とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 ウソつき

大覇星祭編 ウソつき

 

 

 

???

 

 

 

燃えるような夕日で空は赤く染まっていた。

 

もうすぐこの世界は星と月だけが照らす闇に覆われる。

 

そうだ。

 

もうすぐこの地は神の教えにより救いがもたらされる。

 

 

(悔しいですけれど、科学の技術力は、主の威光を広めるのに今や切っては切れないもの。科学の道具を一切否定するつもりはありません。しかし、道具(かがく)は使うものであり、主の威光と同じく信じるものではありません)

 

 

この場所は一般人立ち入り禁止で、わざわざ人が来るような場所ではなく、今は全世界規模のスポーツの祭典、<大覇星祭>期間中であるため、彼女の周囲には誰もいない。

 

ただ空を、ゴォォ!! という爆音と共に<大覇星祭>で普段と比べて多めに出航している巨大な旅客機が舞っているだけ。

 

 

(科学的に見て、科学的に考えれば、科学的な意見を言わせてもらうと。……ここで使われる『科学』という言葉はもはやただの学問にあらず、1つの異教。命なき形だけの偶像を信仰する事は、まさに悪しきローマ時代の異教そのもの。これは科学サイドが教会サイドに割り込んできた、と同等の事です。当然ながら我々は見過ごす事はできません)

 

 

その草木も何もないアスファルト敷きの地面の上で、彼女は肩で担いでいた十字架を下ろす。

 

十字架に巻き付けてあった白い布を丁寧に剥ぎとっていく。

 

現れたのは、縦150cm、横70cm、太さ10cm強、下端が鉛筆のように粗く尖らされている真っ白な大理石の十字架。

 

見ているだけでズシリとした意思の重みを感じさせる1品は軽く1800年以上の時を過ごした骨董品だが、未だに新品同様の輝きを秘めている。

 

この保存性は霊装による防護効果によるものではなく、歴史上全く公開されず、光の入らない場所で厳重に保管されていた、という単純な背景によるものだ。

 

彼女はその深窓の令嬢のように白い大理石の表面を愛おしげに撫でる。

 

 

(でも、この<使徒十字>なら、この人の手により主の威光が汚された光を、同じく人の手により清め直す事ができます)

 

 

<使徒十字>。

 

翼をもつ光の乙女を地面に繋ぐ―――この大地を<天使>に守護してもらえるような聖地に作り変える霊装。

 

別名、ペテロの十字架。

 

十二使徒の1人、主から天国の鍵を預かった者――ペテロの墓に突き刺さった十字架。

 

これを刺した場所は、空間も含め全てがローマ正教の『聖地』となり、物理と精神の両面から強制的に支配される。

 

何もかもがローマ正教の都合の良いように展開していき、誰もがその違和感に覚えず、たとえどんなに理不尽な事でも、それを『幸せ』と納得させる。

 

 

(これで、教会側(われわれ)は、学園都市を破壊することなく、科学側(あなたたち)を受け入れる事ができます。この<大覇星祭>と言うくだらない祭典を、あくまで科学が教会に屈する為の素晴らしきデモンストレーションの場にするだけ。我々は科学と言う異教を捨てさせた後、貴方達を愛すべき同胞として抱き締めてあげるのです)

 

 

その<使徒十字>を両手で掴み直し、ゆっくりと持ち上げ、一気に振り落とした。

 

巨大な重量、優れた加速、尖った先端。

 

それを全て兼ね備えた<使徒十字>は、アスファルトに関係なく、地面に突き刺さった。

 

 

「天の空を屋根に変え、この地に安住を築くために。いざ聖十二使徒のご加護を」

 

 

そして、その呪に応えるように、<使徒十字>は独りでに、ゆっくりとその座標を調整する。

 

これで儀式場の準備は整った。

 

後は待つだけ。

 

修道女――リトヴィア=ロレンツェッティは空を見上げる。

 

完全な夜とは言えないものの、そこには“真っ赤に”輝く一番星が――――

 

 

(なっ、赤い星なんて――――)

 

 

――――リトヴィアが、<使徒十字>が突き立つ土地へ隕石の如く落下した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『ねぇ、土御門さん。何故、オリアナ=トムソンらは目立つ行動をわざわざしているのでしょう。おかしいとは思いませんか?』

 

 

上条詩歌。

 

<禁書目録>のように10万3000冊の魔導書の知識量はないが、その型に嵌る事のない柔軟な推理力は紛れもなく本物。

 

まさに、1を知りて10を知る天才。

 

