とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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法の書編 行動終了

法の書編 行動終了

 

 

 

病院

 

 

 

思ったより当麻の体には大きなダメージが掛っていたらしい。

 

思ったより詩歌の精神には大きな疲労が溜まっていたらしい。

 

決着がついたと同時に、2人は兄妹仲良く同時に『婚姻聖堂』で倒れ、インデックスに見守られながら、救急車に乗せられ、特別対応とかの書類上のやり取りで時間を食いつつも、結局はいつもの学園都市、冥土帰しの元へと運ばれた。

 

気がつけば当麻はふかふかのベットの上で寝かされており、詩歌も隣のベットでぐっすりと寝ている。

 

 

(……詩歌って、睫毛長いんだな……)

 

 

艶やかで烏の濡れ羽色の柳髪は陽の光を反射して輝き、

 

シミどころかホクロすら見当たらない肌に桜色に染まる頬は、赤子のまま大きく育ったみたいに瑞々しくきめ細かやかで、

 

大和撫子のように清楚で整った目鼻顔立ちは言うに及ばず、

 

閉じられた瞼を彩る睫毛は驚くほど長くて、

 

儚い吐息は妖精のような甘美な囁きのようで、

 

心身ともに染みわたるような心地良い幸せの香りを漂わせる。

 

そして、貴重な詩歌の寝顔は、どんな人間をも虜にする、王子様の目覚めキスを待ち続けている白雪姫のようだ。

 

 

(……いやもうホント、妹じゃなかったらなあ……ま、俺の妹じゃない詩歌と言うのも想像がつかないけどな)

 

 

本当、彼女の“兄”であるという事は最大級の幸せでもあるが、世界で最も不幸なことなのかもしれない……

 

と、当麻がそのままの体勢で妹の安らかな寝顔へ顔を向けながら、ぼんやりする頭で考えていると、ふと近くに人の気配があるのに気付いた。

 

小さな吐息や衣服が僅かに擦れる音などが耳に届く。

 

温かくて柔らかい手が、当麻の前髪を軽く撫でるのが分かった。

 

 

「土御門は腹を抱えて笑っていましたが―――」

 

 

誰かの声が聞こえる。

 

 

「―――やはり、こういうものはいい事だと思います」

 

 

僅かに名残惜しそうな声音と共に、前髪を撫でる手の動きが音もなく止まり、当麻の頭から離れた。

 

掌の体温が消えていく。

 

当麻はゆっくりと反対側へ顔を向けて、

 

 

「神裂か?」

 

 

「お、起きてしまわれましたか。このまま立ち去るつもりだったのですが」

 

 

神裂は当麻の声に、ほんの少しだけ驚いて身を引いた。

 

彼女は今までベットの近くに置いてあった見舞い客用のパイプ椅子に座って彼の顔を覗き込んでいたようだった。

 

当麻は上半身をベットから起こし、眠気を飛ばすために首をぶんぶんと振り回す。

 

時間は明け方のようだった。

 

蛍光灯を切った暗い病室に、窓から朝焼けの光が木漏れ日のように差し込んでくる。

 

ベット横のサイドテーブルには何か高級そうなお菓子と書き置きのメモがある。

 

当麻があちこち視線を漂わせていると、神裂はパイプ椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

元々長く居るつもりはないようだ。

 

 

「……、あー」

 

 

当麻はぼーっとする頭の歯車をくるくる回す。

 

改めて神裂の姿を見ると、彼女はいつも通り、おへそが見えるように脇を絞った半袖のTシャツに片方だけ太股が見えるようにカットされたジーンズという格好だった。

 

絞っているためTシャツは余計に胸の大きさを強調しているし、太股はかなり際どい寝元まで見えているし相変わらずエロいなーと思ったが口に出すと神裂に殴られそうだし、白雪姫が残忍な狩人となって襲いかかってきそうだ。

 

当麻は意識を他に映し、サイドテーブルにあったメモに目をやり、

 

 

「とりあえず、書き置き……?」

 

 

言った瞬間、ビュバッ!! と恐ろしい速度で神裂の手が書き置きの小さな紙を奪い取った。

 

スポーツ工学的に言ってありえない新記録だった。

 

神裂は顔を真っ赤にすると目をあちこちに逸らしつつ体中から変な汗を出してグシャグシャグシャグシャ!! と小さなメモを極限のスピードで丸めていく。

 

 

「べっ、別に何でもありません。こうして直接話す機会ができたのですからこの書き置きはもう必要ないでしょう?」

 

 

「??? でも……」

 

 

「良いでしょう、もう。こういうものは改めて目の前で読まれると知ると途端に恥ずかしくなってくるものなのです」

 

 

神裂は丸めた書き置きをゴミ箱へ投げようとしたが、ふと思い留まってズボンのポケットに突っ込み直した。

 

そこまで読まれたくないものなんだろうか、と当麻は首を傾げる。

 

神裂は豊かな胸に片手を当てて一度だけ深呼吸すると、元の表情へ戻っていく。

 

 

「お体の方は仔細ないでしょうか?」

 

 

「なんつーか……中途半端に麻酔が残ってて痛むトコとか分かんねーし……まあ、大丈夫だろ。詩歌のヤツもぐっすり寝てるしな」

 

 

「はい。勝手ながら、彼女には天草式の回復術式をかけさせてもらいました。それに、食事による術的な回復方法も用意しました……しかし、あなたにはどうもうまく作用しないようです……」

 

 

そう言えば、詩歌の横テーブルに重箱みたいのが置かれてたな、と思い出し、

 

 

「……何でお前が謝ってんだか。むしろ、詩歌のために色々としてくれたんだろ? ありがとな。って、寿司とかハンバーガー食べたら傷が治るのか。すげーな天草式、RPGの回復アイテムみたいだ」

 

 

「はぁ……???」

 

 

たとえが良く分からないのか、神裂は珍しく曖昧かつ適当な返事をする。

 

