とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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学園テロ編 雨

学園テロ編 雨

 

 

 

教員用住宅

 

 

 

「あら、雨かしら……」

 

 

芳川は窓を叩く雨粒の音に気付く。

 

どうやら振り出してしまったらしい。

 

天気予報で予想していたよりは早い降り出しである。

 

詩歌も雨音に誘われるようにベランダへ近づく。

 

雨の音は静寂の音。

 

その音はどんな静けさよりも静寂を感じさせ、人に孤独を思い出さ、不安にさせるかもしれない。

 

でも、

 

 

「そういえば、母さんが雨は神様の涙、って教えてくれた事があります」

 

 

まだ学園都市に来る前、妹の前では決して泣かなかった強情な兄の分まで代わりに流すように詩歌は泣き虫だった。

 

そんな娘に、詩菜は、

 

 

『神様はね、人が笑ったと聞けば嬉しくて涙を流し、人が怒ったと聞けば悲しくて涙を流し、人が喜んだと聞けば感動して涙を流し、人が泣いたと聞けば一緒になって涙を流すの。だから、神様の優しい気持ちが籠っている雨はいつも温かくて、皆とても好きなの。だから、詩歌さんが誰かのために涙を流せるって事は、詩歌さんは優しい子って母さんは思うわ』

 

 

だから、昔の詩歌は雨の日が好きで、天気予報を聞いているだけでも嬉しかった。

 

 

「中々面白い事言う母親ね」

 

 

「はい。私に色々な事を教えてくれました」

 

 

料理はもう作り終わっている。

 

彼らは傘を持っていないだろう。

 

そして、物分かりの悪い偽善使いは、待つのが苦手で、自分の為に動く。

 

幸いにして、<一方通行>は先程の成敗で投影済み。

 

位置特定も、手段確保も済んでいる。

 

 

「じゃあ、2人に傘を届けに行ってきます」

 

 

それを理由にして、上条詩歌は部屋を出た。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

「おおー、雨が降ってる、ってミサカはミサカは夜空を見上げてみたり。ミサカはお月様を見たかったのに、ってちょっとしょんぼりしてみる」

 

 

最終下校時刻を過ぎて電車もバスもなくなり、傘を差すほどではないが雨も降り始めて人気もほとんどなくなった真っ暗な街中で、打ち止めは浴びるように無邪気に雨滴を受ける。

 

一方通行は、落ち着きなくあっちこっちをうろうろしている打ち止めをうんざりとした目で眺める。

 

 

「鬱陶しいからその辺で固まってろ」

 

 

「あ、あそこのバス停で雨宿りしているのは最近この辺りでウロチョロしている仔犬ちゃん!? ってミサカはミサカは猛ダッシュで追跡を開始してみた―――ッ!!」

 

 

「首輪とリードが必要かなァクソガキ!?」

 

 

むんずー、と好奇心の塊を首の後ろを掴んでおく。

 

ここでもう一度逃げられまた探さなくてはならないようなら、八つ当たりでその辺のビルを倒しかねない。

 

しかし、吊り上げられた問題児は両手をバタバタ振って、

 

 

「ミサカはここまで過保護にされなくても大丈夫かも、ってミサカはミサカは自由と解放を求めてみたり」

 

 

「ナニをフロンティア精神に溢れた寝言吐いてンだコラ。そもそも保護してねェしこれ以上手間ァ取らせると腹ァ殴ってプッツリ意識切っちまうぞ。そっちの方が楽そうだし」

 

 

「またまたー、そんなに照れなくっても、ってミサカはミサカは人差し指でつんつんしてみた――何故そこで力強く拳が握られるの? ってミサカはミサカは激情緩和用にこやかスマイルを浮かべて尋ねてみたり」

 

 

面倒臭ェ、と心の中で毒吐きつつ、それが溜息となって口から漏れる。

 

もし、10年後もこう言った輩を相手するようなら、ストレスで憤死してしまいそうだ。

 

不満なんて例え小奇麗な日常でも存在する。

 

全てにおいて自分に都合の良い世界なんて、他人の事情を全く無視した独善の空間だ。

 

だが、あれだけの事をしておいて、この程度の気だるさで済めるなら嘘みたいに安い買い物であろう。

 

むしろ、ここまでこの環境に慣れておいて、不満を漏らすなど自分は一体何様だと言われてもおかしくない。

 

