とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
暗部抗争編 献身
第10学区
『俺達の目標は『案内人』だ』
仲間達が、危ない。
この闇に堕ちてまで最も守りたいものが、自分のせいでまた危険な目に遭おうとしている。
あの時、盾にしてしまった自分が何を言うかって話だけど、だから、ここは自分が彼らを守る壁となりたい。
情報を聞きつけ、学園都市最高クラスの空間移動系能力――<
「うぐっ―――ちょっと無茶し過ぎたわね」
トラウマに胃の内容物が込み上がる。
空間転移に精神的苦痛を感じる結標にとって、自分を<座標移動>させるのは拷問に近い。
けど、その無茶のおかげで間に合った。
迫り来るは、<全道終着>第13学区侵攻特機隊を取り込んだ<ブロック>、と移動効率をあげるために小型軽量化した数機の直立戦車。
少年院の看守が使っているのは『MPS-79』―――旧型の『駆動鎧』。
暴走能力者を止めるために対能力者装備がされているが、あくまで護身具で、<ブロック>と<全道終着>は全員が実戦装備、そして、直立戦車は『MPS-79』よりも大きい殺人兵器。
<警備員>も今は学園都市に四方の<全道終着>の後始末で多くの人員が割かれている。
少年院はすぐに落ちるだろう。
(そういえば、私もあの時、『駆動鎧』から逃げたわね)
結標は遠目で徐々に近づき大きくなる直立戦車を見ながら、『残骸』の時を思い出す。
<MAR>の駆動鎧に逃げるしかなかった。
もしあの時、もっと自分に力があれば、自分達は逃げ切れたかもしれない。
もしあの時、第3位が介入してこなければ、自分達は危なかったかもしれない。
一方通行と海原光貴の合流を待つんだ、という土御門の制止を振り切って、一人で飛び込んだが、結標淡希に何ができるのか。
奇しくも、かつては手を組んでいた<科学結社>も入っている<全道終着>、<ブロック>の下部構成員には協力者トマス=プラチナバーグにより『0930事件』で解体された<MAR>の人員の大半が回されている。
ここに高位能力者である結標淡希がいようと、対能力者に特化したものが指示を出すのだから『外』の人間の弱点でもある『能力対応の不慣れ』という実戦経験不足をつけこめないし、<座標移動>を攻略した元<MAR>ならば、すぐに小型軽量化しているとはいえ総重量およそ5t―――結標淡希が飛ばせる限界4.5t以上の小型直立戦車を向けてくるだろう。
<座標移動>では、止められない。
それだけではない。
15m近い壁から壁へ、少年院を囲むように張り巡らされた無数の細いワイヤー―――<AIMジャマー>。
屋外、室内に膨大な電力と演算装置から能力者のAIM拡散力場を乱反射させて、自分で自分の能力に干渉させて、暴走させるように仕向ける特殊電波を流す対能力者施設。
能力を発動できないのではなく、照準の精度を狂わせる感覚は、自分達のいる世界を一一次元上の理論値に置き換えて計算する必要のある空間移動系能力には最悪だ。
侵入を許せば、結標には何もできない。
(ダメね、さっきからマイナスなイメージしか浮かばない)
弱気になってはダメだ。
能力発動の基本は、『自分の力で不可能を可能にする』ことへの意識を、『現実』として理解し、演算し、自然に表現できるか。
如何に非常識な現象を<自分だけの現実>として把握できるか。
確固たる思想主義をもつものが、単身で軍をも相手取れるLevel5になる。
―――けど、結標は、それにあと一歩及ばなかった。
迫る小型直立戦車部隊が、一斉に少年院ゲート破壊に其々の武器を発射した。
街中
「―――ッ!」
僅かにブレた―――と思ったその時には、赤髪の優男が一瞬で間合いを詰めていた。
純粋な体術だ、と当麻は覚る。
ただ、その意識がこちらに向いたことでさえも動作の兆候がまるで分らなかった。
能ある獣は爪を隠すというが、この男はまさに爪を爪だと思わせない。
まるで獣が草場から一気に最高速度で飛び出したような動きに不意をつかれる。
そして、上条当麻は避ける間もなく、横殴りの一撃を―――左腕で受けた。
ゴリッと両者の腕から鈍い音。
ほう、と仕掛けた鬼塚百太郎は感心が漏れ出る。
「今の衝撃を殺すとは、中々いい
「そいつはどうも! 俺の妹の自慢の一品でな!」
当麻のボディアッパーが百太郎の胸を捉え、硬い音を立てた。
大きく後方によろめく百太郎と、左右の腕を軽く振る当麻。
骨が折れた様子はなく、何の支障なく動く。
「アンタも、服の下に何か仕込んでんのか? 随分硬ったが」
「ええ、動きの邪魔にならない程度に」
この男が上条詩歌を狙っている、と愚兄は直感的に覚っていた。
そして、左半身で左拳を顎の高さに、右拳を鳩尾に構えて―――再び、男は襲い掛かる。
「ふんっ―――……!」
だが、弾く。
<
その人間の運動性能の限界点にまで達している『鬼原』の動きについていく。
再び突き出される拳と拳から始まる、目まぐるしく入れ替わる身体と攻守。
単なる打撃の応酬ではなく、真っ直ぐな突きに、上下左右から襲いかかる拳、手刀に掌。
それを躱し、掴み取り、捻じり上げようと絡みつく手を紙一重で振り払う。
(詩歌の寮監クラスか、それ以上か!)
