とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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残骸編 五本の指

残骸編 五本の指

 

 

 

常盤台中学 グラウンド

 

 

 

大英博物館前広場のようなピカピカに磨かれた石畳に見えて、その表面を専門の測量士が測っても寸分の凹凸、傾きすら検出できない校庭は、肉眼では区別がつかないほど精緻で、電子顕微鏡で調べれてようやく分かる学園都市製の特殊素材。

 

汚れ一つも許さず、ラインには、線引用の白い粉末ではなく、光の線。

 

この特殊素材には何千万本の光ファイバーが垂直に埋め込まれていて、それが放つ光点が集まって電子掲示板のように光のラインを自在に描くことができる。

 

これが、この<学舎の園>の水準の高さ。

 

土地不足という訳ではなく、互いに費用を出し合って強固なセキュリティ体制を作るために、隣接する他の4つのお嬢様学校と共用になっている学校の敷地。

 

並の学校の15倍以上の敷地を持つ共用地帯となっているが、見かけ上はそれほど広大なイメージは湧かず、その理由は、ただでさえ特殊な時間割り(カリキュラム)に使う実験施設の増設が多く、さらには独自技術の漏洩を防ぐために、能力開発用機材は一切外注せずに敷地内部で生産しているので、その製造・販売施設も少なくないからだ。

 

そして、男子禁制であることから、江戸幕府の大奥のように、<学舎の園>の外とは異世界で、各施設は外観だけ洋風で統一されていて、道路標識や信号機のデザインまで違うので、ここだけ日本ではなく、まるで地中海に面した小さな街のようになっている。

 

 

「石畳の道路に大理石の建物……非効率の極みですわねー」

 

 

9月14日の残暑厳しい午後の校庭の真ん中。

 

陸上選手のようなランニングと短パンを着たツインテールの少女、白井黒子は遠く離れた校舎を眺めつつ、暑さにまいった口調で呟いた。

 

光線は今、黒子を囲む小さな円と、その円を中心とした巨大な扇を形作っている。

 

砲丸投げのものとよく似ていて、ただし、砲丸投げに比べて扇の角度が圧倒的に狭い。

 

そして全く同じの形状のラインが黒子の横一列をずらっと並び、やはり体操服を着た少女達がその円の中にバッティングセンターで打席に立つように入っている。

 

黒子は、一応、皮膚上に触れている物体でなければならない、という制限もあるが、手元にある物体(自分の体も含む)を三次元的な空間を無視して一瞬で遠くへ飛ばす能力者―――常盤台中学でも彼女しかいないレアな空間移動系能力者だ(<空間移動(テレポーター)>を使える者はもう1人いるが)。

 

その<空間移動>のLevel認定は、『自分の身体を移動できるかどうか』で、大能力者(Level4)とされているが、物体を飛ばす際の『大きさ(質量)』『距離』『正確さ』が基本評価の三要素である。

 

その『飛び道具タイプ』のLevel判定を調べる際の測定方法の一つに、このような砲丸投げに近いスタイルがあるという訳で、これはただの砲丸投げのように単に遠くへ飛ばすのではなく正確なポイントへ落すのも評価点として加えられる。

 

 

ぼでっ、という感じに、黒子の視界のずっと先に何かが落ちている。

 

 

彼女が先ほど<空間移動>を使って飛ばした、砂を詰め込んだ重さ120kgの布袋だ。

 

その査定は、黒子の足元の地面に流れてくる電光文字となって教えてくれる。

 

 

『記録・78m23cm・指定距離との誤差54cm・総合評価『5』』

 

 

はぁ、と文字を見た少女はツインテールを左右に振って、

 

 

「あー、絶賛大不調ですの……日本語がおかしくなるぐらい」

 

 

50m前後ならミリ単位で修正できる自信はあるが、なにぶん大きくて重たいものを遠くに飛ばすのは苦手で、元々、白井黒子の能力の限界値は飛距離が81.5m、質量が130.7kg。

 

<空間移動>において、飛距離と質量の差に因果関係はなく、質量を小さくしてもその分、飛距離が伸びる訳ではない。

 

逆説的に、どんな物体も飛ばすにしても、飛距離の限界に近いラインを狙うと、どうしても精度が落ちて、加えて、十一次元上の演算は複雑で神経を使うので、精神状態によって黒子の能力値は激変する。

 

最初からギリギリに近い注文を、この暑さの中でこなせと言われても精度が落ちるのは当たり前である。

 

 

(大お姉様のサポートが、いえ、“愛”があればこんなの触れなくても誤差なく正確に飛ばせますのに……はぁ、そんな言い訳を考えるからいつまで経ってもLevel5になれませんのよー)

 

 

と、黒子が自嘲気味な重たい溜息をついていると、ふと隣の砲丸投げサークルから馬鹿笑いが飛んできた。

 

 

「うっふっふ。あら白井さん、機械が出した数字に一喜一憂しているようでは己の器が知れてしまってよ? もっと確固たる基準を自分の中に見出せないようでは……ぷぷっ」

 

 

黒子はうんざりしたように隣を見る。

 

必要以上にサラサラ過ぎるのが逆に不自然な髪を流し、黒子と同じ常盤台中学の体操服を着ているくせに、何故か右手に扇子。

 

その豪華な扇子で口元を隠して笑ってるのは、白井黒子の1つ年上の(選択授業中は学年の壁は取っ払われるのである)婚后光子だ。

 

婚后はLevel4の<空力使い(エアロハンド)>で、物体に風の『噴射点』を作り、ミサイルのように飛ばす事を得意とするので『トンデモ発射場ガール』を持つお嬢様。

 

 

「……人の落ち込みっぷりを見て笑いが止まらない時点であなたの器の小ささが大暴露されてますのよ」

 

 

言いながら、黒子はぷいっと顔を逸らす。

 

 

「まあまあ、良い風を送って差し上げますから拗ねないでくださいな」

 

 

「余計なお世話ですの」

 

 

扇子をパタパタと振ってくる婚后に黒子は嫌々視線を送る。

 

婚后は気を良くして、甘ったるい匂いの付いた扇子をばっさばっさと扇ぎながら、

 

 

「わたくし婚后光子は詩歌様のご指導のおかげで日々邁進しているのでございますよ。あの方の制御法や計算式の発想は教師達からは得られないものばかりで素晴らしい!」

 

 

