とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
大覇星祭編 光明
道中
「絶好調ですわね、婚后さん」
「先程の『的当て』、解説の方に賞賛されてましたわ」
「ほ…ほほほ。その解説者中々見る目があるようですわね」
湾内絹保、泡浮万彬、後輩2人から向けられる賞賛の眼差しにはにかみつつも、先輩の意地として当然といった調子で婚后光子は応える……けど、扇子に隠された口元はやはり堪え切れずに緩んでる。
先程の『的当て』でパーフェクトを叩き出したのは、婚后にも会心の出来だった。
ただ尊敬してやまない上条詩歌が、お休みなのが少し残念だけど。
「まあわたくしほどになれば、カメラが密着してても……」
その時、婚后たちの目の前に見知った一団。
「なんなんですのあれは……」
「でももう少しお話したかったかも……」
「うん。あの人、何か言いたそうな感じだったけど……」
『双璧』での『的当て』で“3枚抜き”された
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
胸の鼓動が平常時より高い。
千々に乱れていく思考を、愚兄は慎重に抑えつける。
事の全容を見渡せぬ霧から生まれる決心を弱める雑念。
寄り道でしかない不要な思慮を、移動中に可能な限り整理する。
『<大覇星祭>2日目』
『常盤台中学内で異変が起きてる』
『<妹達>も関連している』
『それらを解決するには上条詩歌が適役』
『上条詩歌は、おそらく何者かの手によって眠らされている』
『そして、それを起こすには、上条当麻の右手が適切』
呼吸が速く、力も入っている。
愚兄は自分に、『冷静になれ』と繰り返す。
病院を出てからここまで、一秒も止まらなかった。
昨日の学園都市を巡回する無人バスの爆発・炎上する事故により、原因究明と点検のために今日はバスが全車運休。
<大覇星祭>の主要な移動手段が失われたしわ寄せで、各地で数kmに渡る交通麻痺が発生している。
―――そう、これは昨日の事件が原因だ。
<
“表側の”科学は、魔術に関しては、何も知らないので、これを解明するのはおそらく不可能だろう。
万が一にも、土御門元春がその痕跡を消しているだろうし。
(ま、アシが使えない程度の不幸には慣れてる。だが、問題はやっぱりこっちだな)
封鎖が多い。
人が多い。
<大覇星祭>の学園都市は混みあっている。
しかし、それならそれでやり方がある。
「……っと、すみませんすみません。競技中なんでちょっと通らせてもらっていいっすかー」
昨日と同じく『借りもの競走』で整理された道路を敢えて、観客を掻きわけて“中を通る”。
なるべくカメラに映らないよう走り、何かを、借りものをさがすフリをして周囲を警戒する―――ここなら選手と思われている限り誰も邪魔されない。
昨日の『玉入れ』の時と同じで、幸い今日は高校生の部でもあるので、乱入しやすかった。
このまま小回りのきく自分の足を信用し、宿泊先のホテルまで最短距離で行けるよう、道路の端を駆けていく。
胸の鼓動は針のようで、心の早鐘は依然として鳴り続けている。
この程度の距離で音を上げる事はないのに、全く以て落ち着かない。
どれだけ考えても、まず実際に会わないと安心できない愚兄にとって周囲の歓声よりも、裡の音の方が大きい。
どうもいつもの不幸癖だからか、嫌な予感だけが先走ってしまう。
それでも冷静に、努めて冷静に……ここで熱くなっても意味がない。
下手な考え休むに似たり、と自分では何も答えを導き出せないし、今は足を止めるわけにはいかない。
無能であるが故に、こういう時は脇目を振らずにやると決めた一つに集中する事だけが自分にできる最善だと、愚兄はよく理解している。
しゃにむに走るたび、胸の鼓動は速くなるが、地を蹴る足は勢いを増して、雑念という幻想は後方に千切れて消えていく。
道路標識を見る。
走る足取りは乱れない。
乱れそうなのは鼓動だけ。
まだ<警備員>らがバス爆発という昨日の事件の断片を原因究明できてないように、愚兄もまだ欠片からの事件の全容を把握できていない。
しかし、
(御坂も今動いてる。俺は頭も良くないし、何も考えられない。ただ、詩歌が動けない―――詩歌がピンチだっつうんなら―――遠かろうが何だろうが俺が駆けつけに行く!!)