上条当麻のやりにくいタイプだ。
何の異能を使っていないのに、素で強いというハイスペックノーマル。
愚兄は右手を突き出し―――腕に手を添えられていなされ、無防備な背中を晒す前に軸足を蹴り足に変えて、その場から一歩、踏み出し―――たが、来ると予想していた追撃は襲ってこなかった。
「反応も中々。パワーでは少し負けてる。その年でこれほどに基礎を積んだ者がいるとは驚きです。だが、それ以外は簡単」
体力は恐らく互角で、<着用電算>による強化でこちらの方が分がある。
だが、体術、技量は向こうの方が上で、駆け引きは遠く及ばない。
しかし、上条当麻は体術、技量、駆け引きで格上の相手を知っていて、慣れている。
こういった相手には駆け引きを弄する暇を与えず攻め続けることだけが、愚兄が勝利する手立てだ。
必要以上に間合いを開けず―――今の上条当麻の反応速度では単調の攻めは無駄になると読んだのか、『鬼原』は僅かに間合いを離していた。
「勘の良い相手というのは、良く相手の攻撃に反応するものだが―――だからこそ、簡単に当てることもできる」
攻めに転じた愚兄から距離を詰めようと間合いに踏み込み、拳を突き出そうとした―――その瞬間、カウンターで打ち出される獣の爪がその首を狙う。
相手の方が腕が長い。
だけど、その軌道は単調で真っ直ぐなもので、愚兄はそれを見切って、
「がっ―――!?」
愚兄の後頭部に衝撃が炸裂した。
「っ―――!」
出所の分からないまま回避し―――こめかみを掠る。
とにかく状況回復に、と今度は当麻が後逸するも―――鳩尾を貫かれた。
ぅ! ―――と息が漏れる。
貫いたのは鋭い拳圧の錯覚―――幻突。
直接当たらずとも、その衝撃だけを伝える空当身―――そこに気を取られて、
「は、ぐ―――!」
続く衝撃。
的確に急所だけを狙ってくるソレは、当たっていないはずなのに、芯を震わせてくる錯覚をさせ、そこに意識を取られている間に、本物が不意討つ。
<鷹の目>、と呼ばれる刹那に行動を見切る目に、木原神拳という刹那に軌道を修正する術。
第1位の『反射』破りの『寸止め』を成功させた木原数多の手首の返し以上に器用で、『鬼原』は手首だけでなく、体全体で返しができる。
しかも別々に。
『鬼原』の拳は、“生きて”おり、紙一重で避けようが瞬時に食らいつく
なまじ紙一重で躱せるだけの元からの優れた反射神経を持っており、<着用電算>の反応補助していたが故に、躱せずに喰いつかれる。
この相手の反応を“見”てから、軌道を変える、本能を逆手に取った、言わば『後出し』とも言える反則技は、その反応が早ければ早いほど行動を読み易く誘導しやすい。
『0930事件』で、『前方のヴェント』が鎖と槌の動きがバラバラで、良過ぎる反応が逆に術中に嵌ってしまったことと同じく、反射とは中々修正できるようなものではなく、上条当麻のような本能タイプには苦手だ。
「私が司る<木原>は『野生』。君のような相手とは相性がいいんだよ」
息を呑む暇も与えない。
繰り出される拳の雨。
<鬼塚>の業と<木原>の技を織り混ぜた『後出し』は愚兄をつるべ撃つ。
相手に見せるように大きく鞭のように腕がしなり、しかし、反応して見せた後で鋭角に変動する。
さらに、そのフェイントも、ただのフェイントではない。
衝撃を伝播させる鬼塚流武術『鬼灯』の応用で、実際に空を圧す衝撃を通してくる透明な一撃は、悉く急所のみを標的とするので反応しない訳にはいかない。
相手をノーマークにしたうえで不意討つだけでなく、『後出し』は反撃などさせず、拳を振るおうとすれば、腕を狙いキャンセルさせる。
躱せないが、威力はそう大きくなく、だけど―――受ける度に反応してしまい、行動の足を引っ張る。
ジャンケンで常に1つしか手が出せないのに対して、『鬼原』は両手で別々の手を出しているようなもので、つまり愚兄は相子か負けしか選択肢がない。
グーを出して、チョキとパーなら、パーを出せば良く、もしグーとチョキだとしても、グーを出せば相子になる。
両方の手を同じにしてしまうような余程の気を抜いた状況でなければ、負けはしない。
「ふっ―――!」
連綿と続く攻防の中、『後出し』で意識が散らされ、それでも本能的に絶対の急所とも言える防御は怠らない。
自然と、よりそこに防御を固めていく。
