とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
閑話 宵の宴
???
『イギリス清教からの増援』
ビルの周囲から無数の人の気配。
そして、無数の魔力の塊の反応。
紛れもなく魔術師で、それも、1人1人が別種の霊装の霊装を所持している。
その集団の総数は40。
イギリス清教の人間とは言え、正規の活動の為にやってきた訳ではなく、今回の一件で『神の武器』というこの世界の支配権の恩恵に少しでもあやかろうとする魔術師達だ。
もうすぐ宵。
彼らの実力は、先陣を切ったリチャード=ブレイブ、『パルツィバル』に比べれば弱いだろう。
だが、数が数で、最底辺でも彼らは魔術師を罰する魔術師だ。
そして、個人の戦いと集団の戦いは勝手が違い、このままでは数の暴力がこの建物の中にいる人間達を蹂躙するだろう。
敵味方問わず。
殺す事の慈悲を知る彼らに敗北者に気を配る事など考えず、この後の利権の分配も考えてまとめて殺す方が好都合だ。
だから、このビルごと解体して、まとめて潰す。
<明け色の陽射し>のボスの血縁者は死ぬかもしれないが、代わりなどいくらでもいて、『碑文の欠片』と<天体観測図>さえ手に入ればいい。
このビル全体を破壊する魔術には相当な実力が必要だ。
しかし、彼らは1人ではなく、集団の利を生かす。
ブン、という音が響く。
彼らの扱うのは三三字構成の英国地方式のルーン。
個人で満足に扱えるルーン文字数など限られているが、けれど、彼らは集団だ。
もし、個人の力で世界を制する事ができるのなら、この世に組織など必要ないのだ。
複数の術式を重ねて、文字を組み合わせて、儀式魔方陣級の魔術を作りだす。
科学の技術で構築されし砦など、この歴史ある神秘の裁きで―――だが、
パァン!! と膨らんだ風船に針をついたように、儀式魔方陣が霧散した。
40もの人間の力をまとめた大量のルーンの輝きが、圧倒的な暴威のはずが、
「―――ったく、何だか大層なモンを準備してたようだが、悪いな。殺しちまった」
その少年の右手一つ壊す事ができず、喰われてしまった。
そして、その正体を知る暇など与えられずに、
ドバッ!! という轟音とともに、純白の閃光が魔術師達の夜を引き裂いた。
明星のような空の純白の光源が炸裂し、無数の爆撃を一気に空中爆発させた。
防御ではなく、攻撃による、相手に一切手を出させない最大の防御によって、抵抗を封じる。
そして、これもまた、魔術による、集団の攻撃だ。
「ふん。本来は魔女狩り、異端審問、宗教裁判に特化したイギリス清教の内乱などの調停に協力してやる義理はないんだが、仕方がない。貸しと思われるのも癪だ。身内の礼ぐらいはさせてもらうとするか」
イギリス清教の魔術師達は、その姿を見て、驚愕した。
魔術師を罰する魔術師でさえも裁き切れない英国で最高級の魔術結社<明け色の陽射し>のボス、レイヴィニア=バードウェイ。
彼女は右手をゆるりと虚空へ差し出すと、そこにいた部下のマーク=スペースが音もなく何かを手渡した。
その周囲にはマーク=スペースと同じく、どんな手品を使ったかは知らないが、いつの間に、たった今出現したかのように、それぐらい自然な統率を取る<明け色の陽射し>が控えていた。
唐突に儀式魔方陣を消され、魔術攻撃に陣計を乱され、慌てふためいて第二派の準備を始める魔術師達―――しかし、元々が個人で戦う魔術師である彼らに、噛み合って全てが回る歯車のように一部の乱れのない組織行動は不可能だ。
<明け色の陽射し>という歯車を統率するバードウェイは遠方の敵を眺めながら、彼らではなく、愚兄、上条当麻に言う。
「さっきも言ったが、私は最近の銃は好まんのだが、それでもフリントロック式だけは別腹でね」
バードウェイの嗜虐心に満ち満ちたスマイルに、当麻はほんの少し彼らの今後に同情した。
が、インデックスの所属するイギリス清教だからと言って、この妹達のいるビルを壊そうとした彼らに謝罪する気はなく、庇う気もないのだが。
「……しかし、やはり『
ブン!! という風の振動音。
『
召喚し、扱う<天使の力>の質は<
先程、上条詩歌が扱ったのは、『カバラ』における基本的な『小技』に過ぎない。
『タロット』は、小アルカナだけでなく、大アルカナまで扱ってこそその本領を発揮できる。
この<明け色の陽射し>が得意とするのは大掛かりな霊装を用いる、大規模な効果を及ぼす『大技』は<天使>さえも呼び出せる。
だが、そのたった一発のためにも、
取り扱う力の質や属性、方向性などを確定した上で、
ヘブライ文字を使って想像力という形を与えて、
今から集団を丸ごと動かしても間に合わない複雑な作業を一から準備を固めるのは相当な手間をかけて、
<天使の力>を持つ仮初の守護者を降ろすための、一定の法則に従った聖堂を用意しなければならない。
この周囲一帯の各所に適切な象徴を配置し、大規模な儀式場を構築する時間など、刻一刻状況の変わる実戦ではあるはずが無く、基本的に個人個人が単発で短工程で魔術を行使するルーンの術式速度には追いつけない
イギリス清教の魔術師達もそれを知っているからこそ、今度は速度重視の術式を、中心たる片手で杖を構え、大雑把に狙いをつけているバードウェイに向かって、放とうとし、
