とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 黄昏の武器

閑話 黄昏の武器

 

 

 

ビル

 

 

 

惑わす事も、探る事もない、愚直にして凄絶な聖槍。

 

奇策も秘策もない、ただ、より速く、より重く、紅蓮の炎剣から繰り出される一撃を凌駕する会心の一撃を追い求めて、ただひたすらに刃を走らせる猛烈な攻めの応酬。

 

 

「ちっ―――」

 

 

ステイルは思わず舌打ちをする。

 

隙が、無い。

 

カードに予め魔力は込めてあるので、ルーンを即時発動できるが、それでも大技となるとスペルを唱えるだけの何工程かの時間が必要だ。

 

これはかつて、法の書事件で天草式教皇代理建宮斎字とやり合ってきた以上に、『パルツィバル』の槍の連撃は速く、今も炎剣を出すので精一杯だ。

 

とても<魔女狩りの王(イノケンティウス)>を繰り出せる余裕が無い。

 

『パルツィバル』は投擲の達人で、突きと払いの基本も侮れず、基本は、それだけで相手を圧倒するからこそ王道と呼ばれる。

 

これが魔術師と騎士の違いか。

 

体格は大きいが、さほどの運動の力を誇る訳でもないステイルは、それでも、無数の炎剣を駆使して、快速刺突の聖槍と鎬を削り、火花を散らす。

 

百花繚乱の狂い咲き。

 

猛火と爆炎に、戦士のパワーとスピードを掛け算した攻撃の衝突は音速を超えており、観測が困難な領域の瀬戸際で極限の冴を競い合っている。

 

 

(まずいな……ルーンを使うにもこのままでは用意してあるカードを切らしてしまう

だけど……)

 

 

物量的にも、体力的にも、ステイルに持久戦は不利だ。

 

ルーンは使い捨てであり、ステイルは魔術の発動と逃亡に回避を同時にこなさなくてはならず、サポートを任せて、ただ槍を振るう『パルツィバル』の方が余裕がある。

 

が、今はまだ“互角”なのだ。

 

 

(まさか、こいつは―――)

 

 

ステイルの面持ちには当惑の色。

 

そう、『パルツィバル』は“目を瞑っているのだ”。

 

『魔眼』の効力を発揮せず、ただ視覚を除く感覚で相手を察知し、<量産聖槍>のみでステイルを相手にしている。

 

 

「―――勘違いはするな、魔術師」

 

 

そんなステイルの心中を察したのか、『パルツィバル』は凛然と済ました面持ちのまま、小さくかぶりを振った。

 

 

「お主が『この少女の身を案じて、この<量産聖槍>の武器破壊に努めている』事は分かっている。故に今ここで、この『魔眼』を使えば、必ず慙愧が我が聖槍を曇らせる。お主の業火の勢いを前にして、それは致命的な不覚となろう」

 

 

確かに。

 

『パルツィバル』の身体は、何の罪のない少女。

 

いくら魔術師を罰する魔術師であろうと、ただ巻き込まれただけの一般人を手に掛けるのは避けたい。

 

だから、ステイルは先から<量産聖槍>に炎剣をぶつけ、先のビットリオの<量産湖剣>を破壊したように、『パルツィバル』を無力化しようとしているのだ。

 

 

「元より『パルツィバル』はこの槍の腕の身で戦場を渡り歩いた身。不慣れな『魔眼』は扱い切れぬというものだ」

 

 

『パルツィバル』はそう言い放ち、凛烈にして透明な闘志をのみを浮かべる笑みを見せる。

 

油断もなければ躊躇いもない。

 

<聖人>などの怪物の如き才能の無い『パルツィバル』、この聖槍を振るう事だけに生涯を賭けて、それが彼の全てを形成する強さだ。

 

『パルツィバル』の槍に勝利をもたらす最大の要因とは、いかにその戦意を曇りなく研ぎ澄まし得るか、その一点にかかっている。

 

それを邪魔する迷いを断つ為ならば、視覚を閉ざしていても構わない。

 

誇り高き騎士が、そんな真っ向から立ち向かう魔術師の譲歩に甘んじる事を潔しとせず、敢えてその『宿主』の強力な武器を封じたまま戦いを望むと言うのなら、なるほど、もしここに同僚の神裂火織がいれば、その意地こそ天晴れと讃えるしか他にない。

 

それは、ステイルもそう思う。

 

しかし、土御門元春と言う男ならば、過ぎた成り行きに拘って手心を加えているというのなら、それは馬鹿だというだろう。

 

それは、ステイルもそう考える。

 

『パルツィバル』の戦法は確実にステイルを追い詰めており、このままでは前の二の舞になる。

 

だが、

 

 

「不慣れな術式も悪くないものだよ」

 

 

ステイルは、結界――パトリシア=バードウェイという宝を守護する――背負う位置にまで誘導、そして、マッチを一本擦る。

 

防衛に秀でたテオドシア=エレクトラの<スキールニルの杖>。

 

 

「ぬっ―――」

 

 

すると、テオドシアと同じく外敵を追い払う突風が吹き、今は少女の身体である『パルツィバル』は足が地を離れ、後方へ飛ばされる。

 

あわや体勢が崩れる所を、<量産聖槍>を地面に突き立て、支えて踏みとどまる。

 

僅かに生まれた隙。

 

そして、

 

 

 

それは生命を育む恵みの光にして(I I B O L A)邪悪を罰する裁きの光なり( I I A O E)

 

 

ビュン! と複数のカードが舞う。

 

