とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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想起血祭編 使い魔

想起血祭編 使い魔

 

 

 

とある高校

 

 

 

だんだんと寒くなっていく季節で、このマフラーの存在はありがたい。

 

魔術や能力も特別なものは何も使ってないのに、首元に巻くだけでも温かく、幸せな気分になる。

 

心の底から案じている想いまでも編み込まれているようで、それに心地よい香りがするのだ。

 

これは自分が単純なのかもしれないが、これさえあればシベリアのブリザードにも耐えられそうな気がする。

 

とにかく、よく出来ていて、家庭的なスキルが高いことがわかる。

 

自分だけでなくインデックスにも、それからウチの三毛猫にも防寒具を編んだくらいだ。

 

インデックスも『今度は私がしいかに編んであげるんだよ』と挑戦しているが、そこはいつの間にかスフィンクスと毛玉合戦になっているので進歩の状況は定かではない。

 

 

(う~む、ぬくぬく。こういうのが真心って温かいなーって実感すんなー)

 

 

でも、教室に着席する時まで付けているのは、流石に不自然なので外す。

 

と、吹寄がこちらを見つけると近づいて来て。

 

 

「ねぇ、上条。今日、姫神さん学校に来てないけど、昨日、姫神さんが来なかった?」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

みゃあ、と三毛猫が不満げに見上げながら鳴く。

 

 

 

「むぅ。スフィンクス。くすぐったいから、あんまり暴れないでほしいんだよ」

 

 

ちゃりん、と鈴代わりに四葉のクローバーのアクセサリがついたチョーカーを首元で揺らしているのは、インデックスの首に巻いたマフラーの隙間から飛び出すのは、修道服の胸元にいるスフィンクスだ。

 

捨て猫だった三毛のスフィンクスは、どうも元が飼い猫だったらしく、つまり可愛げがない。

 

毛糸球を投げても追いかけないし、呼んでも炬燵の中から出ようとしない。

 

体も大きくなり、冬毛に生え換わって図体と共に反骨精神もでかくなったのか、生意気にもなっている。

 

猫は炬燵で丸くなる、と言う歌詞の例えもあるように、ここ最近のスフィンクスは炬燵を我が領土としているようで、『ここは僕のー!』とこの前もインデックスが足をおこたに入れたら、ぎにゃあ~っ! と不法入国者に爪を引っかかれ、仕返しに毛玉を投げて乱闘になった。

 

その日からインデックスはスフィンクスと(一応、家主もいるのだが)おこたの占有権を巡って、テッテーテキに飼い主が何たるかを教育指導、と厳しく躾けているわけで。

 

今も、こうして無理にインデックスの初めてのお買い物に付き合わせて外に連れ出したというわけである。

 

あのまま炬燵の中で引き籠りとなっていれば、運動不足にもなるだろう。

 

まあ、ホッカイロのように熱源となっているスフィンクスは暖かいのでインデックスは連れてきて正解だった、と。

 

ただ、それだと抱くのに両手がふさがれて買い物が困難だということは考えずに。

 

 

 

―――そして、買い物でスーパーへ向かう途中でインデックスは気付いた。

 

 

 

今、学園都市に妙な流れが生まれている。

 

どこか一ヶ所に、渦を巻いて集中するように。

 

インデックスは魔術を使えないが、生命力を変性させた魔力を感知する事ができる。

 

真上の空から見れば、『田』の字に見える渡り廊下でつながった12階建てのビル4棟、それはかつて日本で有数の学習塾、三沢塾と呼ばれていた場所。

 

何の変哲もない建物―――に見えるが、何もなさすぎる。

 

言うなれば、空虚。

 

解放された真空空間に大気が引き寄せられるように何らかの魔力パスの中心点であるのに、何もない。

 

何も、感じさせない。

 

十字教で言う<神の祝福(ゴットブレス)>や、魔術世界の<天使の力(テレズマ)>、陰陽道での『地脈』や『龍脈』と言った風水の概念、世界に巡らされた『脈』の心臓部を無理矢理にこの場に持ってきたのに。

 

 

「こんなの普通じゃない。異界かも。それも本当に手の込んだ」

 

 

この建物の中はこの世界とは切り離された異世界である、とインデックスは見る。

 

そして、一体どこの誰がそんな真似を、と考える。

 

元々あったとはいえ、それを復活させるにはそれ相応の力が必要だ。

 

巨大な墓標とも言える『死んだ魔塔』。

 

これは、危険、だと<禁書目録>が結論を下し、<必要悪の教会(ネセサリウス)>として看過できない。

 

 

 

そして、その玄関口前に<ケルト十字>が落ちていた。

 

 

 

 

 

京都 ???

 

 

 

学園都市統括生徒代表の選挙があった独立記念日。

 

その日、<全道終着(アスファルト)>と呼ばれる学園都市に刃向う科学サイドの勢力が侵攻し、阻止された。

 

結果的に、学園都市は科学制度の中での立場をより確固たるものにした。

 

だが、それには不審な点がいくつかある。

 

それも見過ごすことのできない。

 

 

「……どうやら、ここは何もないようだな」

 

 

京都の外れ、山々に囲まれた盆地にある村。

 

名前はない。

 

当然、地図にも載っていない。

 

いや、人が住んですらいないのだから村とも呼べないか。

 

10年以上前までは、電気も水道も通っていて、都会から少し離れているだけが不便な、だけど、人がいた、ちゃんと村と呼べるものだった。

 

10年以上たっても人が戻ってこない寂れた廃村。

 

そこへ学校を特別休校して学園都市を離れてやってきていた土御門元春は、海原光貴が魔力を込めるルーレットのような回る針を付けた板――『羅盤』とにらめっこする。

 

 

「天干丙―――。地干丁―――」

 

 

海原の低い囁きに応じてくるくると針は回り始める。

 

これは陰陽道の風水に属するものの中でもメジャーな術式――<奇門遁甲>

 

方違えや方位占いなど方向そのものに概念を利用した、一種の東洋版のダウジングだ。

 

<理派四陣>が魔術の核となる術者を探査するものなら、これはその土地の地脈龍脈の状態を調査する。

 

 

「ま、所詮はあのシスターには必要のない小細工だにゃー」

 

 

「しかし、ここは空気が綺麗ですね」

 

 

『羅盤』のブレが安定し一息つける状態に持ってきてから、爽やか5割増しに笑う海原が白い息を吐き出した。

 

深呼吸すれば山間の澄んだ空気が体内を浄化してくれそうな気がするほど。

 

透明な湧水を口にするに似た、清々しさがある。

 

しかし、今の海原の心境には学園都市を、というより、とある妹弟子から離れて少し安堵している部分もある。

 

今の学生代表に預けたは良いが、些か元気に、というより逞しくなり過ぎていて、恨み度が相当積っていた妹弟子は、この2冊の<原典>抜きなら実力差は逆転しているだろう。

 

あの学生代表が製作した『魔導変換義体』とやらは妹弟子の体質にも適しており、彼女の霊装造りの才に驚嘆させられる。

 

