とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

268 / 322
想起血祭編 大規模感戦

想起血祭編 大規模感戦

 

 

 

とある高校

 

 

 

―――何かが、来る。

 

 

 

最初に感じたのは、気配だった。

 

恐ろしく、忌まわしい、巨大な気配。

 

すぐそばまで、いいや急速にその気配が膨れ上がり、灰色の霧となって第七学区のとある高校まで押し寄せてきた。

 

上条当麻の意識はバンジージャンプのように、真っ逆さまに墜落していった。

 

 

 

 

 

公園

 

 

 

最近、新たにつくられた森の中。

 

秋風に梢が揺れて、さやかな音が立てる。

 

あるいは足元の灌木が、あるいは頭上の広葉樹が、重層的に葉擦れの音を重ね、ゆるやかに空に浸透していく。

 

その森の、一点、ぽっかりと。

 

直径1mほどの輪になるよう丸い小石で区切られた、今も繁茂するクローバーの草地がある。

 

そう、妖精の輪、が。

 

 

―――すぅ。

 

 

不意に。

 

その輪の中で、陽炎の如く何かが揺らめいた。

 

瞬間、揺らめきを切り分けるようにして、さらなる影が浮かび上がる。

 

一匹の猫と一人の少女。

 

誰かなど問うまでもなく、スフィンクスとインデックスだ。

 

はたして奇態な草の輪の中央で、インデックスはぐったりと座り込んでいた。

 

 

「……ふぅ。準備してなかったら、逃げられなかったんだよ」

 

 

細く、修道女が息を吐く。

 

ひどくか細い吐息。

 

元々は学生選挙に起こる抗争の為に、学園都市にある全ての『竜穴』を抑えたとは言わないが、全学区それぞれの土地にそれぞれの特徴を活かして『森』を配置している。

 

『前方のヴェント』が起こした魔術テロの防波堤だけど名目上は緑化運動で、勝手に木を植えるわけにもいかないから後ろ盾とはいえ魔術知識に疎い親船最中に許可がもらえるよう説得したり、『学生代表』になるまでに築いたコネクションやネットワークを大いに活用しなければならなくて、色々と大変だったと賢妹は嘆いていたが、いざ作業になれば庭に新しい遊具をつくったかのように事を成した。

 

インデックスも監督していたけれど、あの科学技術や能力もそうだが、一日で神秘として“も”機能するよう調整したその手腕と感性は、能力者としても魔術師としても異端かもしれない。

 

そのおかげで、主たる彼女は今はいないが、こうしてインデックスは助かった。

 

無駄な消費を抑えるため、<ケルト十字>を外し、維持にと続けている供給を止める、とぐらりと身体が揺れる。

 

 

「……っ、あ」

 

 

小さく、呻きが漏れる。

 

額に、嫌な汗が浮いていた。

 

元々が科学素材の頑丈な布地で、魔術結界が張られていた<歩く教会>に守られていたとはいえ、あれは常識外の怪物。

 

あの三沢塾で<吸血鬼>の生じる瘴気に、発した鬼気を完全に無力化できたわけではない。

 

外傷こそないが、魔に耐性のあるインデックスを憔悴させたほど禁忌に踏みこんでいる空気は忌み穢れていた。

 

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 

座り込み、意識した独特の呼吸法で体内を整える。

 

呼吸は、魔術においても、重大な要素の一つだ。

 

呼吸を操作することによって、ひいては自分の精神も操作することができると、様々な文献から主張されている。

 

これは魔力を必要としない単純な、空気の濃い『森』を利用した身体活性化の法。

 

木々は有害な菌や、植物から森を守るために揮発性物質を放散しており、その発散物質は肝機能の改善や自律神経の安定にも効果がある。

 

修験者などが昔から山ごもりをするのは、こういう場でこそ怪我の治りが早かったり、強い集中力が得られるからだ。

 

して、魔術的にも自然の流れが集う場所で休めばそれだけでも、細胞のひとつずつにまで沁み込んだ鬼気の残滓を、この場の清浄さをもって押し流し、賦活させていく。

 

しばらくすると、修道女の顔色は元通りにまで回復した。

 

ただし、またすぐに青くなる。

 

 

「まさか……これって……」

 

 

公園から出て、インデックスは、掠れた声で呻いた。

 

第7学区の、異様な光景が眼前に広がっていた。

 

ハロウェインの時期だからか、どこでもカボチャのジャック・オー・ランタンがあり、目に見える範囲内の商店は、本場英国の修道女の目からすると様式が甘いが、コウモリやウィッチの帽子などファンシーな装飾で彩られている。

 

やや離れた場所にある洋菓子店の店先には『トリック・オア・トリート』と書かれた看板が置かれて、特別フェアが実施中だ。

 

一見する限りでは、どこにでもあるごく普通の街並みだ。

 

ただし、インデックスを戦慄させたのは、街を歩く人々の様子だ。

 

皆、一言もしゃべらず、夢遊病のように頼りなく、何処に向かうでもなくふらついている。

 

スーツを来た会社員や制服姿の学生、コスプレした店員やカップルの姿まであるのに、誰一人として口を開く者はいなかった。

 

感情のない虚ろな瞳で前方を見据え、ゆっくりと街の中を目的もなく徘徊する。

 

どこからともなく陽気なBGMが流れる中、亡霊のように移動していく光景はまるで悪趣味なオルゴールのようだ。

 

視界の中にいる人々は、全て――――

 

 

 

 

 

三沢塾

 

 

 

―――死なないからこそ、死に憧れる。

 

―――老いないからこそ、滅びを夢見る。

 

 

全国に支部をもつ学生塾であり、カルト集団となり果てて滅んだ廃墟。

 

一度は栄えた場所であり、二度とはその栄華を取り戻せぬ場所。

 

いるべき者がなく、ただ通り過ぎた人の残り香だけを漂わせた場所。

 

故に生物の限界さえも超越し、やがては滅びに夢を見る、生に飽きる……

 

そんなひっくり返った価値観をもつものに相応しい。

 

生と死は反転しているからこそ、遠いものではなく、むしろ同じコインの裏と表のような密接な関係だ。

 

