とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 横槍

大覇星祭編 横槍

 

 

 

道中

 

 

 

人の行き交う大通りの真ん中で、作業服を着た女性が看板を抱えたまま、電光掲示板を見上げる。

 

その内容は、急病人が出たため競技が一時中断したというもの。

 

取るに足らない話題性の乏しいただのニュースだ。

 

でも、彼女はそれを見て、足を止めた。

 

そして、その“裏側”を正確に読み取って

 

 

「……、これは、予想外の展開、かな」

 

 

と言って、再び歩き出す。

 

脇に抱えた看板へ、手の指を喰い込ませて。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

誰であっても完璧じゃない。

 

誰であっても1度は必ず失敗する。

 

むしろ、失敗している事がほとんどだ。

 

だからこそ、己の未熟を悔いる。

 

もし、この右手で魔導書を破壊していれば、あんなことにはならなかった。

 

自分の目の前で、倒れゆく彼女に、上条当麻は何もできなかった。

 

妹に全てを押し付けて、その場を後にした。

 

全ては、己の為すべき事を果たすために。

 

そう、彼女が出てくる前に………

 

 

 

 

 

 

 

上条当麻と土御門元春は、ほとんど人を突き飛ばすように歩道を走る。

 

道行く人々が迷惑そうな目を向けてくるが、気にしている余裕などない。

 

スピーカー機能がオンとなっている土御門の携帯からステイル=マグヌスの声が聞こえる。

 

 

『オリアナ=トムソンの位置は確認した。第7学区・地下鉄の二日駅近辺だ。もう少し時間があれば、もっと正確な場所を特定できる』

 

 

ステイルは己の魔力が解禁されたのを確認すると、即座に土御門の置き土産――<理派四陣>を発動。

 

運び屋――オリアナ=トムソンの位置の特定に成功した。

 

 

「二日駅!? 通り過ぎちまったぞ!」

 

 

当麻は慌てて靴底を滑らせるようにブレーキを掛けて、今まで走っていた方向へ引き返す。

 

途中の道を横に曲がって、細い道へと飛び込んだ。

 

先程までとは目の色が違う。

 

これが最後の機会……そう、覚悟した瞳だ。

 

あの3人の中で最もダメージが軽かったのもあるが、今の覚悟を決めた当麻には、プロである土御門も主導権を握る事はできず、その後を追いかけるばかりだ。

 

 

『北上……そう、北方向へ動いているみたいだ。近辺に黒騎士の姿はない。道は……3本に分かれているが、どれかはまだ分からない。すぐに特定させる……』

 

 

声を聞き終える前に、2人は細い道を抜ける。

 

歩道の隅に寄り添うように、地下鉄階段入口が見えた。

 

彼らはそのまま北の道へと走り抜けていく。

 

 

『3本の道は……今……今……出た。良いか――――』

 

 

その瞬間、

 

 

「1番右の道だ! 見つけた!!」

 

 

当麻の目が、金髪の作業服を着た女性――オリアナ=トムソンを捉えた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

向こうも当然、当麻達に気付く。

 

すぐに彼女は、ちょうど近くに停留していた無人バスに乗り込み、逃走を図ろうとするが、

 

 

『車体番号5154457に貼り付けたルーンのカードを吹き飛ばせ』

 

 

爆破。

 

無人バスは横転し、廃車と化す。

 

ステイルが整備場で予めルーンのカードを貼って仕込んでおいた遠隔操作型の爆弾罠を、土御門の指示で発動させたのだ。

 

中のオリアナもただでは済まない……と思ったのだが、

 

 

「うふふ。魔力を使い意思を通した炎ならともかく、ただ物理的な燃焼だけではお姉さんを熱くする事は出来ないわね。もっとも少々焦って濡らしちゃったけど。見てみる? 下着までびちゃびちゃだよ」

 

 

冗談を口にしながら、何事もなかったように火災の中から現れた。

 

青色の文字で『Wind Symbol』と書かれた<速記原典>から、霧の風を生み出したのだ。

 

並の炎では蒸発されない水の防護膜を無人バス一帯に広げ、火種となる物を全てコーティングさせることで、数秒で消火してしまったのだ。

 