燕のように飛び交う無数のカードが、木に、床に、柱に、次々と貼り付き陣を作る。

 

 

それは穏やかな幸福を満たすと同時(I I M H A)冷たき闇を滅する凍える不幸なり(I I B O D)

 

 

己が最大限の力を発揮できる領域を作るために、ルーンを配置するために別のルーンを設置する。

 

1つの魔術を形作るために、2つも3つも術式を組み立てる。

 

 

その名は炎、その名は剣(I I N F I I M S)

 

 

本来なら『無駄』と評されるべき事態だが、逆に『丁寧』なまでの手間が、ステイルの力を底上げした。

 

 

 

顕現せよ、我が身を喰らいて力を為せ(I C R M B G P)―――――<魔女狩りの王>ッ!」

 

 

 

必殺の意を込められた炎の巨人―――<魔女狩りの王>。

 

シベリアで18人もの魔術師を焼いたステイル=マグヌスの奥義だ。

 

 

「……ッ!」

 

 

一撃どころではない、実に24の槍撃の刺突が、炎の巨人に急所に突き立てられる。

 

いずれも炎という形のないものさえも祓う―――なのに、炎の巨人は依然としている。

 

 

「―――いや、違うな。それは完全ではない」

 

 

飛行機のプロペラのように激しく槍を旋回させると『パルツィバル』は、その刃先に指を切り、その赤き血を槍に塗り込む。

 

その込められた魔力が、不吉な蜃気楼のように、ゆらり、と槍の穂先から立ち上る。

 

 

「<量産聖槍>はその持ち手によって、聖槍にも魔槍にも変わる。この血の呪いが込められた災いの一撃は、決してその痕を癒す事を許さぬ」

 

 

それまで無駄に大きな挙動を見せなかった『パルツィバル』が、背を見せるほど体を捻り、

 

 

ズパァン!!

 

 

それは斬撃などと生易しいものではなく、その連撃は津波のように結束され、間合いを駆け抜け、火炎を薙ぎ払い、炎の巨人が穴だらけとなる。

 

 

「なっ、<魔女狩りの王>、が……」

 

 

その槍の技量も凄まじいが、それよりもこの場に散らばったルーンのカード、核を破壊せぬ限り、あの<幻想殺し>で破壊されても再生し続ける<魔女狩りの王>に傷をつけた事にステイルは目を見張る。

 

かつて、騎士団の呪われた騎士『ベイリン』は、『神の子』を刺したロンギヌスの負の一面を抜き出し、王に決して癒せぬ傷をつけた。

 

治癒阻害。

 

『パルツィバル』も<量産聖槍>の隠された魔槍としての一面を引き出して、この魔女狩りの『王』に傷をつけると共に血の呪いを刻んだのだ。

 

 

「どうする? 最強を名乗る者よ。降参すると言うのなら、その心臓、楽に刺し射貫いてやってもよいが」

 

 

「ふん。それが君の本当の実力と言う訳か」

 

 

あの時、その身は<原典>の毒に侵されていたが、これこそが『パルツィバル』の本当の実力。

 

何度も焼き殺し、あの不死身の力さえなければ、勝てると思っていたが、ステイルの見込みはどうも甘かった。

 

間違いなく、彼は称号持ちに相応しい一流の戦士だ。

 

だが―――

 

 

 

『戯れ合いはそこまでだ。『パルツィバル』』

 

 

 

響き渡る冷淡な声。

 

 

(隠れたか……)

 

 

周囲を一瞥するも、彼の姿はない。

 

声は不自然に、このエントランスホールに反響し、どこから発せられたものか分からなくしている。

 

こちらが戦っている間に、どこかへ隠れ潜んだらしい。

 

 

『これ以上、勝負を長引かせるな。そこの若造は難敵だ。『魔眼』を使え』

 

 

姿なき声が冷徹にそう下す。

 

不興も露わな声音は、もちろんビットリオ=カゼラのもの。

 

彼は、己の部下――使い魔が戦う際に細かい指示を出すつもりはなかった。

 

『パルツィバル』と言う存在に対し、戦闘と言う領域においては絶対的な信頼を持っているからだ

 

少なくとも、歴戦の経験と、己のを上回る技量の持ち主であることは認めている。

 

故に、指揮官として戦略的な部分でのみ口を出すのが仕事であると考えていた。

 

それは今も昔も変わらない。

 

コミュニケーション――相手の事を分かろうとする努力をせず、ただ自身の装備品のように道具として扱う。

 

それは円卓最強の称号を持つ己を大きくみせるための虚栄からだったのか、所詮は使い捨てで補充の利く駒という思考しかない。

 

だからこそ、不利に陥らないまでも勝利を掴む事の出来ない、また折角備え付けさせた付属品を使おうとしないでいる道具に、愚かにも焦燥を抱き、苛立ちを募らせる。

 

 

「ビットリオ様、こ奴の切り札は我が槍にて仕留めました。故にどうか、彼との決着だけは尋常に……」

 

 

『口答えをするなと言ったはずだが』

 

 

ビットリオは、この状況をこちらの有利であると見ていない。

 

彼は、このステイル=マグヌスが己の最大の術式兵装<グレゴリオの聖歌隊>をこれよりも強大な炎の巨神兵、それを“3体”も召喚し、打ち破ったのをその目で見ているのだ。

 

まじまじとその恐怖と共に。

 

それさえなければ、自分達は勝てたのだ。

 

あれはステイル独力で成し得たものではないのだが、そんな事を知らないビットリオは、今もステイルが力を温存しているように見えて、不気味でしょうがない。

 

