とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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武装無能力者編 お姫様にドレスを

武装無能力者編 お姫様にドレスを

 

 

 

第10学区 とある廃ビル 屋上

 

 

 

吹き付けてくる冷たい風に頬を撫でられる。

 

屋上から見える、柵の向こうの景色にはここのように廃れたのとは違う、最先端の象徴とも言える街並みが広がっている。

 

 

「やっぱり、ここにいたんですね。……先輩……それに陽菜も」

 

 

鉄の扉を開けた先に、固法の目の前には懐かしい顔が。

 

<風紀委員>の『盾』をモチーフにした腕章は外してある。

 

あの頃の、<ビックスパイダー>の仲間として彼女はここに来たのだ。

 

『あー、席外しましょうか?』と所在なさげに陽菜は言ったが、同席を認める。

 

固法としては、黒妻に少なからずの疑念がある今は、真贋を見抜く陽菜の存在は心強い。

 

そうして、陽菜は出口の壁に頭を組んで背中を預け、入れ替わるように固法が対峙すると、『改めて』と前置きしてから、

 

 

「久しぶりだな、美偉」

 

 

「先輩……生きてたんですね」

 

 

「みたいだな」

 

 

「何で……何で、何の連絡もくれなかったんです!? 私、てっきり……」

 

 

死んだかと思っていた。

 

だが、実は2年前のあの事故、黒妻は爆発から奇跡的に生還していた。

 

目が覚めた時にはすでに病院のベットの上で、その後、黒妻は施設に送られて、施設から出たもの今から半年前の最近だった。

 

再びここに戻ってきた理由も、自身が創設者である<ビックスパイダー>のその後が気になったからだ。

 

が、かつての組織は無法者の集団になり、『能力者狩り』をしている組織となっていた……

 

 

「ま、噂じゃ、『仲間でも平気で裏切り、組織を抜けようものなら背中から撃ちかねない』って、ヤツが『黒妻綿流』って、名を騙っているらしいけどね。兄貴とは別人だよ。でも、黒の革ジャンってのはとにかく、蜘蛛の刺青ってのは脱がなきゃ分からない事だよ。……もしかすると、<ビックスパイダー>の誰かなのかもしれない」

 

 

黒妻の説明の後、陽菜が捕捉する。

 

固法はそれを聞いて、どこかほっとした。

 

どんなに信じていようと1人では拭い切れぬ疑念があった。

 

 

「……明日、<警備員>が第10学区『ストレンジ』で一斉摘発を行います。だから―――」

 

 

本来、<風紀委員>の人間が、情報を漏らすなんて事は罰則どころでは済まされない。

 

それでも、黒妻を助けたい、そして、今、あらぬ疑いをかけられようものなら、と。

 

甦った過去の想いが、固法をこのかつての『居場所』に駆り立て、堪え切れぬ思いと共に口を滑らせる。

 

 

 

「だったら、とっとと蹴りをつけなきゃいけないな」

 

 

 

だが、それは彼の背中を引き止められぬどころか押してしまった。

 

 

「先輩!! また1人で乗り込むつもりですか? あの時みたいに……!」

 

 

「<ビックスパイダー>を作ったのは俺だ」

 

 

黒妻は覚悟を決めた。

 

自分がいない間に変わった、仲間の誰かが変えた、そして、その裏の人間に利用されている自分の作った組織。

 

だから、

 

 

「だから、潰すのも俺。……<警備員>じゃない」

 

 

「行かないで! あなたはいつだってそう、自分勝手に人を想いやって、自分勝手に行動して……! あなたがそんなだから、私は……」

 

 

腕を掴んで引き止める。

 

だが、それを振り払い、黒妻は踵を返して、出入り口へと足を向ける。

 

 

「お前だって、そうじゃないか。……だから、ここに来てるんだろ? さあ、もういいから帰れ。前にもいったが―――ここは、お前の名を刻む場所じゃない」

 

 

