とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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水の都編 仮面の騎士と女王の艦隊

水の都編 仮面の騎士と女王の艦隊

 

 

 

キオッジア

 

 

 

引っ越しの作業は終わった。

 

家具などの荷物が載せられた幌付きトラックはゴトゴト揺れながら走り去っていき、後は当麻が目覚めれば、この部屋は完全に空き家となる。

 

そんな中、詩歌は、アパートの海に面した堤防に腰掛けながら、沈みゆく夕陽に目を細める。

 

当麻の看護はオルソラと天草式で1人だけ残った五和が看ているから大丈夫だろう。

 

今は少し、1人で考えたい事があった。

 

マルコ=ポーロ――アウレオルス=イザードからの贈り物。

 

アレキサンドライトのブローチ――<原初の石>。

 

そう、これは――――間違いなく『霊装』。

 

その力は、おそらく普通の『霊装』とは一線を画す。

 

錬金術師たちが目指した、卑金属を貴金属に変える伝説の物質――『賢者の石』。

 

しかし、<幻想投影>で解析した結果、この<原初の石>は、生命力を用い、『幻想を具現化する』。

 

世界と己とを認識せず、己と世界とを区別せず、境界線を広げて、想像通りの物体を作り出す。

 

そして、その再現度は、その構造を、歴史を、能力を、何処まで理解しているかによって決まる。

 

 

(……本当に、これを作った人は一体誰なんでしょうか? 想像を現実にする<黄金錬成(アルス=マグナ)>と仕組みが良く似通っていますが、どことなく違う気がします……。しかし、これさえあれば、<幻想投影>の弱点をまた1つカバーでき、戦略に幅が広がる。さらに…………)

 

 

詩歌はそこで頭を振り、そのブローチを腰に付けたウェストポーチに仕舞う。

 

いつか世界規模の戦争が、起こるであろうと予見しているが、ここから先は、自分だけの覚悟では済まされない。

 

そうして、考えを打ち切って、もう一度景色を眺める。

 

堤防にさざなみが押し寄せ、ゆったりとした時間を、さらにゆるやかに演出している。

 

空と海、平行線で交わる事のない其々の世界が、太陽と言う輝きに照らされて、その2つが調和した景色が広がっている。

 

 

(ああ、いつか私も……)

 

 

現代と言う時間から、ここだけが隔離されている風に思えてくる。

 

可憐な外見に反し、この少女は、核兵器にも匹敵する<聖人>級の実力を持ち、7人しかいないLevel5にも比肩する才を持ち、<幻想殺し>と同等にその存在は特異である。

 

それでも、彼女がその夢を実現することは難しい。

 

そして……心の奥底で眠るこの欲求は…………

 

こうして、いつまでも平穏なら、こんな余計な事を考えなくても良かったのに……とその時、背後からトテトテ、と足音が聞こえてきた。

 

 

「しいか、しいか。やっと、とうまが起きたよ」

 

 

振り返るとそこにいたのはインデックス。

 

いつも通りの純白の布地に金の刺繍が施されティーカップに似た詩歌お手製の防護修道服を着て、こちらに人懐っこい笑みを向けてくれている。

 

……でも、やはり不思議だ。

 

こうして、まだ2ヶ月の付き合いなのに、彼女とここまで仲良くなるなんて、本当に不思議だ。

 

インデックスを救う為に当麻は記憶を失った。

 

彼女のせいではないが、詩歌が彼女の事を恨んでもおかしくはないのだ。

 

だけど、今、インデックスは詩歌にとって大切な人だ。

 

 

「ん? しいか、何か考え事?」

 

 

今までの思い出を振り返っていたら、表情に出ていたのか、インデックスがちょこんと首を傾げる。

 

 

「インデックスさんの事を考えていたんですよ。お願いしたのに、甘い匂いに釣られて、ふらふら~、と迷子になっちゃうのが、可愛いなって」

 

 

「あうぅ……」

 

 

別に叱っている訳ではないのに、決まりの悪い顔で落ち込む。

 

普段、当麻があれこれとツッコミもとい文句を言う事はあるが、逆にインデックスがかみついたり、あれこれ屁理屈を捏ねる事もあり、口論に発展する事もしばしば。

 

だが、我儘を言ったり甘えたりもするのだが、詩歌の場合だと素直に受け止める。

 

ランキング的にいえば、詩歌が上で、当麻は同格と言った所である。

 

その辺は普段の行いが悪い当麻のせいなのか、ただ単に詩歌が凄いのかは微妙な所だ

 

 

(ふふふ、仔犬みたいです)

 

 

その純粋な様を、詩歌は愛らしく思う。

 

可愛いは正義。

 

だけど、ほんの少し? はからかってもいいはずだ。

 

と、そこでインデックスは拗ねたように唇を尖らせて、

 

 

「しいかだって、何かあると私を置いてどこかに行っちゃう。……とうまみたいに馬鹿じゃないけど、とうまと同じくらいいつも無茶するお馬鹿だから、心配してるんだよ」

 

 

その顔は本当に心配している顔だった。

 

普段、詩歌は周囲から<微笑みの聖母>と頼られる事はよくあるが、心配されると言う事はあまりない。

 

一部を除き、大人達も彼女に頼みごとをするが、心配した事はなく、後輩達も世話される事はあるが、世話をする事はない。

 

上条詩歌が学園都市で最も働き者の女子中学生であるという評価は、つまり、それほど彼女が有能であると言う事だが、それだけ、まだ中学生の彼女に助けを求める人間がいると言う事だ。

 

希望と願いが集約した存在。

 

もし、上条当麻と言う確固とした基準点がなければ、上条詩歌はとっくの昔に『正義の味方(人間をやめていた)』だろう。

 

 

「<大覇星祭>でも大変だったんだし、この旅行中くらいは何もしないで休んでいて欲しいかも」

 

 

だから―――

 

 

「―――ありがとう」

 

 

堤防から降りて、インデックスの手を握る。

 

 

「じゃあ、行こっか」

 

 

わざとらしいぐらいに快活な声。

 

インデックスは嬉しそうに笑うと、詩歌に負けないぐらい元気良く、

 

 

「うん!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

もうすっかり日が沈み、空は夜模様に変わる。

 

あちこちから、夕飯をを採る家庭的な団欒の声が聞こえてくる。

 

そんな温かな街の中で、オルソラは最低限の荷物だけ入った四角い旅行鞄を手に取ると、

 

 

「今日は、ありがとうございました。おかげで引っ越しも滞りなく終わらせる事ができました」

 

 