あえて、そこを狙う。
爆発した脚力からの上段蹴りを後頭部に喰らわそうとする猛蹴は、死神の鎌を連想させる。
「っ……!」
それを防いだ。
腕や胸を打たれるのは構わないが、溜めに溜めたこれは首を茎のように折る致命傷。
それに無意識な反射を振り切って意識的に反応できたのは、その威力がそれ以上はないというほどの脅威をもたらしかねないものだったからか、はたまた奇跡の偶然か、上条当麻が今まで辿ってきた戦いの軌跡の経験か。
だが、どちらにしても『鬼原』が繰り出す一撃が、躱せない。
何故ならこれは『鬼原』の術中通り。
「その程度の防御をぶち抜くなど、<鬼塚>には簡単だ」
「あ―――」
自然と防御してしまう場所だからこそ、意識の薄い場所。
それも『後出し』により、薄く拡散されている。
<木原>として相手の想像の外へ行き、<鬼塚>として自分の一撃に全てを籠める。
不意打ちを餌に、より相手の最も意識していない絶対の『無意を突く』
アクションキャンセルではなく、ガードブレイク。
意識が落ちる。
腕を盾にしたのに後頭部を刈る衝撃が脳を侵す。
「く―――!」
「おや、まだ倒れないとは。簡単にはいかない頑丈さ。ですが―――」
それでも倒れない愚兄―――ならば、次はその剥き出しである顔面を狙う。
それに気付いたのか、それともそれが経験したことのある、『嘘つき』の止めを刺す時の決め手の一つだったからか。
上条当麻は今度は両腕を上げて、自らの顔を守る。
「がっ―――!」
だが、衝撃は抜けてきた。
まさに蛇蝎の如く、容易くすり抜けたのだ。
顔を覆った腕の合間は、針の穴ほども通す精密さを持つ『鬼原』からすれば、拳一つ入る隙間があれば十分。
そして、一度牙を突き立てた獲物は逃さない。
「つ―――く……!」
拳打から腕を曲げた肘打ちが、意識が遠のく愚兄の鎖骨に叩きこむ。
それを僅かに下がって掠らせ、当麻は反撃の拳を握る。
だが、肘先から変化し、脳天を叩き割る手刀。
この軌道に終着はなく、またもや急所へ執着に繋ぐ―――相手が手を出す前に出す『先出し』のアタックキャンセルの防戦一方に陥らせる。
「がぁっ―――!!」
咄嗟に首をずらしたが、右肩口に落された。
防護服を突き抜けた衝撃に、上条当麻の利き腕であり、最大の武器が過剰に電流が流されたように
さらに死角から右膝関節部を蹴られる足払いに、愚兄の態勢が右に傾く―――手刀という爪を突き立てた後、開かれた五指という牙に変わった大口に捕まった。
「ほらね。君のような相手は簡単なんだよ」
音を立てて愚兄の後頭部に牙の指が掌握する。
「ぐ―――ああああ……!!」
当麻の左腕が上がる。
この一瞬、頭を握り潰される前にその腕を叩こう、と。
だが、それより速く、愚兄を振るい投げた。
―――身体が宙に浮く感覚。
シャチが捕まえたアザラシを突き上げるように。
獲物に牙を突き立てた獣が、そのまま放り投げて、遊ぶように弱らせるように。
『鬼原』は愚兄の後頭部を掴んだまま、頭蓋骨を矯正しながら、片腕で投げて地面に叩きつけた。
少年院
ここは能力が封じられた土地。
<警備員>やここの警備兵とやり合う表の軍隊とは別に、破壊工作―――及び、『案内人』の人質確保に佐久辰彦が率いる<ブロック>が動く。
『窓のないビル』の内情を知る数少ない『案内人』のデータは<
この日の為に、準備してきた。
普通の房に移されたと聞いてはいるが、それでも一塊でまとめておくために、この敷居を半分に区切って男女に別れた少年院で、そのちょうど中央に隣り合わせでまとめている。
「……良し、開けたぞ」
そうして、電子ロックで鍵をかけられているドアを、事前に調べたセキュリティからハックして開け、
「入ったらすぐに爆弾を仕掛けろ。もしかすると『案内人』のいる<グループ>がくるかもしれん。いち早く人質の準備をするんだ」
あの『0930事件』を体感して、俺達<ブロック>は学んだ。
もうこの世界は端から端までアレイスターの手に染まっている思っていたが、そうじゃない。
あの学園都市を壊滅にまで追い込んだ強襲者達は、科学に染まらず、だが、科学の色を塗り潰すほど濃い濃密なものを持っていた。
こんな馬鹿正直に学園都市に縛られていた俺達にあれは勇気を与えてくれた。
きっとこの『