とにかく、一方通行はこの世界にいる事を選んだのだ。

 

彼女の、ではなく、自分の意思で。

 

と、歩きながらつらつらと考え事をしている一方通行の耳に声が届く。

 

 

「痛っ!! ……転んだー、ってミサカはミサカは地べたで状況報告してみたり」

 

 

小雨の中、はしゃぎ過ぎたのか雨で濡れた路面で足を滑らし、打ち止めは転んでしまった。

 

 

「単なる泣き言だろォがよ」

 

 

「すりむいた、ってミサカはミサカは掌をじっと眺めてみる」

 

 

雨で濡れた道路から起き上がった打ち止めはちょっと泥で汚れていて、その両手には小さな傷ができていた。

 

赤い色が、じんわりと染み出てきている。

 

 

「消毒が必要かも、ってミサカはミサカはちょっと涙目になってみたり」

 

 

「ツバでも付けとけよ」

 

 

「消毒が必要かもーっ!! ってミサカはミサカは全く同じ台詞を号泣気味に絶叫してみたりーっ!!」

 

 

どこまでも鬱陶しい奴だ。

 

こっちは雨が本格的に降り始める前に戻りたいと言うのに。

 

だが、それでも不意に、『もしここにアイツがいれば』なんて言葉が過る。

 

一方通行はそんな自分に舌打ちすると、勘違いしたのか打ち止めが小さな唇を噛んでポツリと、

 

 

「分かった、ってミサカはミサカは納得してみたり。ここは痛いけど我慢してみる、ってミサカはミサカはテクテク歩いてあなたの後ろをついていってみる」

 

 

そして、打ち止めは正面を向いて、もう掌の傷の方へは視線を投げたりしない。

 

しかしそれは、無理に傷口から目を逸らそうとしているようにも見えた。

 

小さな口を引き結んで、何も言わずに後に続く。

 

言葉がないのがかえって妙なプレッシャーを与えてきた。

 

今にも泣きそうな空気というヤツである。

 

 

「……クソッたれが」

 

 

騒がれても鬱陶しい。

 

だが、これもまたこの小奇麗な日常の税金だ。

 

一方通行は現代的な杖をついていない方の手で意表を突くように打ち止めのおでこに指を当てて、そのまま後ろの、トタンの簡易屋根のあるバス停のベンチへ軽く押し倒す。

 

 

「わっ! ってミサカはミサ―――ッ!? ってあれ? 痛くない?」

 

 

キョトンとした顔の打ち止めがあちこち見回すが、彼はそれに構わずに言った。

 

 

「そこで待ってろ。勝手に動いたら叩き潰すぞ」

 

 

路上に唾を吐き、忌々しげに舌打ちすると一方通行はおよそ200m先にある近くの薬局へと向かった。

 

店内に入り、ざっと縦横無尽に敷き詰められた商品棚を見回す。

 

まず、最初に目を付けようとしたのは、消毒液と包帯――と、けれどあの程度の擦り傷でそれは大袈裟すぎると考え直す。

 

そう、包帯を巻くまでもなく絆創膏で十分に―――

 

 

(過保護)

 

 

もし、以前の一方通行を知っている者なら絆創膏の箱と睨めっこしている姿を見れば、目を疑うだろう。

 

沁みない消毒液や、傷口にくっつかない絆創膏など店員に尋ねてまでもわざわざ子供向けのものを選ぶなんて―――

 

 

(過保護)

 

 

ゴン!! と片足で八つ当たりにレジを蹴っていた。

 

ヒッ、とあわや店員は失神しかけてしまう。

 

この反応は、一方通行という怪物を目にした時の、研究者と同じ反応だ。

 

自分が少しでも拒絶すれば誰もが脅える。

 

なのに、

 

 

『ごめんなさい。……少し調子に乗り過ぎたようです』

 

 

アイツは怖がらなかった。

 

そういつでも……

 

 

「馬鹿げてやがる」

 

 

店員をひやひやさせながらも、絆創膏を買って打ち止めの所に向かう。

 

黄泉川がこういった行いに慣れないのか、と尋ねたが慣れる訳がない。

 

人間を1万人近く叩き潰した一方通行から最も縁遠い行いだ。

 

ちっぽけな傷を癒すために絆創膏を後生大事に抱えて夜の街を急ぐなどどうかしている。

 

些細なすり傷1つぐらいで、心配しても良いのか?

