とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

261 / 322
天塔奇蹟編 諦めきれない夢

天塔奇蹟編 諦めきれない夢

 

 

 

とある学生寮

 

 

 

「………ねぇ、しいか。アリサは大丈夫なの?」

 

 

「呼吸、脈拍ともに安定してますし、“診た”ところ異常はありません。精神的負担、ストリートライブにオーディション、本人でも気づかない見えない疲労が溜まり、先程の戦闘のショックが大きかったのでしょう。この街は超常現象であふれかえっていますが、戦いとなるならまた別です。それが命をかけるものならなおさら。少し休めば回復するでしょうが、やはりあそこは探りを入れずに視線を感じた時点で逃げの一手を取っていればよかったです。……私の責任です」

 

 

「いや、詩歌のせいじゃねぇよ。何が狙いなのかも分かってねぇのに、あそこで逃げても争いは避けられなかった」

 

 

話声が、聞こえる。

 

目を開けるとそこは、知らない天井?

 

それでベットで寝ている。

 

何で?

 

一体誰が? そしてここは何処なの?

 

一瞬にして様々な疑問が浮かんでくる。

 

えっと、最後の記憶は……

 

 

 

     炎に包まれた―――――

 

 

 

「? ふふふ、起きたようですね」

 

 

―――その声で、鳴護アリサは現実に引き戻された。

 

 

体を起こすと、今日知り合った詩歌さん、その後ろに当麻君とインデックスちゃん。

 

 

「? ……アリサ」

 

 

「おお、気がついたか」

 

 

少しボーッ……とその顔を見ていると、看病してくれた少女がくすっと笑い、

 

 

「まだ少し頭が起きてないようですね。それに喉も渇いてるでしょう。アリサさん、牛乳とコーヒー、どっちが飲みたいですか?」

 

 

「えっと、じゃあ……牛乳で」

 

 

「あ、しいか、私も!」

 

 

「インデックスはブラックが飲めないからなー」

 

 

「む、失礼なんだよ、とうま。私はコーヒーは苦手だけど、ちゃんとコーヒーも飲めるんだよ」

 

 

「そうだよ、当麻君。私もブラックは苦手だけど、お砂糖とミルクがあれば飲めるよ」

 

 

「うん。アリサの言う通りかも。クリームやハチミツ、バニラアイスもイケるんだよ」

 

 

「うわぁ、美味しそうだね、インデックスちゃん。今度私も試してみようかな」

 

 

「いや、待て。それブラックじゃないだろ。ブラックつうのは甘味なしの大人の飲み物であってだな」

 

 

「ふふふ、じゃあ、当麻さんは特別に苦~くブレンドしたコーヒーですね」

 

 

「え、詩歌さん?」

 

 

「しかもお砂糖0の甘さなしのブラックで」

 

 

「やっぱり、マイシスターはお兄ちゃんに対する優しさとか甘さがないでせうね!?」

 

 

完了。

 

そしてくすくすと笑うアリサをインデックスと当麻に任せ、詩歌は席を立つ。

 

アリサも今のやりとりで頭が回り始めたのか、落ち着いて。

 

 

「ここは……?」

 

 

「おうちだよ。とうまのおうち」

 

 

「正確には学生寮だがな。ま、詩歌のトコと違って寮則もないけどな」

 

 

もう一度見回せば、テレビがあって、テーブルがあって、本棚があって、男の子の部屋にしては整頓されてる。

 

 

「ところで、何か心当たりとかないのか? あいつらが何者なのか?」

 

 

ううん、とアリサは首を振り、

 

 

「何も……そもそもあの人達はなんだったの? 火や水を操って……」

 

 

「フフン♪ 分からなくて当然だよ。だってあれはまじゅ―――「ま、マジ。マジで科学だけじゃ割り切れない力ってあるよな、確かに」」

 

 

ばっ、と飛び込み、またもやNGワードを出し掛けたインデックスの口を慌てて当麻は塞ぐ。

 

魔術の事を知らないなら、魔術の事を話すわけにはいかない。

 

できればしばらくの間は、それを知らずにいてほしい。

 

もがもがー!! と邪魔されて不機嫌メーターが下がっていくインデックスを抑えつつ、とにかく誤魔化そうと、けど、アリサはその話題に喰い付いた。

 

 

「当麻君も信じてるの!?」

 

 

「え!? な、なにを……」

 

 

グイ、と迫るアリサに、おおっ、と仰け反る当麻。

 

気付いていないようだが、先の戦闘で汚れた服を洗濯したり体を拭いたりしたため、素肌の上に(なぜかこの部屋に常備されている)妹の詩歌のパジャマを引っ掛けただけの無防備な姿だ(無論、その間、当麻は見張りと称して、部屋の外に追い出された)。

 

それで寝苦しくないように、上2つのボタンは外されてて、肩に紐がないところを見る限り、おそらく下着もつけておらず……こう、乗り出されると胸の谷間が見えるわけで、思春期の男の子としては顔が赤くなるのも仕方がない。

 

仕方ないんです!

 

 

「ふふふ、これも今日の『(あに)()』に書きませんとね」

 

 

ああ、やっぱり。

 

インデックスは気付いてないのに、キッチンにいるはずの詩歌さんには察知されたようで、当麻もまた覗き見るまでもなくわかる、キッチンで妹は微笑んでいると。

 

兄妹的ネットワークは今日も以心伝心絶好調。

 

それで、天然なのか、そんな事を露も気づいてないアリサは『理解者』が現れた事に驚いたようで、座り直しながら、

 

 

「うん……不思議な、科学じゃよくわからない力みたいなのがあるかなって」

 

 

「まあ、超能力だって不思議っちゃ不思議な力だしな」

 

 

と同意してると、うがーっ! と口を塞がれ呼吸困難だったインデックスが暴れて、はっ、と気づいた当麻はすぐに解放。

 

謝る前に、グヌーッ! と『あとで覚えとくんだよ』と睨んで当麻をたじろかせてから、

 

 

「アリサはそれを信じてるの?」

 

 

「……実はね。あたしがそうなんだ……」

 

 

まるで化膿した傷口に触れるように胸に片手を置き、秘密を告白するように、ズルを懺悔するように。

 

 

「歌を歌ったりするときだけなんだけど……何か計測できない力みたいのがあるらしくて」

 

 

今も霧ヶ丘女学院で、定期検査を受けているが、結局は正体不明。

 

それでも、『何かある』、と言われている。

 