柵に刻まんだ2つの名前。

 

しかし、固法が刻んだそれは揉み消されていた。

 

この黒妻綿流によって。

 

 

「私も行きます。……もう、あんな思いはしたくないんです」

 

 

固法は、2度とあの悲劇を起こさぬように<風紀委員>になった。

 

でも、それは黒妻との、<スキルアウト>との溝をより広げてしまった。

 

 

「いい加減にしろよ、美偉。昔と今じゃ違うだろ。……俺とお前じゃ」

 

 

それでも―――

 

 

 

「今とか昔とか関係ありません! 居場所が変わっても、私の気持ちは変わりません!!」

 

 

 

結局、固法の言葉にも、黒妻は止まらなかった。

 

もう話す事は終わった、と振り返ることなく、そして、今度は鉄の扉の脇に背を預けている陽菜へ視線を投げつける。

 

 

「で、陽菜。お前はどうするんだ? できれば、大人しくしててくれると嬉しいんだが」

 

 

「ん。私はさっきも言ったけど、私が動いてたのは、元々は兄貴への義理で<ビックスパイダー>の暴走を兄貴の代わりに止めようと思っただけ。それで、まあ、本当に兄貴だったら、ぶん殴って目を覚まさせてやろうかなー、と。という訳で、私は止めないよ。自分で作った組織なんだ、自分の手で幕を引きたい気持ちも分かるし、それが、筋だと思うし……」

 

 

だから、

 

 

「兄貴も“私達”の事を止めないでおくれ。どうやら、この一件、私には少なからず関わりがありそうだからね」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『―――ええ、この音はあの時と同じものですね。おそらく、この超高周波が能力の演算式を妨害しているのでしょう。厄介な道具です』

 

 

「ってことは、これを作った奴は、ウチの時と同様と見ても良いんかね」

 

 

『音だけなので、絶対にとは言えませんけどね。でも、また、陽菜さんが罠に嵌ってしまわないか心配です』

 

 

「あっはっはー。正体さえ分かれば無問題(モーマンターイ)。私は二度のへマはしない主義でね。今度は―――」

 

 

『言っときますけど、これ市販の耳栓なんかじゃ防げませんよ』

 

 

「うげっ、マジで」

 

 

『マジです。ああ、やっぱり直接手を貸しましょうか。陽菜さんのうっかり癖は心配ですから。……相手の身が』

 

 

「私の事は心配してないんかい」

 

 

『いいえ~。力加減を誤って、学校を退学になるか心配です』

 

 

「う~……まあ、いいよ。<鬼火>が使えなくても、私の力はあるしね。詩歌っちは詩歌っちのやるべき事やってなよ。最近色々とあって大変だったんだろ?」

 

 

『……そこまで言うなら、良いですけど……』

 

 

「……でさー、詩歌っち。話は変わるけど、愛って何だと思う?」

 

 

『五十音最初の2文字です』

 

 

「……あのねー……」

 

 

『失礼。陽菜さんが似合わない事を聞いてきたもので、つい、冗談かと』

 

 

「いいよ。でも、軽口叩けんなら調子はもう元に戻ったようだね。良かったよ」

 

 

『……はい。で、話を戻しますが、愛、ですか……難しいですね。この答えは人それぞれ違いますからね。私の答えになりますが、よろしいですか?』

 

 

「OKOK」

 

 

『では、愛とは、自分以外の誰かの幸せを願うあらゆる理論を飛び越える本能よりも強い気持ち』

 

 

「あらゆる理論を飛び越える、ね……。なるほど」

 

 

『それは、人の誰しもが持ち合わせています。ふふふ、今日はそれを改めて実感していました』

 

 

「へーへー、よっぽど当麻っちに愛されたんでしょーねー」

 

 

『いえいえー』

 

 

「ちょっとくらいは躊躇う素振りを見せろよ。焼くぞ、嫉妬の炎で」

 

 

