とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 旭日昇天

大覇星祭編 旭日昇天

 

 

 

ホテル

 

 

 無事に記憶を元に戻されたけれど、二日目にあった出来事は、この<大覇星祭>の機を狙ったテロリストの仕業であるとの矛盾を起こしにくいようあの女王自らの手で情報操作がされた。

 彼女にも秘匿しておきたい情報はあって、<妹達>の存在を公にしたくなかったのだろう。

 今はもう終息された大規模なネットワークウィルスの騒ぎもあったおかげでそれほど難しい作業ではなかったという。

 ただ、それでも事情は教えられなかったが、今回の件は<妹達>のために――『ドリー』という検体番号0番の旧個体のために―骨を折ってくれたようだったし、そうやって騒ぎを起こしてしまった誤魔化しをしておきながら、あの寮監の元に反省がしたいと出頭していった。『派閥』の従者や<心理掌握>に用いるリモコンなしの素で、しかもわざわざ自分に見張りを殊勝にも願い出たりもした。

 いけすかないやつだと思ってたけど、彼女にも彼女なりの正義や信念があって、いつか歩み寄れる日も来るのかも―――……そう思ったのが、間違いであった。

 

『はい、“私たち二人で”イタズラしたことを自首しに来ましたぁ♪』

 

 寮監の前に立ったところで開口一番、道連れのように“反省”に巻き込まれた。

 

『御坂さんが、日頃大変お世話になってる管理人さん(29歳)にお礼参りがどうしてもしたいと言われてぇ、止めようとしたんですけど、協力しないとビリビリしてやるぞ♪ って脅迫されて仕方なく………』

 

 迷惑を懸けてしまったことに反省心がなかったわけではないけれど、いきなり主犯格のずぶずぶの濡れ衣をぶっ被せられて、途中から自己保身に走る弁護が始まったこの裏切り(いた、元から組んでいたわけでもないので裏切りも何もない)に、『よし、殺そう(ビリビリしてやるわよ)』と誅罰を喰らわすのは別問題なわけで―――

 とそんなことを常盤台最恐の女戦士の目前ですれば、展開は決まっている。それに気づくよりも早く、ぐわしい!! と幼馴染の師匠様の掌が超能力者二人の頭脳を鷲掴みに。

 寝違えたわけではないのに、とにかく次の日は首がずっと痛かった。

 

 

 婚后さんにも、謝罪しに行った。

 巻き込んでしまい、怪我までさせてしまった同級生に謝って済むことではないと思っていたけれど、婚后さんは妹さん(御坂妹)の安否に気遣っていて、負傷してしまったけれどこの行動に後悔していないので、許すも許さないもないのだと言われた。

 誰の為にも我が身を投げ打つほどにまだ人間が練れていないとは自覚しているものの、それでも友の苦悩を払えればと婚后自身が望んだ末の結果であり、その選択を自分で受け止めるのが筋である。

 むしろ、妹さんを連れて帰ると大言壮語してこの有り様なのだから恥ずかしいとさえ。

 

『『桃李(とうり)もの言わざれども下自(したおの)ずから蹊《こみち》を成す』――この『桃李成蹊(とうりせいけい)』というこの言葉の意味をわたくしは正しく理解できているとは言えません。

 だからこそ、いくら御坂さんが自分自身を卑下しようとも、御坂さんの人柄に触れたことで少しはわたくしも人を思い遣れる人間と慣れたと思うのです』

 

 自身をどれだけ立派に飾り付けて見せようとしたところで、周りが認めなければ意味がない。それに気づけるまで、婚后光子はずっと独りであったことを勘違いしていたと。

 

 いいや、そんなことはない。

 もう婚后さんは、自分にとっても、それに湾内さんや泡浮さんら彼女を慕う後輩にとっても、また彼女が敬う幼馴染にとっても、立派な人間だって認められる。

 そう、本心を彼女に伝えれば、少し恥ずかしげに頬を赤らめて、去り際にこう言ってくれた。

 

『わたくし、常盤台に転入して本当に良かったです』

 

 その次の日には怪我を治し、一日安静ののちに競技に参加。風神雷神コンビ復活と一緒にはりきった。

 

 

 婚后さん以外にも、湾内さんや泡浮さん、同じくわけも聞かずに力を貸してくれた鬼塚先輩に他の常盤台の子たちや今回の件に関わった人たち、そして、もちろん、白井黒子、佐天涙子、初春飾利らにもひとりひとり謝罪し、そして感謝した。その中で、木原那由他から自分が知らないあたりの事情のあらましの説明も受けて、大元である木原幻生を封じる(本体(カプセル)は、初めて知ったが木原幻生と旧い知人であり、彼のやり口を知悉しているカエル顔の医者が預かったそうだ)事ができたから、これであの『実験』の件はひとまず終息したと説明されて、まだ気を抜くわけではないけれど少し安心した。

 木原幻生に捕えられていた『残骸事件』の結標淡希は“別の組織”に回収されてしまったようで行方知らずだが、木原幻生の協力者であった警策看取と<スタディ>という暗部組織に属していた研究者たちは<風紀委員>に捕まった。

 彼らも木原幻生の被害者であったとも言えて、情状酌量の余地があるようで、佐天さんと銀髪シスター、そして意外にも(また不安になるが)いけすかない女王からも減刑が依頼されている。最終的には、事態の解決に協力してくれたそうで、少しは効果が期待できるのかもしれない、とも木原那由他は言っていた。

 <人造能力者(ケミカロイド)>の双子、『ジャーニー』と『フェブリ』らも、<スタディ>からの嘆願でひとまず研究を引き継いだ布束砥信(どうやら命令系統に彼女の<学習装置>に関する論文が使われていたようだ)から、体質を改善しなければならないけれど問題はない。身元は元先進教育局小児用能力教材開発研究所付属小学校の病院付属リハビリ施設兼の教育機関、元木原幻生の部下でもあった木山春生に預けられるそうである。

 人造能力者計画は、量産型能力者計画の後継から生まれて、同じ<学習装置>に調整されたということもあってか、御坂妹や美歌ら<妹達>らが、『ジャーニー』と『フェブリ』は<妹達>の妹のようなものであると積極的に受け入れたような、と誰が世話をするべきかと<ミサカネットワーク>内で論争が過熱しているそうだ。

 

 

 そして。

 

 常盤台が借りてる宿泊施設のホテル前に駐車したタクシー。

 朝食も取らずにひとり、こっそりと外出しようとしていたところで、その車内にその制服が――ヒラヒラと揺れる髪を結ぶリボンの影が――見えたとき、御坂美琴は駆け出していた。

 

 

「あ、お姉様! 白井黒子、完全復活ですの!」

 

 

 衣類生活用品等一式の入った少し大きめのスポーツバックをトランクから取り出すは、それまで車椅子生活を要されていた後輩。リボン二つのツインテール。

 こちらに気づいて、非常に懐いている後輩白井黒子は満面の笑みで手を振るも、対して美琴は手を挙げたところで固まってしまっていた。

 

「あ、あれ、お姉様? 感動の対面にハグを」

 

「退院できたのね、黒子。おめでとう。あ、荷物持つわ」

 

「いえそんな!? お姉様にそのようなことさせるわけには……っ」

 

「いいからいいから。それじゃあ、今日から黒子も競技に参加できるんだ」

 

「はいですの。これまで応援しかできず、相方(パートナー)の座も婚后光子に明け渡してしまう不甲斐無い身でしたが、今日からいざ獅子奮迅の働きで名誉挽回を!」

 

 

 <大覇星祭>五日目……あの事件から三日後。

 

 上条詩歌はまだ目覚めない。

 

 

病院

 

 

 ボトムアップとトップダウン。

 

 たとえば、砂場で可能な限り高い砂山を作ろうとするならどうするか。

 方法としては、大まかに二つ。

 脇からかき集めてどんどん盛り上げていくか、砂場の上にさらに大量の砂をこぼすか。

 前者も後者も出来あがった山のカタチは同じ。過程だけが違う。

 普通の人ならば、前者を選択する。少しずつ積み重ねて、最終形を目指す。そして、ごく稀な後者の人間は多くのものを削って、最終形を作る。

 『底上げ(ボトムアップ)』と『頂下げ(トップダウン)』。

 

 その少女は、今ではその両方を使い分けられるようになっていたが、この街に来た当初――そう、初めて、彼女がこの病院に少女の兄に背負われて駆けこまれた時、その少女は後者に属する人間であった。

 

 単純に力を持て余している、しかし仕方がないだろう。何せ少女が砂をこぼせば、この学園都市という砂場が、砂漠に埋まる。

 そのままでは自らも呑み込みかねず、才能に溺れてしまいかねないのだから、必死に削らなければいけない。

 削って、削って、削って。

 完成品だったものを未完成に、完全作だったものを不完全に。

 少年の支えがあって、自らを殺す術を身につけることができた。

 そして、その少年のために力を身につけようとしていた少女にとってゼロのままでいるのはできず、

 だから、幼馴染の少女と一緒に、ゼロから上がっていく術を確かめていった。

 

 そうして、少女は理性で御しながら、才能を振るうことができるようになったのだ。

 

 才能を、その才能がままに振るうあの旧い知人とはそこが違う、と思ってはいるのだが。

 

