とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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正教闘争編 聖者の数字

正教闘争編 聖者の数字

 

 

 

フランス アビニョン

 

 

 

アスファルトのコンクリートも砕け、爆撃直後の惨状の中で、建宮斎字が率いる天草式十字凄教49名、と“ローマ正教十三騎士団精鋭20名”が共々、瓦礫の中に埋もれていた。

 

量産品とは、同一規格に大量に造られた物。

 

白騎士が率いる部隊とは、その<量産陽剣>を全員が所持している。

 

していた。

 

ふと打ち合っていた時、上空を見上げて、次合わせた時にはその目の色が変わった。

 

 

 

『神意、正義を導けり。主に一命、捧げし一刀。すなわち我ならば、神意、我が行く手にあり。―――して、神敵を滅するために我らどんな犠牲をも捧げん』

 

 

 

『他を斬ってでも万難を排し救われる資格のある者だけを救ってきた』その剣は、異教だけでなく、味方の犠牲をも厭わない。

 

<量産陽剣>の特徴は、そこに生命力を籠める事ができ、刃に変換された熱量を最大太陽と同程度の温度まで上げ―――爆発的に開放する事ができる。

 

いくら精鋭と呼ばれたも常人では、その真価を十全に発揮するべくもなく二割が精々で、それ以上は持ち手である柄までも高温になり、あまりの熱さに満足に剣を握れなくなる。

 

本来の持ち手である『ガウェイン』以外には、宝の持ち腐れ、というべきなのだろう。

 

だが、逆に、大剣の生命力の補給のオプションには充分である。

 

量産品とは、いくらでも“使い捨てが利く”。

 

剣は量産品。

 

兵もまた量産品。

 

騎士とは、その心を一振りの剣とすべし。

 

鋭利に研ぎ上げ、曇り一つなく磨き抜かれた剣。

 

いかな迷いにも曇ることは許されない。

 

<聖騎士王>の失敗を踏まえて『純粋なまでの騎士の心』を入れられ、そうあるべきだと造られた、ローマ十三騎士団結成当時から戦ってきた騎士団最古の騎士。

 

死んだ兵など決して見慣れぬ光景ではない。

 

昔は戦場に立てば嫌でも骸が目に入り、数え切れぬ戦いを生き抜いた<人造聖人(ホムンクルス)>にとって、むしろ日常の光景だ。

 

騎士とは、気高く、雄々しく、鮮烈に真っ先に犠牲になる者。

 

だから、兵一人の自爆で、敵を倍以上葬ることができるのならば、果たさなくてはならぬ。

 

それは、一度剣を持った者の義務だ。

 

例え弱者だろうが、戦場は強弱関係なく誰であろうと平等に死を覚悟しなくてはならない。

 

兵とは戦うからこそ救われる資格があり、逃げる者は断罪されなくてはならぬ。

 

それがどんなに侵攻が揺らごうとも『神は絶対』を守り通してきたその鎧と同じ純潔なる白騎士の生き様。

 

 

 

『神威』

 

 

 

騎士と対峙していた天草式はその予期し得なかった爆発に巻き込まれ、またその大剣を手にしていた騎士もまた防御術式ごと鎧は弾け飛び、その両手は五指が揃っている事が奇蹟で得物に触れられぬほど重度の火傷を負っている。

 

そして、その敵味方関係なく巻き込んだ惨劇に、一度陣形を崩してしまった建宮達にも神威の爆撃が襲い掛かり、戦闘不能。

 

結果から見れば、20の兵士で、倍以上のおよそ50もの敵を撃退した。

 

 

『………さて、これで十分でしょう。後で回収部隊を向かわせるとして―――早くテッラ様が警護している地脈へ向かわなくては』

 

 

そうして、白騎士『ガウェイン』ジェラーリは去った。

 

 

 

 

 

 

 

(くそ……が……)

 

 

瓦礫の山の中で天草式教皇代理建宮斎字は呻きながらも、毒づく。

 

意識が少しだけ断絶したが、生きている。

 

今回、天草式は万全の準備を整えていた。

 

特に過去の失敗を繰り返さない為にも犠牲を出さないことを前提にしていて、防御術式には力を入れていた。

 

古今東西あらゆる文明において衣服が生み出されたその意味を抽出した隠れた術式。

 

『装着者の身を守る』衣服にダメージを肩代わりさせる、あくまで補助的でどんな攻撃でも丸腰で防げるものではないが、爆発のダメージを緩和する事を成功した。

 

そのおかげで一命を取り留め、死んだふりをして息を潜めていた。

 

でも、かなりの重体なのは事実。

 

だから、相手の目も誤魔化せたのだが。

 

 

(う……)

 

 

痛みに、意識が滲む。

 

頭の芯がそれを知覚した途端、全身から津波のように激痛が押寄せる。

 

痛覚が戻り、ようやく五感の調子も出てきたかもしれない。

 

 

(地、脈……? …テッ、ラ? まさか、上条当麻と五和が、やった、のか……)

 

 

地脈の異変。

 

きっとあの2人が『左方のテッラ』を倒し、地脈をズラしたのだ。

 

だが、危ない。

 

あの白騎士は強過ぎる。

 

身体も、精神も……信念も。

 

そう、自分達がどんなに万全な準備を整えても、傷一つ付けられなかった。

 

まだ、本気の半分すらも出していなかったのに……

 

絶対に見返してやると息巻いておきながら、勢いは最初だけで実際には、文字通り『蹴散らされた』。

 

結果から見れば、自分達は、あの白騎士に、その肉体……信念にも、一太刀を浴びせる事も叶わなかった。

 

天草式は、何もかもに負けていた。

 

 

(……、くそっ、たれ……が)

 

 

奥歯を噛む。

 

どれだけ打ちひしがれようが、敵は待たない。

 

このままでは、仲間が危ない。

 

そうだ。

 

何があっても立ち上がるべきだ。

 

圧倒的な力に打ち砕かれた身体は言う事を聞いてくれなかった。

 

しかし、その心はまだ折れず。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

<神の右席>に、人間が扱える魔術は使えない。

 

だが、例外もある。

 

かつて、イタリアでビショップ=ビアージオが指揮した<アドリア海の女王>という<聖霊十式>をその身に司る『風』の力で実用レベルに再調整した『前方のヴェント』は、その行使を司教のビアージオ=ブゾーニに任せていたが、実は、<女王艦隊>の一部分だけならば、操船できるだけの親和性があった。