逆に土御門の方は義妹と離れて、また京都であることから、やや士気が落ちている。

 

 

「まあな。ここらは風水的に視ても良い儀式場になるだろ。おそらく“同業者”が整えんたんだろうが、廃村のままにしとくのはちっともったいないんだぜい」

 

 

「と、いうとやはり何らかの儀式が?」

 

 

科学サイドの内乱という好機に、今対立しているローマ正教とロシア成教が何も手を出さなかった。

 

<翼ある者の帰還>に<鬼道>と言った勢力が参加したのに彼らは静観していた――――そんなはずがない。

 

無論、この日本にいる学園都市反対派の勢力も何らかの動きがあったはず、と今の上司である女子高生軍師の考えだ。

 

そして、イギリス清教は、この京都に確かな強大な魔力反応を掴んだ。

 

独立記念日に大半の暗部組織は解体され、上の人間も変わり、いくらか平和になったが、まだ<グループ>は活動を続けている。

 

この調査は魔術サイドが関わることであり、また序列第1位のLevel5やLevel5に近しく稀少な最高位の空間移動系能力者など高位能力者では簡単に外には出せない。

 

また彼らには“守るべきモノ”と久しぶりの再会を果たし、そこからまた離されるのは酷なことだろう。

 

今ここで学園都市を離れるのは避けたいところだったが、反応が出た場所が京都ということもあって、土御門元春が適任だ。

 

そして、調査魔術を扱うのに補佐として、能力開発を受けていない海原がつく。

 

一方通行と結標淡希の二人には学園都市の内部―――また<ドラゴン>を任せ、<グループ>は別行動をとっていた。

 

 

「……いや、ないな。『羅盤』にも引っ掛かっていない」

 

 

「ええ。言われた通りの手順でやらせてもらいましたが、これと言った反応は特にありませんね。……それにしても、『陰陽道』ですか。ここまで土地を見る技術はアステカ魔術だけでなく、世界的に見てもそうはないでしょう。あなたは、その名家だったとか?」

 

 

『土御門』

 

かの有名な大陰陽師『安倍清明』の血筋を引く『陰陽道』の宗家。

 

魔術は建前上、『才能のない人間が才能ある人間を追い越すための一大分野』であるが、土御門元春は、そこで幼くして『陰陽博士』の称号を得るほどの天才児であった。

 

されど、それも過去の話だ。

 

この学園都市で『陰陽博士』の才を殺す無能力者とされ、真の天才に出会ったのだから、かつての栄光などないようなものだ。

 

元より縋るつもりなどないが。

 

それでも、魔術大国とは言え異国のイギリス清教に取り込まれるほど衰えていない名門『土御門』のままだったら、土御門元春は大成していただろうとは思う。

 

どこの土地でも対応の出来る天草式十字凄教とは違い、京の都に栄えた陰陽道はやはり日本の魔術。

 

異教だと迫害されることもなく、時によっては国の政権にさえも関わるほど陰陽師は権力をもっていた。

 

それなのに英国に属する事になったのは、あの学園都市の影響が大きいのだろう。

 

『土御門』と同じく京都に拠点を置いていた『卜部』や『芦屋』も国内では影響を及ぼせるほどの力があるのだろうが、向こうは世界の半分さえも牛耳るほど強大な、魔術とは相容れぬ科学の総本山だ。

 

イギリス清教も学園都市に対する日本の現地民での走狗を欲してか、コンタクトを積極的にとってきた。

 

それでも残る者達はいる。

 

所詮は“過去の名家”に過ぎない彼らに勝ち目などあるはずもなく、『陰陽道』は二度とこの国の実権を握ることはなくなり、国全体の地脈龍脈を歪めてしまうような<エンデュミオン>の建築という横暴を許す。

 

そんな未来を予見し怖れたのか、当時まだ幼い土御門のいた日本から離れすでに英国へ渡っていた若い衆『革新派』と対する、この先祖代々守護してきた国の土壌を神聖視する古い長老ら『保守派』の陰陽至上主義の連中が“とある名家”と手を結んで連合を組み、学園都市と戦争を仕掛けようととある村で『祭』を行ったそうなのだが、失敗した。

 

それは、長老たちの保身のためだけに、世界の警察に、アメリカの学芸都市へ戦争を仕掛けたかつての海原光貴――エツァリのいた、

 

そしてテクパトルの反乱により滅んだ魔術組織<翼のある者の帰還>とよく似ていた。

 

また拒絶反応に苦しむ彼と、原毒を抑える己もよくよく似てる。

 

少し、魔術師として尊敬を覚えるほどの高度な技量をもつ『陰陽博士』に同情できるかもしれない。

 

けれど、当人は気負った様子もなく鼻で笑う。

 

 

「そうだな。まあ、俺は陰陽師としてのプライドなんてとっくの昔に捨てている。使えるものならなんだって使う。舞夏(アイツ)を守る為ならな」

 

 

その『祭』で何があったのかは土御門元春も詳しくは知らない。

 

ただ全滅し、その処理を異国の十字教徒が行った、と教えられた。

 

それだけだ。

 

今日は偶々陰陽師の顔と名が必要だったからそうしただけで、土御門元春に京都への未練はない。

 

 

「だから、とっとと仕事を終わらせて帰るぞ。俺達が守るべきモノがあるところへな」

 

 

「ええ」

 

 

 

 

 

三沢塾

 

 

 

スタスタとインデックスは廃墟となった塾内へと入る。

 

 

―――とたん、吐きそうになった。

 

 

三沢塾のロビーは、どうやら業者が整理したのか何も置かれてない。

 

避けているが歯を食いしばっていなければ倒れてしまうほどの悪寒を覚えさせる。

 

いや、これはすでに嫌悪に近い。

 

耐性のあるインデックスでさえそうなのだ。

 

常人なら気持ちが悪くて暴れ出しただろう。

 

 

(ここにあいさが……)

 

 

外の空気はあれほど冷たかったのに、建物内の空気は生暖かい。

 

暖房が効いてるはずがないのに、まるで人の息が吹きかけられているように。

 

生温くて、肌にまとわりついて、なんだか―――生き物の体内にいるような。

 

インデックスは無意識に胸の中のスフィンクスを抱く腕を強く、恐る恐る奥へと―――

 

 

 

「……<禁書目録>。この魔力を嗅ぎつけてきた」

 

 

 

どこからか聞こえる声に、インデックスは立ち止まった。

 

塾内の廊下。

 

前を見ても後ろを振り返っても人影はない。

 

しかし、

 

 

「誰!?」

 

 

背後。

 

それも、手で触れそうな近距離から、その声は突然聞こえた。

 

飛び退いて振り返ろうとする。

 

だが、体が動かない。

 

首から下が動かせない。

 

指一本も微動だにできず、舌を動かすだけで精いっぱい。

 

 

「これは、呪術……!? 修験道の調伏法の一つ、<金縛り>っ!」

 

 

だが、真言(マントラ)はなかった。

 

そもそも、術者の気配すらなかった。

 