ほんの少しの欠片でも、真相へと至れる。

 

 

『彼女達の計画は、霊装を取り引きする事ではなく、<使徒十字>によって、学園都市をローマ正教の『聖地』とする事です。なら、何故、オリアナ=トムソンは、魔術側の人間にとってみれば危険な街をウロついていたのでしょう。現に、当麻さんと偶然、遭遇してしまっています。彼女達にとったら、この計画は、その偶然すらも致命傷になりかねないものではないのですか?』

 

 

自分は、彼女の力よりもその知の方を、恐れ、そして、期待していた。

 

 

『考えられるとするなら2つ。まずは、<使徒十字>の条件探し。何せこれほど強力な効果を秘めた霊装です。魔導書の<原典>のように、地脈や龍脈、または、星座などを利用しているのではないでしょうか?』

 

 

なるほど、と思う。

 

自分は、東洋術式の一大宗派・陰陽道の優れた術者。

 

その中でも彼が専門とするのは、風水。

 

土地の地脈や龍脈の良し悪しを見極め、それを利用するのに長けている。

 

その力を使えば、例として夏休みの<御使堕し>を挙げれば分かる通り、たとえ魔術師ではない素人でも世界規模の術式を発動できる。

 

さらに、風水だけじゃなく、星座と言うのも術式に利用できる。

 

これも、夏休み、ミーシャ=クロイツェフが『天使の術式』の1つ――<一掃>を扱う際、星座を魔法陣として展開していた。

 

しかし、当然ながらそういった力の扱いは難しく、だからこそ、自分のような風水の専門家やギリシアやエジプトなどの巨大神殿の専門の<天文台(ヴェルベデーレ)>が存在する。

 

 

『しかし、今さら条件探しを行うなんて、彼女達は何の当てもなく<使徒十字>と言う貴重な<聖霊十式>をこの学園都市へと持ち込んだという博打を打つような真似をした事になります。それに、目立ち過ぎます。私が彼女なら相手に見つからないように『人払い』や『気配断ち』を使います。それらが使えないという事はないでしょう。だって、オリアナ=トムソンはイギリス清教が追い駆けても捕まらなかったという魔術世界では有名な<追跡封じ>。整備場で<速記原典>を残していたようですが、いくら罠とはいえ痕跡を残すなんて、逃走者としてあまり考えられないです』

 

 

言われてみれば、確かに、オリアナの行動は不自然過ぎる。

 

だとするなら、一体……

 

 

『それで、もう1つ。<使徒十字>は過去に、『バチカン市国』でその効果を発揮しました。『バチカン市国』の最盛期の面積は4万7000平方km。そして、学園都市の面積は東京都のおよそ3分の1、約730平方kmです。この広大な効果範囲なら、たとえ『外』からでも十分に学園都市全域を『聖地』にすることができます』

 

 

最も楽な方法が最も考え出し難い、とその時彼女は言った。

 

しかし、それでもその可能性を考え付かなかったというのは、やはり、オリアナ達の囮(えさ)に見事に食い付いてしまった、という事なのだろう。

 

だが、上条詩歌は、あの学園都市の最奥にいる一族からすれば、『進化』を司る天才。

 

その存在は、事態が停滞する事を許さず、行き詰まることなく終息に向かって流れていく。

 

 

 

 

 

 

 

あれから、イギリス清教、シェリー=クロムウェルとオルソラ=アクィナスから新たな情報が入って来た。

 

 

・<使徒十字>は、光の入らない場所に厳重に保管されており、年に2回の大掃除は、決められた日付の昼の内に終わらせる――つまり、星の光で霊装が暴発しないようにしていた。

 

・ペテロは、生前から彼の殉教を前提として<使徒十字>を作り、バチカンの星座に合わせてわざと捕まり殉教した。しかし、自身の墓地がローマ正教に歴史的に大きな影響を与える事を知っていた彼は当初、どこで殉教するのか悩んでいて、バチカン以外の土地にも対応できるよう<使徒十字>の発動条件に幅を持たせていた――つまり、バチカンでなくても世界各地でも、その星座のポイントさえ合えば使用可能。

 

 

それから、彼女達に、その必要なポイント――学園都市“付近”に存在する<天文台>の座標を割り出した結果――――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『私達がオリアナ=トムソン達の陽動役に引っ掛かった陽動役をやってチャンスを作りますので、土御門さんはリトヴィアさんのお相手をお願いしますね』

 

 

粉塵に隠れて、修道女の後方へ1つの影が忍び寄る。

 

