とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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幻想編 悔恨

幻想編 悔恨

 

 

 

???

 

 

 

そこはどこまでも果てしなく続く透き通るくらい真っ白なキャンパスのような空間。

 

どこからか響く軋みは、まるでこの場所が鼓動を打っているようで。

 

明るく、温かく、敵意はない、だけど、どこまでも遠くて、違う。

 

捉えようによっては想像上にしかない完璧な美しさがあるといえるのかもしれないけれど、手足が震える。

 

自分を害するものなど何もないはずなのに、身体の内側が得体の知れない衝動に支配されつつある。

 

 

―――これは恐怖、なのか?

 

 

現在を見るのが怖い。

 

過去を見返すのが怖い。

 

未来を見通すのが怖い。

 

感じれば感じるほど、知れば知るほど、投影すれば投影するほど、恐ろしくなる。

 

この学園都市に蹲る悪性だけでも、今までの己の世界を塗り替えるほどおぞましい。

 

痛い。

 

苦しい。

 

不幸だ。

 

こんなモノを産出しているこの街は狂っている。

 

そして、これはここだけでなく、世界中に存在する。

 

 

―――でも、その恐ろしいモノを感じ取らないと。

 

 

―――でも、そのおぞましいモノを知り尽くさないと。

 

 

―――でも、その不幸の苦痛を投影しないと。

 

 

皆―――彼に、平穏な毎日を送れる楽園を作れない。

 

 

ああ、ごめんなさい。

 

きっとあなたは怒るでしょう。

 

けど、私は元々、あなたに殺されなければ、存在しなかった。

 

卵の中の雛は壊れないと生まれないもの。

 

無を殺して無上の幸せを与えてくれたあなたを、幸せにするには、これぐらいしか……

 

私はこれから、偽善で独善に世界を救います。

 

―――になります。

 

離れていく私を、憎んでください。

 

遠くへ行く私を、嫌ってください。

 

そして、消える私を、忘れてください。

 

でも―――それでも、あなたは変わらないで。

 

あの温かな手を、いつまでも消さないで。

 

それが私の、私が人間だったころの、守りたかった―――

 

 

 

 

 

 

 

そう、これは己の裡から発信されるものではなく、共感共鳴共有から生ずるもの。

 

心底から、理解できてしまう。

 

愚兄だから。

 

彼女の心象風景が生み出し、伝播してしまうほどの原初の恐怖であり、その活動の原動力なのだと。

 

あまりの恐怖に、手足が根本から寸断されたように、身体は動かない。

 

 

「来ちゃったんですね」

 

 

「ああ……」

 

 

声は届くが手は届かない5mほど先、無地な試験服に身を包んだその少女は、別次元の存在感のせいで、風景から浮かび上がっているようだった。

 

<天使>は、感情のないシステムで、もし感情が芽生えてしまうことなどあってはならない。

 

だから、純粋無垢な神様になったまま、恐怖などという人間の心を持ち、人語での会話が成立するこの矛盾には、無知であっても理性ではなく本能でおぞましささえ覚えて、一縷の希望が見えた。

 

科学に愛されし研究者の掲げる『SYSTEM』の世界の真理を知る絶対的な超越者―――『神ならぬ身で天上の意思に辿り着くもの(Level6)』、

 

魔術の叡智を理解し、世界の方程式を悟った至高の魔法使い―――『|極め過ぎて、神の領域にまで足を突っ込んでしまったもの《魔神》』、

 

そのどちらでもあってどちらでもない。

 

負の感情(ネガティブ)正の感情(ポジティブ)に、

 

怨念(カース)希望(ホープ)に、

 

不幸(アンラッキー)幸運(ラッキー)に、

 

竜を支配する『無知なる者(アンリ・マンユ)』と生まれたときから衝突し続ける大翼を持つ『賢明なる者(アフラ・マズラ)』。

 

億千万の死を知り、億千万の呪いを感じ、億千万の不幸を投影し、それでも全ての悲劇を笑えとばかりに、全てを善悪の彼岸に押し流す億千万の救いを与えるご都合主義な<偽善使い(フォックスワード)>……

 

偽善の願望機(デウス・エクス・マキナ)』―――そうだと呼べる存在が、今、目の前にいる。

 

 

「でも、残念。私、約束を破っちゃったんです。もし……告白したら、お兄ちゃんの元を離れるって」

 

 

「何だよ、そのふざけた話は……っ! 何でそんなことする必要があるんだよ!!」

 

