とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
幻想編 愚かな決断
道中
「詩歌っち、落ち着いたかい」
「ああ……鬼塚も、悪かったな。こんなことになっちまって」
「いや、詩歌っちのことが第一だからね。今回はそれが全部裏目に出ちゃったけど」
映画館を出てくるときにお姫様だっこからおんぶに切り替えたが、その段階でもうパニックは収まっていた。
「詩歌っち……いやなら何も言わなくても良いんだけど、あの時、何があったんだい」
横から美琴とインデックスが心配そうに覗いており、年長である鬼塚陽菜が代表して問う。
「わ、分からない。ただ、いきなり周りの光景に押し潰されるような感じがして、怖いという気持ちでいっぱいになって、息が苦しくなって……」
想像しただけでいたたまれない気持ちになる言葉。
「パニック・ディスオーダーの症状に似ているわね」
美琴がぼそっと呟く。
パニック・ディスオーダー。
不安を主体とする精神疾患。
強いストレスを感じた時に、今の詩歌のように見舞われる症状で、本能的な危険を察知する扁桃体が活動し過ぎて、必要もないのに警戒体勢に入り、呼吸や心拍数を増加。
現におんぶして密着している背中からドッドッドッドッドッとものすごく速い心拍を感じてる。
だとするなら、その原因は一体何だ。
変化が起こった時に、あのシーンであったもの……
修羅場に陥った男性役者が詰め寄る女性陣をどうにか宥めようとして―――刺された。
ナイフに刺された男性……?
(そうか! あの時の事か!)
詩歌はただ純粋に自分の料理に感動していたのではない。
料理の時も、彼女は当麻の腕前よりも、“自分が持っていた包丁”を気にしていたのだ。
馬鹿野郎、と自分で自分を罵る。
気づく瞬間はいくらでもあっただろうに、ただ今の“素”でいる詩歌と視線を通わせるのが怖くて、まともに見る事ができなかった。
幼児化しているという事は、まだ人格が完成されていない事で、プロテクトも不完全で、あの一件は上条詩歌の不幸に対する原動力であり、心に深く根付くトラウマだ。
だから、もっともっと慎重にならなくちゃいけなかったのに……!
「でも、もう平気。だから……」
おろして、と詩歌は言う。
しかし、当麻は解放せず、より上に持ち上げる。
「ダメだ。大事をとって、今日はこのまま帰るぞ」
「そうね。医者からのお墨付きの安息の環境で休んだ方がいいわね」
自分でも気付かない心の緊張をほぐす。
素人判断なので、これだとは断定できないが休むのは悪くないはずだ。
美琴も陽菜もついていこうとしたが、時間を見るともう遅い。
天候も、やや下り坂の気配。
なので、とりあえず何かあればカエルの医者に連絡すると言い、厳正な寮規則の2人には帰ってもらう事にした。
「今日は、ありがとな」
「う、うん……詩歌さんの事よろしくね」
とある学生寮
部屋に戻る。
移動中も詩歌は落ち着きを維持しており、いつの間にやら寝てしまった。
「インデックス、悪いが今日晩飯は作れない」
当麻は、インデックスに詩歌の変調の理由を話す。
昔、自分が通り魔にナイフで刺されて、大怪我を負った事。
だから、刃物で人間が刺されることが強烈なトラウマとして深層心理に認識されている可能性が高い事。
「……なるほど。それは納得できるかも」
「だから、それをあんまり思い出させない方がいいと思うんだ。飯を作るにも包丁を使うだろうし。気にし過ぎかもしれねーけど我慢してくれ」
「ううん。何だかとうま、優しいんだよ」
ちょっと度が過ぎて腫れものを触るような感じになってしまっているがインデックスは頷いてくれた。
今は、詩歌の心の緊張をほぐしてやることが第一だ。
「何かやってほしい事があったら、何でも言って」
じゃあ、と当麻はお願いする。
人間なんにしても、活力を得るには食べることが重要だ。
