とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 三流と一流

大覇星祭編 三流と一流

 

 

 

道中

 

 

 

黒猫を、見つけた。

 

 

 

何か行方不明の御坂美琴の妹の手がかりでもないものかと推定現場を探索してみたら、カエルのお面と、咆える野良イヌに囲まれている黒の子猫を発見。

 

一刻を争う事態とはいえ、弱いものいじめを見過ごせない婚后は颯爽?と子猫を救出し、そのまま放置するのも何なので、とりあえず<風紀委員>に、と。

 

―――それが思わぬ幸運を呼ぶ。

 

 

「あ、この猫さん。御坂様の猫さんですか?」

 

 

偶然通りがかった婚后の後輩の湾内絹保。

 

彼女は婚后が拾った子猫にどうやら見覚えがあるらしく、しかもそれが『風船狩人』―――御坂美琴と御坂妹が入れ替わった競技の際に、預かった子である。

 

という事はつまり、この子猫は今捜している御坂美琴の妹のもので、しかもそれがトラブルの遭ったと思われる路地にいたのなら、何かを見たのかもしれない。

 

もしそうなら、御坂美琴と共に出場した『二人三脚』での対戦選手にいた動物と心を通わせれる彼女に話を聞いてみれば―――と婚后はさらに幸運に恵まれる。

 

 

「その……事情はよくわかりませんが、水泳部の知人に動物を使う読心能力者がいます。その方ならこの猫さんとコンタクトをとれるかも……」

 

 

「まあ!」

 

 

婚后は人脈に、いや、友達に感謝する。

 

いくら最大派閥の食蜂操祈といえど、常盤台中学の全てを支配している訳じゃない。

 

とりわけ、湾内のような新入生、その一年生の読心能力者なら協力を頼めるかもしれない。

 

 

「では、“御坂さん”の“妹さん”を“見つかる手掛かり”になるかもしれませんわね!」

 

 

 

 

 

 

 

「わあ、犬のロボットだぁ」

 

 

だが、その様子を聞いているものがいた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

街を散策する銀色の獣――『T:GD』。

 

このチタン合金と合成樹皮で造られた四足歩行の獣は、基本フォルムがネコ科の肉食獣に近く、象のように不自然に長く鼻を伸ばすこともできる。

 

盲導犬ロボット用の歩行プログラムも導入しているため、驚くほど柔軟に人間社会にも溶け込める。

 

今も『外』の人間が驚いているも、ドラム缶型清掃用ロボットと同じようなものだ。

 

驚きはすれど、怪しむ事はない。

 

例え、その目が盗撮に、その耳が盗聴に使われていようと。

 

かの聖徳太子のように何人もの声を聞き分けるなど器用な真似はできないが、人の声ではなく『特定の単語(キーワード)』のみに気を配れば、聞き逃すことはない。

 

 

「常盤台生。ミサカ。―――妹」

 

 

『T:GD』と馬場芳郎の被る接続したヘルメット型受信デバイスで拾った情報。

 

 

『あっ、携帯電話は<学舎の園>の保管係に預けていたのでした。ちょっと捜してまいりますのでお待ちください』

 

 

『では、わたくしはもう少し路地を調べてみますわ』

 

 

そして、その『特定の単語』を口にしたのは、昨日対戦した常盤台生。

 

 

「ついてるな……」

 

 

 

 

 

ホテル

 

 

 

私は弟子を取ったことがなかった。

 

何故なら『人にものを教える』というスキル(と家庭的なスキルも……)が私には致命的にない。

 

鞭で叩いて“身体に教え込む”、みたいなのは得意なのだが、飴を与えてご褒美をあげる、というのがどうも苦手だ。

 

だから、こうして教師ではなく、管理人をやっているわけなのだが。

 

そんな私がとった初めての弟子――教え子というのが、上条詩歌というのは贅沢なのだろうが、彼女は常盤台中学の教師綿辺先生をして『教えられない』難しい生徒だ。

 

確かに一度手本を見せただけで真似てしまう彼女の学習能力に、そこから応用を利かせて己のモノとしてしまう思考の柔軟性はこの常盤台中学でもずば抜けている―――言わば、“愛されている人間”なのだろう。

 

下手をすれば教師(じぶん)以上に物事を突きつめているのかもしれない―――そんな『釈迦に説法』のような相手に、『教える』という行為は難しい。

 

だが、例え物覚えの良過ぎていようが、それでも彼女はまだ子供であり、大人達は何かを『教える』という義務を放棄してはならない。

 

自分の前に超えるべき『壁』がないなら、どうやって己を高めていけばいいのだ。

 

そう、教師とは、生徒の限界点を教えるよりも、限界点を伸ばしてやらなくてはならない。

 

壁となり、それを登らせることでより高みへと成長させる。

 

もう技については教えられることはなく、だが、私には知識だけでは得られない、数多の経験からくる引き出しがあり、まだまだ弟子に後れを取ると言う事はない。

 

このような必要に駆られて編み出した我流の術ではあるが、身近な大人として指導できることを誇りに思う。

 

あとはその経験を積ませていけば免許皆伝で―――中学生の身体が大人に完成するまでは、付き合えるだろう。

 

『師を超えることこそ師匠孝行』ではあるが、まだまだ―――でも、一つ敵わないのもある。

 

それは、育成だ。

 

この常盤台中学のお嬢様を相手にしてきて昇華させた対高位能力者無手術の主な形態は、一瞬の隙をついて純粋な体術で近接戦の間合いに飛び込み、演算計算よりも速く己の四肢を以て静かに、能力の攻撃力を発動させず、防御力を発揮させずに、最小限の力で仕留める。

 

奇襲性と隠密性、そして効率性に重きを置いて試行錯誤にされたこれは、二の打ちいらずの一撃必殺を無傷活人にするに至るほどの『加減』を極めなければできない。

 

それを弟子は、修得しやすく体系化した。

 

伝達しやすい形に体系化するという行為は、『技』を『技術』に昇華し、普及に画期的な意味を持つ。

 

師匠という指導者としては面目が立たないかもしれないが、指導力は愛弟子にすでに超えられている。

 

 

そんな寮監の愛弟子であり、名刀匠である上条詩歌が鍛え上げた一本の刀が―――上条当麻。

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、こういう展開かよ……」

 

 

妹を眠らせた相手が誰なのか、どんな意図なのかは知らないが、少なくても見張りは立てているだろう、とは当麻も思った。

 

そうでもしないと、生徒が意識不明なんて病院に運ばれるだろうし―――上条当麻のように起こしに来るものもいる。

 

この場を支配しているのは、門番と化した寮の管理人。

 

 

「さて―――」

 

 

誰であろうと近づくものを退けるという命令(コマンド)が入力されている彼女は、当麻と向かい合わせに立っている。

 

 

「―――っ」

 

 

当麻が怯んだ表情を見せる。

 

しかしすぐに、虚勢であっても強気な眼差しで寮監を見返す。

 

この状況で視線を合わせると言う事は―――実際に構えを取っているわけではないが―――気持ちの上で対峙する戦闘の前段階。

 

学生を相手にしてきた寮監には、これがただの子供の反抗とは違う、一人の人間として覚悟を滲ませているのに気付いている。

 

どうやら、言葉で追い返すのは困難だな、と彼女は思った。

 

試しに寮監は、気当たりを放ってみた。

 