故に、ここを彼女は死と生の境界線にした。

 

 

ふぅ、ふぅ、と姫神は深く息を吐く。

 

 

制服の皺を整え、大きく乱れていた意識を一つに纏める。

 

まずは、ここを出る。

 

校長室を出て、電灯のない廊下を覗く。

 

まだ夜ではないというのに明かりのない闇は、窓から差し込む夕日さえ微弱。

 

かつての国内でも屈指の学習塾が、いまやお化け屋敷だ。

 

隠し部屋の場所は、憶えている。

 

それに、いざとなったら………

 

 

……でも、それにしても何か、おかしな気分だった。

 

 

脱け出そうとしているのに、見つかるかもしれないという危機感がまるでない。

 

今、何もないままに出入りのロビーのある1階まで、姫神は降りていた。

 

エレベーターが使えず、自分の足で階段を降りて、体力を消費。

 

息を整えるために、隠し部屋に篭る。

 

かつては非人道的な行いを秘するために設計されたところだからか、休むのは妙な気分になる。

 

もしくは、この塾全体に満たされた空気のせいか。

 

時間はかけられない。

 

いないのに気付かれたら、すぐに捕まってしまうだろう。

 

 

「よし……」

 

 

まだ息は乱れてるけど、決断は固められた。

 

ここから一気に全力疾走で塾外へ。

 

そうロビーへ飛び出した時だった。

 

 

「……ここから出ない方がいいわよ、<吸血殺し(ディープブラッド)>」

 

 

“その声”のした方へ振り向いた瞬間、姫神秋沙は凍りついた。

 

あれほど乱れていた呼吸も、早鐘を打っていた心臓も、まるで終わってしまったかのように静かになった。

 

立っていたのは、姫神がかつて救われた兄妹の片割れ。

 

だけど、これは安堵ではない。

 

決して。

 

 

「ふふふ。悪い子ね。折角“あなたの為に”結界を張ったのに出てくるなんて」

 

 

目の前で佇む相手がたまらなく恐ろしくて、意識さえも凍っていく。

 

だが、それは同時に千々に乱れていた心を何の濁りもなく綺麗に平坦にしてくれた。

 

 

「あなたは。誰」

 

 

何もかも灰色な『上条詩歌』は、薄ら笑いを浮かべながら、驚くほど瓜二つの目で姫神秋沙を視た。

 

 

「<吸血鬼>、かしら。“今は”」

 

 

こちらを見つめる目は、X線で透視されているような印象を与えた。

 

飢えて、本能的にこの死の香りを貪ろうとしているものではない。

 

“こちらを理解しようとしている”。

 

優しさではなく、利己的な欲求で『姫神秋沙』を知ろ(喰お)うとする。

 

目が、離せない、離せなくさせる。

 

そのまま、視線はゆっくりとスライドし、姫神をロビーから外を見れるよう誘導する。

 

透明な出入り口の向こうに、無気力に目を見開き、何の感情も映さない人の姿が。

 

 

「彼らはまだ<吸血鬼>として、仮がつくわね」

 

 

嘘、と姫神は叫んだ。

 

けれどそれは声にならず、彼女は、ただ立ち尽くしているだけだった。

 

『灰の魔女』の目が嘲笑うように歪む。

 

<明王の壇>は強引に記憶を削り取る。

 

肉体面ではなく、精神面での。

 

科学的に、シナプスや自律神経に、あるはずのない幻痛を与える。

 

故に立ち上がる気力さえも奪われ、ただぼんやりと、目の焦点すらも合わせられない。

 

まるで<吸血鬼>に吸われた屍鬼のように。

 

血ではなく、記憶()を吸われた彼らは―――

 

 

「―――皆、我の奴隷。擬似的だけど。血ではなく記憶でも、間接的でも、“<吸血鬼>に吸われた事実”が成立してしまえばパスが繋がるの」

 

 

『灰の魔女』の発言は、それこそが呪だった。

 

姫神の記憶が無理に掘り起こさせられる。

 

これは、あの時と、同じだ。

 

村を、<吸血鬼>が一夜にして支配した惨劇。

 

 

「それに<狂乱の魔女>は『能力喰い』。―――だから、貴女の血なんてちっとも飲みたくないのよ。どんなに良い香りしたって、肉食でお腹がいっぱいのライオンが毒花を食べるはずがないでしょう?」

 

 

「……っ」

 

 

「血のないものに<吸血鬼>の吸血衝動がない事は、我が式神によって証明されてる。フフフ、あなたのその顔を見れただけでもわざわざ<吸血鬼>の品種改良をして正解だったわ」

 

 

自然界にない組み合わせによって、生物は本来ない耐性を得ることがある。

 

<吸血殺し>の真に恐るべきは“死ぬと分かっていても吸ってしまう誘惑”だ。

 

しかし、その誘惑に耐性ができれば、進んで致死の毒を飲もうとするはずがない。

 

<吸血鬼>でありながら、あらゆる力、神さえも投影する<幻想投影>の『上条詩歌』である。

 

これほどまでに完全な存在はおらず、また『能力喰い』という進化は<吸血殺し>でさえも理解し適応できた。

 

<吸血殺し>に抵抗できるほどの完全なる精神を手に入れた『灰の魔女』に、血は流れておらず、生きるために酸素も食物も必要ない。

 

まさしく、完全無血。

 

吸血衝動さえもないのだ。

 

 

「ねぇ、どうして我が生まれたと思う?」

 

 

もし<吸血鬼>なんて化け物がいたならなぜ人間の世界は終わっていないのだろうか?

 

何故、<吸血鬼>の被害に関する記録が京都の山村以外何一つ残っていないのか?

 

太陽、十字架といった<吸血鬼>の弱点の伝承は世界中に数あれど、<吸血殺し>は何故ない?

 

何故、そんなにも記録が無い?

 

そもそも<吸血鬼>を見たという記録も残ってないのに何故、皆その存在を信じている?