コンビニで何でもいいから弁当を買ってきてくれ。
でも、機械音痴でまだこの街のシステムに慣れていない彼女に任せるのは不安で、なら代わりに自分が行こうかと思ったが、
「ダメ。とうまはしいかのお兄ちゃんなんでしょ」
と、逆に諭されてしまった。
買い物を任せたインデックスを見送った後、当麻は詩歌の看病をする。
逃げる事の許されない、聞き逃す事も許されない、見逃す事も許されない、二人っきりの空間で。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うっすらと香る甘い匂い。
密室に融ける仄かな体温。
生命の躍動に合わせて上下する胸。
蜜のように濡れた唇。
上等な漆細工のように黒く艶やかな髪。
そして、安らかに閉じた瞳。
その横顔を見ていると、少しずつ気分が落ち着いてきた。
(……いつもと、逆だな)
ベットに横たわる詩歌を見て、何となく、当麻は苦笑する。
自分が倒れて、詩歌に心配される事は多いけれど、こうして詩歌が倒れるのは珍しい。
それはここに来る前からずっとそうだった。
「………」
耳を澄ませば、ひどく簡単に思い出せる。
彼女との、その心の奥底まで刻まれた思い出は。
物心ついた時からずっと自分は不幸だった。
他人の不幸まで自分のせいにされ、不幸しか生まない天災であると忌み嫌われていた。
(……だけど)
だけど、詩歌は、親も、そして自分さえも諦めてしまった『疫病神』を、幸せにしようとしてくれた。
親元を離れ、必死にその才を磨き、その力に慣れてしまうまで、この愚兄に尽くしてくれた。
でも、このままでは駄目なんだ。
これから先、上条詩歌はどんな大人になるだろうか?
それはまだ分からないが、確実に言えることが一つだけある。
その頃には、上条当麻と上条詩歌の間に、とんでもない差が生まれている。
それは今以上の差であり、決定的で絶対的な格差。
当麻が何をしても、決して埋められないもの。
成長したかぐや姫はいつか月へと帰る。
二人が一緒の世界で入れるのは、今だけという事だ。
ずっとこのままだと、詩歌の未来を、殺してしまう。
強くて弱い……幻想を想わせる美しさ。
地上にいてはならない天女のようで、だとするなら、自分はただ己の願望で彼女から天へと帰る羽衣を奪うという禁忌を犯す愚かな人間に違いなくて……
「……不幸だ」
神様を恨まずにいられない。
このままだと寂しい未来に思考が囚われてしまい、現在が見えなくなってしまう。
立ち上がり踵を返そうとして、
「っ?」
その足が、不自然に止まった。
当麻の服の袖を、柔らかな力が掴んでいたのだった。
「詩歌?」
詩歌は、不安になると無意識に握ってくる癖があり、そんな時は優しく応えてあげれば安心するのだが、今は……
「……や」
ひどく子供っぽい発言。
そして、甦るあの光景。
あの心の奥に封じられたその言葉を明かそうとしたあの瞬間。
逃げなければ、と理性が訴えるが、その手を振りほどく事は出来ない。
「……行っちゃ……や」
その隠し事のない純粋な思いを乗せたその言葉から、耳を塞ぐ事は許されない。
これまで何度、見逃してきただろう?
気付いていながら、気付かないフリを続けて、今日まで過ごしてきた。
誤魔化し、からかって見えるがその内の心はいつも真剣に、愚直なくらい真っ直ぐに。
ずっと彼女を見続けた自分なら分かる。
秘めなければならない、けど、振り向かせたい。
そんな相反する苦しみをずっと抱えながらも、支えてきてくれた。
そして、俺はずっとそれに甘えていた。
答えを出す勇気がなく、ただ怖かったから。
ずっとこの幻想に身を委ねていたかったから。
しかし、それはできない。
今も抱くこの想いが、片想いだったなら諦められた。
我慢だって、できた。
守っている実感に、必要とされている実感だけで十分幸せだった。
でも、両想いだと知っていれば、いつまでも我慢なんてできるはずがない!