時間さえ立てば、あの男は再び、三体の<魔女狩りの王>を出すに違いない。

 

だと言うのに、ただ援護しかできず、武器もなく、この被害妄想にも似た圧迫感に背筋を凍らせるしかない愚かな自分。

 

許されるものではない。

 

 

 

『神意の下にビットリオ=カゼラが命ずる。『パルツィバル』、その目を閉じるな!』

 

 

 

虚空に向けて嘆願する『パルツィバル』を非常に断ち切って、ビットリオはより一層冷やかに断言する。

 

<C文書>のシステムを取り込んだ<量産聖杯>の小径(パス)と繋がった者に断ずる絶対命令権。

 

いかなる強者、たとえ『太陽の騎士』という常識外の怪物であろうと、ローマ正教徒である限り、これに逆らう事は叶わない。

 

その言葉は、その魂に直接刻みつけられる。

 

故に『パルツィバル』に自由意志などはなく―――

 

 

「く、ぅっ……!」

 

 

―――その蒼氷眼の『魔眼』<氷結青眼>が見開かれた。

 

 

「っ……!」

 

 

ステイルは動きを止めた。

 

たったそこに力を込めた一視線で、呼吸も瞬きも止まった。

 

音もなく、劇的な光芒も、衝撃もなく、

 

 

「―――――――――――!!!」

 

 

意識が凍りついた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「き、さま」

 

 

消え去った偽物の感触を確かめるように、拳を握り、ゆらりと首を動かし、振り返り、その少女が手にする“本物”をみて、リチャード=ブレイブは呟いた。

 

その仕草に合わせ、テオドシアもまたそれに気づく。

 

そう、

 

 

「まさか、それは<天体観測図>……!?」

 

 

「ええ、そちらのは偽物です。発信器入りのね」

 

 

「どうやって……そんな都合良く偽物があるはずなんて……!」

 

 

「ないですよ。だから、“作った”んです」

 

 

リチャードは自分の目を疑う。

 

あの追い詰められた場面で、逃げるので精一杯の状況で、と。

 

まさか、それは自分の思い込みで、彼女は余裕だったのか。

 

……嫌な予感がする。

 

あの『最後のルーン』を手に入れようと、植物人間の子供を盾にしようとし、あの東洋の<聖人>と遭遇した時に匹敵する不吉な前兆。

 

 

「まあ、その仕組みは教えませんが。知ってますか? 手品は種を知られたら廃業です」

 

 

そして、少女、上条詩歌は懐へしなやかな両の指を伸ばし、メモ帳として携帯している<筆記具>を取り出すと、種も仕掛けもない手品のように無数に複雑に絡み合った2本の杖を作りだす。

 

リチャードもそれに応じて、自然と―――まるで、追い詰められた獣が、怪物に爪を見せつけるように―――<破滅の枝>を振るう。

 

これまで、ビルの壁面やアスファルト、あらゆる物体を焼き尽くし、詩歌のタロット、ステイルの炎剣、テオドシアの爆風までも、片っ端から。

 

燃やす、筈だった。

 

 

 

しかし、その法則を見抜いた詩歌はステップを踏むだけで避け、リチャードの燃え盛る剣を、<破滅の枝>を打ち払った。

 

 

 

全てを例外なく焼き尽くす最高の霊装。

 

それと杖を合わせた。

 

造作もなく。

 

結局、どんな魔術であれ、霊装であれ、魔力の質と流れで成り立っているのであれば、それを見極めれば、軌道も能力も弱点も自動的に読める理屈だった

 

決して、何らかの要因によって、従来の力を発揮できずに不発したのではなく、偶然とか幸運とかの言葉で処理できるものではなく、『安全』と『危険』のラインを見極めた。

 

そして、詩歌はそれ以上のものまで見ようとしている。

 

 

「まさか」

 

 

津波のように炎の海を生み出す<破滅の枝>を握る、また、縋るリチャードの口が動く。

 

それは戦闘中の魔術師には無意味な問いかけであり、それどころか場合によっては相手に活路を与えてしまう失態である。

 

 

 

「まさか、気づいているのか」

 

 

 

しかし、そんな要因を孕む台詞を口にしてしまった。

 

理性とは別に、最早無意識に勝手に。

 

対して、詩歌は次々と2本の杖に<筆記具>を絡ませながら、霊装を組みたてながら、応える。

 

 

「燃やすのではなく、“燃え易いものに変えているだけでしょう”? <破滅の枝>の正体は、その『剣』ではなく、ただの文字だと」

 

 

ドッと、リチャードの全身から冷たい汗が噴き出した。

 

これは炎の熱によるものではなく、過剰な運動で火照ったものでもなく、窮地に立たされた時の悪寒だ。

 

逃げるべきだ、と彼の思考が告げる。

 

しかし、彼女が<天体観測図>の在りかを知っている。

 

 

「ルーンとは、力ある刻印を対象に刻む事により、その刻んだ意味を現実にするもの」

 

 

全てを呑み込む火炎の津波も、

 

全てを掻き消す雷撃の裁きも、

 

ルーンとはどこに文字を刻むと言う『起点』は変わらない。

 

 

「別に剣だけでなく、それ以外の所へ刻んだって構いません。『イチイの木(eihwaz)』、『白樺(berkana)』、『干し草(wunjo)』……これら組み合わせた文字列。それをスタンプのように標的に刻みつければ、小さな火種でも全焼してしまう素材に変えてしまう」

 

 

