とある愚兄賢妹の物語 作:夜草
大覇星祭編 お昼休み
道中
<大覇星祭>。
東京西部を締める超能力開発機関・学園都市の中で7日間にわたって繰り広げられる特殊運動会も、すでに1日目の半分を過ぎていた。
正午から午後2時までは全ての競技は中断するお昼休みの時間に当たる。
それまで競技の参加したり応援に回ったりしていた大勢の学生達が街に繰り出し、さらに学園都市外部からやって来た一般来場客までいるのだから、人口密度は並大抵のものではなかった。
「はい、次はこっちですよ」
が、詩歌の事前準備と道案内のおかげで、当麻、インデックスはそういった混雑からは無縁だった。
『とある事情』によって、当麻は全身に擦り傷ができていたり、頬にガーゼが貼ってあったり、体操服に傷みや汚れがあるが、今日は大勢の能力者同士が激突する<大覇星祭>の真っ最中なので、あまり目立つ事はない。
で、その前でナビしている詩歌は少し汗で体操服を仄かに湿らせているが、そのせいで、いつもの甘い匂いが濃くなっているような気がする。
そして、その匂いが鼻孔を擽ると………
『私は、あなたを幸せにしたいんです』
……何だか、熱くなってきた。
今、思えばあれは、まずかったかもしれない。
いや、きっと、家族としてなんだろうけど、ちょっとあれはいき過ぎじゃないかな~、って思ってみたり、
俺は土御門のようにシスコン軍曹じゃないんだから、少し自重すべきだと思ってみたり、
でも、忘れる事は………
「……とうま、とうま。何でしいかの事じっと見てるの? それに私にはとうまがとても幸せそうな顔をしているように見えるんだけど。何かまたいかがわしい事でもしたの?」
と、ムスッとしながら隣にいるインデックスが睨みつけてくる。
「し、してないしてない。してませんの事よ?」
当麻は慌てて首を振る。
してない。
確かに、当麻はしてない。
あれは、された、というのが正しい。
だから、嘘はついていない。
だが、動揺してしまうのは何故だろうか。
そして、前を歩いているので、顔は見えないけど、詩歌の方はいつも通りで、どこか余裕が感じられた。
少しくらいは動揺して欲しい、と当麻は思う。
で、そうやって、無意識の内に詩歌をジロジロと見ていたのが気に喰わなかったのか、
「とうまのバカーッ!!」
ええっ! いきなりなんですかー……!? という当麻の断末魔が響き渡る。
詩歌の助言を得て、苦しみと恥ずかしさを乗り越えてレベルアップしたインデックスの『かみくだく』は一撃必殺級の破壊力を秘めていた。
当麻の煩悩ごと頭蓋骨をゴリゴリと削っていく。
「あっ、分かった。お腹がすいてて、イライラしてるんだなインデックス。あとちょっとで父さん達と合流するから、あとちょっとの辛抱だぞ」
言った瞬間、グーで頭を殴られた。
「違うもん、とうまのバカ!! 大体そんな、お腹がすいてるからイライラしてるなんて、清貧を掲げたこのシスターである私には無縁の感情なんだよとうま!!」」
「痛った! じゃあ何だよ!? っつか、さっきからお前、何だか物凄く香ばしい匂いがすんだが、一体どんだけ屋台で食ってんだよ! まさか、屋台全制覇でもしたのか? 本当、食べ物のことしか考えてねー―――って待て違うゴメン!! これはですねつい本音がいやそうじゃなくてつまりあれであって色々ですね――――ッ!!」
当麻は弁解するが、それは火に油を注ぐようなもので、
「イタダキそしてゴチソウサマ!!」
インデックスの怒りの炎はさらに燃え上がる。
このままだと昼食代わりに当麻はインデックスに喰われてしまうかもしれない。
「詩歌! ヘルプ! 当麻さん、このままだとイタダキマスされちゃいます!」
のた打ち回りながら、この
「はーい、もうすぐですよー」
そんな愚兄の危機に残念な事に彼女は全く気付いていない。
(……はぁー…事故とはいえインデックスさんと美琴さんがしてしまった事に嫉妬しちゃったのでしょうか……でも、だからと言って、―――をするなんて……(ぽっ)//// あ~う~当麻さんとはしばらく顔を合わせ辛いです)
そして、賢妹の頬が赤く染まっていた事に当麻は最後まで気付く事はなかった。
喫茶店
当麻とインデックスが詩歌に引き連れてやってきたのは、こぢんまりとした喫茶店だった。
店の中は大変混雑していたが、予約を取っていたおかげで待つ事はなかった。
しかし、先程話題に出た『とある事情』というのが、学園都市の危機に関わるもので、のんびりと昼食を取っていてもいいのだろうか、と当麻は思う。
だが、これは土御門やステイルから厳重注意された事で、
オリアナ達の目的が<使徒十字>による学園都市の支配なら何故、即座に実行されないのか?
