とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
水の都編 海外旅行
水の都編 海外旅行
???
ローマ正教13騎士団。
ローマ正教が有する英国の『騎士団』をモデルにした実行部隊。
その中でも武勲の高い者は、円卓会議に審査に掛けられ、『アーサー』、『ランスロット』、『ガウェイン』、『パルツィバル』、『ガラハッド』、『トリスタン』……と言った偉人達の称号が襲名される。
ただし、これらの称号は、5つ、6つの欠番が当たり前で、その実力が疑われた場合は、再審査が掛けられ、その条件を満たさなければ剥奪される。
「『ランスロット』―――前へ」
「はっ!」
ビットリオ=カゼラは前に出る。
彼は剣の腕と言うより、霊装<グレゴリオの聖歌隊>を所有し、使用権限が与えられていた事からその実力が認められていたが、法の書事件で、<グレゴリオの聖歌隊>を失い、さらには、『とある少年』との一騎打ちで敗北したことから、その実力が疑問視されていた。
その実力が称号を得るのに相応しいものだと証明するために、上層部が立ち会いの下、同じ称号を得る騎士との一騎打ちを行う事になった。
もし、これで無様に敗北すれば、ビットリオは名誉の称号が剥奪される事になるだろう。
「『トリスタン』―――前へ」
「はい!」
“少女”が前に出る。
(しかし、私の相手がこんな小娘とは……同じ騎士とはいえ舐められたものだ)
ビットリオは、彼にとって人生を左右すると言っても良い試験の相手を見る。
透き通る水のような雰囲気を持つ麗人。
彼女は、修道女ではなく、ビットリオと同じ騎士。
青く染まった髪を、頭上で髪飾りでまとめており、静謐さを放つ白いドレススカートと、精緻な意匠が施された白銀の鎧を身に付けている。
そして、顔の上半分を白の仮面で隠している。
ローマ正教の最暗部の内の1人でもあり、<聖人>でもある元傭兵に拾われた孤児で、その元傭兵に直々に鍛えられ、新参者ながらにして自分と同じく『トリスタン』と称号を得ている実力者
(……やはり、気に入らんな)
今もビットリオが睨めつけているが、少女はそれを軽く受け流す。
それが、あの法の書事件で対峙した『とある少女』を彷彿させ、苛立ちが募る
そもそも、ビットリオは女性が騎士団の一員となることを認めていない。
「待て!」
試合開始直前で、ビットリオが待ったをかける。
「小娘。私は貴様が誇りある13騎士団の一員であることを認めていない。そこで、この勝負。負けたら、己の武器を相手に譲ると言うのはどうだ?」
その申し出に、2人の決闘の立会人である騎士達は息を呑む。
この勝負、別に敗北したとしても称号が剥奪されるだけで、他のランスロット隊の騎士達のように除隊されると言う事ではない。
しかし、ビットリオは武人にとっては魂とも言える己の武器を賭ける、つまり、負けたら武器だけではなく、最悪、騎士としての地位も失くす事になるだろう。
ビットリオは破壊された<
その失った戦力を補うためにも、この小娘から必中の弓と謳われる<
ビットリオは彼女の腕を実際に見た事はないが、『トリスタン』の伝承通りなら、その本質は剣士ではなく弓兵で、今、自分の手には<量産湖剣>がある。
そして、この決闘は剣と剣によるものだ。
武器にしても、実力にしても、自分の方が上。
もしこの申し出を受けなくても、怖気ついたと精神的優位になれる。
「……構いません」
その言葉に、ビットリオは外面は余裕を装いながら、内心で密かにほくそ笑む。
しかし、続く言葉でその表情が崩れ落ちる。
「私も、あなたを騎士として認めていません。まだ対峙しただけですが、あなたの実力はウィリアム様はもちろん、私にも遠く及びません。騎士として相応しくない事が良く分かりました」
独り言のような呟きだった。
それがビットリオには余計に、挑発的に聞こえた。
「……いいだろう」
抑制された口調。
それが逆に、憤怒の深さを物語っていた。
ビットリオはゆっくりと<量産湖剣>を引く抜くと、
「あの傭兵崩れのゴロツキに何を教わったかは知らんが、身の程を弁える必要性を、たっぷりと教えてやる!!」
道中
上条当麻は不幸な人間だ。
彼の妹、上条詩歌は類稀なる幸運の持ち主だが、それに反比例するかのように、いやそれ以上に当麻は不運の持ち主である。
この前も皆で某ボードゲーム、桃○郎○鉄で騒いだ事があったが、最初から最後までボ○ビーが常にくっついていた。
まあ、リアルで上条家のエンゲル係数を上げたミニボ○ビー、普段は温厚だが怒ると怖いキ○グボ○ビーがついているから縁があるのかもしれない。
それでも、不幸に負けず、むしろ笑顔で這い上がってくるのがこの少年の良い所ともいえるべきなのだが、とりあえず不幸である事に変わりはない。
もう1度繰り返すが、上条当麻は不幸な人間だ。
1つ前、くじ運の良い妹が『おめでとうございます! 来場者数ナンバーズの結果、あなたの指定数字は2等賞です! 賞品は伊豆温泉旅行3泊4日です!!』と見事当たりを引き当てたが、だからと言って、当麻が同じように当たりを引く筈がない。
むしろ、ハズレのポケティッシュを貰うのが当然なのだ。
そう、まさか、何においても完全無欠な妹よりも上の賞を取るなんて、夢に出る事もないと言うほど絶対にありえない。
さらに繰り返すが、上条当麻は不幸な人間だ。
「え、何と連チャンです! しかも来場者数ナンバースの結果、あなたの指定数字は1等賞、見事ドンピシャです! 賞品は北イタリア5泊7日のペア旅行、おめでとうございます!!」
何だそりゃ、と呆然と肩を落とす平凡な男子高校生――上条当麻の目の前で、再び、さらに大きくガランガランとハンドベルが鳴り響く。
その隣には当麻と同じように、唖然と大きく口を開けながら非凡な女子中学生――上条詩歌がその様子を見つめていた。
ここは東京西部を占める学園都市、時期は波乱万丈なイベントが盛り沢山だった超大規模な体育祭――<大覇星祭>の最終日。
どこにでもあるような大通りに面した歩道の一角に彼らは立っていて、その目の前にはその場合わせで作ったお手製の屋台がある。
店番をしているのは霧ヶ丘女学院の女子高校生で、ここは学生主導で行われる『来場者数ナンバース』の会場である。