心音は調子を崩さない。
どんな理由も原因も関係ない。
結局、体を動かすのは『自分が、妹を助けたい』ただそれだけの、純粋な欲求だ。
“死んでも残った”『上条当麻』の幻想だ。
そうして、必要ならば各競技に乱入をはしごして愚兄は高層ビル街に入る。
ようやく、目指す建物を凝視できる。
諸外国の政治家や王族が宿泊してもおかしくないような、学園都市の高級ホテル。
ここに、詩歌がいる。
今は競技を観戦しに行っているせいか、あまり人はおらず、近寄ってホテルを見上げる。
青空の下にそびえ立つ、城の如き建造物は、間近で見ると圧倒的な存在感。
「さて、と。んじゃ、もう一度だけ……」
携帯を取り出す。
見るまでもなく、掛ける番号は、発信履歴の一番上だ。
これでもし繋がれば、お寝坊な妹をわざわざ迎えに来た兄の話で終わり、このまま下で待っていようか―――けれど、そう都合良くは進まない。
少し休んだだけで、また現状を再確認したおかげで、長く走った事で乱れた呼吸も、上下する肩も、嘘のように消え去った。
携帯を仕舞うと、代わりに取り出した事前に渡された家族用のカードを手にして、上条当麻は悠然と歩を進める。
競技場
(こんなことしてる場合じゃないのに……何とか抜け出さないと……)
それでも今は従うしかない。
『風船サンド』
この競技は、膨らませた風船を2人で挟んで、手を使わずにゴールまで運ぶというもの。
「御坂さん風船! わたくしが膨らませて良いかしら?」
「あ……うん」
声を掛けてきたのは、今日『的当て』でいきなりの大活躍を見せた婚后光子。
箱入り娘だったのか、風船を膨らましたことがない婚后は、とても興味津津と言った調子で風船をビョンビョンと伸ばしてる。
この『風船サンド』の競技で『二人三脚』から続いて美琴のパートナーで―――怪我をした白井黒子の代理……
『さあお姉様! 黒子を抱きしめてくださいまし♡』
『ちょ!? 風船が割れたら失格でしょーがっ!』
『あらあら元気にはしゃいじゃって、微笑ましいですね』
『詩歌さんものんびりと見てないで止めてください!』
『大お姉様もご一緒に! 是非! お姉様サンドに挟まれる風船役を黒子に!』
『い い か げ ん に――――しなさいっ!!!』
と、風船が割れたら失格だと言うのに暴走してくれたおかげで風船が割れ(割ってしまい)練習にならなかった。
『なんですの? 人の名前を気安く呼ばないでいただけますか?』
けれども、今、その練習風景は……もう。
黒子達に寮の部屋やアルバムを見せれば記憶が操作されてる事を説明できるだろうが、それでも、実感として赤の他人であることに変わりない。
誰も、協力してくれる人は―――
「風船と言えば御坂さんが双子だとは知りませんでしたわ」
ぷくー、と風船をお嬢様の肺活量で必死に膨らませた後、口を結ぶ婚后が―――
「―――え?」
一瞬の空白の後に驚き見る美琴に、事もなげに婚后は昨日の―――御坂美琴の代わりに御坂妹が出場してしまった『
「昨日の紙風船の競技に出てらしたのは妹さんの方でしょうか? 話しかけようと思ったのですが、競技が始まってしまいまして……」
本人にとってみれば、それは試合前の雑談に、ただこの競技と同じ、風船という関連性から拾った話題なのだろうが、美琴にとってみれば、バレてなかったはずの秘密で……
『位置について―――用意―――』
パァン! と各校は一斉にスタートを切る。
「さあっ! 参りましょう!」
「ちょっ……待って婚后さん!」
美琴と婚后は風船を挟みながら他の選手から少し離れた方角に進んでから、声を潜めて、
「(私じゃないって気付いたの!?)」
あら、心外ですわね、とでも言うように軽く片目を瞑りながら、
「わたくし、人を見る眼は確かなつもりですわよ? 醸し出す雰囲気の違いと申しましょうか」