 

軽く1万L以上の流血を浴びてきたこの怪物が、アイツの手に触れていても良いのか?

 

 

「クソッたれが」

 

 

答えは出ている。

 

8月31日に。

 

たとえ自分がどれほどのクズであっても、側にいるあのガキには関係なく、だからあのガキが傷つけられようとしている時だけは、どれだけ場違いでもまっとうに動いてみせる。

 

アイツとの約束通りに……

 

良い意見だが、これではアイツらに負担を押し付けているようにも受け取れる。

 

自分の意思で決めたはずなのに、原動力に責任を転嫁しているように思われる。

 

 

(ナニを求めてやがる……?)

 

 

一方通行は奥歯を軽く噛み、

 

 

(イラっちまっている理由は何だ。俺はナニが足りねェと感じてンだ。ハッ、そこから分かンねェなンてな。自分探しなンてガラじゃねェのはテメェが一番分かってンだろォがよォ)

 

 

と、その時、

 

 

 

ゴン!! と。

 

猛スピードで突っ込んできた黒いワンボックスカーが、一方通行に激突した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

背後からの一撃だった。

 

彼が立っていた場所は車道から分厚いガードレールに遮られて区別された歩道であったが、そんなもの構う事なく軽々と引き千切ってワンボックスカーは一方通行に激突。

 

けたたましい音をたてて、無残にも自動車のライトやバンパーなどの破片が周囲に撒き散らされ、フロントガラスが細かく砕ける。

 

しかし、その一方で、激突された側の一方通行は、何事もなかったように平然と突っ立っていた。

 

彼は8月31日の一件で、第1位としての演算能力を失ってしまった。

 

だが、今、彼の手が触れている首元にあるチョーカー型の電極の制御スイッチをONにすれば、15分間だけだが、再び学園都市最強のLevel5として君臨できる。

 

この『反射』が発動している状態なら核兵器の直撃を受けても、傷一つつかない。

 

 

(何だァ……?)

 

 

一方通行は振り返る。

 

高速で突っ込んできた黒いワンボックスカーは、砲弾でも受けたように、一方通行と接触した前面中央の鉄板にクレーターを作りグシャグシャにひしゃげ、一発で廃車となっている憐れな襲撃者を。

 

痕跡を見る限り、ライトは最初から付けられておらず、ナンバープレートには強引に付け替えたらしき跡がある。

 

フロントガラスが砕けている程の衝撃を受けてもエアバックが起動した様子もなく、そもそもこの黒いワンボックスカーは盗難車らしく、ドアの鍵穴にこじ開けた形跡がある。

 

考えられるのは、後ろからの接近を悟られたくなく、自分達の薄汚い“匂い”を<警備員>なんて奴らに嗅ぎつけられたくなかったからであろう。

 

 

(つまり、まァ、あれか)

 

 

極めつけは、ひしゃげた運転席で呻いている黒ずくめの男。

 

スキーヤーのような分厚いゴーグルで目元まで徹底的に隠し、その胸元に差してある軍用拳銃のグリップが見えている。

 

ここまでくればもう答えは出たも同然だ。

 

いや、最初から分かっていたし、外へ出た時から予見していた。

 

この一方通行に恨みのある奴か、もしくは利用しようと躍起になっている研究機関が必ず何らかのアクションを仕掛けてくる事など。

 

自分を連れ戻そうと空気も気配も雰囲気もルールも何も読めないクソみたいな輩は必ず来る事など。

 

だから、おもてなしする心構えなんてとっくの昔に完了していた。

 

 

 

「―――ブチ、殺す」

 

 

 

ゴン!! という轟音が暗い街に響き渡る。

 

一瞬だった。

 

一方通行の細い腕がフロントガラスのなくなった窓から運転席の黒ずくめの男の顔面に、正確には口の中に吸い込まれるように、人差し指から小指までの4本が飛び込んだ。

 

黒い防刃マスクなど障子の紙のように突き抜けて、その白い手を喉の奥まで侵入させる。

 

残る親指で、顎を下から押さえつけ―――腕を手前に引く。

 

そうするだけで、ゴキリ、と顎関節は簡単に外れた。

 

 

「あははぎゃはあはははひひひぎゃははあはアハあははははッ!!」

 

 

一方通行の爆発的な笑みと共に、マグロの一本釣りのように男は後方へ投げ捨てられ、ノーバウンドで歩道の向こうの雑居ビルのシャッターへ激突。

 

