とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 新しい光と旧い影

英国騒乱編 新しい光と旧い影

 

 

 

ロンドン

 

 

 ―――可憐な花を摘んであげましょう。愛しいあなたのために。

 

 深呼吸してから、唇から流れ出たのは、哀愁溢れる歌だった。

 騎士と、その騎士に花を捧げられた乙女の歌であった。

 騎士は、乙女を愛していた。そんな彼女へ捧げるために、川の岸辺に咲く一輪の花を摘もうと騎士に降りる。

 

 ―――あなたが微笑むのなら、私は何も恐れはしない。

 

 歌声が、透明に澄みわたる。

 その透明さと対照的に、悲劇は深まっていた。

 摘んだその時、騎士は誤って、川の流れに飲まれてしまうのだ。

 着込んだ鎧が重く、体は徐々に沈んでいく。だが、騎士は助かろうとはしなかった。あにはからんや、最後の力を尽くしてしたことは、摘んだ花を彼女へ贈ることだった。

 そして、騎士は最後に言うのだ。

 

 ―――私を忘れないで(Forget me not)

 

 ふと昔を思い出し、紡いでいく詩歌。

 自分の愛するものが、自分のせいで目の前で死んでしまう……それが至上の愛。だとは思えない。自分には否定できないんだろうけど。

 きっとそれは不幸だ。どうしようもない不幸だ。

 愛するもののためを想うのならば、何が何でも生き延びてほしかった。

 だから、

 

 ―――花なんていらない、あなたがいればそれで幸せよ。

 

 その手で掴み取るのは、幸せ。

 だから、乙女は花ではなく、騎士の手を掴む。

 哀しい御伽噺の結末を、アレンジする。

 昔の後悔を掘り返してもどうしようもないが、それはあの時から変わらない本心だった。

 

「ふぅ……修正はしましたが、ここまでは想定の範囲内」

 

 歌い終わると、水筒に入れたハーブティーを口に含み喉を潤す。そこへ竹刀袋を携えた栗毛のポニーテイルの少女が現る。

 

「分かっているかと思いますけど、戦闘は控えてください。あなたはまだ全快とはいかないんですから」

 

「申し訳ありませんが、浦上さん。善処はしますが、それは約束できかねます」

 

「しかし、こちらは女教皇様から戦わせるなと厳命されています」

 

「2人を連れてきといて、私が休んでいるわけにはいきません。けど、無理をして、この機会を無駄にするつもりはありません。あなた方を頼りにさせてもらってます」

 

 独り善がりな自己犠牲はやめにしよう、そう決めた。それが偽善でも周りを巻き込むことにしたのだ。

 

「私よりも2人の方が心配ですが、五和さんと神裂さんがついてるから――別の意味で心配ですが――問題ないでしょう。それに、ちゃんと『武器』も用意してあります」

 

 浦上に腰の物を見せる。“今の”自分でも扱えるものを。

 そして今度は金髪の碧眼のダイナマイトボディのお姉さんが向こうから手を振り、

 

「はぁーい。あなた達、(あし)の準備はできたわよ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――シティオブロンドン。

 

 

 ロンドンの中心部には、セントポール大聖堂やイングランド銀行を擁する世界有数の金融街があり、ロンディニウムとも呼ばれた。

 地上から見上げれば、バベルの塔の群れにも映る、林立する超高層ビル、その下を行き交うビジネスマンは資本を信仰する神官であろうか。

 今、ユーロトンネル閉鎖による流通のストップ、そして、その先に起こるであろう世界大戦の影響でかその足並みは常より忙しく、預言者より大災害の予言を受けたかのよう。

 

「だが、予想を大きく下回ってるな。これじゃあ混乱もすぐに鎮まる」

 

 儀式のための拠点として確保したのは、そんな超高層ビルの中で、一際目立つ建築物の最上階。

 異様なまでに透き通った全面のガラスから見下ろせば、世界が全てミニチュアに変じたかのように見えるだろう。

 ここにいれば、非日常の距離感と光景が、人間の感覚を麻痺させ、脳内へ本来と異なる印象を結び付けるのだ。

 魔術大国という名には馴染まぬ空間。

 それでいて、神の祝福を享受するかのような聖域。

 最高級の柔らかな絨毯の上には、大きな円卓が置かれていた。

 その円卓の一席に、赤を基調とした服装の男が座っており、こちらに背を向けて外を眺めている。

 まるで、御使いだ。

 神の御使いを、想起させる。

 下界の騒ぎなど意にも介さず、天上から人の営みを見下ろす。

 そして、世界を救う、文字通りの聖者。

 

「<幻想投影(イマジントレース)>とやりあったようだな」

 

 ぼつりと、青年は口にする。

 この男は、今日、今この時に現れたが、こちらの動向は把握しているらしい。

 昨夜の戦闘はあと一歩のところまで追い詰めた。

 だが、そのあと一歩のところで邪魔が入った。

 

「この俺様と近しい力を持つ対<幻想投影>として造られた、6人で1つの『戦団』でも取り逃がしたのは彼女の幸運、いや、天運ともいうべきだな。わざわざ用意したこれが無駄にならずに良かった」

 

 流石は俺様の花嫁だ、と右手の中に収まるほど小さな、黒ずんだ粉の入った硝子瓶を揺らしながら青年は笑う。

 こちらはその失態のせいで、また戦闘のダメージで数体はしばらく使えないというのに酔狂なものだ。それでも、『火』をつけられたのだから無駄な騒ぎは起こさないほうがいい。

 

「それで『王女様』は?」

 

 そちらも手筈通り、こちらの望み通りに進んでいる。

 『儀式場』の選定も済み、あとはこの『剣』を使い『王女様』が『倫敦の竜(ペンドラゴン)』を支配すれば―――

 

「そうか。なら、俺はしばらく大人しくしておこう。欲しいモノはあるが、動くのは混乱の中でだ。―――しかし、その必要もないかもな。どうせ今日でこの国は終わるのだから」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――ウエストエンド。

 

 

 バッキンガム宮殿から北東。いつも観光客でにぎわう広場ピカデリーサーカスを抜けた先にある中華街の裏通り。俗に、ソーホーと言われる地域だ。

 ソーホーとはニューヨークに香港、ブエノスアイレスにも同名、また同意に名詞が使われており、その地名の語源は、かつて一帯が王家の狩猟場であった頃、獲物を見つけた時の合図からというが、現代では多くの劇場やレストラン、はたまたディスコやナイトクラブなど、娯楽や飲食店が集まる、歓楽街を指し示す代名詞と化していた。

 昼なお暗く、道行く人々の色合いも、どこかしら夜の香りを偲ばせている。

 一筋縄ではいかないような妙なけばけばしさ、けれども惹きつけられてしまいそうな。

 華やかさと妖しさと――その両方がないまぜになった光景のひとつずつから、街の息吹を感じられるように思えた。

 長く、深い、人とは異なるその土地の息吹を。

 ひょっとすると、そうしたひとつずつが霊脈と何ら関連があるかもしれない。

 

(……どうしたもんかな)

 

 自分には、理解できないものだと。

 魔術だけでなく、能力、自分がこの右手で触れてしまえば消えてしまう異能にわかるものなどないものだと思っていた。

 だけど。

 そんなことをしなくても、感じることはできる。

 別に、一般人と同じく魔術も能力も愚兄には扱えない特別だとしても、そんなモノはごく当たり前に息づいている。

 建物の配置の規則性とか、公園の花壇に咲く植物の種類とか――日常的に見るモノの中に秘密の法則は――いいや、本当は秘密なんかなくて、知恵袋なインデックスが見たり、多情多感な賢妹が触れたりすれば簡単に分かってしまうような、知性に感性その他諸々が不足している愚兄には分からないだけで、最初から明示されているのではないかと、最近はそんな風に思えるようになっていた。

 

(だからといって、地面に触れただけで街の活気がぶっ壊れてしまうなんて考えちまうのは杞憂なんだろうけどな)

 

 意識するようになったのは、あの<吸血鬼>との一件からか。

 勘、ではなく、音だとか光だとか匂いだとか肌触りだとか、そういう五感の情報でその勘をより正確に補正するような癖がついた。

 そして、この仄かな香りは………

 

「あ、あの!」

 

 遠くで隠れているのか隠れてないのか分からないがバレバレな人影に、『お前ら隠密が得意なんじゃなかったのかよ』と評価の修正をしてると、隣を歩く少女から声がかかる。

 

「どうした五和?」

 

「うっ、おしぼりをどうぞ」

 

 といつでも携帯しているのか、しっとりと濡れたおしぼりを差し出すのは二重瞼がくっきりとしたショートカットの少女。

 こちらに声をかけていてもどこか視線を逸らしており、まるで、うっかりお日様の下に出てきてしまった、夜行性の小動物である。

 今事件の捜査にもそうだが、何かと関わり合いが多い天草式十字凄教の五和さんである。

 

「そ、そうじゃなくて、クッキーを!」

 

「クッキー?」

 

「はい! どうぞ」

 

