とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 虚々実々

大覇星祭編 虚々実々

 

 

 

???

 

 

 

ここまでは予定通り。

 

『先輩』が目覚めたおかげで、予定を早まらなくてはならなくなったが、問題ない。

 

今、この盤上で先手を取っているのは、私。

 

あの『残骸』でも分かったが、『実験』が終わってから、『  』の身柄を保護した『先輩』と『  』を捜索している『あの男』が裏で牽制し合っているのを知って、この計画を立てた。

 

正確な情報はまだ把握していないが、『あの男』の目的は間違いなく、“『  』の脳波と能力によって形成される脳波リンクのネットワーク”に違いない。

 

だから、その『  』を無力化し捕えようとした『あの男』から、私は横取りした。

 

それから、『  』に撃ち込んだナノデバイスのウィルスが他の『  』へ電気的にうつらないよう、この天才的な力で感染経路を潰した。

 

これで、私でない限り、『  』が『あの男』の手に落ちても“ネットワーク”には干渉できない。

 

案の定、『先輩』が動けなくなった――もう1人、『先輩』の裏にいる『医者』もいるが――と知り、いくつもの研究所を電撃的に壊滅させて『実験』を派手に妨害した警戒対象を昨日に封じ(実際はそのクローンである『  』だったが)、『  』の捕獲指令が下された。

 

対し、私はその『  』のオリジナルを封じる手を打つ。

 

問題は、その彼女の周りにいる人間まで友情力とか発揮しちゃって、力不足の子が『あの男』に関わってしまうことなのだから。

 

とにかく、『  』を掌握している私が、先手を取っている。

 

そして、次の手――最後の王手は、14時から第9学区で開かれる国際能力研究者会議にお忍びで来ている神出鬼没の『あの男』を討つ。

 

『先輩』達の守りはそれはもう鉄壁だったが、それではダメ。

 

戦いとは攻めなければ勝てない、守っているだけでは甘過ぎる。

 

この世界に、誰にも認められる『絶対善』なんて言葉は存在しないけれど、誰でも許してはならない『絶対悪』はある。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

<大覇星祭>―――学園都市の学生達の祭典、と世間一般に知られているが、あれは“学生”ではなく、“能力者”が正しい。

 

そんなの学園都市の『顔』として選手宣誓に呼ばれた第5位と第7位のLevel5の2人を見れば明らかだ。

 

 

 

だから、誤解される。

 

 

 

『能力』よりも『科学』のほうが優れているのに、『能力』のほうを重視するなど、学園都市は矛盾している。

 

しかし、ここは研究者の街ではなく、能力者の街だと。

 

Level4以上の高位の能力者の為に研究チームが設立され、優秀な研究者は、何のバックアップされず、ゼロから始まり、そこから這い上がって成果をあげても、名声を手に入れる事はない。

 

学園都市に目を向けるなら、<大覇星祭>なんていう子供がやるような泥臭い競技試合よりも、<学究会>の大人にも通じる心血を注いだ演説発表を大々的に宣伝すべきなのは誰にだってわかる。

 

何故こんなにも差がついた。

 

 

 

だから、認められない。

 

 

 

この<大覇星祭>で派手に活躍し世界中から歓声があげられる高位能力者には、頑張ってもたった一会場のお情けの拍手しかもらえない自分のことなどわからない。

 

実力や功績を持っているにも関わらず、それが正しく評価されない世界などあってはならない。

 

 

 

理想主義者は主張する!

 

人には生まれながらの優劣など無い!

 

皆が等しく、価値のある存在なのだと!

 

 

 

だから、研究者として成功した自分達はきっと正しくて、学園都市は間違っている。

 

 

 

精神論者は主張する!

 

報われない努力などない!

 

故に努力しろと!

 

その過程こそ重要なのだと!

 

 

 

だから、高位能力者よりも学生最優秀研究者である自分が頂点に立つべきだ。

 

 

 

なのに……っ!

 

あの『老害』は、自分達の研究を、『夏休みの工作』に過ぎないと一笑に!

 

それまでに学園都市の研究者の元老として抱いてきた尊敬の念は一気に反転し、憎悪へと変わる。

 

そうして、革命的な発明するのはこの学園都市でも異端視されるモノで、誰にも見向きはされず、まあ、自分達の研究に嫉妬してあの『老害』が裏で手を回したのかもしれないが。

 

<学究会>にも間に合わず、自分達はスタッフ不足もあってか未完成の研究を、より大きな研究設備で完成させるために……他の組織の傘下に入ることを余儀なくされた。

 

 

 

しかし、それは不幸ではなかった。

 

 

 

何故なら、自分達<スタディ(STUDY)>を<MAR>などの<警備員>装備関連の研究開発をも引き受けているスポンサー『スタディコーポレーション』から引き入れてくれた新天地――<メンバー(MEMBER)>の中心である長は、高位能力者ではなく、自分達の研究成果を笑わずに見てくれ、数多くの優れたロボットを造り上げた研究者でもある『博士』で、直属の上司に当たる人物は、この『ケミカロイド』に大変興味を持ってくれて、バックアップだけでなく助言までしてくれる『弱肉強食』の理念を教えてくれた素晴らしい方だ。

 

そのおかげで、研究は更なる進化を遂げただけでなく、<スタディ>は、この“能力”者の祭典の時に、あの『老害』を討つチャンスを得ることができた。

 

 

 

 

 

 

 

『―――が統括理事長に、および学園都市へ背信行為を企ていることを突き止めた。ただちに<スタディ>は対象に制裁を降せ』

 

 

「了解しました、『博士』」

 

 

通信を切るまではこらえたが、普段は澄ましたインテリ風の表情に、隠しきれない喜びが滲む。

 

<メンバー>の特別研究部門<スタディ>のリーダーである眼鏡をかけ白衣を着た学生研究者、有富春樹は、『研究(スタディ)』の『同士(メンバー)』である全員が眼鏡をかけた4人の少年少女へ振り返る。

 

 

「表での依頼遂行中だった馬場芳郎と査楽との連絡が途切れてます」

 

「査楽君は、能力だけに頼る愚か者ではないし、馬場君は、能力を研究して編みだした攻略法から『博士』からのツールを指揮するのに優れた人物かと思ってたけどな」

 

「正直失望したよ。彼は僕達に近しい人間かと思っていたんだが、たかがLevel4にやられるとは情けない」

 

「今はそれよりも、『博士』からの命を果たすべきだ。『先生』はその2人の回収で忙しい」

 

 

そして、彼らの奥にある2つの培養装置カプセルに眠る双子の『研究成果』を見る。

 

 

「ああ、そうだ。僕はこれを天命だとさえ感じているよ。この<大覇星祭>で、僕らの力が学園都市を能力至上主義に仕立て上げたあの『老害』の全てを潰すことを」

 

 

これは革命だ。

 

その有富の言葉を彼らの誰もが信じて疑わず、首肯。

 

それからやるまでもないが、定例である儀式として、全員の決をとる。

 

 

「では、『ジャーニー』と『フェブリ』、2つの『ケミカロイド』から生まれた超能力者を超える究極の生命体の『セプト』を使うことに賛成のものは」

 

 

有富の提案に、科学の街である学園都市の優秀な研究者、科学者、発明家が集う学生集団<スタディ>に手を挙げなかった者はいなかった。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

「マ、こっちとしても美琴ちゃんに何かあったら困るしねっ!」

 

 

どこか笑いを含んだ声でヘビメタルな改造ナースの少女は、この顔合わせに十分ではないが満足した出来だ。

 

あのLevel5第3位を前に直接交渉の場に立つのは、人質があっても困難であったが、カメラ越しでは学園都市最強の発電能力者<超電磁砲>に、デバイスを逆探知された馬場芳郎のような事態になりかねない。

 

 

「今は“まだ”、直接お話しするに早いしっ」

 

 

能力で造った分身での話し合いは、色々と収穫があった。

 

別荘? 襲撃? 何の話?

 

先程は流したが、最初のあの反応を見る限り、本当にやっているのなら知らぬ存ぜぬで通せぬあの場でシラを切る態度はメリットがなく、もしかすると『御坂美琴がやった』という目撃情報の方が間違っているのかもしれない。

 

そう、その証言人の記憶が改竄されていたりすれば……

 

 

「もっかい情報を洗い直してみる必要があるかなっ?」

 

 

今回の計画、御坂美琴以外にも不安要素があるのか。

 

だけれど。

 

あの時の御坂美琴の顔……

 

 

 

『私だって……っ』

 

 

 

「脈はありそうじゃない」

 

 

とりあえず、自分の出番はまだだし、ゆっくりとどこかに隠れて調べ物をしよう。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

「―――と、思っているんでしょうが、そうはいきません」

 

 

御坂美琴の雷撃を受けた襲撃者の女の子が、溶けた。

 

これはおそらく能力による液体金属を遠隔操作した分身。

 

だから、ああまで挑発しながらLevel5と対峙で来ていたのだろう。

 

つまりは、彼女は今頃、こちらの射程圏外の安全な場所で一息ついているだろうが、

 

 

「―――共鳴探知。ここから少し遠いですが走れば追いつけますね」

 

 

枝先絆里と春上襟衣、それに<妹達>のように詳細ではないが、全く同じ能力者同士による共鳴で位置情報を感覚的に捉えられる。

 

御坂美鈴の変装を解除し、リボンをつけて目深に用意していた帽子を被り、ワイシャツにスラックス姿の詩歌が獲物の痕跡を見つけた狩人の如く抑え切れない昂りを笑みにして零す。

 

追跡の制限時間はおよそ30分程度だが、まずは……急で説明できなかった彼女達への話。

 

 

「それで、大お姉様。本当にわたくし達と御坂美琴、さんがお知り合いですの?」

 

 

訝しむ黒子が、半信半疑といった調子で美琴を見る。

 

通話を受けて、初春と共にいた美鈴を入場証の再発行を理由にして保護したり、この囮作戦を手伝ったり、と、結果的に全て詩歌の読みが正しかったわけだが。

 

<風紀委員>は便利屋ではない。

 

先程は緊急を要する事態でかつ、必要であると判断したから、美琴に協力したけど、記憶がないのだ。

 

 

「ええ、黒子さんは美琴さんのルームメイト。私も診ましたし、黒子さん達も見たでしょう?」

 

 

詩歌の携帯に展開されている夏休みに撮った、夏祭りや水着撮影での黒子、佐天、初春………それから、美琴の集合写真。

 

さらに、初春と、黒子の携帯にも登録された『お姉様』――御坂美琴の情報。

 

当事者で疑いのある美琴ではとにかく、第三者的な立場でもあり、信頼するお姉様でもある詩歌からの診断に、黒子に異議はない。

 

 

「記憶消去の痕跡がありました。おそらく、涙子さんもそうでしょう。そして、初春さんには精神操作も見受けられます」

 

 

「えっ……」

 

 

初春の顔と目を合わせながら、詩歌は言う。

 

それを見て、美琴が割って入り、

 

 

「本当、なんですか」

 

 

「別に初春さんが責任を感じたりとか気に病む必要はないのよ。悪いのは全部食蜂のせいで」

 

 