打倒常盤台、打倒Level5と、一時同盟を結んだ他選手が全員で妨害を仕掛けるも、美琴の電撃系能力者特有の電磁波レーダーで察知され回避され、
「……というわけで妹さんだと思ったのですけど―――ああ、それから白井さんと喧嘩でもなさいましたの?」
「えっ―――」
美琴はさらに驚く。
実は先程、あの後美琴と別れた佐天、初春、黒子の3人とばったりと遭遇し、代理出場しているよしみで、婚后が黒子に声をかけてみれば、何やら不機嫌そうにむくれていて、
『うちに<
『は…はぁ……?』
崇拝していると言っても良い御坂美琴に対して、白井黒子からこんな言葉が飛び出すなど意外過ぎて、あわや手に持った扇子を落してしまいそうだった。
「にしても、様子が変でしたわね。佐天さんも初春さんも反応が……どうも」
美琴は考える。
婚后光子はこの異変に勘づいている。
<妹達>や『実験』の事は知らない、コレがきっかけで巻き込まれるかもしれない。
「(あのっ……婚后さん! お願いがあるんだけど……)」
でも、悔しいけれど今は聞いてほしい。
『派閥』から離れて話せるチャンスも、今この競技中。
そして、1人ではダメなんだと、あの『実験』で御坂美琴は学んだ。
「じゃ……邪智暴虐にも程がありますわよ食蜂操祈っ!!!」
「(婚后さん、声! 声!)」
競技中にも関わらず、当惑も遠慮もなく、婚后光子は怒りも露わに叱責する。
彼女の<空力使い>の腕前は、詩歌からも聞いており、目の前で実演してもらって美琴も知ってる。
紅白戦でも、その機動力と破壊力は『六花』を圧倒し、過去に上条詩歌に指導され、高度な技術も、高度な技量も習得している。
転校生ながらにして、常盤台中学でも、十指に入る高位能力者だ。
「(以前から、詩歌様から話には聞いておりましたが、妹さんを誑かし、あまつさえ白井さんたちの記憶を操作するなど……そして、詩歌様まで……―――常盤台生の風上にも置けませんわ)」
正義感が強いというか、やや直情型の性格であるが……
一応、詩歌に関しては、前科持ちであるがあくまで可能性の話で、けど、<微笑みの聖母>上条詩歌の信者な婚后は飛び出してしまいそうで、どうにか『既に最高の助っ人が助けが向かった』と過剰?評価だけど宥めて……本来なら自分も飛びだしたかった。
(まーでも、普段は頼りないけど、っつか、馬鹿だけど。こう言う時は不思議と……詩歌さんと同じで信頼できるというか―――って、私ったら、何考えてんのかしら)
とりあえず、幼馴染の方はあの馬鹿に任せれば―――大丈夫だ。
……あのシスコン愚兄に眠り姫となっている幼馴染を任せるのは別の意味で不安だが。
「(話は承りました。わたくしが調べてきますから、御坂さんは食蜂派閥の目を引きつけてくださいな)」
自信満々に、むしろ落ち着いた口調で顎を引く婚后に、美琴は頼り甲斐と、そして申し訳なさが込み上げてくる。
「(……ごめん。こんな私事に巻き込んで。でもくれぐれも深入りしないで。露骨に危害を加えてきたりはしないと思うけど、あの女には何を考えてるのかわからない怖さがある)」
美琴にとっては姉も同然の詩歌は、警戒というより―――心配、していて、先輩後輩として『派閥』の面々と一緒にまとめて食蜂の面倒をみる事もきっとそうなんだろうけど、それでも、詩歌はやられたのだ。
やられた、と言っても行動不能、鬼の居ぬ間に何とやらという企みで、黒子達を敵対させなかったのも、単純に美琴の行動を封じるためだろう。
この目的が<妹達>の方にあるとするならば、一連の行動の狙いは時間稼ぎできればいい程度のもの。
だから、手掛かりさえ掴めれば、後は自分で何とかする。
幸い、御坂美琴には食蜂操祈の能力は通じない。
食蜂も分かってる通り、シングルでは美琴が勝つ。
と、婚后は少し遠くを見るように考えてから、
