とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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禁書目録編 死

禁書目録編 死

 

 

 

???

 

 

 

………白く、染まる………

 

 

この、狂おしいまでの……ずっと…ずっと……堪えてきたオモイが……白紙となって、消えていく……

 

 

この叶えてはならない願いから解放される幸運………この叶えたかった望みを手放してしまう不幸。

 

 

………感謝すれば良いのか、呪えば良いのか……

 

 

どちらともつかない感情のまま………意識を真っ暗な闇の底へ沈めて行く………けど、聞こえる。

 

 

………最愛の人が、泣いている………

 

 

待ってろ………すぐ……いく………

 

 

理由など……考える必要なく……

 

 

過程など……考える必要なく……

 

 

善悪など……どうでもいい……

 

 

ただ只管に……愚者であり……ただ……彼女の、ヒーロー……に……

 

 

オモイを結ばれないのなら……オモイが叶えられないのなら……オモイに応えられないのなら……

 

 

誰よりも……強い……世界からも……守れる……不幸にも負けない……愚兄に……なる……

 

 

ずっと……ずっと……あの時からずっと……魂までに刻み込んだ……誓い……なんだ……

 

 

お願いだから……これ…だけは……殺さないで……くれ………

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

私は、手術室の前でぼんやりと先ほど聞かされた話を思い返していた。

 

あの後、私は無理矢理に心を落ち着け、当麻さんを病院へ運び、部屋にいた2人に今までの事を全て問い質しました。

 

ステイルさんは反対していたけど、神裂さんが知る権利を尊重して包み隠さず話してくれました。

 

魔術について。

 

インデックスについて。

 

そして、当麻さんがやってきたことについて。

 

正直、信じられないような話で、もしも本当なら彼女らを殴り殺そうかと思いましたが、神裂さんが話していた時の辛そうな表情を見て止めました。

 

結局、あれはいつもの“不幸”なのだ。

 

最後に、2人はインデックスの事を頼むとお願いしてきました。

 

彼らから事情を聞いた私は当麻さんなら請けるに違いないと思いましたので承諾しました。

 

私もインデックスさんの事を守りたかったですしね。

 

2人は私が承諾するとそのまま去って行きました。

 

 

手術ランプが消え、医師、冥土返しが手術室から現れる。

 

 

「命には別状はないね? あと、家族の君に話があるから、後でこちらに来てくれないかな?」

 

 

先生の言葉を聞いた瞬間、私は全身の力が抜けたような気がしました。

 

あの時、もう二度と当麻さんに会えない気がして、不安だったのですが、どうやら無事に助かったみたいです。

 

安堵した私の胸の内に広がったのは、当麻さんへの怒りでした。

 

どうして、私を呼ばなかったのか?

 

当麻さんが呼ばなかった考えはわかります。

 

兄として、妹を命のやり取りをするような所へとは行かせたくなかったのでしょう。

 

しかし、それでは私が何のために力をつけてきたというのかがわかりません。

 

何のために、様々な知識を得たのか。

 

何のために、多くの経験を得たのか。

 

何のために、圧倒する力を得たのか。

 

全ては、当麻さんと“不幸”に戦うためだというのに……

 

 

(そのこともお仕置きでみっちりと教え込みますかね。……フフフ……でもそれよりも先にお見舞いの品を買ってきますかね。……それと、師匠へと連絡をしとかないといけませんしね)

 

 

私は近くのコンビニへとお見舞いの品を見繕う事にしました。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……残念だけど、お兄さんの記憶はもう二度と戻らないね?」

 

 

詩歌は理解できなかった。

 

 

「え……当麻さんは助かったんじゃないんですか……?」

 

 

「命は助かったんだよ? ……でもね? 彼の記憶を取り戻すことはできないんだね?」

 

 

「あ、ああ、頭を打ったから記憶喪失になったんですね。全く、当麻さんときたら世話が掛かりますね」

 

 

詩歌は自身に都合のいい幻想で納得しようとするが、

 

 