「御坂美琴に関する記憶を忘れさせられ、そして、黒子さんと涙子さんの記憶消去の為に動かされていました」

 

 

「詩歌さんっ!!」

 

 

今朝、<風紀委員>のパトロールで巡回ルートを外れて、記憶消去に都合の良いように誘導させられた。

 

それが本当であるなら、初春は無意識とはいえ、その片棒を担いで皆の足を引っ張っていた……

 

それで友達であった子に、無自覚に悲しいを想いを……

 

だけれど、記憶を元通りにしてほしいとは思っていたが、彼女を責めるようなことはしたくない。

 

 

「何も初春さんの前でそんなことまで話さなくても」

 

 

「初春を傷つけまいとするその気遣いは感謝いたしますが―――友達であるなら初春がこの程度でへこたれる程ヤワではないと信じてくださいませんか」

 

 

真相を語る詩歌を止めようとした美琴を、黒子が止める。

 

見た目通りのか弱い女の子で、能力も戦闘向きではないが、初春飾利と言う少女は、自分から<風紀委員>を志願した。

 

普段は表に出ないが、その裡には熱いものが秘められているのを美琴は知ってる。

 

 

「そうね。黒子の言う通りね。うん、私、皆こと信じてるから」

 

 

美琴はしっかりと頷くと、初春、それから黒子の瞳を真っ直ぐ見返した。

 

結局のところ、何かに脅えて行動しなければ何も進展しない。

 

このままではいつかきっと後悔してしまうだろう。

 

だったら今できる最善を尽くすしかない。

 

 

「気付かせてくれてありがとう、黒子」

 

 

美琴はそういうと、優しく微笑んだ。

 

吹き込んできた風が、美琴の茶髪をふわりと揺らす。

 

初めて見るはずのその表情に、黒子の胸がドクンと高鳴るのを感じた。

 

それはほんの一瞬のことだったが鮮烈な感覚だった。

 

 

(わ、わたくしは大お姉様だけに……)

 

 

「ふんっ!」

 

 

ブレる己の乙女心へ喝入れに、思い切り顔を叩く。

 

だが、まだ車椅子で安静中という怪我人設定を忘れてたのか、脚がズキッ! と。

 

 

「いきなり何!? 怪我してるのに暴れちゃ駄目じゃない!」

 

 

「お姉―――はっ! 大丈夫ですの。余計な気遣いは無用ですっ! 黒子には大お姉様」

 

 

「? 何言ってんの? とにかくほらしっかり捕まりなさい」

 

 

「は、離れてくださ―――あぅ」

 

 

よろめく黒子を、美琴が腰に腕を廻して、ぎゅっと支える。

 

黒子は自分でも心は許してないのに、体が言う事を聞いてくれず、成すがままに密着。

 

そして、この内なる葛藤は、やがて、『姉妹丼もアリですの』、と――――そこで、大お姉様な詩歌が黒子を見ている事に気づき、

 

 

「ぬおっ!? 大お姉様こちらを見ないでくださいまし! ――痛っ! ――く、黒子は黒子はーーーっ!!」

 

 

「だから暴れんなっつってんでしょうが!」

 

 

「ふんふむ? この異常行動は一体? 黒子さんには精神操作の痕跡がなかったんですが……」

 

 

「いえ、多分それ違うと思いますよ詩歌さん」

 

 

 

 

 

公園

 

 

 

『とりあえず、お前が得た情報がもうアイツに送った。狙うような輩がいないうちに、このジャージでも被ってとっとと行け。いいか、寄り道は絶対にするんじゃないぞ。私達は私達でやることがあるんだからな』

 

 

そういって、意外と面倒見のいい影武者さんは、顔を隠すためにフード付きの常盤台のジャージ(上条詩歌の)を佐天涙子に被せて木原名由他を引き連れて別れた。

 

色々と礼を言ったり、謝ったりしなければならない気がするけれど、とりあえず、今はやるべき事、自分の記憶を取り戻すためにも<風紀委員>第177支部へと向かう。

 

途中で温かな湯気を漂わせる屋台を発見。

 

暖簾には『たこ焼き』。

 

ちょっと覗くと鉄板の上で転がるまん丸のたこ焼きに購買意欲をそそられて買っちゃった。

 

腹が減っては戦ができぬとよく言うし、そういえば、昼もまだなのでここらで燃料補給も良いだろう。

 

はふはふっ、と行儀は悪いが自家製ソースと湯気で踊る鰹節をトッピングされたたこ焼きを頬張りながら、近道である公園を横切って第177支部へと移動―――とそこで、

 

 

「……おや?」

 

 

ごっくん、とたこ焼きを飲み込む佐天は、呆然と目を見開いて動きを止める。

 

公園の園芸として整理された花畑の中に、彼女は無言で立っていた。

 

妖精めいた儚げの容姿の、年若い少女だ。

 

手脚は幼い子供のように細く、肉付きも薄い。

 

瞳の色は宝石のような薄い紫。

 

髪の色は淡い金髪で、顔立ちも丸いが西洋風。

 

西洋の絵画から抜け出してきたような、人間離れした容姿で………

 

 

「―――ぶっふ!?」

 

 

佐天は思い切り咳き込み、あまりの勢いに逆流したアツアツのたこ焼きにさらにむせる。

 

しかし、それでもこうしてはいられないと佐天はその幼女の元へ駆けよる。

 

何故ならば、彼女の、ほっそりとした全身を確認した時、“何もつけていない”ことに、ようやく佐天は気付いたのだ。

 

薄く浮いた肋骨も、微かな胸のふくらみも、透き通るような白い肌も、全身余すところなく堂々と外気にさらけ出されている。

 

完全な素っ裸だ。

 

しかし、彼女は噴水にある小便小僧ではない。

 

幸いにして、周囲には佐天以外いなかったが、いつ誰が来るかは分からない。

 

余計な騒ぎが起こる前に、この状態を何とかしなくては。

 

 

「ちょっとちょっと。女の子がそんな格好しちゃダメじゃない」

 

 

佐天は声をかけるが、聞こえていないのか、それとも幼過ぎて貞操観念がないのか、ふわふわとぼけーっと幼女は、お花と一緒にからだをゆらゆら。

 

仕方ないので、借りたばかりのジャージを着せる。

 

うん、これならば、ちょっとワンピースに見えなくもない。

 

まあ、これでとりあえずの応急処置にはなっただろう。

 

それでまずは保護者は? と訊こうとして躊躇う。

 

こんな公共の場で裸のままで放置するなんて虐待? いや、傷もないし誘拐かもしれない? いや、もしかしたら夢遊病でふらふらと迷子に?

 

そういえば、初春が来場者には専用のGPS付きの入場証が渡されていると聞くけど、見たところ(素っ裸だったのだから)それもない。

 

情報を得るにはやはり当事者である幼女から話を訊くしかない。

 

小学生の弟を持つ佐天姉さんの経験として、こういった訳ありな子に話を訊くのは難しい。

 

近所のデカい犬へ、恐る恐る近づいていくのと同じ。

 

噛まないと信頼してくれるまでは迂闊には踏み込めない。

 

そして、ようやく幼女の視線が佐天に向けられた。

 

今更なんだが、ものすごく鈍い子だ。

 

とりあえず、きっかけができたので、第一接近。

 

 

「?」

 

 

「こんにちは。あたし、佐天涙子っていうんだけど、あなたのお名前は何かなー?」

 

 

膝を曲げて美幼女と目の高さを合わせ、佐天は軽く微笑む。

 

まるで教育テレビのお姉さんみたいな口調だったが、子供相手に慣れたもので対応は自然に柔らかい。

 

と、話を聞いた美幼女だが、?マークを浮かべて、首を傾げるのみ。

 

 

(ありゃ? もしかして見た目からして日本語が通じない子?)

 

 

出鼻をくじかれた。

 

上条詩歌から紹介された修道女の子は、ペラペラに日本語を話していたが、日本語は世界共通語ではなく、普通このくらいの幼女は母国語以外は話せないし、理解できない。

 

だけど、それは佐天からしても英語には不安がある所で。

 

これは第一接触失敗かな? とそこで、くんくん。

 

その可愛らしい鼻を鳴らして、匂いを嗅ぎつけたのは、佐天が買ったたこ焼き。

 

日本語は万国共通ではないが、美味しい食べ物は万国共通。

 

ゆらゆら踊る鰹節の乗ったたこ焼きを珍しそうに見つめる彼女に、ちょうど爪楊枝の突き刺さったたこ焼きを、フーフーと息をかけて冷まして、はいどうぞ、とお口の前に差し出す。

 

それを幼女は少し警戒しながら、たこ焼きを口に入れ、慎重にモグモグと噛み、そして、「!!!」と反応。

 

それから瞳を輝かせて、たこ焼きを見る。

 

 

(あたしもまだ物足りないけど……ま、こうなったら、しゃあないか)

 

 

気に入ったのだろう。

 

その後も、ほいほい、と丁寧にひとつずつ冷ましながら佐天はたこ焼きをお口へ運び、はふはふ、と幼女はたこ焼きを食べる。

 

おかげで育ち盛りの中学生の佐天は、元気の源である貴重なカロリー、ただでさえ少ないお昼を半分も食べれなかったが、これなら値段以上に割が合う。

 

けふっ、と可愛らしくげっぷをするのを見て、佐天は満足することにする。

 

 

「これが武士は食わねど高楊枝ってね」

 

 

と、行儀は悪いが爪楊枝を咥えて格好つける、弟持ちのお姉さんの佐天。

 

やっぱり、こういう子を見るとどうしてもお世話を焼きたくなってしまうものだ。

 

それから、まるで仔犬が匂いで相手を識別するようにこちらに顔を寄せてから、ちろっと舌を舐めるように、佐天の手に触れ、握った。

 

意外と人見知りしない。

 

この小動物みたいなか弱い子に、どうやら懐かれたのか?

