とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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残骸編 逃亡者

残骸編 逃亡者

 

 

 

病院

 

 

 

あの能力暴走に巻き込まれて生きているとは予想外だ。

 

やはり、あの男の医療の腕は、この学園都市の中でも並はずれている。

 

念のために、“余計な証言”を与える前に『回収』だ。

 

捕まえるためには、彼女には罪を被ってもらった方が好都合なのだ。

 

事件解決の為とでも言えば、いくらあの男であろうと我らに逆らえるはずが―――

 

 

「―――よォ、来ると思ってたぜェ、警察()の皮を被った狩人()ども」

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、私は病室にいた。

 

蛍光灯の明かりの下、白く清潔なシーツに覆われて、ベットに寝かされていた。

 

枕はふかふか。

 

消毒薬の匂い。

 

ベッドの脇には、心電図を示すモニターに、点滴棒。

 

風を感じたので目を向けると、頭上の窓が少しだけ開いていた

 

私は鼻から息を吸い込み、ゆっくりと、ゆっくりと、呼吸を繰り返す。

 

何故か、こうして穏やかに息をするのも、とても久しぶりな気がする。

 

ずっと、していなかったような気がする。

 

 

……誰かに、応援してもらったからか。

 

 

それにしても、ここは何処なのか。

 

内装から、病院だと言う事は分かるけれど、現状がまるで掴めない。

 

頭がぼうっとしていて、身体にも力が入らない。

 

私は考える。

 

記憶を探る。

 

自分の名前、年齢、家族……どれもちゃんと覚えていた。

 

けど、直前、何か酷い目に遭ったような……

 

私の頭はまだ鈍く、重く、それが何を意味するのか、良く分からなかった。

 

これが現実なのか、悪夢の続きなのかも、わからなかった。

 

私は、記憶をもっと掘り起こしてみようと、

 

 

「……起きたようだなァ」

 

 

声をかけられた。

 

顔を傾けている窓の反対側に、その少年はいた。

 

絶対安静のはずの自分を、その力で無理に目覚めさせた。

 

王子様のキスだなんてガラじゃないが、強制的に覚醒を促されたせいで夢心地のように追いつかない頭が中々うまく働かないのか。

 

 

「おい、どォして、“この男”がここにいンだ。昨夜、アイツと何があったのか、教えろ」

 

 

珍しく……どこか焦ったように寝起きの自分に問いかける。

 

元よりスローペースな自分は起動してから早々に応えられない。

 

コーヒー一杯は用意してほしいものだ。

 

 

「桔梗!」

 

 

ドアが開き、廊下からベットに駆け寄ってきたのは、昔馴染み。

 

寝ている私に縋りつき、良かった、本当に良かった、と安堵する。

 

そんな大人げない態度に呆れにも似た懐かしさを覚えた時―――私はようやく思い出した。

 

自分は生きている。

 

あの暗闇から生還したのだ。

 

助かったのだ。

 

でも、どうして。

 

何がどうなっているのか―――そうだ、彼女に!

 

私は、芳川桔梗は訊く。

 

彼女は、どこにいる、どうしたのかと。

 

 

「あの子は! 私たちを助けてくれた、あの子は!」

 

 

 

 

 

学園都市外 ???

 

 

 

生きた心地がしない。

 

突然の原因不明の停電、暗闇の中、次々と建物の中に響き渡る悲鳴。

 

襲撃者だ。

 

かつて、あの“実験”の最中、私達の施設をたった1日で破滅させた襲撃者がやってきたのだ。

 

もう……あの怪物はここにはいない。

 

そう、襲撃者(ばけもの)を抑えられる者はもうここにいないのだ。

 

だから、私は言ったのだ。

 

学園都市(あそこ)には関わらない方がいいと。

 

だというのに……

 

幸い、私はいざという時に脱出できるよう準備を進めていた。

 

 

「は、ははっ、よし。今度こそ逃げてやる! 絶対に逃げのびてやる!」

 

 

男は車の鍵を取り出す。

 

しかし、

 

 

「ひ、ひぃっ!?」

 

 

大気を震わす轟音と夜闇を切り裂く閃光。

 

襲撃者だ。

 

襲撃者がすぐ近くまで迫っている。

 

たったそう考えただけで、さっきまで硬く冷たかった鍵が、いつの間にか熱くなってぐにゃぐにゃになって、まるでよくできたゴムのおもちゃのようになってしまった。

 

こんなにぐにゃぐにゃでは、鍵穴にうまく挿せるものか!