「いやこっちも色々と世話になったからな。で、オルソラと五和はどうするんだ。こっちはホテル戻ってから色々行くつもりだけど、俺達と一緒に観て回るか?」

 

 

「いえ、こちらはロンドンでのお仕事を休ませていただいて来ている身ですから、あまり長居は出来ないのでございますよ」

 

 

「そうなんですか。本当、お忙しい所、当麻さんの面倒を見てもらっちゃって申し訳ないです」

 

 

「おい―――」

 

 

―――一体誰が浴槽に脳天パイルドライバーで叩きつけたんだよ、とツッコミたい所だが自粛しておく。

 

あの時の恐怖は一刻も早く忘れた方が良いと本能が訴えているのだ。

 

だから、口にしない。

 

今はただ丈夫な体に産んでくれた両親に感謝と生還の喜びをじっくりと味わう事にしよう。

 

 

「五和も悪かったな、俺の世話だけのためにわざわざ残ってもらって」

 

 

「いえ、そんな好きでやっている事ですから……」

 

 

ふるふると畏れ多いかのように慌てて両手を振る。

 

それを見て、当麻は、『ああ、ウチの妹ももう少しでいいから手加減してくれると―――

 

 

「当麻さん?」

 

 

「詩歌さんはとっても優しくて素敵な妹ですっ!」

 

 

もう上条当麻カンパニーの株は上条詩歌コンツェルンに半分以上買収されたようです。

 

妹に完全服従体制の当麻を見て、オルソラはどうしたものかと苦笑いを浮かべるが、そういえば、この前もこんな感じだったし、きっと……

 

 

「虐められるのが趣味でございますとは……本当に仲良し兄妹でございますね」

 

 

「違う!! 当麻さんはMじゃない!! 決して妹に殴られて快感を覚えるような罪深過ぎる性癖は持ち合わせてねーよ!!」

 

 

「大丈夫ですよ。たとえどんな趣味でも当麻さんを見捨てる事はしません。うん、これは気合入れて頑張らないと」

 

 

「頑張んなくて良い! これ以上頑張らなくてもいいからね、詩歌さん!!」

 

 

微笑ましそうに見守るオルソラ、ふんす、と気合を入れる詩歌、そして、絶叫を上げて懇願する当麻。

 

五和は何を考えたのかは知らないが赤面し、インデックスは何を言っているのか理解できず眉を顰めている。

 

とりあえず、泣きながら土下座して誤解が解けた|(または、深まった)後、オルソラが唇だけの動きで笑みを作り、

 

 

「これからキオッジアにお別れを告げに回りたいと思ってますし……。それはあんまりあなた様にはお見せしたくないのでございますよ。少々みっともない顔をするかもしれませんしね」

 

 

そう。

 

ここはオルソラにとって第2の故郷と言っても差し支えのない街。

 

ローマ正教とのいざこざで仕方がないとはいえ、ここから離れなければいけない。

 

法の書事件、当麻達はオルソラを救う事は出来たが、彼女の日常までは守る事は出来なかった。

 

自分達の力が足りなかったばっかりに……

 

 

「……悪いオルソラ、気が利かなくて」

 

 

「いえいえ。別に金輪際ここへやって来れなくなると言う訳ではございませんから。ほらほら、そんな顔はしないでください。私はキオッジアと同じくらいロンドンと言う街も気に入っているのでございますよ」

 

 

月と星の光に照らされた――――その時、感じた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

何故、彼女が?

 

どうして、ここに?

 

何で、彼らといる?

 

まさか……

 

 

迷いが生まれる。

 

照準が、ぶれる。

 

弦を引く腕が、止まる。

 

仮面が、ずれる。

 

 

落ち着け。

 

もしかしたら、彼女は人質かもしれない、………なんて甘い考えは捨てろ。

 

彼女よりも、今はあそこにいる<禁書目録>に意識を集中すべきだ。

 

10万3000冊の魔導書を収めたあの『魔導図書館』なら、この弓のカラクリが分かってしまうかもしれない。

 

だから、この一射は外せない。

 

気付かれる前に射抜く。

 

仮面を、直す。

 

仮面を着ければ、いつだって夜が訪れて、あの悪夢の戒めを思い出す。

 

心を煩わせる全てから、感覚が遠くなる。

 

そして、騎士として相応しい、甘えを捨てた、とても冷たい心に支配される。

 

 

   『お前は騎士に向いてないのである』

 

 

その筈なのに、なぜか心の水面に波紋が乱れる。

 

わからない。

 

夜の帳がかかったままの世界の中で、仮面がそこにあるか確かめる。

 

つるりと滑らかな感触が指先に伝わり、ちゃんとあるべき場所にある事を確認すれば、心は凍てつき、夜の世界に還っていく―――そのはずだった。

 

 

―――仮面が、重い。

 

 

心を封じ込める為の仮面が重く感じる。

 

……落ち着け。

 

たとえ、あの方に私は騎士にはなれない、と言われようと、仮面さえあれば、完璧な騎士となれるのだから。

 

 

「そう……大丈夫だ」

 

 

自分に言い聞かせるように呟き、仮面の顔を上げて、弓を構え直す。

 

 

「私に、迷いはない」

 

 

彼女の笑みが一瞬脳裏をよぎったが、すぐに振り払う。

 

 

「私の心に、躊躇いなど生まれるはずがない」

 

 

それでいい。

 

邪魔なものは、捨てる

 

 

「私が望むのは、ただ1つだけ」

 

 

 

   ぃぃんん―――!

 

 

 

冷たく澄んだ弦の音が、夜の中を徹り抜ける。

 

 

 

 

 

キオッジア

 

 

 

上条詩歌は、警戒していた。

 

彼女は、上条当麻が『幸運』で1等賞を当てた事などほとんど信じてはいなかった。

 

もちろん、当麻が幸せである事を望んでいる。

 

だが、こう都合良く上条当麻に『幸運』はありえないと言う事は、記憶を失った当麻よりも、良く知っている。

 

だから、これは誰かの都合の良いように当麻が『不幸』に誘導されているのではないかと疑った。

 

そして、その疑いは、今日、“偶々”オルソラと天草式に出会った、と聞いた時から、詩歌の中で徐々に確信となっていった。

 

だから、オルソラの家についてからずっと警戒していた。

 

そのおかげで、詩歌が一番早くその『音』に気付き、危険の気配がどこへ向いているのかを察知し、反射的に回避行動に移った。

 

 

「―――インデックスさん!!」

 

 

ピクン、と顔を上げたインデックスに詩歌が飛び付く。

 

 

ザシュ、と。

 

 

詩歌の頭上で、インデックスの体があった位置に、何かが通り過ぎ、詩歌の背中をうっすらと切り裂いた。

 

 

「―――ッ!!」

 

 

次に早く動いたのが当麻だった。

 

彼もまた、いざという時は皆を守れるよう周囲に、特に詩歌の動きに気を配っていたのだ。

 

倒れ込んだ2人の前にスーツケースを盾にしながら庇い出る。

 

 

バン、と。

 

 

盾にしたスーツケースから衝撃を感じる。

 

詩歌が事件体質の当麻に選んだ、マグナムで撃たれても大丈夫だと言う丈夫さが売りの学園都市製のスーツケースに穴が開くと言う事はなかったが、若干の凹みはできた。

 

その間に、五和は携帯した槍を組み立てる。

 

 

「しいかっ!」

 

 

目の前で背中から血を流す詩歌に、インデックスの顔面が蒼白になる。

 

しかし、詩歌は痛みに気を取られている余裕はなかった。

 

 

 

   ぃぃぃんん―――!

