とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 平穏な日々

閑話 平穏な日々

 

 

 

道中

 

 

 通りの一角に人だまりができている。

 

 

 灰色のプリーツスカートに半袖のブラウスにサマーセーター……一見するとただの学生制服だが、この街の人間なら、そのセーターの左胸に付けられた十字のマークでとある名門女子校の制服であることを察せられる。

 ただ、その女学院はこの第七学区内でも隔離された園、距離的にも精神的にも遠く離れた存在である。

 彼女達の大半は世俗と切り離された箱庭での生活を送っており、第十五学区と第七学区のお隣でありながら繁華街で見かけることはそうそうない。

 学園都市で五本の指に入るお嬢様学校と名こそ響いているが、実際にはそうお目にかかれない常盤台中学の制服だ。

 それだけで男どもが騒ぎたてるには十分だが、くわえて、その少女は“上等過ぎた”。

 リボンでまとめられた長い柳髪、可憐としか言いようのない立ち姿。

 瑠璃破璃のような白い肌をのぞかせるたおやかな腕には高嶺のお嬢様には持たせるのには相応しくない大荷物、プレゼント用の包装紙に包まれたぬいぐるみが抱えられているが、それさえも一幅の絵になる。

 時と場所、装いも選ばず、ただ美しい。

 その、あまりにも単純で、あんまりにも理由なき表現を人に用いられることはそうないだろう。透明感のある肌や深みのある瞳を始め、優美と言う概念に総身を矯められたかのような存在。

 

 しかし、過度に美しいものほど、それ相応にトラブルまでも引き寄せてしまう。

 

「―――急いでいるんです。通してください」

 

「まあまあ。そんなこと言わないでさ、オレ達とも遊んでよ」

「そーそー、お嬢様が知らないような、楽しいこと知ってるよ、オレ達」

 

 少女が穏便な解決を図ろうとすると、男たちは耳障りな猫撫で声と共に、囲む輪を狭めてきた。

 

「ほら、そんなガキクサい抱き人形よりも、男を抱いた方が気持ちよくなれるぜ」

 

 この集団のリーダーと思われる人物なのだろう。パンパンに膨れたような太腿が合成樹皮のズボンをはち切れんばかりに、威圧感のある鉄板のような胸板がタンクスーツの上からでもよくわかる。

 ギャハハハ、と下品な笑い声をバックコーラスに、その少女の胴体ほどもありそうな腕を伸ばす。抱いて押し込まれている大きな傷だらけのクマ人形(キルクマー)のおかげでさらにボリュームが強調されている、男とは別で華奢な身体に一回り大きなサイズで伸縮性のあるサマーセーターを押し上げ、ブラウスを窮屈とばかりにはち切れんばかり豊満なそれを鷲掴もうと。

 

 スカッ、と空を掴んだ。

 

「おろ?」

 

 体勢がつんのめってたたらを踏む。

 酒でも入って目算を誤ったのか、少女は変わらず前にいる。

 

「子供っぽいとは常々思っていますが、これは私の幼馴染がお気に入りのキャラクターなんです」

 

 ゴールデンウィークでのイベントの一環で、抽選の記念品だが、5月2日の誕生日に間に合わせようと、あれやこれと方々に手を尽くして手に入れた一品だ。

 これならここ最近素直にデレてくれない妹分の無邪気に喜ぶ姿を目に焼きつかせてくれるだろう。

 きっとそれは少女にとっては幸せで、ここで“逸れてしまった少年”にも手伝ってもらった甲斐があると言うもの。

 

「だから、あまり汚したくないんです」

 

「じゃあ、代わりにアンタの体を汚して―――」

 

 スカッ、とまた空を切る。

 それに失笑を買ったのか、ぷすっと息を漏らした仲間にリーダー格の男は凄んで黙らせる。

 

「あ”あ”ンッ!」

 

 ブウンッ! と今度は勢いつけて、大きく腕を振り回して捕まえ―――れない。

 

 ようやくこれがアルコールのせいでないと気づく。

 

 少女は変わらず前にいる。ただし先より一歩分後ろに。こちらに悟らせずに、瞬発的に動いたのだ。

 

「こンの!」

 

 躱された。仲間たちの前でおちょくられた。自分の体躯の半分もない少女に。

 カッ、と大男の頭に血が昇る。

 

「そして、触れさせたくもないんです」

 

 飛びかかる。両者の身長差は、50cm近い。大人と子供の差。少女は迫る巨体をスルリと躱すと――その脚を払い――すっ転ばせた。リーダー格の巨体が宙を舞い、受け身を取ることもできずに地面に激突。衝撃と痛みに身を震わせながら、男は喉の奥で唸り

 

 

「『調子にのんじゃねぇぞ、このアマ』」

 

 

 比喩でも何でもなく、息が止まった。

 自分が吐こうとした言葉を、寸分の違いもなく少女に先に言われてしまったのだ。イントネーションや声に込めた感情までも、完全に男の発声イメージをなぞらえた。

 何が起こったのか理解できなくて、この感覚を知らなくて、何もできない。まるで自分の意思を吸い取られて行使されたかのような。

 

「………!」

 

 集団は、静まり返る。

 喉と舌の間で煙のようにかき消えた(盗られた)言葉の行方を探すように、少女の顔を見る。その夜の湖の色をした瞳の輪郭が、人の魂を吸い取る古代の円鏡を思わせる。まさか、今自分は言霊を吸い取られたの、か……?

 

「『こ、この! 能力を使いやがったな……!』―――と、言われる前に応えます。使ってません。操祈さんのように読心する能力を使わなくても、その顔を見ていればおおむねのことは解ります。なんでも人間の脳には、他人の様態を自身に投影する共感機能を司るミラーニューロンという神経細胞があるそうですよ」

 

 それにしても、この再現度は異常だ。数十字程度とはいえ男のイメージしたそのままを自分の声にして返すなんて、共感の一言で説明できるものだろうか。

 

「あ、ああ……お、俺にこんな事して、タダで済むと思うなよ!」

 

「こちらとしてはタダで済ませたいんですが。じゃないとこのキルクマーのように包帯だらけに……―――」

 

 全員で囲め! と最低基準がLevel3の高位能力者のエリートだと目の色が変わる。

 

「お前ら、ビビってんじゃねぇ! たかが考えを読む程度の能力者だ! 発火能力者(パイロキネシス)発電能力者(エレクトロマスター)と違って、攻撃するなんてできねぇぞ」

 

「ああ……ウチの問題児はここでも有名なんですね」

 

 常盤台中学で、特に有名なLevel5第三位だったら刃向えば丸焦げにさせられるだろうが、思考を先読みする程度の能力者なら力ずくでいけると考えたようだ。

 それでもようやくこの少女の得体の知れなさを感じ取ったのか、最初とは違って誰も飛び付いていかず、慎重にその動きを窺い見ている。

 それに少女は、はぁ、と吐息をこぼすと片手を肩より少し上の高さまで掲げて開き、ヒラヒラと振った。

 降参のために手を挙げる(ホールドアップ)のではなく、単純に何も持っていない、こちらに敵意はないとアピールしたのだ。

 その仕草に、不良たちは『なめられた』と感じた。まるで自分達を相手するのに能力は必要ないと宣言されているのだと解釈した。

 実際、その解釈は正しいのだが、少女としては彼らにすぐ身近に迫りつつある“不幸”を心配したものだ。

 先の手信号は男たちに降参を促すためだけのものではなく、ちょうどその奥に見えた彼に『あとすこし、待って』と助命嘆願したものだ。

 だから、早く降参しないと……

 

 通行人の助けが入らないよう表通りを見張っていた3人の不良の意識が少女に向き………近づく少年に気づかず、それを少女の方を真っ直ぐ見ながら呼吸で感じ取る少年。

 

「―――」

 

 ……少年は、少しだけ深く息を吸い込むとそこで呼吸を止めた。

 

「っ、何見てんだお前! 見せモンじゃねぇぞ!」

 

 割り込まれた真正面の3人の中で真ん中の男が気づいた時はすでに遅く。

 停止した空気の世界で、奇妙な姿勢で両脇の仲間二人が宙に浮かび上がっていた。

 少年は自分と彼らの立ち位置を理解していた。

 だから彼らを目で確認する必要がまったくなかった。

 

 だから……にもかかわらず。

 

 左右の男の延髄にミリ単位のズレもなく正確に拳を叩き込んだ。

 その拳は鍛え上げられ、大の男を一撃昏倒させる破壊力を備えていた。そして、加減はあっても容赦のない、自身ではなく“彼女を不幸にさせようとする以上”、穏便に済ませる理由はただのひとつもなく。

 その両腕を、打ち抜いたのと同じ速度で引き戻す。

 

「お、―――」

 

 その光景を真正面で見ていた男は、何が起こったか理解できなかったに違いない。

 二人の下端が歪な姿勢で宙に浮き上がり、目の前に今、立っていたはずの少年が瞬時に姿勢を低くしていて―――そこで、停止した時間は砕けた。

 

 声をかけた真ん中の男は空にその身を飛ばされ、自由落下で地面に叩きつけられる。

 彼は後に流動食を食べながら必死に思い出そうとするだろう。

 自分の顎を砕いたのは、拳だっけ膝だっけ? と。それすらも理解できずに打倒された。

 

「おい……っ!? テメッ!」

 

 そして、少年はそこで、停止していた呼吸を、一度。再び息を止め、伏竜は疾駆する。

 ゴミ箱の上へ跳び上がり、無駄な雑魚を飛び越え、一番奥にいて、少女に遊ばれている大将格へ。そこへ、襲い掛かるがっしりと大柄な側近が、無謀にもその前に立ち塞がる。何を言っているのか聞き取りづらいスラングで挑発を口にして、かかってこいというような仕草をした。

 

 だが、少年はそんなのは見ていなかったし、どうでもいいことだった。

 その男は、少年の拳から繰り出される一撃に対し、ガードを間に合わせたことだけが見せ場だったろう。

 でも、そもそもガードになどなっていない

 少年の鍛え抜かれた豪拳は、ガードの腕ごと衝撃が貫通しただけなのだから。

 腕が奇妙にたわんで、門絶の表情を浮かべた次の瞬間、追い打ちの左ひじが顔面にぶち込まれる。

 両方器用な妹と違いこの少年の利き腕は、右だ。

 だから、男は幸運だった。眼底まで届かず鼻骨骨折程度で済んだのだから。

 その背後より組みかかろうとした男は、おそらく、それでもチャンスだと思ったに違いない。どんなに腕っ節のあるものであっても、背後を襲われればお終いだ。意識を正面に集中させている今、背後から襲う自分は想定外の筈。

 

 でも、それは少年が正面の男に集中していればという前提があって、そもそも少年が正面の男など眼中になかった場合は正しくない。

 

 だから、当麻は十分に距離も間合いも理解していた。

 今日までのいくつもの修羅場が教えてくれていた。

 不幸にも不良たちに絡まれ、逃げられない状況下で数に飽かせて襲い来る時、背後を襲ってくるタイミングと間合い十分に体が覚えていた。

 それは正面の図体だけのウドの大木を左の正拳で撃ち抜いた姿勢からの一連の流れ。その左が引き戻される流れから左足が美しいまでの軌道を持って、背後の男を喰らう竜となって襲い掛かる。

 

 形容し難い鈍い音。これで、鼻骨が折れたのは二人目だ。

 でも、少年はそんなことはわかっている。

 そのまま、姿勢は流れるように捻じれ、右の拳が唸りを上げて側頭部にぶち込まれる。

 無様な男は壁に叩きつけられ、反射するように跳び返って床に転がった。

 そこで、二度目の呼吸。

 その時、怒髪天のような表情に、そこにいた全員の不良たちは思った。弱肉強食の理念を本能で痛感する。

 

 あぁ、コイツの進路だけは遮ってはダメだ。

 

「もう、加減が苦手なんですから」

 

 そこへようやく絡まれていた少女が声をかけた。

 ようやくという表現はあまり妥当ではないかもしれない。

 ようやくも何も、一瞬だ。少年が5人を沈黙させた時間は、たった二呼吸の間でしかないのだ。

 その圧倒的な迫力に、男たちは皆、逃げ切れないと知り観念して地面に伏せるが、奥で少女の前に転がっているリーダー格の男は、半笑いで腰の物を取り出そうと、

 

「あ、お、お前、何者だ……?」

 

 だがすでに及び腰の不良より早く、少年はその襟首を掴みあげると、片手で持ち上げた。自分より小柄な少年の予想外の腕力に、男は声を失い、コンクリートの壁に乱暴に押し付けて、言った。

 

 

「兄だ」

 

 

「はっ? それって―――「おおおおおおッ!!」」

 

 逆鱗に触れた竜のような方向と共に愚兄の右拳がリーダー格の男の頭部左脇の壁に寸止めで打ち込まれる。間髪入れずに左拳が頭部左脇を同じく打ち込まれ、瞬き2つも許さない僅かの瞬間に計5発の連打が頭部左右こめかみスレスレに擦過して叩きこまれる。

