とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 姉妹喧嘩 二回目

大覇星祭編 姉妹喧嘩 二回目

 

 

 

第二学区

 

 

 第三位の暴走を誘導するには、<心理掌握>が必要不可欠と推察。

 木原幻生の協力者、警策看取。

 <書庫>に残された情報から、強度は大能力者(Level4)。能力名は<液化人影(リキッドシャドウ)>。

 比重20kg以上の液体金属を人体のように自在に操る。数百km離れていても行使可能な遠隔操作性を持つ。

 ただし、聴覚・触覚以外の五感は本体と繋がらず、また本体と同じ容積、同じ体積でなければ精密操作に支障をきたす。

 

「幻生お爺さんが、わざわざ統括理事長にテロを企てて失敗したところを、<少年院>から引き取ったくらいだしね。<メンバー>との使いっパシリじゃないだろうね。

 元々、<才能工房>に所属していて高い適性があったそうだし、<幻想御手(レベルアッパ―)>の補助があれば、<外装代脳>の共有ができてるだろうね……こういうとき。幻生お爺ちゃんは第五位の方に行くだろうし、『誘導役』は彼女だろうね」

 

 現在の戦況情報とその『誘導役』の位置情報。

 機械と直接接続可能な肉体とAIM拡散力場を察知する感覚で、探し出した<木原>の少女。……その隣で突入前に武装確認をしている“別の『皮』に着替え直した”相方。

 サイボーグの少女が機械のチェック、完全な変態スキルを持つが彼女が人間のチェックをかわすことで、悠々とその建物内に潜入を果たしていた。

 

「彼女を捕まえれば……って、お姉さん、その釘バット並みの殺傷力はありそうな石器時代の武器もそうだけど、本気でソレ使うの?」

 

「学園都市に黒曜石のナイフは珍しいか? しかし、これ一本あれば皮膚の剥離から内臓の摘出、骨に付いた筋肉や脂肪を削ぎ落とすことまで、とりあえず実行できるぞ。コイツは元々、人肉を捌くための刃物なのだからな」

 

「先生が使ってるメスの方が断然切れ味がよさそうだけどね」

 

「確かに、相手を痛覚に配慮はできないな」

 

「よく、詩歌お姉ちゃん泣き叫ばずに剥げたねぇ。でも、それ、人間ならとにかく金属相手じゃ刺しても欠けるよ」

 

「陽のあるところなら、あの駆動鎧とか言うデカブツであろうと解体してやる。……が、確かに解体しようのない純金属が相手となると術式がうまく発揮しないかもしれん」

 

「じゃあ、今度は私が前に出ようか? 能力で操ってる人形が相手なら完全に封じ込める自信があるよ」

 

「下がっていろ。あのバカと違って自衛くらいできるのなら、単独潜入の方が私は動きやすい。私がカメラの死角を埋める。那由他は監視を続けていろ」

 

 黒曜石のナイフを仕舞い、指信号(ハンドシグナル)を振る。

 

「人形は所詮人形。本体を潰せばいい。わざわざ人形遊びに付き合ってやる理由も時間もない。さっきあいつから試作を交換したが、この義体の私の“肌に合う”。相手の意思で動くのならそれに染みついた残留思念を“聴いて”、本体を見つけ出すことくらいわけない」

 

 残留思念を聴く……彼女は<生体変化>だけでなく、<読心能力(サイコメトリー)>のスキルも―――違う。

 科学的な超能力とはかけ離れた、全く違う法則で発現するものだ。それは本来目に見て触れられないはずの力の流れを把握できるからではなく、一族の者として理解できないものだからだ。能力開発の公式や化学式に当て嵌まるものならば、自分にわからないはずがない。

 そう、彼女の異能は別物の、もっと曖昧な“匂い”のようなものを感じ取ってはいるが、そういう感覚的な観点から判断するに、科学の“匂い”がしない。

 

「私は命に代えてもあの男を捜し出す。―――そのためには、このバカなお祭り騒ぎなどとっとと終わらせたいんだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 霹靂と狂飆の蹂躙は、力の逃げ場を求めて周囲に轟音と衝撃を撒き散らし、付近の建物の窓ガラスを破壊する。

 

「■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!」

 

 白く、眩い破滅。

 空気分子を焼き払う地上の稲妻。

 何もかもを微塵と化す雷光は、有り余るエネルギーを纏い、高層ビルの聳え立つ街並みを水平に薙ぎ払う。極度の熱により市街の空気は水蒸気爆発までも誘発し、瓦礫の山脈を築き上げた。

 光が収まっても、膨大な熱はすぐには退かなかった。半ばが溶解し、半ばがガラス状と化して、もうもうと蒸気を噴き上げるアスファルト―――その雷光をまるで湖底に空いた穴に水が吸い込まれるように、翳した掌へと流れ込んで行く。そうして受け切って尚、『『窓のないビル』を守護する“第一位”』は人型のまま、茫然と見やっている。

 そして。

 

「―――」

 

 また、“殴り”飛ばされた。

 この周囲を砂鉄の360度球状に取り囲んだ繭を、破ることなく。遠当ての如く、その腕の届く範囲より遠い相手を打つ。

 蝶の羽ばたきが嵐を起こすように、“第一位”がその拳を振るう―――同時に、その攻撃をもらう。

 そして、喰らっても尚、何が起きたのか全く理解できない。ただ、あらゆる法則を無視して、こちらの守りを突き抜けて、第三位の身体は大きく吹き飛ばされていたという事実のみが残る。肉体の表面から芯まで、そのすべてに均等なダメージが襲う。どこかワンポイントの打点があって、そこから衝撃が広がっているのではない。まるで布を水に浸したかのように、不自然なダメージが全体に浸透している。

 

 “……、?”

 

 クリーンヒットであるが、ジャブみたいなもので、意識を飛ばすほどのダメージはない。天上の意思に近付きつつあるこの感応でさえ、曖昧な靄を掴むようで確かな認識できない。

 理解もさせず、説明も出来ず、対策もさせない。

 どの方向に、どれほどの距離で、どんな強度があれば、回避防御できるのかという条件の定義付けさえ不明さは、それだけで疑問を覚えさせる。

 そこに思考演算を割かれるだけ、進化が遅れる――――はずだったが。

 

 

 ザザ、ザザ、ザザ。

 ザザ、ザザ、ザザ。

 ザザザザザザザザザザザ―――

 

 

 次第に、酷くなるノイズ。

 頭蓋に反響するかのごとく、脳細胞を侵食するかのごとく、その音が少女の三半規管を犯していく。カタツムリにも似た渦巻きは無残に狂わされ、足元には光の一片も許さぬ暗黒洋(やみわだ)が広がっている。

 暗闇。

 どうしようもないほどに、何もない。

 抱けるのは、ただ破壊と喪失のみ。貴いモノを何もかも奪っていく、この世界への反逆のみに支えられ――縛れている。

 ……息が苦しい。

 酸素が足りないというよりも、もっと根本的な何かが足りない気がした。

 

 

 

 砂鉄の繭が内側から破れた時、第三位はそのフォルムを変態させていた。

 

 >サア、統括理事長じゃない、アナタがこの街の支配者になるのよ。

 

 その双眸は閉ざされ代わりに。

 さらに伸長し、交錯した双角の狭間に開かれた黒眼球は相手を、そして己自身を黙して見つめるのみ。

 静かなのに、その圧力だけがゆっくりとこちらを浸透していく。

 その闇は抵抗もなく、ずぶずぶとこちらを蝕んでいく。

 

 “RAIL-GUN”Level[Phase]5.2。

 

 だけど、もう関係ない。

 彼女らを―――そう、皆を―――救うと、心に決めた。

 その為に全てを一度壊すと、天上の意思に踏み入れようとする超能力者は覚悟を決めた。

 ならば。

 

「■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!」

 

 絶望のままに、彼女は叫ぶ。

 もう、堰が切った。

 リミッターが切れ。

 ブレーカーが落ちた。

 それでもまだ叫ぶ。まだまだ足りないと、まだまだまだこんなものでは届かないと、延々と咆哮を続ける。

 

「■■■■■■■■■■――■■■■■■■■――■■■■■■■■――■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!」

 

 ごぅん、とその手の光が練り合わさる。

 周囲の瓦礫が融解してできあがった“オレンジ色に溶けた水たまり”。光はそれを取り込んで更に凝縮し、更に数倍にも輝きを増す。先までと規模だけは縮小しながら、鋭さと威力は反比例して凝縮・増幅され、文字通り迅雷の速度で“第一位”へと襲いかかった。

 

「―――」

 

 その前に展開される不透明な霞。

 

 それは、『<魔神>になれなかった男』が、その振るう力が特殊過ぎるが故に、生命力から魔力に精製する過程で『特殊な力』に変換させることで辛うじて事なきを得たことで使えるようになった魔術と同じのようなもの。

 

 科学とは異なるものであるが、“絶対能力者(Level6)へ至ろうとするのを踏み止まる”ために、暴走するAIM拡散力場から現実に発現させるまでの過程に架空物質化した幻想に精製することで手綱を掌握している。

 孵らないよう現状を維持する卵の殻のようなものだが、それは『窓のないビル』に使われている装甲板――<演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)>と同じく、向かってくる衝撃波のパターンを同調し、衝撃そのものに同化して、威力を相殺するに最適な干渉をこなしている。

 そうやって攻撃を弾き、また防御を透過させて相手に拳打を通していた。

 だが、それはもはや。

 

「■■■■■■■■■■■■――■■■■■■■■■――■■■■■■■■■■――■■■■■■■■――■■■■■■■■■■――!!!!!!!!!!」

 

 雷撃の槍、ではない。

 無意識が現実を侵食する。

 物質化を始めたAIM拡散力場と電熱溶解した金属が混合し、板状に操作される『雷鳥(ガルダ)

 卵の殻など容易に突き破る。

 

 ゴォ!! と。

 無数の防御がまとめて破断する衝撃と、後から遅れて炸裂するほどの速度。

 