その想いに気付かなかったら、なんてもう遅い。
もう、記憶を忘れられなければ、無理だ、抑えられない。
彼女はあんなに我慢してくれてきたのに、自分はもう我慢できないのだ。
「……何で、詩歌が俺の妹なんだよ」
お前が妹でなければ、こんなに苦しい想いをしなくてよかったのに……
お前が妹でなければ、これほど愛する事もなかったのにな……
溜息と共に、つい、口をついて出てしまった言葉。
零れてしまった本音の欠片。
あの寝言から何度も、心の中で繰り返されたもので、決して彼女の前では口にしてはいけない想いだ。
兄であることに不満はない。
これは嘘偽りない本心で、兄であるからこそ上条当麻は上条詩歌と共にいられ、常に気にかけてもらえるのだ。
今のままでも自分は十二分に幸せなのだ。
しかし―――別の関係を望む自分も、確かに、心の中にある。
地に降り水浴びをした天女の姿を拝むだけでは満足せず、羽衣を奪い、己のものにしようとする浅ましい男は、いつか返すと約束し、だけど、死ぬまで天へと帰さなかった。
それと同じ。
今の関係で満足せず、いつか兄離れさせると己自身に誓いを立てながらも、いつまでも踏ん切りのつかず、―――言われてしまった。
あのときの彼女は意識がなかったとはいえ、それは聞いてはいけないものだった。
知っていた。
気づいていた。
分かっていた。
だからこそ―――簡単なきっかけで、単なる寝言でも、少しでも理由が出来てしまったら、自制心が崩れてしまう。
それほどまでに自分は脆い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上条兄妹に救われ、そのまま二人と同居しているインデックスは、まだ短い付き合いだけど、何となく彼らの心の奥底は互いへの想いで占められている事に気づいていた。
仲の良い兄妹―――そう思っていた。
―――怖い。
苦戦しながらもコンビニで買えるだけのおにぎりとパン、そして、山ほどの割りばしをゲットしたインデックスは、部屋の前で立ち止まってしまう。
この扉を開けてしまうのが怖い。
ダメ。
今すぐここから離れたいけど、それはダメ。
二人は自分の帰りを待っている。
そして、彼女は中で詩歌が眠っている事を考慮して、ノックもせず音を立てずにドアを開けた。
とうま……なんて眼をするの……
部屋の中で、ベットに眠る詩歌の手を握り、見守る当麻の目。
目は口ほどにものを言うと言うけれど、それでインデックスは悟った。
(そっか……そうだったんだ)
―――よかった。
そう優しく微笑みながら洩らした自分にちょっとびっくりしてしまう。
認められないものだろうけど、二人の事思うと、そう祈ってしまう。
個人としては、ちょっと残念だけど、恋愛感情とか、もうそれでないとダメだとか、そこまで膨らんじゃう前で良かった。
早めに知れて、もしこのまま知らずに何ヶ月も過ごしてたら……と。
「とうま、ただいま! しいか、まだ寝てるの?」
明るい。
努めて明るい声でインデックスは言った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「………で、カミやんはこっちに避難してきたわけね」
詩歌が起き、夕飯を食べて、インデックスが詩歌を誘って一緒に風呂に入る事になったので、当麻は部屋を出た。
夏とはいえ夜は寒く、でも何かあった時の為に遠くに行く訳にはいかない。
そう言う訳で当麻が向かったのはお隣さん。
「っ言われてもなー、女の子と2人で生活するのは結構青少年的にきついんですよー」
この男子寮に女子を連れ込んでいるなど言語道断なわけだが、幸い義妹とリア充な生活を送っているせいか、この部屋の主、土御門元春は大らかだ。
良く兄として張り合ったりもするけれど、その分気心の知れた相手である。
もしこれが青髪ピアスだったら即戦争間違いない
「はぁ~……おかげで土御門さんはいい迷惑なんだぜい。舞夏と一緒だったら、このラブラブタイムを邪魔すんなって追い出した所だにゃー……けどまあ、たまにはクラスメイトと夜に語り合うのも悪くないですたい」