「そこに行くために、アレイスター、貴様をぶち殺す」
第10学区
「ぐわあああぁぁっ!?」
“向きをズラされた”小型直立戦車の砲撃で、<ブロック>と<全道終着>の装甲兵達が吹っ飛ばされた。
「舐め―――ないで、ちょうだい―――!」
ハァ、ハァ―――と息切れする。
今ので結標を警戒し、迂回するものも出てくるかもしれないが、これで部隊の大半が削れた。
けど、こちらに警戒ランクを上げた訳で、結標では直立戦車をズラすのが限界で移動できない。
「けど、動きがノロいのよ!」
次撃が来る前に、結標は<グループ>の装備品として手持ちの手榴弾のピンを抜いて、宙に投げ、それらに軍用懐中電灯の明かりをあてていく。
次々と小型直立戦車の内部に<座標移動>で送りつける。
かつて、転移の位置座標入力を失敗し、己の脹脛の半分を床に埋め込んだことのある結標に取って、『<座標移動>によって埋め込む』という行為は、自分を転移させることに次ぐ精神的負担。
それでも―――結標は成功させた。
如何に装甲が固くても、点移動で対象を座標に割り込ませる空間移動能力は爆弾を小型直立戦車内部に埋め込み、そして、外側からの脅威には強くても内側の炸裂には耐え切れない。
燃料にも引火し、無人兵器の爆発はさらに周囲の装甲兵達に襲い掛かる。
だが、手榴弾を全て使い切っても、それでも足りない。
「甘い―――!」
「きゃ―――」
足を、脇を、肩を撃ち抜かれ、座標指定に振るっていた軍用懐中電灯を落とす。
「……降参しろ。『案内人』」
隊を率いる筋肉質の女性、手塩恵未がその傷では<座標移動>が困難であると見て結標に降伏勧告をする。
「私達は、どこにいるかも分からない<座標移動>を、交渉の場につかせるまでに、ここを攻めた。貴様が捕まれば、その計画も不要。不要ならば、今すぐここを撤退しても構わない」
もう向こうにも攻撃できる範囲にまで侵攻させられた。
結標淡希という標的で、こちらに盾突く敵対者を見て、その眼が変わる。
「私達は、アレイスターを、殺すべき理由が、ある。だから、お前を直接痛めつけても、情報を聞き出すつもりだ」
その手塩の佇まいから、彼女はここから能力を発動させる隙も与えずに自分を仕留められるのだと結標は覚るも、
「ッ!!」
結標が地面に落ちた軍用懐中電灯を拾おうとする―――だが、それよりも速く、手塩は回り込み、
「プロの行動に、奇抜な能力や、一発芸は、必要ない」
長身なのに、屈みこむ結標の、さらに低く。
手塩はボクサーのような構えで、体を沈めて、結標が気づく前に、そこから一気に伸び上がり、タックルを喰らわせる。
体全体を使ってぶちかます衝撃は、結標の体を軽々と吹っ飛ばす。
「ただ、基本的な戦術の、積み重ねが、合理的に敵を叩き潰す」
この体術は、手塩恵未が、犯罪能力者達を相手取る<警備員>の逮捕術を、更にアレンジしたもの。
その無駄のない落ち着いた所作から、加減はできるだろうが、下手をすれば、子供を殺せるものだ。
地面に倒れた結標はさらに内臓の位置を胸元に押し上げるほど強烈にどてっ腹を蹴り込まれ、横にした棒のように転がり―――<AIMジャマー>の効果範囲でもある少年院の敷地内に入れられる。
それでも、ここで倒れたままにはいかないと結標は立ち上がり、
「……確か、核攻撃でも壊れない『窓のないビル』への物質搬入ルートを聞きたいんだっけ?」
こちらが捕まえた捕虜から聞きだした情報から<ブロック>が統括理事長に多層同期爆弾で居住地ごと爆殺するつもりだというのは聞いている。
その話から、手塩は結標が会話に応じると見て、背後の軍隊に下がれ、とサインを送る。
「話す気に、なった?」
だが、結標はそれを鼻で笑う。
「そんな方法で、アレイスターを倒せるはずがないでしょう。だとすれば、『案内人』であった私でさえアレイスターを殺せたんだから」
その程度の対策を講じていないはずがない。
あの男の会話は、『案内人』時代に、客の帰りを待つために側に侍って聞いていたが、いつも無防備で―――だからこそ、何の対策を講じていない訳がない。
結標程度の人間には寝首を掻かれぬように講じているから、あそこまで余裕なのだ。
「確かに、アレイスターは、殺せないかもしれない。――――だけど、奴を支えている生命維持装置は別だ」
