とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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学園テロ編 不完全と完全

学園テロ編 不完全と完全

 

 

 

とある学生寮

 

 

 

今日は午前授業で、妹は放課後に用事があるそうなので、お弁当も用意していない。

 

それに汗を吸った制服から私服に着替えたかった。

 

という訳で、御坂美琴とは一回別れる事になり|(美琴は『たかがそうめんが何なのよーっ!』と叫んできたが、そこは有無を言わさぬ気迫で押し切った)、

 

 

「今日はそうめん」

 

 

「やだぁ!!」

 

 

あまりの空腹に動く気力もなくし、床の真ん中に仰向けで倒れていたインデックスはズバン!! と勢い良く起き上がり、こちらを睨む緑色に輝く瞳には不満いっぱいの感情が乗せられている。

 

どうして、この銀髪シスターがここまで拒絶反応を示すのか。

 

事の始まりは<大覇星祭>前。

 

もうすぐ街全体で開催される大規模な体育祭が始まる事になれば、当麻はご飯を作る余裕もなくなるだろうし、この学生寮の住人ではなく、色々とスケジュールが組まれている詩歌もしばらくこの部屋に来れなくなる。

 

となると、1週間の間、インデックスは自分でご飯を作らなければならぬ事態に陥る危険性がある。

 

別に出店で買うのも良いがそれだと出費がかさむのであまり財布にはよろしくない。

 

だが、この食べる専門のインデックスが料理などできるのか。

 

その事を危惧していた詩歌は<大覇星祭>前に、ある程度の作り置きを用意し、また、インデックスに簡単にできるようにレクチャーもした。

 

と言っても、電子レンジやお湯で温めるだけのお手軽なものであったが。

 

が、それがお手軽過ぎたのだ。

 

『私もご飯が作れるんだよ』、と初めて自分1人で作れた|(作り置きを温めただけなので微妙だが)感動もあったのだろうが、この<無限の胃袋>を持つ彼女の食欲の辞書に『自制』という文字はなく、『ちょっとだけ味見』と言いつつ歯止めが利かなくなった彼女は優に5日分はあった作り置きをどんどん作っては平らげていき………たった1食で空になった。

 

部屋に帰ってきた当麻が見たのは、荒れ果てた(散らかった)戦場(部屋)で満腹満腹とご機嫌な居候と、自分の為に取っておいてくれたほんの少しの生き残り(作り置き)だった

 

『コイツに料理を作らせるのは危険だ』と、でも、自分が留守中にインデックスを空腹にさせておくのも何だか忍びないので、当麻も何か作り置き―――は面倒。

 

そういう訳で、あまりこだわらなければ茹でれば簡単にできるそうめんがスーパーで大安売りしていたので、それをインデックスの胃袋の大きさを考慮して大量購入。

 

インデックスも最初は喜んで食べた―――のだが、『何か物足りないかも』と。

 

詩歌のきめの細かい丁寧な食事に舌が慣れてしまったのか、また、そうめんの単調な味に飽きてしまったのか。

 

自炊用に購入したそうめんは予想以上に余る事に。

 

おまけにタイミング悪く、学園都市の『外』で生活している上条夫妻から『いやー福引きで当たっちゃってさー。当麻も好きだろそうめん?』と膨大な量の乾燥麺類が送られてきている。

 

そんな訳で、<大覇星祭>が終わり北イタリアから旅行から帰ってきた後、なんとなく気分的に今年のそうめんを来年まで繰り越すのは避けたい|(詩歌から別に無理して消費するものではないと言われたが)当麻は、詩歌に使い切るまでの間、簡単に作れる作り置きは控えるよう指示し、サラダ風パスタ風うどん風などずっとそうめん一色に………

 

 

「何で当麻はここの所ずっと日本製の麺類ばっかりなの!? これ何の儀式! 食という文化を応用した体内調節魔術の一種なの!?」

 

 

ぶーぶー文句を言うインデックスだが、ただ自分で茹でなくなっただけで、実際にそうめんが食卓に並ぶと結構美味しそうに平らげてしまう。

 

この前も、旅行でオルソラからキオッジアの家庭料理を学んだ詩歌が作ったパスタ風のそうめんやそうめんを細かく砕いて衣にした揚げ物なんて、何度もおかわりしたくらいだ。

 

ようはそうめん倦怠期なのだ。

 

倦怠といってもあくまで一時的なものであって、根本的な所では大好きだからこそ起こりうる心の動きなのである。

 

当麻はコクリと頷くと、

 

 

「……恋愛って難しいな」

 

 

「とうま?」

 

 

インデックスからの不審人物を見るような目も気にせず、悟りを得た当麻は昼食の準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

コンサート前の広場

 

 

 

『恋愛は難しいものです』

 

 

かつて、1つ上の幼馴染に『何故、誰の告白も受けないんですか?』と聞いた時の答えがこれだった。

 

学園で『鉄壁の撃墜王』と呼ばれるほど多くの男性をフッてきた彼女は、別に恋愛に興味がないから断っているのではなく、かといって相手全員が嫌いなのではなく、ただ自分には難しいし、相手にも失礼だから……と。

 

思えば、鋭敏な直感力と正確な推理力、感情の機微を読み取る洞察力を持つ彼女だが、人のそういう好意にはとことん鈍い。

 

傍から美琴が見ても分かるほど、あからさまに好意を寄せている相手にも気付かなかった事もあるくらいだ。

 

何でも器用にこなしてしまう姉にも難しいものがある。

 

そして、恋愛とは難しいもの。

 

と、コンサート広場で御坂美琴は、ふとその時の詩歌の話を思い返していた……のだが、

 

 

「……、来ない」

 

 

あちこちで友人なり恋人ないが合流しては広場から離れていく景色の中、1人だけポツンと待ち続けているのは結構しんどい。

 

ここを待ち合わせ場所にしたのは間違いだったか。

 

美琴の服装は常盤台中学の制服のままだった。

 

薄っぺらい学生鞄とバイオリンのケースを抱えている。

 

遊びに行くのに邪魔だが、寮まで持って帰るのはそれはそれで面倒なのだ。

 

普段なら自由に出入りできるのだが、運悪く寮監とかに捕まるとしつこく外出目的を尋ねられる場合がある|(もしそれで夏休みにとある男性に振られてしまった彼女に男子と遊びに行くと答えれば―――って、今のは例え! アイツにするのは罰ゲーム!!)。

 

なので、待ち合わせの時間に遅れないように、敢えて寮に帰るのをやめて先に待ち合わせ場所へやってきたのだ。

 

今ある荷物は近くにいるらしい白井黒子に取りに来てもらおうかなと考えて電話で連絡を入れておいたのだが……

 

 