「いや、もっと深刻なものだね? 思い出に関わる脳細胞が死んでしまったからね? 日常生活には支障はないと思うけど? 今までの記憶を思い出すという事は……………二度とないね?」

 

 

彼女が絶対の信用を寄せる冥土返しにより、否定されてしまった。

 

詩歌は身体が重くなった、本当に…何倍の重力がかかっているように椅子から立ち上がる事もできない。

 

今まで2人は半分に分けあってきた。

 

喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、不幸も、幸運も――――そして、思い出も。

 

何もかも2人で分け合ってきた。

 

それは形にはない幻想、けれでも、2人にとっては地球よりも重いそれを、2人は一緒に支え続けてきた。

 

そして、今、その幻想を押し付けられ、これからは1人で抱え込まなければならなくなった。

 

重い……重い……重い……思い……重い……重い……重い……想い……

 

ああ、なんて“おもい”のだろう。

 

その“おもみ”に詩歌の小さな背中は押し潰されそうになる。

 

こんなのをたった1人で背負い続けてなければならないなんて、地獄だ。

 

 

「う…そですよね……? 先生が患者の記憶を取り戻すのを諦めるなんて、嘘ですよね!」

 

 

地獄……地獄なら、たとえ地獄だとしても、冥土返しと異名を取る彼なら――――

 

 

「……、」

 

 

冥土返しは目を閉じ、自分の無力さを恨むように俯いてしまった。

 

それは、言葉よりも雄弁なものだった。

 

詩歌は彼が患者に対して諦めたところを一度も見た事がなかった。

 

どんな苦難があろうと、諦めず、患者を救ってきた。

 

そんな彼の今の姿が、どうしても詩歌の目に映らなかった。

 

 

「……本当だよ」

 

 

疑問ではなく断定。

 

腹の底から絞り出された声は、詩歌の耳に聞こえず、脳へ受けいられなかった。

 

 

「詩歌君!?」

 

 

詩歌は椅子を蹴って、冥土返しの制止を振り切り、当麻の病室を目指す。

 

真実を求めて……

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

私は彼を幸せにしたいからここに来た。

 

結ばれたいとかそういったのは、結局は二の次で、不幸に嘆く彼を私は幸せにしたかった。

 

……でも、怖かったのもあるかもしれない。

 

1人になるのが怖かった。

 

弱い私を守ってくれた彼に見捨てられるのがどうしようもなく怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

「なんつってな、引ーっかかったぁ! あっはっはーのはーっ!!」

 

 

銀髪のシスター、インデックスはきょとん、と呆ける。

 

詩歌が所用で席を外している間に、彼が『記憶』を失った事を聞き、すぐに詩歌が帰ってくるのを待たずに自分を地獄から救って倒れた彼の容態を心配そうに見舞いに来たのだが……

 

 

「あれ? え? とうま? あれ? 脳細胞が吹っ飛んで全部忘れたって言ったのに……」

 

 

少年は腹を抱えて笑っていた。

 

最初は、『君、誰ですか?』とかインデックスとまるで“初対面”のように聞いてきたクセに今はゲラゲラと面白おかしく笑っている。

 

 

「お前も鈍チンだね。確かに俺は最後の最後、自分で選んで光の羽を浴びちまった。それにどんな効果があったかなんて魔術師でもねぇ俺には分からねーけど、医者の話じゃ脳細胞が傷ついたんだってな。だったら記憶喪失になっちまうはずだったってか?」

 

 

「はず、だった?」

 

 

「おうよ。だってさ、そのダメージってのも魔術の力なんだろ? だからさ――――」

 

 

そして、少年はインデックスに種明かしをするように理由を述べていく。

 

彼の右手、<幻想殺し>は異能であるなら神の奇跡でさえも殺す。

 

だとするなら、異能でダメージを受けたとしても、その右手で触れればどうなるのか?