服は全てうっすらと濡れてしまったが、看板――<刺突杭剣>は無事。

 

しかし、ようやく追い詰める事が出来た。

 

当麻は僅かに両目を細くしながら、じりじりと間合いを詰める。

 

 

「……お前が仕掛けた術式で、全く関係のない人間が倒れたぞ。覚えてるか、お前と初めて会った時に、俺と一緒にいた女。お前の目には、アイツが魔術と関係あるように見えたのかよ」

 

 

「この世に関係のない人間なんていないわ。その気になれば、人は誰とだって関係ができるものよ?」

 

 

「分かっては……いるんだな。分かっていて、それでも反省する気はないんだな?」

 

 

当麻の声は平たい。

 

関係のない人間なんていない。

 

確かにそうなのかもしれない。

 

だが、だからといって、彼女達を巻き込んでもいいという理由にはならない。

 

オリアナは、少し眉を潜めながら、

 

 

「今さらどうこう言う気はないけど、あの子を傷つけるつもりがなかったのは本当だよ? お姉さんだって、一般人を傷つけるのは躊躇うもの。こういうのとは違って」

 

 

言って、オリアナは単語張の1ページを口で破った。

 

カキン、とグラスとグラスの縁をぶつけたような、澄んだ声が響く。

 

瞬間。

 

 

「が……ッ!!」

 

 

いきなり、土御門が呻き声を上げながら、体をくの字に折り曲げる。

 

脇腹を片手で押えながら土御門はガチガチと震えたままオリアナを睨みつける。

 

 

「土御門!!」

 

 

当麻は顔を青白くさせている土御門の元へ慌てて駆け寄る。

 

それを見たオリアナはクスクスと笑い、

 

 

「あら。てっきり怪我を負っているのはあなたの方だと思ったんだけどね。使い道を誤ってしまったかしら」

 

 

その間にも土御門の体は、ぎちぎちと少しずつ地面へ崩れゆく。

 

 

「多少は耐性があるようだけど……それだけでは、お姉さんの手管には敵わないわよ?」

 

 

彼女の唇には、単語張の1ページがあった。

 

 

「何だ? お前、土御門に何をした!?」

 

 

青い文字で書かれた『Fire Symbol』。

 

その効果は、

 

 

「再生と回復の象徴である火属性を青の字で打ち消しただけ。音を媒介に耳の穴から体内へ潜り、一定以上の怪我を負った人間を昏倒させる術式よ。さっきの鈴の音が発動キーなんだけど……あなたはそれほどひどい傷はなかったようね」

 

 

一定以上の傷をもっている人間を、例外なく昏倒させる。

 

土御門は先程拒絶反応を起こしている。

 

それに、彼は、表ではごく普通の高校生だが、裏では科学と魔術の両方に通じ、闇に生きる多角スパイだ。

 

それ故、恨まれる、または命を狙う敵も多く、さらに、その能力者でもあり魔術師と言う禁断の組み合わせによって、土御門の体に刻まれた古傷は、一般男子高校生のそれを遥かに上回る。

 

この<速記原典>はまさに土御門元春の鬼門。

 

当麻も、あの時、黒騎士から受けた傷が治癒してなければ危うかったかもしれない。

 

しかし、これは魔術。

 

異能なら、この右手で打ち消せる。

 

当麻は土御門の体を撫でる。

 

こうすれば、少なくてもステイルや吹寄のように状態は収まるはず………

 

 

「なっ……?」

 

 

何の効果もない。

 

と言うよりも、消しても消しても即座に効果が復活している。

 

この術式は先程の迎撃術式とは異なり、大元のページを破壊しなければ、効果は消えない。

 

もしくは、土御門の体についている傷を完治させて、術式条件から外させるか。

 

術者であるオリアナを倒す方法以外はそのどちらか。

 

当麻の<幻想殺し>は異能は打ち消せるが、その異能によってできた傷までは治せないので、方法は1つしかない。

 

だが、オリアナはその昏倒のページを、当麻の目の前で、風に乗せるように宙へ放り捨てた。

 