ズパァン!! という落雷のような轟音が炸裂。

 

 

「ひぃ」

 

 

さらに、黒いワンボックスの奥の後部座席に1匹発見。

 

脅えるハイエナを見て、一方通行の赤い瞳が蠢く。

 

 

「ンンーう? 楽しい。あはは。やべェよオイ最高にトンじまったぞクソ野郎ォ!!」

 

 

一方通行はフロントガラスのなくなった所から車内へ突撃。

 

助手席のシートを雑草のように引き千切り、そのまま後部座席へと。

 

そして、存分におもてなしした後、もう1匹発見。

 

銃を抜いて噛みつこうとしてきたが、黒ずくめのハイエナの頭を掴んで真下に叩き、後部座席のシートの中に突っ込む。

 

 

「ははは。……だー、飽きたな畜生。興が冷めた。俺も鬼じゃねェ」

 

 

その時、一方通行は男のゴーグルに自身の笑顔を見て、

 

 

「クソ。殺しゃしねェよ、面倒臭せェしな。今ならお買い得の五割引きで許してやる」

 

 

「……、あが。五、割。か、金……?」

 

 

生与奪権を握られながらも、男は必死に言葉を紡ごうとする。

 

が、一方通行の口は三日月の形に歪んでいて、

 

 

「いいやァ」

 

 

ゆるゆると首が横に振られ、

 

 

 

「オマエの皮膚の五割を剥いでやる。それでもまだ生きてたら許してやるっつってンだよ」

 

 

 

直後、ぎぃぃ!! と虫のような悲鳴が響いた

 

楽しそうに、嬉しそうに、罪悪感が微塵も見えない嬉々とした、鬼気とした笑みを浮かべながら生きたまま男の皮膚を剥いでいく一方通行。

 

能力を使い、黒いワンボックスカーを破壊し、乗っている男達を瀕死の所まで追い詰め、久々の味に酔い痴れていると。

 

ガリガリガリ!! と地面を削る音が響き、一方通行を囲むように3台の黒いワンボックスカーが急停止。

 

おそらく、どの車も最初に突っ込んできたワンボックスカーと同じ盗難車だろう。

 

そして、この“匂い”からこのハイエナどもと同じ腐った輩が腐るほど詰め込まれているの違いない。

 

 

「面倒臭ェ……」

 

 

特別半額サービスは終了だ。

 

最初の男と同じように無造作に男を投げ捨てると、取り囲むワンボックスカーの後部スライドドアから人の気配では無く、代わりに無数の銃口こちらを覗いてくる。

 

だが、その銃口から鉛弾が吐き出される前に、一方通行のベクトル制御された一撃を真下へ叩きつけた。

 

ただでさえ歪んでいた車体フレームは致命的なダメージを与えられ、各種配管に亀裂を走らせ―――ドッ!! と爆発。

 

四方八方撒き散らされる爆風と熱波が辺り一帯を呑み込み、至近距離で高温の風の塊を受けたハイエナどもの阿鼻叫喚が生まれる。

 

喉の奥まで火傷にさらされ、ドアを開けて車内から飛び出す者までいる、が、

 

 

「演出ゴクロー。―――だが、もう飽きたンでな。チャッチャと片付けしてやりてーンだが、せめてもの駄賃だ。華々しく散らせてやるから感謝しろ」

 

 

炎の中で、一方通行は残骸を踏み潰しながら悠々と歩を進めてくる。

 

『反射』の制限時間は15分だが、これなら何の問題もない。

 

というより、ここまで足並みが乱されているならあと10秒でお終いだ。

 

とりあえず、もう二度と歯向かわないよう、襲撃者のハイエナ達を始末してやろうと―――した時、

 

 

「だーから言ってんじゃねぇかよぉ」

 

 

開きっ放しの後部スライドドアから黒ずくめの男が蹴り出され、その後から、のっそりと、

 

 

「あのガキ潰すにゃこんなもんじゃ駄目なんだよ」

 

 

顔の左側に入れ墨を彫り、

 

 

「ガキィ相手だからって甘い事ばっかりしやがって」

 

 

両手に細いフォルムの機械製のグローブ――文字通り100万分の1mクラスの繊細な作業を可能とする精密技術用品――マイクロマニピュレーターを装備した白衣を羽織った研究者、

 

 

「だから最初から俺が出るっつってんじゃねぇか」

 

