とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 前哨戦

英国騒乱編 前哨戦

 

 

 

 

 

 

夜が、更けていく。

 

分厚い暗雲の切れ間から、時々月が垣間見えた。

 

どこであっても、月だけは変わらない。

 

その表面に刻印されたものを、餅つきをするウサギと見ようが、大きなカニと見ようが、はたまた女性の横顔と見ようが―――月という天体そのものには何の変化もない。

 

そんな月明かりの下に、夜の海は凪いでいた。

 

まるで、この世界では恐ろしい争いごとなど一切ないかのように。

 

小さな泡の混ざった波を静かに寄せては返していた。

 

暗い紫色に染まる夜空と、黒い海との境界線上に、奇怪なことに複数の人影が浮かんでいた。

 

 

「どうにか、ここまで連れてこれましたね……」

 

 

吹き荒ぶ強い風が、上条詩歌のコートをはためかせる。

 

戦場は、被害の出やすいドーヴァトンネルから“海上”に切り替えられた。

 

海水を氷海に凍らせる絶対零度の膨大な魔力を発する騎士たちと一匹の獣の影は、出会えば殺す亡霊の集団である7人のミサキのようだった。

 

いや、ようではなく、歴代称号持ちの中でも最強の代である彼らの前に立つ敵は悉く殲滅されてきた。

 

魔術師とは違い、騎士とは戦闘に特化している。

 

詩歌は、ひとつ魔力の天鎧をまとわず、その足元を湖面のように波一つ立たせずに同じく海上に悠然と立っていた。

 

夜風が黒色の髪をもてあそぶにまかせ、凄まじい神さえも撲する騎士7名と獅子を視ていた。

 

 

「豪勢ですね。学園都市の超能力者、その頂点に匹敵する7名がここにいるとは」

 

 

称号持ちが介入する戦争において、戦術の基本は、最強の騎士が陣頭で敵を蹴散らし、それを他の者が脇から支えることだ。

 

真の高位騎士達の戦闘の駆け引きなど、そもそも低位の相手にはわからないためだ。

 

だから、戦争が決着するのは個人の武勇だ。

 

騎士団史の最初期から、この方向性は変わらない。

 

だから、これは戦争であり、その決戦もまた、ごく小人数による戦いになった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()の“傭兵”が、誰もが嫌がる先頭に立った。

 

堕天した男が、白を鮮烈な闇の色に、不吉な暗黒色に染め上げた瘴気を纏っていた。

 

 

「神と単身で対峙できるはずの騎士が、かような大勢で押し掛けたことを遺憾には思うのである。だが、これは“さる高貴な方”からの命だ」

 

 

“彼女”が自分を恨んでいた。

 

それに薄々と気づいていて、けれど、詩歌にはどうしようもないから先延ばしにして―――それがこの結果だ。

 

燕尾服を着たら似合いそうな右目に時代錯誤な眼鏡(モノクル)とという騎士というより、“道化”がつくような騎士が、“傭兵”に寄り添った。

 

 

「いついかなる時も、戦力を正確に読み解く必要があるノサ。君は『神上』サ」

 

 

「上条です。それにか弱い女子を大の男が囲む状況はやり過ぎだと思いますけど」

 

 

こころから溜息をつきつつ、詩歌は7人の刺客の顔を順番に眺めた。

 

“傭兵”が、“道化”を従えていた。

 

 

「どこまでも傲慢な女よ。吾らを前に降らぬつもりか」

 

 

その隣に構えるのは、“狂想”。

 

上半身に衣服の類をつけず、複雑な刺青を肌に刻み、身の丈2mを超える古代の壁画から抜け出た凶双の剣をもつ戦神が告げた。

 

 

「コイツはリュウをもコロすケモノのオウ。それと、ドウカクのモノが7ニン。カチメはない」

 

 

真っ白な鬣をもつ獣の王を従える“獅子”。

 

 

「テメェはオレらが築いた秩序の敵だ。神サマの教えを破綻させる変革者を見逃すことはできねェんだ」

 

 

身体より倍も長い六の槍を携える無双の“六槍”。

 

 

「………」

 

 

一番遠くに竪琴を引く“蒼弓”。

 

そして、“傭兵”の隣に―――“太陽”が。

 