 

そして、<C文書>の使用の為にバチカンからフランスの『教皇庁宮殿』への一度断絶したはずの“地脈(パイプライン)”を自身が司る『地』の力で再接続した『左方のテッラ』は、その行使を普通の魔術師に任せているが、ヴェントと同じようにローマ正教徒全員の操作は不可能でも、たった1人の敬遠たる信者なら、『その者の中の優先順位を操作できる』だけの親和性があった。

 

『神は絶対』と同じく『テッラの意思は絶対である』。

 

故に、『左方のテッラ』は、ただでさえ独断での使用はされぬよう同じ十字教と言えど、多くの派閥から目を光らされている<C文書>を、全幅の信頼を以て、この『神意は絶対』として造られた<人造聖人>が率いるローマ十三騎士団を警備に回す事ができた。

 

そして、『人間』ではないものを『使い魔』にする事にテッラは何の躊躇いなど持たない。

 

 

「流石、『ガウェイン』ですねー。こちらの危機に馳せ参じてくれて助かりましたよー」

 

 

「勿体無きお言葉を。私はローマ正教に仕えし騎士です。主の剣となっていき、主の道と共に滅びる。そこに一切の懐疑も、不満もありませぬ。我が神意はテッラ様のもの」

 

 

「しかし、これでは死体を確認できませんねー。まあ、<量産陽剣>の爆撃を受けて無事ではないのは確かですし、それよりも<幻想投影>の方が心配ですねー。今回の戦闘で、私の優先術式<光の処刑>の実戦データーを色々と取得できましたし、今は<C文書>なんかよりも<幻想投影>です。どうやら派手にやっているようですし、今すぐ、アックアに加勢しに行きましょう。殺しても構いませんが、壊されてはたまらないので」

 

 

「了解いたしました」

 

 

 

 

 

 

 

その声で五和は目覚めた。

 

頭を打ったせいか、直前の記憶が飛び、現状を上手く把握できない。

 

ここは確か博物館だったが、もう瓦礫の山しか存在しない平野。

 

気が付けば自分はその山の中の一つに埋まっていた。

 

自分の持っていた槍は近くに転がっている。

 

ダメージが残っているのか、全身が気だるく動かしづらい。

 

のろのろとした動きで槍を取ろうと―――そこで、ようやく思い出した。

 

 

「ッ!?」

 

 

慌てて手をついて起き上がる。

 

そして、見つけた。

 

 

 

仰向けに倒れている上条当麻を。

 

 

 

「ぅ……ぁ……」

 

 

意識は、辛うじてだが、ある。

 

肌には赤みがあるが、火照っているのではなく、痕は残らないが軽度の火傷。

 

あの爆発する直前に、真っ先に<量産陽剣>に飛び込み、五和の盾になったのに。

 

この製作者が<着用電算>に最も重点しているのは、運動補助機能ではなく、装着者の生命防御機能。

 

その防弾・防刃・耐熱等高性能な生地の他に、爆破の瞬間に、熱源を探知し、神経回路を通りジャケットの袖から、元はモーターのオーバーヒートを抑えるための冷却ガスが高熱を冷ます為に噴射され、爆風から人工筋肉の緊急膨張の衝撃緩和システムが発動したのだ。

 

脳波レベルに応じて作動する自動蘇生AEDが起動し、その身体を守り、意識を繋ぎ止めた。

 

最新の科学技術の電算機能の判断能力は伊達ではない。

 

しかし、五和は安堵すると同時に、どうしようもない無力さを噛み締める。

 

 

「……、」

 

 

テッラとの戦いでは、サポートするのがやっとで、ほとんど素人の少年が倒したようなものだ。

 

死なせたくない、と思ってたのに最後に守ろうとしてくれたのは少年の方で。

 

自分は本当に無力だった。

 

自分の方が盾になるべきはずだったのに。

 

何の役にも立たなかった。

 

 

「……し、い…か……」

 

 

寝言のように、その言葉が漏れる。

 

そう、彼はこんな状態でも、立ち上がろうというのだ。

 

敵が去り、安堵してしまっている自分とは違って。

 

五和の頭に、カッと熱が籠った。

 

 

(このまま……寝ている訳にはいかない)

 

 

自分を守ってくれた恩人の、大切な人に危機が迫っていて、動かない。

 

もしそうだとすれば、彼は正真正銘の犬死だ。

 

馬鹿が馬鹿を助けて馬鹿をやったという結果に終わってしまう。

 

今のこの一秒一秒を無駄にするたびに、ただでさえ低い幸福の確率をより一層引き下げてしまう。

 

そんなの許せるはずがない。

 

まだ可能性は残っているのに、例えどれだけ少なくても確実に残っている筈なのに、それをつまらない後悔や罪悪感で全て捨てて良いものなのか。

 

まだ彼は諦めていないのに、自分は諦めても良いものなのか。

 

笑顔を守りたければ立ち上がるしかない。

 

自分の都合で他人の人生を投げ捨てる訳にはいかない。

 

 

「私が、やります……ッ!」

 

 

槍を杖にして立ち上がる五和の手がギリギリと音を立てた。

 

本当に、自分の手を壊してしまいかねないほどの力だった。

 

生き恥を知りながら蹲るのではなく、生きて汚名を雪がんと立ち上がる。

 

天草式十字凄教が、救われぬ者が目の前にいて、手を差し伸べない訳にはいかない。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

身体が、痺れる。

 

完全に回復するには数十分は必要だ。

 

もし最後まで喰らっていたら、指の先までまる一日は動かせなかっただろうが、“余計な邪魔”が入らなければ<神の力>を失うまではいかなかった。

 

それが高水準であればある程、魔術の儀式の中断とはリスクを背負うものだ。

 

いや。

 

直前に、内側から暴走していた<聖母崇拝>の術式を使って蓄えていた『(ちから)』を彼女の拳に絡め取られていなかったら……命すらも危うかった。

 

この<二重聖人>は<聖人>以上に、『神殺し』の効果に弱く、繊細。

 

人工的な手段で補強できるようなものではない。

 

神業のようなバランスが少しでも崩れれば、その瞬間に全てが爆発するかもしれない。

 

なのに、あそこまでの攻撃を受けられたのは、

 

 

(本来ならば『神殺し』であるのに、あれは刃も切先もない杖。『神武不殺』……そう言いたい訳であるか)

 

 

まるで『全て遠き理想郷(アヴァロン)』のような青い理想だ。

 