確かに常盤台入学前は、自分の身体を移動できないLevel4未満の空間移動系能力者だった黒子だが、今では空間跳躍だけでなく、新たな可能性ともいえる他の応用も身につけられそうな兆しが見えている。

 

無論、施設に教師等優秀なスタッフやバックアップがあるからこそなのだろうが、その裏にも優秀な指導者がいて、彼女は例外的に試験を受ける側だけでなく、査定する側にも回っている。

 

しかし、扇子の動きを止め、ふっと息を零す、

 

 

「そう考えると……ますます、詩歌様が『派閥』をお作りになる気がなくて残念で仕方ありませんわ……」

 

 

派閥。

 

堅苦しい言葉に聞こえるかもしれないが、ようはお遊びグループのようなものだ。

 

ただし、ここは常盤台中学。

 

『義務教育終了時までに、世界で通用する人材を育てる事』を目標に掲げるこの学校では、在学時からあらゆる方面の研究分野などで活躍し、名前を残す生徒も少なくない。

 

同じ目的を持った者達が集まり、学校から設備を借りたり、資金を調達するなどをして、研究分野などで名を残す……となると、派閥は部活のような性質に近しいのかもしれない。

 

大きな派閥は人脈や金脈、独自の知識なども収めており、第一線で活躍する生徒の中にはそれらの力を借りて功績を挙げる者も多く、そのため大きな派閥は学校の外にまで影響を及ぼす大きな力を持ち、巨大な派閥の創始者ともなれば、卒業後もそのステータスは十分に世間に通じる。

 

中には『派閥』など組まなくても、個人で活躍できる生徒もいるのだが、それは常盤台中学でさえも極少数で、常盤台最大派閥の頂点に君臨するLevel5序列第5位の女王様と同等の最高位クラスは、彼女を含めて、たった4人―――『常盤台四天王』しかいない。

 

 

「もちろん、あの方が『派閥』の枠に収まりきれないほど偉大な方だとは存じておりますが……」

 

 

そのとき、ゴドン!! と突然の爆破振動。

 

 

ここからでは校舎が壁になって見えないが、その裏手にはプールがあり、爆発音はそこからだろう。

 

間に校舎を挟んでいるはずなのに、その盛大な爆発力により運ばれた水滴が細かい霧のように婚后と黒子の日射に火照った身体を気持ちよく冷ましてくれる。

 

それを起こしたのは1人の少女。

 

彼女は飛び道具タイプの黒子と婚后とは比較にならない、通常の査定では測定不能の上限を突っ切った教員の手を焼かせるほどの破壊力を持ちながら、その本質は電磁波に関するのならば何にでも応用が利く万能タイプの絶大なる能力者。

 

学校が用意した専用の特殊時間割りとして、プールに溜めた膨大な水の量を使って威力を削っても、校舎どころか、体育館も、はてには黒子達のいる校庭まで、敷地のあらゆる物をギシギシと揺さぶってしまう、常盤台中学でも2人しかいないLevel5の1人―――<超電磁砲(レールガン)>の御坂美琴。

 

どこの『派閥』にも属することなく、誰とでも分け隔てなく接する者。

 

黒子にとっては憧れのお姉様の2人の内の1人であり、

 

 

「流石、御坂さん。Level1から詩歌様のご指導を受け、Level5に到達してなお、高みを目指し続ける……詩歌様の一番弟子と言われるだけありますわ」

 

 

婚后にとっては目標(ライバル)ともいえる存在。

 

そんな御坂が放つ凄まじい衝撃に婚后は歯痒い思いを募らせる。

 

 

「やはり、御坂さんを含め、多くの人を導いてきた詩歌様は第一線で活躍すべきお方……ただの高校などではあの方のお力を存分に発揮できませんわ。よろしければ白井さんも詩歌様が考え直すよう説得していただけませんか?」

 

 

はぁ、と黒子は眉を顰めた。

 

おそらく、ここ最近噂になっている上条詩歌の進学先についてだろう。

 

常盤台中学でLevel5の『双璧』と並ぶ『完璧』と称される彼女だからこそ、婚后だけでなく、教員達ももっと高みを目指して欲しいと望んでいるのだが……

 

 

「やめておいた方が無難ですの」

 

 

さて、この常盤台にはある人物の熱狂的な信者が集う秘密結社がある。

 

彼女達の目的は彼女を――――と呼ばれる事ではあるが、彼女のプライベートや行動を侵害するような表立っての強引な手段は禁止されている。

 

それは彼女達の性格の問題もあるがそれだけではなく……

 

 

「大お姉様は枠がなく、誰にでも平等、そう自由であるからこそ輝くお方ですの。私達が大お姉様が選んだ道に口出しするするべきではありません。それに……もし、大お姉様を少しでも束縛するようなら“彼女”が黙っておりませんわ」

 

 

「“彼女”?」

 

 

「そうですわね。貴方は2学期からの転入組ですし、紅組でしたからご存知ないのも無理はありません。『常盤台の暴君』の怖さを………」

 

 

 

 

 

常盤台中学 プール

 

 

 

校舎裏のプール、ここは先ほども述べたようにあまりの性能(パワー)に通常の測定方法が使えない学生のために用意した特別試験場。

 

ここで“2人”の学生が時間割りを行っていた。

 

 

「へぇ~、さっすが美琴っち! やるねぇ~」

 

 

赤髪の少女が目の前でプールが割れた光景に驚きのあまり口笛を吹く。

 

後輩である<超電磁砲>に負けるものかとメラメラと瞳の中の炎が燃え上がらせる。

 

 

「だけど、私も負けられないよん♪」

 

 

そして、今度は彼女がプールの前に立ち、教員の合図と同時に、

 

「『馬』、『虎』」

 

 

何やらぶつぶつ呟きながら手元で複雑な印を結び、すぅー、と息を吸い込んで、

 

 

 

「火遁・豪火球の術!」

 

 

 

彼女の口から極限まで圧縮されたはずなのに人の大きさほどもある巨大な火炎の塊がプールへ。

 

ゴオオオッ!! と。

 

あまりの衝撃と熱量に大地が震え、プールの水が一瞬にして蒸発、

 

耐熱加工された計測機器の表面を溶かした。

 

さらには殺しきれなかった熱風が火炎竜巻(ファイアストーム)となり、周囲の温度と湿度を一気に上昇させた。

 

ふざけているのに、ふざけた破壊力である。

 

そして、全てが消え去った後にあったのは水の無く空っぽプールとその中心にあるつるつるのクレーター……

 