正真正銘の怪物は、所詮は人間程度が幾ら刃向った所で、勝てない。
だが、それを支えている機械は、違う。
あれは、人の手で作られたものだと聞いている。
人の手で作られた物が、同じ人の手で壊せないはずがなく、そして、その装置には代わりがない、とも聞いている。
だから、あの正真正銘の怪物もそれが分かっているからこそ、吹き飛ばされては困るから、生命維持装置と一緒に硬い防壁で覆われた『窓のないビル』に篭っている。
「無理よ。あれは『窓のないビル』なんかで収まるようなものじゃない」
「なに?」
しかし、それも結標に否定される。
ドアも窓もないビルなど普通はありえない。
だからこそ、逆に、その中が酸素など人間生活に必要なものを生産できる環境システムが構築されていることが予想がつくし、核兵器にも耐えられるという事は、放射線も遮断できるという事であり、つまりそれは、各種宇宙線も防ぐ―――故に、この地球という惑星が滅亡しても、彼は『窓のないビル』の中で生き続けられる。
「―――けど、その程度の仮説は、普通に公開している情報から導き出せば、誰にでもできる。だから、誰にでも分かるようなら、そこに答えはない。もちろん、私が知っている情報を合わせても同じことよ。あのアレイスターが、他の誰かに本当に全ての情報を開示しているなんて思えない」
ただ言えるのは、あの男が進行している『プラン』は、自分の想像を遥かに超えるものであり、必要ならこの地球を使い捨てる気でいること。
巨人を人間が倒すことが不可能なように、自分達にアレイスターの『プラン』を阻止できるはずがない。
「諦めなさい。貴女達如き陳腐な人間に、アレイスターの牙城は崩せない」
結標が長々と説明して見せたのは、多少降伏をさせようというものもあったが、体力回復の為だ。
今は少しでも息を整えて、演算が可能な所まで気を持ち直す。
(でも、<AIMジャマー>って、この程度のものなのかしら? むしろ―――)
「……こんな私でも、暗部に身を置いているのだから、分かるだろう? それなりの悲劇を、経験してる」
だから、それにアレイスターが関与しているのか、全く知らないかを知りたい、と。
自分はその『プラン』とやらの犠牲者なのか、を。
手塩はそっけなく、そこに復讐芯などない―――あるのは、ただ『真実』を知りたい。
あの事件の全てを知らなければ、自分は何も納得できない、悲嘆することも、憤怒することもできないのだ。
陳腐な願いだと結標は思う。
けど、その気持ちが分からなくもない。
かつて、『自分達は何故能力者にならないといけなかったのか』とその『答え』を知りたくて、『残骸』を巡る争いに身を投じたが、それでも心の平静を取り戻せるものでないと思い知らされた。
結局、それが『真実』なのかを答えにだすのは、自分自身に他ならない。
誰かが出した答えでも、その誰かが信用できなくて、真実味が99%に思える回答でも、1%の疑惑もあれば、納得できなくなる。
「だけど、やはり、私の意志は、変わらない」
<ブロック>の手塩が再び構える。
<AIMジャマー>の働く少年院の敷地内だが、もしかしたら、<座標移動>が一回はできるかもしれない。
今ならその自分でも思っていなかったチャンスに手塩らの隙をついてまだ逃げられるかもしれないが、ここで逃げたらもう守れない、と結標は本能で分かっている。
けど、痛いし、怖い。
その心身を一度失敗させた焼け跡は、見えなくなっても、そう簡単に克服できるものではない。
一度暴走させてしまった。
―――うふふ。弱い者など放っておけばいいのに―――
そうだ。
結局、結標淡希は彼らとは違った。
自分の為に他人を傷つけられる、そういった人間が結標淡希だった。
であるなら、群れることが叶わない同類じゃなかった弱者など見捨ててしまえ。
例え人質に取られようが、自分には関係ないと放っておけばいい。
「結標! 伏せろ!」
「結標さんを助けるのよ!」
「結標お姉ちゃん!」
その時、背後から一斉に炎、氷、土、雷、と装甲兵達に襲い掛かる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「な、に……?」
思いもよらぬ援軍に傭兵達が怯んだ。
どうなっている!?
どうして、ここは能力が禁じられた場所じゃなかったのか?