 それらの破壊力は、たった一撃でも男を病院送りにするほどだ。

 失禁しかねないくらいに呆然としたリーダーは、力なくそこへ崩れ落ちる。

 

「今なら、見逃してやる。だが、これ以上……」

 

 その先は、言わなかった。

 意識して作った――母から学んだ――冷酷な人相で、声からも感情を消している。こういう脅しは一気にやらなければ、後腐れが残るのだと学習している。もう関わりたくないと思わせなければならない。拳を振り上げてみせると、男は小さな悲鳴を上げて目を閉じた。スレスレに掠る拳の風圧を思い出したのだろう。それは決定的な敗者の姿。

 

「ひ、ひぃいぃぃぃ……」

 

 残りの男たちによる反撃は、少年が一瞥するだけで封じられた。彼らとしては大将が敗れることが止めとなり、もはや降参するしかない状態であった。

 

 あれから10年。約束通り、少年は無傷で倒せるだけの強さを手にしていた。

 

 

とある学生寮 当麻の部屋

 

 

 学園都市に来てから10年近くの時が過ぎた。

 朝の日差しがベランダの窓から舞い込む一室。

 部屋の端に置かれたベットにはツンツン頭の少年が気持ち良さそうに眠っており、

 

「ふんふんふふ~ん♪」

 

 この街で有名なとあるお嬢様名門校の制服を着た少女が鼻歌交じりに慣れた手付きで、

 台所で、朝食と昼食の弁当の準備をし、

 ベランダで、洗濯物を干し、

 ワイシャツにアイロンをかけ、

 それらを全て同時に、そして、この部屋の主である少年が起きないように静かにテキパキと行っている。

 ある学校でメイド体験を行った事のある少女にとって、この程度の事は造作もない。

 少女はこの部屋の住人ではない(一度、無理矢理にこの部屋へ越そうとした事があったが)。しかし、朝早くから無償で働いている。これらは全て、今も惰眠を貪っている少年のため。

 

「ふふっ」

 

 しかし、少女の顔には笑みが浮かんでいる。少女は、こうやって少年のために働けるだけで満足で、共に過ごせるだけで十分な報酬なのだ。

 そんな少女の名は上条詩歌。この部屋の主である上条当麻の妹だ。

 当麻は、この街に来る10年前、幼かった少年の頃より、背も、体格も、顔付も全てが精悍な男になってきており、その肉体は彼の同年代の少年と比べても引き締まっている。

 おそらく、この街のフィジカルトレーナーに見せれば、素晴らしい、と評価するだろう。

 これは、親がいないこの街で大切な妹を守る……と、そんな願いを原動力にした彼の努力の結晶である。

 そして、上条詩歌も10年前とは見違えるように成長していた。

 恋は女を綺麗にする、と言うが、詩歌の場合はそれが10年分も積み重なっている。

 腰の辺りでまとめられた柳髪はサラリと揺れ動く絹糸のように、輝く流線が太陽の光を照り返し、

 ほっそりとした腕に、先まで精緻なつくりの美しい指、見事な脚線美、

 そして、彼女の聖母とも呼ばれるほどの母性愛が詰まったその豊満な胸は同年代の少女達の中でも最高級。

 さらに極めつけは天使のような微笑み。

 容姿と性格が完璧な調和する事で成せるその微笑みは、男性どころか女性すらも心を奪うとも言われている。

 兄同様、父からカミやん病を受け継いでいるかと思われる。

 こちらも兄と同様に、当麻のために、という想いで自身の才能に奢ることなくただ只管に研鑽を続け、容姿端麗、文武両道、物腰柔らかで心優しく、清廉潔白、と5本の指に入る名門校の教員から『完璧』と称されるまでに。

 兄、当麻を遥かに上回る性能の持ち主である。

 

(……あれから10年ですか)

 

 ベランダに止まった小鳥たちの囀りを聞きながら、ふと今までのことを思い出す。

 兄と離れ離れになり、兄を追って学園都市へとやってきた。

 そして、兄と同じ小学校に通い、公私にわたって兄のことを支え続け、中学校も同じところへ…………行こうとしたが、

 母、詩菜の策略と可愛い妹分の御坂美琴の願いを聞き入れ、名門常盤台中学に通う事になった。

 だが、それでもめげずに、常盤台中学でレベルの高い授業だけでなく様々な事を学ぶことでさらなる高みへと昇華し、

 学生寮の寮監を師匠と仰ぎ、彼女の厳しい特訓の末、高位能力者ですら無手で倒せる格闘技術を会得。

 今では親友でもあり、ルームメイトの常盤台の暴君(キング)、鬼塚陽菜と互角に渡り合えるほど。

 

(まあ、でも、最初のころは当麻成分(トウマニウム)の補給が困難になり、陸に上がった魚が呼吸できなくなるように、危うく生活ができなくなりましたけど)

 

 それだけでなく、監視も緩んでしまったせいか、こっそりと大量のいががわしいブツが棲みついていた……

 あくまでそれらは友人のもので、人付き合いもあるのだろう、と冷汗を垂らし正座する兄の前でじっくりと検閲しながら理解力のある笑みを浮かべていた……が、

 

『ふんふむ、妹モノがありませんね』

 

 妹ものの本が1冊もなかったため、容赦なく全てを“朗読し”燃やした。

 

 

『『か、管理人さん』と詩織の色香にとうとう我慢が出来なくなった数馬は――『うおおおぉぉっ!! 頼むぅぅぅぅ!! お願いだからもう止めてーっ!! お兄ちゃん死んじゃうううううううう!!』――強引に押し倒し、『数馬君、止めてこれ以上は』と抵抗する詩織を力の差で組み敷くと自分のモノだと――『ああああ!! もういっそ殺してくれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!』』

 

 

 逃げられないよう縄で身体を縛られ、羞恥に悶え、マジ泣きしながらシャウトする兄の前で、その本の内容を一言一句丁寧に読み聞かせてあげた。

 そのおかげで、誰も当麻に本を貸さなくなり、真っ白に燃え尽きた本人も購入する気もなくなったのは言うまでもない。

 そして、詩歌は改めて当麻の好みのタイプを確認。

 即座に寮の管理人のお姉さんになるために、一部の女性の間で密かに好評な、ムサシノ牛乳の定期購入を契約し、一日一本、毎日飲料。

 しかし、胸は大きくなったが背がなかなか高くならない。

 ここ最近は妹分の幼馴染に背が追い抜かれそうではないかと冷や冷やとしている。

 なので、あの怪しい通販を買うべきか、只今検討中である。

 

 と、様々な努力を重ねているのだが、兄、上条当麻は異性として、なかなか振り向いてはくれず、同士であり、目標である土御門舞夏のアドバイス通りに時々アピールもしているのだ、当麻の、その鉄壁の鈍感さによってこちらの好意に気づいてはくれない。

 けれど、その鈍感のおかげで兄を狙う数多くの女性を退けることができたのも事実で……

 

(まったく当麻さんは魅力的すぎるので好かれるのは仕方ないと思いますがね。ホント、色んな意味で世話が掛りますね―――っと、これで一段落。さて……)

 

 ふふふ、と惚気るような笑みを浮かべているとベットでもぞもぞと動く部屋の主に気付かれぬよう気配を殺して………

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 『鏡』という言葉には、色々な定義がある。

 

 まず第一に、光を反射して実体を映す現象としての鏡。黄河やナイルなどと四大文明のどれにも当てはまるよう、大河に沿って興り、水面と言う鏡面を傍らに進化した人類にとって、鏡映と言う現象への理解は本能の一部と言ってもいい。

 

 第二に、第一の定義を人工的に再現した道具としての鏡。自らの姿を鮮明に写し取るという性質は容色を整えるばかりでなく、その神秘性から信仰の対象、祭司の道具として扱われる。

 

 また、現世を写し取る、現実に投影する鏡はその性質からして、書物の名前になることがよくあり、日本でも中世に鏡物と呼ばれる歴史書が書かれたり、アメリカやドイツの新聞にはミラーだとかシュピーゲルなどと鏡を意味する言葉が使われている。

 

 そして、鏡面の澄んだ輝きから優れている者、正しい者という意味でも扱われ、明鏡といえば優れた手本という意味で、手本や慣例に照らし合わせると言う意味の『鑑みる』という言葉の語源は鏡を動詞化にしたものだ。

 

 独自のものを創造する時の参考に、また練習する時の模範として目指す手本を見せる鏡は、向上を期する者――向上の余地を認める、自分が不完全であると自覚する者が見るもので、つまりその進化成長を促すものが鏡だ。

 

 強くなろう、と決意してから、10年。

 

 どれほど変わったのだろうか。

 人は鏡を見て、己を知る。

 本心と建前を引き離す調整として、部分的にしか見られない自分を鏡から習い、自分自身の全体像を部品単位ではなくパッケージングして意識できるように直すが、妹から自身の直線的に表明する性格はあまり鏡を見ないからだ、とよく言われる。

 直情と直感のままに理非を度外視して事物に決断を加え、しかも決断してからの挙動は強引そのもの。即断だとか行動力があると言えば聞こえはいいが、軽率で傍迷惑とも言えます………と先日、説教された。

 

『当麻さんは鏡映認知、鏡に映った自分を自分と認識する能力で、幼少期に獲得するはずの自己認識の基礎部分が疎かです。とにかく、明日からは毎日鏡を見てください』

 

 しかし、それは間違いだと上条当麻は思う。

 確かに手鏡なんて持っていないし、この部屋に鏡と言えば洗面台にあるのでそれも意識してみることはない。髪型に多少のセットをする程度のこだわりはあるが、それも鏡を見ずにやることができる。

 けれど、“鏡”はこの10年ほぼ毎日見ている。もう、定義に当て嵌めるとしたらこの上ない“鏡の少女”を見ている。

 ひとつひとつの経験を網のように相互参照し連携させた多様な知恵に当て嵌めることで、視ただけで相手の思考を投影し、相手がするであろう行動を頭の中で想像する。いわゆるホット・リーディングというもので、先日も相手の認識(ことば)を掌握したのもそれであろう。

 だから、上条当麻が知る限りこの『最高の鏡』は、先日の喧騒で、何も言わず、顔色も変えず、むしろ余裕の表情でその背中を見守っていたことに実感している。

 

 ―――上条詩歌という鏡に映る上条当麻(じぶん)は、不幸に負けないヒーローだ。

 

 幻想の鏡に自身の右手は写せないようだけど、それでも見るだけで自分を強くさせる、強くなろうと思わせる妹の鏡は『上条当麻』を見てくれている。

 

 

 

 おいしそうな匂いが漂っている。

 おそらく、詩歌が朝食を作ってくれたのだろう。

 それだけでなく弁当、洗濯、アイロンがけ、出かける支度もしてくれているに違いない。

 まったくもって良く出来た妹である。

 背は小さいがスタイルもいいし、あの常盤台中学に通っているのだから多くの男性に好かれているだろう。現に先日は繁華街で少し目立っただけで、万有引力でも働かせているように野郎共を魅了した。

 しかし、当の本人は今まで告白を受けたことがないらしい。

 なので、以前、もしかして好きな人がいるのかと思い、相談に乗ろうとしたら、

 

『ふんっ!!』

 

『ぐぼっ!!?』

 

 腹に重く突き抜けるような一撃を貰い、しばらく呼吸が止められ、意識を失いかけた。

 すぐに謝ってくれたが、そのときの詩歌の暗く輝く目を見て、もう二度とこのことは聞かないと心に誓った。

 あれには殺意が込められていたと思う……

 その時の事を思い出し、思わず、ぶるっと震えると、それとは違うが危機的な重圧を察知し

 

 

「おや? お目覚めですか、当麻さん」

 

 

 毎日聞き慣れた心地良い声が耳朶を震わせた。

 目を覚まし、顔を横に向けると、そこには妹の姿があった。

 ピッタリと視線が合った鏡瞳が自分の間抜けな顔を映してくれているし、少し首を引いてズームアウトすれば確認できる彼女の表情はいつものように満面の笑みを浮かべており、それを見るだけで当麻は今日一日頑張ろうという気にさせる。

 きっと、そう思えるのは自分だけではないはずだ。

 兄としての贔屓目もあるかもしれないが、当麻は詩歌よりも可愛らしい女の子を知らない。

 ただし。毎度思うが“鏡が近い”。

 

「当麻さん、おはようございます」

 

「ああ、おはよう、詩歌。今日もありがとな、わざわざここにやって来て、ここまでしてくれるのは大変だったろう」

 

 まずは噛み締めるような、やけに情感のこもった声。

 まだ朝日が出たばかりの早朝、毎日の日課と自分の支度を済ませてから寮を抜けだし、当麻の世話をする。

 これで学業や他の業務を疎かにしていないのだから大したものである。

 むしろ当麻の方が学業は疎かになり気味である。

 