図星。

 

しかし、まだリチャードは笑う。

 

 

「はは、面白い意見だね。けど、残念だが君は素人だ。<破滅の枝>は全てを焼き尽くす。そこに種も仕掛けも存在しない」

 

 

情報は武器で、撹乱もまた戦術。

 

 

「標的を燃えやすい材質に変えてしまうルーン。そんなモノがあったとして、周囲に配置すれば魔術に精通するものならば誰だって気づくだろう。もっとも、自分の身体に刻まれたルーンですら気づかぬほどの間抜けだと言うのなら話は変わってくるがね」

 

 

所詮は、科学の街に住む住人で、素人のハッタリ。

 

いくらでも誤魔化せて、読み違いだと認識させれば、勝手に自滅する。

 

 

 

「はぁ……あなた、本当に<必要悪の教会>から送られてきた訳じゃないんですね」

 

 

 

しかし、逆に呆れられた。

 

思ったよりも底が浅かったかのように。

 

詩歌は、完成した2つの杖のうち1つを左右に突き立てると一歩前に出て、

 

 

「まだ、その幻想に自信があるなら、やってごらんなさい」

 

 

絶好の隙。

 

ほら、勝手に自滅する。

 

リチャードの反応はシンプルに、<破滅の枝>を振るう。

 

この上層部に反則だと。

 

昨日まで有効だったものが、明日には使えなくなるように。

 

科学と魔術の互いに不可侵、というただ何となく誰かがライン決める不可解な『条約』に引っ掛かってしまった、見えざる手に強制的に押しつぶされた、己の一世に一代の術式は、こんな少女に計り知れるものではない。

 

 

 

ただし、科学と魔術のルールを変える現代の聖母と呼ばれる上条詩歌が、本当にただの少女ならば。

 

 

 

豊穣神フレイを焼き滅ぼした巨人スルトの再演の如く、破滅の炎が無手となった詩歌に降りかかる。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その瞳に射抜かれた赤髪の魔術師、ステイル=マグヌスが地に倒れ伏す。

 

 

「……ふん。最初からこうしていれば良かったのだ。武器などよりも怪物。この若造、魂から凍りついておる」

 

 

姿を現したビットリオが、満足げに述べる。

 

その隣では、ただステイルを注視する『パルツィバル』がいるのだが、その目はうつろで、今の彼に意志はなく、ビットリオもまるで気に掛けない。

 

死者のように、心を殺す。

 

神意の名に命ずるに、その意識は邪魔になり、限りなく空白に、ただの機械人形のようになるのだ。

 

いちいち命令するのが面倒だが、やはり、こちらの方が効率が良かった。

 

 

「結局、この程度のものか」

 

 

終わってみればつまらないものだった、と。

 

最後にその槍で止めを刺すように―――しかし、そこでビットリオの動きは止まった。

 

 

 

原因は、1つの小石ほどの瓦礫。

 

 

 

当然ながら『魔眼』の餌食となったステイルによるものではなく、第三者のもの。

 

霊装による特別な攻撃魔術により、圧倒的速度を得た砲弾でもない。

 

本当に、ただ、その辺に落ちている小石を拾い上げて、精一杯の力で投げつけただけ。

 

ビットリオは足を止め、恐怖や驚愕によるものではない、世界で最も馬鹿なものを見つけたばかりの嘲笑を浮かべる。

 

 

「どういうつもりかね?」

 

 

それは12歳前後の少女だった。

 

魔術師でも何でもない、今起きている現象すらも理解していない少女。

 

そして、ステイル=マグヌスを助けるために、結界から抜け出してしまった、愚か者の少女だった。

 

 

「この『ランスロット』、ビットリオ=カゼラに石を投げつけるとは、まだ己の領分をわきまえていないようだな」

 

 

急所を突き刺すような敵意ではなく、四肢を砕いて逃がさないようにしてから痛ぶる嗜虐心に富んだ声。

 

だが、パトリシアは応じず、汚れた手を動かし、さらに足元の小石を掴む。

 

ほとんど目を瞑るような格好で、それでも精一杯の力を込めて、そのちっぽけな武器をビットリオに向けて投げつける。

 

 

「離れて、ください……」

 

 

震える声で、その小さな体にどれだけの恐怖を感じて、どれほどの混乱を覚えているのかが分かる。

 

だけど、彼女はそれを押し切って、言った。

 

 

「早く、その人から……離れて。どいて、ください!! その女の子を、解放して、あなたなんか、早く、どこかへ行っちゃってください!!」

 

 

「そうかね」

 

 

だけど、全てを嘲弄し、人間のみが持つ悪意に満ち満ちた笑みは変わらない。

 

 

「くく、小市民の善意は可愛いものだな。無知で、愚かな弱者は、何も分かっておらぬな。そこの若造が、敗れたのは小娘の言葉が要因だと言うのに」

 

 

「え……?」

 

 

「そうであろう! 君が、この『パルツィバル』を殺さないでとお願いしたから、この若造は折角のチャンスを逃したのだよ。あの時、炎の巨人が捨て身で投げ捨てていれば、いかに『パルツィバル』の技量でも防ぐのが厳しく、やられていただろう!! 素人の言葉を聞いたせいで、イギリス清教の魔術師はみすみす勝機を潰したのだよ!!」

 

 

その言葉に、パトリシアがビクリと震えた。

 

ステイルが自分のわがままに付き合ってどれだけ無茶をしていたのかを。

 

あまりのショックに身動きすら取れなくなったパトリシアに、ビットリオはますます笑みを深めて、

 