いや、それよりもしきりに自分の名前を呼ぶ声は、今は普通の房に入れられているが、自分のせいで『反逆罪』などない学園都市で、存在しない囚人として隠し房に隔離され、どんなに酷い扱いを受けようと許容されてしまう。
彼らにそんな実験動物にされるような真似をさせないために暗部と契約を結んで、自分はそこから出た。
だけど、そんなこと彼らは知らない訳で、自分が能力で媚びを売って逃げたと思われてもおかしくない訳で………自分のせいで、彼らをこんな目に遭わせているのだから、恨まれていてもおかしくない訳で。
なのに、彼らは私を助けに来てくれた。
所詮、一発芸みたいなもので、能力が使えても、低レベルな彼らでは装甲兵の足止めにしかならない。
それでも、結標に近づけさせない。
「うぅ……」
こんな時に気を抜くなんてダメ、と思っていても、この全身から抜けかけた力に戻る僅かな活力と共に、目頭に込み上げるものが止められない。
『守りたいに、決まっていますの。当たり前でしょう?』
あの時、彼女のように自分の弱さを自覚して、なお、立ち向かった。
その献身に、結標淡希は負けた。
そうだ。
結局、弱かったのは、弱者だったのは結標淡希。
だから、今ここで、このいつまでたっても誰も守れない弱い自分を――――
「―――超えてみせる! このクソ忌々しい弱かった自分の全てを! 今度こそ本当に守りたかったものを守る!」
結標淡希に、強気の笑みが戻り、背中に手をまわして、そこにあるコードの束を強引に引っ張り、放り捨てる。
『低周波振動治療器』という脳波の乱れから演算してストレス軽減効果のある振動を与える機器だが、そのために限界を超えようとすれば演算の制限をかけてしまう事もあり、全力には邪魔だから。
己の背後には守るべき『仲間』が、今ここで守らなくてはならないその命の為に、全力を出せないなんて、認められない。
結標淡希は、今ここで、過去の失敗を、踏み潰す!!
<鬼火>や<能力追跡>と同様に<座標移動>はLevel4の中でも、あと少しで『8人目』に辿り着ける者。
あと一歩で、その領域に立てる。
まるで強力な瞬間接着剤のようにべっとりと足が地面とくっついているような感覚を覚えるが、結標はその泥沼から一気に足を抜いて、前に進んだ。
――――大丈夫。暴走なんてさせません。私が力を貸します――――
一歩踏み出した結標を、そのベリベリと剥がしてしまった足から全身を、まるで薄皮の一枚を被せるように温かいものが包み込む。
「悪いけど、一気に蹴りをつけさせてもらうわ」
加護を与え、力をより強く、その胸の奥についた火をより熱くする。
「待て! 攻撃するな! 人質を殺しても―――」
手塩の制止を振り切り、装甲兵達の兵器が火を噴く。
だけど、それよりも速く結標が、そして背後にいた仲間達と共にその姿を消して―――何より嫌だった誰かと介添えする空間転移を成功させた。
そして。
今度は<座標移動>内半径800mにいるその刺客達を。
ヒュン! と一瞬で終わった。
「なっ、身体が地面に埋まっ……!?」
全てきっちりと、地面にギリギリ肩が見えるほどの深さで、手塩達を埋めた。
完全な拘束に、もう武器を発砲できないし、動けない―――そして、死んでいない。
「……余裕、だね」
無抵抗に、その危険だけを<座標移動>で飛ばした。
その圧倒的な力に、手塩は小さく呟く。
「<警備員>でもここから出すのが大変でしょうけど」
対し、結標はつまらなさそうに、
「生憎、これが私に求められているリーダー性なのよ」
少年院
その肌は弾丸を弾く。
そして、硬度が増すごとに重量も増加しており、その外側皮膚表面だけでなく内側中身の骨肉まで鋼鉄な大きな腕で、人間などという柔らかいものを勢いよくぶん殴ればどうなるか。
無論、潰れる
「か、あ……」
直撃を食らった爆弾工作担当の部下の身体が、くの字に曲がり、その内部に拳がめり込む。
「ふん。久々の呉里羅様の<鉄腕>は、錆ついてないようだな。うむ、爽快だ」
「おいおいゴリラ、気をつけろよ。そこに爆弾があるんだぞ。ま、解体できねーほどのモンじゃねぇけどな。とりあえず、派手なドライブよりも危険だから、邪魔だけはさせないでくれ」
「がっはっはー! キジが、ドライブよりも危険だっつう事は、そいつぁ気を入れて盾にならんとなぁ。俺様も流石に爆弾には耐えられん」