あっという間に軽い単語張のページは風に流され、オリアナの後方へ飛び去っていく。

 

その挑発に、当麻の顔が思わずカッと熱をもつ。

 

 

「テメェ!!」

 

 

だが、その怒りすら心地良さそうに、オリアナは全身を震わせる。

 

ぺろり、と自分の下で自分の唇を潤しつつ、

 

 

「彼を助けたければ、一刻も早くお姉さんを倒す事。さもなくばお姉さんが良いと言うまで彼はずーっとお預けよ? そもそも、それまで彼は長持ちするのかしら。案外短い方だったりして、ね?」

 

 

カチカチと歯が鳴る。

 

分からない。

 

上条当麻には分からない。

 

 

「何で、だよ」

 

 

土御門元春だって、こんな問題が起きなければ、スパイと言う仕事を忘れて<大覇星祭>に参加していただろう。

 

きっと、皆と一緒に騒いでいられたに違いない。

 

ステイル=マグヌスだって、こんな事件を起こさなければ、戦いの準備なんてする必要もなかった。

 

もしかすると、この学園都市に来た理由も、久しぶりに同僚であるインデックスの顔を見せに来たプライベートなものになっていたのかもしれない。

 

吹寄制理だって、こんな事故に巻き込まなければ、倒れる事はなかった。

 

そうならなければ、運営委員として皆が盛り上がるように<大覇星祭>を仕切っていたに違いない。

 

そして、上条当麻だって、こんな不幸がなければ、『約束』を破る事もなかった。

 

プロの魔術師にしてみれば、ほんの些細な事なのかもしれない。

 

世界を揺るがす<刺突杭剣>に比べれば、なんて事はないのかもしれない。

 

だが、それでも、

 

 

「<刺突杭剣>なんて物の価値は知らない。それがどれだけ歴史を大きく変えられるのか、世界をどういう風に動かしていけるかなんて、きっと俺には正しく実感できてない」

 

 

上条当麻にとって、

 

 

「だけど、これだけは分かる。そんなくだらない物のために、誰かが傷つくなんて間違ってる。<刺突杭剣>ってのが、こんなクソつまらない結果しか生まないような道具なら、俺はそいつをこの手でぶち壊してやる!!」

 

 

ずっと価値のあるものだった。

 

<刺突杭剣>なんかよりも、このかけがえのない平穏の方がずっと大事だ。

 

歴史を変える事なんかよりも、上条詩歌との『約束』を守りたかった。

 

 

「仕事だから仕方がなかった、と言うのが格好良さそうだけど、それだと依頼主に対して不誠実よね」

 

 

プロの魔術師は、それをちっぽけだとでも言うように、一笑に付すと、全くもって重みの欠片もない言葉で、

 

 

「仕事の目的はともかくとして、どういう経緯で達成するかはお姉さんに任されている訳だし」

 

 

当麻の体内で、歪んだ熱が暴走する。

 

噛み締めた奥歯が、そのまま砕けてしまいそうになる。

 

だが、

 

 

「ふざけるな」

 

 

次の瞬間には、当麻は無表情だった。

 

怒りを深く己の中へ呑み込んだ。

 

そうだ。

 

ここで我を忘れてはいけない。

 

今、ここに来るまで何人もの犠牲を出したからこそ、それを無駄にする事は許されない。

 

そして、これがきっと、上条詩歌が、この事件に巻き込んでしまうのを防ぐ最後の機会だ。

 

硬く右の拳を握り締めながら、頭を冷やす。

 

 

「考えろよ! なあ、本気で人の命よりも、仕事が大切だって言えんのか!」

 

 

濃密な覇気を練り込みながら、睨む。

 

『玉入れ』で男子学生に向けた者とは比べ物にならない眼力。

 

でも、オリアナは笑い続けている。

 

僅かに冷汗を流しながらも、笑い続ける。

 

これが、アンタらのやり方か。

 

当麻には絶対に理解できない。

 

これでハッキリした。

 

そして、決めた。

 

必ず、ここで、蹴りをつける。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「―――うおおおぉおおぉおぉっっ!!!」

 

 