 

「さて、『ランスロット』ビットリオ=カゼラに石を投げつけた罰を与えてやろうか」

 

 

何の変哲もないナイフを取り出す。

 

別に手足が無くなろうが、儀式には関係ない。

 

騎士は、無闇な暴力を抑止するため、倫理規範、無私の勇気、優しさ、慈悲の心といったものを『騎士道』という規範を生み出し、通常の騎士であれば遵守する事は難しいが、『騎士道』に従って行動する騎士は周囲から賞賛され、騎士もそれを栄誉と考えた。

 

だが、現実の騎士の行動が常に『騎士道』に適っていたわけではない。

 

むしろ、剣等の武器、鎧を独占する貴族などの支配層は、しばしば逆の行動、つまり、裏切り、貪欲、略奪、強姦、残虐行為などを行う事を常としている。

 

ビットリオはその類に入る。

 

 

「『パルツィバル』、あの小娘を逃がすな」

 

 

ひっ、と思わずビットリオから逃げようとするも、『魔眼』の一線がパトリシアの動きを、意識を凍らせた。

 

 

「もう君を守るものはどこにもいない。でも、安心したまえ。殺しはしない。だけど、死ぬよりも苦しいのは覚悟するんだな」

 

 

ビットリオはゆっくりと近づく。

 

彼を止める者は、いない。

 

パトリシアの為に立ち上がってくれるものはもういない―――はずだった。

 

 

 

バヂィ!! とナイフを持つ手から凄まじい音が炸裂した。

 

 

 

ビットリオの腕が、勢いよく弾かれた。

 

ビリビリという痛みに彼は、顔をしかめて、いや、呆ける。

 

一体、何者が? と。

 

起きたのは爆発。

 

ただし、それはパトリシアに近づけさせないために、第三者が放った衝撃波だった。

 

 

「ま、さか」

 

 

振り返り、その姿を見たビットリオは狼狽する。

 

 

「なぜ……貴様が……立っている……?」

 

 

パトリシアも視線の延長線上を見る。

 

赤く染めた長い髪、ピアスをつけた耳、10本の指には銀の指輪、口元には煙草、そして、右目の下にはバーコード柄の刺青をいれた神父。

 

そう、そこに、ステイル=マグヌスが直立していた。

 

 

 

「ふん。『魔眼』は稀少な存在だ。でも、史上彼女が初めての保持者じゃない。最高の力でも最強の力でもない。封じる方法はいくらでもある。聖母(マリア)ファーティマの何者も包み込む愛と優しさには、恨みから発する『魔眼』も、彼女が手をかざすだけで自ら『魔眼』の毒を避けようとしたなんて痺れる話もあるくらいだ―――そして、これも、その一つ。『籠目』だ」

 

 

 

ステイルが見せつける発光するルーンのカード、その紋章は星型、つまり、五傍星。

 

ヨーロッパでは『ダビデの星』と呼ばれるこれは『魔眼』に恐怖を覚えさせて、目をそらさせる『魔眼除け』の文様でもある。

 

 

ビットリオの呼吸が、止まった。

 

 

(まずい。その手があったか……)

 

 

ステイルの言葉を理解し、ビットリオは奥歯を噛み締める。

 

 

(しかし、運良く材料が手元にあったとはいえ、この短期間で編み出したもの程度で、これを攻略できるとは……)

 

 

そして、次の言葉で己の失態を悔やむ。

 

 

「あの<禁書目録>なら、見ただけでその正体を看破するだろうけど、今回は“ご丁寧にも貴様から自慢げに説明してくれたからね”。その『魔眼』の元は、<バロール>がモデルとなった。あれは光神ルーの『ブリューナク』という光を司り、太陽を象徴する槍で、貫かれて、最期を終えた。だから、この『太陽(sowulo)』の光は直視できない、『魔眼除け』の効力を高めたって訳さ」

 

 

とはいえ、それは五分五分の確率だった。

 

<バロール>がモデルになったとはいえ、<氷結青眼>の過去のもので、既に光への耐性ができており、別物に進化している可能性もあり、現に、完全に固まってしまうのは防げたものの、ステイルはその身体の動きが鈍く、思ったよりも重くなっているのを感じている。

 

だけど、これで十分だ。

 

頭脳戦に必要な体力が、もうすぐ底をつきそうだ。

 

しかし、それがどうした。

 

ステイルはくだらなさそうに一枚のカードを取り出し、

 

 

「君達騎士道はそうか知らないが、魔術は思考の世界であり、その戦いは応用性と柔軟性が全てを左右する。とある1つの術式や霊装があれば、どんな戦場でも必ず勝てるなんて甘いものじゃないんだよ」

 

 

その台詞が、力と技ではなく、知で戦うステイルの本質を示していた。

 

既に種の割れたトリックなど封じて逆転するのは容易で、古いトリックに対して新しいトリックを被せて襲いかかるのが魔術師だ。

 

そして、頭脳によって相手を制し、知能によって死闘を演ず、本物の魔術師の顔にあるのは、ただ怒り。

 

それは己自身が傷つけられた事に対するものでもない。

 

蒼氷眼の凍てつく一視封殺も溶かすほどの、圧倒的な怒りは、魔術という得体の知れないものに翻弄され、それでもたった1人で絶望と立ち向かった少女のため。

 

必要もないのに己の欲求の為に、それを踏み躙ろうとした少女のため。

 

ただその力を欲し、『素体』とされた少女のため。

 

そして、誇りと尊厳を穢された騎士のためにもある。

 