そして、先のその『何か』を狙ってきた襲撃でその不安が頭をもたげ、化膿した傷口が開かれた。

 

 

「……もしかしたら、皆があたしの歌を聴いてくれるのって、何か不思議な、学園都市でも解明できない力のせいじゃないかなっ、て……」

 

 

「……違う!!」

 

 

「!?」

 

 

悲しげに少し顔を逸らすアリサに当麻は一喝。

 

 

「そんなんだったら、俺の右手が! ……あ、いや……」

 

 

「そうだよ! アリサの歌は本物だよ! ―――ね、しいか!」

 

 

インデックスに応えるように、ちょうど詩歌がお盆に乗せて4つのマグカップを運んできた。

 

皆にそれぞれのマグカップを渡し、最後に何事もないように『はい』とアリサにマグカップを渡す。

 

陶製のマグカップ、そこから鼻を擽る湯気と一緒に良い香り。

 

 

「うん、……ありがと」

 

 

アリサは自然と頬を緩めながら、ふぅー、と息を吹きかけてからマグカップに口をつけた。

 

中身はホットミルク。

 

ハチミツとバニラエッセンスが混ぜてあるようで、ほんのり甘く、心が落ち着く味。

 

頭を覚ますには、最高の一つだろう。

 

『おいしい』とアリサが感想を漏らすと、詩歌は『それは良かったです』と答えてから、

 

 

「実はそのホットミルクには魔法のような力がかけられてます」

 

 

「え、本当に!?」

 

 

「はい、おいしくなれ~、と一念が篭ってます」

 

 

ぷっとその念を込める幼い仕草に思わず吹き出してしまう。

 

そして、胸に置かれた手に重ねて、その滑らかなその手がアリサの内にある『傷口』にそっと触れる。

 

 

「それと同じです。アリサさんだって、聴いてくれる皆に幸せになってほしいと一念を篭めて歌ってるんでしょう?」

 

 

「え……?」

 

 

詩歌は一口だけホットミルクを口に含むんでから、

 

 

「私は<書庫(バンク)>には発火能力者のLevel3と登録されてますが、実は触れただけで、超能力だろうと摩訶不思議な力だろうと力であるなら何でも投影できる天然素材(うまれつき)の能力者です」

 

 

「投影できる? ―――あ」

 

 

アリサは思い出す。

 

先程、上条詩歌はあの襲撃者の人達の超能力とは別の力を難なくと使っていた事を。

 

そして、常盤台中学には人の隠れた才能を見出す聖母がいるという噂を。

 

 

「確かにアリサさんにはまだ雛形ですが、『何か』があります。しかし、アリサさんの歌に込められたのは聴いてくれた皆に幸せになってほしいという願い。力とは願いの結晶であり、信じればきっと裏切らない。だから、それは<精神感応(テレパス)>や<催眠誘導(ヒュプノス)>といったズルして自分の実力を誤魔化すものでもない。人を不幸にするものじゃない」

 

 

そこで、ちびちびと苦いブラックを啜っている当麻にやれやれと片目を瞑りながら、マグカップを傾け詩歌の分の甘いホットミルクを当麻のマグカップに混ぜて、

 

 

「あと、当麻さんは私と同じ天然素材のどんな力も通じない体質で、性格の方もお世辞の言えないような気の利かない愚兄です」

 

 

「うん、全く以てその通りなんだよ」

 

 

「おい」

 

 

「――――だから、その愚兄が聴いて大絶賛するアリサさんの歌は幻想(まやかし)のない間違いなく本物です。心を震わせられたものも、その歌に心が籠められていたからです」

 

 

賢妹は、その願いを投影する。

 

ただ『何か』を解明しようとする機関の研究者達とは違う、『鳴護アリサ』を認めてくれる言葉。

 

アリサはガラス戸を開けるとマグカップを両手で包みながら、ベランダに凭れて、その白い水面を覗くように俯き、

 

 

「……でも、それならどうして、あの人達に襲われたんだろ。ごめん。巻き込んじゃったよね」

 

 

そう、特別な取り柄もない自分は歌で皆を幸せにしたかった。

 

歌っていれば、自分も幸せになれる気がしてた。

 

でも、そんな自分が歌う事で誰かが傷つくのなら、歌ってはいけないんじゃないか―――

 

 

「だから、もう……」

 

 

「おい、まさかオーディションに合格したのに、辞退しようとか思ってないよな?」

 

 

愚兄は、その先の言葉を殺す。

 

迷いもなく。

 

きっと彼女はそうするだろう、と漠然と予見していたから。

 

 

「だって……歌いたいって、結局あたしのワガママだよ」

 

 

ホットミルクに波紋が生まれる。

 

ポタポタ、と。

 

雨も降っていないのに。

 

その真っ直ぐな瞳を下に向けながら、アリサが下唇を噛み締める。

 

今までだってごく普通に暮らしてきた。

 

ちょっと前まで、歌手なんて夢物語だった。

 

だから、大丈夫。

 

もしオーディションを断ったって、歌わなくたって、人は普通に暮らせる。

 

だけれど、ここが寒くて怖い牢獄で、彼女は永遠に閉じ込められたような、不安が心臓に纏わりついて離れない。

 

空を飛ぼうとするのを夢見た鳥は、翼を燃やされたら、一体どう生きればいいのだろう?

 

 

「歌うのが好きだって気持ちを、裏切るんですか?」

 

 

「裏切るんじゃなくて、切り捨てるの。歌は、好き。でも、また、さっきみたいな事があったら……そのせいで、周りの人に何かがあったら、嫌……」

 

 

彼女の言わんとすることは、その理屈は理解できる。

 

だが、到底納得には至れない。

 

だいいち、矛盾がある。

 

アリサの言葉と、表情の間には。

 

 

「だから、諦めるのか? 力づくで来る連中に屈して、自分の幻想(ゆめ)を殺すのかよ!」

 

 

アリサは今泣いている。

 

人は大人になるほど泣かなくなって、それを大人になる事だと時に思う。

 

赤ん坊が泣くのは、それ以外に伝える術を持たないからで、自分の気持ちを言葉で伝える事を覚えて、段々と泣かなくなるのかもしれない。

 

でも、それでも涙が失われないのは何故だ?

 

喜びも悲しみも言葉にできるが、それでもまだ表わせない感情、そして嘘にできない想いが涙になって零れるんじゃないのか?