これは一種の技法で、達人レベルの人間が行う場合、『蛇に睨まれた蛙』の通り、本能的に格の差を、自分を敵わない相手であり刃向うのは危険であると思い知らせて、一睨みで屈服させるという。

 

常盤台の学生も、寮監の気当たりを受ければ、硬直する。

 

が、

 

 

「なに―――!」

 

 

けれど、まさか。

 

そこで気当たりを跳ね返しただけでなく、当麻が自分から寮監に走り出すなど、誰に予想できただろうか。

 

寮監の眼力にも屈せず、逃げることなく逃すことなく真っ直ぐ視線を固定させ、上条当麻はホテルの廊下を疾走する。

 

寮監は予想外の展開に目を見張る。

 

操られている寮監とて、本能的に己との力量差を把握した上での愚兄の反撃に意表を突かれていた。

 

10mもの間合いを一気に詰めて、当麻は片足で大理石の床をダン、と踏み付ける。

 

停止と回転軸を兼ねた踏みこみ。

 

瞬時に悟ったとしても、跳び退きでは間に合わない。

 

そして、その攻撃意図は―――右手による拳打。

 

右腕が、走った勢いもそのままに、螺旋に捻りながら伸ばす。

 

何者かに操られているなら、触れただけであらゆる異能を打ち消す右手<幻想殺し>。

 

威力ではなく、速度に重点を置いた拳は、まさしく弾丸の如きスピード―――ただし、放たれればの話だが。

 

 

(? 思った以上に、全然拳に力が入ら、ない―――)

 

 

「中々速かったが―――動きが単調過ぎる」

 

 

触れさせるどころか、踏みこみさえも許さない。

 

気づけば、当麻の踏みこみ予定位置は“一歩分”前にズレていた。

 

おかげで走った勢いが逆に仇となり、思った以上に大きい踏みこみで殺せずに態勢が崩れ、力が吸い取られたように、体が泳ぐ。

 

まるでこの大理石の床に滑ったように―――そう、滑らされた。

 

上条当麻が全速で間合いを詰める最後の一歩の直前、その動きを読んだ寮監の片足がこれから踏みこもうとしている場所を潰す―――その陣地を占領し、当麻の流れを誘導。

 

無意識に寮監の片足を避けようと、一歩先に当麻は脚を伸ばしてしまった。

 

 

「って、体が動かな――――」

 

 

視界が真っ暗に。

 

踏みこみ失敗し、態勢が崩れてしまった当麻の両目を隠すように、そっと寮監の手が添えられて――――気づけば、廊下の天井を見上げていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(こんなにもあっさりと倒された―――!?)

 

 

戦慄で凍りつく。

 

気付かなかった。

 

倒れれば尻もちでも、衝撃があった筈だ。

 

まさに白井黒子の<空間移動(テレポート)>の如く、仰向けに寝かされていた。

 

しかし、この女性は、能力者でも、魔術師でもなく、一般人のはずだ。

 

なのに、右手を掠らせもせずに……

 

そう当麻の思い上がりを正すように、寮監は眉すら動かさず、足元の当麻をそのレンズに映す。

 

 

「……ふん。右手に意識がいき過ぎている。その手で触れようとしているのがバレバレだ。どんな能力かは知らないが、こうして近づいた事は“触る”ことがキーなのだろう」

 

 

淡々と披露される高位能力者の巣窟でもある学生寮の管理人の洞察力。

 

狙いさえ分かってしまえば、愚兄の突撃を抑え込むのも容易だ。

 

タイミングを見極め、最小限の力だけで処理する。

 

当麻の体は、まるで金縛りに遭ったかのように、意識に動作が追いつかない。

 

 

「それに、少しだけ迷いがあったな。あまりに踏みこみが強過ぎて、このままだと相手が危険だと分かったのだろう。加減がなっていない証拠だ。体を完全に意のままに動かせず、振り回されるような未熟者の突撃など、この指一本にも劣る」

 

 

「……っ」

 

 

それを何よりも自覚しているからこそ、当麻にはその苦言に何も言い返せない。

 

己の体を完全に把握しろ、なんて文句は言われるまでもなく、妹―――と『上条当麻』に思い知らされている。

 

この“普通に生活するには性能が高い”身体を基礎から造り上げたのは、“前の上条当麻”であり、今の自分には一から付き合ってきた経験も記憶もなく、完全には使いこなしていない。

 

そもそもこの右手――<幻想殺し>ですら、分かっていない。

 

残ったのは、想いのみ。

 

 

「そもそも加減などしなくても私には通じない。格上の相手に遠慮しようなど、未熟を通り過ぎて阿呆だが、これは癖だ―――おそらく、貴様は力量は向こうが上でも“加減しなければならない”相手に稽古を付き合ってもらっていたのだろう」

 

 

当麻の驚愕を浴びながら寮監は下がる。

 

立ち上がれない。

 

たぶんまた特攻を仕掛けても、通じないことを当麻は予測してしまっている。

 

 

「最初に構えの位置と目線の高さから察するに、その相手は頭一個分低い。年下の女の子で、家族―――妹とかか」

 

 

武術家として、教育者として、未熟者の愚兄の全てが丸裸にされる。

 

この右手で壊せるような幻想など混じらない、純粋な現実的な子供と大人の格差。

 

世界最高の錬金術師も、学園都市最強の能力者も、均衡の破壊者も、倒してきた上条当麻が負けた嘘つきな天邪鬼―――それよりも上。

 

正直、少し侮っていたのかもしれない。

 

いくら<超電磁砲>さえも瞬殺すると言っても、自分もその気になればLevel5だって倒せたし、昨日だって、黒騎士の動きにだってついていけた。

 

しかし、彼女は愚兄の盾にできる右手がなく、愚兄のセンサーになる直感もなく、経験と技量で怪物たちを御せるのだ。

 

何でも打ち消せる盾も彼女の前ではただの右手であり、その動きは異能に強化されたものでもないので『前兆』も感じれらない。

 

その眼光と同じ、嘘偽りを許さない、素の上条当麻が試されている。

 

 

「ふむ。まだ目が死んでない、か。……こちらとすれば穏便にお引き取り頂ければ結構。別に背を向けて逃げても追うつもりはないが、その気はないようだな」

 

 

レンズ越しから凍てつく目が、その尻尾を意地でも巻こうとしない不退転の様を見つめている。

 

けれども。

 

もう、ここで退散してしまおうか、なんて甘さを噛み砕くように当麻は犬歯を見せる。

 

 

「生憎、諦めを知らない馬鹿でな。滅多に見れない妹の寝顔の為なら、体ぐらい張ってやる」

 

 

愚兄は何も勘違いしていない。

 

いかに馬鹿でも、現状がどれだけ困難なのか苦しいほど理解しているし……対抗策が今のところないのもちゃんと分かってる。

 

その証拠に、強気な台詞が空々しく聞こえるほど、その表情は強張っている。

 

最初は警告として手を抜かれたが、本気になれば、容赦なく意識を奪うだろうが。

 

圧される体を起こして、再び寮監の視線と合わせた。

 

 

「仕方ない。その馬鹿にも分かり易く現実というのを教えてやろう」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

「―――っしゃあああぁっ! 超激熱濃厚鳥骨(トリガラ)焼豚(チャーシュー)麺10人前完食!」

 

 