 “第一位”が、前に突き出していた片手を押さえた。

 ぼたりと、血がこぼれた。

 今の光は、霞を裂いて、腕を灼いていたのだ。

 片翼さえも焼け焦げ、ガラス状に融解した地面へ落ちた。

 同じ高みに登りつつあるはずなのに、完全には回避しえぬ刹那の出来事であり、あまりに暴力的な光。

 そして。

 

《――――――――――――――――――――――――――――――――、さん》

 

 声を聞いた。一心で。

 念を受けた。一身で。

 それほど乱雑な狂歌の渦に意識が呑まれようと、それをこの理性が飲み込む。

 どれほどの『色』にあっても、上条詩歌は己を見失わない。ましてや、幼馴染の真なる悲鳴を聞いたのならば。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 静かだ。

 下見もなしに初めて訪れる場所だが、この建物の防衛システムにハックした彼女からの通信案内(ナビ)で、その足取りは迷いなく、最短距離で階段を見つけた。

 階段を昇っていっても、人の気配が、ない。

 音もない。

 声は、聴こえる。

 メトロノームのように規則正しい足音が、かつん、かつんと建物内に響くばかりだ。そして、蒼い非常灯に浮かび上がる黒づくめの男の様相。息詰まる光景は古い銀幕の一場面のようでもあり、もうひとつの印象を見るものに悟らせる。

 おそらく。

 この建物は既にもぬけの殻に等しいだろう。

 だからか。この建物に染みついた声がよく聴こえる。ここで死んでいった者たちの嘆きが、誘う。まるで、死刑台に設けられた十三階段。ならば、その階段を昇った先には、何が……

 かつん、かつん。

 リノリウムの階段に響く、硬い足音。

 かつん、かつん。

 かつん、かつん。

 かつん、かつん。

 かつん、かつ―――

 

「………っ!」

 

 転瞬、男の足が床を蹴った。

 もしも、その決断がわずかでも遅れれば、その肢体は破壊されていたことだろう。

 最前まで男が昇っていた階段と手すりが―――その目標を失った手鞭がしなり叩きつけられ、弾けて荒れる。

 すんでで、踊り場へと跳ね上がった男へ、

 

『<猟犬部隊(ハウンドドック)>は自分達の痕跡だけけしてお家に帰ったんじゃないのかなっ?』

 

 と、実際の声がした。

 こちらの喉を、直接撫で上げるような声だった。どこから発せられた声かはまだ把握していないが、耳たぶに息を吹きかけられる錯覚を、男は覚えた。

 どこにいる?

 階段の上から、下か。

 遠いのか、近いのか。

 

『ヤッパリそー来たわねぇ。食蜂操祈の確保も失敗しちゃったし、御坂美琴の操作もしなきゃいけないのに、自分の身は自分で守らなきゃいけないじゃない』

 

 びゅう、と空気を裂いて、何かが迫る。

 通気口。

 その液体化の身体で、その人には通れぬ狭き通路を通ってきたのか。

 追って襲いかかる二度目の金属鞭の衝撃に耐えきれず崩壊する中で、ショチトルはもはや床ではなく、三角跳びに壁から壁へと跳ねた。

 

『―――ワォ!?』

 

 悪夢さえ軽々と飛び越える、その鮮やかな跳躍。

 追っての鞭に引っ掛かられ、装備に男の面相が剥がれて露わとなるのは、褐色の肌。引き締まったラインはジャージ越しにもわかる高校生ほどの女子の身体。肩まであるウェーブのかかった二つおさげの黒髪はたなびき、流星と化す。

 <猟犬部隊>の男――に変装したショチトルは忽然と重力が消え失せたかの如き、異次元じみた高速機動。如何なるサーカスよりも俊敏に、ジグザグに乱れ飛ぶ異国風の小麦肌の少女姿の黒い迅雷は、宙空の瓦礫で身を捻って加速し、一気に残留思念を聴きとった本体の下へ辿り着く。

 中空で、突き刺すように強い黒色の瞳が、獲物を射抜く。

 

「高みの見物はお終いだ」

 

 ざん、と右手が振るわれた。

 ショチトルの手にはいつの間にか石の剣が握られており、それは進路を妨害していた柱を勢いのままに砕き割り、ショチトルの身体を上階の廊下へと導いたのだ。

 直径1mにはなる鉄筋コンクリートが、発泡スチロールの張りぼてに思える破壊力だった。

 石刀を床に叩きつけて、変装を破いた元工作員の少女は目標のいる階層に着地する。

 

「フーン……すごい力。身体操作系の能力者かしら? ……喰らえば私も一撃でミンチになるかしら。……デモ、貴女にかかりきりになってる時間もないの」

 

「奇遇だな。私も同意見だ」

 

 赤十字ではなく、割れたハートのナースキャップ。黒いナース風コスチュームのツインテールの少女。教えられた<書庫>の情報と一致する。

 警策看取。

 彼女を止めれば、第三位の暴走も止まる。

 <書庫>の情報が正しければ、相手の人形に視覚はなく、状況察知は蝙蝠と同じ反響定位(エコロケーション)――音波の反響を受け止めて距離感等を測ること――で行われている。その感度は数十m以内なら心の鼓動さえ捉える。

 ならば、真っすぐ相手の下に接近しながらわざと足音を響かせれば、獲物は向こうから釣れる。

 

(建物内と言うこともあるが、今の天候では金星の位置が見えない。忠告された通り、『槍』を武器にするつもりはないが、人間相手ならこちらの方がいい。まだ、試運転の義体では本当にミンチにしてしまいかねない)

 

 右手を振ると石刀が消えて、代わりに黒曜石のナイフ。

 人形を巻かれた以上、相手も肩に斜めがけしたウィップホルダーから、馬鞭を引き抜いたが、それならば、それごと切り裂く。

 地面を蹴る。

 強化された脚力は、相手の反応速度を優に上回る速度で接近し、馬鞭を裂いて、胴体に削った黒曜石の鋭利な切っ先を刺し―――

 

 パキン、と。

 人肉の解体を目的として作成された黒曜石のナイフが、ガラスのように破片となって割れた。

 

 

「だから、まずはコソコソしてる小鼠の方を仕留めることにする」

 

 

 本体と思っていたはずの警策看取の身体が、液体となって溶けだした。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 終わっ、た……

 

 

 <大覇星祭>

 全員参加で競われる学園都市の念に一度の夢の祭典。

 だけど、論文発表やパネルディスカッション、模擬実験など研究開発分野での成果発表をする、同じく年に一度に開催される知の殿堂。

 <学究祭>。正式名称『学園都市研究発表会』。

 ……しかし、同じ外へのアピールにも使われるはずなのに、能力を前面に押し出したイベントに比べ、地味な印象は否めない。

 全員参加のイベントではないこともあってか、世界中のほとんどが知っているような<大覇星祭>とは違って、街中でさえも知る人ぞ知るマイナーな知名度。

 能力開発と最先端の科学技術に付随して、一部教育機関では外界よりも高度な教育が提供されている学園都市。

 だが、ソレで開花される才能は個人個人様々だろうけど、やはり学園都市の最大命題とされる『絶対能力者の創造』から外れた研究は軽視されてしまうものだ。

 そんな『能力至上主義』という環境を打破するために革命を起こそうと集ったのが、<ステディ>。

 遺伝子研究、クローン技術、AIM拡散力場、機械工学などの分野で優秀な成績を収めながら、これまで自分と同じ評価されない、真の知性をもった<スタディ>は、次世代技術、先端理論分野で大きな研究成果を上げ、あの常盤台中学の『派閥』と同じように、スタディコーポレーションを起業し、優れた製品を開発生産し、新興企業として各分野に進出。今では<警備員>の制式装備の参入も果たしており、教授とも呼べる研究者『博士』が率いる暗部組織と傘下ではなく、対等の協力者として同盟を結べるまでとなった。

 表も裏も、影響力を持てるまでに組織を大きくしていた自分達は、これまで温めてきた研究でついに革命を起こすことを決めた。

 

『学園都市の研究社会の最も優秀とされる科学者、木原幻生先生―――いいやあえて言おう、木原幻生という老害が提唱する量産型能力者計画(レディオノイズ)の売りとやらは、画期的な生体ネットワークだそうだ。

 ならば、僕たちの人造能力者計画(ケミカロイド)は、革命的な媒体コンピューターを目玉にしよう!』

 

 利用できるものなら何でもした。

 自分達の専門外であるが、液体力学の権威である松定博士の論文に目を付けて、『能力至上主義』が広まる原因となった老害の研究を上回るだけの目処が立った。

 <学習装置>の分野に秀でた学生研究者を同士にすることができれば問題なかったが、能力発動のためのコアとして機能する最低限の機能の入力のためにこの<大覇星祭>まで時間がかかってしまったが、<スタディ>はこの日に革命を起こす―――。

 

『……多数決を取ろう』

 

 とリーダーである有富春樹の前で、組織のセキュリティを担当する神経質に痩せ細った男子の小佐古俊一がそう言った。

 あの木原幻生と同じ血族の女性に<スタディ>の研究成果のすべてが“材料”とされた後だった。

 

『何を言ってる小佐古。超能力者さえあとちょっとのところで倒せるところまで来てたんだ! 今すぐあの女が送り込んだウィルスを除去すれば問題ない筈だろう! なあ、関根。お前は<木原>を見返す能力を生み出して見せるんだろ? だったら―――』

 

 人造能力者の能力開発の中心となっていた小太りの関村弘忠を見る。だが、こちらの剣幕に圧されながらも、彼は何度も横に首を振る。そして、パニックになったように喚き叫ぶ。

 

『で、できない……! あの研究者が打ち込んだデータのせいで、RSPK症候群を発症してる……これを治すなんて僕には不可能だ!』

 

『関根君っ!』

 

『できない! できないものはできないんだ! どこをどうやって手を付けていけばいいのかもわからない!』

 