やり方は簡単で、ただの人数当てだ。
お金を払って買った専用カードに<大覇星祭>の総来場者数を予想して、その記録に近い数値から順位が決まっていく。
これで当麻は、詩歌と一種のお遊びみたいな罰ゲームなしの勝負をしてみようと言う事になったのだ。
無論、カンニングやイカサマ行為は禁止だ。
「あはは。すごいですね! え? 2人って兄妹なんですか!? うわー、これはラッキーな似た者兄妹ですね!!」
半袖Tシャツに赤いスパッツのスポーツ少女な店番は、この連続ワンツーフィニッシュという奇跡の快挙に驚きながらも、賞品の入った馬鹿でかい封筒を2人の前に置く。
「本来は学生向けではないんですけど、<大覇星祭>終了時の振り替え休日を利用して参加するプランでして」
少女は営業モードのニッコリ笑顔で説明するが、2人はほとんど聞いていなかった。
そう、これは2人にとって奇跡ではない。
2人を良く知る人なら、彼らの根本は似た者兄妹であると言うが、基本的には真逆の性質をもち、特に『運』に関しては天と地以上の差がある。
つまり、これは奇跡を超えた奇跡、上条兄妹にとって天地開闢の始まりと言えるかもしれないのだ。
「旅行に関しての詳しい日程、観光予定、必要書類などは全てこちらにありますので、後で目を通しておいてください。なお質問がある場合は当女学院ではなく、旅行代理店の方にお願いします。ささ、どうぞどうぞ」
ずずい、と巨大封筒を向けられたが、この期に及んで2人はこの現実を受けれていなかった。
当麻は両手を組むと、うーんと首を右斜めに傾げて、
「なあ、詩歌」
すると詩歌も両手を組みながら、うーんと首を左斜めに傾げる。
「はい、何でしょう、当麻さん」
危うく頭と頭が仲良くこっつんこしそうになったが、2人はそんな事に気に掛ける事もなく会話を進める。
「1等賞って、あの1等賞だよな」
「はい、そうですよ」
「1番運の良い人が当たるあの賞なんだよなッ!?」
「はい、世間一般的にはそうなってますね」
「そうか。だったら、これは北イタリア旅行なんかじゃないな。きっと、気がついたら飛行機が得体の知れない科学宗教の私設空港に向かっていたりとかって言う壮絶展開になるんだよ」
「いえいえ、これは間違いなく北イタリア旅行チケットです。まあ、もしかしたら、飛行機がハイジャック犯に乗っ取られて、南極辺りで遭難するかもしれませんので、これは念のために遭難セットを準備すべきだと進言しますよ」
何やってんだ、こいつらは、と呆れを通り過ぎて、『ああ、2人はきっと海外旅行が初めてなんだな』と生温かい視線が送られる。
そのまま彼女は次の学生の対応へ向かう。
が、次の瞬間、
「はは、そうだよな。うん、きっとそうに決まっている。でも、詩歌。一発思いっ切りぶん殴ってくれないか」
「はい、当麻さん」
え? 何を? と振り返った時にはもう遅かった。
「―――その幻想をぶち殺すっ!!」
―――ゴンッ!!
少女の視界に映ったのは天高く舞い上がる愚兄の姿だった。
第23学区 国際空港 ロビー
北イタリア旅行。
北イタリアの空港で旅行者が集合して、そこからツアープランが始まる。
現地集合予定日は、9月27日。
<大覇星祭>の後は、業者による設備撤収や、警備状態の平常移行などのため、学生達にちょっとした長期休暇が与えられるのだ。
「詩歌、悪いけどもう1度――いや、何でもない」
先日の騒ぎを起こしたのを反省したのか直前で取りやめる。
あの後、兄妹喧嘩でもしたのかと勘違いされて色々と大変だったのだ。
「信じられないのはよく分かりますが、これは現実ですよ。当麻さん」
そして、詩歌も大変だった。
あの後、『何が起きるかわかりませんから私もついていきます』と2等賞の『伊豆温泉旅行』を換金して、『北イタリア旅行』のチケットを購入、当麻達についていく事にしたのだ。
幸いパスポートは当麻と詩歌も持っており、インデックスも<必要悪の教会>から支給されたのを持っている。
「ねぇ……早く行こうよ、とうま、しいか」
そして、一番大変だったのがインデックスだった。
「ちょっと待ってくれ、インデックス」
「大丈夫ですよ、当麻さん。ちゃんと無人島に送られても大丈夫なようにサバイバルセット一式と学園都市製の携帯発信機も用意してあります」
「そうか、流石、詩歌だ。でも、あと少しだけ落ち着かせてほしい」
「ええ、いざという時に必要なのは自己判断力です。私も装備一式に不具合がないか確認してみます」
そう言って、当麻は深呼吸を、詩歌は荷物の確認を始めた。
「……2人とも、心配性過ぎるんだよ」
最初は2人との海外旅行にわくわくしていたインデックスだが、今では、やれやれと呆れかえっている。
彼らは単純に海外旅行が不安なのではない。
命懸けの修羅場に巻き込まれても迷わず不幸のど真ん中に突っ込んでいくこの兄妹が、初めていく土地とはいえ臆す筈がない。
だが、伊達に一般人とは不幸を踏んだ場数が違う上条兄妹はこの幸運を喜ぶのではなく、“本気で警戒”しており、『これは上げてから落すと言う高等パターンなのでは?』と旅行の計画ではなく、“真剣に対策”を立てていた。
それこそ、『これは天変地異の前触れでは?』といつも泰然自若の詩歌でさえも、あることないこと考えて頭を悩ませるあたり、当麻の日頃の不幸度合いが常軌を逸している事が分かる。
それでも、旅行をキャンセルしようとは考えないのが、この兄妹の前向きで良い所なのかもしれない。
とはいえ、ある意味2人がボケ役|(本人達は超真面目)となり、珍しくそのツッコミ役として付き合っていたインデックスは旅行に行く前からお疲れ気味である。
閑話休題
そんなこんなで当麻、詩歌、インデックスの3人は体内に旅行用の発信機を呑み込むと第23学区にある学園都市唯一の国際空港へやってきた。
<大覇星祭>時には各国からの来場者でこの広々とした空港ロビーがラッシュアワーのように混雑していたが、今は帰宅のための人だかりがそこそこできている程度。
そのそこそこの帰宅者で騒がしいロビーを、当麻と詩歌がそれぞれスーツケースをガラガラと引き摺り回していく。
当麻の格好はいつも通りの半袖Tシャツのカーキ色のズボン。