いずれも英霊と称されるべき、“イギリス”の円卓騎士の名を継ぐ真の<神撲騎士>だった。

 

そして、この包囲網が成ったのは、賢妹を憎む彼女あってこそだ。

 

 

「……海の上に誘き寄せたのは間違いでしたね」

 

 

それを齢いまだ成年に見たない賢妹が、歴戦の騎士を前に遠慮なく異議を唱える。

 

その開かれた掌に浮かんだ魔法陣は巨大ではない。

 

だが、平面ではなく、硬貨(コイン)を空中で弾いたような立体的な乱回転をする。

 

 

「ここなら加減しなくても良さそうです」

 

 

大気が鳴動し―――音が、消えた。

 

 

「<幻罰猟犬(クン・アヌン)>」

 

 

ぞっ、と海上を、おぞましいほどの魔力が満たす。

 

もしも、天空を見上げていれば、もっと別の現象に気づいていただろう。

 

まるでその手もとの魔法陣と連動したように天上の月が回転し巻き込んでいるように、夜空にかかった月を中心に、黄道十二星座のラインがぐるり歪んだのだ。

 

そして次の刹那、降り落ちた光は正確に“傭兵”の身体を捉え、暗海から夜空まで貫く柱として突き立ったのである。

 

衝撃で海は穿たれ、海底まで貫通し、空気分子が灼熱に沸騰する。

 

『カバラ』を基礎にした<神の力>から創られし<妖精>を呪媒(カタリスト)にして発動させたこの天使の術式は、ソドムとゴモラを滅ぼした天罰の災火だ。

 

その限定的な円柱の空洞に閉じ込められた者は一歩も動くことを許さずに隔離される。

 

だが、“傭兵”は、一言、こう告げた。

 

 

 

「―――優先する」

 

 

 

騒乱の開幕を告げる、水際の号火があげられた。

 

 

 

 

 

当麻の部屋

 

 

 

いつもよりも早く目覚めたかと思ったら、メールが届いていた。

 

風呂場の就寝スペースで、上条当麻は無表情のまま、唇をきつく結んで、その文面を見る。

 

瞳が険しく、秘めた怒りか悲しみに翳る。

 

引き結んだ唇が、やがて、ふるっと震えた。

 

当麻は険しい顔のままで、立ち上がりリビングに向かう。

 

ベランダに朝日がキラキラと零れ落ち始める時刻。

 

歩きながら、ゆっくりと携帯を閉じ、台所で水でも飲もうかと……

 

お鍋がじゅーじゅーと煮える音に、高温のフライパンがじゃーじゃー鳴る音。

 

そして、

 

 

「ふわわ!?」

 

 

おっと、勘違いしてはいけない。

 

当麻さんは寝起きで、寝惚けて女の子を襲う真似はしない。

 

最初はインデックスかと思い、軽い感じで挨拶しようとしたらこの反応だ。

 

ビックゥゥッ!?!? と驚いているが、本当はこっちが驚きたいくらいだ。

 

ゆったりと体の線を隠せる大きなニットのワンピースに、ショートパンツとレギンスで、エプロンをつけている。

 

腰ひもがぴこっとリボン状に結ばれ、それが少女の引き締まったくびれを強調している。

 

でも、ターバンのような布で頭を覆い、その間からところどころぴょんと跳ねてる長い黒髪で、前髪が妙に長く、そのせいで少女の表情は窺えない。

 

彼女と向かい合う形になった当麻は寝起きの頭を働かせて記憶を探ったが………見覚えは、ない、か。

 

……ただ、当麻が言うのもなんだが、美人だけど色々と台無しになってるタイプだよなと思う。

 

で、だ。

 

 

「………」

 

 

あまりの事に言葉が出ない。

 

この女の子は誰なんだ、と頭の片隅で思うのだが、違う片隅では、部屋に誰かが入ってきてインデックスが気づかない訳がないと冷静に考えている。

 

今もベットで寝ている『若い』と『幼い』の境界線上でふらふらするような少女だが、だからこそ、人一倍に気配とやらに敏感の筈だ。

 

第一に、どこからどうやってこの部屋に入ってきたんだ。

 

迷い込んだ、わけではないだろう。

 