これはきっと、すぐに使えない事情―――その絶大な効力を発揮させる為の特殊な儀式などの『使用条件』があるはずだ。
だから、オリアナ達を先回りする為に、その『使用条件』を調べるが、霊装の調査はプロの魔術師の仕事で、お前らに手伝えることはない。
なので、情報がある程度集まるまで<禁書目録>―――インデックスを事件から遠ざけておく、それが現在、当麻達の最優先事項である。
でも、やっぱり何だかなぁ、と思ってしまうのは仕方のない事で、と、
「おう当麻。こっちだこっち!」
「あらあら。そんな大きな声を出してはいけませんよ」
窓際の4人掛けのテーブルに、見知った顔があった。
上条当麻と詩歌の両親である、刀夜と詩菜だ。
刀夜は腕をまくったYシャツにスラックス、
詩菜は薄いカーディガンに足首まである丈の長いワンピースを着ている。
夫婦と言うより、どこかの令嬢とお抱えの運転手みたいに見えた。
と、その狭い通路を挟んだ隣にも、4人掛けのテーブルがあり、そこに、
「当麻君に詩歌ちゃん、待ってたわよん♪」
ウキウキとご機嫌な女子大生……で、一児の母、御坂美鈴。
淡い灰色のYシャツに薄手のスラックスを穿いており、実際に見てみると、本当に若々しい。
詩歌から事前に教えてもらわなかったら、母だとは思わなかったくらいだ。
で、その前には、当然、娘の……
「詩歌さん! ちょっと付き合って下さい!」
美琴は詩歌の返事を聞く前に、腕を強引に引っ張って、そのまま、ビューッ、と店の外へと走り去ってしまった。
道中
「………ってな訳で、本っ当に申し訳ないんですけど、詩歌さんからもウチのバカ母に何か言ってやってください! お願いします!」
ばっ、と美琴は勢い良く頭を下げる。
詩歌は、それを見て、やれやれといった表情を浮かべる。
久々に会えた娘との恋バナは母としたら嬉しい事なのだろうが、残念な事に美琴の乙女心の耐震構造は標準以下だ。
ちょっとした揺れで、ガラガラに崩れ落ちてしまうから、細心の注意が必要なのだ。
だというのに、そこへ、気になる男の子とくっつけようなどと大災害級のモンをぶつけようというのだから、恐れ入る。
まあ、美鈴の事だから、あわあわしている美琴の姿を見たいだけなのかもしれないが。
(全く、こういう所もお茶目で若いんですから美鈴さんは……)
いつもはふざけてじゃれ合っているように見えるが、彼女は心底美琴の事を案じている母親だ。
きっかけは自分の一言だったが、長い間娘に会えなかったのが寂しかったのだろう。
だから、本来なら母親としてきちんと年頃の繊細な娘の恋愛相談には乗って欲しいものではあるが、こうはしゃいでしまうのは仕方がない。
もしくは、このように詩歌に丸投げするのが狙いなのか……
「わかりました。私にも責任があるようですし」
「本当ですか! ―――「でも」」
詩歌はそこで一端、『 』を心の奥底に呑み込む。
今、詩歌は姉の代わりに、そして、母親の代わりとして、美琴に接する。
「1つ、答えてください」
妹として、当麻を心配し、
姉として、美琴を心配し、
そして、『 』が―――は封じ込める。
意識的にも、無意識的にも。
そうしなければ、ここにいる事さえもできそうにない。