「(……いえ、御坂さんはわたくしからの情報を信用すべきではありません)」
「(え? なんで……)」
「(わたくしも既に食蜂操祈に洗脳されているかもしれないからですわ)」
『風船サンド』を1位でゴールしたことさえも気づかぬほど、今更ながらその盲点を突かれた。
そう、<心理掌握>は<超電磁砲>を除き、常盤台生全員に通じるものだ。
婚后光子は、今の御坂美琴よりもずっと冷静で、非情に、現実を見ている。
彼女は観客達に手を振りながら、美琴にだけ聞こえるように声を囁く、
「(わたくしはこの後精神攻撃を受けるかもしれませんし、既に何かされているのかもしれません。わたくしから齎される情報は全て罠……御坂さんはその可能性を考慮すべきですわ)」
「(そんな……っ)」
そんな事を言っていたら、誰も信用できない。
だから、
「(わたくしが連れてくるのは、情報ではなく、妹さん本人です)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
―――信用するなと言っておいてなんですが、わたくしを信じてお待ちください。
そう言って、婚后は急いで、美琴が教えた御坂妹と別れた路地裏、監視カメラから死角の―――食蜂操祈が接触した可能性の高い場所に向かっていった。
色々と腑に落ちない点。
<心理掌握>の洗脳を弾くには、最低でもLevel4クラスの高位な発電系能力者である必要があり、<妹達>は美琴と同じ電撃使いだが、軍用ゴーグルに頼らなければ電磁波を視認できないLevel2~3程度―――なのに、何故、わざわざ捕獲してから、救急隊員を洗脳してまで救急車で移送という手段をとったのか。
カメラに映らぬように裏路地を歩かせて、人目につかない場所に自分で行くように命令することもできたはず。
つまり、そこから導き出せるのは、御坂妹が倒れたのは、能力によるものではなく、食蜂にも不測の事態だったのではないか。
もしそうなら、現場に手掛かりが残されている可能性がある。
(でも、無茶はしないで婚后さん。あの子が助かっても婚后さんが危ない目に遭ったんじゃ……)
「―――おー、美琴っち。『風船サンド』、良く頑張ってくれた」
その時、後ろから、仲間を想う場面に相応しくない、気の抜けた声が聞こえてきた。
「陽菜さん……」
常盤台中学では珍しいノン派閥組で、今は『総大将』の最高学年の鬼塚陽菜。
詩歌とのルームメイトでもあり、美琴とも付き合いは長いので、一応は敬語で話すようにしている人。
きちんとしていれば美人なんだろうが、どういうわけか、そこらの男子よりも男らしい。
「打倒長点上機とはいえ、ここで美琴っちを出すのは苦渋の決断だったんだけどね。うんうん。よく耐えてくれた! あそこまで強大な敵に立ち向かった美琴っちの事を私は誇りに思うよ!」
頷きながら拳を握り、勝利に満足……というより、どうも美琴の事を褒めている。
今の『風船サンド』は別にそこまでの健闘じゃなかった気がするんだが。
「え、っと……何が、ですか? 婚后さんも頑張ってくれましたし、そこまで活躍してないような」
「ちゃうちゃう。私が言いたいのは試合の方じゃなくて」
と、指差したのは、美琴の胸。
「あの巨乳艦隊の1人と風船を体で挟むなんて、慎ましやかな我ら大和撫子には耐え難い屈辱だったろうに! ああ、そうさね! 黒子っちが欠場するなら変えてやるべきだった! もし私が腹黒船な詩歌っちと『風船サンド』したら、切腹も同然! 想像しただけであんまりだよ!!」
「あんまりなのは陽菜さんの頭の方です!! 別に私はむ、胸なんて気にしてませんから!!」
「さあ、美琴っち! 同士に対してこんな非情な仕打ちをした『総大将』をどうか殴ってくれいっ!!」
本気でぶん殴ってやろうかと一瞬迷ったが、先程綿辺先生にも注意されたし、というより、恥ずかしい、公共の場で暴れるのは抑える。