 

<吸血鬼>は何もかもが矛盾だらけの存在。

 

そして、唯一の証人が、<吸血殺し>の姫神秋沙。

 

 

「ヒヨコが先かタマゴが先か。そこに答えがないなら、こうも言える。<吸血殺し>こそが<吸血鬼>を生み出している母。あなたがいるから我は存在する」

 

 

<狂乱の魔女>としての噂があった。

 

であるのなら<吸血鬼>は一体誰が望んだものなのか?

 

どうして、<狂乱の魔女>に<吸血鬼>の属性が付加されたのか?

 

 

「あの夜、あなたがハッキリと連想してくれたおかげで、普遍性を持った噂として成立した」

 

 

「私が? 私が連想したから?」

 

 

「そう。<吸血鬼>が実在した、とそれを実体験として記憶した証人が恐れただけで存在は確定する。後はその属性を混成するだけで良い。そのために我が式神がたいそう働いてくれた」

 

 

それだけではない。

 

姫神秋沙を殺さずに、生かして捕えているのはそれだけが理由ではない。

 

 

「死の毒が近くにあるから、我はこの無限の生を謳歌できる。あの京都の山村でも、死に対抗するために村人全てを眷属にした。あの時と同じように、あの時に邪魔された<吸血殺し>を活力源とし、この学園都市を第二の京都、科学の総本山を我ら『陰陽道』が支配する」

 

 

<吸血殺し>の存在は、例え誘惑が効かなくても<吸血鬼>にとって最大の脅威とも言える。

 

そして、その脅威は自我を生み、この上ない進化を促すであろう。

 

食欲や睡眠欲と同じで、生命体の生存本能が『適応する』ための何よりの動力源となる。

 

個体として完全な存在は、自分以外の何者も必要としない。

 

生物が仲間を慈しみ守るのは、それが種の存続に必要だからだ。

 

それは同じ種族だけとは限らず、環境保護で自然を守ろうとするのも、そうしなければ自分達が滅びると理解しているからだ。

 

愛情だの友情だのというものも、種の保存本能が見せている錯覚に過ぎない。

 

つまり天敵のいない環境では不老不死は同族を作る必要もない。

 

だからこそ。

 

<吸血殺し>というお手軽な死が、『賀茂』の子孫と血族を産み出すために必要だ。

 

そして―――

 

 

「眷属という我を信仰するもの達で溢れ、死を理解――<吸血殺し>を克服すれば我に弱点など存在せず、無限の生命力をもっているにもかかわらず、死を内包した存在―――『神』になる」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

『捜せ。白き修道女を。我から逃げた小娘を捕まえろ』

 

 

奇妙な感覚が頭を流れた。

 

血が入りこむように暖かいものがジンジンと流れ込む感覚で、どうやらそれは心から流れ出て神経、筋肉や血管を通り―――意識が真っ白に。

 

 

 

 

 

 

 

<吸血鬼>の大規模感染(アウトブレイク)

 

徘徊する屍人は、何かを捜すように動きだした。

 

それが自分を捕まえようとしているとインデックスはすぐに悟った。

 

元々この<原典>の知識を護るため、逃げるのは得意だ。

 

 

(それに今はスフィンクスがいる)

 

 

修道服という宗教を排他した学園都市では極めて目立つ格好でありながら、インデックスの存在は気付かれていない。

 

『隠語』に『神隠』、これは<妖精貴猫>の三つ目の特性の『隠密』

 

人に気づかれることなく闇から闇へと渡る猫のように、その姿を景色に透過させる。

 

ただし、夜会で人語を話している所を見つけられた伝承の通り、少しでも声を出してしまえば解けてしまう。

 

インデックスはなるべく音を立てず、影を踏みながら、路地裏を進む。

 

だけど、曲がり角を通り過ぎて、その姿を見つけた時、思わず名前を呼びそうになってしまい、声が漏ら―――さなかった。

 

 

ひな―――と、その二文字を呑み込む。

 

 

が。

 

 

ブブブ、と懐に仕舞った、携帯電話が鳴ってしまった。

 

 

機械が苦手な彼女は、電源を切ることをうっかり忘れていた。

 

ピクッ―――と、鬼塚陽菜が反応する。

 

 

(スフィンクス―――!)

 

 

振り返る前に、インデックスは慌てて、スフィンクスに『隠密』を重ねるよう頼む。

 

おそらく。

 

記憶を失くしてしまった上条当麻よりも、上条詩歌との記憶をもつ鬼塚陽菜。

 

その分、他の者よりも“かかり”が深かったのだろう。

 

目が虚ろな、他の無気力とは違い、だが同じく非人間的な眼差し。

 

飢えた野生のトラのように爛々と輝いている。

 

見えないはずなのに、インデックスのいるあたりを、ギラギラとした二本の見えない光線が釘付けにする。

 

草むらに身を隠す草食動物の痕跡を嗅ぎつけた肉食動物のように。

 

 

「見ツケタ」

 

 

発火能力者(パイロキネシス)特有の熱源探知。

 

透過してようと、生物が発する『熱』までは消えない。

 

一度違和感をもってしまえば、捉まるのも時間の問題だった。

 

また科学には、インデックスの10万3000冊の叡智は通用せず、攻略法なんて思い浮かばない。

 

<妖精貴猫>があり限定的に魔術が扱えるとはいえ、インデックスは修道女。

 

そして、高位能力者とはいえ、陽菜は武を修めた鬼だ。

 

純粋な戦闘力ぶつかり合いなら、知よりも力だ。

 

周囲の温度が上がる。

 

空間跳躍は魔力の消費が大きい最後の手段だが、決まったポイントしか行けないし、ここで逃亡すれば、時間的に三沢塾の儀式が止められなくなる。

 

異常な大きさの炎が、側面の壁を舐め尽しながら、迫る。

 

 

―――にゃあ(L)

 

 

『隠密』を止め、インデックスも残り少ない貯蓄魔力で水流を纏いし<筆記具>を密やかに放つ。

 

しかし、触れる端から、燃え上がり、蒸発―――昇華した。

 

その赤い髪を宙に踊らせる様は、いまや炎と混じり合わんばかりだ。

 

紅蓮の火を纏い、巨大な炎を従える陽菜。

 