 

「ところでステイルのヤツは?」

 

 

「すでに街を出ております。何でも煙草の買えない街には長居したくないとか。ここは年齢確認が厳しくてやり辛いといつもいつも愚痴を言ってますよ」

 

 

それが普通なんです、と当麻は心の中でツッコミを入れつつ、

 

 

「でも、それならお前が買ってやれば良いんじゃねぇの?」

 

 

「私も18ですから、煙草は買えません」

 

 

 

…………………………………………………。

 

 

 

「何故そこで信じられない顔をするのです? その耳掃除のジェスチャーは何ですか?」

 

 

「うっそだぁ! そりゃいくら何でもサバ読み過ぎだろ、お前どう考えたって結婚適齢期を過ぎちゃってるようにしか見えなひいいぃぃぃっ!?」

 

 

言い終わる前に超高速、コンクリートの塀にすら軽く穴を開ける神裂パンチが当麻の顔面すぐ横を突き抜けた。

 

身構える事すら追いつけずにぶるぶると震える上条に、神裂はいつも通りの平静な顔のまま、

 

 

「18です」

 

 

「18ですよね! 女子学生なのに攻略可能なアダルティ! 神裂センパーイ!!」

 

 

がちがちと歯を鳴らしながら必死に笑顔を作る当麻に、神裂はものすごく疲れたような溜息をはいてグーを引っ込める。

 

 

「……やはり書き置きで済ませておけば良かったような気がします。このままではいつまで経っても話が本題に入りません」

 

 

「本題?」

 

 

「はい。事後報告と言うか……オルソラ=アクィナスの動向などを伝えに来たのですが、余計なお世話でしたでしょうか?」

 

 

「聞く! 是非に!!」

 

 

当麻が身を乗り出して即答すると、話題に対する喰い付きの良さに神裂はほんの少しだけ力を抜いて、

 

 

「まずはオルソラ=アクィナスの<法の書>の解読法が“間違い”である事が判明しました」

 

 

 

 

 

 

 

当麻達が倒れた後、不信感を抱いたインデックスがオルソラの<法の書>解読法を確かめたらしい。

 

 

基本はテムラー、つまり文字置換法。

 

それが変速ルールとして行数が深く関わりがある。

 

なので、まずは、ヘブライで使われる22文字を二列に配し、その上で行数に着目して……

 

……つまり文字がページ内の何行目に書かれているかによって文字置換パターンが変化するためややこしく見えるだけで、現にページ数が変わっても同じ行数の文章には同じ法則で置換が行なわれており……

 

行数文字置換パターンを駆使して変換された文節を、今度はページ数に合わせて並び変え……

 

そうする事によってようやく一つの文章ができ、タイトルは『二つの時代の終わり』。

 

収録内容はエノク言語を用いた肉体の天使化術式……

 

これがオルソラの解読法―――だが、これは……

 

 

『これ、正しい解読法じゃないの。トラップとして用意されたダミー解答だよ』

 

 

インデックスもここまでは辿り着いていた。

 

しかし、<法の書>にはダミー解答は山ほど、なんと“解読法が100通り以上”ある。

 

しかも、解読法ごとに違う文章になっていて、その全てが偽物(フェイク)

 

本当は誰でも読めるけど、誰もが間違った解読法に誘導されてしまう。

 

<法の書>の表紙にはタイトルと一緒にある一文が英語でこう記されている。

 

それが……

 

 

『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』

 

 

つまり<法の書>とは本人が“正しいと思い込んだ解読法則”によって、無数の“偽りの正解”の文書が浮かび上がってしまう恐るべき魔導書。

 

だからこそ、インデックスは執筆者であるアレイスター=クロウリーを除いて、解読できそうなのは万物に愛される<幻想投影>、上条詩歌しかいない、と考えていた。

 

インデックスにより真実を告げられ、オルソラの顔からあらゆる希望が消えてしまった。

 

命を賭けてまで解読に挑み、そこで得た知識は皆を幸せにできると信じて、諸悪の根源である魔導書の<原典>を必ず処分すると誓い続けてきたのに……

 

頭の中に抱えていた最大の宝物である“解読法”は無価値だった。なんという呆気ない幕切れなのだろう。

 

 

「そうか……残念だったな」

 

 

「しかし、考えようによっては救われたのかもしれません。もう、これで彼女を狙う理由はなくなったのですから。それでもローマ正教の報復・暗殺を防ぐためにオルソラ=アクィナス、及び天草式十字凄教はイギリス清教の傘下に入る事で話を収めました」

 

 

当麻はアニェーゼと、その下についていたシスター達の姿を思い出す。

 

 

「って事は何か、これからもオルソラの危険な立場は変わらないってのか?」

 

 

「いえ。裏では狙う素振りを見せるでしょうが、裏の裏では狙う意識は薄いでしょう。イギリス清教側は、オルソラの持っていたニセの“解読法”を魔術世界中に公開しました。それが誤解だと分かれば彼女が<法の書>絡みで追われる心配もなくなるかと思われます」

 

 

そうなると、もし、オルソラが本当に<法の書>の暗号を解いていたら、彼女は全世界から狙われていた訳だ。

 

怪我の功名とでも……ん?