本当は、スリに遭わないようじゃらじゃらと鎖でお財布などの貴重品を巻き付けて、隠し持とうと考えていたが、それは流石に詩歌にツッコミを入れられた。
そして、詩歌の格好はいつも通りの常盤台の制服だが、それだと目立つので白衣のような修道服のような暖色のローブを羽織っている。
ちなみにインデックスはいつもの修道服で手ぶらである。
彼女の私服、下着や寝間着は詩歌のスーツケースの中に収まっている。
あと三毛猫のスフィンクスは、現在、小萌先生に預かってもらっている。
その際、彼女が『も、もしかして、逃避行!? 駄目ですよ! 上条ちゃん! いくら可愛いからと言って詩歌ちゃんは妹なんですよ!?』と勘違いされて説得するのに色々と大変だったが、いつの間に自分は担任から土御門と同クラスのシスコンだと認知されているのかと果てしなく不安になった。
その時の事を思い出して若干鬱になりつつ当麻はロビーの奥にある出入国管理ゲートで最終チェックを行う。
「財布は?」
「あります。いざと言う時のために銀行から貯金も下ろしてあります」
「パスポートは?」
「大丈夫です。有効期限も確認済みです」
「飛行機のチケットは?」
「チケットも、旅行に必要な書類も、着替えも、ドライヤーも、携帯電話も、それからサバイバルセットも応急処置セットも、それから外国語に不安のある当麻さんには私とインデックスさんから離れた時のためにイタリア語の簡易マニュアルも用意してあります」
「よし。準備は万全だな。ここから『不幸だー』に繋がるド忘れ展開はないな」
「はい! 無人島生活でもバッチリです」
「ねぇ、とうま、しいか。私達、これから北イタリアに旅行に行くんだよね?」
一体、この2人はどこに行くつもりなのだろうか? と逆にインデックスは心配になる。
個人でならとにかく、2人とも同じ考えのもと同調してしまっているから、より扱いが難しくなっている。
そろそろ2人とも平常運転に戻って欲しい。
そんなインデックスの祈りが届いたのか、段々、旅行に向けてのテンションが上がり、目を覚ましていく。
「……そうだよ、な。ああ楽しんでも良いんだよな! いつも不幸だ不幸だ言ってるから調子がおかしくなってたけど、俺だってたまには幸福であっても良い筈なんだッ!」
「そうです! 当麻さんが幸せであっても何ら悪い事ではありません! だから、この有意義な休暇を心行くまで満喫しましょう!」
吹っ切れた清々しい笑みを浮かべる当麻に、感激して思わず涙を零す詩歌。
若干、テンションが上がり過ぎて、おかしくなっているかもしれないが、それを見たインデックスは『昨日よりはましかも』とつられるようににっこりと微笑んだ。
???
「はぁ……はぁ……はぁ……」
馬車の陰から顔を出し、周囲を探る。
……誰も、いない。
少なくても、自分の視界の範囲には。
「っく……。早くここから離れなければ。そのためにはまず武器が必要ですね」
そういうと、背の高い修道女は、その観光客用の馬車の4つの車輪を、さ、と流すように一瞬だけ吟味すると前方右側の車輪を分解して手に取る。
彼女は、シスター・ルチア。
聖カテリナの『車輪伝説』に基づき、馬車の車輪を爆破と再生させ武器とする戦術を取る修道女。
その彼女の額は嫌な脂汗で滲んでおり、手は真っ赤な血で濡れていた。
ルチアが着ている黒を基調にした修道服の袖やスカートはその人の好みの長さに調節できるようファスナーで着脱式となっているが、今はそこに黄色の袖とスカートが取り付けてあった。
これは修道服を拘束服へと変じさせる<禁色の楔>と言う霊装。
その効果は、装着者が生命力から魔力を練ろうとすると、その魔力を<禁色の楔>が勝手に消費して、強力な魔術を使い難くさせるもの。
おかげで下手に魔術を使えば、やがてはその人の生命力がガス欠となり、動く事すらもできなくなる。
しかし現在、その<禁色の楔>はルチア自身の血によって、その霊装の要所要所にある必要な機構が塗り潰されて一時的に無力化されている。
「シスター・アンジェレネ! そちらは終わりましたか!?」
「な、何とか終わりそうですけど……」
ルチアの焦った声に、馬車の中から幼い修道女が応える。
中を覗いてみると、そこには彼女の同僚である、シスター・アンジェレネが四苦八苦と言った様子で作業している。
「……できましたっ! せ、施術キーを解放、中身を取り出せます!」
ガチン、と小さな音が鳴る。
アンジェレネは、馬車の内壁に直接固定された四角い金属の箱を取り外す。
中にあるのは脱走者対策の魔術武器だ。
通常、指定された護送人以外は使用できない仕組みとなっているが、アンジェレネは少々強引な方法でその封を解除した。
(よし。後は『彼女』に見つかる前に街の中へ)
遠くから、威勢の良い掛け声の残滓が山彦のようにうっすらとここまで響いてくる。
きっとここから先には観光街がある。
潮風に乗ってくるその声は少しだけ標準語と比べると訛りがある事に気付き、その言葉遣いから、おそらく『ラグーナ』近辺であると予測。
そこで、アンジェレネが両手で金属の箱を抱えながら、オロオロと、
「わ、私達は捕まるともう1度『女王』に連れ戻されるんでしょうか、シスター・ルチア。『女王』……そもそも、一体何の為にあんな大袈裟な……」
「それを確かめる為に抜け出したのです、シスター・アンジェレネ。シスターアニェーゼの身も心配です。その護身具だけでは心許ないですし、まずは身を潜めて霊装の準備を固めましょう」
自分達が『女王』から脱出したのは、脱走の為じゃなく、救助のためだ。
あの見ただけで自分が寒気を覚えるほどの純粋な祈りを捧げられる修道女、シスター・アニェーゼ。
その自分達のリーダーである彼女が罪人として裁かれ、教会に道具として使い捨てられようとしている。
如何にローマ正教の発展のためとはいえそのような振る舞い、ローマ正教を信仰しているからこそ認める訳にはいかない。
「では、行きましょう、シスター・アンジェレネ」
「はい、シスター・ルチア」
そうして、2人は其々の武器を手にとり馬車の中から飛び出した――――その時、
「見つけました」
冷めた声音が背後からかかる。
はっ、と振り向くと、純白の鎧とドレススカートに身を包んだ仮面の少女がいた。
(もう来ましたか、『トリスタン』!)