戦場に立つ陽菜は、その身に業火を降ろした、焔鬼さながらだった。

 

周囲を威圧する圧倒的な迫力は、人の身でありながら、ルーンの魔術師の必殺術式――<魔女狩りの王>すら勝るかもしれない。

 

恐怖と衝撃で、インデックスがどうすべきか決めかねていると、腕が引っ張られた。

 

 

「インデックス、こっちだ」

 

 

その声に、インデックスは迷わず従った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その者は、右手で炎を祓い、左手で修道女の腕を引く。

 

 

「とうま!」

 

 

ツンツン頭の高校生は、上条当麻。

 

この街に起こった異常に、魔術的な専門家であるインデックスに連絡を取ろうと捜したのだろう。

 

それが原因でインデックスが疑似吸血鬼と化した陽菜に見つかったが、その火柱が目印となってすぐに見つけられた。

 

 

「逃げるぞ!」

 

 

インデックスを前にと引っ張り、陽菜との間に入るように当麻がその後ろに続く。

 

左手で背中を押す形になってるが、2人は飛ぶように走り、そのすぐ後ろから、炎が追いかけてきた。

 

発火能力者(パイロキネシス)は、学園都市の能力者の中でも数の多いスタンダードな能力だ。

 

しかし、発火能力者のほとんどは、今この場にいれば、己のそれが所詮は“火遊び”に過ぎないと悟るだろう。

 

それほどまでに、陽菜の操る<鬼火>は、格が違っていた。

 

 

「と、とうま!」

 

 

「くそっ! 熱いし、近づけねぇ!」

 

 

何度も右手で祓っても、角を曲がれば、すぐ後ろに。

 

炎は、まるで知覚をもった生物が、2人を殺そうとして襲い掛かってくるように迫ってくる。

 

しかも、炎はいまや突然姿を変え、巨大な炎の怪獣の群れになっていた。

 

たとえ右手で打ち消そうにも、陽菜の力場は小揺るぎもしない。

 

その程度の鍛錬ではない。

 

骨に、肉に、そして血に、染み入って一体となるほど火を極めている。

 

爪を立て角を振り、尻尾を打ち鳴らして徐々に距離を詰め、熱い吐息を吹きかけられるように炎風が背を撫でる。

 

捕まれば、赤き怪獣の大口に開かれた牙に噛み飲まれるか、足の鉤爪に蹴り上げられるか。

 

どちらにせよ、最後には地獄の炎に骨も残さず焼き尽くされる。

 

 

「せいっ―――のっと!」

 

 

耳を聾する炎の轟音の中で、当麻は気息を爆発させ、三毛猫ごと修道女を抱え込んで跳躍する。

 

屋上まで十数mもの高さを、<着用電算>の内側に設けられた人工筋肉機構(マッスルパッケージ)が後押しする。

 

窓枠を足場にし、靴跡がつくほど力を入れ、さらに跳躍。

 

それを繰り返し、噛みつこうとする炎の猛禽のトゲトゲとした嘴は、ほんの2、30cmのところで獲物を逃がし、ばかりか余勢がつきすぎて中空を泳いで、屋上に着地。

 

だが、まだ予断は許さず、眼下ではまだ略奪の炎が渦巻いてばかりか、噴火でもしたかのように突き上がってくる。

 

 

「と、と、ど! どこ触ってるの、とうま!」

 

 

「この状況で気配りできねーし、気にしねーよ!」

 

 

ぶんぶんと暴れる少女の身体を強引に羽交い締めにして、

 

 

「あああっ! そ、そこはダメ! 絶対にダメ! 離してってば!」

 

 

「やめろやめろって! 落ちる落ちます落ちちゃう!」

 

 

次の屋上へ。

 

恥ずかしげな修道女の叫びを無視して、見えない自転車でもこぐように足を動かしながらギリギリのバランスを保ちつつ、愚兄は空を跳ぶ。

 

 

 

 

 

RFO

 

 

 

そこに、一頭の馬のような巨体が眠る。

 

馬舎で、競走馬の世話をするように、作業服に身を包んだ茶髪の少女は腕で額の汗を吹き擦る。

 

 

「……これでメンテナンスも完了です、とミサカはチェックシートに丸をつけます」

 

 

と、RFO勤めでは代表格の<妹達>の検体番号9982号――通称、美歌は、その発電能力者(エレクトロマスター)としての技能で、ここに保管された機器の点検も任されている。

 

特に今日は、昨夜に、もう一人のお姉様から入念に頼みますとメールでお願いされていて、いつもよりも時間をかけて行った。

 

<警備員>から不良品一台を安く買い取ったものを、専用に改造したものだそうだが、円形装甲で保護されたタイヤにはリニア機関が内蔵され、アーム部分には補助動力と強制的なステアリング、胴体には車体制御のためのジャイロ、足にも電子制御の対衝撃サスペンス群……他にも様々で、安全と安心設計からか、最高速度や加速よりも性能よりも“素人でも多目的に扱える”機能を重視されている。

 

これはいささか玩具にしては本格的過ぎるものだが。

 

 

「きっとこれが必要となる時が来るのでしょう、とミサカは詩歌お姉様の先見には間違いないと確信しています」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

逃げ切れたのか。

 

どうやら能力は使えるとはいえ、疑似吸血鬼である鬼塚陽菜の身体能力は、他の夢遊病と同じく精々歩くことしかできないのだろうか?

 

それならば能力を発動できる視野の範囲外まで離れれば炎は追ってこないはずだ。

 

第七学区全体の人間のほとんどが追手とはいえ、今は一息つける。

 

ただ、問題は他にもあった。

 

 

「……まだ、怒ってますかー?」

 

 

当麻の言葉は、寒い中で吐いた息のようにしばらくたゆった後に、消えた。

 

遅れて聞こえてきたのは、う゛う゛う゛~、という羞恥に悶える唸り声だ。

 

 

「や、その、壊さないようにきちんと左手で抱えたわけだし、まあ、そのせいで変なとこを触っちまったかもしれないけど」

 

 

ギリィッ!