 

 

「詩歌は大丈夫なのか!? だって、あいつ異能なら触れただけで……」

 

 

「確かに、上条詩歌の力は驚異的です。しかし、イギリス清教を除いて彼女の力の全容を知る組織は限りなく少ないでしょう。それに彼女は科学側の人間です。迂闊に刺激するのは避けておいた方が賢明……と、土御門がローマ正教及び各組織へ情報工作しているかと。絶対とは言いませんが、ある程度の信頼はできるでしょう」

 

 

妹のためにも頑張るぜい、と脳裏で土御門がにゃーにゃー言っている姿が思い浮かぶ。

 

まあ、土御門は嘘吐きではあるが、この事に関しては信頼しても大丈夫だろう。

 

そこで、ですが、と神裂は区切り、少し視線を伏せ、

 

 

「詩歌を巡って全世界から狙われる可能性は0ではありません。彼女の力は私から見ても驚異的でその才は莫大な利益をもたらすでしょう。それ故、科学側との衝突というリスクを冒してまでも奪いに来てもおかしい事ではありません……もし、そうなれば……―――」

 

 

そこで神裂は未だベットで眠っている詩歌を視線で指し示す。

 

 

『私、火織さんの気持ち少しだけ分かります』

 

 

と詩歌が言っていた。

 

詩歌は神裂が自分と近しい存在だと気付いているのだろう。

 

なら、逆に神裂も詩歌の事を……

 

 

 

 

 

「―――詩歌はあなたの許からいなくなるでしょう」

 

 

 

 

 

しん……、と病室が静まり返る。

 

確かに。

 

確かに、詩歌なら自分の存在が周囲の大切な人達を脅かすというならば、その存在を消す。

 

かつて、天草式を去った神裂のように、詩歌も当麻の許から去る。

 

神裂なら容易に想像がつく事なのだろう。

 

だが、しかし、

 

 

「放さねぇよ」

 

 

当麻は神裂に、そして、

 

 

『仕方ないんです』

 

 

その先にいる悪夢の中で見た最悪の幻想へ、

 

 

「俺は詩歌の兄だ。妹離れできない愚兄だ。でもな、いずれは男を見つけて、俺の下から離れていく。そんな当たり前の事が分からねぇほど馬鹿じゃねよ。兄妹っつうのはそういうもんだしな。その時は……一発、いや、納得のいくまで彼氏(そいつ)を思いっ切りぶん殴るが……最後は笑って祝福してやる覚悟はできてんだ」

 

 

―――だがな、

 

 

「世界中から狙われるからいなくなるっつうなら話は別だ。詩歌をぶん殴っても絶対に止めてやる。魔術だろうが、科学だろうが、たとえ世界が敵になってもこの右手で、そんなくだらねぇ幻想ごとぶち殺す」

 

 

手放さない。

 

たとえ力不足だろうが何だろうが、何が何でも手放さない。

 

最悪の幻想(よげん)を極限まで潰すように当麻は、300人を黙らせた右手を力の限り握り締める。

 

神裂は、それを見て、そうですか……、とどことなく嬉しいような、それでいて少しだけ羨ましいような表情を浮かべる。

 

自分の言えた義理ではないが、詩歌を放さない、いや、逃がさないで欲しい、そう強く神裂は思う。

 

彼女は自分と似ているが、違うのだ。

 

天草式を去った事に………後悔はない。

 

でも、彼女には自分が進んできた道ではなく、別の道を歩んで欲しい。

 

と、そこで当麻は話を元に戻す。

 

 

「そう言えば、天草式もイギリス清教の傘下に収まるんだよな?」

 

 

「はい。いくら本拠地が隠されてるとはいえ、真っ向からローマ正教と敵対してもメリットはありません。まったく、どうも彼らは心のどこかでこの展開を望んでいた節があります。例えば……覚えてますか? 建宮斎字の着ていたTシャツ。白地に、歪んだ形で赤い十字架が描いてあったでしょう」

 

 

「……、そうだっけ? 言われてみればそんな感じもするけど」

 

 

「描いてあったんです。そして赤い十字架は聖ジョージの印―――つまり、イギリス清教のシンボルです。それをまとって戦う事で、イギリス清教に属する私の元につくという意思表示でもしたかったんでしょう。まったく……私の後は追うなときつく厳命したはずなのですが……」

 

 

神裂は呆れたように、溜息を吐いた。

 

 

「そっか……お前もイギリス清教の一員だもんな」

 

 

当麻は感心し、そして、『大切なものに変わりはない』、その答えが間違っていないと強く思う。

 

そして、神裂はもう一度『まったく』と口の中で呟き、どこか親離れできないような子供を見るような表情を浮かべていると、彼女は気付いているのだろうか。

 

そう約束した時、『全く、しょうがないお兄ちゃんですね。ホント』と詩歌が自分に向けた時と同じような表情を。

 

 

「でも、神裂的にはそれで良いのか? 天草式だって小っちゃいけど、きちんと独立した一派だったんだろ。それが大企業に吸収合併されるみたいな形になっちまって」

 

 

「傘下と言っても天草式の聖典や教義を捨てろと言うほどのものではありません。言わば大名の下に武家がつくようなもので、『天草式』という枠組みは残りますよ。それに、元々天草式は時代時代に合わせて最も適した形に変化する事で歴史の中に隠れ潜んできた宗派です。1つの形にこだわる必要なありませんから、彼らが住みやすいのであればどんな風になっても嫌いません」

 

 

それでも、神裂は今まで自分がトップとして君臨していた小さな社会を、守るべき人々のために何の躊躇いもなく手放したのだ。

 

こういう所を見てると、大人ってカッコイイなーと当麻は思う。

 

一応18歳らしいけど当麻にとっては18も立派な大人だ。

 

と、つらつらと考えている当麻の前で、神裂は姿勢を正して深く頭を下げた。

 

『ぺこり』とか可愛らしいものではない。

 

彼女は頭を下げっ放しにしたまま、

 

 

「ええと、あの、今回は、その、すみませんでした」

 

 

「は? え、何が? 何で頭下げてんの? 何がすみませんでしたなの?」

 

 

寝起きでいまいち頭が良く回っていない当麻としては、『女の子が自分に向かって頭を下げている』という光景がとんでもなく怖い。

 

自分が何だかすごく悪い事をやってるような気分にさせられる。

 

と、神裂は珍しく歯切れの良くないような声で、

 

 

「ですから、あの、今回は、つまり、一身上の都合で、あなた達に、色々とご迷惑をおかけしてしまった、というか……」

 

 

ものすごく慣れていない感じの台詞だった。

 