 

 

 

また、感じた。

 

狙いは同じ。

 

インデックス。

 

 

「くっ!」

 

 

ソレは当麻の防御を嘲笑うかのように、横から、上から、次々と襲い掛かってくる。

 

詩歌はインデックスを抱き抱えながら、背中の傷に構わず転がり込む。

 

しかし、その狙いはまるで狩人が獲物を罠に誘い込むかのように周到なもので回避する事は叶わなかった。

 

回避した拍子に運悪く留め金が外れ、腰に付けたウエストポーチが外れる。

 

その中には、応急処置セットの他に<異能察知>、<調色板>、<原初の石>が収納してある。

 

さらに、致命傷は避けたものの肩と足に、それぞれ一撃を貰った。

 

そして、狙撃手は、1人だけじゃない。

 

 

「詩歌っ!!」

 

 

当麻はすぐさま危険を顧みず詩歌の元へ駆け寄ろうとするが、

 

 

「ッ!!」

 

 

道路に沿って流れる運河から1本の手が伸びていた。

 

黒い長袖の手だ。

 

誰かが運河の海面から這い上がり、当麻の足首を掴んでいたのだ。

 

そのまま入れ替わりながら、当麻を運河へと引き摺りこもうと―――

 

 

(―――なっ、ビクともしない)

 

 

「邪魔すんじゃねぇっ!! ぶっ殺すぞ!!」

 

 

轟!! と。

 

片足を取られているのにも拘らず、全くぐらつく事なく、思い切り足を振り抜いた。

 

男はそのまま蹴り飛ばされ、運河の中に沈む。

 

でも、数秒動きを止められてしまった。

 

五和も、背にオルソラを庇いながら当麻に襲い掛かってきた男と同様に運河から現れた武装した襲撃者の相手で、倒れた詩歌の元へ駆け寄る事ができない。

 

そして――――

 

 

狙いを右へ(A A T R)!!」

 

 

凶弾は、その言葉に従うように右に逸れた。

 

 

刃の切れ味は己へ向かう(I S I C B I)!!」

 

 

五和と対峙していた襲撃者の不自然なオレンジ色に輝く魔術で強化した槍が、スパン! とひとりでに輪切りにされた。

 

突然バラバラになった自分の武器に、思わず修道服の襲撃者はぎょっと身を固める。

 

その絶好の隙を見逃す五和ではなかった。

 

 

「はっ!!」

 

 

刃ではなく、槍の腹で首元を強打。

 

襲撃者はそのまま白眼を剥いて意識を失った。

 

そして、狙撃手は、

 

 

「あがががががががァッ!!」

 

 

どこか遠くで、野太い叫び声が上がった。

 

気丈に振る舞うインデックスが、その声がした方をじっと睨む。

 

 

「遠くからこちらを狙っているって事は、こちらの様子は逐一敵に伝わっているって事。なら、相手がどこにいようが私が放つ<強制詠唱(スペルインターセプト)>を受け取る筈だよ」

 

 

<強制詠唱>。

 

魔術を使う事ができないインデックスの対魔術師戦法。

 

<禁書目録>から引用されるノタリコンと言う魔術サイドの暗号的な発声により、敵の魔法詠唱に割り込みその発動を停止。

 

さらに、応用すれば、相手の魔術の誤作動を誘発させる事も可能で、インデックスは<強制詠唱>で、襲撃者達を自滅させていった。

 

しかし、

 

 

「まだ、います」

 

 

ふらつきながらも立ち上がり、詩歌は目を細める。

 

当麻も、ふいにゾッとする気配を感じて、詩歌の視線の先へ合わせる。

 

運河の上、そこに、1人の腰に長弓を携えた仮面の騎士が、音もなく、水の上に、立っていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「態勢を立て直します。私が殿を努めますので早く撤退してください」

 

 

暗い夜の水面の上で、仮面の騎士は襲撃者達に指示を出す。

 

そして。

 

インデックスが<強制詠唱>を発動させる前に、水面を蹴り、当麻達の中心に降り立つ。

 

 

「換装、<量産聖槍(ロンギヌス・レプリカ)>」

 

 

仮面の騎士の手元に長槍が生まれる。

 

彼女は、当麻、詩歌、五和に囲まれ、重圧を受けているのに、汗一つ掻いていない。

 

言葉は、必要ない。

 

ただ、凪のようにゆっくりと手にした長槍で円を描く。

 

これが、死線であると。

 

ここから先に1歩でも踏み出せば、殺す、と。

 

インデックスが見張っている限り、魔術を使えば<強制詠唱>ですぐさま割り込まれる。

 

だから、これから始まるのは純粋に、己の武技のみで仕合う死闘。

 

どちらも、ひっそりと呼吸を変えた。

 

そう、戦いの息吹きへと。

 

 

「行きますッ!!」

 

 

一番槍を取ったのは五和だった。

 

床を蹴り、槍を真正面にいる敵に向けて、最速最短の距離を突きを放つ。

 

同時、仮面の騎士も動いた。

 

 

「はあっ!!」

 

 

銀閃となった五和の突きを打ち落とし、返す刀で放たれた<量産聖愴>を五和の槍は打ち落とす。

 

速い。

 

当麻も詩歌も間に割って入る事ができない。

 

瞬きほどの短時間にすでに10合打ち合っていた。

 

 

(お、重い……!)

 

 

彼女と自分の力量はおそらく互角。

 

しかし、携帯するために耐久力を落とした槍と、1級品とも言える<量産聖愴>とでは、互角で打ち合うのは不可能だろう。

 

術式で補おうにも、相手がその時間を与えてくれるとは思えない。

 

ままならなさに五和は歯噛みした。

 

 

(しかし、ただで負ける訳にはいきません)

 

 

ガキンッ!!