消防用の防火服を装備しながら測定していた教員達が腰を抜かしてしまうのも無理はない。

 

<鬼火>の鬼塚陽菜。

 

学園都市最強の火炎系能力者で、Level4であるものの戦闘力は軍にも、Level5にも匹敵するという実力者。

 

御坂美琴と同じく『派閥』に属さず、常盤台で最も凶暴であると恐れられている者。

 

 

「ふっふっふ~、漫画を読んで思いついた超必殺技だよ! どうだっ! 凄いだろ、美琴っち! これ、今度の<大覇星祭>で披露してみようと思うんだけど、どうかな?」

 

 

で、最もお嬢様らしくないと言われる者でもある。

 

 

「えーっと、凄いと言われれば、凄すぎるので、そんなことしたら絶対に死人が出るので止めてあげてください。……というか、その前に後ろを……」

 

 

意見を求められた後輩は彼女へ、その後方へ視線を送る。

 

振り返ると、そこには……

 

 

「陽菜さん。貴方は少し手加減と言うのを覚えた方が良いですね」

 

「鬼塚、貴様は……この前注意したばかりだというのに……」

 

 

常盤台中学最恐の師弟コンビが待ち構えていた。

 

 

 

 

 

常盤台中学 帰様の浴院

 

 

 

「という事があったんですのよ、お姉様」

 

 

常盤台中学に存在する3つのシャワールームの内の1つ―――主に放課後、学校から街へ出る前に身嗜みを整えるための校舎付属シャワールーム―――<帰様の浴院>と呼ばれるその部屋で、白い湯気とほど良い温水を浴びながら白井黒子は告げた。

 

華奢な体を伝う雫が、彼女の胸元にへばりついていた石鹸の泡をお腹の方へ押し流していく。

 

 

「あー、そっちまで届いてたか。っつか、陽菜さん加減が苦手だからね。あれでも、結構セーブしようとしてたみたいよ? あの人が本気出したら、あんなプールなんかで被害が収まる訳ないでしょが」

 

 

仕切りを挟んだ向こうから美琴のくだらなさそうな声が返ってくる。

 

教室5つ分ほどの広さのシャワールームは、90個近くあるシャワーの蛇口1つ1つを囲むように、白いしきりとスイングドアが取り付けられている。

 

ただし、仕切りはともかく曇りガラス状のスイングドアは平均的身長の中学生の太股から胸上までを隠す程度の大きさしかなく、極端に背が高い女の子だと規格が合わず、ちょっと身をかがめて使わないとあちこちが見えてしまって大変らしい。

 

 

「陽菜さんや私の本気を受け止められるのは詩歌さんを除けばあの馬鹿しかいないし」

 

 

その語尾からやや安堵の色を感じ取り、黒子の眉がピクリと動く。

 

 

「にしても……私が言えた義理じゃないけどさ。皆、詩歌さんに我儘言い過ぎなのよ。自分のためとか言ってるけど、ほとんど他人のためみたいなもんだし。ここ最近、詩歌さんがゆっくりしてる所なんて見た事ないわよ。ホント、詩歌さんが甘えられる相手なんてあの馬鹿しかいないし」

 

 

またまた、その語尾から信頼の色を感じ取り、黒子の眉がピクリピクリと動く。

 

ぬるま湯に流され、お腹から太股へと流れていく白い泡の感触にややムズムズしながらも、彼女は思う。

 

 

(あの馬鹿。また、あの馬鹿の話ですの……)

 

 

一時期はできるだけ仲良くしていこうかと考えていたが……どうやら将を射るには、馬を殺すしかないようだ。

 

ぴくぴくと片方の眉だけを動かす黒子は、スイングドアの上部へ手をやる。

 

そこにはツインテールを束ねるための細いリボンが2本ある、が……その内の1本をおもむろに床へ落とす。

 

大理石の白い床にはシャワーが作る温水の水溜りがあり、リボンはそこに落ちると、薄いお湯の膜の流れに乗って、仕切りの隙間から、黒子の思惑通りに隣のシャワールームへと流れて……

 

 

「ああっ、なんて粗相を! わたくしのリボンが禁断のお姉様エリアへ!」

 

 

「ハイわざとらしく<空間移動>でこっちへ突撃しようとしない!」

 

 

<空間移動>の寸前で美琴の大声と共に仕切りがバン! と向こうから強く叩かれた。

 

他のシャワー室を使っている女子生徒達のおしゃべりが、驚きで一瞬だけ止まる。

 

音と衝撃で完璧にタイミングが外され、黒子は<空間移動>を失敗(キャンセル)させられた。

 

<空間移動>は発動する為の演算が他の能力と比べて大変複雑なため、急な焦りや驚きなどで力が働なくなる事もあるのだ。

 

 

「うふふ。打ち合わせもしてないのにこのジャスト迎撃。これはつまりわたくしとお姉様はナチュラルに呼吸が合わさるほど体の相性が良いという証明ですの。うふふ。うふふふふふ!!」

 

 

「気持ち悪いから反応したくないんだけど、一応ほら、リボン」

 

 

と、美琴が仕切りの向こうから黒子にリボンを手渡した時、

 

 

「ふふふ、2人はいつも仲が良いですね」

 

 

「あ、詩歌さん。ご苦労様です」

 

 

「美琴さんも黒子さんもお疲れ様です」

 

 

一仕事(折檻?)を終えた上条詩歌が<帰様の浴院>に汗を流しに来た。

 

彼女はもちろん衣服を身に着けておらず、ごく自然な足取りで美琴の隣のシャワールームへ踏み入ると、後ろ手に扉を閉める。

 

彼女のルームメイトはここに来ると(詩歌がいる時は特に)精神的苦痛を味わされる事になるので<帰様の浴院>を利用することは滅多になく、いつも自分の部屋のシャワーを使っている。

 

 

「ふぅ……気持ちいいです」

 

 

シャワーノズルから熱めのお湯が噴き出す。

 

水滴は若々しい肌に当たっては弾け、珠の雫となってボディラインをなぞるように流れていく。

 

そして、リラックスした表情で息をつくのと連動して、たわわで張りのある乳房がぶるんと揺れる。

 

この歳不相応に発育した胸は、異性だけでなく同性の視線も引きつけて止まない。

 

今は落ち着いているものの、過去にハーメルンの笛吹きにでも連れられたかのようにゾロゾロと女子生徒が後をついてきた事もあった。

 

 