 

とうとう歯軋りまで聞こえてきた。

 

 

「変な……とこ?」

 

 

ひどく恨めしげにこちらを見つめるインデックス。

 

ぱっと見には、小さく白い毛玉の子羊に見える少女だが、その口が何度か自分の頭を齧りつかれた経験がある以上、これは怒った狼の前に立つのも同じだった。

 

いつものように飛び付いてこないのは、きちんと本人も理解しているからで感謝もしている。

 

それでもそう簡単に流すのは許せないのが複雑な乙女心である。

 

 

「無理矢理持ち上げたのは悪かったって」

 

 

「持ち上げただけじゃないんだよ! とうま、思いっきり私の……」

 

 

最初は勢い良く、小さな犬歯が見えるほどに怒鳴るも、竜頭蛇尾に最後で口ごもる。

 

そして、ひどく葛藤した後、

 

 

「……覚えてないの?」

 

 

「そりゃ、鬼塚のメラメラから逃げるのに必死だったし、そこまで気にしてる余裕なんてなかったろ」

 

 

当麻が、ブンブンと(かぶり)を振る。

 

降ろされてからインデックスは両手で隠すように修道服の胸元を押さえていたが―――その返事を聞いて、大きく深呼吸した。

 

 

「ほんっとうに、覚えてないんだね? イギリス清教に属する修道女として、今ならまだ嘘を許してあげても良いんだよ?」

 

 

「お、おう」

 

 

「わかった。それを信じるんだよ」

 

 

ぷい、とまだ頬は火照ってるが視線をそむけた。

 

 

 

だが、問題はまだあった。

 

 

 

この第七学区に起きた異変の見解に。

 

三沢塾での出来事と、<吸血鬼>。

 

姫神秋沙がおそらく幽閉されている推理。

 

を、インデックスが簡潔に話した後、当麻はこういった。

 

 

 

「ダメだ。それが『上条詩歌』なら勝てねぇよ。もう、手遅れだ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

失望したのか。

 

様々な感情を混ぜた、無表情に近い、表情とはいえない表情をインデックスは浮かべた。

 

だから、彼女は何も言わず無言のままで当麻の話を聞く。

 

表情すら、動かさずに。

 

 

「都市伝説は前から知ってた。遭遇したことはなかった、“幸運にも”」

 

 

疲れたようの腰を下ろした当麻は努めて軽い口調で冗談めかして――最後に精一杯の皮肉を込めて――言った。

 

 

「いつもは勝手に巻き込まれんだけどな。どうも当麻さんは自分から巻き込まれようとすると入れねーんだ。ホント、部外者になった気分だ」

 

 

上条当麻は、錬金術師のように止まらぬ愚者であった。

 

だが、上条当麻は、休んでしまった。

 

止まらぬはずなのに、止まってしまった。

 

人は走り続けることよりも、再び走り直すほうが難しい。

 

不幸ではなくなった上条当麻に、不幸に飛び込むだけの勇気はあるのか?

 

 

「詩歌がいなくなってからさ。俺はこの平穏を満喫している。“不幸じゃないんだ”。ちっとも、不幸だなんて思えないんだ。学校の授業や一日のご飯とかそんなことばかり考えていた。今も、詩歌が俺達兄妹が起点で始まった戦争をどうにかしようとその渦中にいるっつうのにな」

 

 

インデックスが当麻を見る。

 

当麻がその聖職者の目から逃げなかったのは、これは嘘いつわりのない本音の世界だからだ。

 

 

「兄として妹が何よりも大事だってのにな。妹を守るために強くなったのにな、遠くで妹が戦っている時に考えているのは他のことばかりだった。だから、俺は何もかもを捨てて戦争の中に飛び込んでいけるほど勇気のある奴じゃないと思い知った」

 

 

ニュースや新聞を見るたびに、その距離がどれほど遠いものかと。

 

一度手放し、自分の元から飛び立った彼女は、すでに遥か先にいる。

 

真夏に見える逃げ水の幻想のように。

 

全てから守り通す力が欲しい。

 

そう強く願っていた。

 

それは、個人の力があまりにも無力なこの世の中には、選ばれたものでしか、抱くことすら馬鹿げている途方もない夢だ。

 

その解法は、10万3,000冊を記憶したインデックスにさえ出せない。

 

魔術とは、才能なきものが編み出した救いなのに。

 

愚兄にその救いはないのだ。

 

それなのに、インデックスはどこか苦しそうに笑っている。

 

辛いほどにわかる、と今にも言い出しそうなくらいに。

 

 

「だから、俺は強くない」

 

 

もしも、これが土御門元春という人物ならば。

 

義妹である土御門舞夏が世界の闇に呑まれるようなら――実際に呑み込まれる前でも、その可能性だけでも、その世界ごと叩き潰すために命をかけて、例え統括理事会が相手でも復讐を辞さないだろう。

 

だが、上条当麻はこれが不幸だと思うことすらできない。

 

“それだけの力があるのに”、すぐにでも学園都市を飛び出して、イギリスへ向かおうとしない。

 

そんな自分に嫌気がさして、不幸になろうと、事件を探していた。

 

それでも見つからず、自分は探す、フリをしていただけではないかとさえも疑い始める。

 

だから、当麻は、直後に聞こえてきたインデックスの言葉に、怒りを通り越して笑いしか出てこなかった。

 

 

「すごいね」

 

 

見れば、そこにあるのは同情するような顔だった。

 

馬鹿すぎてどうしようもない、とでも言うような。

 

愚兄自身、それは思う。

 

ただ、聞き過ごせない言葉というのはある。

 

 

「とうまは、本当にお兄ちゃんなんだね」

 

 

「―――」

 

 

インデックスの胸倉を締め上げていた。

 

ほとんど反射的なもので、次の動作まで一瞬間があったのは気のせいだ。

 

ただ、その一瞬の間があったからこそ、インデックスの表情に気がつくことができた。

 

胸倉を締め上げられているというのに、インデックスは驚きも怯えもしていなかった。

 

ひどく落ち着いた、ほっとするような笑みさえあったのだ。

 

 

「馬鹿にするつもりか?」

 

 

安全地帯に篭っている臆病者。

 

当麻はインデックスを睨みつける。

 