体中から迸る昂りに吠えながら、オリアナとのおよそ10mの間合いを潰しにかかる。

 

当麻ができる攻撃方法なんて、ただ単純に相手をぶん殴るだけ。

 

それに対して、オリアナは容赦なく、単語帳の1ページを口で咥え、<速記原典>を発動させる。

 

その1ページに書かれた文字は緑色の『Wind Symbol』。

 

当麻との間を遮るように、厚さ50cmもの氷の壁が出現。

 

しかし、当麻は迷うことなく真正面から突進してくる。

 

この程度の障害なら間違いなく、右手が食い破る。

 

 

バン!! というガラスが砕けるような音。

 

 

まるで内側から爆破されたように、氷の壁は一撃で粉砕される。

 

だが、その先にオリアナはいなかった。

 

砕けた氷と一緒に、その姿がバラバラと崩れていく。

 

まるで、ステンドガラスに描かれた像が砕けるように。

 

そう、氷の壁の役割は足止めではなく、

 

 

(――――光の、屈折か!?)

 

 

まさに、オリアナの術中だった。

 

 

「んふふ。初めて握手した時も感じたんだけど、学園都市って随分と珍しい子を集めているのね」

 

 

ごく僅かな当麻との戦闘経験から、その右手に何らかの力が宿っているものと推察。

 

氷の壁は対処されるものだと見越して、次の一手を、その右手の死角から放つ。

 

先手の必勝を確信して、オリアナは<速記原典>から単語帳の1ページを噛み千切る。

 

刹那。

 

 

びしっ、と空気が裂ける音が走った。

 

骨まで経つ切れ味を誇る不可視の風刃が炸裂する。

 

 

「―――っ!」

 

 

思考よりも先に身体が反応した。

 

音がした方へ右手を振り回す。

 

襲い掛かる災厄が、圧縮から解放されて風船のように弾け飛ぶ。

 

『実験』で第1位との戦闘時、当麻は今と同じような不可視の風の戦槌に為す術もなく滅多打ちにされたが、それは過去の話だ。

 

前兆の感知を鍛え上げた当麻の勘は、オリアナの死角を突く攻撃を察知した。

 

そして、真正面から吹き付ける突風にほんの僅かに両目を細めながら、オリアナへ接近―――

 

 

―――ザリッ、と。

 

 

頬の皮膚が、強く引っ張られるように裂けた。

 

ザックリと切れた頬から、痛みよりも先にドロリとした液体が溢れてくる。

 

 

「あむ。なかなか刺激的な切れ味でしょう?」

 

 

突風で視界が封じられている隙を突き、単語帳を口で破って術式を発動。

 

飛来した極薄の石刃が、当麻の頬を深く切っていたのだ。

 

だが、その程度、当麻にしてみれば、取るに足らない些事でしかない。

 

上条当麻に、遠距離戦は、ない。

 

早く間合いを詰めて、近接戦にしなければ、勝てない。

 

その明暗を分かつのは、当麻の脚力にかかっている。

 

だから、いちいち臆して足を止める暇なんてない。

 

オリアナは後方へ高く跳躍しながら、さらに新しいページを口に加えると、

 

 

「お次は影の剣。飽きさせないわよ?」

 

 

破り、右手を振るうと同時、その手から闇の剣が出現した。

 

伸縮自在の影の剣を、一気に7mもの長さに増すと、地面に伸びた当麻の影目掛けて投擲。

 

突き刺さった瞬間、

 

 

ゴッ!! と足元の影がまるで地雷のように爆発。

 

 

「ッ!?」

 

 

粉塵の中から黒い影が飛び出す。

 

当麻だ。

 

爆発する瞬間、一歩、進んだ。

 

 

(前へ……)

 

 

防御ではなく、進撃を。

 

 

(もっと前へ!!)

 

 

その右手で防ぐのではなく、前へと。

 

 

(敵がプロの魔術師だろうが、重要な取り引きがあろうが、そんなモン知った事か! 吹寄が<大覇星祭>を盛り上げようと、今日まで一生懸命準備してきて、それを台無しにされそうになってんだぞ! 絶対に許せるはずがねぇよなぁ上条当麻!!)