「させるかっ!」
当麻は即座に<幻想殺し>でそれらを打ち消そうとするが、彼女はそれを手で制し、言うまでもないくだらない当たり前を語るように
「大規模術式には時間がかかるがな。1人で階段を上るのと、10万人が同時に階段を上るのでは、色々と勝手が違ってくる。大きな力、多くの人を扱う以上、その『調整』の分だけどうしても無駄が生じる。当然、それは1つ1つの術式の完成速度にも影響が出てくるだろう」
だが、
「あの手の雑魚に勝てないようでは、魔術結社などまとめられない」
キュガッ!! と言葉が終るか終らないかという間に、爆音が炸裂。
イギリス清教の離反者達が、いきなりドーム状の光の爆発に巻き込まれて宙を舞う。
それが、反撃などさせる暇も与えずに、無慈悲に、理不尽に、圧倒的に、巻き起こる光の爆発が二度、三度と敵戦力の大半を薙ぎ払う。
隠れようとしてもその遮蔽物ごと爆破して、相手を吹き飛ばす。
『黄金』系の儀式は、長工程で、短期的な実戦では不向き、しかし、聖堂や儀式場など、より強い力を求めた結果、複雑かつ精巧に組み上げられたものに過ぎない。
元々、人力で行っていた工芸に、蒸気機関を導入するものであり、所詮は人間が勝手に作ったものなので必要不可欠というわけでもない。
綿密な理論や計算に頼らず、正確な勘と目分量で行使される莫大な魔術は、まるで、熟練の舞台女優が演ずる即興のアドリブ。
完璧に用意された
確かに、きちんとした儀式の方が威力は高いだろうが、聖堂を築く手間も省けるので格段に速度は向上する。
「私はこれを適当に<召喚爆撃>と呼んでいるが、別にそれ専用の術式を用意しているわけではないよ」
もう、これは戦いと呼べるものではなく、見ている当麻が痛々しく感じるほどの弱い者いじめ。
「それにしても……攻撃術式か。1つの術式は1つの使い道しかない、という考え方自体が凝り固まっていると思うがね。たかがガキの喧嘩の為に完成された魔術など振るうまでもない」
露払いなどガラクタで十分。
大真面目にくだらない敵の為だけに、素晴らしい魔術を用意してあげるのは健気でならない
ゾッとする。
これが<明け色の陽射し>を掌握するボス。
誰も彼女に反論する事は許されない。
恐るべき破壊力を提示し、全てを暴力で黙らせるバードウェイは戦いと呼ぶのもおこがましい、蹂躙を、もう誰も動いていない戦場という名だった爆撃地点にさらに立て続けに爆撃を見舞―――
「だったら、もう、やめろ」
カッ!! と純白の閃光と共に炸裂する直径10mほどの球状の爆発を、その右手は弾き逸らした。
「……何のつもりだ。牙を剥いた者には然るべき報いを。それが昔ながらの流儀というヤツだと教えたはずだが」
そこでバードウェイ嗜虐そのものといった表情を消して、訝しげに眉をひそめると邪魔した協力者である愚兄に問いかける。
「それにこいつらは貴様の妹を危機に晒そうとした奴らだぞ。だったら、助ける理由がどこにある。まさか同情でもしたのか。なぁ?」
詩歌は、もうこのビルへと向かった。
「勘違いするなよ。報いとかそんなのはどうでもいい。けどな、俺はこいつらを倒しに来たんじゃねぇ。妹を助けに来てんだ。こんな遊びに時間をかけている余裕はねぇんだよ」
賢妹の誇れる
そのためにいるべき場所は、賢妹の背中ではなく、手を繋げる隣か、愚兄の背中を見せる前だ。
だから、こんな所で立ち止まっている訳にはいかないのだ。
「そうか」
バードウェイは興が削がれたように一息をつくと、極めて気だるげに手にした杖を―――隣に控える部下のマーク=スペースに預けた。
「首謀者を捕まえるのが我々の目的だ。貴様の言うとおりにこんな雑魚にかまって油を売るわけにはいくまい」
もうその顔は、倒した敵への興味はなく、あと始末は部下に任せる。
指示を下された部下達は、ボスがあっさりと大人しく言う事を聞いた事に少し驚きつつも、彼女の指示通りに魔術師達の回収を始める。
「そうかい。だったら、俺は先に行くぞ」
<召喚爆撃>の恐ろしさを身を以て体感したはずで、こちらが利害関係で結ばれただけの完全に味方という信頼もないのに、こちらに無防備に背中を晒して、先を急ぐ当麻にバードウェイは嗜虐とは別の、愉快そうに口の中でくぐもった笑みを漏らし、
「なかなか愉快なヤツだな、貴様。私の
<明け色の陽射し>のボスであり、<聖人>級の魔術師でもあり、そして、パトリシア=バードウェイという妹をもつ姉であるレイヴィニア=バードウェイは、賢妹の愚兄である上条当麻の後に続いて、彼女のいるビルへと向かう。
ビル
騎士の魂を半分預けた半身とも言える<量産聖槍>の刃を溶かされ、ステイル=マグヌスと『パルツィバル』の決着はついた。
「動くな!」
ビットリオ=カゼラが叫ぶ。
その腕の中には、完全に気を失っているパトリシア=バードウェイの姿が。
ステイルはそれを見て、苦い顔になる。
ぐったりと力が抜け、全く身動きをしないパトリシアは、『魔眼除け』を持っているステイルとは違い、未だ<氷結青眼>に凍りつかされた精神が回復していない。
意識を潰されたのなら打つ手はないが、この『籠目』のお守りを使えば、元に戻せる。