「でも、それは完璧なものじゃない。いくら蛇口を絞めても、欲求を抑えきれずちょっとでも緩めば溜めこんでいたせいで一気に溢れ出てしまう。今回はすぐに蛇口を閉めれたようだけど? それで栓が緩まったり、次回は栓そのものが壊れてしまうかもしれないね?」

 

 瀕死の重傷だった彼を拾い、患者に必要ならば何でもかき集めてやろうとこの国へと連れて来たのは自分であり、この街を創り上げるのに関わった。

 学園都市設立からの付き合いで、その旧くの知り合いではある木原幻生は一族の始祖であった七人から完了した研究者であった。

 科学で遊べるのなら善も悪もない、破滅するまで真理を追究するのみ。

 科学の数式法則に愛されて、何もかも分かり過ぎて常人の想定外へと突きぬけていた『頂下げ』の天才であった知人――木原幻生は、始祖と同じように天才がその才能に苦悩するプロセスを放棄してしまったが故に、実験の理解のために研究材料を削っていくしかなかった、それ以外は考えられなかった。

 あまり少女に手本にして(見て)ほしくない有様である。影響を受けるのならば、才能に呑まれた果ての反面教師にしてもらえたら重畳と個人として思う。彼女をずっと診てきた主治医として、平穏な暮らしというものを用意してあげたいと切に願ってはいた。

 しかし彼の一族は学園都市に閉じ込めておかなければ、今以上の被害が出ているとも同時に理解している。

 今回の件も、彼の『計画』から外れて、才能を抑えきれなくなった木原幻生の暴走であったとも見える。

 だから、彼に文句を言うのは筋違いだろうか……

 

「それでも、“アレイスター”……この街の王である君なら、木原幻生を止めることはできただろうに」

 

 止める気があったけれど自分には予想もつかない想定外の事情あって止められなかったのか、それとも木原幻生の暴走も『計画』に利用しようとあえて止めずに成行きに任せたのか。それを“直接話を聞いて”確かめる手段を持ってはいるが。

 

 トン。

 トン。

 トン。

 トン

 トン……………。

 

 数分、シャーペンを机に一定のリズムで小突きながら長考したカエル顔の医者は、結局ダイヤルを押すことなく電話機の受話器を戻し、テーブルの上にある赤黒い物の詰まったカプセルを仕舞った。

 

 

道中

 

 

 黒子は勘付いていたようだけど、止めなかった。

 自分が参加する競技まで時間はあるし、それほど食欲があるわけでもない。

 もう一度、ホテルから出ようとしたところを、今度は寮監に見つかってしまい……

 

「御坂。あれだけ散々単独行動は慎むようにと言い聞かせたんだが、それでも勝手に出歩こうとはな……反省が足りなかったと見る」

 

「あ、あはは。あまりお腹が空いてなかったので、ちょっと散歩を……」

 

 (女王のせいで)更に注意が必要である問題児だとアルカトラズの門番も真っ青な獄卒の閻魔帳(ブラックリスト)に記載されてしまっている。

 思わず、首の痛みがリフレインし、寮監の視線から逃れるようにも、横へ注意が向いた時。

 

 すると、ホテルの前に、とんでもなくゴツい、もとい、高級ホテルと同じ視界に入るには看過できないほど違和感のある、ある意味で派手な、四輪駆動のオフロードカーが停まっていた。パワーがあるもえらく燃費が悪く、大自然を走破する乗り物は、凸凹のないまっ平らに路面がならされている日本の道路には合わない。最先端の科学の街でなくともそぐわない、何というか、一体どんな種類の人間がこんなマシンに乗っているのだろうかと横目で見ていると、車の運転席から人が降りてくる。それはマシンに負けず劣らず粗暴にシャツを着崩した服装、けれど身なりが整えれば黒塗りの高級車が似合いそうなダンディな30代後半の男性だった。

 背も高くて目立ち、凛々しいというか雄々しいというか。サングラスをかけており、裏通りを歩いていても普通に馴染めるような雰囲気のある、そこらの不良など相手にもならないと言える風貌。ひどく癖がありそうで、万人に好かれるタイプではないだろうけれど、妙に、美琴は懐かしいと心当たりがあるような………

 

「………あれ? 何だろう? とっても嫌な予感がしてきたわね」

 

 目を付けられないことを祈っていたが、それは無理な話だった。

 周囲を見回していた男性は美琴に視線を合わせた途端、びたぁっ! と止まり、にへらぁ、とマフィア幹部並みな――初対面で幼馴染を警戒させたほどの――強面の相好を崩した。首が痛くなるが、無理に逆らって反対側を美琴は向く。だが―――だが、その男は一切こちらの心情に構わず、思いっきりいい笑顔でアピールをぶっかましてきた。

 

 

「みっことちゃぁぁぁん♪ 旅掛パパでちゅよぉぉぉ☆」

 

 

 幻覚だと思いたいけど、脇目も振らずに近づいてくるあれは間違いなく、美琴の父、御坂旅掛だ。

 

「るっさいっっっ!!! こんなところで知り合いアピールしてくんなバカ父!!?」

 

「えー、そんな赤の他人宣言はひっどいんじゃない?」

 

 久しぶりに会った風来坊の父は、ふざけたような口調で娘の発言を非難する。

 

「パパ傷ついちゃうなー傷ついちゃうなー、折角美琴ちゃんに会いに来たのにそんなつれない態度、もうパパとは洗濯物は別々にしてくれって言っちゃうお年頃なのかなー」

 

「お願いだから、ほんっとに黙って! 母ともどもウチの親はどうして常識的な対応ができないのかしら……」

 

「素直に照れくさいって言えばいいのに」

 

 くつくつ笑いつつ、ようやく美琴の前まで来た。

 

「ま、そういうとこが可愛いと言えなくもないか。で、どうだい。元気かい?」

 

「……そっちは元気そうね。母から仕事で来られないって聞いてたんだけど」

 

「んー。頑張って時間を作ったって言うべきかな。ちょうど次の仕事先のアリゾナに行くのに日本を中継に挟むからさ。うん、ここのところ見足りなかった美琴ちゃんの顔を見る為にね」

 

「そ、寄り道に学園都市に来たってわけね」

 

「すぐに行っちゃうってわかって拗ねちゃったのかなー、美琴ちゃん」

 

「別に」

 

 馴れ馴れしげに旅掛は、美琴の肩に手を回す。顔と顔、頬と頬が接近して、娘はそっぽを向きながらも顎髭にくすぐられるままにしてる。そして、再会の抱擁が済んだ後、これまで水を差さないよう空気を読んでくれていた寮監の方を向いて、軽く居住まいを正して。

 

「申し訳ないのですが、先生。少しばかり、この娘との時間を取らせてもらっても構いませんでしょうか」

 

 

 

 そうして。

 

「ふっふふん♪ ふっふふん♪ みっことちゃんとドライブデート♪」

 

 父に捕まった美琴は助手席からまだ空き気味の交通を見ながら、溜息をつく。

 娘が乗ってちゃんとシートベルトをしたのを確認してから、鼻歌交じりでアクセルを軽く踏んでいく、道路にタイヤ痕を残さないよう見かけによらず丁寧な発進。制限速度をきっちりと遵守する速度で、車は道路を突っ走っていく。

 世界を飛び回っている旅掛がこの街の交通網に詳しいとは思えない。カーナビの見ず、行き先を告げぬまま、気ままに車を動かしているのだろう。

 適当で軽快に。けれども、加速していることすら感じさせない滑らかな運転技術は、迷いがないようで……

 

「………念のために訊くけど、免許は大丈夫なのよね?」

 

「日本の運転免許は日本じゃないと更新できないけどね、でも、父さんの運転に足りないものはないだろ?」

 

 教習所で真面目に更新してる姿があまりに不似合いで想像できなかったけど、確かに運転技術には問題ないだろう。それに捕まっても父がアホな目に遇うだけだし、

 

「いざとなったら学園都市まで車ごと送ってくれたイギリス空軍のツテで逃げのびてみせるさ。それがダメだったら、民間宇宙旅行だな。弾道飛行で30秒だけ宇宙空間に出られるとかいうヤツ」

 

 本気でそう言っていそうな口調なので、美琴はコメントを避けた。これ以上の心配しても、父なら何となく裏ワザで躱すに違いないだろうし。

 寮監は旅掛が親御さんだと知ると、あっさりと引いてくれた。説教されるところだったので、助かりはしたけど、それで父の寄り道に付き合わされては目的を果たすのが難しくなってしまった。

 

「……さてと。美琴ちゃんの顔を見たところで、大事な用事はひとつ済んだ訳だ。だから、次はもうひとつの用事だな」

 

 全く無遠慮に、その精悍な顔をこちらに向けてくる。父らしい気安げな行動に、久々で慣れてないからか美琴の身体が強張ってしまう。

 

「なによ、もうひとつって……」

 

「そう固く構えることはない。お年頃になった娘の悩みを解決する人生相談さ。美琴ちゃんも知ってるだろう。パパがどんな仕事をしてるか」

 

「『世界に足りないもの』を助言するフリーの統合コンサルタントでしょ」

 

「そうだ。平たく言えば『新しい可能性を提示する』ことだ。どうしても行き詰った人を見かけたとき、その人に“見えていなかった”道を指し示すのがパパの仕事」

 