 

 

五和の槍が大きく跳ね飛ばされる。

 

その時、五和の槍に亀裂が走る。

 

仮面の騎士は五和へ一気に詰め寄り、剛槍を振るった。

 

 

バキンッ!!

 

 

真っ二つ。

 

盾に使った槍が、真っ二つに折られる。

 

そのまま、五和の体は吹き飛び、背後で動けずにいたオルソラを巻き込む。

 

 

「……後は、お願いします……!」

 

 

しかし、巻き込まれながらも五和は折れた槍を投擲し、追撃の手を止めさせ、そして、―――一瞬の隙を作った

 

 

「おうっ!!」

 

 

一気に当麻が、懐に飛び込む。

 

相手は、中々の手練れ。

 

しかし、<大覇星祭>で対峙した黒騎士ほどではない。

 

あの疾風のような早さ。

 

あの迅雷のような鋭さ。

 

そして、巌のような重さ。

 

それと比べれば、仮面の騎士のは1,2段劣る。

 

仮面の騎士は咄嗟に<量産聖槍>を振るうが、襲いかかる槍の先端を、当麻は身を屈めて躱す。

 

 

「おおおっ!」

 

 

<梅花空木>を巻き、右拳を作る。

 

かつて、施術鎧を突き破った徹甲弾。

 

その重圧に仮面の騎士は思わず後退する。

 

しかし、当麻は相手を逃がさない。

 

槍の性質を考えれば、懐に飛び込んだ方が安全だ。

 

 

「換装、<量産湖剣(アロンダイト・レプリカ)>」

 

 

だが、次の瞬間、獲物が変わった。

 

鋭利な長槍を何の躊躇いもなく手放し、堅固な西洋剣が手元に生まれる。

 

 

「とうま、危ない!」

 

 

剣閃に、右の肩口から血をしぶかせた。

 

爆発するような激痛に繰り出そうとしていた右腕の動きが鈍る。

 

だが、当麻は構わず、頭からぶつかった。

 

回避しようのないタイミングで、2人の体が激突する。

 

たたらを踏んだものの、どうにか仮面の騎士は持ち堪え―――

 

 

「足元がお留守です」

 

 

―――ガクン。

 

 

鎌で草を刈り取るように足が払われる。

 

詩歌はずっと機を窺っていた。

 

彼女は、自身の負傷した具合から、動きが全開でない事は分かっていた。

 

だから、一瞬で獲物を仕留められる絶好の機会を待っていた。

 

地面に倒され、うつ伏せにひっくり返された仮面の騎士の<量産湖剣>を持った右手首を掴み、肩口を膝で抑え込む。

 

さらに捻る事で<量産湖剣>を手放させる。

 

 

「抵抗を止めてください。さもなくば、この腕を折ります」

 

 

降伏勧告。

 

仮面の騎士はそれを、鼻で笑った。

 

 

「甘い。私には、まだこれがある」

 

 

いつの間に、彼女の左手には芸術品のような長弓、<量産琴弓(フェイルノート・レプリカ)>。

 

その弦を、彼女は口で引く。

 

 

 

   ぃぃんん―――!

 

 

 

透明な音が響く。

 

そして、

 

 

「がっ――――!?」

 

 

ドスッ、と。

 

詩歌の体が宙を舞った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

無駄なしの弓(フェイルノート)>。

 

騎士『トリスタン』の必中の弓。

 

しかし、これは弓というものの、その本質は弓ではなく罠に近い。

 

その弦を鳴らした音の浸透した空間内の敵を察知し、矢ではなく、弓を作りだす。

 

その音が伝播した空間ならば、一種のソナーのように相手の位置を探知し、その死角から、その魔力を介した『音』が不可視の弓矢となって―――敵を穿つ。

 

長距離から矢を当てるのではなく、外しようのない至近距離から、気付かせる間もなく、矢を当てる。

 

故にどこに隠れようと狙った獲物を仕留められる『無駄なし』の弓。

 

 

「詩歌っ!」

 

 

詩歌の体が、運河の中に飲み込まれる。

 

その時――当麻は無意識と言ってもいいほど何の躊躇いもなく運河の中へ飛び込んだ。

 

 

「―――!」

 

 

近くでオルソラ達の声が聞こえたが、一瞬で遠ざかり、耳に入るのは激しい水流の音。

 

濁った海水が喉を焼く。

 

肩の傷が爆発したように痛みを増していく。

 

それでも、当麻は目を閉じようとはしなかった。

 

 

(詩歌! 詩歌はどこだ!)

 

 

今はそれしか頭になかった。

 

必死に妹の姿を探し求める。

 

 

(いた!)

 

 

すぐに詩歌の姿は見つかった。

 

運河の流れに煽られながら、水の底へ落ちていく。

 

当麻は、とにかく詩歌の元へ行く事だけを考え、頭から真っ直ぐに潜水していく。

 

その体勢が功を奏したのか、それとも愚兄の執念が起こした奇跡だったのか、当麻は詩歌に一瞬で追い付き、その身体をぎゅっと力強く抱き寄せる。

 

が、その時、当麻の眼前に――――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ドパァ!! と巨大過ぎる轟音と共に運河から突如浮かび上がった、巨大な帆船。

 

 

それまで何処に隠していたのかさえ不明な巨大な帆船は、運河の壁となる左右の壁を強引に粉々に砕きながらで徐々に巨大化していく。

 

しかも、船を構成する全てのパーツ、マストの帆やロープまでもが半透明な冷たい印象を与える水晶のような物質で作られている。

 

明らかに普通の船で無い。

 

そもそもこの運河の深さは3mもない。

 

だとするなら、一体どこに隠れていた……?

 

そして、彼らは……

 

 

(まさか、あそこに……!)