そう言って、土御門は冷蔵庫の奥の方に隠されている、本来学生には非合法なはずのアルコール入りの大人のジュース缶を取り出し、一つを当麻へ放り投げた。
「で、カミやん、何の話だ?」
「別に何か話すためにここに来たわけじゃねーよ」
「おやぁ? 誰にも聞かれたくない話があってここに来たんじゃないのかなー、って」
冗談めかした土御門の言葉だったが、当麻は内心で軽く驚いてしまう。
「……何の話だよ」
それでも、ぼかして首をかしげる。
土御門は缶をぐびっと傾けてから、
「嘘をつきたい気持ちも分かるが、下手だな。普段は義兄妹の邪魔しないように気を使ってんのか、一度も自分から足を運んだ事が無いこの部屋に夜中にいきなり来たっつうことは、この土御門さんに話したい事があるっつう事だぞ」
確かに、そうだ。
彼の言うとおりだ。
当麻は素直に、鋭い、と感心してしまう。
「土御門さんはアルコールに弱くて、一缶飲んだだけで直前の記憶がすっ飛んじまうんだぜい。―――だから、大事な話を聞いても朝起きたら忘れちまうってことなんだにゃー」
「お前って、やっぱ嘘つきだ。ついでに好奇心旺盛だな」
「好奇心じゃなくて、お節介焼きだって言ってほしいんだぜい」
当麻も缶を煽り、舌を湿らせて、口元を歪める。
「その妙な軽口を叩いてんのも、俺の気を紛らわせるためか?」
「そこはわざわざ指摘するとこじゃないんだけどにゃー。やっぱりカミやんと俺って似てるからな、つい、いらないお節介を焼いちゃうんだぜい」
土御門がからからと笑う。
ありがたい。
この嘘つきな親友に正直になれた事を、上条当麻はきっと、幸運だと思う。
「なあ、土御門、聞いてくれ」
当麻は全身から力を抜いた。
「できれば、朝起きて、酔いが醒めたら忘れてくれ」
「ああ、約束する」
はっきりと応える。
それを信じるか信じないか―――もう、そんなことはどうでもよかった。
「俺は、ずっと詩歌を守るために生きてきた。アイツのヒーローになろうと思って……もう数え切れないっつうくらい不幸になった、この街に来たのもその中の一つに過ぎない。だってさ、詩歌は馬鹿みたいに他人の不幸に敏感だからさ、この街を痛みのない世界にしたかった、苦しさだけを押し付けてくる不幸のない場所にしたかった、優しいアイツが優しいままでいられるように。なのに、結局、“俺”が一番に詩歌を傷つけてんだ」
そして……一番嫌なのは……
「―――俺は、詩歌を不幸にしてるのに、平然と嘘ついて、騙して、無視してる事なんだ」
「……わかるぞ」
ふいに視線を合わせてしまった土御門が、真剣な表情のまま頷く。
守りたい。
妹としての詩歌を、守ってやりたい。
これからもずっと詩歌を守ろうと思っていたが、あの告白を聞いて、一人の女の子として感じるようになって、余計にその想いが強くなってしまった。
「もしこれをあいつに伝えたら……一生、まともな生活なんてできない。ずっと、不幸になるんだ」
我慢していても、生理的な反応で、僅かにだが涙が滲みだしてしまう。
馬鹿な悩みだと言う事は分かっている。
これが自分の事でなければ、悩む必要などなく、とっとと好きな女の子を選べと言うだろう。
だけど、世界は殺せない。
致命傷を受けても、どんなに救いが無くても、続いていく。
今は学生だからいいが、これから先、大人になれば、詩歌と2人で同じ家に住んでいるだけで周囲から噂されることになるだろう。
明るいうちは、まともに手を繋ぐ事も出来ないだろう。
彼女はこの右手が好きだと言った。
「……詩歌には、人並みの幸せを送ってほしいんだ」
けれども、何も、出来ない………
『疫病神』では不幸しかあげられない。
「そっか。カミやんは、決断する気なんだな」
それは何気なく口にした言葉だったが、ずっと頭の中を占めている言葉だ。
「……俺は、決断なんて出来てない」
「? カミやんはもう決めてるじゃねーか」
「何を?」
「上条当麻にとって、一番大事なのは詩歌ちゃんだって。さっきから話を聞いてれば、テメェの事じゃなくて、詩歌ちゃんの事ばかり気にしてる。そう、ちゃんと決めてんなら、もう答えは自分で出せんだろ」