ぼーっとしている当麻の頭は、とにかく神裂は今困っているらしい、という核のみを切り取って状況を判断すると、

 

 

「あれ、ごめん神裂。俺なんかお前に迷惑かけてる? だったら謝るけど」

 

 

「い、いえ、違うんです。ここであなたに謝られては本格的に私は立つ瀬がありません。ええと、そうではなくて、話を本題に戻すと、つまりですね―――」

 

 

よほど言い難い事なのか、神裂は前髪を指でいじりながら口の中だけで自分の言葉を呑み込んでしまっている。

 

と、神裂が意を決して何かを言おうとした瞬間、夜明け時だというのに病室のドアがスバーン!! とノックもなしに勢い良く叩き開けられた。

 

そこにいるのはアロハシャツに青いサングラスの大男。

 

土御門元春は何か見舞い品らしき物が入ったビニール袋と手提げ袋をぐるんぐるん振り回しながら、

 

 

「ふーんふふーんふふーん!! 同志カミやん、遊びに来たぜい。メロン一個は高すぎるから小さなカットメロンの乗ったコンビニデザートの豪華プリンで我慢せよ」

 

 

当麻は神裂から土御門の方へと視線を移動させつつ、

 

 

「おい、静かにしろよ。詩歌のヤツまだ寝てんだぞ。それに、お前もあと何時間もしない内に学校始まるけど寝なくて大丈夫なのか?」

 

 

「大丈夫大丈夫。同士のため、妹のためならどんな苦労も厭わないのにゃー。ほい、カミやん忘れ物だぜい」

 

 

と、若干声のボリュームを落としつつ手提げ袋の方を当麻へ手渡す。

 

 

「ん? 何だ? 何が入ってんだ?」

 

 

と、覗きこんでみると綺麗に折り畳まれたメイド服があった。

 

 

「うんうん。カミやんもとうとう妹にメイド服を着せる良さが分かってくるなんて、やっぱりカミやんはシスコン軍の栄えある同志なんだにゃー」

 

 

確かに、これは詩歌が着ていたメイド服。

 

だが、

 

 

「違ぇよ! 俺は妹にコスプレさせる変態じゃねぇって何度も言ってんだろ! メイド服は詩歌が自分の意思で着たんだ! 俺は何もしてない。大事な事だからもう一度言うぞ。お・れ・は・な・に・も・し・て・な・い」

 

 

声のボリュームを抑えつつ怒鳴るという器用な真似をしながら当麻は今回の事件を振り返る。

 

メイド服の姿の詩歌を見て、一体、何度、変態だと言われた事だろうか。

 

ご主人様と呼ばれているのを聞かれて、一体、何人から白い目で見られた事だろうか。

 

今回の戦いで当麻はシスコンLevel5の変態の称号を得たのかもしれない……

 

と言っても、当麻も当麻でこっそりメイド姿の詩歌の写真を撮っていたりもするのだが(あくまで父、刀夜のため)。

 

しかし、最も知られたくない奴に知られてしまった。

 

これは土御門との論戦も止む無し、と思ったが、

 

 

「おっと、ごめん神裂。なに言おうとしたんだっけ」

 

 

当麻を不審の目で見てた神裂は、うっ、と彼の言葉を受けて僅かに怯んだ。

 

それから横目で土御門をチラチラと見ながら、こいつの前で言うのか、何でこのタイミングでやってくるんだというオーラを発信する。

 

と、土御門は土御門でこの場の空気を敏感に感じ取ったのか、

 

 

「おおう。何だねーちん、ついにカミやんに平謝りする時が来たって感じですかい? どうせまたベッタベタの王道的にも『今までかけた迷惑の借りを返します』とか『何でも言いつけてください』とかって進言するつもりなんだぜい。ぷっ、だっはっはっは!! やーい、この鶴のエロ返し!」

 

 

「ちっ、違います! 誰がこんな常識知らずの子供にそんな台詞を吐きますかッ!!」

 

 

「……、こんな、じょうしき、しらずー~~……」

 

 

ごーん、と当麻が効果音付きで項垂れると、神裂がビクッと肩を震わせて、

 

 

「あ、いえ、だからそういうつもりで言ったのでは……。そうではなくて、今のは土御門の暴言を撤回させる為だけに使った言葉ですので、恩を返すという部分は、ええと……」

 

 

「でも結局ねーちんは脱ぐんでしょ?」

 

 

「ぬ、脱ぎませんよ! 結局ってどういう意味ですか!?」

 

 

「え、じゃあお詫びにどんな服でも着るっていう方向で? サービス精神満点だなぁ」

 

 

「あなたはちょっと黙ってなさい! そういう風に歪んだ解釈をするからややこしくややこしくなっていくんでしょうが!!」

 

 

ぎゃあぎゃあと(当麻から見ると)楽しそうに大騒ぎしている2人をやや遠巻きに、当麻はぼーっと眺めていたが、ふと頭の中の歯車が変な所でカチリと噛み合う。

 

 

……、お詫びにどんな服でも?

 

 

(い、いや駄目ですよ神裂さんはなんか真面目な話をしようとしてるっぽいですよ茶化せる雰囲気じゃないですよほらほら年上のお姉さんにコスプレなんてうん夏の海でインデックスが着てたみたいな場か水着を着せたらどうなるかとか5秒で浮かぶテキトーな妄想はとっぱらってとっぱらって!!)