 

 

オルソラが水の中に飛び込んだ当麻と詩歌の姿を確認しようと運河に近づいた―――その時、

 

 

 

ドパン!! とそこで船体が跳ね上がる。

 

 

 

今までは辛うじて船体の甲板の高さは、道路の高さに維持されていたがそれが一気に、建物1階までの高さまで突き上がった。

 

 

「きゃ……ッ!!」

 

 

その拍子に、オルソラの体が船の縁に引っ掛かる形で、そのまま地面から飛び出してきた船体の中へ。

 

仮面の騎士(トリスタン)も、その後を追うようにその船体へ―――とそこで、不意に振り返った。

 

技ではなく、本能による、反射的なものであろう回避動作を取る。

 

 

「行かせません。――――<七教七刃>!」

 

 

空を裂く凄まじい速度でそれぞれ7方向から襲い掛かる7本の鋼糸(ワイヤー)

 

仮面の騎士はその隙間に身体をねじ込む。

 

急所は鎧が防いだが、太股に、脇腹に、左腕を切り裂かれ、苦悶の呻きを上げる。

 

 

(くっ、<禁書目録>に監視されている状況で水のルーンを使うのはまずい)

 

 

仮面の騎士はそのまま船に乗り込むことなくキオッジアの街の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

数週間前。

 

 

 

10代前半の背の小さな女の子。

 

色白い肌に、レモンティーのような色の瞳に、鉛筆ぐらいの太さの三つ編みを何本も作った赤毛の髪。

 

彼女の名は、アニェーゼ=サンクティス。

 

田舎道をアニェーゼを乗せて馬車がごとごとと進んでいく。

 

そののどかな雰囲気は、思わず眠気を誘うまでの安らぎを与えてくれる―――

 

 

「イヤァ~、いきなり召集命令を受けて、働けって、こりゃネェデスヨネェ? チョットは、老人を労って欲しいデス」

 

 

―――そんな雰囲気は、なかった。

 

ただ、只管に不気味で、怖かった。

 

そう、寝たら喰われるのではないかと。

 

 

「は、はぁ、そうですか」

 

 

こんな田舎に全く似合わないグレーのスーツを着た金髪紫眼のオールバックの中年の男性。

 

だがそれよりも合わないのは、それが普通でいる事だった。

 

外見は普通に見えるのに、その存在は、致命的なほどに人としてズレている。

 

一切関わり合いたくない。

 

早くこの同乗者の視界に移らない所へと逃げたい。

 

だから、早く目的地へと着いてくれ。

 

嵐の夜に家の中へ避難するようにアニェーゼは心を閉ざす。

 

 

「にしても、色恋沙汰に現を抜かして死んでしまうなど。おかげで、契約違反だと呼び戻されちまったじゃねーデスカ。ホント、ツイてねぇデスヨ。全く弟子なら、ワタシの事を見習って仕事に精を出して欲しいものデス」

 

 

そこに死んだ弟子を想う気持ちは一切なく、あるのはただの失望。

 

 

「まあ、久々と言う事で今回は楽な仕事デスし、ワタシはそれに見合うお金を払って頂ければ、どんな仕事でも引き受けマスケド」

 

 

この同乗者が頼まれたのは念の為の保険。

 

アニェーゼは良く知らないが、この男は、元ローマ正教だったビジネスマン。

 

魔術側にも協力する。

 

科学側にも協力する。

 

誰かを貶める事もあれば、誰かを救う事もある。

 

善悪の区別なく、報酬に見合う仕事をする。

 

そう男が提供するのは、ただ純粋な力。

 

それをどう使うかは依頼人次第。

 

仕事が終えた後の事など知る由もない。

 

何でも無節操な人間だが、その腕は確か。

 

そうでもなければ、こんな自由は許されない。

 

このローマ正教が少しでも科学と関わった人間を迎え入れようなど、前代未聞だ。

 

 

「お、着きまシタネ」

 

 

ぐぐっ、と馬車が停止し、アニェーゼの体が僅かに傾く。

 

 

(ひっ!)

 

 

危うく、男の体に触れそうになりアニェーゼは身を捩る。

 

 

「<アドリア海の女王>に、<女王艦隊>デスか」

 

 

でも、男は、そんな失礼な行為を気にせず、外を見て、目を細め、

 

 

「そういえば、アナタ、<刻限のロザリオ>に“使われる”んデシタっけ?」

 

 

『使われる』。

 

その言葉に、びくん、と肩が震える。

 

その様子に、にこっ、と笑みを浮かべ、

 

 

 

―――助けてあげまショウか?

 

 

 

「え……」

 

 

閉ざした心に、僅かな希望の光が生まれる。

 

この男は、金さえ払えば何でもやる。

 

甘い毒はアニェーゼに浸透し――――

 

 

 

 

 

「ジョークデスヨ。本気にしちゃいマシタか?」

 

 

 

 

 

――――真っ黒に塗り潰された。

 

 

あのスラム街でいた時よりも深く堕された。

 

ほんの少し、極僅かに、心の奥底に残っていたモノが、踏み躙られた。

 

 

「クク、いいモノ見させて貰いマシタヨ」

 

 

そうして、男は去っていった。

 

呆然と、佇む幼き少女を残して。

 

 

 

 

 

女王艦隊 甲板

 

 

 

突如、運河に現れ、キオッジアに大混乱を起こした氷の巨大艦船。

 

全長100m超、甲板から船底まで20m弱。

 

その全ての素材に半透明な素材、おそらく氷が使われており、月明かりを吸収しているのか淡い白光に輝いている。

 

上に3階、下に5から7階と学生寮よりも巨大な船の甲板へ続く階段、そのちょうど陰になる辺りに、上条当麻はいた。

 

何者かの襲撃から逃れたものの、今の彼に余裕の表情は一切なかった。

 

 

「おい、詩歌。大丈夫か!」

 

 

このキオッジアの街並みを破壊されていく状況にも気を配らず、敵の陣地の真っただ中にいるのにも拘らず背中を気にせず、ただ一心に当麻はぐったりと横たえる妹に声をかける。

 

風穴こそないが、あの時、詩歌は何かに撃たれ、胸を圧迫させられた。

 

それから、水の中へ落ちたのだ。

 

どんな人間であろうと、意識を失っていては泳げるはずもなく、溺れるしかない。

 

詩歌は苦しそうに目を閉じて、ひゅー、ひゅー、と切れ切れに呼吸している。

 

これは人工呼吸が必要なのかもしれない。

 

 

「……俺が、やるしかないのか」

 

 

人工呼吸、すなわちキス。

 

それに、以前、詩歌が言っていたが、乙女の唇は高いもので、まだ彼女はファーストキスを済ませていない。

 

それを気を失っている間に、兄が、やってしまってもいいのか。

 

だが、今はこのままだと詩歌が死んでしまう。

 

 

「……仕方がねぇ」

 

 

迷っている暇はない。

 

当麻は詩歌を仰向けにして気道を確保。

 

額に手を添え、鼻をつまんで、大きく息を吸い込んで、

 

 

「後で、いくらでも殴ってもいい。最低だと罵ってもいい。だけどな―――」

 

 

覚悟を、決める。

 

この右手は、殺すことしかできない。

 

だが、彼女を生かす為にだったら、死神だって殺してみせる。

 

 

「―――俺はお前を殺したくねぇんだ!!」

 

 

詩歌の唇を覆うように唇を重ね、静かに息を吹き込む。

 