 

その答えは、なかったことになる。

 

出鱈目な答えだが、実際にその出鱈目な力を見せつけられたインデックスとしては納得するしかない。

 

でも、説明を聞いているインデックスはみるみるうちに頬を膨らませ顔を赤くしていき、

 

 

「と・う・ま~ッ!!」

 

 

怒ったインデックスは少年の頭に噛みつく。

 

そして、満足のいくまで少年にお仕置きしたインデックスは、どこか嬉しそうな顔で病室を出て行った。

 

部屋のすぐそこにいた少女に気づく事なく……

 

 

「……」

 

 

少女は扉の影からその少年とインデックスのやり取りをただじっと見ていた。

 

じっと感情を殺していなければ、受け入れる事もできないこの目も当てられない“三文芝居”を………

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ん?」

 

 

インデックスの噛みつきダメージから回復した少年が扉の前に少女がいる事にようやく気づく。

 

 

「失礼しますね」

 

 

少女は一言断ると少年の許可を待たず病室に入り、見舞いの品を机に置くと彼のベットの横にある椅子に自然な動作で座る。

 

綺麗だ。

 

先ほどのインデックスと言う少女もそうだが、目の前の彼女はそれ以上に別格だ。

 

腰の辺りで纏めた清らかな柳髪に、宝石のように輝く瞳、白磁の陶器のように白く滑らかな肌。

 

その立ち振る舞いもどこか品の良さを窺わせる。

 

誰もが見惚れる高嶺の花。

 

辞書で『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』の意味を引いたら、目の前の少女の事と書いてあっても不思議ではない、そう思える。

 

でも―――“一体少女は何者なのだろうか?”

 

 

「え~っと、君は」

 

 

「あらあら、当麻さんは先ほどのインデックスさんみたいに恍けているんですか?」

 

 

その問いに対し、少女はいつものような微笑みを少年に向ける。

 

その笑みに深い悲嘆の色を隠しながら……

 

 

「ふふふ、一緒にインデックスさんを助けあった仲間じゃないですか? 『御坂美琴』ですよ」

 

 

「ああ、覚えてるよ。御坂だな。わりぃ、わりぃ、つい恍けちまった」

 

 

少年は必死に焦りを隠しながら考える。

 

おそらくこの『御坂』という少女は自分と共にインデックスを救ったのだろう。

 

そして、この接し方を見ると自分と彼女はどうやら知り合い……

 

 

「変な当麻さん」

 

 

それも結構親密な。

 

少年は“安堵”するのではなく、“警戒”する。

 

お腹、空いてますよね? と『御坂』はそのまま少年のベットの隣に座り、見舞いの品である梨を剥いていく。

 

慣れた手付きで1分もしないうちに、所々切れ目を入れて食べやすいサイズに分けた。

 

この熟練度に、心遣い。

 

ただ剥いただけだというのに梨の表面が輝いているようにも見える。

 

どうやらその内面までも完璧なのか……

 

『御坂』が梨を剥いている間、少年はずっと考え事をしながら、彼女の横顔を見ていた。

 

 

「はいどうぞ――――ん? 顔に何かついてますか? そんなに見つめられると恥ずかしいですよ」

 

 

「ああ、何でもない。わりぃな、見つめちまって」

 

 

不味い。

 

少し無用心過ぎたか。

 

いや、しかし、目の前の『御坂』は、その一動作一動作に視線が外せなくなるような魔性とも言える魅力の持ち主。

 

きっと彼女と恋仲になれば―――――

 

 

「別にかまいませんよ……だって、私達、恋人同士ですし…」

 

 

はい、あ〜ん、と『御坂』は少し頬を赤らめて照れながらも少年の口へと梨を運ぶ。

 

 

「はああぁぁっ!?」

 

 

少年は悲鳴を上げ、いきなりの出来事に後ずさり、『御坂』から離れる。

 

何だこの初々しい恋人さんごっこは!?