「いえ、私が好きでやっていることですから。本当は毎日通いたいのですが……」

 

「それはダメですよー。そんなことしたら、当麻さんは妹がいないと生活できないダメ人間になってしまいますよ」

 

「(そうなったら嬉しいのですが……)」

 

「ん? なにか言ったか?」

 

「いえ、なにも」

 

 で、そろそろ頭も回ってきたし、挨拶も終えたので、

 

「んで、お兄ちゃんは聞きたい事があるんだが」

 

「はい、何を?」

 

「何でそこにいるんでせう?」

 

「そこに当麻さんがいるから」

 

「俺は山か?」

 

「山は季節や天候のほか、様々な諸条件によって多彩な表情を見せます。毎日見ても飽きません。そういう意味では当麻さんが山という見立てはかなりいい線を言っているかもです。普段は平々凡々の癖にたまにこちらの予想を裏切りますから。いい意味でも悪い意味でも」

 

 と言いながら観察している。

 

「じゃあ、今日の当麻さんはどんな感じだ」

 

「昨日は天候が急崩れでしたが、本日は晴天なり……怪我は、ないようですね」

 

「ああ、これといった支障はないから心配すんな。んで、どうするつもりですか、詩歌さん?」

 

 ほんのりと甘い匂いが鼻孔をくすぐり、その温かな体温まで感じ、その少しだけ恥ずかしそうに浮かべる笑顔が、間近に目視できる距離……(ひとみ)が近い近い。

 

「もう朝の準備は終わったので、たまには添い寝をしてあげようかと」

 

 そう、起こそうとしている―――のではなく、布団の端を持ち上げて、中に潜り込もうとする直前の状態で停止している妹に、一言二言言わなくてはならぬ事がある。

 

「当麻さんのベットには弛緩効果があるようです。当麻さんの匂いがするので安心です」

 

「匂いを嗅ぐんじゃあない」

 

「減るもんじゃあないです。代わりに詩歌さんの匂いも嗅いでも良いです」

 

 悩ましいな。実に悩ましい提案だ。

 目と鼻の先に詩歌の整った顔、唇、長い髪。香水ともシャンプーの匂いとも違う甘い匂いに陶酔感を覚える。当麻の肌に彼女の柔らかな吐息がかかるたび、その部分がビリビリとする。

 綺麗だ、素直にそう思える。

 また、鏡瞳の視線から逃げれば、今度は普段は絶対遠慮して直視できない胸元に目が行ってしまう。

 華奢な肩に、今は上二つのシャツのボタンを外して露出した首元からは美しい鎖骨のライン。ベットの上に乗っている、制服のサマーセーターの良好な伸縮性を証明してやまない起伏は手が届きそうなほどの至近距離で小さく上下している。

 つい、見物もありかと訊いてしまいそうだ。が、

 

「断る。朝っぱらから匂い嗅ぎ合うなんてたまらん」

 

「それは詩歌さんをクンクンすると辛抱たまらん、ということですか?」

 

「違う! 当麻さんが指摘したのはそこじゃない!」

 

「ああ、服を着たまま殿方のベットに入るのは、無作法だと言いたい訳ですか。しかし、それは流石に恥ずかしいので―――」

 

「当麻さんはそういう気遣いについて言いたい訳じゃないっ! それよりも大事な一般的な常識についてだ!」

 

 ここで布団内に侵入を許さなかった自身の防衛本能と長年の耐性で得た自制心を褒めてやりたい。

 朝、色々と世話を焼いてくれるのは朝に弱い高校生には大変ありがたい。

 しかし、こうやや常識に疎く、天然ボケが入っていて実は悪戯好きな妹の心臓に悪い目覚めはどんなに慣れていようと青少年的に、朝から精神にツッコミ疲れしてしまう。

 故に目覚まし時計をセットしているのだが、『時計になんて私の仕事を奪わせません』と毎回スイッチオフされるので、人の近寄る気配を察知すれば自力で起きられる術を身に付け、対して、妹も悟られぬよう気配を殺す術を開発し……など、イタチごっこのように互いにスキルを上達させていく、自分達は一体どこへ向かおうとしているのだろうか、と一般的な男子高校生は思う今日この頃なのだが。

 女子中学生の妹は不満なようで。

 

「むぅ、兄妹間のちょっとしたコミュニケーションじゃないですか。たまにはご褒美に添い寝くらいは許して欲しいものです」

 

「それは子供の頃までの話だ。これでもしお隣さんに知られたら、変に誤解をされるだろうがっ!」

 

「何なら一緒のお布団の中で、昔の『管理人のお姉さん』を諳んじてあげても」

 

「お兄ちゃんを殺す気かッッ!!!」

 

「当麻さん……いくら嬉しいからって、朝からそんな大声で叫ぶのはいかがなものかと思いますよ?」

 

「それを言うなら、詩歌さんの考え方の方がいかがなものかと思うぞ……」

 

「それは朝一番に大声を出すことを推奨してるってことでしょうか? 確かに発声法として健康には良いかもしれませんが近所迷惑に」

 

「トラウマの読み語り云々の話だよ、健康的どころか精神的に死ぬぞ!」

 

 あれは当麻にとってみれば、詩歌にやられたお仕置きの中で、3本の指に入る、今もトラウマに残っている程強烈な責め苦だった。

 にしても、この街に来る前は、とっても優しかった妹が、1年後再会したら、ここまでドSになっていたなんて……母は一体どんな花嫁修業(きょういく)をしたんだ? それとも元からあった本人の資質が開花したのか?

 これは、強く逞しく成長した副産物だと泣く泣く思えば良いのだろうか。

 とにかく、『竜神家の女は怒らせてはならんぞ、当麻』と父の助言には同意だ。

 

「わかりました。では、朝食の準備をしますので、そこに用意した今日の制服に着替えてください」

 

「おう」

 

 と、会話が終わると、詩歌は朝食の準備に戻る。

 洗濯物もベランダに全て干し終わっており、ワイシャツも丁寧に折り畳まれている。

 悪戯をしてくるが、きちんと手を抜かずに仕事を終えているのは、流石だ。

 妹はきっと良いお嫁さんになれるな、とか、まあ、詩歌が欲しければ先ずは俺を倒せ、などと兄馬鹿全開な思考を働かせながら、制服に袖を通したとき、ふと視線を感じた。

 

 

「おや、どうしたんですか? 手が止まってますよ」

 

 

 横を見ると、もうテーブルの上に朝食を用意した詩歌がこちらにキョトンと首を傾げていた。

 

「……今日はいつもよりも早いでせうな、マイシスター」

 

「ええ、今日は頑張っていつもよりもちょっと早起きをしてみました、のろまなお兄ちゃん♪」

 

 いつもは台所で忙しい朝食の準備の合間にちゃちゃっと着替えを終えるのだが、どうやら今回は向こうが一枚上手であったらしい。

 仕事には手を抜かず、わざわざご丁寧にも気配を殺していらっしゃる。

 全く持って有能過ぎるのにも問題が……

 

「お手伝いしましょうか?」

 

「あのなー……それが、着替え途中の兄の半裸を見てしまった感想なのか」

 

「きゃー!」

 

「遅い! 今更、顔を手で覆っても遅い!? っつか、指の隙間が思いっきり開いてんぞ!?」

 

「だったら、ここで着替えずに洗面台で着替えてください。いくら兄妹で、もう見慣れているとはいえ、恥ずかしいんですから。おかげで、声を潜めてじっくりと観察してしまうじゃないですか。それに、当麻さんは本当によく鍛えられていますからね、淑女として目が離せないんですよ、全く」

 

 最後の発言に色々とツッコミを入れたいが、言っている事は正論だ。

 結局、妹がいるのにも拘らず、その場で着替えようとしてしまった自分が悪い。

 自分がきちんと早起きする癖をつけ、着替えを洗面所でする癖を付ければ何の問題もないのだ。

 しかし、まあ麻痺しているのかいつも気を付けようと思っていても何だか気が抜けてしまう訳で、

 

「で」

 

 ジト目。

 

「未だにその場で固まったままの当麻さんは、まだ寝惚けているのでしょうか? まさか人に裸を見られるのがお好きなのでしょうか? なんなら、じっくりとお付き合いしても良いんですよ? 私の好物は“肉”ですから」

 

 ギラッ!

 

 一瞬、背後から襲いかかる寸前の野獣の重圧を感じた。

 まるで何日も絶食した百獣の王ような……

 そして、このライオンさんの好物は肉親の“肉”である。

 

「それとも、おあいことして、朝食代わりに私のお着替えもみたいのですか?」

 

 そして、そのまま止める間もなくぶかぶかと大きめの制服のサマーセーターを脱ぐと胸元に、

 

「は、はは、当麻さん、すぐに洗面台へ顔を洗ってきまーす!!」

 

 これ以上、ここに留まってはいけない。

 詩歌がワイシャツのボタンに手をかける寸前に、見ないけど気になると草食動物の当麻は不自然に自然を装いながら、洗面台へ逃げるように早足で駈け込んだ。

 

 

常盤台中学

 

 

 ただでさえ短い黄金週間は駆け足で去っていき、気づけばカレンダーは五月に変わってる。そこには、春を象徴する花から青々しい葉が茂る木が描かれているが、現実に花はまだついており、清々しく晴れた空は春の名残を色濃く留めている。陽光も大人しくなりつつも、鮮やかな色彩を保っている。

 暑い夏の訪れにはまだ早い。

 入学式からの雰囲気、新入生らの初々しい気配はひと月かけて一皮むけ、ようやくこの常盤台中学に生活のリズムが慣れてきているころだろう。

 常盤台中学はこの学園都市でも指折りの教育機関ではあり、校則は厳しいが、校風は自由だ。というと、『世界に通用する人材育成』と銘打ってる教育方針は、ある程度の学生の『自主自立』を養わなくてはならず、そのために、各分野に自分を高めるために同じ目的のものが集まって『派閥』をつくったり、学校行事においても学生の自主活動に多くが委ねられている。

 よって、最高学年首席で入学式に在校生代表を任されたり、同時に『委員会』をまとめる生徒会長に泣きつかれている幼馴染にとって四月はただでさえ多忙を極める月であり、休む間もなく新歓イベントの応対で大変であったろう。

 どの部活も1度は体験し、様々な『派閥を時々覗く事はあり、『委員会』の手伝いをする事もあるが、どこにも参加はしておらず、基本は自分と同じ帰宅部であるが、幼馴染はそれよりも学外での活動で功績を残している。

 この常盤台中学の学生、教員も含めて誰もが口を揃えて、『常盤台中学で最も働き者』、と評価しているのはそのせいだ。

 

(あの人は、こういう死殺(ハレ)の日は思いっきり楽しむ人よねぇ)

 

 日常の生活()に対する死殺(ハレ)――つまり、祭事(イベント)だ。

 一例として、恋する乙女の背中を押して、告白する勇気を振り絞らせたバレンタインデー。

 

『はい、バレンタインデーです。チョコをどうぞ』

 

 それは世俗とは半ば隔離されたお嬢様学校として有名なこの常盤台でも変わらず、またこういったイベントを大事にする幼馴染は、その2月14日に先輩同級後輩、学生教師問わず、日ごろの感謝を込めて(また、大量に余った試行作品の処理)に義理チョコを配布したのである。

 それは大変おいしく、舌の肥えているお嬢様達をも唸らせたほどである(試行の味見役に付きわされた自分にはマスコットキャラの手編み人形が贈られた)。

 そんなわけでその一ヶ月後に蒔いた種から花畑が繚乱と咲き誇った。

 普通にお返しする人もいたが、密かにファンクラブが設立しちゃってるのだから、百合展開を期待する娘もいるかもしれない。

 そういった自分に対する好意に疎い幼馴染は、その気が無くとも無自覚に人を魅了するし、免疫の低いお嬢様を落とすほどその包容力はデカい。そして、本当に人間なのかと時に疑うほど整った容貌の持ち主だ。

 女子校でこれなのだから、共学だったらいったいどれほどの男子を勘違いさせるのだろうか。親の手違いで別々だった小学校時代はどうしていたのだろうか?(A:ツンツン頭の怒髪天が“対応”しました)

 とにかく、自分はお姉様と呼ばれることはないように後輩には気をつけようと―――思ったのだが、

 

『ここにお姉様との楽園を築きましょう♡』

 

 わずか一ヶ月でその決意はとある<風紀委員>によってご破算となった。

 入学早々、どうしようもない理由で急な部屋替えをしたその後輩は、幼馴染の師匠――学生寮の寮監をいたく困らせたので、彼女の代わりに肉体言語で、寮内のルールを叩き込きこまれた。

 幼馴染は、高位能力者であっても無手で仕留められる実力者。

 また、実はその後輩とは自分よりも付き合いが古い。かつて、この街の治安維持に努める<風紀委員(ジャッジメント)>の知人に頼まれて、幼馴染は、一度だけではあるが新人だった頃の後輩の教官をした事もあり、常盤台中学ここに来る少し前からの知り合いであったのだ。

 そうして、折檻以来、部屋こそ変えずに済んだそうだが、しばらくの間、『お姉様』と慕うこちらの要求を無視して抱きついてくるルームメイトが、幼馴染を前にすると返事に『教官。サー、ですの』と付けるほど従順で可愛い後輩になったのをよく覚えている。

 そういえば、あのいけすかない最上の精神系能力者である女王にも去年の入学早々に心理的なトラウマを刻んだっけ?