その影は血塗れだった。

 

魔術と能力の拒絶反応。

 

時折身体の芯がズレたように斜めに傾ぐ事もあるが、それでも影のスピードが落ちる事はない。

 

それはその影自身の身体能力のおかげもあるのだろうが、何よりその身体を支えているのはその精神。

 

 

(絶対に、決める……)

 

 

口の端から垂れる血を手の甲で拭い、

 

 

(ステイルには、オリアナを追い詰める為に自ら迎撃術式を喰らってもらった。カミやんには、イギリス清教の事情を通す為に、関わらなくても良い事件に関わらせ、詩歌ちゃんまで巻き込ませてしまった)

 

 

両の拳を岩のように握り締め、

 

 

(だから、ここで、決める。だから、彼らを戦場に巻き込んだこの俺が、血だらけになった程度で止まってたまるか! この裏切り者を信じて協力してくれた馬鹿共の気持ちを、無駄にしてたまるかというんだ!!)

 

 

サングラス越しの瞳に、強き光を宿す。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「がはっ……?」

 

 

リトヴィア=ロレンツェッティは無事だった。

 

あらゆる物体の加速を遅らせる防御用の術式で、どうにかその衝撃を削る事ができたのだ。

 

しかし、何が起きたのかは分からなかった。

 

咄嗟に、<使徒十字>を引き抜き、地面に転がったものの、そこには巨大な縦穴ができていた。

 

何か巨大なものが叩きつけられたような跡。

 

一瞬だったので良く見えなかったが、天高くから何かが飛来し、地面を殴りつけるように墜落。

 

激しい土埃と火花が濛々と立ち込めていた。

 

 

(でも、良かった。<使徒十字>は無事。しかし、これは……――――はっ! まさか!)

 

 

気付いた時には、遅かった。

 

 

ガン!! とリトヴィアの後頭部に衝撃が走る。

 

 

後頭部攻撃(ブレインシェイカー)

 

人間の急所へ容赦なく打ち込む反則的な打撃。

 

 

「こうあからさまに背中を晒しておいて、この俺が見逃すはずがないだろう、リトヴィア=ロレンツェッティ。残念だが、貴様らの計画はここで終わりだ」

 

 

「がっ―――」

 

 

さらに、呪を紡ぐ前にその喉へ突きを放ち、声を奪う。

 

油断がなく、遊びが一切ない。

 

仲間達の犠牲を無駄にしない為に、その男――『背中刺す刃(Fallere 825)』に慈悲はない。

 

しかし、リトヴィアは<告解の火曜>と言う異名を―――

 

 

「大人しくしていろ。さもなくば、その骨を潰して軟体動物のようにしてやるぞ」

 

 

―――ガゴン!!

 

 

再び容赦のない凶暴な拳打。

 

リトヴィアはとうとうその男の前に屈する。

 

如何に、目の前にそびえ立つ壁が高ければ高いほど、全てを呑みこもうとする<告解の火曜>――『大喰らい祭り』でも、この男はその壁に登りつめようとする彼女を容赦なく何度も叩き落とす。

 

そうして、今回の事件の主犯格、リトヴィア=ロレンツェッティは、裏切り者、土御門元春によって捕縛。

 

<使徒十字>も無事に回収された。

 

 

 

 

 

競技場 附近

 

 

 

「え、当麻がいない?」

 

 

上条刀夜が疑問の声を上げた。

 

すでにこの試合は終わり、生徒達はここから退場している。

 

観戦客も出口へ向かい、周囲はざわざわと無秩序な喧騒に包まれている。

 

数人の<警備委員>が両手を規則的に振って人々を誘導している中、刀夜とその妻である詩菜だけがポツンと立ち尽くしている。

 

と、その前にどう見ても小学生にしか見えない女教師がいた。

 

彼女は、彼らの息子――上条当麻が通う学校の教師――月読小萌で、何度か面談で顔を合わせた事もある。

 

今はそれよりも、

 

 

「あら。息子が競技に参加してないとは、一体どういう事なんでしょう? 怪我や急病などで退出している、という訳ではないのでしょう?」

 

 

初めは偉和感だけだった。

 

まず、彼らの息子の姿が見当たらなくなった。

 

多くの選手が出場する団体競技で、息子の姿を見つけられないのは、自分達のせいであって、親としてのレベルが足りないのでは? と2人揃って落ち込んだりもした。

 

そうして、がっくりと肩を落としながら娘が出場する競技場へ足を運んだのだが、今度は娘の姿が見当たらず、そこで昼に出会った銀髪碧眼の女の子に、娘が午後の競技を全て欠場していると教えられたのだ。