「美琴さんは当麻さんの事をどう思っていますか?」
「ふぇ!? えっと、いきなり、何を……!?」
突然の詩歌の問いに美琴は狼狽する。
されど、詩歌は揺るがず、ゆっくりと、
「私はね。今の美琴さんが抱く気持ちは分かりませんが、“ソレ”はきっと大事にすべきものだと思います」
御坂美琴は誇り高く力強い心を持った女の子だ。
それは少し対峙すればすぐに分かる。
きっと、それが彼女の本質だ。
だからこそ、ほんの少しの心が乱されただけでも、その凛々しくも毅然とした心は変質してしまう。
そして、その心の乱れと言うのは、この長い人生で何度も起き、決して陥るのは避けられない。
ただ、逃げる事もできるだろうが、誇り高い美琴はきっと後悔する。
そうならないよう、多少乱暴であっても、教えられるものは教えなければならない。
「その答えは一時の迷いで出すべきものではありません。ですから、今すぐに、とは言いません。ただ、ちゃんと向き合って下さい。美琴さんが自分で考え、悩み、悩み……そして、乗り越え、絶対の自信を持てるようになったら、教えてください。その為の時間稼ぎなら……お手伝いしますよ」
すぅ―――と、美琴は落ち着いた。
正面にある笑顔と、向き合う。
和やかで、厳しい、微笑み……
それは、全てに優しさを通底した、母親の笑みだった。
と、それが終わると、
「にしても、美琴さんのファーストキスの相手が当麻さんだったとは、驚きです」
悪戯心のある姉の顔に変わる。
詩歌も美鈴の事を何だかんだ思いつつも、初心で初々しい美琴をからかうのは楽しみの1つである。
その点で、詩歌と美鈴は同士だと言える。
今のこの会話もきっちり録音済みだ。
あとで、美鈴の説得兼報告に役立てるつもりである。
これだけの材料があれば美鈴も茶目っ気を飛ばす事は抑えるだろう。
「ちょ、アレ、見てたんですか!? いや、でも、アレは……………」
ぷしゅーー……と蒸気を上げ、顔を真っ赤にし、ワナワナしながらも美琴は詩歌に対して言い訳する。
それを詩歌は、うんうん、と頷きながら微笑ましく見守る。
きっとこの内容も渡せば、美鈴も満足するに違いない。
と、その時、
「あらぁー? そこにいるのは、詩歌先輩と御坂さんですかぁー?」
そして、さらに、
「おーい、詩歌ー、御坂ー」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「えと……」
妹と後輩の帰りが遅くて心配して来てみたら、2人の間に見知らぬ美少女が1人。
煌びやかで長い金髪で、体操服姿だというのに、高級そうなレース入りのハイソックスと手袋。
何故か、後輩――美琴は思いっきり嫌そうな顔をしている。
「こちらのお嬢さんは?」
と、状況の掴めない当麻に詩歌が、
「私の後輩で、美琴さんの同級生です」
なるほど。
と言う事は、彼女も詩歌や御坂と同じ常盤台の――――ん?
「ドーキュー?」
視線が下がる。
……もしかして、聞き間違えたのか?
「え、っと……、“後輩”?」
「はい」
「“同級生”、じゃなくて?」
「ええ、食蜂さんは私の後輩で、美琴さんの同級生です」
そうか……にしては……
(今、コイツの視線が30cm以下に落ちた気配を感じたっ!!)