「どっちも来ないってどういう事よ……?」

 

 

美琴は呆然と呟く。

 

本来は黒子にさっさと荷物を押し付けたら時間までカフェで暇を潰していようと考えていたのだが、そもそも大前提の黒子すらやって来ないので、結果としてずっと立ちっ放しだ。

 

遅刻しないようにあれこれ努力したのに、当麻の方が遠慮なく遅れて来るのでは何のための配慮だったのだろう、と溜息を吐く。

 

かと言って、今から荷物を寮へ戻そうとしても、すでに待ち合わせの時間は過ぎているのだ。

 

ここを出た途端にすれ違いになるかもしれない。

 

はぁ、と美琴は疲れたように肩を落とす。

 

 

「メール送ったけど返事来ない。電源切ってんのかしら? っつか、アイツからまともに返事が来た事なんてほとんどないし……」

 

 

立っているのも疲れたので、その場にしゃがみこんで薄っぺらい学生鞄とバイオリンのケースを地面に置いた。

 

鞄はもちろんケースの方はそれだけで骨董的価値がありそうだが、美琴はあまり気に留めていない。

 

ケースはあくまでケースとして機能させるだけである。

 

と、そんな疲労感漂うお嬢様に、

 

 

「いたいたいました! 御坂さ~~ん!!」

 

 

明るい少女の声が飛んできた。

 

自分の名前を呼ばれた美琴は『おや?』という感じで顔を上げ、その声のする方に視線を向ける。

 

そこには美琴よりも小さな中学生が立っていた。

 

黒くて短い髪の上に造花をいっぱい取り付けた少女。

 

彼女も衣替えしたのか、服装が夏服の白の半袖から冬服の紺の長袖のセーラー服に変わっている。

 

白井黒子と同じ<風紀委員>に所属の初春飾利である。

 

 

「あら、初春さんじゃない」

 

 

「こんにちは、御坂さん」

 

 

黒子を介して、彼女と知り合い、時々一緒に遊んで、もう友人と呼べる間柄なのだが、向けられる眼差しには羨望の色合いが濃い。

 

これは、美琴にというよりも『憧れの常盤台のお嬢様』という憧れから来るものだ。

 

なので、お姉様命のルームメイトの不純なものよりも純粋なキラキラ具合で健全である。

 

 

「それで、どうしたの? お買い物?」

 

 

美琴が尋ねると、初春は恐る恐るという感じで、

 

 

「いえ、あのー、確か、白井さんが荷物を受け取りに来るという話だったと思うですけど……」

 

 

ん? と美琴は眉をひそめる。

 

初春は地面に置かれた学生鞄やバイオリンのケースを眺めて、

 

 

「ええとですね、白井さんに<風紀委員>の仕事を押し付け……いや一生懸命頑張っているので、ちょっと遅れそうなんです。本人は来る気まんまんなんですけど、ちょっと時間的に無理っぽいので代わりに私達がやってきましたー」

 

 

「へー、そうなんだ―――」

 

 

と、美琴は頷きかけたが、そこで固まった。

 

黒子は|(誤解のない方向で)近しい人間だから遠慮なく頼み事をできるのだが、初春も友達だが荷物運びを頼めるのかと言われれば、無理だ。

 

別にそこまで親しい訳ではないから、という訳ではないが、常盤台中学の人間ではないし、まして、こんな風に後輩に荷物運びを頼むのは遠慮したい。

 

寮の中には入れないのだから、必然的に荷物は『寮の誰かに受け渡し、部屋に運んでもらう』事になるだろう。

 

もし、それが詩歌や寮監だったりしたら最悪だ。

 

詩歌だとすれば、きっと微笑みながら初春を労い、その特級給仕の腕でお茶を振る舞ってくれるだろうが、たかが面倒だからという理由で後輩をパシリに使った美琴には熱~い煮え茶が待っているだろう。

 

でも、詩歌は今、何らかの用事があるそうなので、寮にはいないはず。

 

だが、学生寮の管理人として常駐している寮監はそうはいかない。

 

オトナの女性である寮監サマはおそらく初春にはニコニコの笑顔で向けて快く引き受けてるだろうが、美琴が寮に帰ってきた時に待っているのは憤怒の魔王である。

 

無手で高位能力者を撃破する恐ろしい姉に、格闘技を師事したのは寮監だ。

 

間違いなく/首を/狩られるだろう。

 

なので、美琴が気軽にパタパタと手を振って、

 

 

「黒子が来れないんだったら良いわよ。そこらのホテルのクロークにでも預けておくから。部屋さえ取っちゃえばそういう風に利用する事もできるし」

 

 

「はー、コインロッカーに預けない辺りは流石ですね」

 

 

びくびくとした瞳で見る。

 

楽器の審美眼はない素人目だけどそのバイオリンはかなり高級そう。

 

もしうっかり転んで落としてしまったら……

 

 

ごくり、と初春が喉を鳴らす――のを見て、美琴はさらに手を振って、

 

 

「いやいやいや! 別に初春さんが丁寧に運ぶか疑っている訳じゃないから落ち込まなくても良いわよ!!」

 

 

でも……と言葉を濁すが途中で止め、代わりに、それにしても、と語尾に続けて話題を変える。

 

 

「常盤台中学って本当に凄いですよねー。学校の授業でバイオリンを使うなんて普通じゃないですよ」

 

 

「そんなモンかしらね。使ってみるとそんなに難しいものでもないけど」

 

 

「例えそうだとしても、<盛夏祭>の時の御坂さんのように演奏するなんて私にはとても無理です。きっと舞台にも立てないで縮こまってますよー」

 

 

そんな大袈裟な、と美琴は少し指で頬を掻く。

 

自分でもバイオリンにはそこそこの自信はあるが、それでも上がいる。

 

学園の弦楽器系の『派閥』に所属する音波系の能力者や、それに、完全(万能な孤高)でもあり、不完全(周囲と調和する)な天才。

 

音色はその人の感情を表すと言うが、詩歌の弾くバイオリンは空間にすっ――と浸透し、広がっていくような豊かな旋律は、彼女の感情だけでなく、心を持たぬバイオリンの感情にも手を添えるような……印象を憶えた。

 

正しい姿勢に、型通りの動き、丁寧な力加減。

 

教えられた通りに弾けば、綺麗な音が奏でられる。

 

けれど、それが空に消えていく時、たまに無性に寂しくなる。

 

どんなにうまく弾こうが、それは1人の音だから。

 

でも、初めて手解きを受けた時にお手本で奏でてくれた音色はとても煌めいて聞こえ、最後に合わせた時は、楽しくて心が躍った。

 

そして、それは<盛夏祭>の時も残っていて、演奏中も胸の中に響き、美琴を勇気づけてくれた。

 