鍵はかけたはずだが、今まで家主の許可なくいつの間に部屋に見知らぬ人間が居座っていたことがあるし、防犯について見直さなければならないのだろうか。

 

そして、何故自分の部屋にいて、しかも台所で飯を作っているのだ。

 

まったくわけがわからない。

 

だけど、この少女が不法侵入者であることは確かなので。

 

 

「あ、あのー……」

 

 

恐る恐る、当麻が話しかける。

 

途端に、熱湯の滴でもかけられたように、ビクッと少女は後ずさる。

 

……何だか彼女に避けられたことが地味にショックで、当麻は続く言葉を呑み込んでしまう。

 

 

「ひゃ、はじめまして―――」

 

 

と、声を張り上げた。

 

ただし、張り上げると言っても、小さな地声を精一杯頑張って振り絞ったような声だ。

 

後輩の女の子に伝説の木の下で、恥ずかしがりながらも告白されるような……そんな経験なんてないけど。

 

 

「わわわ、わたくしは、天草式のか、香椎(かしい)といいます」

 

 

「アマクサシキノカシイ?」

 

 

「は、はい! 長崎の香椎聖母宮と同じ字で香椎。よろしくお願いします!」

 

 

礼儀正しく綺麗に一礼。

 

ようやく、当麻もああ、神裂や五和らのいる天草式か、と理解。

 

『こんな奴いたっけ?』と最初思ったが、荒事には建宮ら男性陣が前に出るだろうから、香椎は裏方が多いのだろう……

 

魔術だけでなく武器も扱う武闘派な天草式十字凄教でやっていけるのかと心配になるくらいだ……

 

だから、当麻が今まで見かけなかったのも無理は……ないか。

 

そう考えて見れば、彼女が作っているこの料理は確か、法の書事件のお見舞いで神裂が持ってきたお重と似てるな。

 

それにおいしそうな食欲を駆り立てる臭いに混じって、鼻の奥に甘く、胸が締め付けられるような香りを感じて、無意識に手を伸ばし―――

 

 

「ふわわっ!」

 

 

びくっとまたも避けられた。

 

 

「当麻様のことは五和お姉様や女教皇(プリエステス)様から聞いているのですが、殿方が苦手で、ご、ごめんなさい!」

 

 

「あー、そうなのか。悪い。ちょっと料理が美味しそうだなー、って、手が勝手に。これからは気をつけますはい」

 

 

気まずい気分で誤魔化しつつ当麻が謝る。

 

香椎は自分の胸を押さえたまま、そんな当麻をぶるぶると震えつつも見つめる。

 

野生の小鹿が少しずつ人間に距離を取るように近づき、当麻も刺激しないように動かない。

 

 

「ふふふ」

 

 

と、強張っていたはずの顔に微笑が浮かび、

 

 

「つまみ食いはダメです。めっ」

 

 

とん、とおでこにチョップされ、当麻の顔は赤みを帯びた。

 

そして、リビングで待っててください、と言うと香椎は調理場へと戻る。

 

全然痛くないのだが、頭が真っ白になったというか、叩かれた額を手で押さえながら、ぼーっと彼女の言う通りに、テーブルに正座で着く。

 

何だかいつの間に手玉に取られたような気がするも、躾けられた犬の如く待て。

 

そこで、もぞもぞとリビングの白い毛布に包まった子羊の目が覚める。

 

 

「とうまー……」

 

 

「ああ、おはようインデックス」

 

 

ようやくお目覚めのインデックス。

 

じーっと手で目をこすりながら寝惚けまなこでこちらの顔を見つめて、

 

 

「……顔が変」

 

 

「そこは変な顔じゃねーの!? 開口一番に顔が変っていくら当麻さんでも傷つきますよー!」

 

 

ふああ~あ……むにゃむにゃ、とインデックスは軽く伸びをする。

 

リビングの窓から差し込む朝陽に銀色の髪が舞う。

 

 

「それよりインデックス。お前が寝坊なんて珍しいじゃねーか」

 

 

「うーん。今日はいつもよりも何だかよく眠れた気がするんだよ。安心感? っていうか―――あ、ごはん」

 

 

ああ、それなら、と言うよりも早く、食欲をかきたてる良い匂いがリビングへと運ばれてきた。

 

