀裂を入れる。破損はそれにとどまらず、内側の魔力と電光を血肉の如く剥き出しにしながら、まるで硝子のように砕け散っていった。

 

「これで―――」

 

 して、交差する一瞬に、その腕をとって、手首を捻る。

 小手返し。柔術の繊細な動き。愚兄の視界の端に賢妹が映り、会心の笑みが見えた―――気がした。

 掴んだ右手による封じに、力が発揮できず、技に対応できずに容易く引っ繰り返り、地面に叩きつけられた―――と同時。

 

「―――テメェの完敗(まけ)だ」

 

 叩きつけた勢いに重ねて、さらに追撃。

 上条当麻は瓦割のように、足元のトールめがけ、拳を叩きこんだ。

 

 

ドーヴァ海峡付近

 

 

 <ロレートの家>。

 フランス王ルイ九世が訪れたことで有名な、イタリアのとある町にある家屋で、聖母マリアの住居といわれる。伝承で、その建物は『ひとりでに消え、ひとりでに現れる』ことで有名で、過去に二度ほど『天使的な方法を通して』瞬間移動をした記録がある。

 このトンネルには『建物が移動する』という意味が中途で掛けられていたが、“何者”かによって、半端な術式を完成させ、一部分だけ不自然に『動き』トンネルが崩れる結果が、『その術者周囲を集団空間跳躍』という書き変わった。

 

「つまり、爆破に使われるものかもしれないのが、移動という正しい用途で使われた、と」

 

「うん、足りなかった部分をこの<筆記具>で補完して、<ロレートの家>を完成させたんだと思う」

 

「ふむ」

 

 海水に遮断されるトンネルを眺めながら、検察を語り終えたインデックスと考え込む第二王女のキャーリサ。

 

「……余計な真似をしてくれたな。これでは、責める理由には弱い。言い逃れされる」

 

 俯くように、含むように。

 だが、インデックスはそのキャーリサの様子には気づかなかった。

 トンネルよりも、物理的な跡こそないが、この海上一帯で繰り広げられた魔力的な痕は凄まじい、と。

 魔術師というレベルを超えている。

 そして、その片側はおそらく……

 

「おい、発言を撤回するつもりはないか?」

 

「え?」

 

「もう一度繰り返そう。我々イギリスの手で編纂した10万3000冊として、このイギリスの国益のために、ここに仕掛けられていたのは、元々『トンネルを吹き飛ばす爆発の術式』だったと最後通牒を突きつける」

 

「―――っ!?」

 

 面を上げ、そこに広がる笑みを見て、思わずインデックスは身構える。

 そして、思い出す。

 

『なら、これも覚えておくと良い。私をこの学園都市へ入れた協力者は―――“イギリス”』

 

 あの<吸血鬼>を送りつけたのは、この国。

 だとしたら、

 

「この私――第二王女キャーリサの望み通りの解答をするつもりはないのか<禁書目録>」

 

 戸惑うインデックスに、第二王女が、して、その側に控える騎士達が。

 無だと分かっていても、じり……と後ろに下がろうと―――だが、すでに靴や修道服のスカートの端は海水に浸っている。

 

「わたしは、真実しか語らないよ」

 

 キャーリサはインデックスの顔を改めて見て、変わらないとみると、仕方ない、と零し、

 

 

「―――そいつを斬れ」

 

 

 決断を下す。

 禁書目録へ騎士団が迫る。その時―――

 

 ひゅう、と冷たい風が吹き込み、彼らの足元が隆起した。

 

 霜柱だ。日本刀の刃のような、鋭利な氷が土を割る。

 極寒とも紛う峻烈な気をまとい、黒髪の女教皇がインデックスの前に舞い降りた。

 

「そこから先一寸でもこの子に近づいてみなさい」

 

 絶対零度に凍る声。インデックスが竦んでしまうほどの声音で、神裂火織は言った。

 

 

「私の刃は<天使>をも断ちます。たとえ、その身に鎧を纏うとも」

 

 

 

つづく


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