 

(そういや、私も最初は初春さんみたいに……)

 

 

『すっごいです。思わず聞き惚れちゃいましたよ』

 

 

『ふふふ、大袈裟ですよ、美琴さん。では………』

 

 

昔を思い出した美琴は地面に置いてあったバイオリンを拾い上げる。

 

謙遜過剰――などという熟語は無いが、当てはまるとしたらまさにそんな感じ。

 

初春は謙りし過ぎだ。

 

確かに、常盤台中学は入学にはそれなりのレベルが必要だけど、庶民とかお嬢様とか、上っ面なんて気にしない。

 

どこかの王族の娘とかあっさり不合格にしたって話もある。

 

まあ、そんな王家をあっさり切るような超難関エリアなんて言われそうだけど、バイオリンに触れてすらいないのに……

 

 

「よし、何ならちょっとやってみるか」

 

 

「え!? 聴かせてくれるんですか?」

 

 

「貴女が弾くのよ」

 

 

「ぶぇぇ!?」

 

 

初春はギョッとした目で美琴の顔を見たが、常盤台中学のお嬢様はそんな視線など意にも介さず、早くもケースの留め具を外し、骨董品特有の古びた輝きを見せるバイオリン本体と、それを弾く弓を取り出している。

 

 

「ほい楽器」

 

 

「ぶっ!? な、投げないでくださいっ!!」

 

 

値段が全く想像つかない一品を初春はおっかなびっくり受け取る。

 

壊れるどころか汗がついただけで価値が下がるんじゃないだろうか、と固まっている初春。

 

美琴は初春の隣に立つと、適当な仕草でバイオリン各部を指差していく。

 

 

「じゃあ言った通りにやってみて………」

 

 

『基本は知っているかと思いますが復習に。まずは、左手で本体を握ってください。そちらの弓を右手に持って弾きます。楽器の尻を顎と鎖骨の辺りで挟んで固定し、………ふふふ、大丈夫―――』

 

 

「大丈夫大丈夫、きっとできるから、初春さん」

 

 

簡単に説明するが、お嬢様との意識差に怯える初春にはほとんど聞こえていない。

 

爆弾を押し付けられたようにビクビクと、ちょっとした拍子にボキッと楽器が折って色々と一生モノな責任を取らないようにと、カチコチ固まって指一本動かせない初春に、美琴は怪訝そうな目で見て、気付いたように、

 

 

「ごめんごめん。やっぱり口だけじゃ分からなかったかしら」

 

 

自分の説明力不足かー、と美琴は考えるがこれ以上を口頭で教えるのは難しいし、ならば、

 

 

「え、ええ。」

 

 

「じゃあ手を使って教えてあげよう。こうすんのよ」

 

 

「うぇぇ!?」

 

 

初春が叫び声をあげて吃驚するが、それよりも早く美琴がそっと初春の後ろから両腕を回して、バイオリンを掴む。

 

その光景は幼い子供に母親が優しく教えるような格好である。

 

不意な急接近にビキバキに凍りついた初春だが、彼女の背中に密着している美琴は全く気付かないし、気付いたとしても彼女はそれを自身の教授不足かと思うだろう。

 

これは単なる偶然だが、初春の耳元に息を吹きかけるような姿勢でレクチャーが始まる。

 

 

「左手の弦を押えんのも大切だけど、まずは右手の弓の使い方よね。難しそうに見えるかもしれないけど、弦に対して正しい角度で弾く事だけ覚えりゃ普通に音が出るから」

 

 

初春の手に重ねるように合わせられた美琴のしっとりとした手が動く。

 

楽器を調律するような、細い一音だけが長く伸びた。

 

それをきっかけに少し初春の身体の硬さが取れたが、背中に憧れのお嬢様が張り付いている事にまた別の緊張感が初春に生まれている事に、美琴は気付いていない。

 

これは後輩に優しい彼女を幼馴染に持ったせいなのか、美琴も黒子のような相手ではない限り、基本的に美琴は女の子に優しい。

 

 

「左手の使い方によって奏法が変わっていくの。ピッチカート、グリッサンド、フラジョレット。まぁ色々あるんだけど、どれも難しくないし1つずつやってみましょうか。なに、こんなのすぐに慣れちゃうから大丈夫よ」

 

 

背中から伝わる人肌の温もりに、耳元を擽る甘い息、両手の指に緩やかに包み込まれる感触。

 

そして、緊張をほぐすようにように優しく、

 

 

「大丈夫よ。ここは大きな広場でパフォーマンスの規制も特にないから、楽器を使っても人から注意される心配は無いし」

 

 

初春は悟る。

 

これが、あのお姉様命の<風紀委員>の同僚がのめり込んでいるお嬢様の上下関係の全貌だったのか!!

 

入学前は、『『派閥』とか色々とキナ臭い印象を受けますわ』とか『コーマンチキでいけ好かない性悪女共に決まってますの』などと、知らないのによくそこまで言えるなぁ、と思えるほどお嬢様に偏見を持っていた彼女だったが、今の姿と比べるとその豹変ぶりは凄まじい。

 

だが、それも納得。

 

周りは、いつの間にか人だかりができていたが、それに気付かないほどに夢中―――とそこで気付く。

 

もしこの光景を彼女に見られたら………

 

 

 

―――ゾクゾクッ!?!?

 

 

 

急な悪寒が、人混みの向こうから―――

 

 

「ぎゃああああああああああああーっ!!」

 

 

―――壮絶な表情を浮かべていた同僚、白井黒子の姿を初春の視界が捉えた。

 

その怨念染みた重圧に、思わず強張って腕に不自然な力が入り、ぎぎぎーっ! と楽器から嫌な音を出してしまう。

 

 

「(……ああそういう事ですの珍しく白井さんの荷物運びの用事を手伝ってあげますよとか殊勝な事を言っていると思ったらこんな裏がありましたのね油断も隙もないとはこの事ですわそもそもわたくしだってそんな美味しい目に遭った事は無いというのにお姉様ったらー)」

 

 

その時の黒子の顔は、テレビの放送コードに引っ掛かりそうな顔だった。

 

そして、黒子の存在を最後まで考えもしなかった美琴は、冷汗をダラダラかいている初春飾利を見て、ギャラリーの中に不審者がいるのでは? と考えたのだが、流石にそれは、同僚が不憫過ぎて初春は涙目ながら止めに入った。

 

 

 

 

 

教員用住宅

 

 

 

一方通行が見上げているのは、教職員向けに建てられたマンション。

 

学園都市の住居は基本的に学生寮ばかりで、こういったマンションなりアパートなりといった施設は生徒にあまり縁がない。

 

建物の外観だけを見れば学生寮もマンションもそう大した違いはないのだが、サービス面に細かい違いがあり、それらが積み重なって個性となっていた。

 