敵を殺さずに倒そうとするなど、殺すよりも困難であるというのに。

 

 

(だが、それをやった。その青き理想を言葉ではなく、その拳で示した。この<神の右席>であり<聖人>の『後方のアックア』を殺さずに仕留めた。敵ながら見事である。これほど血沸き肉躍り心を震わせた戦いは何年振りか……)

 

 

もう一度、感嘆する。

 

上条詩歌、その名は我が胸に刻むに値する。

 

弱者に文字通り足を引っ張られた予期せぬ隙に、やられてしまったわけだが、戦いには流れ弾がつきものだ。

 

無論、相手にも。

 

 

「おやおやー? 飛ばし過ぎたようですかー? 威力が高過ぎるのも考えものですねー」

 

 

彼女はここにはいない。

 

その身が自分よりも遙かに小柄な少女は、あの爆風に吹き飛ばされたのだろう。

 

おそらく、その角度的にこのすぐ近くにある『教皇庁宮殿』まで。

 

その消えた姿を求めて、散歩の帰りのような足取りで『左方のテッラ』が『後方のアックア』の前に現れた。

 

 

「にしても、あなたともあろう男が、地べたを這いつくばるとは……なるほど、それほどまでの相手なのでしょう。これは不意を打って正解ですねー。ねぇ、アックア?」

 

 

テッラの声に、アックアは答えない。

 

そんな様子の同じ組織の同胞をテッラはせせら笑う。

 

事はこちらの望み通りに進んでいる。

 

天草式十字凄教は、ローマ十三騎士団に討たれ、

 

<光の処刑>の実戦データも得られたし、<幻想殺し>も始末した。

 

そして、不幸に不幸を重ねさせて<幻想投影>も<五行拳>の緊急終了のせいで、このアックアと同様に今は動けないはずだ。

 

<神の右席>で<聖人>にあそこまで渡り合えた実力に、同時に複数の攻撃ができるとは一種類しか『優先』できない<光の処刑>はあまりにも相性が悪いが、こちらにも、その<二重聖人>とかつて日が暮れるまで互角に打ち合った、手足のように従順なる<人造聖人>がいる。

 

天運は我に味方している……そうテッラは確信している。

 

しかし、

 

 

「やめて、おけ」

 

 

「何か不服でも? まさかあの少女に情でも移ったんですか? 我々<神の右席>は<天使>がさらに上に進化した者だけが認められる神の『右席』に座り、世界全人類の平和の為に動いているんです。あの少女はその『神上』に至れるための『素材』なのです。大体あなたもあの兄妹は脅威だと言ってたじゃないですか? それに異教徒ですから人間じゃありません。教皇がなにやら言っていますが、魔女でもなんでも名目さえあれば、例え『  』であってもどんなことをしようと許される。ええ、我ら聖職者に命を明け渡して、その魂に付着した罪を洗い流してあげるのです」

 

 

鮮魚をおろせば手に血がつくのは当たり前で、それは罪ではないとばかりにテッラは語る。

 

<神の右席>とは、代々のローマ教皇の相談役だ。

 

一神教の十字教の教え通りであるならば、全ての奇跡を集中的に管理している神は一柱しかおらず、絶対的な神に抗える者などいないのだから、世界の全ては幸福に満たされ、そこに不幸など存在しない筈であった。

 

けれど、現実はそうはいかない。

 

歴史を省みれば、十字軍遠征の失敗、ペストの流行、オスマントルコ勢力の拡大……と個人の幸不幸どころか、ヨーロッパ全体が死滅しかねない転換期が幾度もあった。

 

これは、教皇の1人には手に余る。

 

かと言って、『神は絶対』を掲げる十字教の象徴たる教皇が、何者かに相談するという事自体が、ある種の不祥事である。

 

そこで生み出されたのが<神の右席>。

 

教皇以上の力と知恵を持ち、十字教社会のピラミッド構造の右に寄り添う、枢機卿、執政、軍師――そういったものとは全く趣の異なるピラミッドの『中』ではなく『外』から、声なき助言を与える者。

 

<天使>の中でも特に重要な『四大天使』に対応するメンバーは、必要に応じて『中身』だけを次々と入れ替えて存続し、神か、それ以上の存在、『右席』を目指している。

 

今では時の教皇たちが頼りすぎてしまい、<神の右席>が<神の右席>としての機能を維持していくために必須な『監視者』がいないせいで、その『影の相談役』はいつのまにローマ正教の中心に据えられてしまっている。

 

そのせいで、行き過ぎた者を誰にも止めることはできない。

 

 

「全く、私の部下にしても、<光の処刑>の照準調整用の『的』をきちんと選別できていないんですよねー。例え『死刑にできなかった凶悪犯罪者』であろうとローマ正教徒であるならば、救うべき対象なんですから、それはいけません。おかげで私自ら『的』として消費できるローマ正教徒以外の者を捜さなくてはいけませんでしたよー。まあ、“バチカンよりもアビニョンはローマ正教ではない子供達や観光客が大勢いましたので助かりました”が」

 

 

世界全人類を平等に救うためにも、人々を信仰によって『神聖の国』へ導いた後に人がそこで『永遠なる救い』を台無しにするような派閥問題を継続しないか知りたくて動いているテッラだが、異教徒は人間ではない。

 

世界全体を救うという彼の『平等』はあくまでローマ正教徒のみ適用されるものであり、そもそも『人間』として扱う区分がとても狭い。

 

『人間』としての条件に当てはまらないものは家畜として扱っても構わないという考えが、この聖職者の根底に染みついている。

 

しかし、誰も間違いだとは指摘できず、またテッラも自身をローマ正教の教えを守り続ける敬虔たる子羊であると考えている。

 

故に、異教徒をどうしようがそれは罪ではなく、『最後の審判』で神に選ばれて『神聖の国』に行くのは当たり前であり、そのおかげで、自分は神から、この『神上』になれる絶好の機会を恵まれたのだと信じている。

 

 

「ええ、天草式も、<幻想殺し>も始末した。神に祝福され、誰よりも『優先』される私の邪魔はできない。そう、<幻想投影>を手に入れて私は今日こそ『神上』へと至るのです!」

 

 

これが己の運命であると、テッラは愉しげに笑いを噛み締める。

 

その様子に水を差すように、

 

 

「―――たわけ。今、その言葉を口にするとは、まだ気付かぬのであるか、テッラ」

 

 