 関村はわかったのだ。

 両者との、<木原>との技術知識の差を。

 受け入れるしかない……科学に愛される者たちへの敗北を。

 

『なあ、有富……』

 

 駆動鎧等の機械器具関連の調整役である、この中では体格のいい斑目健治が、復旧された監視カメラの映像を見せる。

 そこには、幻生の―――実験体である第三位、その映像越しにもわかる圧倒的な威圧。学園都市を破滅させかねない力を持った神の如き存在。

 

『お前は、今の第三位に勝てると思うのか?』

 

『……っ、っ…くっ、できる! ああ、できるね! 『(セプト)』は<スタディ>5人の叡智の結晶で、これまで積み重ねてきた集大成だ、たかが暴走能力者ごときに負けるはずがない! そう、僕たちはあの老害を見返す為に『(ジャーニー)』と『(フェブリ)』――人造能力者(ケミカロイド)を設計したんだろ!』

 

『そうか。……………俺は、そうは思えない』

 

『そんな斑目君まで!?』

 

 メンバーの紅一点の桜井純がヒステリックに叫ぶ。彼女はリーダーである自分の補佐として、暗部のプレゼンに同行し、偶然の木原幻生の暴言に立ち会っている。

 だが、これまで組織運営の決めごととしての多数決の前には、五人の中の二人では意見は通らない。

 

『では、多数決を取る。彼女に協力するか否か。賛成の者は挙手を―――『小佐古ぉぉおおおお!!!』』

 

 再度、呼びかける小佐古に掴みかかる。だが、有富に向けられる目は酷く冷めたもので、こちらが激昂するたびにその温度差は酷くなるばかりだった。

 

『……現状を認めろよ、有富』

 

 そうして。

 三人は、あの女の下へ行った。行っても、その理論を理解できないようでは、雑用か警備にしか回されないだろう。けして、研究には関われない。それでも、研究者の(さが)として、この神をも創造する実験におこぼれでも良いから栄誉を受けたいのだ。実験体になれない自分達がずっと求めてきた、望んできたものを少しでも良いから味わいたい。

 そして、内部分裂を起こし、取り残された二人。桜井は机に突っ伏して悔し涙の嗚咽を漏らし、有富春樹は並んだ双子の人口生命体の試験管を前に呆然と立ち尽くしたまま動かない。

 有富が計画立案した<革命未明(サイレントパーティ)>は、祖父と孫ふたりの狂科学者によって、終わってしまった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(チッ。<猟犬部隊>が監視カメラを潰していかないからっ)

 

 ここ一帯の稼働カメラの全てが潜伏先のビルに向けられて固定されており、

 これらを破壊して、死角を確保するには相当な手間と時間がかかる。

 だが、これでは他のビルに移ろうとすれば必ず監視カメラに姿を捉えられるだろう。

 第三位の誘導に専念したい以上、安全地の確保は重要だ。そこをうろつき回られては、コバエのようにうっとうしい。

 

(さっきの奴のスキルはたぶん学園都市のソレとは離れてる。何か思いもよらない現象を引き起こすかもしれない。

 デモデモ、別に無理して相手にする必要はない。監視網を敷いてるのはバックアップの子さえ潰せればいい)

 

 運はこちらに傾いている。

 何故ならば、向こうはこちらの戦況を見通せる眼に気づいていなかった。

 避難誘導中の大会中継用カメラを鹵獲してハッキング。それに<液化人影>に組み込めばその視野は格段に広がる。

 

(ランドセルを背負ってるなんて……見た目が、小学生くらいなのが可哀想だけど、デモ、もうすぐ学園都市は消滅するんだから先に逝かせてあげるのも慈悲ってやつよね)

 

 前日、『運び屋』が探査役を撃破しようとしたように、行動の自由度を得るために、監視役を狙う。

 下水管を通り、感付かれることなくその背後から―――

 

 ヴヴヴヴヴヴヴっヴヴヴヴヴっヴヴヴヴヴヴヴっヴヴヴっヴヴ―――――――!!!!!

 

「……!」

 

 人形が下水管から外へ飛び出したのとほぼ同時となるタイミングで、標的の女児が、小さなスーパーボールほどの球を起動させて落とす。

 <風紀委員>に支給される機密保護用の携帯型盗聴防止装置。

 

(反響定位を封じる小道具を用意してたなんて……私の素性はもう既に調べ挙げられたものとみてもいいわねっ)

 

 中継カメラの眼があるものの、人形の主観感覚は、聴覚。人形は思わず、感覚から取りこぼしてしまう。

 次の瞬間―――女児の姿は、その場から跡形もなく消えていた。

 

(……え?)

 

 警策が呆けた声をあげる。

 切断したのは、ランドセルだけ。中身を木端にして、その粉塵が晴れた先。

 一瞬前まで前方にいたはずの女児が、いつの間にか数m先にあるカメラの死角に回っていることに気付いたからだ。

 

「あなたが、幻生お爺さんの協力者、警策お姉ちゃんだね」

 

 速い。

 単純に評してしまえば、それまで。

 女児は小学生はおろか、人間の常識をはるかに凌駕する速度を―――まるで発条(バネ)仕掛けのような加速を見せるのである。

 だが、それまでだ。

 やや面食らったが、暗部を生き抜いてきた彼女の経験が、すぐに意思を立て直す。

 

「義体の扱いなら、私の方が先輩なんだよ」

 

 人形が爆ぜたかのように一気にその身を剣山と化す。

 逃げ場に隠れようが関係なく、360度を埋め尽くす。上空へ振り伸び、左右真横へ流れ、正面背後に突き通す怒涛の斬撃と化した。その凄まじさを例えるならば、何十人もの剣士に、一斉に襲い掛かられるにも等しい。しかも剣の一振りずつが世にも稀なる名刀の切れ味を讃えて。

 しかし、女児がニタァ、と可愛い顔に見合わぬ笑いを顔に浮かべると、剣筋が震った。

 居合刀の直前に、人の耳元にふっと息を吹きかけられて集中を乱されたように。

 縫い進む隙間のない斬線が緩んだ隙が閉じる前に、加速装置を作動させた。

 身体の七割を人工物である女児の身体は、関節のひとつひとつに火薬が詰まっているのかと錯覚させる瞬発力と力強さで、獣を軽く超える速さの世界の住人となり、火の輪くぐりのようにこの危機を回避した。

 それで警策は相手の力を判断し、同時に驚異を覚える。

 そして、最も警戒するべきは、人間離れした機動でも、今一瞬に発生された『意図的な暴走』でもない。

 こちらの闇撃ちを感知してのけた、本来精密機器でなければ観測不可能な、AIM拡散力場の流れを『視認』できる点だ。

 襲撃は完璧だった。アレを見て躱す事はまず不可能だろう。

 しかし、人形を動かす為の根本的な『力』の流れを見て、位置と行動を予測したとなれば、ほんの一瞬だけだが時間的なアトバンテージが生まれる。

 もっとも、所詮一瞬は一瞬。予測ができたところで、それに合わせて回避するなど銃弾を避けるよりも難しい筈だ。

 だから、この女児は『速さ』と『視認』に加えて、『技術』がある。

 

(その動きはまさか―――!)

 

 聴覚は封じられても、中継カメラを動かして休まず追撃を繰り返す。女児はその行動を先読みして、流れに乗る形で地を蹴り、高々と宙を舞って回避した。

 女子小学生のアクション映画さながらの光景を見て、警策は賞賛するように一時だけ行動を止めて、手を叩く動作を見せる。

 

『ナルホドナルホド、小学生と思って油断しちゃったよ。お嬢ちゃんがこっちの実験に横やりを入れてきた<木原>ってワケ』

 

「勘違いしてるけど、うん、私も幻生お爺ちゃんと同じ<木原>だよ」

 

『それでそれが、能力者の力の流れを読んでその隙を突くっていう天才的な戦闘方法なのカナ』

 

 <木原>と呼ばれる、研究者の間でも突き抜けた一族が学園都市の奥にいる。

 老人から幼児まで、はたまた鬼や犬もいる血よりも知で結ばれた面子は、その科学に愛されている特性を持つ、純粋な科学の一分野を悪用しようと思う時に、その一分野に必ず現れる実行者。最先端科学が一極集中した学園都市に閉じ込めておかなければ世界を破滅させてしまいかねない天才集団と知る者は口を揃えてそう称すだろう。

 警策看取も、木原幻生ともうひとりと顔を合わせたことがあるが、彼らの思想はどれも破綻している。そして、どちらも観察眼は常人には計り知れない。

 相手の技術に対して警戒する警策だったが―――那由他は顔から作った笑みを消して、僅かに顔を顰めながら口を開いた。

 

「天才……? 私が?」

 

 そして那由他は、『<木原>を侮っている』とばかりに、呆れた調子で首を振る。

 

「残念だけど、私は、この機械の身体と自分の能力で補ってようやくだよ。勘と経験で出来ちゃう数多おじさんと比べれば入門もいいとこ。極めれば、学園都市の第一位にも勝てるそうだけど、私は第三位に負けちゃったし。家族の中ではカーストグループに入るんじゃない」

 

『ヘェ……』

 

 言われてみれば。この女児はあの老人と比べれば、その目は純粋に見える。光とすら感じ取れる。

 

「それに誰かと組んで行動するなんて“<木原>にあるまじき行為”ができてしまう時点で、血は繋がっていても、一族失格かもね。幻生お爺さんなら、裏切るつもりなんて皆無でも協力者(アナタ)を捨て駒にするだろうし。私はそこまで徹底した作業はできない。―――でも、人形遊びなら私にもできる」

 

 その右目がキュルル、と奇妙な音が聞こえて、その光彩が天然にはない、幾何学的な光が網膜の中に走りだし、それに対し、左目は深みが増す。

 生まれて初めて、ああなりたい、と木原那由他が思えた彼女に倣うように。

 皮膚の、下。

 皮膚の下の、肉の内。

 皮膚の下の、肉の内の、骨の芯。

 いいや、もっとずっと奥の奥を、底の底まで。

 そう。魂までも見定めるように覗き込む。

 見られた瞬間、ゾワリ、と、遠くに離れた警策も全身の細胞が震えるのを実感した。

 それは単に視られるというだけではなく、未知の放射線か何かに身体の奥深くまで貫かれた気分であった。

 