 

 さて、とそろそろ御坂美琴は本題にうつる。

 

(誕生日プレゼントをもらったんだけど)

 

 どんなに忙しくても、毎年誕生日を祝ってくれる。

 幼馴染が実家から離れた最初の年でも、寂しくて一人で勝手に学園都市にいったときも(そのことは今でも時々からかわれている)。

 あのバレンタインデーの時にも、お返しは別にいいですよー、と渡す際に断っていたが、ここのお嬢様はやはり日ごろ世話になっている彼女に何か贈りたいだろう。昔から姉のように、この街に来てからは母代りに面倒を見てもらっているものとして、御坂美琴もまた彼女らの気持ちは分からないでもない。というよりよくわかるので、今とっても悩んでいるのである。

 

(やっぱり私も何かするべきよね。といっても、詩歌さんの誕生日はまだ先だし)

 

 故に、活発さを感じさせる茶色の髪に反して、紅茶に吐息で水面に波紋をつくる美琴の表情は、周りから見れば何かに憂いているようと思わせるほどに、静かであった。

 『派閥』にも所属せず、これと言った部活動もやっていないので放課後に学内に留まる理由はないのだが、今も学内で仕事をしているであろう幼馴染――上条詩歌を待っている。

 

(でもねぇ。詩歌さんに欲しいものありますかー? って訊いても、お気持ちだけで十分ですよ、って返されるだろうし……)

 

 こういう時、頭の中で展開の先読みシュミレートできちゃうのは便利だ。が、それはここで待っていても美琴の悩みは解決しないということだ。

 

「お、美琴っちが放課後に学内に残ってるなんて珍しいねぇ」

 

「あ、陽菜さん」

 

 そんな行き詰った美琴に後ろから声をかけたのは、燃えるように真っ赤なじゃじゃ馬ポニーに、肉食獣のような双眸が鋭い先輩――鬼塚陽菜だった。学園都市7人しかいないLevel5で一目置かれている美琴に、こうしてごくごく普通に声をかけられる数少ない人物で、常盤台中学で『暴君(キング)』と畏れられる有名な問題児で、幼馴染の詩歌のクラスメイトで、ルームメイトで、腐れ縁の親友。反面教師にする点が多いが、姐御と呼べるような気風のいい人だ。

 その幼いころから鍛え続けた身体能力と学園都市最凶の発火系能力者としての実力は『常盤台の姫様(エース)』に匹敵し、一度、本気で暴れれば止められるものは極僅かだ。

 完璧な優等生と凶暴な不良、幼馴染とはある意味真逆の性質をもつ彼女だが、2人はとても仲が良い。喧嘩することも多々あり、美琴もそれに付き合わされることもあるが、それは互いに認め合っているが所以であろう。

 

「詩歌っちを待ってるのかい?」

 

「ええ、まあ。今日は一緒に帰ろうかなって」

 

「かかか、そりゃ美琴っちが珍しく自分から一緒に帰ろうと誘うなんて姉馬鹿な詩歌っちも喜ぶさね。でも、残念。今日は用事があるとかで、もう、<学舎の園>の外にいるだろうねぇ」

 

「えっ、」

 

「『委員会』に顔を見せる前に、<風紀委員>の黒子っちにちょっと話を訊きに行くって言ってたし、その時に“投影()ってる”だろうねぇ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あの“ある一点”だけ残念なルームメイト――上条詩歌を尾行するというのは、能力を使っても難しい。

 特に今日みたいな、1秒でも早く愚兄に会いたい……という当麻成分(トウマニウム)の補給日にはなおさらだ。

 彼の高校に向かう際には、無駄に毒牙にかかったライバルを増やさないように細心の注意を払っている。

 そのために今回は、美偉の姐御がいる第177支部に入った期待の新人――白井黒子の<空間移動(テレポート)>という追尾し難い点と点の移動に頼ったのだろう。

 十一次元の空間把握処理の演算が極めて難しく、故に学園都市でも使えるものが希少な空間移動系能力だが、それをも上条詩歌は、条件はあるが相手の能力を理解し、使いこなせる天然能力者だ。

 能力名は彼女の兄の<幻想殺し(イマジンブレイカー)>にちなんで<幻想投影(イマジントレース)>と名付けており、説明もまた『手を切る』兄にちなんで『手』を使ってできる。

 

 触れた力の情報を読み取り、複写(コピー)する――手を繋ぐ。

 一度きりだが複写した力を使う――手を付ける。

 共鳴により本体の位置と核の本質を探る――手を回す。

 開花してなく、まだ眠る才能を起こす――手を引く。

 成長の支えとなり、不足を補ったり補正する――手を入れる。

 同調(シンクロ)して相手を助ける――手を添える。

 主導権を握って干渉して相手を妨害する――手を掛ける。

 

 大まかに説明するとそういうものだ。

 <原石>の珍しい力ではあるが、あまり騒ぎにしたくはないので、陽菜が協力して、<書庫(バンク)>などの対外的には上条詩歌はLevel4に近いLevel3程度の<発火能力(パイロキネシス)>となっているから、知る者は数少ない。

 しかし、この<幻想投影>は様々な能力者を開花させ、導いてきた。あの御坂美琴が学園都市最高位の超能力者、Level5にまで成長するのに一役買い、陽菜も手を引いてもらい、Level4になるまで手を入れてもらった。

 手本であり手助けするルームメイトに合った“人を生かす”能力で、あの霧ヶ丘女学院が欲しがるような特異なもの。

 

 そういうわけで、神出鬼没の親友は280km/hの速さで空間を跳んで行っているだろう―――その目的地がわからないわけではないが。

 

「そうですか……」

 

 表面には出さないが、声から察して内心で消沈する後輩に、陽菜は考える。

 待ち合わせるなら電話やメールでもして約束(アポ)でもすればいいのだが、『常盤台中学で最も忙しい』彼女にいらぬ気を使ったんだろう。

 

「美琴っちは忠犬だねぇ……」

 

「いきなり何!? 忠犬ってどういう意味!?」

 

「世の中には色々と属性があるんよ。あまり考え過ぎない方がいいさね。ただでさえ、美琴っちはツンデレ後輩キャラってことで詩歌っちが自慢して広めているからねぇ」

 

「上級生のクラスには近づかない方がよさそうね……」

 

 馬に蹴られたくないのであの兄馬鹿な親友の応援はしないが邪魔もせず、気兼ねなく扱いやすい関係が陽菜のスタンスであるが、今の美琴を見てこのまま去るには流石に気が引けるものだ。

 なんだかんだで、御坂美琴とは付き合いは長い。それに詩歌から最近妹分が甘えてくれないと愚痴を聞かされてる。

 

「あー、でも詩歌っち、お兄さんのところにいると思うよ」

 

 <幻想投影>と同じく、その正体を知られていないのが、兄の上条当麻だ。

 詩歌に兄がいると言う事は常盤台中学でも知っている人は多いが、どんな人物かと知ってるのは、上条兄弟と小学校が一緒であった陽菜も含めてほんの一握り。

 

 それは常盤台中学きっての優等生である詩歌お姉様のお兄様は一体どのような方なのだろう?

 きっと、常盤台中学と同じ五本の指である長点上機学園に入るような優等生に違いない。

 

 ……と、おかしな幻想(ゆめ)を見ているせいである。

 実際に会えば、その理想な王子様像の幻想は殺されるだろうが。

 

「それじゃあ、邪魔しちゃ悪いですよね」

 

 同じ小学校ではなかったものの詩歌と付き合いの長い御坂美琴ですらも、その正体は知らない。というか、親友の虚偽を混ぜていないが“詳細”を省いた説明のせいで、『幼少のころにひどい苛めにあったせいで、家族以外には人間不信』と思われているので、腫れもののようにあまり触れないようにしている。

 美琴の中では、そんな兄を献身的に幼馴染が支えている、ということになっているのだろう。別に間違っているわけではないが、ズレてる。

 説明を省かれた“詳細”を陽菜は知っているが、兄妹の秘密にしておきたい問題だとわかっているので、教えることはしない。それは親友となった初めての喧嘩で、口を裂かれても口外しないと誓ったものだ。

 だが、誤解くらいなら解いてもいいだろう。

 帰りの支度を整える後輩に、陽菜は言う。

 

「別に遠慮なんて必要ないさね。美琴っちも詩歌っちの家族みたいなもんさ。気を使う方が間違ってる。ま、お兄さんが通ってる高校の住所教えるから、試しにその近くを捜してごらんよ。ばったり会えるかもしれないよ」

 

 

道中

 

 

 門限間近の帰り道。

 

「当麻さんは周りに女の子を侍らせていると思われてます」

 

「そりゃあ、夜道に気をつけた方がいいな」

 

 並んで歩くのは、上条当麻と詩歌。

 二人は血縁上は兄弟なのだが、見た目は、高嶺のお嬢様と雇われ使用人のように見える。……しかし、近づいて見なければ、腕を組んで歩いてると錯覚してしまいそうな距離感だ。彼らは現在、上条当麻の学生寮から、上条詩歌の学生寮へと、のんびり足を運んでいる。

 

「ええ……本当に気をつけた方が……」

 

「マジ顔で言うなよ! ちょっと怖くなんだろ!」

 

「当麻さんが、嫉妬をこじらせた男子に刺されても不思議ではないです」

 

「当麻さんは思うんだけど、人って言うのはもっとわかり合うべきじゃないか」

 

「そう言ってる当麻さんが、あんまり人と分かり合う気がないですよね」

 

「んなことはねーだろ。何を根拠に」

 

「だって、同性の友達、あまりいないでしょう? 思い当たるので、青髪ピアスさんと土御門さんくらい。異性の半分以下じゃないでしょうか? 詩歌さんは当麻さんが自分の部屋に男子を見かけたことは記憶にありません」

 

「友達がいない訳じゃねーぞ。クラスで話すヤツもいるし、体育であぶれてる訳じゃないし、寮に来たいとかいう奴もいるが断っているだけで」

 

「うんうん」

 

「優しい顔でうなずくな!」

 

「まあ、友達いないは言いすぎでしたね……と、詩歌さんは兄に気を遣います」

 

「最後の付け足しがなければ、兄の心は慰められたぞ」

 

 そう言いつつ、くすくす笑みをこぼす賢妹に、からかわれた愚兄もつられてしまう。

 空を見上げれば、月が見え始め、ポッポッと街灯が点き始めている。

 『過去』を知る賢妹に心配されたが、新しいこの高校生活で愚兄はそれなりに友人関係を築いてる。ただ、妹とお近づきになりたいと頼むのが大半なので詩歌に紹介できないだけだ。

 今も、気に病んではいないが、賢妹は遠巻きに見られている。愚兄が近くで邪魔していなければ声をかけてくる猛者もいるだろう。ただでさえ視線を集めることが多い、というか、見られていない時間の方がむしろ短いくらいだ。賢妹は、その気になれば、人目を避けることもできるだろうが、常時気にしてはきりがないのだ。

 一方で、当麻は、他人の視線を気にしない、というわけにはいかない。

 こうして、遅い時間にわざわざ詩歌の帰り道に当麻が付き添うのは、先日の一件のせいだ。妹をあらゆる不幸から守る。それは愚兄が自身に課せた義務であると同時に、誰にも譲れない権利でもある。詩歌に襲いくる前兆を、当麻は看過できない。

 それは、さほど困難なものではなく、何故なら、先の詩歌の忠告通り“女を侍らしている”愚兄こそが刺される対象であり、賢妹ではないからだ。こうして『幸運の招き猫』みたいな妹と一緒のときは控えめではあるが、クラスメイトから『不幸の避雷針』として重宝されている当麻は、日常的に不幸だ。不幸は勝手に向こうから愚兄に挨拶しにくる。

 そして、詩歌に否定的(ネガティブ)な目を向けるのは難しい。

 笑う門に福が来るというが、賢妹の微笑は見てるだけで幸せになってしまう。たとえ害意を持って近づこうと、愚兄とは違って、天に愛されてる賢妹は、触れてしまえば惹かれてしまうのだ。先日の不良たちも、愚兄の後始末(アフターフォロー)で――傷害で訴えられないよう――フルボッコされた怪我を応急処置で視たら、(当麻としては不本意な結果だが)最終的にファンにしてしまった。