(ふむ、また少し大きくなった気がしますね。全く、背はちっとも伸びないのに……)

 

 

自ら努力した結果なのだろうが、少しだけやれやれと溜息が漏れる。

 

もし、今の悩みを何かの間違いで陽菜に聞かれようものなら、地の果てまで追いかけてその上で追い詰めてくるだろう。

 

女の尊厳はエレベストよりも高く、マリアナ海溝よりも深い。

 

それでいて、豆腐のように脆く繊細。

 

かつ、爆弾並に危険。

 

取り扱いには細心の注意が必要である。

 

 

「はぁ……」

 

 

詩歌と連動し、美琴も溜息が漏れる。

 

胸は年相応ではあるが、すらりと細い手足に、滑らかな腰は十分に魅力的なスタイルである。

 

それでも母性面では……

 

母、美鈴の容姿を思えば将来に希望を持てるのだろうが、それでも現時点で圧倒的に差がある。

 

 

(……やっぱり、アイツって、詩歌さんのに見慣れてるから比べられたら……)

 

 

と、もう一度、溜息をつく。

 

その一方、黒子は、

 

 

(お、おおおおおねえさま!? そのけしからんパーフェクトボディを惜しげもなく見せて黒子を誘惑してるんですの!? そんなことされたら、もう、もう、黒子は……! うふふウフフフ……)

 

 

壊れていた。

 

 

(……っは、ほんの少しトリップしていたようですわね。流石、大お姉様でございますの)

 

 

黒子は落ち着きを取り戻す。

 

しかし、鼻から赤い液体がぽたぽたと零れているのには気付いていないようだ

 

だが、赤い液体はそのままシャワーによって洗い流される。

 

ここがシャワールームで良かった。

 

そして、黒子は若干血が抜けて冷静になった頭で考える。

 

どうすれば、あの女神の肢体をもう一度見られるかを。

 

残念なことに頭が冷えても、今の黒子はどこまでも自分の欲望に忠実だった。

 

しかし、先ほどの美琴にした『リボン作戦』はすぐ隣でなければ使えないし、そもそも詩歌の鋭敏な五感による察知能力を掻い潜るだけでも困難だ。

 

素手で高位能力者を仕留められる彼女にかかれば、いくら<風紀委員>で格闘能力の高い黒子でも軽く調理されてしまうだろう。

 

 

(仕方ありませんですの、今回は見送る事にしますわ)

 

 

一瞬でも脳裏に焼きつけられるならカミカゼ万歳アタックでも構わなかったが、それだと折角、この詩歌と美琴が揃って、3人だけの状況が不意になりそうだ。

 

黒子はギリギリの所で欲望を理性で抑え込んだ。

 

 

「そういえばお姉様方。今日の方課後って予定があります?」

 

 

鼻血の痕跡を処理しながら仕切りの向こうにいる2人に問い掛ける。

 

 

「ええ。でも、これからなら少しは時間はありますよ。美琴さんは?」

 

 

「はい、私も特にこれと言った用事はないですね。で、黒子、私と詩歌さんになんか用事があんの?」

 

 

くしゃくしゃと泡を立てる音が聞こえてくる。

 

シャンプーの甘い匂いが黒子の鼻につく。

 

仕切りの向こうで、湯量が増えたのか、シャワーの音がやや大きくなる。

 

 

「いえ、用事というほどじゃありませんのよ」

 

 

黒子は仕切りに背中を預け、

 

 

「ですけど、その、たまには、ですわ。たまには、お姉様と一緒に買い物したり、大お姉様とケーキ食べたりしたいかなーって。ここ最近は<風紀委員>の仕事の方も忙しくて何かと3人で遊びに行く機会もなかなか取れませんでしたし、正直に言いますとわたくし黒子は最近少し寂しいかなぁって。ほら、お姉様方だって、先日からアクセサリーを探してると言ってましたし……」

 

 

(け、健気! 今日の黒子は健気で押しますわ!)

 

 

「黒子さん……」

 

 

一部屋越しから詩歌の労わりの声が聞こえてきて、

 

 

「ふふふ、そうですね。私も最近、黒子さんとお話しできなくて寂しかったですし」

 

 

(よしっ! 作戦通り! やはり、年下からのおねだりに弱い大お姉様には効果覿面でしたわね)

 

 

詩歌からの了承に、黒子はグッとガッツポーズを取る。

 

 

「黒子……」

 

 

そして、今度は仕切り越しから美琴の労わるような声色が耳に入る。

 

 

(うっふっふ、大お姉様が釣れれば、お姉様も釣れるますわ。これで、黒子のボーナスお姉様ハーレムタイムが……えっへっへっへっあっはーっ!!)

 

 

仕切りがあって2人に見えないのを良い事に山賊みたいな笑みを浮かべる白井黒子。

 

そんな様子は露知らず、美琴は自分の後輩に優しく語りかける。

 

 

「アンタ、毎日毎日放課後の<風紀委員>の仕事の後に、スイーツショップなんかに寄ってパクパク食べてるから、どれだけダイエットで苦労してもお腹の下が引っ込まないんじゃないの?」

 

 

直後。

 

白井黒子は山賊の笑みを浮かべたまま、<空間移動>で御坂美琴の元へ突撃した。

 

より正確な移動先は美琴の頭上斜め上。

 

女には負けると分かっていてもドロップキックしなければならない時がある。

 

 

 

 

 

学舎の園

 

 

 

走るバスを操る運転手は、女性。

 

雑多に溢れる学生達は皆5種類の制服のどれかを身に着けている生徒も、全員少女。

 

周りに張り巡らされるのは部外者の侵入を防ぐための大きな柵で、第7学区とは区切られた5つのお嬢様学校が作る男子禁制の共用地帯<学舎の園>。

 

極めて小さくはあるが、居住区や実験施設に喫茶店、洋服店といった生活に必要な店舗まで揃っている『必要なものを必要なだけ詰め込んだ街』を黒子、美琴、詩歌は放課後を謳歌していた。

 

元々限られた土地に5つの学校だけでなく、次々と増設されていく実験施設のおかげで、蜘蛛の巣のように張り巡られる細い道が、迷宮のように複雑に絡み合い、無数の交差点を築き上げるため、<学舎の園>の道路幅は決して広くない。

 

一見さんが、この奇妙な街中を案内もなしに散策するのは無茶だろうが、この放課後に肩を並べて歩く3人の少女―――白井黒子、御坂美琴、上条詩歌―――学園都市の少女達の憧れの的で、高根の花の代表でもある常盤台中学のお嬢様達が、迷子になるはずがない。