『別に当麻さんだけじゃありません。私の事を心配してくれた美琴さんやインデックスさん、そして陽菜さんにもです。もちろん私も愛してますよ』

 

 

「……私にそっちの気はないよ」

 

 

『奇遇ですね。私もです。そういう意味ではなくてですね』

 

 

「分かってるよ。冗談だよ冗談。詩歌っちがこっぱずかしくなるようなことを言うから……あー、でも、世の中には冗談じゃなくて本当にとる子もいるから。うん、詩歌っちは知っておいた方が良い。割と本気で」

 

 

『はい? 何の事を言っているんですか?』

 

 

「私から言えるのは、詩歌っちは詩歌っちが考えている以上に人気者だって事。……男女問わずに」

 

 

『そうですか? でも、それはこちらの台詞でもあります。陽菜さんも意外に人望が……』

 

 

 

 

 

風紀委員177支部

 

 

 

「………で、御坂さんはどう思います?」

 

 

「あー、多分、発電系能力者なら出来るわよ。ネットワークを介しての攻撃」

 

 

「本当ですか、お姉様」

 

 

先日の能力者によるサイバーテロ事件で参考人として呼ばれた<超電磁砲>の御坂美琴の話に<風紀委員>の黒子と初春、それから遊びに来た佐天が耳を傾ける。

 

 

「でも、大丈夫だったの? 機材が爆発したんでしょ?」

 

 

「はい、データも私達も無事に。でも、いやー、昨日は驚きましたよ。ちょっとお昼休みにお茶してたら、いきなり、ボンッ! ですよ」

 

 

「へぇー、昨日はそっちも大変だったんだ。あたしも昨日は『能力者狩り』に巻き込まれちゃって。けど、詩歌さん、本当に素手でもすっごく強いんですね」

 

 

「まあね。詩歌さんと素手でやり合えんのは寮監か陽菜さんぐらいしかいないわよ。――あ、そういえば、今日、詩歌さんにここに来るって話したら、固法先輩に言伝を頼まれたんだった……けど……」

 

 

いない。

 

あの勤務態度が真面目の<風紀委員>の先輩が未だに出勤していない。

 

その事にどことなく不安を覚え、初春が呟く。

 

 

「はい。さっきの話にもありましたけど、最近の『能力者狩り』に、<スキルアウト>の<ビックスパイダー>が関わっているみたいなんですが、固法先輩の元気がないんです。いつもだったら率先して解決にあたるはずなのに……」

 

 

「どうしたんだろ、固法先輩」

 

 

彼女の机の上には、昨日から放置されている彼女の腕章があった。

 

と、そこで美琴の携帯に着信が入り、

 

 

「ん、詩歌さんから」

 

 

 

 

 

第10学区 路地裏

 

 

 

腕章ではなく、赤いライダージャケットを羽織る。

 

それが、固法なりの覚悟の証だった。

 

自分は<風紀委員>、<ビックスパイダー>を、黒妻綿流を捕まえる立場の人間だ。

 

それでも、年月が経っても、立場が変わっても不変で、理論さえも飛び越える強い想いがある。

 

だから………

 

 

「お、やっぱり来たようだね。美偉の姉御」

 

 

固法の邪魔をするように狭い路地裏の先にバイクが横に停められ、それに赤髪の後輩が身体を預けていた。

 

 

「……陽菜、今すぐそこを退きなさい」

 

 

「悪いけど、頼まれちゃったからね。兄貴の所には行かせないよ」

 

 

「陽菜! あなたは2年前のようになっても良いって言うの!?」

 

 

「いや、私もあんな思いはご免だよ。少しでも兄貴の力になりたいのは良く分かる。でも、これはあの人の『居場所』を守るための戦いなんだ」

 

 

「『居場所』がなんだって言うの! 命に比べれば『居場所』なんて!!」

 

 

「ああ、そうだろうね、けど、残念な事に私はそのつまんない意地を尊重する人間だ」

 

 