それほどの隠行に長けているのか、それとも別の何かか。

 

そして、気配が影の中からゆっくりと浮かび上がるのは、まるで立体化した影法師。

 

 

「すぐに看破する……やはり、恐ろしい。<金縛り>は口がきける呪ではない」

 

 

「あなたは……」

 

 

ハッとするほど美少女だが、よく見なければ気づかない。

 

存在感が希薄すぎるのだ。

 

こうして相対していても、気配のようなものを感じない。

 

まるで幽霊だ。

 

美貌に重なる透明感のある無表情。

 

陽炎のように、淡い姿。

 

インデックスは細く、魔力の感知に長けた五感をより鋭くし彼女を睨む、観察する。

 

 

「ローマ正教十三騎士団所属、『モルガン』」

 

 

訊かれれば、淡々と答える。

 

『モルガン』

 

『アーサー』の異父姉にして、『マーリン』の弟子の魔女。

 

十字教の修道院にて修行を受けたが、堕落し不可思議な妖術を身につけた『大いなる妖女』

 

して、今、イギリス清教と同盟を結ぶ学園都市と対峙し、世界を二分している世界最大宗派のローマ正教に属する。

 

けど、

 

 

「あなたが扱っているのは十字教徒が基盤としている近代西洋魔術(アドバンスドウィザード)じゃない。この国、日本の『陰陽道』のものなんだよ」

 

 

『陰陽道』

 

日本における代表的な総合呪術。

 

様々な呪術を寄せ集め、ひとつの系統となしている。

 

とりわけ特徴的なのは、陰陽五行を利用した卜占に風水、使い魔たる式神。

 

陰陽師がひとたび『式を打てば』、紙や木片に疑似生命を与え、極まっては鬼神をも使役する。

 

 

「ええ。そのように“できてる”から。けど、もとより『陰陽道』は総合魔術。その根源は、ありとあらゆる魔術の寄せ集め。であるなら、西洋魔術を取り入れても不思議じゃない」

 

 

神道と仏教を取り入れた多角宗教融合十字教の天草式のようなものだと。

 

ローマ正教に属する陰陽術師。

 

魔術の多用が禁じられているが、イギリス清教にも陰陽師はいる。

 

ただ目の前にいる少女の不審な点はそれだけではなくて―――

 

 

「あいさはここにいるの?」

 

 

「はい。<吸血殺し>ならばここにいる」

 

 

「どうして、あいさを攫ったの?」

 

 

「『祭』のため。そして、どんな理由でも誰にも『祭』は邪魔させない」

 

 

『モルガン』の黒衣の修道服の袖から伸びる手の指先がするりと紋をかたちづくり、霊符を放つ。

 

 

「―――火界よ(はし)れ」

 

 

不動明王系の調伏法である炎を放つ霊符。

 

いわく、金剛手最勝根本大陀羅尼―――<火界咒>。

 

『ルーン』のカードと同様に、その霊符に込められた魔力が解放される。

 

動けないインデックスに襲い掛かり、そのまま火達磨に―――とだが、右脇に炎の霊符は逸れた。

 

 

 

―――狙いを右へ。

 

 

 

回避できないのなら、向こうから狙いを外させる。

 

相手の呪に割り込み、口先だけの暗号的な発声で誘導する<強制詠唱(スペルインターセプト)>。

 

先程、威力を殺してまでも<金縛り>の真言を略したのも、不意打ちだけでなく、この<禁書目録>の技量を怖れたが故に、隙を最小限にした結果だ。

 

油断すれば、自滅させられる恐ろしき知能。

 

 

「この建物を儀式場にしたのは様々な理由がある。これはそのひとつ」

 

 

だが、その『自分自身の魔力を練られない』という他者に依存している弱点も重々に承知している。

 

次は霊符ではなく、懐から取り出した線香の束を、外した<火界咒>の業炎に投げ捨てる。

 

 

「―――冥界よ(かえ)れ」

 

 

床で、大きく蠢くものが生まれる。

 

靄だ。

 

霧とも霞とも煙とも取れぬ、脈動する靄。

 

それが三沢塾の床面に住み着き、何かの生物のように、おどろおどろしく蠢いている。

 

 

「それってまさか<反魂香>!」

 

 

<反魂香>

 

楓に似た花と葉を持ち、芳香を百里に放つという反魂樹から作り出されたお香。

 

漢の『武帝』がこの力を用い、亡くなった夫人の魂をこの世に呼び戻したという逸話のある降霊術具。

 

 

 

―――きょうの水呼ぶ。何の水呼ぶ。

 

   形は見ないで声ばかり。姿を見ないで音ばかり。

 

   七瀬も八瀬も超えてくる。

 

   降りて遊ぶや物語るや。きたりそうろゆかや。

 

 

 

呪と共に靄の動きは、さらに激しくなる。

 

表面は灰白色―――かと思えば、その内側から墨のような靄が黒々と盛り上がり、さらに次の瞬間には、赤黒い靄が流れてその外郭を模る。

 

そして、時折痙攣でもするように、火花が走り、光が明滅した。

 

その様は、火山から噴き上がる噴煙のようでもあり、見たこともない深海の生物か、異様なキメラが踊り狂っているようにも見えた。

 

しかし、そこには明らかに質感を覚えさせられる。

 

線香から浮かび上がった靄のはずなのに、泥土の如き重みを感じさせる。

 

ついに、その原型が固まれば―――西洋騎士。

 

かつて、この三沢塾で散った、助からなかった無念の塊。

 

ローマ正教の洗礼を受け、忠誠にその心臓を捧げたその御魂は、ローマ正教の修道女の修行を受けた『モルガン』には御し易い材料。

 

 

「これは禁術! <反魂>に『死霊術(ネクロマンシー)』の術式構造を編んでる! 死者を操るなんて神への冒涜! 人の命を弄ぶ行為は絶対に許されないんだよ!」

 

 

面罵とも言ってもいいインデックスの叱責。

 

『跳尸術』、『栄光の手(ハンドオブグロウリー)』、『ヴェータラ呪術』、『エリクシル』、そして、『死霊術』など彼女の頭の中の図書館には死者を扱う魔術の知識・技術も揃っている。

 

寒く、暗い、禁じられた魔術として。

 

十字教の敬虔な修道女としてだけでなく、人としての当たり前からの倫理観が彼女に激しい怒りに衝き動かす。

 

しかしそれでもまだ<金縛り>に縛られ、動くこともできず、また『モルガン』の表情は変わらない。

 

 

「これに人の意思は介在しない。よって、<強制詠唱>も通用しない」

 

 

―――オオオオオォォッ!