しかし、そのためには背後から腕を巻き、いまにもその首に折りそうなビットリオ=カゼラをどうにかしなくてはならない。
ステイルはなけなしの魔力を振り絞り、炎剣を生み出すも、ビットリオはパトリシアを盾にする。
「……僕が見逃すとでも」
「動くな! 道具が無くとも小娘の首など捻り殺すのは造作もない。だから、それを今すぐ消せ!」
硬質な声で脅すも、ビットリオはステイルを鋭い視線で刺して、腕にさらに力を込める。
「人質を取った程度で、魔女狩りの最先端を突き進んでいる<必要悪の教会>から逃れると思っているのか。無理だね。君にはロンドン塔で死よりも辛い宗教裁判しか待っていない」
「はっ、私にはそのイギリス清教の味方がいる! 奴の炎は貴様の小賢しい魔術など全て焼き滅ぼす!」
ビットリオの呼吸はおかしかった。
全ての『武器』を失い、精神が自棄になっているのか。
彼は目を血走らせ、壊れたように笑う。
「それとも今ここで人質ごと私を殺すつもりなら、やってみろ! ああ、甘い若造にやれるもんならな!!」
確かに、ここでステイルが炎剣を投げ込めばそれで決着がつくだろうが、それだと確実にパトリシアを巻き込む。
『パルツィバル』は一瞬たりとも気が抜けない相手だったとはいえ、パトリシアから目を離したのは失敗だった。
「……、」
ステイルは呼吸を整え、思考する。
これ以上、刺激するのはまずい。
理不尽を覚えながらも、手出しできず―――要求通りに、最後の炎剣を消した。
(とにかく、今は時間を稼ぐ事だ。奴にはもう力はなく、迂闊に人質を殺せないはずだ。この街の警戒網を潜り抜けられるなどできないはずだ。絶対に!!)
そう思う事にした
我ながら、甘いと分かっていても。
恐らく、ここを曲げればステイル=マグヌスは本当に折れてしまう。
「止めろ、ビットリオ=カゼラ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガス欠となったステイルがふらついたその時、強い衝撃にビットリオはパトリシアから弾き飛ばされた。
「なっ、」
ステイルは飛び込むように駆け、パトリシアの身体を捕まえる。
だが、ビットリオはその事に歯噛みするも、それよりも、
信じ難い、という表情でビットリオが振り向く。
そこには<炎血貪る呪槍>に敗北し、武器を失った使い魔である『パルツィバル』が柄だけとなった<量産聖槍>をこちらに向けていた。
視線だけは、神意により命じられ、向ける事ができないが、それでも、相手の位置の把握くらいはできる。
「『パルツィバル』、今何と言った」
「止めろと言った。もう、これ以上、騎士の誇りを汚すな、ビットリオ=カゼラ」
「な、に……ビットリオ=カゼラ、だと」
ビットリオの声は震えている。
怒りのあまり、表情を形作る事すら忘れているようだった。
それでも深呼吸し、彼は主として威厳ある声で告げた。
「……聞き間違いかな、『パルツィバル』。この『ランスロット』隊の隊長であり、ましてや、貴様の恩人である主であるんだぞ」
「ビットリオ=カゼラ。私は、貴方が嘘をついているのには気づいている」
その時、ビットリオの呼吸は止まった。
「私は、最強であるべき者として、今まで<魔法名>まで出して、仕合った相手の事は忘れない。だが、この同類は、我が『殺し名』を知っていた。我が槍の太刀筋を知っていた。しかし、私はこの最強の名を覚えていない。……そう、これほどの魔術師に、この街で、戦った記憶が無い」
視線を向けずとも、『パルツィバル』の意識がこちらに向けられたのをステイルは感じた。
『戯言だ。耳を貸すな。くくっ、あの男はな、怖いのだよ。知っておるぞ。貴様はこの街で『パルツィバル』に負けた。真っ向からその無様な炎の巨兵を払われ、聖槍からの一刺しでなぁ。所詮、お前はコソコソ隠れることしかできない腰抜けよ』
そう。
あの時のビットリオ=カゼラの挑発に引っ掛かっていた。
この学園都市に来たのは、アウレオルス=イザードを討伐する時が初めてで、三沢塾でビットリオに抱かれながら、死したはずなのだ。
なのに、そのビットリオ本人から矛盾した発言を聞かされれば、嫌でも自分の記憶が都合の良いように操られているのだと言う事に気づく。
それが分かれば、あとは連鎖的に今の現状を悟る事ができる。
「私は騎士道に訴えている。騎士団を脱団しようとも、その高潔な志は変わらない、と。もう、私達は負けた。大人しく、捕まるしかない」
「もう良い、黙れ!」
ビットリオは後逸しつつ、唾を飛ばして叫んだ。
「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ! お前は私の命令に従うべき駒だろう!? たかが道具風情が、私に意見するなど許されると思っているのか!? お前は黙って、私に従っていればいい」
「それはできない。もう、私は貴方をローマ正教十三騎士団としての誇りはない、と見ている。我らが武器を預けるのはあくまで神である」
ビットリオは事ここに至り、『パルツィバル』まで敵視した。
これは敵であり、己に逆らう危険な使い魔だ。
あの称号を剥奪してから離れていった者達と同じだ。
心より憎しみ、嘆く。
何が称号だ、何がローマ正教だ、何が騎士道だ!