だから、ここから先へは“過去に囚われて今の『居場所』を置いて来ている”人間を通す訳にはいかない。

 

今も遊び人のように愉快そうに笑ってはいるが、その双眸は真剣そのもので灼けつくような気が込められている。

 

彼女が退かないとわかった。

 

自分と同じように守れなかった悔しさ、その場にいれなかった己の情けなさを感じていながらも、それを歯で噛み締めながら堪えて、この場にいる。

 

こうなった彼女を前にして、先へは進む事ができない。

 

普段はお調子者で世話のかかる妹分だが、本気になれば自分では止める事もできない鬼である事も良く知っている。

 

無理矢理にでも突破しようとすれば、<風紀委員>の訓練を受けている固法でも僅か2、3手で押さえ込め、その凶眼の視線は一薙ぎしただけで全てを焼き尽くす。

 

どうする……?

 

どうすれば……

 

 

「私はね。お姫様が舞台に出るのを邪魔なんてしたくはないんだ。けどね、そのお姫様が“ドレス”を着ていないんじゃあ、演劇を見に来た客が白けちまうからな。流石に止めに入っちまうよ」

 

 

固法の焦燥を感じ取ると、視線を伏せて、呟くように語る。

 

 

「……なあ、姉御。昨日もだけど今日はどうして<風紀委員>の腕章をつけてないんだい? そんなにその“ドレス”は格好悪いのかよ? 2年前の事件をもう2度と起こさないようにと努力してきたその証はそんなにも惨めなモンなのかよ?」

 

 

「陽菜……アンタ……」

 

 

「私はそうは思えない。そんなお似合い“ドレス”を着たお姫様がでたら、客は喝采をあげて、脇役に過ぎない私は喜んで道を開けるね。それはきっと王子様も同じ」

 

 

納得したのか、呆れたのか。

 

固法は溜息をつく。

 

つまり、このお姫様以上にお姫様を誇りに思う鬼の門番は舞踏会で王子様と踊りたかったら、“ドレス”を着て来いと。

 

<風紀委員>の固法美偉として、黒妻綿流に会いに行けと言っているのだ。

 

いつもいつも本当に手を焼かされる彼女は、2年前からずっと、チームの仲間と別れた後もずっと唯一自分の側にいてくれて、そして、<風紀委員>としての自分を良く知っている。

 

でも、それに応える為の“ドレス”は……

 

 

「安心しなよ。舞踏会に憧れるお姫様の許には、魔法使いが“ドレス”を持ってきてくれるってのが定番ってモンさね。って、おりょ? どうやらカボチャの馬車まで付いてきちゃったのかな?」

 

 

ケラケラと面白そうに笑う陽菜の視線の先、固法の後ろには、<空間移動>の後輩<風紀委員>とその先輩が立っていた。

 

その手に『腕章(ドレス)』を持って。

 

 

「詩歌さんから話は聞きました。それで、『忘れ物はいけませんよ』って」

 

 

「先輩、これを。そして、わたくしとお姉様もお付き合いします」

 

 

……何という出来レース。

 

本当に……馬鹿みたいだ。

 

この為にわざわざ彼女は道化のようにここで待ち続け、しかも他人に頼ってまで……

 

後輩達に腕章を付けられた後、お姫様は鬼の門番と再び視線を通わせ、笑みを交換する。

 

 

「……言っておくけど、お姫様は脇役も残らず捕まえるつもりよ。特に、常日頃迷惑をかけてくる子は絶対に」

 

 

「そいつは困った。これでお姫様の世話になったら、寮で恐ろしい寮監にお仕置きされちまうよ」

 

 

「……だったら、早く行きなさい。私は、もう大丈夫だから」

 

 

バイクに跨り、陽菜はヘルメットを被る。

 

 

「はいはい、鬼は外、福は内ってね。鬼は鬼で外でやる事があるんよ。じゃあね、姉御。……………その腕章、似合ってるよ」

 

 

それを最後に言い残して鬼の門番は去る。

 