 

くそくそくそ……!

 

アイツにやられた顔が痛む。

 

駄目だ、上手くいかない。

 

鍵を間違えたのか?

 

今すぐ自分の足でここから逃げるべきなのだろうか……?

 

今、こうして考えているだけで致命的なタイムロスだ。

 

ここに居続けるだけで、リスクを1秒ごとに累積している。

 

次の1秒で、どんな予想外のハプニングが起こって、全てが水泡に帰すかわかったものではないのだ。

 

ならば……いや、駄目だ。

 

化物から人の足なんかで逃げられる訳がない。

 

落ち着け。

 

クソ、また顔面が痛む。

 

落ち着け!

 

そうだ、鍵がぐにゃぐにゃになったりするものか。

 

ぐにゃぐにゃしているのは私の手先だ!

 

 

「よしっ!」

 

 

男は数秒の格闘の末、震える片手をもう片方の手で押さえながら車のドアに鍵を差し込む事ができた。

 

そして、そのままゆっくりと捻―――

 

 

パン! という乾いた銃声が響いた。

 

 

「……、」

 

 

男は僅かに顔を顰める。

 

……襲撃者は銃を使わないはずだ。

 

銃を使うのは建物の中にいる身の程を知らない馬鹿な奴らだ。

 

<警備員>が来ると聞いていたが、まだ来ていないはずだ。

 

だが、銃声は彼の後ろから聞こえた。

 

そして、男の背中、腰の辺りから、体の穴を空けて溶けた鉛の感触が襲いかかってきた。

 

男はゆっくりと振り返る。

 

否、ゆっくりとしか体が動かなかった。

 

少し離れた所に、中古のステーションワゴンが停まっていた。

 

乗る者のセンスを疑うような古臭いだけの車のドアは、開いている。

 

白衣を来た女が降りてくる。

 

女の手にはおもちゃのような、弾が2発しか入らない護身用の拳銃が握られている。

 

女の握る拳銃から、ゆらりと白煙が昇っていた。

 

 

「……、芳川。桔梗」

 

 

搾り出すように、逃げのびた男、天井亜雄は言った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれは幸運だった。

 

 

『ハァーイ、助けに来まシタヨ、ミスタ・アマイ』

 

 

学園都市犯罪者収監施設で治療を受けていた時、あの男は煙のようにやってきた。

 

そう煙のよう…治療室を煙で覆いそこから男が滲み出てきたのだ。

 

 

『イエー、もう料金分は働いたんデスケドネ。成果が1つも上がらないようデスと、今後のワタシの活動にも関わりマス。顧客との信用は大切にしなきゃ商売はやってイケマセンネ。だから、これはサービスデス、ミスタ・アマイ』

 

 

そうして、天井亜雄は、9月1日に起きたテロ事件の影に隠れて収容施設から脱走した。

 

しかし、もう、その男はいない。

 

自分を依頼した組織に預けるとそのまま煙のように姿を消してしまった。

 

そう、もうこの場で天井を助けてくれる者はいないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

天井は地面に倒れていた。

 

ゆっくりと明滅する視界を振り回すように首を振ると、ようやく意識がハッキリしてくる。

 

どうやら、気を失っていたようだ。

 

それが数十秒か、数分か、数十分かは分からなかったが、視界の先には白衣を着た女がいた。

 

芳川桔梗。

 