 五和が両手のお椀に載せて差し出される小包。

 封も開けられている。勢いでついでとばかりに受け取ったおしぼりで手を拭いてから、勧められるままに手を伸ばす。

 サクッとした歯触り。ふんわりと甘い香りが口の中に広がって、一心地がつく。

 

「ん! うまいな。五和が焼いたのか?」

 

「はい。朝からちゃんとしたモノを食べていないと聞いて。といっても、我々が常備する携帯食なんですが……で、でも、よかったら」

 

 保存のきく干し葡萄と胡桃が混ぜてあって、味だけでなく栄養価の高い。

 『腹を減っては戦は出来ぬ』という古臭いことわざを、自然と思い出す。

 思えば、インデックスの買い食いに付き合っていたとはいえ、昼を食べていないことに気づいた。

 こんなお粗末なもので、と五和本人は恐縮しているようだが、普通にお店で売れるほど良く出来てる。

 

「けど、良いのか? これって、いざって時に飢えをしのぐための天草式兵糧じゃねぇの……?」

 

「今がそのいざという時で……!」

 

 い、いえ、何でもありません! とわたわたと手を振る五和さん。

 頬に差していた朱が測定限界の温度計のように耳元までのぼりつめ、ことんとうなだれてしまってから、ごにょごにょごにょ、と掠れた言葉が漏れる。

 『五和! もっとそこで家庭的アピール!』、『今こそ、その特大オレンジをぶつける時だ!』と後方が騒がしいが、天草式の奥床しい大和撫子は一定以上の刺激が溜まると危険だと今日学んだ。藪をつつけば蛇が出る。先程そう反省した当麻は下手につっこまずに、話題を変えよう。

 

「そういや大変な事態になって言いそびれたけど、詩歌の面倒見てくれたありがとな。浴衣もプレゼントしてもらったり、色々と世話になってるって聞いてる。兄として礼を言う。もう一度、ありがとな」

 

 にかっ、と当麻は笑みを浮かべる。そこに恨みや負の念はない。

 まっすぐな言葉というのは、すっと胸に届く。

 理屈がなくとも、理由がなくとも。心の底に染みわたる。

 数秒の、間隙。

 ぱちぱちと瞬きしたあと、わわわわわ!! と。

 

「そんな面倒だなんて、全然……! こちらも詩歌さんには色々とご迷惑を……! それに私達は護れなかった……」

 

「いえいえ。五和達には毎度毎度助けてもらってるし、それに詩歌は時々抜けてるところがあるからな。一兄として、五和みたいなしっかり者が、“お姉さん”になってくれたら安心だ」

 

 余計な野郎からのブロックの面で特に。例を上げるとすれば天草式の男衆か。心配で心配で気が気でなかったが、側についているのが同じ天草式の五和に神裂ら“年近い、または年上の女性”ということが精神安定剤的な効果があったかは言うまでもなく。

 ただ、聞き手によっては、言葉足らずだと捉え方に齟齬が生じる場合も多々あり、冗談が通じないこともありうる。

 

「そうですか! わ、私も詩歌、ちゃんみたいな妹が欲しいかなー……って」

 

 年下への面倒見のいいせいか、聖母やお姉様としてイメージが定着している詩歌だが、年上からは結構可愛がられたりするのか。

 前に、学校の先輩とのやり取りでも。

 

『お前の妹のお姉さんになりたいけど』

 

『先輩。菓子パンのトレードは受け付けますが、妹トレードは流石にお断りします』

 

『そんなことしなくとも互いに“シェア”できる方法があるだろう?』

 

 そんな方法があるのだろうか? パンと違って半分こなんてできそうにないと思うのだが。それに、こちらは詩歌一人で充分満杯だ。

 とかく、詩歌もちゃんと妹キャラなんだな。いや、もとから当麻さんの妹だけど。

 

「悪いが、今回も頼らせてもらっていいか」

 

「はい!」

 

 自信満々に、むしろ穏やかな口調で胸を叩いた五和を見て、オーバーアクションだな、と当麻は思う。

 

「でも、これは女教皇様からも言われたかと思いますが、危険な任務です。今はまだ接触前なので余裕がありますが、恐らく戦闘になるでしょう。決して気を抜かないように注意してください」

 

 元ローマ正教のアニェーゼが率いるシスター部隊からの報告から、<新たなる光>は金の卵が集まった少数精鋭。

 それでもこちらには<必要悪の教会>――天草式十字凄教がついている。これまでの付き合いから、彼らの個人個人の能力の高さから連携まで、上条当麻は知っている。

 

「ああ。それで、そいつらはどうやって見つけるつもりなんだ? まだ誰も引っ掛かっていないって聞いてるが」

 

「我々は、環境に溶け込むことを旨とする一派ですから、逆に、不自然なものを捜し出す術にも長けているんですよ。元々は、町民にまぎれた幕府の監査役を早期発見するための技術ですけどね」

 

 慣れた逃亡者は、コソコソと隠れるような真似はしない。そんな事をしても防犯カメラの監視網から逃れられない。むしろ、逃れようとすればするほど悪目立ちする。

 それならば思い切ってロンドンの中でも最も人混みの激しいエリアを進んで移動すれば、人の壁が視界を遮る要因にもなりえる。一般に、防犯カメラは下から覗きこむ位置には設置されないので(スカートの中を映したら問題になる)、人混みに埋没してしまえばカメラからは隠れることはできる。

 しかし、魔術師を狩る魔術師は、その程度で逃れられるほど甘くない。

 

「すでに不自然なまでに監視の死角をついて移動する車両を見つけています。それにしても、ここロンドン北部で見つかるまで監視に引っ掛からなかったところをみると、どうやら<新たなる光>は、ロンドン中の監視カメラの位置を把握するなどと相当な準備をしてきています」

 

 このロンドンで何が目的かはわからないが、向こうは相当に力を入れている。

 天草式という50人前後の実働部隊を3人前後の班に分けてバラバラの方向へ捜索、そして、その一グループである五和達は、

 

「この近くに天草式の『拠点』があります」

 

 <必要悪の教会>ではなく、天草式の、と前置きしたのは、彼らがロンドンに来た時に、イギリス清教にも内緒にいくつか作った隠れ家だからだ。

 これは別に独立を企てたり、イギリス清教を信用してないからではなく、アリやハチが巣作りをするのと同じ単なる習性のようなものだ。

 ソーホーという王家の狩猟場で“狩り”の準備を整える。

 

「そこに自動二輪がありますから、それを足に」

 

「え、五和バイク乗れんの?」

 

「まぁ、それは、その。一応、自動二輪以外に自動車と、小型船艇と……飛行機は無理ですけど、ヘリコプターなら、なんとか……」

 

 叱られたように肩身が狭そうな調子で蚊の鳴く声で言うも、普通は飛行機を操縦できなくて普通だと当麻は思う。むしろ、すごい。

 

「ロンドンは交通網が発達していますけど、地域によっては、延々と草原が広がっている場所とかありますし……」

 

 特に自慢しているつもりはないのだろうが、国家ライセンスの所有者なのだろう。細かな操作を全自動でしてくれるスーパーバイクでもあたふたした当麻さんからすれば、それだけで十二分に尊敬できる。

 普通かと思いきや意外性に富んだ五和さんは頼りになるなー、と当麻は素直に感心しつつ、その『拠点』である食料倉庫へ到着。

 

「へー、ここが天草式の秘密基地かー」

 

「ええ。ここに」

 

 重そうな金属扉を開けるとそこに、五和達よりも早く到着していた天草式………

 

 と、デカデカとした堕天使と大精霊のポスターが。

 

 

「五和達が来る前に急いで、祝☆メイド記念日で次回に期待して、男性陣で集金してこっそり制作したグッズに、買い漁ったメイドシリーズを隠すんだ!」

「ああ、これらは女教皇様と五和の嫁入り道具だ! 絶対になくしてはいけない!」

「くっ、ここが女教皇様率いる女性陣からの摘発を唯一逃れたコスプレ基地だというのをうっかり忘れてたのよな!」

「我ら宗教弾圧から生き延びてきた天草式十字凄教! そう簡単に信仰を捨てたりせんぞー!」

 

 

 ガッチャン! と閉じられた。

 背を向けてる五和の表情は窺えないが、漂う般若オーラが怖い。

 ……あー、何かこういう展開、宮殿でも見たような気がする。

 

「こんな時にすみません。少し、待ってもらえますか? ちょっとここに爆弾を仕掛けてきますので」

 

「いっつーわサン!! お願いだから落ち着いてー!!」

 

 過激派にストップをかけるべくダッシュで当麻は五和を羽交い締め。

 

「爆発なんてしたら余計なトラブルまで引き起こしそうだし、ええと当麻さんは何も見ていません! ここはひとまず置いておいてはいただけないでしょうか!?」

 

「わっわっ」

 

「とりあえず現場は掴んだわけなんだし、後日また日を改めてやっても良いと思うんだっ! だから、余計に時間を喰うような真似はやめようそうしよう、ねっねっ!?」

 

「わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわっ、わかりましたですよ!? やっ、やめまぁす!!」

 

 あまりに怒り心頭だったのか、顔が真っ赤な五和さんだが、根っこは良心派だ。こちらの話を聞いてくれたのか首をブンブンと縦に振りまくってくれる。

 苦しかったかな? と当麻は五和の脇から首にかけて回していた腕を抜いたのだが、すると何故かどことなく残念そうな表情に?