途端、がばっと跳ね起きて、くんくんくんくんくん!! と仔犬のように小さな鼻を鳴らす。

 

もし尻尾があれば、もうぶんぶんぶんぶんぶん振り切れんばかりに振っているだろうこのご機嫌具合だ。

 

 

「んんんんん!?!? とっ、とうま! すっごくいい匂いがするんだよッ!!」

 

 

「覚醒早っ! 寝起きのリアクションだが半端ないなお前。いや、いつもどおりか」

 

 

「このご機嫌な匂いはほっかほかの白米! ジューシーなお肉! お魚! シャキシャキのお野菜! ん? この香りは、薬草(ハーブ)? セイヨウカノコソウ…ナツシロギク…ヘンルーダ…それに、Forget me not」

 

 

インデックスは一応『一度見た物は絶対に忘れない』完全記憶能力の持ち主で、その特異体質を駆使して10万3000冊の魔道書を一字一句漏らさず頭の中に保存している魔道図書館<禁書目録>なわけだが、美味しい食べ物の前では食欲旺盛なワンパク娘にしか見えない。

 

そのいつもどおりな様子にこちらも段々といつものペースに落ち着いていく。

 

 

「相変わらずの食スキルだな。嗅覚がすごいのか情報を頭の中で照合する記憶能力の正確さがすごいのか、いや両方か。で、最後のはなんなんだ?」

 

 

と、訊きながら、正座を崩して炬燵の中へと足を入れて、当麻は適当にテレビのスイッチを点ける。

 

毎朝見ているニュース番組が流れていた。

 

今日は何か世界各国の災害について焦点をあてているらしく、今もイギリスとフランスを結ぶ海底トンネル付近で海底火山が噴火したとかなんとかの話が紹介されている。

 

 

勿忘草(わすれなぐさ)のことだよ。本当の名前を忘れられた草だから勿忘草。さっき言った薬草も魔女が疲労回復の薬で使うもので、特に勿忘草は、疲れを忘れる効果があるんだけど。間違えると自分のことさえも忘れてしまうから取り扱いが難しいかも」

 

 

「分量用法をお気をつけて下さいって徹夜を耐え抜くための栄養ドリンクみたいなものかー。ま、何だか怪しい方向に行ってっけど、普通の美味しい朝ご飯だぞー」

 

 

「それでとうま。その朝ご飯は誰が作ってるの?」

 

 

「ああ、それは天草式の香椎って奴でなー。かなりの調理スキルとお見受けした……そういや、何でここに来たんだ? もしかしてこれは魔術的トラブル(パターンベータ)の予感」

 

 

「何かもう諦めてるようだけど、また女の子なんだね。それも朝っぱから」

 

 

「いや、すぐそこに迫る身の危険(パターンデルタ)かもしれない」

 

 

ぎぎぎ、と振り向くと完全無表情のインデックス。

 

羊の沈黙。

 

大きく爆発することもなく『……いいもん』と口の中で呟き、ごろんとまた布団にくるまって不貞寝するのは本気でマズい。

 

『もうっばかばか、とうまのばか!!』レベルを超えていて、どんよりとしたオーラみたいのまで見える。

 

何故こうなった、と言うかインデックスは何に拗ねているんだ。

 

自分の朝の日課にしていた朝食作りを取られて、それを愚兄が楽しみにしてたのも不機嫌の原因なのだが、当麻は気付かない。

 

当麻はしばらく思索を続けた結果、インデックスの背中に向かって頭を差し出す形で、静かに土下座を、

 

 

「……その、何だかよくわかりませんが、火山が爆発する前に、いっそ噛んでくれませんかね。その方が上条さんの頭蓋骨は噛み砕かれずに済みますし、眠気覚ましにもなると思うのです」

 

 

と、そこでこたつの中から飛び出す小さな影。

 

三毛猫のスフィンクスだ。

 

お盆に大量の朝食を乗せて現れた香椎の前に、ビシィッ!! と背筋を正してお座り。

 

躾けてもないし、飼い主の言うことも聞かないのに、なんだそのよく訓練された忠犬のような態度は。

 