 旅掛は言う。

 

「だから、美琴。この街での生活は、上手くいってるか?」

 

「……どうにか」

 

「どうにか?」

 

 娘の微妙な反応が面白かったのか、旅掛は大声で笑った。

 相変わらず豪快な父だ。

 今はその件に関してあまり触れてほしくないので、美琴は話題を変えようと口を開いた、がそれより早く。

 

「詩歌ちゃんを怪我させたようだね」

 

 美琴は言葉を失う。構わず旅掛は続けた。

 

「上条さんから聞いたよ。美琴ちゃんからお宅の娘を傷つけてしまったと。怪我らしい怪我はなかったようだけどね」

 

『誰かに振り回されるでもなく、子供たちが自ら選択して行動した結果であるなら、親の私たちが君を責める理由はないよ』

 

 と。

 上条夫妻は、美琴に微笑みかけてくれた。辛かったね、と彼らの娘に害したことに恨みごとひとつもなく、慰めてくれさえした。

 

「上条さん家の方針は放任的なものに思えるかもしれなけど、それでも子供たちを心配してないわけじゃない。親元から離して子供たちだけでこの街に送ったのも、自分の子供たちを守るためにそうするしかなかったと話を聞いてる。つまり、きっとその行いを信じているんだろう。だから、上条さんは美琴ちゃんの謝罪を受け入れて、許してるよ。

 それでも、美琴ちゃんは、まだ『罰が足りない』なんて思ってるのかな」

 

「………うん」

 

 流れる景色を見ながら、美琴は小さく頷く。

 旅掛はそんな娘に、真っ直ぐ前を向き運転しながら、その提案を口にする。

 

「もし、この街に居辛いなら思い切って新天地に移ってみるのもいいかもしれない。それは単に問題から逃げてるだけに思うかもしれなけど、戦うことに勇気が必要なら、逃げることにも勇気がいる選択だ。刀夜さんもそうした。だから、何があっても美琴ちゃんとママは、パパが絶対に守る、そう約束しよう」

 

 本気、だろう。

 世界中を飛び回る父は、世界中にコネクションを持っている。超能力者が学園都市の『外』に出るには不可能とも思えるくらいに厳しいだろうけど、父がそこまで断言するのならできると美琴は思う。

 許された今、美琴は誰にも罰を求めることはできず、それもただの自己満足に過ぎない。ならば……

 

「……いっぱい、助けられた。詩歌さんだけじゃなく、友達に助けてもらっちゃって……巻き込んじゃった罪滅ぼしも私は満足にできない。

 でもね。私、この街で色んな人に出会えた。その出会いが私にとって宝物で、だから今度はみんなの笑顔を守りたいの」

 

 何が見えている? と問われ、あのとき、私は闇しか見えてないと思った。

 でも、それは当たり前だった。

 現実を直視したくなくて、目を開けるのが怖くて、ずっと瞼の裏しか見えなかったようなものなのだから。

 闇を見た。

 でも、目を開けば光は確かにあったと思いだすことができた。

 それさえ覚えていれば、私はもう、闇だけに囚われることはない。

 

「それだけは、せめてもの恩返しなら私にもできると思うから……」

 

 言葉を続けようとした美琴は、旅掛の方を見てため息が出る。

 旅掛は笑っていた。必死に笑いを噛み殺している。

 

「……真面目な話、してんだけど」

 

「だってなあ、美琴ちゃんが不安な顔で何を言うかと思えば……」

 

「私はね……!」

 

「卵も鶏も同じだ」

 

 コンビニで売られてるおつまみパックを取りだすと、そこから旅掛は小魚の煮干しをつまむ。どうだ、と勧めてから、開けたおつまみパックを美琴にも取り易いよう間のペットボトルホルダーに入れて置く。

 

「卵が先か鶏が先か。私が思うに、同じことを言う君たちは、姉妹のように仲良しさんだ」

 

「えっ?」

 

「いや、卵と鶏だから親子だというべきかもしれん」

 

「……真面目に話を、してほしいんだけど」

 

「ま、まあ、パパが言いたいのはね……」

 

 昔話だ。娘を守ろうとした幼い少女に、どうして守ろうとしたのかとその理由を訊いたのだ。すると、彼女は“恩返し”だと答えたのだ。どうしても救われない不条理な世界を見てしまった少女に、その笑顔が仮面(ニセモノ)であるとひとり訴えて、本当に笑えるまで付きっきりで一緒にいてくれたその子に、“お姉ちゃん”になってあげたいと思ったのだと旅掛に感謝の笑みを向けて言ったのである。

 

「詩歌ちゃんも、昔に美琴ちゃんに助けられたと言っていたよ。足りないのは笑顔だったって気づけたんだってね」

 

 もうひとつ煮干しを口に放り込んで、噛み締めるように旅掛は言った。

 

「美琴ちゃんが原因で、不幸になったことを完全に否定することはできない。だけど―――」

 

 ここで、旅掛ははっきりと語気を強めて言う。

 

「それならば、もうひとつ―――すなわち美琴ちゃんがいたから、本来なら不幸になっていた子が救われた、という可能性を否定することも誰にもできないだろ?」

 

 常になく力強く言い切る。

 そんな父に対し、美琴は顔にかすかな困惑を浮かべたまま答えようとはしなかった。

 

 どうしてその可能性に目を瞑るのかを娘にお訊ねしたいところではあるが、そんなのは訊ねるまでもなく理由はわかっていた。この程度のことに、この自慢の娘が気づかなかったとは思えない。ただ、あまりに彼女自身にとって都合の良い解釈であったから、あえて考えないようにしていたのだろう。

 

 己を厳しく律することは疑いなく美点であろう、と旅掛は思う。故に、その考えを改めるように、というつもりはない。

 ただ、その考えとは別なものがあるのだと、美琴に伝えておきたかった。

 娘のことを思って考えた理屈ではない。

 統合コンサルトとしても心からそうだと信じていることを、である。

 そして、勿論父としても―――――あ。

 

 

 

「そういや、美琴ちゃん? ママから聞いたけど、乙女チック一直線に気になる子ができたってホント?」

 

「べあっ」

 

「いや、しかしだね美琴ちゃん。さっきの言い方だとその宝物の出会いに、彼も含まれてるんだろう? もしかするとその彼がいるからこの街を離れたくないって理由なら、パパちょっとこの後の仕事をキャンセルしてでも真剣に話を訊きたいんだ」

 

「な、なな何勘違いしてんのよ! アイツは別にそんなんじゃないからッ!!」

 

「そんな顔を真っ赤にして言われても説得力がないなー。うん、ママも昔は中々素直じゃなかった。が、安心してくれ。パパは理解力のあるパパでありたいと思ってる。わがままに娘の恋路を邪魔しないと誓おう。

 ―――だけど、それでも先達者として、お節介でも、二、三は助言を許してもらいたい」

 

「あうあうあ~~~っ!?!?!?」

 

「それで、お相手の上条刀夜の息子さん。刀夜さんのことは仕事先で一緒することがあるからよく知ってる。女性と仲良くなることに関してとんでもない奇運をもっていて誤解されることが多々あるようだけど、女遊びは一切しない本物の紳士で、家庭のために命を懸ける本当にできた人だ。そんな父の薫陶を受けたなら、まず人格は信頼できる。詩歌ちゃんが自慢の兄だと慕ってるようだし、太鼓判を押せるだろう。

 まあ、話を聞くに学業成績が足りないみたいだが、それならパパが鍛えてやってもいい。世界一周もすれば、それなりに稼げるいっぱしの男になるだろう。

 でもね―――

 

 

 ―――未成年で婚約だなんて、いくらなんでも早過ぎるとは思うんだ」

 

 

 あれ? 今日の小アジの煮干しはしょっぱいな(ホロリ)、と涙ぐむ御坂旅掛。

 一人娘をもつ父としてひとまずは語ったところで、助手席の様子を見る―――

 

「ちょ、美琴ちゃん!? バッチンバッチンって、この車、嵐の中でも走行できるけど、この車の中が嵐になったら流石にパパ運転ピンチだからーーー!?」

 

 

 

 中途で、電気的なトラブルはあったものの、無事に到着。

 

「………うん、わかったよ。今の美琴ちゃんが足りないのは、親の助けではないようだ。残念。ほら、終着だよ」

 

 言われ、ドアを開けて、車から降りる。

 全体ここはどこだろうと辺りを見ると、そこは幼馴染が入院してる病院の玄関口前だった。

 最初から父は美琴がどこへ脱走しようとしていたのかをお見通しだったらしい(最後の母の冗談?を真に受けたのは除いて)

 

「これで、父さんの用事は終わりだ」

 

 旅掛は茫然と立ち止まってしまう美琴に最後にぽん、と頭と背中とを一回ずつ叩いた。それから病院の一角を指さして。

 

「美琴ちゃんの足りないものは、あそこにある」

 

 と言った。

 そうして娘を送り出した後、後ろ手に振りながら、車に乗り込む。

 

「それじゃあ、ママによろしく言っといてくれ」

 

「ねぇ!!」

 

 美琴は、それを引きとめた。

 首を傾げる父にしばらく何を言うか思い悩んだ後、美琴はひとつ、言った。

 