もう一度、“比較対象”を見る。
うん、どちらかと言うと、御坂よりは詩歌の方に近い、ような……
「はじめましてぇ、お兄さん」
と、不自然に黙り込んでいた食蜂が、ポツリと呟き、次の瞬間、
「私ぃー、御坂さんのお友達で、詩歌先輩の後輩の食蜂操祈っていいますぅ」
星が出るような眩しい笑顔で、詩歌と美琴と腕を組み、
「ヨロシクね(ハート)」
きゃるん♪ と決めポーズ。
「誰が友達だァーッ!!」
瞬間、この何を企んでいるか分からない“同級生”の怖気が走る行動に、美琴は思わず青ざめて腕を振り回す。
「やぁ~ん、こわぁ~い☆」
「いいから、詩歌さんからとっとと離れなさいッ!!」
がるる、と番犬のように唸る美琴に食蜂は、その先にいた―――
「お兄さん、助けてぇ~」
ぴと(ハート) とその自慢の“比較対象”を押しつけながら当麻に抱きつく。
「御坂さん私の事キライみたいでぇ~。いっつもビリビリしてるんですよぉ~。そうやって、詩歌先輩を1人占めしてるんですよぉ~」
食蜂の上目遣いと目が合う。
「あー、俺に対してもいつもビリビリ……」
キラキラ輝く、長い金髪。
白い肌に☆マークの瞳の、整った顔立ち。
中学生離れの色気のある肉体を持ち、甘えられたら、自然にうんと頷くのも無理は――――
「―――アレ? 今……」
そのデレデレした(美琴の目で)顔に、思わず、電撃――――
「当麻さん」
平坦な。
どんな緻密な鎧の隙間にも這い入って貫く薄刃のように平坦な声だった。
それは、当麻だけではなく、その場にいた全員の顔を一瞬で蒼く染め、背筋を伸ばさせるには十分なものだった。
「は、はい! ……なんでしょう、詩歌……さん?」
「当麻さんが若い男の子ですし、少しは仕方がないとは思いますが、そうまじまじと女の子の胸を凝視するのはいかがなものでしょう?」
「……よ、良くないと思います……」
「でしたら」
「はい……」
「歯を食い縛りなさい」
「……不幸だ」
鉄拳制裁
男子高校生の体が高々と宙を舞った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
K.Oされた愚兄は、美琴に引き摺られながら、喫茶店へと戻り、詩歌はその場に残った。
詩歌は、過去に食蜂に操られた事がある。
それが御坂美琴と食蜂操祈が(一方的な)犬猿の仲となった一因でもある。
なので、詩歌と食蜂を2人きりにするのはなるべく避けたい所。
だが、美琴は、去り際に食蜂に威嚇するように睨みつけたが、それでも、ふん、と鼻を鳴らして後ろは振り返らなかった。
それは、詩歌に対する信頼か、それとも……
「……詩歌先輩。いいんですかぁー、イ・ロ・イ・ロ、と♪」
「別に、すぐに終わらせるつもりですから。まあ、操祈さんの態度次第で、ですが」
そこで、2人は真っ向から向かい合い、
「操祈さん、お願いがあります…………」
「いいですよぉー」
詩歌のお願いを聞いた後、食蜂は素直に頷いてくれた。
詩歌はそのあまりに従順な態度に少々訝しむ。
一癖も二癖もある彼女が何の対価もなしに人の言う事を聞くなんて、明日は嵐だな、と思ったのだが、
「私も詩歌先輩と同じ事をするつもりでしたからぁー。ついでに、先輩のお願いも聞いてあげますよぉー」
ついでに、とか、
何か企んでいるな、とか、
色々と言いたい事があったが、とりあえず、スルーしておく。
追及や躾にかけている時間は生憎ない。
「あ、その代わりにぃー。私に質問に答えてくれません?」
「おや? 聞きたい事ですか? これは珍しいですね」
「詩歌先輩、今、御坂さんの能力で、頭の中読めませんからぁー」
油断のできない後輩だ、とつくづく思う。
一応、この魔術の問題を知られないため、念のために美琴の<超電磁砲>を投影しておいた。
干渉で、洗脳はすぐに、とは言わないが解除できるけれど、それでも一時の自由は奪われる。
しかし、御坂美琴の<超電磁砲>は食蜂操祈の<心理掌握>をシャットダウンする事が出来る。
「はぁー、本当に油断のならない後輩ですね、操祈さんは」
「お褒めの言葉ありがとうございますぅー」
全くもって油断のならない後輩である、と食蜂の評価を改めて確認する。
「で、聞きたい事とはなんですか?」
ニコッと笑いながら、食蜂はその問いを口にする。
「詩歌先輩は、私と御坂さんが喧嘩したら、先輩として、どっちの味方についてくれますかぁー?」
一体どんな事を聞かれるのかと思ったら、こんな質問だなんて……
詩歌は思わず苦笑が漏れる。
本当にこの生意気な後輩はどうしてしまったのだろうか?