(そう、これから本気ってコト)

 

 確実に負けるとは思わない。

 だが、少しの油断をみせれば、その不意を突かれるだろう。女児と侮ってはならぬ。彼女自身カーストと評価していたが、あの一族は相手の予測を超えようとする性質がある。

 

(でも、<液化人影>に物理的な攻撃は通用しない。これまで回避に徹していたのは、反撃の手段は持っていないから)

 

 攻める。

 相手のAIM拡散力場に干渉する能力で妨害されようとそれ以上の制御で振り切る。

 一気呵成に攻め続ければ、いつかその身を切り刻めるだろう。

 綱渡りを百回やって百成功させるだけの消耗に、女児の身体に耐えられるものか。

 

『……じゃあ、その人形に遊ばれて果てなさい!』

 

 人形を襲撃させる。

 疲れを知らぬその液体金属の身体は変形し、しなる鞭刃を女児の脳天に伸長する。

 だが―――

 

「もう、時間だね」

 

 直前で、動きが鈍くなった。

 警策看取は、<液化人形>の制御の糸が人形から切れ始めているイメージを幻視した。

 先まで達人の剣客並の鋭さであったが、今は赤子に棒を持たせたような性能にまで格落ちし、それを見定めて、木原の異端児は人形に集中する相手のAIM拡散力場を掴み押さえながらも、周るように移動。そして、真っ二つにされた彼女のランドセルを拾う。その持ち上げた拍子に零れる金属片に粉末――明らかに小学児童の持ち歩くものではないそれに、警策看取は予感した。

 

「<書庫>で<液化人影>の予習はできたし、その身体に使われてる液体金属の情報も、拠点にしていた『篠原リキッドマテリアルファクトリー』から探れて、それに必要な材料もそこで全部調達できた。

 警策お姉ちゃんの人形をアマルガムにする実験の準備は万全だった」

 

 アマルガム。

 液体金属の水銀には、他の金属との合金を作りやすい性質を持ち、よく歯科修復材料に用いられる。金、銀、銅、鉛、亜鉛が特に形成しやすく、液体金属中に、金属片・粉末を混入するだけでもできる。

 

「アマルガムはその語源の意味通りにやわらかな物質だけど、液体ではなく、“固体”。そして、<液化人影>は“液体に働きかける”能力。固形化が始めれば、干渉が薄れていくのは当然。おそらく、通常時と比較して強能力(Level3)から異能力(Level2)程度。大能力(Level4)を完封するのは難しいけど、これなら液体固体物体状態関係なくAIM拡散力場に直接干渉する私の方が人形の支配は上」

 

 そう、かつてレベルの低かったときは、余計な混入を防ぐために瓶詰に封入して金属の液化状態に保存しなければならなかった。

 あの無駄な会話に興じたのも、時間が経過すればするほど有利になると見込んでの、時間稼ぎか。

 完全硬化にはまる一日ほど時間が必要だが、5分で硬化を始め、10分も経てばほぼ固まっている。

 

(だからって、アマルガム状にするためには20kg以上はある人形と同量が必要。まさか私に襲撃されるのを警戒して、背負ったランドセルに自分の体重の半分以上はある金属粉末を入れていたなんて……)

 

 義体の人工筋肉が大の大人以上の力を持っていたとしても、楽ではなかったはず。

 いや、その“まさか”がこの女児は<木原>である何よりの証だろう。

 

「じゃあ、私が人形を抑えたから、本体は任せたよ、お姉さん」

 

 

 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・

 

 

 >大丈夫。問題ない。

 >こうしている間にも第三位は順調に成長してる。ううん進化してる。

 >二万体の<妹達(クローン)>を殺す経験値で、“第一位”は絶対能力者(Level6)になると予測された。

 >だったら、あの“第一位”を殺した時、アナタの怒りはきっと天上の意思に辿り着けるハズ!

 

 すでに、第三位は、狂科学者の言う統括理事長の懐刀の防御を破るだけの性能を得ている。

 そして、この戦闘で得た経験値は第三位をさらに天上の意思へと至らせるだろう。

 そのはず―――

 

 

 ≫ならば、私を殺せない限り、美琴さんは犠牲になることはないということですね。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 声を、聞いた。

 届くはずのない声が、警策看取の耳朶を、脳を打った。

 この場では、声が空気に響いているのではない。もっと別の仕組みで、伝導しているのだ。そう、<心理掌握>でなければ届かない精神世界であるはず。

 

 ≫また、『実験』の時のように負けるわけにはいかない。

 ≫妹を抑えられるだけの力を持った存在になれるなら、『上条詩歌』は化物でいい。

 ≫今ここで私は私に――――――――――――幻想を投影する。

 

 すっ、と一瞬、意識を取り戻した賢妹が、その指先を眉間に刺す。

 

 芒、とその瞳に薄らと朧げだったはずの色が濃くなる。完全に理性が狂化を上回る。顔つきが変わる。無意識に力を振るっていた夢遊病だったそれから、意識的に指揮する正常域に。

 

 ≫特定の脳内分泌を促進させる<能力体結晶>。

 ≫ならば、<心理掌握(メンタルアウト)>で、制御下に置いて―――さらに、洗練(リファイン)する。

 

 学園都市最上の支配力を持つ精神系能力者は、体内及び脳内環境の操作、ホルモン分泌液を変性・調節することで人間を統べる。その応用として、『先天性の病により、身体に機器を埋め込まなければ生存できない少女』を想定した、治療を先輩との模索の末に体内環境調整法を編み出した。

 

 次いで、刺した指先から紫電が走る。

 

 ≫演算脳力を暴走したAIM拡散力場を掌握するレベルまで、撹知の範囲拡充、及び、制限の拡大解釈。

 ≫及び、<超電磁砲(レールガン)>の電気的刺激による能力開発で、全ての制御領域の拡大(クリアランス)を取得する。

 

 学園都市最高の技術力を誇る発電系能力者は、現代医学で根本的な治療法のない、やがては心筋さえ低下させる筋ジストロフィーの克服のため、脳が半壊状態また脳の電気信号が不良している人間にも、脳の代わりに生体電気の操縦できる能力を貸し出すために、幼馴染と共に代理演算の理論を組み上げていた。

 

 >なに、これ……!? アイツ何なの!?

 

 空気が変わる。変動し、変遷し、変生する。

 まずい、と。

 眠れるナニカが起きようとしている。

 

 戦慄いた大地の底より、実体無き何かが湧いた。

 ひどく朧で、赤色い影だった。

 まるでに逓伝(リレー)で燈し絶やさず継がれる、聖火のごとき薄影であった。

 人影というにも輪郭が曖昧すぎる、何とも知れない影の集合。

 

 不可思議な光景だった。

 ほんの数秒であったにもかかわらず、時が止まったかのように感じられる中、それらの薄影は足元に馳せ参じると―――

 “第一位”の陰に飲み込まれた。

 それを認識した時、その陰は影を取り込む度に、別の形をもっていた。瞬きの度に変化する。

 ひとつの形に留まらない。

 瞬間瞬間の速さで影は別の形に変化していく。

 あまりの異様に、あまりの速度に、あまりの密度に思わず見送ってしまったが。

 

 視界に入れているだけでそれは、まるで、体中がめくれあがるような―――内臓が皮膚となり、皮膚が内臓と置き換わるような感覚。裏は表、肉も骨も細胞のひとつずつまで余さず捲れかえり、嗅覚や聴覚や味覚や触覚まで異次元の何かとすり変わるような―――

 

 >何をしてるの美琴ちゃん!

 >相手の調整が終わるまでに、壊せば問題ない!

 >早く、あの“第一位”を―――

 

 Level5.2がその『雷鳥』の羽翼を振るう。

 その速度は、まさに迅雷。

 超人であろうと視認できる速度ではない。

 刹那で決する。

 

 

 ―――そのはずなのに。

 

 

 Level5.2は、留まっていた。

 Level5.2は、戸惑っていた。

 今の一撃で、『雷鳥』の羽翼は“第一位”を貫いたはずだった。

 しかし、想定した手応えがない。

 “第一位”を穿とうとした『雷鳥』に、純白の帯が巻きついているのだ。子供の手にも容易く千切れそうな薄い布は、しかし、天上の高みに至ろうとするLevel5.2が全力で意を込めてもびくともせず、流した凶暴な電流が拒絶された。

 

 ≫『  』に記録された情報の残滓から抽出。

 ≫相手の攻撃手段を完全に封じる絶縁布を作製する。

 

 AIM拡散力場を物質化させて金属と融合させた『雷鳥』。―――それを薄布一枚で包括するなどと、理を無視するほどに強度を持った同じAIM拡散力場から創造された物質。

 去年の夏休みに出会った超能力者の序列第二位<未元物質(ダークマター)>。

 それをLevel5.2とLevel5の領域から離れつつある力にまで強化した。―――不安定なれど波も粒子も使わずに制御できるほど、第三位以上に長けた電子操作による絶縁性の付加。

 今年の夏休みに衝突した超能力者の序列第四位<原子崩し(メルトダウナー)>。

 

 超能力という“炎”をそのまま振りかざさすような“原人の松明”にするのではなく、“炎”を使って鉄を打つ。

 

 <未元物質>も<原子崩し>も最早ありふれた物理法則を凌駕する効果を生み出す。

 ならば、その力によって製造された新物質は?