 

かつて、学園都市最強のLevel5の能力開発を行っていた学園都市で最も優秀な能力開発研究者―――木原数多が現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

登場の仕方からして、この研究者はこの黒づくめの男達のボス。

 

さらに、この己の能力開発にも携わった知人でもあったが、

 

 

「ギャハハハハ!! キハラくんよォ、ンだァその思わせぶりな登場はァ!? ヒトのツラァ見ンのにビビッて目ェ背けてたインテリちゃんとは思えねェよなァ!!」

 

 

その顔を見た瞬間に、一方通行は吹き出した。

 

一方通行の研究に携わった者は皆、例外なく彼の高過ぎる才能に畏怖した。

 

同じ研究施設に2ヶ月といた試しがなかったのは、研究者がどれだけの野望を抱いた所で、それを遥かに凌駕する資質に、恐れ戦き震えあがったからだ。

 

唯一そうでなかったのは芳川桔梗くらいなもので、それ以外は皆一緒。

 

そう木原数多もそういった研究者の1人に過ぎない。

 

 

「いやぁ、俺としてもテメェと会うのはお断りだったんだけどな。上の連中が言うから仕方ねぇじゃねぇかよ。何でも緊急事態だとかで手段を選んでいる余裕はねぇんだと。だから、まぁ、悪りぃんだけどここで潰されてくんねーか」

 

 

そして、これも所詮、ハリボテの虚勢に過ぎない。

 

一方通行に学園都市最強の力を与えたのは彼だ。

 

だから、木原数多はその脅威をよく知っている。

 

ハイエナが1万人いようと、この一方通行には掠り傷どころか、触れるのも不可能であると。

 

一方通行が無視していると、数多は軽く肩をすくませ、

 

 

「そう言うなよ。誰がテメェの力を発現してやったと思ってんだ?」

 

 

「あ? ナニ? 何ですかその義理と人情に溢れた台詞。もしかしてこの一方通行に恩返しとか期待しちゃってるヒトとか? いやァ駄目だわ。っつかよォ」

 

 

一方通行は左手の人差し指をこめかみの辺りで、くるくる回しながら、

 

 

「イカれンなら1人でやれや。俺の体ァいじくった研究者の数なンざ両手の指じゃ足ンねェンだよ」

 

 

その通り、学園都市で最も優秀な能力開発の研究者だか知らないが、一方通行にとってみれば、能力の生みの親でも何でもなく、研究者Aのような眼中にないモブに過ぎないのだ。

 

だから、一切の躊躇いもなく。

 

ここらに転がっている黒づくめの男達と同様に。

 

ぶっ殺せる。

 

 

「つーか本気でムカつくガキだよなぁ、テメェは」

 

 

くすくすと、数多は元教え子の態度に、冷え性に悩むように自分の両肩を抱き、嘲笑を浮かべ、

 

 

「いやぁ殺したいわ。メチャクチャ殺したいわー。実を言うと前からその顔潰したくってたまらなかった訳よ。そりゃ昔は研究素材だったし、何よりガキのガキのクソガキだったから踏み止まったけどよぉ。こりゃー駄目だ。やっぱあの時きちんと殺しておくべきだったんだよなぁ。あー失敗だ。あっはっは、何やってんだかなぁ俺」

 

 

マイクロマニピュレーターの調子を確かめながら、木原数多は、無謀にも一方通行へと近づき―――一言、

 

 

「そんな訳で、殺すわクソガキ」

 

 

一方通行の顔面めがけて、超精密作業用のグローブに包まれた拳が飛来する。

 

『反射』が展開されてる事など、そして、そこに拳を叩きこめば腕が徹底的にへし折られる事など百も承知のはずなのに殴ろうとするこの大馬鹿な研究者を叩き潰す、と刹那の中でそこまで思考した――――が、

 

 

 

 

 

ゴン!! と。

 

機械製の拳が、一方通行の皮膚を削り取り、頭蓋骨を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

???