仄かに嫌な予感がしたが、それを脇に置いて、少々黙考し、
「どちらの味方につきますし、どちらの味方にもなりませんね」
その答えに、食蜂は驚いたように目を見開く。
「へぇ……詩歌さんの事だから絶対に御坂さんの味方になると思ったんですけどねぇ……」
「確かに、美琴さんは私の可愛い妹です。しかし、“先輩”としてなら、“後輩”に対しては平等に接します。だから、『どちらの味方につくか?』、と訊かれれば、『どちらの味方です』と答えるしかありませんね。何を企んでいるかは知りませんが、よほど酷い事をしない限り、手を出す気はありませんよ」
詩歌はそこで安らかに食蜂に微笑みかけ、
「ふふふ、私にとっては、美琴さんも操祈さんも同じ可愛くて、生意気な後輩ですよ」
それは本心からの言葉だった。
喫茶店
詩歌が店内に戻って来てみると、まだ昼食は始まっていなかった。
どうやら、待っていてくれたらしい。
詩歌はその事にお礼を言うと、美鈴の隣に座る。
上条家のテーブルの方は、刀夜と当麻が並んで、その向かい側に詩菜とインデックス、と埋まっている。
インデックスは夏休みに上条夫妻とは顔合わせしているが、御坂家の方とは残念ながら面識はない。
ついでに当麻も、『記憶』の問題がある。
だから、この席順は妥当だし、それに……
「(美鈴さん、これを……)」
「(え? これって、まさか……)」
いそいそと美鈴は立ち上がる。
「じゃあ、詩歌ちゃん。悪いんだけど、ご飯の方お願いできる?」
「はい、お任せ下さい」
「ありがと。で、先に食べちゃってても良いから」
そうして、美鈴は詩歌と入れ替わるように席を外す。
何となく美琴はそれを見て嫌な予感がした。
そして、詩歌は美鈴の席の隣にあったバックをゴソゴソと漁り、
「あらあら」
出てきたのは、クリスマスケーキサイズの巨大なチーズの塊、白ワイン。
銀色の寸胴鍋に、小型ガスコンロなどの調理器具。
「チーズフォンデュ、ですね。これはこれは、豪勢なお弁当です。良かったですね、美琴さん」
「良くありませんよ!? 学園都市に
まあまあ、と美琴を押さえながら、詩歌は調理を開始する。
「何事も一緒。危険物だって、能力だって用法を間違えなければいいのです。それに、折角、美鈴さんが美琴さんのお母さんとして、用意してくれたものです。文句を言っては駄目です」
(……私だって、もう少し母親らしくしてくれれば、何も突っ込まないわよ。てゆーか、何だか、詩歌さんの方が母親っぽいし……はぁ)
と、呆れたような、悲しいような溜息を吐くと、横から、
「ほれ。御坂」
当麻がぽんと上条家のお弁当をお裾分けする。
「じゃーん。今日のメニューはライスサンドです。まあ、少し形が崩れてしまっているけど、多めに作ってきたから遠慮なく頂いちゃってちょうだいね」
詩菜お手製のライスバーガー。
少し形が崩れているものの、とても美味しそうだ。
インデックスと三毛猫、スフィンクスはバスケットが開いた瞬間に高速で反応、即座に自分達の分を確保。
「ふふ♪ ふんふふーん♪」
一方、詩歌の方もトントンとリズムを取りながら、まず鍋の中にチーズの塊を刻んで細かくし、コーンスターチをまぶしたものを入れて、さらに白ワインを加え、弱火にかける。
鍋のそこが焦げ付かないように木べらで刻んだチーズを良く混ぜ、溶かしてチーズソースを作る。
その傍らで、野菜、フランスパン、ソーセージなどの食材を食べやすいサイズに切り、皿に盛っていく。
頃合いを見て、最後に塩コショウで味を調えて完成。
詩歌は家事は何でもこなす事ができ、ペルシャ絨毯のほつれを直したり、金絵皿の傷んだ箔の修繕方法も完璧にこなせるが、中でも料理は最も得意である。
何故なら美味しい物を食べると人は幸せになる。