 

自分の容姿は美少年ではないし、ごく普通だ。

 

そんな自分とは全く釣り合わない彼女と……だなんて……

 

 

「何しているんですか!? 上条さんをからかっているんでございますか!?」

 

 

「あれ? 当麻さんはいつも私に食べさせてもらってたじゃないですか? 別に恋人同士ですし、恥ずかしい事はありませんよ。ほら、いつものように美琴と呼んで下さいな」

 

 

何を今更、とばかりの『御坂』の表情に少年は頭を抱えて、本気で悩みこむ。

 

 

(俺はこの娘とそんなことを……そんなベタベタなカップルみたいな……前の俺は一体何者!?)

 

 

―――くすくす。

 

 

そのとき、少年の耳に小さな笑い声が聞こえた。

 

顔を上げると、『御坂』が笑いを堪えているのにようやく気づく。

 

 

「ああ、わかった。嘘ついてんだな、おまえ。顔が引きつってるぞ」

 

 

「ああ、ばれました。先ほどインデックスさんを騙したお返しです」

 

 

彼女があっさりと嘘だと認めたので、少年はどこか惜しい事をした気持ちになったがとりあえず、ほっとした。

 

もし恋人のような親密な付き合いだとしたら、この“嘘”が一瞬でバレてしまうし、傷つける事になるだろうから……

 

 

「全く、上条さんの純情を弄ぶんじゃありませんよ」

 

 

「ふふふ、そうですね。…では――――」

 

 

場の空気が変わる。

 

 

 

 

 

「――――そろそろ、お互い、冗談を止めにしませんか?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『御坂』の顔から笑みが消え、能面のような表情になる。

 

顔の作りがとても良いために、本当に人形のように見え……怖い。

 

先ほどまではあんなに慈愛に満ちた太陽のような笑顔を浮かべていたはずなのに、今は冷徹で絶対零度の虚無の表情でこちらを見てくる。

 

あまりの豹変に少年は口を動かす事ができない。

 

 

「当麻さん、本当に憶えていますか?」

 

 

『御坂』から断罪のような言葉が突き刺さる。

 

嘘偽りは一切許されない、と彼女の瞳が訴える

 

 

「だからな。インデックスにも言ったけど――――」

 

 

「茶番の話しは結構です。本当の事を話してください」

 

 

すでに、隠された悲嘆が『御坂』の顔に表れ始めている。

 

押し殺したはずなのに、その表情は徐々に歪んでいく。

 

 

「あ、あのな、御坂」

 

 

不味い。

 

本当に不味い。

 

このままでは――――

 

少年は何とか“誤魔化そうと”口を開く。

 

しかし、

 

 

「すみません。私は、“『御坂美琴』ではありません”」

 

 

見抜けなかった嘘に言葉を失くす。

 

 

「私の名前、憶えてますか?」

 

 

少年は、何も答えない。

 

いや、答えられない。

 

 

「私が誰だかわかりますか?」

 

 

少年は、“『御坂美琴』と思っていた”少女から目を逸らす。

 

何も知らないから……

 

 

「どこまでが嘘かと本当にわかりますか?」

 

 

少女の歪んだ顔から涙が零れる。

 

しかし、少年はその涙を拭う事はできない。

 

何をしたらいいかなんて分からないから……

 

 

「もう一度、訊きます。……本当に…今までの事……私の事…憶えてますか?」

 

 

もう誤魔化す事ができなかった。

 

少年はもうこれ以上、“嘘”を吐く事は出来なかった。

 

 

「わりぃ……お前の事、何も覚えて、ない……」

 

 

少年は空っぽだった。

 

何も覚えていない。

 

当然、先ほどの銀髪シスターなんて誰だかも分からない。

 

彼女に話して聞かせたほど、神様の描いた脚本は優しくも温かくもなかった。

 

 

「ええ、知ってました。先ほどのインデックスさんとの会話、全て嘘なんでしょう?」

 

 

少女は少年の嘘を見抜く。

 

そう、彼女は最初から少年がインデックスに嘘をついていたのを分かっていた。

 

 

「ああ、そうだ。……この事は、あいつには」

 

 

「ええ、話しませんよ。……私が伝えるべきことではないですしね。……それで、もう一度、もう一度だけ、最後に――――」

 

 