 

妹はその緊張に気づかないふうを装うように困り顔で笑う。

 

母と結んだ約束は、誓いであり、呪い。

 

その一線から越えさせぬように引き止める鎖であり、兄妹として繋ぎ止めた楔。

 

 

「だって、言っちゃえば、お兄ちゃんは受けてしまいますから。どんなに不幸だとしても私を傷つけないように、って。精神が幼児化していたとはいえ、本心を口に出してしまったのは、不幸でした。言わなければ、こんな覚悟を決めるつもりはなかった」

 

 

それに対し、愚兄は何も言えない。

 

彼もまた同じだからだ。

 

少女が笑って隣にいてくれるのなら、それで良かった。

 

それが恋人という名目でも、兄妹という名目でも―――ずっとこいつの側にいたかった。

 

彼女が上条当麻を必要としている限り……だけど、それも終わりだ。

 

<禁書目録>の知識を知り、<魔神>に至る力を得た詩歌の前には、絶対能力(Level6)にて創生し、解明し、改変した<法の書>――稀代の魔術師により記された世界の終わりを左右する魔導書が開かれていた。

 

 

 

 

 

「私が、いなくても大丈夫なように。神様になって、誰も不幸にならない楽園を作る。過去、現在、未来、全ての『疫病神』の運命を変えて」

 

 

 

 

 

絶望を希望に変革する。

 

不幸を幸福に変革する。

 

10万3000冊の魔道書に押し潰された聖女の、そして、それに巻き込まれた人々の運命。

 

2万もの殺戮を課せられた悪魔、そして、地獄を生み出してしまった少女の運命。

 

20人しかいない、選ばれた、その幸福ゆえに仲間を犠牲にしてしまった聖人の運命。

 

2つの世界の軋轢で犠牲になった者達の運命。

 

……………

 

…………

 

………

 

……

 

そして、『疫病神』などと蔑まれた上条当麻の運命。

 

 

「ははっ、お兄ちゃんが関わるであろう不幸を検索したら、億千万規模の結果が出ましたよ。全く、事件体質というか、不幸体質というか、本当に巻き込まれやすいんだから。神様に恨みでも買ったんですか? おかげで、大変でしたよ。お兄ちゃんが一生涯平穏な日常を過ごせるようにするには、世界を救わなければならなかったんですから」

 

 

上条当麻は自身に原因がなくとも、周りに巻き込まれて不幸になってしまう。

 

だから、世界を変えるしかない。

 

救いようのない地獄に堕ち、闇に心を巣食われた者達を救い上げる―――上条当麻がその人生で関わるであろうものを先回りして、“なかった”ことにする。

 

結果的にそれが世界救済の話になってしまっただけの話。

 

 

 

「誰もが犠牲にならない楽園なんて、この世界には存在しません。現実的じゃない、幻想的。でも、私が神様になれば作れる」

 

 

 

当麻は無様に震えていた。

 

時間は戻せない。

 

あの時の告白を聞いてから、ずっと知らないフリをし続けたツケが回ってきたのだ。

 

幼児化して、素直になったと思っていた。

 

けど、彼女は一度も素直に『痛い』とか『辛い』とか『苦しい』とか……『不幸』などという言葉をぶつけてくる事はなかった。

 

それに甘えていた。

 

口にしなくても、その点滅する赤信号のサインは常に発信されてたというのに……

 

当麻は少しだけ、そんな自分の愚かさを噛み締めるために思い出してみる事にした。

 

 

 

 

 

とある学生寮

 

 

 

『まあ、君の側が最も良さそうだしね? 君がその気なら家族だし、ちょうど夏休みだしね、特別に面倒見ても良いと僕は思うよ?』

 

 

 

何人かの反対意見があったが、そこは本人から鶴の一声で渋々と引き下がった。

 

色々と問題があるかもしれないが、こういう時にこそ支えるのが家族だろう。

 

小学校の頃は互いの部屋を泊りがけで行き来したこともあるし、この部屋にはどういう訳か、箪笥の一段は妹のもので占めている(自由に使っても良いですよ、と言われた事もあるがもちろん開けてない。………本当ですよ!?)ので、複雑な手続きを済ませれば着の身着のままでもOKだ。

 

というわけで炊事場に立って夕飯の支度。

 

買い物に出るのが面倒なので、冷蔵庫にあるものですませてしまえということで肉野菜炒めに自家製漬物、味噌汁の三品をちゃちゃっと作る事に決定。

 