 

だが。

 

その内の2名の髪はぼさぼさに乱れまくっている。

 

乱闘後のちょっとした弊害だ。

 

 

「ふふふ、2人ともやんちゃですね」

 

 

美琴はぐったりして抵抗する気もないのか、それとも詩歌の世話焼きスキルに敵わないと分かっているのか、詩歌にされるがまま丁寧に櫛を通されている。

 

 

「……アンタ、いくら何でも人様の顔を目掛けて全裸でドロップキックとかってないでしょ。あまりにも開けっ広げで逆に凍りついたわよ、マジで」

 

 

「うふふ。最初からわたくしには分かってましたのよお姉様。最強クラスの電撃使いに正面から挑むのは馬鹿らしいとはいえ、水気の多いシャワールームならば周りへの漏電に配慮して電撃攻撃は使えないって。ただ最大の誤算はお姉様が大お姉様の指導を受けていた事、素手でもダーティな戦い方が可能だったという事でしたわね!」

 

 

最後にヤケクソっぽく締めくくって白井は悔しそうに苦く笑う。

 

とてもではないが、『義務教育期間中に世界で活躍する人材を作り上げる』と言う常盤台中学創設理念の下にいる人間とは思えない。

 

そんな2人の様子を一歩離れた先輩、というよりも長女的な立ち位置(ポジション)から微笑ましく見守っていた詩歌は美琴の髪を梳き終わると、

 

 

「はい、美琴さんは終わり。次は黒子さんです」

 

 

「はい! 大お姉様!」

 

 

いらっしゃい、とばかりに両手を広げる詩歌に体当たりとばかりに黒子は飛び付く。

 

さっきから美琴が髪を梳かれているのをさりげなく横目でチラチラと見たりして、今か今かと待ち望んでいたのだ。

 

 

「ふふふ、元気が良いですね」

 

 

ぽん、と優しく胸で黒子を受け止めるとそのまま髪に櫛を通していく。

 

簡単に整えるのが目的なので、歩きながらではあるが、それでも詩歌の手の動きは淀みない。

 

 

(流石、大お姉様。この素晴らしい包容力に黒子はもう……)

 

 

背景に百合の花を散らし若干トリップしている黒子に、美琴は疲れたような目を向けながら、

 

 

「でもアンタ、ダイエットとかって本気で取り組んでたんだ」

 

 

「あら。そうなんですか、黒子さん?」

 

 

「むしろ気になさらないお姉様方が何故そんなにも完璧なお姿なのかと。ハッ! まさか体内の電気を操って効率良く脂肪を燃焼させるお姉様独自の裏技が―――ッ!?」

 

 

「そんなもんないから壮絶な瞳でこっちを見るな。詩歌さんもそんな目で見ないでください。詩歌さんもウチの学校がそういうのを禁じているのを知ってるでしょ?」

 

 

無理なダイエットは成長の妨げとなり、それが『能力開発』に響く危険性があるとして、そうした事を禁じている学校もある。

 

黒子は振り回していたカバンの動きを止めると、溜息混じりで、

 

 

「確かに能力も重要ですけど、それで女を捨てるのもどうかと思いますの。わたくし、脂肪だらけの人間ワープ装置にはなりたくありませんので」

 

 

「でもダイエットすると始めになくなるのは胸の脂肪らしいわよ。あと、やり過ぎると肌の艶を作っている油分が抜けてカサカサになったりとか、髪に栄養がいかなくなって抜けやすくなったり」

 

 

「あーっ、聞きたくありませんのそういうネガティブ豆知識!」

 

 

黒子は両手に手を当てて首をぶんぶん横に振る。

 

普段の学園都市の中なら奇行として捉えられるかもしれないが、会話の内容が耳に届く他の女子学生にとっても他人事ではないためか奇異の目を向けたりはしない。

 

中には指先で摘まんでいたフライドポテトを引き攣った笑みと共に容器に戻す少女もいた。

 

美琴も普段の街中で体重や化粧についての話題は男性の視線が気になって振らないだろうが、<学舎の園>は9割以上が女性であるため感覚的に女子校である。

 

 

「全く、美琴さんも意地悪を言うものではありません」

 

 

黒子の髪を梳き終わった詩歌が美琴を窘める。

 

そんな詩歌の体を美琴は視線でじっくりと上から下をなぞり、

 

 

「詩歌さんって、一体何をしたらそんな体型になったんですか?」

 

 

異性どころか同性すらも魅了する完璧なスタイル。

 

今も時々、詩歌を見て顔を赤くする女子学生もいる。

 

 

「そうですねぇ……」

 

 

ゴクリ……ッ。

 

静寂。

 

周囲の女子学生が詩歌の一言一句を聞き逃さないよう全神経を聴覚に集中する。

 

 

「バランスによい食事に、適度な睡眠、それから、運動……―――そういえば、師匠の格闘術の指導を受けてからより身体が引き締まりましたね」

 

 

当たり前のことを当たり前にやる……というように聞こえているが、美琴と黒子は顔を青褪める。

 

あの<風紀委員>の訓練が天国に見えるほどの女戦士(アマゾネス)寮監の扱きを受けるなんて、地獄巡りを味わうようなものだ。

 

よく詩歌がその特訓に耐えられたと思う。

 

 

「詩歌さん、も~う少し普通の人間でもできそうなのはないですか?」

 

 

「あ、それならやっぱり『ムサシノ牛乳』ですね。あれを毎日、飲み始めてから胸が大きくなりました」

 

 

この発言が原因で、学園都市中のスーパーで『ムサシノ牛乳』品切れ騒動が起きた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

<学舎の園>にはデパートやショッピングセンターのような大型店舗は存在しない。

 

しかし、『体操服』や『文房具』など、時間割りや学園生活に必要なものができるごとに、必要なものだけを販売する為の販売店が増えていくため、1品1品を専門に扱う小店舗がぎっしりと集まるのだ。

 

例外的に巨大な建築物は研究機関のみである。

 

そして、3人はある店の前までやってきた。

 

 

「用のある店って、ここの事だったのね」

 

 

「あら。生活必需品ですわよ」

 

 

黒子はごく当然のように答えた。

 

ウィンドウから差し込むオレンジ色の夕日と、洋灯の飾りを付けたランプ電球がそれぞれ柔らかい光を店内に満たして、こぢんまりとした暗い色合いの木材を内装のメインにしている店舗。