 

「というか人付き合いのいい詩歌さんは、色々と忙しいんじゃないのか?」

 

「家族と語らう時間を大事にしてるんですよ。じゃないと、当麻さん、寂しがっちゃうでしょうから」

 

「そいつはどうも。で、今日は何したんだ?」

 

「詩歌さんの行動を逐一把握しようとは……この兄、独占欲の塊ですね」

 

「人聞きの悪いことを。単なる好奇心で訊いただけだ」

 

「生徒会の手伝いをして、あとはここに来る途中に会った光子さんから相談を受けて、能力開発を視ただけ。今日も充実してました」

 

「毎日が充実してるようでなによりだ」

 

「それで、まだちょっと時間があったので、寮に帰る前にちょっと当麻さんの部屋にやってきたわけです。夕飯の支度も兼ねて」

 

「おかげさまで当麻さんの食卓は潤ってます」

 

 ぺこーっと拝むように詩歌に頭を下げる。

 

「それでは、次の話題に。当麻さんの一日は?」

 

「ん、別にごく平凡な一日だったぞ」

 

 スペシャルな妹は違って、ノーマルな当麻は何でもない一日を過ごせるだけで幸せだ……けれど、残念ながら人生は毎日不幸なハードモードだ。

 と、詩歌の眼が光る。

 

「ふんふむ、その顔は。何か言いたくないことがあるんですね?」

 

「勘付いてくれんなら、そのままスルーしてくれると嬉しかったな」

 

「故意だと状況により弁護するか塀の中です。恋なら朝まで尋問します」

 

「たまたま、頭の回転が良かったから読みとれたが、そのどちらでもないと言っておこう」

 

 兄妹の以心伝心ってのは助かるスキルだ。危機回避を誤らずに済む。

 笑ってるが、その二択のどちらかをうっかり選んでいたら、冗談でも確実に実行していたに違いない、と感じ取れる笑み。母がよくやる竜神家の不動の笑み睨みだ。

 

「ふふふ、優しいかわいい妹として兄の恋バナには興味津津です」

 

「でも、本当にこっちの話は、別に大したことじゃない」

 

 言いたくないことがある、ということ自体は否定しない。

 本当に兄妹って素晴らしい。否定した所で、詩歌には見抜かれるだけであるってことがわかってしまう。

 

「……しょうがないです。どうせ、ラッキーイベント(いつもの)だと予想がつきますが、当麻さんが言いたくないのなら。とっても興味はありますけど」

 

「諦めたって顔には見えねーな」

 

 スマイルだが、ポーカフェイス過ぎるので鈍感な愚兄でもわかる。

 

「当麻さんがそう言うのなら。詩歌さんは諦めていないのかもしれません」

 

「何で他人事っぽいんだよ」

 

 今日はしつこいモードか?

 ものわかりは悪くないというか、ものすごくいいんだが、たまに執念深くなる。

 となると、誤魔化さない方が正解か―――と、肩を落として白状する。

 

「実はな」

 

「うん」

 

「体育の時間に擦り剥いて保健室に行ったら……吹寄が着替えをしててな」

 

「……見ちゃった?」

 

「―――かもしれないが、ほんの一瞬! それもちらっとだ! 速効で土下座したから視界は床のドアップだ! そして故意じゃなくて偶然! そう決して邪な思いがあったわけではないのです!! こうして正直に話したんだからわかってちょうだい!!」

 

 当麻が弁明するも、詩歌は片手を頬に手を当てて、心の底から哀しそうな溜息をついている。しかもその顔からやたら陰影が強調され始めている。

 

「それで恋に堕ちたんです?」

 

「物をぶつけられて落ちるもんがあるとすれば意識だ。それで恋する指南書があるなら逆にゼヒ見せてほしいでせうな」

 

「うちの両親は割とそんな感じだとは思いますが。詩歌さんの記憶の中では、よく父さん母さんにビデオデッキぶつけられてましたし。そのDNAを受け継いだ息子である当麻さんも遺伝子的にドMで」

 

「俺たちの両親の馴れ初めはとにかく兄は虐げられてトキメク変態じゃないぞ!?」

 

「そうですか……にしても、本命雲川先輩で対抗馬に月読先生でしたが、大穴の、思いっきり毛嫌いされてる制理先輩の裸とは……流石、当麻さん。こちらの予想を上回る。弁護の余地はあるんでしょうか」

 

「待て、待つんだ、待ってくれ!! 当麻さんは無罪だ!」

 

「無実? 当麻さんが知ってる上条家ではこういう時、母さんは父さんにどうしたんでしょう?」

 

 陰影がますます濃くなり、ついに陽光のごとく眩しい笑みが、夜よりも暗黒な面(ダークサイドゾーン)に入った。その迫力たるや、先日不良を圧倒した愚兄の腰が引くほどだ。

 

「いや、そうじゃなくてな。えーっと……は、裸じゃなくて、下着姿だ。汚れた体操服を着替えただけで、わざわざ全裸になったりはしねーだろ」

 

「下着姿は見たんですねー。それで、制理先輩はどんな下着を付けてたんです? ああ、写メを見せてもらった方が早いですか」

 

「なんで下着の種類に興味を持つんだよ!? なんで写メ撮ってること前提なんだよ!? 青髪ピアスでもためらうレベルの勇者だぞ!?」

 

「おや? 何か言いましたか? よく詩歌さんを写メって父さんに送ってる当麻さん」

 

「それは家族アルバムだ。っつか、あの時、写メなんて撮ってたら、兄は<警備員>の世話になる前に吹寄にブッコロされてこの世にいない」

 

「うん、それもそうですね。当麻さんが写メなんか撮る訳がありませんもんね」

 

「当たり前だ」

 

「じゃあ、とりあえず、携帯渡して?」

 

「全然信用してねーな、マイシスター」

 

「ぶー。別にぃ、同性はとにかく異性のお友達ならたくさんいる兄を持てて光栄だなぁ、ってだけですよー」

 

 ぶー、って、わかりやすく拗ね始めたなー。まあこういう顔もいいなー。

 でも、これは土下座を検討すべきか。

 いや、別に自分が詩歌に謝らなくちゃいけない筋合いもないが。と、現状を維持するか打開するか少し悩んだが。

 そろそろ話題を変えねば、別れた後も引き摺って、明日の朝は添い寝というレベルでは済まないかもしれない。

 そこで、当麻はちょうどご機嫌取りに使えそうな貢物を持っていることを思い出した。

 

「そういやあまりそういう風に見えないが吹寄って、あからさまに怪しい商品を紹介する深夜番組の通販とか利用してんだよ」

 

「ほうほう」

 

 クラスメイトの堅物委員長タイプ(であって、本当の学級委員ではない)な吹寄制理は、メモを片手に通販番組を視聴したり、ベットの上でゴロゴロしながら通販雑誌をめくったり、おかげで1、2回使っただけで飽きてしまうので部屋の中はアイデア調理器具や最新健康グッズでいっぱいになってるそうだ。

 

「……まあ、実物を取ってみなければわからないこともあるでしょうし」

 

「お電話する前に一分くらい冷静に考えてみるべきだとは思うがな」

 

 『だってそこがギザギザになってるフライパンとか、すごく魅力的に見えるじゃない。お肉を焼くと脂肪が30%も落ちるとかって宣伝されてんのよ、実際にはそこの凸凹のせいで目玉焼きも焼けなかったけど!』と親切な忠告をしたら壮絶な言い訳が飛んできたが。

 

「んで、働きモンの詩歌に効果ありそうなものがあったから頼んだら、二つあってあまった試供品をもらったんだ、ほら」

 

 ポケットから取り出し、携帯よこせと差し出された妹の手の平に乗せたのは、煙草のパッケージほどの紙箱。

 アクションが0.1秒という達人の極みに近い土下座の愚兄が(投げつけられて)もらった余った通販試供品。

 

「『あつあつシープさん』? 携帯機器に付けるアクセサリーですか? ぱっと見たところ、下部コネクタに接続できそうですね」

 

 羊の形でデフォルメされたそれを、しげしげ観察する詩歌に当麻は説明。

 

「おう、肩こりから疲労回復まで何でも効く携帯遠赤外線治療器だなって、広そうで狭い範囲だけど、肩こりで悩んでる吹寄が愛用してるやつだそうだ」

 

「あー……制理先輩、気苦労が絶えない人ですしねぇ。それに」

 

「やっぱ胸が大きいと肩が凝るもんなのかねー。吹寄も詩歌も―――どうしたいきなり立ち止まって?」

 

 隣を歩いていたはずの賢妹が立ち止まって手で頭を抱えてる。

 そして、ものすっごく気の篭った溜息を吐いて、

 

「はー……なんというか、赤信号でも構わず横断歩道を渡っちゃう幼児のように目が離せません。ちゃんと右見て左見てほしいです。当麻さんも発言する前に一分くらい考え直すべきです」

 

「それだと会話が成立しなくなるぞ」

 

「それが会話として成立するんですか?」

 

 見た感じ肩こりしてそうな(じぶん)のため、と100%の善意思いやり気遣いで頼んだのは兄のクラスメイトの制理先輩もわかったんだろうが、きっと今の詩歌のように微妙な表情をしただろう。申し訳ない。

 

「当麻さんがラッキーイベントにあったことより、こんな自然(ナチュラル)にセクハラ地雷原を通る兄を思うと悲しくなります。ええ、制理先輩に謝りに行かないといけませんね」

 

「えっ……!? 詩歌さんが喜びそうだと思ったんだが、なんか兄の評価が下がってる!?」

 

 ツーン、と一歩先を行く詩歌。

 でも、兄の不始末を妹が処理するというのは普通逆だと思うが、それでも心配してくれ、身体を労わってくれるのはわかるので『あつあつシープさん』をカバンにしまう。

 とそこで、当麻の足元に転がる空き缶を拾おうと接近するドラム缶のような自動掃除ロボット。

 

「うおっ―――」

 

 ロボットを咄嗟に避けるもよろける当麻。

 バランスを取ろうと伸ばした愚兄の右手が、ちょうどカバンにものを入れててこちらから視線を外している一歩前の詩歌の背中に手をつき、押す。

 

「―――!?」

 

 パツン、と何かが飛んだ。

 

「わ、わりっ―――ん、どうした?」

 

 倒れこそしなかったが、何かあったのか。

 前屈みのまま体を起こさず胸を押さえて、後姿でもうかがえるその小耳がみるみる赤くなっている。

 心配そうに表を覗きこもうとする当麻に、詩歌は素早くその片手で制する。

 

「いえ、大丈夫です。―――で、当麻さん、これは故意ですか?」

 

「何がだ?」

 

「……とぼけては、ないようですね。でも、こんなのが、偶然外れるなんてっ……!」

 

 外れる? 何の話だ?

 しかし、わからないが、胸を押さえてるのは事実なので、何かしようと、とりあえず、叩いてしまった背中を摩る。

 

「ひゃん!? な、何をするんですか!」

 

「え、いや、苦しそうかなーって。強く背中打っちまったし、胸押さえてるから」

 

「大丈夫だって言ったでしょうっ! それとも当麻さんは公衆の面前で詩歌さんを辱めようとしてるんですかっ?」

 

「そんな気はないぞ。当麻さんはただ詩歌が楽になるようにって……何か悪いとこがあったら、教えてくれねーか」

 

「………」

 

 ジリジリと離れながら、こちらを睨む詩歌。

 妙に警戒されている。

 

「普通、仕組みも知らない人が偶然外せるはずはないのに、流石、当麻さんです。その右手が壊せるのは幻想だけじゃないんですね」

 

「褒められてんのか貶されてんのかわかんねーが、本当、何をやったんでせう?」

 

「詩歌さんじゃなかったら、引っ叩いてました」

 

 事情はまだ分からないが、軽口を叩けるということは落ち着いているのだろう。

 良かった。どうやらこちらが故意でないとわかってもらえ、本当に悪いところを打ったわけではない。

 当麻もつられて落ち着きを取り戻し―――て、気付く。

 

(あれ? 何か詩歌の胸が大きくなってるような……成長した?)

 

 いや、ありえないだろう。いくら成長期だからって、打ち出の小槌でもないのに叩いただけで大きくなるなんて……

 

(あれ? さっきの掃除ロボット。またこっちに来て……ん、今回収しようとしてんのは、ボタン、か?)