「安心しろ。愛車を改造するよりもバラすのは簡単だ」
佐久辰彦の前に立ちふさがるゴリラのような大男と鳥の巣のようなアフロ頭の少年がこちらの取り付け途中だった爆弾をこちらの作業道具を使って弄くり始める。
「何故、この中で貴様ら、能力が使えるんだ?」
「ああ、それはね。叔父さんには聞こえないだろうけど、この音楽ソフトのおかげだよ。ほら、木山春生の幻想御手事件。あの<幻想御手>のワクチンを解析したことがあったから、ちょっとは使われているのは分かるけど、多分、別物だろうね。でも、このおかげで僕達が<AIMジャマー>が発動しているこの施設内でも能力が使えて、君達の強襲をいち早く察知できたわけ」
ひょこっと出てきて、佐久の疑問に答えた小動物のような小柄な少年が、ちょっと言葉を切って、にやりと笑うと、
「にしても、電子ロックを解除した後、施設外の情報を軽く集めてみたけど、<
夏休みの武装無能力者事件で捕まったのは、<七人の侍>の、<鉄腕>の岩壁呉理羅、<精神安定>の雉村騒兵衛、<微弱電流>の栗鼠諜吉。
そして、この男。
「俺達には待っててくれる人がいるんでね。ここを勝手に出るつもりはねーけど、爆破されんなら房を出てでも、阻止するさ」
夏よりも伸びた長い赤茶の癖っ毛の筋肉質の男。
そう。
『三巨頭』の一人で、あの<赤鬼>も入っていた<ビックスパイダー>を率いた伝説的な<スキルアウト>―――黒妻綿流。
「邪魔するんじゃあねぇ! 『0930事件』からアビニョンの暴動に続いて、今がチャンスなんだ! 俺達はアレイスターをぶち殺して世界を変えるんだ! 本当の楽園を作るんだ! なのに、なんでテメェらクソガキどもに邪魔されなきゃなんねぇんだよ!!」
「アンタがどんだけご立派でも、他人を踏み台にした居場所は、また他人に踏み荒らされちまうのがオチだろ」
「うるせぇっ!! 邪魔する奴らは全員ぶっ潰す!!」
佐久が拳を握り、接近してくる。
「はぁ、参ったなぁ……これだと強引な決着のつけ方になっちまうな」
言葉とは裏腹に、黒妻の口元に浮かんだのは楽しげな笑み。
癖のある頭を掻き、『ま、しゃあないか』と。
「うおおおおおぉぉっ!」
佐久辰彦が雄叫びをあげて飛びかかる―――だが、それよりも速く、黒妻綿流が動く。
ゴドン!! と音だけでその威力の凄まじさが分かるクロスカウンター。
<ブロック>のリーダー佐久辰彦の巨体が思い切り殴り飛ばされ―――自分の身に何が起きたかも分からずに―――一気に壁まで飛んで激突し、そのままズルズルと床に崩れ落ち、泡を噴いて倒れた。
「ガタイの割に手応えがなかったなアンタ。ムサシノ牛乳を飲んだ方が良いぞ」
街中
―――即死、ではないが、意識がぶつ、ぶつ、と神経が千切れていく音が聴こえる。
少なくとも、もう9割方は『鬼原』の勝ちであろう。
『後出し』、『無意突き』、『先出し』に当麻はなすすべもなくやられている。
<着用電算>の支援があると言っても、神経制御と人工筋肉による強化には制限がかけられている。
中身が人間に過ぎない以上、四肢を使っての行動は無茶なものであり、本体の骨格や筋肉に負担がかかる。
これを今の上条当麻という土台で設定されたギリギリの制限を無理に超えたら骨折や筋肉断裂で済めば幸い、最悪の場合骨が内臓に突き刺さって死亡する事すらあり得ると、賢妹から厳重に注意されている。
だから、未だに使い切れていないリミッター解除のブーストは本当に最後の手段。
ふらつく足を堪えて考える。
一体どうすればこの男を倒せるのかを。
―――次の、言葉を聞いてしまうまでは。
「さて、勝負はついた。もう簡単に殺せる。その前に、君の妹がどこにいるか教えてもらおうか」
小さく。
こちらにようやく届く、掠れるような笑い声と共に、それは尋ねた。
―――足の震えが、止まる。
「ああ、分かってるだろ。君の妹をいただいていく。彼女は、この学園都市の全機能、いや、それ以上の可能性を秘めている。私はそれを解剖してみたい。もちろん、中身だけでなく、肉体も。欲しい、と言っている人間もいる」
吐き気が、した。
物理的にではなく、心理的な面で、目の前が揺れて、倒れそうだ。
何も、考えられなくなる。
「この騒動を見れば、簡単に分かるだろう? 人間の良くとは限りないものだ。学園都市だけの問題じゃない。上条詩歌を欲するのは世界中にいる。それから守ろうなんて――――“不可能だな”」