かつて、絶対能力進化計画の時の同僚だ。

 

彼女はゆっくりとした足取りで天井へ近づいてくる。

 

天井は立ち上がろうとしたが、体が上手く動かなかった。

 

かろうじて上体だけを地面から起こすと、ガチガチに震える手で懐からイタリア製の軍用拳銃を構える。

 

芳川は一瞬、立ち止まる。

 

しかし、躊躇わず、護身用の拳銃を天井へ向ける。

 

その顔には笑みすら浮かんでいた。

 

芳川は銃を向けたまま、ゆっくりと天井の元へ再び近づく。

 

 

「ごめんなさいね。わたしってどこまでいっても甘いから。優しくなくて甘いから。急所に当てる度胸もないくせに見逃そうとも思えなかったみたい。意味もなく苦痛を引き伸ばすって、もしかすると残酷なほど甘い選択だったのかもしれないわね」

 

 

「どうやって、この場所を……?」

 

 

「私の知り合いにね、<警備員>がいてね、彼女から今回の<科学結社>の事を聞いてここに貴方がいると思ったのよ。それでこの建物の前で張っていたら、突然騒ぎが起きて貴方が逃げてきたわけ。あそこから脱獄した貴方の事だから、もしかしたら逃げるかもしれないと思っていたけど、正解だったわね」

 

 

天井の手の震えが大きくなっていく。

 

雪の中に長時間手を突っ込んでいたように、指先からどんどん感覚が失われていく。

 

引き金にかかる指が、己の意思を無視して震える。

 

ガチガチと金属パーツのぶつかる音が鳴り響く。

 

 

「貴方がそこで何をしようとしていたかは知っているわ。初めは聞かなかった事にしようと思ったんだけどね。いえ、学園都市(あそこ)から逃げのびた事を祝福したわ……けど、<樹形図の設計者>の『残骸』で再びあの子達を巻き込むつもりなら話は別」

 

 

「ち、違う! 私は止めようとした! 学園都市に不用意に関わるなと警告した! だというのに、奴らは!」

 

 

「そう……でもね、そういった組織が学園都市の『外』には世界中にあるの。そう、貴方と言う存在がいるだけで、きっとまたこんな馬鹿な事を考える組織が出てくるわね」

 

 

いつ暴発してもおかしくない銃口を向けられても、芳川の足は止まらない。

 

そこに己の身を案ずる様子はない。

 

彼女は子供たちを守るためにここに立っていた。

 

ただ“実験”に巻き込んでしまった子供達の安寧を守るためだけに。

 

それが、甘いだけだって?

 

少しも優しくないだって?

 

 

「……何故」

 

 

天井は、搾り出すように、

 

 

「理解できない。それはお前の思考パターンではない。常にリスクとチャンスを秤にかけることしかできなかったお前の人格では不可能な判断だ。それともこの行為に秤が傾くほどのチャンスがあるというのか?」

 

 

「答えるとすれば、そうね。私はその思考パターンが嫌いだった。そうやって成功していく自分を見たくはなかった。生まれた時から思っていたわ、いつか一度で良いから甘いのではなく優しい行動を取ってみたいって」

 

 

芳川桔梗は寂しげに笑ってさらに歩く。

 

もう、両者の距離は3mもない。

 

 

「私はね、本当はこんな研究者になんてなりたくなかったの」

 

 

信じられないでしょうけど、と芳川は自嘲気味に付け加える。

 

彼女のその才能を知るからこそ、天井亜雄はその言葉に驚愕した。

 

 

「学校の先生になりたかった。教師とか教授とかお堅い役職ではなく、優しい先生になりたかった。生徒の顔を1人1人覚えていって、困った事があったら何でも相談を受けて、たった1人のために奔走して、見返りを求めず力強く笑って、卒業式で泣いている姿を見てからかわれるような、そんな優しい先生になりたかった。もちろん、こんな甘いだけで優しくない人格の持ち主が何かを教える立場に立ってはいけないと、自ら断念したけどね」