 

とにかく、美味しい食べ物効果で打ち解けて、頼りにされているのは事実で………だったら、やるしかないか。

 

まあ佐天も色々と厄介事に巻き込まれている最中で、まずは自分の面倒を見れるようになれと怒られたばかりだが、ここで見捨てることにも抵抗がある。

 

しかし、自分が得た情報はすでに送られているし。

 

『だから寄り道をするなと言ってるだろう!』と脳内で誰かが言っているような気がしたけど。

 

 

「とにかく初春らに連絡するのも、行動するにしてもまずはその格好を何とかしないと。ジャージがワンピースみたいだけど、下着ぐらいは穿かせないとね」

 

 

そうして、佐天は小さく肩をすくめると幼女の手をとる。

 

 

―――その姿が、一瞬、霞のように空に融け込んだことに気づかずに。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

『はぁ――はぁ――はぁ――』

 

 

子猫の横で熱にうなされる少女。

 

予想外の機会かとおもえば、明らかに、予想外の異常。

 

これは相手の動きを封じる軍用ナノデバイスを打たれたことが原因だ。

 

取り除かない限りは身動きは封じられたままで、またその子の発電能力も暴走している。

 

人に命令するのは得意だが、生憎、機械と猛獣は専門外。

 

これでナノデバイスに対するワクチンソフトで回復が見込めないようなら、素直に白旗を上げるしかない。

 

人を駒のように扱うのは良いが、命を賭けさせるようなリスクまでは冒せない。

 

無論、自分もこの計画に少なくないリスクを背負ってはいるが。

 

この前の紅白戦のように、あえて女王が敵本陣に仕掛けたような。

 

そのためには紅白戦同様に存在は隠しておかなければならず。

 

 

『そういえば、盗撮を趣味にしている悪質な能力者が運営している都市伝説サイトはどうなってるのかしら?』

 

 

全く、尾行も探知もされないように移動に1時間半もかけてまで警戒しながら事を進めていたのに、どこぞの『遠距離でも水滴をレンズにすることで撮影する念写能力者』のせいで台無し。

 

 

『ホント、能力で他人に迷惑をかけちゃいけませんって習わなかったのかしらっ!』

 

 

それをあなたが言いますカ? とこの計画の為に雇った男は呆れながら言う。

 

彼は、一般人の中では有能だ。

 

救急車を手配させた後、このよくも邪魔してくれた管理人のサイトが、二度と私の目にも、日の目にも入らないようにダミーサイトを自動生成するプログラムを注入した。

 

この情報化社会、一度ネット上に上がった情報は完全に消去するのは不可能だが、検索順位の高いダミー情報を大量にばら撒けば辿りつけさせなくさせることはできる。

 

そこのサイト利用者が探しても、全く別のサイトでページが埋め尽くされ、そこから探し出すのは砂漠に落したビーズを見つけるようなものだ。

 

それに万が一にもこのサイトを見つけられた強者がいれば、すぐに実力行使できるよう逆探知を――――

 

 

 

 

 

風紀委員第177支部

 

 

 

頼まれたのは、2つ。

 

顔と能力、この液体金属とナイフといった物的証拠を基に<書庫>を検索し、あの殺人未遂犯の情報入手すること。

 

それを短時間でこなすには初春飾利の技術が必要だ。

 

 

「でも、いいんですか? もしかしたら、まだ何か妨害するような操作を受けて、足を引っ張るかもしれないんですよ?」

 

 

「大お姉様が見たのでしょう? あの方の診断はそれ専門の精密検査よりも正確です。それでも、心配ならわたくし達の前で作業すればよろしいですの」

 

 

そして、もう一つは、初春のパソコンに隠された情報を引き出すこと。

 

 

『ふふふ、もし操祈さんがわざわざ直接出向いてまで動くなら、そこにリスク以上に賭けるものがあるでしょう』

 

 

食蜂操祈が、この<風紀委員>第177支部にやってきてまで、初春飾利の記憶と精神を操作した。

 

それほどまでに隠したい都合の悪い情報があるのだろう。

 

 

『佐天さんからの情報で操祈さんはとある都市伝説サイト『Auribus oculi fideliores sunt』に拘っていたようですが、今はこの通り全く別のサイトでページが埋め尽くされている状況。佐天さんも先日に<不在金属(シャドウメタル)>について初春さんに探すよう頼んだそうですが、見当たらなかった、と。さて、初春さん―――いえ、<守護神(ゴールキーパー)>が、ネット上で見つけられない情報はありますか? いや、ないでしょう。ならば初春さんは自分を信じて。“もし初春さんなら、このように攪乱されたネット上の情報を見て、一体どうするのか?” それさえ分かれば自ずと答えは導かれます』

 

 

そして、もし初春飾利(じぶん)ならば、このネット世界で、違和感を感じ取れば―――原因を探ろうとする、いや、きっと探り当てた。

 

<風紀委員>の試験を情報処理の一点突破した初春は、これまで能力の有無を問わずあらゆるハッカーを撃退してきた。

 

だけど、自分がその情報を消去したならば、きっと自分でも復元するのは困難。

 

 

「御坂さん。お願いします。きっとこのパソコンに眠っています。調べてみる価値はあると思います」

 

 

ただし、能力で電子世界の情報を拾える能力者がいれば話は別だ。

 

 

「いいの? 初春さんのパソコンを触らせてもらって」

 

 

「はい。私ならきっとそのサイトを見つけられました。それに、私も御坂さんの事信じます。あ、別に詩歌さんから言われただけじゃなくて、まだ思い出してないですけど、私自身が御坂さんを信用できる人だって思ってますから。こう見えても、人を見る目には自信があります」

 

 

初春は美琴の目を真っ直ぐ見て、絶対の自信を以て、そうお願いし、そして、電子パットで<書庫>を見ていた黒子も、チラッと変に顔を赤らめて警戒するように流し目で美琴を見て、付け加えるように同意する。

 

 

「普段なら<風紀委員>の機密情報の詰まった初春のパソコンをおいそれと一般人に探らせて良いものではありませんが、初春がそういうなら何も言いませんわ。え、ええ、もちろん<風紀委員>としても」

 

 

「ええ、わかったわ」

 

 

学園都市で電子情報をも操作できる最高クラスの電撃系能力者<超電磁砲>の御坂美琴は、パソコンに迸る電流で直で繋がる回路を造り、<守護神>が集めた情報のゴミ箱の中を漁り―――

 

 

 

―――『能力を生み出すDNAコンピューター』に食蜂操祈が映しだされた写真を見つけた。

 

 

 

 

 

廃工場

 

 

 

―――少し時間を遡る。

 

 

 

近年、多くの企業で持て囃された液体金属の開発事業だが、生き残ったのはその内の2社。

 

液体金属を遠隔操作し、自分の似姿を作り出すこの能力は、Level4相当。

 

ただ人形の性能と精密動作性から発動距離はそれほどでもない。

 

 

(まあ、あの男が引き入れた人材なら、そう単純なものではないでしょうが、とりあえず捕まえれば大きな打撃を与えることに変わりありません)

 

 

全く、自分が寝ている間に、良いように盤上を進められた気分だ。

 

おかげで状況把握のために、相手の手にかかった者達を取り戻し、応援を呼ぶのに数手かかったがようやく、上条詩歌と言う駒を動かせる。

 

どれが相手の王将(目的)かはまだ判断がつかないが、ここで相手の“飛車角”を討っておくのもいい。

 

向こうもそろそろこちらに気づき、警戒している事を念に入れて、共鳴だけでなく、視覚と聴覚をフルに使い、怪しい痕跡を見つければ、ただ避けるのではなく、解釈しながら、上条詩歌は追跡する。

 

 

「―――おい、そこのお前」

 

 

その時、後ろから―――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(……この嫌な予感……居る。気配を消して、こっちの様子をじっと見ている)

 

 

目立つ痕跡は残していないが、つけられている。

 

一体どうやって、と推理したいところだが、向こうには<接触感応(サイコメトラー)>がいたのか。

 

野生動物は、狩人の気配を200m先からでも感じ取る。

 

逆に、狩る側は気配を周囲に溶け込ませる能力が求められる。

 

それはこの暗部社会にも同じ事。

 

その自分に、おそらく100m圏内まで迫ってきていることは、相手はよほど優秀な狩人らしい。

 

向こうもこちらがアジトへと向かうのを見越してか、距離を保っており、これでは本来の目的地へとは迂闊には近づけない。

 

 

(フム。このまま正体不明のストーカーさんに付き合ってる余裕もない。かといって、こんなところで躓くわけにはいかないし……)

 

 

どういうわけか、色々と割いたせいか、ここに在中しているはずの人員も少ない。

 

となれば、選択肢も限られ、

 

 

「チェ、面倒だけどここは―――」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

学園都市にある唯一の少年院では、何の前触れなしに収容されている学生が姿を消す事件がたまに起こる。

 

しかもいなくなるのは、高位能力者といった優秀な学生ばかり。

 

当然、毎日その顔を見ていた看守は、この少年院の責任者である所長に報告するも『“昨夜に心不全で亡くなったんだよ”。気にしなくていいから、普段通りの仕事をしなさい』とさほど気にしていない。

 

いくら犯罪をしたとはいえ、子供で更生の余地のある学生に何の感慨も抱かないとは、少し非情過ぎではないのだろうか。

 

しかし、戯れで事件が起こせるほど強過ぎる能力を持った学生達の街、唯一の少年院では次々と切り替えていかなければキャパシティオーバーになるかもしれない。

 

やはり少年院の所長と言うのは、いかなるときも冷静な決断をとれる人間なのか、と。

 

 

 

ここからが、都市伝説。

 

 

 

ある日、何とその看守は、その死んだはずの学生を目撃した。

 

第10学区は人目がつかないトコが多く、犯罪が最も多い区域。

 

何か物音がすると、少年院からの帰り道に、ふと興味本位で人気の少ない薄暗い路地裏を覗くと、そこに担当していた子供が………………

 

翌日。

 

看守は、心不全となった学生の死亡原因を詳しく調べようとした。

 

だが、遺体発見後、すぐに焼却処分されており、死亡解剖はされていない。

 

これはもしかして……都合良く死んだことにして秘密裏に出所させたのでは?

 

不安になった看守は、職場の先輩に抑え切れなくなった不安を打ち明けると、

 

 

『いいか。ここで長生きしたかったら、“何も見ていない”ことが一番だ』

 

 

その時、少年院が学園都市で不人気な職である理由を、看守は悟った。

 

 

 

 

 

 

 

野生動物は狙われていると気づいた瞬間に逃げ始め、追手の気配が消えるまで逃げ回り、追手の気配が消えた後も、その場で足を止め、最低30分は安全確認をする。

 

そこで危機は去ったと判断し、移動を始めた―――この瞬間こそが最も危険。

 

生物とは、安心した瞬間が一番危険なのだ。

 

それは人間であっても例外ではなく。

 

逃げ切って、もう平気だと思った瞬間が一番危ない。

 

 

「アラアラ。こんなところまでついてきちゃって、このイヌさんは。痛い目に遭っても誰も助けに来ないわよ」

 

 

見た目は廃墟だが、電気は通っており施設は起動している。

 

むしろ、内側に張り巡らされたセキュリティは、以前のものよりも高水準だ。

 

ここは、既に潰れたことに“なっている”液体金属工場『篠原リキッドマテリアルファクトリー』

 

自分に有利に働く陣地で、ヘビメタルな看護師――警策看取はようやく脚を止められる。

 

イヌも歩けば棒に当たるのなら、『穴』に落ちることもあるだろう。

 

深い深い闇の底に。

 

少女は軽く安堵の息を漏らすと、ここまで誘き寄せたことだし、そろそろ予め隠れ潜んでいるよう指示を出していた警備人員に連絡でも取ろうかと通信機を取り出した。

 

 

その瞬間―――

 

 

 

     『今……油断しましたね……?』

 

 

 

「……ッッ!!?」

 

 

突然聞こえたその声に、少女は心底狼狽し、鞭を振り回すように背後を見るが、誰もいない。

 

 

『……そっちじゃありません……』

 

 

またもや背後からの声。

 

 

「……くっ!!」

 

 

背後にあるのは大きな瓦礫。

 

反射を使って声を飛ばしているのだと気がついた時、『遊ばれている』と歯を噛み鳴らした。

 

 

「……どこ!!?」

 

 

視線と一体化させた鞭を振り回し、声の発生源を探す。

 

 

『……そっちじゃないですって……』

 

 

今度は背後で金属が擦れる音を聞いた。

 

視線を向けた先、そこに狩人の姿はなく―――代わりに視界に入ったのは、勢い良くこちらに向かってくる機材を乗せた台車だった。

 

 

「―――きゃっ!?」

 

 

自動二輪バイクが衝突したのと同等の威力がありそうな突進が壁に激突する。

 

咄嗟に避けたものの足を挫き、地面に手をつく。

 

 

―――しまった!