そんなここ最近はめっきり見なくなった三毛猫のお座りに、当麻は呆れた視線を送り、香椎はクスリと笑うと机の上にお盆を置いて、しゃがみこむと頭をなでなでしたり、喉をこりこりしたりする。

 

『もっと構ってー』とでもいうように三毛猫はさらにお腹まで見せて、ごしごしするとごろごろと返す。

 

人の気配にむくりと身体を起こしたインデックスは、布団に包まったままの子羊モードで、香椎を見た。

 

 

「?」

 

 

その緑色の瞳をぱちぱちとしてから、

 

 

「?」

 

 

と、もう一度香椎を見て、疑問符を浮かべて首を傾げる。

 

人懐っこいインデックスにしては珍しく戸惑っているというか、何か小骨が引っ掛かるような違和感に判断できかねない様子で、当麻をチラッと見る。

 

そこで、香椎が先手を打った。

 

 

「はじめまして、天草式の香椎と言います。それで、あなた様が……」

 

 

「う、うん。私はインデックス。よろしくね、かしい」

 

 

「どうしたんだよインデックス。まだ頭寝てんのか?」

 

 

「失礼だねとうま! ただ、ちょっと……必要最低限と言うか、生命力の無駄に出るノイズが全然ないから……」

 

 

あの式神の少女のように。

 

でも、彼女はまぎれもなく人間だ。

 

けど、それが逆に気になるというか。

 

それに疲労回復の薬も。

 

つまりそれは……

 

 

「大丈夫?」

 

 

もっと良く見ようと身を乗り上げて注視するインデックスを、にこやかに見返す香椎、

 

 

「心配してくれてありがとうございます。ただ、ちょっとここまで強行軍で疲れちゃっただけです。それよりお布団を畳んでお着替えください。美味しく出来た朝食が冷めてしまいますよ」

 

 

ぴくっと反応するインデックス。

 

そこへおかずの一つをその口へと運んでいき、パクッと。

 

 

「きょうは会心の出来ですが……どう、ですか?」

 

 

「☆☆☆☆☆☆☆!!!」

 

 

「うわっ、うわっ、うわぁーっ!? ヒトミん中星だらけ! インデックスの顔がものすんごい笑顔になってる!!」

 

 

どたたたーっ! とインデックスは早速身支度を整えに、シャワー室へ。

 

やはり、食べ物が関わるとあの修道女の動きは加速するな。

 

ニンジンを眼前に吊り下げられたウマかよ、なんてことを思いつつ当麻がおこたでぬくぬくしていると、おずおず……

 

 

「あの、当麻様も荷造りを」

 

 

それにしても案外、ちゃんと話せるのか。

 

初めてにしてもインデックスの操縦法も中々だったなー……………なんてな。

 

 

「え? 荷造り? ってことはどっかへ出かけんのか」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「いただきます」

 

 

料理に手を合わせた当麻は、まずは肉団子に箸を伸ばした。

 

一口サイズの大きさをそのまま口に入れて噛み締めると、溢れ出る肉汁がこれでもかと美味さを主張してきて、口いっぱいに肉本来が持つ旨みと風味が広がる。

 

 

「………どうです?」

 

 

少し不安そうに尋ねられた時には、当麻はその味に頬を緩めていた。

 

出る感想は一つだ。

 

 

「香椎、メチャクチャ美味いぞ」

 

 

すると、香椎はほっと胸を撫で下ろしたように笑って、

 

 

「そうですか……良かったです。それじゃあ、残りも遠慮せずにどうぞ」

 

 

その言葉に当麻は頷くと、インデックスに負けじと一気に料理を食べ始めた。

 

香椎の作った料理は、そのどれもがとても美味かった。

 

種類もボリュームも多かったが、その美味しさに箸が休まることはなく、そんなこちらを嬉しそうに眺める香椎の前で、当麻とインデックスは競うように次々に皿を空にしていき―――あっという間に、全ての料理を完食した。

 

その間、香椎は二、三口にしただけで、ハーブティーを舐めるように口に含んでいた。

 

満腹と満足、2つの幸せを満喫した当麻たちは、せめて食器洗いくらいは働こうとしたのだが『食器洗いまで料理の一環です』とインデックス共々断られた(と言うより、当麻の場合は近づくたびにふわっ! とビビられた)。