 

 

「……、何か、そちらからドロドロと煮詰まったオーラを感じるのですが」

 

 

「いや何でもねーです! 冷静に考えたらあんなもんを男の手でレジまで持ってくだけでわたくし上条当麻の人生は崩壊するに決まってますとかそんなのは全然考えていませんってば!!」

 

 

「???」

 

 

神裂は意味不明なワードに対処しきれず首を傾げていたが、土御門はニヤニヤ笑いながら、

 

 

「くっくっくっ、さあ汝の望みは何だ! 妹では味わえない年上の膝枕で母性本能丸出しの耳かきか! お姉様の意外にも小さくて可愛らしいお手製弁当かッ!!」

 

 

「やめてーっ! 野郎同士の馬鹿トーク中ならともかく女の子の前で俺のピンポイントを暴かないでーっ!!」

 

 

「土御門。何だか状況は理解できませんが、怪我人を悪い方向に刺激しているみたいですし、詩歌の安眠を妨害するようなのであなたはちょっと病室から出てって下さい」

 

 

「な、まさか詩歌ちゃんがいるのにナニすんの? おっ、まさかーっ!」

 

 

ピッカァ!! と土御門の両目が輝いて、

 

 

「ここはねーちんがウサちゃんカットしたリンゴを優しく食べさせてあげるシーンか! しかもリアルでやるとグロいけど口移しで? ごめんなんか配慮が足りなくて!」

 

 

「違います !勝手に解釈して勝手に気まずくならないでください」

 

 

「え、なに。じゃあ、詩歌ちゃんの寝汗をフキフキ? さっきも、寝ている詩歌ちゃんに包帯をグルグル巻いたんでしょ? 」

 

 

「違います! さっきのはあくまで回復術式のためです! 勘違いしないでください!」

 

 

「でも、すぐ横で妹が百合百合しい展開ってのは、ご褒美というよりも、ちょっと……カミやんが可哀そうだにゃー……」

 

 

「もう! いいから黙って消えなさいッ!!」

 

 

建宮斎字辺りが聞いたらどんな顔をするか予測もできないような、いや、その前にそんなに五月蠅かったら詩歌が起きると思うような大声が飛ぶと、土御門は笑って病室を飛び出していった。

 

幸い、詩歌は未だに安らかな寝息を立ててる。

 

さっきとはシリアスの欠片もないが、途端に、しーん、と静まり返る早朝の病室。

 

怒りでぜーぜー吐息を吐いている神裂の後ろ姿を見ながら、当麻はぶるぶる震えて思う。

 

土御門、ああ土御門。

 

お前はきっと場の雰囲気を少しでも和ませようと思ってそんな事を言っていたんだと思うんだけどいくら何でも投げっ放しはないんじゃないか、と。

 

 

「あ、あのー、神裂さーん? よ、よろしいですかー?」

 

 

「……、何ですか。何故敬語なんですか」

 

 

「ま、まさかと思いますけど、恩を返すとか貸しとか借りとか、そんなアホみたいな話は土御門の冗談の中だけですよね?」

 

 

土御門と同じように怒鳴られるかと思って身構えていた当麻だったが、意外にも神裂はポツリポツリと歯切れの悪い声で答えた。

 

 

「ですが、他に、どうしろと言うのですか……あなた達、兄妹は本来、私達に守られるべき一般人であるはずなのに、こんな手傷を負わせてしまって。もう、単に頭を下げれば許される次元をとっくに過ぎている事ぐらいは私にも分かります。ですから……」

 

 

自分の言葉が自分に刺さるのか、神裂の台詞は長引いていくにつれてどんどん細くなっていく。

 

意外にもそれが困った時の癖なのか、神裂はまたしても前髪を軽く指でいじくり回した後に、疲れたように自分の頭をグシャグシャと乱暴に撫でて、重たい息を吐く。

 

以前、2学期が始まった初日早朝、『海原』の件で自分の甘さを責めた詩歌のように……

 

当麻としてはこういう事後の関係はずるずると引きずらず、土御門のように『おつかれー。じゃっ♪』と無責任に立ち去ってくれた方がありがたかったりするのだが、神裂的道徳心ではそういう訳にもいかないらしい。

 

全く……本当にこういう妹に似ている反応を見せられると困る。

 

 

「!?? いきなり何を」

 

 

当麻は神裂の頭を優しく撫でる。

 

優しく、丁寧に、ゆっくりと……

 

頭を撫でられるという免疫がないのか、顔を真っ赤にしてあわあわする神裂を無視して当麻は、当たり前の事を諭す様に言葉を紡ぎ出す。

 

 

「っつか、本題ってこういう訳だったのか」

 

 

「はい。生来、私は他人様に迷惑をかけやすい性質なのですが、とかくあなた達兄妹に関しては毎回毎回ありえないほど重石を背負わせてしまって、その度に身が縮む思いをしています。しかも今回は私のみならず天草式全体を含む私達の問題にまで巻き込んでしまって」

 

 

「うーん。でも気にする必要はねーんじゃねーの? その俺達の問題は、とりあえず無事に済んだんだし、俺達の中にも目立って傷を負ったヤツもいなかったんだから」

 

 

その言葉に頭を撫でられてる事も忘れて、神裂は驚いた顔をする。

 

彼女は両目をぱちぱちと瞬かせてから、

 

 

「俺達、って……?」

 

 

「ん? だから、俺と詩歌と天草式。あー、イギリス清教もそうか。あとはオルソラとインデックスとステイルと、それからお前。とりあえず、これが今回の“俺達”だろ」

 

 

「……、」

 

 

神裂火織は言葉を失う。

 

まるで絶対に解けないと思っていた難解な問いを、目の前で一瞬で解かれたように、

 

 

「何驚いてんだか。イギリスとかローマとか、そんなの俺も詩歌も考えちゃいねーよ」

 

 

対して、上条当麻はろくに考えもせずに続けた。

 

まるで深く考える必要もないほど簡単な問題だと言うかのように。

 

 

「別に俺達はイギリス清教所属のインデックスの味方をしてる訳じゃねーんだよ。インデックスがイギリス清教に所属してるから、とりあえずそこの味方をしてるだけだ」

 

 

神裂の頭から手を離し、当麻は笑って断言する。

 

 