 

だけど扱うのは骨董品でも土産物でもなく、レースや何やらの明るい色彩のものまである女性用下着を扱うランジェリーショップである。

 

飾られているのは色とりどりの女性下着は、逆にわざと浮かせる事で、客に印象を強く叩きつける商売作戦なのかもしれないが、いまいち落ち着いた店舗と噛み合っていない。

 

 

「ちょうど良かったです。最近、胸の辺りが少しきつくなってきたので。それに美琴さん、先ほどの話に戻りますが自分に合った下着を選ぶ事は発育に効果的です。何なら美琴さんに合った下着を選んであげましょうか?」

 

 

「いや、それはちょっと……なんというか、こういう所は知り合いと一緒に来るべきじゃないような気がするんだけどなぁ。自分が何穿いているか、そのセンスを見せびらかしているようなもんだし」

 

 

「何を今さら。わたくし達の間にそんな気遣いは無用ですわ。黒子は知っていますのよ。実はお姉様はパステル調色彩の子供っぽい下着を偏愛しているのだと痛たたたっ! 唐突に耳を引っ張らないでくださいですのお姉様!」

 

 

「……<空間移動>ってホントに厄介な能力よねー黒子? 毎日どこで私の下着チェックをしているかとっとと吐け」

 

 

「べ、別に良いじゃありませんのお姉様。お姉様にしたって毎日私の下着をご覧になっているでしょう?」

 

 

「あらあら、仲が良いんですねー」

 

 

「違います、詩歌さん! コイツの寝間着がすけすけネグリジュなのがいけないんです! っつか、コイツの場合はわざと見せびらかして喜んでる節があるし!」

 

 

「あら。お姉様にしてもパステル調色彩の子供っぽいぶかぶかパジャマを偏愛するのはいかがなものかと痛っ! 今年のお姉様のブームは女王様ですの痛たたっ!?」

 

 

「ふふふ、幼い頃の美琴さんは着ぐるみパジャマも素直に来てくれてましたね。今の美琴さんも可愛いですが、この時の美琴さんも可愛いかったです。ほら、黒子さんもこの写真を―――」

 

 

「余計な事は言わないでください! って、何時撮ってるんですか、それ!」

 

 

自分のコレクションを見て昔をうっとりと懐かしむ詩歌に、

 

詩歌のコレクションに顔を真っ赤にしながらあたふたする美琴に、

 

右耳を美琴に引っ張られながらも嬉しそうな笑顔の黒子。

 

これだけ騒いでいても彼女達に視線が集中する事はない。

 

他の客は他のお嬢様学校の少女達が3人ほど、カウンターには何十年も前からセットで座っているような女店主兼レース職人のおばあさんが1人。

 

誰も彼女達の騒ぎを気にしている様子もなく、女店主に至っては英字新聞を広げている。

 

女の子だらけの<学舎の園>ではこの程度のキーキー声は騒ぎの内にも入らないようだ。

 

 

「あ、お姉様方。あちらでディスプレイされている上下セットなどお姉様方に似合いそうではありません」

 

 

「耳引っ張られながら冷静にオススメすな。―――って、うわ!? 何よあの表面80%以上が透けたレースの下着。ウケ狙いとしか思えないチョイスなんだけど」

 

 

「では、美琴さん。こちらはどうですか? とても可愛らしいかと」

 

 

「――っぶ!? 詩歌さん。これ、リボンじゃないですか!? こんなの恥ずかし過ぎて着る人なんていないですよ」

 

 

「あら、そうですか? 素材は中々の高級品ですし、デザインもキュートです。私は一度着た事がありますよ。まあ、『ぷれぜんとふぉーゆー』とやったら、『そのドッキリは絶対にやめろ』と怒られましたので一度きりですが」

 

 

その一度は誰にやったんだと美琴が突っ込む前に、

 

 

「ぷはーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 

瞬間、視界が赤に埋め尽くされた。

 

弧を描く鮮血。

 

倒れる後輩。

 

 

「黒子さん!? どうしたんですか!?」

 

 

「ちょ、ちょっと!? 黒子! 黒子っ!!」

 

 

純粋に血が足りない黒子とは違い、血の気が引き顔面蒼白になる詩歌と美琴。

 

ただの鼻血といえばそれまでだが、今の黒子の場合は出血量が致死量間近にまで及ぶほど多いので洒落にならない……が、

 

 

「わたくしの生涯に一片の悔いなしですの」

 

 

何故か、劇画タッチのすごくいい顔で昇天。

 

なんというか、もう溜息しか出ない光景だった。

 

ともあれ放っておく訳にもいかず……

 

結局、2人は後始末をしながら黒子の介抱をする事になった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれから鼻血の処理をした後、黒子は顔を洗う為にトイレへ。

 

しばらく、時間がかかりそうなので詩歌と美琴は下着選び……といっても、ぱぱっと詩歌は自分のを選んで、ほとんど詩歌が美琴のを選んでいるといった感じなのだが。

 

 

「ふむ。今の美琴さんの体型に合いそうなのはこれですかね」

 

 

と、可愛らしさを残しつつも少し大人っぽい下着を美琴へオススメすると、美琴がいつの間にか真剣な顔で別の物を見ている事に気付いた。

 

詩歌は美琴の視線を目で追いかける。

 

道路に面したウィンドウの向こうにある外の世界は夕暮れに染まっていて、遠くの空をゆっくりと飛行船が飛んでいた。

 

それは洋風の古い町並みを模したこの景色の中で、妙に浮いており、その飛行船のお腹にくっついている大画面には、今日の学園都市のニュースが流されている。

 

美琴はその米国のスペースシャトル発射成功のニュースを真剣な顔で食い入るように見ている。

 

 

「……美琴さん、今日、“清掃活動”は私1人で行います」

 

 

美琴はその呟きにハッと詩歌の方に首を向ける。

 

 

「どうやら、気になる“汚れ”が外にあるそうなので1人の方がやりやすいんです。一応、“漂白剤”の方でも動いているという情報は入手しましたが、あそこは彼と……そして、あの男を雇っていた所……おそらく“漂白剤”では落とせないほど“頑固な汚れ”なのかもしれません……」

 

 

「詩歌さん……これは元々―――」

 

 

美琴の口にそっと人差し指を押し当てる。

 

 