 

 そういえば、さっき、何か詩歌の胸から跳んだような気がする。

 そして、クラス一の大きさを誇る吹寄と同じ、肩こりしそうな悩みを抱えている賢妹もまたその胸は―――

 

 

「―――まさか、詩歌! ブラジャーのホックが外れ―――「常盤台中学秘伝『物理的衝撃による記憶消去法』っ!」」

 

 

 瞬間。

 スパンッ―――余計なことを口にしようとした頬に衝撃を受けて愚兄は横へ吹っ飛んだ。

 先の忠告を無視して右左と安全確認を怠って道路を渡ろうとした愚兄は、幻の平手打ちと衝突事故を起こしてしまった。

 

 

 

 目が覚めると、見慣れた空。

 何でか倒れているが、“記憶がない”。

 ノックダウンしたボクサーは、直前の記憶が飛ぶというが、それと同じか。

 

(何か事故が起きたような気がするが……っと、詩歌は)

 

 首を巡らせば、詩歌が慌てて近くのコンビニに駆け込んだのが見える。

 いったい何をしに………うん、あまり追及しないようにしよう。頭は忘れたが、心が危険だと告げてる。まあ、トイレだと―――

 

 ―――そのときだった。

 

 

「キミかわいいねー、うひょー、しかも常盤台じゃん!!」

 

 

 先日とよく似たフレーズで、これまた先日とよく似た状況で、道の端で、灰色のプリーツスカートに半袖のブラウスにサマーセーター―――常盤台中学の制服を着た茶髪で活発な雰囲気を持つ少女が、不良たちに絡まれていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「今からオレたちと遊びに行かない?」

 

「………」

 

「帰りはオレ達が送ってやるから」

 

「………」

 

「まっ、いつ帰れっかはわかンねーけどさ」

 

「………」

 

「「「「ヒァッヒァッ」」」」

 

 世界中のあらゆる教育を凝縮させたこの街は『学園都市』―――というが、名前負けよね。

 『外』よりも30年以上も開きを付けた最先端技術で、街中にセキュリティつけて、警備ロボットを徘徊させているのに、この手の原始人が絶滅しない。

 

 さて。

 どうして自分はどうしようもない馬鹿達に囲まれているのか。

 御坂美琴は、一度ここまでの過程を振り返ってみることにした。

 まずは放課後。幼馴染に何かお返しをすべきかと悩んでいたところを学校の先輩の助言を聞いて、試しにその場所に向かったのだ。しかし、行動範囲だけでなく行動速度も快速な幼馴染は既にそこにおらず、しばらく周囲を捜して見つからず途方に暮れたところで、能力に使うコインが切れてることに気付き、ちょうど目の前にゲームセンターがあったのでコインを補充しようと中に………そこで、複数の<スキルアウト>に強引に捕まってしまった。

 

「ふぅ~……」

 

 溜息をつく。

 自分よりも体格の大きく、力の強そうな不良共に囲まているにも拘らず、余裕の態度を崩さず、さて、どうしたものか考える。

 名門常盤台中学の学生だと知りながら、しかも自分に、声を掛けてきた馬鹿共の処理を。

 

(私に声かけてくるなんて、バカな連中ね……。まあ、あんまりしつこいようだったら電撃くらわせて追っぱらえばいいけど―――しっかし、まー……)

 

 不良達の雑な包囲網の隙間から見える光景を眺める。

 道行く人は中学生の女の子が不良にからまれているのに我関せずを貫いており、時折、こちらに気の毒そうな視線を送るが目を合わせるとそそくさと立ち去ってしまう。

 まあ、別に彼らが薄情って訳じゃないってことはわかってる。

 実際、ここに割って入っても何ができる訳じゃないし、ケガをするだけだ。

 誰だって自分がカワイイ、それがフツー。

 自分自身の障害にならない限り他人に踏み入ろうとは思わない。

 見ず知らずの人間のために手出しすれば、ろくなことにならない。

 

 ―――誰かに手を差し伸べたい、というのは危険な欲だ。

 

 そう、世話焼きな幼馴染は言う。

 助け合い、なんて言葉は聞こえはいいが、それは容易に『助けろコノヤロウ』とか『自分を助けないヤツは人でなしだ』という攻撃的悪意に置き換わる。

 思いやり、というのは、まず人は助け合えないという事実を認めて、それを尊重することだ。

 しかし。

 他人と手を繋ごうとするのに強欲な幼馴染を知っている美琴は、周りの人を冷たく錯覚してしまう。

 この状況はまるで、止まってるエスカレータを登るようなもの。

 何というか、つんのめる感じ。

 止まっているのだから、普通の階段と変わらないはずなのに、バランスが崩れるみたいな。

 事実は理解しても、エスカレータは動くものという固定観念が頭に違和感を生じさせる―――ただ動かないものが、逆に向かってくるように錯覚させる。

 幼馴染のような人間は希少であるとわかってはいるが、ただ助けが来ないものが、逆に攻められているように錯覚させる。

 

(仕方ない)

 

 止まっていようが、登ることは美琴の苦にならない。そもそも、自力でどうにかできるのにそれをしないのは甘えだろう。

 美琴に声をかけるのはあくまで例外で―――

 

 

「お、いたいた! こんなとこにいたのか」

 

 

 その時、思考の空白をつくようにツンツン頭の少年が現れた。

 

 

 下りのエスカレータを逆に登って来るよう、少年は強引に包囲網に割って入ると、美琴の腕を掴む。

 

「ダメだろ、勝手にはぐれちゃ」

 

「はぁ? 何アンタ?」

 

 いきなり見知らぬツンツン頭の少年が現れ、さらには恰も知り合いのように親しげに話しかけてくる。

 

「いやー、連れがお世話になりました。はい、通して」

 

 愛想笑いを浮かべながら、不良たちに軽く手で謝辞する。

 ……うん。

 正直に思ったことを口にした。

 

 

「ちょっと、誰よアンタ? なれなれしいわね」

 

 

 その言葉に周囲が凍りつく。

 

「おまっ……『知り合いのフリして自然にこの場から連れ出す作戦』が台無しだろ!? 合わせろよっ!!」

 

 この少年は穏便に事を済ませようとしていたらしい。

 この少年は道行く人達とは違う感性の持ち主らしい。

 が、

 

「何でそんなメンドクサイ事しなきゃなんないのよ」

 

 少女にとってみれば、これはピンチでも何でもなく、むしろ現実がわかっていないのは、自分に声を掛けてしまった<スキルアウト>の方だ。

 御坂美琴はこう見えても、学生寮で、逆から『地震・雷・火事・寮母』と怒らせたら、3番目に怖い、と恐れられている。

 そして、学園都市を代表する超能力者の第三位だ。

 今まで、彼女は1人の例外を除いて、たとえ複数人が相手だろうと負けた事がない。

 

「なンだテメェ、ナメたマネしやがって」

「なンか文句でもあンのか?」

 

 そんな噛み合わない会話をしていると、どうやら<スキルアウト>達は2人が知り合いではないと気付いたようだ。当然だ。

 メンチを切り、鉄パイプなどの武器を見せびらかせながら、徐々に包囲網を狭める。

 

「あー、えーと……」

 

 その時、ツンツン頭の少年の雰囲気が、変わる。

 美琴を庇うように一歩前に出て、不良達と相対する。

 

「はぁ……。しゃーねぇなぁ……ああ、そうだよ。恥ずかしくねーのかよ、おまえら」

 

「なンだと?」

 

 大勢のスキルアウトに凄まれても、その少年は怯まない。

 

「こんな大勢で女の子一人を囲んで情けねぇ。大体、おまえらが声かけた相手をよく見てみろよ」

 

 その背中は不思議と頼りがいのあると信じられるような雰囲気を纏っており……少女が姉と慕うあの幼馴染によく似ていた。

 

(コイツ……)

 

 不思議と、少年の一挙一動から目が離せず、一言一句を聞き洩らさなくなり―――

 

 

「―――まだ“ガキ”じゃねーか」

 

 

 ピシィッ、と。

 その言葉に、少女の中にある大切なナニカがキレかけた気がした。

 そんな事に少年は少しも気付きもせずに、うんざりするように半眼で不良を見ながらも熱弁を奮い続ける。

 

「さっきの見ただろ。“年上に敬意を払わないガサツな態度”」

 

 ―――ビキッ。

 

「見た目はお嬢様でも、“まだ反抗期も抜けてねーじゃん”」

 

 ―――ビキッ ビキッ。

 

 雷雲警報。

 後ろが大変な事になっているが少年は気付かない。

 1秒でも早く後ろを向いて荒御霊と化そうとする雷様を鎮めなければ、やばい。

 今、対峙している<スキルアウト>よりも恐ろしい少女の怒りゲージが沸々と溜まってきている。

 

「よーコイツ、砂にしちまうべ」

 

 ―――バチッ バッチン。

 

「い……いや、ちょっと待て、なんか様子が変……」

 

 ようやく、<スキルアウト>の内の1人が少女の周囲が帯電している事に気づくが―――

 

「おまえらみたいにな群れなきゃ“ガキ”も相手にできないようなヤツらはむかつくんだよっ!!」

 

 そう言い切り、後ろにいる少女を右手で勢いよく指さして、しまっ―――た。

 少女の怒りゲージがMAXに到達した瞬間、

 

「私が一番ムカつくのは……オマエだああああッ!!」

 

 ズガッシャア、と。

 電撃が、学園都市最強の発電系能力者でLevel5、<超電磁砲(レールガン)>、御坂美琴の怒りの一撃が轟音と共に鳴り響く。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『あくまでお姉さまは一般人ですのよ。自分から事件に首を突っ込まないでほしいですのー』

 

 と、前に後輩のルームメイトに言われたが、

 

 ああ……こんな雑魚共に能力を使ってしまった。

 

 生憎、力を使わず無手で不良たちを相手取れる自信はないが、御坂美琴は、『電撃姫』とも謳われる最高の電撃使いだ。

 その性能(パワー)は、10億Vの電流を手足のごとく自在に操り、雷ですらも支配下に置くことができるという天災じみたもの。

 だから、“<スキルアウト>を守る”ために、早く<警備員>か<風紀委員>が早く来てほしかったのに、割って入ったのは失礼な馬鹿―――

 

 

「っぶねー。何だ? 今の」

 

 

 あらかじめの想定(シチュエーション)通りならば、<スキルアウト>たちは呆気なくお粗末な悲鳴を上げて一瞬で黒焦げになっていたはずだった。

 のに、ツンツン頭の少年だけは何事もなかったように平然と突っ立っていた。

 

(えっ!? 何でこの男、電撃受けたのに無傷?)

 

 この少年にだけ自分の電撃が通じなかったのか。

 加減はしたが、普通なら今黒焦げになって転がっている<スキルアウト>と同じように少年もそうならないとおかしい。というより、<スキルアウト>は余波でやられて、美琴の電撃は少年を狙ったものだ。

 

「何か電撃がビリビリって……何者だ、オマエッ!」

 

「それはこっちのセリフよっ! 何でアンタだけ無傷なわけ?」

 

「っつか、何で俺まで攻撃? 助けに入っただけなんですけど?」

 

「んなもん、頼んだ覚えがないっ」

 

 <スキルアウト>に怯まないのは勇気があるからだと思ったが、今、こうしてLevel5序列第三位の<超電磁砲(レールガン)>に突っかかってくる。

 美琴は、自分と同年代でこんな事が出来るのは、幼馴染ぐらいなものだと思ったのだが……

 

(一体、なんなのよコイツッ!)

 

 この世にあるものには、全部理屈がある。

 今の自分にはわからないだけで、ちゃんと理屈があって、実にシンプルに小気味よく機能している。

 世界は簡潔であると美琴は思っていた。

 ああ、言われなくてもわかってる。

 つまるところ、下手に頭が良かったのだ。それも頑固でド下手な部類である。

 なのに、今の現象は奇奇怪怪だ。

 

 バチィッ、と。

 もう一度試しに電撃を放つ。

 が、

 

 パシィッ、と。

 その右手に触れただけで、電撃は霧散した。

 

「のわっ!? また? なんなんだ、このコ。その制服は常盤台だろ? あそこはお嬢様育成所じゃなかったのか?」

 

 ―――私の電撃を打ち消した?

 

 美琴はますますこの少年に対する警戒心を上げる。

 能力者の強度は、『自分の力で不可能を可能にする』という一種の思い込みを『現実』の中に組み込ませる<自分だけの現実(パーソナルリアリティ)>が強固であるほど高い。

 本来、絶縁である空気の壁さえ自身の電撃は貫くし、同系統の発電系能力者がその余波を浴びただけで余りの意識の強さに卒倒する。

 しかし、あの少年の手は通れなかった。

 これはもしかすると、自分よりも上位の能力者なのかもしれない、と。

 

「アンタ、何者? 何よ、その能力」

 

「いや、なんて言うか。……能力と言っていいのか……<身体検査(システムスキャン)>では“Level0”って判定なんだけど」

 

「能力……、ゼロ?」

 

 その言葉に頭が真っ白になる。

 おかしい。

 そんなのありえるはずがない!?

 自分の超能力者の電撃をあっさりと打ち消したのだ!

 その天災を殺した天災が、無能力者だって!?