ルチアはアンジェレネの首根っこを掴み急いで馬車の陰に転がりこむ。
彼女は、女性の身でありながら自分達と同じ修道女ではなく、騎士となった最近注目されている異例の麒麟児。
そして、かつて自分達と行動を共にした『ランスロット』――ビットリオ=カゼラを一騎打ちの下で打ち倒した実力者。
この間に合わせだけのあまりにも頼りない武器では、勝敗はすでに見えている。
ここは機を窺い、<聖カテリナの車輪>で奇襲をかけて、一気に逃亡――――
「隠れても無駄です」
虚空から取り出すように、彼女の手元に楽器の竪琴と見間違うような美しく装飾された長弓――<量産琴弓>が生まれた。
そのまま―――そう、矢をつがえていないのにも拘らず―――その細腕で強く弦を引く。
ルチアとアンジェレネは彼女の死角となる馬車の陰に隠れている―――が、
ぃぃいん―――!
音が、響く。
そして、
「ご……ッ!?」
打た、れた?
胸が強打され、肺の中の酸素が体の外へ吐き出される。
それでもルチアは車輪を支えにして体勢を立て直す。
「こんな所で、まだ、諦めるわけには――――」
しかし、反撃までは許されなかった。
ぃぃぃぃいいいいいん―――!
連続して音の波紋が広がる。
ルチアの手が、足が、頭が、全身が打たれ、そして、アンジェレネの体がくの字に折れ曲がる。
アンジェレネは悲鳴を上げること無く倒れ、ルチアも辛うじて意識がある程度でもう体は動かない。
唯一の武器だった車輪は自分の手元から離れ、魔術を行使するだけの気力はもうない。
そして、目の前には長弓ではなく、剣を構えた女騎士の姿が。
(し、スター・アニェーゼ……)
最後に、心の中でただ1つの人名を呟いた後、ルチアの意識は完全に途切れた。
北イタリア マルコポーロ国際空港
ここは北イタリアでヴェネト州の玄関口と呼ばれるマルコポーロ空港。
その対岸に見えるのは、観光の名所であるアドリア海に浮かぶ水と光と、そして、歌(カンツオーネ)に満ちた『水の都』――ヴェネツィア。
120を超える島を400以上の橋でつないだ都市。
その名を聞けば、大体の人がアコーディオンとゴンドラ歌手の歌声が運河の上で、どこまでも伸び上がっていく光景を思い浮かべるだろう。
かつて海上の孤島だったこの街で活躍する主な乗り物は自動車でもなく、自転車でもなく、水上ボードのほか、数多くの手漕ぎのゴンドラである。
世界遺産に指定されているヴェネツィア本島以外にも、ヴィツェンチア、パドヴァ、バッサーノ・デル・グラッパ、ベッルーノなどの観光街はある。
それら観光街への海外からの玄関口がこのマルコポーロ空港で、ここに学園都市から当麻、詩歌、インデックスを乗せた飛行機が着陸した。
幸いにもハイジャックされたり、飛行機が操縦不能となったり、無人島に流れ着いたり、とそんな不幸なトラブルに巻き込まれる事なく、精々困った事と言えば、出入国管理ゲートでの、外国人係員との会話だが、そこは世界で活躍する人材を育成する常盤台のお嬢様の出番である。
兄として少々情けない事なのかもしれないが、英語ですら危うい当麻にとってイタリア語など未知の言語もいい所で、インデックスも世界中に散らばる10万3000冊の読破したと言う読書力で体系化されてすらない語圏もマスターしている詩歌を上回る語学力の持ち主だが、そこはコミュニケーション力|(と、したたかな交渉力)抜群の詩歌に任せるのが最もベスト。
そうして、何を話したかは分からないが最後は詩歌と係員は笑顔で握手を交わして、無事に空港を出て、当麻達は外国の地を踏んだ。
「着いちゃったな、北イタリア」
感慨深く当麻は呟く。
正直、不安は、すごくある。
なにしろ、記憶を失ってから初めての海外なのだ。
環境や文化、人種、そして、言語が異なる中に始めて飛び込むとなれば不安を覚えるのも無理はない。
詩歌からは『英語が通じる国なら、中学レベルの学力で、大体は事が足ります』と言われているが、当麻はこの3人の中で唯一の男。
いざという時のためにも詩歌とインデックスと離れない方が良い。
と、気合を入れながら、ここまで飛行中に現場での地理確認として当麻はパンフレットに目を通していたのだが……
(ヴィネツィアと言えばサン・マルコ広場にドゥカーレ宮殿に鐘楼にアカデミア橋に自然史博物館に海洋歴史博物館に世界一のフェニーチェ歌劇場! お土産にはガラス細工に仮面工芸! ヴィネツィアから離れてもガリレオが教鞭をとった街とか見所満載! 全部ガイドブックの受け売りだけどな! でもこれから全部本当の経験と思い出になるんだ! わははははーっ!! すげー、すげー旅行楽しみ!!)