それは、熟練の主婦と言ったもので、久々に見た娘の料理捌きに刀夜と詩菜は目を見張る。
「あらあら。詩歌さん、本当に料理が上手になりましたねぇ」
「いえいえ。これも母さんからきちんと基本を教えてくれたからです。本当にありがとうございます」
母からの賛辞ににこりと微笑むと、そのまま、一口サイズのフランスパンを鍋の中に入れて、
「はい。美琴さん。あ~……」
「ふぇ!? いきなり、何してんですか!?」
驚く美琴。
それに詩歌はきょとんと首を傾げて、
「え? あーんですよ。あーん」
「いや、それは分かりますけど。私が言いたいのは何であ、あーん、する必要があるのかって事で……」
「作ったのは私ですけど、このチーズフォンデュは美鈴さんが美琴さんのために用意されたものだからです。だから、まず最初の一口は美琴さんに……」
はい、あ~……、と再び美琴の口元まで持っていく。
幼いならともかく今は、それにこう人目があるとこでやるのは流石に恥ずかしい。
しかし、残念な事にこれは強制のようです。
それを、あ~う~と言った後に羞恥で顔を真っ赤に染め、もうどうにでもなれ、と目を瞑りながら、
「―――あむ……」
瞬間、口一杯にチーズの―――
―――カシャ。
カメラのシャッター音。
慌てて目を開けると、そこには携帯電話を構えてニヤニヤしている母、美鈴の姿が、
「いや~、可愛かったわよ、美琴ちゃん。やっぱり、詩歌ちゃんの前だと素直になっちゃうんだー。何だか母親としてジュラシー感じちゃうなー」
美鈴はそのまま自分の席に座ると演技で涙腺を操作できる大人の女性らしく、わざとらしく瞳をウルウルとうるませる。
だが、それで怯むような美琴ではない。
「だったら、ちゃんと母親しなさいよッ! っつか、もっと普通な弁当は用意できなかったの?」
「それはほら。女の子ならご飯は鍋で用意するぐらいの大飯喰らいの方が形良く立派に育つのよ。エクササイズも大事かもしんないけど、小さな弁当をチマチマ食べてるだけじゃ大きくならないって。それだと逆に育って欲しい所に栄養が行き渡らないかもしれないわね。もう、私が何でこんなに大量の
「なっ、ちょ……育つとか、大きくならないとかって、いきなり何の話を始めてんのよ」
「あらーん? 何の話かしらーん? 私は骨の健康も考えてカルシウムを取りましょうって言ってただけなんだけどー……もしかして、美琴ちゃんってば他にもどっか具体的に大きくなって欲しいトコロがあっるのっかなーん? そもそも何で大きくなりたいなんて急に考え始めちゃったのかなーん?」
「だっ、黙れバカ母ッ! ええい、アンタもキョトンとした顔でこっちを見てんじゃないわよ!!」
ええー!? 何でそこで俺!? といきなり噛みつけられた当麻。
他の皆様方は、其々自分の分の食事を楽しんでおり、同席している詩歌であってものんびりと母のライスバーガーに舌鼓を打っている。
なので、声を掛けられない限り、止める気は一切なく、むしろ、
「まあ、美琴さんもお年頃と言う奴です。この前も胸パッドについて真剣に――――」
「わーーーっ!! 詩歌さん!! 余計な事は言わないでください!!」
そこで、美鈴はニヤニヤと、あまり上品ではない感じの笑みを浮かべた後に、
「でもまぁ乳製品が必要かどうかはさておいて、いっぱい食べたらいっぱい育つってのは、生物学的に当たり前の事よ。縦に伸びるか横に伸びるかは別問題だけどね。食ったら太るってのは単に体の管理ができてないだけ。摂取量と運動量を調節すれば、きちんと育ってほしい所が育ってくれるわ。欧米の食文化なんて凄いじゃない。あんなバケツみたいな量のご飯を食べてりゃ、そりゃあ日本人より良い体格にもなるわよね」
確かにそうかもしれないが、詩歌の身近にいる2人。