 

アリサは今泣いている。

 

嫌味も皮肉も零さないのに、涙だけは堪えられず。

 

慟哭も恨みも溢れさせないのに、涙だけは飲み込めず。

 

そう、この感情だけは押し留める事は出来ないのだ。

 

好きなものを奪われたら、人は泣く。

 

諦めきれずに、涙を流す。

 

 

「言えよ、本当はどうしたいんだ!! 本当に歌を殺しちまってもいいのか!!」

 

 

だから、愚兄は思い切り叫んだ。

 

アリサの分までも、叫んでやった。

 

アリサは、押し黙る。

 

目線を下げ、前髪で表情を隠し、押し黙る。

 

もう、その願いも、涙も隠す意味などないと分かっているのに。

 

 

「お願いです。歌う事を辞めないでください。アリサさんは、歌を辞めちゃ駄目な人間です。この夢を叶えられるチャンスを、手放してはいけない。私達の為にも」

 

 

賢妹もまた訴える

 

アリサの分までも訴える。

 

あんなに楽しく歌っていた彼女が、歌を辞める?

 

認められない、そんなの。

 

エゴだろうが、奢りだろうが。

 

あんなに歌を愛している人が、こんなに寂しそうに歌を捨てる姿を見過ごせるはずがない。

 

あの美しい旋律が、無意味に消えていくなんて、そんなこと絶対に見過ごすわけにはいかない。

 

 

「……………歌いたいよ……だって、私には、それしかないんだもん」

 

 

絞り出すように、アリサが胸の奥に堰き止めていたものを途切れ途切れの言葉に乗せる。

 

それはとても小さく弱々しい響き。

 

しかし、それでも、鳴護アリサは待っていた言葉を、言ってくれたのだ。

 

 

「だったら私達が」「歌えるように」「協力する!」

 

 

「……ぇ!?」

 

 

一番に伝えたかった言葉を口にすると、諦観で満たされていたアリサの瞳に、ぽっと光が瞬いた。

 

けど、まるで切れかけの蛍光灯みたいに、すぐに輝きは鳴りをひそめようとするが、

 

 

「アリサ、歌いたいのに、歌えるのに、歌わないなんてダメだよ」

 

「私達が、全部守ります。アリサさんの歌も、夢も、皆も、全力で守ります」

 

「だから、守らせてくれ。お前が安全に歌えるように」

 

 

「……うん!」

 

 

彼らの言葉は少女の心の最深をノックし――そこに淀んでいたであろう、無理やり押さえつけていたであろう、弱音、不安、寂寥を溢れだした。

 

どんなに想いが揺らいでも、歌いたいという気持ちだけは裏切れず、切り捨てられず、殺せず。

 

雛はその翼を暗雲の先にある夢見た大空へと向けて開く。

 

向き直り、涙を拭いて、当麻達にアリサは笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「なら、アリサはしばらくここにいればいいんだよー!!」

 

 

「ええ、それは名案です。当麻さんだけでは不安でしたがインデックスさんがいるなら安心です」

 

 

神秘は秘匿するのが基本的で、魔術師は人目があれば手出しできない。

 

と、注意事項が入ったもののそれが最善なわけで。

 

インデックスの提案で、詩歌からも了承が出たので、アリサは当麻の部屋に寝泊まりする事になりました。

 

居候の一人や二人や猫一匹くらいどんと引き受けてやる。

 

 

「うん、あれほど言ったからには責任を取らないといけないし」

 

 

「別の意味で責任を取るような真似はしないでくださいね」

 

 

「責任?」

 

 

「ええ、色々と気を付けてください、アリサさん。何かあったらこちらの携帯にワンコール切ってくれれば、どんな所でも駆けつけて見せますから」

 

 

そして、詩歌はいったん自分の学生寮に帰る。

 

インデックスが寂しがったり、アリサも残念がったりしたが、ベットも足りないし、それにこれ以上寮則を破る訳にもいかない。

 

 

「当麻さん、もしも一夜の過ちなんて起こしたら、分かってますよね」

 

 

「詩歌さん、詩歌さん。お兄ちゃんってそんなに信用できません?」

 

 

「信用はできますが、普段の行いとしては信頼できません」

 

 

何だか魔術師より、自分の方が警戒されているような気がして、ガクッとくる愚兄。

 

そんなこんなで、とりあえず見送りにと当麻が付き添い、学生寮の下まで兄妹並んで下りる途中、

 

 

「なあ、詩歌。ステイル達は何でアリサを狙ったんだ?」

 

 

「ん~、魔術と科学の戦争が起こる、と言ってましたが……アリサさんは魔術とは関わりのない人です」

 

 

「まあな。今日、初めて魔術を見たんだし」

 

 

「とにかく、今、出来る範囲でできる事をしましょう。分からない事をあれやこれと考えても仕方ありません」

 

 

「そうだよな。じゃ、詩歌。また明日な」

 

 

「ええ、また明日」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

街灯に照らされる帰り道、その途中。

 

誰もいない道路を歩きながらも、しかし意識は外さずに、詩歌は話し掛ける。

 

ひとりごとではなく、聴いてくれると確信して。

 

 

「―――それで何でなんですか? 火織さん」

 

 

薄い暗闇の向こう、誰かの存在を――先程戦った相手の気配を確かに感じる。

 

向こうもこちらを待っていたのか、雲間に光が差す場所に音もなく、<必要悪の教会>の神裂火織が現れる。

 

 

「やはり、気づいてましたね」

 

 

「ええ、遠くでこちらを監視していたのも、アリサさんが“火織さんと似た資質”があることも」

 

 

神裂と詩歌が対峙する。

 

星空を覆い尽くす曇天。

 

2人の間に、鋭い冷風が吹き込み、燐光を放っているかのような艶やかな黒髪が小さく揺れる。

 

 

「だけど、欠けています。<天使>としては不完全だったミーシャ=クロイツェフと同じで、<聖人>とするには何かが足りない。だから、火織さん達に襲われた時も何もできなかった」

 

 

「ですが、完全に覚醒すれば暫定で第9位。私を上回る力があると推測されています」

 

 

「でも、アリサさんに何の罪はなく、何も魔術世界とはかかわりのない一般人です。その歌には何の人を不幸にする脅威はありません」

 

 

「だとしても、<聖人>は魔術サイドには存在自体が兵器にも勝る脅威の象徴です。素人がこの力を操るには危険過ぎます」

 

 