「このあと……10時から出る競技があるから」

 

 ニカッ、とおふざけのない普通の笑顔で、美琴に向けた右拳をぐっ(GOOD!)と握り締めた。

 

「パパは寄り道には時間をかけるタイプなんだ。この仕事も道草ばかりしてたから天職になったと言えるからね」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「思えば、授業参観もあの子に任せてしまっていたが、まったく子供に頼り過ぎるとは大人としては情けない」

 

 娘を送り届けての帰り道。

 誰もない走行中の車内で、御坂旅掛は口を開く。

 

「アレイスター。どうせお前のことだから“Level5を回収されかれなかった”俺の独り言も拾ってるだろう」

 

 口調が、違っていた。

 感情の波が極端に激変したわけではない。しかし娘を相手にしていたものとは180度、何かが確実に変化した。

 

「この街で気になる噂を耳にした。『とある超能力者のクローンが量産されている』というものだ。いや、所詮は噂だ、情報の信用度は低いんだからまだ『本気』じゃない。そうだな、学園都市は能力者の街だ。分身の術でも使えるやつがいる可能性もあるし、それをクローンだと間違えたというオチがあっても、それまでなんだけどな」

 

 ―――だが、そのモデルとなった超能力者は序列の第三位――御坂美琴である、と。

 自分で言ったことであるが分身能力ではなく、娘は発電系能力者だ。

 

「まあ、聞こえてるかどうか関係ない、これは独り言だからな。だが、もし聞いてるなら、“ひとつだけ覚えておけ”。

 もしもその噂が本当に妻と娘に関わるものだとわかった時、このくだらない父親はただちにお前の敵に回るぞ

 今のこの世界は、お前を一発で倒せるような脅威が何もないのかもしれなくても、俺の仕事は世界に足りないものを示すことだ。

 『足りない』っていうだけで、“ソレ”を見つけるのは俺の得意分野となる」

 

 だから、こう忠告しておいてやる。

 ひとつだけ覚えておけ。

 

 

病院

 

 

 徹夜したのだろう。病室の前の長椅子で、上条夫妻が寄せ合って眠っている。

 音を立てぬよう小さくゆっくりと頭を下げた美琴は、その個室の扉の前に立ち――一呼吸し――開けた。

 

 

 身体は、問題ない。

 だけど、目覚めない。

 まるで、魂だけが抜け出てしまったように。

 今日まで眠り続けている。

 

 

 病室は、今日は彼女ひとり。

 一昨日と昨日には、あの病院で夜を明かすことになった英国人の銀髪シスターがベットの縁に上半身だけを乗せる形で、べちゃーと佇んでいた(よく個室のパイプ椅子や待合室のベンチなどで寝っ転がっており、看護師たちの間で病院に出没するテレビとお菓子とおもちゃが好きなミステリアスな少女とちょっとした噂になっている)。

 今日は、ひとりだ。

 <大覇星祭>の間にも、見舞客は大勢来ていたようで、置かれてる土産でそれがよく分かる(その食料系の大半は白い少女が食べてしまったようだが)。

 でも。

 それに対し、意外にも、あの愚兄は一度も来ていないという(最後の方で右手がなくなった気がするが、終わってみれば掠り傷しかない五体満足であった)。

 

『うーん。なんかとうま、しいかはちょっと寝坊してるだけー、って……折角眠ってるのを邪魔したくないし行かないって言うんだよ』

 

 代わりに来てる修道女の子が言うには、競技や応援にも我武者羅で、時々、空回って不幸なアクシデントを起こすもクラスに参加してるのだそうだ。

 試合しているところを見たが、あの初日に見せた鬼気迫る勢いで、それも選手宣誓した第七位から『ドラゴンを出すほどスッゲェ能力(根性)をもった宿敵』と宣言がされて(同じ白組なのだが)、今大会のダークホースともなっているのだそうだとかなんとか。

 

(まあ、アイツらしいと言えばアイツらしいのかしら)

 

 薄情だと思われるかもしれないが多分、顔を見たら、この部屋から出られなくなるのがわかっていたからだろう。

 試合で鬼気迫る勢いも、他のことを考えないように必死になっているように見えたし。

 今日は空いている、ベットの横にパイプ椅子に腰かけると、そっとその手を取る。温かな、生きてる体温。その血が全身に行き渡っている脈動。

 ……これまで自分以外に誰かしら見舞客がいた、一昨日は上条夫妻と母の美鈴が部屋に入ったらいて、昨日に来た時は初春と佐天、湾内と泡浮らと一緒で、ふたりきりというのはこれが初めてである。

 口を開けたまま……しばらく何を言うか思い悩んで、出たのは他愛のない雑談からだった。

 

「<大覇星祭>……今のところ、総合で三位。優勝争いを狙える位置ですけど、一日目のトップから二日目で長点上機に大敗して離されたのが痛いわねー。まあ、あそこから三日目と四日目で挽回できたんだから上々でしょ。私も婚后さんと昨日、一位を獲って……」

 

 

 室内に、小さく、かすかに嗚咽が響いた。

 

 

 詩歌の手を握っていた美琴の手、重なった手に俯いた美琴の額があたる。

 表情は前髪に隠れて、見えない。ただ、掴まれた手から、その震えが伝わるだろう。そして、両の目から零れ落ちる滴も。

 

「……う……く……ゥゥ……」

 

 開きかけた口を、閉ざされる。

 続こうとした言葉が口に出る前に掻き消えてしまった。でも、伝えたい言葉じゃない、本音を隠して戦況報告に逃げたいんじゃない、それに、誰もいないのに我慢する必要だってない。

 だから、美琴はそのままじっとしていた。嗚咽が終わるまで、ずっと。小さな鼓動を溜めて、胸の内のものを声になるまで、ずっと。

 

「……………どうすんのよ」

 

 弱々しい声は、こみ上げる涙と出た。

 

「お姉ちゃんがこのままじゃ、私……ちゃんと、笑えない」

 

 どうしようもなく暴れる熱が、胸に、涙腺にこみ上げる。

 友人にも、父母にも打ち明かせなかったものと一緒に。

 御坂美琴は、泣いた。誰も聞き届く事のない部屋ならば、我慢しなくてもいいのだと。

 

 

 幸か不幸かその目論見は外れることになった。

 

 

 

「―――世話のかかる妹ですね」

 

 

 

 そんな、声が響いた。

 それは美琴の声ではない。外のベンチに眠っていた上条刀夜と詩菜でも、待合室で横になっているインデックスでも、無論、病院に来ない上条当麻の声でもない。

 反射的に美琴が俯いた顔を上げ、目の前に起き上がった彼女を見た。

 

「ちょっと、“仮死”するだけだって、言ったでしょう。これまでウソはついて騙したことはあっても、約束を破った事がないのが詩歌お姉さんです」

 

 しばし、その笑顔に反応できなかった。

 唇の隙間から声ならぬつぶやきを絞り出すのが精いっぱいだ。

 ある意味で酷いと形容できる、美琴の顔は、大きく見開いた目に隠しきれない驚きの中で、喜べばいいのか、怒ればいいのか、判断つかずのままに張り付かせた表情。それでいて、指で頬でもつつけばぶわっと目尻から大粒の涙が堪えようもなくボロリと零れ落ちて しまいそうな、危うい皮一枚。

 それを見て、ふんふむと首肯した賢妹は、寝起きの頭を回し始めて、感情いっぱいの妹分のガス抜きでもさせるためにも、何か湿っぽいのを吹き飛ばす挨拶でも飛ばすべきかと考えた。

 

「ちょっと死の境を彷徨ったけど、雄々“しい根性(ガ(か)”ッツ)で完・全・復・活!」

 

 今にもポーズのひとつでも決めてきそうな詩歌に美琴は何と声をかければいいのか。

 テンションの高さにツッコミを入れるべきか、熱でもあるんじゃないかと疑うべきか。いやいや、先生にまだ頭が暴走してますって緊急検査をお願いするべきだろうか。

 

「テンションが低いですよ美琴さん。詩歌さんの元気オーラを浴びたのに、ダウナーなままだなんて信じられません。天気も良い朝なんですから、もっとこう! ド根性全開! と言う感じでいかないと!