『風船サンド』は2人の体を使って1つの風船を挟むもので、どうしても相手の胸に気が言ってしまい……格差に全く気にしなかったと言えば、嘘になるが、そんなこと考えてる余裕はなかった。
『紅白戦』でもそうだったが、やはりこの人に敬語は止めた方が良いか。
食蜂とは違うが、母の美鈴に近しい、美琴にとって苦手なタイプだ。
「んじゃ、次の競技は会長さんの結衣っちに任せて、総大将の私はお休み、っと。ちょいっと出店の様子でも見に行こうかねー」
と、陽菜はそのまま実家経営の強面の男達の元へと向かう。
一応、お嬢様学校に通っている訳だが、彼女の独特の空気は、不良に近しいもので、放置すれば路地裏にでも定住してしまいかねないほど馴染んでしまっている。
いや、既にもう<赤鬼>の名を轟かせてしまっている時点で、手遅れか。
「あ、それで詩歌っちのこと、当麻っちに伝えたかい?」
「え、はい……。もしかして、気づいてるんですか」
「かかか。私は、詩歌っちとずっとルームメイトで寝食共にしてきたんだ。色々と巻き込まれるけど、それでも自分のことは疎かにしない奴さね。寝坊なんて今日は雹霰が降るんじゃないかって心配しちまったが―――ま、詩歌っちに寝坊させるなんて奴は大体絞り込めるし、今の美琴っちの顔から察せたねぇ」
「……、」
「苦手だがしゃあない。親友が寝てんなら、代わりに私が後輩らの面倒を見ようじゃないかい」
実力的に個性派揃いの『六花』やLevel5の『双璧』に匹敵する暴君であり、曲者揃いの最高学年でも二番手の『三羽烏』。
快楽優先な暴れん坊という反面教師だが、鬼塚陽菜は御坂美琴が信用できる先輩である。
とある学生寮
まず、跳躍力が軽く三桁をいっていた。
「反復横跳びも得意ですよ。特売とかで人ごみを掻い潜ってますから。同じく背筋力にもちょっと自信があります。1人で買い物の時はお米の袋とか持ちますし。はい、家事って色々とトレーニングになるんですよ。それに師匠に鍛えてもらってますから。………だから、そんなに落ち込まないでください」
「ず~~ん……いいんですよ~~……当麻さんは打たれ強い耐久性が美点ですから~~……」
「とうま、自信満々だったけど、しいかにいくつか負けてるね。垂直飛びとか、反復横跳びとか、短距離走とか、長坐体前屈とか……」
「ずず~~ん……」
<大覇星祭>の種目決めにも材料になるスポーツテスト。
うん、流石にパワー系じゃ勝ったけど、スピード系では負けて、総合的に見たら割と高校男子の兄が中学女子の妹と良い勝負してしまっているスポーツテストの結果……
これは愚兄が情けないのか、それとも賢妹が凄過ぎるのか、と訊かれれば、間違いなく後者だろう。
あのシスコン軍曹は『舞夏絡み以外でハッスルのはメンドイにゃ~』とか言って適当に流したようだが、当麻にとって体力は数少ない………はい、唯一の詩歌に勝る点で、日頃の成果を実感するためにも張り切ってスポーツテストに臨み、結果、おそらく新入生だけでなく、高校全学年でも第1位の総合評価を得たはずだ(それでも、どこも運動系の部活動が誘ってこないあたり、愚兄の不幸っぷりが全校に広まっているのがよく分かる)。
それで意気揚々と、いつもなら見せない(見せなくても担任経由で知られてしまうが)テストの結果を公表して、兄の威厳を示そうとし―――たのだが、この常盤台中学で第2位の成績……
「陽菜さんと競い合ってそれでちょっと本気を出しちゃったと言うか、その日は絶好調というか。でも、詩歌さんの方が体格的にも身軽な訳で、男の子より女の子の方が体が柔らかいのは普通です。そして、私と当麻さんとじゃタイプが違います。握力とか、背筋力とか、腹筋力とか、遠投とか、当麻さんには敵いませんね。力持ちなお兄ちゃん、頼りになります」
うん。
うんうん!
そうだっ!