 

 

危機を察知した当麻はただ前へ、全身の筋肉を一気に爆発させて加速。

 

さらに、爆風を追い風として背に受けて、二段加速。

 

これは、オリアナの判断ミス――――ではない。

 

今、当麻は直前の石刃によって負傷している。

 

だから、彼女は土御門を戦闘不能に追い込んだ『一定以上の傷があれば、相手を昏倒させる』術式を発動させるべきだったのだ……と思うが、

 

『五大元素』の『文字』と『色』の組み合わせによって、直接的な攻撃から、相手の足跡を妨害するものや、遠く離れた相手との通信手段まで、豊富のバリエーションを誇る<速記原典>。

 

だが、<速記原典>の術式には、0度から9度(コンユンクテイオ)171度から189度(オポシテイオ)81度から99度(クワルトウス)111度から129度(トリヌス)54度から66度(セクストウス)0度から1度(パラレル)その他色々な座相法則(アスペクト)―――『星座と惑星の関係はその角度によって役割を変える』と言う理論――つまり、ページの角度。

 

そして、数秘的分解――“ページの数”を取り入れているため、厳密な意味で同じ魔術は使えない。

 

さらに、彼女は己の書く魔導書の性質『文字が汚くて誰にも理解されない』や彼女の性格も相俟って『1度使った術式は2度と使わない』と言う自分なりのルールを設定している。

 

それ故に、複雑になり、相手は攻撃パターンを予測し難いが、今はそれが仇となった。

 

 

「ハハッ、素敵ね少年。そういう乱暴な若さっていうのも、お姉さんは嫌いじゃないわ!!」

 

 

<速記原典>を咥える時間はない。

 

着地の瞬間を狙う当麻に対し、オリアナは右脇に挟んだ巨大な看板を振り落とす。

 

しかし。

 

上条当麻は、ぐるりと身を捻った。

 

軸足を中心に、軸線を変えず、ほとんど横向きに体を変える。

 

カシュン!! と僅かに鼻の先端を掠める音が響くが、それだけ。

 

当麻のすぐ横を通り過ぎた看板の角が、勢い良く路上のアスファルトに直撃する。

 

もう近接戦の射程圏内に入った。

 

当麻は硬く握った右拳を、オリアナの顔面目掛けて打ち放つ。

 

が、

 

 

「でも、お姉さんも激しい運動は全然オーケーよ」

 

 

地面に突き刺さる看板を軸にし、くるり、と空中で身体を捻る。

 

捨て身の一撃を躱すと、その長い足のリーチを生かし、オリアナは当麻の頭をサッカーボールのように蹴り飛ばす。

 

たとえ、<速記原典>の嵐のような遠距離攻撃を避けたとしても、オリアナには幾戦での戦いで磨き上げた体術がある。

 

彼女はさらに止めとして、この隙に、単語帳の1ページを、

 

 

(……ッ!! ビクともしない!? 何て重心しているのよ、少年!?)

 

 

だが―――この時点でもまだオリアナ=トムソンは、上条当麻と言う男の脅威を見誤っていた。

 

当麻は、この学園都市でもトップクラスの体術を誇る天才との100以上の組手で、何度も、飽きるほど、そう体に染み付くほど、カウンターを喰らっている。

 

攻撃を躱された瞬間、死角から急所を狙う、えげつない一撃を容赦なく叩きこまれた。

 

その経験値が幾重にも積まれた結果、当麻はたとえ躱せずとも、急所からずらしたり、逆に自分から貰いに行く事で打撃の衝撃を殺す術が自然と反射のレベルで身に付いていた。

 

 

「舐めんじゃねよ! こんな軽い蹴りで、俺を倒せると思ってんじゃねっ!!」

 

 

地に根付いているような重心は並大抵の事では崩れない。

 

だから、不安定な体勢で放たれた一撃では当麻を止める事など、倒す事などできはしない。

 

オリアナの驚愕の隙を突き、ほぼ零距離から肩と頭から叩きこむ突進をぶちかます。

 

 

ゴン!! と骨と骨が鳴らす鈍い音共にオリアナの身体が吹き飛ぶ。

 