 

 

怨嗟の声が塾内に響き、揺らす。

 

仮初の体を得たとはいえ彼らは満足しない

 

意思はなくとも、本能だけはある。

 

 

 

以前の自分に戻りたい。

 

人間の体がほしい。

 

ああ、目の前にちょうどいい入れ物があるではないか。

 

 

というような。

 

気配を消す隠行で怨霊は『モルガン』を捉えられない。

 

よって、取り憑く標的となるのはただ一人。

 

怨念の死霊群がインデックスを呑み込んだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

これが仮に式神であったのなら、術者の意思に割り込み操作できたであろう。

 

だが、これは本能しかない亡霊。

 

たかが修道女の祈りで昇天するようなものではない。

 

この穢れは力を持たぬ者には祓えない、常人では認識しただけで、脳などたやすく破壊されるほどの淀みだ。

 

それを体全体に浴びるように呑み込まれたのだ。

 

しかし、この場を立ち去ろうとした足は途中で止まった。

 

 

―――ぅにゃあ……!

 

 

猫の鳴き声が聞こえたのだ。

 

それで振り向いた『モルガン』は、初めて声を強張らせた。

 

 

「……何をした、<禁書目録>?」

 

 

塾内に、靄が消えていた。

 

『モルガン』が<反魂>で甦らせた死霊騎士が、あとかたもなく消滅していたのだ。

 

なぜなら、

 

 

「<歩く教会>は『教会』としての必要最低限の要素だけを詰め込んだ着用できるものの中では極上の結界。教会の中に死霊が入ることは天に召されることと同じなんだよ」

 

 

インデックスの纏う衣を覆う後光が、穢れを禊ぎて<反魂>を浄化する。

 

この<歩く教会>という法王級の絶対結界。

 

迷える魂を神の御許へと祝福する証たるその修道服が、陰陽道と死霊術を合わせた術式で甦った悪霊を退けた。

 

ばかりか、周囲に密集していた靄をも薙ぎ払い、悉く殲滅せしめた。

 

 

「何をした、<禁書目録>……!」

 

 

もう一度、『モルガン』が問う。

 

科学サイドで、それ単体で戦争級の<聖人>が核兵器なら、物理・魔術問わず全ての攻撃を受け流し、吸収する<歩く教会>は核シェルターだ。

 

しかし、<金縛り>にもかかったようにその修道服は、ただの修道服の筈だ。

 

つまりは、あの一瞬で造り上げたのだ。

 

全く魔力を生み出せないはずのインデックスが、修道服を教会にする魔術を使う不可解、奇異、矛盾。

 

そして、絶対的な恐れ。

 

その全てを飲み込んだ時、銀の十字架を握り締めるインデックスは冷ややかに口にする。

 

 

「この修道服は、しいかに頼んで、科学の材料で神殺しの槍(ロンギヌス)に貫かれた聖人を包んだ布地――『トリノ聖骸布』を再現してもらったもの。それにあいさの十字架、<ケルト十字>は<歩く教会>の一部分を抽出したもの。これだけの材料を繋げて“魔力を通せば”、<歩く教会>と同等の効果を発揮するんだよ」

 

 

そんなわけがない。

 

聖骸布を再現し、法王級の結界を作り上げるなんてそこまで器用な職人がいたとしても、それを起動させるにどれほどのエネルギーが必要か?

 

世界に満ちる源力(マナ)を魔力に還元して呼び起こすにしても、生物の内側を巡る精気(オド)を触媒にしなければならない。

 

『魔道図書館』は自力できっかけとなるその精気を放出することはできない。

 

だから、

 

 

「不可能。あなたが<歩く教会>を再現できるはずがない」

 

 

と、『モリガン』は断言した。

 

 

「でも、あなたの<反魂>は召したんだよ? 本物じゃなくても、カタチと役割が同じなら効果も同じ。とうまの右手でもない限り、<歩く教会>を破壊する事なんて難しいし、あなたの魔術はもう私には通じないかも」

 

 

「……どんな詐術かと訊いている!」

 

 

怒りに似た何かが、迸った。

 

―――にはあり得ぬ激情と共に、<火界咒>の霊符で再び式を打つ。

 

真言なしとはいえ、『モルガン』の意思に応じてそれは業火を解き放ち、白衣の修道女を取り巻き、その魂ごと焼き尽くすはずだった。

 

 

―――にゃあ(L)

 

 

また猫の鳴き声。

 

同時。

 

霊符よりわずかに早く、すとん、と六角が刺さる。

 

磨かれたかのような滑らかな表面に、不思議な文字が刻まれていた。

 

流水(ラグズ)

 

五行にて、火を克するは水。

 

水気を纏う六角が火炎を打ち払い、激流が『モルガン』を押し返す。

 

 

「しいかのを見て、便利だと思ってたけど、術式速度と強度のバランス、それに簡易性と柔軟性が素晴らしいかも」

 

 

インデックスがはにかむ風に頬を緩めた。

 

だが、インデックスは、無邪気ではあるが見た目そのままの人畜無害な子羊のような存在ではない。

 

献身的な子羊は強者の知識を守る(D-edicatus545)

 

人に害をなすオオカミでさえも罰する魔女狩りの羊だ。

 

ついで、猫が鳴く。

 

 

―――にあ……

 

 

三毛猫スフィンクスの首輪に着いた四葉の十字架(クローバー・クロス)が揺れる。

 

 

「……それは、使い魔」

 

 

「うん。仮がつくけどね。さっきも言ったけどカタチと役割が同じなら効果も同じ。服の中で見えないけど後足にしいかが編んだ靴下をはいたスフィンクスは<妖精貴猫(ケット・シー)>の模倣をしてるんだよ」

 

 

と、インデックスは頷いた。

 

古来より、ネコは魔女の眷獣とされている。

 

妖精貴猫(ケット・シー)

 

イギリスの伝承で、『猫の貴族』とも呼ばれる言語を解する妖精猫。

 

気配を消す隠行が得意で、音を立てず、姿も見られずに闇から闇へと移動することができ、

人間に害を与えることは少ないが、虐待を受けると牡牛程の大きさになるという。

 

そして、主人の為に功を立てた『長靴をはいた猫』のモデル。

 

とは言っても、スフィンクスはあくまで猫であり、学園都市でどこかの喋る犬とは違い、人語を語ることもできないし、主人の代わりに戦うこともできない。

 

『長靴をはいた猫』が代理に功を立てたように、ただ主人の代わりに生命力を魔力に変換できるよう、呪に調律された鳴き声を放てるようにしただけ。

 

上条詩歌はインデックスに己の生命力を込めた霊装<筆記具(マーカー)>や、その額の『太陽』を意味する金飾りに暇を見ては生命力を込めており、インデックスが直接扱うことはできないが彼女は魔力変換に適したエネルギーを常に保有していた。

 

あらゆる言語を取得し、自在に誘導できる<強制詠唱>と言う知識のあるインデックス。

 

“人の言語を話すとされる”<妖精貴猫>のスフィンクスは『機材(インデックス)』と『電源(しいか)』を繋ぐ“コード”のような役割だ。

 

しかし、たったそれだけで修道女は、超一流の魔術師に変わる。

 

つまるところは、スフィンクスの魔力を帯びた鳴き声を、インデックスが完成された呪へと導いたのだ。

 

そして、スフィンクスには妖精(フェアリー)としての奥の手―――

 

 

「恐ろしい……<禁書目録>、あなたではなく、あなたにその武器を持たせてしまった者が」

 