 

「さて……ビットリオ=カゼラ」

 

 

悪の名が呼ばれ、呼ばれた彼の中に緊張が走る。

 

自分の側に『パルツィバル』がいる事も、圧倒的な優位に立っている事も、それら全てを忘却させかねない声だ。

 

ステイル=マグヌスは見据える。

 

己の敵を。

 

今この場で、1秒でも早く始末するべき敵の顔を。

 

 

 

「死ぬ覚悟はできたか」

 

 

 

ステイルはここで新たな、あの槍の一撃で倒れた時からずっと開発し続けた術式を解放する。

 

魔術の世界に迷い込んでしまった者たちを解放する道標となるような光を灯す、その『死』の意味も宿す『イチイの木(eihwaz)』のルーンが中心となる―――炎の槍。

 

<魔女狩りの王>が敗れて、己の最強を見失ったステイルが立ち上がるために編み出したもの。

 

まだ完全には完成していないが、彼女達の心を蹂躙したこの男を見逃すつもりはない。

 

善など欲しければくれてやる。

 

この胸にあるのは、わざわざ正義を名乗って正当化しなければ動き出す事も出来ないような、陳腐な炎ではない。

 

そう、この悪を貪り尽くす必要悪のように。

 

 

「『パルツィバル』! 早くこいつを!」

 

 

ビットリオは血相を変えて、使い魔たる部下を呼ぶ、も……

 

 

「ぐ……目が……」

 

 

『魔眼除け』、そして、この今も練り上げられている炎の槍から発せられる光に『パルツィバル』は動けない。

 

 

「何をしている! 私の身命こそが至上だと教えたはずだぞ……っ! 何故そこまで……!」

 

 

「……分からないのか」

 

 

ステイル=マグヌスの唇が動く。

 

その表情には、怒りと侮蔑、そして、僅かな憐れみ、

 

 

「剣の腕も三流だが、指揮官としては、三流以下。素人の方がまだマシな盆暗だね」

 

 

「何を!」

 

 

「そうだろう? この『パルツィバル』に『目を閉じるな』と命じなければ、目を瞑れて、『魔眼除け』から逃れたものを。こいつは元から視界などなくても、やれていた」

 

 

大覇星祭、そして、今日と『パルツィバル』と戦ったが、あまり認めたくない事だが、強い。

 

後になってから身体の芯に届く重く突き抜けたダメージは、正気を失った時よりも強烈で、無意識のうちに先の槍の方が鋭かった、とランク付けしていた。

 

故に、こうしてクソ野郎に操り人形にされた彼には、何故か違和感を覚えるくらいに怖くはなく、また、哀れだと思ってしまう。

 

 

「それを貴様が足を引っ張ったんだよ。ああ、これはお礼を言わないとダメかい」

 

 

ステイルの冷ややかな声に、ビットリオは一言も抗弁する事が出来ずに俯いた。

 

恥辱、絶望、憤怒、あらゆる感情が入り混じって、脳と臓腑を犯す。

 

この『神意』から下す命は、<C文書>と同じ。

 

一度下せば、取り消すには複雑な工程が必要なのだ。

 

それはビットリオには、無理だ。

 

 

 

「……さて、完成だ」

 

 

 

重油のように黒い<魔女狩りの王>の炎よりもなおドス黒く、不気味に鳴動する赤黒い槍。

 

 

―――伝説に曰く。

 

 

この『ブリューナク』の後継ともされ『森の名だたるイチイの木』として知られる『ドゥフタハ・ダイル・テンガ』の槍――『ケルトハルのルーン』は、発火性を水で張った大釜に浸けておかなければ御す事はできず、都市を燃焼させる。

 

 

感受性も豊かであり、戦の予兆に殺戮性を抑えきれず興奮に取り憑かれた時は、犬と猫とドルイド僧の血を混ぜた黒い毒液の釜の中に浸けこまなければ、槍の柄か、槍を持つ人間も焼いてしまう。

 

 

炎の槍にして、毒の槍にして、必中の槍にして、血に餓えた魔槍が鎌首を擡げて獲物を求める。

 

 

それが―――

 

 

 

「―――<炎血貪る呪槍(ルーン)>」

 

 

 

ぎしり、と空間が軋みをあげる。

 

放たれる殺気は今までの比ではなく、呼吸さえ困難な緊迫を生み出す。

 

ビットリオの五感が凍る。

 

恐怖か、畏怖か。

 

そのどちらであれ、彼は即座に理解した。

 

これから繰り出される一撃は、文字通り必殺であるという事を。

 

ステイル=マグヌスの全魔力で打ち出されるそれは、防ぐ事も、躱す事も許されない

 

 

「……狙う『的』は分かっているな」

 

 

歌うように呟いた途端に。

 

ブン、と答えるように一度大きく鳴動すると餓えた魔槍が、炎の魔術師の手元から解き放たれた。

 

しかし、それと同時に動く影、

 

 

 

「―――<量産聖槍(ロンギヌス・レプリカ)>!」

 

 

 

眼を瞑る状態ではなく、眼を潰され、その脳を焦がすような苦痛を噛み締め、ただ感覚を殺された中で、己の勘に従って、槍を振るった。

 

ただ、無心に繰り出されたそれは、力を十全に振るえない状況下であるはずなのに。

 

連撃ではなくただ一突きに全てを込めた、生涯において、『パルツィバル』が果たせなかった神武の槍撃。

 

しかし、

 

 