「ふふふ、可愛い妹の我儘を聞くのは姉の義務であり、権利です。ついでに、もう私も関係者みたいなものです。だから、気を遣わなくて良いんですよ。それよりも美琴さんは“アクセサリー”の方をよろしくお願いします」

 

 

そこで、美琴の不安を打ち消すように詩歌は優しく微笑みかけ、

 

 

「大丈夫。今日で全部終わります。皆、笑顔でね」

 

 

その言の葉は美琴の胸の奥にストン、と収まっていく。

 

上条詩歌。

 

幼い頃からずっと彼女にはお世話になりっぱなしだ。

 

学園都市に来て、神童と称えられた自分に大切な事を教え、導いてもらって、どうしようもない我儘も何度も聞いてくれたり、あの時、絶望に陥った時も真っ先に助けに来てくれた。

 

そう、命を賭けて……

 

傍若無人な一面もあるが、それ以上に温かで頼りになる………姉だ。

 

 

(詩歌さん……)

 

 

ガタッ、と。

 

感動で目から涙が出そうになった時、何かが前で倒れた音が聞こえた。

 

そちらに視線を移動させると復活した黒子がわなわな震えていた。

 

 

「お、お姉様と大お姉様が……そんな関係だったなんて……」

 

 

瞳を潤ませながら顔を赤らめる美琴に、その自分の唇にそっと人差し指を当て、もう片方の手に彼女が選んだ下着を持ちながら自分と見つめ合い優しく微笑む詩歌。

 

……もし、ここに画家がいれば2人の背景に一面の百合の花を咲かせていたのかもしれない。

 

 

「黒子さん、具合は大丈夫ですか?」

 

 

そういった方面には兄同様に鈍感バリアーが張られている詩歌は全くそんな事を意にも介さず、美琴から手を離すと黒子に視線を向ける。

 

 

「ん? どうしたのよ。まだ具合が悪いの?」

 

 

美琴も美琴で幼い頃から世話を焼かれ過ぎて、詩歌の場合だとそう言ったのは麻痺しており、羞恥は一切抱かない

 

そう2人にとったら幼い頃からの姉妹のスキンシップにすぎないのだ。

 

 

(おね、お姉様が大お姉様と……大お姉様がお姉様に……あ、ああ。黒子は、ああ、黒子は、黒子はァァあああああ!!)

 

 

が、黒子の目にはそう映らなかったみたいで、

 

 

「愛人関係で構いませんから! いえ、愛人にしてくださいませ! だから、く、黒子も、黒子も可愛がってくださいまし!」

 

 

「「はぁ?」」

 

 

黒子、理想郷を見た。

 

その幻想を解くまで黒子は2人から離れなかった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

黒子を交えて下着選びを再開。

 

女性3人寄れば姦しいというが、詩歌、美琴、黒子の3人は会話を途切れさせる事なく買い物を楽しんでいる……と、ふと美琴の動きがピタリと止まった。

 

詩歌と黒子は気付く。

 

美琴が目の前にいる自分たちではなく、その延長線上にある何か別の物に目を奪われている事に。

 

? と2人は、怪訝そうな顔で後ろへ振り向く。

 

胸パッド、である。

 

主に胸部に自信のない女性が下着の下に装着する事で誇りと対面を保つという、あの胸パッドである。

 

実際、女子しかいない―――つまり誇示する対象のいない―――<学舎の園>では特に需要も高くなく、その一角だけやや売れ残りの哀愁が漂っている。

 

そこで詩歌は街での会話を思い出す。

 

 

『でもダイエットすると始めになくなるのは胸の脂肪らしいわよ』

 

 

「あら、自分の体型が気になるなんて、とうとう美琴さんも色を知るお年頃に。ふふふ、今日はお赤飯かしら?」

 

 

なっ……、と美琴の表情が固まる。

 

 

「今までの美琴さんなら自分の体型には無頓着だったはず。これは、早く大人になって子供扱いは止めて欲しい、と考えているようですね。ふふふ、可愛い美琴さん。一体、その―――」

 

 

はっ……、とそこで今度は詩歌の顔が固まる。

 

 

(まさか!)

 

 

美琴の顔を見る。

 

学園都市のLevel5であり、『常盤台の姫様(エース)』とすら呼ばれる御坂美琴は顔を真っ赤にして俯いている。

 

さらに、さりげなくちらちらと彼女のものと自分のもの、そして、胸パッドの大きさを見比べている。

 

詩歌と見比べるという事はつまり……

 

詩歌だけでなく、黒子もその事に気付き、

 

 

(これは、まさか本当に本気で本心の……殿方が? 殿方が!? ―――、ふっ。あの類人猿がァァああああああああ!!)

 

 

彼女は『とある愚兄』の影がよぎり、詩歌がいるため口には出さないが、心の中でハンカチを噛む、というより、噛み千切る。

 

黒子が脳内世界でハンカチをギッタンギッタンにしている間に、おもむろに詩歌は口を開く。

 

 

「……そういえば、私の身近にいる男子高校生が以前、『年上のお姉さん』が好みだと言ってましたね」

 

 

びくっ……、と悪戯が見つかってしまった子供のように肩が跳ね上がる。

 

 

「へ、へぇ………はぁ……」

 

 

いかにも興味なさそうな顔で聞き流しているが、美琴の周囲に漂う雰囲気はずーん、と暗くなっていく。

 

普段ならここから会話を繋げて別の方向へ導くのだが……

 

 

「でも、年下なら誰が良いかと聞いた時は美琴さんの名前が一番最初に出ましたね」

 

 

駄目だ。

 

もうそういった段階(レベル)を過ぎているのもそうだが彼女のそれを邪魔する……いや、姉として応援しない訳にはいかない……

 

 

「ふ、ふぅ~~ん。そうなんですか」

 

 

今度はぱーっと明るくなる。

 

落してから上げられたからなのか、抑えきれない喜びが口の端のひくひくとした震えに表れる。

 

それを見て詩歌は、

 

 

「……ふふふ、嬉しそうですね……美琴さん」

 

 

「ッ!?」

 

 

その時、黒子はただならぬ威圧感を詩歌の背中から感じ、息を飲む。

 

きっと………今の詩歌は内なる自分と激闘を繰り広げているのだろう。

 

が、美琴はそんなのに気付きもせず、

 

 

「い、いえ別にそんなっ……アイツに言われたって嬉しいわけないじゃないですか。ホント、いい迷惑ですよ。もうっ!」

 

 