そのあっという間に小さくなっていく、その背中に向けてポツリと。

 

 

「……遠回しのお節介なんて似合わない事すんじゃないわよ、馬鹿。……でも、ありがとう」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

少年は、世界の全てを知りたかった。

 

そんな願いを神様が叶えてくれたのか、能力開発で目覚めたのは、触れただけで、その機器の情報を操る能力――<微弱電流(タッチパネル)>。

 

以来、携帯電話の会話、ハードディスクの記録、あらゆる種類のカメラに映し出された映像……

 

街で誰かが話していることだって、伝導体に触れているかぎり、電気情報に変換して彼の元へ運ぶ事ができる。

 

ネットワークに繋がったコンピューターに何もかも流れてくる。

 

知りたくもないような嫌な光景や、汚い秘密も。

 

それでも、例え頭が破裂しそうになっても、彼はコンピューターから手を離そうとしなかった。

 

何故なら、何も分からなくなれば、全知ではいられなくなる。

 

そんな不安と恐怖に耐えられず、ますます情報の中毒性に取り憑かれていく。

 

故に、少年は行き過ぎた。

 

幸運にも、不幸にも、それを止めたのは情報だった。

 

それは、ある研究所。

 

正式名称は『特例能力者多重調整技術研究所』――通称、<特力研>。

 

そこは<多重能力者>の研究・実験を主体とした組織で、学生には1つしか発現できない能力を2つ以上同時に使えるようにしようというのが目的だ。

 

だが、『失敗』した。

 

延々と、成功するまでずっと実験を繰り返す。

 

能力開発は暗示や薬物すら用い、脳の構造に直接影響を及ぼす。

 

それが『失敗』するという事は、その脳の構造が破綻するという事。

 

下手をすれば、死ぬ事さえもできない。

 

完成された<多重能力者>という名誉のために研究者達に使い捨てられていく<置き去り>などの子供達。

 

その中の1人の少女。

 

血を血で洗う地獄のような実験に生き残った、否、生き残ってしまった“出来損ない”。

 

死ぬ事さえも許されない屍の上に立ち竦んで、血の雨を全身に浴び、アカイ涙を頬に伝わせる少女。

 

世の中には知ってはならぬ知識があり、それがそうだった。

 

そして、その少女の“目”が画面越しに合わさって――――――

 

 

 

 

 

 

 

そうして、少年は呪縛から解放された。

 

その力とその時の記憶を代償に。

 

直後、彼は<微弱電流>が使えなくなり、使えるようになってからもトラウマが枷になり、もうすぐ4だったLevel3からLevel2へ転落した。

 

それでも完全に中毒性が失った訳でもなく、失った力を求めて―――<七人の侍>と出会い、新たな力を得た。

 

 

 

「さあ、行くよ。『HsPS-15』改」

 

 

 

 

 

第10学区 ストレンジ

 

 

 

「ぐはっ!!」

 

 

現<ビックスパイダー>のアジトの扉が見張りの男と一緒に吹き飛ぶ。

 

そして、強引に開け放たれた入口から乗り込んできたのは、黒の革ジャンを着た癖のある赤毛の男。

 

男は周囲を見渡し、そこには武器を持った大勢の<スキルアウト>と―――

 

 

「く、『黒妻』さん! こいつは!? ―――って、どうしたんですか!?」

 

 

自分達のリーダーへ<スキルアウト>達は視線を集中させる。

 

が、黒の革ジャンを着た左頬に縦の傷跡があるリーゼントの男は、血相を変えて……

 

 

「く、黒妻さん……」

 

 

<ビックスパイダー>のリーダー、『黒妻綿流』。

 

その彼の口から、何故か自分自身の名前が零れる。

 

……違う。

 

『黒妻綿流』は、自分自身の名ではなく、目の前にいる男の名を呼んだのだ。

 

 

「蛇谷、久しぶりだな」

 

 

「嘘だ。……あんた死んだはずだ」

 