 

これは、おかしい。

 

娘が渡してくれたお手製のパンフレットにはきちんと出場する予定だと書いてある。

 

そこへ、娘の幼馴染がやって来て、これはおそらく彼女の同級生の仕業だという。

 

しかし、これは娘が頼んでやった事らしい、と。

 

その後、先程の銀髪碧眼の子と娘の幼馴染が『事件に巻き込まれたかも』と意気投合し、娘を探そうとしたのだが、

 

 

『常盤台中学秘伝、『物理的衝撃による記憶消去法』!』

 

 

と、背後に忍び寄った娘のルームメイトに沈められたのだが、2人は知らない。

 

それはさておき、娘がいないという事が、息子が見つからなかった事と何らかの関係があるかもしれない、と思い、息子の担任に話を聞いてみたのだ。

 

が、

 

 

「……申し訳ありません。大切なお子様をお預かりしている身でありながら、その動向が掴めないなんて」

 

 

「いやその……」

 

 

ぺこり、と顔を下げたまま動かなくなってしまった小萌先生を前に、上条夫妻は見合わせて困った顔をした。

 

別にこの教師を責めているのではなく、単に状況の説明を求めていただけなのだが。

 

 

「……(もはやこの場にいなくても女性を困らせるのか、当麻。うん、お前のその才能は筋金入りだな)」

 

 

「あら。刀夜さん、何か言いました?」

 

 

「いや何も……」

 

 

「ちなみに当麻さんのアレは刀夜さん譲りだと思うのだけれど」

 

 

「自分で言っておきながら何で自分で怖い顔をしているのかな母さん!?」

 

 

やっぱり、娘のアレは母さん譲りだった、と慌てたように刀夜は詩菜から一歩下がる。

 

それからいつまでも頭を下げっ放しで涙が出そうになっている小萌先生の方を振り返ると、

 

 

「いえ、こう言ってはなんですけど、実は当麻がここにいないと聞いて安心したんです」

 

 

え? と刀夜の発現の糸を掴めず、小萌先生は首を傾げる

 

 

「すみません。実は娘の詩歌も行方が知れないんです。どうやら、自発的に競技を抜けだしたようで」

 

 

「ええ!? 上条ちゃんだけじゃなく詩歌ちゃんまで!? じゃ、今すぐに綿辺先生に連絡を!」

 

 

本当に、他の学校であるにも拘らず娘にも心配する小萌先生を見て、優しい先生だな、と刀夜は頷く。

 

 

「大丈夫です。当麻も詩歌もきっと一緒にいます。何せ、2人は私達の自慢子供達ですから」

 

 

そう、きっと妹のピンチの時は当麻が助けに入り、兄が倒れそうな時は詩歌が支える。

 

これは、親馬鹿なのかもしれないが兄妹揃ったらどんな困難にも立ち向かえると信じている。

 

 

「そして、その2人が揃って自発的に行動しているという事は、きっと当麻と詩歌にとって、競技以上に価値のある行いという訳だ」

 

 

そこで、ほんの僅かに苦笑すると、

 

 

「まあ、今頃、2人でじゃれ合っているだけなのかもしれない、かな」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

―――あれ?

 

 

目を開けて、周囲を見回す。

 

何もない。

 

ただひたすらに真っ白な世界。

 

そして、彼女はふと疑問に思う。

 

 

―――ここはどこ?

 

 

さっきは、こんな所にいなかった。

 

もし倒れたのだとしても、ここは病院ではない。

 

ならば、これは夢なのか?

 

 

『あなたは、まだ『雛』ですらない。ただの『卵』』

 

 

その時、声がした。

 

優しくも温かで、でも、悲しげで、そして、どこか聞き覚えのある声。

 

 

『あなたが力を求めれば求めるほど、(せかい)に罅が入る。でも、今はまだ引き返せる。……もし殻が割れれば、あなたは、愛する者の隣にはいれなくなる』

 

 

恐れも、驚きもなく、ただ静かな理解と共に、その声を聞いていた。

 

天井を見上げる。

 

そこには、ほんの小さな罅があった。

 

本当に小さな罅。

 

しかし、それはこの世界を破滅に導くもの。

 

 

―――え? 身体が!?