「なに?」

 

 

目を細めて苦悩の表情の青色の<聖人>に、緑色の聖職者は言い淀む―――瞬間、

 

 

 

ゾン!! と。

 

不意に、辺り一面に、得体の知れない殺気が充満した。

 

 

 

 

 

教皇庁宮殿

 

 

 

砲弾のような速度で飛ばされ、建物の豪奢なステンドガラスへと思い切り割り、破片を盛大に撒き散らし―――何かクッションのようなモノにぶつかった。

 

そのおかげで少し引っ掻き傷のような掠り傷を負ったが、時間が経てば自然治癒で痕さえ残らずに治る程度のもので問題はない。

 

下敷きになってしまった男達の方も意識を失っている程度で問題はない。

 

転落系のヒロインをやるなら愚兄が良かったと注文をつけたくなる気も少しだけするけど、巻き添えを食らった男達には感謝感謝である。

 

それよりも問題なのは……

 

 

(何度も不意打ちで痛い目に遭ってきましたからね。意識のほんの一欠片でも外に警戒に向けていて助かりました。けど……)

 

 

間一髪、と言うところか。

 

あの一瞬、数秒先の未来を見て、儀式中断で暴走した<神の力>の『水』を<五行拳>の効果が続いている間に抑えようとしたら、抜き取ってしまったのは予期せぬ事態だったが、幸い『木』の属性の<聖母花衣>と<幻想宿木>に、『五行思想』の理の通りに植物が果実に水を蓄えるように爆発的に何倍にも高まった<神の力>を貯蓄(プール)することができた。

 

しかし、紙も、木も、花も、『火』には弱い。

 

本来の<原典>には自律防御が備わっているのだろうが、<聖母花衣>は、あくまで仙人が霞みを食べて生きるように自然の力を取りこんで生命力が不足しないための回復用であり、防御用ではない。

 

ソーラー充電可能な予備バッテリーのようなものだ。

 

後、<幻想宿木>は上条詩歌の生命力から造れられた故に、生命力と繋がっている手足も同然、<玉虫>と同じように接続回路の役割も果たせる。

 

で。

 

あの横槍のせいで、<聖母花衣>は燃え尽きてしまい、結果、<幻想宿木>に<神の力>のエネルギーを移さなくてはならず、自然と繋がっている<聖母花衣>を用いて、<神の力>を少しずつ外への発散する方法はできなくなった。

 

この暴走した力を迂闊に解放すれば、危険。

 

今では<幻想投影>でどうにか抑えるのが精一杯で適当に空へ向けて放出しようにも、思い通りに行かずにコントロールミスしたら大惨事になる。

 

ついでに、貯蓄用にスペースを大きく必要であり、右手に巻きついていた<幻想宿木>が右腕全てを包むように生長したせいで片腕を満足に動かせそうになく、戦える状態ではない。

 

確かに莫大な力だが、重過ぎるし、威力が高過ぎるし、加減ができそうにないのを、上条詩歌は無闇に使うつもりはない。

 

早く制御できるように、小さな歯車を回すだけで巨大な歯車を動かせるような効率の良い回路を作らなければならないのだが、鎮めながらの並行作業になり、この暴れ馬を乗りこなすにはそれなりの時間がかかる。

 

愚兄ではないが、不幸だ、とぼやこうか―――とその前に、

 

 

「あ、すみません、いきなりお邪魔して―――っと、これ」

 

 

運悪く着地のクッションになってしまい、またその樹木が生い茂る巨大な右腕にぶち当たってしまった男達。

 

その気絶し、伸びたその手からは、丸められた古めかしい羊皮紙が転がる。

 

長さ15cm程度、直径は3cm程度の小さな紙切れで蝋で封をされている。

 

 

「まさか、これは天然礫のまぐれ当たり……?」

 

 

 

 

 

フランス アビニョン

 

 

 

背筋に冷たい悪寒が走る。

 

寒気というような軽々しいものではなく、まるで喉元に刃先を突き立てられたような不快感。

 

側に侍らせているジェラーリのでも、アックアからではない、距離も方角も分からない、ただ確かな敵意に、今一瞬の悪寒がテッラの思考を奪い去った。

 

例えるなら、草陰に忍ぶ獅子に睨まれて、竦む小鹿のよう。

 

そして、その獅子の爪は―――<光の処刑>を使わせる事も許さない神速の抜刀術という形をもって現れる。

 

 

「―――おおおァあああッ!!」

 

 

特定の宗派にも対応できるよう複数の教義――十字教、仏教、神道を組み合わせて、その<聖人>としての力を瞬間的に限界まで引き出し、その者の名の通りに、『神を裂く』――一神教の<天使>すらも切断を可能にした必殺の一振り。

 

十字術式にできないことは仏教術式で。

 

仏教術式にできないことは神道術式で。

 

神道術式にできないことは十字術式で

 

互いの弱点を適切な形で補い合う事で『完全』なる一撃を生み出す唯一無二の武術儀式。

 

 

 

―――それが、天草式十字凄教の奥義<唯閃>。

 

 

 

しかしそれは、テッラに届かない。

 

聞こえた音は甲高い金属音。

 

一瞬でテッラの盾に入ったジェラーリの持つ大剣が、その何人にも受け止める事のできないはずの斬撃を完璧に受け止めたのだ。

 

その力は拮抗するのは、交わった刃は接着されたように不動。

 

テッラはそれを見て、我が天運は万全であると悟り、余裕を取り戻し、豪胆にも『優先』をしないまま、襲撃者の姿を確認する。

 

 

「おやおやー? まさかあなたはイギリス清教の<聖人>さんじゃありません?」

 

 

長身に白い肌に、黒い長髪は後ろに束ねても腰まで届く。

 

服装は腰の所で絞ってあるTシャツの上に、肩から先の右腕部分を切り取ったデニム地のジャケットを羽織り、左太股の所から切断されたジーンズを下に穿いている個性的な格好。

 

しかし、それすら吹き飛ばすような全長2mもの日本刀<七天七刀>を手にしている。

 

 

「でも、いきなり仕掛けてくるとは。確か、あそこの<聖人>は戦闘を嫌う性根と聞いていたんですけどねー」

 

 

国家や組織に属する<聖人>は、核兵器と同等の扱いがされ、そうそう簡単にあちこちで活動することはできないのだが、彼女はそれらのリスクを受けてでも、このテッラを斬り伏せようとしたのだろう。

 