 

 

「そ、それよりも、手荷物の確認をお願いしますぅ」

 

 

そんなわけでせっせと鞄に適当に着替えなどをスーツケースに詰め込んでいる。

 

にしても、香椎の料理はオーソドックスなメニューながら、素材が持つ本来の味を活かすために丁寧に下拵えと、絶妙な火加減と味付けなどが行われ、更に盛り付けなど見た目にも手を抜かない。

 

かなりレベルが高い……けど、なんか違和感が。

 

 

「かしいの料理、初めて食べたのになんだか懐かしい感じがするかも」

 

 

そう、それだ。

 

単純に美味しいだけじゃなく、すごく自分の舌に合っていた。

 

 

(これも環境に溶け込む天草式の能力か)

 

 

勝手に忍び寄った不審者の筈なのに、受け入れてしまう天草式マル秘スキルは流石だなー、と当麻の視線は自然と香椎のことを追っていた。

 

 

 

で。

 

 

 

「えー……今回は何処に行くんでせう?」

 

 

「イギリスです。今朝のニュースをご覧になったでしょうか。ユーロトンネル付近で起きた火山の爆発。それは自然発生した天災ではなく何者かが意図した人災であり、魔術的な要素が関わっているとされています」

 

 

イタリアのキオッジア。

 

フランスのアビニョン。

 

と、海外旅行が絡むとだいたいロクな目に遭わない。

 

そして、今回は魔術大国にしてイギリス清教の総本山。

 

また嫌な予感がする………が、魔術的な要因が絡んでいるのならば、その調査には<禁書目録>が適任だ。

 

またインデックスが招集されるなら、保護者役の上条当麻もまた同行しなければならない。

 

 

「うわーヤバそうだなー。面倒くさいなー」

 

 

「……とうま、何だかうれしそうだね。顔が変だよ」

 

 

デカい魔術トラブルに飛びこむのだ。

 

嬉しくないに決まってるさ、ねぇ?

 

ああ、行きたくない。

 

けど、ここで学生寮に篭って徹底抗戦の構えなんてしたら、ルーンの魔術師ステイル=マグヌスが炎の巨人を突っ込んできそうだ。

 

問題が大きいから無視するわけにはいかない。

 

ブチブチ文句を言っても仕方ないのだ。

 

 

「そういや、お呼びのかかってるイギリス清教の本拠地ってお前の生まれ故郷なんだよな」

 

 

「うーん。私は一年ぐらい前より昔の思い出はないし、あんまり実感はないかも」

 

 

そんなことを言うインデックスは、特に無理しているわけでもなく、その言葉の通りに特別な思い入れはもっていない。

 

……思い出が、ない。

 

それについて、愚兄は……

 

 

「あー、一応、学校に連絡を入れといた方がいいのかこれ」

 

 

タイミング良く片付けを終えて戻ってきた香椎に、尋ねる。

 

 

「いえ、学園にはなるべくご内密に」

 

 

「え? 何でだ。色々と裏技ばかりだったけど、学園都市の『外』に出るのって、発信機能のついたナノデバイスを体内に入れたり保護者を同伴させなきゃいけないんじゃなかったっけ?」

 

 

「準備と手配はこちらで済んでいます。その、詳細については……向こうで」

 

 

 

 

 

処刑塔

 

 

 

夜が、明けていく。

 

 

 

地平線から離れつつある太陽を断つとばかり、ぬうっと屹立する、ひどく古びた巨塔。

 

切り出された大理石ひとつとっても、その歴史を窺えるほどの建造物。

 

鉄の門につけられた鐘を、門番が鳴らせば、少し反応にまで時間がかかったが、微かな音が返される。

 

ず……ず……と、重々しく耳障りな音が、塔の内側から響いてくる。

 

金属同士が擦れ、錆を削っていく音だと気づくのに、もう数秒は必要だろう。

 

鉄の、門。

 

塔の正面に据え付けられた門扉が、震える。

 

夥しい錆を落としながら、その門に漆黒の裂け目が生じた。

 

光が差し込んでいくのではなく、内側の闇が陽光へ染みだしてくるかのようであった。

 

どろどろとした、数百年もかけて醸造された闇の成分。

 

その名は嘆きか、怨念か。

 