 

「これからはじまるステージに私だけが乗り遅れるわけにはいかない」

 

 

あの魔術関連では全くの無知であった浜面仕上であろうと、怪物を相手に渡り合うことができた。

 

であるなら、<禁書目録>という10万3000冊の魔道書を記憶した魔術の知識と制御だけなら<魔神>に近しい存在が、限定的とはいえ唯一足りなかった魔力を扱えたのなら。

 

虎は千里行って千里帰るというが、上条詩歌がインデックスから離れる際に、もしものために何も残していないはずがないのだ。

 

幻想御手(レベルアッパー)>というリンクを基にした、中継回路として使い魔契約したスフィンクスを通して、貯めこまれた上条詩歌の特異な無色透明の生命力を扱う。

 

して、インデックスは完全記憶能力。

 

彼女の扱ってきた技術は全て覚えている。

 

 

「―――殺界よ(ひら)け」

 

 

『モルガン』の声と共に床へ小さな石が転がる。

 

ごく平凡な、どこにでもありそうな石から、咲き誇る花から勢いよく花粉が飛び出すように先の靄よりも濃い瘴気が噴き出る。

 

それを見ただけで背筋が凍るほど、陰惨で凶悪な負の気。

 

この細菌兵器のような呪術の源は、『鳥獣がこれに近づけばその命を奪う』―――伝説的な妖弧『玉藻の前』の墓石である<殺生石>。

 

あらゆる魔術を吸収する<歩く教会>だが、これは取り込んではいけない。

 

この呪毒を帯びた瘴気を取り込めば、その教会内は毒素で満たされる。

 

 

―――直後、<殺生石>は爆発した。

 

 

轟!! という酸素を吸い込む音を炸裂させる炎が猛毒を焼き尽くす。

 

 

―――にゃお~~~ん(P A R)

 

 

「この源流となった『ルーン』の火を基本ベースとするその意味は断罪だけど、文言の第三から第五に浄化を付加してループ。英国圏で頭文字はP、A、R。それで対象の毒性は破棄できる」

 

 

<殺生石>の毒素を浄化した。

 

だが、真に恐ろしいのはそこではない。

 

性質を見切って、法王級の結界に過信することなく、その魔術を選んだインデックスの見識と判断こそが恐ろしい。

 

 

「これが、イギリス清教第零聖堂区<必要悪の教会>の魔道図書館!」

 

 

確かに、ある程度、魔術のパターン化というのはできる。

 

同じ状況で同じ術式を使えば、成功度の上下こそあれ、基本的に似た結果になるのは当然だ。

 

しかし、所詮、それは“ある程度”だ。

 

個人によって、魔術の在り方は大きく変化するのだ。

 

単に炎を呼ぶだけの術式だって、人によってはライター程度の結果に終わり、人によってはバスを廃車に変えるほどの大爆発を起こすという、予測不能の結果となる。

 

インデックスと言う少女は、<幻想投影>と言った流れそのものを感じ取る特殊な力はなく、誰にでも学べる魔術そのもの知識、効用や術式しか知らない。

 

それで彼女は十分に“専門の対魔術用の理論を確立させることが可能”なのだ。

 

記憶内の知識だけでなく、そういった魔術師の個性さえも計算し、初見であってもその計算だけで先読みするという人間離れした―――常人には考えられない領域。

 

<禁書目録>。

 

魔力を生み出せずに魔術を統べる魔道図書館。

 

まさに魔法使いの枠にさえとどまらぬ―――魔法そのものの如き存在。

 

 

「―――(チッ)!」

 

 

おもむろに両手を突き出すと黒衣の修道服の袖から霊符が、雪崩の如く溢れ出た。

 

とても修道服の中に収まる量ではなく、奇術師の手品のようだ。

 

溢れ出た霊符は『モルガン』の目にも止まらぬ早さで結ばれる印に応じ、竜巻の如く宙へ舞い上がると、魚群のようにインデックスへ襲い掛かった。

 

一瞬では解析し切れぬほどの、物量作戦で一気に押し潰すつもりなのだろう。

 

 

―――にぃ~~~~~~あ(F L S D)

 

 

<歩く教会>と化した修道服の袖から複数の六角が飛び出し、宙で絡み合い、出来上がったのは一振りの剣。

 

 

「<幻想宝剣(レーヴァンティン・レプリカ)>。豊穣神の剣の再現。たった一度の敗北のない絶対勝利は、抜くだけで自動で相手を討つ」

 

 

その剣は、賢き者にこそ真価を発揮し、主人に仇なすものから守護する叡智の力。

 

衛星の如く守護し、流星の如く攻勢に出る。

 

 

――――にゃ~~~~お~~~~~(A G H D S)

 

 

まさしく流星群。

 

猫との合唱で震えると、宝剣が爆ぜるような音を立てて砕け散った。

 

いや、よく見れば砕けたのではなく、縦に裂けている。

 

1本が4本に。

 

4本が16本に。

 

16本が64本に。

 

64本が256本に。

 

そして、溜めこまれた生命力を吸ったその刃無き刀身が長く巨大に伸び、白き紋様が嬉々として舞い踊る。

 

ポンプの放水の如き霊符をさらに大多数の大火力で圧倒すると、数本が『モルガン』の胸元に飛びこみ、衝突する寸前に枝分かれし、鞭のように伸ばして巻き付いた。

 

 

「くっ!?」

 

 

両足が地面を離れ、続いて倒れた衝撃が全身を打つ。

 

何条もの鞭と化した剣は、両腕ごと『モルガン』の胴体に巻き付き、絞め付けて拘束していた。

 

足が地面を掻くように藻掻き、立ち上がろうとするも、対象の抵抗を感知した<幻想宝剣>は、すぐにその鞭を両膝まで伸ばして絡め取った。

 

先の<金縛り>とは逆転し、『モルガン』は完全に身動きを封じられた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「もう止めて。あなたの負けなんだよ。大人しく、あいさを解放して、この結界を解いて」

 

 

「それはできない」

 

 

完全に呪縛され封じられながら、逆に『モルガン』の表情は静まっている。

 

ばかりか、今の戦闘の余波で切り裂かれた修道服からは、血の一滴も流れてこなかった。

 

 

「薄々と気付いてる、<禁書目録>?」

 

 

『モルガン』の唇は、ことさらゆっくりと告げた。

 

 

「私は他に何をすればいいのか、わからない。止まることのできない。ただ『目的』のために動く。―――“道具”」

 

 

ばらばらばら、と音がした。

 

歯車の落ちた音だった。

 

ばらばらばらばらばらばら、と血や内臓の代わりにその腸から無数の歯車や螺子が零れ落ちる。

 

そして、開かれた修道服に、インデックスはハッと目を剥いた。

 

『モルガン』の身体の中に、それらの歯車と螺子、そして、本当の人間の骨肉が埋まっていたのである。

 

 

「その躰……人間の……」

 

 

『モルガン』は笑った。

 

それは感情のない、空虚な笑みだった。

 

 

「私は、人の体を材料に造られた式神」

 