彼女は鍔迫り合い、その刀を向けながら、

 

 

「ええ、私もそう思っていたのですが、どうやら私は自分で考えていたよりも、ずっと幼稚な人間だったようです」

 

 

静かに、ぞっとするほど静かにそう呟くと、<必要悪の教会>に所属する一撃必殺を信条とする極東の<聖人>は腹腔に燻っていたものを解き放つ。

 

 

「仲間が、彼が蹴散らされ、彼女まで狙うとすると聞いたせいでしょうか。いけませんね」

 

 

じりっ、とその身体から迸る怒りに沸騰した雄叫びと剣気にジェラーリの体が圧される。

 

これは背負った<魔法名>に懸けて誓ったはずなのに。

 

『怒り』は7つの大罪の1つだと教えられてきたはずなのに。

 

 

「この一時、私は己を捨てましょう。今はただ……『左方のテッラ』、貴方を斬る為に刀を取る」

 

 

天草式十字凄教元女教皇、神裂火織は激しく猛り、燃え盛る双眸でテッラを据える。

 

その熱で刀身が赤熱するにも拘らず、いつもは鎮めている筈の憤激の気迫と共に神裂は強引に押し切ろうとする。

 

 

「いいでしょう」

 

 

<聖人>の威圧に打たれた聖職者の面相を染めるのは、畏怖でも動揺でもなく、変わらぬ余裕の表情だった。

 

彼もまた、その徐々に押し切られ、傾き始めている鍔迫り合いで殺意の程を見て取っているはずなのに。

 

 

「何と気高く雄々しい。だが、如何に『神の子』の特徴を持つ<聖人>といえど、<神の右席>に刃を向けるのなら、存分に玉砕してもらいましょう。こちらとしても、<聖人>を超える<聖人>の戦力データーを直に見ておきたいんでね」

 

 

テッラは距離を取り、『太陽』より『人体』を優先させてから、

 

 

 

 

 

「神意の下に、『左方のテッラ』が“<聖者の数字>の解放”を許す―――!」

 

 

 

 

 

瞬間、いくつもの死線や修羅場を潜り抜けてきた神裂は今までの怒気を吹き消すような魔力に、反射的に大きく離れた。

 

 

「御意。『我が神意はテッラ様』のもの。憚る敵は何人たりとも打ち滅ぼさん」

 

 

どんな不条理であろうと『最優先』されるよう絶対のルールで縛られた忠義の心。

 

世界に20人といない<聖人>を圧す、その熱気。

 

太陽の如き魔力が、地上に顕現したのは次の刹那だった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

地上に、2つ目の太陽が産まれたかとも思えた。

 

 

 

常人には視えぬ―――視えぬのに、それでも注目してしまうほどの、膨大な魔力。

 

彼らには、こう視えた。

 

火球。

 

その生命の根源より発する業炎の塊。

 

洋の東西を問わず、多くの親和で太陽は主神に例えられるが、まさしく神話の核に相応しい現代における、神話の再現。

 

ただ只管に、全てを屈服させずにおかぬ魔術の熱量。

 

そして、太陽の連星のように<量産陽剣>が虚空より降る。

 

一つ瞬きする合間にさらに降る。

 

稲妻のような速度で、5本、6本、7本、と残骸となり果てた街の建造物に触れる。

 

音もなく、それは溶けた。

 

ガラスも金属も石材も関係なく、何もかもが溶けて、熔けて、融け落ちる。

 

鉄の柱がぐにゃりと曲がり、コンクリートが残らず液体と化した。

 

そのまま進路を邪魔される事もなく予定通りの場所に大剣は地表に半分まで埋まった所で、熱を抑え、その剣と剣の間に線を繋ぎ、並の<聖人>の二倍にも匹敵する魔力を御する魔術結界の儀式場を形成。

 

ようやく、そこで真紅の火球は人の形を取り戻し、周囲の熱気を少しずつ鎮まっていく。

 

 

「……」

 

 

だが、50人近い天草式十字凄教の面々は、近づけなかった。

 

回復魔術でどうにか動かせるような重体の身など気に留めず、全速でここへ辿り着いたというのに、これから始まるであろう常識外の怪物同士の戦いの前兆に、呆然と足が止まってしまう。

 

それほどまでにこの灼熱地獄の如き熱気は凄まじく、また優先術式で身を守るテッラとは違い、その場に素で立てる神裂火織も。

 

かつて自分達を率いてくれた、そして今も陰ながら温かい眼差しを注いでくれる最高の指導者。

 

天草式の元女教皇様は、今、戦おうとしている。

 

おそらくターゲットとして指定されてしまったあの兄妹のために、そして、自分達現天草式の仲間達のために。

 

だけど、

 

 

「……、」

 

 

足は、動かない。

 

合流し、命を賭して恩人の大切な家族を救おうと息巻き、決死の覚悟で戦いに来た五和の、海軍用船上槍を握る手から、段々と力が抜けてくる。

 

あの常識外の怪物に対抗するために、あの兄妹を助けるために、ありったけの技術を注ぎ込んで補強した一本の槍が揺らいで見える。

 

譬えるなら、どうしようもなく巨大な鉄の塊に向かって細い槍を振るっても無意味なようなそんな感覚。

 

五和だけではなく、他にも何人も、武器を落としている者もいれば、膝から力を失い、壁に手をつく者までもいる。

 

そして、その誰もが同じような表情に浮かべている。

 

あの場所に立てるのは、別格だ。

 

対して、自分達は巣穴に隠れて、猛獣をやり過ごそうとする赤ん坊の動物のように息を潜めるしかない。

 

動けない。

 

声をかける事もできない。

 

緊張しているからだけではなく、圧倒的な無力感に身体を支配されていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

太陽の熱をその一刀に封じ込めた<量産陽剣>。

 

真価を十全に発揮されたそれは、燃えもせず、爆炎も吐かない、ただ触れるものを全て跡形もなく、消し飛ばす豪火の剣。

 

火の神『火之迦具土神』の『火産霊(ほむらむすび)』を斬り捨てた<十拳剣>――別名『天之尾羽張』の伝承を基盤とした術式で、炎熱に対する加護を張って整えた<七天七刀>でも先のように擦り合わせるように鍔迫り合えば、断ってしまうだろう。

 

 

「っ……」

 

 

炎熱の灼熱が滲む風に熱せられてなお、神裂は目を離せない。

 

『左方のテッラ』を庇い立つ白騎士から、視線を切る事など出来る筈もなかった。

 