 

本当の名を、本物の『黒妻綿流』に呼ばれ、かつての<ビックスパイダー>の仲間、蛇谷次雄は恐れるように後ろへと下がっていく。

 

そのリーダーの様子に周囲の部下達は、この男を敵だと判断し、

 

 

「テメェ、『黒妻さん』に何しにきやがった!!」

 

 

一斉に襲い掛かる。

 

武器を持った多人数の<スキルアウト>と無手の男1人。

 

普通なら、男の私刑になるはず―――だが赤髪の黒妻綿流は圧倒的に強かった。

 

まず、銃を持っている奴に真っ先に突っ込んで発砲される前に右拳の一撃で、意識を刈り取り、

 

直後、横から鉄パイプを振り落そうとした野郎の腹に蹴りを入れ、さらに、肘で顎を打ち上げ、脳を揺さぶる。

 

しかし、3人が左右と背後から黒妻に掴み掛ろうとして来た。

 

集団戦では掴まれたら終わりだ。

 

身動きを封じられ一気に袋叩きにされてしまう。

 

が、この男は疾かった。

 

捨て身で来る男達から、低い姿勢で地面を蹴り、その手から逃れる。

 

ひたすら動き続けて、そうしながら、空振り直後の隙を見て、鳩尾に拳を突き入れ、腹に膝蹴りを入れて気絶させる。

 

身体能力と精神力、そして、何より、喧嘩慣れ、という点は、慣れない武器を振り回す男達にハッキリその差を見せつけた。

 

 

「お、おまえら! 何してんだ! 相手はたかが1人だ! こっちには武器もあるだろうが!!」

 

 

高い身体能力を、極めて冷静に扱う事に慣れている黒妻に、為す術もなくやられていく部下達。

 

その光景に、『黒妻』――蛇谷は叱咤の声をあげるが状況は変わらない。

 

もし一対一になれば、自分の負けはほぼ確定している。

 

 

「……蛇谷、お前変わったな」

 

 

牽制なのか、それとも臆したのか<スキルアウト>達は一定の距離を取り、その中心で自分を見て怯えるかつての仲間の姿にどこか悲しげに表情を歪ませる。

 

そして、

 

 

「お、おい! 起きろ! テメェも戦え!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その者は、騎士だった。

 

騎士の息子で、彼もまた将来を天才騎士として有望視されていた。

 

そして彼も、才に驕ることなく、初めてその剣を握った時から日々の鍛錬を休むことはなかった。

 

そんな彼にある日、父からある任務を言い渡された。

 

それは、この街の工作員―――スパイ。

 

所属していた組織の敵地とも言えるこの街で、元の世界とは隔絶している世界で、学生となり済まし、単身で潜り込む。

 

間違いなく危険、されど、彼はそれを受けた。

 

『我々は組織の礎にならんことを至上とす』それが父からの唯一の教えで、彼もまたその教えを遵守する高潔な騎士であった。

 

そして、旅立ちの時、彼は今までほとんど顔を合わせて会話する事のなかった父から数少ない彼と同等の称号が与えられた。

 

生まれて初めて認めてくれた――――とその時、思った。

 

 

 

しかし、それが彼の順風満帆な人生の転落の始まりだった。

 

 

 

彼は知らなかったのだ、いや、意図的に教えられなかった。

 

能力開発を受けた人間が、神からの祝福を享受できなくなる肉体になってしまう事を。

 

それを知った時にはもう、今まで積み重ねてきた才能が失われた後だった。

 

さらに、組織は、父はそれ以降、こちらとの関わりを全て断絶した。

 

血塗れになりながらも、術を行使し、何度も連絡を取ろうとしたが、数十回で繋がったのはたった一言だけ。

 

 

『堕落した者にもう用は無し』

 

 

異教を徹底的に廃する上層部は、己の存在を組織から抹消した。

 

そして、元より“そんな計画はなかった”と。

 