「ちくしょう! こいつで火傷しない奴がいたとは! 負けだ負けだ! 賞金の1万円! 持ってけ嬢ちゃん!」

 

 

「毎度ごっそさん! おっちゃん美味しかったよ!」

 

 

<風紀委員>の2人と別れた後、<大覇星祭>の競技ではないが、頑固親父店主とお祭り大好き姉御との熱い戦い。

 

ただでさえ周りの熱気で気温が上がっているのに、あそこは近づくだけで汗が出そうなほど暑い。

 

 

「かかか。儲け儲けー♪ 腹は減っては戦は出来ぬ。エネルギー充填ついでに資金を―――? おや、そこにいるのは佐天っち」

 

 

「鬼塚先輩……」

 

 

『早食い勝負』の戦いを制した挑戦者の鬼塚陽菜がこちら、半ば呆れてる佐天涙子の視線に気づく。

 

 

「へー、<大覇星祭>期間限定チャレンジなんてあるんですね」

 

 

「まあね。こういう時は、誰だって熱くなるもんさね。あ、賞金の事は内緒にしてね」

 

 

口止め料に飲み物奢っちゃうから、とそのまま陽菜に近くの売店まで引っ張られる。

 

さっきの試合もそうだったけど相変わらず豪快な人だなー、と佐天は思う。

 

初春が言うには、<風紀委員>の固法先輩に怒られたり、白井さんが言うには、ルームメイトの詩歌さんに怒られたり……うん、色々と怒られてる反面教師の問題児だけど、基本的に良い人だ。

 

 

「『的当て』の試合見ました。何て言うか、凄かったです」

 

 

「おおそうかい。ありゃ、婚后っちが勝負を決めたようなモンだけど、やっぱり、見てくれる人がいるんだから、最後までド派手にやらせてもらったよ。そっちの方が面白いし、観客も楽しくなるだろ」

 

 

やられ役の対戦校はご愁傷様だけどね、とケラケラ笑う。

 

どんな相手だろうと、圧勝してようと手は抜かず、詰まらない試合にはしない。

 

勝敗だけでなく、試合にまでこだわる選手だけどエンターテイナーみたいだな、と思う。

 

 

「というわけで、残念ながら白組の佐天っちの棚町中学もぶつかったら、ド派手に散らせてあげるから、覚悟せよ」

 

 

「あはは……正直、鬼塚先輩とはやり合いたくないですけど―――常盤台中学と対戦してみたいです」

 

 

今の自分じゃとてもじゃないが敵わない相手に、佐天は言った。

 

言うは易しと、けれども、その目は本気だ。

 

それに嬉しそうに目を細めて陽菜は後輩の成長を喜ぶ。

 

強敵との勝利の味は雛鳥を1羽の鷹へと変貌させる。

 

己の翼で巣立った少女はもう、おそらく以前と同じ地平にはいない。

 

 

「お、強気だねぇ。私としても刃向ってくる奴がいない方が楽だけど、挑戦者がいなきゃ退屈でね。夏休みのドッジボールの時と同じように楽しみにしてるさね」

 

 

通算100度目の勝負での苦い敗北にも、懐かしむように、

 

勝利を決めたこの少女に、期待するように、

 

鬼塚陽菜は笑う。

 

 

「佐天っちと詩歌っちと“美琴っち”の“三人がかり”でやられるようなことがないように注意しないとねぇ」

 

 

えっ――――とその言葉に、佐天は止まる。

 

夏休み。

 

詩歌さんに誘われて、参加した鬼塚先輩率いる鬼塚レッズとのドッジボール。

 

チーム名は――さんの好きなチームゲコ太で、メンバーは、あたしに、詩歌さんに、お兄さんに、お兄さんの友人に、白井さんに、――さんの6名で。

 

最後は、あたしが詩歌さんの予測通りに、鬼塚先輩が真上に弾き飛ばした――さんが飛ばしたボールを―――

 

あれ? おかしい……

 

自分を変えたはずの試合なのに、何か1つ、憶えていない。

 

いや、思い出せない。

 

 

「? ? 誰か―――」

 

 

「―――あれ? 婚后さん、ここで待ち合わせのはずなのですが、どちらに行かれたのでしょう……?」

 

 

 

 

 

公園

 

 

 

『ここでは人目がありますし、場所を移しましょう』

 

 

 

競技に沸く街の喧騒から少し離れた、わりと大きな池のある自然公園に、婚后光子は胸に黒い子猫を抱きつつやってきた。

 

そこに婚后を案内し連れてきたのは<大覇星祭>にブレザーを着た小太りの殿方。

 

本来、人捜しの最中である婚后に付き合う時間もないが、彼は言う。

 

 

『ちょっと御坂美琴の妹……についてお話があるんですが』

 

 

それは、ちょうど婚后光子の捜し人と一致していた。

 

そして、池にかかる橋の中央にまで歩くと、頃合いと見たのか、その男は足を止めることなく、こちらに振り向くことなく、

 

 

「『妹さん』、という呼び方は<妹達(シスターズ)>の通称から来てるんですか? それとも人間……本物の妹として紹介されたのかな?」

 

 

? と婚后は少し眉を持ち上げる。

 

シスターズ?

 

本物の妹?

 

適当に煙に巻こうとしているのではないのは、その響きに孕んだ優越から分かる。

 

気になる単語に、そこに隠された意味をこの男は知ってる。

 

そして、何故一度もこの男の前で口にしてないのに、『妹さん』と呼んでいる事を知ってるのか。

 

どうして、婚后光子が『御坂美琴の妹』を捜していると知って、コンタクトを取ってきたのか。

 

 

「ま、どっちでもいいか」

 

 

橋を渡り切ると、朗らかな―――だが、微かな硬質さを含んだ声で切って捨て、

 

 

「僕もね、その妹さんとやらを保護するように依頼されてまして、よろしければ互いの情報を提供し合いませんか?」

 

 

「ありがたい申し出ですがそのためには、貴方が誰で、何が目的で妹さんを捜しているのか。説明していただく必要がありますわ」

 

 

婚后は冷ややかに言う。

 

疑念がある相手に、交渉はできない。

 

友人が関わる問題であるならなおさら。

 

急がなければならないとは分かっているも、橋を叩いて渡る慎重さは省いてはいけない。

 

でも、男は振り向いて、婚后と視線を合わせようともせずに、

 

 

「……まあ、そうなりますよね。でも、そこは敢えてそれらに目を瞑って『手掛かり』とやらを話してくれないかなあ――――でないと」

 

 

ビクッと腕の中の子猫が震え―――背後から何かが跳びかかってきた。

 

 

(ロボット!?)

 

 

それは鞭のように伸ばした鼻先を叩きつけて、婚后の居た場所の地面を砕き割る。

 

避けた婚后も、思わず子猫を手放し、子猫は地面に無事着する。

 

 

「お薬を使って無理矢理……ってことになるよ?」

 

 

ようやく振り返った、その口元は吊り上がっていた。

 

今まさに、こちらの提案を反感されたというのに。

 

だからこそ笑えるのだと、この反抗こそが楽しいのだと、そう告げるように笑っている。

 

 

「そのまま離れていてくださいッ!」

 

 

おろおろしてる子猫に叫び、婚后は周囲の様子にも気がついた。

 

いつの間にか、公園中が不気味なまでに静まり返っていた。

 

不自然な静寂。

 

いくら競技の方へ人が集中しているとはいえ、誰もいないとはおかし過ぎる。

 

それが何を意味するのか、婚后はすぐに理解する。

 

ここは既に人避けがされているのだと。

 

 

(最初から怪しさ爆発だったので食蜂操祈の手の者かと思いましたが、妹さんを捜しているのが本当なら別の勢力?)