 そんな人間、自分は―――ひとりしか知らない。

 

 相手の能力と接続する――“手を繋ぐ”身体の<幻想投影(イマジントレース)>とは、対照的な、相手の能力を打ち消す――“手を切る”右手<幻想殺し(イマジンブレイカー)>。

 

「そんな……。あ……あれ?」

 

 詳しい話を聞こうとしたが、美琴が呆けている間にツンツン頭の少年は目の前にはおらず、

 

「どいて、どいてーッ」

 

「あっ、こらっ、待ちなさいよっ!!」

 

 呼び止めたが、こちらを振り向こうともせずに、もう人込みの奥へと消え去ってしまった。

 

 

 

(もうっ! なんなのよっ!)

 

 美琴は地団駄を踏む。

 “姉”と同格だなんて絶対に認めらない。

 一瞬だけとはいえ、少年の後ろ姿が“姉”と重なって見えたが、そんなのは目の錯覚だ。

 そして、このまま“勝ち逃げ”されたままなのも気に食わない。

 

(今度見つけたら―――)

 

 ―――瞬間、背後から物凄く身に覚えのある重圧を感じ取った。

 

「ひぅっ!?」

 

 この背筋の凍るような感覚は、間違いない。

 つい最近、ルームメイトの後輩を目の前で調理された時に感じたものと同じ……いや、それよりも強い!?

 

 今すぐにここから逃げ去りたいのに、身体が金縛りにあったように言う事を聞かない。

 何故ならこれは、美琴の学生寮で最も畏怖される『寮母』――“寮”監と聖“母”の師弟の気当たりだからだ。

 それでも、油が切れたロボットのように、ぎこちない動きでも美琴は恐る恐る後ろを振り返る。

 その直後、たじろいだ顔を見せてしまったのは、致し方のないことだった。何故ならばそこには。

 

「フフフ、美琴さん」

 

 

 エースを殺すジョーカーがいた。

 

 

 優しく微笑みを湛えているが、聖母などという生易しい存在感ではない。ただ目だけが笑っていない表情、と言えば月並みだが、その月並みな表情からは、<スキルアウト>の睨み(メンチ)とは比べ物にならない覇気(プレッシャー)を放ち、常盤台全学生の平静を失わせさせるだろう。

 常盤台中学の二枚看板の超能力者を御するのは、教師ではなく、ひとりの最高学年だという。

 その、先輩で、幼馴染で、姉で……捜していたけど今最も会いたくない上条詩歌がにこやかに笑いながらこちらを見ながら、

 

 

「少し肉体言語(おはなし)しましょうか?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 『鏡の少女』はずっと映してきた。

 『疫病神』と蔑まれたあの人はきっと、物心ついた頃から、自分が異端――言葉を換えれば特別だという感覚を無意識に刷り込まれている。自分は異端だから、人に関心を持たれ、影響を与えられることを当然、当たり前に思う、図々しい自意識の持ち主だ。

 

 しかし、ほんの一年映さなかっただけで、彼はこちらの想像の斜め上を行っていた。

 

 あの愚か者はもう、自分が“特別ではない”ことを自覚していた。思い知っていた。多分、この能力者という異常だらけの街に一人で過ごしてきて、何度も自分の無能さを味わったのだろう。―――自分が特別だと思っている人間ほど、そういう機会は多い。だから、知っている。闇雲に賭けたところで負けが勝つのは知っている。

 でも、それなのに行動に我慢が利かない。人一倍、失敗する痛みを知っているのに、自分が動くことで良い結果を得られる“かもしれない”と思えば、自制できない。

 時折得られる幸福な結果は、それだけ不幸な彼には魅力的なものなのだろうが、不幸な彼は結局失敗ばかりして傷ついていく。

 

 ―――ほとんど病気。

 

 愚兄の行動原理はただ単純に『困っている人間』を見過ごせない。

 蹂躙される力なき弱者、強大な力の下で犠牲を虐げられる者、人の想いやひたむきな努力を打ち壊す行為―――それらを目の当たりにした時、全てをかなぐり捨てて加害者に立ち向かう。

 だが、『正義の味方』ではない。

 強いて言うなら<偽善使い(フォックスワード)>。

 ただ『助けたい』。

 善悪など考えず、自分の内から湧き上がるこの感情に従って、当麻は行動する。

 その結果が他人から善だと評価されるだけの事。

 もし、大切な者が危機に陥れば、彼は悪と蔑まれようとも助ける。

 

 そんな“見ていられない”ようなものを、私は見てきた。

 

(まったく……だから、いつも怪我しているのに……でも、だからこそ、私は当麻さんのことを……)

 

 尊敬している。

 他人のふり見て我がふり直せ、というが、その背中に焦がれてしまう、きっと、上条詩歌は上条当麻に盲目なのだ。

 そうやって、愚直にも己を貫こうとするからこそ、詩歌は、何があっても当麻の事を兄と慕い、1人の男として愛しているし、力になってあげたい。

 その想いは時が積み重なるほどに強くなってきている。

 この10年分の想い。

 詩歌は誰にも負ける気はない。

 

 

 ―――が、愚兄が馬鹿だと思うのもまた事実だ。

 

 

 ただ化粧室だけを使わせてもらうのは悪いので、お茶のペットボトルを買ったが、五分後くらいで出てくると、KOした愚兄がトラブルに突っ込んでいた。

 

(………おそらく、あれは先日の一件から反省した穏便な解決法『知り合いのフリして自然にこの場から連れ出す作戦』と言ったところ何でしょうが。失敗ですね。あのフリに自然に合わせられるのは詩歌さんくらいなものですよ、まったく……当麻さんと合わせられるのは詩歌さんだけ……ふふふ……)

 

 しかし、それでも余裕はあった。

 何故なら、詩歌は当麻が強い事を知っている。

 それは、内面の強さではなく実戦的な強さだ。

 先日のは例外として、当麻は3人以上が相手なら逃げを選択するなど穏便に解決する手段を好む傾向にあるが、この10年、詩歌を守るため強者たろうとした彼の努力は並大抵のものではなく、そこらへんの不良なら束になろうと苦もなく倒せるほどの実力者だ。

 しかし、現実は、何があるかは分からない。

 とりあえず、後方から当麻の雄姿を窺いつつ、いざという時は助けに入れる位置を確保しようとして近づいたら、

 

(ん?)

 

 ふと、おそらく助けに入った――見慣れた女の子から電流が迸っているのに気付いた。

 

(あれはもしかして……美琴さん?)

 

 からまれていた少女が妹分の美琴だと気付いた瞬間、周囲に電撃が走り、<スキルアウト>たちを黒焦げにした。

 

(まったく、自衛のためとはいえ、<スキルアウト>にあれほどの電流を浴びせるなんて、もう少し加減と言うのを教えなければいけないようですね。……それに電流が効かないとはいえ、当麻さんまで巻き込むなんて、……お仕置きが必要でしょうか)

 

 と、思考が黒に染まっていく詩歌を他所に、当麻と美琴の2人は口論し、

 

(あっ、また電撃を放つなんて……しかも当麻さんに向けて……何もしていないのに……)

 

 その後、再び口論になり、当麻は走って逃げてしまった。

 まだ、帰り道の途中だったのに……

 

(せ、せっかく当麻さんに付き添ってもらっていたのに……当麻さんとの一時が……私の当麻成分補充の機会が……ふふふ、フフフ……)

 

 詩歌の思考が黒からドス黒く変わってしまった。

 

 

 

 これはまだ学園都市に来る前の話だ。

 

 母の御坂美鈴が、お隣の上条家に相談を持ち掛けた。その内容は、『美琴ちゃんの野菜嫌いを治したい』というありきたりなもので、母歴の先輩である上条詩菜の経験談を聞きに来たのだろう。

 

『美琴ちゃん、ちょっと苦手な野菜を食べなくて。今日もグリンピースだけ除けちゃってて……偏食家の大人にならないよう、幼いうちに矯正したいのよねー』

 

 どうすればいいんでしょう、と母の詩菜に美鈴は言っていたのだが、隣で話を聞いていたパンと胸を叩いた詩歌が、『詩歌に任せて―――美琴ちゃんのお姉ちゃんとして美琴ちゃんの苦手なもの克服させてあげるっ!』と無暗に力強く請け負ってしまった。美鈴は優秀なお子さんのやる気を買って、『じゃあ、詩歌ちゃんに任せた! 美琴ちゃんを野菜大好きっ子にしちゃって!』と感激の体で握手を交わしたのだ……本人の美琴がいないところで。

 翌日の朝、リビングで朝食を取ろうと来たら幼馴染の詩歌が既に美琴の定位置の隣に席についていた。

 

『今日からご飯は、美琴ちゃんと一緒に食べます』

 

 『やったぁ! 詩歌お姉ちゃんと一緒だぁ!』と、初めは喜んだ。初めは。

 そして、その1日で御坂美琴は幼馴染が優しいけど厳しい『スパルタ』であると理解した。

 朝の食卓に並んだのは、母の美鈴入魂の苦手な野菜オンパレードだけど非常に美味な野菜料理、と何故か紫色の湯気が立っていた幼馴染の詩歌特製のジュース。

 荷造りヒモで幼児用の椅子に縛り付けられた美琴に抵抗する術も、逃げ道も用意されてなく、交互に美琴のお口に詩歌手ずから“あーん”された。

 

『さぁ美琴ちゃん。どう? このジュースは『不味い』でしょう?』

 

 幼馴染は絶好調だった。いつも浮かべている落ち着いた微笑みではなく、本当に楽しい時に見せる輝かんばかりの満面の笑顔だった。

 

『ところでこの野菜料理はジュースと同じ味? 違いますね? ―――そこで問題、『不味い』の反対はなんというんでしょうか?』

 

『ィャィャ~』

 

『んん? 声が小さいから、もう一度(ワンスモア)

 

 ひたすらに料理に愛情を注ぎこみ続ける母を背に、幼馴染は美琴と同じ料理とジュースを同じ量だけ一緒に食べながら、その瞳は固い決意が宿っていた。そして、その妙な節回し――どこかしら催眠的なささやき声だった――で、“説得”を試みた。

 

『ィャ、ィ…ャ…………イア』

 

『―――そう、そうです、そうなんです! まさに! まさしく! 野菜は『美味しい』ものなんです美琴ちゃん!』

 

 それからおよそ20セット。御坂家からは身の毛もよだつ叫喚が満ち、空を行く小鳥たちでさえも束の間羽を止め、憐みの声を天にささやいた。

 その壮絶な儀式が終わるころ、美琴には記憶がなかったが、

 

『……美味シイデセウ、美味シイデセウ……

 グリーンピース美味シイデセウ、ピーマン、レタス、ブロッコリーナド美味シイデセウ……

 ……野菜シャッキリポンド美味シク身体ニモ優シイカラ最高デセウ……

 …………………

 フングルイ、ムグルウナフ――クトゥルフ、ルルイエ――イア! イア! ベジタトテッブル、ツガー! イア! イア!』

 

 ……と後に聴かせてもらった母が録音した音声から、半ば洗脳状態ながらもすっかり野菜嫌いを克服していたことがうかがえる。その後一ヶ月は、野菜を見ると目が虚ろになり指先に細かな震えが起こるという後遺症があったが、初めて幼馴染の指導が成功した出来事である。

 ……………いや、成功と言うには大きな問題があることは解っているが、このおかげで今の美琴は好き嫌いなく何でも美味しく食べられるようになったことは感謝できることだ。

 

 

 

 で………

 

「し、詩歌さん!?」

 

 ようやく、詩歌の気配に気づいた美琴はぶるぶる、と怯える。

 それを見て詩歌はあらあら、と頬に手を当てて、

 

「こんなに怯えちゃって、どうしちゃったのかしら?」

 

 幼馴染は、ただ、優しく微笑んでいる。……にもかかわらず、しかし、背後の―――“姉”から立ち昇る黒いオーラはいったい。まさか、あの日の、開いてはいけない扉が、ギギギ……と音を立てて開くかのような、この『悪寒』は……

 詩歌は笑ったまま、

 

「美琴さん、先ほどの行為見ていました。自衛のためとはいえ、人にあれほどの電撃を浴びせるなんて……そんなことをするために私は美琴さんの『能力開発』に付き合ったわけではないですよ、美琴さんならもっと穏便に片付ける事ができたでしょう?」

 

「え、えーと、それはその……」

 

 反省しているのか美琴はバツが悪そうな顔を浮かべる。

 幼い頃から詩歌に世話になってきたので、こうなると反論もできない。

 

「それで、助けに来た人にまで電撃を浴びせるなんて、『いけない』ことでしょう?」

 

「そ、それは! あいつが私のことガキだって、バカにするから、つい……」

 

 その発言はアウトだった。

 詩歌の心の片隅に僅かに残された優しい姉心さえも美琴に情状酌量の余地がないと判断。

 本当に、可愛い妹分である美琴さんをお仕置きするのは心が痛みます。が……

 

「つい、で助けに来た人に電撃を……それも、当麻さんに……」

 