「だったら、アリサさんから夢と自由を奪って魔術側(あなたたち)へ引き渡せという事ですか。そんな権限は誰にもない」

 

 

「しかし、強大であればある程、人はその身に秘めた力との宿縁からは逃れられません。強大な力には、巨大な責任が伴います」

 

 

言葉という刃での激しい応酬。

 

だが、この斬り合いで詩歌は一歩も譲る気はない。

 

 

「『救われぬ者に救いの手を』」

 

 

「!?」

 

 

その言葉は、<魔法名>で神裂火織の誓い。

 

決して、神裂火織が否定する事は出来ぬもの。

 

 

「<必要悪の教会(ネセサリウス)>が、いえ、神裂火織が鳴護アリサに差し出そうとしているのは“救いの手”と呼べるものなんですか?」

 

 

「それは……」

 

 

「答えてみなさい!!! あそこで監視していたのなら、彼女の涙だって見たはず!!! 皆の為にと歌を切り捨てようとしたその想いが神裂火織に分からないとは言わせません!!! その上で、逃げずに戦うと決めた鳴護アリサの選択が間違っているか答えてみろ!!!!」

 

 

まるで左胸に刃に鋭く斬り込んだような言葉。

 

才能や能力だけでなく、幸運に恵まれ、だけど、それが皆を犠牲にした。

 

だから、神裂は仲間の元を去った。

 

それが本当に正しい選択なのかは分からない。

 

けど、その涙の意味は分かる。

 

今の鳴護アリサの境遇は、天草式十字凄教元女教皇の神裂火織と似ていて、<聖人>とはそういう宿命なのだとも思ったりした。

 

だが、その幻想(おもいこみ)をこの兄妹はぶち殺した。

 

 

「……っ」

 

 

言葉の刃を返せない。

 

もう神裂の刃は、迷いで曇ってしまっている。

 

神裂火織にとって、上条詩歌は違う道を選んだ己であり、鳴護アリサは道を選ぶ前の己。

 

だから、間違っているなんて言えない。

 

宿縁という抗えぬ救われぬ人間が、涙を流し、それでも戦うと決めた姿を。

 

私が、邪魔する?

 

―――そんなの無理です。

 

 

「私は自分の力で不幸になる人や夢を諦めてしまう人を見過ごせない。そして逃げずに立ち向かうと決めた人を応援する。それが上条詩歌。それが皆を幸せにするというのならなおさら。上条詩歌は何時だってみんなが笑えるハッピーエンドを望んでます。――――だから、あのような涙は流させない」

 

 

そのきっぱりとしたブレない綺麗事に、神裂はとうとう刃を落して、黙り込んだ。

 

 

「そのためでしたら、一緒に背負います。アリサさんに御せぬ力だというのなら、私も支えます。<御使堕し(エンゼルフォール)>でも証明しましたが<幻想投影>は<聖人>の補助もできましたしね」

 

 

何で詩歌がそこまで、と見つめる神裂に、詩歌は静かに微笑んで、

 

 

「友達ですし、それに命も助けてもらいましたが、何よりあの歌が、鳴護アリサさんが歌う姿が好きですから―――」

 

 

涼しげな表情で言い切る彼女に、神裂はしばし呆然と見とれた。

 

だが、それは名刀のように見とれるほど鋭い刃筋で、

 

 

「それに勘違いしてないかと思いますが、私は<必要悪の教会>の味方じゃない。もちろん、科学サイドにだけ肩入れするとは言いませんが、問答無用で襲い掛かってきた事に私は怒ってます。だから、次、もう一度、アリサさんに手を出したらステイルさんだろうと火織さんだろうと容赦しません」

 

 

やはり、あの襲撃は失策だった。

 

サポート要員であるメアリエ、マリーベート、ジェーンは<必要悪の教会>の一員だが、学園都市に介入するのは初めてで、<禁書目録>の管理人上条兄妹を見るのも初めてだ。

 

厳重に注意はしていたが、上条兄妹はまだメジャーではなく、基本的に一般人にしか見えない。

 

だから、鳴護アリサと<禁書目録>だけを警戒し、その実力を見誤って、素人だと侮って、チャンスだと勘違いした。

 

最大主教(アークビショップ)>からは良き隣人を―――つまり怒らせるな、と言われているほどだという彼らを。

 

まずは話し合いから始めるべきだったとは言わないが、いきなり攻撃したのは迂闊だと非難せざるを得ない。

 

これで今回の任務は最高ランクまで上がってしまったのだから。

 

 

「……わかりました。彼女達には良く言い聞かせておきます」

 

 

 

 

 

常盤台学生寮

 

 

 

「ふわ~~………っと」

 

 

肩まで伸びた明るい茶色の髪の綺麗な顔立ちの少女が大きく口を開ける。

 

名門常盤台中学の代表格ともいえる御坂美琴は、ひんやりと冷たい朝の空気を肺腑いっぱいに吸い込む。

 

普段なら寮監辺りに注意されてしまいそうだが、夜這い朝駆けを仕掛けてくるルームメイトが入院中のせいかよく眠れて、いつもの日課より早く目覚めてしまったこの時間帯に流石にまだ誰も起きてない。

 

 

「……ん? ピアノ?」

 

 

と、思ったらどこからともなくピアノの音が聞こえてきた。

 

朝にお目覚めのBGMを流すほどこの学生寮の管理人は粋でもない。

 

寝坊者には寮監が直々にその悲鳴を生演奏してくれるだろう。

 

音楽に誘われて寮生に解放されている学生寮の娯楽室の一つである音楽室までやってくる。

 

何だか『鶴の恩返し』のお爺さんのような心境でそっと扉に手をかけると、隙間から聴こえてきたのは五線の横糸と和音の縦糸を丹念に編み込んでいくかのような緻密なアルペジオ。

 

中を見れば、案の定そこにはグランドピアノが一台鎮座している。

 

墨を溶かしこんだような射干玉(めばたま)の表面。

 

黒鳥の翼ように広げられた天板は鏡の如く反射して、よく見知った少女の顔を映し出していた。

 

淡い水彩画のように線の細い顔立ちは間違いなく美人に分類されるが、どこかまだ年相応の幼さを残している。

 

腰まである長い黒髪を結んでまとめてるリボンがそれを助長させていた。

 

謎の演奏の正体は、<微笑みの聖母>こと美琴の1つ上の幼馴染の上条詩歌。

 