 

 

それでもね、と芳川は笑う。

 

互いの距離は1m。

 

芳川はそこで、ゆっくりと地面に片膝をついた。

 

まるで小さな子供に話しかけるように、地面に座り込む天井に目線を合わせるために。

 

 

 

「―――まだ未練が残ってたみたい」

 

 

 

芳川は断言した。

 

2人の銃口がそれぞれの胸へ押し付けられる。

 

彼女は、一方通行という1万近くの<妹達>を殺してしまった少年が日常へ帰る事は難しい事は分かっていた。

 

絶大な力に不安定な人の心を持ってしまった少年はこれからさらに大きな被害をもたらすかも知れない……事も分かっていた。

 

だが、彼は己の命をかけて1人の死の運命に囚われた女の子を救った。

 

そして、

 

 

『俺は、一方通行だ……最初から引き返すつもりなンてねェンだよ』

 

 

彼は、生涯をかけて罪を滅ぼすことを誓った。

 

そして、

 

 

『私は、あー君の友達なんだから』

 

 

彼の側には本物の優しさを持った少女がいる。

 

芳川にとってあの少女は自分の理想像だ。

 

甘いだけでなく、温かな慈愛に満ちた優しさ、そして、その奥に強さを秘めた少女。

 

彼女がいる限り、一方通行は道を間違えないだろう。

 

たとえ、少年の進む先が地獄だとしてもあの少女に支えてもらえばきっと救われる。

 

だから、芳川はここに来た。

 

彼らには自分は必要ない。

 

念のため、知り合いの教師にあの子達の面倒を見るようにお願いした。

 

そう、芳川は最後に彼らの優しさを守るためにここに来たのだ。

 

 

「終わりよ、天井亜雄」

 

 

互いの胸に押し付けられた2つの銃の引き金に、指がかかる。

 

 

「1人で死ぬのが怖いのでしょう。ならば、道連れには私を選びなさい。子供達に手を出す事だけは、私が絶対に許さない。この身に宿る、ただ1つの優しさに賭けて」

 

 

ふん、と天井は小さく笑った。

 

奇跡は2度起こらない。

 

あの男を助けてもらえる事はもうない。

 

 

「やはり、お前に『優しさ』は似合わない」

 

 

彼は小さく歌うように呟くと、引き金にかかる指に力を加えて、

 

 

 

「お前のそれは、もはや『強さ』だよ」

 

 

 

瞬間。

 

 

 

―――でも、先生としては失格です。

 

 

 

乾いた音を立てて、スプーンとフォークが2人の拳銃を弾いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「どうして、貴方がここに……?」

 

 

天井は逃げる気を失い、拳銃を拾おうとはせずただ呆然とし、芳川もただ闇の向こうを見て呆然としながらも問い掛ける。

 

 

「あなたと同じですよ、芳川桔梗」

 

 

そこには詩歌がいた。

 

金属製のスプーンとフォークを磁力ではじけ飛ばし強力な弾丸で2人の相撃ちを止めたメイド服を着た詩歌は溜息をつきながら天井と芳川の元へ歩み寄る。

 

 

「そうか、化物(きさま)も私を殺しに来たのか……」

 

 

何もかも諦め、5歳老けたように天井はしわがれた声で呟く。

 

 

「違います」

 

 

そういうと、詩歌は<調色板>を装着し、

 

 

「混成、<梔子>」

 

 

傷を癒す回復に特化した色。

 

詩歌の周囲が純白の輝きを放ち、天井の体に伝播させ、暖かみのある梔子色に変じさせる。

 

 

(う、そ……!? 傷が……)

 

 

その輝きが天井に活性力を与え、芳川に撃たれた個所を塞いでいく。

 

数秒後、天井の体は何事もなかったように元に戻っていた。

 

 

「どうですか? まだ痛みはありますか?」

 

 

天井はただ首を横に振る。

 