 

 

そして、ぞろぞろと現れるのは、生気さえ感じさせない四足歩行の機械獣――『T:GD』

 

予めここに待機させていたのか、その数は20は超えており、それらを統べるのはこの男。

 

威圧感の類は感じられない―――これは偏見かもしれないが、頭でっかちなインテリ系タイプというのが初見で抱いた印象。

 

その大仰な、自己陶酔の気がある口調と仕草のその奥に、暗い深淵を覗かせている。

 

そこから垣間見える濃密な狂気は、人の心と命を――今は、婚后光子のを弄ぶことに向けられている

 

逆に食蜂操祈の手がかりを聞き出そうかと付いて来てしまったが、少し迂闊。

 

判断が甘い、経験が浅い、経験が浅い、と少し婚后は自戒するも、

 

 

(なんにせよ。御坂さんの敵であることに変わりはないようですわね!!)

 

 

ばっと愛用の扇子を開く。

 

舞踊とかで使われるような小道具は、特に能力に関しては意味のない婚后光子の流儀だが、『余裕』を生ませる。

 

あえて高慢に、驕慢に、傲慢に、婚后光子は敵を討つ。

 

 

「君の能力は競技後に調査済みだ」

 

 

だが、それは敵――馬場芳郎もまた同じことで、見下すように不敵に笑む。

 

一対多という数的有利に加え、事前に婚后光子の情報は調べ上げている。

 

俊敏性の高い動物型ならではの動きで逃がさぬように取り囲み、そして、距離を詰め、象のように伸びた鼻先で襲い掛かる。

 

次々と途切れることのない連続攻撃。

 

 

「わたっ―――たっ―――」

 

 

転ばぬように必死に地面に手を突きながらも走る。

 

婚后に許される回避も、全ては誘導。

 

 

「<空力使い(エアロハンド)>――物体に空気の『噴射口』を作って飛ばす能力。だけど、ここにその能力を活かせる物はない。そういう場所に誘導したからね」

 

 

ゴミも、小石も、何もかも落ちておらず、あるのは背後に堅牢なフェンスだけ。

 

何でも飛ばせるが、何もなければ飛ばせない。

 

だから、今、暗部<メンバー>の馬場芳郎の目の前にいるのは、罠にかかった世間知らずの馬鹿なお嬢様に過ぎない。

 

 

「世の中は情報だよ。その能力を把握し、対策を立てた僕に負ける要素はない。このまま正攻法に戦っても君の未来はズタボロになることない。痛い目に遭いたくなければ、観念して喋っちゃうんだね。口を動かせるうちに。情報を聞く前に死なれちゃ面倒だ」

 

 

大袈裟な口調と仕草。

 

自分に酔っているような口上。

 

だが、婚后光子には、馬場芳郎の道化(おどけ)た小芝居に付き合うつもりはなかった。

 

 

「一応、降参の勧告をしておきますわ。今すぐ、この下賤な機械獣(オモチャ)を下げなさい」

 

 

「ハハハハハ、これだからお嬢様は。この現状における自分の立場が未だ分かってないと見る。君のその自信の源は何だい? 能力が絶対的な力だと思っているなら、大きな勘違いだよ」

 

 

哄笑と共に狂気を一層色濃く滲ませる馬場芳郎は右手を上げて、婚后を逃げ道なしに取り囲んだ『T:GD』に、待て、を命ずる。

 

 

「交渉は、対等なものでないと成立しないけど、もう一度だけ機会をあげよう。玉砕覚悟で無様に散るか。土下座して命乞いか。それともその何もない場所に飛ばせる物が空から落ちてくるよう神様にお祈りでもしてみるかい?」

 

 

薄笑いを浮かべたその顔は、狂気が正気を演じるその瞳は、婚后であっても怖気を免れないのか、体が震えてしまう。

 

婚后の反応に馬場はさらに笑みを歪める。

 

それは、他者を侮辱する笑み。

 

御坂美琴を侮辱する笑み。

 

 

「ヤレヤレ。そこまでして御坂美琴の為に動こうなんて。何か見返りでもあるの? それとも弱みでも握られてるの? 無関係の人間を言葉巧みに巻き込めるんだから、Level5なんていうのは酷い奴らだよ。―――ま、御坂美琴もこんな使えないゴミにしか頼れないなんてとんだ災難だけど」

 

 

「黙りなさい」

 

 

いつもとは異なる口調。

 

命じ、裁く、権威と共にあるその言葉遣いにいささかも違和感がなく、婚后光子の表情が消えた。

 

 

「彼女は……御坂さんは他人を利用するような方ではありません。これはわたくしが自ら望んだこと。貴方のような方には分からないかもしれませんが―――今すぐ発言を撤回しなければ、」

 

 

「ウッゼェーなぁ!! 上から物言ってんじゃねーぞ! ったく、下等な奴ほど人をイラつかせるのだけは上手くって、ホント、ヤダヤダ。全く勝ち目がないと分かっていても、大人しく言う事きかない強情さはやっぱり叩いて直すしなかない。―――やれ、『T:GD』!」

 

 

その婚后の目は先日苦渋を味あわせたあのクソムカつく少女に似ていて、内に秘める狂気を隠す事をやめた馬場芳郎は右手を振り下ろし、一斉突撃の号令をかける。

 

付け焼刃ではない、命令するに慣れた動作。

 

彼は、これまで多くの能力者達を罠にかけてきたのだろう。

 

歪んだ表情に浮かぶ、己の成功を疑わぬ表情。

 

 

「……残念です」

 

 

しかし、その表情は天を突く轟風に、瞬時に凍りついた。

 

 

ゴォ!! と地雷の如き爆発的気流に呑み込まれ、婚后に飛び掛かろうとした『T:GD』が勢いよく宙を舞った。

 

 

 

 

 

能力実技室

 

 

 

『ふふふ、もう理解するとは、流石、光子さんです』

 

 

『いえ、そんな、詩歌様の教え方がとても素晴らしかったからですわ! 片手で触れたものと固定した演算方法を両手足に触れたものと拡大解釈させるだけでなく、時間差発動まで……わたくしでは到底思いつかぬやり方です』

 

 

『いかなる状況にも備えてあらゆる手段を講じておくのは大切ですからね。1人では思いつかなくても他者からの助言で閃くものもあります。詩歌さんは光子さんの99%の努力があったからこそ、1%の閃きで応用もきかせられるようになったんです。久しぶりに見ましたが、才能だけでなく、強い意志も持ち合わせているのがよくわかりました』

 

 

『それは、詩歌様と再会した時、多くを吸収する為に、徹底的に『加減』ができるように基礎から見直しておいたんです』

 

 

『ふふふ、では、後もう一つ。その『加減』ができるからこそできる応用技術を開発してみましょう』

 

 

 

 

 

公園

 

 

 

「な……ッ!? なにぃいい―――ッ!?」

 

 

その顔から、狂気の笑みは飛んだ。

 

狂気が去った後に残っていたのは、自らの手を汚さずに、ただ命じる事にのみ慣れたインテリ司令塔の姿。

 

 