この門を潜った者は二度と陽の目を見ることはない囚人たちの末路。

 

英国でも知らぬものとてない建造物。

 

曰く、女王陛下の宮殿にして要塞、そして、監獄。

 

 

それが、この魔術大国の中枢たるロンドンにおいて、なおその頂に君臨する処刑(ロンドン)塔。

 

 

1078年、征服王ウィリアムによって建造された砦は、世にも血塗れな歴史を持つ。

 

初期こそは砦であり、後に国王が使用する宮殿となったが―――同時に、身分の高い政治犯を幽閉するための、呪われた場所とも変じていった。

 

14世紀にはあるスコットランドの英雄を車裂きの刑、

 

15世紀後半にはランカスター朝最後の王を断罪、

 

16世紀に至っては女王陛下すらをも幽閉した。

 

とりわけ罪を犯したと捏造された第二王妃の恨みも深く、現代においてすらその幽霊を見たという証言に事欠かない。

 

今は、国民に内部を一般開放され、その歴史の紹介に英国王室が所有する宝石類も展示されている観光施設としての顔もあるが、その裏にある『死角』では今も血と拷問と断頭台の暗黒施設として稼働し―――学園都市の王女様を幽閉。

 

ホワイト・タワーとは言うものの、かつての白漆喰は完全に剥がれ、むしろ茶色っぽい石壁を外界へと晒している。

 

増築・改築を繰り返され、二十以上を数える砦の塔の中でも最初に建築された――まさしく処刑塔の中核となる建造物。

 

一際に鬼哭啾々とした雰囲気を漂わせるここに、『眠り姫』はいる。

 

 

「相変わらず陰気な場所なりしね」

 

 

地下への階段へと降りていったところで着いたのは石と鉄に覆われた寒々しい空間。

 

ここはかつて拷問に使われた地下室であり、凄惨さといくつかの事情からいまだに観光用に開けられていない―――魔術に生きる者としては、それこそが真の処刑塔だ。

 

電灯はなく、唯一の光源は『眠り姫』から溢れる白きもの。

 

檻に遮られた向こう。

 

そこに闇と同化することを拒むように仄かに燐光を放つ繭、その表面にうっすらと少女の輪郭が映る。

 

それを見つめる男女が二人。

 

規則には反したベージュ色の修道服に身長の二倍以上の金色の長髪を髪飾りで巻いてまとめている女性は、『清教派』のトップである<最大主教(アークビショップ)>のローラ=スチュアート。

 

整った金色の髪や目鼻顔立ちと言った身体の作りから、着ているスーツの質、さらには背筋を伸ばした姿勢まで、公式の場でのフォーマットが染みついている英国紳士。

 

多少若作りしている感はあるものの三十半ばほどの男性は、『騎士派』のトップである<騎士団長(ナイトリーダー)>。

 

三大派閥の長の内、二名がここに揃っている。

 

が、もう一つの長である“あのオンナ”はまだ来ていない。

 

 

「『王室派』のトップはまだ来ないのかしら。そろそろ、『眠り姫』の処遇について三派閥が揃いて協議を始めたいのだけど」

 

 

いつものように柔らかい調子でローラが尋ねるが、そっけなく騎士団長の表情は険しい。

 

 

「……女王陛下を始め、『王室派』の方々は、このような場所に来られるほどお暇ではない。警察や議会など、様々な関係機関を掌握し、適切に動かすために尽力なさってくださってるのだ」

 

 

「あと、“学園都市への隠蔽”も忘れたりけるわよ」

 

 

余計な口を挟むなとばかりに睨まれ、ローラは息を吐く。

 

イギリスには3つの派閥があり、そこに明確な力関係がある。

 

『王室派』は『騎士派』に強く、

 

『騎士派』は『清教派』に強く、

 

『清教派』は『王室派』に強い。

 

『清教派』は、『騎士派』にあまりよく思われておらず、立場上の力関係では向こうが上だし、武力行使では敵わない。

 

そのため、『騎士派』を抑えてくれる『王室派』がいない限り、三竦みによる権限の対等が崩れて、『清教派』の長であるローラは色々とやり難いのだ。

 

 

「……貴様達が仕事を怠ったからこんな事態を招いたんだろう」

 