野菜を手早く水洗いし、たたたん、と包丁を入れていく。

 

すると、すでに『オプション』と言っていいほどにべったり当麻にくっついていた詩歌が、わあ、と声を上げる。

 

 

「お兄ちゃん、すごいすごい。お料理できたんですねっ」

 

 

「そうだぞー。でも包丁は危ないから、詩歌はもうちょっと離れていなさい」

 

 

自家製の漬物や味噌まで作れるほどのレベルではないが、家事スキルには自信がある。

 

ここにきて、来年度に妹が学園都市に来ると知らされてから、世話を焼けるように一時期必死に家庭科の勉強した当麻であるが、考える事は一緒だったのか。

 

実家で花嫁修業と母の詩菜に家事全般仕込まれた詩歌にはいらぬ心配だったようで、発揮できる機会が滅多になかっただけのこと。

 

 

「むー、いやです。詩歌はお兄ちゃんがお料理する所をもっと見たいです!」

 

 

ぶんぶんと首を振って駄々をこねる詩歌は、ただ純粋に当麻の事を兄と慕っていて、かわいい。

 

早く幼児化から戻ってきてほしいと思いつつも、思わず父性愛のようなものを感じてしまい、ふと昔を懐かしむ。

 

実家にいたころは甘えんぼのわがままだったなぁ。

 

こういうときって、確か……

 

中腰になり詩歌の目線に合わせた。

 

 

「そんじゃあ、高い高いしてやっから、そしたら、料理の間はあっちに行ってるんだぞ?」

 

 

「むぅ、詩歌さんはそんなに安い子供じゃないです。でも……お兄ちゃんがそう言うなら、高い高いで我慢してあげます」

 

 

少し素直じゃない所もかわいい。

 

このあたりの性格が成長すると――正確には学園都市に来た時にはすでに……一年ちょっと見なかった間に……一体、母さんはどんな教育をしたんだ? ――ああなると考えると、複雑なものを感じなくもないが。

 

ともあれ。

 

 

「そーれ、高い高ーい!」

 

 

詩歌の腰に手をあてて持ち上げると、詩歌はキャキャっとはしゃぐ。

 

昔は父、刀夜がやっているのを後ろで見てるしかできなかったが、今の当麻なら簡単だ。

 

 

「お兄ちゃん、もっともっと! もっとですー!」

 

 

「よーし、お兄ちゃん、頑張っちゃうぞー。そーれ!」

 

 

「わーい、ですー」

 

 

高い高いに笑い転げる詩歌。

 

うーん、可愛い。

 

俺の妹チョロ可愛い。

 

あのドSな策()歌の人格は、流石に学園都市前にまで遡る幼児期には完成されていない。

 

でも可愛いぞ、詩歌!

 

 

「そーれ。ぶーん、ぶーん。飛行機だぞー」

 

 

「わーい! わーい! きゃはははは~!」

 

 

「そーれ、そーれ―――ん?」

 

 

はしゃぐ詩歌に釣られて思わず満面笑顔になっている当麻に、ぼそっと後ろから一言。

 

 

「これって、兄馬鹿? ロリコン?」

 

 

「ほっとけ。可愛い妹はそれだけで正義だ」

 

 

「うわー、開き直ったんだよ。やっぱりとうまはシスコンかも」

 

 

と、インデックスと話していると、高い高いから降ろした詩歌がおずおずと、

 

 

「でも、お兄ちゃん。その、今日は詩歌のせいで大変だったんでしょ? 詩歌にも何かお手伝いをさせてください」

 

 

ぜひとも、といった真摯な瞳で見つめてくる。

 

正直なところ、日常茶飯事なトラブルにも鍛えられそれほど疲れてる訳でもないし、手伝ってもらうほどの事ではないのだが。

 

これは何か仕事を与えないと後で気にしそうだし……

 

 

「じゃあ、そうだな……味噌汁、作ってもらえっか?」

 

 

「はい!」

 

 

詩歌がパッと花咲くように笑い、ああ、手伝わせてあげてよかった………とこの時は心から思ったのだが、失念していた。

 

まだ彼女は赤ん坊のままなんだと。

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

思わず抱きしめてやりたくなるほどにしょんぼりと落ち込む詩歌。

 

味噌の分量を間違えて大変塩辛い味噌汁を口に含んだ瞬間、皆一斉にゲーホゲホゲホッとのた打ち回ったのである。

 