 

 

そう思った時には既に遅かった。

 

この体勢からすぐに立て直すのには、隙を生んでしまうほどの時間がかかる。

 

 

「……だから、そっちじゃないですよ……」

 

 

耳の後ろ、息のかかるような距離でかけられたその言葉に少女は肝を掴まれた。

 

咄嗟に振り返ろうとした少女の頭を、背後から伸びた手が抱え―――

 

 

「―――なんちゃって♪」

 

 

 

刹那。

 

びしっ、と空気の裂ける音が走り、警策の背後をとった人影は重力に従って、斜めに“ずれて”いった。

 

 

 

一切の予兆もなく繰り出されたそれは―――床から壁、天井まで切り裂くほどの、巨大な液体金属で構成された刃であった。

 

狩人が最も隙を見せる瞬間は、獲物を狙う時。

 

こうして隙を見せれば、罠だと知らずに飛びかかってきて、無防備になる。

 

そうして、狩人は何の抵抗も受けずに肩口から胴体を斜めに切り落とされた。

 

ダウンジャケットに詰まった羽毛が飛び散る。

 

 

「アリャリャ、驚き過ぎちゃって加減を誤っちゃった。つけていた目的を吐かせようと思ったのに、死体じゃ口は利けないわよね」

 

 

警策は羽毛の落ちた肩を払い、微笑する。

 

もし自分を捉える気でいたなら、この『篠原リキッドマテリアルファクトリー』に辿り着く前に行動するべきだった。

 

ここにある液体金属を統べる自分に、この場所で敵う相手はおらず、一方的な虐殺になる。

 

つまりは、虎穴に入って虎児を得ようとした狩人は圧倒的な実力差にも気づかずに虎に屠られた。

 

警策の指示通りに、予めこの場所に液体金属を仕込んだスタッフが駆けつける足音。

 

 

「まあ、さっきの鬱憤も晴らせたし、死体はテキトーに処分しといて」

 

 

その時、工場内に爆音が轟いた。

 

 

 

「火葬で良いかい」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「!」

 

 

少女が頭を巡らすのと、凄まじい熱波が吹きつけたのは同時だった。

 

かすかに大気が震動し、工場が燃え上がる。

 

刹那の判断で、狩人を切断した液体金属を変化させ盾を造り身を守る。

 

地面から揺らめき立ち上る蜃気楼が空間を歪ませ、灼熱の光が工場内を照らし、有機を塵と火葬す苛烈な火柱が出現。

 

柱を横倒ししたかのような火炎は工場内の酸素を奪い、次は盾にしている液体金属に接触してさらに喰い尽くさんばかりに火力を上げ、やがては液体金属が炎の熱で赤くなり、蒸発による白煙があがる。

 

もし上限なしに温度を上げていけば、そのまま液体金属は蒸発し尽くされただろうが、この土地全てが警策看取の味方だ。

 

融解しかかった盾を補強するように仕込んであった液体金属が取り込まれ、量により比例する防御の厚みを増す。

 

力任せの火力で押し切ろうとする輩に、この地の利は覆せない。

 

 

「暑苦しいからとっとと離れてちょうだいなっ!」

 

 

続いて攻勢に転じて、仕掛けを発動。

 

液体金属が意思をもつ大蛇のようにこの火災の発生源へと一斉に襲い掛かる。

 

その数は8つ。

 

文字通り四方八方。

 

熱流も操れるとはいえ物理的防御に欠ける炎では、鋼鉄も断ち切った、高速で鞭のようにしなりながら襲い掛かる金属刃を防ぐには足りないだろう。

 

躱すことができぬよう8つの金属の刃は8方向別々に狩りに来る。

 

されど速度は先程の高速の罠と比べやや鈍重。

 

炉心にいるかのように熔けるほどの高温の中で、金属を操作するのは形を維持するだけでも困難。

 

 

「―――」

 

 

その瞳の瞳孔が猛禽類と同じにしまる。

 

極限の集中が脳内神経を限界までクロックアップする。

 

世界のすべてをスローモーションへ移し替え、彼女の網膜は確かに自分へと迫る軌道を見切った。

 

といっても人間の目は2つしかなく、彼女の目でも視認したのは8つの内5つ。

 

残り3つは視界範囲外の視覚から迫ってきている。

 

 

「私に不意打ちは効かないよ」

 

 

目で捉えなくても発火能力者特有の第六感である熱源探知。

 

火災の炎はしかと残る3つの死神の鎌の熱源を感知していた。

 

それで十分、位置情報は完全に掴んだ。

 

得られた情報を基に思考速度を加速させ、8方向同時攻撃を掻い潜っていく。

 

息を切らさず、冷や汗もかかず、獰猛な笑みを崩さず、どこまでも愉快に平然と―――野生と理性の融合した体術で躱していった。

 

しかし、金属と火炎の交錯が終わると、決して無傷ではなく、その首筋を、つうと紅いものが滴った。

 

 

「かかか、掠らせるとはやるねぇ」

 

 

その紅蓮を統べる少女は、躱せなかったその事実に、大きく目を見開いて、手を叩く。

 

年齢は警策とほぼ変わらぬ、ポニーテイルでまとめた長髪は赤く、そのギラついた目は肉食獣を思わせて、彼女の印象をひどく獰猛に彩っている。

 

一気にサウナまで温度が上がった工場内の蒸し暑さなどまるで感じないかのように、警策を睨めつける。

 

鬼塚陽菜。

 

常盤台で戦闘力だけなら超電磁砲よりも凶悪な最も危険な核弾頭で、生粋の戦鬼。

 

 

 

 

 

 

 

「アッレェ~~~? どうしてあなたがここにいるのかなっ? もしかして、査楽ちゃんか馬場ちゃんが吐いたのかなっ」

 

 

「どっちだって関係ないだろ。私がここにいるのは、警策看取――アンタがあの『爺様』と繋がってるからだよ。アレが何を企んでいようと潰すんだから、手段過程なんて気にするんじゃない」

 

 

「あなた達の一族が恨んでるのは知ってるけど、強引ねぇ。それじゃあ―――ここで私を力づくで吐かせる気っ?」

 

 

「そんなのやんないよ。掠り傷だけど不意を打ったはずの私が逆にやられたんだ。この工場の中では私の勝ち目は薄い」

 

 

すでにこの空間の外壁には、警策の力の具現とも言える液体金属が滲んできている。

 

それでもその瞳だけで断じて否、ときっぱりと告げる陽菜に、警策は少し驚く。

 

 

「ヘぇ、意外と慎重派だね。ここら一帯を火の海にできる<鬼火>なら、もしかすると私を打倒できるかもよっ!」

 

 

「お断りだ。見え見えの挑発に誰が乗るかい。ま、確かにこの工場を全焼することはできるけど、そんな派手なことをすれば<警備員>が黙っちゃいない。アンタらみたいのはとにかく、カタギの人間に手を出すのは避けたいし。ここぞという時まで、燃費は最小限でいきたいさね」

 

 

「アハッ! そんなに余裕かまして良いのかな。美琴ちゃんと違って、あなたみたいな危険人物を生かす理由なんてないんだから、みすみす逃がすとでも? そんな舐めた考えで暗部に手を出そうなんて甘いんじゃないっ?」

 

 

警策看取の意識が肉体を支配しているように、『篠原リキッドマテリアルファクトリー』という建物内の全液体金属の活動をも、彼女は己が意識と同調させている。

 

もうこの工場は警策の体内で、液体金属は外来の異物を駆除する白血球に等しい。

 

その体内で炎症を起こす原因は、無視できるものではない。

 

と、逃げ場を封じるように液体金属が陽菜の周りを囲んだ―――そこへ警策看取の能力が集中した時、最初に襲い掛かってきた台車に乗せた機材の蓋が開き、中から1つの影が飛び出す。

 

 

 

「ああ、だから、1対1っつう手段過程(こだわり)なんて気にしないよ」

 

 

 

完璧な不意打ち。

 

しかも今度は液体金属の守護も間に合わない。

 

防衛本能で反射的に鞭を振るい、それとクロスカウンターの要領で交差する右手―――その白魚のような肌に反して万力の如き握力を備えた指が、警策の右手首に絡まった。

 

竜尾の柳髪を靡かせる人影が、蛇さながらのしなやかさで低く身を屈め、そのまま警策の右腕の下を潜る。

 

次の瞬間、まるで怪我人に肩を貸すかのような姿勢で、警策の右腕を肩の後ろに背負い込んでいた。

 

 

「―――ふふふ、そっちじゃないって言ったでしょう」

 

 

完全に騙された。

 

致命的な絶望の中で、警策は成す術もないままに理解する。

 

あの狩人だと思っていたものは、査楽のダウンジャケットを着せた、御坂美琴との交渉で使った液体金属でできた人形で―――

 

 

「さっき縛り上げてくれたお礼です」

 

 

狩人が最も隙を見せる時は、獲物に襲い掛かる時。

 

本物の狩人の体が警策の腰と密着すると同時に、左腕の肘は鳩尾を穿ち、まだ同時に左足は警策の軸足を鮮やかに刈り取っていた。

 

打鞭を持つ右手を掴んでから、全てが一動作のうちに一瞬で決まる。

 

受け身を取ることすら許されず、警策は地面に叩きつけられていた。

 

あまりに強烈な衝撃に、両手足の先まで電流が走り抜けたように痺れ、肘打ちをもろに受けた胸の激痛は頭を真っ白に焼き尽くす。

 

おそらく折れてはいないだろうが、間違いなく肋骨にひびは入っているだろう。

 

たった一撃で、警策看取を戦闘不能に陥れたのだ。

 

 

「あが―――」

 

 

指先まで痺れ、頭も軽い脳震盪を起こしているのか、能力演算に雑音が走る。

 

 

「無駄です。『干渉』しています。今の状態のあなたが能力を使うことは不可能です」

 

 

額に脂汗が滲む。

 

背骨から冷酷な狩人である蜘蛛が伝うような、さわさわと内臓にまで沁み入る寒気の正体は、危機的なストレスからくる吐き気。

 

 

(こんな―――ところで―――倒れるわけには―――)

 

 

自らの弱気を叱咤するが、警策の体も頭も言う事をきかない。

 

先程までこの工場内を覆っていたAIM拡散力場が、乱れている。

 

液体金属に指令を送るパスが、ぶつんぶつん、と次々と断線していく。

 

このままでは………とその緊張も長くは続かなかった。

 

 

 

 

 

第二学区

 

 

 

―――一方、もう一つの舞台も、動き出す。

 

 

 

「―――そういうわけで、御坂さん。お話しには付き合ってあげるから、ここは大人しく引き下がってちょうだい」

 

 