「アナタはわたくしの<空力使い>についてとても見誤っていますわ。まずは『噴射口』の指定に制限がないという事」

 

 

馬場は気づく、地面から勢いよく突風を吹きだしているのは<空力使い>の『噴射口』であると。

 

 

「これは地雷式の<空力使い>。学生の本分は進歩する。わたくしは詩歌様の弟子として、日々進化していますわ」

 

 

「そんな馬鹿な! <空力使い>にそんなふざけた真似が……!!」

 

 

ただ物を飛ばすことしか能がなかった能力者がこんな小細工を。

 

逃走しながら仕掛けた<空力使い>の両手足指定と時間差発動の応用。

 

地面に触れた婚后光子の足跡から、彼女の任意で発動できる見えない地雷原と化した『噴射口』。

 

 

「噴出点の流れを束ねればどんなものでも成層圏まで打ち上げられる大出力に―――そして、計算すれば竜巻だって起こせますのよ」

 

 

そう言って扇子を閉じたのが引き金となったのか、地面に設置され、開封された『噴射口』が一斉に吹き出し、気流を絡み合い、婚后を台風の目とした防壁とも見える、風神の暴威が弾けて『T:GD』を一掃する。

 

 

「壊したものは弁償し、アナタをぶっ飛ばしてから話を聞けばいいのです」

 

 

さらに間を置くことなく、今度は自然公園の、一軒家以上の大きさのパラボラアンテナを束ねた<空力使い>の『噴射口』でブレーキの壊れたアクセル踏みっぱなしの暴走車の如く、加速しながら竜巻から難を逃れた『T:GD』をも轢いていく。

 

残るは林の中に待機させている予備戦力を除けば、『T:GD』は護衛とした置いている1体のみ。

 

 

(ぐっ……まさかこれほどの力と技を持っていたとは……連れてきた『T:GD』では役不足。だが『T:MQ』ではこの風の中近づくことも……いや)

 

 

馬場芳郎の視界に入ったのは、婚后光子が連れていた黒い子猫。

 

甘っちょろいお嬢様の事だから、コイツを襲えば、きっと―――と、婚后は両手を真っ直ぐに広げて、

 

 

 

ゴン!! という轟音と共に、子猫に飛び掛かろうとした銀色の四足歩行の機械獣が簡単に薙ぎ倒されて、池に落ちた。

 

 

 

「最後に、飛ばす物がなくても、吹き飛ばす事は出来ます」

 

 

どこまでも細く、そしてどこまでも鋭く、敵を払う神風。

 

それは、空砲と同じ衝撃波。

 

片手の『噴射口』から加減し、拡散させる風を発し支えにて自身が吹き飛ばないようにしてから、前に突き出したもう片手の『噴射点』から一点に狙いを絞った指向性の突風の衝撃波を発射したのだ。

 

その<空力使い>を使って放たれる衝撃波の威力は、四足歩行の大型肉食獣ほどの大きさである『T:GD』を、それだけで軽々と遠くへと突き飛ばす。

 

飛ばせる物がないから<空力使い>など意味がない、などと見積もった馬場芳郎の方が甘かった。

 

そして、素早く子猫の下に駆け寄ると、婚后は再度、余裕に優雅に扇子を開く。

 

 

「馬鹿な……そんなのありえない……小娘、一体……」

 

 

「あら? 二人称は君、じゃなかったのかしら? 大物ぶっていた化けの皮が剥がれ落ちましたわね」

 

 

勝敗は、決した。

 

駒のない、威厳を取り繕う余裕のない司令塔が、常盤台中学でも上位の実力者の相手になるはずがない。

 

そして、先の体の震えたのは、外からの恐怖ではなく、内からの激情によるもので、無表情になったのも、友を侮蔑されておきながら余裕なんて振る舞っていることなどできようか。

 

 

「さあ、もう一度だけ機会をあげますわ。御坂さんへの暴言を撤回し、降参するか。それとも、ここでわたくしの<空力使い>に吹き飛ばされるか、どちらになさいますか」

 

 

刃先を喉元に付きつけるように、扇子を馬場芳郎に突き付け―――

 

 

「―――おやおや。大分手古摺っているようですね」

 

 

誰もいるはずのない真後ろから、いきなり柔らかい男の声が聞こえた。

 

 

「ッ!!」

 

 

婚后光子が振り向くよりも早く、ガギン!! と側頭部に重たい、まるで鉄パイプで殴ったような鈍い衝撃が走り抜けた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「危ないところでしたね、馬場。そこまで素人(アマ)の相手は難しかったんですか」

 

 

「うるさい! 黙れ、査楽! こうなったのも集めた情報と使える駒が役不足だったからだッ! 戦闘用の『T:MT』を連れていれば、お前の助けなんて借りなくても良かったんだ!」

 

 

「負け惜しみですね。とにかく、最初に手掛かりを考慮しますから、手柄は私と折半でお願いしますね」

 

 

「くそっ! この屈辱ッ! ただ殺すだけではおさまらないッ!! 情報を吐かした後も、女に生まれた事を後悔するくらいに凌虐して、精神も躰もぶっ壊してやるッ!」

 

 

憤慨する馬場芳郎の背後に、新たな男――査楽と呼ばれる高校生の少年。

 

 

(急に……意識…が……)

 

 

婚后が脱力感に耐えかねて膝をついた。

 

背後からの不意打ちには確かに手応えがあった。

 

だが、決定打は、その隙に突かれた毒。

 

蚊型捕獲用『T:MQ』にナノデバイスを撃ち込まれたものは、司令塔である馬場芳郎が停止コマンドを出さない限り、動けない。

 

ここで意識を手放すのは負けを受け入れる事になる。

 

その結果が人生の終わりでない保証は、何処にもない。

 

そう考えた婚后は己に鞭打って、顔を上げた。

 

 

「ハッ、大したもんだ。まだ動けるんだ。でも無駄無駄。貴重品なコイツは身体の制御を奪うナノデバイスだからね。どんなことされても、君は無抵抗のままなんだよ! ―――このように、なッ!!!」

 

 

ガツッ! ゴッ! ガ! ……とその気力で持ち上げた顔が沈むまで馬場芳郎は何度も蹴っ飛ばす。

 

 

「やれやれ。情報も聞かなきゃいけないんですから、死なせないでくださいね」

 

 

「そんな、ことッ! ――ガキッ! ――お前に言われなく、てもッ! ――ゴツッ! ――分かってる、よッ! ――ドゴッ!」

 

 

止めようとしない査楽に、直接的な暴力で鬱憤を晴らす馬場。

 

霞んでいく意識の中、『せめて、この子だけは』、と御坂美琴の妹さんの飼い猫とおぼしき黒猫を、婚后は、横倒しになった身体で包み込むように抱きこむ。

 

そうして、婚后光子という少女の呼吸がとても小さなものになった事に気がついて、馬場はようやく蹴るのをやめる。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……このくらいにしておいてやる。『T:GD』、この女を運んで……―――「婚后さん!?」」

 

 

溜飲が少し下がった後、予備戦力の『T:GD』を呼んで、<妹達>の情報源を握っている婚后光子を回収させようとした時、橋の向こうから4人の少女が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

「こんな……酷い……」

 

 

女の子なのに、その顔をこっ酷く蹴りつけられ、呼吸音はするのでまだ生きているのだろうが、瞳は閉じられている。

 