美味しい料理を作るには、幾度も積み重なった経験が大事だ。

 

今の上条詩歌は、記憶はあるのだろうが、経験値が0に初期化されてしまった。

 

例えるなら、テレビでプロの料理人が調理しているのを見ても、実際に赤ん坊がそれと同じように動けと言っても無理だと同じ事。

 

元の詩歌の腕前がかなり高度であればあるほどにギャップ差が大きくなる。

 

その頭に残る映像の通りに複雑な工程を再現しようとし、余計に知識と経験の糸がこんがらがってしまい、ダメになってしまう。

 

これが幼児化の弊害か……

 

 

「本当にごめんなさい。詩歌、皆のご飯、台無しにしちゃった……」

 

 

「ううぅ、まぁ、私も料理はちょっと苦手だけど、今のしいかは退行しちゃってるから仕方ないんだよ……ねぇ、とうま?」

 

 

インデックスがフォローしつつ同意を求められたので、うんうんと頷く。

 

 

「こっちこそごめんな。いつも詩歌にまかせっきりだったせいか、つい……」

 

 

深く反省。

 

旨い飯を用意できなかったのもそうだが、それよりも、あんなに一生懸命頑張っていた詩歌を悲しい目に遭わせてしまっている事に。

 

気まずい雰囲気の漂う食卓で反省しながら、考える。

 

反省しているだけでは何も変わらない。

 

楽しくなるはずだった食卓が気まずいままで終わってしまう。

 

だったら、そうならないようにするために自分は何をすべきか。

 

考えて、考えて、考えて―――そして、もう一度味噌汁のお椀を手に取る。

 

 

「とうま?」

 

 

「お、おにいちゃん……」

 

 

息をのむ中、味噌汁を再度口にする。

 

瞬間、とてつもない刺激が味覚を通して脳髄を駆け上り、また体中の毛細血管で、ドクドクと血が暴れまわる。

 

これを毎日飲んでたら確実に塩分過多で身体を壊すだろう―――が、不幸じゃない。

 

 

「こくこく……ずずっ……」

 

 

2人が、ごくりと唾を飲み込んで、こちらを注視する。

 

 

「あ、あの! そんなに無理しちゃ―――」

 

 

「ずずっ……こくっこくっ……ぷはぁ―――まあ、確かに塩辛いが、これ、結構いけるな。隠し味に何を入れてるかまではわかんねーけど、組み合わせは前と変わってねーようだし。たまには濃い味もいいな……お前らが飲まないなら、俺が全部もらう」

 

 

そう宣言すると、全員のお椀のお味噌汁と鍋に残っていたもの、全てを飲み干した。

 

 

「もー、とうまは……」

 

 

インデックスがやれやれと呆れて、食卓の空気が弛緩する。

 

その間、詩歌は、何故か頬を上気させてぽーっとした表情で当麻を見ていたが、飲み終わると同時にはっとしたようになり、当麻を言う。

 

 

「あ、あの、お兄ちゃん、詩歌に料理を教えて!」

 

 

「はっ!? でも俺、別に特別料理がうまいって訳じゃねーし……」

 

 

詩歌があまりにも真剣に言うので当麻は戸惑う。

 

けれども、詩歌は真剣な上に、頬をさらに赤くしながら、言い募る。

 

 

「そのっ、お兄ちゃんに、教えて欲しいんです! お願いです!」

 

 

「あー、うん。まぁ、分かった。俺に任せろ」

 

 

なので、ここまで頼まれれば頷くしかない。

 

元より、妹からの頼み事は断らないと決めている。

 

先程の料理をしていた時の詩歌の笑顔を思い出すと、むしろ、2人で料理するのは楽しいのではないかと思ったりする訳で……それに、リハビリにもなるだろう。

 

 

「ありがとうお兄ちゃん! じゃあ、明日からよろしくね!」

 

 

当麻の返事に、詩歌の顔にぱあっと笑顔が輝いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

上条詩歌の幼児化。

 

暴走した<幻想猛獣(AIMビースト)>、覚醒した<禁書目録(インデックス)>を止めるために投影し、脳を酷使したその絶大な精神的負荷が原因で、記憶はあるようなのだが、人格―――そして、それを構成する経験がごっそりと抜け落ちてしまった。

 

不幸中の幸い、身体の怪我は完治しており、自然回復するようだが、それまでには時間がかかるようで、それまでは本人が本心からゆっくりと休まる慣れた環境――つまりは、長年兄妹として連れ添った上条当麻の側にいるのがベスト。