 

 

 

<木原>とは、『血に関係なく、純粋な科学の一分野を悪用しようと思う時に、その一分野に現れる実行者』。

 

故に人類が滅亡し、『科学』という文明が途絶えない限り、<木原>は世界中から忌み嫌われようと決して消え去ることはない。

 

そして、『科学』という凶器を、より狂気的に昇華させ、敵対するものは全て片っぱしから破滅させる。

 

<木原>とは違い血に縛られ、またその血は薄まりつつあるが、<鬼塚>――『あるがままの自然から異端な文明を破綻させる、<獣王>の血を継ぎし執行者』――という混血の鬼すらも、歪んでいるものの正真正銘の天才は、あわや絶滅危惧種となるまで追い込んだ。

 

 

「………やれやれ」

 

 

化物殺しの狂学者の一族――<木原>。

 

 

「一応、同じ一族何だが、ここまで躊躇なく簡単に殺せるとはね。<木原>は嫌というほど理解したよ。簡単に復元できるとはいえ、作るには時間がかかるんだ。それに私のコレクションを台無しにしただけでは飽き足らず研究結果も奪うとはどこまで貪欲なんだい彼女は。できれば<木原>とは脳幹君以外とは永久に顔を見せずに未来永劫関わり合いたくなかったんだが―――これじゃあ、簡単に“血”が滾ってしまうじゃないか」

 

 

その一員。

 

“自身と全く同じ顔をした上半身だけのモノを見下ろしながら”、平然となおどこか温かいとすらも思える声で彼は愚痴を言う。

 

 

「さて、<木原>らしく、―――を始めるとするか」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

<木原>の1人、木原数多は一方通行という化物の特徴、計算式、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』の全てを把握し、徹底的に研究し尽くしている。

 

それが絶対的な力でなく、弱点は探せば腐るほどある事は分かっている。

 

伊達に<一方通行>を開発していない。

 

確かにあらゆるベクトルを『反射』し、相手を自滅させる。

 

これほど怖いものはそうない。

 

しかし、その『反射』する直前で寸止めの要領で拳を引けば、自分から“遠さかっていく”拳のベクトルを反転させ、逆に自滅させられる。

 

つまり、このクソガキはわざわざ自分から殴られにいっているマゾ太君ってな訳―――なのだが……

 

 

「が……ぃ……ッ―――クソがっ!!」

 

 

倒れない。

 

こっちは気持ちよく振り切らさせて、会心の一発を直撃させたんだが、いかんせんそこからが予定外だ。

 

あの能力がなければただの虚弱児を、心身ともにお陀仏させるには充分な一撃だったのだが、取り乱さずに立っている。

 

これは精神力とかでどうにかなる次元ではない。

 

折角種明かしして、いつまでも最強を気取っているスクラップ野郎のプライドを根こそぎ捻り潰してやろうと思ってたんだが、

 

 

(……チッ、このクソガキ、『反射』の弱点を“知ってやがる”!)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「へぇー、おもしれーじゃねーか」

 

 

初手を研究通りに成功させたはずの木原数多が、不意に双眸を険しく細めながら後退する。

 

化物殺しの力があろうが、人間は人間で、化物は化物なのだ。

 

故に、攻略法に一部の欠陥もあってはならない。

 

これは研究者としての性として見逃せず、この化物の学習能力の高さを知っているからこそ警戒し、修正しなければならない。

 

 

(……クソッたれが)

 

 

それに対し、一方通行は舌打ちする。

 

この絶対的な『反射』を突き破られた事ではなく、

 

 

『あー君のベクトル操作はこの前の投影したので大凡理解できています。『反射』とはただ力のベクトルを反対に変えているだけです』

 

『そこで、寸止めの要領です。『反射』の有効範囲の寸前で拳を引けばどうなると思いますか?』

 

『そういう訳ではありません。最強などいない、と言いたいだけです。いつまでも『反射』に防御を任せきりにしてたら、いつか取り返しのつかない敗北を招く事になるでしょう』

 

 

彼女の忠告がものの見事に的中してしまった事だ。

 

 

(また……アイツにつまンねェ借りができちまったじゃねェか)

 

 

もしこれが初めてであったなら、この予想外の一撃に、余計にショックを受けていただろう。

 

だが、これよりも“重い”一撃をもらい、弱点を学習し、耐性ができていたからこそ冷静でいられた。

 

そして、久々の虐殺に酔い痴れていた頭が冷えた。

 

 

「おいおい。どーしちまったよ? えらく慎重になったじゃねぇか一方通行。まさか、『反射』が破られて、ブルっちまったのか?」

 

 

痺れを切らしたのか、木原数多は挑発するかのように、両腕を目一杯に広げ、まるで恋人でも迎えるような仕草を取る。

 

余裕。

 