「<炎血貪る呪槍>は、嗅覚が良くて、貪欲だ。血の匂いを嗅ぎつければ、どこまでも追って、全てを溶かしてまでも血を貪り尽くす。―――ああ、その血のついた魔槍だろうとね」

 

 

治癒阻害の魔槍の一面を引き出すために血を塗り付けた<量産聖槍>の刃先。

 

そこに噛みつき、巻きつき、絡みつき、黒炎が聖槍に塗られた血で渇きを癒すように、一滴分も逃さず―――貪るように聖槍を喰い尽くし、消滅した。

 

 

「なっ、如何なる炎も払った『パルツィバル』の槍が……!?」

 

 

今までよほど己の槍の腕を信じてきたのだろう。

 

その支えを失った『パルツィバル』は力なく、柄だけとなった<量産聖槍>を落すと呆然と膝をついた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……、」

 

 

リチャードは、目の前の敵を見た。

 

本当に、本当に……思い知らされた。

 

炎に巻かれ、熱に晒され、煙を吸引し―――<破滅の枝>を刻まれたはずなのに。

 

 

「火の扱いは得意なんですよ」

 

 

何事もなかったように、手に持つ杖をくるくると振るいながら、炎を御していた。

 

 

「見えないインク……恐らくこのビールの発酵したような匂いからビタミンB2でルーンを刻んでいたんでしょう」

 

 

戦局は止まった。

 

比喩表現ではなく、本当にリチャードの動きが止まったのだ。

 

絶対的な破壊力を誇るはずの<破滅の枝>を構えるリチャードは、その刃先をレコードの針のように、ジリジリと動かしながら、改めてこの“常識外の怪物”を見る。

 

そうだ、最初から対峙すべきではなかった。

 

正真正銘、彼女は、あの<二重聖人>を倒した、己とは格の違う領域にいるものだと。

 

詩歌は勝ち誇る事もせず、攻撃する事もなく、ゆっくりと、余裕に、

 

 

「麦芽に多く含まれるビタミンB2は、暗闇で強い紫外線を当てると黄色い光を反射させて浮かび上がらせる性質があります。その袖の中にある霧吹きのような小道具で、腕を振るう動作に偽装して遠距離から文字を刻んでいたのでしょう。まあ、天草式の皆さんの方が偽装は上手いですけど」

 

 

影が揺れる。

 

魔術師が動いたのではない。

 

ただ、彼の心情を表わしたかのように、光源となる炎が不規則に揺らいだだけ。

 

リチャード=ブレイブは、石像のように固まっている。

 

 

「そちらの西洋剣に記された文字列『sgkalu』の意味は『魔術により太陽を灯した松明』。それは太陽の炎のように強い火力を意味するものではなく、太陽光と同じ紫外線を発し、周囲に展開された『ビタミンB2のルーン』を己の都合の良いように浮かび上がらせるための道具です」

 

 

まずい、とリチャード思う。

 

これまで、この術式のトリックに気づかずに燃やされていった者達とは格が違う。

 

確かに、この<破滅の枝>には2つのモードがあり、

 

1つは単純に炎を生み出し周囲へ着火させるためのもの、

 

もう1つは、紫外線を増幅し一面に展開されたルーンの中から、必要なものだけを浮かび上がらせて『極めて燃えやすい材質』へ変換させてしまうもの。

 

戦局を読むための一時停止から、単に筋肉を止めるための硬直に切り替えつつ、喉の声帯を振るわす。

 

 

「はは、面白い冗談」

 

 

「本当に聞かされてないんですか? ――――」

 

 

詩歌はクスリ、と笑い、

 

 

 

 

 

「――――<幻想投影(イマジントレース)>は、“たとえ不可視だろうと触れたものの全てを投影する”」

 

 

 

 

 

そう、だった。

 

この少女は、『神の武器』との接続術式などなくても、100%の力を引き出せる。

 

リチャード=ブレイブの顔に深い皺が刻まれる。

 

魔術に限らず、あらゆるトリックは気付かれた時点で対策が講じられる。

 

これは、肉体労働ではなく、頭脳戦で、上条詩歌は既にリチャードの奥を見切っている。

 

そして、<破滅の枝>は元々通用しなかった。

 

いくら『極めて燃えやすい材質に変える』ルーンを刻もうとも、それは己の手元から飛ばし、刻んだ――触れただけで幻想を読み取ってしまう少女にそのルーンを“渡してしまう”ことであり、全てに愛される万能の使い手には簡単にその文字の神秘も御してしまう。

 

あの異能に対して『究極のアンチ』ともいえる触れただけ幻想を殺す右手の持ち主であるもう1人の<禁書目録>の『管理人』と同じく、『究極のチート』ともいえる触れただけで幻想を生かす身体を持つ少女は、対異能戦に、その知を武器とする勝負では、リチャードに勝てるはずがない。

 

 

(……ならば)

 

 

リチャードの思考はすぐに逃亡を選択する。

 

あの『最後のルーン』で、対峙した東洋の<聖人>の時もそうだったように、絶対に勝てない怪物は、相手にしない。

 

つまり、リチャードは怯えた。

 

その事実に歯噛みしながら、泥沼から抜け出すように一度大きく下がり、<破滅の枝>を大きく振りかぶる。

 

上条詩歌にではない。

 

彼女に対し、ルーンを刻もうと奪われるのが落ちであり、隙を作るリスクしかない。

 

だが、それはあくまで彼女に通用しないのであり、この秘儀が完全に封じられた訳ではない。

 

だから、逃げ道を作るために、このビル内の建物を焼き尽くす事も―――

 