今では違う方向に気合を入れまくりである。
だが、しかし、
「来ないねー……バス」
「ええ、ここが集合場所となっている筈なのですが、先程から業者の方すら来てませんね」
別便で来る他の観光客達と合流し、ガイドに偏りはあるが観光地へ引っ張って行ってもらえれば良いだけの予定だったのだが…
もう既に2時間。
3人は空港前のバスターミナルで待ち惚けをくらっていた。
おかげで体力に自信のある上条兄妹はとにかく、インデックスは若干バテ気味である。
日蔭のある所を探そうにも、どうやらここは光の取り組み方を工夫しているらしくどこからでも太陽光だけではなく人工の光によって照らされている。
ヨーロッパの平均的な緯度は北海道と同程度で、気温そのものは快適だが、アドリア海から流れ込んでくる潮の匂いを含んだ風がとにかく生暖かい。
「とうまー、しいかー、もしかして私達は置いてけぼりを食らってるの?」
「くっそー、時間通りに来たんだけどな……。ったく、電話の方もつながらねぇし、こりゃ俺達だけでひとまず動くしかねェかもな」
学園都市製の海外でも使用可能の携帯電話で、事前に教えられた番号に掛けても機械音声しか返ってこない。
でも、長年、当麻の不幸に付き合ってきた経験値を持ち、実は自身も兄に次ぐ事件体質である詩歌はぶれていない。
今もインデックスの額をハンカチで拭いながら、
「当麻さんが1等賞を当てた時点で、この程度のハプニングは想定内です。むしろ、起こってくれて安心しました」
「……なあ、さりげなく失礼な事言ってないか?」
「まあ、いつも通りと言う訳ですよ。っと、はい、これホテルまでの移動手順です」
そう言って、当麻にイタリア語―――ではなく、日本語で書かれたメモ帳を手渡す。
当麻とは違い、観光地に思いを馳せて、ハプニングに備えておくのを忘れておらず、きちんといざという時のために色々と情報収集をしていたのだ。
なので、別にガイドがいなくても、ホテルまでの道順は普通に頭に入っていた。
「それで、実は私、これからホテルに行く前に少し寄っていきたい所があるんです」
どういった経緯で知り合ったかはさておき、ここ北イタリアに知人がいるらしい。
その人に挨拶だけでもしておきたいのだと|(どことなく微妙に当麻には遠慮、というか、ついて来てもらいたくなさそうな意思が言葉の端々から感じた)。
「………場所は知ってますし、だから、先に行っててください。あまり大勢で押し掛けても迷惑ですし、ただ挨拶するだけですから」
「でもな、海外で単独行動は止めておいた方が良い気がするんだが」
「大丈夫です。イタリアについては、昔、常盤台の先輩だったアリサさんから良く聞いています。それにいざとなったら、ちゃんと携帯で連絡します」
そして、暑さにへばっているインデックスの頭の上にポンポンと手を置き、
「それに私としたら、逆に当麻さんの方が心配です。語学力に不安のある当麻さんが1人で迷子になったら誰かに助けを求める事も出来ないんですよ。だから、インデックスさんがしっかり面倒を見てあげてくださいね」
「うん! バッチリお任せなんだよ! しいか!」
ぴょん、と両手を上げながらインデックスが跳ね上がる。
どうやら、彼女は、いつも色々とお世話になっている詩歌からの滅多にないお願いに張りきっている模様。
おかげで、レッドゾーンに突入しかけた気力が再チャージ。
(……もしかして、男、なのか? いや待て。今までそんな様子はなかったはずだ。そう、そういったものは詩歌にはまだ早いはずだ。が、一応、念のために後を……)
「ふふふ、これは頼もしいです。あ、それから、こっそり私の後を追おうなんて当麻さんが言っても無視しちゃっても構いませんから」
「大丈夫だよ、しいか! ちゃんと、とうまの変態行為は私が未然に防いでみせるんだよ」
ぎぐぅ、と。
以前、詩歌の男友達尾行の件で考えが読まれていた事を思い出し、額に嫌な汗がだらだらと浮かぶ。
あの後、きっちりと竜神流裏整体術フルコース、と言う名の阿鼻叫喚地獄を味わった当麻としてはこう釘を刺されては下手な行動がし難くなる。
と、そうこう悩んでいる内にクルリとその腰の辺りで纏めた柳髪で弧を描きながら身を翻して、詩歌はやってきたバスに乗り込み、
「じゃあ、くれぐれも怪我のないよう気を付けてくださいね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あー、詩歌行っちまったな。とりあえず、ホテルまで行って、荷物置いて、詩歌が来るまでベットとエアコンのある部屋で休もうか?」
詩歌が乗ったバスを見送った後。
メモ通りに進めるならば次の次のバスに乗ればいいのだが……
「それはさて置いてだな、インデックス? ちょっと観光してみないか?」
「とうま、詩歌の後を追おうとしても駄目なんだよ」
「いやいや、そうじゃなくてですね、インデックスさん。たまには2人きりで遊んでみませんか? って、当麻さんは提案してみる訳なんですが」
「む……2人きり////」
ぽ、と何故か顔が赤くなっているような気がするが、おそらくまた暑さにやられたのだろう。
とりあえず、満更でもない様子に、よしっ、と当麻は密かに拳を握る。
「そうそう、何か美味しいモンでも食いながら、ちょっとだけ街を観光しようぜ」
「美味しいもの……! じゃ、じゃあ私! イタリア名物のジェラートが食べたいかも! ヴィネツィア名物のイカスミジェラート」
「……それって、本当に名物か?」
微妙にキワモノ臭を感じさせるリクエストを受けたものの、都合の良い展開になった。