なんだかんだ言っても学生寮は『子供を管理する建物』である。

 

寮はセキュリティという大義名分の下、防犯カメラの位置などに遠慮がないのが特徴的だが、このマンションにはある程度の配慮がされていた。

 

 

「何階だ?」

 

 

一方通行が尋ねると、これからの家主ではなく、同乗者の1人が、

 

 

「何階ですか? ですよ、あー君。先生の時もそうですが、お世話になる人にその言葉遣いと態度は、あまり気分が良いものじゃありません」

 

 

流石はお嬢様、と言ったところか。

 

友人が目上に礼を失するのを見れば、お小言が飛び出しもする。

 

それでも、物心ついた時から会話のキャッチボールで凶悪な豪速球しか投げてこなかった一方通行だ、誰に注意されようがその癖を改めようとは思わない。

 

一方通行はその注意を聞き流すと、非礼を浴びた側なのに、ここまで案内してきた黄泉川愛穂が笑いながら答えた。

 

 

「あはは、詩歌ちゃん、別に言葉遣いや態度は気にしなくていいよん。逆に丁寧で聞かれた方がビビるじゃん。あ、それから13階。停電になると階段使うの苦しいじゃんよー」

 

 

教師としてそれはどうなのかとは思うが、『まあ、それもそうですね』と上条詩歌は納得する。

 

その隣で、『おー』と背の高い建物を見上げて打ち止めは声を出す。

 

彼女は件の13階を眺めようとしたらしいが、途中で太陽を直接見てしまってくらくらと頭を振った。

 

その小さな肩を横から詩歌が支えると、その背後から芳川桔梗が、

 

 

「まぁ、1階や2階に比べれば襲撃の機会は減るんじゃないかしら?」

 

 

「……建物ごと吹っ飛ばされる場合は上の階の方が被害はデケェンだけどな」

 

 

一方通行が寮生活をしていた頃は流石にそこまでやられなかったが、別にこれからもそうだと保障された訳ではない。

 

 

「確かに、大変です。もちろん、相手の方もそれ相応のリスクはありますが。何にせよ、ここでそう警戒しても仕方がありません。見た所セキュリティは中々ですが、一応、このマンションの構造を調べて対抗策を考えませんと」

 

 

と、詩歌が同意するように頷く。

 

一方通行はとにかく、この争い事とは無縁に見える可憐なお嬢様までこの手の物騒な会話に慣れているとは思わなかったのか、芳川は頼もしさ半分呆れ半分と言った表情を浮かべる。

 

実は、この少女がとある学習塾の一棟の爆破解体を指揮した実績の持ち主とは知らない芳川であった。

 

しかし、当の家主である黄泉川は然して気にした様子もなく、出入り口のオートロックで使うのだろう、ラミネート加工のカードを取り出しつつ言った。

 

 

「さてさて。ちょっと遅めになるけどお昼も食べなくちゃいけないし、とっとと部屋に入るとしようじゃん」

 

 

マンションの出入り口は一見開放的なガラスの自動ドアだが、耐爆仕様になっているのが窺える。

 

カードを通すだけのロック機構も、実質的にはカードを握る指先から指紋や生体電気信号パターンなどのデータもやり取りしているようだ。

 

いわゆる高級マンションなのだろう。

 

しかし、公務員の給料は削減する方向だった気がするが、黄泉川曰く、結構安月給でも何とかなるものじゃん。

 

このマンションも建築方面の実地試験を兼ねた『施設』―――試作であるため、セキュリティの方式などがいきなり変更されたりして不便な点もあるが、家賃のいくらかは大学側の研究協力の名目で免除されている。

 

 

「<警備員>って基本的にボランティアだから無給なんだけどさ、あっちこっちで案外善意のサービスしてくれたりするじゃんよ。スーパーのお肉は安くなったりとかね」

 

 

「……マンションの家賃と特売日が同じ扱いかよ」

 

 

「何にせよ、帰ってきたら滅茶苦茶に荒らされていた寮よりは100倍マシです。それに生活力皆無のあー君だけに世話を任せたら、ちゃんとしたご飯を食べさせられるか心配です。外食が悪いとは言いませんが、そればかりですと問題です。前にも言いましたが打ち止めさんぐらいの年の娘は、栄養バランスが大事なんですよ。本当、黄泉川先生、あー君に代わってお礼を言います。ありがとうございます。口は悪く、性根も捻くれてますが、見捨てないでやってください」

 

 

「さっきからいちいち……っつか、頭下げンじゃねェ! テメェは俺の保護者か!!」

 

 

「あっはっはー、任されたじゃんよー」

 

 

そんなこんなで、一方通行、詩歌、打ち止め、黄泉川、芳川の5人はマンションの中へと入る。

 

ちなみに小萌先生は別の用事があるとかで今はここにいない。

 

おそらくこれも試作品の1つだろう、低振動エレベーターに乗って浮遊感も覚えず13階まで辿り着くと、すぐそこのドアが黄泉川の部屋だった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞー」

 

 

と黄泉川が玄関のドアを開けると、そこに待っているのは4LDK。

 

どう考えても家族向けで、なおかつ一生をかけてローンを払い続ける規模の部屋だ。

 

実験協力として大学側がある程度の額を免除しているとはいえ、本当に公務員の安月給で何とかなるのだろうか?

 

ピカピカに磨かれたフローリングのリビングは、一人暮らしというイメージに反して小綺麗に整えられており、お酒のビンやグラスなどが棚の中に飾られていて、雑誌や新聞なども専用のラックに収められている。

 

テレビ、エアコン、コンポ、録画デッキなどのリモコンはテーブルの角に並べて置いてあった。

 

ソファの上のクッション一つ一つまで丁寧に位置取りしてある。

 

この第一印象がガサツな暴力教師の部屋とは思えないほどキッチリしている。

 

打ち止めは目を丸くして、

 

 

「すごいすごい、埃もほとんどないかも、ってミサカはミサカはソファの上に飛び込みながら褒めてみたり」

 

 

柔らかいソファに沈む打ち止めの明るい声に反して、芳川は呆れたように息を吐いて、

 

 

「……貴女、また勤め先で始末書を書かされたのね。」

 

 

ギクリ、と黄泉川のジャージ姿が大きく揺れた。

 

 

「あ、あはは。何の事じゃーん?」

 

 

「どういう意味? ってミサカはミサカはゴロゴロしながら首を傾げてみる」

 

 

「彼女は昔っから問題が起きると部屋の整理整頓を始めるような人間だったというだけよ。しかも後先考えずにとりあえず片付けまくるから、後になって部屋の鍵が見つからないとかいう事態にもなるの。気をつけておきなさい」