 超新星爆発(ビックバン)から連なる素粒子・原子・分子の派生を一切合財無視した、全く新しい構造の物質が作成されるはずだ。

 カーボンナノチューブが単なる炭の塊とは違うように、

 高速演算を行う半導体が単なるガラスの塊とは違うように、

 高度な熱処理を施した鋼が、単なる柔らかい鉄とは違うように。

 この世の理から外れたエネルギーを活用した加工された新物質には、この世の法則に縛られない性質が宿る。

 その“多を重ねる”応用性がすなわち―――

 と、恐るべき意味を悟って、警策は戦慄した。

 

 超能力(Level5)、序列第二位と序列第四位の多重同時発動。

 

 『最終防衛』ですら成し得ぬ絶技。理論上、多重系能力(デュアルスキル)は不可能だとされており、よもやその超常を頂点に立つ超能力で成し得るとは、やはりコイツは統括理事長の秘蔵娘なのか?

 

 >だとしても。

 >Level6になれば、Level5が束になろうと関係ない!

 

「■■■――■■■■■■!!!!」

 

 轟、と音が鳴った。電光石火の勢いの、Level5.2の蹂躙。絶縁布に逆らわず、“第一位”を蹴散らすことを選択する。

 精製した8つの『雷鳥』が、同時に“第一位”へと襲いかかる。

 そのひとつずつが、全力の超電磁砲の数倍する速度と威力を秘めていた。そのすべてがLevel5.2の意思の下“第一位”の撃滅に結集し、三面六臂の阿修羅の如く荒れ狂う。

 いかな防御も意味を持たぬ。一瞬後の“第一位”は、嵐の前に濡れた紙切れと同じく、無残に八つ裂きになるだろう。

 しかし。

 

 ≫『  』に記録された情報の残滓から抽出。

 ≫AIM拡散力場の暴走ベクトルを縫い止める『錨』を成形する。

 

 “第一位”は左手で絶縁布を打ち振るった。

 すると、絶縁布はさらに三つの『雷鳥』を縛り、靄を纏った右手で薙いで、怒涛そのものの攻撃をいなす。

 それでも、Level5.2の動きは止まらない。

 残る三つの『雷鳥』、そして雷神の羽衣の如き触手。“第一位”には回避する術も、受け止める術も残されていない。

 もとより、“第一位”には躱すつもりなどなかったのだ。

 

「―――■っ!」

 

 寸前、Level5.2が振り仰いだのは、研ぎ澄まされた感知網の賜物だろう。

 天空に、半透明な槍の如き“錨”があったのだ。

 Level5.2を絶縁布で捕えるのと同時に、“第一位”はその槍錨の『噴出点』を頭上に発現させていたのである。空に発射台に装填された槍錨は、彼女の意志に従って、この瞬間Level5.2へと落下するだろう。

 既に驚愕は警策の精神から絶え、ただ事実のみを厳然と理解した。

 

 目覚めた化物。

 眠れるときとは、まるで違う。

 レベルの違い―――だけでなく、戦い方から異なっていた。

 こちらの行動を見極め、あらかじめ設置した罠に嵌めるかのように動いている。その精度たるや、他の介入を必要としない、完璧な布陣であった。

 

 ≫ここで、終わり。

 

 第三位は暴走し、天上の意思に通じると思われる別の世界の扉を開こうとしている。

 しかしこの世界の『位相』は、薄皮一枚で遮っているようなもの。容易に捲られる、風で飛ばされてしまうような布―――ならば、どうする。

 この自分達がいる世界の織物(テクスチャー)を、破壊されないよう固定する『錨』を打ち込めばいい。

 

 ≫ロンギヌスの槍が救世主の死を確定させ、

 ≫ロンゴミニアドが騎士王の反逆者を降し、

 ≫戦乙女に死を望まれた竜殺しの英雄は背中を刺される。

 ≫剣が物語の始まりを選定するものなら。

 ≫槍は逃れられぬ物語の終わりを刺すもの。

 

 正体不明の生まれながらにしてこの世の理から逸脱した最大原石の超能力、本人でさえ制御不能なそれを――ある窒素に特化した大気系能力者と同じく――唯一『絶対』に至ると予測されたあらゆるベクトルを操作する最強の超能力で指揮下に置いて一点に集中し―――“終わり(とどめ)”の意味を込める。

 

 超能力、序列第一位と序列第七位の多重同時発動、その異法。

 

 ありえない―――などという陳腐な言葉は、もはや意味を成さなかった。

 木原那由他の一例を知らずとも、『科学とはまったく異なる力を取り込んだ者が体内から爆発する』危険性は直感的に分かってしまうのに。

 しかし、この“科学の法則とは離れた”方法ならば、“科学に愛された”<木原>の予想を超えるだろう。

 槍錨が、解き放たれる。

 エネルギーの奔流ではない。ただ一点に狙いを定めた、必中。世界を縫い止めるため一点に収斂させた『力』は―――天上の意思さえ突き破り、紛う事無く、脇腹を刺し貫いた。

 

 >なっ!?

 >美琴ちゃんのフォルムが元に―――

 

 その刺した足元の地点。

 そこが不自然極まりなく小規模に限定して盛り上がり、葉脈の如き線を生んで周囲に伸ばした。ばかりか、その脈は瞬時に更なる地価の深奥へと潜り込み、その凄まじいベクトル力を減衰させることもなく、地殻のプレート断層にまで干渉する。

 しかし。

 雷を避雷針から大地へ逃がすように、それだけの力を『外』へ還元させた第三位は、『雷鳥』が雲散霧消し、黒眼球は閉じて絡み合った双角は縮小していく。

 Level5.2から、前段階のLevel5.1に戻り、そして―――

 

 

 >それで、いいの……っ?

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 学園都市で上手くやっていくには、研究者(センセイ)に取り入るのが一番だ。

 努力が実るなんてウソ!!

 進学先が就職を左右するように所属する研究機関の質が学生(わたしたち)の将来を決める。

 だから、研究者にエコ贔屓して(かわいがって)もらえるよう、愛想笑いもすっかり板に付いたし、子供のようにオーバーに感情表現するよう常に心掛けた。

 ただ、そのように気に入られるということは、研究者からお子様として見られるものであり、そして、お子様はお子様の相手を頼まれる。

 そう、実験の時以外はいつも一緒にいさせられた。

 

 その子は、施設育ちの子で、治療のため研究機関から外へは一歩も出たことがないという。

 病院などの医療機関ではなく、能力開発施設にいたのかは疑問であったが、彼女は彼女で『一度も会ったこのない妹のために』と進んで研究者らに身体を差し出していた。

 だから、そんな世間知らずであったせいもあり、私の能力を、少し……見せてあげたら、彼女はいたく感激していた。

 本でしか知らないけれど、まるで本物の海みたいだって……別に面白いもんでも何でもないのに。

 施設の外には私よりもずっと上のレベルの能力者なんて数え切れないほどにいるに違いないし、通っていた霧ヶ丘で目標としていた、超能力者候補にも挙げられるほど高位で、希少な空間移動系能力者の先輩がいたけど、能力系統が違くても彼女の記録には圧倒されるものがあった。それにこの研究機関には、超能力者のひとりを招いており、彼女を中心とした計画を進めているのだと研究者たちが話していた。

 だから、こんな井の中の蛙の相手をするのはこちらの頭まで軽くなってしまいそうだと……けれど、王様の耳はロバの耳といえない理髪師は井戸の中でこそ本音を打ち明けられた。

 

 いつのまにか。

 知らず知らずのうちに、彼女といるときだけ、作りモノの笑みじゃない、本当に笑うことができた。

 能力開発のために研究施設に通うのではなくて、彼女に会うためにと優先順位が変わり始めていたと思う。

 

 

 

 でも、私は彼女の“ソレ”を見てしまい、

 

 そして、彼女の“治療”と言う研究者の真意に気づいてしまった。

 

 

 

『彼女の投薬実験を中止してください、センセイ』

 

『ああ、情報室に不法侵入した輩が出たと報告にあったが、君か』

 

 学園都市で上手くやっていくには研究者に取り入るのが一番だ。邪魔立てして援助を打ち切られるようなお払い箱となってしまっては、もう二度と上にはいけない。

 だけど、その真意に対する憤りが、この感情任せの直談判に駆り出させた。

 

『このまま無茶な投薬を続ければ、ただでさえ短い彼女の寿命を……っ! さらに縮めるしまうことになります!!』

 

『それに、何の問題があるのかね?

 あのデータを見たのなら、君も彼女が何者で、“何のために作られたのか”わかっているだろう?』

 

『……ッ、彼女が、ク、クローンで、製造予定の量産型能力者を長持ちさせる研究のし……試験体(プロトタイプ)だということはわかり、ました。

 けどっ! 彼女の健康を顧みずに、明らかに限度を超えた投薬試験のデータの収集はいくらなんでも行き過ぎてますっ!

 クローンだって生きてます。私たちと同じで命があります! これ以上の実験はやめて本当の治療を受けさせてやるべきです!!