その際、吹き込んだ息と少しだけ入れ違った詩歌の息は蕩けるように甘くて、その唇は驚くほど柔らかい。

 

何も考えられなくなりそうな、気持ちいい香り。

 

離れたくない、ずっと味わっていたいと思えるこの感触。

 

こんな状況下だというのが勿体ないほど不幸だ。

 

そして、唇から感じる命の温かさ。

 

この温度を失ってはならない。

 

当麻は1度唇を離して、5秒数えた後、また重ねる。

 

軽く胸が膨らむ程度に吹き込む。

 

それを何度も繰り返す。

 

知識はあったが、実際にやるのはこれが初めてだ。

 

これが本当に正しい人工呼吸かは分からない。

 

でも、不安を押し殺しながら、肺へ酸素を送り続ける―――と、

 

 

「ゴホッ、ゴホッ」

 

 

咳と共に大量の水が吐き出された。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「良かった……本当に良かった」

 

 

蘇生に成功し、腰が抜けるくらいに安心した。

 

意識はまだ戻っていないが、規則正しく胸は上下し、呼吸は安定している。

 

当麻はホッと胸を撫でおろし、そして、思い出すように、自然にまだほんのりと温かさの残滓がある自分の唇に指を―――

 

 

「まあまあ」

 

 

ギギギ、と。

 

ゆっくりと、ゆ~っくりと後ろを振り返る。

 

そこにはほのぼのと微笑んでいるオルソラがいた。

 

 

「しかし、主の教えにもある通り、近親は祝福できないのでございますし、それにちょっと……認められないのでございます」

 

 

ただ、笑っているのに、どこか不機嫌そうであった。

 

 

「違う! 違います! 違うんです! オルソラ! 聞いてくれ! これはそんなのじゃなくて、あくまで人命救助のためにだな!! 止むを得なく、そうなってしまっただけで」

 

 

「にしては、余韻に浸っていたように見えましたでございますけど……」

 

 

「いや、それはだな……」

 

 

「そんなことよりも」

 

 

「待て! そんな簡単に流すな! 当麻さんは―――」

 

 

「―――伏せてください。もうすぐこの運河をまたぐヴィーゴ橋にぶつかります!!」

 

 

「え!? 嘘だろ!?」

 

 

 

―――ゴガァ!!

 

 

 

重たい振動音が炸裂し、巨大艦船は一撃で橋を破壊した

 

 

 

 

 

キオッジア

 

 

 

キオッジアは混乱の渦の中にあった。

 

それもそうだろう。

 

街が滅茶苦茶になったのもそうだが、いきなり、深さ3mくらいしかない運河から街全体を見下ろせるくらい巨大な氷の船が現れたことがその混乱をより一層助長していた。

 

自然的な天災ではなく、不自然な人災。

 

だが、街の誰もがそれが人の手によって起こされたものだとは信じられなかった。

 

そんな中。

 

インデックスは、暗いキオッジアの街から、氷の巨大艦船が狭い運河を掘削しながら海へと離れていくのをただじっと眺めていた。

 

 

「イタリア北東部の歴史に深く関わったとされる……<アドリア海の女王>」

 

 

『魔導図書館』との異名を取る彼女は、この現象を魔術によるものだと看破するだけではなく、その仕組みまで調べ上げていく。

 

 

「ううん、それを補佐する<女王艦隊>の1隻かな」

 

 

頭の中に収められた10万3000冊の魔導書の知識の引き出しを開ける。

 

その知識が正しいかどうか検証し、さらに、この現象、先程の襲撃も含めて、事件を頭の中で立証していく。

 

『あれはローマ正教の修道服だった』、『なら何故、<女王艦隊>まで使ってわざわざ自分達を襲撃してきたのか』、『まさか、あの法の書事件の中心だったオルソラ=アクィナスと天草式が一緒にいたのが原因か』、『いや、もしかすると………』

 

 

さらに、今度はその対策方法を検索していく。

 

 

『<女王艦隊>』、『<強制詠唱>や<魔滅の声>では止める事も出来ない』、『そもそもあれは1人の魔術師が相手してどうにかなるようなものではない』、『でも、しいかなら…』、『駄目だ』、『とうまがいるけど、おそらく負傷しているし、彼女の武器までここに置いて来ている』、『だから、ここは自分達が………』

 

 

インデックスは顔を上げる。

 

誰かのために、その拳を握る2人。

 

いつもいつも自分を置いていき、無茶ばかりする2人。

 

自分を地獄から救い上げてくれた2人。

 

その2人が危機に陥っていると言うなら、今度は自分が救い上げる番なのだ。

 

そのためには、ここで立ち止まっている訳にはいかない。

 

そう、いつものように置いていかれる訳にはいかない。

 

 

 

 

 

女王艦隊 甲板

 

 

 

橋との激突による大きな揺れから、振り落とされはしなかった。

 

しかし、

 

 

「捜せ。奴らはこの中に乗っている筈だ!」

 

 

太い男の怒声。

 

陸を遠く離れ、段々街の明かりが遠ざかっていく。

 

一刻も早くこの敵地ともいえる船から脱出したいが、波のある海を着衣のまま遠泳するなんて、体力はとにかく技術はないし、もちろん、酸素ボンベやシュノーケルが都合良く用意されている訳でもない。

 

あと、もしも見た目通りにこの氷の戦艦の側面に付けられている砲台から弾が出るなら、見つかった時点で即死。

 

それに、今は意識を失っている妹を背に抱えているのだ。

 

少なくても彼女が目覚めるまでは絶対に襲撃者達とは遭遇してはならない。

 

 

「どうしましょう。私達の事を捜しているようでございます」

 

 

「わかってる。詩歌が目覚めるまでは、安全な所に隠れるしかねぇ」

 

 

だが、安全な所などない。

 

それでも、今は落ち着いて状況を整理するためにも、何処か追っ手から隠れられる場所を探さなくてはならない。

 

幸い、襲撃者の中に、あの仮面の騎士はおらず、この巨大な船は見た目通り、数多くの船室や様々な遮蔽物がある。

 

 

「オルソラ、船の中に行くぞ。このままここにいても間違いなく見つかっちまう」

 

 

「は、はい! 分かったのでございますよ」

 

 

当麻は詩歌を背負い直し、オルソラの手を掴んで、遮蔽物の陰に身を隠しながら、氷の船上を走る。

 

 

 

 

 

女王戦艦 船室

 

 

 

通路や壁、天井、さらにはドア板、ノブから蝶番のネジ1本に至るまで全て氷。

 