 

 

「それが次の仕事先を一緒に探してやっている恩人に対する言葉じゃんかよー?」

 

 

昔からの付き合いなのか、黄泉川と芳川は、どうも2人で話すときだけ若干ながら言動が子供っぽくなる。

 

何となく詩歌は、手を焼かせる親友の鬼塚陽菜と彼女にいつも手を焼かされているけど、面倒見の良い固法美偉が思い浮かんだ。

 

芳川は、さらにリビングから繋がっているキッチンの方へ目をやると、

 

 

「その癖が抜けてないって事は、台所の方の癖も相変わらずなのかしら。はぁー、詩歌さん。期待を裏切るようで悪いけど、彼女は保護者として相応しくないかもしれないわ」

 

 

「おいおーい! 何を勝手に人の評価を下げようとしてるじゃんっ! 整理整頓の悪癖は認めるけどそっちを指摘されるの癪じゃんよーっ! 桔梗だって私が出した料理は美味そうにバクバク食ってたじゃんか」

 

 

「作り方さえ知らなければね」

 

 

詩歌と一方通行、打ち止めは2人の会話が気になったのか、『私の腕は日々進歩してるんだ。だったらその目で確かめてみーっ!』と黄泉川が芳川を連れてキッチンへと向かうその後ろに続く。

 

『実験の協力』という名目の通り、黄泉川宅のキッチンには様々な調理器具が並んでいた。

 

水蒸気を利用したスチーム電子レンジや、AI搭載の高周波式全自動食器洗い機などなど、何だかメカメカしいものばかり集結している。

 

それを見ていた主婦学生の詩歌が、まあまあ、一度ここで料理してみたいです、とその目を輝かせていた事から学生寮と比べて中々の設備なのだろう。

 

が、そのまま放って置かれていますと宣言しているような未使用感溢れる調理器具を見る限り、家主の黄泉川がそういったものを使った形跡はない。

 

そして、それらを押し退けて一際目立つ物――4台5台とゴロゴロ置いてある電子炊飯器がキッチンを占領していた。

 

シューシューと湯気が出ている所を見ると、全て稼働中であるようだ。

 

なるほど、そういう事ですか、と詩歌は頷き、一方通行はうんざりした顔で、

 

 

「……1人1台か。フザけてンのか白米マニア?」

 

 

「いえ、それは違うでしょう。炊飯器はお米を炊くことしかできないと思いがちですが、炊く以外にも、煮たり、蒸したり、焼いたりとおかずも作る事もできるんですよ。しかも、火は使いませんから、お手軽簡単に」

 

 

お嬢様なのに、家事に詳しい詩歌に、我が意を得たとばかりに黄泉川はうんうんと頷き、

 

 

「そうそう! 詩歌ちゃんの言う通り! 寸胴鍋やフライパンとかあれこれ揃えなくても何でもできる万能の調理器、炊飯器があれば問題ないじゃん! こっちのがパンを焼いてて、そっちのがシチューを煮込んでて、あっちのが白身魚を蒸してんの」

 

 

「……、」

 

 

何となく、芳川の言いたい事が分かった。

 

既にそんな状態を知っている昔ながらの友人は、相変わらずの光景に溜息を吐いて、

 

 

「彼女は昔から小麦粉があればどんな残りものでもお好み焼きにできるとかいって大型ホットプレートを買ってきたり、圧力鍋さえあれば一生分の献立を作れるからもう他には何もいらないとか寝言を喚いたり……何にしても極端過ぎるのよ。足して二で割ったら反物質反応が起きるぐらいにね」

 

 

「まあ、これだけの調理器を使わないなんて勿体ないですし、炊飯器一つで万能は行き過ぎかもしれませんが、日々料理を作り続けるのは大変です。手を抜くこともまた重要ですよ、芳川さん」

 

 

「ダメよ。そんな甘い事を言ってこれ以上ナマケモノをつけあがらせちゃ」

 

 

「変な動物みたいな寸評はやめて欲しいじゃん。ちゃんと味と栄養と満腹感は得ているんだから問題は無いじゃんよー」

 

 

「はぁ。貴女は一度、苦労して作る楽しみを覚えた方が良いわね」

 

 

と芳川は諭すのだが、かく言う彼女の専攻は遺伝子分野であって、苦労して作っていたのは2万強ものクローン人間だった事を考えると、あんまり笑えないコメントであった。

 

 

 

 

 

コンサート前の広場

 

 

 

待ち合わせの時間は午後1時だった……のだが、

 

 

「既に1時30分ってどういうことなのよーっ!!」

 

 

第7学区でそこそこ目立つコンサートホール前の広場で、ポツンと1人待ちぼうけを喰らった美琴の絶叫が響き渡る。

 

そこへ当麻は両手を合わせて頭を下げながら全力で駆け寄った。

 

 

「やーすみませんでしたーっ!!」

 

 

実を言うと、あの後、土御門元春とどちらの妹の手料理が上かを議論し、第三者の審査員(インデックス)に其々の食べ比べをさせて、それがやがて、妹達の最後の作り置きだという事に気付き、食料問題に発展し、兄達は残り少ない栄養を巡って殴り合い……その間に白い悪魔と化した審査員がブラックホールのように次々と……と色々とあって携帯に連絡が来ていた事すら気付かずに熱中していたせいで遅れたのだが、こういう時は下手な言い訳はしないで素直に謝った方が吉である。

 

一方、美琴は初春がバイオリンを受け取りに来た黒子に連行された後もずっと待ち続け、約束をすっぽかされたと勘違い……でもないかもしれないが、見捨てられ、傷心したお嬢様をナンパしようと言い寄ってくる野郎どもを追っ払ったりと、怒りのビリビリパワーの充電は満タンである。

 

 

「私は罰ゲームを賭けた戦いの勝者なのに、どうしてあんたの事情に振り回されなくちゃならないのかしら。かれこれ1時間もボケーッと突っ立たされたさらし者の気持ちがアンタに分かる? 待っている途中で変な男どもに声かけられるし、いちいち電撃の槍で丁寧に追い払うのもとっても面倒臭かったのよー?」

 

 

「やーやーっ! 本当にごめんですよ! ―――ってあれ?」

 

 

適当に流してやり過ごす省エネで行こうかと考えていた当麻だが、今の美琴の台詞に違和感を覚えた。

 

 

「待ち合わせの時間って1時だったよな」

 

 

「……アンタ、まさかそれすらスルーしてたとかっていう話じゃないでしょうね」

 

 

 

「そうじゃなくて。1時間前から待ってたって事は、お前って待ち合わせの30分前からここにいたの? そりゃ、まぁ、悪かったな」

 

 

そういって、当麻は頭を下げる。

 

何にせよ、遅れた事実には変わりないが、向こうが待ち時間の30分も前から待っているとしたら、流石に真剣に反省しなければ、と。

 

ビクッ!! と美琴は肩を震わせて目を丸くする。

 

彼女は組んでいた両手を解いて、わたわたと両手を振ると、

 

 

「違っ…ば、馬鹿ね。大雑把に言っているだけよ。別にきっちり60分前からここにいた訳じゃないわよ。な、何で勝負に勝った私がアンタを待つ側に回らなくちゃならないの? 勝手に変な想像膨らましてニヤニヤしないで欲しいわね」

 

 

どういう訳だが、顔が真っ赤。

 

変な想像と言われても心当たりは無い。

 

となると……―――ッ! まさか!!