少女は、少年、『上条当麻』の言う、記憶が無事であったという幻想(シナリオ)を抱いていた。

 

いや、抱きたかった。

 

だから、もしこの問いでインデックスと同じように優しい幻想(うそ)をつくなら自分を偽ってでも騙されたかった。

 

だから、問う。

 

 

「――――最後に…私が……当麻さんの……妹だと…いうことも憶えてい…ませんか?」

 

 

きっと、インデックスに幻想をかけたように、己の弱さも守ってくれると願って……

 

しかし、

 

 

「……」

 

 

ああ、そうだ、という言葉を当麻は呑みこむ。

 

当麻の心がその言葉を放つな、と叫んでいる。

 

これ以上、この子を苦しめるなと訴えてる。

 

だから、嘘を吐くんだ。

 

早くこの最後のチャンスに嘘を吐け。

 

でも、

 

 

「……そうだ…」

 

 

もう優しい幻想はつけなかった。

 

インデックスのように、誤魔化す事ができなかった。

 

もう疲れたのだ。

 

自分はもう充分やった。

 

記憶もなく、“見知らぬ少女”に対してよくここまで嘘をついた。

 

自分はもう充分に心を痛めた。

 

何度もその痛む心を捨てるべきかどうか迷った。

 

でも、結局は楽になる方を選んでしまった。

 

本当に………最低だ。

 

 

「そう…ですか……」

 

 

少女の抱いていた幻想は殺された。

 

他ならぬ、兄、上条当麻の口から語られたことによって。

 

そう、当麻が『死んだ』という残酷な真実によって。

 

少女の顔にもう涙が流れていなかった。

 

何の感情も湧いてこなかった。

 

そこには虚無しかなかった。

 

 

「ああ、そうそう言い忘れてましたね。私……私の名前は『上条詩歌』です。詩を歌う、と書いて詩歌と言います。……“以前のあなたは『詩歌』と呼んでいましたよ”」

 

 

『上条詩歌』、“初めて”知った少女……『妹』の名前。

 

 

「………そうか……」

 

 

「……インデックスさんの事は私も手伝います。“兄のお願いなので”。彼女に怪しまれないように“人前では”『詩歌』と呼んでください」

 

 

「……わかった」

 

 

業務的な『妹』の言葉。

 

それは言外に『あなたを兄だとは認めていない。だから人前以外では名前を呼ぶな』と、拒絶の意も含まれているのかもしれない。

 

でも、空っぽな少年はただ空虚な答えしか返せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

(どうして、俺は本当の事を……)

 

 

少年は『妹』を慰める事ができず、血が出るほど拳を握りしめるしかできない。

 

誤魔化せばよかった、

 

優しい幻想でもつけばよかった、

 

と後悔するがもう遅かった。

 

遅い。

 

遅いのだ。

 

もう幻想は殺されてしまったのだから。

 

他ならぬ自分の手によって……

 

『妹』はすでに病室の前にいた。

 

 

「し、詩歌……」

 

 

少年はようやく口を開けて、体中のありったけの勇気を振り絞り、『妹』に制止の声を掛ける。

 

だが……

 

 

 

 

 

「……嘘つき」

 

 

 

 

 

その返答は、剃刀のように少年の心を切り裂くものだった。

 

身体を切り裂かれた方がましだと思うほど苦痛が全身に感じる。

 

しかし、その言葉を吐いた『妹』の方が傷ついているのがわかる。

 

顔も見えていないのに、少年は理解してしまった。

 

 

 

「ばいばい……嘘吐きのお兄ちゃん」

 

 

 

最後に、花束を手向けるように『妹』は言葉を捧げる。

 

その言葉はどちらに送ったものだろうか?

 

この空っぽな少年にか、それとも以前の自分にか……

 

いや、両方になのかもしれない。

 

己を偽ろうとした嘘吐きに、大切な約束を破った最低な兄。

 

その言葉に心を抉られた少年は、何も言えず、『妹』の後ろ姿をただ呆然と見送るしかなかった。

 

 

 

つづく


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