 

 まさか、第七位の魂が入ってるんじゃないでしょうね? と疑いたくなるも、このノリというかボケは間違いない。

 

「ほらほら、回復を祝して、何か一言ありません? いつまでもダンマリじゃ、さっきの独白みたいで寂しいじゃないですか」

 

「元気になられて、誠におめでとうございます」

 

「何ですかその事務的な返しは。ハグしたり、泣きついたりとか、もっといろいろあるでしょう?」

 

「じゃあ―――目を瞑って」

 

 パン、と振られた美琴の手に頬を張られた。

 詩歌は少し驚いたが、叩かれた頬はジンと熱をもっても、さほどの痛みはない。

 これまでその愚兄に手を振り上げたことは多々あれど、賢妹――姉に対しては、鍛錬等でもないと、感情任せにもそんなことはしなかったのだ。

 そんな妹分に、こんなことをさせてしまったのかと思えば、詩歌は打たれた頬よりも胸の方がジクジクと痛む。

 

「ずっ、と……ずっと心配して、たんだから、この、バカ姉……何か、もう言いたいことが多すぎて、何も言えなくなるわよ」

 

「そう、ごめんね、美琴さん」

 

 気がつけば、美琴の両手は起きた詩歌の腰に回されて、腹に額を擦るように抱きついている。

 そっと一度肩を叩いただけで、全身の力が抜けたように崩折れた美琴を、静かに受け止めたのだ。

 それを見た詩歌に、今度浮かんだ笑みは半ば苦笑に近かった。

 

「ふふふ、大きくなっても、変わらないですね」

 

 今では学校の看板として恥じない振る舞いを身に付けたが、その昔は怖いことや不安なことがあったら、その感情を素直に表に出す性格であった。

 そして、三つ子の魂は百まで変わらないというように。照れ隠しで素直に自分の気持ちを表現するに不器用になった妹分も素直になりたいとこはあるのだと。

 顔面をうずめ、幼き日のように、ただ泣く妹の背中をそっと抱えながら、そんなことを想った。

 

「でも、泣き疲れた後でも良いから、ちゃんと笑って」

 

 ゆっくりと語りかける。

 

「終わりよければすべて良しとは言いませんが、笑う門には福来たるは詩歌さん推奨します。元気なものは元気なんですから、仕方ない。起きていつまでもそう辛気臭いと詩歌さんの気持ちいい目覚めが台無しです」

 

「そんな言い方……私は詩歌さんのこと……」

 

「心配にも限度がある。きっとずっと鬱々としてたんでしょう。心配してくれたのはもちろんうれしいけど、いつまでもそんな暗い顔じゃあ、皆にの中に美琴さんの笑顔が足りなくなる。こんな終わりでは誰も得しません」

 

 それに、と続けて。

 

「美琴さんが頑張ったから、今がある。だから、ちゃんと自分自身を誇りなさいな。じゃないと、こっちは自慢する甲斐が半減するんだから。

 このまま涙と一緒に自責も出し尽くして、すっきりしちゃなさい」

 

 と右腕で美琴の頭を抱いて、それ以上の声が外に洩れないように深く沈める。音を聴いたのか、両親が病室の戸をあけて顔を出すも、入る前に起きた娘がしぃ、と左人差し指を唇に添えたのを見て、その幼馴染の様子を知ると、刀夜と詩菜は一息、安堵をつくと二人顔合わせて音を立てずに退いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 目が覚めたわけであるが、そうすぐに退院できるわけではない。美琴が去り、両親とインデックスと色々と話をしたもとい説教の途中で入ってきたカエル顔の医者から最低でも今日一日は検査に我慢してもらうよ、と競技出場の医者禁止令(ドクターストップ)の達しが来た。

 上条刀夜と詩菜はそこでどちらかが付いてようかそれとも……と相談を始めたが、もう看病の必要はないわけであり、一人で出歩かせるには不安なインデックスと一緒に、賢妹のせいで放置されるのは心苦しいと愚兄の応援に行ってもらうようお願いした。

 そう、両親がいると見舞いに来づらい子もいることを上条詩歌は知っている。

 

 

 

「ミサカはミサカは詩歌お姉様が目覚めないからずっと心配して、あの人も―――「ミサカ9982号こと美歌はこれより詩歌お姉様に手厚い看護サービスに汗を拭きましょう、とミサカは詩歌お姉様の肌に接触し、その肢体の秘密を隅々まで―――「その御坂にやらせるには身の危険を感じるでしょうからミサカ10032号こと御坂妹がしましょう、とミサカは抜け駆けを阻止しながらポイントを稼ぎま―――「ミ、ミサカ19090号は詩歌お姉様が心配してるんじゃないかってこの子たちを連れて―――「じゃーにーとふぇぶりをたすけてくれたんだー、ってるいこたちからきいたの」「ありがとー、しいか―――「でね、ミサカはミサカは―――ぎゃああああああああああ!! 新入りにミサカのポジションが取られてるっ!! ってミサカはミサカは妹分たちの即戦力にわなわなしてみたり!!」

 

 検査に移動した病院の奥。

 大会に出る怪我人で賑わう病院内であるも、その関係者以外の立ち入りを禁止した特別診察区域は相変わらず人気は少ない。

 となってるのだが、その一室には復活のニュースを聞きつけて、幼女と同じ顔をした少女少女少女少女少女、それに金髪の幼女の双子を加えて二十は超えて、それにその保護者兼医者の助手な女研究者がひとり、とここに一極集中でもしたようにひしめく密集地帯となっていた。

 その喧騒を、聖徳太子の再来かと思わんばかりに、複数の合唱をそれぞれに聞き分けて、個人個人に応対して、コントロールしているのだが、仮にも患者にさせるような無理ではないだろう。

 ―――と、戸が開けっ放しで中の様子が丸見えな部屋は前近くを通っただけで外からでもわかる、喉が渇いたから缶コーヒーでも買いに自販機に行く途中の、入院中の序列第一位の超能力者こと一方通行。

 ここは女が三人揃うだけで姦しいという計算の倍以上あるアレに巻き込まれるリスクを回避するか、杖突きの身で遠回りに回り道をするのは疲れるし見つかっても無視すればいいかと二通りの選択肢が学園都市最高の頭脳に提示されたが。

 

「ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご」

 

 黒々としたオーラに包まれ、今にも瞳から赤光が出そうな雰囲気のクソガキ、打ち止めを放置するのは後々に面倒になりそうな気がしてきた。具体的に、鬱憤のベクトルがこちらに向かってくる予感だ。

 

「……あァ、ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあとうるせェぞテメェら。病院内で静かにマナーを守ることもできねェのか」

 

 一歩離れた位置から見守るのがスタンスなのか、出入り口近くの壁に身体を預けて苦笑しながら様子を窺っていた入院服の女研究者、芳川桔梗。

 一方通行は扉を蹴って、部屋に入らず彼女だけにこちらを気付かせる。

 

「あら、あなたも見舞い?」

 

「芳川ァ、テメェも監督役としてここにいンならコイツらを黙らせろォ」

 

「感動の対面に感極まってるのを邪魔するのは野暮じゃない。それにまだきつい運動はできないんだから、疲れるようなことはしたくないの。こうしてあの子の担当者も来るんだし」

 

「テメェ、前半が建前で、後半が本音かオイ」

 

「じゃあ、あなたは注意するのは建前なのかしら」

 

 意味深に目配せする芳川に、一方通行は舌打ちする。

 で、こうして話している間も、ぐぬぬ、と言う正体不明の音声が漏れ聞こえる。

 

「くくく、いい様ですね、ミサカ20001号。わかりましたか、そう、これがこれまでミサカたちが容姿を利用し甘えられてきた上位個体に抱いていたものです」

「これでミサカ20001号のみが有していた幼さという有利性の稀少価値が弱まり、上位個体の優先権は絶対ではなくなったのです」

「み、ミサカは妹にある程度特権を我慢するのが姉であるとミサカ20001号に自重を促してみたり……」

 

 ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬー!! と打ち止めは頭のてっぺんから蒸気でも噴き出してそうなくらい顔を真っ赤にしている。わけを知りたくもないが、<妹達>の上位個体がダメージを受けているようだ。

 

「姉より優れた妹はいないーっ!! ってミサカはミサカはポジション確保のために躍起になって見る!!」

 

 いざ、突貫。

 『ジャーニー』と『フェブリ』という<人造能力者(ケミカロイド)>――<量産型能力者(レディオノイズ)>から派生した後継の双子はその両脇に抱えられ両膝に腰を下ろし両手に花なポジションにもふもふと陣取っているわけで、そのダブルボランチの真ん中に身体をねじ込むように打ち止めは果敢に中央突破。

 そのアンテナなアホ毛ヘッドが彼女の大きな胸の間に挟まるようゴールした。

 

「ほら、流石に三人がかりは重いんじゃない。止めてこないの?」

 

 いいや、アイツはそれを怒らずに、むしろいつに増してにこにこと可愛い年少に囲まれて幸せそうだ。止める必要性がない。そもそも、このようにガキの世話をするのが正しい形のはずだ。

 だいたい三人がかりでも、そこらの大型犬よりも軽そうな幼女三人であり、あの少女が見た目と違ってそこそこの力がある。

 その通り、彼女は打ち止めら三人を宥めてから軽々と持ち上げて脇に置くと………こちらへ行きた。

 

「あー君!」

 

 扉の後ろに隠れていたが、曇りガラスに浮かぶ陰に気付いたらしい詩歌と、視線が交わった。彼女の顔に最初に浮かんだのは、驚き。大きな瞳が見開かれ、それはやがて、嬉しそうな笑顔に変化する。社交辞令とは明らかに違う、親愛の情が含まれた微笑み。それに応じるように、一方通行も口元に笑みを……浮かべない。むしろ、沈めるように。むっと顔を顰める。

 

「おや、あそこでひとりさびしくミサカ達を見ているのは……」

「しいか、あのひとはだあれ……?」

「ダメダメダメーっ! あの人の体力で受け止めきれるのはミサカひとり分だけだからっ! ってミサカはミサカは……」

 

 いきなり大量の視線を浴びせられた一方通行は、少しだけ息を呑んだが、平静は崩さない。だけれど、アレの中に入るのは真っ平御免だ。

 このような事態に直面した場合、どうすればいいか?