『太陽の騎士《ガウェイン》』。

 

騎士王の片腕であり、騎士王の影、あるいは騎士王の後継者とさえ謳われ、この世に生をうけた中でいとも気高きと称えられる忠義の騎士の名を継ぐ者。

 

白騎士の身体に充溢する魔力の高鳴り。

 

手にした大剣の輝きもまた曇りなき太陽のそれ。

 

まるで固く縛りつけていた枷が外れたように先程までとは比べ物にならない倍以上の力強きオーラ。

 

あれこそがローマ十三騎士団最古の副団長であり、真なる太陽の騎士。

 

日輪が空にある限り<二重聖人>とも互角、それは無敵の常識外の怪物。

 

<聖者の数字>。

 

<聖人>の血から造られ、その身に呪印を刻まれた<人造聖人>の特異体質にしてその本領とも言える力。

 

太陽の輝く特定の時間だけ、己の力を3倍まで引き上げるという脅威の能力。

 

しかし、その太陽の輝きを―――

 

 

「貴方は、自分が主の教えに反している事に気付いてすらいない外道に忠義を尽くすというのですか?」

 

 

「無論。我が神意はテッラ様のもの。テッラ様が望むのなら、私はいかなる醜行にも手を染めます。剣を預けるとはそういう事です。テッラ様に間違いはありません。間違いがあったとしたら、それはテッラ様ではなく、主の教えであると思います」

 

 

「はっはっはー、面白い冗談を言いますね。でも、残念ですが、いくら戯言を重ねても無駄ですよー。<C文書>の行使のためにこの『教皇庁宮殿』を<神の薬>でバチカンと再接続したのは、この私。人間には不可能ですが、そこにいる十字教のために造られた人形さんの人格なら、私の優先術式<光の処刑>の応用で、私の命が『最優先』されるように設定されています。学園都市で暴走した<聖騎士王>とは違います。例え部下を殺そうが、この私を守ってくれる私の為だけの騎士なんですよね」

 

 

「―――、」

 

 

合図はなかった。

 

何の前触れもなく、神裂が動いた。

 

彼女はプロの魔術師の目が見ても霞むほどの速度で術式を組み上げ、納めたままの刀を振るう。

 

 

ドバッ!! と言う切断音が響く。

 

 

神裂の周囲で何かがキラリと光ったと思った時には、刀の軌道を補うように様々な角度から発射された7つの斬撃がテッラの周囲を覆う。

 

鋼糸を使った<七閃>。

 

しかも空中を引き裂く鋼糸の奇跡は三次元的な魔法陣を描いており、爆炎を起こす。

 

炎の壁が、津波のように押し寄せ、呑み込まんと雪崩落ちてくる。

 

どんな攻撃を『優先』できようがこの超高速の同時攻撃には<光の処刑>のテッラの反応速度は間に合わない。

 

しかし、一瞬にして現れたそれは、一瞬にして消え去った。

 

神裂が動いた瞬間に、ジェラーリもまた同様に動いたのだ。

 

尋常ではない剣速で、まるで蜘蛛の巣を払うかのように特注の鋼糸を切り裂き、その剣圧が起こす余波が、爆熱の烈風を相殺した。

 

 

「ふっ―――」

 

 

東洋の<聖人>は、今度は直接、常軌を逸した速さで迫った。

 

人間の領域などはとうに超えている。

 

速く、正確。

 

神道で『火産神』さえも切り裂く術式<十拳剣>で強化された刀を一閃。

 

音は、生じない。

 

あまりにも速すぎて、音を置いていくほど音速を超えた縦一文字の唐竹割り。

 

もはや神域。

 

<量産陽剣>が太陽の力を宿していようが熱が伝わる前に、体重と勢いの乗った斬撃はその刀身を断ち切るだろう。

 

ジェラーリは神裂の最後の踏み込みを見取り、縦一線の<七天七刀>に対し、横に、その刃筋を逸らす。

 

返し、『ガウェイン』は一突き。

 

身を捻り、間一髪で回避しながら、神裂は後逸。

 

流れるような所作で構えを直し、静かに踏み込む。

 

 

「っ……!」

 

 

ばっ、と<聖人>の二の腕を掠り、焼き切られた。

 

神裂はその圧倒的な力と技量に戦慄を禁じえない。

 

火の神すら断つ<七天七刀>の刃筋を通した一撃を防がれた。

 

刃筋が断てば、一級品と言えど所詮は量産品の<量産陽剣>は<七天七刀>に容易く断たれてしまう。

 

だから、当然テッラを庇う位置から動けず、回避できないジェラーリは刃筋を逸らせながら、神経を使う防戦を強いられる。

 

 

ドバァ!! と爆発音が炸裂。

 

 

刃を交えたと認識する方が遅れるほどの速度。

 

秒間に何発という打ち合いに、隙間を縫うように7本の鋼糸が走り、少しでも隙が生じれば刀を納刀し、莫大な速度の抜刀術。

 

さらにワイヤーが描く三次元的な魔法陣と足運びが生み出す氷の攻撃術式による奇襲も繰り広げる。

 

しかし、その身に刻まれた<聖者の数字>の本領は身体性能の上昇もさることながら、『日輪の加護』という鉄壁の防御能力にこそある。

 

彼の身体を覆う熱はありとあらゆる外部からの衝撃を遮断し、触れる全てのものを弾き返す。

 

一度でも傷つければその効果は途切れるも、些細な小細工など掠り傷を負わせるにも値しないのだ。

 

故に本命の斬撃に意識の大半を向けられる。

 

縦横無尽に侍の刀と騎士の剣が走り、周囲の大地が網目のようにささくれ立つ。

 

肝心の相手を斬るに至らず、余波だけが周囲を傷つけていく。

 

全てを防ぎきり、氷の礫は鎧に触れた瞬間に解け、最後に突きを横に払い、更に引く。

 

合気の要領で神裂の体を自分の後ろへ。

 

無防備にさらした背中を斬りつける。

 

 

「ッ!」

 

 

<七天七刀>が受け止められない刀だとするなら、今の<量産陽剣>は守りさえも許されない。

 

かつて法王級の盾と鎧帷子を叩き切り、相手を一撃で絶命させた。

 

故に、その攻撃範囲外へ逃れるしかない。

 

しかし、引くに躱すにもジェラーリの剣撃は速過ぎる。

 