この理解不能な現象もそうだが、彼女が何故自分を治療したのか分からない。

 

それは芳川も同様。

 

何故自分の邪魔をしたのかが分からない。

 

さて、と天井の治療が無事に終わったのを確認するとまずは芳川を睨みつけ、

 

 

「全く、“掃除”が終わりましたので遠くから様子を見ていたのですが、何なんですか! この有り様は!」

 

 

詩歌は怒っていた。

 

 

「平穏を守るために人殺しの手段を取ろうと考えただけでも腸が煮えくりかえるっつうのに、道連れにしなさいって私を本気で怒らせたいんですか!! あなたは先生になりたいんじゃなかったんですか! だったら、どうして自分の死を容易に受け入れられる!」

 

 

天井亜雄はもう学園都市には戻れない。

 

だが、もし彼をこのまま『外』に残せばまたいつか<科学結社>のような組織が彼の中にある<妹達>の知識を欲する。

 

だから、芳川は今、ここで天井を殺す事を―――

 

 

「ざっけんなよ! 先生っつうのは『先に生きる』者として、『先ず生きる』っつうこと教えられる人なんだよ! 人殺して事を解決するっつう結論をまず最初に出すなんて、どんなに強かろうが先生失格に決まっている!」

 

 

だが、それを詩歌は力強く否定する。

 

決して大きな声ではなかったが、強い気持ちのこもったその言葉に、天井も、そして、芳川も詩歌に圧倒される。

 

 

「あなたがしなくてはいけない事は、誰からも『死』しか教えてもらえなかった彼に、真剣に『生』について教えることでしょうが! どんなに残酷なほど甘い選択肢でも『先ず生かす』事をしなくちゃいけない! 精一杯、生きていればきっと報われるんだって示さなきゃいけない! もし、ここであなたが死ぬというなら私は絶対にあなたを許さない!」

 

 

と、そこで詩歌は視線を芳川から天井に移す。

 

 

「そして、天井亜雄さん。あなたに2つの選択肢を上げます。1つはあなたの頭の中にある全ての記憶を消去し、顔も整形し、『天井亜雄』という存在を殺す事。多少の苦痛は伴いますが可能です。そして、もう1つは、学園都市に戻って大人しく罪を償う事。はっきり言いましょう。こちらは地獄です」

 

 

そちらが地獄なら、自分はもう片方の死ぬ事を選ぶ……

 

彼女が何者かは分からないが、先ほどのあの癒しの波動……記憶を消し、姿形を変える事もできるのかもしれない。

 

そうなればまさしく自分は第2の人生を歩む事ができる。

 

 

(……私は君のように強い人間じゃない……)

 

 

どっちを選ぶのかなんて決まっている……のに、次の問いに天井の言葉は口の奥へと引っ込んでしまう。

 

 

「選べないんですか?」

 

 

そうして、薄暗い空間の中には沈黙だけが満ちてゆく。

 

でも、答えを出すのに待ってやる時はない。

 

しかし……目の前の少女に教えられた『生きる』と言う言葉、先ほどの輝きから伝わってきた『生きて』と言う想い。

 

それらは、紛れもなく自分に……そう、“今の”天井亜雄に向けられているものだ。

 

そして、今、天井の目には詩歌の背後に、多彩な輝きを放つ彼女の温かさ、優しさが、そして、強さが炎となって具現化したような鳳凰の翼が見える。

 

なんと神々しいのだろうか。

 

もし、彼女の強さが極僅かでも自分にあれば……

 

 

『―――まだ未練が残ってたみたい』

 

 

そうだ……あの自分と同じリスクとチャンスを天秤にかける生き方をしていた芳川が本当の強さを見せてくれた。

 

今の少女の強さと比べればちっぽけなものなのかもしれないが、それでも今の自分よりも何倍もすごい強さだった。

 

 