これまで、一度も敵意を見せつけなかった彼女に。

 

しかし、インデックスは当麻の事を見返して、困ったように笑った。

 

 

「まさか」

 

 

「なら―――」

 

 

「ほっとしたんだよ」

 

 

ぽつりと、言った。

 

 

「すっごくほっとしたかも。とうまが、ちゃんとお兄ちゃんで」

 

 

当麻が言葉を繋げなかったのは、インデックスの言っている意味が分からなかったから。

 

そして、何よりインデックスの落ち着きようが全く理解できなかったから。

 

インデックスは自分の胸倉を締め上げる当麻の手に、自分の手を重ねた。

 

少しひんやりとした柔らかい手。

 

当麻は思わず胸倉を締め上げる手を離してしまう。

 

何かひどい勘違いをしているような気がしてきた。

 

 

「しいかがどんなにすごくなっても。とうまとしいかは兄妹だって私は自信をもって誓えるよ」

 

 

怒るべきだ。

 

当麻は自分に言い聞かせたのに、何故か体は動かない。

 

それは、その後に続く言葉を無意識に待っていたからなのかもしれない。

 

 

「“不幸だということすら考える余裕もない”くらいに自分のやるべきことに没頭するなんて、本当に立派だと思うよ」

 

 

「……」

 

 

インデックスは苦笑に近いものを浮かべている。

 

それこそ、惚気話を聞かされた少女のように。

 

 

「とうまはしいかの立派なお兄ちゃんになろうって努力してるよ。いつ呼ばれても良いように勉強して、いつ帰ってきても良いように、基準点として。笑顔で再会できるように、そう思って」

 

 

その言霊に、当麻は直接心臓を叩かれたような気がした。

 

感情の奔流に溺れたかのように息苦しくなり、鼻血が出そうな感覚に反射的に顔に手を当てていた。

 

 

 

バキン、と。

 

 

 

頭蓋骨が割れるような音と共に目が醒めた。

 

『インデックスを連れて三沢塾から離れろ』という令呪が砕けた。

 

 

「だから、安心した。幻想(うそ)でも、しいかを殺したくないって言ってくれて」

 

 

インデックスは慈悲深い瞳で、当麻の自分でも気付かなかった本心を語り―――すぐ言葉を失った。

 

 

 

「ふざけんな!!」

 

 

 

突然痛々しげな音が聞こえたのだ。

 

インデックスは息を止めた。

 

それは、当麻が、自分自身の頬を右手で殴りつけた音だった。

 

 

「とうま!? いきなりどうしたの!?」

 

 

インデックスが事態に焦ったような声が上げるも、当麻は止まらず三度、自分を殴りつける。

 

 

「ふざけんな! ふざけんな! 何が『上条詩歌』だからだって!? んな御大層な理由だったとしても、妹を裏切ってることに変わりねぇじゃねーか! 道を踏み外したなら殴ってでも止めるって誓ったんだろ! なのに贋物如きにビビって、逃げてんじゃねーぞ、上条当麻!」

 

 

ぐっと頬に拳をめり込ませたまま、当麻は歯軋りした。

 

それこそ奥歯を噛み潰すほどの力を込めて、当麻は大きく息を吸った。

 

 

「大丈夫……?」

 

 

その様子に、インデックスが愚兄に声をかけようとして―――当麻はいきなりこちらへ振り向いた。

 

 

「インデックス」

 

 

「な、何?」

 

 

勢いに押されて、インデックスはコクンと頷く。

 

 

「ありがとう、目が醒めた」

 

 

愚兄は強く左胸元を握り締めた。

 

何か大切なことを決意するように、どうしようもなく大事なことを守り抜こうとするように、この胸中に渦巻く激しい嵐を握り潰すほどに、愚兄の拳には力がこもった。

 

……やがて。

 

当麻の手が顔から外れると、ぎこちなくとある番号に携帯のボタンをプッシュする。

 

 

「なあ、残り時間はあとどれくらいだ?」

 

 

 

 

 

三沢塾

 

 

 

「擬似的とはいえ、<吸血鬼>。ここを出たら襲われるかもしれないわねぇ」

 

 

自分は、彼女に、守られているのだと。

 

彼女がつくった地獄から。

 

姫神は思い知らされる。

 

 

「我を倒さぬ限り、奴らの呪縛は解けぬが。我はもう誘惑にはかられぬ。あなたに、我は殺せないわ。諦めて、この鳥籠で大人しくしてなさい」

 

 

「それは。できない」

 

 

背を向けた時、スカートの中の専用のナイフホルダーに隠し持っていた短刀を握り締め、誰の為でもなく、姫神秋沙は走りだした。

 

もはや<吸血殺し>さえも通じぬ相手に、出来ることはただ一つ。

 

アウレオルスが<吸血鬼>捕縛に用意したこの霊装。

 

記憶の通りに、この短刀を突き刺せれば、あるいはこの怪物を倒せるかもしれない。

 

とにかくそう信じて姫神は走る。

 

魔女までの距離は6mほど。

 

この距離を全速力で走る。

 

床を蹴る足に全神経を傾けて、喧嘩のやり方は知らないが体当たりするように、魔女へと肉薄する。

 

無防備な背が手の届く距離になると、

 

 

「―――もう二度と。あんな事は起こさせない……!」

 

 

声は力になって、彼女の腕を迸らせた。

 

短刀が走る。

 

そこで魔女は振り向き、銀色の軌跡を見取る。

 

 

「それは『魔術医師』の―――」

 

 

魔力の込め方はおぼろげながら憶えている。

 

その通りに宝石を撫で、呪を呟く。

 

途端、血管という血管が浮かび上がる。

 

拒絶反応。

 

科学と魔術の禁断。

 

使えば血管は破裂し血塗れになるだろう―――でも、どうなっても構わない。

 

自分さえも殺すと誓ったのだから。

 

けど、現実はそう甘くない。

 

 

「不勉強ね。術式や霊装があっても、使い方・起動方法を知っていても―――“血筋”がなければ使えないものがあるのよ」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

ここからが挽回だ、と直後に爆発音。

 

 