そんな私の望み通りにならないものなど―――
「神の呼び名など、力ある者が上に立った時についてくるおまけに過ぎない! 私の望み通りにならぬ愚者など全て消えてなくなれ! “自害しろ、『パルツィバル』!!”」
その壊れた呪詛を拾った<量産聖杯>による<C文書>の強制権。
『パルツィバル』はその刃はないが柄で、喉を思い切り―――
「止めてぇえええええええええええええええええええッ――――!!」
瞬間、時が止まる。
誰もが、声の聞こえた方を振り向いた。
ここより階段を登った先にあるエントランスホールの二階。
そこで、上条詩歌が、普段、抑え込んでいる裡の全てを、肺も潰れよとばかりに吐露した叫び。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鼻孔に漂ってくるのは血の匂い。
もう冷え切った血に塗れて、右腕は既に失い原型を留めていない。
総身がぢくぢくと痛み、まるで言う事を聞かず、声も思うように出せない。
圧倒的な苦痛に意識が飛びかかり、血反吐を吐き、神経を切断される痛み、肉が引き裂かれる圧力、骨が砕け散る衝撃に、風景が霞む。
悲鳴を必死になって堪え、それでも耐え切れずに呻き声を上げてしまう。
(ああ、そうか。思い出した。私は―――いや、我らはこの地へと逃げた裏切り者を誅滅せんと参じて……)
だが、歯が……まるで立たなかった。
彼奴に一太刀も浴びせる事は叶わず、ただ一言で、皆……潰れ……斃され―――
(……ッ)
しばらくして慣れてきたのか、麻痺してきたのか苦痛は和らぎ始めたが……自分は、死んだのか。
この肉の痛み……生きているのか、地獄の責め苦か見分けがつかない。
他の者たちもどこにいるのか見つからず、まだ生きていると希望を持つも、それでも、ただ己の走馬灯を振り返るしかできない。
『特別』になりたくて、ローマ正教十三騎士団に入り、そこで、この槍に生涯をかけた。
何の特殊な力もない、高貴な家柄でもない田舎者だけれど、弟分のような友であるミハエル=ローグと共にその腕を練磨し合い、そして、いつしか功績が認められて、『パルツィバル』の称号を得た。
『聖杯』を求めた騎士『パルツィバル』。
それに何故自分が選ばれたのかは知らないけれど、選ばれたからには理由があり、その意義を見つけようと、いや、作ろうとした。
何せ、生まれて初めて、この世に生を受けた証を残せる『特別』なのだから。
結果、こうして最後の時まで自分はその理由を、『パルツィバル』が生涯かけて探した『聖杯』のように見つける事は出来なかったが……後悔はない。
後は死を待つだけ。
迫り来る死を前に、時間が溶けた飴のように引き延ばされていく。
死ぬのなら早くしてほしい、と無意識に願ってしまう。
時間が緩慢であればある程、禁忌である問いかけを思考してしまうから。
―――ああ、私は一体、何のために生きていたのだろう。
答えが見つからない。
自分は所詮は田舎者で神の教えは、そう信じていない。
ただ、戦い、救いがあるのかも分からぬ主の敵を殲滅する。
それでは、何の目的もないのと同じ、ただの
だから、ここで無為に死ぬのが己の定命。
見つからなかった夢を見ている間に、このまま………意識は消えてしまう。
……そう、消える、筈だった。
『諦めないで……! まだ、あなたは生きてる……』
闇に沈む意識を引き上げる、聞くだけでその温かさが伝わる声。
(女の子……か……? こんな……ところに)
外からの刺激に覚めたのか、視界がうっすらと開く。
そこには自分と同じように血塗れの騎士。
中には、既に絶えている者もいる。
だけど、ほとんどが生きていた。
かろうじて、だけど、確かにその生命の炎はまだ消えていない。
(……そうか。君が……皆を、助けてくれたのか?)
せめて、礼を言わなければ、とその少女の顔を見る。
……その顔を覚えている。
こんな自分の為にも目に涙を溜めて、まるで自分の事のようにその痛みを感じて、でも、まだ可能性があるなら、決して諦めない。
愚かなまでに優しく、そして、
「……ああ―――美しい―――」
礼を言おうとしたのに、口から出てきた言葉は違っていた。
それが、彼女に聞こえていたのかも分からない。
だけど、自分は何故か満足していた。
生涯かけて探し求めていた『
一人の人間として、本当に……
『こんな不幸で死ぬなんてダメです。苦しくても、生きていれば、きっとまた笑える日が来る』
本当に、彼女に………
『だから……お願い…死なないで……っ!』
からん、と喉を突こうとした槍の柄が地面に落ちた。
「どういう、ことだ……<量産聖杯>で結んだ契約は敗れぬはずなのに……」
確かに効いたはずなのに、ビットリオの命令を無視した……
だが、その原因を考えるよりも、
(あいつは……!)