一番に駆け付けてその体を抱き抱えた、一人の学生として婚后光子に憧れた佐天涙子は、この惨状を起こした目の前の男2人を精一杯に強く睨む。

 

 

「……アンタが、やったの?」

 

 

佐天の問いかけに、予め口での交渉は決めてあるのか、羽毛のダウンジャケットを着込んだ少年は後ろに下がり、ブレザーを着た小太りの少年、馬場芳郎が応じる。

 

 

「だったら、どーだっていうんだ? ゴミ屑がどうなろうとどーでもいいだろ」

 

 

なっ―――とその発言に、佐天だけでなく、婚后と同じ常盤台中学に通っている後輩の湾内絹保と泡浮万彬が絶句する。

 

 

「その女、御坂美琴の為に動いてんだってさ。他人に精神を委ねている時点で二流。その上与えられた役割も果たせないんじゃ三流以下だよね」

 

 

それを見て、馬場は嗤う。

 

 

「まーでもさっきはケッサクだったよ。もう少し早ければオモシロイ姿が見れたのに」

 

 

「……ッ!」

 

 

その口調は、面白いコメディを宣伝しているようだった。

 

罪悪感などまるで感じられない。

 

初対面の佐天でも分かる。

 

この男は、自分が悪い事をしているとは思っていないのだ。

 

少しも思っていないのだ。

 

だから、現場を見られた時も驚き、面倒だと思いながらも、これを良い機会だとばかりに自慢話を始めたのだ。

 

罪の告白ではなく、ただの自慢話。

 

 

「ズタボロにされて這いずる姿はまさにゴミ屑……」

 

 

「アンタねっ……―――」

 

 

佐天は荒ぶる呼吸を必死に制御し、馬場を睨みつけた。

 

湾内も、泡浮も同じ。

 

友人への侮辱に怒りを抑えられそうにない。

 

体の中で、何かが爆発しそうだった。

 

これほど誰かを憎いと思った事は、生まれて初めてかもしれない。

 

 

「まさか、君達も友人を侮辱されて怒ってるのか? 他人への精神依存でも流行っているのかな」

 

 

困ったもんだ、という風に馬場は苦笑を浮かべた。

 

 

「誰かの為に、なんて格好つけてても、それで取り返しのつかない事態に陥った日には、アイツのせいでこんな目に……と後悔するだけ。一流の人間は己の意思にだけ動くが、どうやら想像力のない人間には実際に体験しないと理解できないらしい」

 

 

池に荒れた波が、そして、空を切る突風が。

 

一年生3人の怒りに呼応している。

 

それに理解しがたい、と馬場は蔑み笑い、『T:GD』にコマンドを―――と、

 

 

「佐天っち、婚后っちを病院まで運んでやって。大丈夫、その程度の怪我ならちゃんと綺麗に元通りだ。でも、女の子とはいえ意識がないと重いからね、泡浮っち、<流体反発(フロートダイヤル)>で手伝ってやって。で、湾内っちはそこの子猫ちゃんをお願い」

 

 

「でも……ッ」

 

 

「その猫を守らないと婚后っちの努力が無駄になるよ。それに―――一年坊に荒事はまだ早い。というわけで、ここは私に預けておくれ」

 

 

最後尾から―――査楽が警戒していた―――鬼塚陽菜がいつもの呑気な声で沸騰した後輩達を宥めすかす。

 

馬場芳郎も、陽菜が一歩前に出ると同時に後退する。

 

この能力者の情報は調べ上げており、先日の『風船狩人』でも罠に嵌めて見せた。

 

だが、危険だ。

 

 

「安心しろ、アンタらの先輩を、私の後輩をやった落し前はきちんとつけてやる。それとも口だけの三流以下の雑魚に私がやられるとでも思ってるのかい? なわけないだろ―――だから、“巻き込まれたくなかったら”とっとと行きな。『総大将』命令だ」

 

 

その時になってようやく、佐天、湾内、泡浮は公園全体の気温が上昇している事に気付いた。

 

佐天は、泡浮の補助を得ながら、気を失った婚后の体を持ち上げ、湾内は黒猫を抱きあげる。

 

急いで3人は橋へ渡り、

 

 

「おっと、みすみす見逃すとでも思ってるのかな」

 

 

「思ってるよ」

 

 

顔の前で手を振り、陽菜は断言。

 

 

 

「だって、この<赤鬼>がいるんだよ」

 

 

 

瞬間、爆炎の渦が巻き起こり、橋を溶断し、池の水を蒸発させるほどの高温な炎壁が鬼塚陽菜の背後に出現した。

 

 

 

「で、テメェら。私の眼から、見逃れられるとは思うなよ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「おっと、迂闊に僕らに攻撃するなよ、<赤鬼>」

 

 

馬場はズボンの後ろポケットから、2つの細長いケースを取り出す。

 

開けてみれば、そこには機械製の蚊―――婚后光子を沈めた『T:MQ』が納封されたカプセル。

 

 

「これを君にも分かり易く説明してやるとね。このカプセルの中のナノデバイスは、『喰らった相手を行動不能にする』優れ物だ。コイツをさっき婚后光子に撃ち込んだ。本当だよ。蚊の形をしたロボットで、プスッとね」

 

 

それは全くの出鱈目ではない。

 

発火系能力者特有の熱源探知で、婚后光子の体温が異様に高くなっているのには気づいている。

 

 

「体内に取り込まれたナノデバイスを除去するのは困難だ。だが、コイツがあれば、停止コマンドを見つけ出せるかもしれない。けれど、コイツは見ての通り叩けば潰れてしまうほど繊細で、数もこれしかない貴重品だ」

 

 

そう言って、馬場は背後に控える査楽に1つケースを渡す。

 

 

「これでもし、僕達が爆発を喰らえば、君の後輩を救う手立てはどうなるのかな?」

 

 

鬼塚陽菜。

 

学園都市最強の火炎系能力者<鬼火>。

 

その破壊力はLevel5級とされ、その発動範囲は視界と広大。

 

だが、Level5じゃない。

 

その座標指定の自由度の高い能力であるからこそ、細かな調整や加減ができてないからだ。

 

 

(そして、“馬鹿”だ。今まで集めた情報から察するに、罠だと思っていながらも引っ掛かり、『能力を使わない相手には能力を使わない』)

 

 

能力に対しては申し分なしの一級品だが、それを使うのが三流だ。

 

怖くない。

 

全く怖くない。

 

<鬼火>の性能を理解した僕が負けるはずがない。

 

 

「ここは能力を使わずに勝負しようじゃないか。負けたらこの『T:MQ』をやろう。勝ったら、そこを通してくれるだけで良い。僕は殴り合いなんて野蛮な行為は嫌いだけど、それは別に不得手だという意味じゃないよ。家庭の事情で、幼少期から特殊な暗殺術を仕込まれている。使用(つか)うことを禁じられている忌み業だけど強者が相手なら話は別だ―――」

 

 

手掛かりの少女の居場所も、先程ナノデバイスを使い切った『T:MQ』のカメラとマイクの役に立つ。

 

足取りさえ分かればいつだって回収できる。

 

だから、ハッタリでこちらに注意を引きつけて、後はこの『T:MQ』でも、査楽の不意打ちでも、この馬鹿を仕留めれば―――

 

 

「―――あー、わかったわかった。ベラベラと良く口が回る。よほどその舌は脂がのってるとみた。火をつければ良く燃えそうだねぇ」

 

 

無駄話はここまでだ。とっとと来い、とその瞳は言っていた。

 

 

「言っておくけど、私は正義の味方じゃあない。ただ、アンタみたいな奴が嫌いなだけさね。―――だから、気に入らない奴は容赦しない」

 

 

ケラケラ、と陽菜は笑う。

 

そう、笑っている。

 

背後の紅蓮に照らされて、不気味に揺れてまで見えて、その姿はまるで<赤鬼>。

 

馬場は、査楽も、口を閉ざす……その体を、微かに震わせて。

 

 

「良いよ。その提案、乗ってやる。アンタの勇敢を履き違えた無謀に免じて、爆炎攻撃はしないでやる。ま、アンタらごときに<鬼火>なんざ必要ない。拳だけで十分だ」

 

 

バカめ!