 

式神。

 

それも自律で行動し、自立で生命力を生産する。

 

ただし、人体を素材にした禁術で造られた自動人形(オートマタ)

 

故に、噛まれても血が流れていないのだから変性する事はなかった。

 

 

「<吸血鬼>と化した我が主の最後の命は、完全なる存在として『賀茂』の復活」

 

 

そして、彼女が使う陰陽道の属式は『賀茂』。

 

元々が人間であった『前鬼』と『後鬼』という鬼神を使役したとされる修験道の開祖『役小角』の血を引き、土御門家の祖『安倍清明』の師であった陰陽道の一派。

 

ある代では西洋文化に興味を持ち、陰陽道の宗家でありながら、十字教に入信し、西洋魔術を取り入れた陰陽師としての系統を確立させた。

 

歴史上すでにその血筋は途絶えたとされるはずだが、とある田舎村に隠れて生き延びていた。

 

その者は血族を増やし、かつての栄光を取り戻すという宿願に人生の全てを擲った。

 

そのためならば……

 

 

「でも、あなたのマスターはすでにいないんだよ」

 

 

「それでも私は、“父”の宿願を果たす」

 

 

娘の死体を使い魔にすることも厭わなかった。

 

血脈を継ぐはずだった娘が病死し、終わった夢を追い続けるために。

 

無限に我が子を、我が眷属を増殖、増強、増加させるに最も適した、その陰陽師が導き出した解―――それが<吸血鬼>を呼び寄せた『祭』であった。

 

 

「そんな……」

 

 

インデックスが呆然と呟く。

 

悲しいとか、許せないとか、そういう感情よりも、ただ信じられないという思いの方が強かった。

 

そして、インデックスがハッと息をのんだその一瞬の隙に、早口で真言を唱える。

 

 

「―――オン・マリシ・エイ・ソワカ」

 

 

パンッ! とロビーの中央に現れた岩の如き炭の塊。

 

 

高さだけでも、インデックスの倍近くはあるだろうか。

 

その半ばから、太い注連縄がまわされている。

 

その真言、陽炎を神格化した『摩利子天』は隠行を司るその術式。

 

それもインデックスにさえもその気配と魔力を気づかせなかった高度な隠行だ。

 

ここで相対した『モルガン』の元々の目的は、優れた解析能力を持つインデックスにこれ以上進まれて『祭』が暴かれるの防ぐためだ。

 

戦闘よりも、隠蔽の方に気を割いていていた。

 

 

「それってまさか<要石>!」

 

 

「そう、<吸血鬼>の遺灰を炭と固めて<要石>にしたもの」

 

 

<要石>。

 

風水では『竜穴』、西洋では『パワースポット』

 

地脈龍脈、また住まう人間達の恨みや恐れ、その土地のあらゆる想いが集わせる中心点。

 

今も封じていても異様な波動を放つ、禍々しい呪力に息をのむ。

 

魔術の分野では原則的に、長い歳月を経た古い、記憶や想いを蓄積したものに強い力が宿るとされている。

 

例えば、長い時間を堆積した物がつくも神の妖怪になるなど、歴史――記憶を積み重ねればそれだけで神秘となりえる。

 

そして、それは怨念という死後にも残るほどの想いほど質が高くなり―――『鬼』となる。

 

想いを体現したモノ――恨みや怒りや、哀しみに恐怖をカタチにしたモノ―――それこそが『(おに)

 

 

「『マーリン』は肉体の原型を目指し、<聖騎士王(アーサー)>を造った。私、『モルガン』は父を完全なる存在にするために精神の原型を目指した」

 

 

初めて、自動人形が微笑する。

 

その、唇の赤さ。

 

はかない艶めかしさ。

 

美しすぎて、鬼にも紛う。

 

 

「模擬も上手く作動した……学園都市全学区を覆うまで待つつもりだったけど仕方ない。<明王の壇>を発動する」

 

 

 

DODON DODON DON

 

DODON DODON DON

 

 

 

太鼓の幻聴は、祭の始まりの音。

 

空気が鳴動した。

 

太鼓の音に乗って壁が鳴った。

 

天井が鳴った。

 

儀式場である建物全体が鳴った。

 

そして、<要石>が震え、その注連縄がゆっくりと裂かれていく。

 

 

「そんな儀式絶対に発動させないんだよ!」

 

 

―――にゃあ(S)

 

 

インデックスが生命力の貯蓄源であり、切り札とも言える、額の『太陽』を発動させる。

 

古来より、太陽の光は、あらゆる不浄を浄化させてきた。

 

だが、陽光が<要石>の穢れを禊ぐことは叶わなかった。

 

 

「ここに限定的に一時的に設置したアウレオルス=イザードの結界を移動させた。天の光であろうと、表から裏へは届きはしない」

 

 

『コインの裏と表』

 

それも<歩く教会>に等しい隔絶した核シェルターだ。

 

だが、結界を発動させるには、魔力が必要で、その核は――――『モルガン』の心臓部(コア)であることをインデックスは見抜いた。

 

命を削る、その狂気を。

 

インデックスは即座にその核を討たねばならないのに躊躇してしまう、いや、させたのだ。

 

<必要悪の教会>であるが、インデックスに直接人を殺した経験はない。

 

そのことを『モルガン』は見抜いていた。

 

 

「お願い、やめて……!」

 

 

その懇願、止まらぬ者には届かない。

 

 

「これで、父が甦る」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

<明王の壇>。

 

密教系の精神修練法の霊装。

 

護摩木を燃やし、その火や煙で雑念を祓って集中を増す―――その機能を逆手に取ったもの。

 

つまり、内的ではなく外的に、術者以外の他人の精神に干渉する。

 

しかも、これはその異種。

 

儀式場にこの三沢塾全体を使っており、その効果圏内は第七学区を覆うほどに巨大で強大なもので、人間の心身に堆積した時間――記憶を奪う。

 

そして、『モルガン』は護摩木だけでなくこの<吸血鬼>の遺灰から作られた<要石>を燃やし、さらに奪う対象を絞り込み―――『上条詩歌』という人間に特定した。

 

 

『フ……フフ………フフフフフ……』

 

 

<要石>が振動して、笑い声に似た奇怪な音を放ち始める。

 

インデックスが不審そうに眉を上げた。

 

『モルガン』はすでに力尽きて昏倒しかけているが、その誕生の瞬間を見届ける。

 

三沢塾に響く奇怪な笑声は、禍々しい気配を感じさせる。

 

 

『フフフフフフ……<禁書目録>よ、もう遅い』

 

 

今度はハッキリと、自らの意思を以て炭の塊が語った。

 

インデックスの頭蓋骨に直接響いてくるような不快な声。

 

そして。

 

雛が孵る時に割れるタマゴのように、その<要石>が割れた。

 

灰の煙が噴き出て、カタチを変える。

 

 

「目覚めるにはまだ早いが、我はもう起きた」

 

 

『モルガン』の伝承のひとつ『緑の騎士』。

 