 と。

 

「ええ、とそれじゃあちょっと注意だけしたらバイクを持ってきますので、ここで少しお待ちを……」

 

「ああ、わかってる。当麻さんは何も見てないし、見ないつもりです、はい」

 

 そして、当麻は紳士的にくるりと、金属扉から背を向けて、

 

 

「何やら外が騒がしいぞ。まさかもう!」

「何! あと十分程度はデートしてくる予定だったんだが」

「日本の恥の継承者、五和の奥手っぷりを甘く見ましたっすね」

「だったら、この超絶機動ピュアメイドモードの詩歌姫だけでも―――」

 

 

 気になる単語を拾って急加速。360度一周。

 『わわわ×10』と五和さん。けど、その顔は真っ赤ではなく真っ青に。

 

「いや、五和。やっぱ何もしないのは悪いし、当麻さんも手伝うよ。ああ、野郎共の“躾”をな」

 

 ゴキリ、と右手が鳴る。

 その“躾”に体罰が含むかなんて、言わずもがな。般若もビビる阿修羅オーラ。

 徹甲弾とばかりに超合金の時計を巻いた右拳を、重い金属扉へ叩きつけ、ようとしたところでストップ。

 

「お、落ち着いてくださぁい!!」

 

 逆転し、今度は五和が当麻を羽交い締める。

 そうして、その騒ぎを敏感に察知されたのか、中を開けた時には、隠密行動のお得意な天草式男衆は誰もいなかった。が、

 後日。大魔神五和様らの粛清により、所持した『物品』はすべて押収され、『聖衣』に関しては全てが燃やされ冥土(メイド)へと帰した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――テムズ川。

 

 

 ロンドンと海とを繋ぎ、多くの人々を見据えてきた、雄大なる川。

 およそロンドンという都市が、この川を起点につくられたと言ってもよい。

 古代、ローマ軍がテムズ川北岸にロンディニウムという名前で都市をつくった時より、この川だけはずっとロンドンを見守ってきた。

 時には交通の要所となり、時には産業革命に巻き込まれて大きく汚染され、時間の流れによってまた清浄さを取り戻し、しかしいかなる時もテムズ川はロンドンの歴史と共に流れていた。

 そのテムズ川の岸辺に聳え立つ要塞にして牢獄が、処刑塔。

 その中核たるホワイトタワーのお膝元の中庭。

 現代の処刑塔は観光客にも開放されており、それほど堅固な警備状態ではない。だが、仮にも王室の宝物さえ貯蔵した世界遺産が無防備なわけがない。

 特に、光の届かない裏側は。

 

「ったく、僕に面倒な仕事を押し付けて、<最大主教>はまたどこかへ。いつもの悪だくみか……」

 

 長身赤髪の破壊僧ならぬ不良神父、ステイル=マグヌスは愚痴をこぼすと煙草に火をつける。すると目の前を横切る黒い影。カラスだ。

 この処刑塔では、世界でも最大級の大きさのワタリガラスが数羽飼われている。野生ではない。逃げぬように風切り羽を切り取られてさえいる。

 とある占い師が『カラスが去ると、この処刑塔は崩れ、処刑塔を失った英国は滅びる』と国王に予言したからか、また、かの騎士王が魔法で変化したのがカラスだったからか。

 ここでは、カラスは死ねば不幸が起こるとされ、殺すことは禁じられている。代わりに彼女らは一生を処刑塔に閉じ込められている。

 頭の賢いカラス。

 気の強いカラス。

 籠の鳥のカラス。

 今、目の前で、そんなカラス3羽に囲まれる、弱った1羽の――イギリスの国鳥とも言われる――コマドリ。そして、小枝にとまる――ここでは見ない種、異邦者の――スズメが数羽。鳥の伝染病をうつされぬように対策を組んでいるはずだが一体どこから?

 

「ジャック・スパロウは誰が入れたのかな……わらべ歌(マザーグース)は僕のガラじゃあないけどね」

 

 煙草の煙と共に吐き出される独り言。

 その時、この2mを超す長身を足元まで隠す黒の法衣に猫が一匹潜り込む。

 

「うにゃあ」

 

 どういう過程でここに預けられたは知らないが、その名は知ってる。スフィンクスとか言う旅人に難解な問題を出してきそうなオスの三毛小猫だ。

 体に振りかけられた香水が気に入ったのか足首にまとわりついて、『お嬢さんたちの相手をどうにかしてー』とばかりに不満な鳴き声を上げている。

 

「もう! マリーベートが悪戯するから逃げちゃったのですぅ!」

「えーだったら、ジェーンだって、同じじゃんか」

「猫ちゃーん、どこいったのー。あ、師匠。ここに猫ちゃん来ませんでした?」

 

 やってきた温かそうなローブを上に羽織り、黒衣の魔女衣装に身を包んだ3人の少女を見て、ステイルは思い切り苦い顔で煙を吐き出す。

 切り揃えられた前髪と長くて綺麗な長髪のジェーン=エルブス、それとは正反対の活発なイメージを感じさせる短い髪がマリベート=ブラックボール、遅れてくる箒を持ったお姉さんがメアリエ=スピアヘッド……<必要悪の教会>の同僚で、ステイルのルーンの技術を盗もうと弟子入りしてきた四大エレメントを操る魔女達だ。

 かつての『エンデュミオン事件』で共に行動をしたことがあるが、今年女難のステイルとしては避けたい相手。足からぶるぶると伝わる振動から逃亡者(ねこ)の心中を察することもできるくらいだ。

 猫は魔女の眷獣とも言われるが、構われ過ぎるのを嫌うのは猫の性分。ステイルとしてもそれは同情できる。ので、

 

「ここにいるよ」

 

 にゃにゃあ!? と三毛の子猫がローブより追い出される。流石に蹴っ飛ばしはしないが、この寒空の下に出され、また魔女達へ差し出される裏切りのショックで固まってしまう。

 同情はしてやるが、ステイルも魔女達に遊ばれるのはごめんだ。あの子の飼い猫であるが、助けてやる義理もない。諦めて、魔女の宴(サバト)の贄になってくれ。

 

「捕まえました! もう逃がしません!」

 

「ししょー、ありがとな」

 

 ジェーンとマリベート、小さな魔女二人が挟み込むような連携で逃げる三毛猫を確保。『薄情者ー!』と聴こえた気がするがステイルは無視する。

 

「遊ぶのは良いが君達。ちゃんと準備は済んだんだろうね」

 

「はい、師匠の指示通りに配置しました」

 

 いい加減その師匠を止めろ、と言いたいところだが、そうすれば憐れな三毛猫と同じ末路を辿ることになりそうなので我慢する。仕事をやってくれれば構わない。

 猫と戯れる魔女っ子2人を見守りつつ、ふとメアリエが、

 

「でも……私達も動かなくてよろしいんでしょうか。今、ロンドンでは……」

 

「いいんだよ。僕達の任務は、処刑塔の警備だ」

 

 閉じ込められている『眠り姫』は貴重な体質。

 上条詩歌本来の生命力は、上条当麻と似た純粋で他の色を持たないものだが、同じ無色ではない――つまりは、どんな魔術にも対応できる万色の魔力とも言っても良い。

 自分のルーンも含めて、あの3人の魔女それぞれの魔術を扱えたのはその資質が大きな要因だろう。そして、それは欠片でも同じこと。

 この猫に取り付けられたアクセサリー、<四葉十字(クローバー・クロス)>は内に秘められた魔方式は既存のそれをギリギリまで取り払い、最も原始的な範囲に収められている。そして、その生命力は誰にでも扱える。

 と、なればだ。

 その肉体は霊媒とすれば―――とても、価値がある。この処刑塔から、奪うほどに。

 また……

 

「それに“1つ”じゃない。どうやら事態は複雑に絡まり合ってるからね」

 

 そうして、ステイルは庭へと視線を移す。

 3匹のワタリガラス(レイヴン)のどれかに喰われたのか、コマドリ(クック・ロビン)は、消えていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――イーストエンド。

 

 

 そのテムズ川の北で、シティオブロンドンからさらに東。つまり、ロンドンの北東部。

 きらびやかなシティとはうってかわって、下町の賑やかさが街を包む。多くのパブやナイトクラブが立ち並び、昔ながらのマーケットが様々な品を陳列する光景は、人によっては過ごし易く思えるかもしれない。歴史的にも移民が多く、バングラデシュやアフリカの民、はたまた中国人に日本人とアジア系の入り混じった人口構成も、物珍しく感じられるだろう。

 しかし、お日様が昇る昼の時間には気づきにくいかもしれないが、とりわけ夜の時間、煉瓦通りの通りを歩いていけば、軽やかな雰囲気の裏に混じる別の顔に気づけたのかもしれない。

 昨今の情勢変化で随分大人しくなったものの、かつては貧民窟としてロンドンの犯罪率を大きく引き上げていたのがこの地区だ。

 あるいは、英国中を震え上がらせた、いまだに解明されていない伝説的な事件で記憶しているものも多かろう。

 すなわち、切り裂きジャック、という殺人鬼の名前を、

 複数の売春婦の体を切り裂き、その内臓を持ち去った猟奇的な犯罪もまた、この地区を発端としている。

 

 そして、今日ロンドンを騒がせる事件もまた、そんな不吉なイーストエンドから始まる。

 

 勝てば現政権が崩壊する、国の命運をかけたゲーム。

 ルールもなく、精々街をあまりぶっ壊さないように気をつけろとの注意事項だけ。

 最後のキーパーはランシス、試合運びのハーフがフロリス、ベイロープと、レッサーが、“2人”!?