 

 

「お前……」

 

 

当麻は驚いたように、そうまるで重大な何かに気付いてしまったかのように。

 

美琴はその表情を見て、どんどん赤い色彩が濃くなる。

 

まさか、夢の―――とそんな幻想を殺すのが得意なこの愚兄は、オロオロとしている美琴の顔を正面から見据えて、

 

 

 

「……そんなに罰ゲームで俺が苦しむ顔が見るのが楽しみだったのか。前々から思ってたけど、お前って実は結構陰険なんじゃ―――」

 

 

 

言い終わる前に、この<幻想殺し(フラグクラッシャー)>に乙女の怒りの電撃が飛んだのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

その日は雨だった。

 

 

『雨は降れば、人は傘を広げ、隠れてしまいます。人は雨の事は見ず、地面だけを見ます。でも、その地面に生える花々に、そして、作物に恵みを与えるのは雨です。人に避けられようとも雨は人を支える』

 

 

意識が浮上していくと、すぐ近くに人の気配がし、その声には聞き覚えがある。

 

その気配を感じ取った少年は、ここで起きれば、きっとあの2人に振り回されて疲れるだろう、と考え、瞳を閉じたまま―――その声に耳を傾ける。

 

 

『でも、今のあー君は、脆い花を強く打ち散らし、作物の熱を冷たく奪う、人に厭われる雨しか降らせない―――と思い込んでいます。……ただそれは、優しさを、温かさを忘れてしまっただけ。だから、あー君が雨を降らす時がきたら、傘をささないでみてくれますか?』

 

 

(……はっ、ナニ身勝手な戯言をほざいてンだ、雨が降ったらとっとと家に帰るのが普通だろ)

 

 

『そうすれば、打ち止めさんの温度はあー君にも伝わります。人の温度は一方通行じゃありません。打ち止めさんが温かいと思えば、相手もまた温かくなる。たとえ、冷たい凶雨だとしても人の温もりに触れれば温められます』

 

 

(……やめろよ。これは冷たいなンてもンじゃねェ。風邪を引く程度じゃ済まねェぞ)

 

 

『長い年月を冷やされ続けた雨だからこそ、何百回も、何千回も、触れて、触れられる。大切な存在に触れて手に肌に記憶させて、人の温もりを伝え合う。その柔らかさや壊れやすさに、壊れやすいからこそそれが大切だと言う事を知り、また教える。だから、雨に避けないであげてください。きっと雨にその温かさを、優しさを思い出させる為に、人の、あなたの身体は温かいんです』

 

 

うん! とそのお願いに幼い少女は元気よく頷き、少年は内心で馬鹿、と呟く。

 

そして、少女は、自分の体温が伝わるように。

 

伝われと願いながら、幼い少女を抱き締める。

 

 

『打ち止めさん、伝わってますか? 私の温度が』

 

 

思いを込めて、柔らかく語りかける。

 

そうすれば、幼い少女は強い力で握り返し、少女の手の温もりを受け入れて。

 

少女の手は、幼い少女の温もりを受け取る。

 

 

『大丈夫、打ち止めさんは温かい。この温度をあー君は最初は拒むかもしれませんが、いつかきっと受け入れてくれるはずです。それに、打ち止めさんには私の体温もプラスされているんですよ』

 

 

幼い少女はその言葉に何度も頷き―――願う。

 

 

『詩歌お姉様。詩歌お姉様もあの人の事を温めてあげて、ってミサカはミサカはお願いしてみる』

 

 

少女はその願いに静かに微笑み、

 

 

『ふふふ、もちろんです。あー君は友達ですから』

 

 

その後、少女達が去った後も、その雨が止むまで少年の目が開く事は無かった。

 

 

 

 

 

教員用住宅

 

 

 

一方通行は寝転がっていたソファの上でうっすらと目を開け――小さく舌打ちをする。

 

寝てしまった。

 

時間にしてはほんの15分。

 

だが、それでも“気が抜け過ぎだ”。

 

しかも夢まで見ていたなんて……

 

頭の中で、忌々しい自分の叱咤が滲む。

 

元々、耳元で目覚まし時計が鳴ろうと、クソガキが喚き散らそうが、腹の上で爆弾が爆発しようが|(唯一の例外である彼女の目覚ましビンタを除いて)、一方通行は自分のペースで睡眠を取る人間だ。

 

それは、『あらゆるベクトルを変更する』能力が、通常は酸素や重力など必要最低限のものを除く全てを『反射』させていたからだ。

 

全身に『反射』が展開されていたのなら、たとえ核爆弾の直撃を受けても傷一つつかない。

 

だからこそ、『極めて敵の多い』一方通行は、最も無防備な睡眠状態に入るのに躊躇はしなかった、

 

 

だが、それは、能力が万全だった頃の話だ。

 

 

首筋にある黒のチョーカーに手を当てる。

 

これは、一方通行が頭部に損傷を負った事で失った演算能力を<妹達>の<ミサカネットワーク>の莫大な並列演算機能とリンクして補う為のデバイスだ

 

このカエル顔の医者と上条詩歌の特製のチョーカー型演算補助デバイスの力を借りなければ、Level0に等しく、会話や計算への反応(レスポンス)が遅くなる|(あと、リンクしている弊害で<妹達>の統括をしている<最終信号>の干渉を受けるようになってしまった)。

 

通常モード――歩行、会話、計算、と最低限日常生活で必要なものを普通に活用できる程度なら48時間。

 

しかし、能力使用モード――ベクトル制御能力をフルで発動させるとなると、膨大な計算量を瞬時にこなす必要がある為15分しかバッテリーは持続しない。

 

つまり、今の彼の安全時間は、実質的に15分しかない。

 

そんな状態なので、能力と言うシェルターの中で惰眠を貪る贅沢などもうできないのだ。

 

しかも、地下深くへ行ったり妨害電波を撒き散らされたりすると、代理演算の利用は封じられてしまう。

 