 

「なっ、何故燃えない!?」

 

 

 

―――しかし、西洋剣から放たれる紫外線を当ててもルーンはその意味を成さない。

 

 

 

今度こそリチャードは己の<破滅の枝>の不調を疑った。

 

だけど、それは違う。

 

 

「さて、巨人スルトの<破滅の枝(レーヴァティン)>に対して、こちらが組み立てた手品は、2つ―――その1つめが、この<幻想法杖(ガンバンティン・レプリカ)>」

 

 

芝居かかった言葉とともに、地面に突き刺した方の杖に詩歌はそっと触れる。

 

ルーン、カバラ、陰陽道……などと魔術の基礎を組み合わせた、天草式と同様の複合体系霊装<筆記具>から作りだしたのは、テオドシアの<スキールニルの杖>と同じ起源でもある、巨人の魔力を封じられると脅した杖、『魔法の杖(ガンバンティン)』。

 

北欧神話では、世界は巨人の亡骸から作られたものであり、それはつまり、巨人の魔力を封じる『魔法の杖』は、世界の魔力を封じられる魔術の法則を統べる杖―――そう、詩歌が解釈し、その名を借りたのがこの<幻想法杖>。

 

魔術に必要な生命力からの魔力の精製を抑止する、この衣服を身に付けた『人』に作用する<禁色の楔>と同様に、<幻想法杖>は突き刺し、根を張った『場』に干渉し、その場に存在する術式の魔力を、染められた色を脱色、元の無色な生命力に精製し直し、その生命力を吸い取る――『人払い』ではなく、『魔封じ』の効力を発揮する結界を展開させる。

 

<幻想殺し>のように強大な魔術を一撃で殺す、壊すことはできないが、少量の魔力であるなら吸収し、簡単に封じることは出来る。

 

つまり、この場にリチャードが刻んだ<破滅の枝>の『見えないルーン』に込められた魔力はこの<幻想法杖>に回収され、もう、ただの『見えないインク』に。

 

しかし、そんな魔法の手品(マジック)に気づいていないリチャードは、自らのプライドを支えるはずの<破滅の枝>に縋るように何度も何度も振るも『場』に刻まれたルーンは応えてくれない。

 

だが、たとえ<破滅の杖>による異様な引火性が封じられた所で、リチャードに魔力を通している<破滅の枝>の西洋剣本体が生み出す炎の威力に関しては微塵も減じていない。

 

『見えないルーン』を発動させるための炎とはいえ、人間1人を苦しめ、焼き焦がし、使い方次第では殺してしまう事も可能だ。

 

それに対し、彼女が手にしているのは素材は火と最悪の木の杖………

 

 

「先に言っておきましょう、これは枝ではなく剣。―――豊穣神フレイの失いし、<幻想宝剣(レーヴァティン・レプリカ)>」

 

 

詩歌はそっと最後の1つを離す。

 

『レーヴァティン』は2つある。

 

1つは巨人スルトが使いし、『災禍の枝』。

 

そして、もう1つは豊穣神フレイのスキールニルに与えてしまった『勝利の剣』。

 

特に由来もなく、それ以前に名前自体が本当に『レーヴァティン』なのか特に定まっていない。

 

しかし、<黒小人>の鍛冶師ヴェルンドが造りし、正しく賢い者にこそ力を発揮する『神の武器』。

 

輝く細身の刀身には、更に美しく絢爛な装飾が施されており、加えて、ルーン文字が刻まれている。

 

その刻まれたルーン文字の魔力によってこの剣は、太陽にも匹敵する光輝を纏い、切り裂けぬものはない、そして、自らの意志で鞘から抜け出て、自らの意志で敵を倒す。

 

たとえそれが巨人が相手であろうと斬り伏せる。

 

そして、今、詩歌の手元から離れた杖――剣は、太陽の如き光を放ちながら宙に浮き、使い手である詩歌の周囲を自律旋回し始める。

 

 

「巨人スルトは<破滅の枝>で、豊穣神フレイを焼き滅ぼしたそうですが。もし、豊穣神フレイに、失った武器が手元にあれば、その勝敗はどうなっていたでしょうか?」

 

 

無形の<幻想宿木(ミストルティン・レプリカ)>、

 

無色の<幻想法杖(ガンバンティン・レプリカ)>、

 

無人の<幻想宝剣(レーヴァティン・レプリカ)>。

 

teinn(ティン)』とは『枝』を意味し、<筆記具>はまさにこの『無の三柱』の『枝』。

 

そして、無人の枝は賢妹の周りを独立した衛星のように守護し、そして、流星のように敵に飛来する。

 

 

 

<破滅の枝>と<幻想宝剣>が激突。

 

 

 

爆炎が巻き起こり―――弾かれたのは、細い木ではなく、西洋剣。

 

無手になったリチャード=ブレイブ。

 

詩歌は<幻想宝剣>が向かったと同時に、場に突き刺した<幻想法杖>を抜き取り、彼へとブーメランのように投げ放つ。

 

 

「ぐ、魔力が……!?」

 

 

身体に巻き付き、拘束、そして、その力は自身の魔力から取られ、ますます、絞め付けを強くする。

 

魔術師としての力の根源を取り押さえられ、身動きでさえも封じられ、最後に、

 

 

「ご安心を。剣といっても刃はありませんので」

 

 

 

カァン! と『勝利の剣』の見事な面打ちで、リチャード=ブレイブは呆気なく気絶、御用となった。

 

 

 

つづく


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