突進の勢いを利用して転ばされる所を、勢いのまま振り返りもせずに全速で駆け抜けた。

 

が、その背の皮一枚を焼き切る。

 

さらに、追う。

 

神裂、気付き、振り返ながら横に薙ぐが、それをジェラーリは姿勢を低く掻い潜り、更に低くから斬り上げる。

 

 

「っく!」

 

 

薙いだ勢いのまま、くる、と独楽回りして薄皮一枚で済ませ、さらに侍は回転―――

 

 

「はあっ!!」

 

 

バックスイングからの強烈な一撃―――だが、その前に<量産陽剣>が大地に振り下ろされた一辺を爆散し、土砂と共に吹っ飛ばされた。

 

 

「流石<聖人>。そうでないとむしろ困りますねー。仮にも『神の子』に類似した人間ですからこのくらいの駆け引きは当然ですよー」

 

 

すぐさま体勢を立て直す。

 

しかし、その時には騎士は元のテッラの元に戻っている。

 

一度は拮抗するかに思えたが、傷一つなく泰然と立つジェラーリに対し、端々に傷を負う神裂は、大きく上下する肩で息をしていた。

 

ついていくのがやっとだ。

 

<唯閃>発動時の神裂は生身の肉体で制御できる運動量を超えたパワーを強引に引き出している。

 

そんな全速疾走状態で、フルマラソンを駆け抜ける事などできるはずがなく、だからこそ神裂の<唯閃>は必然的に、一撃必殺に研ぎ澄まされている。

 

しかし、それでも上には上がいる。

 

<聖者の数字>は<聖人>に同等かそれ以上の力を以てして、神裂ですら瞬間的に踏み込む事がやっとの世界を、悠々と突き進む。

 

これが超人の壁を超えた、<大天使>ですら互角以上に渡り合える真の超越者の領域。

 

先の戦い。

 

建物どころか数km先まで地面を抉るようなメイスの一撃の<二重聖人>とそのアックアですら圧倒させた手札の数を誇る<幻想投影>と同じように。

 

 

(海で……詩歌に)

 

 

全てのパズルピースをはめて完成させたパズルのように<唯閃>の魔術構造に余裕はなく、例え一端でも『神の子』の力を人間が掌握できるはずもないので<聖人>に与えられた力を100%完全に引き出すことはできない。

 

しかし、ミーシャ=クロイツェフと対峙し、上条詩歌に『同調』してもらった時には200%以上の力を発揮できたのだ。

 

だが、それ以降、自分はまだ独力でその領域に辿り着いた事はない。

 

思わず、ままならなさに刃を噛み締める。

 

それがますます余裕を増長させる。

 

 

「にしても、やはり天草式の一員なんですねー。さっきの鋼糸といい基本的にやっていることは同じ。ですが、扱うものが<聖人>になるとここまで変わるんですかー?」

 

 

既に傍観者として徹する事にしたテッラから、この侍と騎士の超高速戦を挑発するような間延びした声で言葉を投げかけられる。

 

魔術とは才能無き者の反抗の歴史。

 

しかしそれを天が与えた<聖人>という圧倒的な才能が容易に圧し潰す。

 

単に戦闘の結果を見れば、その言い分は正しいものなのかもしれない。

 

神裂のいない天草式では、今の三分の一も実力を発揮できなかった『ガウェイン』に傷一つ負わせる事も出来なかったのだから。

 

 

「訂正していただきましょう」

 

 

手にした刀を鞘に収め、重心を低く落とし、抜刀の準備に入る神裂の柄を握る手に力が籠る。

 

確かに、神裂を除く天草式に<唯閃>は使えず、その技術は、才能と超絶的なまでの実践と実戦の繰り返しに、置き去りにしているかもしれない。

 

しかし、この剣術、鋼糸、術式の基礎、その組み立てから戦術に至るまでの土台はすべて天草式の先達から教わったもの。

 

神裂火織の一振りは、彼らが積み上げてきた歴史の結晶。

 

故に、

 

 

「私の学び舎は天草式であり、私の師は私の仲間達です。それを侮辱する発言を認めるつもりはありません」

 

 

「それでも選ばれる者と選ばれない者はいるんですよー。ええ、才能は何においても『優先』されるものですから」

 

 

しかし、それを人間に選ばれず、神に選ばれた<神の右席>という信徒の選挙で選ばれた教皇よりも格上の存在の上から押し潰す傲慢さ。

 

生まれた時から勝手についてきただけのオプションに、満足している輩。

 

思想など人の数だけあり、その内どれが頂点に立つというものはない。

 

しかし、<聖人>や<神の右席>としての莫大な力を認識しておきながら、それをただの一般人へ叩きつける『理由』なんてものがあるはずがない。

 

ただ『選ばれた人間』として当たり前のように君臨する者に、負けられない。

 

あの兄妹が見せた『理由』を。

 

命懸けで示してくれた『信念』を。

 

こんな才能『しかない』卑怯者に踏み躙らせはしない。

 

憤激から成る熱で炙り、気合と叱咤という槌を打ち付け、鋭い切先、正確な刃筋を取り戻した一本の刀と化す。

 

 

「はぁッ!!」

 

 

呼気の爆発。

 

たかが外れたように、神裂は疾風となる。

 

思い出すのはあの時、壁を超えた瞬間。

 

大地を打ち鳴らすような強烈な踏み足で、<七天七刀>の斬撃が迫る。

 

体勢、速さ、タイミング、全てにおいて万全だった。

 

 

「―――<唯閃>ッ!!」

 

 

一閃。

 

すっ、と音もない斬撃。

 

書の達人が真一文字を引くような壮麗さで、神裂火織は<七天七刀>を振り抜いた。

 

何の派手さもない。

 

音という余分なエネルギーすら発しない。

 

全てが斬撃に収斂された一閃。

 

一瞬だけ200%を超えた<七天七刀>の一振り。

 

逸らすこと叶わず<量産陽剣>は断たれ、肌にこそ届かなかったが、その白い鎧の胸当てに初めて一筋の裂け目を付けた。

 

よし。

 

無防備なうちにもう一閃―――だが、そこまでが今の神裂個人の限界であった。

 

 

「―――油断しました、今までのより素晴らしい必殺の斬撃です。しかし、私もまだまだ若者に負けはしない」

 

 

刀身が虚空に阻まれた瞬間の神裂の驚愕はひとしおであった。

 

 

「初撃は良かったのですが、二振り目の力配分がなっていない」

 