 も、もしできないのなら、その時はデータを統括理事会に公表して―――』

 

『はっはっはっ! 子供の戯言を誰が信じる? そもそも、この実験を主導しているのは統括理事会なんだよ』

 

 だけど、その時まで気付けなかった。

 これまで築き上げた関係は、大人と子供のものではなく、

 

『で、クローンと私たちと同じ? うんそのとおりだ。クローンも君たち能力者も』

 

 研究者と実験動物と言うものに。

 信じていた足場が崩れる。無限に深い井戸の底へ落下する、そんな錯覚が全身を包み込んだ。

 

『学園都市では等しく実験材料に過ぎない。使い潰されるのは当たり前じゃないか』

 

 能力を展開しようとして―――それより速くに真後ろから水平に振られた棒が腹部を直撃した。銃身だとわかる。いつの間に警備兵がいた。激痛と共に嘔吐の衝動が襲った。胃の中のモノが口内に逆流してくる。酸味を噛み締めながら、私はその場に両膝をついた。息ができずに必死で喘ぐうち、涙が滲んでくる。目を潤ませたくなかった。この研究者(センセイ)らに弱みを見せたくなかった。

 だが苦痛はおさまらなかった。その場にうずくまっていると、銃身がふたたびうなった。二の腕を殴打され、私は横倒しになった。呼吸困難に陥り焦燥が募る。痛覚が限界を超え飽和状態となり、鈍重な痺れをもたらした。床に転がったまま、もがくことしかできない。

 近くに立って見下ろす影――研究者。柔和でおとなしそうな顔つきをしている。両脇に侍らしている荒事専門の兵隊とは体臭が異なる。育ちの良さと教養を感じさせた。だが、その品位がかえって無機的な不気味さを際立たせる。

 

『飼い犬に手を噛まれそうになったが、さてどうしようか?』

 

 値踏みするような目で、ボロボロに打ちのめされた私を見下ろす研究者。思わず竦み上がる衝動に襲われる。だが、私はすぐさま感情の一切を閉めだした。無に徹し切ると心に決めた。恐怖を示せば、研究者、コイツらの好奇に応えるだけしかない。愛想笑いの逆と思えば、感情を殺すことなんて簡単―――

 ああ、でも。

 思ってしまう。

 これで、彼女は、ひとりきりになっちゃうだな、て。

 最後に見たのは、彼女の涙で。

 私が彼女を泣かせたまま、仲直り、できなかった。

 言いたいこと、言わなくちゃいけないことがあったのに……

 そんな未練に、私は遠ざけようとしていた感情が、胸の奥に疼きだすのを覚えた。気付いた時には目に涙があふれ出していた。

 研究者はそれに勘違いしたのか、口元を歪めて、

 

『うん、処分するのはもったいないな。このモルモットは潜在能力が高いんだ。<外装代脳>が完成したら役に立つ。

 “反省”するまで檻の中に閉じ込めておきなさい』

 

 

 

 そうして。

 いつの間にか蛻の殻となった研究所を出て、あの子は死んだことを知った。

 

 その事実を知ったのは数ヶ月後、いやもっと後で情報をどのように得たのか、どうやって調べたのか、私はよく覚えていない。記憶は混沌とし、至る所で曖昧だった。想起するには絶えず苦痛が伴い、心の傷を緩和するためか、幻影に等しい妄想が回想にとってかわる。いないはずのあの子と、つい昨日会話を交わしたように錯覚することも、しばしばあった。

 多様な情報を取得した順序も不明瞭だった。霧の中を眺めるように漠然としていた。

 ただ、唯一救いだったのはぼんやりとだが、確かに覚えてる。

 それは、顔のみだけど、目を閉じたその表情は、どこか笑っていたようで。ひたすら穏やかに、安息の中にゆだねているよう。研究者が気にしたとは思わないが、情報に残っていた写真には、個人の尊厳に最大限の配慮がされていたようだった。

 さよなら、私は心の中でそうつぶやいた。

 私は、きっとその時に決めたのだ。

 深くいとおしむ感情が、胸の中で尾を引いた。窒息した魂の呻きを感じる。絶えず吹き返す木枯らしのような寂しさを、どう忘れろというのだろう。

 ただ涙が流れ落ちるにまかせた。立ち止まったが最後、泣き崩れてしまいそうだ。振り向かず、前だけ見つめ歩くしかない。そうでなければ、高みから見下ろす奴らを見つけることは出来ないのだから。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 >周到に準備した暗殺計画は失敗。

 >わかった事は、私がたとえ1万人いたとしても統括理事長には手が届かないという現実。

 >『上』に価値があると認められたお気に入りのカードで挑まないと勝てないゲームなのだと知った。

 >そう、アナタ。

 >アナタには私と違って、奴らの計画を壊せる力がある。

 

 >だったら、このままで終わりなんてよくないよね?

 

 『実験』で“第一位”に落とされた絶望に重なる絶望が脳裏に流れ込む。

 

 

 “あ……ああ……ああああああああ……っ!”

 

 思念の中で『御坂美琴』が、顔を押さえる。

 雑音(ノイズ)。雑音。雑音。雑音。雑音。雑音―――!

 少女の全てが、夥しい雑音に占められていく。

 細胞のひとつずつが反転するかのような衝動に体中が震えだす。肩を起点とした震えはたちまち全身に広がって、少女を他の何かに変えてしまう。

 そして――――

 

 

 >そうだよ、ドリー。

 >高みから見下ろしてる奴らを地獄に突き落とそう。

 

 

 縫い止めた槍錨が裡から圧す力に抜き飛んで、破裂する。

 揺り戻しの反動もあまってか、天上の意思を一段跳びで進化する。

 

 

 >実験体にだって、お前たちに突き立てる牙があることを教えてやるんだ。

 >その復讐を果たす為なら、自分の命だって一顧だにしない。そうでしょう?

 

 

 四肢は『雷鳥』が幾重にも合わさった羽刃で形成される。

 顔に大銀河団の様相を思わせる影のようなナニカが張り付き、徐々にであるが、影は首から下へ、そして身体全体へと侵食するだろう。ただ、刺された脇腹は未だに、薄い電膜が復元しきっていないようであるが……

 そして頭頂部にあった角は、天上の意志とのチャンネルが繋がったと思わせる『暗黒色の避雷針』となり、『環』が頭上で緩やかに回転する。

 『針』は垂直な身中線に対して、少し前方斜めにズレており。それは、現在の地球の北極点と南極点を結ぶ、公転面の法線に対して23.5度に傾いた地軸と合わせたよう。

 ―――彼女の意思が、“この惑星の環境さえ変えかねない”と予感させるフォルム。

 

 

 “RAIL-GUN”Level[Phase]5.3。

 

 

 ≫そんなに、も……

 

 “第一位”は変わり果てた姿を見て、“ゆるんだ”。

 その瞬間を狙ったかのように、迸るは黒き迅雷。

 ほんのかすかな集中のほつれを貫く、漆黒の『雷鳥』。

 

 ≫―――っ!

 

 咄嗟に身をよじり、中空へと跳躍しながら、“第一位”の左手は大きく打ち振られた。

 

 ≫『  』に記録された情報の残滓から抽出。

 

 Level5.2を動けぬよう縛り付けた絶縁布。

 しかも、槍錨の『噴出点』を右の手元に成形する同時発動。

 一瞬でも動きが鈍れば、再び、暴走を刺し貫く―――!

 

 >崇高な理想も。

 >強欲な野心も。

 

 Level5.3が吼えた。

 刃と化した四肢奮迅の嵐。

 まとわりつく絶縁布を断ち切り、切り裂き、憎き“第一位”へと肉薄する姿は、裁きを降す雷神と言うより、復讐に取り憑かれた悪鬼。一度はその決着を付けた槍錨さえも―――

 

 ―――その左腕をわざと砕かせた。

 

 >私たちの憎悪のドグマには絶対に敵わない!!!

 

 ちぎれた『雷鳥』の破片に振り向きもせず、その暗黒宇宙の顔面の奥で、嗤った少女の姿が映る。

 むしろ、対する“第一位”の方が“攻撃してしまった”ことに固まってしまったようで。

 その絶好の隙を逃さずに、全てのベクトルを持って、右手の槍と化した『雷鳥』を突き出した。

 

 

 

 頭が、熱に浮かされている。血流が溶岩に置換され、神経が稲妻に置き換わった気分。1秒ごとに死と生が明滅して、彼女の前を通り過ぎていく。

 万人の能力を十全に投影すれば、それは万能であり、全ての映し身となれば、全能の神である。

 1%でも可能性があるのなら、どんな状況にも対応しよう。

 相手がどれほどの力があろうと、それを幾重に重ねた罠で絡め取れる。

 世界が色を失い制止する。

 想定で未来を先読みする。

 Level5.3を撃破する術が構築される。

 

 以前の二の舞は―――

 

 ≫―――いや、違う。

 

 妹の暴走を力ずくで止めようとした、『実験』。

 だが、それではダメだった。

 そう、妹を止めるのに、武器も暴力はいらない。

 姉妹で殺し合うのは、最悪の不幸なのだから。その幻想(オモイ)―――受け止めてこそ。

 

 元より、避けることのできない攻撃だが、喰らう覚悟を決めればその攻撃をもらう場所は選択できる。

 

 

 

 今こそ形勢は逆転する。

 超能力者という枠組みから逸脱しつつある両者の戦いは、隔絶したものと映る。

 激突の全てを認識しきれずとも、だけど、警策看取には判断できる。

 今の彼女は、このLevel5.3に及ばない。とりわけ大きいのは、双方同じように暴走状態でありながら、Level5.3が指示された通り力のままに振るっているのに対して、彼女は暴走を抑えることに意識を割いているということ。自我を保つのは、暴走を仕組んだ研究者からすれば望んだものだが、純粋なぶつかり合いにおいてはこちらの方が圧倒的に有利。

 加えて、<妹達>以外の代理演算の支援を受けた今、戦術の多様性において上回っていようが、単純な出力で追い付けない。

 

 >勝てる!

 

 凄まじい光芒が切り結び、わずか数瞬の拮抗。それは、永久の戦いのようにも思われて。

 だが、“第一位”の手からは既に絶縁布はなく、空槍錨を設置する余裕もない専守防衛、事実として悪足掻きの防戦一方に追い込まれていると言ってもいい。

 

 >いけ!

 

 槍剣と化した『雷鳥』の右手は振るう度に瓦礫金属を溶かして取り込んで、電刃となって相手に襲いかかる。また流星群の如き雷光も止まらず襲撃し、攻防の合間に既に千、いや万あったのかと見紛うほどの超連撃となって圧倒する。

 一つ一つが天空から落とされる雷槌を優に凌駕する怒涛万雷。

 “第一位”はその両手に集中させて纏う紫電の走る靄で弾き逸らす

 

「―――」

 

 その手腕は、まさにひとつ極致に達したとも言える迷いのなさ、そして柔らかさでいなしていく。

 十、百、千、万と加速し加速していく雷光電刃の複合攻撃はひとたび走れば、万象の全てが灰燼に帰すことは必定だ。このLevel5.3の一撃は原子すら残さず敵を打ち滅ぼすだろう。

 それに同じ電気、相殺していく手合わせる―――そう、いつからか、“同じLevel5.3の力が投影されてる”。

 

 “本当に、“第一位(アイツ)、なの……?