当麻は詩歌が行った方向をインデックスに気付かれないようこっそりと見据える。
ここから1つ前でもバスに乗り込めば、詩歌の後を追える。
だが、どこに行くかは全く知らされていない事に気付いていない当麻だった。
ヴェネツィア
運河には数多くのゴンドラが並び、ゆったりと時間が流れる中、『オー・ソレ・ミオ』などナポリ民謡にイメージされるひどく陽気で朗らかな、だけど、どこか優美で澄んでいる歌声が張り上げている。
そんな中の、一艘に、
(わぁ……ここが水の都、ヴェネツィアですか。うん、ご飯も美味しいし、良いトコです)
詩歌が、軽い軽食にと途中で買ったイタリア伝統のサンドウィッチ、パニーニーを片手に心の中で感嘆の声を上げていた。
迷宮にも似て複雑なヴェネツィアの運河を、ゴンドラは抜けていき、
両側には、カフェのテーブルや椅子が置かれてたり、あるいは美しい尖塔やひなびた民家などが混ざった光景が広がっている。
普段ではまず見られない光景だ。
でも、空だけは同じように、青く、高く、澄み切って。
だけど、淡い潮の香りが風に乗っていて。
そう、学園都市とは違う、この街の、景色。
(……おそらく、私を追ってきてはいるんでしょうが、あの2人じゃヴェネツィアに来るまでが関の山。だから、仲良く観光でもして、インデックスさんには成長を、そして、当麻さんには……)
そこで、詩歌は考えを打ち切った。
色々と考えての行動だが、別に当麻に言った事は嘘ではない。
詩歌はいつか一度ここに来て、“彼”の様子を見ておきたかった。
しかし、自分を凌ぐと思われる当麻の事件体質を考慮に入れると、いつどこで何が起きるか分からない。
学園都市を離れて海外旅行なんて、在学中にはおそらくこれっきりだろうし、そのチャンスを不意に潰したくはない。
だから、詩歌はこの用事を真っ先に終わらせておこうと考えていたのだ。
「―――美味しいです!」
その時、歌声とは別の歓声が湧き上がった。
「ホント、ありがとうございます! ちょっとした用事でこの近くまで来たんですけど、お財布の中身が心許なくて……おかげで、昨日の昼から何も食べてなかったんです! そしたら偶々通りかかったあなたが、私にパ二―ニを恵んでくれて! この一飯の恩はいつか必ずお返しします!」
「そんな大袈裟な……」
詩歌は微苦笑と共に、もう1人の乗客を見る。
清流を彷彿させる水色の髪を黒い髪飾りで頭上で纏め上げた自分と同年代の女の子。
薄手のシャツとロングスカートだけという簡素な服装で、胸元には十字架を下げており、その佇まいはどこか隙がないことから中々の熟練者と思われる。
彼女とはここに来る途中、ゴンドラの前で乞食のように、ぐぅぐぅ、とお腹を鳴らしながら倒れていたのだ。
そこで、日常茶飯事のように学園都市で色々な問題児に慣れている詩歌はそれを見捨てるわけにはいかず、水と、それから、パ二―ニをあげ、そのおかげで、自分は結局、1切れしか食べれなかったが、そういったのは気にしないし、むしろ、少なかったかもしれないと思ったくらいだ。
だが、彼女の方はそういう訳にはいかなくて、
「いや、そんな事はありません! 見ず知らずの方に手を差し伸べる事などそうそうできるものではありません! それにここまでされておいて、何もしないのでは騎士としての名が泣きます!」
パ二ーニを頬張ったまま、一生懸命に少女が主張する。
さっきは隙がない、と感じたのだが、そういう仕草をされると3つぐらい幼く見える。
詩歌はそれに少し笑うのをこらえて、
「それほど気にするものではありません。この街の雰囲気に釣られて買っちゃったものですし」
「確かに、最初はここに来て面倒な用事を任されたと思いましたが、この街の風景は中々拝めるものではありませんしね」
うんうん、と腕を組みながら、少女は首を縦に振る。
「ふふふ。それで、ゴンドラ料金は払えますか? 足りないんでしたら代わりにお支払いしておきますけど」
「いや。それはギリギリ大丈夫です。と言うか、そこまでされたら立つ瀬がありません。私は、将来、あの方のように立派な騎士となると自分に誓ったもので」
「騎士?」
「はい! っといっても、あの方はあまり良い顔をされませんし、所詮は見よう見真似。まだまだ未熟者です」
未熟者。
詩歌の見たてでも中々だと思うが、それでも彼女は自身をまだまだ未熟だと称す。
それはきっと目標と掲げているラインが高く、現在のレベルに満足してないと言う事。
詩歌はその向上心に好感を覚えた。
「だったら、いつかあなたも誰かに親切にしてあげてください」
「でも」
「私の国では『情けは人のためならず』という諺があるんですよ。それは、情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくる。だから、誰にでも親切にしておいた方が良い、という意味なんです。ま、私はただ人の不幸を見て知らぬフリはしたくないだけなんですけどね」
「そうですか。やはり、あなたは良い人だ。あ、そういえば、名前を言うのを忘れてました。私の名は、ナタリア=オルウェルです」
詩歌もまたふわりと笑って、
「うん。私は上条詩歌って言います」
太陽みたいに眩しい笑顔で、ナタリアに答えたのだった。
とある古道具屋
かの近代魔術師の基盤を作った伝説級の魔術師――アレイスター=クロウリーが未だ健在だった頃、ある1人の魔導師がいた。
その者は、如何なる霊装も複製できる腕を持っていた。
それこそ英雄達の伝説級とされた武具でさえも、完全には無理だったが誰よりも真に迫った複製品を量産する事ができ、彼の作品『
その功績を称えられ、彼は当時のローマ正教13騎士団から『マーリン』との称号が与えられた。