 片方のレッサーが、1mぐらいの細長いケースと古ぼけた四角い鞄を置いてから、

 

「それどういう理屈です?」

 

「簡単に説明すりゃ、北欧神話で自分の武器を奪われた雷神が、盗人を誘い出すために美貌の女神フレイヤに変装した伝承から組み上げた術式だ。その関係上、女の子にしかなれねぇんだが」

 

 <新たなる光>のレッサーは、尋ねる。そして、“レッサー”が応える。

 傍から見れば、一卵双生児の姉妹の問答にしかみえない。だが、それはない。レッサーに生き別れた双子との十年越しの再会だなんてメロドラマではない。もちろん分身の術でもない。これはトールキンの変装魔術。どうやら自分達<新たなる光>と同様に北欧系の術式が得意なようだ。

 

「さっきはああ言ったが俺だけ何もしないっつうわけにはいかないからな。やれる範囲で陽動くらいはやるさ。一応、似たような鞄もそこらで調達できたしな」

 

「そうですか。別に私の真似をするのは構いませんが……」

 

 レッサーに変装したトールキンは落書きだらけの壁のそばで腕を組んで肩をすくめる。

 それを見て、御本家レッサーは、ふんふんと顎に手を置く考えたポーズのまま“レッサー”を周り見て、

 

「うーん、もう少し胸とかお尻とかのボリュームが……背丈もちょっと低い……総じて、もっと私はセクシィーです。やり直してください」

 

「見栄を張んな。これがお前の現実だよ」

 

『遊ぶなアンタら!』

 

 とそこへ頭に直接『声』が響いた。通信用の霊装から、ベイロープの叱責が飛んでくる。

 今は作戦行動中なのだ。

 この鞄を指示が来るまで所定の位置まで運ばなくてはならない。

 

『ふざけてるとその尻を握り潰すわよ』

 

『ふざけてませんよー。私だって、今日英国を変えると信じて、昨日の夜は眠れなかったんですからねー』

 

『子供の遠足じゃないのよ、レッサー』

 

 こんな奴に背中を預けるなんて不安だわ、とベイロープは嘆く。それから説教が始まるのを見て、あー、やっぱ女子同士の話だし、何だか長引きそうだなー、と。

 

「んじゃあ、腹も減ったし、近くでちょっと何か買ってくる」

 

 断りを入れるとちょうど近くにあった飲食店へと“レッサー(トールキン)”は足を運ぶ。

 そのダミーの鞄を置いて。

 

『(無事にロンドンまで来たからって気を抜くんじゃないわよ。ここは<必要悪の教会(ネセサリウス)>の懐なんだから。実力的には申し分ないのに。本気を出せば……)』

 

『んふ。何だかんだでベイロープは私を頼りにしてんですね。思考が駄々漏れで丸わかブギャア!?』

 

 ガッギィィ!! という凄まじいノイズと共に通信が切れる。明らかな嫌がらせにくわんくわんする頭をとんとんと耳の水抜きするように叩くレッサー。

 そこへ。

 

 

「きゃー、ひったくりよー!!」

 

 

 つんざく女性の悲鳴。

 ここイーストエンドはロンドンでも治安が悪い。大きな鞄を持った旅行者、それも女性がひとりでうろつくには危険だ。

 今もアジア系と思しき女性が地面に崩れ倒れて、レッサーの前に、四角い旅行鞄をひったくった大柄な黒人の男が迫ってくる。

 

「ぶっとばされたくなかったらどけ! 発育不良のチビガキ!」

 

 かっちーん、と。目立つ真似はしたくなかったが、英国民の恥晒しをそのままにはしておけない。ついでに自身のセクシーさに文句をつけられた。

 乱暴に振るわれるその太い腕。

 一瞬、細長いケースの中にある『武器』に意識を向けたが、そんなことをすれば悪目立ちするだろうし、この程度の小物には必要ない。

 ガシィ!! とレッサーの小さな手が捕まえる。

 そのまま小動物のような軽い体は引っ張られてすってんころり―――と、行くかと思いきや、なんと地面に倒れたのはひったくり犯。

 

「ふん。私の魅力が全然分からなかったようですね」

 

 気づいた時には、宙を舞っていた。

 そのままひったくった鞄は、落下先で何かとボーリングのピンのように衝突。

 そして、一連の出来事を見ていた人々から歓声と拍手。

 

「すっげぇな、嬢ちゃん。あんな大男を投げ飛ばすたぁ、驚きだ」

 

「ありがとうございます。このお礼は何と言っていいやら」

 

「いえいえ。一英国市民として当然の働きをしたまでです。では、また」

 

 はっはっはー、とピノキオのように鼻高々と胸を反らし、観衆に手を振って応えて……と、そこでレッサーは見た。

 

 

 なんか似たような四角い鞄が3個地面に転がってる。

 

 

 なん、ですと……!?

 

 旅行者の鞄とダミーの鞄と本物の鞄……どれもが見分けがつきにくいほど似ているが混じってしまった。

 だらだらだらー、とレッサーの頬に汗が伝う。

 

(まずい、どれが<大船の鞄(スキーズブラズニル)>かわかりません……)

 

 それは旅行者の女性も同じようで。

 

「あらあら、どれがどれかわからなくなっちゃいましたね」

 

 あー、もう陽動だからって、本人にも見分けがつかないほど似てるものだっつうのは考えものです! だけど、発動しちゃうかもしれないので中を開けて確かめるわけにはいきませんし! と色々とテンパったレッサーの前に、すっと、

 

「荷物が無事かどうかも気になりますし、ちょっと中を確かめて」

 

 待ってください、と止めに入る前に旅行者の女性は鞄の表面に手を伸ばして、レッサーの短い腕では届かなくて―――なので、細いケースから思わず取り出してしまった。

 

 

「かっ、鞄を開けるなァァああああああああああああああッッ!!」

 

 

 『武器』を。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

(いやー、これは当麻さんは免許を持ってないからでありまして。後ろに乗ってるのが男性なんて普通逆だろ、と言われても仕方ないかもしれませんが、うん、仕方ない)

 

 運転する五和の後ろの座席に乗っかる上条当麻。

 先程抱きつかれた時に分かったが、やはり女の子の身体はやわらかいし、五和はスタイルがいい。

 そのお腹に手を回すだけで、その時の感触が甦ってきそうで心臓がバクバクものである。

 しかしそれとは別に段々と風を切る力が強くなるのもまた、吊り橋効果的なものでバクバクである。

 

「い、一応、法規速度を守って安全運転でお願いします」

 

 なので、当麻は反射的に五和のお腹辺りに回した両手により力を入れてしがみついてしまうのだが、

 

「ほ、ほんと――五和マジでヤバいスピードが出過ぎだって!?」

 

 実はその嬉しい反応がテンションアップの燃料となって、結果、スピードに転換されているわけだが当麻は気付かない。

 減速することなく2人を乗せたバイクは一気にロンドンの街並みを駆け抜けていく。

 タイヤを滑らせ、車体を傾け、地面を焦がしつつ、右折。体感的に、ベルトのないジェットコースターに乗せられているような気分だ。しかし、そのおかげでここへ予定よりも早くに辿りつけた。

 

 

「―――! 魔力反応! <新たなる光>です!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 下水道。

 ビルとビルの隙間。

 公共冷暖房の地下大型空調ダクト。

 私道であるため公共のカメラを設置できない場所。

 ロンドンは日本の学園都市、アメリカのニューヨークと並ぶほどのカメラ設置台数を誇る街だ。

 街頭や店舗のカメラはもちろん、自動販売機、ATM、タクシーやトラックまで。桁で言えば10万は超える監視網は、街のほとんどを埋め尽くす。

 さらに、魔術対策の世界最高峰の国家として、魔術的なセンサーにおいては、科学サイドの二つをも上回る。

 イギリス清教という魔女狩りのプロのお膝元で下手な小細工をすれば即座に察知される。

 この霧の街の影には直接戦闘員から情報収集担当が一般市民に紛れ込んでおり、国家権限を使って警官達へ偽装した手配書を回したり、街中の防犯カメラ網に重点チェックの要請も可能だ。どこかで一回でも尻尾を掴まれれば、即座に対魔術師の戦力が派遣されるだろう。

 もちろんそれでも完璧ではなく、魔術を使わなければ数少ない抜け道も存在するが、数少ないのなら特定も容易だ。

 だから、迂闊に通信術式を使えば………

 

 

 

(あの馬鹿……ッ!!)