 

 『反射』ではない。

 およそ80%の反射率が一般に市販される鏡であるが、学園都市で開発される―――

 量子演算にも利用され、屈折率が周期的に変化するナノ構造体『フォトニック結晶』を用い、光に含まれる光子を吸収・分散させることのない反射率100%、不可能とされていた完全なる鏡。

 あの学園都市最強の『第一位』の『反射』とはまさしくそれだ。

 

 だが、ここにいる“第一位”は、鏡のようにこちらの力を扱いながらも、“反射していない”。

 

 鏡は光を反射してその姿を写すが、反射しきれなかった光は吸収される。

 『現世(うつしよ)幽世(かくりよ)の境界でもあり、界渡しの通路である』などとオカルトで意味する鏡。

 もしも反射率0%の鏡が存在するのなら、それは光の全ては別の世界へと通じる門と呼べるものなのかもしれない。

 幻想()を残さず、“弾き返す”でも、“打ち消す”のでもなく、“受け入れ”ていく有り様は、どこかで――――。

 

 閉ざされた意識()でも、瞼の裏に光を感じるよう、その人影は脳裏に映る。

 

 どれが当たってもほぼ一撃で倒れるであろう飽和攻撃を、一点を正確に目指して、舞うように紙一重で躱し続ける姿を、静かに眺め遣りながら、小さく零す。

 

 “―――凄く綺麗”

 

 見惚れたような呟きは、騒乱に流され本人にさえ意識されない。

 舞い手が踏む道は、死線上。

 だから儚く、

 切なく、

 美しい。

 何故なら、今にも華が散りそうな様から終わりを、見ている者は皆予見しているのだから。

 自らを台風の目に配置するのは、裏を返せば、吹き荒ぶ嵐の中に身を投げ出すようなものである。―――力の使い方を知り尽くし、力の流れを把握していていないと、およそできる芸当ではない。

 

 人は綺麗だと想うものに憧れて。

 そして、憧れは人を前に進める。

 

 もう、『門』を開ける段階にまで達した。

 だが、その『門』を“開けさせないよう”にと意識で制御する。

 人は鏡に向き合うことで、自己と他者を区別する。修正されていくように手合わせの度に電流が脳に走り、暴走でありながら動きは洗練されていく。最初の時とは明らかに違う。凄まじい加速度で、Level5.3を意識的に掌握しつつある。攻防の趨勢も、勝敗の天秤の傾きの角度は大きくなる。

 そして、それは一定の超速度に達すると逆に機体が安定するようになる高速ラインのように、少しずつ意識が表層化していき―――それでも、憎悪は止まらず。

 忘れたくても、消したくても、できない。灰色のままを看過できない自分は白と黒は水と油と同じ。

 二度と浮かびあがってこないよう深い深い深淵に封じ込めた、そのつもりだったが、今、攻撃を繰り出すごとに、顔が漆黒の決意に染められていき。

 

 

 

 音が、途絶えた。

 

 

 

「………」

 

 ついに。

 ついに。

 

 “第一位”の身体を貫通した『雷鳥』は、背中を突き出し、大量の血が飛沫(しぶ)く。錆びた鉄の臭いと、鮮やか過ぎるアカイロ。

 ひとりの人間にこれほどの血が詰まっているのかと、驚くほどの量だった。その服はたちまち真紅に染まり、ぐらりと“第一位”の身体が揺れた。

 

 >……フフ。

 >アハハハハハッ!

 >やったよ! 統括理事長の牙城をやっとひとつ崩せた。

 >コイツもあんな奴らを庇わなければ殺されることはなかったんだけど。

 >だけど、まあ。学園都市(ココ)が消滅するなら遅かれ早かれ同じ運命だし。

 >それに、このおかげで私たちはようやく手が届くまでの力を得た!

 

 そのアカイロに真黒の半顔を染めながら、その向こうに映る指揮者に同調したようますます愉しそうに笑みを深める。

 表面ではなく、少しずつ浮かび上がりつつある深層は戸惑いを深めていた。

 どういうこと? “第一位”を倒すつもりで――殺すつもりで――あったのに、予測していた終わりと異なっている。

 “敵うはずがないのに倒せてしまった”、と。

 “倒されるはずの結果が逆転した”、と。

 “この勝ちは譲られたものなのか”、と。

 思ってしまう。思えてしまう。

 いいや、これは―――

 

 

「はんぶんこ」

 

 

 トン、と眉間をつつかれた。

 左脇腹は刺されたままで、呼びかける。

 その言葉は、どうしても感情が我慢できずに泣いてしまった幼き自分に、――がよく言ってくれたもの。

 

 >え……?

 >どうしたの、美琴ちゃん!?

 >なんで、絶対能力者になれるのに元に―――

 

 指揮の声が、途絶えた。

 雷電の膜が、剥がれる。

 別世界の門が、完全に閉じた。

 

「苦しいのならその半分を請け負いましょう。求めるのなら、この力を享受します。それが私には喜ばしい」

 

 その言葉こそ、献身の極致でもあったか。

 

 聖典にはない外典の話。

 盲目の聖ロンギヌスは、その血を浴びて、目が覚めて改心した。

 

 その血には、想いが込められた。

 学園都市に<吸血殺し(ディープブラッド)>というその血自体に特殊な誘因性が宿った<原石>がいる。

 魔術(オカルト)にも、生まれつき血液に妙な治癒効果などが付与された<聖人>がいて、その奇蹟は似たシチュエーションを整えれば、発動する(叶えられる)

 

 鍛冶の始祖が天から落ちてきた隕鉄を鍛えた光の槍に『神の子』は、死の間際にさえ人間に払えぬ罪を、その身に受けてとめたのだ、と。

 

 

 『印象操作(カテゴリ109)』、『標的指定(カテゴリ081)』、『愛憎反転(カテゴリ666)』の誤認識、そしてその想いの暴走に囚われた盲目が今ここで晴れる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 “…………………………………………………………………………………う、そ”

 

 『御坂美琴』が目を覚まして瞬時に理解する。

 自身の“怒り”が幼馴染を切り裂いてしまったこと。

 皆を助けたい。そのためなら自分を犠牲にしてもいい。

 そんな風に考えていたからこそ破滅の道を歩めた自分が、他ならぬこの街全てを破壊する災厄となって、狂化に蝕まれながらも保つ理性を振り絞って止めようとした姉を真っ先に切り裂いてしまった瞬間を。

 こんなはずじゃなかった。

 邪魔者は“第一位”のはずで、自分は無意識に誘導されていたに過ぎなくて、姉と戦っていただなんて知らなかった。

 そんな言葉に、今更何の意味があるのだろう。

 今ここで重要なのは結果だけだ。

 

 “あ”

 

 ここまで。

 歪められてしまったなりにも、『御坂美琴』には『御坂美琴』の矜持があった。

 

 “う、あ”

 

 だけど、それも完全に砕かれる。

 絶対能力者に至るための経験値として二万もの<妹達>の殺害しようとした第一位を嫌悪した自分。ああはなるまいと、次こそは彼から<妹達>を守ってみせると、そう誓った自分。

 それが、崩れる。

 絶対能力者を目指そうとした時点で、“同じものに成り果てた”と自分で自分に突きつけてしまう。

 だから、今度の今度こそ。

 『御坂美琴』と呼ばれた実験体は、自分自身の対する“怒り”に完全に呑まれて―――だが、その顔を両手が覆う、絶叫する前に、抱きしめられた。

 弱々しく、小刻みに震えた身体。肩に頭を乗せて、もたれるように。

 御坂美琴がその感情を外に出す前に、自分の肩に顔を押しつけさせる。それでも、静かな、不随筋の意思制御できないしゃくりあげる嗚咽は漏れ出てくる。

 

「……泣かないで」その耳元で囁く。ひどく透き通った、静かな声音だった。「大丈夫。ちょっと、かし………けだから」

 

 それは、いつもならば楽にしてくれるものだけど。

 『雷鳥』が解けて元に戻ったその手が、傷口に当たる。

 それは見ずとも、美琴にその傷が如何に深いかを覚らせる。皮膚に大きな亀裂があって、美琴の指はその中に沈んだ。鈍く動く内臓の感触。肋骨が折れ、出血もひどい。心拍は限りなく弱まっている。

 

「無理して喋らないで」

 

 鮮紅色の液体が噴き出している。動脈性出血だった。触れた手で傷口を塞ぐ。それでも抑えきれない。針を呑むような呵責の哀しみと共に、美琴は呟いた。

 

「ごめんなさい、全部私が、私が―――「ううん。こんな、方法しか取れなかった、詩歌さんが悪い」」

 

 沈黙を守ろうとせず、何かに突き動かされるみたいしゃべり続ける。

 

「美琴さんの悲しみが、美琴さんの憎しみが解消されたわけでもないのに―――隠し事をして、会わせるのはまだ早いって自分勝手に考えて、こんなの怒ってもしょうがない。……でも」

 

 苦痛を感じていないかのように、ぼんやりとしたまなざしを前に向けて、幼馴染が儚い微笑を浮かべる。

 

「そんなことより何より……、私は、ただ、大事な美琴さんと皆との日々を、壊したく、なかったんです。お、おかしな話だけど。全てを壊したくなる絶望の目に遭って……それでも、誰もが笑える幸せな幻想を本物にしたくて、その叶える機会を作ろうと……。だから、そのために嫌だって言えなかったくらい、押し付け……?」

 

「~~~っ」

 

 さわさわとほおを髪の毛がくすぐる。自分もそうなのだといわんばかりに、美琴は髪を振り乱して首を上下に振った。

 

「もう、怒って……ないの?」

 

 躊躇うように訊く。美琴は、もう一度力強く頷いた。言えるなら、バカなことを言うなと言ってやりたいくらいで。

 