 果たして、どんな対応が適切なのか?

 一方通行は、方策を少し考えてみる。素知らぬ顔で、ここから立ち去る。そこの職無しの女研究者に蹴りを入れて、囮にする。強面で、威嚇威圧する。笑顔を浮かべ、向こうに歩み寄る―――はない。使えそうな選択肢がいくつか出てきたが。

 しかし、結局のところ、一方通行はどうすることもできなかった。

 

「今回の件、助けてもらって、心より感謝いたします、あー君」

 

 そう言って、腰が直角近くまで深く頭を下げる彼女を、その旋毛から目線を逸らす。

 あの件は元々<妹達>が関わっていることであり、彼女たちを助けるためだけに手を貸したわけではない。状況によっては見捨てていただろう。礼を言うくらいはともかく、そこまで頭を下げて感謝する必要はない。

 だが、こちらがとっとと頭を上げろと言葉を投げたのに対し、詩歌はゆっくりとかぶりを振った。

 

「打ち止めさんから窺いました。あのとき、<妹達>を救うために能力の代理演算に必要なチョーカーを分解しあー君がどれだけ尽力してくれたのか―――そのすべてを。ただその一事だけでも、私はあなたに感謝する理由になります」

 

 ―――やりにくい。

 彼女に対し一言何か言うべきなのだろうが、感謝されるに経験値の足りない頭には何か言うべきことは今特に思い浮かばない。常ならば黙って立ち去っているところだ。

 しかし、だ。

 別の方向からは妹達と芳川が『まさか、逃げないわよね?』と刺すような視線を向けてくるし、打ち止めは打ち止めで、こちらも好奇心に訴えかけるようにこちらをじっと見つめている。

 ……きっと、針のむしろ、というのはこういう状況を刺して言うに違いない。

 そんなものは『反射』してしまいたいが、彼女に言われた通り、代理演算装置は想定された使用法から外れた無茶をしたせいで今も修理中で、カエル顔の医者に預けている。

 正直にいえば、ここまで面倒になるとは思っていなかった。やはり遠回りでも回避すべきだったか、と内心で舌打ちすると―――と、詩歌はそこでいきなり顔を上げて、ああ、と手のひらを上に向けてそこに拳をぽんと置くように叩くという納得するようポーズをとった。

 それがこれ以上事態を面倒にする前兆であり、詩歌は至極真面目な顔でこんなことを言い出した

 

「失念しておりました。頭を下げていてはやりづらいということですね。さあ、あー君。遠慮なく私をひっぱたいてくださいな」

 

 

 

 思わず、杖が滑ってこけそうになった。

 

「はァ? いきなり何を言ってやがる」

 

 当然であるはずの問いかけに、詩歌に不思議そうに応じられる。

 

「打ち止めさんからすべて窺った、と言ったでしょう? あー君は、詩歌さんをひっぱたくと宣言したことも聞いてます」

 

「……、ァンだと」

 

 思わず呻き声みたいな妙な声が漏れる。

 ジロリ、と赤い目が打ち止めの方を見ると、情報漏洩の密告者は危機感を感じて、詩歌の方へ回り込んで行った。

 その様子を見る限り、つい興が乗ってしまいその羽根よりも軽い口を滑らせてしまったと見るべきだろう。

 

「ええ、きっと心配させてしまったんでしょう」

 

「違ェ。誰がテメェなンざを」

 

「わかってます」

 

「あ゛?」

 

「打ち止めさんを、ですよね。私の力が不甲斐ないばかりに、木原幻生の<ミサカネットワーク>の介入を止められず、彼女たちを危険な目にあわせてしまいましたから」

 

「違うわ詩歌さん。その子はあな―――「テメェのツラを引っ叩くぞォ芳川!」」

 

「さあ、どうぞご存分に」

 

 そう言ってわずかに顔をあげ、目を閉じる詩歌。

 当人にそんな気が欠片も微塵もないのだとしても、何だか誤解を招きかねないシチュエーションだ。

 事態がより最悪になるとは思っていなかった。女子供に手が出せないわけではない。そこのクソガキもあとで脳天に拳骨を落とすと決めている。だが、今ここで、彼女を、引っ叩くには抜きがたい何かが存在する(あと背後霊のように、背中に妙に見覚えのある男子学生の拳を鳴らしているオーラが見える)。

 しかし、結局元凶となったのは自分の口からであり、その感情はウソではない。それに……

 

 ―――そう。長々と話し合っている間柄ではない。

 

 一発叩けば解放される、と一方通行は自身にそう言い聞かせながら、詩歌の前に立つ。

 最後に見たときから、まだ一週間も経過していない。

 学園都市の崩壊、そしてその闇を覗いてきたというのに、柔らかな双眸も、晴夜を思わせる色合いの瞳も、一方通行の記憶とほとんどかわっていなかった。かすかに瞳が揺れているように感じられたのは、直で触れあえて<妹達>や<人造能力者>が無事であることへの安堵の残滓であったのか。

 『実験』に介入してきたどこぞの無能力者のように洒落た言い回しなど思い浮かばないし、口になどしないから考えても意味がない。

 だから、既に確定事項となった作業を実行に移せばいい。

 

 

 その頬を思いきりひっぱたいた――――ぴと、と?

 

 

 一方通行の主観は、間違いなく容赦ない一撃を見舞った……つもりだ。

 ただ、あえて擬音で表すとなると『バチィンッ!』とはいかず『ぺちん』くらいにも届かない。いや、ひょっとすると『ぺち』くらいだったかもしれないが、やはり、もう少し甘めの採点を直すのなら『ぴと』である。

 つまり……傍から見ると、一方通行は上条詩歌の頬を撫でたようにしか見えなかったかもしれない。

 それを受けた本人は、きょとんと首を傾げて、頭上にいくつもの『?』を浮かべてる。少なくとも、ぶたれたという驚きは、その表情からは微塵も感じ取れない。

 

 

 弁護するのであれば、コンディションが悪かったのだ。

 代理演算装置を預けていて全開とは呼べない状態であった事、脳の運動神経系統を負傷し杖をつきながら、腰を入れてスナップを効かすなど難しい。

 能力に頼らない一方通行自身の運動能力は、打ち止めの突進を受けた程度でよろめくほどしかない事、打ち止め三人分ほどの質量を容易に受け止めた女子中学生と比較すればそれは3分の1以下となる計算だ。

 つまり、非常に乗り気ではなく、不安定な態勢から男子学生の最低値の膂力で叩こうとすれば、それはこうなっても仕方がないのである。

 

 

 周囲から囁き声が漏れ聞こえる。

 

「……えー、あの人。アレでひっぱたいたつもりなのかな!? ってミサカはミサカは普段ミサカはされてるのと全然違う不公平を訴えてみたり!」

「あんなのでは、蚊も殺せませんね、とミサカは第一位の虚弱っぷりに思わず失笑を……」

「しかしあれは、何だか、肌に触れてその無事を確かめずにいられないほどその身を思いやっているようにも見えます、とミサカは要警戒対象に目を光らせます」

「茶化さないであげなさい。あの子もアレで真剣なんだから」

 

 ひそひそと囁き合うギャラリーを今ここで能力が使えるのなら暴風を飛ばして黙らせたいが、一方、詩歌の方を見やると、詩歌自身は特別表情を変えていなかった。

 叩かれた感触を確かめるように、自分の頬にそっと指先を触れさせているだけである。一方通行の視線に気づいて、『どうしたんです?』と問うように、小首を傾げて見せる。舌打ちして視線を横へ流した。

 

「軽く触られたようにしか思えませんでしたが、叩かれた痛みを忘れず、しっかりと反省しますねあー君」

 

「……あァ、テメェの力なンざたかが知れてンだよ。次もガキの子守を任せやがったら、容赦しねェぞ」

 

 そうして、ちょうど検査準備が終わり呼びに来たカエル顔の医者に連れられて彼女は病室を去った。

 

 

 その後しばらくして、病院の特殊診察区画に、大きな拳骨音が響いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 前々から思っていたことではあるがあの件で、ひとつ、上条当麻は確信したことがある。

 

 

 寝ている賢妹の様子を見るのはたいへん危険。

 

 

 目覚めぬその身を案じて、父母のように看病してやりたいと思うし、心配で何度もお見舞いに行こうとは思っていた。

 もちろんその心には、ヨコシマなものはないし、タテシマだってちっともない。

 記憶を失っても血縁関係上、同じ父母をもつ兄妹であるのに変わりないだ。異性を感じたこともないわけではないが、それだけで倫理観モラルの高跳びに挑戦してみよう気にならないし、それ抜きにしても、天使と悪魔の戦いは天使の全戦全勝である。

 故に、一日中同じ部屋で無抵抗?な妹と過ごすなど一体何の問題があるのだろうか、と最初はそう考えたのだが……

 

 

 はい、当麻さんは正直に白状します。自分の自制心を過大評価してました。あの件で、ものすごく落ち着かなくなるのを自覚しました。

 今後はあまり自分を過信しないようにしようと反省。そんな、役に立つのか立たないのかよくわからない教訓を胸に刻みこんだわけだが、もうあれは悟りの境地達するほどに煩悩を捨て去らないとまずいのだ。目を瞑って無抵抗な賢妹を前にして平常心を保てる奴がいたら、もうそれは素直に称賛できるレベルだ。つまり、一健全な男子高校生が何が言いたいのかというと。

 

 

 やばいな!