そんな彼が、自身の弟子だった魔導師が実現させようとしていた錬金術の到達点とも言える<
『これは、中々良く出来てるネ。チョット面白い玩具思い浮かびましたヨ』
と、その弟子のまだまだ不完全な術式理論を見て、一生を費やしても組み上げられない錬金術に挑戦する彼の気概を酌んだのか、それともその身に秘めた才能を感じたのか、最初で最後のヒントとして1つの霊装を気紛れで作り上げ、しかも、あろうことか無償で|(彼の作り上げる霊装は法外の値段を要求され、ローマ正教でも其々の武具の量産品はだいたい4,5個ずつしかない)その弟子に与えた。
その後、その魔導師は後継を作り上げると言う契約を果たし、色々と
が、
アウレオルスはイギリスで出会った聖女のためにローマ正教を抜け、学園都市で起きた三沢塾で<必要悪の教会>から派遣された魔女狩りのエキスパートの魔術師に骨も残らず焼き殺されて死亡した|(と記録上はそうなっている)。
そうして、彼が所有していた数々の武具や霊装は、彼が元々所属していたローマ正教に回収されたり、他の魔術組織の手に渡った。
しかし、師から唯一与えられた『マーリン』の最後の作品である霊装は彼の拠点の1つの古道具屋の中で今もひっそりと眠っている。
「……やっと着きました」
入り組んだ迷宮のような水路の先。
ナタリアと別れた詩歌は無事、目的地に着いた。
最近、オープンしたばかりの隠れ家のような古道具屋。
ここに、およそ1ヶ月前に学園都市から越してきた……と言うより、戻ってきた者がいる。
「うん」
店を前に、詩歌はこほんと咳払いする。
しかつめらしい樫の扉を2度ノックして、返事がないのを確認してから、ノブを回した。
あっさりと扉は開いた。
店の中は数多くの骨董品が所狭しと蹂躙していた。
ここは『
今は、ただの古道具屋である。
詩歌はここにある人物と会う約束を取り付けていた。
「こんにちは」
詩歌が呼びかけた部屋の奥に白いスーツを着た男が座っていた。
ひょろっとした長身で緑色の髪をオールバックにしている。
顔の形は元とは変わってしまっているけれど、顔面の大火傷の痕はもうほとんど目立たないほどに回復している。
「俄然。……予定よりも随分早かったな」
と、唇が重々しく動く。
青年の名は、マルコ=ポーロ。
元世界最高の錬金術師のアウレオルス=イザードであったが、ステイル=マグヌスにより魔術師だった頃の記憶を消されている。
これは世界で誰も成功した事のなかった術式<黄金錬成>の秘法を求める組織・機関に狙われないようにするための処置である。
こうして、平穏が得られた彼は、今は細々と唯一残された遺産であるこの工房を改築して古道具屋を営んでいる。
なので、当麻は<幻想殺し>で記憶が甦る危険があるので連れてこれず、インデックスも連れて来たかったが、当麻を外国で1人にすると不安なので、やってきたのは詩歌だけ。
「憮然。君は学生だった気がするが」
「振り替え休日を利用しました。1週間くらいは余裕がありましたし、それに偶然、イタリア行きのチケットが手に入りましたから」
「……<大覇星祭>だったか」
「おや、ご在知で?」
「自然。あれは世界各国で放送されている。こんな辺鄙な古道具屋でも、耳に入ってくる。……君の活躍も見せてもらった」
あはは、と詩歌は照れ隠しのように頭を掻いた。
今年の<大覇星祭>、色んな面で活躍したおかげで、詩歌の知名度は少しだけ世界中に広まってしまたのだ。
おかげで、Level5第1位を倒してしまった当麻と同様に、<大覇星祭>後半は詩歌も多方面から追われる状態となっていた|(追う者の好感度は真逆だが)。
そこで、ふと、マルコは唇をきつく締めた。
至高の難問に挑む哲学者のような顔つき。
そうして、ゆっくりと重い口先を動かした。
「……それで、彼女は息災か?」
「はい、インデックスさんはとっても元気ですよ。まだ機器には疎いですが、学園都市で充実とした毎日を送っています」
歯切れ悪く呟いたマルコに、詩歌は微笑しながら応える。
あの時、彼女と共に病室に見舞いに来てくれた女の子。
その時の強い葛藤が未だに胸の奥に残っている。
これは、おそらく前の自分の欠片なのだろうと今では自覚している。
「……そうか。それならいい」
しかし、もういい。
少女が、そして、彼女が幸せならもうそれで満足だと。
それはある種、上条詩歌にとって、今の彼の姿は未来の自分の姿なのかもしれない。
そう、最高の選択肢ではなく、最善の選択肢を取った先の……
この青年がどれだけ少女を慕い、憧れていたのか。
思い出はもうないが、想いだけは当時のままに、世界最高の錬金術師が告げた言葉の重みは、上条詩歌にとって黄金の価値があった。
「……ここまでわざわざ来てくれたのに手ぶらで帰す訳にはいかない。それに、……君には色々と世話になった。これは、その礼だ」
小箱を差し出す。
詩歌はそれを素直に受け取る。
「倉の奥にあったものだ。以前はどうだったかは知らないが、今の私には必要のないものだ」
「ふふふ、ありがとうございます―――っ、わぁ…綺麗……」
小箱を開けるとそこには大粒の多彩な色に輝く宝石、アレキサンドライトがはめ込まれたブローチ。
宝石もさることながら、装飾も職人の高度な技巧が感じ取れる。
これは価格を付けるのはとても難しい。
「本当に、こんなの頂いちゃっていいんですか? これって、相当高そうな……」
「当然。幸い、金には困っていない。……それに、こういったものは君のような子の手元にあるのが相応しい」
最後だけ恥ずかしそうにぶっきらぼうに告げた。