都市伝説サイトに載っていた食蜂操祈が入っていった建物へ御坂美琴が向かうと、その途中、一人の女子生徒に声をかけられた。

 

その瞳に、心理掌握された証である星型の輝きを浮かばせて。

 

その声質は違えど、声音の調子は……これまで影に隠れていた女王様と同じ。

 

 

「食蜂……アンタねぇ」

 

 

当たり前だが、その“代理を立てる食蜂”に美琴の視線は不信でいっぱいだった。

 

 

「時間がないからお互い無駄は避けましょう。目につくセキュリティにアピール力全開で映ってくるんだから、時間が押してるけど、私の一番信頼力のある隠れ家へは誰も近づけたくないのよねぇー」

 

 

ひとつ、美琴はそこで息を吸う。

 

このままペースに流されないよう深呼吸。

 

頭を十分巡らせるだけの酸素を確保し、今この場で無闇に事を荒立てる必要はないと深く自分自身に念を入れる。

 

ここで重要なのは、今回の事件についての情報を引き出すことだ。

 

 

<妹達>10032号(あの子)は、そこにいるのね」

 

 

「ええ、心配しなくても全てが終わったらあの子は返すわよぉ。免疫力が少し心配だけど、撃ち込まれたナノデバイスの処置も上手くいったし、命に別条はないわ」

 

 

「アンタと<妹達>にそのナノデバイスを撃ち込んできたアイツらとの関係は? 最初は命令しているかと思ったけど、アンタが<妹達>を攫った後も、アイツらはずっと捜し回っていたんだし、アンタには必要ない聞き込み調査を自分の足を使ってまで行ってんだから、むしろ敵対してると見て良いのかしら」

 

 

複数のデバイスを使う相手や美琴に美鈴(詩歌)を人質にとって脅迫してきた改造看護服の少女。

 

彼らとの会話に、美琴は無視できない“ズレ”を覚えた。

 

互いに互いを何か誤解している。

 

それをズラしていると考えられるのは……やはり食蜂しか考えられない。

 

 

「そ☆ 今私はその親玉に向かっている最中。で、<妹達>の<ミサカネットワーク>をロクでもないことに使おうとしている相手は――――」

 

 

 

 

 

廃工場

 

 

 

『―――って詩歌っちじゃん』

 

 

警策看取追跡中に、遭遇したのは『篠原リキッドマテリアルファクトリー』の近くの裏路地で目隠しに猿轡をかませて縛り上げた男の子一人を転がしていた鬼塚陽菜。

 

空間系能力者である彼を封じるための処置なのだそうだが、とても誤解を招きそうだ。

 

いや、事実、この査楽少年を絞めていたのだが、ここまでだと完全に苛めやり過ぎでしょう、と止めに入りたくなる。

 

 

『何やってんですか、と、見れば分かる通り、今は忙しいんですけど』

 

 

『へぇ……詩歌っちが当麻っち以外をつけ回すとは珍しい』

 

 

『あのですね。当麻さんをつけ回すなんて、そんなことは滅多にしませんよ』

 

 

『かかか、それでこれを見ても何のツッコミが入らないってことは把握してるってことかい』

 

 

『どうして陽菜さんがそこまで関わってくるのかは知りませんが―――目的が一致しているようですね』

 

 

『そうみたいだねぇ……なーんか、どっかから見られているような気がしてイヤな予感がしてたし、詩歌っちもまだ寝起きなんだろ』

 

 

『ええ、彼女もどうやら慎重な相手ですし』

 

 

だったら、これ以上意味のない会話は必要はない。

 

何故、『あの男』の影を追っているのか、などと。

 

敵の敵は味方で、互いの実力も把握している。

 

手段も選んでいられる状況ではない。

 

 

『先にやられて』

 

 

『で、私が引きつけて』

 

 

『詩歌さんが止めを』

 

 

『篠原リキッドマテリアルファクトリー』突入直前、詩歌と陽菜は短い会話を終えると、長年の親友同士に通じる最小限のハンドシグナルで作戦を済ませた。

 

 

「詩歌っち」

 

 

「はい、陽菜さん」

 

 

悪友からの忠告に、ちら、と詩歌が視線をやる。

 

すると、閉じていたセキュリティのドアが、悲鳴を上げて押し開かれたのである。

 

ギシギシとカードキーもなしに抉じ開けようとする音。

 

そして、そこへ気を取られたその一瞬の隙に、鬼塚陽菜が破壊した窓から投げ込まれた―――

 

 

「っ! 手榴弾!」

 

 

2人は動けない警策を抱えると、咄嗟に鉄板や機材の後ろに回り込んで―――その缶は破裂した。

 

勢い良く噴き出す白煙。

 

その濃度は濃く、その勢いは瞬く間に工場内を埋め尽くしたほど。

 

これは煙幕!

 

時間差で、2個、3個、4個と次々と投げ込まれ、辺り一面が完全に真っ白な煙に包まれる。

 

そして、そのタイミングを待っていたかのようについにドアから飛び出してきた。

 

 

(敵襲!)

 

 

陽菜は真っ白に染められた世界でもその存在を熱源探知で捉えて―――爆撃。

 

威力を抑え、視界不良で、やや精度が落ちるとはいえ、人間なら動きを止める牽制になる。

 

それが人間ならば。

 

 

(なにっ!)

 

 

視界の利かない白煙の中を迷いなく走破するのは、巨大な獣の影。

 

爆風で一瞬晴れたその姿は、見たこともないほど大きく禍々しい凶犬。

 

2人は反射的に身構え、て……………

 

 

―――えっ……!?

 

 

図鑑では載っていない凶悪な人工動物は硬質な体毛を持ち、<鬼火>の爆炎を突っ切ると邪魔な詩歌と陽菜を撥ね退け―――主人から目標である警策看取の身柄を確保する。

 

 

(これは、逃げの一手)

 

 

警策の体を咥えるとその身体は煙幕が投げ込まれた窓を飛び出し、あっという間に気配を遠ざからせた。

 

残されたのは、瞬時に摺り盗った警策看取の電子タブレットだけで………

 

 

 

『フォフォ、危なかったね。あと少しで警策君が捕まるところだったよ』

 

 

 

 

 

第2学区

 

 

 

「―――木原幻生。それが今回の黒幕よ」

 

 

精神操作により足を確保した車内。

 

木原幻生。

 

美琴も、直接会ったことはないが、名前は何度か耳にしている。

 

あの幻想御手(レベルアッパー)事件の引き金である『暴走能力の法則解析用誘爆実験』の首謀者として、

 

あの『神ならぬ身にて天上の意思に辿り着く者』を目的とした『絶対能力進化《レベル6シフト》』の提唱者として、

 

その全てに関わってきた根源、

 

真理の探究のためには手段を選ばず、数多くの実験動物(能力者)に、研究者と研究機関さえも破滅させてきた学園都市の、『能力開発』の先にある『SYSTEM』研究分野の元老。

 

それがまた、『実験』が凍結されたはずなのに、<妹達>を捜している。

 

おそらく、研究者達の頂点に立つほどの権力を持つ<木原>一族の長老である木原幻生のことだから、計画再開の為ではなく、<ミサカネットワーク>の裏にある『何か』を――『Level6』と深いかかわりのあるものを狙っている。

 

 

「あのジーサンが来る場所の情報を見つけるのに散々苦労させられたけど、内部の人間の記憶を読んだから間違いなし。この千載一遇のチャンスに一気にケリをつけるつもりよん☆」

 

 

「じゃあ、黒子達の記憶を操作したのって、アンタなりに気を遣ったってわけ?」

 

 

「別にぃ……不安要素を排除しただけよぉ」

 

 

この学園都市の暗部が相手だと知れば、木原幻生に警戒されている美琴は、おいそれとお友達を巻き込めないが、その場合は『派閥』の包囲網を強引突破するだろう。

 

だけど、情報封鎖しすると単なる悪戯程度の認識になってしまいおそらく頼る、藪から蛇どころではない、学園都市の深淵にお友達が突っ込めば、高確率で死んでしまう。

 

死ななくても、そのイレギュラーな行動は、食蜂の立てた計画を狂わす可能性がある。

 

 

「だったら、そんな隠さなくても、最初から私に話してくれれば……! 最初から私と組んでれば……っ!」

 

 

「さっきも言ったけど御坂さんは警戒されてるの。だから、組めば私の存在までバレちゃって迂闊に動けなくなる」

 

 

「それでもやりようは幾らでもあったはずでしょっ!! 詩歌さんなら婚后さんをあんな目に遭わせるような真似は……っ!」

 

 

結局のところ、これは『実験』――御坂美琴がDNAマップを提供したところから始まって、それに皆を巻き込んだ。

 

そして、不幸なことに暗部と接触してしまった。

 

これは意図して起こしたわけでなく、あくまでも計算違い。

 

食蜂操祈を責めるのは筋違いだ。

 

 

「彼女の事は気の毒だったと思うわ」

 

 

でもね、と少女を操る食蜂。

 

 

 

「結果的に私と相性の悪いガラクタを潰してくれたから、助かったわぁ♡」

 

 

 

軽い調子で言われ、御坂美琴は感情を爆発させる。

 

 

「そのガラクタを私にぶつけろっつってんのよ!!」

 

 

これは食蜂の肉体ではない。

 

それでも、その胸倉を掴んで、そのまま語気を強めていう―――が、少女を操る心理は冷めたままで。

 

 

「御坂さんが裏切って私を木原幻生に売ったら?」

 

 

「そんなことするわけ……っ!」

 

 

「安易に人を信じた末路が『量産型能力者(レディオノイズ)』と『絶対能力進化(レベル6シフト)』じゃないの?」

 

 

その言葉は、美琴の心理を撃つ。

 

反論の言いだせない美琴に、食蜂の言葉が緩やかに流れ込み続ける。

 

 

「確かに、詩歌先輩ならあなたを信頼できたでしょうけど、私にそんな恐ろしい真似はできないわぁ。普通、人間は誰だって白黒はきっちり付けたがるものよ。だから、私は協力者の頭の中は必ず覗くし、思惑の有り様、営為の規範、場合によっては感情も行動も操作するわ。でも、自分の敵と味方を区別したがるのは誰だって当然のこと。正義感の強い御坂さんだって同じ。―――だけど、詩歌先輩達はその灰色の存在を灰色のままに許容してしまう」

 

 

食蜂の指摘したことは、とある兄妹の異常性を露わにしていた。

 

少し前までは、彼らは日常の世界にいたはずだ。

 

不幸だとかで巻き込まれて非日常的な出来事に慣れてはいても、基本的には普通の学生として過ごしてきたはずなのだ。

 

それが反転して、人の生死も懸ける完全な非日常と本格的に交わるようになったのは、精々この数ヶ月のことだろう。

 

夏休みに『実験』を知った美琴とそう大差はないはず。

 

なのに。

 

非日常な不幸に幾度も巻き込まれて、一切その態度は変わらない。

 

『神の頭脳』を目的とするために、あらゆる代償が容認されるこの街の本質が――かもしれないと気づいているのに。

 

いっそ不自然なぐらいに、奇蹟的なほどに、その在り方は不変だ。

 