そして、その全てが外側と同様に月明かりを乱反射したのか仄かに発光し、夢のような美しくも儚い幻想的な氷の世界を演出している。

 

もしこれがテーマパークのアトラクションだったら、きっと楽しい思い出ができるだろうが、残念ながらそうではない。

 

当麻とオルソラは、甲板から船内へと侵入すると、真っ先に視界に入った船室へと駆けこんだ。

 

また運が良く、ドアの前には邪魔な見張りはおらず、船室の中も無人だった。

 

まだ、遠くから自分達を探す喧騒が聞こえているし、危機的状況から脱出できた訳ではないが、ここなら詩歌が目覚めるまでは見つからずに済むかもしれない。

 

ドアを閉めた後、当麻は詩歌の体をそっと氷のベットへ横たえる。

 

 

「くそ、何がどうなってんだ?」

 

 

今は冷静にならなくちゃいけない事は分かっている。

 

だが、それでもこの不可解な状況は落ち着けさせようとする心を邪魔するかのように炙る。

 

たまには皆でバカンスに行こうと一等賞のイタリア旅行に来たのに、謎の連中に襲われ詩歌が打たれ、この氷の世界の中で孤立無援と散々だ。

 

 

「この船も気になりますけど、どうしてこんな大それたものを使ってまで私達を襲ってきたのでございましょう……?」

 

 

オルソラは不安そうに呟く。

 

確かに、自分の命が狙われたのだが、その理由は全く身に覚えにない。

 

そして、理由が分からないようでは、対策の立てようがない。

 

それでも、どうにかしなくてはならない。

 

当麻は先程の一連の出来事を整理していき、そこでふと襲撃者達の服装を思い出す。

 

 

「襲ってきた馬鹿って……あの仮面のヤツはとにかく、オルソラの修道服を男物に変えたって感じの格好だったよな」

 

 

オルソラは頷く。

 

彼女は自分自身に直接戦う力がない事はよく知っている。

 

先程も襲撃者から自分は守られてばかりだった。

 

だからこそ、今、この現状を打破するためにも、当麻の思考のサポートをする。

 

さらに、非力ではあるが、オルソラにはローマ正教全体を揺るがすほどの分析能力がある。

 

それを使って、戦うのではなく戦わずに済ませる道を模索できるかもしれない。

 

 

「ええ。確かに男子修道者の装束でございました。となると、あの方はローマ正教の手の者と捉えるのが妥当でございましょうか?」

 

 

「って事はやっぱり<法の書>事件絡みなのか? それ以外にトラブルの種は思いつかないし」

 

 

法の書事件。

 

世界を変えるとされる魔導書、<法の書>の解読方法がオルソラが組み立てたことが発端となり、ローマ正教と天草式で激突が起きた。

 

その中心人物であったオルソラはローマ正教から命を狙われ、およそ250ものシスター部隊と50もの騎士団の刺客が送り込まれたが、確かあれは……

 

 

「ですが、あの一件は私がイギリス清教へ移ったことで決着した筈でございますけど……。今の状態で私を闇に葬れば、不利になるのはローマ正教の皆さまのはず。……わざわざ氷の軍艦などを用意してキオッジアの運河を破壊し、ヴィーゴ橋を崩してまで実行する事でございましょうか」

 

 

そうだ。

 

オルソラが見つけた解読方法は<禁書目録>、インデックスによって誤りであると魔術世界に公表され、その身柄はイギリス清教に保護されている。

 

それに、事が派手すぎる。

 

大抵の魔術師はその自身の魔術に内包された『神秘』が外へ流出しないよう気を配り、魔術師同士の戦闘を行うにしてもどちらかが『人払い』を行使する事で、人の目を避けながら戦うのが常識だったはず。

 

だというのに、今回の氷の軍艦は人目を避ける事などせず、どれだけパニックになろうがお構いなしに街を破壊していった。

 

もっとも、『昨日の夜、氷の軍艦がウチのアパートを襲ってきたんだ』なんて言われても、夢だと言われるのが落ちだろうから、魔術師の存在が明るみに出ると言う事はないだろうが……それでも、魔術のルールを破る常識外な行いであるのに変わりない。

 

一体、何が彼らを駆り立てたのだろうか……

 

今、与えられた情報では、その答えを導き出す事は出来ない。

 

 

「この船、どこに向かってんだろうな」

 

 

「キオッジアから北上していると言う事は、おそらくヴェネツィア方面でございましょうか。南下しない限り地中海には出られませんけど……」

 

 

あっ、そちらに窓があるのでございますよ、とオルソラが指さす方へ顔を向ける。

 

その先にあるのはこの船室に取り付けられた覗き窓。

 

そこから外の景色を窺うが、視界に入るのは夜の闇に包まれた海面のみ―――と結論付けたその時、

 

 

―――ドパァ!!

 

 

突如、海面が爆発。

 

さらに水を割る轟音と共にマストの支柱が現れ、さらに次の瞬間には一気に、今、当麻達が乗っているのと同規模の氷の巨大な軍艦の全容が露わになった。

 

しかも、1,2隻ではない。

 

覗き窓から確認できただけでも10隻以上。

 

水平線が埋め尽くされるほど大量に。

 

おそらく一方行だけではなく、周囲四方向で同じ事が起きている。

 

だとしたら、一体どれほどの数があるのだろうか。

 

このキオッジアを混乱を起こした巨大な軍艦は敵の本拠地ではなく、そのほんの一部。

 

もし、この本拠地が一斉にキオッジアへと向かっていけば、混乱どころか壊滅されたであろう。

 

そして、1隻だけでも手に余るのに、さらに規模が増してしまい、より脱出が困難になった。

 

と、深刻化した問題に頭を抱えそうになった時だった。

 

 

 

がちゃり、と。

 

突然船室のドアが回った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「オルソラ、詩歌を頼む」

 

 

がちゃちゃちゃちゃちゃ!! と音を鳴らすドアに接近。

 

何人、そして、武器を持っているか否かは判断できないが、この状況下で戦えるのは自分しかいない事だけは分かる。

 

そして、ここで自分が倒れれば、詩歌とオルソラも殺されるであろう事も。

 

 

(入った瞬間、初撃で仕留める)

 

 

ドアが開いた―――その瞬間、当麻は一気に………

 

 

「あれ?」

 

 

まず、1人だった。

 

そして、武器を持っていない。

 

さらには、襲撃者のような男ではなく、鉛筆ぐらいの太さの三つ編みがたくさんある赤毛の髪とどこか悪戯好きな子供を思わせる目つきの、インデックスよりも小さな女の子。

 

オルソラと同じくローマ正教の黒い修道服を着ているが、ドレスのように肌が大きく露出し、足元に30cmの厚底サンダルを履いている。

 