 

 地下鉄駅の出入り口。

 レッサーの失態を通信で知り、ベイロープは泡を吹いて倒れそうになった。

 本当に、あいつは! このピンチを切り抜けても、私がアイツの止めを刺す!

 仲間(レッサー)がドジを踏んでピンチに陥ったわけだが助けに行くつもりはない。自分の尻は自分で拭いてもらう。もしくは、この手で握りつぶす。

 とにかく、この四角いカバを最悪でも1個必ず起動させる。

 キーパーを任せているランシスからの連絡待ちだが、情報露出を防ぐために土壇場まで座標情報が不明なのは厳しい。目的地が不明な分、アドリブは難しくなるのだ。

 方針を決めて、早くこの場から立ち去ろうとしたときだった。

 

「……その鞄。確かめさせてもらっても良いですか?」

 

 ベイロープは反射的に、まず鞄を確保してから、肩に提げていた1mほどの『包み』を声のした方に指しつけて、振り向き、目を見張った。

 いつの間にか、駅から人が消えていた。

 先程までこの地下鉄出入り口に行き交っていた多くの人が綺麗に消えている。賑わっていた空間から人の気配さえなくなっていた。それなのに、通信に気を取られていたとはいえ、気づかなかった。がらんとした駅は、あらゆるものが絶えたようであった。

 

「……『幽屋(かくりや)』。ここの土地の気を借りるカタチで、少しだけ位相と認識をすり替えました。魔術師とそれ以外の方とで、少しだけ感じる者を置き換えた程度ですが」

 

 大がかりな術式ではない。が、ベイロープに気づかせなかったのは、ただごとではない。ひどく繊細な飴細工を思わせるような技量の高い術式だった。

 催眠術だと思えばいい。おそらくはこの駅内に限定して、一般人とベイロープとを別々の場所へ誘導したのだ。自然に、避難させたのだ。そして、ここ、魔術で区切られた空間の出来事は、認識されないだろう。

 かつての三沢塾で張られた『コインの裏表』の結界のように。

 

「だから、少し暴れても大丈夫です」

 

 目の前に現れるより早く、ベイロープは身構えていた。

 そのターバンを巻いた少女、香椎は、表情の読めない面持ちで、じっとベイロープを見据えていた。

 避難が済んだ駅中で、天草式と<新たなる光>は静かに対峙する。

 

「鮮やかな手並みね……今の今まで魔力の気配もなかったのに」

 

 ふっ、とベイロープが困った顔で苦笑した。

 その瞳に緊張はなかった。

 ただ研ぎ澄まれた―――静かな闘志だけが満ちていた。

 

「これじゃあレッサーのこと言えないわね」

 

 東洋人で、短い刀、小太刀を差すその容姿。

 手当たりしだいに各国から優秀な人材を確保するイギリス清教の傘下に収まる天草式十字凄教だとベイロープは“事前にもらった”情報から察する。

 

「あなた、天草式でしょう? 第零聖堂区に最近入ったって言う。それでいつから?」

 

 腕ではなく体重の運用で、小太刀を鞘の内側から滑らせる。

 鞘走りの言葉そのままに、香椎の柄を握る手元から、自ら走るように、少し、刃を覗かせる。

 

「ごめんなさい」

 

 香椎はターバンの隙間から半眼になって標的を見つめ、ゆっくりと宣言する。

 

 

「今から質問できるのは、一方的に、私だけです」

 

 

 挑発とも取れる宣言に、ベイロープはあくまで静かな表情のまま、その双眸のみ冷徹に光らせ、懐から取り出した彼女専用の『角』をつける。

 耳の後ろに引っ掛けるような補聴器のような形状をし、左右に真空管が2本ずつ飛び出している。

 対する香椎は、鞘を手に、完全に刃を抜くことなく、些かも構えることなく、無造作に突っ立っている。

 どころか。

 カチン、カチン、カチン、カチン、と弄ぶように小太刀を抜き刺しをメトロノームのように一定のリズムで繰り返して、音を鳴らしている。

 

「大したものです。アニェーゼさん達の包囲網を掻い潜り、このロンドンまで侵入を果たす。これは普通の魔術結社にも中々できるものではない」

 

 ふっ、と小さく香椎は笑う。

 手元のリズムはそのままに、親しい友人に対する物腰で、気遣うように語りかける。

 

「<新たなる光>はあなたと、そのレッサーさんを含めて四人構成。その装備、またここまでの準備等、そして、メンバー個々人の人材を考えると、とても結社予備軍とは思えない。考えられるとすれば、何か支援してくれる後ろ盾があるんでしょうか」

 

 ことり、と横を向いた香椎は小首を傾げ、流し目をベイロープへ送る。

 リラックスした、日常的な態度。

 非日常の遭遇を前にしてもそれは変わらない。

 

「魔術結社ではなく結社予備軍というポジションに甘んじていたのも、その『支援者』が裏で雇う都合のいい工作部隊だったから? そう、この天草式十字凄教のようにいざとなれば切り捨てられる組織として、少人数が好ましかった」

 

 カチン、カチン、カチン、カチン、とリズムに合わせて一歩一歩、武器を持った敵の前で行ったり来たり往復。

 その見かけ以上に、隙はない。……いや、逆だ。あまりに隙だらけで誘っているように見えたから、行動できない。迂闊に動くと危険だと直感が警告している。

 単なる命知らずの馬鹿か、それとも自身の技量に自信を持つ強者か。そのどちらかを判断を下すまでは、戯言と聞き流して付き合おう。自分達のアジトはすでに調べられているようなのだから、この程度の推量はしてしかるべきだ。肝心の『後ろ盾』が分かっていなければ、何の驚くことでもない。ベイロープは少し肩から力を抜く。お調子者のレッサーのように自分から迂闊な発言をしなければいい。

 しかし、向こうはその挙動をつぶさに視察していた。

 

「その鞄。良く出来ていますね」

 

 と、美術作品を褒めるように、素直な調子で言った。

 

「………」

 

 ベイロープは無言で香椎を見つめ返す。

 無防備な香椎に『包み』を向けているとはいえ、このタイミングでこの場に、『人払い』も済ませた状態で声をかけてきた時点で、アドバンテージは向こうにある。ベイロープはイニシアチブを握られている形だ。

 

「材質は木材。しかし、釘やネジは一切使われていない。全て、ミリ単位の手作業。蒸気を当てて緩やかに曲げ、寄木細工のように複雑に組まれている。ええ、仲間の救援を無視したあなたでも、咄嗟に守ってしまうほど大事なものなのでしょう」

 

 ビクッ、と肩を反応させる真似はしなかったが、生理的に瞳孔の制御までは叶わなかった。

 

「そして、手作業で組まれたのならば、同じく手作業でも解体できますし、別の形に組み直すこともできるのでしょう。折り紙のように折り畳んで鞄から別の形に。いえ、逆に、元あった形から強引に鞄の形状に作り変えられる」

 

 これ以上は……付き合えない。

 『包み』の布が、ベイロープの意思に応じて内側から破かれる。

 

「喉が渇いてしゃべれないようなら、お茶を用意しますが」

 

「いいえ、結構。私は何も喋るつもりはないの。この鞄も、『起動』させるまでは、誰にも渡すつもりはないんだからッ!!」

 

 『包み』から解放されたのは『槍』。1.5mほどの金属シャフトで釣り竿のように『太いシャフトから細いシャフトを収納できる』携帯式。それも40cmほどの刃先がじょうだんに本、下段に1本、計4本もあり、枝切りばさみのように槍の下端にブレーキのような部品もあることからそれぞれが自在に動かせるのだろう。それこそ人の手の如く。

 だが包みを破ったと同時、『槍』を解放したのを合図に控えていた浦上が遠慮なしに、その武器の持ち手である右腕を目がけてドレスソードを断頭台の如く振り下ろす。

 斬!! と身体強化及び体重を乗せた刃は、浦上を少女と侮れば、その威力に驚く間もなく一刀両断させられるであろう。とても、片手間で対処できるものではない。

 片手で受け止められるはずが―――あった。

 

「中々重い一撃だったわ」

 

「っ!?」

 

 ドレスソードとシャフトが火花を撒き散らし、重い衝撃がベイロープの腕に圧しかかる。ただし、ベイロープは“片手だ”。

 

「形状に惑わされた! この本質は槍じゃない。この魔術的記号は『怪力』で有名な北欧における雷神の大槌―――」

 