もしかつて殺されそうになった相手でも、状況によれば味方になるだろう。

 

ある意味では、深い暗部にいる非日常な闇側の人間よりも見事に、そして無意識に立ち振る舞う。

 

そして、必要となれば、いとも容易く最適解を選び取れる。

 

それがどんなに恐ろしいことか。

 

存在だけでも世界を揺るがし過ぎる―――だからこその『鬼札(ジョーカー)』なのだ。

 

 

「きっと詩歌先輩は御坂さんのお望み通りに誰も犠牲にならないよう、木原幻生とは長い指し合いを望んでいたから、私が介入しようとすれば止めたでしょうね。私の手を平然ととれちゃう呆れるくらいに甘い人だから……」

 

 

はぁ、と眩しい昼の風に、吐息が紛れる。

 

まるで腹の底ではなく、心の底から溜息をつくように。

 

 

「でも、千日手じゃあ決着はつかない。灰色を許容しているようじゃ、真っ黒は消せない。そして何も捨てれない人だから、守るためにはまず自分を捨てる」

 

 

食蜂の言葉は、ゆるゆると風に流れて、美琴の居る場へと。

 

 

「そんなの私はゴメンよ」

 

 

と、言うと唇だけを歪ませて。

 

 

「御坂さんのいう通り、もし詩歌先輩が起きていれば、婚后さんが怪我する事はなかったでしょうけど、代わりに詩歌先輩が不幸を背負っていたでしょうね」

 

 

「それは……」

 

 

「御坂さん、あなたは私の天才力を一生反りが合わないひとでなしとでも思ってるんでしょうけど、私から言わせれば、御坂さんは一度人の心を見てみるべきねぇ。そうじゃなきゃ、“あんな相談”できないわよぉ」

 

 

「一体何の事を言ってんのよ」

 

 

「その発言自体が鈍感力の証ねぇ。あの人は自分で自分が間違っていると分かってるから、『灰色』のままで居続けているんでしょうけど……ええ、きっと御坂さんとが正しい。もちろん、私とも。他の娘だって。自分以外の娘が隣に立つことも望んでいるから、邪魔はしないし、場合によっては応援もするでしょうし、本当に滅私奉公。でもね、“あんなこと”までお姉さんだからって甘えるなんて、私でも出来ないくらい反則力なズルだし、あまりにも不幸力で可哀そう過ぎる」

 

 

とぼけるように笑いながら、これ以上は無駄話になるわねぇ、と打ち切り、けれど目の前の少女の仕草がどことなく突き放した感じで、何となく息苦しくなる。

 

言い方が謎めいていて、さっぱり真意がつかめないが、どんな鈍感だって薄々と気づく。

 

食蜂は自分の甘えに、立腹している。

 

けど、それは自分で気付かないと意味がなく、誰かに教えてもらおうなどと甘えるな、と。

 

だから、何も聞けず、反論もできず、無知であることだけを突きつけられた美琴は歯痒いままで。

 

対話という同じゲーム盤で向かい合った者同士で、最初にいい加減な答えは許さない圧力を飛ばしていたのは美琴だが、今は、距離も人相も関係ない、個々の本質というべき何かが目には見えないプレッシャーとなって逆に美琴が圧されている。

 

 

 

「私は白と黒はハッキリと付ける。何考えてんだかわからないアナタと組む気なんて端からないの」

 

 

 

ピシャリと言い切られてしまった。

 

普段の様子からは想像もつかない鋭さで、こんな芯の強さがあったのかと一瞬驚かされる。

 

ここで対話の機会を作ったのも、合流したのも、婚后光子の献身に敬意を表わすためと、これ以上は立ち入らせないため。

 

美琴の為ではない。

 

この隠れ家、蜂の巣をつつけばただではおかない。

 

それでも、美琴は対話が終わる前に1つだけ訊く。

 

 

「ねぇ、何であんたが<妹達>を……」

 

 

「さぁ? そこまで教える義理はないし、私は詩歌先輩と違って甘くないから。訊かれたら何でも教えてくれると思ったら大間違い。……まぁ、悪いようにはしないから、大人しくここは引き下がって頂戴。さもないと――――」

 

 

瞬きの間に、

 

瞳の星が消える。

 

目の色が変わる。

 

中身が元に戻る。

 

 

「―――力づくで、ということになります」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……いいの? 紅白戦とは違って遊びじゃないわよ」

 

 

騎士が構える。

 

女王の命に従い、御坂美琴を単騎で追跡した近江苦無がここに、対峙する。

 

 

「私は何も知りません。知る必要もない。この先に何があるかも聞かされていませんし、操られている間の記憶はない。御坂先輩が切迫した状況であることも勘付いております。それでも留守の間に、アナタをここで足止めするよう命じられた。だから、決死の覚悟で止めます」

 

 

排水溝から水が噴き出す。

 

雨水を逃がすための口から巨大な間欠泉のように重力を無視して空に向かって伸び上がる。

 

更に空気中の水分まで取り込んだ大量の水を、水氷系操作高位能力の近江苦無の<水蛇>は膨張させ、周囲一帯を包む巨大なドームを形成した。

 

透明な膜が、晴れ空から降り注ぐ陽光を歪ませる。

 

それからさらに予めペット除けのペットボトルのように道端に仕込んであった水筒から、苦無の前にも壁ができる。

 

 

『御坂さんは、何の罪もないコに暴力を振るうようなキャラじゃないでしょぉ?』

 

 

いつぞやに食蜂に言われた言葉を思い出される。

 

巷で『常盤台の騎士(ジャック)』と呼ばれる今年の新入生代表は、脅しても引かないだろう。

 

 

「やり難いったらありゃしない。ホント、ブラック企業もいいところね」

 

 

「忠義は理屈ではありません。やれといわれたらやる。例えそれがどんな相手でも」

 

 

どこか哀しげに、美琴は俯いていた。

 

こうなれば多少乱暴にでもやるしかない。

 

 

「けど、やっぱりアナタじゃ私を止められない。―――アナタはLevel4で、私はLevel5よ」

 

 

バチッと美琴の前髪から雷撃の槍が放たれる。

 

雷撃対策の、電気への態勢が高いはずの純水で形成された防壁が、あまりのパワーに一撃で弾け飛ぶ。

 

その余波で舞い上がった砂塵と破片が、苦無の体に裂傷を刻みつける。

 

血しぶきを上げながらも、しかし苦無の冷静な目は美琴を見据えていた。

 

 

「これはひどくイメージが悪いので使いたくなかったのですが」

 

 

苦無が、美琴を指差すようにして左手の人差し指をこちらへ向ける。

 

大気が不自然に変化し、美琴の頬にひんやりとした湿り気が触れる。

 

噴煙の中でも冷気を保ったそれは、気体から液体へと変化した水滴だった。

 

近江苦無は、指を鳴らす―――その直後。

 

 

「……っっ!」

 

 

美琴の視界が、真っ白に染まった。

 

反射的に磁力で砂鉄を操り盾にする。

 

爆風が、吹き荒れた。

 

砂鉄の盾が割れ欠け、美琴の体が後方へ吹き飛ばされる。

 

受け身を取って体勢を立て直した美琴の眼前に、苦無の冷たい眼差しがあった。

 

大気中から取るより、元があった方が早い。

 

爆発に乗じて距離を詰めてきた苦無は懐から取り出したミニペットボトルを構える。

 

ただのお嬢様ではなく修羅場を潜り抜けてきた美琴は即時修復した砂鉄の盾を―――それを真っ二つに切り裂くウォーターカッター。

 

『当たった部分を超高圧高圧縮で飛ばした水流により吹き飛ばす』金剛石すらも斬る『切り裂きジャック』近江苦無の隠れ忍刀。

 

砂鉄と水切を相殺させると、苦無はその小さな体躯を生かし、身を屈んで美琴の懐へと潜り込みながらアッパー気味に美琴の腹に拳を叩きこむ。

 

だが、美琴の体は、苦無の拳が届く直前で、瞬間的に後方へ引き下がっていた。

 

ぷすぷす、と焦げた痕。

 

地面に電流のラインを走らせ、リニアモーターカーと同じ原理による電光石火。

 

<水蛇>の水切は忍刀と同じくその範囲は狭く、離れてしまえば届かない。

 

氷で造った苦無を投擲で不意を打とうにも、360度電磁波レーダーで索敵される美琴に死角はなく、直前で撃ち落とされる。

 

と、そこで美琴は、近江苦無が冷静に座標を定めているかのように白い靄を渦巻くのをこちらへ指差しているのを目視して―――

 

 

 

プシッ、という何かが弾ける音が響いた。

 

 

 

周囲に、液化した水滴が降り注ぐ。

 

解放された爆風が辺りを突き抜けた。

 

爆発は後退した美琴を呑み込んだ。

 

 

「くぅ……!」

 

 

しかし、爆風に晒されても、美琴は掠り傷程度で砂鉄の盾もいまだ健在。

 

けれども、ここまで優勢なのは苦無。

 

 

「Level4がLevel5に勝てない、ですか。それは本当なのでしょうか、先輩」

 

 

「生意気な後輩ね。これは困ったわ」

 

 

美琴は冷静に、今の爆発について分析する。

 

もう大体の推測はついている。

 

近江苦無の手中に収まっている白い靄に、爆発が起こる前の水滴。

 

水蒸気。

 

あの白い靄は、水蒸気の塊たる雲。

 

上条詩歌は<水蛇>を評して、厳密には水の流れを操る水流操作(ハイドロハンド)ではなく、“水分子を操作するに特化した分子操作系能力”で、大気から氷を造り出すのも分子の運動を止めているのだと述べた。

 

運動を止めれば、結果として熱エネルギーが失われ、凍りつくように見えるのだと。

 

そして、分子操作なのだから、静止だけでなく、大気から水を集める収束に、静止の逆の振動もできる。

 

水の状態変化の、固体である氷、液体である水、そして、気体である水蒸気を使っていると確信していた。

 

空気中に冷却した水蒸気を降らせ、そこへ温度差の激しい熱源を与える。

 

それは一度液体化した水分を再び急激に蒸気化し、爆発―――俗にいる蒸気爆発だ。

 

おそらく指先の熱源の正体も、水分子を高速振動させて生んだ熱エネルギーで、手中の雲は周囲との温度差で水滴化した雲であることも分かった。

 

 

(この普通の水流系操作じゃ思いつかない発想。きっとこれは<鬼火>から得た経験を生かしたものなんでしょうね。まったく、詩歌さんは本当に厄介なモンを教えるんだから)

 

 

距離が離れていても警戒の解けず、破壊力の大きい。

 

だが、水蒸気を同時に圧縮と解放、膨張させることはできず、座標指定にも指先で合わせなければならないようで、隙もある。

 

そして、まだ顔には出ていないが、集中力をかなり使うだろうし、疲労も大きい。

 

このまま守りに徹し、長期戦ならば勝てるだろう。

 

 

―――と、去年まだ一年生だった美琴は思うだろう。

 

 

(だけど、このやり方はどう見ても時間稼ぎ。でなきゃ、真っ向から対峙してきたり、囲ったりする必要がない)

 

 