「多分、今度アニェーゼが助けてって言ったら俺は助けに行くぞ。詩歌もきっとそう考えているはずだ。今回はたまたまアイツが悪かったけど、アイツがこれからもずっと悪くあり続けなきゃいけないなんてルールはどこにもないんだからな」

 

 

神裂は思わず驚いたような顔をして、それから困ったように小さく笑った。

 

彼らの行動理由はこれ以上ないぐらい単純で、馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれないが、それ故に、上条当麻は、上条詩歌は決して己の道を迷わない。

 

絶対に。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

さて………神裂が去ってからしばらくして、ふと思う。

 

良くあんなに騒がしい環境で寝れてたな、と。

 

 

「いえいえ~、あんなにうるさかったら疲れて熟睡中の私も目が覚めちゃいますね」

 

 

そんな心の疑問が聞こえたのか、横から声が聞こえてきた。

 

 

「し、詩歌さん。起きていらしたんですか?」

 

 

当麻はギギッ、と首を隣へ向ける。

 

そこには上半身を起こして、ニッコリ笑いながらこちらを見ている詩歌の姿があった。

 

 

「はい♪ 当麻さんが起きてすぐ。もう、恥ずかしい事を平気な事で言うんですから、起きるタイミングを見逃しちゃいました♪ まっ、でも私まで起きちゃったら火織さんがよりあわあわしちゃいそうでしたからね。空気を読んで正解です」

 

 

どうやら、敏感に空気を感じ取って寝てる振りをしていたらしい。

 

体力全開で快適な目覚めにゴキゲンの詩歌さん。

 

でも……

 

 

ド ド ド ド ド ド・ ・ ・

 

 

背後に阿修羅が浮かんでいるのは何故だろうか?

 

 

「にしても、女性の髪に許可なく触れたり、火織さんってエロいなーとか、危ない水着を着せたらどうなるんだろうなーって妄想するなんて、ね……本当に……」

 

 

(ば、ばれてる!?)

 

 

何も言わなくても視線で通じる。

 

心の声も丸聞こえ。

 

詩歌の恐るべき第六感!

 

 

「本当に良かったです…………………ここが病院で」

 

 

ポツリ、と彼女が呟く。

 

何だろう……ここが病院だと言うのに死の危機が身近に迫っているような気がする。

 

ナースコールって押してから何秒くらいに来てくれるのかな……

 

 

「当麻さん、懺悔の言葉を聞きましょう。幸い、今の私はシスターの服を着ています。どうぞ思う存分に“最後の”懺悔をしてください」

 

 

胸の前で十字を切って両手を組む聖母が1人。

 

完璧な微笑みではあるが完璧であるが故にキレている事が分かる。

 

当麻は頭を抱えそうになった。

 

これは爆弾だ。

 

しかももう導火線に火が点いている。

 

早く対応しなければ物語が終わってしまう! と当麻は本能的に察した。

 

 

「詩歌さん……あれは土御門のせいと言うか。あくまで思っただけというか。思ってしまうのはどうしようもないと言うか……えー、と……思想の自由は当たり前の人権だと思うのですが、見逃してもらえませんでしょうか?」

 

 

頼む、神裂、今すぐここに来て詩歌を止めてください。

 

それが上条当麻が何より嬉しい恩返しです。

 

と、強く念じるが誰も来ない。

 

もう……アニェーゼやビットリオ率いる300人のローマ正教を相手するよりも、3体の<魔女狩りの王>と対峙するよりも、ここにいる妹を相手するよりはずっとましだ。

 

 

「ふふふ。当麻さん、寝言を言うなんて、まだ頭が起きていないようですね。仕方ありません。早速“ラジオ体操”でもしましょうか? すぐ目が覚めるように、ね?」

 

 

 

 

 

 

 

「あ、毎度、言って…おりま……」

 

 

「いっちにー、さんしー♪」

 

 

「すがと、とととt……ま、さんは……」

 

 

「ごーろく、しちはち♪」

 

 

「そこ、まで…体は…まが―――」

 

 

「はい、大きく体を捻ってー♪」

 

 

バキ ボキ メギギギィ

 

 

何だか人間が出しちゃいけない音を立てながら、当麻の体が捻りパンのようになり、

 

 

「――――ガグォオオオォオォォオオッッ!!!」

 

 

「今度は逆回転♪」

 

 

ゴキョッ グギィッ

 

 

「――――――」

 

 

このままだと来世は軟体動物に……

 

どうやら、詩歌流ストレッチ、当麻の関節と阿鼻叫喚が音色となる“ラジオ体操”はあまりの激痛に目が覚めるよりも意識を失う方が早そうだ。

 

と、当麻はそう強く思いながら逝った。

 

 

 

 

 

ロンドン中心街

 

 

 

空から見たら、その色とりどりの傘がそこら中にある光景が見えるだろう。

 

イギリスの天気は変わりやすいのだ。

 

4時間で天気が晴れから雨に、雨から晴れに変わる事も多く、晴れた日でも傘を持って出かけるのは珍しい事じゃない。

 

現に、今のロンドンは夕方から夕立の雨に一変している。

 

しかし、この女よりは分かり易いに違いない。

 

その雨の中をステイル=マグヌスとローラ=スチュアートは歩いていた。

 

ステイルはコウモリのような黒い傘を、ローラは白地に金刺繍の入った紅茶のカップみたいな傘を差している。

 

 

「別にランベスの宮へ帰るだけなら運転手でも回してくれば良いでしょうが」

 

 

「雨の厭い人はこの街に住んでいられずなのよん」

 

 

ローラは楽しそうにくるくると傘を回しているが、それは間違いなく偏見だ。

 

現にステイルはこの霧のような雨があまり好きではない。

 

傘を差してもすぐ濡れるし煙草は湿気るし、悪い事ばかりだ。

 

ステイルは火の点きにくくなった煙草の先端を見つめて溜息をつく。

 

今は自宅へ帰宅途中のローラの後を追って、帰る道すがらに、ある一件の結果報告をしている所だった。

 