 

なんと素手になったジェラーリは、両の拳を打ち合わせて<七天七刀>の刃を挟み取って止めていたのだ。

 

その絶技の衝撃は大きい。

 

必殺を期した神裂の追い討ちを、白騎士は白羽捕りで封殺してのけたのだ。

 

まるでもう神裂火織の<七天七刀>の<唯閃>をもう見切ったかのように。

 

その圧倒的なのは剣の技量だけではなかった。

 

 

「!!?」

 

 

唖然とする神裂火織を<七天七刀>掴み取ったまま持ち上げると、天高く放り投げる。

 

次元が違う。

 

如何に天草式十字凄教の歴史の結晶にその刀を磨かれた<聖人>といえど、その剣でローマ正教十三騎士団の歴史を支えてきた『聖者』との次元の差は埋められない。

 

 

「残念ですが、違いすぎたようです」

 

 

新たに換装された<量産陽剣>を宙に無防備な神裂へ投げ放つ。

 

神裂は回避しようとするが、先程の何かが足りないのに限界突破してしまった<唯閃>の反動とここまで蓄積した体の負荷により、ほんの数瞬発生するタイムラグ。

 

動きの止まった神裂に握り潰すかのような重圧が包む。

 

それは本物の武人だけが感知できる生と死のリズム。

 

戦闘という全体の流れが大きく揺らいだ時に垣間見る事の出来る物質界には存在しないシーソーの『傾き』のようなもの。

 

咄嗟にワイヤーを張り、弾こうとするが、その方向をズラそうとすることさえも、白光を放つ太陽の刃は簡単に防衛網を焼斬り、刀で振り払おうとした直前で―――

 

 

 

「戦士としての歴史がね」

 

 

 

―――爆発した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

上条当麻の瞼が動いた。

 

それは無意識に動かしているせいか、ほとんど痙攣でしかないほどほんのごくわずかだが、それでも、ゆっくりと、ゆっくりと、瞼は細く開く。

 

そして、ゆっくりと、ゆっくりと、視界を確保する。

 

 

(……俺、は……)

 

 

おそらく、まだ無傷な建物の中。

 

博物館ではない事は確かだ。

 

当麻にはそれしか分からない。

 

どちらにしても、見覚えがあっても、その視覚情報を脳が処理し切れず、目に映った風景の判断はできない。

 

けれど、そんな脳を叩き起こすような鮮烈な匂いと音がする。

 

 

(……ああ、まだ…終わってねーよな……)

 

 

頭、胸、腹、両腕、両足に、しっとりと肌を冷ますように服の上から、おしぼりが置かれている。

 

そこから、ただ安らかに眠らせておくことしかできない本人の申し訳なさが伝わってくる。

 

上条当麻の<幻想殺し>はどんなに想っていても、怪我を治そうとしても、強弱善悪関係無しに異能であるなら殺してしまうのに。

 

 

 

『おや。もしかして、知らない? あなたが“最も殺している”ものなのに?』

 

 

 

そう、なのかもしれない。

 

上条当麻は、上条詩歌を殺しているのかもしれない。

 

上条当麻がいなければ、上条詩歌はもっと賢い選択肢を取れたかもしれない。

 

上条当麻がいなければ、上条詩歌はもっと上手く事を解決できたかもしれない。

 

上条当麻がいなければ、上条詩歌はもっと遠い場所へ行けたかもしれない。

 

この右手の事だけではなく、その存在が上条詩歌の進化を妨げている。

 

 

『当麻さん。私、――――になります』

 

 

賢妹は言った。

 

先に行く、と。

 

誰よりも最先端を行き、世界の戦争を止めたい。

 

その手は離れて、その足は高みへ、その背は遠くへ。

 

鳳の雛は、臥する竜が守る巣から、飛び立つ時が来たのだ、と。

 

愚兄には―――

 

 

 

 

 

『でも、お兄ちゃんが魔法の手でいつも私を助けてくれたヒーローには変わりません』

 

―――――うん! おにいちゃんは魔法の手を持つしいかのヒーローだよ! ―――――

 

 

 

 

 

そう、だった。

 

手が離れて進もうとも、外れぬように引っ張れる所まで。

 

足が高みへ登ろうとも、落さぬように支えられる所まで。

 

背が遠くへ行こうとも、守れるように前に出れる所まで。

 

頭が忘れていようと、その心は絶対に忘れず、どんなに離れて、高く、遠くへ行こうと、繋がっている。

 

だから、言える。

 

 

 

 

 

「俺の妹は幻想なんかじゃねぇ!」

 

 

 

 

 

吼えた。

 

こんな所でいつまでも寝ている自分自身を殴りつけて、目を覚まさせるように。

 

上条当麻は、愚兄で、最も大事なのは、<幻想投影>じゃなくて、賢妹自身。

 

その能力でも、才能でもなく、上条詩歌こそが上条当麻には大事なものなのだ。

 

もし、上条詩歌が不幸になるというのなら、例え、『  』を、この最も殺し、最も救ってきた右手で殺してでも止める。

 

あんな男の言葉程度で、鈍る決心ではない。

 

だから、自分もいつまでも臥した竜のままではいられない。

 

 

(……待ってろ)

 

 

だらり、と下がった己の右手に力が宿る。

 

同時に、頭の中に勢い良く血液が巡る。

 

五和。

 

天草式。

 

『後方のアックア』

 

『左方のテッラ』

 

ローマ正教十三騎士団。

 

そして、上条詩歌。

 

どうやら少し意識を失ったが、まだ戦いは続いている筈だ。

 

そうであって欲しい。

 

無論、上条詩歌は何でもできると信じているが、いくら彼女でも常識外の怪物を何人も鎮める事は1人は駄目だ。

 

1人では駄目だ。

 

何でもできるからって、“1人で何でもやらせていいはずがない”。

 

だから、行く。

 

愚兄がやるべき事をやりに行く。

 

神様の奇蹟だって打ち消せる、この最強を誓った右手を恐れず見て、その奥にいる『  』をこの想いの力で従えるように握り拳を作る。

 

幻想であるなら神様だって殺せるというのなら、<神の右席>だろうが、<人造聖人>だろうが倒せる。

 

当麻が立ち上がったその時、

 

 

 

『……忘れて、いるって、どういう事……?』

 

 

 

彼の咄嗟に通話を切らずにジャケットの内に入れた携帯電話が、胸に響いた。

 

 

 

つづく


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