『綺麗事だってのは分かってる、今さらどの口がそンな事言うンだってのは自分でも分かってる! でもな、今のテメェがやろうとしてる事は絶対に見過ごすなンてできねェ! もう、俺のせいでアイツのクソ甘ェ理想を傷つける訳にはいかねェンだ! アイツとの約束を破る訳にはいかねェンだよ』

 

 

そして、自分よりも地獄に堕ちた少年の叫び。

 

彼の言う通りだ。

 

今更どう足掻こうが彼が、自分達が救われる事なんてありえない。

 

それでも、一方通行は――――

 

 

「……連れて行け。私を、学園都市へ連れて行け」

 

 

何故天井がその選択肢を選んだのかは分からない。

 

もしかしたら、無意識にただ口から漏れ出ただけなのかもしれない。

 

あれほど逃げたかった学園都市に戻るなんて正気の沙汰ではない。

 

 

「はい、分かりました、天井さん」

 

 

でも、不思議と……後悔はなかった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

芳川は本当に、心の奥底から彼女の笑みに見惚れた。

 

最初、病院で会った時はとても綺麗で優しい女の子だと思った。

 

次に一方通行の病室で会った時は厳しいけど温かい女の子だと思った。

 

そして、今、本当に大切な強さを持っている女の子だと思い知らされた。

 

 

(だから、あの子は彼女の事が……)

 

 

上条詩歌の微笑みは、その内面、優しさ、温かさ、そして、強さがあるからこそ誰もが心を奪われるくらいに美しい。

 

『先に生きる』者として情けないかもしれないが彼女に教えられた。

 

 

「ねぇ、私はあの子達の……先生になれるかしら?」

 

 

どこまでも透き通った、真摯な眼差しで、芳川は詩歌に問う。

 

 

「ふふふ、そんなの―――」

 

 

しかし、途中で騒ぎを聞き付けたのか遠くから人の声と足音が聞こえる。

 

でも……

 

 

「申し訳ないですけど、後の事はよろしくお願いします、“芳川先生”」

 

 

と、無邪気な笑みを見せて、2人を残して駆け出した。

 

ほんの僅かな残り香を漂わせて……

 

 

「――」

 

 

芳川の両目が大きく見開かれる。

 

 

―――“芳川先生”―――

 

 

その響きは、芳川の体の中で反響し、満たされていく。

 

 

「今度こそ、良い“先生”になってくださいね!」

 

 

振り向いて、最後にもう一度言い残し、上条詩歌は夜闇に歩く。

 

 

「……本当に甘い子だな」

 

 

天井がポツリと呟く。

 

その通りだと芳川は頷く。

 

 

「“先生”か―――」

 

 

ありふれた呼び名なのに、特別な意味を持つ言葉。

 

 

「今の私には過ぎた名前じゃないかしら?」

 

 

あの少女は甘い。

 

こんな自分の事を“先生”と呼ぶなんて、評価が甘すぎる。

 

けれど……

 

 

「ふん……それでもお前には未練は残っているのだろう?」

 

 

「ええ、そうよ」

 

 

芳川は隠さずに、

 

 

「ありがとう、自信がついたわ」

 

 

ひどく優しい、はにかむような笑顔を浮かべた。

 

諦めた、一度は閉ざした道をもう一度歩もう。

 

彼女はこれから“先生”になることを決めた。

 

 

 

だが、

 

 

 

「これは、どういうことなの……?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

命からがら逃げてきた。

 

暗部から、怪物から、仲間達を犠牲にしてでも。

 

いつか助け出すと誓い、何度も吐きそうになるのをこらえて。

 

 

「か…はっ……!?」

 

 

物理的な攻撃は受けてないので、致命傷はない。

 

けど、腰に付けた懐中電灯がバーベルのように重く、体が鉛のように感じるほど体力も失っている。

 

空間から空間を渡るその感覚は、身軽になるというより身を投げ出すような危機感に近く、苦手だ。

 

この絶叫マシンに乗った時の無重力に似た感覚に胃袋から込み上がる血の塊を吐きかけた回数も分からない、恐怖と震えと焦りでズタズタになった計算式を繋ぎ止めるのがやっと。