 

そんな訳で異例な訳だが、爺孫な関係であるカエル顔の医者が学校に許可を取ったのか、非凡な連中が集まる厳粛な常盤台中学のお嬢様が、この平々凡々たる我が学生寮に最長夏休みが終わるまでだが住まう事になったのである(まあ、すでに銀髪シスターが同居してる異例中の異例な事態が起きてるのだが)、と。

 

 

「ふぅー、良い湯でした。インデックスちゃん、空きましたよ」

 

 

「うん、しいか」

 

 

インデックスと入れ替わるように詩歌が髪をタオルで揉んで水分を取りながら出てきた。

 

 

「俺がやろうか?」

 

 

「いいの?」

 

 

「まぁ、たまにはな」

 

 

タオルを受け取って、同じようにしていく。

 

 

「……てっきり怒ってると思ったんだけど」

 

 

何が? と問うまでもない。

 

きっと当麻の部屋に色々と理由をつけて、期間限定とはいえ移住してきた事だろう。

 

 

「こんぐらいで怒ってたら、詩歌の兄は務まらねーよ」

 

 

まあ、実際、叱ると言うより『どうしようか……』ってのが悩みどころだけど……

 

大体拭きとったら、ドライヤーを手に取る。

 

 

「ご迷惑をおかけしますです」

 

 

「気にすんな。たまにはこういうのもありだろ? こういう時ぐらいお兄ちゃんさせろ」

 

 

「なるほど。急に詩歌を可愛がりたくなったんですね」

 

 

「その通り」

 

 

「でも、やっぱり心配、ですよね」

 

 

一瞬で見破るか。

 

幼児化しようともそこは変わらないのか。

 

 

「お前の事はいつも心配してる、っつうと偉そうに聞こえるかも知んねーけど」

 

 

「そんな! 今はこうなってるけど、詩歌はいつもお兄ちゃんには感謝してるよ」

 

 

「……そう言ってもらえると、やっぱ嬉しいな。けど、詩歌にしてやりたい事って言うのを考えると、まだまだ足りてねーな……って思うんだよ」

 

 

上手くは言えないが、言葉に形にするとこうなる。

 

実際、兄として詩歌の役に立っているかというと、自己評価でもあんまり。

 

現に、この現状の原因も、自分が無理をさせてしまったからだろう。

 

 

「詩歌、お兄ちゃんとこうして一緒に過ごせるだけで、もう結構幸せです。だから、この生活を失うような劇的な未来以外ならへっちゃらです」

 

 

「つまり、ずっと一緒がいいってことか……」

 

 

「うん、そうだよ」

 

 

「世間一般の兄妹は、いずれ別々の生活を始めて行くもんだけどな」

 

 

「そうかもしれないけど、詩歌の気持ちはそこには当てはまらないよ。どんな関係でも、こうして離れても側にいるって言えたら十分です。はい、だから、お兄ちゃんが望む限りはずっと側にいたいと思ってます」

 

 

ずっと側にいたいと言うのはこちらも同じだ。

 

心配だから、というのが気持ちの基盤にあるだろうが、それだけではない。

 

その上に積み重ねられた想いがある。

 

……一人の男として、というべきなのか。

 

だが、詩歌の兄という立場を捨てたいなどという事は、これぽっちも思わない。

 

もしかしたら、と思う。

 

ひょっとしたら、と思う。

 

例えば十年先も、自分と彼女は、こうして並んでいるのかもしれない。

 

そんな事を、当麻は思う。

 

それは自分の願望。

 

勝手な妄想だろう。

 

だから、当麻は希望だけは口にするが、それを約束したりはしなかった。

 

でも、そうであるかもしれない可能性を、微かな幻想を、そのまま心の奥に仕舞う。

 

大切に大切に、仕舞っておく。

 

こういう気持ちの積み重ねが、きっと人の原動力になるのだ。

 

この世界を生き抜く、力になる。

 

だけど………だけど………

 

 

―――それをいつまでも隠し持ち続けるのが苦しくて……

 

 

「でもなー、そんなこと言いつつ、大人になったら、女の子はお嫁に行っちゃうんですよー、って、これじゃ父さんと同じ発言だな」

 

 

話を切り替える。

 

これ以上は駄目な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、お兄ちゃんはこの現況を生かして詩歌にパパと娘ごっこを所望している訳ですか……?」

 

 

「違いますよ! 詩歌さん! っつか、お願いしたら本当に娘役やってくれんのかよ!」

 

 

だけど、こっちに進んでも別の意味でダメだと分かった。

 

 

「う~ん……」

 

 

が、うっかりツッコミ癖で一歩踏み込んでしまった。

 

自分の条件反射が憎い!