その内のルームメイトの方は、1日5食の大食漢ではあるが、その栄養はほとんどエネルギー消費か筋肉に変わっており、本人が望むべき所には一切栄養が行っていない。
「胸がデカイと人生得するわよーん?」
言いながら、美鈴はわざとらしく両手を挙げて『うーん』と伸びをした。
背中が弓のように反らされた事で膨らんでいる部分が強調される。
ぐぐっ、と発展途上の美琴は僅かに怯んで、
「べ、別に。いっぱい食べたら体が育つなんて、ほとんど迷信じゃない。―――って、アンタ! 何を人の家の母に視線を奪われてんのよ!!」
美琴に指摘された当麻は、ズバァ!! と音速で視線を逸らした。
が、すでに時遅く、
「あ、手が滑った」
ヒュ――――と。
「あっちいいいいぃ!?」
調理に使った(まだ熱い)木べらが額に突き刺さるように命中。
そのモーション、投擲速度、そして、迷いのなさに刀夜は、妻の実力に匹敵するようになっている!? と娘の成長に恐れを感じる。
そして、のた打ち回っている愚兄を他所に詩歌は何事もなかったように食事を再開。
と、そのとき通路へ身を乗り出すように横から、インデックスが詩歌の肩をトントンと叩き、
「はい、何でしょう? インデックスさん」
「ねぇ、しいかしいか。私も、そのチーズフォンデュを食べたい」
美鈴と美琴の話題のせいか、それとも単に美味しそうだったからか、早々にライスバーガーを10個完食したインデックスは詩歌におねだりする。
基本、インデックスに甘い詩歌は、御坂家に軽く断りを入れると、野菜・ソーセージ・フランスパンを指した杭をチーズソースに絡め、そして、そっと下に手を添えながら、
「はい、あ~……―――」
「―――あむっ……」
と、インデックスはその小さなお口を精一杯開けて、一片に3つ全部パクつく。
そして、頬や唇についたチーズソースを『あらあら』と言いながら、詩歌は口元を拭い、慣れてるインデックスはされるがまま、されど、お口をもぐもぐさせて……
「うん! 美味しい!」
にぱっ、と満面の笑み。
そして、
「しいか、今度から、コレ作って」
「あら? 今度から、と言う事はいつも何かしてあげてるのかしら? 詩歌さん」
その時、蹲っていた当麻の背中に嫌な汗が浮かぶ。
もしここで、インデックスとの同棲がばれたりしたら……
「ええ。インデックスさんはあまり料理が得意ではなく、時々、ご飯を作りに行っているんです。本当に幸せそうに食べてくれますから作り手としたら最高の相手です」
「うん! しいかのご飯って、いっつも美味しいんだよ」
「はい。隠し味に愛情をたっぷりと入れてますから」
と、さし障りなくこの話題を終わらせた。
詩菜の方も空気を呼んだのか、これ以上、話を掘り下げる気はないらしい。
そして、刀夜の方は、
「し、詩歌。父さんもあーんして欲しい―――「刀夜さん」」
違うよ、母さん! これは娘とのスキンシップで! と詩菜に土下座。
が、そこにもう1人、
「あらら~、美琴ちゃん。こっちの可愛い子ちゃんに詩歌ちゃんを取られちゃうかもよ?」
その時、当麻は、あ、まずい、と思った。
「……、べ、別に。私、全然、相手してないし」
「む。私だって、短髪の事、全然相手にしてないんだよ」
「何? アンタ、もしかして喧嘩売ってんの?」
「それはこっちの台詞なんだよ」
……あーあー。
この2人は仲が悪いというべきか、いや、仲が良いというべきか。
すっかり、子供の喧嘩になっちゃったな。
2人とも詩歌の事が(当麻の事も入っているのだが)好きだから、顔を合わせるたびに自制とか慎みが吹き飛んでしまうのである。
これに火をつけた張本人は、ニヤニヤと傍観に徹するようだし。
だが、あまり当麻は心配していなかった。
もし、この場に止められるのが当麻しかいなかったら、それはもう一刻も早くその場を離れようと逃げるが、幸運な事に彼女がいる。