まるで幻惑の蜃気楼のように朝日に浮かび上がる艶髪をサラサラと左右に揺らしながら、彼女は独りでピアノを演奏していた。

 

いや、聴衆者は自分の他にも居た。

 

開け放たれた窓から入ってきたと思われる、天板で羽を休める小鳥や詩歌の足元で丸くなった野良猫など、こっそりと学生寮の庭で放し飼いにされている動物達だ。

 

音楽の価値=楽器の値段ではないが、それでも『神々の楽器』と名高い最高級のグランドピアノで、あまり動物達が暴れたりでもしたら大変なんだが、けれど当の本人はそんなこと気にした様子もなく熱心に弾いて、いや、弾くというよりピアノとじゃれ合っているみたいだ。

 

毛並みを撫でるかのように白くしなやかな指先が鍵盤を滑らせ、ピアノと気持ちよさそうに朝の挨拶を交わす。

 

ピアニッシモの囁きが小気味良く鼓膜を叩く中、立ち上る朝日のようなクレッシェンドが澄んだ朝の空気を震わせる。

 

まるで子猫と遊んでいるようにグリッサンドも滑らかに奏で、激しいフォルテッシモを弾き鳴らす。

 

元々器用な指先を持っていたけど、昨年の<盛夏祭>と同じく敵わないなー、と美琴は思う。

 

腕の良い演奏者ほど、自分の感情をピアノに託して音楽を生み出し聴衆を湧かせるというが、今の詩歌の演奏はその逆だ。

 

心持たぬピアノの感情を詩歌が汲み取り、曲に託して演奏している……そんな印象を受ける。

 

そして、このまるで裸足のまま波打ち際に立っているかのような感覚―――寄せては返す音の波に身体を、意識を持っていかれそうだ。

 

マイクもアンプも通していないのに、隅々にまで響き渡る旋律。

 

いや、ステレオをいくら最大音量にしても、大気を乱暴に揺さぶる雑多な音にしか聞こえないだろう。

 

けれど、このピアノは違った。

 

白くしなやかな指先が鍵盤を弾くたびに弦と空気、空気と物が触れ合い共鳴し合って、まるで学生寮全体が響板になったかのように広がり、深く染み渡る。

 

 

「ふぅ……はっ……」

 

 

ピアノの演奏は見かけ以上に体力がいる。

 

88もの鍵盤をたった10本の指で、しかも0.1秒以下の緻密さを求められながら打鍵するのだ。

 

さながら白鳥が水面下では必死に水かきしているかのように、優雅な旋律に反して指先や右足は休むことなく動き続けている。

 

朱色に染まった細い首筋にはうっすらと汗が浮かび、時折漏れる鼻にかかったような吐息は、少し、同性であっても艶めかしい。

 

それが原因で、去年の<盛夏祭>は非常に大変だったんだが。

 

いつもより大人びた雰囲気の幼馴染に魅せられ、美琴は音楽室の入り口に立ち止まったまま演奏に聴き惚れていた。

 

やがて最後の和音が波のように地平線の彼方へと引いていく。

 

束の間のフェルマータ………

 

美琴はそれが当然のように拍手していた。

 

 

「おはようございます、美琴さん……もしかしてずっと聞いてましたか?」

 

 

拍手の音に気付くと同時に動物達はサーっと蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 

うん、発電能力者の体から無意識に放たれている電磁波のせいなんだけど、やっぱり、地味にショックだ。

 

 

「ええ、凄かったですよ、詩歌さん。クラッシック音楽は授業とかで良く聞きますけど、やっぱり生演奏は迫力がありますね」

 

 

施設とかで子供達のリズムに合わせて弾いているのも十分すごいが、今の演奏は次元が違う。

 

もしCDが売っていれば買ってみようかと思ってしまうくらいに。

 

しかし、詩歌はまだ満足していない表情で、

 

 

「ん~、でも求めているのとは違うんですよね。欠けていたのを埋めるためのピース……流石にこのレベルとなると歌う事まではできませんし、やはり、グランドピアノじゃできませんか」

 

 

そう言い、また緩やかに旋律を奏で始める。

 

とりあえず、昨夜は神裂火織には、その資質を御する術を考えたいからしばらく手は出さないでほしいと頼めたが、ステイルらにまで通じたかは怪しい。

 

まあ、<聖人>の神裂が約束を破ってまで動くとは思えないから慎重になるだろうし、少なくても自分達がいる時に仕掛けてくる事はない。

 

しかし、問題は魔術側だけでなく。

 

学園都市の最高ランクの学校で重視するのはそれぞれ異なり、例えば、

 

家柄ではなくLevel3以上の高位能力者が入学の最低条件と認められる性能(レベル)の常盤台中学、

 

能力ではなく一芸でも極めた分野のエキスパートを求める技術(スキル)の長点上機学園、

 

性能や技術といった実用性ではなく滅多に発現しない力を集める稀少(レア)の霧ヶ丘女学院、

 

と、鳴護アリサが検査に通っているのは、霧ヶ丘女学院。

 

Level0の彼女に検査協力をしている事は、やはりその力は<原石>と同じく稀少性が高く、また、<五行機関・虚数学区>の<正体不明(カウンターストップ)>風斬氷華を在籍させていた霧ヶ丘女学院のことだから学園都市の裏も関わっている可能性がある。

 

それに昨夜、オーディション合格が決まったその日にあの魔女達は襲撃を仕掛けてきた、そして、あの学園都市から認可を得た企業の謎の機動兵器部隊。

 

確か、彼女が合格したのは『オーピッド・ポータル社』が主催する宇宙エレベーター<エンデュミオン>の開催ライブ。

 

その<エンデュミオン>と深く関わりのある『宇宙』の利権は科学と魔術で揉めている分野。

 

一度のロケット発射で多額のお金と技術が必要だというのに、ボタンひとつで何度でも宇宙に行けるエレベータを軍事に応用すれば、世界のパワーバランスは崩れる。

 

エレベーターで大量の爆発物を宇宙へ運び、そこから衛星軌道上へ射出すれば、地球上のあらゆる場所に、空き缶をポイ捨てする感覚で一方的に空爆ができるだろう。

 

そして、魔術世界でも、星の力や配置を重視した術式分野もあり、衛星やデブリなどで夜空がくすんでいくのは魔術師にとってみれば一種の公害病で、宇宙エレベーターはそれをさらに上回る人害、術式にもかなりの影響力を及ぼすだろう。

 