元々人間であった『ベルシラック』を髪から皮膚、装備一式まで緑色の不死の怪物にし、騎士『ガウェイン』に首を切り落とされても死なない、『モルガン』の呪い。

 

 

「し、いか……」

 

 

その容姿は何から何まで灰色。

 

だが、それはインデックスの思い出の中にある『上条詩歌』と一致していた。

 

不死身の『緑の騎士』ならぬ『灰の魔女』

 

そして、その灰は、かつて<吸血鬼>と呼ばれたもの。

 

肉体という檻から開放され大気に散った灰塵(廃人)は、意思からも解脱したため流れるままに根源たる無に落ちていき、形を失った。

 

それが今、『モルガン』の指揮の元、灰は形を作った。

 

自動人形が『モルガン』となって得た力は実体能力。

 

ただし、ただの実体化ではない。

 

いくつかの制限(ルール)がある。

 

そのひとつが、『モルガン』の技術では本物そのものは創ることはできない。

 

何故なら、人の記憶、恐怖、悪夢を基にしている。

 

つまりは不完全な実体であるということ。

 

不完全という聞こえは悪いが、むしろ長所であると『モルガン』、そして『灰の魔女』は考えている。

 

 

「そう、これは『上条詩歌』を基にしたもの。だが、我は、“上書き”を重ねて育てられた『魔女』―――そして、<吸血鬼>」

 

 

「そんな! <吸血鬼>は存在しないはずのもの。いれば、世界は滅んでしまうんだよ!」

 

 

「ええ、我は存在しないもの。でも、<吸血鬼>はそのイメージ自体があやふやな幻想。太陽と十字架に弱くて、霧や狼や蝙蝠に化け、他人の血を吸って同類に変える。けど、そのほとんどは後世の小説家が書いた創作。というより、複合体かしら」

 

 

それはインデックスも知っており、3本の指を立てて、

 

 

「ひとつは、<吸血鬼>の元になったイメージ。ひとつは、血――“精気を吸う”『悪魔』で、これは中世の教会や修道士の間で恐れられたもの。そこから十字架や太陽といった聖なる威光に弱いという印象が付けられたんだよ」

 

 

「それに夜とは、つまり悪魔の時間であり、<吸血鬼>は夜に跳梁するものだというのもそこからね」

 

 

「ひとつは、『甦る死者(リビングデット)』、ロシアやポーランド、東欧で多くみられるタイプ。あそこは土葬のわりに腐敗菌が多いから、時々死体が腐らないものもあって、そこからのイメージ。あと、ペストで倒れた患者が仮死状態から蘇ったりするのも、<吸血鬼>が“伝染する”ものだってことになったんだよ」

 

 

最後の1本を折る。

 

 

「最後のひとつは、『人狼(ヴリコラカス)』、北欧の海賊(ヴァイキング)には狼や熊といった毛皮を纏って、獣の力と獰猛さを手にしたと信じ、戦いの士気を高める。その狂戦士(バーサーカー)と戦った者は、“人ならざる鬼気”に脅えて、『獣戦士(ベルセルク)』と海賊を呼ぶようになった。その伝承がギリシャに流れていた<吸血鬼>の伝承に混ざって、『人狼』という呼び名もイメージの源泉に加えられたんだよ」

 

 

それ以外にも伝承はあるが、魔術的な意味では代表的なのはこの3つだ。

 

『灰の魔女』はインデックスの知識に賞賛を送るように、パチパチと拍手を送る。

 

 

「つまりは伝説の融合。人々の勝手なイメージで、継ぎ足し継ぎ足しで、いくらでも我は改造ができるのよ」

 

 

芳しい花の代わりに瘴気を嗅ぎ、眩い陽射しの代わりに怨念を浴びながら、彼女はうっとり陶酔の表情を浮かべた。

 

灰塵を吸うことで、儚げな魔女の美貌が、生気を増したようにも感じられる。

 

だが、途中で彼女の表情は不満げに曇った。

 

 

「ま、ちょっと“上書き”が物足りないけど、<吸血鬼>も、『上条詩歌(本物)』も超えてるんじゃないかしら?」

 

 

<吸血鬼>の灰が実体化するのは、誰かが頭に思い描いたイメージとしての“恐怖そのもの”なのだ。

 

決して、本物ではない。

 

悪夢を具現化しているのだ。

 

外見は擬態であり、声は擬声であり、力も偽物に過ぎない。

 

したがって正確に言うなら、コピーではない。

 

そのため本物しか知らない能力があったとすれば、それほ実体することは、当然、不可能だ。

 

それどころか第三者が思い浮かべる人物像は同一ではないため、数多くの人間から情報を得て“上書き”をすることも必要になる。

 

つまりは実地経験が必要であった。

 

あの『上条詩歌』と縁が深かった佐天涙子と相対したのもその一環。

 

そうすることで、灰はより実体する相手に近い形へと近づき―――

 

不完全な実体能力だが、それ故に長所もある。

 

『モルガン』が創った『上条詩歌』は、<明王の壇>で集められた学園都市第七学区の住人達から得た強いイメージ――恐怖を固めたものだ。

 

彼らの中に、『魔女』を怖れるあまり、実在する『上条詩歌』よりも強い怪物のような悪夢を持っている人間がいるとしたら―――

 

 

「さて、祭は夜だが、起こしてくれた礼。少し遊んであげる―――」

 

 

『灰の魔女』が放つ鬼気が圧力が増した。

 

解き放たれた魔力は、それだけで暴風となり、三沢塾の壁を軋ませる。

 

側にいるだけで、重低音の爆音を聞くように、身体が、内臓が、魂が震えて止まらない。

 

<歩く教会>に守られているはずのインデックスでさえも圧される。

 

まるで悪夢の中にいるようだ。

 

人ではない。

 

あれは、単に人の形をしているだけの、強大な何かなのだ。

 

この感覚は、そう―――学園テロで現れた最終兵器の<聖騎士王>に近しい。

 

 

「退屈させないよう、せいぜい我を愉しませてね」

 

 

新しい玩具を早速試したい子供のように、『灰の魔女』は歓喜の表情で言い放った。

 

ただ振るっただけで無限の魔力は荒れ狂う暴威と化して一面を薙ぎ払い、竜巻を生んで天井を砕いて、破片の雨を降らせる。

 

灰色の閃光が、炎となって、インデックスを呑み込む。

 

 

「―――」

 

 

しかし。

 

その前に、インデックスはスフィンクスを抱いたまま、背を向けて逃げずにその場で奇妙なステップを踏んだ。

 

薄桃色の唇が尖った。

 

そこから漏れ出るのは、詩歌の姿をした魔女の甲高い笑い声に掻き消される猫の鳴き声に合わせる美しい音色。

 

また、『モルガン』は眼を見張った。

 

妖精貴猫(ケット・シー)>は、あくまで戦うためのものではない。

 

『神隠し』は『妖精』の悪戯だという。

 

 

 

無限の暴威が―――一点で交錯した。

 

 

 

だが、そこに、まともな手応えは感じられなかった。

 