そう、上条詩歌が。
「……ふふふ。私は幸せ者ですねぇ」
と、にっこり微笑みながら、まずは美琴を見て、
「ねぇ、美琴さん」
「は、はいっ」
「美琴さんはとっても立派です。頭が良くて、努力家で、ちょっぴり負けず嫌いだけど本当は優しくて。いざとなれば、皆の先頭に立って、誰かを守る為にどんな労苦も惜しまない。そして、Level5として、誰の意見にも左右されない確固とした己を持っている。中々いませんよ美琴さんのような子は、世界中どこを探したってね」
「……そ、そんな」
ストレートに褒められたのが恥ずかしいのか、プイッと美琴はそっぽを向く。
「それからインデックスさん」
「は、はいっ」
「私はね、インデックスさんほど良い子は滅多にいないと思いますよ。誰にも平等で、元気で、何より天性の明るさがあって、決して場の空気を暗くしたりはしない。いつだって誰かを笑顔にできる、特別な力を持っているんですインデックスさんは。私は断言できます、インデックスさんは誰にでも愛される本当に愛くるしい女の子だ、ってね」
「うぅ……そんな、それほどでもないかも」
こちらも詩歌のベタ褒めを受け、美琴と同じように顔を逸らしながらも相好を崩すインデックス。
「ふふふ、だからね。きっと2人は『喧嘩なんかして誰かを困らせるような事は絶対にしない』と思うんですよ。きっと、お互いの事を理解し合って仲良くしてくれるに違いありませんね」
お淑やかで、ふんわりとした口調。
綿飴のように、甘くて、柔らかい。
なのに、逆らい難い。
というか、優しく細められた瞳は全く笑ってない。
1つ返答を間違えれば、たちまちその綿飴に首を絞められて、バットエンドを迎えてしまいそうな予感に満ちていた。
「「はい!!」」
詩歌の『説得』に、美琴とインデックスはふたりして縮こまる。
やはり、この2人には詩歌が効果覿面だ。
何だかんだ言って2人とも、詩歌には世話になっているし、その怖さも知っている。
だから、少し言い包められれば、逆らうなんてできやしないだろう。
全くもって、予定調和。
上条詩歌がいる限り、彼女達の喧嘩は<超電磁砲>VS<禁書目録>なんて、大それたものではなく、子供同士のじゃれ合い以下の茶番になる。
でも、2人の目の奥にはまだまだ闘志が燻っている。
当麻としたら、割ときつく叱ってやって欲しいのだが、実の所、詩歌は、2人の対立は互いに良い刺激になると考えている節があり、それを知りつつも放置している。
うむ。
詩歌がいなければ、ほぼ高確率で当麻は挟み撃ちになり、拷問のように二者択一を選ぶよう強制される。
当麻に詩歌のように2人を言い含めるなんてできそうにないし、念の為、胃薬の常用化を始めるべきか、と気が気でない当麻であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう、苦痛だけが認識できる全てだった。
力を得る代わりに、1秒1秒ごとに精神が、魂が喰われていく。
―――ヨメ。
本とは読むものだ。
―――ヨメヨメ。
正しく読み解けられる主に計り知れない恩恵を与える。
―――ワタシヲヨメ。
でも、相応しくない主は、狂わせる。
呪いの声はさらに歌う。
もう、彼に思考能力はない。
考えるだけで痛みが襲う。
脳が、意識が、魂が軋む。
今はただ、声に従い、己の内に目を傾ける。
されど、読むたびに、<原典>の毒が体を蝕む。
だが、読むのを止めない。
今、この身体を支配しているのは、本、だ。
もう、その男に意思はなく、狂気のみ。
その狂気を栄養とし、呪いの歌声は絶えることはない。
魔導書として、命を持ったソレは己の“読み手”を求める。
そして、己を殺すあの右手を持つ“天敵”を嫌う。
奇しくもそれは、その男の妄醜と一致していた。
つづく