イギリスのとある施設で行われた実験の結果により、それはとっくの昔に埋められた過去の遺物となっていた。

 

彼は、騎士の血を引いてはいるが、その者の姓を名乗ることは禁じられ、母方の姓を名乗るように厳命されていた。

 

そう、これは父、『ランスロット』ビットリオ=カゼラが、娼婦と交わって生まれた汚点を隠蔽する為、そして、その息子の才能を妬んだ陰謀だった。

 

不吉な12番目――『イスカリオテのユダ』の席に懸けられた呪いの洗礼を受けてしまった『ガラハッド』。

 

伝承通りに彼が、神からの祝福を与えられるという事はなかった………

 

以来、騎士としての己を捨てたが、それでも元の世界とは異なる街に馴染む事ができず、能力開発で得られたのは<沈黙>――ただ、音を遮断するに特化した力……皮肉な事に神の声を拒絶した彼に相応しいものなのかもしれない。

 

ただ、己の無窮の武練と謳われた卓越した武技の冴えを失うのは惜しいと、けれど、あの剣の才能なく、分不相応の称号にしがみ付くに必死な忌々しい男と同じ騎士というのにも嫌悪している。

 

だから、彼は、侍の日本刀を己が得物とするようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふわぁ、眠い」

 

 

蛇谷に身体を揺さぶられ、日本刀を肩に抱きながら胡坐をかいた男が今、目覚めたと言わんばかりに欠伸をする。

 

十数人の<スキルアウト>が1人の男に翻弄される騒乱の嵐の中で。

 

まるで何も彼の聴覚を刺激する事が無かったかのように。

 

 

「なあ、アンタには昨日のウチのじゃじゃ馬を斬った借りがあるんだが、そこをどいてくれないか? なるだけ早く、そいつにちっとした用を済ませなきゃならないんだが」

 

 

この騒ぎを引き起こした黒妻綿流の眼光に射抜かれ、ようやく、薄目を開け、相手を認識するや立ち上がる。

 

 

「残念だが、私達は<ビックスパイダー>と同盟を組んでいる。ただでここを通す訳にはいかない」

 

 

鞘から刀を引き抜く。

 

その瞳に微睡みの色はなく、酷く冷めた感情だけが映し出されていた。

 

今のこの男の存在感は、巨大な巌だ。

 

喧嘩の場数を踏んでいる黒妻だからこそ良く分かる。

 

恵まれた体格と修練の果てに身に付けた動き、そして、この男には躊躇いが無い。

 

陽菜と対峙した際、人間なら誰でも無意識にしてしまう手加減を、していない。

 

精々、殺さぬように致命傷は避けてやる、といった所だ。

 

 

「……どうやら、腕の一本は覚悟しないといけないようだな」

 

 

壁となり、立ち向かう者は容赦なく斬殺する。

 

だが、時間がない。

 

ここで立ち止まるわけにはいかない。

 

避けては通れぬ相手に、黒妻は覚悟を決めた。

 

しかし、

 

 

「……確かにあんたは強い」

 

 

強力な助っ人に冷静さを取り戻したのか、偽の『黒妻』にして現<ビックスパイダー>のリーダー、蛇谷は、黒妻に向けて言い放つ。

 

 

「だがな!! そんなのは能力者と一緒だ!!」

 

 

蛇谷の叫びと同時に残りの部下達が一斉に拳銃を取り出した。

 

 

「数と武器にはかないっこねーんだ!!!」

 

 

複数の銃口が黒妻に向く。

 

『能力者狩り』で、高位能力者達にしてきた事と同じように、動きと能力を封じて武器で脅せば、誰でも集団の暴力にひざまつく。

 

このサムライ――ミハエル=ローグへ一瞬の隙を見せられない状況で、この―――とその時、

 

 

 

「待ちなさい!」

 

 

 

今の彼女の『居場所』に相応しい“ドレス”を着たお姫様が現れた。

 

王子様とダンスを踊りに。

 

 

 

つづく


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