このブローチを見つけた時、彼は、彼女の顔が思い浮かんだ。
これに使われているアレキサンドライトの石言葉は『秘めた思い』。
しかし、詩歌はそれをからかう余裕はない。
それほど、このブローチに目が、心が奪われているのだ。
と、詩歌がそのブローチを恐る恐る手にとった瞬間、
「え―――これは!?」
キオッジア
後を追って、1つ前のバスに乗り込んだ。
だが、そこからどこに行けばいいのか分からないし、どこで降りたのかも知らない。
「……くっ、流石、詩歌だ」
「とうま、これは明らかにとうまのドジだと思うけど」
ここはヴェネツィアから20km離れたキオッジア。
詩歌の尾行を諦めた当麻は今日泊まる事になるホテルのある小さな街へやってきたのだ。
砂浜はなく海岸線の全ては石造りの運河となっている。
最初はホテルに、荷物を置いてこようとしたのだが、インデックスとの約束もある訳で、ぐるーっと少し遠回りに観光しがてら、その名物らしきイカスミジェラートを探している。
「しっかし、また海が近いなぁー」
「海が近いと言うより、海に囲まれているって言うのが正しいかも」
「どういう事?」
「私達が今いるキオッジアの中心部は…………」
インデックスは終始ゴキゲンで、飲食店を物色しながら、その意外な|(魔術以外で物を教わるとは当麻は思っていなかった)博識ぶりを発揮している。
(たぶん、美味しそうな匂いを嗅いだからだな。うん、イカスミジェラート以外は財布の紐は固く縛っておこう)
インデックスは食べ物を奢ってもらえるのもそうだが、当麻と2人っきりで観光できるのが嬉しいのだ、という小さくて深い乙女の考えは、生憎、当麻の頭では理解できない。
「ん?」
その時、当麻の携帯が震える。
中を開けて確認してみると、用事が終わったから今からそっちに向かっている、との妹からの連絡だ。
とりあえず、無事に事が終わった事を安堵する。
「なあ、インデックス。詩歌が用事終わったから―――」
後は合流してから、3人で街を観光しようかと、相方がいた方向に振り向いた………が、いない。
3秒前までそこにいたはずのインデックスがどこにもいない。
「さっそくイタリア式迷子!?」
当麻は慌てて周囲を見回したが、あれだけ派手な修道服の少女がどこにもいない。
たぶん、小道に入ったのだろう。
やはり、この飲食店が集中する一角にインデックスを連れてきたのは危険だったか。
今の当麻は散歩中にうっかり飼い犬のリードを手放してしまった状況に近い。
このままだと、早く捕まえなければ、連鎖的にトラブルに巻き込まれそうだ。
「おーいインデックス!」
当麻は、もう一度周囲を見渡し、それから大通りから外れた小道へと恐る恐る入る。
あちこちに目を走らせながら歩いていくと、ふと今朝の妹の言葉が脳裏に甦る。
『それに私としたら、逆に当麻さんの方が心配です。語学力に不安のある当麻さんが1人で迷子になったら誰かに助けを求める事も出来ないんですよ』
ま ず い。
背後から急かされるように慌てて小道の奥へ走って行ったら、奥へ進んだつもりだったのに先程の大通りに戻っていた。
(まさか……本当にまさかだが、俺の方が迷子になってんのか……ッ!?)
冷や汗を垂らしながら、携帯電話を手に取る。
まずは、インデックスに連絡したが、彼女は飛行機に乗る前に電源を切って以来、ずっと切りっ放しだった。
そして、今度は詩歌の番号に―――って、所で手を止める。
ここで、妹に『詩歌ぁ! 迷子になっちまった!』と電話をすればどうなるか?
きっと、詩歌なら事態を解決してくれるだろう。
が、その代償として、最近、徐々に回復してきた兄の株価を暴落させる事になる。
「くっ……! どうすりゃいいんだよォォおッ!!」
ブルブルと震える指先を何とか堪えながら叫ぶ様子を、街行く人々が奇異の目で見ていたが、今の当麻にそれを確認する余裕はない。
しかし、どんな時でも救いの手はあるもので、内なる自分と葛藤し続ける当麻の元へ、地元の人らしいおばさんが近づいてきた。
彼女はどこか肝っ玉母さんっぽい豪快さを感じさせる笑みを浮かべて、
「Ci sono delle preoccupazaioni?」
『何か悩み事でも?』と言われているだけなのだが、日本語しか理解不能の当麻に分かるはずがない。
しかし、それでもおばさんは根気強く、今度はゆっくりと、単語を1つ1つ区切りながら、
「Non puoi parlare I,italiano? La c,e un ristorante dove un giapponese fa il capo」
『イタリア語は出来ないの? それなら日本人が店長を務める日本料理店があっちにあるわよ』と懇切丁寧に教えているのだが、当麻の右耳から左耳と言った感じに言葉がすぅーと何の取っ掛かりもなく通り抜けていく。
でも、声の調子や顔の表情から何となく友好的である事だけは感じるので、
(い、イタリア語は分かんないけど、このチャンスを逃したら本当に天涯孤独になる気がする! 出来れば日本語……が良いけど駄目だな。でも、確か、詩歌が中学レベルの英語で大丈夫だっつってし、このおばさんにせめて英語で話してもらおう。よし、早速、詩歌が用意してくれた簡易イタリア語マニュアルを……)
英語が通じる相手なら片言でも、プリーズイングリッシュと言うだけでも何とかなりそうなものだが、外国語慣れしていない当麻はその辺りに頭が追い着いてなく、
今は、必死にスーツケースの中から妹お手製のマニュアルを探している……と、
「Senta」
横合いから、不意にどこか聞き覚えのある女性の声がかかった。
つづく