「じゃないわよ。十字教を北欧に伝える際、十字架のない文化圏でその代わりに使われたあのハンマーは、色々と近代西洋魔術的に活用できるけど、私達が扱ってるのはそれじゃあない」

 

 そのままベイロープは手首の返しで浦上のドレスソードを払い、

 

「人払いしてくれてありがとね。おかげでこちらも遠慮なしに<知の角杯(ギャツラルホルン)>を使えるわ」

 

 そして、ベイロープはすでに術式発動を整えていた。

 

「……ッ!」

 

 緑色の放電現象がベイロープの周囲に弾ける。

 浦上のあとに続く天草式らもその電流を喰らってしまった。

 そして、パリパリというフライパンの上で油が弾けるような音。止めの第二波の準備が整い、

 

 

 ズバヂィ!!! という高圧電流の爆音が炸裂した。

 

 

道中

 

 

『<幻想投影>に扱えぬ霊装(もの)なしと聞くが。詩歌は、この剣が使えるのか?』

 

『わかりません。ですが、使えるでしょうね』

 

『ほう。面白いな。試しに<カーテナ=セカンド>を振るってみるか』

 

『それはお断りします。物の試しで私が振るうべきものではありません』

 

 その後、詫びとして、その剣用に鞘を送ったそうだが、彼女は王室の勧めに三度の断りを入れてでも、頑なにその選定剣に触れようとはしなかった。

 

 

 

 まるで絵本の童話から飛び出したような、何もかもが現実離れした光景。

 騎兵も加わる10台以上が組む馬車連隊。

 内装は王室と変わりなく豪奢なもので、金箔や貴金属で飾られた儀礼用の防具で固められ、その走行速度は科学サイドのリニアモーターカーに負けず劣らず時速500kmを超えている。ちなみに、行動を走れるようにナンバープレートも取り付けられている。

 その中央で数多くの人員に護衛される一際大きな馬車は、通称<移動要塞>と呼ばれる、英国王室専用の長距離護送馬車。

 700以上の霊装と魔法陣により徹底的に固められた防御力は、<歩く教会>の簡易法王級結界を遥かに上回り、太陽に放りこまれても3日間は大丈夫なロイヤルクラスの乗り物だ。

 この最後の飾りとしてその中に座すのはやはり、王室貴族をおいて他にない。

 

「結局、姉上は来なかったな」

 

「姉君は少々、他人を信じにくい人ですから」

 

 第二王女のキャーリサ、第三王女のヴィリアン、そして、インデックス。

 会議の決定で王女三姉妹が現場であるフォークストーンへ向かうことになっていたが、第一王女のリメエアはいない。彼女は、他者が構築したセキュリティは絶対に信じない人であり、この<移動要塞>にしても襲撃のリスクを捨て切れず、女王のエリザベートと同様に独自に行動している。

 その分空いたスペースを、限界まで広がったキャーリサのドレススカートが占有している。それとは対照的に、ヴィリアンは衣装を畳み、なるだけ他人のスペースに触れないよう気を使ってる。

 

(とうまとしいかじゃないけど。似てるようで似てない姉妹かも)

 

 インデックスは血筋は王女様ではないけれど、この豪華な内装に合う調度品のひとつのように不自然なく馴染んでおり、ごくごく普通に隅に座してお供しながら王女姉妹のやり取りを第三者的な視点で眺めている。

 

「ふん。どうせまた『自分の素姓を知らぬ民の言葉には邪気がない』とか何とか屁理屈をこねて城下へ赴いてるだろーが。今は姉上よりも、これからの国の舵取りを占うために、ユーロトンネルで判断材料を集める方が重要か」

 

 <天使長>の国王と<天使軍>の騎士団を支える<カーテナ=セカンド>の力で、この英国は外敵から守られているわけだが、それでも国は民衆により成り立つ。

 従えたところで、民衆が暴徒と化せば、たちまち国家は崩壊するだろう。

 そのような危機を防ぐため、表からは『騎士派』が、撃ち漏らしは裏から『清教派』が治安維持に努める体制をとっていたが、今回は、世界規模の大戦が関わってる。

 キャリーサとしては、今事件を名目に、是か非でもフランスは捻じ伏せておきたい。

 今事件に、フランスの関与がある場合、きっとその背後にはローマ正教の影響力がある。

 そのローマ正教の本拠地であるバチカンは大変歴史ある魔術世界ではかなり堅固な要塞都市といっても良いだろう。一朝一夕では落とせまい。

 したがって、長期戦に備え、地中海をテリトリーとしているフランスに前線補給基地をバチカンの目と鼻の先に建造させることを“協力”してもらう。

 フランスを従えずに、地中海で海上基地を作った所で、上空と海中双方の警戒をしなければならないので、軍事的にこの選択肢は下策だ。陸地の場合はたとえ底に穴があいても沈むことがなく、防壁が破れた所で塞げばいいだけ。

 とキャーリサが軍事方面での策略を思案している間、ヴィリアンが妙に気にかけてインデックスを見ていた。

 

「何か用? 訊きたいことでもあるの?」

 

「いえ……」

 

 視線が気になったインデックスが訊けば、ヴィリアンはキャーリサへとスライドし、

 

「姉君は、気に、ならないのですか?」

 

「何をだ。あの人間不信の姉上が団体行動ができないヤツだとは、お前も知ってるだろーが」

 

「リメエア姉君のことではなくて、その……『学生代表』のことです」

 

 またか、と辟易したようにキャリーサは顔を顰める。インデックスも発言こそ控えるも、耳だけ傾けていた王女様の会話に視線も集める。この中で、もっとも力があるのは、年長的にも、実力的にもキャリーサだろう。

 

「別に何の問題はあるまい。むしろ寝ている方がこちらはありがたい。真っ先に私が推し進めようとする軍事行動に反対するだろうしな」

 

「……姉君は『学生代表』のことが気に入らないのですか?」

 

「つまらんことを訊くな」

 

 ふん、と鼻を鳴らして、キャリーサが言う。

 少し躊躇してから、胸元に両手をあてながら、もう一度尋ねる。

 

「じゃあ、どういう風に……」

 

「今日のお前はやけにつっかかるな……」

 

 すると、キャーリサもこちらを疑わしげな目で見つめて、それからこう答えた。

 

「最高に憎たらしい相手で、さらに憎たらしいことに一種の天才、だと思ってたな」

 

「え」

 

 つい、声を上げてしまう。

 第二王女、姉君の口から出たとは思えない、最上級の評価であろう。

 

(でも……)

 

 何故、過去形なのか?

 今回の事件で失望したのか。いや、少なくとも、見損なったとかそういう口調ではない。むしろ、ひそかな羨望さえ、その底には混じっているような気がした。

 

「しかし、私が想定した相手ならば、ありえない失敗をした」

 

「だから、見損なった、のですか?」

 

「いーや」

 

 かぶりを振った。

 

「自分の器以上の無理をすれば、失敗しても当然だし。無様も見せよう。だが、それを間抜けだとは……少なくとも私は言わないな」

 

 外の景色を眺めながら、キャーリサは言う。

 大切なものが増えて、大事なものを守ろうとして、ついつい無理をしたのが今結果だろう。

 

「今日、分かったな。どうして、『学生代表』になれたのか」

 

 天才だから、強者だから、人気だから、ではない。

 無論、素質云々もあるだろうが、それだけで極められるほど、この世界は甘くない。

 結局、人を動かすのはモチベーションだ。

 貴族だろうと、平民だろうと、それは変わりやしない。

 

「もっとも……詩歌が持つのは、姉上の『頭』とも、私の『力』とも、お前の『徳』とも似て非なるものだ。だから、私では思いつかん方法を導き出せるかもしれないが、さっきも言ったように邪魔になることだってある」

 

 それを聞いて、インデックスは、この人は、王室の中で詩歌を一番対等に見ているのではないかと思った。

 

「それでも、処刑塔から出したいと思うなら、倒れるほど無理をしろとは言わないが、お前も動くことだな。同じように、『人徳』に特化しているお前なら、私も納得させるような、私よりももっと効果のある解決策が出せるかもしれない……」

 

「………」

 

「だから、寝坊している奴に構っている暇などないの。甘い理想論を実現させたいと願うなら、誰よりも自分に厳しくなれねば話にならん。もーすぐ到着するドーバーに繋がるユーロトンネルのターミナルで私に口だけではないと文句なしに証明して見せろ」

 

 

ロンドン

 

 

「さあ、最後はあなたね!」

 

 最初に動いたのは、ベイロープ。

 片手で四角い鞄を掴みながら、もう片方の手で手指のように4本の刃が取り付けられた槍を軽々と、豪快に振るう。

 その先端には手掴むように挟まれた近くにあった巨大な看板が。女性の片手で持てるようなものではない。おそらく『怪力』の身体強化(エンチャント)が施されているのか。

 それを投げ飛ばされる前に、飛び込んだ。小太刀を逆手に構えると、槍の側面を弾いて、その勢いで体をくるりと一回転させる。

 

「くぅっ!」

 

 ベイロープは半ば反射的に槍を返し、それを真っ向から受け止める。衝撃が腕に圧しかかる―――が、軽い。片手だが、容易に受け止められる。先程の浦上とは違い、非力だ。

 力勝負は、こちらに分がある。そう判断すると、ベイロープは槍に力を込めて一気に押す―――硬直がほんの一瞬力が緩み、わざとベイロープの槍を招き入れる。4つの刃が香椎目掛けて斬り込んでくるが、力が入り過ぎているため僅かに鈍い。香椎は半身になって前髪を掠らせるカタチでそれを躱すと―――一蹴。

 

(まずいっ!)