「……」
「もしテメェの事とか世間体だけを気にしてんなら、ちっとは説教してやろうかと思ったが……そいつぁお節介だったようだぜい。まあ、どちらにせよ。詩歌ちゃんはカミやんの答えを待っている。大変だろうが、それが兄としての務めだ」
そうだな、と当麻は同意する。
そうして、一気に缶の中身を煽った後、軽く握り潰して、
「ごちそうさん。ノンアルコールジュース、おいしかったぞ」
上条当麻が去った後、土御門の“仕事用”の携帯が振動する。
「―――何? 『奴』が動いた、だと」
道中
昨日と同じように起床し、朝食、そして家主の代わりに洗濯。
心身ともにエネルギー充填した詩歌は、昨日の動揺から完全に立ち直った。
あとは今日の通院の際に、かかりつけの専属医とも言えるカエル顔の医者に、症状を話し、お薬などの治療について相談する。
―――戻ってはいけない。
そう、心のどこかで声がする。
分からない。
けれど、今の自分の状態が、周りに迷惑をかけているのは今の詩歌にも分かるし、
『なあ、詩歌。無事に回復したら、話があるんだ』
と、今朝、寝坊して慌てて部屋を飛び出し、学校へ補修に向かった兄、当麻が言うので頑張ろう。
何を頑張ればいいか具体的には分からないけど、とにかく先生に相談し、出来る限りの事をする。
一緒に寝食を共にするのは嬉しいが、当麻を心配させるのは本意ではない。
「………でね。翼ある日輪をもつ全知全能の神『
ふーん、と病院に付き添ってくれるインデックスの話を聞きながら、相槌を打つ。
彼女はとても可愛くていい子、詩歌の妹にしたいくらいだ。
本来は、この学園都市、科学の総本山とは対極の魔術にいる人間で、その話は興味が尽きない。
本当にものしりで、“やっぱりあの10万を超える本を読まされたからなんだろう”と詩歌は納得する。
あの時、倒れる直前にあの<幻想猛獣>と同じように彼女と強く繋がった上条詩歌が
「ん―――」
上条詩歌の耳がピクッと反応。
おっとりのほほんとしているように見える詩歌だが、気配には敏感だ。
特に自分にあだなす悪意には。
誰……?
顔を動かさず、目と耳で探る。
すると、進行方向を遮るように見慣れぬ車が一台止まった。
紺色の、大型のライトバン。
不穏な空気に詩歌達が足を止めると、ライトバンのドアが横滑りに開き、中から4つの人影が飛び出す。
体格は不揃いだが、いずれも黒服でヘルメット。
そして、悪意を孕んだ物腰。
理屈ではなく直感。
強い直感―――そう、本能だ。
―――ここから逃げろ。
だけど脚が動かない。
別に竦んでいる訳でもないのに、ただ上手く脚を動かせない。
そう言う位置取りをしているのだ。
そして、その内の1人、ヘルメット越しにうっすらと見える青白い輪郭の男が、事務的な口調で言う。
「上条詩歌だな?」
「はい、そうですけど……」
確認を取ってすぐ、男たちが一斉に拳銃を構えた。
詩歌が目を少し見開いたのは、武器を出されたからではなく、その動作がまるで見えなかったからだ。
この速度は、<警備員>よりも銃器に慣れている証拠でもあり、全員裏世界の住人で、それ相応の手練れ。
力ずくでも連行するように命じられている、という事だろう。
問答無用、という訳ですか……けど、
「どうやら、ここは戦わなければいけないようです」
上条詩歌に記憶はあるし、<幻想投影>も使える。
今朝、とある事件に忙しいがちょっとだけ心配して見に来た陽菜から<鬼火>を投影してる。
だが、もし経験もあれば、詩歌はここで戦おうとはしなかっただろう。
科学の相手には無力な女の子でしかないインデックスを後ろに背負い、実力未知数の相手―――それでも上条詩歌ならば、どうにかできると思ってしまっている。
不幸に対して、油断している。
いかに<幻想投影>を持ち、卓越した運動神経を有していようと、彼女の肉体は脆い少女の物にすぎず、その核とも言える精神も未完成なのだ。
「しいか―――っ!?」
料理の時もそうだったはずなのに。
上条詩歌がまともに戦えるはずが無かった。
つづく