勝ち星の数を見れば、ギリで辛勝だけど、パワー系で結構差をつけてるから数値の差も考えて総合的に判断すれば、当麻さんの方が上……
「でも、とうまって、いっつも組み手でしいかに負けてるよね。私の記憶は確かだから、軽く三桁は超えてるかも」
「インデックスさん!」
でも、体力(しか)自慢(できない)愚兄とすれば、できれば全部勝ちたかったんです。
ほら、組み手の際は、妹を本気で殴れるはずがないとかでブレーキがかかってるって言い訳が利いたかもしれないけど、これはできないよなー……
唯一の心の支えでもあった体力でも兄の威厳が崩れ落ちそうだ……
「それに当麻さんは決して体力だけしかない馬鹿じゃないです。いざという時の状況判断は素晴らしいものですし、学校の成績も……………………」
「……………」
「……………」
「夏休みは補習に出てましたけど、本当なら中の中くらいはあるんです。これは教師からすればとても教え甲斐のある。適度に利口で、適度に馬鹿。こちらの教える内容を理解してもらえないのは悲しいですが、最初から知っているのに教えるのは虚しいものです。その点、当麻さんは安心に『教えられる』学生です」
当麻は、兄を必死に励まそうとする詩歌の諦めない不屈の心が、この時ばかりは辛かった。
兄より優れた妹はいないと言わないが、それでも妹から勉強を教えられるのは兄としての尊厳にダメージを負う訳で、どこかの天才メイドじゃないが、凹みそうである。
「それに―――ほら! 成績よりも、強い力よりも、強い心です! 当麻さんは巧みな技より、巧みな心があったからこそ、どんな不幸にも負けなかった」
「でも、今の当麻、ものすごく落ち込んでるんだよ」
「インデックスさん、これ以上当麻さんのメンタルを追い詰めないでください」
悪気はないのだろうがグサグサと第三者的な視点から心を刺してくるインデックスに、詩歌が珍しく叱る。
現実的な数値として上下がつく成績。
詩歌は頭脳面での賢さは当麻の足りない部分を補うために、と心の折り合いをつけているも、肉体面での強さはちょっと複雑だ。
詩歌は当麻に、弱い子だと思われたくない、と思っている。
しかし同時にあまり強い子だと思われる、のも避けたいと思っている。
詩歌は、愚兄の重荷になりたくない、と心から思っている。
それと同時に、『自分はもう妹に必要ない』と兄離れを思わせる事は避けたいと思っている。
けれども、当麻に迷惑をかけたくないし、不幸に付き合わせるのが悪いとも思われたくなくて、そして、我が事のように喜んでくれるから、詩歌の優秀さを誇ってくれるから、結局、頑張ってしまう。
良かったテストの結果を見せようとしたのは、当麻だけでなく、詩歌も同じなのだ。
詩歌にとっても難しいジレンマである。
「……こうなったら、詩歌の師匠にでも弟子入りして、3倍の鍛錬をお願いするしか!」
「まったく……当麻さん、もっと自分を信じてください。先も言いましたが、私と当麻さんはタイプが違います。だから、当然長所も異なります」
と、前置きしてから、
「当麻さんは耐える事を前提としてますが、詩歌さんは避ける事を前提に体造りをしてるんです。そのため、当麻さんは強靭な
だから、この結果はおかしくはない。
当麻も努力しているのなら、詩歌だって努力している。
色々と複雑かもしれないが、詩歌はただ兄だから尊敬しているんじゃない。
ちゃんと上条当麻の強さを理解している。
だから、認めてほしい………でも、まあ、妹としては守られたい願望もあり……色々と複雑である。
「柔よく剛を制すなら、剛よく柔を断つ。組み手の方で差がついているのも、単純に身体の使い方を覚えてないだけです。……もし、私が当麻さんに組み手で負けた時は、それが追い越された時でしょうね」
聴いているうちに段々と調子を取り戻してきたが……ちょっと、当麻は落ち込んでいる自分を恥ずかしがるように頬を掻く。
その時はきっと来る。
『本気になった当麻さんには敵わない』
『詩歌さんが一番に背を預けられるのは当麻さん』
と、妹が自分に期待してくれているのは当麻も分かっている。
詩歌の信頼が重いとは感じない。
詩歌が自分を信じるならば、自分はそれにどこまででも応えて見せる、という想いが当麻の中にはある。
それは決意であり、誓いであり、覚悟だ。
なのに、成績など気にして、護る相手に弱気になるところをみせるなど格好悪過ぎる。
上条詩歌にとって、最強の
それはまだ自信を以て言葉にできる事ではないが、行動で示していきたい。
だから、当麻は強気に己を奮い立たせる。
「そっか……詩歌が期待してくれてんなら、裏切れねぇな。悪いが、追い越させてもらうぞ」
ぽんぽんと頭を撫でると詩歌の瞳に霞がかかり、熱に浮かされたような眼差しを向けられ、
「ふふふ、では、これから屋上で徹底的に組み手をしましょう!」
「え゛……」
詩歌のジレンマの解消法。
それは当麻が詩歌よりも強くなればいいのだ!