好きな時間に大聖堂へやってきて好きな時間に大聖堂から帰っていく自由奔放なこのイギリス清教<最大主教>サマは、どうも一ヶ所でじっとしているのが苦手らしく、報告なり作戦会議なりは街を歩きながら、というパターンが非常に多い。

 

ステイルとしては、いちいち奇襲や傍受を防ぐための細工をするのが面倒で仕方がない。

 

今も二人の傘には細工がしてあって、電話ボックスと同じような機能がつけられており、互いの声は布地が震える事でその振動を『声』に変換して、傘という『枠』の外に決して『声』が漏れないようになっている。

 

 

「―――以上が本件の概要です。ローマ正教側は、この件はアニェーゼ=サンクティス率いるシスターとビットリオ=カゼラが率いる十三騎士団の一派、以下302名による武装派閥の独走、という形でケリを着けるつもりですね。あくまで彼女達が勝手にやった事で、ローマ正教全体としてはオルソラを暗殺する気はなかったと弁明したいようです」

 

 

「内の部下の手綱を掴みきれねばお咎めナシという訳にはいかないはずなんだけどね」

 

 

ローラは苦笑しながら指先を髪でいじっていた。

 

荘厳と呼ぶべき美しい髪は、雨滴を受けた蜘蛛の糸のような妖艶さを醸し出している。

 

ステイルはチラリと目だけを動かして隣のローラを見ながら、

 

 

「……、あそこまでする必要はあったのですか?」

 

 

「気になりたるのかい? 私がオルソラと天草式十字凄教の棒組どもをイギリス清教の正式メンバーと呼び迎えし事を」

 

 

「わざわざ僕達の手で守らなくても、向こうが正式に『やるつもりはなかった』と声明を出している以上、今後オルソラ達には不用意に手は出せないでしょう。今の状態で彼女達が不自然な死を遂げれば国際教会レベルの問題に発展すると思いますけど」

 

 

「じゃ、不自然でない死なら果遂せしめるのかしらね」

 

 

ローラはニヤリと海賊みたいに野蛮な笑みを浮かべた。

 

その顔と表情のギャップにステイルは言葉が詰まりかけた。

 

 

「思えば、あなたはローマ正教の真意を全て知っていたようですね。だったら何で最初からオルソラ=アクィナスをローマ正教から助けろと命を下さなかったんですか……そう言ってくだされば……」

 

 

苦虫を噛み潰すようなステイルの横顔へ流し目を送りながら、

 

 

「全部ではないわ。まさかオルソラの解読法が誤っていようとまでは思ってなかったの」

 

 

でも、とローラは続けて

 

 

「私としては、別にいずれでも良かったのよ」

 

 

ステイルはローラの顔を見た。

 

彼女は純白の傘をくるくると回しながら、

 

 

「仮に、よ。ステイル。今回の件で私達がオルソラ救出が失敗したる所で、何か事態は変化せしめたかしら? 彼女がローマ正教の元へ帰されたれば、どうせ後には処刑が待っているわ。成功しようが失敗しようが、どの道<法の書>が解読されし事はないでしょうに」

 

 

だから、オルソラの生死はどちらでも構わなかった。

 

そんな小さな問題は知った事ではないと。

 

 

「だったら何で<最大主教>自らオルソラに十字架を渡せなんて指示を出したんですか。あれだけ差し迫った状況下で作戦数をさらに増やしてまで、なんだかんだ言って最初から助ける気満々だったじゃないんですか?」

 

 

「うっ」

 

 

「増援がやけに少なかったのも気になりますね。まぁ大方、日本海洋上の辺りにでもこっそり<必要悪の教会>の大部隊でも配置していたからこちらへは人員を割けなかったんでしょう? 『十字架の一件』を口実にして、オルソラを連れてローマへ移動するアニェーゼ部隊を強襲するために。まったく、何をこそこそと恥ずかしがっているんですか」

 

 

「ううっ! ち、違いたるわよ違いたるわよ! 私がこの件に横やりを入れたるはあくまでイギリス清教の利益のためなのよ!!」

 

 

頭から湯気でも出しそうな顔でローラは否定の言葉を吐くが、ステイルは特に反論もしない。

 

1人でムキになっているのが余計に頭に血を上らせるのか、ローラの顔がどんどん赤みを増していく。

 

しかし、それとは逆にステイルの感情は冷えていく。

 

 

「神裂火織、ですか?」

 

 

その言葉にローラの動きが一瞬止まる。

 

 

「彼女の足枷として、天草式を傘下に置いた。暴力ではなく、天草式という『絆』を利用し、それも『言う事を聞かなければ危害を与える』マイナスの足枷ではなく、『言う事を聞くならローマ正教から守る』というプラスの足枷を造り出すために……そうですか、<最大主教>?」

 

 

「ひどいわね、ステイル。私に聞かなくても分かってるじゃない。悪い男ね」

 

 

ステイルの表情からふざけた表情が消えた。

 

ローラの表情も、いつの間にか大人びたものに変わっている。

 

 

「彼女かしら? <幻想投影>。土御門から聞きしけど、彼女は余程有能のようね」

 

 

詩歌の事を言うつもりはなかったが、ローラは全て見抜かれてしまった。

 

 

「ええ。上条詩歌が言ってましたよ。『感情面ではあなたの評価は最悪です。もし、火織さん達の扱いが酷いようなら、嫌いになるかもしれない』ってね」

 

 

「ふふっ、残念ね。私は逆に彼女の事扱いやすくて好きなのだけれど」

 

 

扱いやすい……?

 

詩歌が?