最後に、なんと当麻はその修道女の名前を知っていた。

 

 

「アニェーゼ!?」

 

 

アニェーゼ=サンクティス。

 

ドアの外――融点の変動した氷で作られた通路にオルソラを暗殺しようとローマ正教シスター部隊を率いていた戦闘シスターで、当麻と<法の書>事件で戦った相手がいた。

 

あまりの不意打ちに当麻の動きが止まる。

 

 

「―――、」

 

 

それはアニェーゼの方も同じようで、すぐ近くに迫った当麻の顔を驚いたように僅かに目を見開かせて凝視し―――

 

 

―――ドパン!! と。

 

すぐに、当麻の顔面に迷わず、拳を放つ。

 

意識が空白になった瞬間を狙った……かに見えたが、

 

 

「おっと」

 

 

突き出された拳を難なく手の甲で逸らし、続けて脇へ厚底サンダルを凶器に使った蹴りが襲い掛かるが、軽くその足を左手で受け止め、抱え込む。

 

当麻は不幸で、プロではないけれどプロ並みの実戦経験がその身体に染み付いており、<スキルアウト>との喧嘩も含めればプロ以上なのかもしれない。

 

それを、自分以上に自分を知っている天賊の才を持つ妹によって鍛えあげられた。

 

さらには、つい最近、<大覇星祭>というイベントで泣きたくなるくらいその妹の師匠、常盤台最恐の寮監から“常識外”の攻撃を経験している。

 

なので、たとえ不意を突いたとしても、いくら荒事に慣れていても格闘家ではない女の子の拳や蹴り程度の“常識的”な攻撃なら対処できる。

 

当麻はそのまま肩足一本取られた相手に対して無駄のないフォームで拳撃を打ち込もうとして―――やめる。

 

今まで老若男女関係なく、アニェーゼの事もぶん殴った事のある当麻だが、訳も分からず女の子に拳を振り上げるほど冷血漢ではない。

 

当麻はそのまま拳を広げ、アニェーゼの修道服を掴むと船室の中へと引き込む。

 

詩歌のように瞬時に関節技を決められるような技量はないが、体格差で強引にアニェーゼの体を抱き込み、ドアを閉める。

 

その際、声を出して余計な騒ぎを起こさぬよう左手で口を塞ぐ。

 

 

「んんーーーっ!?」

 

 

アニェーゼは暴れるが当麻の右腕の戒めを振り解く事はできない。

 

と、そこでふと『あれ? 今の俺って、傍から見たらヤバいんじゃね?』と思うが、今は緊急事態、格好に気を配っている余裕はない。

 

早くアニェーゼを――――

 

 

ストン、と。

 

抱き抱えているアニェーゼの修道服の縫い目が壊れて真下に落ちた。

 

 

今まで幼女を強引に捕まえている当麻を少し引き気味で見守っていたオルソラはそこで、あら、と頬に手を当て、

 

 

「まぁ。どうも変わったデザインだと思ったら、その露出の多い修道服は全体が魔術的な拘束を与える為の特殊な装飾でございましたか」

 

 

ほっ、良かった。

 

ちょっと強引すぎて服を破ってしまったのかと……

 

 

(―――じゃねぇだろ!! 俺!!)

 

 

今ここで最も重要なのはアニェーゼの服に魔術的な拘束が掛けられていたかどうかではない。

 

今、自分の腕の中で素っ裸の女の子がいると言う事だ。

 

しかも、若干潤目で、恐怖か怒りか羞恥か、それとも全部かは分からないがブルブルと真っ赤になりながら震えていて、まだブラも付けていない事から身に付けているのはレース満載で可愛らしいショーツのみ。

 

そう、今の上条当麻は360度、どこから見てもとても幼き少女を手籠めにしようとしている犯罪者にしか見えない。

 

『傍から見たらヤバいかも?』と疑問形ではなく、『傍から見たら一発で警察呼ぶほど滅茶苦茶ヤバい』と断定形。

 

 

「んーーー! んんーーーっ!!」

 

 

アニェーゼが目に涙を溜めながら唸る。

 

しかし、塞がれた口からは言葉が出ない。

 

だが、泣きたいのは当麻も一緒だった。

 

この危機的状況下であるのにも拘らず、『何故、俺はこんな所で犯罪行為に手を染めているのだろう』と自問自答し、鬱状態になったくらいだ。

 

ここは早く、唯一この状況を正確に理解してくれる|(といいな(願望形))オルソラに収拾を図ってもらおうと、

 

 

「お天道様を……欺こうとも、私の耳は……誤魔化せない……zzz」

 

 

ゆらぁ~り、と何かが立ち上がる。

 

 

「か弱き乙女の……悲鳴に……魂が熱く……燃え……zzz」

 

 

意識は、ない。

 

だが、その者はちっちゃいものクラブの聖闘士(セイント)

 

たとえ眠っていようが、口を塞がれていようが、その熱い小宇宙(コスモ)はその悲鳴を聞き逃すはずがない。

 

 

「し、詩歌さん。お目覚めでございましょうか」

 

 

怖い。

 

いつも怒らすと誰よりも怖い妹。

 

だけど、人形のように静かに、頭を垂れながら近づいてくる妹はも~っと怖い。

 

はっきり言って、今すぐこの部屋を出て襲撃者全員を相手にする方が遙かにマシだと思うくらいに怖い。

 

だが、当麻の足は竦んで動けず、オルソラもアニェーゼさえも固まってしまっている。

 

逃げ場のない当麻の目の前まで来て、詩歌の頭が徐々に上がる。

 

詩歌は菩薩のように瞳を閉じていた。

 

が、次の瞬間、カッ、と両目が見開き、

 

 

「―――可愛いは正義っ! 唸れ!」

 

 

当麻はたとえ両手を塞がれようとも神業的な回避能力がある。

 

しかし、その当麻の反射神経をもってしてでも反応できなかった。

 

 

(何っ!?)

 

 

まさに、コマ落ちして場面が切り替わるように一瞬。

 

理解の遙か向こう側にあるそのアイアンクローは、当麻の頭を腕一本で持ち上げ、船室の壁に身体をめり込ませていた。

 

そして………

 

 

 

「滅殺☆イマジン・フィンガー!!」

 

 

 

グキメキボキバキ………ぐしゃあ、と。

 

明らかに人の頭蓋骨が鳴らしてはいけない音が場を支配する。

 

そうして、口を封じられ、『不幸だーっ!!』とさえも叫べず、当麻の体はばたっ、と地へと堕ちた。

 

 

 

つづく


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