「もしかして―――」

 

 

「もう来やがったか!」

 

 

当麻はその瞬間に、インデックスを左腕で押して背に隠し。

 

その途中で迫る業火球に右手で打ち消す。

 

 

「逃ガサナイ」

 

 

インデックスを連れ離すようにと、疑似吸血鬼状態になっていた上条当麻が元に戻ったのがバレていたのだろう。

 

今度こそ、やられ役ではない鬼塚陽菜がその本来の動きで迫る。

 

 

ごぉ、と視界の全てが紅蓮になった。

 

 

その数千度という熱を押し包んだ灼熱とも愚かしい大火は、水分という水分を蒸発させ、空気からして地獄の成分へと置き換えた。

 

時間さえも、炎に焼き尽くされたように思えた。

 

実際、それほどの熱にあっては、秒瞬も数時間も同じことだろう、たかが人間の肉体如き、骨の芯まで炭化するほかない。

 

 

なのに、右手一つを火傷させることもできない。

 

 

紅蓮の世界は、ただはかなく色を散らして無となる。

 

ありえざる不自然を糺す<幻想殺し>が<鬼火>の地獄から世界の法則を取り戻させたのだ。

 

 

「インデックス―――!」

 

 

インデックスが<筆記具>のページを取る。

 

当麻が防御し、インデックスが攻撃する。

 

無言の内に、二人が取り決めた戦術。

 

しかし、打ち消された火炎が晴れた―――時にはすでに陽菜が跳んでいた。

 

 

「……っ!」

 

 

喉から声が洩れるより先に、当麻の顔を覆う、飛鳥のごとき影。

 

愚兄に、<鬼火>が通用しないのは分かっている。

 

助走もなく、数mの間合いを瞬時に詰めたのは、純然たる脚力の凄まじさであったが。

 

空中からの回し蹴りは的確に当麻のこめかみを狙い、半瞬、思考を飛ばしたその隙に、右鎖骨、右胸部、右腹部とを乱打したのである。

 

現実時間にしておよそ一秒にも満たない連撃は、ヒトの形をした炎のように苛烈。

 

長い時間によって突き詰められた理合と、それを再現しうる才能の融合は、すでに達人級だ。

 

だが、こちらも受けるだけは達人級だった。

 

 

芯が、外れた―――?

 

 

「ぐおおおっ!」

 

 

当麻の口から悲鳴が洩れた。

 

死ぬほど痛い。

 

だが、本来は声もなく崩れ落ちるはずだったのだ。

 

なのに、愚兄はすぐに動いていた。

 

さすがに力こそ入っていないが、当麻の右手が今度こそとばかりに驚愕に固まる陽菜へと伸びていく。

 

彼女は足下を爆発させて、咄嗟に距離を取る。

 

当麻も爆発に飛ばされ、後ろへと転がる。

 

 

「とうま! 後ろ!」

 

 

インデックスが声を飛ばす。

 

その視線の延長上に、鬼塚陽菜と同じく常盤台中学の制服に身を包んだ茶髪の少女――御坂美琴が立っていた。

 

 

―――まずい!

 

 

相手が一人だけだったから右手一つで対応できた。

 

しかし、<幻想殺し>は左手にはなく、前後同時に来られたらもう一人を相手になんて不可能だ。

 

 

「―――」

 

 

鬼塚陽菜の指先に炎が圧縮され、次いで、御坂美琴がコインを弾く。

 

生死を境に、一秒が何百倍にも伸ばされる刹那の感覚。

 

この挟み撃ちに、当麻はどちらを右手で、またインデックスを庇うべきかと判断に迷い。

 

その檄が飛んだ。

 

 

「―――伏せなさい、2人とも!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

空気が焦げた。

 

空気が鳴った。

 

爆炎が轟き散り、

 

雷鳴が響き渡り

 

紅蓮の灼熱と黄金の閃光がぶつかり、力場がぶれる。

 

火と電とは互いに拮抗し合い、光の柱が屹立する。

 

遠くから見れば、塔とも見えた。

 

朱に染まる雲を貫通し、夕空さえも沸騰させる。

 

活火山の噴火口から迸ったように、あたりに大きく火花を散らした。

 

余波となる火花だけで地面は大きく裂け、焦げた臭いを発した。

 

それでも大部分は相殺されて、何もない上へとベクトルを逸らされ、生じた熱量のわずか千分の一足らずが、最も至近距離にいた当麻の髪先を熱風に炙るにとどめた

 

 

「御坂、なのか」

 

 

「そういうアンタらも正気と見てもいいのよね」

 

 

当麻が見る美琴の姿は普段通りに見える。

 

ただ、一点だけ違うのは、耳当てのようなヘッドフォンをつけていた。

 

上条詩歌作の<幻想御手(レベルアッパー)>の<妹達(シスターズ)>専用。

 

これまで起きた事件から、<ミサカネットワーク>の保護管理に、御坂美琴もリンクできるように調整されたもの。

 

元々が同じDNAで身体を構成し、ほぼ近しい脳波であるのだから、負担は少なく、念のために保険として、そのヘッドフォンにも『御坂美琴』を記録している。

 

そのおかげですぐさま欠損した記憶――電気情報を保管、<明王の壇>は実際に脳の一部を損失させた訳でないので、正常に戻っていた。

 

 

「そっか。元来の<吸血鬼>に吸われた<屍鬼(グール)>の元となった伝承は<ゾンビ>。<ゾンビ>って、映画に出てくるような『死体の化物』じゃなくて、『死体のような従順な僕』。自意識を失わせた上で、相手を操るものだから、短髪が正気なら精神支配に逆らえたのかも」

 

 

「何を言ってるのかミコトセンセーはオカルトじみててさっぱりだけど、食蜂みたいのが街の皆を操ってるってことで良いのね」

 

 

相性で抵抗できたとはいえ、自我を守ったのは美琴の、Level5としての確固たる意思力の賜物だろう。

 

二度と誰かの人形にも実験動物にもならない、という。

 

 

「……で、陽菜さんの方は操られてると」

 

 

正気を失った鬼塚陽菜。

 