 

まんまとこっちの術中に嵌った!

 

余裕をかまして死にやがれ!

 

馬場は両手で構えるフリをするため、ケースをポケットに入れようと後ろ手に回す際に、背後の査楽にサインを送り、

 

 

「<鬼塚>を継ぐためには強い肉体が必要でね、ああ、家庭の事情で、実家にいた時は良く組のモンに面倒を見てもらった。『悪』を率いるためにな。その時に付き合ってもらった相手と比べれば、お前らなんて雑魚みたいなもんさね」

 

 

と、言葉が終わるか終らないかの直前に、複数の『T:GD』が一斉に飛び掛かり―――査楽の姿が消えた。

 

<メンバー>の査楽は、学園都市でも希少な空間移動系能力者。

 

先程も、婚后光子の背後に転移し、不意打ちを喰らわせた。

 

 

「どんなに強い能力でも、発動させる前にケリをつければ変わりませんけどね」

 

 

ヒュ―――と。

 

目の前の『T:GD』に視線が囚われていて、査楽には気付いていない。

 

能力は一級品だが、能力者は三流。

 

背後からその首を狙い、洋風の鋸を――――

 

 

(!? 消えた?)

 

 

―――けど、転移した先に鬼塚陽菜はいなかった。

 

空振りする鋸、そして、査楽と『T:GD』がぶつかる。

 

その様を、横から陽菜が見ていた。

 

それに馬場は指を突きつけ、

 

 

「の、能力を使ったな、<赤鬼>! 卑怯―――」

 

 

「攻撃はしないっつったけど、能力を使わないって言ってないよねぇ。っつか、堂々と違反しておいて良く言えたモンだ」

 

 

呆れたように、陽菜は苦笑する。

 

ああやってズブの素人が精一杯に強がって、しかも、三流のなんちゃって策士が前に出るなんて普通は疑う。

 

そして、鬼塚陽菜の弱点は鬼塚陽菜がよく知っている。

 

夏休みの灼熱熱球でまんまと嵌められた時と比べれば、こんなの子供騙しみたいなものだ。

 

まあ、この炎壁を出すと同時から、こちらは仕組ませてもらったが。

 

熱を操り光を曲げる蜃気楼で、周囲の目を誤認させる罠を。

 

 

「言ったろう? この眼から見逃さられると思うなってな」

 

 

機械獣の下敷きとなったダウンジャケットの高校生ぐらいの少年――査楽を、陽菜は見下す。

 

 

「で、珍しい空間移動系能力者か。自分を移動できる空間移動系能力者はその時点でLevel4だって聞いてるけど、それなら何でこの炎壁を飛び越えて行かないんだい?」

 

 

「っ」

 

 

距離も方角も曲げる蜃気楼は、点と点でピンポイントに座標指定する空間移動系能力には効果的だが、

 

この炎壁は陽菜を倒さない限り、消えないが、空間移動能力者なら障害など意味がない。

 

陽菜を倒すことより、何か情報を掴んでいる婚后光子らを追う事を優先すべきなのに。

 

考えられるのは、

 

 

「自分の力で一一次元上の理論値を計算できす、他人の位置情報を元に補強しているのか。難しいって話は聞くが。けど、背中を刺すことしかできない空間移動系能力者、ねぇ。卑怯っつうより、セコい。黒子っちでも人と挨拶する時はちゃんと真正面からやるよ」

 

 

死角移動(キルポイント)>って呼ぶべきかい、と陽菜は鼻で笑う。

 

通常、自分で自分を移動できる空間移動系能力者は、その時点でLevel4だが、位置座標が限定されているようでは、Level4未満だろう。

 

 

「別にこれから死ぬ相手に挨拶など必要ないですしね!」

 

 

態勢を立て直し、『T:GD』が地面を粉砕する鼻鞭を振るい襲い掛かるが、陽菜はもうそれを躱すことさえもしなかった。

 

群れに向かって歩きながら、無造作にその内の一体の鼻を掴み取るとそれを武器にして振る。

 

それだけで飛び込んできた『T:GD』が3体、打ち飛ばし、溶鉱炉の如き煌炎に呑まれて灰と化した。

 

何という火炎の熱気。

 

いや、真に驚くべきは容易に捉えた動体視力に、片手で軽々と捕まえた馬鹿力な握力に、その尋常じゃない打撃の速さだ。

 

 

「そうかい。だったら、やられる前に挨拶を教えてやろう」

 

 

その様は、お嬢様の優雅で華麗な護身術というものからはほど遠く、むしろ狂戦士、あるいは野獣のそれに近い。

 

『T:GD』は捜索用とはいえそれなりの戦闘力を保持しているが、所詮は機械で、与し易い相手だ。

 

自動に設定してあるとはいえ、マスターである馬場芳郎の判断能力に従う。

 

対し、思考よりも早く動く鬼塚陽菜は、その気性を表わすかの如く荒々しい。

 

猛獣が次々と獲物を喰い尽くしていくように、彼女は次々とオモチャを打ち払い、その数を減らしていく。

 

辺りに跳ねる機械獣の破片が地面に散らばり、査楽はそれを手で払いのけながら、この鬼の演武に呆気に取られていた。

 

馬場芳郎も同じだ。

 

鬼塚陽菜は、その場から一歩も動いていない。

 

片手で武器にした『T:GD』を振るいながら、もう片方の手で鼻鞭の軌道を見切っては側面を叩いて逸らし、迫り来る脅威を全て防いでいる。

 

鬼塚陽菜は、馬場の作中に嵌ったからではなく、本気でこの<メンバー>相手に能力が必要ないから、使ってないだけなのだと、証明している。

 

最後の一体の特攻をその頭部を鷲掴みにして受け止めると、雄叫びと共に武器にして既に原型を留めていない『T:GD』と一緒に炎壁に放り投げた。

 

 

(マズいマズいマズいマズいマズいぞ!! まさか本気で素手で『T:GD』を全部撃退するなんて!! コイツ、本当に化物か!!)

 

 

馬場芳郎はついに『T:GD』の残基がゼロになったことで、全身から冷や汗が吹き出した。

 

しかし、まだ査楽が―――

 

 

「―――ぐぼぉ!!?」

 

 

今度こそ背後に現れたはずなのに、そこに狙いを済ましたかのような強烈な肘打ちが鳩尾を抉り穿ち、陽菜の体にのしかかるように体を折り曲げる。

 

 

「完全に能力を扱えない三流が、私の相手になるはずがないだろ」

 

 

一度種の割れた奇襲は奇襲ではない。

 

死角に移動するが、死角にしか移動できないと分かっていれば、予測も容易だ。

 

査楽の姿が消えたと見るや否や、野生の直感でほぼ反射的に、査楽が鋸を振るうよりも早く背後に一撃を食らわし、

 

 

「はあ――――っ」

 

 

査楽の喉が干上がり、嘔吐物を堪える顔が、恐怖に歪んでいるように見え、

 

 

 

―――ドドドドドドドドドドドドドドドン!!!!!