 

当麻の方も無理矢理の姿勢からであったので、力の入れ具合は不十分。

 

しかし、オリアナに、バランスを崩す事に成功。

 

当麻はさらに追撃を加えようと――――

 

 

 

『上条当麻、右だ!!』

 

 

 

その時、土御門の手にした携帯からステイル=マグヌスの声が飛んできた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

攻撃する瞬間、その隙を狙い澄ました奇襲。

 

真横から文字通り横槍が飛んできた。

 

 

「うっ……!?」

 

 

しかし、<理派四陣>と言う探索術式で、戦場を見張っていたステイルはその襲撃者を逸早く捕捉し、警告を発した。

 

味方の声を認識した身体は即座に回避行動に移る。

 

なんとか投槍に急所を抉られるのを凌いだものの、右肩に深くはない傷を貰い、不意打ちされたと言う驚きが、隙を生み出す。

 

看板を手放してしまったが、オリアナは反り返る体勢を利用し、そのまま、背転。

 

当麻との間合いを広げる。

 

そして、鋭い視線を真横に向けて、

 

 

「助けてくれたのは礼を言うけど、他人の獲物を取ろうとするのはお姉さん、感心しないわよ」

 

 

僅かに怒気を込めた声。

 

その相手――黒騎士は、それに一瞬だけ、目を細めると、100m先から2人に接近し、最後のもう1本の予備の槍を殺意を漲らせながら当麻へ向ける。

 

 

(まずい……)

 

 

挟み撃ちにされた。

 

今、土御門はとても戦闘できる状態ではない。

 

当麻は、オリアナと黒騎士と言う手に余る強敵を1人で相手にしなければならない。

 

当麻に激しい焦燥が襲いかかった時、

 

 

「動かないで」

 

 

オリアナが厚紙を咥え、横に引く。

 

単語帳をまとめている金属のリングから切り離された1ページに赤い筆記体で流れるように『Wind Symbol』と記されていく。

 

 

「これは赤色で描く風の象徴、角度にしてジャスト0度のコンユンクティオ、総ページ数にして577枚目の使い捨ての魔導書――<明色の切断斧(ブレードクレーター)>。――――もう1度宣言するけど、動けば、2人とも死ぬわよ」

 

 

オリアナの警告に動きを止める。

 

地面に何かが走る。

 

オリアナを中心にして1mほどの円が描かれ、さらにその円の外周壁の枝のような文様が無数に駆け抜けていく。

 

まるで、充血した眼球に毛細血管が浮かび上がるように。

 

当麻の立ち位置を追い抜き、路上にあるや自転車や置き看板、自動車などの下を潜り、味方のはずの黒騎士でさえも呑み込む。

 

 

「あなたは私のサポート役。だから、邪魔しないで大人しくしててちょうだい」

 

 

黒騎士は槍の切っ先を当麻へ向けたまま、納得がいかないようにオリアナを睨みつける。

 

だが、狂犬の首輪を閉めるように、地面に描かれた文様は、ブゥン、と不気味な振動音を立て始める。

 

状況はよく分からないが、敵同士で意見の食い違いが起きている。

 

だからと言って、この危険地帯から脱出できるはずがない。

 

 

「で、ちょっぴり不本意だけど、勝負はついたわ。動いたら死ぬし、そして、動かなければ、次の一手であなたは必ず降参する羽目になる。子供じゃないんだから、どちらを選ぶべきかぐらいは、自分で決めてちょうだいね」

 

 

降伏宣言。

 

それに、黒騎士は、ギリッ、と歯が砕けんばかりに噛み締める。

 

当麻も悔しそうに歯を食いしばる。

 

次に来るオリアナの一撃が具体的にどんなものか予測がつかない。

 

つまり、対策が練れない。

 

さらに、背後には鬼気迫る黒騎士が。

 

そして、次撃は無防備に受けなければ心臓を止める程度の破壊力は秘めている、と。

 

 

(動かなければ、次の一手が王手となる)

 

 

逸る味方を抑え、2つの選択肢を区切ると言う事は、後者は『殺さずに決着をつける』と言う意思表示だ。

 