『反射』に若干の違和感を感じたが、攻略法はなにもこれだけではない。

 

とりあえず、攻撃が通じていると分かれば十分だ。

 

例え『反射』破りを知っていても、防げないなら意味がない。

 

 

「頭撫で撫でしてやって慰めてやりてぇが、こっちにも目的がある。テメェ如きと遊んでいる時間はねぇんだよ」

 

 

ニヤニヤと笑いながら、木原数多は近づいていく。

 

 

「まぁ、“アレ”はこっちで回収しといてやるからよ。テメェは安心してここで潰れて壁の染みにでもなっててくれ。そっちの方がテメェらしいだろうしな?」

 

 

「……ッ!!」

 

 

一方通行の頭が、カッと熱を上げた。

 

木原数多は、目的は一方通行ではないと言った。

 

そして、いつも一方通行の側にいるらしい『アレ』を回収すると言った。

 

つまり目的はそちら。

 

『アレ』と呼ばれた人物を、一方通行や木原数多のいる血まみれの世界へ引きずり落すと言っているのだ。

 

 

「ナメ、てンじゃ……」

 

 

一方通行は俯きながら声を出す。

 

自分の間近で―――言い換えれば無防備に接近してくる数多や黒ずくめの男達に向かって、吠える。

 

 

「……ねェぞ三下がァああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 

轟!! と風が渦を巻く。

 

ありとあらゆるベクトルを操作する<一方通行>により、制御された風速120mの、竜巻(ハリケーン)として観測すると最大級のM7クラスに相当する暴風。

 

欧米では、強烈な竜巻が生み出す非現実染みた光景を、天空の神がつきおろした指のようにも見えるというが、これはまさにその神の指、いや、悪魔の指。

 

触れるものを全て微塵に粉砕、それこそフードプロフェッサーにフルーツを投げ込んだかのように。

 

 

だが、これも木原数多には予測済みだ。

 

 

「ギャハハ、駄目なんだよなぁ」

 

 

ピーッ、と乾いた音が周囲に響く。

 

 

<一方通行>はベクトルの計算式によって成立する。

 

ならば、ソイツを乱しちまえば良い。

 

風の『制御』は『反射』に比べてより複雑な計算式を必要とする。

 

プログラムコードと同じで、記述が多ければ多いほどバクが生じる可能性は高くなる。

 

もちろん、人為的な介入も。

 

つまり、一方通行の計算式の死角に潜り込むような波と方向性を持った『音波』を空気に通せば、簡単に『風の攻撃』は妨害(ジャミング)できる。

 

 

「テメェ如き眼中にねぇんだよクソガキ。多少力があるからって付け上がってんじゃねェのか。もういっぺん言ってやるけどよ、そのつまんねー力は一体どこの誰が与えてやったモンだと思ってんのよ。ほーれ、思い出したかー?」

 

 

木原数多の予想通りに、妨害が入った途端に<一方通行>により制御していた暴風の塊は吹き消される。

 

風船の口が開いたように、集められた風が四方八方へ散っていく。

 

しかし、

 

 

 

パシャッ―――

 

 

 

木原数多の顔面に、水飛沫が散った。

 

 

「……ッ!」

 

 

暴風の裏に隠れるように、飛来した雨で溜められた水塊。

 

それは『反射』に割いていた能力演算で集めたものだ。

 

予想外の一撃に、数多は上体をぐらつかせ、視界が奪われた。

 

 

「所詮二番煎じに過ぎねェ三下が、調子に乗ってンじゃねェぞ!」

 

 

非常に不愉快な事だが、『反射』破りだけでなく、『妨害』も、あの再会での一戦で飽きるほど『干渉』されたおかげで耐性ができるほど慣れてしまった。

 

この木原数多は、確かにベクトル操作を攻略しているが、一方通行を知り尽くしている訳じゃない。

 

 

「おおォ!!」

 

 

一方通行はベクトルを制御し、バネのように地面から飛び上がる。

 

右腕に固定されていた現代的なデザインの杖を放り捨てる。

 

殴るには邪魔だからだ。

 

『ここで立っていられたのはアイツのおかげ』と。

 

今の一方通行はむしゃくしゃして、触れて殺すのではなく、殴殺するような勢いで殴り飛ばしたい。

 

そんな気分だ。

 

木原数多の顔面に飛んだ速度を殺さない最速の拳を放つ。

 

 