こうして、苦無がドーム状の水膜を維持しているのは美琴がこの場から逃げ出すのを防ぐため。

 

水切も水爆もどれも牽制に過ぎず、今も瞬時に防御できるよう周囲に飛び散った純水の霞を保っている。

 

元より撃つつもりはないが、超電磁砲を放とうとすれば、即座に邪魔してくるだろう。

 

なるべく疲労を避けたかったが、このままでは時間と体力を無駄に消耗してしまう。

 

 

「ホントに、小細工が得意ね。今年の新入生で首席なのも納得よ」

 

 

「そういう、御坂先輩こそ第3位の真価は、代名詞にもなった超電磁砲の破壊力ではなく、その応用性だと聞いておりますが」

 

 

「さあどうかしら?」

 

 

「いえ、仮にも『御坂美琴』が不器用なはずがありません。ですので、油断せず、渾身で行かせていただきます。―――まずは、その『目』から封じさせてもらいます」

 

 

懐から取り出したスプレー缶のような金属筒を、水切で弾き飛ばした。

 

天下の名刀にも勝るその切れ味は紙屑のように引き裂くと、その中身が空中に散布される。

 

キラキラとダイヤモンドダストのように。

 

シャーペンの芯ケースと同じくらいの大きさで、金属製の薄い膜。

 

極薄の二枚羽で竹トンボのように旋回しながら、何百もの金属片が空中でぴたりと静止する。

 

ドーム状に水膜が外界と遮断しているため、風で流されることもない。

 

 

「……っ!? まさか、それって」

 

 

美琴の第六感とも言うべきもう一つの目――電磁波レーダーに乱れが生じる。

 

 

「甲賀のものは新しいものを積極的に取り入れている。電波を撹乱する道具の一つ、<撹乱の羽(チャフシード)>。相手の無線通信を妨害するのが本来の用途ですが、御坂先輩の電磁波レーダーを邪魔するのにも効果があるようですね」

 

 

新たなミニペットボトルを右手に構えたのを最後に苦無の姿が霞み始める。

 

深い霧。

 

一寸先すら見通せないミルクを溶かしこんだような濃密な霧が、たちまち視界を奪った。

 

これまで衝突して散った水気を利用した霧隠れに無音暗技術。

 

対等な条件下で相手の姿が見えなくなろうと、苦無は音で相手の位置を把握する

 

雷撃を放っても純水の膜で弾く。

 

そうすれば、一瞬でも攻防の間ができ、接近できる。

 

そして、自分の代名詞が超電磁砲だというのなら、苦無にとって、水切が最も得意とする技であることを美琴は知っている。

 

砂鉄の檻さえもバラバラに切り裂いた秘めた刃。

 

美琴は声と足音を殺しながら、出来るだけ静かに移動、と――――だが

 

 

 

       きゃ

 

 

 

「―――」

 

 

苦無の体が消えるのと、どちらが早かったか。

 

凄絶な音が、空間にこだました。

 

 

 

 

 

??? 屋上

 

 

 

こちらの『別荘』から情報を盗んだのは、御坂美琴ではなく、食蜂操祈。

 

記憶操作で隠しきれない痕跡を隠蔽するために、御坂美琴を身代りに仕立て上げた。

 

 

「? そんな簡単なことを今更気づいたのかい?」

 

 

「気付いてたなら、教えてくださいよ」

 

 

「いや、教えた所で仕事は変わらない。むしろ演技にならないよう爺様は敢えて教えなかったんだろう。自然にやられ役になってくれるようにね」

 

 

つまりは、捨て駒にされたということか。

 

ようやく動けるまでに回復した……が、イヌに咥えられ涎塗れな警策は、無意味だろうけどこの恩人に鞭で八つ当たりしてやろうかと考えてしまう。

 

 

「そのおかげで計画は最終フェイズまで順調だ。警策君はそれまで十分に休息を取るといい」

 

 

そう語る男は、これから学園都市にいる人間を無秩序を巻き込むであろう木原幻生の実験が始まるというのに朗らかに笑う。

 

その様には何の威圧感もなくただ穏やかで―――それだけにすぐに信用できない。

 

こちらの意図を、確実に見抜いてくる相手で、結果として、無駄な争いが生じることはないのだが、さりとて楽ではない。

 

あの状況もきっとやられると分かっていたのに、ギリギリまで助けなかったのだ。

 

やり難いのとやり易いのが半分ずつが初対面の印象。

 

交渉事に長じていれば、賢い相手の方が組み易いとも思えるが、こうして短い付き合いで警策にはこの心胆を読めない男は信用してはならないと本能的にも告げている。

 

ピンチだった警策を助けたが、同じく捕縛放置されていた<メンバー>の査楽をも回収している。

 

すでに木原幻生が統括理事会の意に添わないものだと知っているのに、統括理事会の命を受けて動く<メンバー>の人間が協力している。

 

だが、<木原>とは必要とあらば、身内でも切り捨てられる人間だ。

 

 

「アナタは結局、<メンバー>と<木原>のどっちの味方なんですか?」

 

 

と、警策が問えば、彼は教師のように落ち着いた声で。

 

 

「私は私事と仕事は分けない性質でね。簡単に言って、どちらの味方でもないんだよ。だから、大人しく傍観者に徹する事にしようと考えている」

 

 

「本当に?」

 

 

「ああ、“私は”手を出さないよ」

 

 

その鋭い眼光を隠すための眼鏡の位置を直して、警策に向けて愛想よく笑って見せる。

 

その言を信用するならば、もうこの男はどちらにも手出しはしない。

 

 

「これ以上私の手は必要ないだろう。これを駒一つに人の命を一つをかけた将棋に例えれば、後は詰将棋のように簡単に決まる。最初から打ち方にハンデがあるしね。向こうは一つも駒を落させる真似は出来ないようだが、爺様は必要とあらば、躊躇いなく、斬り捨てる。爺様の前では、能力者は大人と子供―――それ以下の研究者と実験動物(モルモット)にしかならんだろう」

 

 

と、ここで一拍の間を置き、

 

 

「……とはいえ、実験動物(モルモット)でも油断をすれば噛まれるがね」

 

 

 

 

 

第9学区

 

 

 

最初、少女を敵性対象と判断しにくく、ただ道を塞ぐだけに留まった。

 

無理もない。

 

自分達に与えられた戦力からすれば、武器も持たぬ少女など、まともに相手するにもあたらない。

 

だが、だからと言って警備を手を抜くこともない。

 

与えられたマニュアルに従い、少女に銃口を向ける。

 

冷たい意思が、照準も精密に狙い定めて、一斉射撃でかたをつけるつもりで――――と、不意に少女を囲んでいた男達がぎこちなく動きを変化させ、やがて揃って傅いた。

 

 

「オ待チシテオリマシタ」

 

 

「はい、ごくろうさま~♪」

 

 

伝統工芸から最新ホログラムまで古今東西あらゆる芸術の分野を収めた、能力ではなく芸術に特化した第9学区。

 

学区内の特別条例により、年功序列制度は完全に廃止され、純粋な実力だけで上下が決まる学生社会には珍しい制度を取っている。

 

その学区内のビルで行われる、国際能力研究者会議。

 

そこに特別なVIPが来るとなって、私設警備(プライベートサービス)だけでなく警備ロボットまで動員されている警戒態勢。

 

しかし、警備員は道を開けて、許可なく不審者が侵入すれば直ちに鳴るはずの警報は、守衛にスイッチを切られ、うんともすんとも言わず、眠っている。

 

銃声一つ鳴らさせることもさせず、Level5という災いは、静かに静かに吹き荒れる。

 

 

「元々一人で済ますつもりだったしぃ、会議場の警備は無力化済みだけどぉ」

 

 

スラリとした長躯に、起伏に富んだ抜群のプロポーション、流れるような長い金髪と、およそ中学生らしからぬゴージャスな容姿は、良くも悪くも人目を引く。

 

常盤台中学で最大派閥の『女王』たる食蜂操祈は、この場でも支配者として君臨していた。

 

 

「国際的な会場だから、セキュリティ力も高そうだし、私の天才力“だけ”じゃ時間がかかりそうねぇ」

 

 

食蜂は溜息をつく。

 

仲良く協力するなど必要ないが、しかし、これでは、あとが厳しい。

 

能力者は力を使えば消耗し、無限の体力があるわけでもない。

 

それだけの力を振るえば疲労は免れぬ。

 

だから、ここまで最小限の駒運びに控え、抑えてきた。

 

後に、この建物内にいる<木原>と戦うには、如何にも心許ないのかもしれない。

 

この場に一人で現れた食蜂だが、別に自殺願望があるわけでもない。

 

ましてや犬死など許せるはずもなかった。

 

誰が相手だろうと人間が相手なら、スイッチ一つ押せるだけの力があれば十分だ。

 

よって、ここは早期決着が望ましく、呟くキーワードは決まっている。

 

 

 

「―――『エクステリア』。十三対目以降の任意逆流開始」

 

 

 

スイッチを押す。

 

それだけで、一度に、研究者、守衛、私設警備員含めて中にいる人間の全てを掌握する。

 

学園都市最上の精神系能力者とは言い表せないほどの、悪夢じみた桁外れの脅威が、学園都市元老の科学者に牙をむく。

 

 

 

 

 

第2学区

 

 

 

凄まじい音と閃光が足下からこだました。

 

“地面”から。

 

その意味は、すぐに知れた。

 

相手に膝をつくようにして、苦無は囁いた。

 

 

「……やっぱり、器用じゃ、ないですか」

 

 

これは先程、美琴が緊急的に苦無から距離を取った際にできた黒焦げ。

 

そこへ踏み込んだ時、足の裏から太股へ衝撃が突き抜け、苦無は体勢を崩して転び体を地面に打ち付けた。

 

ドアノブに触れた途端に、静電気が流れるのと同じようなもの。

 

退避すると同時に、高圧電流の流れる罠を仕掛けていた。

 

<超電磁砲>の恐ろしいのは出力の大きさだけではなく、電気抵抗も自由に操作できる電撃姫は弾いたコインが落ちるまでに、瞬時に電気回路を構成できる。

 

この展開を見越して接触すると自動発動する罠。

 

純水の膜を張ろうにも足下には張れない。

 

そして、そこへ誘導したのは、“御坂美琴本人の肉声ではなかった”。

 

 

『まあね。初見じゃ危なかったけど、私も、近江さんのやり口は紅白戦で思い知ったし。びっくりしたかしら』

 

 

その声は、床に落ちていた近江苦無が用意周到に仕込んでいた純水を収めていた“空っぽの水筒”から聞こえてきた。

 

薄い容器が震えていた。

 

ええまったく、と苦無は素直に感嘆する。

 

声を電気信号に変換して伝達する事で、スピーカーのように水筒を震わせているのだ。

 

電撃の槍や砂鉄の剣と言った単なる火力を叩きつけるのとは別次元の独創性で、苦無に美琴の位置を誤認させただけでなく、まんまと罠のある位置へと誘導した。

 

ほぼ最小限の力で、素早く決着をつけた。

 

超電磁砲(レールガン)>の真価は、その代名詞ともなった超電磁砲の破壊力ではなく、電気系統が関わるものなら何もかもを統べる応用力。

 