あそこにいる少女は、かつて法の書事件で一杯食わされ、そして、あの『太陽の騎士』を打ち破ったもの。
「また、邪魔しおって……覚えておれ、いつか絶対に復讐を」
ビットリオはすぐさま一目散にこの場から逃げ去る。
「……、」
そして、その様子を影から見ていた一人の男も動き出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
事件は終わった。
<天体観測図>は回収され、
『アラスカのルーン』も守り通し、
パトリシア=バードウェイも意識が戻った。
首謀者であるリチャード=ブレイブも捕まり、ビットリオ=カゼラも、詩歌の後で当麻と一緒にやってきた<明け色の陽射し>の部下達が捜索し、時間の問題だろう。
そして、
「私は既に死んでいる。なので、ここで消えても同じ事だ」
あれから、ステイル=マグヌスから教えてもらい、全てを知った、思い出した。
『パルツィバル』は、既に死亡した人間だ。
彼はこの<量産聖杯>により『盾の紋章』から浮かび上がらせた残留思念の亡霊。
あの<大覇星祭>という小さな戦争で敗北者として逝ってしまった、死者の夢に他ならない。
「そう、悲しまないでほしい、私を打倒した良き宿敵、そして、優しき
だけど、それはどう言葉で言い繕うとも二度目の死だ。
間違いなく無念のはずで、生への執着はあるはずなのだ。
けれど、『パルツィバル』の顔はどこまでも穏やかだった。
「この体はもとよりこの少女のものであり、それに入り込むのは死人の亡霊。この女の子には悪い事をした。そして、感謝している。ああ、私の死を悲しむ事はお門違いだ。むしろこう思ってくれ。死んだ騎士が、また戦った。そして、今度は正気のまま、君に看取られて逝く―――我が騎士道において最高の結末を飾れたのだと」
そして、最高の死闘を演じ、この槍を打ち破った魔術師へ、
「ステイル=マグヌス。もう、そう易々と負けるなよ。じゃないと、私の最強が安く見られる。この『パルツィバル』を最後に打ち取った者として、『我が名を最強の好敵手であることを証明しろ』。無様な敗北は許さん」
「ふん。死者に言われるまでもない」
ステイルは煙草を揺らめかせながら、頷く。
元よりあの子の為にステイルは誰にも負けるつもりはない。
そう、また、その『Fortis』に負けられぬ理由が増えただけ。
「では私はこれで行くとしよう。やり直しなんて贅沢をもらえたのに、これ以上留まって君の泣き顔を覚えてしまうと、また、戻ってきてしまいたくなる。生涯を主の教えを守る騎士として、悪霊となり死後も彷徨うわけにもいかない」
最後まで、その幻想は笑っていた。
きっと彼は己の死を受け入れたのだ。
これ以上ないものとして。
だから、悲しむ事ではない。
「はい……わかりました」
詩歌も、笑った。
これが彼のハッピーエンドならば、少なくとも、この演目が終わるまでは。
『パルツィバル』が生涯探した宝物を、最後の贈り物として。
ああ、本当に美しい。
これが自分の『聖杯』だ。
彼女と共にある者は、きっと良い所を見せようと強くなろうとするだろう。
この最後で、そんな下らない事を考える自分は思っていた以上に剛胆な愚者だったのかもしれない。
自然、苦笑が『パルツィバル』の口が浮かんだ。
「……また、嫌な役目を押し付けてしまったな」
「ああ、ホントにな。下手なウソついちまったし、この右手は殺すことしかできねーけど、殺すためにあるんじゃねぇよ。だから、その幻想、この右手に投影してやる」
そして、上条当麻の右手を握った。
悪寒が駆け抜ける。
それは別れの合図だった。
触れて、たちまち崩れて消え去るのを当麻は感じ、ほんの一瞬の―――痛みが走るほど強く、触発された前の上条当麻の想いが、心臓の鼓動を打ち。
――――ありがとう――――
最後にそう言い残し、『パルツィバル』は消滅した。
とある学生寮
魔術大国イギリスで屈指の魔術結社であると<必要悪の教会>から認定されている<明け色の陽射し>は、もともと魔術結社じゃない。
今は魔術結社の真似事をしているが、特定の宗派や学派に帰依するような形の『組織』とはまるっきり構造が異なる。
現代は科学サイドと魔術サイドのどちらかの色に染まるのが組織の暗黙の了解であり、それを破る者に世界は容赦しないが、<明け色の陽射し>に魔術と科学も関係ない、より正確には魔術と科学の境のない時代から存在した、古い組織。
自然科学が発生し、実際に学問と宗派が線引きされたのは18世紀辺り……大抵の格式ある組織は、それより年寄りだ。
して、<明け色の陽射し>という名自体は後世になってつけられたもので知らないが、設立当初の目的は『人の上に立つ者を調べる』ことだ。
ある種のカリスマの挙動や機能の条件を探り、指導者の素質について理解し、その方法をマニュアル化する事で、どんな国家も集団も流れず通りに掌握できる、と初代は考えた。
ところが、当時の欧州は科学も魔術もあいまいで、指導者といえば、宗教的な力・象徴・伝承と結びついて存在するものがほとんどで、その人たちを調べていく内に、ミイラ取りがミイラになってしまったように、いつしか『組織』は魔術的なオカルトの方向へ傾倒していってしまった。
そして、それが決定的になったのは19世紀後半。