 

というか、これをやってもらったと自分たち兄妹の父刀夜に聞かれたら、『どうして本物のパパにはやってくれないんだー!』と血涙流しながら恨まれそうな気がする。

 

 

「ぱぱぁ、しいか、はんばぁぐ食べたい―――なう」

 

 

「おい、何かツイッターっぽくなってんぞ!?」

 

 

「小萌先生を理想として娘っぽく舌足らずにしようとしたんだけど、失敗です。思わず呟いちゃいました。この難問をクリアするには、さらに変身するしかありません。詩歌はあと二回変身を残しているのですよ」

 

 

「あのなぁ、お兄ちゃん的には幼児化してほしい訳じゃないからな。あと変身するのも却下だ」

 

 

それから小萌先生は一応きちんと成年している大人なんだぞ。

 

 

「………」

 

 

「まさか、当麻さんがそんなことを望むと本気で思ってんのか」

 

 

 

「……本当に戻ってほしいの?」

 

 

 

―――そこで意味深に。

 

けど、その時の当麻は深くは考えなかった。

 

愚かにも。

 

背後からなので顔色は窺えないが声は真面目で、つまり、それは………

 

 

「そこで確認取るっつうことは本気だったのかよ!?」

 

 

「ふふふ~、そいつぁうっかりでした」

 

 

こつん、と自分の頭を小突く詩歌さん。

 

幼児化しても相変わらず、調子のいい。

 

全く……

 

 

「お兄ちゃん。後は自然乾燥で良いよ」

 

 

「おおっと」

 

 

考え事してたら、危うくやり過ぎる所だった。

 

ドライヤーのスイッチを切る。

 

 

「詩歌の髪、どうだった?」

 

 

「どうだったって、髪に関して当麻さんはそこまで口うるさくありません事よ。ま、とりあえず触っていて気持ちいいとは思ったけど」

 

 

「うん。それならよかった」

 

 

満足げに笑う詩歌。

 

この笑顔だけは昔から変わらないもので、そして、守りたかったものだ。

 

そっか、と当麻も自然と同じように満足そうに笑ってしまう。

 

 

「参考までに、理想的な返答は何だったんだ」

 

 

「? 別に理想とかないよ? それじゃあ良かったり悪かったりしちゃうし。評価なんてすることじゃないよ。それでも敢えて言うなら、お兄ちゃん、かな? 身嗜みがぼさぼさしてたら、心配させちゃうでしょ」

 

 

まあな、と当麻は嘆息する。

 

結局のところ、基準点はないのだろう。

 

それを求めるのは自分が怠けたがっているからなのか。

 

 

「むむむ、何やらお兄ちゃんが難しい事を考えてる気配」

 

 

相談に乗ります、と詩歌が言うが、当麻は首を横に振る。

 

これはまだ自分の中で答えが出てないのが多過ぎるから、余計なことまで考えてしまってるだけのこと。

 

そして、それは詩歌が問題の当事者であるため、尚更相談などできない。

 

 

「お、じゃあ、そろそろ当麻さんもお風呂に入ろうかな」

 

 

「はい、ゆっくりあったまってください」

 

 

タイミング良く、風呂場から物音が聞こえてきた。

 

これ以上踏み込まれると、全てを今ここで白黒つけないといけなくなりそうな気がして、自然に会話を切り上げられる機会に当麻は感謝した。

 

 

 

 

 

常盤台女子寮

 

 

 

共有フロアの一角。

 

そこで幼馴染の処遇について猛烈に反対して却下されてビリビリと機嫌を損ねてる姫様と、この議題を煽ってより一層とメラメラと白熱させて楽しんだ暴君が、この就寝時間ぎりぎりまで、この学生寮の玄関口に近い場所で待機中。

 

特に御坂美琴の方は、鬼塚陽菜がストッパーにならなければ、今すぐにでもとある不幸な学生さんの部屋に特攻しそうなほどおろおろしているし、今もこうしてソファに身を預けず、冬眠前のクマさんのようにうろうろと落ち着きが無い。

 

 

「なるほどねぇ。当麻っちに詩歌っちを取られるか心配なんだねぇ。もしくはその逆?」

 