 

 ガンッ! と四角い鞄が蹴っ飛ばされ、手放しそうになるも、堪えた。そして、牽制に槍を振り回して、距離を取らせる。

 

(顔に合わずラフファイトもお得意なのね)

 

 雷撃を警戒してか、肌と肌がくっつきそうな近接戦。

 技量と得物の間合いからして、どうやらあちらに分がある。

 だが、わかる。さっきからちらちらと見せていたその輝きは、この感触は鋼――金属のものではない。ただ銀紙を貼り付けてそれっぽくした“木”だ。

 この小太刀は、外見だけの『銀紙竹光』。軽く振り回し易いが、殺傷性など皆無。

 だとするならば、脅威と見ていいのは、鋼糸。

 

「<七教七刃>!」

 

 下がりながら放たれる7つの線を潜り抜け、迫る小太刀の一振りを腕で受けて―――

 

「―――これでおしまいね!」

 

 ぴた、と<鋼の手袋>の動きが止まった。

 しかし、振りかざされた霊装の電圧だけで、香椎は床に押し潰されていた。

 片腕を床につき、膝を屈する。その頭上ではベイロープにのみ許された<知の角杯(ギヤツラルホルン)>により属性が付与された<鋼の手袋>の刃が禍々しく輝き、静止してなお発する緑色の雷電で、香椎の動きを封じていた。

 

「……っ!?」

 

 香椎は歯を食い縛り、顔を上げてベイロープを見据えた。

 研がれた眼光は、拘束されてなお迂闊に合わせることを許さぬ。

 

「その霊装……たかが蹴りで鞄を離しかけたということは、あなた自身に、怪力を付与するものではなく、初撃を防いだのも看板を持ち上げたのもその霊装自身の力ということですか?」

 

 ベイロープはにやりと笑う。

 

「ミョルニルは雷神トールの有名な武器だけど、トールは一度だけそれ以外のとある女巨人に借りた武器を使ったことがある。その逸話を分析して製造した霊装がこの<鋼の手袋(ヤールングレイブ)>」

 

 そういうと、レバーを動かし、金属の手袋を人間の指のように閉開させる。

 

「そちらのほうが、女性が扱うには好都合、ですか?」

 

「そうよ。あいにく、<新たなる光>のメンバー全員、華奢な女の子だと自覚していてねだから、『怪力』で有名な雷神様にあやかろうとしたんだけど、ミョルニルはちょっとヘビー過ぎて武器として扱えない」

 

「柄が極端に短いミョルニルを持てるのは神々の中でも数握り。トールの怪力があってこそその真価を発揮できた。……しかし、その形状、<鋼の手袋>だけじゃないですね? 女巨人グリーズルがミョルニルの代わりに借りたのは全部で3つだったのでは?」

 

「ええ。<新たなる光>はトールを単なる『雷神』だとは思っていない。その本質は自然の恵みを司る農耕神であって、天候神でもある。雷神の力もその一端に過ぎないと解釈しているわ。そういう意味でも、ミョルニルは攻撃的な雷神の『特色』が強過ぎて、もっと柔軟に『全能』としての力を発揮するために、ミョルニル以外の3つの武器を用意し、“組み合わせた”」

 

「組み合わせた?」

 

「あなたの言う通り、女巨人に借りたのは3点。『怪力としての腕力を増強させる』力帯(メギンギョルズ)と、『極めて強大な破壊力を生み出す』鉄の棍棒(グリーザルヴォルル)、そして、鉄の手袋。手袋の役割は不明だけど、トールはミョルニルを握り損じないためにも鋼の手袋をはめていたから、『高威力の霊装を正確に操るためのインターフェイス』と解釈しているわ。―――いずれにしても言えることはただ一つ」

 

 バトンのようにくるりと<鋼の手袋>をまわす。

 

「どうせなら、全部まとめたワンセットの霊装を用意した方が楽ってこと」

 

 その刃先を地面につきたてようとする、前に、

 

「女巨人から借りた3つの武器。―――ですが、あなたは“雷撃も操ってみせた”。『怪力』でも、『破壊』でも、『掌握』でもないその力は一体どういう……その耳にかけた、死の国の門番ヘイムダルが吹く角笛と同じ名の『ギャツラルホルン』と呼ばれる補聴器具の霊装の効果ですか?」

 

「ふふ、賢しいのね」

 

 ベイロープは微笑を浮かべる。彼女にとってみれば、唯一性を示せるこの『角』こそ指摘してほしかったのだろう。

 

「そうよ。<知の角杯>は<新たなる光>の中でもこの私――ベイロープだけに扱えるもの」

 

「ベイロープさんだけの特別?」

 

 ベイロープは、少し、肩の力を抜く。

 

「<鋼の手袋>が再現できるのは、鉄の棍棒の破壊力と、力帯による腕力増強と、『掴む』に代表される応用性だけ。でもこの『角』――<知の角杯>があれば違う。世界樹ユグドラシルの根元にある、『戦士の父(オーディン)の担保』ともよばれる知恵の泉ミーミル。その北欧の主神であっても、片目を犠牲にして得たい知恵と知識の水を飲む際に使われるのが、『角でできた杯《ギャツラルホルン》』。『インターフェイスにさらなる処理機能も追加させて性能を向上させるためのアダプタ』」

 

 戦士の父だったオーディンが、片目を犠牲にしたものの、主神の格にまで押し上げた叡智。その『神話の<禁書目録>』といってもいい根源の泉との仲介したのが『角でできた杯』。

 この<鋼の手袋>をパソコンに見立てるならば、<知の角杯>でベイロープは『雷という追加ソフト』を導入(インストール)させたのだろう。

 雷神のミョルニルとはまた別の経路で、ベイロープは稲妻を統べる。

 

「だから、私は<新たなる光>で<鋼の手袋>に雷の属性を付与(エンチャント)できる。消し済みになりたくなかったら大人しくしてることね」

 

 ベイロープの台詞に、『くっ』と香椎は歯痒さを覚える。

 

「……ですが、その最終戦争(ラグナロク)の開始を告げた不吉な角笛を使って、あなた方は何をしようとしているんですか? まさか英国に戦火を……」

 

 香椎が尋ねると、ベイロープは『そんなわけないでしょう』と嫌悪も露わに吐き捨てた。

 

「確かに、ここ一帯を焦土にしてでも成し遂げるつもりでいるけど、街を壊すのは本意じゃないの。あなた達天草式が英国に移住してきたことは知ってるけど、所詮は半年もたってない新参者。だから、“参加資格”はあるかもしれないけど、あまり出しゃばらないで。私達は、英国を変えるの」

 

 きっぱりと、ベイロープは明言した。そこには、はっきりと彼女の誇り、自負が見える。

 その意味深長な言い回しに、香椎は小さく顔をしかめた。

 

「……わかりませんね。<新たなる光>のアジトを調べていた仲間達から入った情報では、あなた達は『英国の王女たち』を狙っていると聞いています」

 

 バッキンガム宮殿は外交上の問題から魔術的なセキュリティこそないが、多数の騎士によって守られており、女王陛下の<天使長>としての力は強大だ。

 だが、英国王室の血に限って言えば、女王の娘でもある王女様達にも当てはまり、彼女達には<カーテナ=セカンド>はない。<移動要塞>から出たところを狙えば……

 

「『王家の者』を発動キーとする魔術の噂は多々ありますが、その中で最も過激なのが、ヨーロッパ諸国を仮想敵とした最後の一撃、『王家の者の死により発動する大規模破壊術式』……王女様を暗殺し、国単位を破滅させるなんて、テロと何ら変わりありません」

 

「違う! そんなのはデタラメよ!」

 

 香椎の投げた弾劾に、ベイロープは過剰に反応した。

 

「しかし、かの処刑塔でされた、『カラスが去れば、処刑塔は崩壊し、英国が滅ぶ』との予言。『倫敦の竜(ペンドラゴン)騎士(アーサー)王の伝承で、カラスは『王室の者』を指し、英国の闇を封じた処刑塔はパンドラの箱とも言えるでしょう。つまりは王女様が暗殺されれば、処刑塔の爆弾が―――」

 

「だ、か、ら! そんなの流言飛語にきまってるじゃない! いや、そうじゃない。私達はそんなことをするんじゃなくて……<新たなる光>は英国のために。この<大船の鞄(カバン)>で、私達がスコットランドで発掘したあのお方に革命のための『力』をお届けするのだ」