イギリスで派生した世界最大の魔術結社――いわゆる『黄金』と呼ばれる集団、欧州でもカリスマ的な魔術師が一堂に会した、人の上に立つ者を調べる『組織』から見れば、奇跡と呼べる集団に、潜り込もうと属してしまった時だ。
……あそこは常軌を逸していた。
カリスマ的な人物はある種の吸引力、自然と人を引き付ける魅力があり、1世紀以上も指導者について調べてきた『組織』は、そう言ったカリスマに一定の耐性を備えていたはずだが、呆気なく丸呑みにされて染められてしまい、<“明け色”の陽射し>となってしまった。
科学も魔術も関係ないはずだったのに、完全に魔術に傾いてしまった。
まあ、どっちつかずのままだと2つの世界に敵視されるだろうから、魔術結社として傾倒したのは必ずしも、組織存続のためには間違いとは言えず、その『黄金』の結社が滅びてしまった後に、科学サイドが『学園都市』の成立とともに再編成し、魔術サイドとの『条約』が結ばれて、その魔術と科学の境界線はますます厳しいものとなった。
そう言う訳で、元々まっとうな魔術結社とは趣の異なる我々の目的は『今すでにある社会の最上部を掌握する』事で、今回の騒動となった、『ボスの血統』、『碑文の欠片』、そして、『天体観測図』―――今ある社会を粉砕して新たな秩序を作ることができる<黒小人>の技術による『武力による即物的な支配』は望んでおらず、はっきり言えば手中に収めるだけの価値が無い。
征服すべき場所は綺麗な方がいいし、傲慢だが立派な平和主義者である。
だから、いらぬ混乱を招くのを防ぐために3つの所有していたピースの内、<天体観測図>をリチャード=ブレイブのような刺客がいるようなイギリス清教と関わり深い大英博物館ではなく、敢えて魔術的価値とは無縁な科学サイドの総本山である学園都市に放り込んだのだが、今回のトラブルも踏まえて、『適切に管理』される期待は裏切られた訳で、再回収させてもらった。
どちらかに傾倒したくはないのだが、<黒小人>の技術は、『科学も魔術も関係なく、今ある全てを掌握、征服する』事を最終目的に掲げる『組織』には少々魔術サイドのウェイトが重いもので、ただでさえ魔術結社もどきとなっているのに……
まあ、魔術結社程度で収まっている方が世の為かもしれないが。
しかし、我々は歯車であり、そんな意志など関係なしに、動かされ、未来では、単なる魔術結社の枠を超えて、末裔たちが『本来の力』を取り戻して世界を大混乱の渦に巻き込むかもしれない、また、一組織を維持する力を失って空中分解するかもしれない。
自分としては、両勢力がその可能性を認めないだろうが、妹のパトリシア=バードウェイのような科学も魔術も関係なく、どちらの力にも安易に頼らず『一般人』として生活する存在を目標に、『本来の形』を取り戻しつつ、不時着させることを希望している。
というわけで、第二の目的。
その形に最も近いであろう、基本的に『一般人』に分類されるだろうが、この科学と魔術のどちらも引き込み、巻き込み、連れ込みそうな、もしかすると『黄金』に匹敵するカリスマ性を秘めているかもしれないこの兄妹を調べに来たのだが……
「ふふふ、色々とありましたけど、お鍋ですよ」
『パルツィバル』―――真条アリサを念のためカエル顔の医者のいる病院へ運んだ後、やってきた、また、戻ってきたのはインデックスが今か今かと待っている上条当麻の部屋。
炬燵の上ではカセットコンロに掛けられた土鍋がぐつぐつと音を立てており、肉・野菜・魚介が煮えているその鍋を当麻、インデックス、詩歌、パトリシア、バードウェイが囲んでいる。
(うむ、鍋に炬燵。日本の文化は最高だな)
約束通り、または予定通りに鍋パーティ。
何と、我が妹のパトリシア=バードウェイと上条詩歌はメル友だったのだー。
おい、用事ってまさかこの事か!? と愚兄がこの“偶然”に驚いていたようだが、こちらは、大して気にしてない。
約束事は約束事としてきっちり果たさなければ、ボスとしての面目が立たない。
うん、本来ならこちらの誘い(妹が来てほしいオーラを出していたのにもかかわらず)を断って、『私も鍋に参加したいデス』とか泣いているアラフォーの母親テオドシアを引き摺りながらイギリスへと帰ったステイルと同じようにこちらも用事が終わればとっとと帰るつもりだったんだが、仕方ない。
一食くらいは付き合ってやろう。
「鍋鍋鍋鍋鍋鍋鍋鍋ーーーーーっ!」
「ぎゃあああっ!?!? インデックス!? あのすき焼きなべの悪夢が再びーーーっ!?」
……その御馳走にありつけるのがどうか不安だが。
「2人とも落ち着いてください。今日はお客様もいるんですから」
悲しむ事はない。
だから、笑顔で。
そんなノリで開かれた鍋会だが、今回の事件もお留守番だったインデックスさんがその分の鬱憤を晴らすかのように暴走気味である。
でも、布巾をかぶったお嬢様学校の詩歌が、具材やスープを投入しながら、菜箸でより分けたり、こまめにアクをすくったりとしている傍らで、インデックスや当麻を諌めたりとして、こちらの分を確保している。
「うわっ、ホント美味しいですっ。はぐはぐ……ひょっとして詩歌さんって料理学校に通ってるんですか? ぱくぱく……ダシも良いです、ダシもっ。はぐはぐ」
狙われたパトリシアはもう元気な声で、バクバクと食べ続けるインデックスと張り合うように完成を上げながらフォークも用意されているが敢えて慣れない箸に挑戦して、鍋の中身を自分の取り皿に運んでいる。