 その黒いオーラが巻きつく長髪が逆立つ。『怒髪天』。

 詩歌裁判では当麻に故意に電撃を放つなんてことをしたら極刑だと判決を下されても仕方がない。

 妹分のような美琴にお仕置きするのは本当に心が痛む。

 それでも、今の詩歌は『スパルタ』モードへ入っている。

 でも、辛い、心が痛む。

 しかし、ちゃんと理解するまで、指導をやめない。

 そして、何故か2人を遠目から眺めていた周囲のギャラリーが避けていく。

 帰り道で賑わっているはずなのに、2人の半径5mには誰も人がいない。

 別に彼らが薄情って訳じゃない、ただ本能に従っているだけってことはわかってる。

 誰だって自分がカワイイ、それがフツー。

 見ず知らずの人間のためにそんな事をするヤツがいたとしたら、ソイツはただのバカ………

 でもね、逃げる事は流石にないと思うんだけど……

 

「し、詩歌さん、落ち着いて! 周りの人たちも怯えてますよ!」

 

「あら? そうですね。何か恐ろしいものでも見たのでしょうか? 一体何なんでしょうね、美琴さん。詩歌さんは、母さんからの教え“辛い時ほど笑え”を実践しているだけなのに。ああ、辛いです。本当に……フフ、フフフフ」

 

「そ、それは、詩歌さんが……」

 

 怖いからです、とは言えない。

 

「フフフ、おかしいですよ、美琴さん。私はただ“笑って”いるだけですよ。脅したり、暴力を振るう訳でもないのに、どうして怖がる必要があるのですか?」

 

「「「ひぃっ!?」」」

 

 もしかしたら、笑みが足りなかったのかもしれない。

 そう考え、笑みを深めたら周囲の人にさらに怯えられ、悲鳴まであげられた。

 まったく、笑っているだけなのに……

 そんなことよりも、

 

「皆さん、怯えていますね……。でも、それがどうしたと言うんですか? 詩歌さんが、『いけない』ことを美琴さんにわからせるのに何か関係があるんですか、美琴さん?」

 

「し、詩歌さん……!?」

 

 スッ、と。

 美琴が何かを言いきる前に瞬で詩歌は背後に回る。

 そして優しく頭を抱き抱え、

 

「大丈夫、痛くないから」

 

「ふぇっ―――」

 

 ゴキッ、と。

 何がです? と口にする前に、鮮やかなお手並み。

 詩歌はそのまま電撃を出す時間など与えずに美琴の首を捻り意識を刈り取った。

 この程度、寮監を師匠と仰ぐ詩歌には造作もないこと。

 そして、その後のこの『教育』の結果、御坂美琴はもう二度と一般人に電撃を浴びせる加減は間違えない事を心に深く誓った。精神的外傷とセットで。

 

 

常盤台女子寮

 

 

「……反省した……わかったから……し、詩歌お姉ちゃ………っひゃう!?」

 

 と背中に冷たい悪寒が走って、目が覚めた。

 すぐには見当識を得られず、茫然としたまま呼吸を繰り返す。そうしている内に、徐々に頭の回転数を上げていく。

 寮の、自分の部屋だ。窓の外は暗く、既に日が落ちているらしかった。この静まり具合からすると、夕飯時は過ぎたかもしれない。

 とりあえず、ほっと息をつく。とはいえ、まだ身体が覚醒域まで届いておらず、動く気になれない。まるで身体の上に重しでも置かれているようだ……と思ってると、

 

「ウフ、ウフフフフ、ウうぇっへっへっへっへ。看病は人肌が一番ですのぉ」

 

 這い寄る不気味な笑い声。

 視界の端に映るツインテール。

 

「―――先輩から看病を頼まれましたが、どうやら今のお姉様は見事に絞め落とされて俎板の鯉! 黒子がその気になれば、何をされても抵抗ができない! これまでわたくしの悩ましい装いをアピールしてもスルーされてきましたが、これはお姉様とベットで親睦を深める―――いいえっ! これは黒子に訪れたお姉様と初夜を共にするチャンス!!」

 

「っんなわけあるかっ!!」

 

 お腹から搾りだす大声で怒鳴りながら、貞操の危機という状況が火事場の馬鹿力を発揮。巴投げの要領で腰に抱きつきスリスリしていたネグリジュ姿のルームメイト白井黒子を投げ飛ばした。

 寝ているものと思い込んでいた黒子はベットから床に墜落。そのままばたりと堕ちた。

 

「危なかったわ。でも、私、確か不良たちに絡まれて……」

 

 あれ? いつのまに部屋にいるんだ?

 何か失礼な奴と出会って、そいつが逃げてからどうも……と、

 

 ガチャリ、と記憶の扉ではなく、部屋の扉があいた。

 

「黒子さんと美琴さんは騒がしいですね。もっと静かにしないと師匠が罰則を科しますよ」

 

「詩歌、さん?」

 

 お盆を持った詩歌が部屋に入りながら小言。して、床でのびてる黒子を見て、

 

「出来上がるまで美琴さんの看病を頼んだんですけど、黒子さん、<風紀委員>でよっぽど疲れてたんでしょうか?」

 

「………いつものなんで、大丈夫です。そのまま寝かしてやってください。しばらく起きないと思うんで」

 

「そうですか。まあ、あまりはしゃぎ過ぎないように」

 

「お姉様~……黒子は~……黒子は~……」

 

 ベットの間に置かれたテーブルにお盆を置くと、黒子を抱き上げ、そのまま美琴の向かいのベットに寝かせる。

 

「それで、それは……?」

 

「美琴さんが寝ている間に、もう食堂はしまっちゃいましたから。少しお願いして、調理場と余った食材を貸してもらったんです。美味“しい格安(か”くやす)上条定食です」

 

 ごくり、と喉が鳴る。

 できたてな湯気と一緒に立ち昇る腹の虫を起こす匂いは、あんかけ焼うどん。肉の切れ端や野菜の芯を使ったまかない料理と似たようなもの。ではあるが、原材料にしても学園都市産は、肉ひとつとっても重要なイノシシ酸の研究が進んだ結果に旨味成分を大量発生させる熟成法で、くず肉でも世界標準だと並より上……この常盤台中学が取り付けたのは全てにおいて最高級品で、そして作ったのはシェフさんも真っ青なぐらい料理上手な幼馴染だ。この舌の肥えてるお嬢様にも出せる。何よりここ最近は滅多に食してはいないが、美琴にとっては第二のおふくろの味のようなものだ。

 

「ま、食べる気があるなら冷めないうちに」

 

 箸を取って一口。嚥下。

 それから、深々とした溜息に乗せて囁くように。

 

「……………おいしい……………」

 

 頬の内側までがきゅうっと痺れるような充足感に打ちのめされ、美琴は二口、三口と夢中であんかけが絡まるうどんをつるつるとすする。

 ふと気付くと、クリーム色の皿の上にあった幼馴染の手料理は、野菜の欠片もなく美琴の胃袋に収まっていた。

 

「ふふふ。美琴さんが苦手な野菜も残さず完食ですね」

 

「そんな昔の話持ち出さないでくださいよ、もう……」

 

 にこにこと笑いながら、食後のお茶のペットボトルを手渡す詩歌から、ペットボトルを受け取りつつ美琴は顔を背ける。

 昔からだ。あのときも――子供のころ野菜苦手克服特訓の時にも、詩歌は――ちょうど今と同じように――微笑みながら美琴の隣にいてくれた。

 後に母の美鈴が言ったが、美琴に合わせた味や栄養に調整するために作ったジュースの試作品――美琴に出したものより不味い――を何度も飲んでいたそうで。

 そして、一緒に『不味い』ジュースを飲みながら、最後まで付き合って、美琴を応援した。

 ごめんね、でも、がんばって……と、小言で申し訳なさそうに、呟きながら。

 その詩歌の声を聞いて、克服しなきゃ、と強く思ったのを覚えている。自分のためだけでなく、“姉”のためにも、早く野菜を食べられるようにならなきゃ、と。

 やっぱり優しい。

 

「で、『いけない』ことはちゃんとわかりましたか」

 

 怒ると怖いけど。

 ―――でも、あの馬鹿との決着はつけないと……

 

「では、もうすぐ消灯です。あまり夜更かししないように」

 

「あ、詩歌さん」

 

 呼び止め、ベットの横に置いてあったカバンから、コイン補充するついでにゲームセンターで手に入れた景品、角の部分が微振動のマッサージ機にも使えるかわいい羊のマスコットストラップ―――『ぶるぶるゴートくん』、を渡す。

 それを見た途端、幼馴染の微笑みが、微妙に固まる。

 

「……………、」

 

「えっ、と。この前の誕生日プレゼントのお返しというか」

 

「うん。ありがとうございます美琴さん。………でも、詩歌さんって、そんなに肩が凝ってると思われてるんでしょうか?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 少し前。

 

 学生寮玄関口に御坂美琴を背負って、帰ってきた上条詩歌。

 ちょうどホールで屯っていた陽菜はそれを見て、

 

「なあなあ、詩歌っち、そのお荷物となってる美琴っちはどったの?」

 

 『常盤台の姫様(エース)』をここまで見事に落とせる学生は詩歌ぐらいしかいない。

 

「ええ。ちょっと美琴さんにお仕置きを。今日、当麻さんと寮へ戻っている途中で美琴さんが<スキルアウト>の方々に電撃を放っていましたので――それに、助けようとした当麻さんにも……」

 

 顔に手を当てる。

 

(あちゃー、美琴っち、運が悪かったなー。詩歌っちの前で当麻っちに電撃を放ってしまうなんて……そんなことしちゃったら、詩歌っちがぶちぎれるのも無理ないわ)

 

 親友、上条詩歌は女性として最高級の部類に入るが、実の兄上条当麻に対する思い入れが若干、いや、かなり強過ぎる。本当に、真剣に、本気で懸想をしており、お嫁さんになるために努力している。

 それが小学校に入る前から10年も続いているのだから大したものだ。

 最近では、詩歌が時々、寮にやってくる土御門舞夏と言うエリートメイドと一緒に籠絡する作戦を考えているのをよく目撃する。

 もしこの想いが成就すれば、すぐさま国の法律を変えるだろう。

 これが、この『完璧』についた一点の傷。

 

「あはは、そうかそうか。それなら仕方ないねー、美琴っちが悪いわ」

 

 陽菜は詩歌の重度な、Level5級のブラコンだと知る数少ない理解者であるため、詩歌が当麻のために努力している事を知っている。そのブラコンを常々残念だとは思っているが……

 

(まあ、たしかに当麻っちはいい男だけどねぇー―――って、そんなこと考えたら危ないっ! もし詩歌っちに勘付かれたら恐ろしいことになる……!?)

 

 昔、この親友に『いい男だね、惚れちゃいそうだよ』とふざけ半分で言ったら、凄惨な笑みと共に凍りつくような殺気をぶつけられ冷や汗をかかされたのを今でもよく覚えている。

 まだあのときはあの鬼を脅す明王クラスの女戦士(アマゾネス)、寮監から鍛えられていなかったのにだ。

 今では、その寮監に鍛えられたせいか、さらに恐ろしくなっている気がする。

 

 上条当麻が関わっている場合の詩歌は絶対に相手しない方がいい。

 これは小学校から親友を続けている陽菜が言うから間違いない。

 

「そんでさ、明日の課題を見せておくれよ、私、まだやってなくてね。詩歌っち、お願い!」

 

「もう仕方ありませんね、陽菜さんは……ノート貸しますからちゃんとやってくださいね」

 

「ありがとー、詩歌っち」

 

 でも、愚兄が関わなければ、普通にいい子だ。

 この前も3年連続でお嫁さんにしたい女子生徒第1位になったくらいだ。

 そう、詩歌は男子からの人気が高い。

 見た目は小さくて可愛いし、顔もよく、スタイルもいい。

 性格も穏やかで人当たりもよく面倒見がいい。

 さらに家事は万能で、勉強もでき、教え上手。

 彼女の行動原理は『不幸を失くす』、だ。

 この常盤台中学はもちろん、おそらく学園都市で詩歌を嫌いな人はいないだろう。

 なんだかんだで、自分も含めて皆お世話になっている。

 

「(ほんとっ、極度のブラコンじゃなきゃなぁー)」

 

「陽菜さん、何か言いましいたか?」

 

「いーや、なにも。詩歌っちをお嫁さんにする人は幸せだなぁって言ったの」

 

「ふふふ、誉めても何も出ませんよ。それに私には心に決めた人がいますから」

 

「そっかぁ……」

 

 本当に残念だ。

 あの完全無欠鉄壁鈍感、上条当麻でなければ、いや、彼と兄妹でなければ……

 まあ、そう考えても仕方がない。

 あの鈍感を振り向かせる為に努力してきたからこそ、今の上条詩歌がいるのだから。

 

 

 

つづく

 


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