それに宇宙空間だけでなく、バベルの塔とも言える神話級の巨大建造物な<エンデュミオン>は、魔術知識の有無に拘わらず、風水的にも地脈や龍脈など地球の生命の流れも大きく変えてしまう。

 

つまりは世界的にも注目を浴び、世界的にも狙われている、神から天罰を下されたバベルの塔のような場所で人類初の宇宙での大々的な開通ライブを飾るのだから、正直不安だ。

 

できれば、月の女神によって不老不死と共に永遠の眠りを与えられた男の名の通りに<エンデュミオン>も、軍事や抗争に関わらず大人しく平和的に真っ当な宇宙エレベーターとして眠りについていてほしい。

 

そして、周囲の問題だけでなく、彼女自身の力の問題もある。

 

おそらく、神裂火織の<唯閃>と同様に、未だ不完全ながら鳴護アリサの歌はその秘めた力を引き出す手順なのだろう。

 

だが、神裂にも言った通りに、“欠けて”いるのだ。

 

投影した時も、その力の『設計図』が半分に切り裂かれているように全容を把握できない。

 

おかげで完全に<聖人>として覚醒はできないし、科学サイドの検査で<聖人>の力の全貌を解明できないだろう。

 

しかし、それでは鳴護アリサ自身にさえもその力が完璧に制御できないわけで、これでは神裂火織が忠告した通りに危険だ。

 

<聖人>の解剖については、霧ヶ丘女学院への定期検査を辞めさせて、愚兄の通うような能力に拘らないノーマルな高校にでも転入すれば<吸血殺し(ディープブラッド)>の姫神秋沙と同じく解明はできず、普通の生活が送れるかもしれない。

 

だが、だからといって、彼女の力を無視して良いわけがなくて、

 

 

(でも、ね……アリサさんはLevel0という何も力のない肩書があったから、純粋に自分の力で歌えたと思っている。確かにアリサさんの歌は本物ですが、力があれば納得しないかもしれない。……それに当麻さんもLevel0で頑張っているトコに共感しているようですし)

 

 

分かってる。

 

これは詩歌自身の私情という事も。

 

力があるというのなら、いつも通りに説得して、開花するまでサポートすればいいんだが、できない。

 

あの残骸事件で、力があったせいで不幸になった人間を詩歌は見てきている。

 

それとアリサが同じにならないとは言えないし、歌う事ができなくなるかもしれない。

 

身勝手な善意で、ガラス細工のように美しく脆いその結晶に触れ回り、それを砕いてしまいたくないから、その力について詳細に教える事ができなかった。

 

 

(だから、覚醒しなくても、欠けた部分の制御法が確立できれば、<ケルト十字>で<吸血殺し>を抑え込めたように、<聖人>の力も抑えられるかもしれない、と久々にピアノを弾いてみたんですが、全く……)

 

 

と問題文が半分しか書かれていないものに答えを出そうとして躍起になっているが中々上手くいかず。

 

せめて、片割れの『設計図』があれば……

 

 

(まあ、私が投影するか当麻さんの右手と四六時中繋いでいるかの荒技もありますが。出会って早々に感じたTFPLevel4の気配。ええ、やはり、ここは私の方が無難ですね)

 

 

「あ。この曲って、確かあの子のですよね」

 

 

と、色々と考え事しながら弾いている曲はやはり、渦中の人物のもの。

 

すっかり聴衆な美琴の声に引き戻されるように思考を中断する。

 

 

「おや? もしかして美琴さんもアリサさんを知ってるんですか?」

 

 

「はい。前にちょっと会った事があって、まあ、有名なアーティストだってのは昨日佐天さんに教えてもらうまで知りませんでしたけど。本当に良い曲ですね。……黒子に邪魔されなければ全部聴けたんですけど」

 

 

あはは、と昨日の、いきなりテーブルの上に車椅子でテレポってきた現<風紀委員>が起こした騒ぎでそのファミレスに来店禁止になった事を思い出し、がっくりと肩を落とす乾いた笑い。

 

あのお姉様命な後輩をどうにかしないとやがてどのファミレスからも来店禁止のブラックリストに載るかもしれない。

 

それだけは避けないと。

 

 

「ふふふ、黒子さんはやんちゃですね。まあ、そういうとこが可愛いんですが」

 

 

「いや、あれをヤンチャと済ませるには元気があり過ぎです。全く、何で怪我を負ったのか分かってないんだから」

 

 

「まあまあ、ファミレスを半焼させるよりはだいぶマシです」

 

 

談笑していると、すっかりと時間だ。

 

詩歌は浅く腰かけた椅子から腰を上げるとお世話になったグランドピアノに一礼して、美琴も手伝ってくれて早くかたすのを終えてから、ぽん、と白い紙袋を、

 

 

「少し急がないといけませんから、美琴さんが代わりに餌をあげてくれませんか?」

 

 

「! え、ええ、分かりました! お任せください!」

 

 

「ふふふ、ありがとうございます。はい、じゃあ、これが今日の分です。きっとお腹を空かせているでしょうから、跳びついてくるかもしれませんよ」

 

 

こっそりと自分であげる分だったおやつの缶詰を磁力操作で浮遊させて背に隠して、受け取る。

 

美琴の朝の日課は、詩歌が学生寮の庭で世話している動物たちにおやつをあげること。

 

 

(やった! 今日はもしかしたらお近づきができるかも!)

 

 

詩歌と同じく動物が好きなのだ。

 

今日こそは撫でさせてもらえるかも、と期待して美琴はエサ場に。

 

だが。

 

 

『こ、このピリピリと来る威圧感は……!?』

 

『まさかあれが都市伝説の!?』

 

『何!? 今日はいつもよりも早い!』

 

『まだご飯もらってないのにー!』

 

『逃げろー!!』

 

 

来た途端に逃げ出す猫達。

 

実は美琴は学園都市の猫界隈で伝説の『ヌシ』と恐れられている。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

『ええか、カミやん。アイドルを応援する醍醐味っちゅーのは青田買いにあるんや』

 

 

と先日フルボッコにして『楽園(ユートピア)』に逝かせたはずの変態紳士なクラスメイト青髪ピアスさんからのご高説。

 

 

『特に今にこのご時世、この『ARISA』ちゃんみたいに突然火がついて、ちょーっと目を離したスキに、あっという間にメジャーになってしまうんや! ほんま一瞬たりとも気ィ抜けん世界なんやで』

 

 