確かに医療機器としての使用が大前提のため、超能力戦という軍事レベルの使用環境に耐えられるように作られていないのだから仕方ないと言えばそうなのだが。

 

 

(ちっ、やっぱりこのアイツらに『設計図』をもらわねーとなンねェようだなァ)

 

 

このバッテリーは元々<調色板>という器具の予備を素に、<冥土帰し>と彼女が作った特殊なもので、替えは利かないし市販の電池などでも代用できない、と聞いている。

 

今のままだと大量のバッテリーを用意して制限時間の15分ごとに交換していく……という方法もとれないが、この制作者に設計図さえ手に入れれば作れなくもない。

 

金ならLevel5の奨学金の他に今まで『実験』からも貰っているので腐るほどあるし、機材や設計図さえあれば量産、または改良ができる。

 

学園都市の闇を見てきた一方通行からすれば、時間制限付きの最強なんて、穴があり過ぎて、笑い話にもならない。

 

 

「……、」

 

 

方針は決めた。

 

とりあえず、気分を変えたいし、シャワーでも浴びるか、と一方通行はソファから立ち上がる。

 

まだ思考が見た目通り幼い万年ノーガードの打ち止めは当然として、黄泉川や芳川、そして、彼女は甘過ぎだ。

 

どいつもこいつも学園都市最強の能力者と言うのを信用し過ぎている。

 

そういった思いに必ず応えられるなど誰が言った。

 

黄泉川や芳川はその恐ろしさの方が理解できていないし、彼女なんて、自分が何かを破壊する事に手慣れていても、何かを守る事には全く慣れていないのを理解しているのに信じている。

 

防御の為に振るった一撃が、周囲の全てを巻き込む大惨事へと発展する危険性を十分知っているくせに―――何でもできる、とアイツは……

 

 

(そォいや、部屋には誰もいねェが。あの馬鹿共は買い物か?)

 

 

一方通行は適当に考えながら脱衣所へ繋がる扉を開ける―――と、そこに、

 

バスタオルで茶色い髪をグシャグシャと拭かれている全裸の打ち止めと、

 

浴室から出たばかりで裸の黄泉川と芳川と、

 

そして、打ち止めの髪を拭いているどこか見覚えのある少女がバスタオル1枚で立っていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その黒曜石のように艶やかな黒髪は濡れていて、湯上りに火照った肌には水滴がたくさん浮かんでいる。

 

着衣は一切身に着けておらず、唯一の守りはタオル1枚という出で立ちで、その身体のラインがやたらくっきりと浮かび上がっていた。

 

異性というのを意識した事のない一方通行だが、その目に、完全で(強くて)不完全な(弱い)幻想的な輝きを宿らせるこの少女だけは一度捉えた視線を中々離す事ができない。

 

 

「――――ぇ」

 

 

少女は驚きの表情を見せたまま固まり、事態の把握まで時間がかかっているようで、ビクゥ!! と一番初めに反応したのは打ち止めだった。

 

 

「どっ、どうして前触れもなく突発的に出現してるのあなたはーっ! ってミサカはミサカはバスタオルに手を伸ばすけど届いてくれなかったり!!」

 

 

ぎゃーぎゃー騒ぐ打ち止めラストオーダーを無視して、一方通行はただじっとその隣にいる少女に……

 

 

(髪型がいつもと違うが、まさか、コイツは――――はっ!!)

 

 

強烈な重圧。

 

そうこれは、かつて天井亜雄に頭を撃たれた時と同じ―――死、だ。

 

一方通行は、黒のチョーカーのスイッチを入れて『反射』を展開しようとする。

 

が、それよりも早く。

 

 

―――ガンッ!!

 

 

世界が、飛んだ。

 

強烈な一撃が容赦なく一方通行の頭部に決まる。

 

一方通行の身体は、綺麗な螺旋を描きながら、そのまま地面とは平行に壁に突き刺さる。

 

 

「ぐおォォッ……」

 

 

割れそうな痛みに一方通行が頭を抱えて苦悶の声を漏らしている間に、戸は締まり、すぐに着替えを終えると少女――上条詩歌が現れて、

 

 

「まさか、あー君がこんな事をしてくるとは思いませんでした」

 

 

これ以上に無いくらい。

 

そう、『実験』で再開した時に見せてくれたあの一睨みで凍りつくほど冷たい目。

 

 

「ちょ、ちょっと待て。何でカギかけねェンだよ、お前ら」

 

 

『あー悪い悪い。今まで1人暮らしだったからその機能をすっかり忘れてたじゃんよ。めんごめんごー』と扉の向こうから声が聞こえる。

 

ふざけンじゃねェっっ!! とここのナマケモノ家主を怒鳴りつけたい。

 

こんなのは一方通行の生活パターンではない。

 

と言うか、ドアを開ける度に女の着替えなんだの遭遇するような人間がいたら腹を抱えて笑っているだろう。

 

しかし、

 

 

「ほう。なら、何故ノックをしなかったんですか?」

 

 

今、笑える奴がいたら勇者だ。

 

彼女がその矛先を収めると言う事は無かった。

 

もう、どんなに言い訳をしても無理だろう。

 

一方通行の耳に、いっそ優しいとすら思える口調で、

 

 

「良いでしょう。7発で。最初のが私、黄泉川先生のが1発、桔梗さんのが1発、そして、可愛い打ち止めさんのが4発」

 

 

ほぼ死刑に近い有罪判定。

 

1発で天国行き間違い無し。

 

そして、その目は本気だ。

 

一方通行は今度こそ、チョーカーに触れ、『反射』を展開し、

 

 

「黄泉川先生の分!」

 

 

「―――ぐほッ!?」

 

 

ズドン!! と。

 

鋭角なフックが脇腹を抉る。

 

鍛えられていない内臓の筋肉が震え、呼吸が止まる。

 

『反射』はちゃんと展開されている筈なのに……

 

 

 

『そこで、寸止めの要領です。『反射』の有効範囲の寸前で拳を引けばどうなると思いますか?』

 

 

 

(そうだ。コイツには『反射』が―――)

 

 

「―――がはッ!?」

 

 

ガンッ!! と。

 

強烈なアッパーが頭を跳ね上げる。

 

思考を寸断するような切れ味。

 

しかし、一方通行は直前で『反射』を止めた……が、

 

 

「フフフ、最初の1発で投影済みですよ。能力の動きは丸わかりです」

 

 

<幻想投影>の共鳴が、<一方通行>のベクトル操作を感じ取り、その流れと同調する。

 

たとえ能力使用時でも彼女の攻撃は避けられない。

 

 

パンッ!! と。

 

 

その手が霞むほど高速な平手打ちは、一方通行が見切れていないだけで、その指の爪先1本1本まで制御した『反射』の膜に合わせて複雑で、微細な動きで振り切られていた。

 