 

 

 と声を大にして主張したい。しないけど。

 しかしながら、ここで兄が寝顔を見ただけで鼻血を噴かすなどみっともない醜態を晒すわけにもいかない。念のために、もう担当医と呼べるくらいに世話になっている先生には、父刀夜と一緒にどうにかお願いして男性の立ち入りを禁止にしてほしいと言い含めておいた(何を馬鹿な事を言ってるんだコイツと呆れた目で見られ、母詩菜に説教された)

 とにかく、せめて目覚めるまでは、しばらく思い出の冷却期間を置いておきたかったわけであって、そして今日両親から連絡が入ってようやく退院の荷物持ちにと馳せ参じた。

 

「インデックス、病院に入る前にもう一度確認するぞ? まずお前が部屋に入って詩歌が眠ってないかを確認する。それでもしも眠っていた場合は、何としてでも眠り姫を起こすんだ。声かけでも無理なようだったら、しかたない。噛みつきも許可する。よしここまで復唱!」

 

「……わざわざそんなことしなくても、私が完全記憶能力ということを覚えてないのかなとうまは。そうやって覚えたくもない戯言を聞き流しても、一度で覚えちゃうんだよ」

 

「バカモーン! インデックス、復唱するとしないとでは作戦の成功率が全然違う! だったら、最善を尽くすべきだろ! この荷物運びのミッションを失敗すれば病室が血塗れの大惨事になりかねないんだぞ!」

 

「いったいしいかの病室の何処にそんな危険物があるっていうのかな? とうまと違って私は毎日来てたけどそんな痕跡は見当たらないし、アレだけ人の行きかいの多い部屋の中に魔術師が仕掛けるなんて真似できないかも。あるのはと~~っても美味しいおみやげの山なんだよ☆」

 

「食欲に目が行ってしまうインデックスにはわからない。でもな、魔術でも能力でもない怖ろしい兵器が眠っているかもしれないのは間違いないんだ」

 

 

 

 愚兄としては死活問題である故に競技よりも熱の入った作戦会議の末、押し切られたインデックスがまず来訪を告げると病室に入り(ちょうど着替えの途中だったらしいセーフ)、準備が終わるまで当麻はそのフロアの自販機のある待合スペースのベンチに腰を下ろす。

 患者やその見舞客、医者の先生に看護師が行き交うのを眺めながら、胸を撫で下ろす当麻。

 と隣に、ゆっくりと誰かが座る気配、それがシャンプーの甘い香りとなって鼻孔をくすぐる。視線だけそちらに向けると、夕陽を照り返す煌びやかな髪がはらりと揺れる。

 

「お・に・い・さ・ん♪」

 

 流れる前髪の隙間からはぱっちりとした大きな、十字の星が入ったように輝いた瞳が覗き、口元には微かな笑みがある。

 

「……?」

 

 蜂蜜色の長い髪を腰まで伸ばした少女。当麻は眉をひそめた。というのは、近いのだ。いきなり身体が触れあうほど圧倒的に近い。驚くほどに距離が近いせいで、笑みをたたえた口元が艶めいているのに気付かされ、思わず及び腰っぽく距離を取りながら、愚兄は問うた。

 

「あー、食蜂だっけ。どうした? 病院に何か用か?」

 

「うふふ。ちょっとあの子のお見舞いと古い友人との再会のお手伝いに♪ それに、三日も睡眠力とった先輩が復活したって聞いてねぇ☆」

 

 もう既に学校にも連絡が行っていたのか。快方の報せを聞いてわざわざやってくるとは随分と慕われてるんだなーと当麻。

 それで、確かその後輩は、食蜂操祈。御坂美琴に並ぶ常盤台中学のもう一人の超能力者。

 あのビリビリ中学生を照れ屋さんという賢妹曰く、性格のいい子。

 確かにいい性格してそうではある。

 

「朝は御坂さんに譲ったけど、おかげでお兄さんと会えたからついてるわぁ♡」

 

 ずずいっと愚兄の方へ身体を寄せた。さらに、甘えるようにしなだれかかる。

 

「おい近い近い。何でいきなり急接近してんの!?」

 

「<大覇星祭>が終わったら、記念に一緒に海に行きませんかぁ♪」

 

「え、海……」

 

 海と言えば大天使様が思い浮かんでしまう。そのトラウマな連想からか、ついでに不幸なトラブルで外国の海で溺れるビジョンまで見えた愚兄の声はちょっと乾いていた。その反応に、賢妹の後輩はぷくっと頬を膨らませるあざとい仕草をして、軽く睨んでくる。

 

「なんでちょっと嫌そうなのよぉ? この一年かけて成長した私の見事な肢体力をじっくり検証していただいて構わないのよぉ?」

 

「あー……平均的な中学生より成長してるなぁ……」

 

 無遠慮な視線に対し、後輩は特に咎めることなく、肩にかかった髪を片手で払いながら無意味に胸を張っていた。そこにどんな意図があるのか、当麻にはひとつも読めない。

 

「ええ、もうすっかり大人なお姉さん力がついてきてる。今では身長は先輩を追い抜いてるわぁ♪」

 

「詩歌の前ではあんまり言わないであげて。実は背が伸び悩んでるの結構気にしてるから」

 

「ふふんっ、その内身長以外にも追い抜くわぁ……色々とね」

 

 後輩は、愚兄により身体を預ける。

 

「ちょ、おい、お嬢さん!?」

 

「ちょうど一区切りがついたし、誰も見てないことだし、久しぶりにお兄さんに甘えようかしら♪」

 

 愚兄の動揺に構わず、ぐいぐいと身体を押し付けてくる。

 女の子の身体の、柔らかい感触がはんぱなく感じられた。それでなくても、この中学女子の後輩は美少女でスタイルも良いのである。健康な高校生として、この、少し懐かしい、雰囲気に少しの間、浸ったところで誰も文句は言えないのではなかろうか?

 それに『お兄さん』とか言われると愚兄の性で特に躊躇なく受け入れてしまうのである。

 愚兄が内心でそんな言い訳をしていると。

 

 不意に、首筋になにやらちりちりとした視線が感じられた。病院内の空調は利いているのに、じんわりと頭皮の汗腺が開いていくのがわかる。

 まずい―――何がまずいかはわからないが、とにかくこのまま相手の勢いに流されると、命に関わる事態が起きる。既に時遅しに働く愚兄の直感が、派手な警告音をあげて、愚兄に自重を強いてきた。

 当麻は穏やかに――その実、全身全霊を以って――食蜂の肩に手をおき、密着した身体を引き離した。

 その肩を掴んだポーズのとき、

 

 

「―――ふふふ、随分と待たせてしまったようですね当麻さん」

 

 

 後背から穏やかな調子の声がかけられた途端に、当麻の顔からざあっと血の気が引く。

 病院の廊下に、修道女と、ケープを羽織った妹が仁王立ちしていたのである。

 

「あ……あ……詩歌さん」

 

「それで、お取り込み中のところ申し訳ありませんが、訊ねてもよろしいですか」

 

「ど、どうぞ」

 

 優しく、賢妹が朱唇を吊り上げる。その微笑は不思議な事に温度らしきものはなく、

 そして、その眼差しは、この秋に近い季節より一足先に木枯らし吹き荒ぶ冬の曇天を連想させる冷たさだった。身体の芯から凍えそう、という意味で。

 

「当麻さんは女の子とイチャイチャする姿を、詩歌さんにわざわざ見舞いに来たのですか? この状況だと、そうとしか受け取れないのですけど。それほど長い間、眠っていたつもりはなかったのですが、いつの間に、なかなかいい趣味をするようになりましたね」

 

 後輩は―――この愚兄を盾にして隠れやがった。修道女の方もぎらりと犬歯を見せて、今は賢妹に抑えられているようだけど、ストッパーがいなくなれば容赦ない。

 

「頼む詩歌。ちょっとくらい話を聞いてくれ」

 

「仕方ないですね。ちょっと発言を認めましょう。ただし、五文字以内でお願いします」

 

「異議アリ!」

 

「はいあと一文字で判決を言い渡したいと思いますね。五十音でいったいどの文字を選択するのか気になります」

 

「無理です! いくらツーカーで通じてもこの状況を説明をするのは無理なんです! だから話聞いてくれってっ!」

 

「残念ですが、もう終了です。五文字以内ですから、これ以上は文字数制限オーバーなので聞けません」

 

「わかったわかった。オーケーですよ。今日の当麻さんは絶対に無罪を勝ち取るって決めてるからな。当麻さんの発言力がなくなっても、他に証人がいれば問題ない!」

 

 と愚兄は、背中の証人――後輩を捕まえる。

 

「よし、後輩、先輩の誤解を解こう。そしたら、当麻さんができる範囲で何でも言うこと聞くから!」

 

「ほほぅ。それってつまり、助けてくれた女の子はお兄さんの魅力にやられてるから、何でも言う事を聞いてくれる都合のいい子とだと見られてるんですねぇ?」

 

「……いや、どんだけ曲解すればそうなるんだ?」

 