真剣に話している内容は相変わらずくだらないものだが、彼が言っている事は大分当たっていて、その時教室にいた生徒の大部分が携帯サイトや雑誌でアリサの特集を見ていたし、こうして放課後の帰り道でもあっちこっちにアリサの顔がある。

 

住人の8割が学生のこの街で、流行とは早く伝播するもので、まだデビューが決まってから一日も経ってないのに、一気に学園都市中に広まっているようだ。

 

当麻もアリサ特集を見てみたが、将来の歌姫や期待の新人と好意的に書かれており、ストリートライブでの下積み時代もあったからか、その実力もちゃんと認められている。

 

喜ばしい限りだ。

 

 

『だから、カミやん! もし詩歌ちゃんがアイドルになるんなら真っ先に僕に教えてほしい。応援団長になったるから』

 

 

生憎その予定はない。

 

あっても握り潰す予定だ。

 

全く、夏休みの水着グラビアだけでも狙う野郎が増えたのに、アイドルになってみたらなんて考えるだけでも大変だ。

 

と。

 

 

(だったら、アリサもそうなのかねー)

 

 

鳴護アリサは美少女だ、と当麻も思うし、雑誌でもそのルックスが評価されている。

 

だとするなら、男子寮に匿っている当麻さんって早速結成されたアリサファンに狙われるんじゃないのか?

 

科学と魔術だけじゃなく、第三の脅威も勘定に入れるべきじゃないか。

 

 

「それは当麻さん問題ですから、放っておいても大丈夫です」

 

 

「詩歌さん、もうちょい真剣に考えくれないと当麻さんは悲しいでせう」

 

 

兄妹間のアンテナ3の回線で今日も考えが読まれている。

 

 

「だったら、もう少し学校生活にも真剣に考えてください。生徒から『寝て良いですかー?』なんて言われたら舐められてると思われても仕方ありません」

 

 

「あれは不可抗力なんだって、枕も毛布も奪われて満足に眠れなかったんだから仕方ないだろ」

 

 

朝のHR。

 

当麻の担任の月読小萌はきちんと大学を卒業した熟練の教師だが、見た目はかなり若く、美人というより美少女――というより幼女という言葉が似合うほどだ。

 

顔の輪郭も体つきもとにかく小柄でまるで人形のよう。

 

おかげで学内では人気教師、学外では『250年法』の都市伝説。

 

 

「関係ありません。小萌ちゃ――小萌先生のHRに寝ようだなんて当麻さんが怒られて当然です。ちゃんと明日の補修を頑張ってくださいね」

 

 

はーい、と大量の肉や刺身などといった食材を詰め込んだ買い物袋を提げて愚兄は返事。

 

 

「にしても、アリサも結構食うんだなー。インデックスと同じくらいの食欲じゃねーか」

 

 

「ええ、驚きました。朝はちょっと作り過ぎたかもって思ったですが全部平らげちゃいましたしね」

 

 

 

 

 

とある学生寮

 

 

 

朝起きると芳ばしいバターの香りが鼻腔を刺激した。

 

うん、この匂いはオムレツだ。

 

そう思って起きて、ベットのすぐ横にあるテーブルに目を向けた瞬間、唖然となる。

 

今はまだフライパンの上で踊っているであろうオムレツを置くスペースの他、色とりどり野菜に削りたてのパルチザンチーズを散らしたサラダ、ソーセージとベーコンの盛り合わせ、明らかにレトルトとは違うミネストローネ、まるまる一本分を解体したと思われる焼き色のついたバケットの山、デザートに生の果物を和えたヨーグルトに生クリームとストロベリー、ラズベリー、ブルーベリーの3種のベリージャムの添えられたパンケーキ。

 

もう一つの予備のテーブルと連結させて、大量の料理が所狭しと並べられていた。

 

まるでホテルのような豪勢な朝食。

 

 

「……ねぇ、インデックスちゃん。これって当麻君が作ったの?」

 

 

ちょうど朝のお祈りを済ませたインデックスちゃんに呆れ顔で訊いてみると、首を横に振りながら、

 

 

「ううん。とうまはこんな料理は作れないんだよ。作ったのはしいか。しいかの手料理はほんっとうにおいしいんだよ! 朝は一日の起点なんだから、しっかり食べなきゃ駄目かも、アリサ」

 

 

昨夜のホットミルクでも思ったけど、料理上手、とは思ってたけど。

 

訊いてみると朝はほぼ毎日、兄である当麻君の朝食を作りに来てくれるらしく、常盤台中学ってお嬢様学校だから家事とか苦手かな、なんてイメージがあったけど、もう色々と世話を焼いてくれる出来た妹だなー。

 

 

「おはようございます、アリサさん」

 

 

「うん、おはよう、詩歌さん」

 

 

マッシュルーム入りのトマトソースがかかったオムレツを運んできたシェフの詩歌さんがニコニコとあいさつしてくれて、ちょっと寝坊しちゃったみたいだけど気持ちの良い朝を迎えられた。

 

 

「あ、これからすぐに当麻さんを起こしますからシャワー浴びても大丈夫ですよ」

 

 

「うん、ありがと。にしても、すっごいね。これ全部一人で作ったの?」

 

 

「ふふふ、料理を作るのは得意なんです」

 

 

そうして、浴室で寝ている当麻君(こちらも話を訊く所によるといつもそこで寝ているらしい)を起こしに。

 

 

『当麻さん、そろそろ起きてください』

 

 

『むぅ……悪い、あと5分』

 

 

『じゃあ、あと1分で浴槽に水を入れますよ』

 

 

『うおい!? 朝からお兄ちゃん溺死しますよ、マイシスター!』

 

 

何だか家主がハードなお目覚めを迎えているようだけど、善は急げ、もとい、膳は急げ。

 

もうインデックスちゃんが早速、ばくばくとつまみ食いしちゃっているようだし、こっそりと出来たてほかほかのオムレツをスプーンにこんもりと盛ってひとくち。

 

 

……素晴らしい。素晴らし過ぎるよ!