 

「それを言われるのは心外なのよ。そもそも、『騎士派』の方々も『王室派』の命を受けて監視してたかと思いしけど。それに海上に騎士らしき集団が目撃されたとの報告もあるけど」

 

 

「言いがかりはよしたまえ。にしても、あの神裂火織がついていて、姿を晦ましたとはな」

 

 

「神裂は四角四面で融通のきかないし冗談が通じない真面目なタイプでありしからな。『騎士派』と同様に、妖精の悪戯にはころっと騙されてしまうのよ。小細工では向こうが何枚か上手だったのかしら。だから、こうして<禁書目録>を極秘に招集しけるけど」

 

 

“少女”と、神裂火織、及び天草式十字凄教に個人的な親交――穴があったかが、そこは口に出さないでおく。

 

『騎士派』の長もそれを承知なのだろう。

 

 

「どちらにせよ。責任の押し付け合いをしている場合ではない」

 

 

『この宗教を騙る策士如きが何を考えている』と訝しみつつも話を進める。

 

ここで問い詰めても『清教派』は分が悪くなれば、天草式はそれ独立した傘下の小組織であることから、都合が悪くなれば単独行動を許したと全ての責を押し付けてトカゲのしっぽ切りにするだろう。

 

そして、外交問題になれば一番被るのは『王室派』だ。

 

一国を守る騎士としてはその事態は避けねばならない。

 

なんとしてでも。

 

 

「イギリス内に不穏な動き。ローマ正教十三騎士団『ガウェイン』が処刑(ロンドン)塔から脱走。そして、ドーヴァー海峡ユーロトンネル付近で莫大な、因果律にさえ干渉しかねないほどの魔力反応を確認……―――そして、事件現場でこの状態で昏倒していた『学生代表』上条詩歌。フランスとも通じている疑いもある以上、容疑者として見られるのも仕方あるまい」

 

 

「この『眠り姫』が冤罪で、英国を守ったヒーローだったとしたら大変なりけるでしょうね。こんな所に閉じ込めちゃって。化けて出てくるかもしれないわね」

 

 

「ふざけたことを言うな。話せる状態ではないなのだから仕方あるまい。少女とはいえ、アイツ……『後方のアックア』を討った実力者だ。処刑塔でしか封じ込められん。それに、被疑者だとすれば、狙われるのは彼女。これは、あくまで保護が名目だ」

 

 

一番厳重な監獄は、堅固な要塞でもある。

 

容疑者に挙げられているとはいえ、この『眠り姫』は今の同盟相手である学園都市の姫様。

 

対応も<必要悪の教会(ネセサリウス)>にしては行儀の良い方で、普通ならここに入れられる人間は薬物投与か両手両足の腱を切ったりするものだが、この繭を暴いてすらいない。

 

彼女の頭に真相が詰められているはずだろうが、拷問は禁じられて、手が付けられない。

 

第一に、『兄妹』と親交の深い人間が多いイギリス清教では、下手をすると脱獄を補助するものが出るかもしれないので、ここにきたのはローラを含め少数の人間。

 

理ではなく情で動きかねない<聖人>を護衛に連れていないのはそれが理由だ。

 

 

(<幻想殺し(イマジンブレイカー)>をイギリスに呼ぶのも、結構な博打なりしけど)

 

 

故に、真相を知るのはユーロトンネルとドーヴァー海峡で起きた戦闘の痕跡を<禁書目録>に調べ上げさせるか、真犯人を捕まえるか……だが。

 

 

「で、『眠り姫』と同じくこの処刑塔に閉じ込められていた、犯人とおぼしき“ローマ正教の騎士”はどうやってここを出たりけたんでしょうね」

 

 

この処刑塔は、普通ならば出ることはできない。

 

ただ一つの例外――上層部の何者かによる司法取引がなされなければ。

 

 

「このイギリスに内通者がいるとでも言うのか」

 

 

くだらん、と騎士団長は吐き捨てた。

 

 

「まあ、最悪の場合は、名誉の戦死をしたとかでっち上げて女王陛下から勲章を与えれば、学園都市にも面目が立てたるわよ」

 

 

「心の底から言おう。貴様は早死にすべきだ」

 

 

 

つづく


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