「料理学校には通った事はありませんが、メイド学校には通った事がありますよ~」
詩歌は豚肉をごっそりと食欲旺盛なインデックスの皿に盛っていくと、ついでに自分の皿にも食べ頃になったアンコウの切り身を確保する。
そして、自分も食いっぱぐれることは避けたいのでちょうどいい感じになった鶏肉を、
「あ、鶏肉いただき」
その前に、妹に取られた。
「いやー、私の妹は恐るべき泣き虫でな、取扱を間違えるとびーびーと……」
「なっ、何ですかいきなり!! 泣き虫じゃありません!!」
あわあわと顔を真っ赤にして抗議するパトリシアだが、妹より優れた姉はいない、とバードウェイは完全に悪の組織のドンといった黒い笑みを全開にして、
「そんな訳で、一世一代の初告白にフラれてしまった私の妹が立ち直れるか不安だった、が、いやいやこの調子なら安心した。私も妹の身を案じる姉として、今日の苦い経験はとてもありがたい。なぁ、そう思うだろ、愚兄」
「まあ、フルのは腹立たしいが男ができるよりはマシ―――ええーっ!? そこで当麻さんに振るんですかーっ!? 『あなたも姉と同じ上に立つ者的な特権を振りかざすんですかーっ!』って目が訴えてるし!」
「そんな事は当然だ。一家の長子の義務に、相応の特権を振りかざせるからな」
「ふふふ、まあ、詩歌さんは同じ妹ですが、ステイルさんはシャイな方ですからね。完全に脈がないわけではないと思いますよ。恋は何度もトライです。ええ、今日はぱーっと行きましょう」
「あっ、あのう!! 何だか私が失恋した方向で話がまとまりつつありませんか!? 別にそう言うのじゃないですからね!!」
と、話が盛り上がっていると、ガチャ、と玄関が開き、
「ぼ、ボス、注文の品持ってきました」
足りない食材の買い物係に抜擢された<明け色の陽射し>の部下達。
いくら客とはいえ、宴席も鍋も何もかも世話になる訳には魔術結社のボスとしてはいかないので、こちらが補充を買ってでた。
「いや、そもそも買い物の半分にしたのはお前の悪戯のせいだから」
無視。
「ボス、それで私達の分は……」
無視。
「あのー、豚汁を用意してありますが、いります?」
「はい、ありがとうございます!」
席を外し、台所へと行き、今回色々と迷惑をかけたために鍋と同時並行で作っていた豚汁の鍋を温め直す。
ちっ、全く、妹の方は気がきくな。
あとでこちらの命令違反をした犬には躾はやはり連帯責任で部下全員に行うとしよう。
だが、まあ、この兄妹なら懐かれても仕方ないと情量酌量の余地は認めても良いのかもしれない、と不思議と思えてしまう。
と、考えていると部下のマークが他に聞こえぬよう、耳元に小声で、
「……ボス、例のビットリオ=カゼラの件ですが――――」
路地裏
<量産聖杯>。
ローマ十三騎士団の称号――『盾の紋章』から、騎士の御霊を召喚する。
しかし、これはまだ1つしかないとはいえ、『量産品』
オリジナルの<正教聖杯>からは、各称号での歴代最強がこの世に呼び戻されていると聞く。
あの『人造人間』と同様に、超人さえも殺す常識外の怪物。
それさえあれば、こんな現代の『パルツィバル』よりも、さらに強い『パルツィバル』を配下に加えられたというのに……あの商人め。
『ベイリン』、『ケイ』、『パルツィバル』、『ユーウェイン』、『トリスタン』、そして、『ランスロット』と『ガラ―――
その時、人気のないはずの路地裏で、誰かと肩をぶつけた。
「おい―――」
と、その者に言いようのない苛立ちをぶつけようと振り返り、
「―――久しぶりだな、父上」
その顔を見て、ビットリオ=カゼラは固まった。
「安心しろ。ここに追手はおらんよ。だから、ゆっくりと父と息子の会話を楽しもうじゃないか」
まだその傷が癒えていないのか、全身に包帯が巻かれて、だけどその立ち姿にぶれはなく、その声には余裕もある。
そして、かつての己と同じように、伸びた金髪を馬の尾のようにだらりと背中を垂らしているその青年は、あの奴隷娼婦と交わって生まれた――――失敗作。
「見ていたぞ。今日の貴様の無様な姿を。ああ、何の関係のない少女に、貴様の部下であり、私の友であった『パルツィバル』を降霊させた挙句、騎士道まで汚すとは、やはり、お前は才能を嫉む事しかできない畜生だ。騎士団から追い出されて当然だな」
「なん、だと……っ! 主から見放され、堕ちた汚らわしい裏切り者めがこの私を侮辱するのか!」
「堕ちたのは貴様の浅ましくも醜い嫉妬からだろうが! 裏切ったのはどっちだ!」
ローマ十三騎士団『ガラハッド』ミハエル=ローグ―――ミハエル=カゼラ。
ローマ正教の学園都市へのスパイとして、騎士団から送られた――――能力者と魔術の禁忌を報せずに。
そして、切り捨てられた――――この、父ビットリオ=カゼラに。
「どれほど呪ったか分かるか。魔術を使うたびに血管は裂け、内臓は破裂し、それを貴様は無視し。そして、幾度目の行使かも数え切れぬ所で『堕落した者にもう用は無し』……」
信じていた。
その言葉を聞くまでは。
致死量に達しかねないほどの血を出しながらも。
信じていた。
たった1人の家族を。
「ふっ、貴様の事など最初から息子などと思った事はない。私が『魔眼』を手に入れるための『眼』だったのだよ」
『眼』だと?