「!?」

 

 

両手でガードされたものの、機械で作られたグローブを粉々にし、木原数多の体が、独楽のように回転して吹っ飛ばす。

 

そして、追い討ちをかけるように――――とその時、

 

 

 

世界が捻れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

黒い霞は蒸発した―――が、

 

 

「ada喰cmラウow」

 

 

<聖騎士王>の顎に何かが吸い込まれていく。

 

巨大で、膨大で、絶大で―――それでいて曖昧な流れ。

 

それを信じがたいほどの量を<聖騎士王>は、『徴収』していく。

 

並の魔術師が何千人かかっても及ばぬ量の生命力が、普通なら破裂してもおかしくないはずの生命力が、この人造兵器の元へ束ねられていく。

 

だが、それはそうなるように作られている。

 

『騎士王』の称号――『ペンドラゴン』は、『龍の頭』という意味を持ち、すなわち、『騎士王』とは『龍』すらも受け入れられる器を持つ者でもある。

 

そして、『龍』とは魔術世界において、基本的に3つの意味があり、

 

純粋な力としての『龍』、

 

神代の獣としての『龍』、

 

そして、超自然現象――洪水や地震を怪物と見立てた『龍』。

 

この最後の『龍』は、『龍脈』という用語があるように、その星の生命力でもあり、それを従える者こそがその土地の一大国家の命運さえも左右する王であり、そして、その力を魔法陣として組み込めば、<極大地震(アースシェイカー)>、<異界反転(ファントムハウンド)>、<永久凍土(コキュートスレプリカ)>などといった国を軽く1、2つ地図から消す最終兵器にもなり得る。

 

 

「喰giufラウ」

 

 

大地を、『龍』を統べる<聖騎士王>は、湖の精達の住む異界で作られたという精緻な魔法陣が刻みこまれた大剣――<絶対王剣>へとこの土地の『龍脈』を注ぎ込む。

 

それこそ<天使>クラスの魔力が戦術魔法陣(タクティカルサークル)の回路を循環。

 

数十万もの人間を一度に葬り去る<神撲騎士>の極技を、この学園都市に示す。

 

そして、その代償に、世界は“塗り潰される”。

 

塗り潰される。

 

塗り潰される。

 

塗り潰される。

 

この土地を維持するのに必要な――最も根源的なものが、浸食されていく。

 

世界が黒の世界へ反転していく。

 

 

「街が……!」

 

 

樹木が枯れていき、建物が崩れていく。

 

戦闘の余波で元より入っていた罅が膨らみを増し、みるみるうちに傾いていく。

 

この漆黒の怪物に喰われて、繁華街全体が崩壊しているのだと、陽菜は悟った。

 

そして――――本当の脅威はこれからであるという事も。

 

 

 

空間が、歪んだ。

 

 

 

「これ以上やらせるか――――」

 

 

攻撃は最大の防御。

 

衝撃波が周囲の空気を弾き、強烈な熱風がアスファルトの残骸をなぎ払う。

 

鬼塚陽菜は足元を爆発させ空へと跳ね飛び、己の全ての力を自然の猛威に変えて<聖騎士王>にぶつける。

 

 

「fhjj断cng罪」

 

 

上空の<赤鬼>へ座標を修正し、<絶対王剣>を大きく振るう。

 

灼熱業火の火炎竜巻へ黒き極光が衝突し―――一気に覆い尽した。

 

ビルを砕き、大地を穿ち、天空を割って、静謐な夜気を喰らい尽した。

 

爆発し、破裂し、炸裂し、呑み込んだ。

 

核兵器クラスの最高の火炎系能力者の全力を押し退け、星の地形すらも変える絶対的な王威による劫罰の極光。

 

 

 

そして―――<赤鬼>の身体が真っ赤に燃えた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

……燃やす……

 

……燃やす……

 

……燃やす……

 

 

闇の中、光を放つのはショーケースのような巨大なカプセル。

 

その中心に佇む小さな存在。

 

琥珀に閉じ込められた蝶のように。

 

微動だにせず、その血のようにアカい瞳を露わにしている。

 

少女はただ“視”ている。

 

この“炎”に触れたものが、“形”を失い、また伝染していくのを。

 

少女は単なる『種火』でただ“炎”を灯すだけで、止めない、止められない。

 

この不自然な文明を、完全に無に帰すまで“炎”は消えない。

 

 

 

つづく


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