おそらく土御門のように昏倒させられるだろうが、それだけ。

 

オリアナと黒騎士は逃げるだろうし、その後はステイル辺りが追撃するだろう。

 

しかし、前者は必ず殺される。

 

もし警告を破って動けば、罠――<明色の切断斧>は作動し、背後から黒騎士に襲われる。

 

当麻が倒れた所で、即座に全ての決着がつく訳ではないし、素人1人が眠った所で誰も責めない。

 

現にプロの土御門さえも敗北するような状況なのだから、それ以上の働きをしろと言う方が間違っている。

 

 

(これが、アイツを巻き込まないで済ませられる最後の機会なんだ……)

 

 

だけど、当麻は構わず右手を握り締めた。

 

強く、強く、掌に爪が食い込むほど力を込めて、手首から先を1つの塊に変えるほどの意思を込めて。

 

竦みそうになる足に、喝を入れる。

 

その時、

 

 

 

 

 

―――混成、<黄丹>―――<不死鳥>パターン。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

空を見上げる。

 

そこには、50羽を軽く超える紅い鳩の群れがあった。

 

その燃え盛る火の鳥は、一斉にオリアナ達の頭上で急降下する。

 

しかも、その途中で紅い鳩は大きさを一回り縮めたかわりに、数百羽に増殖し、まさに雲霞。

 

 

「なっ!? 新手!?」

 

 

豪雨のように地表へ抉り落ちる。

 

1羽だけでなく、2羽、3羽、4羽………と何羽も次々と体当たりし、連鎖で爆発は続く。

 

凄まじい熱気が場を満たし、爆風が髪を靡かせる。

 

 

「くっ……!!」

 

 

単語帳のページを噛み千切る。

 

同時、オリアナの術式が完全に起動。

 

<明色の切断斧>。

 

四方八方へ、レンガ敷きの壁面のように、充血した眼球の毛細血管のように、展開された巨大な文様が輝きだす。

 

直後、真空の刃が吹き荒れた。

 

自転車が断たれた。

 

置き看板が断たれた。

 

自動車が断たれた。

 

ありとあらゆるものが断たれていく。

 

地面に描かれた無数の文様、その溝の全てから真上に向かって、真逆のギロチンのように、刃のシャッターが駆け上がったのだ。

 

斬撃数にして208本。

 

蜘蛛の巣の形で展開される刃の世界は、そこに置かれた全ての物体を均等に切断する。

 

だが、これは切断のためではなく防壁として展開。

 

真空刃による結界は、不完全ながらも無尽の如く降り注ぐ火の鳥の直撃を受け止め、相殺。

 

しかし、続けて炸裂する爆発によって結界ごと弾き飛ばされるのは、食い止められなかった。

 

そして、結界で守られなかった黒騎士はもろに爆風を受け、槍を盾にしたものの粉々にされ、吹っ飛んでいった。

 

 

(好機!)

 

 

道は開けた。

 

 

「お、ォォおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

叫び、そして全身のバネを使って駆け出した。

 

前方にシャッターのように立ち塞がる真空刃の側面を右手で薙ぎ払う。

 

実は、当麻の立ち位置には真空刃の噴射口は避けてあった。

 

オリアナは、仕事的な面でも私的な面でも、あまり無闇に死体を作るのは好まない。

 

だから、<昏睡の槍(ドロップレスト)>――大気を圧縮させた槍で、直撃した相手を、痛みを与えずに気絶させることのできる術式で蹴りを付けようとしたのに。

 

だが、

 

 

「おおオァ!!」

 

 

<明色の切断斧>はもうない。

 

当麻は、その右手で、オリアナを中心に展開される刃のシャッターを食い破り、危険地帯を突破する。

 

 

この火の鳥は一体!?

 

そもそも、その右手は何なのだ!?