 

 

己の手足が、端から融解されていく。

 

いや、違う。

 

組み替えられていく。

 

そう、人ではなく――――

 

 

『きっと、それは不幸。そうなれば、必ず後悔する。……だけど、あなたはいつか自分の手で、この殻を割る』

 

 

――――幻想へ。

 

 

 

 

 

公園

 

 

 

全てが……終わった後、ステイル=マグヌスはオリアナ=トムソンを連れて去った。

 

<使徒十字>の方も無事、土御門元春が回収。

 

上条詩歌は……意識を失っている。

 

上条当麻は、詩歌の状態を確かめると、公園のベンチで寝かす。

 

今回の事件は全て、解決した。

 

当麻はただ詩歌が目覚めるのを待ち続けながら、今日一日の事を振り返る。

 

全くもって、ろくでもない。

 

度重なる不幸のおかげで身体も心のガタガタだ。

 

こうして生きてられるのはちょっとした奇跡なのかもしれない。

 

試合でもないのに散々学園都市中を走り回され、後輩達にはどつき回され、妹との約束を破り、そして……

 

 

「ん……」

 

 

と、その時、上条詩歌は目覚めた。

 

 

「当麻さん、彼は……どうなりましたか?」

 

 

起きてからの開口一番の問い。

 

その問いに、当麻は、

 

 

「……ステイルに連れられて、どっかに行っちまったよ。それと、ありがとう、だってさ」

 

 

目を、合わせる事は出来なかった。

 

自然にできたかも分からない。

 

しかし、詩歌は『そうですか……』と言ったきり、それ以上何も追求してこなかった。

 

 

「……当麻さん」

 

 

「ん?」

 

 

「少し、冷えますね」

 

 

残暑といえど、もうすぐ日が沈む。

 

当麻は何とも思ってないが、薄着の体操服では、華奢な女の子には流石にちょっと寒かったのかもしれない。

 

これは早く寮へと帰るか。

 

そう思案する当麻に、詩歌は言葉を続ける。

 

 

「寒いです」

 

 

「そっか。じゃあ……」

 

 

そこで、当麻は、ようやく詩歌と目を合わせる。

 

そして、気付く。

 

その瞳が涙で濡れていた事に。

 

ああ、馬鹿だ、と当麻は後悔する。

 

彼女にだけは嘘をつく事はできない。

 

しかし、それでも彼女は騙されようとしている。

 

 

「私、寒いです」

 

 

当麻の顔をじっと見上げ、詩歌は繰り返す。

 

伝える事はそれが全て。

 

それ以上、詩歌は何も言わない。

 

詩歌が今、何を欲しているのか、当麻は正しく察する事が出来た。

 

理屈では分からない。

 

だが、分かる。

 

当麻は、詩歌の身体をそっと抱きしめた。

 

それを待ち侘びていたように、詩歌は当麻の胸に頭を置き、両手を背中に回す。

 

小さな手が、当麻の汚れた体操服をギュッと握った。

 

 

「ごめんな、詩歌」

 

 

背中を優しく叩きながら、当麻は言いたかった言葉を告げる。

 

 

「俺が悪い。全部俺が悪い。謝る。ごめんな」

 

 

対して、詩歌は、当麻の胸に顔を埋めながら首を振る。

 

 

「……いえ、当麻さんは何も悪くありません。ちゃんと約束も守ってくれましたし、私を幸せにしてくれました」

 

 

声を詰まらせながら、詩歌は言う。

 

我儘を言って困らせた事を謝りたかった、と。

 

『玉入れ』の時、一緒に試合ができて実は嬉しかった、と。

 

自分の為に最後、不幸な目に合わせて悪かった、と。

 

そして、

 

 

「……こ、怖……かった……本当は怖かった…んです…また、置いて…かれるって……」

 

 

自分の知らない所で、当麻が危険な目にあっていると思うと怖かった、と。

 

 

「大丈夫。俺は詩歌を置いてかない。絶対だ。賭けてもいい」

 

 

その不安を失くすように、己の存在を示すように、当麻はただ強く抱きしめる。

 

最後の試合が終わったのか近くの競技場からぞろぞろと多くの学生達がこの公園に向かってきているが、どうでもいい。

 

上条詩歌は、上条当麻を必要としている。

 

上条当麻は、上条詩歌を必要としている。

 

どうしてなのか、そんなのは理屈では分からないが、今、こうして心が落ち着くのは本当で、この気持ちは真実で、ならば、余計な事を考えるのはやめにしよう。

 

今はただ、この子を幸せにしよう。

 

この子に不幸を背負わせた分、誰よりも幸せにする。

 

それが今、すべき事なのだと。

 

上条当麻は、そう思った。

 

 

 

つづく


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