 

 

 

突き上げるように乱打される拳。

 

振るう度に飛び散る鮮血。

 

その一発でもKOされる程の威力を秘めた拳打の嵐。

 

逃げ足の速い空間移動系能力者は捕まえた瞬間に叩きのめす。

 

 

「しまった……!」

 

 

と、ピタリ、と拳を止めて、その査楽かどうかさえも分からないほど変形した顔を見て、思わずやっちゃったという表情で乱れた赤髪をかき上げて

 

 

 

「礼儀を教えるのを忘れてた。やっぱし私は加減が苦手だよ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(この野郎……あっさりと倒されてんじゃねぇよ!!)

 

 

ドサッ、と動かなくなった査楽に思わず悪態を吐くが、かろうじて息はしている彼は、戦闘不能だ。

 

仮にも<メンバー>の一員である彼を、こうも圧倒的に。

 

戦闘経験が、暗部を遥かに上回っていると言うのか!

 

 

(くそったれが!! こうなったら仕方ないッ!!)

 

 

カチ、とズボンのポケットに入れたケースを後ろ手で開けて、カプセルを取り出す。

 

最後の切り札――『T:MQ』を使う。

 

査楽にもケースは渡したが、それは当然、婚后光子に使用済みで空だ。

 

『博士』から譲渡されたナノデバイスをこんなことで全て使うなんて飛んだ失態だッ!!

 

だが……これを足掛かりに<妹達>を捕獲すれば十分挽回が可能なはずッ!!

 

そうして、馬場の体に隠されたカプセルから飛ぶナノデバイス、蚊型捕獲用『T:MQ』。

 

 

「それじゃあ、その自家伝の暗殺拳を見せてもらおうかい」

 

 

一応、査楽の懐から空のケースを取り出すも、分かっていたのか、がっかりした素振りを一瞬も見せず、陽菜は馬場にケラケラと笑う。

 

もう、ハッタリは通用しない。

 

そしてこの手段が失敗すれば、終わりだ。

 

だったら、鬼塚陽菜の気を引ける方法は―――

 

 

 

「―――貧乳」

 

 

 

ピキッ―――と陽菜の笑みが固まった。

 

 

そうだ。

 

『風船狩人』でも巨乳の女子を囮にしたが、こちらが呆れるほど予想以上に喰い付きが良かった。

 

鬼塚陽菜のコンプレックスが『胸』だというのは―――だが、その挑発は禁句だ。

 

馬場芳郎は、まだ本当に<赤鬼>の怖さを分かっていなかった。

 

 

「おいこのド貧乳、君の胸には何が詰まっているんだ? あ、何もなかったな。質量さえ感じない貧乳だよ。本当にLevel0。男と間違えるのも無理がないくらいに貧乳だ。さっきの後輩達の方が全然大きかったな。負けてるぞ、貧乳先輩。貧乳の中の貧乳。貧乳のゲシュタルト崩壊だよな。わざわざ調べるまでもない真実だ。<赤鬼>じゃなくて赤貧というべきだな」

 

 

「………………」

 

 

………まず、鬼塚陽菜が何もしてなかったわけではない。

 

たった一度だけ行った、親友とのバストサイズ勝負で負けて以来、彼女は自分の弱点としっかりと向き合い、克服しようとした。

 

一般女性に比べて大変控えめなサイズへの、起死回生の一手―――所謂、豊胸グッズを買い込んでいた。

 

それを使い方を完全にマスターするためにも親友にも付き合ってもらい、きちんと扱い、自己を高めるための修練を怠らなかった。

 

例え無駄と罵られようと、横で何故か親友の方が成果が出ていようと、しかし諦めずに立ち向かった努力の結晶が、彼女の学生寮のベットの下に押し込まれている。

 

流石に親友の彼女も、ベットの下――その幾多の想いが打ち棄てられた、夢果つる墓所だけは掃除ができない。

 

そして、本人に悪意がなくても、その努力を侮辱した場合は、親友がいなければ止められないほど……

 

さらに、最後に口にした――――

 

 

「×す……」

 

 

ポツリ、と陽菜の口が動いた気がするが、馬場の耳には聞こえなかった。

 

地球の裏側にいようと届くほどの強烈な殺気がその小太りな、肥満体を、求めても得られなかった脂肪を貫いているが、今の彼はただひたすらにこちらに注意を引き付けることしか考えていない。

 

それでも体に異様なほど冷や汗が流れているが。

 

あの査楽の末路が、彼をさらに―――地獄へと走らせる。

 

 

(あと少し……もう少しで……! ―――ッ!!?)

 

 

ピタッ―――と蚊サイズのナノデバイスが、肌に触れる直前で、その羽を指で摘まれた。

 

 

(? ? 捕まえた!? バカな! 箸で蠅を取った剣豪かコイツは!)

 

 

馬場は能力だけしか調べていなかったようだが、実家の、<鷹の眼>についてまで知っていれば、そこまで驚きはしなかっただろう。

 

もしくは、素手で『T:GD』を相手したことを悪い夢だと思わず、きちんとその洞察力で分析して入れば。

 

 

「ちょ……ッ、ちょっと待ってくれッ!! 丸腰の相手をなぶるつもりか!? ぼ……僕は雇われただけなんだ! 何故こんな事をやらされているのか理由も知らない! 確かに後輩にはやり過ぎたかもしれないが―――「駄目だ」」

 

 

ナノデバイスを、査楽から取った空のケースに収める。

 

 

「そ、そんなお願いだから……」

 

 

力なく馬場は懇願する。

 

格の違いを見せつけられた馬場に、駒を失い、陽菜を攻撃する意思など持ち得るはずがない。

 

そして、すでに盾にできたナノデバイスも彼女の手の中―――身を守る術もなく、その凶眼の前にいる。

 

 

「まあ、婚后っちを罠に嵌めたのはこのナノデバイスを手に入れたから、そこで転がっている男と同様に蛸殴りにするだけで良いと考えていた。先輩として」

 

 

ゴオッ! と音がした。

 

鬼塚陽菜の掌に火炎玉が生まれた音である。

 

常盤台最強の暴君の炎だ。

 

 

 

「だが、私を『赤貧』と呼んだ奴は、例外なくその脂肪を燃やしてやることにしている」

 

 

 

 

 

 

 

<メンバー>馬場芳郎が吹っ飛んだ。

 

加減はした。

 

加減は苦手だ。

 

まあ、生きているだろう、多分。

 

 

「あー、逃げられちった。ま、私はあんな油ギトギトな焼豚(チャーシュー)なんて作りたくないし、こっちを搾れるだけ搾って鶏骨(トリガラ)してやろうかねぇ」

 

 

とりあえず、見舞いがてら病院にこのナノデバイスを届けた後、この査楽という男を<風紀委員>の姉御――固法美偉のいる第177支部に預けようか、と鬼塚陽菜は面倒くさそうに頭を掻いた。

 

 

 

つづく


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