 

 

「だって、彼女は天才なんでしょ。どんな劣悪な条件でも最高の結果を残せるという事は、裏返せば、どんな状況下でも“最高の結果を残せてしまう”んだから。おかげでこちらは後の計算しやすいでしょう?」

 

 

でも、とローラは言葉を区切り、

 

 

「賢し過ぎるのはいただけないわね。彼女にも『首輪』が必要かしら?」

 

 

「なっ―――!?」

 

 

ステイルは思わず言葉を漏らす。

 

その反応を見て、ローラは満足そうに笑みを深める。

 

 

「冗談よ、ステイル。確かに彼女は危険だけど、彼女に手を出せばもっと危険な相手が出てくるのよ。<幻想殺し>……彼は“無能”だからこそ逆に怖いわ。何をするのか予想がつかないのだから。そうなると、あの兄妹には手を出さない方が賢明ね。土御門の言う通り、両方とも危険な“爆弾”なのよ。その威力の程も予想がつくものね」

 

 

ローラは今回の件、そして、今のステイルの反応を見て、その“爆弾”が多くの人を巻き込むと分かったのだろう。

 

もうこれで彼女はその扱いを見定めた。

 

 

「となると、今回、彼女に貸しを作ったのはでかいわね。おかげ様で、今後も『良き隣人』として付き合えさうだし」

 

 

下手に扱えば大変な事になるが、上手に扱えば天才というのは予想以上の利益をもたらす。

 

危険で扱いづらいが、敵に回すよりも味方だと思わせるほうがずっといい。

 

何せ欲を出さずに対応さえ間違わなければ、利益だけしか生み出さないのだから。

 

 

「ステイル、今後とも仲良く付き合いなさい。『良き隣人』としてね」

 

 

にっこり微笑むローラにステイルはゾッとした寒気に襲われた。

 

能天気な少女に見えるローラ=スチュアート。

 

だが、やはり彼女はイギリス清教のトップであり、あの<禁書目録>の仕組みを気づきあげた冷酷な管理者だ。

 

1年おきに記憶を失わなければならないルール。

 

イギリス清教のメンテナンスがなければ生きていけない体。

 

メンテナンスは教会の善意によるものだとインデックスに吹き込んで裏切りを防ぐ。

 

そうしなければインデックスは死んでしまうと騙してステイル達の反発を防ぐ。

 

人の感情・理性・損益・倫理という様々な『価値観の天秤』を掌の上で転がすという行為にこれほど手慣れた人間は他にいないだろう。

 

ステイルは改めてこの少女に対する警戒心を高めたが、かと言って彼にできる事などたかが知れている。

 

彼女は“甘さ”がない分、詩歌よりも1,2枚も上手だ。

 

もし、ステイルが迂闊な行動を取れば、ローラは迷わずステイル“ではなく”インデックスへ制裁を加えるだろう。

 

ドン、とステイルの肩が通行人の体がぶつかった。

 

ステイルとローラの間を無理に通り過ぎるようとした学生のものだった。

 

おっと、とステイルの体が揺れた時には、もうローラの姿はなかった。

 

傘と傘を繋いでいた通信用の術式はすでに途切れている。

 

慌てて辺りを見回せば、どういう方法を使ったのか、遠く離れた所にかろうじて紅茶のカップみたいな白地に金刺繍の傘がくるくると回っているのが見えた。

 

それもやがて人の波の中に呑み込まれ、完全に消えてしまう。

 

 

「……、」

 

 

すっかり調子の狂わされたステイルは、ごくりと唾を呑み込んだ。

 

癖者ぞろいの魔術師たちを束ねる得体の知れないトップの姿に、彼は改めて寒気を感じながら、しかし思う。

 

天草式を助けたのは神裂をイギリス清教に、上手に縛り付けるためのものだった。

 

それは分かる。

 

ならば、オルソラ=アクィナスを助けた理由は、結局何だったのだろう?

 

それが分からない。

 

オルソラが考えていた<法の書>の解読法はただの、間違いだったため、無理に『保護』する理由はない。

 

彼女が魔道書解読のスペシャリストである事は分かるが、彼女と同じくらいの技能を持つ者もイギリス清教にはいる。

 

布教活動で功績を挙げ、彼女の名のついた教会を建ててもらえるほどだが、神裂のように組織・集団を束ねられるほどのカリスマ性を持っていたとは思えない。

 

もしそうなら、暴動や離反を恐れて、簡単に暗殺なんて企てられるはずがないからだ。

 

だとするなら、やはり、上条詩歌に貸しを作る事なのか?

 

いや、おそらく違う。

 

ローラは詩歌に貸しを作ったのを利益と見ていたようだが、あれは狙ったものではなくて、偶然手に入れたものだ。

 

 

「……、あの女狐めが」

 

 

ステイル=マグネスは憎々しげに舌打ちをした。

 

ここで1つでも、オルソラ=アクィナスを助けた打算的な理由が思いつけばステイルはローラを悪人と断ずる事ができただろう。

 

が、ここがローラの難しい所で、彼女は善人なのか悪人なのか判断する為の材料がいまいち少ないのだ。

 

というより、彼女は善も悪のどちらの行いも均等に実行するのである。

 

さながら、天秤の釣り合いを保つように。

 

当然、天秤がどちらにも傾かず、ピタリと正確に平衡を保ってしまうと善とも悪とも判別できなくなってしまう。

 

たとえ、天秤の左右にどれほどの錘が乗っていようとも。

 

だから、詩歌も感情面の評価は最悪で、下手な事をすれば嫌いになると言った。

 

つまり、感情を除いた評価はそれほど低くもない、いや、嫌いになっていないという事は天秤が平衡に保てるくらいに評価が高い。

 

あのメッセージの裏の意味は『ローラを信頼している』と言う事なのだ。

 

ある意味、女狐同士、ローラ=スチュアートと上条詩歌は価値観が通じるものがあり、互いに信頼し合っているのだろう。

 

結果として、ステイルはどちらとも判断できないまま、ずるずるとイギリス清教の下で働いていく羽目になる。

 

あるいはそれが狙いなのかもしれないな、とルーンの魔術師はとりあえず予測を立てながら、霧雨の街に消えて行った。

 

 

 

つづく


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