 

「ち、違いますよ。私は一刻も早く詩歌さんに戻ってほしいだけで……」

 

 

「う~ん、単に精神的な問題というなら、食蜂っちの出番なんだけど」

 

 

「アイツに頼るのだけは絶対にイヤです」

 

 

美琴は陽菜の提案を却下する。

 

休めば治ると言われてる。

 

確かに、目に見えないだけで上条詩歌の精神的疲労は大きなものなのだろう。

 

無駄に事を荒立てずにそっとしておくのが良い。

 

あの前科のある女王に任せれば、余計な改変をする確率が高い。

 

しかし、その休息方法が問題だ。

 

 

「まあ、休ませるのも良いけど、刺激を与える事も良いんじゃないかね。テレビだって調子が悪くなったら叩いて直せって言うし。ほれ、美琴っちの得意な自販機をぶっち蹴り」

 

 

「駄目に決まってます! それで詩歌さんがまた入院したらどうするんですか!」

 

 

使えばランダムだがジュースが無料で手に入る常盤台中学内伝、『おばーちゃん式ナナメ四五度からの打撃による故障機械再生法』は美琴の得意とする所だが、人にやっちゃ駄目絶対である。

 

というより、この地震よりも雷よりも火事よりも恐れられている寮の支配者の最恐の女戦士(アマゾネス)の愛弟子でもある彼女にやれば、蹴り足を掴んで投げ飛ばされて、はいお終いになりそうだ。

 

 

「いやいや、叩けって言ったのはあくまで精神面でね。幼児化は精神的な問題な訳だし、精神的な刺激をどどーんってね」

 

 

ちっちっと熱~い緑茶をすすりながら、メトロノームのように空いた手で指を揺らす。

 

 

「はぁ……それで一体どうするんですか? 精神面を叩けって、さっきも言いましたけど絶対にアイツの手を借りるのは却下です」

 

 

「能力なんか小細工に頼らなくたって、真っ向ド直球でやるんよ。ほれ、何か、今、昔に戻ってるせいか当麻っちにべったりのお兄ちゃん子になってるじゃん」

 

 

そう。

 

これは美琴が出会う前の話なので知らなかったが、昔の上条詩歌はどうやら、大変なお兄ちゃん子だったのだ。

 

しっかりと姉姉してる姿とは反転したような、甘えんぼな妹妹っぷり。

 

だからこそ、美琴は不安になるのだ。

 

 

「……つまり、当麻っちを使って揺さぶりをかけるんよ」

 

 

ものすっごくきな臭さがプンプン漂ってきた。

 

何だかんだで古く長い付き合いで一応先輩でもあるので敬意も払っているが、おそらく、この母、美鈴と似た思考回路を持つ彼女は、美琴の中では信用できるけど信頼度は低い。

 

 

「……いくら詩歌さんのためでも、人を弄ぶような真似は止めておいた方が良いと思いますけど?」

 

 

「無論、兄妹仲に決裂を生じさせるほどのダメージになっちゃ駄目だけど、そこは、まあ、匙加減かなぁ」

 

 

というが、この鬼塚陽菜は『加減が苦手』なので、かなり不安である。

 

それでも何だかんだと、暇つぶしとはいえこうして夜遅くまで付き合ってくれている先輩に、美琴は耳を傾ける。

 

 

「……で?」

 

 

「美琴っちが当麻っちと大人のデートすればいいんよ」

 

 

「はあぁっ!? で、ででででーとっ!? しかも大人の!? 何でそんな真似しなくちゃなんないのよ!!」

 

 

乙女的耐震構造Level0なところに放り込まれた爆弾発言に美琴は思わず、先程までの敬意とか忘れて突っかかる。

 

 

「無論、デートしてデレさせろ、とか、告ってキスしろとかそんな話ではなく―――」

 

 

「やりませんから!」

 

 

と、ピシャリとシャットアウト。

 

ぶーぶー、せめて最後まで聞いてくれたっていいじゃんかー、と寮監に見つかれば即教育されそうなお嬢様にあるまじき態度でぶうたれているが、そんなことで症状が回復すると思っているのだろうか?