ツンとしながら、顔を真っ赤にして、もごもごという美琴。

 

 

「ふふふ、そうですか。では、そう当麻さんに伝えておきます」

 

 

しれっとそんな事を言う詩歌に、美琴はぎょっとしてから詰め寄った。

 

 

「言わなくてもいいです!」

 

 

その様子をふふふ、といつも通りの微笑みで一蹴し、

 

 

「美琴さんはとっても可愛い女の子なんですからそういったものは使わなくても大丈夫です。それにまだまだ成長期なんですから」

 

 

いきなりそんな詩歌並に巨大な胸パットをブラジャーの中に突っ込んだら一発で皆に気付くというツッコミはしないでおく。

 

よし、これで頼れる姉の責務を果たした………と、思いきや、

 

あはは、と照れ笑いをしながら、熱くなった頬をパタパタと扇ぐ美琴はもう一度だけ胸パッドを観察して……ふと、それらの置かれた棚から一歩退くと、小首を傾げて、

 

 

 

 

 

「でも、これって結局服を脱いだ時にはばれちゃいますよね。ね、詩歌さん?」

 

 

 

 

 

ピシッ―――と詩歌の笑みが凍りつく。

 

そして、黒子の顔も劇画っぽい驚きの顔のまま固まってしまう。

 

 

「……ッ!? お、お姉様。まさかすでにそこまで視野に入れた未来設計を!?」

 

 

「は? え、あ! いや、違、違いますよ!! 体育! 体育の着替えの話だってば!!」

 

 

美琴は慌てて首を横に振ったが、それでも2人は固まったままで

 

 

「フ、フフフ、ヤハリ、ソウデシタカ。ミコトサン。フフ、フフフフ!」

 

 

「ちょ、詩歌さん! 何だか目の焦点があってませんよ!!」

 

 

そうして………

 

 

 

 

 

 

 

学園都市は夕暮れに染まっていた。

 

建物の壁の基調を白としている<学舎の園>は、空の色の変化を非常に映しやすい。

 

学バスの最終発車時刻が迫っているせいか、<学舎の園>の外に自分の寮があるお嬢様達の流れはターミナルの方へ集中している。

 

バスの利用は強制ではないが、世間知らずなお嬢様の中には隔離された学園都市さえ怖がるものが多く、<学舎の園>の外でも活動するようなアクティブな対外派は結構少ない。

 

そのおかげで、寮とバスと<学舎の園>以外の場所は知らない、とか言いだす箱入り娘が大量生産されている。

 

で、そんな慌ただしい帰宅ラッシュの中だというのに3人の周りはガラーン、と空いていた。

 

 

「今なら、カエサルの気持ちが良く分かります。……本当、ブルトゥス、お前もか、という感じですね。全く、美琴さん!美琴さんはまだ子供なんですからそんな先の事は考えなくてもいいです!」

 

 

無表情でずっとぶつぶつ何かを呟き、瞳の焦点もブレブレで、不気味な負のオーラを垂れ流す。

 

なんだか既視感……そう、これは、幻想御手事件の際の彼女に近い。

 

未だ残暑厳しいというのに、この極寒の冬の真っ只中にいるような感じ……間違いない。

 

普段は頼りになるが、あの状態だと何を考えているか分からないから不気味だ。

 

 

「い、いえ、だから、あれは体育の時の話で……」

 

 

「黙らっしゃい! 全く、美鈴さんから娘の美琴さんをよろしくと任された身として見過ごすわけにはいきません! 今夜は説教です! 寝かせませんよ!」

 

 

そして、そんな大お姉様にガッシリと捕まってしまったお姉様こと美琴。

 

あの殿方は、一応、大お姉様の大事なご家族であり、それなのに大お姉様に衣服をはだけさせる場面を考慮した将来設計がどうかを相談するなんて、流石に無遠慮過ぎて、黒子でも擁護できない。

 

そして、詩歌が暴れた時には、美琴と黒子の二人係でも相手になるはずが無く。

 

黒子は自称御坂美琴の露払いであるが、今回は完全にお姉様に責があるので、お姉様1人で頑張って、と。

 

 

 

「黒子! 待って! 戻ってきてーっ!!」

 

 

「黒子さん、今日はこれから用事があるので、先に帰っててください」

 

 

この後に、用事……?

 

まあ、不思議ではない。

 

元からバスを利用しないため、最終時刻を気にしていないけど、生徒の動きに合わせて早くも小さな店々は店じまいを始めている。

 

けどそれは、規則正しいお嬢様主体の<学舎の園>の話であって、まだまだこれからが本番という店もいっぱい。

 

例えば『黒蜜堂』のデザートコース。

 

今日の放課後プランとしては、次なる幸せである『お姉様達とのデザートタイム』を狙って、黒子はさりげなく誘導をしようとしたのだが、用事があるなら仕方ない。

 

 

「雨が降るかもしれませんし、今日こそアクセサリーを見つけませんとね」

 

 

「ええ、そりゃ夜になったら天気が崩れるかもしれませんけど、詩歌さんは清掃活動の方を……」

 

 

「はい、ですから道すがらお話しましょう、ね?」

 

 

後ろで何やら大変な事が起きているような気がするが黒子の耳には何も聞こえなかった。

 

うん、何も聞こえなかった。

 

黒子は振り向かずただ、夕空を見上げて遠くを見つめる。

 

今夜、帰ってきたら美琴は真っ白になっているのかもしれない、と。

 

ついでに、空模様も確かめてみると、今のところ、雨は降りそうにない。

 

 

(おや? ……、)

 

 

ふと、今の台詞に違和感を覚えた。

 

夜になったら天気が崩れるかもしれないから。

 

一見、何の変哲もない普通の台詞に聞こえるかもしれないが、学園都市は3基の人工衛星を打ち上げており、その内の1基<樹形図の設計者>は“完全なシュミレートマシンとして機能しているはず”だ

 

天気予報も例外ではなく、つまり『かもしれないから』などと言う曖昧な言葉は日常で使用しない。

 

 

(となると、お姉様は……それから、大お姉様の言葉は一体?)

 

 

黒子は美琴と詩歌の台詞がちょっと気にかかったが、最終便はもう10分もしない内に発車してしまう。

 

そして、いつの間にもう彼女達は点々なほど遠くへ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「……美琴さん、アクセサリーが売られている場所は覚えてますか」

 

 

「ええ、忘れていませんよ、詩歌さん」

 

 

 

つづく


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