 

 

目の前の状況を理解できないオリアナは、とにかく目の前の敵を倒す事に専念する。

 

口に咥えた単語帳の1ページを噛み取り、そこに予め用意しておいた黄色い筆記体の命令文――<昏睡の槍>を書き示す。

 

 

「喰ら―――ッ!!」

 

 

しかし、最後まで叫ぶ前に当麻の右拳が<昏睡の槍>の先端を殴り飛ばして、粉々に砕く。

 

そして、当麻はもう1つの左拳を発射。

 

 

「オ、――――」

 

 

当麻は叫ぶように、肺に溜まった空気を全て吐き出し、

 

 

「――――、おおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

肉体の重さと早さを拳の一点に乗せて、オリアナ=トムソンの顔面に突き刺した。

 

インパクトの反動が、握った拳から手首、肘、肩へと次々と伝わっていき、

 

 

ガゴギン!! と、壮絶な爆音と共に、オリアナの身体が後ろへ吹っ飛んだ。

 

 

助走を含む運動エネルギー全てを浴びた彼女は、そのまま道路の上に落ちると、勢いを殺せずにゴロゴロと転がっていく。

 

看板は当麻の足元にあり、黒騎士は火の鳥によって武器を破壊された。

 

当麻は左手の指がほんの僅かに痺れるのを感じながらも、ほっと一息つく。

 

オリアナの抱えた荷物を奪取し、危機を脱した。

 

 

「ふ」

 

 

と考え事をしていた当麻は、風に乗った笑い声を聞いた。

 

慌てて視線を戻すとそこには、

 

 

「ふふ。乱暴なんだから、ボタンが取れちゃった」

 

 

仰向けに倒れていたオリアナは、酔っているようにぐらつく頭を右手で支えながらも、むくりと上体を起こした。

 

もう片方の左手で、前が開きそうになっている作業服の胸辺りの布を押さえている。

 

 

「うーん。さっきも言ったけど、お姉さん、筋肉ムキムキの格闘レディと言う訳じゃないけど、激しい運動は得意だし、攻撃を見破られ、反撃される事にも慣れているのよ。それに体にダメージも蓄積してたし。まあ、それでも、中々のモノだったけどね」

 

 

オリアナは、そう言うと、単語帳を口へと持っていく。

 

当麻が身構えようとするが、それは攻撃ではなかった。

 

オリアナの周囲に風が吹いたかと思うと、次の瞬間、彼女の身体が小型の竜巻に吹き上げられた。

 

 

「一先ず撤退よ」

 

 

ものの1秒も経たずに、オリアナはアーケードの天井と雑居ビルの間にあるわずかな隙間をくぐって、建物の屋上へと辿り着く。

 

黒騎士も、呪符から聞こえる指示に従って姿を消す。

 

彼女が今まで大事そうに抱えていた看板――<刺突杭剣>は当麻の足元に落ちている筈なのに。

 

オリアナは屋上の縁から当麻を見下ろしながら、単語帳の一枚を口で破って、

 

 

「それは、1度そちらへ預けておくわ。ただし、ここでゲームが終わっただなんて思わないように。燃えてくるのはこれからよん」

 

 

囁くような声は、しかし空気の伝導率でも操っているのか、鮮明に当麻の耳に届く。

 

彼は地面にある看板と、屋上にいるオリアナ=トムソンを交互に見て、

 

 

「……何で?」

 

 

疑問を放つ。

 

小さな声だったが、やはりオリアナには届いているらしく、

 

 

「何で、とは?」

 

 

「<刺突杭剣>はこっちにあるんだぞ。どうしてそんな簡単に下がれるんだ……?」

 

 

んふ、とオリアナは小さく笑って、

 

 

「何故かしら、ね。それを考えるのも楽しみの1つじゃないかしら」

 

 

そうして、これでお話は終わりとばかりに、彼女は見上げる当麻の死角となっている屋上の中心部へと跳んでいく。

 

 

「待て! 土御門にかかっている術式は――――ッ!!」

 

 

当麻は咄嗟に叫ぶが、オリアナの姿はもう見えない。

 

もう別のビルへと飛び移ってしまったのか。

 

ただ、姿なき声だけが、

 

 

「術式の効果は20分。後は自動で切れるわよ。心配性の能力者さん♪」

 

 

それだけ答えて、オリアナ=トムソンは消えてしまった。

 

 

 

つづく


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