第3位の<超電磁砲>の美琴でも油断できない、また相性の悪い。

 

本気でやれば三回に一回は美琴が負ける。

 

だが、圧倒したのは美琴だった。

 

 

「カカカ!」

 

 

まとめていた髪紐が焼失し、乱れに乱れた赤髪が、美貌の上にバラバラとかかっている。

 

言語に絶する力場が唸りを上げて吹き付けてきた。

 

炎の大海だ。

 

辺り一帯を沈めようと大津波となって迫る。

 

冗談ではない。

 

およそこの世のものとも思えない光景が当麻の前で、悠然と展開されていた。

 

それを、この焦熱にさえ融けぬ、解けぬ、熔けぬほど結び目の強固な磁力が集めた数tもの重量の残骸が壁となり受け止めた。

 

大地が、甲高い音を立ててめくれあがる。

 

一夜にして城ができたのではなく、秒を待たずに山脈が突き上がったよう。

 

本来、磁力は熱に弱いはずだが、つまりそれは今の美琴の支配力が、陽菜のそれを数段上回っていることだ。

 

 

「リミッター外しちゃってるわね。ちょっと手荒に落させてもらうわよ―――!」

 

 

まだ続く。

 

誰か、見えない巨大な手がそこら中のものを握り潰すように。

 

周辺の鉄屑を寄り集まり、積み重なって、がんぜない子供の積み木のように、一つのカタチを造った

 

その全長は小さなビルにも匹敵しようか。

 

鱗は再構成された高圧縮の砂鉄。

 

牙は磨き上げられた鉄骨。

 

紫電を纏うその姿は、竜。

 

ぎゅるん、と赤い海を突っ切って、赤鬼をとぐろを巻いて封じ込める。

 

 

「ガ……っ!」

 

 

天地をひっくり返したような目眩に炎熱の化身を解いて鬼塚陽菜が蹲る。

 

あまりに高出力の磁力は、人体にも影響を及ぼす。

 

赤血球は、鉄分を主成分にしているからだ。

 

通常であれば、健康促進に効果があるが、しかし、今の『神鳴(かみなり)』を降ろしている美琴の桁違いのレベルになれば、それは最早余波でさえ人体へも侵害する。

 

血流はおろか三半規管すら刺激して、昏倒に至らせる。

 

炎は跡形もなく消え去り、あとに残るのは、莫大な力場の残滓。

 

それだけでも、息が詰まるほどだ。

 

 

「まだ、0.3%が限界か。まだ把握しているとは到底言えないけどね」

 

 

Level6――そこへ繋がるかもしれない『力』を、改めて思い知る。

 

学園都市で『絶対』たるその意味を、少女はその頭で実感する。

 

 

「うん。ここまでなら大丈夫」

 

 

細かな稲妻の残滓を、全身でパチパチと弾けさせる。

 

その姿は、まるで雷神を己が身に降ろした、戦乙女のようだ。

 

もっとも、昂揚に反して、思考はあくまで冷ややかだった。

 

美琴の鋭い感覚は、鬼塚陽菜に続く新たな人影、更に遠くから飛んでくるものを捉えていた。

 

 

「さ、愚兄! やることあんでしょ! 迎えが来たわよ!」

 

 

少女は、愚兄に発破をかける。

 

 

「ここは私が面倒みるから、アンタらはとっととやって、終わらせてきなさい! 代わりに、帰ってきたらまたアイスか何か奢ってもらうからね! きっちりかっちりお礼しなさい!」

 

 

「また? アイス?」

 

 

と、脇から頓狂な声があがる。

 

 

「今のはどういう意味なんだよとうま! 私アイス食べてないかも―――」

 

 

「い、いや。別に大した意味じゃないぞインデックス―――来た!」

 

 

一瞬、光が射す。

 

 

「わっわっ……とうま、バイクが空を飛んでるよ!」

 

 

インデックスが空を仰いで、白いフードを押さえた。

 

蠢くように細かく色を変える。

 

装甲表面に塗装された周囲の景色に擬態する配位子吸収帯の染料によるステルス機能が解かれ、その全容が明らかになる。

 

ざあっと、髪が扇がれる。

 

ヘリコプターのごとき、強烈な下降気流(ダウンウオッシュ)が地上を洗う。

 

 

「<警備員>の倉庫の奥に引っ込んでいた安物を改造したっつってたが」

 

 

今、90度に傾けた二輪の回転翼によって空に浮いている上条詩歌が手を加えたHsSSV-01駆動鎧警邏車両――<ドラゴンライダー>のカスタム。

 

ジャケットと接続することで全天候・全環境において水陸空に高機動力を発揮する<着用電算>専用の多目的バイク。

 

空飛ぶ車両、というのはもはや夢の産物ではない。

 

欧米でもだが学園都市では、固定翼・回転翼を問わず幾つもの方式の陸空両用車が開発されているし、一般の販売も検討されている。

 

今後は空にも渋滞が起こるかもしれない。

 

そんな上条家の母さんの注文どおりの近未来なバイクは、血が通わなければ心も持たぬのに、駆動さえも精妙な息遣いのような錯覚と覚えさせ、それ自体が生きているよう。

 

恭順な駿馬の如く垂直離着で己の元へ降りると自然に、主たる威厳を求められてる気がして愚兄の背筋が伸びる。

 

しかし、遠隔操作(リモートコントロール)で来いと命じたが、まさか空から。

 

そもそも自動操縦という段階で、日本の公道(空はまだ法規制されてないが)は走行は禁止されてるが、そこは試験試作と賢妹は手を打っているらしい。

 

当麻は足をかけて座席に跨り、席の裏に仕舞われたヘルメットを被せたインデックスを引っ張って後ろへ乗せる。

 

 

「とうまってバイク動かしたことがあるの?」

 

 

「生憎、無免で初めてだが、これほとんど自動操作(オート)で素人でも安全安心。自転車みたいに楽ちんだそうだ」

 

 

「……そこは嘘でも格好つけてほしかったかも」

 

 

「しっかり捕まってろよ」

 

 

行く先は―――決まってる。

 

『祭』へと向けて走り出した。

 

 

 

つづく


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。