常盤台最巧と称されている苦無だが、常盤台最高には及ばない。

 

 

「やはり……Level5はこうでなくては」

 

 

霧が晴れたすぐ先には、美琴の姿。

 

立ちながら、こちらへ指を突きつけていた。

 

零距離で、頭に。

 

防ぎようのないし、逆らいようもない。

 

苦無が肩を揺らす。

 

ひどく弱々しい揺れだった。

 

 

「力不足で申し訳ない……姫……ここまでのようです」

 

 

呟くのは主への謝罪。

 

近江苦無は、忠義は理屈ではないという。

 

人間が最後に縋るものも理屈ではなかった。

 

戦いの場であって人間が戦ったことを忘れてしまうようなこの瞬間、美琴は心から賞賛の言葉を送る。

 

 

「よくやったわ。ここまで追い詰められたのはそうそうないわ。改めて、首席なのも納得よ」

 

 

バチッと。

 

 

「だから、もう眠ってなさい」

 

 

音が遠ざかっていくのを他人事のように感じながら―――やがて、近江苦無の意識はぷつんと途絶えた。

 

 

 

 

 

『本来なら『初動』を担うはずの私が行くべきだが、能力というのは幼年期にしか発現しないもの。すまぬ。我々の派閥を『甲賀』でのし上げるための足掛かりを手にするためにも、行ってくれ。そして、何としてでも帰ってきてくれ』

 

 

一族から学園都市の技術を取り込むための道具。

 

親の顔を覚える前に、道具・体術・使命を覚えさせられ、忍びとして鍛え上げられ、精神すらも律し、役目を遂行するためだけの歯車だった。

 

ただの影。

 

汚い影。

 

親族とも指導者たる彼女しか顔を合わせられずに、たった一つの指名を胸に抱いて、<置き去り(チャイルドエラー)>として学園都市に送られてきた。

 

 

『近江……そうか。この命知らずな鼠は『甲賀』のものか。こんな子供に仕事を任せるなど卑怯者集団しかいない。だが、生憎、別の派閥のものを助けてやるほどの義理はない。貴様らと私の正義はすでに道を違えているのだからな』

 

 

ある一件、武装兵器の情報を入手しようとしたとき、そこで統括理事会に仕える別の派閥のものに見つかり、『道具(スパイ)』であることがバレてしまい、捕まった。

 

闇へと葬り去られようと。

 

だが、その能力を買われて、今度はそこで働くことになった

 

生き延びることが第一だから、頷いた。

 

そして、やることも変わらない。

 

ある日、天才や偉人を生み出す研究機関の一施設にも忍び込んだ。

 

感情はなかった。

 

感想もなかった。

 

今日も情報を盗んで生きて帰る。

 

明日も同じ。

 

永遠に。

 

だが、そこの主は簡単に逃がすような、甘っちょろい存在ではなかった。

 

強く気高く美しい。

 

女王は。

 

 

『憐れねぇ……まるで捨て犬みたい』

 

 

呑気に。

 

圧倒的に。

 

気配を押し殺して忍んでいた自分を、闇の底から見出して。

 

 

『へぇ……道具、ねぇ。馬鹿みたい』

 

 

何も話せない自分に。

 

暇潰しの世間話のように。

 

喋りかけて。

 

微笑んで。

 

 

『ねぇ、アナタのお名前は?』

 

 

退屈していた女王様は、侵入者だというのに、常盤台中学での学校生活を中心で、腹黒い先輩や生意気な同級生の愚痴といった他愛のないお喋りをした。

 

翌日、自分にこの<才能工房(クローンドリー)>の調査を依頼した組織で、自分がいたという事実と痕跡の情報が改竄されて、“死んだ”ことにされた。

 

それは―――たぶん、彼女自身が暇潰しの延長で行ったこの途方もない報復。

 

 

『女王って呼ばれるのも飽きたから、姫って呼んでちょうだい』

 

 

そして、これからは『人間』として私に仕えなさい、と『心』という中身を与えてくれた。

 

心酔した。

 

憧れ、慕った。

 

でも彼女は。

 

何となくわかった。

 

知った。

 

その内心を。

 

望みを。

 

彼女は決して女王なんて、強大で計り知れない化物ではなく。

 

ただ、暇潰しの喋り相手を欲しがるような、どこにでもいる女の子だった。

 

 

 

そうして、その翌年度、彼女の居る常盤台中学へと入学した。

 

 

 

 

 

近江苦無と繋がった電気を介した回線から、映像が流れ込む。

 

 

「ええ、私は食蜂を疑ってた」

 

 

この人を使うに長けた、常盤台で最大の組織力をもつ食蜂は、決して、『派閥』の常盤台生を暗部に巻き込む事を良しとしなかった。

 

彼女が築き上げた、単体で戦略級の高位能力者の集団という『武器』を使わない。

 

多分に、この近江苦無を自分に向けてきたのは御坂美琴ならひどいことはしないと見越した上だろう。

 

記憶を操作したのと同じ理由で、イレギュラーを嫌ったのだろうが、徹底的に己の力だけで事を解決しようとする姿勢は、『実験』を終わらせようとしたころの―――誰にも甘えようとしなかった美琴とよく似ていた。

 

言われるまでもなく、美琴は甘えているのを自覚していたが、正直それを他の人に言われるのは腹が立つことだが―――それでも、誰かに頼ることは悪ではない、と言える。

 

『疑う』ということは、『信じる』の対義語だが、それは無知であることを拒み、その人を知ろうとすることだ。

 

疑っていた―――少しでも食蜂操祈という人間を知ったから、御坂美琴は、この『灰色』を受け入れることができた。

 

 

「―――だから、今だけはあいつの事を信じる」

 

 

でもね、と。

 

 

「甘えっぱなしで借りを作るのも絶対にイヤ。私だって、誰かの犠牲なしに何もできない奴らを野放しにはしておけないわ」

 

 

 

決着がついたと同時に、

 

 

 

―――ふわり、とそれは現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『Level5の関わる施設を潰すのを、統括理事長様は気に喰わなんだろうが、それならまた新しいLevel5の可能性を用意すれば良い。―――そう、この『ケミカロイド』をね』

 

 

 

あるいは天空から。

 

あるいは大地から。

 

3体……6体……10体……20体……50体……

 

咄嗟に見上げた頭上に、ふわふわと“それ”は群れをなして浮いていた。

 

敢えて言うならば、クラゲに似ていた。

 

半透明のぷよぷよとした頭を持ち、触手に似た何かを伸ばす。

 

それを見た美琴の表情が変わる。

 

 

―――まさかこれって、『幻想御手事件(レベルアッパー)』の時に見た……

 

 

呆然と。

 

あまりに突然の事態に、心が追いつかない。

 

<虚数学区・五行機関>の奥にいる、学園都市の人口で人造する人外の怪物。

 

幻想猛獣(AIMビースト)>。

 

それでも、美琴はその食蜂操祈の隠れ家へと侵攻する雲霞のような<幻想猛獣>へと電撃を放つ。

 

 

ずどん、と凄まじい衝撃波が、クラゲの塊を弾き飛ばす。

 

 

単独で軍にも匹敵する超能力者。

 

ただ数の多いだけの相手には負けはしない。

 

―――いや。

 

 

 

『ふん。本来は駆動鎧など密閉された空間でなくては固形化を維持できなかったが、<メンバー>で研究を進めてその弱点を克服した。こいつらはAIM拡散力場を材料にして増殖する。近くの高位能力者のAIM拡散力場に当てられただけでも、<ディフュージョン・ゴースト(Diffusion Ghost)>はいくらでも生み出せる』

 

 

 

「な……」

 

 

 

見上げて、美琴は言葉を失ってしまう。

 

雲霞のよう、と先ほど言った。

 

ならば、今は天蓋のようとでもいうべきか。

 

半透明のクラゲたちは、Level5の御坂美琴の莫大なAIM拡散力場を材料に、その数を倍にも三倍にも増やし、完全に空を埋め尽くしていた。

 

 

 

 

 

第9学区

 

 

 

地下通路から屋上ヘリポートまで完全に封鎖。

 

屋根裏部屋(ロフトルーム)で隠れていたところを見つけた。

 

すでにこの建物はブースとした<心理掌握>の力で完全に支配下においている。

 

この、木原幻生を除いて。

 

 

「これで王手(チェックメイト)かしら」

 

 

後ろ手に縛られ、目隠しをされた痩せ枯れた禿頭(とくとう)の老人。

 

これが学園都市の深奥に住まう一族、<木原>の長老か。

 

正直言って。

 

拍子抜けするくらい予想以上に簡単な相手だった。

 

 

「ま、科学者の長老だろうと、私の天才力には敵わないわねぇ」

 

 

―――ピッ、と。

 

幻生を狙い、携帯機器が鳴った。

 

ここで拘束している掌握された証たる星を瞳に入れた守衛らのように、木原幻生も食蜂操祈の精神支配に堕ちるだろう

 

 

「これで全部お終い。まぁ、あとで詩歌さんや御坂さんに―――」

 

 

変わりなく、食蜂が言おうとした。

 

刹那。

 

突風が吹き抜けた。

 

木原幻生に飛ばされた守衛の体が、食蜂の横を通り過ぎて―――!

 

 

「えっ……!?」

 

 

食蜂は、その瞬間起きた出来事は認識し切れなかった。

 

支配されたはずの老人が、突然膨れ上がって拘束を力任せに破り、その枯れ木から大木にまで成長した腕で大人の男を襲ったのである。

 

獣じみた動きで次々と守衛を薙ぎ払う。

 

格闘家とゴリラが戦えば、大抵はゴリラが圧勝する。

 

筋肉量が圧倒的に差があるのだ。

 

ゴリラ並みの筋肉があれば、格闘家がどれだけ攻めようと通じず、逆に、ゴリラの振るうパンチで3mは殴り飛ばされる。

 

今、その証明が食蜂の目の前で実証されている。

 

 

「これって、どういう……! 木原幻生は能力開発を受けてないし、こんな野蛮力な相手じゃなかったはず……? それにどうして<心理掌握>が……?」

 

 

食蜂は焦る。

 

いつもの余裕はなく、その響きには動揺が滲んでいた。

 

<心理掌握>。

 

人間に対しては傷一つ負わせずに屈服させられ、将棋の駒のように味方にできる能力。

 

だが、それは“人間にしか”通用しない。

 

機械や、脳の構造が異なる“猛獣”には通用しない。

 

この異獣な老人――木原幻生を模した『猿』は一体に一度限りの<肉体変化(メタモルフォーゼ)>の能力を扱える『野生』を司る<木原>の作品。

 

つまり、食蜂操祈には最悪の相性で―――これが罠だった。

 

 

「    !!!」

 

 

駒たる守衛を全て払いのけた『猿』が声を上げた。

 

人の皮を破り、最早獣の咆哮に近いそれは、あまりにも深くおぞましい愉悦を込めて、屋根裏部屋に響き渡った。

 

 

 

 

 

常盤台中学の『飛車角』ともいえる、<超電磁砲>と<心理掌握>のLevel5の『双璧』が討たれ

 

 

 

 

 

つづく


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