 

 

絶妙な焼き加減な半熟天国は、ついっとまたつまんでしまったバケットと最高の相性が織りなすハーモニーを堪能。

 

いつもこの朝食を食べてるインデックスちゃんと当麻君が羨ましいと心底に思う。

 

だから、もうちょっとだけ……………

 

 

もぐもぐ。

 

ぱくぱく。

 

がつがつ。

 

 

 

 

 

 

 

「だからね、とうまはい~っつも私のこと子供扱いするんだよ。今日の朝だってちょっとつまみ食いしただけなのに俺の分も食ったのか~って私にだけ」

 

 

「うん。その件についてはごめんねインデックスちゃん」

 

 

ベットの上に畳まれたカジュアルな服と脱ぎ散らかされている修道服。

 

つまり、2人がどこにいるのかというと浴室。

 

女の子同士の楽しいバスタイムのガールズトーク。

 

インデックスが頭を洗いながら朝の一件について不満げにぶうたれてて、アリサがその様子を眺めつつ、湯に浸かり一心地つくように浴槽の縁に乗りかかって寛いでいる。

 

桃色に染まる滑らかな素肌に、瑞々しく滴る銀髪は、照明の明かりで濡れて燦然と輝いている。

 

素直に綺麗だなーと熱い溜息をつくも、その頬を膨らませる顔が可愛い

 

詩歌が暇を見つければ抱きついて可愛がっているのが分かる。

 

だからきっと、彼も、

 

 

「でも、それってインデックスちゃんが可愛いからじゃないの?」

 

 

「えっなんか言った?」

 

 

シャワーを流していて聴こえなかった模様。

 

まあ、仕方ない。

 

だけど、詩歌さん曰く、イギリスからホームステイしてるシスターなんて聞いたことないし、年頃の少年少女が同棲してるなんてやっぱり気になるし、折角の裸の付き合いなので、シャワーのつまみを捻った所で、アリサは声を大きく剛速球のストレート。

 

 

「この際だから訊いちゃうけどさ。……インデックスちゃんと当麻君達ってどういう関係?」

 

 

「? ご飯を作ってくれて、私が食べる人?」

 

 

「へ、へぇ……」

 

 

きゅっきゅっ、とその探りに、髪の水気を出してから整えるインデックスは当たり前のように、天然な打ち返しで直球を跳ね返した。

 

アリサが求めてたのとも違うし、食べる人とは家事とも関係ない。

 

最近、恋に関する曲を作ろうかと思っててるのだが、恋愛経験のないアリサにはどう表現すれば分からず。

 

少し残念、でも、ちょっと安心した気分で溜息をつくアリサ。

 

 

「あと、私が困った時には必ず助けてくれるかな! しいかは本当にすごいけど、とうまも意外と頼りになるんだよ! ウンウン」

 

 

「ふぅん……」

 

 

とぷん、と座り直して、肩までつかりながら考える。

 

上条詩歌。

 

噂では聞いてたけど、本当に凄く優秀で綺麗な娘。

 

その微笑みなんて性別とか超えている。

 

才能だけでなく、努力もできる真の天才で完璧超人。

 

その兄である上条当麻。

 

噂とか聞いたこともないし、普通の男の子で私と同じLevel0。

 

けど、勇気があって、その背中は不思議と頼り甲斐があって……

 

 

「でも、とうまはすっごくシスコンなんだよ」

 

 

「それは仕方ないんじゃないかな? 2人ともとっても仲良いし。やっぱり兄妹なんだから仲良くしなきゃダメだよ」

 

 

「ううんそうじゃないんだよ。しいかの水着を見て鼻血を出したり、メイド服着せてご主人様って呼ばせたり」

 

 

え? えー……と、当麻君って常識人だと思ってたんだけど、でもインデックスちゃんの誤解かもしれないし。

 

 

「んーでも、詩歌さん、とっても美人さんだし、何だかんだ言って当麻君に優しいし、互いに大切に想いあって―――」

 

 

最初見た時は兄妹じゃなく、素敵な………

 

 

 

ザブッ―――!

 

 

 

突然、アリサは湯船から上がった。

 

 

「アリサ!?」

 

 

そしてインデックスを待たずにリビングへ。

 

インデックスは体を洗ったばっかりだったが、彼女を追う。

 

すると、テーブルの上で一心にアリサはノートに何かを書いていて。

 

 

「アリサ? どうしたの?」

 

 

「ごめんね。歌詞! 思いついたから……」

 

 

インデックスからの話を聴いてインスピレーションが、歌の神様が舞い降りたのか、頭に浮かんだ新曲の歌詞を一言も忘れぬ内にメモノートに。

 

もう体にバスタオルを巻く時間も惜しい!

 

インデックスはとても興味が惹かれて、

 

 

「そっか~! そうやって歌作るんだね! 見せて見せて!」

 

 

「だめ! 恥ずかしいから!」

 

 

「え~っ! ずるいよ~アリサ~!」

 

 

「じゃ、じゃあできたらちゃんと見せるから! そしたら一緒に歌お! ね?」

 

 

「分かった、約束だからね!」

 

 

アリサとインデックスは約束を交わし、自然と口元に笑みが浮かんでしまう。

 

 

 

「ただいまー」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ドアを開けた、直後。

 

疑いようもなく、夢ならば覚めてほしいのに、あまりにも虚実を疑うには確かな曲線でもって。

 

 

―――衣服を身に着けておらず、生まれたままの姿で、まだ水滴の残る素肌を垣間見せ、リビングの中央に仲睦まじく鎮座して……

 

 

「!? ……当麻君……っ!」 「とっ、とうま……!!」

 

 

絶句。

 

あまりにも激烈なショックに表情を繕うことすら忘れ、半笑いのまま愚兄は棒立ちで固まってしまう。

 

幸か不幸か、両者とも同じく固まってしまう。

 

当然この場合、幸いなのは当麻の方であり、不幸なのはインデックスとアリサの方、ということになるだろう。

 

だが後のことを考えると頭が痛いところで、

 

 

「ふふふ、お兄ちゃん♪ だっこしてー♪ ……ぎゅーっと、ね?」

 

 

「はい、早速実際に頭が痛くなってきましたーっ!」

 

 

ゴギッ! と背後からおんぶするようにのっかかり、両目を覆うように頭を捕獲。

 

そのまま愚兄は手加減など微塵もないガチンコ拷問ヘッドロックの餌食となり、頭から直前の記憶を絞り出すように卒倒しかける。

 

 

「安心してください。首狩りは得意ですから。直前の記憶ごとへし折って上げます」

 

 

しかしながら、この時ばかりは賢妹の判断に愚兄の方からも礼を伝えたい気分であった。

 

だけど、やっぱり、往生際が悪いかもしれないが、さりとて簡単に往生するのは、

 

 

 

「不幸だーっ!!!」

 

 

 

つづく


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。