訝しげな視線を向けてくるミハエルに、ビットリオは語る。
「私が、リスクとコストをかけて怪物の血筋を引く娼婦から、貴様を産ませて、育てた理由は、『魔眼』だ。あの商人から話を聞いた時は、天啓だと思った。どこに隠れようと敵を見つけて、凍らせる極上の眼だ。それを拒絶反応なしに、“私自身”の眼として手に入れるために、この私の血を混ぜた子を、いや、『魔眼』を作ろうとしたのだ」
「貴様、眼だけが目的で……」
「ああ、お前が『魔眼』を発現していれば、こんな街に捨てる真似などしなかった。その眼を抉り取って、『魔眼』を私のものにしていた。ああ、その髪の毛一本、血の一滴に至るまで全て私の種が造ったものだからな」
その言葉に、ミハエルの身体が震えた。
哀しみか興奮か。
どうでもいい。
こいつは殺す。
もうここで完全に父子の縁を断ち切る。
「はっ、はは、今日ほど、この禁忌反応で貴様から受け継がれた腐った血を全て出し尽くして嬉しかった事はない。一滴でも残っていれば、今すぐにでも首を切って自殺してしまいかねないからな」
「ふん。この失敗作め。お前があの『パルツィバル』の『素体』とした小娘のように『魔眼』を発現しておれば……ああ、“母胎の方は問題なかった”というのにな」
その時、ミハエルは一人の顔を思い出した。
かつての友『パルツィバル』を憑かせ、己の剣と競い合ったその槍裁きを見せてくれた『魔眼』の少女。
「ああ、そうだ。あれは貴様の異父妹だ。全く捨てるに惜しい事をしたが、あの神父が黄色猿らしく拾いおって……だが、その母胎は元々私が買ったものだ。移植は無理だが、今回の『素体』として使わせてもらった」
名しか知らず、死んだと聞かされていた母親の顔も知らないミハエルに過ったのは、喜びか、怒りか。
分からない。
だが、
「そうか……まだ、家族がいたのか」
ふっと表情を消し、そのままミハエルは背を向けて立ち去った。
奴が魔術を使えないのを知っており、また体を満足に動かせないのにも気づいていたが、無駄な戦闘を避けるのなら、それでいい。
本当なら己の手で愚息の息の根を――――
「ああ、最初に言ったが、ここにしばらく人は来ない」
何が起こったのか分からないまま、ビットリオは裏道に右肩を下にし横向き倒れた。
血の気が引いていく。
<量産湖剣>を突き抜けたあの若造の炎剣爆撃ダメージの肉体的限界が、今頃になって襲ってきたのかと思ったが、しかし目前に小さな水溜りがあり、視線を内にずらせば、まるで小便でも漏らしたかのようにズボンが濡れている。
そしてそれは、よく見ると水ではない。
赤い。
人体にある中で、最も鮮烈な色。
……血?
何で、どうして、いつのまに……
ビットリオは下腹部に手をやり、服が切られている事を知る。
鋭利な刃物で裂かれたような、見事な切り口。
布の内側にあるビットリオの皮膚もまた、同じように切られていた。
ばっくりと開いた真っ赤な傷口から、ドクドクと流れ続ける血。
傷口を押さえた指先が、温かくてヌルッとした塊に触れ、それがはみ出してきた腸だと分かり、必死に止めようとしたが左手を使っても腸は流れるように出続け、急激に体温が下がり、視界が上から暗く染まり、全身から力が抜け、意識が途絶えた。
二度と目覚める事のない永遠の闇。
道中
音もなく近寄り、擦れ違い様の一瞬に。
定規でも当てたかのごとく真一文字に
斬っていた。
刃を極めた達人は、斬った後も相手に気づかせないというが、それは相手が三流だったからだろう。
あの新しきボスを通じて知り合った、というより、スカウトされる際に重要器官を避けるように突き斬られた『悪しき断頭台』ほどではない。
話に聞いていたが、あそこの大幹部の連中は化物揃いだ。
それにはまだ及ばないが、奴に『最期』を与えたのは、気を抜いた拍子に、傷口が開き、血が噴き出し、内臓が流れ出す仕様……完全に開く前ならば、治療をしやすいように、一応の配慮もしていた。
教えていれば、もしかしたら助かったのかもしれないが。
とにかく、これで個人的な野暮用は済ませた。
もう己は魔術とも、騎士団とも、父親とも、縁を斬った。
近々始まるであろう抗争のために、身体を休めるとしよう。
「おい、そこの無断退院野郎」
ちらり、とその声の方に顔を向ける。
薄暗い路地裏とは対照的な、夜でも煌びやかな繁華街の一角。
そこに3人の男女を従える、ちょっと目立つ人影があった。
炎のように真っ赤なじゃじゃ馬な、少年―――では、決してなく、お嬢様。
「何か妙な事を考えたような気がするけど、口に出さなかったから見逃してやる。その顔を見る限り、用事は済ませたようだしとっとと帰るよ」
彼らは、何があった事かは知らないだろうが、気づいているだろう。
血の繋がった父親は斬った。
だけど、ここに家族がいる。
だから、『帰る』。
『戻る』のではなく。
「んで、そういや、ウチら以外に家族はいないと言ってたけどさ。これから自分の身も守れるかも危ういくらいに大変だよ。この鬼ヶ島要人警護サービスに入会しなくても良いのかい? お安くしとくけど」
「タダにしとけよ、ケチお嬢。身内だろーが」
「いやいや、私は鬼だからね。地獄の沙汰も金次第というし、払っても損はないよん」
そのやり取りに苦笑すると、少し考え……
「では、一人頼めるか、ボス」
そうして、病室に戻り、隣の部屋への白金髪で蒼氷眼の少女が入院していることに気づくのはまた後日のことであった。
つづく