 

けれども、結標はここで止まる訳にはいかない。

 

 

「……っつ」

 

 

逃げたのは、いつか再起を図るため、仲間たちの意志を無駄にしないため。

 

『残骸』が壊されたとしても、まだ方法はあるはずだ。

 

だから、ここは一端『外』ともう一度――――でも、組織はすでに解体されていた。

 

 

「どう、して……」

 

 

まるで竜宮城から戻ってきたかのように。

 

一夜明けたら、そこはもぬけのから。

 

 

 

まさか、自分達は見捨てられたのか。

 

 

 

思考が止まる。

 

<科学結社>の終わりは、自身の最後の希望の破綻だった。

 

今回、彼女が敵に回した少女2人の仕掛けたのは、二重作戦。

 

Level5序列第3位の影に隠れてもう1人が、計画を根本から破壊させる。

 

無論、<樹形図の設計者>を欲しがる組織はいくらでもいるだろうが、手を結んでいた外部組織の<科学結社>がいなくなってしまえば、それを捜すのに時間がかかる。

 

何せこの科学側の学園都市に喧嘩を売るのだ。

 

それに、これは彼女も結標も知らない事だが、実は<樹形図の設計者>の重要度はそれほど高くはないが、『実験』に関しては1万もの<妹達>を利用した『計画』と繋がっているので、『世界』のパワーバランスを崩しかねない。

 

そう、少女2人以外にも、この学園都市統括理事長が裏で手を引く可能性も少なくない。

 

そんな事を知らない、いや、分かろうとしない結標は、歪んだ笑みを浮かべながら、見つけた。

 

 

 

禁断の玉手箱を―――自分達と同じ『外』へ逃げてきた人間を。

 

 

 

「君は―――」

 

 

その白衣に汚れた血の痕は、真っ赤な、目玉のような………

 

理性で押さえ込まれてしまっていた、あまりに直接的な殺意が、ついに解き放たれてしまった。

 

 

 

「―――dja裏lc切alo!!!」

 

 

 

能力の暴走。

 

もともと不安定だったLevel5になれなかったLevel4。

 

ボンヤリとしていた結標の顔が、急激に怒りに染まる。

 

狂ったように叫びながら、周囲にあるものを<座標移動>で転移する。

 

激しい怒りと悲しみに、感情を制御できなくなった結標は、能力演算のたずなも手放してしまった。

 

 

 

ああ、この思い通りにならない理不尽な世界を、どこか……一一次元上の彼方へと飛ばしたい。

 

 

 

「―――赦さない!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

詩歌は、それに気づくのが遅れた。

 

能力の暴走の兆候を察知し、慌てて引き返してきたら、彼女の憎悪をぶつけられ、逃げられた。

 

 

「大丈夫……急所には当たっていない……数は多いけど……まだ助かります!」

 

 

それでも詩歌は、今自分にできる事を精一杯頑張ろうとしていた。

 

それは、『先ず生かす』と説き、『もう二度と『疫病神』は作らせない』と誓う、そして、愚兄の背中を見てきた上条詩歌の譲れないプライドだった。

 

生えているように何個もの物体が割り込まれた身体で横たえる天井と桔梗の側に駆け寄り、努めて冷静にその容体を診察し、治癒する。

 

美琴と誓ったのだ。

 

もうこの事件で誰も不幸にならないように、誰も誰かを不幸にさせないように。

 

けど、その時、踏み込んでくる足音が―――

 

 

「これは……」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『―――きゃあっはっはっは! あー、ここまで上手くいくとはな。良くやったぞ、出来損ない。よぉーし、この好機は絶対に逃すんじゃねぇぞ』

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『―――にゃにゃ~お久しぶりですねぇ、結標先輩。良いお話があるんですが、<樹形図の設計者>に代わる新たなる演算装置のね』

 

 

 

つづく


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