「まったく師匠の修行を受けたいなんて、このやさ“しいか”わいい妹のスペシャルメニューでは不満ってことですよね。まあ確かに一度くらいは経験するのも良いでしょうが、そんなに“寮の管理人”が、良 い ん で す か!」
詩歌はニコニコニッコリと微笑んでいる。
それはとても優しくて……だけど、それは外見上の話で、彼女は決して手を抜かない性格であり、優しいけど凄くスパルタ―――つまり、易しくないのだ。
ほら、逃がさないようにもう頭に置いた手を、愚兄と僅差で競り負けた万力ハンドが掴んでいるし。
パワー系では勝っているはずなのに、振り解けない。
そして、妹の笑顔の裏には嫉妬が見え隠れしている(けど、それはそれで可愛いなと思ってしまう)。
で、それは、当麻の不幸センサーに『
「すっごい勘違いしてるようだけど寮の管理人とか関係ありませんよ! あと今までのメニューも全然優しくなかったと思いますけど!」
それでも、もう抵抗が無駄だと悟っているけど、何となくホステスのマッチ箱が見つかってあらぬ浮気認定を受けた気分になってるけど、この胸に命の輝きがある限りは諦めちゃいけない。
できれば延長、せめて減刑を申し出るために、説得を!(最初から中止にしようなどとは考えてない)
「当麻さんの覚悟は十分に分かりました。詩歌さんもそれに応えましょう! 不幸にも負けず、難敵にも屈せず、丈夫な心身を持ち、鍛え抜かれた技と力で己を貫く、そんな愚兄にしてみせます! この千尋の谷に愚兄を突き落とす、きび“しいか”こくな妹のデス♡メニューで!」
ダメだ、聞いちゃいねぇ。
そして、先が見えない。
これから始まるのが、1時間にも満たない間に、100回以上も殴られ、蹴られ、投げられ、極められ、精根尽き果てる一歩手前まで叩きのめされた『夏休みの思い出』よりもレベルアップしているとなると………ああ、もう走馬灯が見えてきた。
紐ありのバンジージャンプではなく、普段着のまま清水の舞台から飛び降りるような悲壮な決意をもう滲ませつつも、まだ諦めちゃいけないと内なる当麻が叫んでる。
「分かって! お兄ちゃんの気持ちも分かって! お願いだからやさ“しいか”わいい妹に戻って!」
「当麻さん、鉄は熱い内に打てと言います。だから、詩歌さんも熱い内に当麻さんを打ちます! ええ、夏の時よりも熱く! もう二度と弱音は吐かせません!」
「ちょっと詩歌さん!? まだね! まだちょっと気が早いですよー! ねぇ、火がついてんのは詩歌さんの方じゃありません!? 一度ゆっくり考えてみようか? ああ、何だか、フルボッコに撃沈している当麻さんの姿が容易に想像できる!」
「いえ、“その想像を超えて見せます”! 夏休みの特訓が地獄だと思っているなら―――その幻想をぶち殺す!」
「死ぬ! 死んじゃう! 死んじゃいます! お願いだから、もっとお兄ちゃんに優しさを!」
「当麻さん、科学の発展には犠牲はつきものです!」
「それって、明らかにやっちゃった時の台詞ですよね、マイシスターッ!?!? ―――インデックスもなんか言ってくれ!」
「インデックスさん、このデス♡メニューに手伝ってくれるなら、今日のおかわりは自由です!」
「とうま、魔術の基本は等価交換なんだよ。強くなりたかったら、頑張って耐えるんだよ」
契約成立し、道着代わりに、渡されたのは更に改造された妹手製の強化ギブスで……
「不幸だーーーーっ!!!」
……頼もしい男にはまだ力不足なのかもしれないけど、周りの女性陣は優しさが不足していて、その代わりに力に割り振られているのではないのかと、“次の日”に当麻は思った。
ホテル
改札口のようなカードチェックを通り抜け、常駐しているドアマンが場違いな装いに、この誰もが観戦へと競技場に向かう状況下に逆流するような行動に、訝しみつつも頭を下げるのを横目に見ながら、正面玄関の回転ドアを通り抜けてロビーへ。
高い天井には巨大なシャンデリア、床と柱は大理石、壁には絵画、それでいて全体的に落ち着いた色調で統一された空間。