「そっか」詩歌はお互いを支えにしながら、そっと髪を撫でて、「うん……今度は、ちゃんとお姉ちゃん、とめれた、かな?」

 

 思わず絶句した。胸に鋭い哀感が湧き上がる。美琴は―――けれど、息が喉に絡んで声にならない。

 憐憫の情が全身から溢れだしそうだった。幼馴染がいとおしくてしかたない。抱きしめたくても、その身体はもう動かせそうになかった。美琴はそっと頬を近付けた。詩歌の肌の冷たさが、無情な別離を予感させる。その身体の生体磁場の弱まりが、最悪の結果を予測させる。もう助からないかもしれない。想いがそこに及んで、美琴の胸は張り裂けそうになり、そんな運命を断固として拭いたかった。

 だが、詩歌の吐息が途絶えがちになり、やがて消えていった。はっとして美琴は身体を起こした。詩歌の瞼は、いつしか閉じていた。

 やっとのことで、美琴は震える声を絞り出した。「だめ」

 一度堰を切ったものは止まらず、決壊したその胸の内の荒涼とした悲哀の広がりを抑制できなかった。自分の涙が幼馴染の寝顔に絶えず降りかかるのを、美琴はまのあたりにした。美琴は震える声で訴えた。「起きてよ。詩歌さん。……お姉ちゃん!」

 

 

 詩歌の胸に手を這わせる。心臓の鼓動をさぐりあてられない。流血も止まり、呼吸も失われた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 》ふふふ。

 》Level5.3まで進んだ第三位を止めるなんて大したもんだ。

 》これは恋査君をも超える『学園個人』以上の存在なのかもしれない。

 》でも、これで終わりしちゃあ、ダメだねぇ。だって、まだ君も御坂君も天上の意思には到達してないんだから。

 》いいデータは取れただろうけど、それに、実験は実験体を潰すまでやらないと終わりじゃないんだよ。

 》第五位の施設を奪うことは計画してやったことだけど、第三位が釣れるのは運次第―――だから、ちゃんと僕は、“受け皿”を用意していたんだ。

 

 『量産型能力者(レディオノイズ)計画』は立案当初、実験用素体の量産を求めたのではなく、“超能力者の完全体の製作”を目指したものであり、天井亜雄が主導となって『検体番号00000号(ミサカフルチューニング)』を開発していた。

 量産型能力者は、安全性を無視した改造を施すことで大能力者(Level4)まで引き上げられることが可能であるとデータが取れた。

 

 》天井君は甘いねぇ。あの程度の補強した完成体で満足するなんて。ちゃんと壊れるまで、徹底した自己改造の究極体にしてこそ、フルチューニングだよ。

 

 木原幻生も、自分が調整した量産型能力者を所有している。

 また、<才能工房>の当初の目的は、“天才や偉人級の人間を創り出すこと”だ。

 まさしく、“機械仕掛けの神”、と呼べるような実験体を造るのも面白い。

 

 

 》では、次の実験に移ろうか。

 

 

 ―――第二実験が学園都市の全土に影響を及ぼす。

 

 

 たとえば。

 それは第二学区で起きている現象など知らず―――知らぬ間に平和な都市の一風景。

祭りとあってか、見た目小学生の教師連れ立って歩いている女子生徒が、ことりと首を傾げた。

 

「あれ?」

 

「どうしたんです? 姫神ちゃん」

 

「急に。携帯が操作できなくなって―――きゃ。熱っ!」

 

 女学生の手から落ちた形態が、地面で跳ね返り、水たまりに飛んでじゅうと蒸気を上げた。

 

「な。なにこれ……?」

 

 忙しく瞬きした女学生の驚愕も、当然だろう。何が起きているのかも、彼女は理解できなかったはずだ。

 異常な電子介入によって、CPUが熱を持ったのだ。

 

 

 たとえば。

 それは如何なる戦場よりも熾烈に、夥しい数字を競わされる株式市場の一風景。

 

「おい、どうした? なんで株価が更新されない」

「モニターの電源が!? 急いで復旧して! たった1秒でもどれほど動くと思ってるの!」

「……あ、ありえない。システムが全部止まってる! バックアップ用のサーバーも全部動かない」

「なんですって?」

 

 担当者の顔は泣きっ面どころではなかった。起きている事態を認識して、蒼白というよりもはや透明に近かった。

 

「学園都市だけじゃない! 世界中の市場が止まってる!」

 

 

 そして。

 

 

 それは、学園都市における警備員本部の光景。

 複数のモニターを見つめたまま、オペレーターが悲鳴のように叫ぶ。

 

「ダメです! 主要なサーバーの介入、止められません!」

 

「新種のコンピューターウィルスのパンデミック発生! 第二学区から、学園都市各学区で1870万台―――い、いえ、2130万台の感染を確認。幾何学級数的に増大中です!」

 

 その言葉の通り。

 警備員の主要サーバーを起点として、突如、突然変異したとしか思えない新種のコンピューターウィルスが、街中にばらまかれたのだ。

 

 》さあ、起き給え。この街の全てを君のオモチャにするといい。

 》“検体番号0号(フルチューニング)(プラス)”。

 

 暴走する発電操作能力は、この異常な最中にあっても、<警備員>の主要サーバーと接続。

 いいや、指揮する木原幻生が第三位の代用にするために準備していた予備プランだ。

 

 試験体の製造目的は、クローン技術の確立のためだけではなく、クローン間の情報共有を行うネットワーク構築の試験でもあった―――そして、ネットワークには“繋がる相手が必要だ”。

 つまり、検体番号0号の記憶と経験を全てが転送された『妹』がいる。

 

 預かった木原幻生の“調整”がされて、一度も目覚めたことはなく、ずっと機械に繋がれたままの半生体電子演算装置と化した。

 

 承認及び誘導されての接続し、『先進教育局木原研究所所長』、『胤河製薬特別顧問』、『鎚原病院木原研究室教授』、『U.E.G.F特殊客員教授』、『学園都市脳科学特別研究員』他多数、表裏問わず暗部に生きる狂科学者の長老が持ちうる権威が及ぶ限りの権限も注ぎ込まれたことで、学園都市のほぼ全体と繋がっている――学園都市と化している。“今も”。

 

 一旦は激しい落雷現象に主要サーバーが停止されたものと、油断して間もなく。突然主要サーバーはこちらの管理者権限を奪って牙を剥き、瞬く間にあらゆる電子演算を積んだコンピューターへ介入し、次々と隣学区隣学区と制覇していった。

 治安維持措置のひとつである情報秘匿のカモフラージュとして、学園都市の一定の階級層のシステムに偽装・迷彩技術が施されていたことも、この現象に拍車をかけただろう。これらのシステムから侵入口(バックドア)を作り、いともたやすくウィルスはコンピューターたちを乗っ取っていくのだ。

 ある意味で、それは異常現象の決戦以上に壮絶な―――覚醒してわずか3分もいらずに、学園都市の半分が制圧された瞬間だった。

 

 

 

 そして。

 まだ、実験は終わってなかった。

 美琴の頭上へ、影が落ちたのだ。

 ほとんどビルを掠めるように飛ぶそれは、輸送ヘリであった。

 ずんぐりした、不恰好な鯨を思わせる姿。前後に二つのメインローターを備え、輸送人数は50人、有効積載量は10tを超える重輸送ヘリ――明らかに医療機関から向けられたものではなく。これだけ離れていても、よろめいてしまうほどの強風(ダウンウオッシュ)を巻き起こし、その尾翼辺りからゲートが開いた。

 黒々と開いたゲートの向こうから、救急隊員ではなくて、コンテナほどの大きい重い何かが投下されたのだ。

 

「なっ!?」

 

 美琴が目を見開く。

 詩歌を抱えて、直撃を避けて身をよじるなんてできない。

 1秒―――

 2秒―――

 3秒――

 

「―――すごいパーンチっ!!!」

 

 そのとき、風圧と共に炸裂するような音が響き、鉄塊が視界から消えた。

 暴力的な轟音と、膨大な砂埃が地表を席巻した。

 雷鳴よりもずっと激しく、隕石よりもずっと強烈に、投下された物体は大地に大きな溝を掘り穿つ。先程の戦闘で破壊された建築物の破片も、衝撃に飛ばされた。

 まともに目が利くようになるには、もう少しだけ時間がかかった。

 

「大丈夫か二人共?」

 

 助けてくれたと思われる誰かより、砂埃の内側へ―――美琴が目を見開く。

 重く、アスファルトを砕いて4分の1ほど沈みこんだそれは、金属とケーブルで造られた棺桶、のようにも見えた。

 

 バイオポッド。

 通常はメンテナンスに扱われるもので、妹達の治療に使われていたのを見たことがあるが、特殊なソフトを使えば、人の脳をネットワークへ直接接続することが可能な道具でもある。

 

「無事か御坂―――詩歌っ!?」

 

 話しかけられてる、けれど美琴は、硬直したままだった。

 棺桶の中に入っていたのは、『御坂美琴』だったからだ。

 いいや、自分ではない。

 『御坂美琴』のDNAマップから作られた―――“まだ知らない妹達(クローン)”だった。

 

「パスワードI67P239L887CAC027EG54T117」

 

 初めて遭遇した時のように、一息で、長い数字とアルファベットの羅列を機械の音声――<妹達>と全く同じ声音――が、棺桶から流れた。

 そして。

 

お姉様(オリジナル)との近似値修正を同調完了」

 

 細い首筋に接続されたいくつものチューブは、次々と解除されて、硬い音を立てて地面に落ちていく。

 あたかもそれは、卵の殻が割れていくような光景だった。

 あたかもそれは、母体から赤子が産み落とされるような光景だった。

 あたかもそれは、彼女のためだけの檻から、無垢な罪人が解放されるような光景だった。

 棺桶から、クローンは降り立ち――

 

「―――量産型能力者(レディオノイズ)(プラス)。『絶対能力進化』計画を開始します」

 

 ――『御坂美琴』の鏡映しに雷の化身と成った。

 

 

 

つづく


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