 

 

「美琴っちが当麻お兄ちゃんと大人っぽくデートすれば、お兄ちゃんべったりな詩歌っち(幼)が嫉妬して、早く大人になりたーい―――ってな感じで元に戻るってなもんで、どうだい?」

 

 

「……それ、私が詩歌さんに恨まれそうな可能性がありそうですよね。そんなの絶対にごめんですよ。大体、私がアイツといきなりデー……遊びに誘うにしても何て言ったらいいか」

 

 

「それならほーれ。カップル割引の映画見放題チケット。美琴っちが大好きなゲコ太ものも上映してるよん」

 

 

ぺろんと確かに映画のチケットが……

 

 

「なんでこういう事に関して行動力が無駄に有り余るほどあるんですか」

 

 

「いや~、何となくこれが必要な予感がしてねぇ。うんうん、詩歌っちがいないとやりたい放題なのは良いんだけど、暇で暇で、他にやる事が無くて、退屈で」

 

 

何だか目眩が。

 

科学的根拠皆無な発言に、美琴の頭が痛くなる。

 

だが、この野生動物じみた勘が恐ろしく当たる確率が高いので馬鹿にならない。

 

 

「だったら、陽菜さんがアイツとデートしてきたらいいじゃないですか」

 

 

「いや、詩歌っちに恨まれたくないし」

 

 

バチッ、と前髪から火花が散る。

 

そろそろ本気でキレますよ、との意を美琴の視線に込めた眼力で、陽菜はあははー、と視線をあっちの方へ向けながら苦笑い。

 

 

「冗談冗談。私じゃあまり男女のお付き合いって感じ出ないだろうし。何となく野郎同士で遊びに出掛けるイメージになるんだよねー、あはははー。きっと『待ちなさい。そこの男の子2人。これカップルじゃないとダメだよ』って係員に呼び止められるん」

 

 

何か自虐に入ってる!

 

過去に鬼塚陽菜は『何故男子の君が女子の制服を着てるんだ』と<警備員>に補導されかけた経験がある。

 

容姿は整っているのだが、その『絶壁』なところや、そこらへんの学生よりも男っぽいというか、親父っぽいというか……女子力(物理)の高い漢女である。

 

 

「その点、美琴っちなら、当麻っちと何度かお付き合いがあるし、我が校を代表するお姫(エース)様だし、良い感じになるんじゃないかなー」

 

 

「……な、何を馬鹿な事を」

 

 

自分でも分からない無意識に動揺する美琴に陽菜がチャシャ猫のような笑みで迫りながら、さらに追い込む。

 

 

「詩歌っちの為に、一肌脱ごうぜ。詩歌っちの事が心配で心配で、こうして寮の玄関ホールで就寝ギリギリまでハチ公の如く帰りを待ち続けるその気持ちを無駄にしちゃいけないよ」

 

 

「何か主張がズレてません?」

 

 

「ゴールは同じだから問題なし」

 

 

それで正当化しようとは……昔から常識が通じないというか、幼馴染が手を焼かされているのが良く分かる。

 

 

「やってくれたら黙っててあげるよ」

 

 

「な、何を……」

 

 

「美琴っちが隠していること、だよ。この鬼塚陽菜が、気づいてないとでも思ったかい」

 

 

「いきなり脅迫!?」

 

 

「詩歌っちの事が好きで好きでたまらないんだろう? 去年もこっそり希望票出したけど『すまんが私以外にこの問題児を大人しくできるのは詩歌しかいなくてな』って寮の部屋割りで一緒になれなかったのをがっかりしてたし。うん、ごめんね」

 

 

「違います!」

 

 

確かに希望票は出して断られて落ち込んだ時もあったけど、今のルームメイトでもある黒子とは全然違うし、いや別に嫌いという訳じゃなくて、普通に好きだけど、それは家族的な意味合いで、あの時も単純に姉離れの出来ない………というか、何故知ってる。

 

 

「またまた照れちゃって~」

 

 

「さっきから思ってましたけど、一回その脳みそ電気で叩いて(ショートさせて)やりましょうか!?」

 

 

「いや、叩いて直る民間療法あまりお勧めしないなぁ」

 

 

「あなたがそれを言うんですか!」

 

 

「え~……な、何で怒ってんの……?」

 

 

だって最初にそういったのは……そこまでで言葉を切る。

 

この母と同じ快楽優先の人種に普通を求めても無駄だってことは良く分かってたし、詩歌さんにも良くそう言われてる。

 

これは、私の間違い。

 

だけど、溜息を吐く事までは止められなかった。

 

 

(とにかく、万が一という事もあるし、アイツはちょっとは信用しても良いかなーって思うけどシスコンだし、絶対に間違いが起こる前に何とかしないと!)

 

 

 

つづく


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