明らかに社会的地位の高い人間しかいないここは、普段の上条当麻なら足を踏み入れるのに躊躇するような場所。
しかし今は、どうでもよいことだ。
当麻は一度足を止め、フロントカウンターの場所を確認して、やはり、そのままエレベーターに向かう。
階も部屋番号も、場所は知っている。
ちょうど目の前で扉の開いたエレベーターに乗る。
中は無人。
目的の階のボタンを押し、低い作動音と浮遊感に包まれながら、当麻は深呼吸。
軽く手足に力を入れてみると、昨日の事件での影響は感じられず、疲労感もない。
気力が肉体を衝き動かしている。
エレベータは目的の階1つ下で一時停止。
だが、閉開ボタンの下にあるカードシリンダーに当麻はもう一度家族用IDのカードを差し込んで引くと、エレベーターは上昇を再開。
常盤台中学は、この上の最上階三段構成の円形スイートホームフロアの領域を独占している。
一学年に一フロアで、最上級生は一番上で、そこまではこの螺旋階段を登っていくしかない。
手順を思い返していると音もなく扉が開き―――まさしく世俗の違うお姫様が住まうような宮殿で、我が一般校にはありえない贅沢さだ。
ロビーのものよりもさらに高級な家具や調度品が置かれており、仮初の主が出張っているせいか、静かな空間だ。
円盤外縁にはそれぞれの部屋に通じるドアが複数。
見える範囲には誰もいない。
当麻は大理石を踏みながら進み、階段を登り、スイートルームの最上階に辿り着く―――直前に、時間が停止したかのような思考停止。
―――何か、いる!
未熟な当麻の、大した精度を期待できない気配探知だが、それでも分かった
「ここから先は立ち入り禁止だ。お引き取り願おうか」
円形の廊下の―――目的の部屋の前で、切れ長の瞳に眼鏡をかけたスーツ姿の女性。
スーツ姿ではなく、軍服を身に纏っても似合うだろう、と思わせるような凛とした雰囲気。
常盤台中学の学生寮管理人―――そして、妹の師匠。
確実に、己よりも格上の大人がそこにいる。
その双眸から飛ぶ視線は胸を貫く楔のように。
「――――」
深く細く息を吐いて、当麻は最後の一段を登り切った。
視線は女性に合わせてはいるものの、意識は自分に向けられている。
冷静であれ、冷静であれ、と。
愚兄は全身全霊で、努めて呼吸を合わせている。
そうでもしなければ、『回れ右』の衝動に突き動かされて、逃げ出してしまいそうな圧力だ。
もうすでに展開は読めているが、家族用IDのカードを見せて、
「誰であろうが関係ない。ここは通さない。―――食蜂様の最適化は絶対だ」
不幸だ、と当麻は呟いた。
???
「はい……はい。了解しました」
<大覇星祭>にも関わらずブレザーの制服を着たふくよかな少年、馬場芳郎は通話を切ると、ヤレヤレと嘆息。
「次は捜索活動ですか。人使いが荒いねぇ……」
それでもお仕事。
学園都市『統括理事会』の特命を受けて動く<メンバー>、だが、今回のは理事会とは無関係で外部からの依頼という少々いつもとは勝手が違う。
『博士』がいうには、計算式に乱れがある、と。
昨日の競技に参加するよりは、面倒な演技をしない分、楽だけど。
使える手駒も、低能な馬鹿共じゃなくて、主人の命に忠実な機械。
犬型捜索用の『
蚊型捕獲用の『
そして、蟷螂型戦闘用の『
あの『博士』の助手は
もし昨日の『風船狩人』でこれらが使えたのなら、あの常盤台中学にも勝てた。
いやあの女がいなければ、この勝利の方程式に狂いはなかった。
まあ、どちらにせよ、仕事はこなせたんだが。
「しかし、本当に面倒な依頼だよ。仲介人の娘も生意気だし。そう思わないかい、査楽」
「それでも我々<メンバー>に与えられた仕事ですけどね」
不満を口にしてるも、抑揚に富んだ声に、誰もいなかった真後ろから、見たものに鳥をイメージさせるダウンジャケットを羽織った少年が答える。
<大覇星祭>、学園都市の暗部も動き始める。
つづく