……何を言っているか、聞き取れない。
自分の耳はどうかしてしまっているくらいだ。
「―――絶対に」
拳を握る。
俯いたまま、拳を胸の前に置く。
下を向いたまま、愚兄は口を開けた。
「―――いいぜ、その幻想」
相手を見ないで、俯いたまま。
顔を上げても仕方ない
何故なら、自分が倒すのは―――この男だけじゃないのだから。
この戦争を終わらす。
そして、
『当麻さん、全部終わったらまたデートしませんか?』
また一緒に星を、想い出巡りをしよう、と約束した。
鬼塚百太郎の身体が跳ねる。
一直線に襲い掛かってくる敵を前にして、それでも上条当麻は顔を上げない。
その目にも留まらぬスピードは、本物の獣以上。
迅さだけでなく、急所を狙う正確さもある。
確実に息の根を止めてくるだろう。
「―――ぶち殺す」
死が迫る―――その直前で顔を上げ、敵を見る。
何もない空虚な眼でこちらを凝視する。
憎悪もなし悲嘆もなし、如何なる意志の発露も察しさせないほどに―――極限にまで秘められたもの。
その肉体に刻んできた賢妹への究極の献身―――もしくは捨て身。
生を殺し、死を見た、愚兄の無償の覚悟。
『鬼原』は人類の到達しうる限界まで性能。
だが、あれから今日まで上条当麻は<着用電算>の練習の為に、常識外の怪物クラスの<第七位>―――削板軍覇と殴り合いの実戦組み手をしていた。
だから、この程度のスピードを相手にすることは易しく。
自然と体が動いた。
決着はほんの一瞬。
これはほんの少しの『前の上条当麻』の想い出巡り。
ノーモーションで真っ直ぐ伸ばし―――そっと置くように、この胸に叩きつけられる、右手。
浸透系の衝撃は短い槍のように貫通し―――プロテクター越しに心臓を圧す。
右拳を突きつけたまま、右斜め前に躰を移行。
しかし、そこは相手の牙というべき腕が穿つ通り道―――けど躱す。
その身体に積み刻まれた己のイメージを強制し、
右肩の関節が外れそうになろうとツールに命令を通し、強引に右腕を折り畳んで沈み、相手の脇―――僅かな隙を潜り抜け。
人影は独楽のように体を回し捻り、前のめりに倒れ込む『鬼原』の背中へ、次の左肘を抉り打った。
ガンッ―――と鈍い音がした。
初撃は左胸への右突き、追撃は左背への左肘打。
正面から穿った位置と寸分違わぬ箇所に打ち込んだ2つ楔は、その貫通系の衝撃をその場に逃がさぬように心臓を挟み打つ。
ガンマナイフと同じ原理。
線ではなく、その結んだ焦点のみにダメージを与える―――衝撃を一点集中させる。
ガ、と吐血して『鬼原』は倒れ込んだ。
『鬼原』の顔は、驚いたままで止まっている。
あまりの早業に自分が二撃も貰った事に気づかないまま、意識を停止させていた。
立ち上がる気配はない。
全ては終わった。
振るわれた暴力に一切の撓みなく、猛る<鬼塚>の血に、冴る<木原>の知、無欠にして盤石。
されど。
その一瞬の擦れ違いで、『鬼原』は敗北した。
(ハハッ、驚きました。意識を飛ばしている方がまるで別人のように動きが良くなるとは、油断しました。ええ、簡単に手を抜いてしまうのが私の悪い癖ですね。けど、これは流石にマズい。生かさず殺さずに壊されている。身体が、動かない。それに――――仕方がない)
ヒュゥ――――と口笛を吹く。
その無理に、折れた肋骨が突き刺さる内臓の傷口が悪化するが構わない。
「なっ、鳥、なのか!?」
ようやく意識を通常に切り替えた当麻は、空を見て驚いた。
今まで見たこともない巨大な怪鳥。
『雉』と呼ばれる木原百太郎の作品の1つで、その眼光はあらゆるものを見通し、標的を見つける<
どこに隠れようが急降下し、一気に捕まえる。
当麻は、咄嗟に身構え――――驚く。
ギャアア……と『雉』は嘴を大きく開けて啼きながら、当麻の頭上を“通り過ぎ”、倒れる木原百太郎を掬い上げて“頭から丸呑みした”。
「え―――」
一体、どうなっているんだ?
あの男は飼い主じゃないのか?
『雉』が『鬼原』を食べたというあまりの衝撃に空白が生まれ、
「……どこっ……どこに、逃げれば、誰もいない―――」
巨体の半人半獣の接近を許した。
呆然とする上条当麻は、小さく不幸だ、と呟くと、
「ひぃっ!? 近づかないで―――!」
人体をボールに見立てたように、上条当麻の体を吹っ飛ばされた。
つづく