 

「可哀想なので、後はビンタで済ませてあげます」

 

 

その後の一発一発が直前の記憶が吹っ飛ぶほど衝撃を持つおうふくビンタに、学園都市最強の能力者は抵抗する事もできずに撃沈し、文字通りその身に叩き込んだ事により、以降、彼にドアをノックする癖が付いた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

むかしのおはなし。

 

 

 

神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(S Y S T E M)>。

 

学園都市における超能力開発の究極の目的は、Level5の先に在るモノ――世界の真理という『神様の領域』は人間には辿り着けないのならば、『人間を超える』ことでそこへ到達した者――つまり、Level6を生み出す事にある。

 

例を上げるなら、学園都市最強の能力者Level5序列第1位を利用した『絶対能力進化実験』。

 

それ以外にも、能力者を意図的に暴走させて演算処理能力を拡張させようとする<能力体結晶>や、神如き全能たる能力者――<多重能力者>など科学者は多くの『失敗』を繰り返してきた。

 

無論、その『失敗』した者は、須らく『廃棄』される。

 

が、何に置いても例外と言うのは存在する。

 

この街の『科学』に愛される一族――<木原>とは、『視界に捉えたら薙ぎ払え』と過去に抗争を起こすほど相容れぬ、その原始的な『野生』に魅せられた一族――<鬼塚>。

 

とあるビジネスマンに、まるで血統書つきの実験動物のようにその本能的に拒絶する一族に買い取られたその少女(おに)は、その名さえ覚えていない赤子の頃からその“『地獄』に付き合い続けてきた”。

 

それがその血筋によるものか、また、少女の不運によるものか、彼女は『失敗を作る』事を成功させている。

 

 

 

故に、その少女は正真正銘の『失敗作(出来損ない)』。

 

 

 

その一族の『地獄』に付き合い、<多重能力者>の成り損ない、<能力体結晶>にも耐え切ってしまった果てに生まれたのは『不完全』な『失敗作』。

 

その能力――<失敗作り(ウィルス)>は彼女の<多重能力者>の成り損ないとしてあらゆる波長の形だけをもつAIM拡散力場に触れた能力者のAIM拡散力場を――強制的に自分自身に似せて――『汚染』する。

 

そうなった能力者達は、AIM拡散力場“だけ”を強制的に同調させられ、その拒絶反応により精神を蝕まれる。

 

しかも、彼女のそれは<能力体結晶>により暴走されている最悪のAIM拡散力場。

 

もし、その脳に制御装置を組み込んでおかなければ、周囲の能力に次々とその過負荷(マイナス)は感染、例えLevel5であろうとRSPK症候群――<乱雑解放(ポルターガイスト)>を起こしてしまい、最悪、学園都市が壊滅する。

 

 

 

だから、その<木原>に育てられ、<鬼塚>に相応しい力を持つ『失敗を作る失敗作』を最後に引き取った研究者は『鳥兜紫(毒草)』という、その暴走兵器型能力者に相応しい名を彼女に与えた。

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ……」

 

 

女は、歯噛みする。

 

テーブルの上に、この上ないご馳走が並べられているのに、それに手が出せずに飢えた獣のようにその瞳には盲執の色がありありと浮かんでいる。

 

しかし、迂闊に手を出そうとすれば、『制裁』が待っているだろうし、派手に事を起こそうとすれば他の『獣』に気付かれる。

 

それだけは絶対に駄目だ。

 

絶対に他のヤツらに、一滴たりともその蜜の味を吸わせてなるものか。

 

だから手は出せない。

 

だが、あの日からずっと、あの極上の実験動物をこの手で料理したいのにできないというジレンマにそろそろ我慢の限界だ。

 

 

「あー、ここは<失敗作り(ウィルス)>の『スイッチ』でも押してみようかしら」

 

 

『神』を作りだしたい狂学者(フランケンシュタイン)はこの地に混沌を願う。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

むかしむかしのおはなし。

 

 

 

神僕騎士(マーダークルセイダーズ)>。

 

戦場で幾多の敵を、その極技を以てして葬り去る、その歴史に名を刻んだ強者達が集う当時最強の騎士団。

 

それらをまとめるのは乱世に荒れ果てた国を救う為に立ち上がった理想の王。

 

常に誰よりも勇敢に、誰よりも高貴に、苦難の時代を切り拓いていった誉れの騎士。

 

清廉にして公正、義に篤く情に流されず、ただの一度も過ちを犯さなかった無謬の名君

 

故に騎士道のあらゆる理念を体現する『九偉人』の1人に選ばれ、非の打ち所のなかった英雄が残した伝説は、今も、現在の騎士のあり様に深く根付かれている。

 

そう、この古今東西の騎士達から崇め奉られた完璧な王こそが、『騎士王』。

 

 

 

そして、その男の『最高傑作』。

 

 

 

仕えていた先代の王が、その男――堕天使の長である<光を掲げる者(ルシフェル)>の加護を得たと蔑まれていた極めて優秀な魔導師――に欲したのは、堅牢な肉体と優れた運動能力、優秀な頭脳、先天的に自然に生まれる『人間』を超え、生まれながらにして『人間』の上に立つ『救世主』。

 

それを“製作”するために、男は先代の王が連れてくる敗北者を、老若男女問わず、彼の工房で『実験』の材料、刻まれ、焼かれ、潰され、千切られ、手の爪の先端から足の爪先まで一寸刻みで解体され、分別し、選出されたその身体の至る個所に隈なく文字を書き込み―――“生きたまま”、ありとあらゆる『処置』を施していき―――そうやって、全ての人間(ページ)を繋ぎ合わせた<原典>――『救世主』を生み出した。

 

『強さ』と『地位』を生まれつき持たされたその『救世主(完璧な人間)』にさらに昇華させる為に男は、『剣(力)』と『鞘(不死)』を与え――『騎士王(完全な生命)』を完成させた。

 

 

 

しかし、『人間』の上に立ち、『人間』を導き、そして、『人間』ではない『騎士王』は『不完全な弱さ』を持ち得なかったからこそ、その国を滅ぼしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

女が、赤い唇の端だけを歪める。

 

 

「さあ……」

 

 

と、両手を広げる。

 

これから、オーケストラを指揮しようとする音楽家のように、狂信者が、神へと祈りを捧げる。

 

『マーリン』の<神撲騎士>から唯一その『亡骸』だけでも回収した『最高傑作』であり、完璧であるが故に国を滅ぼす『最悪な人造兵器』―――

 

 

「―――<聖騎士王(アーサー)>。さっさと目覚めて、この街の全てを滅ぼしな」

 

 

その封印がひっそりと解かれようとしていた。

 

 

 

つづく


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