 

 キッと鋭い眼光を香椎に送ると、ベイロープは髪を振り回し、弁明に行き詰った苛立たしさを発散するように腕を上下させる。

 そして、激昂を鎮めると、

 

「私達は、イギリスを愛している。あなたも部外者でなければ、この切迫感をリアルに感じ取ってるでしょう。だから、今日、これからの戦争で確実に敗北するであろう英国の運命を変える。私達はそれにイギリスの魔術師代表として挑み、命を懸けている」

 

 そう断言する時、ベイロープの瞳には確たる信念が宿っていた。しかしその瞳の色は、狂信者のそれではない。むしろ、鋼の意思と情熱を併せ持つ、求道者を思わせる瞳だ。自らの言動を完全に理解し、その上でこの作戦を是としている。

 香椎はベイロープに気圧されたように口を噤み、食い入るようにベイロープを見上げ、ベイロープの演説を噛み締めるようにして聞いていた。いや、拝聴していたというべきか。

 すると、その反応が教祖を崇めるものと似ていたからか、自尊心を回復したベイロープの表情が、わずかに和らいだ。

 

「………」

 

 しばらくの間黙考した末、香椎は『そうですか』と短い感想を漏らす。

 

「私も、英国のことを想っています。あなた方と比べれば短い間なのでしょうが、好きになりました。命懸けで守りたいと思えるほどに」

 

 その言葉は、真摯な祈りのように嘘偽りがないとベイロープは覚る。

 まるで、教えを請うかのようにベイロープを見上げ、

 

「でも……わかりません。いったいなんなんです? あなた達の、いえ、先導者の目的はなんですか?」

 

 縋るような質問に、ベイロープは思わず柔らかに微笑んだ。

 そうすると、<新たなる光>でも最年長だからか、この年下でか弱い“如何にも”保護欲を擽られる少女を見て、彼女の包容力が浮き彫りになる。

 ベイロープは香椎の前で、そっと片膝をつき、目線の高さを合わせた。

 

「いい。あのお方―――」

 

 と、真摯な熱意で、おもむろに語ろうとした。

 

 

 が―――おかしい。

 

 

 ちょっと待って、と。

 ようやくこの違和感に気づく。

 自分は、作戦行動中の今、この状況で逃げもせず、捕まえようとする敵であるこの少女に何を話そうとしているのだ。

 そもそも、指定のポイントにまで急いでいたはずなのに。だから、レッサーのドジに呆れかえったのではなかったか。なのに、自分はいったい、何を……

 

「……ベイロープさん?」

 

 不審そうに尋ねる香椎を、ベイロープは我に返ってマジマジと凝視した。

 身体が強張る。

 呼吸が止まる。

 逆に鼓動だけは急激に早くなる。

 香椎はそんなベイロープを見つめ返し、

 

「どうしたんです? お願いですから教えてくれませんか……」

 

 と、無心に訴えた。

 それが決め手となった。

 この魔術大国を裏で支える旧き影。

 どんな手段を使おうとも相手に情報を吐かせる魔女狩りのエキスパート<必要悪の教会(ネセサリウス)>の異端尋問官が、無心に問いかける。

 そんなことは、絶対にありえない。魔術師を裁く魔術師とは、たとえどんなシチュエーションだろうと、無心でいることなどあってはならない。そんな甘さが許してしまうようでは、『必要悪』などと掲げられまい。

 そして、一度正気に戻ると、自分がべらべらと何を喋っていたかを思い起こし、ベイロープは愕然と凍りついた。

 『あの』とさらに香椎の声が聞こえる。『どうかしました?』と『話してください』と、頭の中で反響する。

 

 ―――しまった。

 

 ガバッ、と立ち上がりながら後ろへ飛び退ったベイロープは、<鋼の手袋>を振りかざす。

 

「今です!」

 

 しかし、周囲から一斉に投げ飛ばされた鋼糸による包囲網に束縛される。

 そして、そこにドレスソードの少女、浦上の姿も。

 

「何故……!? 私の雷を喰らったはずなのに……!!?」

 

「見た目はちょっとみっともなくなっちゃいますが、身につけてる物にダメージを肩代わりさせる隠し術式です」

 

 よっ、と膝に手を置き、香椎がごく普通に立ち上がった。

 

 

「やれやれ、先輩のようにうまくいきません」

 

 

 魔術による暗示や催眠の耐性にはプロの魔術師として訓練を受けている。

 だが、これはなんの特別な力も必要のない、だからこそ心理の隙間に刺しこまれる、単なる技術(スキル)

 頭脳と話術によって武器として扱えるほど、舌先三寸がそこまでのレベルに達している。

 

「……やったわねっ」

 

「あなたが勝手に喋っただけ。別に私はなんの嘘はついていません。言ったじゃないですか、“質問できるのは私だけ”ってね」

 

 痛恨の思いで呻くベイロープは<知の角杯>を使い、<鋼の手袋>に稲妻を集わせる。

 

「私は、運がいい。友に、師に恵まれていて、ようやくこの技を会得できました。ここに来てから仕事の合間に、鍛錬を行ってました。誰も、死なせないために」

 

 “会話”が終わり、そして、“戦闘”を始める。

 香椎は緑色の雷を前に、小太刀の竹光を正眼で構える。

 

「私は、人を殺さない。決して。約束ですから。刃物なんて持つと、些か気が咎めます。だから、竹光(これ)がちょうどいい」

 

「舐めてるの? そんなオモチャで私を相手しようだなんて、あなたちょっと人を舐め過ぎてるわよ」

 

「いえ。誤解しています。私は、真剣です。気が咎めて刀が鈍れば、どのような名刀でも鈍。そんなので戦えばこちらが負けます。それで殺されでもしたら、不幸に、させますから……」

 

 轟、と溜めた雷を放つ。

 

 

「イィ―――エヤァ―――」

 

 

 刹那、凄烈極まる気合が、相打った―――

 

 その現象に、ベイロープは目を見張った。

 

 雷が襲い掛かる直前。正眼に構えていた竹光を額に当て、タイミングを合わせたように香椎が鞘のまま振るわれた小太刀に、雷神の魔力が、まるで炎を近づけられた霜のように、瞬く間に消失したのである。

 香椎はもう一度『エイッ!』と声を出して、鞘に竹光を胸に寄せると、そこへ何かが引き寄せられていく。いや、何かではなく、雷に変換させたベイロープの魔力を。

 

「これは<雄結(おころび)>。災いをもたらす邪気を断ち、自然の霊気を受ける――現象ではなく魔力そのものを打つ神道の技術です」

 

 また、日本には落雷を切断する刀の伝説がある。気性の激しい土地で、雷神への対処法など当然、和の国の魔術師は知っている。そして、制御法も、

 

「そして、古来より、日本は雷が落ちると青竹を立て注連縄で結界を張り、雷神様の恩恵を得ていたそうです」

 

 そうだ。今、周囲には鋼糸の包囲網が張られ、さらにその鞘には鋼糸が巻きつけられていた。

 天草式は身近な物品を『偽装』して代役を立てる。

 竹光を青竹、鋼糸を注連縄に見立てて、鞘に雷神を封じ込めて、味方にする。雷神の魔力をただ切り捨てるのではなく、自分の元へと救い上げたのだ。

 

「同じく、欧州でもよく雷が落される“避雷針”となる樫の大木には雷神が宿るという伝承もあるようですが……その鞄は“樫の木”でできているようですね」

 

 その鞄を捨てなければ逃げられない、と最終宣告。

 ベイロープの持つ鞄と小太刀にパスが結ばれていた。

 

「今の自分は生命力を無駄にできませんから、あなたの魔力を利用させてもらいます」

 

 一流の魔術師同士の戦いは、大抵は始まった時にはもう終わっている。

 何故かと言えば、どのような魔術にも、ある程度の準備が必要だ。呪文や動作だけで使える魔術なんてほとんどない。限られた手札でやり合うカードゲームみたいなもの。手札を持ち寄った段階で、大体勝負は決まっている。

 つまり、先の読み合い、ということだ。

 戦いが始まる前どころか、仮想的を定めた瞬間から、すでに火蓋を切られている。あらゆる攻撃を想定して、あらゆる防御を推理して、叶う限りの手札を揃えていき。

 

「そして、神道だけでなく、仏教、十字教を組み合わせたこの一振りこそが……」

 

 今、相手の手札を把握し、こちらの準備も整った。

 

「……っ!」

 

 ベイロープはそれでも鞄を離さず、鋼糸を払うと<鋼の手袋>に乗り、背を向けて逃亡。だが、遅い。とても小太刀が届くような距離ではないが、逃げきれていない。

 良く聞くフレーズで、『抜く手も見せぬ手練の早業』、とあるが、

 

 

 ―――この鬼札は、まさにそれだ。

 

 

 規模は小さいが魔術結社には引けを取らない、一流の魔術師であると自負するものとして、その第六感を研ぎ澄ませたベイロープにも、何が起こったのか、把握できなかった。

 

 

 

つづく


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