「へぇ、となるとぉ、お兄さんにとって、私は路傍の花だったということねぇ。主に気まぐれに手折ったという意味で」

 

「突然何を言い出すかお嬢さんッ!? 誤解を招く言い回しはやめて! ピンチだから! 主に、当麻さんの命の安全的な意味で。なんか確かめるのも嫌になる不穏な視線を感じるのですよ。こう、首筋にちくちくとね!」

 

「大丈夫。私はお兄さんに捨てられても、力強く生きていくわぁ」

 

「さらに誤解を深めてるだろ! ていうか、わざとか、わざとだろ、わざとだと言え!」

 

「わざと、よぉ♪」

 

「しらじらしく語尾をあげるな!」

 

「むう、言えというから言ったのに、お兄さんは理不尽ねぇ。でもぉ、そんなお兄さんが……」

 

「言葉を切るな、顔を赤らめるな、胸を手で押さえるな、いやマジでこっちにくる重圧が洒落にならないんですけどッ!?!?」

 

 思わず拳を振り上げた愚兄だったが、不意に、その肩をがしりと捕まれ、即座に身体が硬直してしまった。

 たおやかとも言える優美な手の感触。しかし、そこに篭るは鬼神すら怖気づかせる天下無双の怪力であった。

 

「あまりうるさいと周りに迷惑ですよ。病院の中はお静かにしてもらいたいのですが、もしこれ以上騒ぐようなら地球の外まで退場させます」

 

 にこり、と笑いながら、賢妹が愚兄に話しかけてきた。思わず惚れそうになる可憐な笑みだったが、あいにくと、愚兄の目は詩歌のこめかみがかすかに痙攣しているのを捉えている。

 

「今の当麻さん悪くないよね? というか最後のはいくらなんでも無理だからな!?」

 

「ご安心を。この街の科学力はあんな鉄の塊を空の彼方まで飛ばせるようになったんですよ」

 

「そんなことは心配してないから!」

 

「まあ、掛け値なしのお嬢様学校に所属する優しいかわいい妹がもつすべての伝手を使かってでも当麻さんが乗る宇宙ロケット、の片道切符くらいは用意しましょう」

 

「往復チケットじゃないの!? 片道だとお兄ちゃんは地球から追放されたままだよ!?」

 

「良いですね、星が綺麗です」

 

「そこで意味深に空を見上げるのやめて!?」

 

 くぅ、どこかに救いの神はいないのか。しかし、このままではお星様になってしまうというのなら、この愚兄、上条当麻、力ずくでもこの戒めを突破してみせる。それからどうにか距離を取りながら土下座でも何でもして説得しよう。

 詩歌の手の力が弱まった瞬間を見越し、愚兄はその手を払いのけて、逃走しようと試みる。

 

「隙―――「なしです」」

 

 あり、と言うことも出来なかった。肩に置かれた手を払ったと思った途端、今度は素早く腕を抱え込まれ、身動きを封じられる。

 愚兄の企みはたった二文字も喋る時間しか稼げなかった……いや、それはそれとして、詩歌さん、あの、この体勢だと、腕に胸の感触がものすごくダイレクトに感じられちゃうのですが?

 

「こうでもしないと、逃げようとするでしょう、当麻さんは。退院してまだ完全に体力が戻ってないのに、病院から一歩も出てないうちに追いかけっこはしたくないんです」

 

「う、いや、まあ、その通りなんですけどね。あと体力面はバッチリ回復してると思いませうよ、マイシスター。なんか、こう、みしみしと鳴っているような気がするし……」

 

「―――別に、逃げなくてもいいですよ。もう、この茶番でその心配が杞憂だってのは十分確認が済んだでしょ」

 

「……ああ、わかってたのか」

 

「当然。それに、前にも言ったように、操祈後輩が性格のいい子だというのはわかってますから」

 

 だから、扱い方も心得てる。

 

 

 

「さて、今のやり取りでわかったでしょうけど、ちゃんと約束、守りましたよ」

 

「……ホント、化けて出てきたわけじゃないのねぇ」

 

「そして、一言助言ですが、働き者な人は、詩歌さん的にポイントが高いです」

 

「そうやって餌を吊るすんですから、先輩の横暴力には付き合うのが大変なんだゾ☆」

 

 詩歌が両肩に持つ大小のスポーツバックの内、食蜂は自分自身でひとつを受け取った。

 

「でも、私は健気な後輩だから、乗ってあげることにするわぁ♪」

 

「ふふふ、それじゃあ、帰りましょう」

 

 

道中

 

 

 どこかで聞いた民謡は語る。女の子は砂糖とスパイスと素敵な何かでできていると。

 きっとその少女は、蜂蜜のような砂糖と、なかなか刺激的なスパイスをもっているようで、そしてそれをほろ苦くも甘い経験から生まれた素敵な何かがまとめてる。

 そんな少女を、前を行く賢妹は知っている。“覚えている”。

 

「インデックスさん、朗報です。風斬氷華さんの身体を安定させる方法が見つかったかもしれません」

「本当なのしいか!?」

 

 不安、だった。

 三日も眠り続けた妹―――まさか、“兄と同じように”『死ん』でしまったのではないかと。

 ひょっとしたら、自分の子を忘れてしまってるんじゃないかと。

 そう、考えるだけで眩暈がするほど拒絶反応が出てしまう。

 どんなに否定理由を重ねても、心の奥底にある実体験から成る憶測は払えなかった。

 だから、目が覚めた彼女に会うことが怖くて、今日まで愚兄は来れなかった。少女と同じく。

 そんな風にも臆病になってしまう妹と、一緒に帰る。

 皆で何一つ失うことなく笑って。

 そして。

 

「っとと、小石に躓いちまうなんて、不幸だー」

 

 張り裂けそうなほどのものをずっと胸の内に隠してきた愚兄は、先を行く賢妹と居候――詩歌がインデックスの注意を引いてくれている――その後ろで、小声で、音をなるべく立てずに、躓いたように、大きめのスポーツバックに顔を付けるように隠し、押し殺した声で。

 

 

 

 

 

「           」

 

 

 

 

 

 誰にも聞かせるわけにはいかない。

 誰にも見させるわけにはいかない。

 誰にも悟らせるわけにはいかない。

 

 きっと、安堵に糸が切れてしまった上条当麻は情けない顔をしているだろう。

 だけど、この(ウソ)は自分で背負ったものであり、ならばこんな顔をしていい筈がない。

 

「お兄さん」

 

「!?」

 

 すぐ近くから声を掛けられて、ビクッと震え、固まる。

 隣で、立ち止まって、こちらを、見ていることに、気づく。

 

「手……貸しましょうか?」

 

 その声からして、詩歌でも、インデックスでもない、食蜂だ。

 そう、確か彼女はこちらより後ろを歩いていたはずで、見られていないはずだ。

 

(……っ、くそ……!)

 

 声を出そうとしたが、声帯の震えは未だに止まらず、涙声が出そうになる。誤魔化すように、お腹を押さえた腹痛のポーズをとりながら、ブンブンッと額をバックに擦りながら首を横に振り、もう片手の手信号で先に行くよう促す。

 

「………」

 

 何も、反応は返らない。

 不幸だ……格好悪いことに、多分、今ので勘付かれたか。

 ……それでも、今は一人にしてほしい。

 

「………っ、大丈夫、だ、先に、行って……くれ」

 

 余裕がなくて、突き放すように。それも、滅茶苦茶に情けない声で。

 

「あらあ? 何かと思ったら、ちょうどいいことに、先輩のバックの中にリモコンが入ってたわぁ♪ ひょっとして、病院の備品かしらぁ♪ ……偶然なわけないよねぇ、ホントあのブラコン力は……」

 

 愚兄の言葉が聴こえなかったのか、気配は相変わらずにそこに留まり、それもわざとらしく声を出しながら、何かをゴソゴソと取り出そうとしている。

 

「ま、あなたのシスコン力はどうあっても消せないけど」

 

 ピ―――と。

 

(そういうトコ、格好いいと思うわ)

 

「ちょっと練習に私の天才力で人払いしたから、しばらくここに人は来なくなるんじゃないかしら」

 

 常盤台の女王は、こちらからは見れなかったが、けれどすごくいい笑顔。そう、女王らしい、拒否はおろか質問や確認さえも許さないという感じの表情である。

 

「海の件は諦めてあげるけどぉ……」

 

 言いながら、躊躇うように、迷うように、視線を彷徨わせていたが、そこで言葉を区切ると視線を戻し、真っ直ぐに愚兄を見据える。そして、周りをはばかるようにそっとこちらの耳元に手を添えて、にこっとはにかみ、秘密めかして呟いた。

 

「(さっきの助けたら何でもお願い事を聞いてくれる件、明後日最終日のフォークダンスで手を打ってあげるわぁ♡)」

 

 言うだけ言って、食蜂後輩は先頭二人の元へ駆けて行った。何となくしてやられたと思いながら、追いかける前に一度だけ、星の出てきた空を見上げた。今夜は、月の光が温かに覚える。そして、沈んでも陽はまた昇る。明日もきっと晴れるだろう。まだ<大覇星祭>は終わっていないし、大変なんだろうけど、きっと笑えてるはずだ。

 

 

 

つづく


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