『灰の魔女』が穿ったのは三沢塾の壁と結界だけで、その空間には、三毛猫を抱いた修道女の姿は残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……へぇ、『神隠し』。我と相対してその判断は正しい。また、ちと癪ながら天晴な逃げ足であったわ」

 

 

<禁書目録>の消失した地点――淡い燐光を放つ六角を見下ろす『灰の魔女』の唇には凄絶な笑みが浮かんでいた。

 

欧州では、『妖精』が踊った跡には、そこだけ草木が繁茂したり、異様な光が残ったりするという。

 

そう言った場所では『神隠し』が起こるとも言われ、信心深い者達は往来を避けるのが当然だった。

 

その伝承を基づいた<妖精貴猫>の緊急離脱の術が今の瞬間移動の正体。

 

ほとんどの魔術で至難とされる空間跳躍という絶技が、あの三毛猫のスフィンクスの本領だ。

 

かつて<必要悪の教会>の<聖人>とルーンの魔術の刺客から逃げ続けてきたインデックスは戦うことよりも、逃げることの方が得意であった。

 

今頃、予め仕込んであったポイントにまで逃げてしまっているだろう。

 

 

「我は祭までしばしここから離れることはできない。それを見取っての選択。<禁書目録>との術比べは楽しみだったけど……。言いかえれば、戦わずに逃げを選択した、これが我に対する<禁書目録>の評価といったところかしら」

 

 

戦闘職ではないが、騎士団の称号持ちの一流の魔術師である『モルガン』が、ホームグラウンドでも敵わない実力を発揮しながらも、インデックスが『灰の魔女』との差はハッキリと認識していた。

 

言いながら、ロビーから塾の外へと向けられる『灰の魔女』の眼差しは憂いているように細い。

 

無限の魔力をもつ『灰の魔女』に対抗できるのは、<魔神>に近しい存在だ。

 

だが、もう、賢しい子羊は、こちらに戦闘を仕掛けることはない。

 

慎重に慎重を重ねて、ここの儀式を外堀から解体してくるだろう。

 

つまらない。

 

インデックスがこちらの事情を察したように、『灰の魔女』も<妖精貴猫>の欠点に気づいている。

 

<妖精貴猫>はインデックスの魔力ではなく、厳密にはスフィンクスに合わせた詩歌の魔力であり、そのおかげでセンサーに引っ掛かることはない。

 

しかし、消費すれば、回復する事はない。

 

インデックスもスフィンクスも自力で魔力を賄うことができないからだ。

 

有限と無限。

 

同じ技量だとしても、ぶつかればどちらに軍配が上がるのは考えるまでもない。

 

 

「それでも逃がすつもりはなかったんだけど。予定よりも早まったせいで、この程度、か。ま、もう一度やればいい。今度は学園都市全域に」

 

 

前菜だけでは満足できない、と。

 

舌を舐めずりして、ゆるりと『灰の魔女』は微笑んで、

 

 

「それに、早速、()を吸った我が眷属に追わせるのも、おもしろい」

 

 

 

 

 

三沢塾 校長室

 

 

 

咄嗟に近くの、かつて塾長が扱ったマボガニーのデスクの角を姫神は掴む。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

震動。

 

そして、感じる、思い出させるこの鬼気。

 

この結界の中に閉じ込められている姫神にも伝わった。

 

 

「早く。しないと」

 

 

時間を量れる物のない密室なので正確な時刻はわからないが、まだ学校の五限だろう。

 

何らかのイレギュラーで、予定が早まったのだろうか。

 

何にしても、姫神はここを出なくてはならない。

 

何が何でも。

 

そして、気づく。

 

今の揺れで塾長室内の棚が倒れて、窓が割れた。

 

表と裏で、姫神には触れることさえもできなかった。

 

しかし、今、姫神は机を掴んでいる。

 

こんなのはかつて三沢塾でアウレオルスといた際にもなかった。

 

ここの結界が消えている?

 

今の衝撃で破壊されたのか? それともまた別のトラブルが起きたのか?

 

『モルガン』がインデックスを封じるために、一から結界を作るのではなく、より緊急性を要したためにここに座標固定してあったものを移動させたのだが、そんなのは姫神が知る由もない。

 

ここの結界が消えた、それだけが分かれば十分だ。

 

そして、もしこれがイレギュラーなら自分以外にも戦っている人がいる。

 

と。

 

 

「そういえば……」

 

 

姫神はマボガニーの机を見る。

 

アウレオルスが占拠する前は元々この三沢塾はカルト科学集団を信棒しており、実験と称して人に見られてはならないことを行うために隠し部屋等があった。

 

この机も塾長が愛用したそのひとつだ。

 

本や小道具は回収されたのに、ここの棚や机と言った調度品がほとんど手がつけられていなかったのも、おそらくアウレオルスが持参で用意したものではないからだろう。

 

だから、姫神はその盲点にあてをつけていた。

 

もしあるとするなら、そこしかない、と。

 

 

『ほう、面白い。これがこの国のカラクリか』

 

 

記憶を掘り起こしながら、机を探る。

 

錬金術師が興味を持った忍び仕掛けのカラクリ机。

 

ひとつ仕掛けが外れれば、次のが開かれる。

 

三段ある上段の引き出しを横の傷――メモリの位置にまで引く。

 

カチリ、と何かが外れる音。

 

次は中段の引き出しを引いて、中に手を入れる。

 

上段の底敷きとなる上板を持ち上げるように指で押し、そこで横にズラすように持ってく。

 

ストン、と何かが落ちる音。

 

まるで金庫の暗号番号を解錠していく作業だが、そこに何の異能も施されていない。

 

だが、手順を知らなければ進めない。

 

有能な錬金術師は、力づくでその知識や知識を作り出す頭脳を奪い取ろうとする連中に狙われる。

 

その知識を手に入れれば、圧倒的な地位を築くこともできるほどの可能性があり、人一人の命など綿毛よりも軽くなってしまうほどだ。

 

故に、その金よりも価値のある、工房のどこかに残された錬金術師の研究成果は、身内以外の人間には決して見つからない場所に隠す。

 

そして、最後は下段。

 

普通に引けば、何もない。

 

けど、姫神は上段と中段の引き出しを戻すと、下段の掴みを取り、慎重に引いた。

 

 

ガチャリ、と。

 

その三段の引き出しが机から離れた。

 

 

留め具が外れたのだ。

 

そして、90度に回す。

 

すると下段のあった場所に戸が。

 

ほんのわずかなスペースだが決まったやり方ではなければ見つからない秘密の隠し場所。

 

開ければ、そこに脱税や犯罪の証拠の代わりに嵌められていたのは黒壇の細長い箱。

 

取り出し、開けてみれば、そこにはビロードの内張りの中に、一振りの瀟洒な短剣。

 

魔術医師(パラケルスス)』の末裔たるアウレオルス=イザードだから持ち得た“悪魔封じの杖”。

 

 

 

姫神秋沙の記憶通りに、柄頭の真紅の宝石に『AZOHT』と刻まれている。

 

 

 

つづく


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